Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝」

2022年04月24日 09時41分43秒 | 映画(2022)
30周年、山もあれば谷もある。


映画「クレヨンしんちゃん」が3年ぶりにゴールデンウィークに帰ってきた。が、正直なところ困惑している。「クレしん」的要素はそれなりに盛り込まれているのに、おもしろくないしわくわくしなかったのだ。

舞台設定があり得ないのは劇場版に関してはいつものことだし、引くような下品なギャグも本作に限ったことではない。それでも良い作品のときはクライマックスには自然と涙があふれるほど心を揺さぶられるものなのに、今回は途中から明らかに自分と画面の間に線が引かれてしまっていた。

強いて挙げれば導入のところだろうか。突拍子もない話だとしても、はじめは日常の何気ない野原家の風景が描かれるところを、今回は忍びの一族の来襲があまりにも早かったのではないかと。

たとえば前作の「謎メキ!花の天カス学園」では、みんなで体験入学をするということになって、希望に胸を膨らませる風間君や初めての外泊に心配を隠せないみさえたちの様子が描かれ、学園の人たちが現れ、少しずつ学園の異変が醸し出されることによって、観る側は映画の中に入っていった。

それに比べると、今回の忍びの里の情報は一気に上から降ってきた感じで、物語の構成上難しくなってしまったという印象である。

また、クライマックスを飾るもののけの術という動物の化身を呼び出す忍法の設定も、どこか空回り感が否めなかった。

これまでのクレしんは、子供向けの皮を被りながら親世代の五感をくすぐるネタをところどころに入れ込んでくる印象があったのだが、大型化した動物たちは完全に子供向けの画となっており、そういう明確な意図があってしたことであれば仕方ないのだけれど、まあ物足りないのひとことに尽きる。

どんな一流アスリートでも毎回完璧なパフォーマンスができるわけではないし、そういうこともあるよねと思うしかないと思っている。来年は「しん次元」だそうだ。企画先行で中身が伴わないものにならないよう期待しています。

(45点)
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「コーダ あいのうた」

2022年04月16日 23時56分18秒 | 映画(2022)
すべてのヤングケアラーに幸あれ。


毎朝、通勤時にはスマートフォンで音楽を聴いている。電車の揺れと相まって眠りへと誘われる、神経をすり減らす平日の中の束の間のリラックスタイムだ。

主人公のルビーに対し、パートナーのマイルズが尋ねる。

「ご家族は音楽を理解できるの?」

周りに常に音がある生活を送る者には想像ができない世界。父母と兄、自分以外のすべての家族がろう者という環境で育ったルビーは、小さい頃から家族と世間をつなぐ役割を求められてきた。

漁業を営む一家の手伝いは物理的にも多忙で、学校生活を楽しむこともできないでいたルビーは、選択制の課外活動として合唱を始める。

それは元々歌が好きだったことに加えて、少し気になる男子生徒のマイルズが合唱を選択したことを知ったからであった。しかし、この何気ない選択が彼女の運命を変えることになる。

この映画には、印象的な場面がいくつかある。その中でも出色だったのが学校の秋のコンサートの最中、音声が完全に無音になる場面である。

作品は全体を通してルビーの視点で描かれる。家族と世間をつなぐ役割の大変さや、初めて抱いた夢への希望と葛藤。そんなひたむきに生きる彼女の姿にエールを送り続けてきた中で突然訪れる静寂。そこで観る側は、初めて父たちの立場に自分を置き換えることになるのである。

歌っているルビーの表情。横に目を移すと彼女の歌に聴き入る観客の姿が。別の席を見ると涙を浮かべている人もいる。

彼らは手話の通訳を通して相手の言葉を聞き取る。そして、ルビーの歌の素晴らしさを周りの人たちの反応を見て確信するのである。

コンサートが終わった後、父はルビーに今日の歌をもう一度自分に歌ってくれと頼む。今度は周りに誰もいない。父は手をルビーの首筋にあてがい彼女の歌を感じる。

ここまでストレートに愛を語る作品って、最近あまりなかったのではないだろうか。観終わった後のすがすがしさが格別だ。

物語のキーとなる2つの曲、"You're All I Need To Get By"と"Both Sides Now"もいずれも大好きな曲、完璧である。ちなみに、元ネタとなった「エール!」は残念ながら観ていません。

(90点)
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「モービウス」

2022年04月09日 22時32分55秒 | 映画(2022)
力が人の心を塗り替える。


いわゆるヴィランが主役になる映画は「ヴェノム」に次いでということになるが、作り方はなかなか難しい。

観客の感情を引っ張ってくるためには、過去の不幸なできごとから負の能力を持ってしまったという筋書きにならざるを得ず、結局は悪役というよりもダークヒーローという収まりになる。

ヴェノムもこのモービウスもスパイダーマンの敵というのが一般的な認識らしいが、この後会いまみえることになるのだろうか。「バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生」みたいになりはしないかと少し心配する。

ノーベル賞級の世界的権威であるマイケル・モービウス医師は、幼い頃から血液の難病に苦しんできた患者でもあった。努力と執念で開発した人工血液は人々に生きる希望を与えたが、彼は更なる治療法を求め、血液を食料とするコウモリによる血清開発に取り組んでいた。

マウスの実験が成功し、彼は自らの肉体で人体への臨床試験を始めるが、そこで悲劇が起こる。

人を救いたいという純粋な気持ちが、図らずも怪物を生んでしまうというのは、悪役あるある、定番中の定番である。しかしさすが主人公、マイケルはダークサイドに堕ちずになんとか踏み止まる。

代わりに怪物の恐ろしさを知らしめるのが、幼い頃に同じ療養施設に入っていたマイロことルシアンである。療養施設時代は、近所の子供たちに突き飛ばされるひ弱な少年だったのが、大人になったら何故か悪役顔の金持ちに。M.スミスの顔を見たら、この映画のストーリーが読めてしまった。まあいいけど。

コウモリを使った治療は病気に対し劇的な効果をもたらすものの、血液を接種しないと健康を維持できない体に変わってしまうという劇薬であった。

人工血液よりも生身の人間の血液の方が効果はてきめんで、血液を摂取した直後は、ハルクもびっくりの超人的能力を発揮する。体が不自由だった立場から一気に超人へ。よほど高貴な精神を持っている人でない限り、そのスーパーパワーの虜になってしまうのは仕方ないというところか。

スーパーパワー発揮の場面は、さすがのJ.レトでも技術の手を借りずには演じられなかったようで、瞳孔が急激に縮小したり、耳が周囲の音に反応して振動を起こしたり、非常ににぎやかな画面となる。ただ、覚醒したルシアンの顔がどう見てもJ.キャリーのマクスにしか見えないという何とも言えない状況に。顔が緑色じゃないからいいか。

(75点)
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