Con Gas, Sin Hielo

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「ミニオンズ」

2015年08月30日 01時05分47秒 | 映画(2015)
ちょいワルに行こう。


「怪盗グルー」シリーズの不思議な生物、ミニオンたちを主役にしたスピンオフというか前日譚を描いた本作。

彼らが人気となった理由は、もちろん愛らしい姿かたちやとぼけた行動にあるのだが、それ以上に彼らを語る上で欠かせないのは、その時代で最もワルいボスに仕えるという設定である。

いつも脳天気で、強さを競う世界とは縁遠い存在に見える彼らが何故こうした行動をとっているのか。話は人間が地球上に登場する遥か昔へ遡る。

海の中にいる魚から、より大きな魚へ。陸上に上がれば恐竜へと、食物連鎖をなぞるように彼らのボスは力が強い方へと変遷していく。

人間が地球を支配するようになると当然ミニオンのリーダーは人間になる。人間は捕食されない代わりに、ミニオンたちの失敗によって次々に葬り去られてしまうのだが。

で、ここで注意である。

上述のとおり、ミニオンの設定は「最もワルいボス」に仕えるはずだったものが、歴史を辿ると、かつては恐竜のように力が強い者についていく習性であったことが今回初めて分かる。

それが人間をリーダーとして慕うようになってから、リーダーはワルい者であるべきと刷り込まれたということは・・・、そう、人間界ではワルい者こそがトップに立つという皮肉が描かれているのだ。

憎まれっ子、世にはばかる。人の世はいつも権力闘争に勝ち抜いた者だけが頂に上れる。いくら清廉潔白で正しかろうと、それだけでは生きていけないのである。

もちろんミニオンたちに身についたこの考えは厳密には正しくない。その証左として、世界最凶の悪人・スカーレットを探し当てたものの、ちょっとした手違いから、逆にスカーレットに命を狙われるハメに陥ってしまう。

結局はミニオンらしからぬ(?)個別キャラの勇気ある行動でスカーレットを撃退し、やがてグルーの元へ・・・と話は繋がるのだが、結局、彼らは「悪さ」になびいているのではなく「力の下の安定」を自然に求めているのである。彼ら自身、気付くことは最後までないだろうが。

それなら人間とたいして変わりないじゃない。そう、ミニオンの存在はまさしく「庶民」と括ることができる。

小さな存在で、群れて行動し、しょっちゅう失敗ばかりするけれど、毎日を楽しく暮らすことが何よりも幸せな「庶民」だ。

そう考えると、リーダーを失って自分たちだけで共同体を形成したときのミニオンたちの様子が興味深く映る。便利さを享受しながら満足感を得られていない現代社会と似てない?

ただ、周辺のリーダーを見渡したとき、一見強い統率力を持っていそうな中共やキム一族は、それこそスカーレットのように圧政を強いてきそうだから、普通に考えて、存命するエリザベス女王をさらっとアニメキャラに描く自由と寛容さがある欧米諸国に「ついていく」のは必然だと思うのだけど、それっておかしいかな。

さて、大きく逸れたので話を映画に戻そう。

話は荒唐無稽で強引な引っ張り方も多い。60年代や欧米の芸能に絡めたネタが散りばめられて子供向けに押し込める国内興行とのズレを感じるが、深く考えなくてもいいでしょう。それなりにヒットするだろうから。

最近の傾向に違わず、字幕版は日本橋、六本木、新宿、神戸の限定公開。天海祐希が悪いとは思わないけど、夜1回の上映で構わないから選択の自由がほしいところ。

エンドロールでS.ブロックたちの名前に混じって、H.サナダの文字を発見。悪党集団のうちのスモウレスラーの声を担当していたらしい。ハリウッドで日常的にオファーがあるところは素晴らしいの一言。

そんな真田広之、吹替版ではナレーターを担当。経緯を知らなければ唐突感を覚える配役だろう。

(70点)
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