Con Gas, Sin Hielo

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「哀愁しんでれら」

2021年02月14日 11時03分15秒 | 映画(2021)
失意と哀愁のスパイラル。


2月半ばにしてようやく今年初めての映画館である。20時以降の営業停止と度重なる公開延期で、個人的な感触では昨年以上に状況は悪い。予告を観ても興味をひく作品がまったくなく先行きは暗い。

そもそも今回本作を観ると決めた理由も、これを絶対に観たいというより、いま上映されている中で比較的おもしろそうなのはこれくらいかなという消極的な選択であった。今月末で期限が切れる鑑賞券が手元になかったら劇場に足を運んでいたかどうか分からない。

そんな状況で観た本作。選んだ理由は、身近に感じられそうなテーマを扱っていることと、起伏が激しく予測困難なストーリーに期待をしてのものであった。

主人公の小春は10歳のときに母親に捨てられた経験を持っており、自分はこんな大人にはなるまいと心に誓って生きてきた。児童相談所に勤めながら祖父・父・妹との家庭では母親的な役割もこなし、裕福ではないが堅実な生活を送っていた。

ある日、小春を怒涛の不幸の連鎖が襲う。祖父が風呂場で倒れ、慌てて病院へ向かった留守の自宅が火事になり、居場所を求めて向かった彼氏の家では職場の同僚と浮気の真っ最中であるという、これぞ作り話の展開。

しかし捨てる神あれば拾う神ありとは言ったもので、失意の中で人助けをしたらその人が金持ちの医者で、小春にシンデレラストーリーが舞い込む。

で話はここから。一見幸せに見えるお金に困らない生活は、小春にどのような影響を及ぼすのだろうか。

これも設定の時点で、お金があっても幸せにはなれないという流れになることは分かりきっているのだけれど、見ものは誰が小春をダークサイドへ誘うのかというところにあった。夫か、子供か、夫の母か。

夫・大悟役には田中圭。出会ったばかりの優しい面と、娘を叩いたことに烈火のごとく切れる面を分かりやすく演じる。この手の役は得意そうなイメージ。

しかしそれ以上に印象深い演技を見せたのは、大悟の子・ヒカリを演じた子役だった。目鼻立ちが際立っているわけではないのではじめは普通の子供に見えるのだが、話が進むに連れて存在感が増してくる。

COCOという子のプロフィールを見ると、4歳にしてインスタグラムを開設し、現在63万人超のフォロワーを持つ世界的キッズインスタグラマーと書いてある。なんかすごい。

この子のキャリアにも、この子自身のパーソナリティが色濃く反映されていると思うが、人はまさに千差万別。同じキャラクターの子供などいないと言っていい。そしてそれは親のDNAによるものでもない。同じ親から生まれたのに全然違う性格の兄弟なんてのはよくある話であり、だから子育ては大変でおもしろいのである。

天使のような子供もいれば、悪魔のような子供もいる。親の苦労は他人には分からない。自分を捨てた母親をある意味憎悪と軽蔑の対象としてきた小春の元にヒカリが遣わされたのは皮肉な神の配剤であった。

追い込まれた小春は大悟とヒカリの家を出て行く。かつて憎んだ母親と同じ選択をするが、その後に新たな展開が訪れる。大悟から呼び戻された小春はモンスターとして生まれ変わりを果たす。

全篇を通して飽きることなく観られて良かったのだが、特に技ありだと思ったのはヒカリをはじめとした子供たちの描き方であった。

ヒカリの扱いに困って小春はダークサイドへ堕ちていくのだが、ヒカリは完全な悪魔でもない。見ようによっては典型的な幼児退化ともとれるし、親への反抗期は誰にでもある。そしてヒカリの素行に影響を及ぼした同級生にも非がある演出が出てくる。

じゃあ結局どうすれば良かったのよ、という脱力しそうな問題が残るが、我が家はそれなりにがんばったよねと都合よく捉えるのが精神衛生的には正解なのかもしれない。

主演の土屋太鳳。何度か役のオファーを受けることをためらったというが、優等生的なイメージとは違う側面は非常に魅力的で、今まででいちばん良かったと思った。

(75点)
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