Con Gas, Sin Hielo

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「ブラックパンサー」

2018年03月10日 00時01分58秒 | 映画(2018)
ノーベル平和賞最有力!


現代は便利で生きにくい。それは人や物の間の距離や時間が短くなったからにほかならない。

他者と簡単につながれる一方で不必要な衝突も増えた。世界がひとつになれる技術が逆に反目や対立の原因を創り出したのだ。

本作の舞台であるアフリカの架空の小国・ワカンダ。ここだけで採掘される鉱物資源によって超大国に匹敵する技術と文明を享受しながらも、先人は、これらを悪用されることを恐れて国の門戸を閉ざしてきた。

新たな国王になった主人公ティ・チャラは大きな決断を迫られる。恵まれた資源の恩恵を開放し世界を苦境から救うのか、このまま自国民の安寧のために国際社会に背を向け続けるのか。

政治的正しさが前面に押し出される傾向はハリウッドにおいて特に顕著であり、昔のアメコミが元ネタとはいえ、まさに現代の社会ニーズに100%合致した題材であることがよく分かる。

上に掲げた主人公の選択肢は、二者択一に見せかけながら事実上の一択問題である。黒人が上に立つ国家が白人を遥かにしのぐ能力を有し、それを世界のために分け与える。この設定に表立って異を唱えられる人はいないだろう。

しかし、辺境のブログだから言ってしまうと、こうしたこの映画の外観にとても強い同調圧力を感じてしまい、素直に楽しむことはできなかった。

例えば、ティ・チャラはワカンダの伝統に則った決闘(鉱物資源のパワーによらない闘い)で敵役のエリックに敗れて一旦王の座から退くことになる。しかし、エリックが国王でいてはいけないと再び戻ってきたティ・チャラは、伝統そっちのけの大乱戦で王位を奪い返すのである。

話の筋としてはエリックが明確に悪役と位置付けられているのでなんとなく違和感がなくなるのだが、ティ・チャラのみを見るとやり方が独善的過ぎる。

感覚は人それぞれなのに正しいものは一つと押し付けてくる気持ち悪さが至るところから漂ってきていた。

押しつけといえば、音楽でフィーチャーされているKendrick LamarやSZAに関して、彼らがグラミー賞の主要部門で受賞できなかったことに対して「それはおかしい」という炎上騒ぎになったことを思い出した。ベストニューアーティストに輝いたAlessia Caraが素直に喜べなくなり実にかわいそうだった。なんともグロテスクな時代になったものだ。

設定や背景の話ばかりしてきたが、本篇の方もこれといって評価する点はなかった。

キャラクターに魅力を感じなかったし、祭典や衣装・美術などアフリカ系部族を強調した描写の多さには少し退屈したくらいだ。かなり露骨な黒人描写も多くて、これって差別と捉えられないの?という疑問が湧いてきたのだけど、黒人が演じればすべて免罪なんだろう。

また、アクション映画によくある判別しにくい戦闘シーンという要素も当てはまってしまった。特に、主人公と敵役の一騎打ちにおける、まさにとどめの一撃が何をどうしたのかまったく分からずという致命的な状況であった。

「アベンジャーズ/インフィニティウォー」で帰ってくると言ってもまったく心が躍らない。というか、最後に出てきた男って誰だ?

(50点)
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