Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「レヴェナント 蘇えりし者」

2016年05月14日 22時52分41秒 | 映画(2016)
生きる理由はひとつ。主人公だから。


L.ディカプリオのアカデミー主演男優賞受賞は素晴らしいことである。全篇がサバイバルの本作では、童顔の印象もまったく消え失せた。

でも、この話は何と言えばよいやら。

大括りすれば、復讐の一念で生死の淵を彷徨い続ける人間を壮絶に描いている作品ということになるのだが、とにかく一貫して主人公グラスは何があっても生き延び、グラスの周囲の人間は(動物も含め)さくさくさくっとご退場される。

話の展開としては必然なのだろうけど、甲斐甲斐しく世話してくれた人があっさり吊るされたり撃たれたりすると、素直に物語に入っていけなくなってしまう。

「復讐は神の手に委ねる」という言葉はまさにその通りであって、テロの応酬が続く現代社会に発信すべきテーマではあるのだが、そうなると、不死身のグラスは神に選ばれし者であり、最後の川に流す行為はまさに彼こそが神と捉えられる。

しつこいようだが、グラスの超人的なサバイバルが最大の見どころである一方で、それがあまりにもリアリティを欠き過ぎてイマイチな印象になっているというのが正直なところだ。

極めつけは、崖から落下した後に悪天候が訪れ、一緒に落下して(こちらだけは)死んだ馬の臓物を取り除き、腹の中で寒さをしのぐという衝撃度最大級の場面だ。

ここはひょっとして笑っていいのかもと戸惑った。念のため、後でネット情報を当たったかぎりでは、これは史実ではないらしい。

熊との格闘、先住民との戦闘、それぞれの見せ場は十分に成り立っている。ただ、これは娯楽作品なのか社会問題に焦点を当てた大真面目な作品なのか。アカデミーを賑わせた作品という眼鏡で見ると、ツッコミを入れずにはいられない。

(60点)
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「ズートピア」

2016年05月14日 20時53分24秒 | 映画(2016)
それぞれの夢や理想のきっかけに。


ディズニーは強い。いくらUSJが飛ぶ鳥を落とす勢いといっても、ディズニーの強さにかげりが見えるという話はます聞かない。

特に映画関係では、スターウォーズもマーベルコミックもいつの間にかディズニー傘下となり、次々とビッグヒットを生み出している。その傾向は、伝統の屋台骨でもあるアニメにおいても同様で、「アナと雪の女王」の爆発的ヒットは記憶に新しい。

そのディズニーアニメが放った最新作がこの「ズートピア」だ。

「ズートピア」とは、言葉からすぐ分かるとおり、動物が暮らす場所(Zoo)+理想郷(Utopia)である。

登場するキャラクターたちは姿かたちこそ動物であるが、文明の発達した「人間社会」的な都市を構築し、文化的な生活を送っている。

ライオンの市長、水牛の警察署長、トムソンガゼルのポップスター。肉食動物も草食動物も野生の本能を抑え協調して暮らす様子はまさにユートピアだ。

そんな世界では、おとなしくニンジンをかじる印象しかないウサギだって警察官になる夢を叶えることができる。こちらは言ってみればアメリカンドリーム。

誰もが平等を保証された世の中で夢を追っていける社会。思い返せば、20世紀はそんな夢を純粋に持ち続けていた時代だった。冷戦の枠組みに囲まれながら、西と東がそれぞれの進む道を正しいと信じて疑わなかった。

しかし、その夢は実際には努力すればするほど何故か遠のいて行く。今やたいていの人が、平等も夢もかなえられるのは一部の力ある者に限られることに薄々勘付いていて、露骨に夢や理想を語ることに気恥ずかしささえ感じてしまっている。

しかし、本作はその恥ずかしさのハードルを、人間社会の構成員を擬人化した動物に置き換えることによって、いとも簡単に越えてみせた。

キャラクターを人間として描くと、どうしても長所・短所のようにプラスマイナスの判断をしてしまいがちなのだが、肉食や草食、体の大きさ、動作の速さなどの動物が持っている特質だと、違って当たり前のものとして受け止められるのは、目からうろこであった。

優劣のない世界の中で掲げられる平等は、叶わぬ夢や理想ではなくあるべき姿であり、うさん臭さや説教臭さをまったく感じないのである。

もちろん、そんな小難しいことを考えずに、彩り豊かな絵の中で愛らしいキャラクターが繰り広げる冒険を楽しむこともできる。というより、基本的には子供が純粋に楽しむ娯楽作品だ。これが何より本作の素晴らしいところである。

キャラクター設定も巧みだ。前述の「動物が持つ特質」を生かしつつ、ステレオタイプな性格の部分をアレンジして、意外な展開を組み立てている(途中で読める部分もあったが)。

毎度のごとく、字幕版を観るために六本木まで足を運んだが、やっぱりShakiraの歌は良かった。「インサイドヘッド」のように(あれはピクサー作品だが)余計なビデオが付いていないのも良かった。

(85点)
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「シビルウォー/キャプテンアメリカ」

2016年05月05日 09時34分42秒 | 映画(2016)
それでも人生は続く。


マーベルコミックシリーズでまず思うのは、これだけの俳優陣をよく継続して押さえ続けられるものだということ。

H.ジャックマンはいよいよウルヴァリン役を降りるようだが、15年以上を経て大スターになった彼に同じ時間を拘束するオファーを出すことは相当難しいだろう。

しかし今回もR.ダウニーJr.は出るし(ほとんど主役級として)、S.ヨハンソンJ.レナー、昨年「アントマン」が公開されたばかりのP.ラッドも顔を揃える。長期的な視野に立った企画を作りそれを実現させる組織力には敬服するばかりだ。

そして今回は、その企画戦略がきっちりと作品本体にも表れていることを評価したい。

Civil War:内戦らしいが、アベンジャーズの内部で争いが起きるというのがメインの内容になっている。

スーパーヒーローの強大過ぎる力は世界を平和に導くどころか、新たな敵を生み、罪なき犠牲者を増やすだけである。力は適正にコントロールされる必要がある。

最近の「バットマンVSスーパーマン」や、以前の「Mr.インクレディブル」でも描かれたいわば普遍のテーマであるが、本作はマーベルの歴史を生かし、主役級のヒーローたちを分断し戦わせる展開に持っていく。

それぞれがヒーローだけにいずれの意見も正しい。しかも向いている方向は同じはずなのに戦わなければいけない不条理。序盤こそカメラのブレで見づらいアクションが気になるものの、物語の軸がはっきりするに従って戦闘シーンも分かりやすくなっていく。

もともとアベンジャーズは、強い個性が集まるというよりぶつかり合うところに魅力があった集団だと思うので、多くのヒーローが異なる組み合わせで激突する対決は、まさにシリーズの真骨頂が映像化されたと言える。

それにしても悲しいのは、劇中の戦いのすべてが個人的な恨みによるものだということ。世界征服でも愉快犯でもない。大切な人を失う苦しみは誰もが理解できるだけに、扱いに注意を払わなければ次の悲劇につながってしまう。

便利になったはずなのに満足度が低くなる社会。持続的な発展を目指しながら増え続ける貧困と、そこに起因するテロや犯罪。いずれも元を辿れば私怨へと行き着く。

マーベル作品は、必ず最後にシリーズ次作へ繋がるおまけ映像が入る。一応のエンディングを迎えても決して戦いが終わらないのがマーベルヒーローの宿命である。

特に今回は、キャプテンアメリカにもアイアンマンにも笑顔なき終わり方であり、矛盾に苦しみながら前へ進む選択肢しか取り得ないヒーローたちにどうしても現代社会を重ねたくなってしまった。

(85点)
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「スポットライト 世紀のスクープ」

2016年05月05日 09時02分01秒 | 映画(2016)
黙々と裏を取り積み重ねる。


アカデミー作品賞受賞作という堂々たる冠が付いたが、内容は実に淡々としている。

聖職者によるスキャンダルという事実があまりにも大きく、余計な脚色が必要ないのはその通りであろう。

保守的になりがちな歴史ある町の「システム」に風穴を開けたのは、よその地から地元ボストングローブ紙へやって来た新局長であった。

局長が数ある報道の中からいかにしてこのニュースに注目したのかは明かされない。しかし、就任直後からトップダウンでグローブ紙の看板である"Spotlight"欄を担当する記者たちへの総力取材を命じる。

局長の慧眼と、忠実で正義感に満ち行動力に溢れる有能な部下たち。与えられたノルマ、取材対象との厳しい交渉、メディアに携わる人たちの並々ならぬ苦労が伝わってくる。

社内の人間、教会関係者、被害者に弁護士と、関係者がめまぐるしく登場するため、ただでさえ記憶力の衰えが見え始めている身にとって、話を追っていくのに相当骨を折る。

ひたすら取材して事実の裏付けをするのがメインになるためか話の抑揚に乏しい一方で、作品のポイントとなるべき意外な展開も、裁判の資料が公表されるなど専門的な面が大きく、直接感情に響いてこないことが多くなっている。

その中で印象的だったのは、取材を続ける中で、同じグローブ紙が過去にも同事件を扱っていながら記事がおざなりにされてしまっていた事実を知る場面である。

これだけ有能な社員が集まっていたとしてもこぼれ落ちてしまう。メディアに限らず、仕事に家庭に、常に謙虚に向き合わなければいけないことを改めて感じさせられる。

興味深い話ではあるが、作品賞受賞と聞くと正直「ふ~ん」と思ってしまう。俳優陣も魅力的な顔触れだが、分かりやすい賞取りの演技ではない。ただ、R.マクアダムスのキャリアに箔が付いたのは正直うれしい。

(70点)
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「アイアムアヒーロー」

2016年05月04日 20時33分53秒 | 映画(2016)
防衛力の乏しさを認識。


ZQNという名ではあるが、要はいわゆるゾンビ映画であり、それ自体はまったく珍しくない。

その中で本作が特筆されるべき点は、わが国では個人レベルでZQNを退治する手段がないということに焦点を当てていることである。

更には、人間とZQNの戦いと並行して、いやむしろそれよりも際立つ描写で、追い込まれたはずの人間たちのコミュニティの中で起きる争いや諍いを描いているところもおもしろい。

改めて平和な国ニッポンの社会は、ほとんどの国民が武器を持たない、使用しないことを前提に成り立っていることを実感せずにはいられない。だから外敵には弱いだろうし、お互いを信用しなくなったときの崩壊が無残な結末を招くことにも非常に納得がいく。

本作では、そんな平和社会でうだつの上がらない生活を送る主人公・英雄が、ZQN騒動に振り回される中で、いかに自分の中の生き抜く力を呼び起こすことができるのかを中心に話が組み立てられている。

しかしこれもおもしろいことに、英雄は銃使用の免許を持っており、幾度となくZQN退治にその力を発揮する機会が巡ってくるが、ことごとく踏み切れないまま窮地に追い込まれていく。

ついにはその切り札を他人に奪われ、丸腰で狭いロッカーに身を隠す英雄。彼はこの苦境にどう立ち向かっていくのか。

英雄はたまたま銃の免許を持っているだけで、どこにでもいる普通の日本人と何ら変わりのない人間である。

ロッカーに身を隠すまでの彼の行為や判断は、パニックになってなお日常の常識を踏み外さないし、本作はそれを決して勇気がないと蔑むように描いているわけではない。むしろ行きずりの他人である女の子を守ろうとする姿を、他者をしてほめさせているほどである。

「僕はただの「英雄(ひでお)」です」

何もできずヒーローになれない自分を情けなく感じ、自責の念にかられ続けていた英雄。全篇を通して変化した彼が、タイトルと逆説的な言い回しを最後になって敢えて口にする。

自分が思い描いていた英雄的行為とヒーローは結び付かなかった。しかしそれは決して失望でも自虐でもなく、何より重要なのはいま自分がどういう存在で何をすべきかということに尽きる。その先に誰かにとってのヒーローがいる。

パニック娯楽作にほんのりと柔らかいメッセージを漂わせている点は好感が持てるし、主役に大泉洋を配置したのも全体に説得力を持たせる効果を発揮している。

コミュニティリーダー伊浦の扱いや、終盤で主人公たちに襲いかかるZQNのご都合感など不満が残る部分もあったが、概ね楽しむことができた。それにしても、最近の長澤まさみは引き立て役が多くて不憫でならない。

(70点)
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「クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃」

2016年05月04日 19時53分49秒 | 映画(2016)
こなれているけど、引っ掛かる。


多彩な方面で才能を発揮する劇団ひとりが脚本を手掛けたことで話題になっているシリーズ最新作。

頭のいい人だし、引き受ける以上はシリーズに関する知識や愛情があるのだろうと想像し、否応なしに期待が高まる。

ただ結果から言えば、ここ数年の作品の中ではイマイチなデキだったと思う。

「クレしん」特有の(時にはお下品な)ギャグ、映画版ならではの家族や友情を絡めた感動といった要点はしっかりと押さえられ、それぞれ作品の盛り上げに効果を上げていた。

では何がイマイチだったのかと言うと、その先は個人の好みに依ってしまう部分も大きいのだが、全体のストーリーが上手く流れていなかった気がした点である。

例えば、誰にも心を開かなかった転校生サキちゃんが、カスカベ防衛隊に対して次第に期待を抱いていく筋書きは、もう少し丁寧に描けたのではないか。

特にしんちゃん以外の4人は、友達になろうと言ったはいいが、夢の事件をきっかけに一度はサキちゃんと距離を置こうとしてしまっては、過去に幼稚園で遭った子たちと特別な差があるように見えない。

特別といえば、ひろしとみさえは今回も子供たちのためにひと肌もふた肌も脱いでみせるわけだが、この顛末にもすとんと落ちてこないものがあった。

夢を見る力を吸い取ってサキちゃんの悪夢に対抗するというのがユメミーワールドの世界観である。子供は夢を見る力が大きく、大人になるほど小さくなるという一律の設定は一見理解しやすい。

でも、とても大人とは言えないミッチーやヨシリンが大人扱いされていたり、ひろしとみさえがいかにもな行動や言動をするだけで子供扱いにシフトしたりする様子を見ると、設定があまりに大雑把過ぎて残念ながら醒めてしまう。

ひとつひとつのギャグには光るものがあっただけに、最後に圧倒的な感動を味わえなかったのはもったいなかった。石好きのボーちゃんが隕石を超えて小惑星になって降ってくるところなんて、かなり好きだったのだけど。

次回以降も脚本や製作に携わっていくのであれば、それはそれで期待したいと思う。

(65点)
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「ヘイトフルエイト」

2016年05月01日 03時21分14秒 | 映画(2016)
丁寧な仕事、贅沢な時間。


上映時間が長い。このように書くと批判的に聞こえるが、そうではない。

ただ、表現として必要なものを残して削り取っても3時間近くになるほど、中身がぱんぱんに詰まった映画というわけでもない。

冒頭のワンカット。一見不可解な構図からゆっくりゆっくりとカメラが引いていくと、それは猛吹雪が近付く山間の街道沿いにある看板のアップであったと分かる。

遥か遠くに見えた点が駅馬車となって看板の横を通り過ぎるまで何分あっただろう。この場面にこれだけの尺が必要かと言われれば必ずしもそうではない。しかし、単純な長回しにもかかわらず冗長とはまったく無縁で、E.モリコーネの音楽とともに緊張感と期待感が盛り上がっていく。

作りはミステリー仕立て。曲者8人が揃った中で起きる殺人事件と宣伝では言っていたが、実は事件が発生するまでも結構時間がかかる。

中心舞台であるミニーの店、そこへ至るまでの駅馬車の中。主要人物同士による一触即発の会話がそれぞれのキャラクターの紹介となっており、観ている側は、これから何が(殺人事件と分かってはいるが)どのような形で起きるのか、はらはらしながら引っ張られる。

南北戦争からそう時間が経過していない時代。本作で最も強烈に描かれるのは黒人への差別だ。ただ一人の黒人マーキス・ウォーレンにとっては四面楚歌。しかも話していくうちに、ミニーの店に会したうちの数人がバリバリの南軍派だということが判明する。

そして映画の最大のカギである女犯罪者デイジー・ドメルグ。大きな町で処刑されるために引っ張られているだけの存在だが、容赦なく殴られても不気味に笑いながら悪態をつくのを止めない。

キャラクターの作り込みやエピソードの内容がしっかりしていて、それを時にはじっくり、時には鋭くと、緩急をつけて表現される。この辺りは監督8作めの経験が成せる技なのだろうか。

事件の場面には当然グロっぽい画は出てくるが、本作がR-18指定となったのはどうやらそれだけではないようで、途中でまさかの全裸男登場。これも画にしなければ映画が成り立たないというわけではないところがおもしろい。

最大の事件が発生してからは、本格的な犯人探しのミステリーへ移行する。なぜこの8人が集まったのか、何がシナリオ通りで何が想定外だったのか、この舞台を操っていた最強の敵は誰なのか。ひとつひとつが解けていく様が爽快だ。

怪しい黒人役といえば追随を許さないS.L.ジャクソンや怪演でアカデミー助演女優賞候補になったJ.ジェイソン・リーをはじめとした俳優陣も多彩な演技で楽しませる。やっぱり映画はおもしろいと再認識する作品だと思う。

(85点)
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