Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「男はつらいよ お帰り 寅さん」

2019年12月29日 13時47分02秒 | 映画(2019)
便りがないのは元気な印。


渥美清が亡くなったのが1996年。もう23年の前の話だ。

就職して間もないころ、出張で訪れた奄美大島で偶然ロケの合間に異動する彼を間近で見た。真っ白い顔と固まって凍り付いたような表情。そこには画面を通して見る寅さんとは明らかに異なる人の姿があった。

奄美で撮影された「寅次郎紅の花」は結果として渥美清の遺作となった。スクリーンに映らない素の姿は彼の体調がそのまま反映されたものだったのだろう。

晩年の俳優に限らない。どんな状況にあろうとも、映画を作るスタッフやキャストたちは観客に対し理想を届けなければいけない。そうした長年に渡るプロに徹した仕事が「男はつらいよ」シリーズを国民的映画に押し上げた。

「お帰り 寅さん」と言っても、もちろん本当に寅さんが帰ってくるわけではない。作品が映すのは、時間が経過した中で日常を暮らす「くるまや」の人々の姿である。

みんな歳をとった。いなくなった人もいる。若干の面影を残す町並みの中で少しずつの喜びや悲しみが行き交う。そして、みんなの心の中に常に在り続けるのがかつての寅さんと過ごした日々、彼が遺した言葉の数々であった。

印象的だったのは、「くるまや」に住んでいる博とさくらの夫婦が「お兄ちゃんがいつ帰って来てもいいように」と2階を空けているという下りだ。

何年もの間連絡が途絶えていたとしても、彼ならふらっと店先に現れてもおかしくない。だんごやが観光客対象のカフェに変わり、帝釈天の御前様が代替わりしようとも、寅さんは未だ現役なのである。

映画が製作されなくなってからも俳優・渥美清と車寅次郎は別物で、今日も日本のどこかでお得意の啖呵を切って物売りをしているのではないか。シリーズを知る誰もが抱いているであろう感情が、この驚くべき50作めを生んだと言っても過言ではない。

映画の中では出演者の思い出として、時折挿入されるかつての作品の名場面が、さながら花火大会の打ち上げ花火のように作品を彩る。元気な彼の姿を銀幕で観るだけでも涙ものなのに、最後はマドンナたちとのちょっとしたやりとりを何十作分も立て続けに流すものだからたまったものではない。

「男はつらいよ」の第1作が公開されて50年という節目が背中を押したのは間違いない。

しかし御年88歳の山田洋次監督が現役で活躍されているのがまた特筆すべき話で、おそらくキャストの状況を考えても、これが最初で最後のチャンスだったのではないかと思う。

「男はつらいよ」サーガ、50年の大団円をこの目で見ることができて幸せだった。

(80点)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「スターウォーズ/スカイウ... | トップ | 年間TOP3履歴 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画(2019)」カテゴリの最新記事