Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「私の男」

2014年07月14日 23時45分48秒 | 映画(2014)
家族が分からない二人の行く先。


津波で両親を失くした子。子を引き取った孤独な男。ともに欲していたのは家族だったはずなのに、いつしか二人の関係はねじれていく。

このような道理から外れた親子の関係は成り立つのか。

子は男の孤独を察した。体を重ねることで同じ血が流れていることを感じ取った。言葉には出てこないが、男もきっと似たような感情を抱いている。

「お前には無理だよ」。

男は、子に恋人ができる度にそうつぶやく。それは血を感じた故の揺るがない自信だ。

この世に二人だけ。他の何者も立ち入ることを許さない、血によって閉ざされた世界。覗き見て領域を侵そうとする者には力ずくの排除をもいとわない。

しかしそれは彼らが望んでいた「家族」ではなく、血でつながれた「男」と「女」。血の結束の先に待ち受けるのは新たな悲劇しか見えてこない。

若手女優の中で独自の路線を進む二階堂ふみは、この難役を文字通り体当たりの演技でこなしてみせた。

目元などは宮崎あおいを思い起こさせるかわいらしい顔立ちなのだが、鼻から口にかけてのもったりとした肉感が、強い情念を持った女性の役にハマる。

注目していると言いながら、先日観た「渇き。」では金髪にされただけで気がつかないお粗末さだったのだが、本作で改めて鮮烈な印象を植え付けられた。

(70点)
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「her 世界でひとつの彼女」

2014年07月08日 21時34分46秒 | 映画(2014)
641倍、器用過ぎた彼女。


この話を「あり得ない」と言ったらそこで終わりになってしまう。OSとの恋の物語だけど、主題はそれだけではない。と思う。

以前は明るかったらしい主人公・セオドアは、愛していた妻との離婚に傷つき塞ぎ込む日々を送っていた。

そこに現れた最先端OSのサマンサ。あらゆる人間のデータを蓄積した彼女(?)は、優れた学習機能を駆使し、セオドアのことを理解し愛情を抱くようになる。

デートのお膳立てをしたり、実体がない自分との恋愛を体感するために代理恋人をあつらえたり、代筆業の作品を集めて出版社へ売り込んだりと、とにかく優秀で献身的に振る舞うサマンサにセオドアは癒されていく。

古くからの友人・エイミーや職場の同僚がそんな元気を取り戻した彼を歓迎し、理由がOSとの恋と知ってからも、むしろ知った後に距離の近い付き合いをするところが微笑ましい。

しかし、機能が飛躍的に向上してしまったサマンサとのズレ、そして離婚のため正式な書類を交わすために再会した妻とまたケンカ。彼の進む道は正しいのか。どこへ向かうべきなのか。

欠格者ではない。仕事はできるし、性格だって特に気難しいところがあるわけでもなく、初めて会った女性と意気投合できるくらい社交性もある。

そんな普通の男性が経験した、少し風変わりな再生の物語なのだ。

一つの別れで前へ進めなくなっていた彼の腕を引っ張ってくれたサマンサ。これからも何かを得ては失うことを繰り返すのだろうけど、一歩を踏み出さないと何も始まらない。

最後の屋上の場面は、新しい物語の始まりを静かに予兆しているように見えた。

それにしても、セオドアの周りはA.アダムス、R.マーラ、O.ワイルドと美女ばかりでうらやましい限り。これなら幸せは遠くないはず。

サマンサの声、えらくハスキーだと思ったら、エンドロールでS.ヨハンソンと知ってびっくり。分からなかったな。

(75点)
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「渇き。」

2014年07月08日 20時52分10秒 | 映画(2014)
父と娘の最悪のシナリオ。

「嫌われ松子の一生」「パコと魔法の絵本」「告白」と、年間単位で連に絡む傑作・快作を世に発信し続けている中島哲也監督の最新作がいよいよ公開された。

当然大きな期待を持って観に行ったのだが、どうだろう。宣伝に出ている「劇薬」という言葉こそその通りであったが、これといって印象に残る作品ではなかったような気がした。

過激な描写は意外性や落差があって際立ってくるもので、それは例えば、きれいな顔をした優等生が残酷な犯罪をしたり、松たか子が冷静な表情で復讐を果たしたりということなのだが、本作は全篇に渡って、いかにもな人たちがいかにもなことをしているから予想を超えないのである。

「愛する娘は、バケモノでした。」とあるが、これも看板に偽り有りで、父親には娘への愛情がまるで感じられない(真相を追っていくうちに屈折した感情は見せるが)し、娘からはバケモノ要素以外のものを画面上で発見することができない。

ところどころに挟むアニメや音楽、時間が目まぐるしく行き来しながらも物語が散乱しない構成力など、映像作家としての腕前はさすがだと思うが、それだけで引きつけるのは難しい題材だったのかもしれない。

役者も年齢を問わず脂の乗った個性的な面子を揃えているのだが、脇で存在感があったのは、終始にこにこしながらも腹黒さ全開の妻夫木聡くらいで、オダギリジョーのとってつけたような使い方など実にもったいないと思った。エンドロールで名前が出ていたけど、二階堂ふみは確認できなかったし(事後確認。あの役だったのか…)。

繰り返しになるが、ひょっとすると監督の技量というよりも、原作と観る側の相性という可能性もある。その辺りは次回作以降に判断を委ねたいと思う。

(60点)
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