壁は壊すよりも時間をかけて溶かした方が良い。
本作をひとことでまとめると、「ひとことでは言い表せないタイプの映画」ということになるだろうか。
ロマンティックコメディだったところに、難病が割って入ってきて、一方でその根底には人種や文化の壁といった社会問題が流れている。
欲張りでぜいたくなコンボなんだけど、どの要素で売り込めばいいか分からないので、邦題は「ぼくたちの大いなる目ざめ」なんて訳の分からないものになってしまった。
正解を見つけるのは難しいけれど、このひと月で「めざめ」という単語が入った作品が3本というのを見ると、少し思慮が浅いと言わざるを得ないだろう。
本作に戻って、このジャンル分けすら難しい風変わりの作品を生み出したのは、パキスタン生まれのK.ナンジアニ。自分の物語の製作総指揮に携わり主演も務めてしまった。
主人公のクメイルは家族とともに米国・シカゴへ移り住んだ。すっかり米国文化に馴染んだ彼は、コメディアンを目指して夜な夜な小さなクラブの舞台に立つ毎日を送っている。
そんなある日、彼は舞台の客として来ていたエミリーと出会う。何気ない会話から急速にひかれ合い二人は交際を始めるが、彼らの前には大きく立ちはだかる人種の壁があった。
パキスタンは人口2億を超える大国だ。隣国インドと激しく争い核兵器も保有しているイスラム教国家。世界を動かしそうなパワーワードがごろごろしているにも拘らず、我々にとってこの国の情報はあまりにも少ない。
本作を見るかぎり、米国には多くのパキスタン人が移住しているようだ。イスラムのお祈りをすっぽかすクメイルの姿には仰天したが、多くの人は移住した後も自国の様式を頑なに守って生活しているということは想像に難くない。
クメイルの舞台でのネタはもちろんパキスタンネタだ。中東、イスラムということもあり、彼の話はかなりぎりぎりの線を突くブラックジョークが中心となる。
その感性は米国で生まれ育った白人のエミリーにはフィットしたが、白人との交際なんて考えられないクメイルの家族には理解されるはずがなかった。エミリーは、自分と家族の間で煮え切らないクメイルの態度に落胆して別れを決意する。
そんな中で突然エミリーが正体不明の病気に襲われる。クメイルは、昏睡状態に陥ったエミリーを挟んで、今度はエミリーの両親(テリーとベス)と対峙することになる。
発病する前にクメイルの家族の問題を聞いていたテリーとベスの気持ちは複雑だった。しかし、不安な気持ちを少しでも和らげられればと思ったのか、二人はクメイルに対しいろいろな話をするようになる。
はじめにロマンティックコメディーと書いたが、コメディー要素としては、クメイルと双方の親とのやりとりの方が大きい。
パキスタン流を守るお堅い実親、娘が生命の危機にあるエミリーの両親に対し、クメイルは職業柄かことあるごとに場違いなジョークを繰り出す。笑えないのが明らかなシチュエーションに、観ている側は逆に思わず吹き出しそうになる。
しかし、そんなやりとりを繰り返すうちに段々と巻き込まれると言ったらいいのだろうか。テリーともベスとも雪解け以上の温かみのある関係が築かれていく。エミリーの病気がきっかけとなり、それぞれが自分の弱さや至らなさをさらけ出したことで共感と信頼が生まれたのだ。
やがて昏睡から目覚めたエミリー。ひとり信頼醸成の過程から置いてけぼりだった彼女にも再生の機会が訪れる。ラストシーンの笑顔が温かい映画に花を添える。
主人公は本人が演じているのだからこれ以上の適任はいないだろう。パキスタン人を演じる人も他にいないだろうし。エミリー役のZ.カザンも、かわいらしい中に知的さを備えた魅力的な女性を好演していた。
きわどいネタや難病が出てくるけれど、基本的に明るくて温かい空気が流れている。タイトルの不明さに負けずに多くの人に観てもらいたい作品である。
(85点)
本作をひとことでまとめると、「ひとことでは言い表せないタイプの映画」ということになるだろうか。
ロマンティックコメディだったところに、難病が割って入ってきて、一方でその根底には人種や文化の壁といった社会問題が流れている。
欲張りでぜいたくなコンボなんだけど、どの要素で売り込めばいいか分からないので、邦題は「ぼくたちの大いなる目ざめ」なんて訳の分からないものになってしまった。
正解を見つけるのは難しいけれど、このひと月で「めざめ」という単語が入った作品が3本というのを見ると、少し思慮が浅いと言わざるを得ないだろう。
本作に戻って、このジャンル分けすら難しい風変わりの作品を生み出したのは、パキスタン生まれのK.ナンジアニ。自分の物語の製作総指揮に携わり主演も務めてしまった。
主人公のクメイルは家族とともに米国・シカゴへ移り住んだ。すっかり米国文化に馴染んだ彼は、コメディアンを目指して夜な夜な小さなクラブの舞台に立つ毎日を送っている。
そんなある日、彼は舞台の客として来ていたエミリーと出会う。何気ない会話から急速にひかれ合い二人は交際を始めるが、彼らの前には大きく立ちはだかる人種の壁があった。
パキスタンは人口2億を超える大国だ。隣国インドと激しく争い核兵器も保有しているイスラム教国家。世界を動かしそうなパワーワードがごろごろしているにも拘らず、我々にとってこの国の情報はあまりにも少ない。
本作を見るかぎり、米国には多くのパキスタン人が移住しているようだ。イスラムのお祈りをすっぽかすクメイルの姿には仰天したが、多くの人は移住した後も自国の様式を頑なに守って生活しているということは想像に難くない。
クメイルの舞台でのネタはもちろんパキスタンネタだ。中東、イスラムということもあり、彼の話はかなりぎりぎりの線を突くブラックジョークが中心となる。
その感性は米国で生まれ育った白人のエミリーにはフィットしたが、白人との交際なんて考えられないクメイルの家族には理解されるはずがなかった。エミリーは、自分と家族の間で煮え切らないクメイルの態度に落胆して別れを決意する。
そんな中で突然エミリーが正体不明の病気に襲われる。クメイルは、昏睡状態に陥ったエミリーを挟んで、今度はエミリーの両親(テリーとベス)と対峙することになる。
発病する前にクメイルの家族の問題を聞いていたテリーとベスの気持ちは複雑だった。しかし、不安な気持ちを少しでも和らげられればと思ったのか、二人はクメイルに対しいろいろな話をするようになる。
はじめにロマンティックコメディーと書いたが、コメディー要素としては、クメイルと双方の親とのやりとりの方が大きい。
パキスタン流を守るお堅い実親、娘が生命の危機にあるエミリーの両親に対し、クメイルは職業柄かことあるごとに場違いなジョークを繰り出す。笑えないのが明らかなシチュエーションに、観ている側は逆に思わず吹き出しそうになる。
しかし、そんなやりとりを繰り返すうちに段々と巻き込まれると言ったらいいのだろうか。テリーともベスとも雪解け以上の温かみのある関係が築かれていく。エミリーの病気がきっかけとなり、それぞれが自分の弱さや至らなさをさらけ出したことで共感と信頼が生まれたのだ。
やがて昏睡から目覚めたエミリー。ひとり信頼醸成の過程から置いてけぼりだった彼女にも再生の機会が訪れる。ラストシーンの笑顔が温かい映画に花を添える。
主人公は本人が演じているのだからこれ以上の適任はいないだろう。パキスタン人を演じる人も他にいないだろうし。エミリー役のZ.カザンも、かわいらしい中に知的さを備えた魅力的な女性を好演していた。
きわどいネタや難病が出てくるけれど、基本的に明るくて温かい空気が流れている。タイトルの不明さに負けずに多くの人に観てもらいたい作品である。
(85点)