Con Gas, Sin Hielo

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「愛がなんだ」

2019年06月09日 00時16分53秒 | 映画(2019)
動けなくなってしまった。


「愛」という言葉は複雑だ。いろいろな場面で様々な対象に対して使うことができるから、小説にも歌の歌詞にも頻繁に登場するし、肯定的な響きを武器に人の心を動かす道具としても有用である。「愛」の文字を兜に付けた武将もいた。

その一方で、それぞれが考える「愛」の意味は一致していないから、その隙間に驚きや争いが生まれ、時には悲劇に結び付くことも少なくない。LOVE&PEACEが声高に叫ばれても未だに実現しないのは、「あれも愛、これも愛」を受け入れられないからである。

しかし、本作のタイトルはそんなあいまいな「愛」を徹底的に突き放す。「愛がなんだ」という言葉には疑問も葛藤も挟まる余地がない。そこは「愛」を超えた執着だけが残る世界だ。

冒頭から主人公のテルコは片思いの相手・守に振り回されている。

「会社から帰るところだったら何か買ってきてくれるとうれしい」。相手に選択の余地を残す形をとりながら、実際には相手が必ず応じてくれると分かっている。官僚答弁のような狡猾さで呼び込んでおきながら用事が済んだらさっさと追い返す。

友人は当然憤る。そんな男はやめた方がいいと。しかし当事者はそうはいかない。好きだから。会いたいから。

テルコの近くには、同様に報われない片思いに身を焦がす仲原がいる。仲原の思いを聞くテルコは言う。「気持ち悪いね」

半ば同類だと気付いているし、好きな人をただ追いかけ続けることがおかしいことも理解している。でもやめるわけにはいかない。やめられない。

あるとき守から友人の女性・すみれを紹介される。年上でテルコとまったく異なるタイプのすみれに守は好意を持っている。

はじめはやり場のない怒りに襲われたテルコだが、傍からすみれと守の関係を見るうちに違う感情が芽生えてくる。自分に対してあれほど心のない対応をしていた守がすみれとの関係ではまるっきり逆になっているのだ。やがて守はすみれへの思いが届かないもどかしさをテルコに打ち明けるようになる。

これまた客観的に見ればあり得ない話である。でも、それでも、テルコにとっては違うのだ。テルコを傷づけていることに気付いた守に対し、嘘をついてでも守とのつながりを手放そうとしない背景には、守がいない人生が存在し得ないという現実がある。

対照的に仲原は片思いに自らピリオドを打つ決心をする。テルコにとっては自分の生き方を否定されたようにも映るから戸惑う。

そこで至った結論が、もはやこれは愛ではないということだった。正しいかどうかは別として、夫婦だって恋愛から結婚を経て家族になっていくように人間同士の関係は形を変えていくことに不思議はない。

ただ、テルコにとって明らかに問題なのは、自分の思いを表す言葉を換えただけで何一つ進んでいないことにある。得体の知れない感情に囚われて前に進めない。若いうちに多くの人が経験する道かもしれないが、どこかでシフトチェンジをしなければならない。

男女を中心とした囚われの感情が痛いくらいに詰め込まれていて非常におもしろかった。演者も、その人物の長所短所をリアリティたっぷりに表現していてよかった。特にかわいく見えるときと煩わしいときが行ったり来たりする岸井ゆきのの好演が光った。

(85点)
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