Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「プロメテウス」

2012年09月23日 09時39分07秒 | 映画(2012)
驕れる者の末路ということかな。


あの「エイリアン」からほぼ30年。R.スコットがまだこの手の作品を作ることが意外だった。

冒頭。地球と思しき壮大な原風景に一人佇むエイリアンが自ら果てる。

その後は、歴史的発見に感化された学者や技術者たちによる人類の起源探索となる。

高貴な次元に立つはずの学術的アプローチは前半早々に絶望的な展開へと変貌するが、その破たんのきっかけは外からと内からの2本。

惑星に巣食う未知なる生物はともかくとして、探索の助手として開発したロボット・デヴィッドの不可解な行動は、創始者を気取ろうとした人類への報いととればよいのか。

闘う船員。逃げる船員。窮地に陥ったときにとる行動はそれぞれだ。おそらく冒頭のエイリアンも、苦難の果てに自分らの種族を守るためにあのような行動をとったということではないだろうか。

しかしながら、かたや人間は、多くの犠牲を出しながら地球の危機を何とか守ったのも束の間、新たな宇宙の旅へと向かう。エゴまる出しの主人公が悲しい。

元々が高慢な人間によるミッションであり、キャストには一切感情移入はできなかった。

C.セロンの役は何考えてるか理解できなかったし、G.ピアースに至っては何処にいるのかすら分からなかった。

その中で不気味な存在感で一人役得だったのはM.ファスベンダーであった。

あとは地球と惑星、俯瞰と接近いずれの画も、映画ならではの迫力と美しさに溢れていた(ちなみに観たのは2D)。

(65点)
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「ロックオブエイジズ」

2012年09月22日 09時43分45秒 | 映画(2012)
黄金の80年代が駆け抜ける!


知ってるなんてもんじゃない。ほとんど全ての曲のヒットをリアルタイムで経験しているのだから、テンションは上がりっ放しである。

PVの豪華版と考えればストーリーも気にならない。むしろ単純なほど楽しい。だって80年代なんだから。

期待に応えるように冒頭から懐かしいロック系の曲が休みなく連なる。Night Ranger、Poisonなんてあたり、いきなりツボな選曲で痺れる。

主役の若い二人・シェリーとドリューは明るく爽やか。伸びのある歌声が耳に心地良い。

そして脇を固める豪華キャスト。妖しいT.クルーズが当然クローズアップされるが、K.ゼタ・ジョーンズR.ブランドA.ボールドウィンも体を張ってがんばる。P.ジアマッティまで歌っちゃう。

特に楽しかったのは、まったく別の2曲を重ねて歌う場面。4度ほどあったと思う。Quarterflashもロックの系譜に入るんだね。

ハッピーエンドへの過程としてお決まりの挫折では、ドリューがアイドルグループにさせられてしまう。

いかにもなファッションと楽曲。見かけを繕うだけで完全なアイドルになってしまうところが面白い。ひょっとしてOne Directionの中にも同じような境遇のメンバーがいたりしてと思ってしまう。

それにしても、戻りたいとは全く思わないし、今の便利さを手放せるはずもないんだけど、80年代ってのはつくづく明るい時代だったなと思い返す。

世の中が今よりも単純だったから、冴えない自分ではあったけど、何処を向いて進んで行けば良いかは見通すことができた。

本作に出てくるのはほとんどが白人。唯一M.J・ブライジがくさびになっているが、彼女もロックナンバーを歌う。R&Bもラップもカントリーもなければ、アジアや中東もいない(ヒスパニックは1人いたけど)。良し悪しはともかく単純なのだ。

便利さと幸福の拡大を目指して努力した結果が現代の混沌というのは皮肉である。いずれは方向転換が必要になるのだろう。

ひとまず80年代のノリのまま、今日はTOHOシネマズで特別上映している「バックトゥザフューチャー」を観てこようと思う。

(90点)
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「鍵泥棒のメソッド」

2012年09月17日 22時54分06秒 | 映画(2012)
映画で出オチは反則では?


いまや絶好調の堺雅人香川照之が組むというだけで面白そうと思ってしまう。

正反対の性格でまったく違う生き方を歩んできた二人が、あるきっかけで立場を入れ替える。

かつてのヒット作「大逆転」を思い起こすが、こちらの入れ替わりは偶然の事故から。

記憶を失くす殺し屋(?)コンドウのビフォーアフターがコメディーとしての作品の核になっている。香川照之、安心の変質ぶりで着実に笑いを取る。

一方で「鍵泥棒」の主犯、売れない役者・桜井を演じる堺雅人も器用さをいかんなく発揮。この人の場合、見た目の線の細さから元々情けない役は合うが、今回は「売れない」っぷりの出し方がポイント。

とまあ、二人についてはほぼ期待どおりだったのだが、観る前から最も不安だったのがヒロイン役の広末涼子だ。

若くして雑誌の編集長を務め、何でも自分の計画通りに人生を運んできた女子という設定らしいが、冒頭で彼女が部下を前にして「計画的な結婚」を切り出した時点で、まともに観る意欲をそがれた。

敢えて正反対?皮肉としか言いようのない配役は、次々に上塗りされる。「ちゃんと恋をしたい」とか「胸がキュンとする思い」だとか、監督一流の冗談とでも思わない限り先へは進めない。

それに比べれば小さいが、桜井のダメさ加減もなかなか救えない。大金が手に入ったらまず借りた金を返しに行くとか、コンドウのピンチに何か役立てればと立ち上がるとか、いいひとの片鱗を見せるが結果はどれも上手くいかない。コンドウの指摘どおりだ。

そんな中でたった一人頼りになる男が、記憶を取り戻してさあクライマックスへとなるのだが、これまた最後が釈然としなかった。敵役があっさり信じ過ぎでしょう。

笑える場面はそれなりにあったものの、キャスト一人ひとりに不満要素が残ってしまっては、残念ながら観てすっきりというわけにはいかない。

(55点)
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「デンジャラスラン」

2012年09月15日 01時28分23秒 | 映画(2012)
逃げも隠れも命懸け。


わが国の宣伝では、邦題に従って危険過ぎる逃亡を前面に押し出しているが、原題は「隠れ家」を意味する"Safe House"。ちっとも"Safe"にならない逆説的な展開が肝になっている。

この設定だと、D.ワシントンがいいとこ総取りになってしまうのは仕方がないところ。製作にも名を連ねているし、結構楽しんで作ったのかもと想像する。

まあまあの話ではあるが、身内の裏切りなど先が読める点や、画面が暗くてブレブレでアクションが見づらいところも、至って普通といえば普通だ。

目を引くのは南アフリカを舞台にしているところか。少し前にサッカーのW杯を開催したばかりなのに、それ以降あまり世界の話題に上らなくなった印象がある。

巨大なスタジアムが出てきて、そういえばサッカーの国かと思い出した次第。CIAが重きを置いていない設定も納得がいく。

D.ワシントンの娯楽作品といえば、名コンビだったT.スコット監督が亡くなってしまったのは非常に残念だった。彼ならもっと観る側の心が躍るような作品を撮ったんじゃないかと想像してみたりする。

(60点)
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「ディクテーター 身元不明でニューヨーク」

2012年09月12日 23時21分36秒 | 映画(2012)
人類なんて、所詮この程度。


S.バロン・コーエンの新作は、不真面目を装った真面目のようで、やっぱり不真面目という印象。

冒頭の、とある人へ捧ぐメッセージで弾頭を打ち込んだ勢いそのままに、全篇に渡って差別発言のオンパレード。

そんな言葉の激しさがさほど嫌味に感じないのは、誰より何よりアラジーン将軍に扮するサシャ自身が明らかに愚かに見えるから。

しかしアラジーン将軍の陰に隠れつつ、どの国もどんな思想も笑いの種にしてしまう潔さには感服する。

特におかしいのは、自然や人権を声高に唱える「少年」女子・ゾーイを将軍の相手に据えたこと。

真剣な市民活動の姿勢を一刀両断するなんてのは序の口で、店の経営をアラジーンが買って出て上意下達方式にした途端に上手く運び出すのもおかしいし、挙げ句の果ては二人の関係が進展してしまうのだから、とにかく痛快だ。

そして世界のジャイアンこと米国的民主主義への皮肉も忘れない。

同じような言葉を別で聞いたことがあるかもしれないが、変に社会派を気取った人物に説教されるよりも、この映画でアラジーンが単純明快に語る方が真っ直ぐ伝わってくるような気がした。

それはその後に続く愛の言葉があったからだと思う。

演出としては、話している途中でゾーイが目に入って言葉を変節させるのだが、これは言ってみれば、不完全だけどそれでもこの国が好きと多くの国民が胸を張って言える米国そのものを表しているのだと思う。

翻ってわが国は、最近でこそナショナリズムの芽生えが散見されるが、本当の意味での愛国心が根付いているのか疑問に感じる。

いいところも悪いところも分かった上でやっぱり日本が好きと言い切り、他国と渡り合っていくことができるだろうか。

少なくとも、この作品のように中国人をネタに使うなんてことは、深夜のUHFですら無理だろう。

日常で感じる閉塞感が本作をより痛快に感じさせたことは間違いない。

この手の作品を天下のパラマウントが製作し、B.キングズレーE.ノートンなんて一流どころが顔を出しちゃうんだから、やっぱり米国はすごい。

(90点)
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「夢売るふたり」

2012年09月09日 22時08分53秒 | 映画(2012)
詐欺とは、騙されたという人の主観でのみ成り立つもの。


西川美和監督の作品は、視点に興味をそそられ、配役に期待を膨らませるのだが、結果的には何処か釈然としないものを残しつつ映画館を後にするというのがパターンのようだ。

事故で焼失してしまった小料理屋を何とか再開させたいという思いで一致していた夫婦が、急ぎのアプローチの過程で微妙なすれ違いを見せ始める。

きっかけは嘘。

突然大金を手にした夫がついた嘘を妻はすぐに見破る。ただし、そこから妻は金策の妙案を思いつく。

結婚詐欺は犯罪だ。でも騙す騙されるの関係は、必ずしも加害者が嘘を信じ込ませなければいけないわけではない。女性の心理を突いて、嘘をつかずにお金を拝借する方法があるはず。

この辺りは女性監督ならではの視点なのかもしれない。お金を取られてなお男性をかばう女性が結構出てくる。女ごころは難しい。

但し、夫が短期間に多方面に手を出し過ぎたことだけは間違いなかったようで、結末はあっけなく驚きの程度も大きくない。

常に司令塔であり続けた妻が本当にしたかったことは何だったのか。実は彼女自身分からなかったのかもしれない。

嘘をつきようにも本当の自分が分からないから動き続けるしかなかった。いつも怖いくらいに迷いのない松たか子の表情と百八十度逆だが、そう捉えるとようやく少し状況が見えてくるような気がした。

(65点)
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「最強のふたり」

2012年09月02日 00時59分12秒 | 映画(2012)
行き詰ったら空気を入れ替えよう。


とことんさわやかなドラマだ。

首から下が完全に麻痺して動けない富豪のフィリップと、貧民街の生活に浸り切って失業手当で食いつなぐしかできないドリス。

冷静に二人の環境を見つめれば深刻なことだらけなのに、二人が触れ合った瞬間から、周りの人も含めて表情が明るくなる。

フィリップの誕生日が好例だ。

みんなが良かれと思ってやりながらも重い気持ちにしかならなかったサプライズパーティーが、ドリスを巻き込むことで一変する。

同じ方向に吹いても動かない空気は向きを変えてみればいいのだ。

もちろんフィリップだけではない。ドリスも貧民街にいたままでは何も変えられなかった。フィリップとの出会いが彼自身の生きる向きを変えた。

エンドロールで僅かながら出てくるモデルとなった二人の写真。

見る限りではEARTH, WIND & FIREのノリができるようには見えなかったので、映画ならではの演出という部分も多かったのかもしれない。

でもそれは正解だったと思う。大柄な黒人の豪快な明るさと、閉塞感を壁ごと吹き飛ばすイメージがうまく重なった。

ところで実際の二人は、いずれも社会的地位と子供を手に入れたとのこと。改めて大切な出会いと長く続くかけがえのない絆に感謝しよう。

(85点)
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「テイクディスワルツ」

2012年09月01日 20時25分45秒 | 映画(2012)
見えない恐怖に囚われて。


「怖いと感じることが怖い」。主人公マーゴが劇中前半で口にする言葉である。

客観的に見れば特に不足のない生活。でも何かが足りない。何かが間違っているんじゃないか。

目に見えないからこそ怖い。理解できないものだから怖い。これは恐怖の真理として正しい。

しかし、存在しないかもしれない恐怖にまで振り回されてしまうようになると、もはやそこに幸せへの出口はない。

マーゴはよく笑う。結構大げさに。しかし数分も経たないうちにその顔は曇る。彼女の心に開いた穴が笑い続けることを許さない。

夫のせいじゃない。他の誰かのせいでもない。自分で作った穴、いや、穴があると思い込んでいるだけ。

感覚のみに存在する穴はパートナーを替えれば埋まるものじゃない。自分を変えない限り、彼女は回転木馬のようにいつまでもひとところを回り続ける。

M.ウィリアムスの野暮ったい顔は、このどよんとしたマーゴにぴったりだった。

一方で夫役のS.ローゲンは妙にかっこよかった気がする。

夫が唯一犯した過ちは、妻の繊細な意識の変化に対応できなかったことだが、長い目で見れば、彼にとってはその方がよかったのかもしれない。

人生は少し足りないくらいが当たり前。少なくとも、残された夫の周りの人たちは、そこで折り合いをつけながら生きていた。

(75点)
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