時間が待っていてくれた。
あの最終回から約3年。
「衝撃の・・・」と言われながらも、時間が経てば記憶の隅に追いやられるのは必然である。
しかし本作は見事に還ってくることができた。
それは何故だろう。
一つは、作り手側が変わらなかったことである。
岡田准一たちの熱意が保たれていたことは後から知ったが、まず外見的に本当に3年の月日が経ったのか分からないほど、各人のポジションに変化がなかったのが驚きであった。
例えば、誰かが突然ブレイクしていたり、下手すれば不祥事か何かで降板してしまったりなんてことがあっても不思議でないところが、脇の演者たちを含めて、まるでこの間の日々が凍結されていたかのように同じ空気が流れていたのだ。
スタッフが丁寧に作り上げた甲斐あって、画面や音楽のテンションやクオリティに至るまでのすべてにおいて、TVで流れていた再放送との継ぎ目がまったく気にならなかった。
次に、世の中の情勢である。
本作の魅力は、展開のリアリティではない。
事件の設定やアクションは極めて娯楽性を重視した演出で、言ってしまえば絵空事だ。
しかし、その背景にうごめくドラマが恐ろしくリアリティに溢れている。
こんなテロ大国のような話なんてあるわけないじゃんと思いながらも、ひょっとして何かの間違いで近い事態が起こりうると思わせる脚本の力こそが、このドラマの強みだ。
そしてそのリアリティの基盤である世間の状況はといえば、3年前に比べて閉塞感が確実に増幅している。
中国等の脅威に手をこまねいている政府への苛立ちの声が高まるなど、革命戦士がいつ現れても不思議はなくなっている。
そうした要素がハマったことで、受け手側もすんなりと3年前の世界の続きへ違和感なく入ることができた。
野望と革命。サブタイトルの軸が主役の井上にないことも興味深い。
今回の野望篇では、「?」が付いたままだった尾形の理念が、これまでの行動と決して矛盾を生じない形で示された。
最終エピソードでは、極めて複雑に入り組んだ相関図のすべてがどのように解きほぐされていくのか、そしてそれぞれがどんな結末を迎えるのか、大いに期待したいと思う。
(85点)
あの最終回から約3年。
「衝撃の・・・」と言われながらも、時間が経てば記憶の隅に追いやられるのは必然である。
しかし本作は見事に還ってくることができた。
それは何故だろう。
一つは、作り手側が変わらなかったことである。
岡田准一たちの熱意が保たれていたことは後から知ったが、まず外見的に本当に3年の月日が経ったのか分からないほど、各人のポジションに変化がなかったのが驚きであった。
例えば、誰かが突然ブレイクしていたり、下手すれば不祥事か何かで降板してしまったりなんてことがあっても不思議でないところが、脇の演者たちを含めて、まるでこの間の日々が凍結されていたかのように同じ空気が流れていたのだ。
スタッフが丁寧に作り上げた甲斐あって、画面や音楽のテンションやクオリティに至るまでのすべてにおいて、TVで流れていた再放送との継ぎ目がまったく気にならなかった。
次に、世の中の情勢である。
本作の魅力は、展開のリアリティではない。
事件の設定やアクションは極めて娯楽性を重視した演出で、言ってしまえば絵空事だ。
しかし、その背景にうごめくドラマが恐ろしくリアリティに溢れている。
こんなテロ大国のような話なんてあるわけないじゃんと思いながらも、ひょっとして何かの間違いで近い事態が起こりうると思わせる脚本の力こそが、このドラマの強みだ。
そしてそのリアリティの基盤である世間の状況はといえば、3年前に比べて閉塞感が確実に増幅している。
中国等の脅威に手をこまねいている政府への苛立ちの声が高まるなど、革命戦士がいつ現れても不思議はなくなっている。
そうした要素がハマったことで、受け手側もすんなりと3年前の世界の続きへ違和感なく入ることができた。
野望と革命。サブタイトルの軸が主役の井上にないことも興味深い。
今回の野望篇では、「?」が付いたままだった尾形の理念が、これまでの行動と決して矛盾を生じない形で示された。
最終エピソードでは、極めて複雑に入り組んだ相関図のすべてがどのように解きほぐされていくのか、そしてそれぞれがどんな結末を迎えるのか、大いに期待したいと思う。
(85点)
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