Con Gas, Sin Hielo

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「ドリーム」

2017年10月14日 23時10分56秒 | 映画(2017)
私、失敗しないので。


この作品がなぜいま作られたか、その背景にトランプ政権下の米国という事情があることはまず間違いない。

米国とソ連による宇宙開発競争が熾烈を極めていた1960年代前半。米国の日常社会はトイレもバスの座席も黒人と白人を明確に分けることが当たり前とされていた。これがまだ人々の記憶に強く残る時代の光景ということに改めて驚く。

そうした強烈な差別社会の中で、類稀な才能とたゆまぬ努力によって自らのキャリアと米国の宇宙開発に栄光をもたらした3人の黒人女性がいたという。3人の名はキャサリン、ドロシー、メアリー。

映画だから脚色もあるだろう。彼女らが専門とする数学や情報科学は作品にとっては道具に過ぎないので、それらしく見せる画を作ることに徹している。

作品の肝は、白人エリート男性がいくら頭を捻っても完成させられなかった数式をキャサリンが鮮やかに解いてみせるところだ。それまで冷遇されていた状況と合わせて観る側に大きなカタルシスをもたらす。

キャサリンだけでなく、3人それぞれが違った手段でNASAという大組織の中に自分の居場所を獲得していく様は、痛快であると同時に自然と涙腺が緩んでくる。

この作品で描かれている情景を見る限り、人種差別なんてものは100%愚かしい行為、思想であることに議論を待たない。あれから半世紀以上も経つのに何故まだ差別意識が蔓延しているのかと言いたいのであろう。

不思議なもので、世の中は便利になるようにいろいろな発明をしているはずなのに、次から次へと新しい問題が発生して結局は余計に手間がかかったり、誰かにしわ寄せが行ったりの繰り返しである。

宇宙開発も、本作の舞台となっている時代に人々が思い描いていたものと現在の立ち位置は異なっているように思える。現在の3人は自分の仕事をどう総括し、未来に何を期待するのか興味があるところだ。

話がそれたが、いい話であることに一切異論はない。ただそれはこの時代だからこそ成り立った成功物語であり、現代を鏡に映してみてもおそらく見え方は千差万別になる。

虐げられている人たちの闘いは続いている。それぞれが権利を主張し、自分の正しさを声高に言い争っている。「昔は良かった」なんて思わず言ってしまいそうだが、本作の差別の風景を見るとやっぱりこの時代もよろしくない。

どの時代を生きようとも、結局は自分を高める努力をした先に初めてより良き人生があるという、身も蓋もない当たり前の結論に至るのであった。

(75点)
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