Con Gas, Sin Hielo

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「七つの会議」

2019年02月03日 18時54分47秒 | 映画(2019)
職場こそエンターテインメント。


映画館の帰りに商業施設の食品売り場を覗く。今日は2月3日。農林水産省がフードロス対策を促す異例の勧告を行ったにも拘らず、夕方だというのに恵方巻きが山のように積まれていた。

悪いことと分かっていても変えられない。個人レベルではどうしようもできない。恵方巻きは罪ではないが、国の統計ミスに至っては隠ぺいから改ざんまで法令違反のレベルである。

不祥事をなくすことはできない。これは日本人のDNAに染みついたものと言っていい。主人公の八角は語る。

ぼくはこれまで池井戸潤原作のドラマを見たことがなかった。きれいごとのサラリーマン讃歌に過ぎないだろうと思っていたからだ。

しかし少なくともこの映画はオチを含めて違う。東京建電の社員たちは、理不尽なノルマやパワハラに苦しむと同時に自らもそれを受け継ぎ守ることが会社のためと信じている。

不祥事が発生しその影響がじわじわと広がっていく。事の大きさに気が付けば誰だって決定的な被害が出る前に何とかしなければと思う。しかし事が大き過ぎて逆に動けない。正しいことのために会社を消滅させ、自分だけでなく何も知らずに一生懸命に働いている人の人生まで奪うという選択肢がとれない。

八角は異端児である。しかしそれは企業戦士として生きてきて大きな壁に当たった果てに行き着いた道であり、かつての自分の延長である周りの人の生き方を完全に否定はしない。

誰が悪いのか。人はすぐ犯人探しに傾く。しかし現実はそれほど単純ではない。

本作は小説が原作ということもあり比較的不祥事の元が分かりやすく描かれているが、それでも実は誰がいちばん悪いかということははっきりしない。属人的に根源となる人物がいても個人だけで不祥事は成立しないからだ。

おそらくここに日本社会が抱える闇がある。不正を思いつく人間とそれを程度問題として許してしまう土壌は一朝一夕にできたものではない。そしてそれは国じゅうにはびこっている。

八角はこうも言う。この日本的な体質が急速な発展を後押ししたことも事実だと。

本作はこの辺りの作りが巧みだ。課題を指摘すると同時に救いも与えてくれる。内部告発で傷ついた企業戦士たちがそれぞれのやり方で再出発を試みる姿は希望に溢れている。

単純な巨悪があってスーパーマンのような異端な社員が先導してすべてを吹き飛ばす。それはそれで快感かもしれない。

しかし本作では責める者も責められる者もほぼ同類である。課長を叱責する部長は幹部に頭が上がらず、その幹部は親会社の前では平身低頭にならざるを得ない。毎日の自分たちと変わらない姿がそこにある。

そんな彼らが苦闘した末に次の居場所へ到達する様子に深く共感を抱くことができる構図になっている。そこに野村萬斎をはじめとした重厚な俳優陣の演技が大きく寄与していることは言うまでもない。

(90点)
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