Con Gas, Sin Hielo

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「2分の1の魔法」

2020年08月30日 09時31分42秒 | 映画(2020)
正論も2分の1。あとは自分で埋めて。


ピクサーの作品には、邦題と原題が全然違うというパターンがある。

典型的なのは「カールじいさんの空飛ぶ家」で、原題はひとこと"Up"である。風船で空へ上がっていく絵と繋がりはあるけど、これは邦題を付けないとなかなか厳しい。

今回の原題は"Onward"、「前へ」。

100分余りの映画のメッセージを一語に集約するとこうなるということ。一語だからこそ、そのメッセージ性は強くなる。そういった意味でこの説明しないタイトル、個人的には結構好きである。

舞台は架空の世界。景色は現代の人間社会と何ら変わりないが、そこで暮らす住民はマンティコアやケンタウロスといった伝説や神話の生き物たちである。彼らはかつて魔法を使って生活していたが、便利な道具が発明されると困難を伴う魔法の習得を行う者はいなくなっていき、ついには魔法のない世界へと変わり果てていた。

この設定は慧眼と言っていい。便利さを求め続けてきた現代社会なのに、なぜ未だに人々は不満を言い、世界から争いが途絶えることがないのか。発展の代わりに何か大切なものを置き忘れてきたのではないか。

エルフの主人公・イアンの兄バーリーが、不死鳥の石を探す旅の中で高速道路を使おうとするイアンをたしなめる場面がある。「これはひっかけだ。本当の答えはこっちにある」と舗装もされていない悪路を勧めるのだ。

結果は偶然にも助けられており、ゲームおたくのバーリーの「あるある」的発想というだけで終わらせてもよいが、「必ずしも最短経路が最善とは限らない」と言い換えると、これは有益な教訓となり得る。

父の面影を求めて続けてきた旅が、実はいつも近くにいた兄弟の尊さを知ることになるという展開も巧い。父親登場の描写のさじ加減も心憎い。なんだかんだあってもピクサーの技量は安定している。

ただ、諸手を挙げてこの作品文句なしだよね、という実感には至らなかったこともまた事実である。

いちばんのもやもやは、この映画における「魔法」とは一体何なのかというところにある。上述したように過去に置き忘れてきた「何か」を表しているのであれば、本来どうするのがより適切だったのかという答えになっていない。

イアンは魔法を使える遺伝子を遺していたが、バーリーはまったく使えない。そのことに関する最も優等生的な回答は、違いを尊重してそれぞれの特徴を伸ばす生き方をすることなのだろう。持つ者と持たざる者の共存であり、ラストの描写はおそらくそんな感じの世界になっている。

それでは過去はどうすべきだったのか。魔法を継承する努力をすべきだったことは疑いないが、一方で魔法を使わずとも暮らしが便利になる開発を否定はできないだろう。便利さを選択する者たちを間違っているとも言えないだろう。

きれいにまとめているけど、難しいところはブランクなんだよなーと考えると、結局現代の不平不満を声高に訴える方々の姿と重なってきて何だか萎えてしまうのである。

(70点)
コメント
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