Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「ハドソン川の奇跡」

2016年09月25日 20時46分21秒 | 映画(2016)
求められるプロフェッショナルの模範解答。


人の噂も七十五日と言うが、とかく世の中の関心は移ろいやすい。と同時に、突然風向きが変わることもあるから要注意だ。

本作の元ネタである航空機事故は、奇跡の着水という報道が世界を駆け巡った後に、英雄であった機長に疑惑が持ち上がったということで二度大きな注目を浴びた異例さもあり、強く記憶に残っている。

しかしこれも世の常、結局どう収まったかについては意外と知らずに月日が過ぎてしまっていた。おそらく巷で大騒ぎしていることの多くは、こうした道筋を辿るのだろう。

巨匠・C.イーストウッド監督は、今回この実話にスポットを当てることを選択した。

かなりの部分を世の中が知っている事象であるから、大きく事実から逸脱した脚色をすることはできず、必然的に実際に起きたこととそのときの当事者たちの心情に焦点を絞って描いていくこととなる。

そんな自由度が少ない中でも、見せる順番をこまめに入れ替えて観る側の感情の最高点をクライマックスの公聴会に合わせるなど巧みな演出は健在だ。

とはいえ、何より大きいのは真実の力である。主人公の機長・サリーが成し遂げたことは「奇跡」と呼ばれたが、この物語はそこに確実に裏打ちされているプロフェッショナル精神を明確に映し出す。

一瞬の判断だけではなく、判断に繋がる前後の無駄のない所作、着水の技術に加えて直後には乗客の安全な避難に自ら機体の最後尾まで確認して回る徹底ぶりには、いち早く逃げ出したセウォル号の船長とは比べるのも失礼な話だが、緊急時に必要とされる素養の見本を見せつけられた。

そしてその精神は、サリーの判断の正当性に対して向けられた疑惑への反証においても貫かれる。個人的には、この下りこそが本篇の見せ場と感じた。

疑いがかけられることも一種の緊急事態である。甘く見て対応を怠ったことから、疑いがあらぬ方向へ拡がり、いくら真実を訴えても正しく届かなくなるなんてことはよくある話。

そんな危機に対して、サリーは時機を誤ることなく、人々の心に明確に伝わる形で疑惑を解いてみせることに成功した。

航空機の操縦も公聴会での反証も根底は同じ。状況を的確に見極め、必要な判断を迅速に下し、それを驕ることなく実直にやり通すことこそがプロフェッショナルなのだ。

この映画もプロフェッショナルな監督と俳優陣によってこそ成り立っている。もちろん電算機で作られるものではない。

(80点)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「怒り」 | トップ | 「高慢と偏見とゾンビ」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画(2016)」カテゴリの最新記事