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「ペンタゴンペーパーズ 最高機密文書」

2018年04月05日 21時11分43秒 | 映画(2018)
多くの人の人生と歴史を背負う覚悟。


ハリウッドが政治絡みの映画を作るとくれば、リベラル志向を前面に押し出した内容になるのが相場だ。

しかも題材はベトナム戦争。ヒトラーに次ぐ巨悪として叩かれ続けるR.ニクソン大統領に敢然と立ち向かっていく正義のメディア、という構図が観る前からうっすらと浮かんでくるようだった。

しかし、この映画は単なる勧善懲悪の政治ドラマではなかった。

M.ストリープT.ハンクスという二大オスカー俳優の豪華共演でも話題となっている本作。

M.ストリープがが演じるキャサリンは、かのワシントンポスト紙の社長。しかし彼女は、決してバリバリのキャリアウーマンではなく、単に世襲で会社を継いだ普通のお嬢様であった。

伝統があり名前も知れ渡っているが、切れ味鋭い記事を連発するニューヨークタイムズ紙に比べると単なるローカル紙扱いのポスト紙。T.ハンクス演じるベンは、そんなポスト紙を何とか一流に引き上げたいと奮闘する編集長である。

70年代に入り、ベトナム戦争は長期化の様相を呈していた。そんな中でNT紙が仰天のスクープ記事を発表する。

米国政府は早い段階でベトナム戦争が勝算のない戦いだということに気付いていた。

これは、政府内で極秘裏に行われた調査の報告書を元にした記事であった。分析結果が世間に与える影響の大きさを恐れて、誰も表に出すことができなかったデータだ。

隠ぺい。奇しくも最近わが国の報道でよく耳にする言葉である。隠し通せずに表に飛び出した事実は、遥かに大きな力となって人々の頭上に降り注ぎ致命傷を負わせる。

隠すのは良くない。知る権利、報道の自由こそ正義だ・・・という流れではあるのだが、このカタルシスだけでは済まないのがこの映画の深さである。

メディアの強権に押さえつけられたNT紙を横目に、ポスト紙は改めて情報源から報告書の写しを手に入れて一大スクープをぶち上げようとするが、ここで社内に激しい対立が生まれる。

世界一の大国の大統領を敵に回すのは並大抵のことではない。しかも記事の公開は、客観的に分析すれば犯罪に問われる恐れもあるという。

政府にひれ伏せというのではなく、別のやり方があるのではないかと提案する同僚たち。いずれの意見も一理あるし、誰もが命を懸けて紙面づくりに携わっている姿がひしひしと伝わってきて観ている側も熱くなってくる。

そして究極の判断を委ねられるキャサリン。

自分は世襲でお飾り。誰もが感じているけれど、それでも社長の任に就いている限りは責任をとらなければならない。

社長が苦渋の末に判断を下すのも重いが、それ以上に、不満があったとしてもその判断に従って、次の瞬間からその中での最善を求めて全力を尽くす社員たちに心が震えた。

この映画を観て改めて考えさせられたのは報道とはどうあるべきかということである。ベンは、情報提供者から報告書の写しを入手し、短時間ながら丹念に分析して記事を発表した。ということになっている。

翻って現代はどうか。情報は量だけは膨大に飛び交っているが、果たしてそれが本当なのか嘘なのかがにわかに判断し難い。ある人はそれはフェイクだと言い、ある人は物的証拠がなくても怪しいというだけで糾弾する。

世の中の流行り廃りはゲリラ豪雨のように、正しかろうが間違っていようが勢いだけで人や物事を押し流していく。時間の流れが急速に速まる中で、落ち着いて客観的に考えることを許してくれない。

この映画は、ニクソンが悪役ではあるのだけれど、ベンたちは、それ以前のジョンソンもケネディもアイゼンハワーもみんな隠していたと言った。見せかけのポジショントークに囚われない、真の仕事に向き合える人間に憧れの思いを抱いた。

(85点)
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