Con Gas, Sin Hielo

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「スノーデン」

2017年02月18日 21時02分10秒 | 映画(2017)
ロシアはユートピアなのかな。


何が驚いたと言えば、作品が一貫してスノーデンという人物を英雄として描き通していることである。

映画が辿るのは、愛国心から軍隊を目指していた一人の青年が、恋人リンゼイの影響を受けて清く正しい人間へと成長する物語である。

巨大な権力が弱き個々人の生活のすべてを監視下に置いているということは、自由に生きる権利を尊重する立場からすればとんでもないことだ。

だからと言ってスノーデンの行ったことが100%正しいのかというと、映画の宣伝文句にあるように英雄か裏切り者か意見が二分されるのが普通だろう。

しかし、作品は常にスノーデンの側に立ち続けている。テレビ電話の大画面を威圧感全開で迫ってくる指導教官コービンなんて、字幕の言葉を読まなくてもはっきり巨悪と分かる勧善懲悪方式なのである。

それ故にドラマとして見る分には見応え十分でおもしろい。謎が多かったスノーデン事件の流れをざっくりと掴む上でも有効だ。

ただ社会派の作品として評価しようとしたときには、あまりに視点が偏り過ぎて話にならない。

彼の行為は、個人のプライバシーを米国の権力から守るという一面では正しい。しかし、莫大な情報収集の先にある、米国の国益となるはずだった本来の目的の達成を遠ざけたという別の一面に触れることはしない。

どちらが正しいかではない。視点をどこに置くかで正しさは変わりうる。結果として未だ世界に残る人権無視国家が情報戦に勝利すれば、いま以上に多数の人民の権利が脅かされることになるだろう。

でも不思議なことに、この作品はけしからん!とも実は思わないのである。

それは、O.ストーン監督は敢えてこういう作り方をしたのだろうと推測できるからである。

自分が信じる正義こそ唯一として他の思想を徹底的に排除する妄信的な人たちは始末に負えないが、O.ストーン監督は多面的な考え方があることはおそらく分かっている。その上で、それでも自分が優先するものはこれなのだという意志を押し出しているのである。

しかし、残念と言おうか皮肉と言おうか、スノーデンがいくら力を尽くそうとも自分たちの正しさを競う戦いの場は収まる気配がない。そろそろ疲れて休んでくれないものかと切に思う。

(70点)
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