Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「ボブマーリー ONE LOVE」

2024年05月18日 21時49分19秒 | 映画(2024)
選ばれしカリスマ。


偉大なミュージシャンを題材にした映画が多く作られるようになったが、今回はレゲエの神様・Bob Marleyである。

ただ、これまでの作品と少し様子が違うのは、伝記のように幼少期から有名になるまでを順を追って描くのではなく、彼のアーティスト人生にとって最大のハイライトとなった1977年前後の2年弱を集中的に取り上げているところである。

彼の祖国・ジャマイカは二大政党による壮絶な政権争いが勃発しており、内戦寸前の状態にまで悪化していた。ボブは音楽で事態の収拾を図れないかとライブの計画を立てたが、そのことが過激派の反発を招き、1976年12月、リハーサル中のバンドは襲撃を受け、ボブ自身も命に別状はなかったものの胸と腕を撃たれた。

ライブ終了後、ボブたちはジャマイカを離れロンドンへと本拠地を移した。平和を訴えるためには、もっと強く世界にアピールできる音楽を作らなければならないと感じた彼は、これまで積極的ではなかった広報活動にも力を入れ、後世に残る傑作"Exodus"を誕生させる。

世界的な成功と名声を手に入れた彼は、1978年に満を持してジャマイカに帰国し、同じ年の4月、首都キングストンでライブを開催し、その場で二大政党の党首を握手させることに成功した。

このくだりを聞けば、誰だって彼を偉人と思うだろう。実際に、命の危険を感じながらも信念を貫いた彼の功績は、決して色あせることのない素晴らしいものである。

しかし本作は、その苦闘の期間のボブと周りの人たちを細かく描くことで、偉人ではあるが必ずしも完璧ではない、人間・Bob Marleyを浮かび上がらせている。

世界ツアーで訪れたパリでの夫婦の言い争いの場面が顕著であるが、カリスマミュージシャンにとって私生活や道徳の優先度は高くなく、パートナーは我慢を強いられる。本作の製作陣に息子のJiggyや妻のRitaがクレジットされていることから、本作で描かれたことはほぼ事実なのだろう。

ボブは皮膚がんをきっかけに36歳で早逝する。これもカリスマミュージシャンの宿命だろうか。希望するしないに拘らず、時代が彼を選び、作品を作らせ、天国へと引き取っていった。

決して必要以上に崇め奉るのではなく、一人の人間として激動の時代を生き抜いた彼に寄り添い思いを馳せる、そんな作品に仕上がっていた。

(75点)
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「胸騒ぎ」

2024年05月16日 21時06分55秒 | 映画(2024)
見ると不幸な気分になる。


なんでもあの「ファニーゲーム」に匹敵する衝撃だそうである。

事前の情報からバッドエンドが分かってしまうのはある種のネタバレではあるが、一抹の期待を持ちながら観て打ちひしがれるよりは精神衛生上良いのかなと、覚悟をしながら映画館へ足を運んだ。

あらすじもそれなりに知っていて、旅先で出会って仲良くなった家族に招待を受けて遊びに訪れるが、とんでもない悪夢の週末になるという話である。

「ファニーゲーム」は前半から青年二人が異常性と不快指数をMAXにするが、本作で主人公・ビャアンの一家を陥れるオランダ人夫妻は、はじめは極めてフレンドリーに振る舞う。だからこそビャアンたちは、数か月前の夏の良い思い出のリピートを期待して、自ら悪夢へと足を踏み入れていったのだ。

ただ、少しずつオランダ人夫妻・パトリックたちとの間に違和感が生じていく。ベジタリアンだと知っているはずなのにイノシシの肉を執拗に勧めてきたのを手始めに、娘・アウネスの寝床、会食での熱過ぎるダンス、ドライブでの大音量音楽と、積み重なる筋違いのおもてなしに一気にストレスが溜まり、ビャアンたちは夜明け前にこっそりと家を抜け出す。

しかし、ここでアウネスのお気に入りのぬいぐるみがなくなっていることに気付き、仕方なくUターン。起床していたパトリックたちの謝罪と説得を受けて滞在は継続することになってしまう。

「必ず最高の一日にするから」というパトリックの言葉のとおり、改めて開放的な田舎の暮らしを楽しむが、それは一瞬のこと。昼食後にアウネスと、パトリックの子供・アベールがダンスを披露するという場になって、突然に家の中の空気が修羅場と化す。

舌がなくて話すことができないというアベールの存在が物語の鍵となるのだが、前評判どおりオランダ人夫妻の胸糞悪さはかなりのものである。アウネスとアベールという二人の幼気な子供が不幸な目に遭うのもげんなりする。

原題が"Speak No Evil"でもあり、理解不能な悪魔と解釈するのが妥当なのだろうけど、それにしてはまわりくどい部分が多いとも思った。

パトリック夫妻の目的が最後に明らかになる「あれ」であるならば、ビャアンたちを招き入れた時点で豹変してもおかしくないところを、何故違和感を小出しにしていたのか?ビャアンたちの振る舞いによっては無事に帰れるシナリオが存在したのか?

ビャアンたちがパトリック夫妻の意に沿わなかったのが不幸の原因とするならば、未遂に終わったとはいえ一時的に逃亡できたのは何故なのか?ぬいぐるみの件がなくても結局は逃げられない手筈になっていたのか?

重箱の隅なのかもしれないが、小さな違和感が積み重なって・・・というのは邦題にもつながっている本作のポイントでもあり、ご都合に思われないよう、故意ではない違和感は少なくしてほしかったというのが正直なところ。

J.マカヴォイ主演でのリメイク製作が決定しているという話だが、どうなることやら。

(65点)
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「恋するプリテンダー」

2024年05月11日 22時10分32秒 | 映画(2024)
見れば幸せな気分になる。


なんでもこの冬のサプライズヒットだったそうである。

必ずしも世界的なネームバリューがあるわけではないキャスティングによる普通のラブコメが、現時点で2億米ドルを超える興行収入をたたき出したのだ。

理由について新型コロナが明けたからだとか様々な憶測が飛び交っているが、どういう作品なのか、本当に普通のラブコメなのか、とにかく観てみなければ始まらない。ということで公開早々に映画館へ足を運んだ。

冒頭、一人の女性がカフェを訪れる場面から始まる。若いけど絶世の美女という感じではない。どちらかと言えばファニーフェイス。ひょっとして彼女が主役なの?

女性はトイレを借りようとするが、杓子定規な店員は客でなければ貸せないと突っぱねる。そこにオーダーに並んでいた男性が助け舟を出す。「彼女はぼくの妻なんだ。妻の商品もオーダーしたから、トイレを貸してくれるよね」。

ドラマティックな出会い。確かにひさびさのラブコメ感満載の展開に期待は膨らむ。

女性=ビー(ベアトリス)はトイレへ駆け込むが、そこで洗面台の水をジーンズの股間にかけてしまう大失態。なんとか乾かそうととんでもない恰好でハンドドライヤーに股間を近づけて悪戦苦闘するビーの姿に、期待は確信に変わる。

ビーを演じるのはS.スウィーニー。最近急激に注目を浴びるようになった女優で、「マダムウェブ」にも出てたようである。確かにあの少女たちはかわいかったね。

よく考えれば、絶世の美女よりもくるくる変わるファニーフェイスの方がラブコメに合っているのも当たり前の話。物語が進むごとに、花咲く笑顔と愛らしいキャラクターが観る側に浸透して、魅力を最大限に押し上げる手筈になっているのだ。

トイレを終えて事なきを得たビーと、彼女を助けた男性=ベンは、店を出てから街を歩き、ベンの家へ行き、楽しい会話をしながら寝落ちして一夜を明かす。それは邪な気持ちなど一切ない、極めて自然で最高な時間だった。

しかしビーは、あまりにうまく行き過ぎた展開に怖気づいて、こっそりとベンの家を抜け出して帰ってしまう。彼女の気持ちが理解できないベンは、友人のピートに「最低な女だった」と愚痴を言うが、これを考え直して戻ってきたビーがうっかり耳にしてしまったから、さあ大変。

こうして書いていくとキリがないのでほどほどにしておくが、とにかく次から次へとベタの応酬である。主人公の男女は結ばれる運命にあるのに、良い方にも悪い方にも偶然過ぎることがこれでもかというほど起きる。

主人公の周りにも個性的なキャラクターが散りばめられる。ビーの元フィアンセ、ベンが昔フラれた元カノ、結婚式を挙げるビーの姉とベンの女友達、元カノのBFや結婚する二人の両親も含め、人種と個性と人間関係が入り乱れて混乱するがノリと勢いで突っ走っていく。

これでいい。これだからいい。でも、何でこの種の映画が最近なかったのか?と思うよりも、何故本作がこんなにヒットしたのかという疑問の方が大きいのは変わらない。

主人公のすぐ横に同性愛カップルを配置したとはいえ、グラマラスな肢体を持つビーと筋肉隆々のベンは、劇中の多くの場面で肌を露出し、典型的な女性と男性のアイコンとして機能しており、ビーが子供のころから結婚に憧れていたという設定もLGBTQ隆盛の逆を行っている。

実際S.スウィーニーは、最近ある映画プロデューサーから「美人でもないし、演技も下手なのになぜこれほど人気があるのか」と言われたそうで、この流れを理解できない、またはおもしろくないと思っている人は一定数いるのだろうと推察する。

それでも結果こそがすべて。こういう物語を欲している人たちが多くいることを証明したことは大きい。古典的なラブコメが好きなことも多様性に混ぜてもらってもいいじゃない。

(90点)
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