Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

今年の20作(1位→20位)

2021年12月30日 12時11分49秒 | 映画(2021)
また減ってしまった。特に年の前半は観たいと思う作品があまりなく、例年であればアカデミー賞等の賞レースを沸かせた作品が公開される時期も、配信限定だったりうまくタイミングが合わなかったりで、映画館に足を運ぶ機会が少なかった。後半は、わが国では感染症のピークが過ぎたこと、北米では押さえ込むことを諦めた(?)ことから、マーベルのプロジェクト再始動など新作が徐々に公開され始め、映画館は少しずつ賑わいを取り戻し始めているように見える。

1.「まともじゃないのは君も一緒」(3月21日)

映画としては極めて小品だけど、憎めないこじらせ系のかわいいストーリーがすっと心に入ってきた。清原伽耶は朝ドラの主演も務め、視聴率が振るわず作品の評価も賛否両論といったところだったが、長い目で見れば大きな飛躍の一年であったことは間違いない。

2.「そして、バトンは渡された」(11月14日)

記事の最後に付け足し的に3名の女優の名前を書き連ねたけれど、この3人のキラキラ感が感動の物語に花を添えてくれた。子役の稲垣来泉ちゃんは、年末の明石家さんまの特番に出ていたけど、将来が楽しみな逸材です。

3.「映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園」(8月1日)

上位3作を邦画が独占は初めてじゃないだろうか。今年のクレしんは公開日延期で夏休みに上映された。「青春」という幹のもとにしんのすけと風間くんの友情をがっちりと組み込み、周りのレギュラー+ゲストキャラの存在をバランス良く散りばめたよくできた脚本。

4.「ディアエヴァンハンセン」(12月5日)

ほろ苦い青春、意外性に溢れたストーリー。ミュージカルでなくとも十分魅力的な作品に音楽が力を添える。伝えられない思いを表現するのに音楽はぴったりなのである。我々の日常で真似することはできないが。

5.「ファーザー」(5月15日)

名優A.ホプキンスは明日12月31日に84歳を迎える。認知症を患い始めた老人を演じ、オスカー2度めの戴冠となった。80代を介護する世代である50代に響くテーマに、映画としての見せ方が秀逸だった。

6.「プロミシングヤングウーマン」(7月18日)

社会常識は変化する。昔は許されたことが今は断罪される。厳し過ぎる、おもしろみがなくなる、と言う人もいる。しかし、それで人生を狂わされた人がいる以上、そのことを間違っているとは言えない。一方で、どこまで遡って罪を償う必要があるのかにも明確な解答はない。自分の生き方が正しいのか常に自問自答していくしかない。

7.「フリーガイ」(8月14日)

最近珍しくなった純ハリウッド調のポジティブ作品。すっかり良いポジションに就いたR.レイノルズが今回もイキイキと演じている。年末にテレビで「トゥルーマンショー」が流されるみたいだからひさしぶりに観てみようか。

8.「エターナルズ」(11月6日)

このワンチームだけでアベンジャーズを凌駕しているような気がするが、今後どう他の作品の世界と絡んでくるのだろう。なにしろ人間界を上から目線で見ているからね。

9.「007/ノータイムトゥダイ」(10月9日)

公開延期が重なりなかなか正式に降板できなかったD.クレイグ最後のボンド。よく考えれば007シリーズは、主演俳優の交代を通してマルチバースを先取りしていたのかもしれない。

10.「ラストナイトインソーホー」(12月18日)

アイデアと見せ方でE.ライト監督の手腕が光る。これも昔は許された(見逃されてきた?)行為が話の軸になっている。

11.「最後の決闘裁判」(10月17日)

これも過去に被害を受けた女性が反旗を翻す話だが、過去も過去、14世紀という大過去のことである。究明が不可能な事案を当事者3人の視点に立った別の話として展開。ただR.スコット監督は女性の視点に「真実(the truth)」と添え書きした。

12.「オールド」(9月1日)

作品の掴みに賭けていると言って過言ではないM.ナイト・シャマラン監督。今回も見事に、どうなるんだろう、見てみたいと思わされた。結末まで分かりやすいのも特徴の一つか。娯楽作品として満足しました。

13.「護られなかった者たちへ」(10月2日)

「おかえりモネ」の評価が分かれた理由として、重いとか展開が遅いとかといった意見が聞かれた。同じ清原伽耶が出演する本作は更に重い。テーマがテーマだけに重くなるのは仕方ないが、東日本大震災の発災から10年を数え、そろそろ転換期に来ているのではないだろうか。

14.「キングスマン:ファーストエージェント」(12月26日)

時代背景からか、主演のR.ファインズに引っ張られたのか、不謹慎や軽さとは無縁の重厚なアクション映画となっていた。このシリーズ、次はどこへ向かうのだろうか。

15.「ブラックウィドウ」(7月10日)

MCUのフェーズ4が本作をもって正式にスタート。なお、NETFLIX配信の「ホークアイ」に妹・エリーナが登場するといううわさが。契約しないと続きの話は見られないってこと?

16.「哀愁しんでれら」(2月11日)

これまでのイメージを覆す土屋太鳳の意欲作と見るが、その後はあまりウィングを広げているようには見えないかな。

17.「Mr.ノーバディ」(6月13日)

結局いまだに空で名前を覚えきれていないB.オデンカーク。はなからB級を打ち出しているので何の問題もありません。続篇が作られるとか。

18.「ザスイッチ」(4月10日)

期待していたものを見せてくれているので不満はない。時々観たくなる種類の映画でもある。でも時間に余裕がないとき、わざわざ観に行くほどのものでもない。

19.「シャンチー テンリングスの伝説」(9月5日)

「エターナルズ」よりこちらの方が評判が高いと聞いた。ふーん。米中関係は来年も複雑化は免れない。北京五輪はどうなるのか。トランプ政権で大騒ぎしていたショウビズ界は最近何も言わないね。

20.「いのちの停車場」(6月27日)

偏見かもしれないが、吉永小百合の映画とした以上、あまり多くの要素を加える必要がなくなる。客層は高齢者層一本だから、尊厳死の問題を掲げたのだろうけど、ちょっと無理があったのではないか。
コメント (2)
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今年の4館(2021)

2021年12月30日 11時42分08秒 | 映画(2021)
緊急事態宣言の中身が変遷し、映画館が休館を余儀なくされることはなくなったものの、世界は昨年に引き続いて感染症パニックに見舞われ、公開が延期されたり配信のみの対応になったりする作品が相次いだ。その一方でようやく劇場公開に辿り着いた作品も徐々に出始め、映画館ビジネスはこれから新しい生き方を探ることになる。個人的には、時間に余裕がなかったことに加え、出かけないことが日常になってしまったことから、昨年よりも観た作品、行った映画館ともに減少する結果に。

TOHOシネマズ海老名(神奈川)15回

政府がデフレ脱却を唱えて久しいが、収入が上がる前にあらゆる物価が急激に上がりつつある。レイトショー料金は1,400円になり、毎月14日のTOHOシネマズデイが廃止され水曜日に男女問わず1,200円となるTOHOウェンズデーを新設。社会人にとってはあまりメリットがなく、シニアになるまで待つしかないかといった感じ。

イオンシネマ海老名(神奈川)5回

日本発のシネコンとも呼ばれるAC海老名は、ずっと料金据え置きの庶民的映画館でもある。一般料金は200円、レイトショーや曜日割引(月曜日)もTOHOより100円安く、更にイオングループで展開するG.Gキャンペーンにより55歳以上は1,100円均一で観られる。さすがに最新の設備というわけにはいかないが、安かろう悪かろうなんてことはまったくなく、タイミングさえ合えばこちらを使うことが増えることが容易に想像できる。

イオンシネマ新利府(宮城)1回
TOHOシネマズららぽーと横浜(神奈川)1回

シリーズ第1作の「キングスマン」を観たのがMOVIX利府だった。大きな商業施設エリアの中に独立した建物が建っていた(と記憶)が、わざわざ来る必要があったせいか、あまり繁盛しているようには見えなかった。MOVIXが閉館し、近隣に新しくできたのが巨大なイオンモール新利府である。その3階に入っているAC新利府で観たのが偶然にも「キングスマン:ファーストエージェント」であった。同じフロアには屋内型アミューズメントやフードコートなどが立地し、ものすごい賑わいを見せていた。際立つ明暗に現代の厳しさを感じずにはいられない。
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「キングスマン:ファーストエージェント」

2021年12月27日 22時46分38秒 | 映画(2021)
国でできないからこその民間活力。


数度に渡る公開延期を経てようやく日の目を見ることになった本作は、完全独立の民間スパイ組織「キングスマン」誕生の秘話に迫るというもの。

第一次世界大戦の時代まで遡るので、これまでのシリーズ出演者は一切出てこない。だけでなく、シリーズ第1作の「キングスマン」で大ウケだった不謹慎系なネタも控えめで、重厚ささえ感じるほど作品の趣きが違っていた。

世界史は苦手教科だったので設定がどれだけ史実をなぞっているか分からないのだが、英国国王と敵対国のドイツ、そして革命直前のロシアの皇帝がいとこ同士だったとか、スケールがやたら大きい。

「キングスマン」の創設者であるオックスフォード卿が本作の主役。名家の当主として、国王へ様々な進言を行うほか慈善活動に熱心な側面も見せる一方で、彼が貫いてきたのは徹底した非戦の平和主義であった。

しかし20世紀初頭といえば今以上に世界が混沌としていた時代。上述のいとこ同士は策を巡らせながら覇権争いを繰り広げており、オックスフォード卿は英国の繁栄のために自身の信条を現実に適応させることを余儀なくされる。

ハイテクがない中での諜報合戦が、最近のスパイもの、アクション映画と一線を画していて興味深い。

技術がないならば人海戦術とばかりに、使用人のネットワークを世界中に張り巡らせて情報収集する彼ら。使用人ということで黒人と女性が登場し大活躍するという、物語の制約を逆手にとって現代のポリコレ方面までクリアしてしまう荒業には感心した。

そしてオックスフォード卿が終始一貫していたのが反戦の決意であった。あまりに頑なな姿勢が劇中で不幸な出来事を招くことになるのだが、その流れを含めてなお、映画は平和を求めることの重要性を説いている。

そのためには時に戦いも覚悟しなければならない。これが欧州人の考えであり、良し悪しではなく、戦いの歴史を持っているかどうかでこの辺りは決まっていくのだろう。

こうした組織があってほしいと思う一方で、現代は莫大な集中投資ができる彼の国に既に牛耳られてしまっているのではという一抹の不安を感じた。

(75点)
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「ラストナイトインソーホー」

2021年12月18日 23時40分28秒 | 映画(2021)
わが国に置き換えれば「昨夜歌舞伎町で」、それは怖いでしょ。


主人公は、英国の田舎町からデザイナーを夢見てロンドンへやって来たエリー。繁華街ソーホーの一角に部屋を借りて一人住まいを始めた彼女は、毎晩知らない女性の夢を見るようになる。

女性の名前はサンディ。彼女が生きるのは60年代、エリーが憧れている時代のロンドンだ。ブロンドの髪に大きな瞳と華やかな見た目のサンディは、ショウビズ界でのデビューを目指して自らを積極的に売り込む。

夢の中でサンディとエリーは一体化していて、エリーはサンディの身に起こることを追体験する。ショーパブで働く女性を束ねるジャックという男に気に入られ気分が高揚するも、いざ舞台に上がれば脇役で男性の好奇の目に晒される不本意な役ばかり。次第に壊れてゆくサンディに引きずられるようにエリーの精神も崩壊へと向かう。

映画は、エリーが生きる現代のロンドンと、サンディが生きる夢の世界を頻繁に行き来するが、特に夢のパートにおいて、流れる音楽や、演者たちが来ている洋服、再現された街並みが非常に洗練されている印象を受けた。

時々テレビで、昭和の歌謡曲や家電といった文化に傾倒している若い人を見ることがあるが、昔のものがカッコいいというのは、かなり多数派の共通認識なのではないかと思う。

しかし、それでは60年代に戻って暮らしたいかというと普通はそうはならない。「ミッドナイトインパリ」では元の時代に帰りたくないという登場人物がいたが、エリーはサンディを通して究極の男尊女卑を経験する。

昔の流行は必ずと言っていいほど一周回って再びトレンドになる。ただそれは、素材の良さを現代風にアレンジしたり解釈したり、表面のいいところだけを抽出することによって成り立っているに過ぎないのだ。

繰り返し言うが、映像と音楽は非常に洗練されている。二人が一体化している情景を鏡の内外やダンスの位置交換を使ってテンポよく見せたり、本来はシンプルな意味づけしかないオールディーズを危険な夢の世界への導入装置として機能させたり、独特の演出には魅了された。

ただその辺りの技術力に比べると、ストーリーに意外性や充足感は感じることはできなかった。重要なキーパーソンと思っていた人物があまり活躍せずに退場したのが少し残念だったし、エリーが不思議な体験に巻き込まれていくのは彼女が言うとおり「特別な力」を持っていたからなのかという点もどこかもやっとしている。それであのラストでいいのだろうかと。

終わりが否定形だと誤解されそうなので最後は上げます。エリー役のT.マッケンジー、最近結構見る機会が多いけど、今回はとても純朴な感じでサンディと明確な対比が成り立っていて良かったです。

(80点)
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「ディアエヴァンハンセン」

2021年12月05日 14時37分03秒 | 映画(2021)
心の思いを解き放つことができたなら。


偶然だった。テイクアウトを待っていたフードコートのビジョンに流れていた予告篇。

友人がいなかった主人公は、成り行きで、ある男子学生から腕のギブスに名前を書かれる。後日、その学生が、サインをした当日に自殺していたことが分かる。

彼にも友人と言える存在はいなかったようで、主人公は「ギブスにサインをする間柄」として注目されるようになる。本当のことを言い出せずに、彼との想い出を作り話で語る主人公。しかし、そのことが思わぬ大きな共感を呼び、主人公を取り巻く世界が大きく変わっていく。

本作の存在は知っていた。たぶん映画館で予告も見ていた。しかし、「「ララランド」「グレイテストショーマン」の音楽チームが贈る、感涙ミュージカルの映画化」といった宣伝文句に食指は動かなかったのが正直なところ。

でも、このフードコートで見た予告篇には俄然惹かれた。斬新な物語の設定と、これが感動に繋がっていくということに対して、予想できない期待感が膨らんだ。

映画は表題の"Dear Evan Hansen,"で始まる。エヴァンハンセンは主人公の名前。内向的で社会障害としてセラピーを受けていた彼が、セラピストから与えられた課題である「自分への手紙」の書き出しである。

ギブスにサインをする学生・コナーは、単なる見ず知らずではなかった。冒頭、学校のロッカーで目が合ったエヴァンにキレてきた情緒不安定な少年であり、またエヴァンが秘かに思いを寄せる女子生徒・ゾーイの兄でもあった。

ギブスにサインをしたのも、成り行きどころか半分からかいも含まれているような経緯であり、さらにそのとき他人には見せられない「自分への手紙」を奪われてしまうというおまけつきであった。

しかし、エヴァンの運命を変えたのは、まさにこの奪われた手紙にあった。コナーの遺体にあった唯一の遺品となった手紙の差出人は"Me."。「自分への手紙」はコナーの遺書に取って代わり、エヴァンはコナーがただひとり心を許した友人として認定されてしまうのだ。

悲しみに暮れる遺族から思い出話をとせがまれて、ただでさえ内気なエヴァンがきっぱりと真実を告げることができず、ずるずると嘘を重ねてしまう展開は自然に受け入れられる。

彼の嘘は優しさで溢れていた。彼とこうして過ごした、本当の気持ちはこうだった、と口にする言葉はすべてエヴァンの理想だったが、その優しさは傷ついた家族をも癒やした。

そしてエヴァンに注目した人がもうひとり。同じ学校で様々な社会活動でリーダー的役割を担っている女子学生・アラナがエヴァンに声をかけてくる。彼女曰く、「次のコナーを出さないためのプロジェクトを立ち上げたい」。

ゾーイも含めたコナーの家族の後押しもあり、エヴァンはプロジェクトの立ち上げで演説をすることになる。はじめは極度に緊張していたが、彼が語る「孤独」は聴衆の共感を得ることに成功・・・するにとどまらず、ここはまさに現代。SNSで拡散された彼の演説は瞬く間に巨大なうねりへと変貌を遂げた。

突然脚光を浴びる存在となったエヴァンはゾーイからの好意も獲得し思わぬ順風満帆ぶりだったが、何より嘘から始まった成功がこのまま行くはずはなく。高い山ほど下りるときの危険は大きい。エヴァンの物語はどういった結末にランディングしていくのか・・・。

上述の斬新な物語は十分に堪能した。何故ミュージカルなのか。ここも理解できた気がする。内向的なエヴァンがSNSで祭り上げられる存在になるのを短時間で表現するには最適だった。

そして、それぞれの登場人物が孤独や悩みを抱えている状況を伝える手段としてもミュージカルは効果的であった。特に、傍から見れば活発で後ろ向きな悩みとは縁遠そうなアラナが思いを吐露する場面は印象的で、「苦しいのは自分だけじゃない」ということが十分に伝わってきた。

他のミュージカルと明らかに異なるのはメッセージ性の強さである。楽曲の美しさより、音階に乗せた歌詞が音響とともに畳みかけてくるところが本作の持ち味だ(自殺問題と音楽といえば、2017年に流行ったLogicの"1-800-273-8255"が思い出される)。

便利さを求めて発展してきたはずなのに生きづらい。多様性を訴える人が増える一方で排除の動きも強まっていく。複雑極まりない現代の歩き方として音楽は最良の処方箋なのかもしれない。

(85点)
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「そして、バトンは渡された」

2021年11月14日 18時37分54秒 | 映画(2021)
だまされました、泣きました。


お人好しというのはあまり褒められたことではない。世知辛い世の中、人が良過ぎて損する例は枚挙に暇がない。

しかし、こと映画に関しては、伏線や仕掛けに気付かないまま観続けて、ある場面で「これはこういうことだったのか!」と驚かされることに醍醐味を味わえる分、素直な人の方がより楽しめるのかもしれない。

ただ人によって感度は違うからさじ加減は難しい。仕掛けは簡単過ぎず、複雑過ぎず。「シックスセンス」とはいかないまでもどのくらいの人を思惑通り誘導できるのかは脚本や監督の腕の見せどころである。

本作は、主要人物4人の紹介で幕を開ける。みぃたんは、正義感が強いが泣き虫の女の子。梨花は、社交的な一方で目的のためには手段を選ばない積極的な女性。優子は、辛いことがあっても笑顔を絶やさないが、その笑顔を誤解されて友達がいない高校生。そして森宮さんは、人と争うことが苦手でやさしいサラリーマン。

優子は森宮さんと一緒に暮らしているが呼び方は「森宮さん」。本当の父と娘ではないらしい。みぃたんにも一緒に暮らす父親がいるが、ある日梨花が家にやって来て、これからは自分が母親になると言う。

しばらくの間、2組の血のつながらない親子の話が並行して描かれる。多感な時期に実の親と離別した子供の人生は波穏やかではない。特にみぃたんは、奔放な梨花に振り回されて家と父親が次々に変わっていく。

2組の親子の話はどう絡んでいくのか。そして、みぃたんと優子に幸せは訪れるのか。シンプルな構成に散りばめられた印象的なエピソードが後半キレイに回収されていく様は、多少のツッコミどころがあるにしても心地良い涙を誘う。

前半の布石は、後から振り返るとかなりのミスリードがあったことに気付く。梨花は何故みぃたんの母親になったのか。あれだけ娘を可愛がっていた実父から何故便りが来なかったのか。観ながらでも違和感を覚えていた場面で、熟考すれば違う考えを展開させることができたのかもしれないが、映画の展開は早く、あっという間にみぃたんは母親大好きっ子になり、こちらもその流れに乗ってしまった。

2組の親子を結び付けるアイテムはピアノだ。みぃたんはピアノのおけいこをする友達に憧れて、梨花にピアノが欲しいと告げる。優子は高校の卒業式で披露される合唱のピアノ伴奏者に指名される。昔少しだけ習ったことがあるらしいが今の家にピアノはなく、森宮さんにピアノが欲しいと言うことができない。

梨花はみぃたんのためにとにかく動いて、資産家の泉ヶ原氏と再婚し念願のピアノを手に入れる。しかしすぐに裕福な生活に飽きたらしく、みぃたんを置いて家を出て行く。次の再婚相手を探すと言う梨花はついに森宮さんと接触。森宮さんも梨花と旧知の仲の様子。しかしこれも後から振り返ればちょっとしたミスリード。

そして山場の卒業式の場面。演奏する優子の姿がある場面と重なり、最大級に鈍い人間がやっと物語の仕掛けに気付く。これは気持ち良かった。

しかし映画はこれで終わらない。優子の新たな旅が始まり、本当のクライマックスへと向かって行く。そこで待っていたのは、理解困難で奔放な振る舞いを続けた梨花の本当の姿であり、再び溢れ出る涙に襲われるのであった。

奔放な梨花の石原さとみ、心やさしい優子の永野芽郁、みぃたんの子役(稲垣来泉)。男性陣も含めて、それぞれが持っている魅力を十分に発揮し愛情のバトンをつないでいく良い配役だった。

(85点)
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「エターナルズ」

2021年11月07日 13時18分34秒 | 映画(2021)
多様性、ここに極まれり。


アベンジャーズが人類の存亡を賭けて戦っていたその裏で、7000年以上も地球で秘かに暮らしていた宇宙種族・エターナルズがいたと言う。

彼らは常に陰から見守ってきた。高度な文明をもたらすとともに、邪悪な生命体・ディヴィアンツの捕食から救うことで、人類の発展は栄華を極めた。

ディヴィアンツの根絶をもって役割を終えた彼らは、組織としての行動を停止し、それぞれが自由な意志で人間社会の中で暮らしていくことを選択した。しかしある日、ロンドンの街に突如ディヴィアンツが蘇ったことで彼らは再集結を迫られることになる。

スケールの壮大さではマーベル作品の中でも群を抜いて最大であろう。なにしろ裏にいるセレスティアルズは、神も宇宙も超越した存在なのだから。

現代社会で人間として生きるエターナルズたちは多種多様だ。性別、人種、世代の違いにとどまらず、聴覚障害者までいる。原作がどうなっているのか知らないが、現代らしいといえば現代らしいし、キャラクターに個性があるとすぐに見分けがつくので観る側に対して親切であるとも言える。

彼らは思想も様々だ。人間社会の一員として暮らしていくうちに、無益な争いに血道を上げる人間たちに愛想をつかす者がいれば、人間との間に恋愛関係を芽生えさせる者もいる。

やがて話は彼らの存在意義へと行き着く。エターナルズは何のために生まれたのか。突きつけられた事実を彼らはどう受け止めたのか。

多様性の話を持ち出すでもなくエターナルズは我々の投影であり、それはこれまでのスーパーヒーロー映画で描かれてきたことと基本的に通底する。大切なものを護るために戦う姿は尊い。

脚本は非常に丁寧に書かれている印象を受けた。人物紹介に時間を取らざるを得ないシリーズ初作だけに上映時間は長いのだが、お披露目だけに留まらず、アベンジャーズでは「シビルウォー/キャプテンアメリカ」で見られたキャラクター同士の対立の構図までこの1作で描いてみせる。

しかもシリーズ初作のデメリットを逆手に取り、キャラクターの不安定さを先の展開の読みづらさ=面白さを深める効果につなげている。

以降のシリーズにも期待したいところだが、話によるとほかのMCU作品との連携の予定は今のところないとか?それでも、ポストクレジットでの大物ミュージシャンの登場を見れば期待しないわけにはいかない。

あとギルガメッシュはもう出ないのだろうか。ドクターストレンジの片腕になるものとばかり思って見ていたのだけど。

(80点)
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「最後の決闘裁判」

2021年10月24日 09時05分44秒 | 映画(2021)
雉も鳴かずば撃たれまい。


恥づかしいことに甚だ不勉強で、過去の名作と言われる作品でも観たことがないものがたくさんある。

特に邦画。世界の巨匠が讃える黒澤作品も例外ではなく、「羅生門」の概要も今回Wikipediaで見て初めて触れた。

一つの事象を異なる3人の登場人物の視点から描く手法を初めて採用したのが「羅生門」だとのこと。本作の構成はまさにそれ。

タイムスリップ的に過去に戻って同じできごとを体験する「バタフライエフェクト」や「ハッピーデスデイ」もある意味この系譜に属すると言えるだろう。反復は観る側の記憶に強く残る効果もあり、この手法を生み出した黒澤監督はやはり偉大である。

14世紀末のフランス。中世の欧州では、裁判の裁定を原告と被告の決闘で決する制度が長く存在したと言う。

騎士ジャン・ド・カルージュは、妻であるマルグリットが旧知の従騎士ジャック・ル・グリに強姦されたと訴えを起こす。ル・グリはこれを完全否定。カルージュは国王に決闘で決着を付けることを直訴する。

ここでポイントとなるのは、この決闘がカルージュとル・グリだけでなくマルグリットの命までも俎上に載せることである。カルージュが敗れた場合、マルグリットは偽証の罪で火あぶりに処されるのだ。

何故マルグリットはそんな危険な賭けに臨まなければならなかったのか。遥か昔の話だけに、謎が深い一方でいかような解釈も可能という、映画の題材としては実はおいしいネタである。

マルグリットと共に暮らす義母(つまりカルージュの実母)は言う。「私も過去にレイプされたが何も言わずにやり過ごした」。

道徳的に正しくなくても生きるために取る選択肢がある。決闘は現代の価値観から見ればとんでもない制度であるが、普通に暮らす人たちにとってはまず無関係な世界の話でもある。理不尽な話はどの時代にも(現代にだって)あり、わざわざ首を突っ込む必要はないでしょというのはまさにそのとおりである。

今回、R.スコット監督は、カルージュ、ル・グリ、マルグリットの順番で、それぞれが見たこの事件の経緯を描いた。最後のマルグリットの視点には「真実(the truth)」という注釈を付けた。

ネタバレ的になるが、マルグリットの回想が真実であると決め打ちしているように、映画全体のトーンは、カルージュ、ル・グリいずれも問題があって、マルグリットは巻き込まれてしまったということで統一されている。

辻褄は合っているし、現代の価値観からすれば妥当な選択であろう。賛同しないのであれば感想や意見の形で述べればいいし、その意味ではよくできた作品と言える。

ちなみにぼくは、マルグリットはカルージュが勝利する確率は高いと事前に踏んでいたのではないかと思っている。

カルージュが後に、ル・グリがマルグリットを犯したというのは事実ではなく、実は自分がやったものだと証言しているらしいが、誰が嘘をついていたかの真相は藪の中であり、ただ確かなことは、力が強い者が生き残る時代にカルージュがル・グリに勝利したということだけである。

「フリーガイ」で注目したJ.カマーは、凛とした美しさが際立っていた。ル・グリはマルグリットの心が揺らぐような美男という設定だったけど、A.ドライバーってそういう立ち位置だったのね。

(75点)
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「007/ノータイムトゥダイ」

2021年10月10日 13時13分38秒 | 映画(2021)
武力攻撃事態発生。


冒頭の主題歌訳によると、"no time to die"は「まだ死ぬときではない」ということらしい。「死ぬまでに時間がない」ではないのですね。

まだ劇場公開するときではないと言われ続け繰り返し延期されてきた封切がようやくかなった本作。地上波で前作「007 スペクター」の総集編的な放送を流してくれたこともあり、しっかり予習した上で観ることができた。

だいぶ前から各所で予告映像を見ていたからかR.マレックの悪役が初めてに見えなかった。出番はそれほど多くなかったが、威圧感もあるしよくハマっている。

海に、空に、古い町並みに、中米の雑踏に、北欧の森に、全篇にわたってバラエティに富んだ美しい景観で迫力あるアクションシーンが繰り広げられる。D.クレイグのかっこよさはもちろん、前作に続いて重要な役割を担うL.セドゥに初登場の新人CIAエージェントとして登場するA.デ・アルマスと、眼福な顔触れだけでかなりの満足感を得られる。

ストーリーはほどほど。最後の展開にはさすがに驚くが、これまでも何作かごとに主役の交代があることを前提に作られている珍しいシリーズということを考えればアリと言える。

一時期の報道で、次の007シリーズの主人公が女性になるという話題を見たことがあるが、本作では引退したボンドに代わって黒人女性のノーミが新たなコードナンバー"007"を継承したという下りが出てくる。当時物議を醸した記憶があるがこの脚本の設定を鵜呑みにして主役交代と勘違いしたのかも。本編ではこの人事を巡る皮肉めいたやりとりがいくつかあって楽しめる。

クライマックスでは突然日本が登場。世界を恐怖に陥れる化学兵器の製造工場が日ロ間で帰属問題がある島にあるという設定だ。R.マレック演じるサフィンもそこにいて、庭園や和服やお茶など日本文化をたしなんでいる様子がうかがえる。最近中国寄りが際立つエンタメ業界において珍しい。

全体的に極めて満足度が高い娯楽作品。映像技術が格段に進歩し様々な競合作品が作られハードルが上がっていく中でも、余裕でその上を超えていく感じがする。「ジェームズボンドは帰ってくる」とマーベル作品みたいなメッセージが最後に出ていたが、期待していいのだろう。ただD.クレイグと一緒に他の出演者たちも一新かな。A.デ・アルマスはもっと見たい気がするけど。

(80点)
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「護られなかった者たちへ」

2021年10月03日 20時52分47秒 | 映画(2021)
ヤジロベエみたいな正しさの中で。


連続テレビ小説「おかえりモネ」の放映が残り1か月となり、舞台は気仙沼へと移った。

東日本大震災から10年という節目の年。本作もあの日を境に大きく人生が変わってしまった人たちを中心に描かれた物語である。

それにしても、重い。

主人公の利根は避難所で知り合った高齢女性の"けい"から笑顔を作るように勧められるが、彼だけではない。避難所の中だけでもない。殺人事件を調査する警察も、区役所で働く人も、本作の登場人物は誰一人として笑うことはない。

いかに被災地でもこれほど重く暗いわけないだろうと思うのだが、この空気は本作のもう一つのテーマから生じている。それは「生活保護」。

映画の中では最初で最後のセーフティネットと呼ばれ、病気などでどうしても働けなくなった人が最低限の社会的生活を送るために公的機関が現金を支給する仕組みは、一見するとよくできているが、その実情は不正受給で蓄財する人がいる一方で、杓子定規な審査基準で手当てが認められない人も多く存在している。

震災後の仙台には、生活困窮者が多数流入してきたと言う。資格審査を担うのは区役所の職員。彼らもまた被災者である。自分のこともままならない中で、処理容量を遥かに上回る事務作業に追われる日々。ひとりひとりの状況を細かく見ていく余裕はとてもなかった。

そこで生まれた悲劇。被害者側から見れば防げたものを職務怠慢で死に追いやったとしか見えない。しかし役所側の人たちは、彼らなりに最善を尽くす努力をしていた。

自分の力ではどうすることもできない困難にぶつかったとき、人はどう振る舞うのか。やり場のない憤りを安易に誰かのせいにしてしまっていないか。

刑事の笘篠から「どうしてそんなに強くいられるのか」と訊かれた区役所職員の円山は、「声を上げること。そうすれば誰かに届く」というようなことを応えていた。

震災は、そこに住む者の居場所を奪いコミュニティを破壊した。一方で、避難所の利根と"けい"たちのように新たな繋がりを得られた人もいるかもしれない。

誰にでも、その人を必要と思ってくれる人がいる。知らない人だって、目の前で困っている様子を見れば助けたいと思う。生きる価値のない人間なんていない。

毎日余裕のない中で生きていかなければいけない現代だからこそ、ことあるごとにそのことを思い返して噛みしめる必要があると切に感じる。

阿部寛佐藤健清原果耶ら俳優陣の演技は非常に重厚で、感情を強く揺さぶられるとともに非常に多くのメッセージを受け取ることができた。

・・・にしても重い。明らかな悪人がいないはずなのに、はっきりと灯る希望が見えないのは辛い。

(75点)
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