Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「SP 革命篇」

2011年03月21日 15時59分16秒 | 映画(2011)
悲しいほどちっぽけな大義。


故郷の知った景色が、黒く得体の知れない何かに飲み込まれていくのを見た。

一週間以上過ぎた今も、心の奥を鉛のように重いものが占領している。

「SP 野望篇」のときは、「時間が待ってくれていた」と書いた。

それは時代の閉塞感が強まるのを感じていたからで、そのエネルギーが放出される手段としてテロによる革命は十分あり得る選択肢だと思っていた。

しかし、「革命篇」の公開前日になって、世の中は思いも寄らぬ形で大きく姿を変えることとなった。

自然の猛威は、人間がいくら束になっても到底及ばないほどの力で、町を押し流し、生活網を切り裂き、人々の意識を根底から揺るがした。

もちろん映画として「革命篇」は観る側を惹きつけるものを引き続き持っている。

しかし「国会」はあまりにも小さい。

不正がどうの、世の中のシステムを変えると言っても、少なくとも今は響いてこない。

おまけに尾形のルーツを辿れば、そこにあるのは私怨だ。伊達幹事長の三文芝居も、あれでは自分が黒幕でございと言っているようなもの。

生き残った者たちにまだ謎が多く残されており、また出直すチャンスはありそうだから、今度はいずれ環境が適ったときに出会いたいと思う。

(75点)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「英国王のスピーチ」

2011年03月06日 10時22分53秒 | 映画(2011)
寛容の時代だからこそ耐えられた。


本作の勝因は、まずは物語だ。上に立つ人間だからこそ抱える苦悩を、吃音という分かりやすく且つ新鮮な媒介を通して真っ直ぐに描いた。

次に役者陣。C.ファースの実直さとJ.ラッシュの懐の深さの調和が素晴らしい。

だから、4部門とはいえ主要なところを押さえてアカデミーの勝者となったことに何ら異論はない。

でも、受賞によって多くの情報をもたらされてから観たこと、特にレイトショーで観たということもあり、意外性のない展開にやや眠気を感じてしまった。

ただ、この物語はやはり非常に興味深い。

ラジオという媒体の出現。それは、広場での集会なんかとは桁違いの数の人たちに同時にメッセージを発信できることを意味し、王族とて時代の変化に合わせることが必要となった。

その系譜はやがてテレビからネットへと形を変え、いまや名の売れた人間が秘密を隠し通すことは難しい。

現代にジョージ6世がいたらどうだったろう。兄の所業はさすがに当時でも問題視されていたが、弟の持つ欠点は吃音だけだったから許された。

それ以上に、欧州全体に不穏な空気が漂い始めていた折り、時代が拠り所を求めていた。周囲の人たちが必死で新国王を守ったのだ。

ラジオ自体が、発言の途切れた時間を高い威厳の間として変換しうる、実に寛容な媒体であったことも見逃せない。

しかし現代は、誰も彼もその一挙手一投足が包み隠さず瞬く間に全世界へ配信される。そこに受け手のあそびが入る隙間はない。

上手の手から水が漏れるということすら許されない世の中。それでも民衆は、より完璧なものを求めて批判の声を高める。

中東で起きる民主化の波。理念自体は立派だが、先の見えない闘いは本当に彼らを幸せにすることができるのか。

この映画を観て、珍しく「昔はよかったね」などと考えてしまった。

(70点)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする