ひとすじの光を頼りに。
美男美女って、それだけでいわゆる勝ち組に1歩近いところにいるように感じてしまいがちだけど、本作のB.クーパーとJ.ローレンスから、そんな要素は微塵も伝わってこない。
ご近所にとっては、ただ迷惑であり危険ですらある存在。それがパットとティファニーだ。
しかし実際は、パットは妻の浮気の現場を目撃したこと、ティファニーは突然夫を失ったことという、強い衝撃を伴う経験をうまく消化することができずにいる不幸な境遇でもあった。
病院を退院させた母、家族の時間を持とうと画策する父。友人たちも、パットに何かのきっかけをつかんでほしいと手を尽くすが、心の病は本人が自分の足で歩きはじめなければ解決することはない。
そんな中でパットとティファニーは出会う。
病の真っ只中にいる二人は、自分は何かの間違いでここにいるようなものだが相手はひどい重症だと思い込む。お互い少なからず関心があるのに結局会話が破たんする様は、こっけいで悲しい。
しかし、ぎくしゃくしながらも、ティファニーは半ば強引にパットをダンスのパートナーに引きずり込む。体を動かすことで余計な雑念が姿を隠す。これはまさにセラピー。
自分に覆いかぶさっていたものを外せば、そこには今まで見えていなかった世界が広がる。いつも見守ってくれている人たちの姿を探し出せれば大きく前進することとなる。
周りは、気付いてもらえるように多くの光を出し続ける。そのうちの1本でもいい。見つけて歩きはじめてくれることを願う。
繰り返しになるが、B.クーパーとJ.ローレンスは、難しい役柄を説得力を持って演じることができていたと思う。
人間なんてそう大差があるものではないのだから、いつ自分が、または自分の周りの人が似たような立場になるか分からない。
そのときできるのは、ただ信じて光を探し続けることだけなのだろう。
(75点)
美男美女って、それだけでいわゆる勝ち組に1歩近いところにいるように感じてしまいがちだけど、本作のB.クーパーとJ.ローレンスから、そんな要素は微塵も伝わってこない。
ご近所にとっては、ただ迷惑であり危険ですらある存在。それがパットとティファニーだ。
しかし実際は、パットは妻の浮気の現場を目撃したこと、ティファニーは突然夫を失ったことという、強い衝撃を伴う経験をうまく消化することができずにいる不幸な境遇でもあった。
病院を退院させた母、家族の時間を持とうと画策する父。友人たちも、パットに何かのきっかけをつかんでほしいと手を尽くすが、心の病は本人が自分の足で歩きはじめなければ解決することはない。
そんな中でパットとティファニーは出会う。
病の真っ只中にいる二人は、自分は何かの間違いでここにいるようなものだが相手はひどい重症だと思い込む。お互い少なからず関心があるのに結局会話が破たんする様は、こっけいで悲しい。
しかし、ぎくしゃくしながらも、ティファニーは半ば強引にパットをダンスのパートナーに引きずり込む。体を動かすことで余計な雑念が姿を隠す。これはまさにセラピー。
自分に覆いかぶさっていたものを外せば、そこには今まで見えていなかった世界が広がる。いつも見守ってくれている人たちの姿を探し出せれば大きく前進することとなる。
周りは、気付いてもらえるように多くの光を出し続ける。そのうちの1本でもいい。見つけて歩きはじめてくれることを願う。
繰り返しになるが、B.クーパーとJ.ローレンスは、難しい役柄を説得力を持って演じることができていたと思う。
人間なんてそう大差があるものではないのだから、いつ自分が、または自分の周りの人が似たような立場になるか分からない。
そのときできるのは、ただ信じて光を探し続けることだけなのだろう。
(75点)