Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「変な家」

2024年03月23日 21時22分34秒 | 映画(2024)
変なのは家だけじゃない。


3月15日に公開されたこの作品は、同日から上映開始の「DUNE PART2」などを押さえて、週末の興行成績トップを記録した。

何よりもタイトルのインパクトが大きい。チラシで無機質な間取り図を見せて、「あなたにはこの異常さがわかりますか?」と問うてくるのも上手い。

ふざけない佐藤二朗、笑わない川栄李奈という配役も新鮮で、これは見たことがないものに会えるかもしれないと思った。

そんな本作の冒頭。現れたのは間宮祥太朗演じるユーチューバー(?)の男性。最近閲覧数を稼げるネタがないと悩んでいるところに商売のパートナーらしき男性がやって来て、新しい部屋を借りようと思ったけど間取りを見た妻に反対されたという話をする。

この時点で浮かんだ小さな疑問符は、映画が進むにつれてどんどん大きくなっていく。

別に動画投稿で日銭を稼ぐ人を差別するつもりはない。共感はしないが。

ただこの作品、全編を通してご都合主義というか、とってつけたような不自然な展開があまりに多くて白けてしまうのである。クライマックスで主人公が銃口を突き付けられてから長時間撃たれないで待っているとか、お屋敷から抜け出したと同時に東京からはるばる来た車が現れるとか。

配役も、ニコニコしない川栄李奈もいいなと思ったけど、二人姉妹の妹役で姉が瀧本美織では、先日まで放映してた「となりのナースエイド」が浮かんできてしまうし、謎の人物が高嶋政伸と分かった瞬間に扮装も含めてコメディと化してしまった。

肝心の家の話も、はじめの部屋の真相を探るまでは良い塩梅の不気味さが漂っていたが、川栄李奈が演じる女性の正体が明らかになってきてからは緊張感が一気に消え去り、前述のとおりコメディと言ってもおかしくない微妙な空気になった。

まあ、お笑いで言えば「出オチ」という種類のものなのだろう。これである程度稼げるのであれば、同じような作品がまた作られ続けることは想像に難くない。

(45点)
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「アーガイル」

2024年03月14日 22時35分14秒 | 映画(2024)
ナウ&ゼン、ノベル&リアル。


ベストセラー作家が執筆したスパイ小説が実際に起きていることと酷似しているとして、本物のスパイに追いかけられるという話。

いくら何でも無理があると思いつつも、作ったのがM.ヴォーン監督と聞けば期待の方が上回る。実際に観ると、はじめから無理と思わず推理していれば気付いたのではないかと思うほどシンプルなからくりであった。

主人公・エリーのもとに突然現れた本物のスパイ・エイダン。彼は、何故か分からないが自分を狙ってやって来る追っ手を次々に退けていく。

立ち位置は自分が小説で書いてきた完璧なスパイ・アーガイルそのものなのに、目の前で奮闘するエイダンは汚いヒゲを生やした中年男性。それでもエリーの目には時々彼の姿がアーガイルに映ってしまう。H.カヴィルがアーガイルを演じるのに対して、エイダンに扮するのはS.ロックウェル。このギャップがおもしろい。

見かけはともかく自分の命を救ってくれたエイダンに信頼を抱きつつある中で突然の裏切りが判明。右も左も分からない異国の地で誰も信じられなくなったエリーに更なるどんでん返しが待ち受ける。

前半から結構なスピードで敵味方や攻守が目まぐるしく入れ替わる。ジェットコースターのよう、というとありふれた表現になるが、観ている側もエリーと同じように何がなんだか分からないうちに先の世界に運ばれていく感覚が心地良い。

しかし中盤で突然大きな謎が明かされ、そこで観客はエリーとお別れし、その後は単独で引っ張り回されることになる。

エリー役のB.ダラス・ハワードは小説家がぴったりハマっていた。途中からある理由で覚醒するのだが、その姿がまったく垢抜けておらず、一般女性が無理なコスプレをしているようにしか見えない点にも感心した。そんなはずないのにダサくもなれてしまう、女優魂の面目躍如といったところか。

そして何よりお楽しみの、「キングスマン」で「不謹慎」と称賛したバトルシーンである。

今回は、もうもうと立ち込めるカラースモークの中で二人の中年男女が踊りながら乱射する場面と、配管から漏れた原油でつるつるになった船室でナイフをアイススケートのブレードに見立ててフィギュアスケーターのごとく敵陣へ突っ込んで行く場面の2つが「振り切って」いた。

心臓の近くの5ミリを撃ち抜くのはさすがにやり過ぎ感があったけど、小道具や伏線などもキレイに配置され、非常に安定して楽しめる娯楽作品であった。ただ、「キングスマン」と繋げる場面があったけど、ユニバースのようにする必要はないと思う。

(80点)
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「アバウトライフ 幸せの選択肢」

2024年03月12日 23時08分29秒 | 映画(2024)
この世界が落ち着かなく感じる自分に気付く。


ミシェルとアレンは付き合ってから結構時間が経過した男女。ミシェルは結婚を望んでいるが、アレンは愛する気持ちに疑いはないが最後の一歩を踏み出すことができないでいる。

友人の結婚式でのできごとがきっかけでケンカした二人は、お互いの実家に戻って、結婚か別離かの選択について真剣に向き合うことにした。一日経って、改めて両親も交えて話をしようと提案するミシェル。そして両家の一同が会する場が設定されたのだが・・・。

舞台用に作られた脚本なのか、全編ほぼミシェルとアレン、彼らの両親の6人だけの会話劇である。6人はいずれも白人。性的嗜好はいずれも男性と女性の間で成り立っていて、女性のミシェルは強い結婚願望を持っている。

決してタイムスリップしているわけではないし、過去に書かれた話という情報もない。まぎれもなく2023年の作品なのだが、ここまでポリコレ要素が見られない作品に遭ったのはひさしぶりで、どこか面食らっている自分に驚いてしまった。

R.ギアS.サランドンW.H.メイシーと、70歳代の名優が元気な姿を見せてくれるのはうれしい(D.キートンは2年ほど前にJ.BieberのMVに出ていた)が、彼らが中心にいることも時代とのズレを意識する要素になっていた。

結婚を前に悩む若い二人の手本となるべき両親たちは、自分の人生が最良の選択だったのか自信が持てず、パートナーではない異性を心のよりどころにする過ちを犯してしまった。

名優たちが四者四様の振る舞いや心の持ちようを演じるところが興味深いが、さすがに70歳代でこの色恋沙汰はないのでは?とも思った(セリフで自分たちの年齢を60歳だと言う場面があったが、もう10歳若ければもっとハマる話になったかもしれない)。

マリッジブルーは女性のものという印象を持っていたせいもあるだろうが、アレンの煮え切らなさもしっくり来なかった。いまどき結婚に踏み切れないのは愛情よりも経済面では?という、これまた最近の由々しき風潮に毒されていることが明確になってしまった。

あとは邦題が良くない。原題から外れるのはともかく、どこかで聞いたようなタイトルではなかなか目に止まらないだろう。最近にしては珍しく温かい映画なのだから、この種の作品を好む層に届くような広報展開をしてほしいところだ。

(65点)
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「落下の解剖学」

2024年03月02日 08時38分21秒 | 映画(2024)
愛と死をみつめて。


昔から法廷劇がおもしろいというのは定番である。そこに、フランス映画でありながら今年度のアカデミー賞に作品賞、監督賞を含む5部門にノミネートという肩書きが加わったら期待せずにはいられない。

作品の外形は、宣伝で大雑把ではあるが知っていた。人里離れた山荘で男性が転落死する。事件か事故か不明のまま妻への疑惑の目が強まっていくが、現場を知る唯一の証人は視覚障害のある幼い息子だけ。

ノミネートされたアカデミー賞の部門には脚本賞も含まれている。難解なミステリーである一方、登場人物の揺れ動く立ち位置や感情が整然と描かれており、出演者の台詞以外に説明がないのにとても分かりやすい。

容疑をかけられる被害者の妻(主人公・サンドラ)がベストセラー作家だということも少しずつ明かされるし、息子・ダニエルの視覚障害もはじめから明確に示されているわけではない。前情報がありながら、転落した父親に遭遇するまでどの程度の障害なのか分からなかったくらいである。

ダニエルが父親の身体を発見し大声で母親を呼ぶ。駆け付けたサンドラは、もはや動かなくなった夫の姿を見て狼狽する。全編を通して検証される対象となる事故(事件?)現場の状況は、極めて俯瞰的・客観的に見せる2~3分のカットにとどまっている。

しかし、この客観的な状況を見ても、明らかにサンドラが容疑者、しかも極めて強いレベルでの疑いを抱かざるを得ない形になっているところが巧い。いかに台詞で家族への愛情や誠実さを語っても、より確からしい筋書きが思い浮かばないのである。主演女優賞にノミネートされたZ.ヒュラーは決して極端な芝居をするわけではないが、その表情や台詞回しで観る側がいかようにも受け取れる人間の多面性を演じてみせている。

「私は彼を殺していない」「そこは重要じゃない」

起訴されたサンドラは、旧知の弁護士・ヴァンサンに弁護を依頼する。かつてサンドラに恋愛感情を持っていたこともあるヴァンサンは、サンドラの罪を疑うわけではないが、明らかに不利な状況の中で問い詰めてくる検察に対し冷静に抗弁していく。

目撃者がいない以上、事実は誰にも分からない。実際に法廷で繰り返される証言も質問も答弁も、すべては話し手の主観に過ぎない。その中で何かしらの決断を下さなければならないとなれば、どちらがもっともらしいことを言えるかにかかっているというわけだ。

わが国では、検察が起訴した事件の有罪率が非常に高いことが知られている。ごく稀に冤罪事件が発生して話題になるが、その数字は99.9%とも言われている。これは検察の能力が高いというよりは、有罪が確実な事案しか起訴しないと言った方が正しい。それはミスを許さない国の風土なのか、裁判にすること自体が非常に重いこととして慎重になっているのか、いずれなのかは分からないが、事実が不明な中で決断を下すことがとても勇気のいることだということは十分理解できる。

サンドラは起訴されるとは思わなかったとこぼす。疑わしいとしても、彼女を容疑者とみなすほどの証拠が見つかったわけでもなかったからだ。しかし、裁判が進むごとに彼女に不利に働く証拠や証言が現れはじめる。

更に気になるのは、現場にいた唯一の証人として出廷を余儀なくされるダニエルのことであった。父親の死の直後はショックで何も口にできずにベッドで泣き続けていた彼は、法廷でこれまで知らなかった両親の姿を赤裸々に知らされることになる。どれだけ傷つくか想像すらできない。

裁判長は、詳細な証言が予想される日の前日に、出廷しないよう勧める。しかしダニエルはその申し入れを断る。そして最終弁論の日、ダニエルは再び証人として証言台に立つことを自ら希望する。

演技賞のノミネートはZ.ヒュラーのみであったが、ダニエル役の子と盲導犬が素晴らしかった。悲哀、困惑、そして決意へと、話の進行とともに成長を遂げていく様子が、ダニエルの大きな瞳から伝わってきた。そして、その彼の思いこそが他のどんな状況証拠よりも雄弁に人の心をつかむのであった。

(ここからネタバレ注)

サンドラは言う。

「負けたらすべてを失っただろうけど、勝っても終わったというだけだった。何か見返りがあると思っていたのに」

無罪を勝ち取っても彼女の名声に傷が付いたことには変わりない。裁判の結果が間違いだとして批判する人も少なからず居続けるだろう。もちろん観客である我々も、結局事実がどうだったかは分からない。

彼女のこれからは、起きてしまったことを受け入れつつ、自分にとって最も大切なものを守り続ける人生になるのだと思う。まあ、その方向性は彼女に限った話ではなく、ごく一般的なものなのだけれど。

(90点)
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