Con Gas, Sin Hielo

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「最後の決闘裁判」

2021年10月24日 09時05分44秒 | 映画(2021)
雉も鳴かずば撃たれまい。


恥づかしいことに甚だ不勉強で、過去の名作と言われる作品でも観たことがないものがたくさんある。

特に邦画。世界の巨匠が讃える黒澤作品も例外ではなく、「羅生門」の概要も今回Wikipediaで見て初めて触れた。

一つの事象を異なる3人の登場人物の視点から描く手法を初めて採用したのが「羅生門」だとのこと。本作の構成はまさにそれ。

タイムスリップ的に過去に戻って同じできごとを体験する「バタフライエフェクト」や「ハッピーデスデイ」もある意味この系譜に属すると言えるだろう。反復は観る側の記憶に強く残る効果もあり、この手法を生み出した黒澤監督はやはり偉大である。

14世紀末のフランス。中世の欧州では、裁判の裁定を原告と被告の決闘で決する制度が長く存在したと言う。

騎士ジャン・ド・カルージュは、妻であるマルグリットが旧知の従騎士ジャック・ル・グリに強姦されたと訴えを起こす。ル・グリはこれを完全否定。カルージュは国王に決闘で決着を付けることを直訴する。

ここでポイントとなるのは、この決闘がカルージュとル・グリだけでなくマルグリットの命までも俎上に載せることである。カルージュが敗れた場合、マルグリットは偽証の罪で火あぶりに処されるのだ。

何故マルグリットはそんな危険な賭けに臨まなければならなかったのか。遥か昔の話だけに、謎が深い一方でいかような解釈も可能という、映画の題材としては実はおいしいネタである。

マルグリットと共に暮らす義母(つまりカルージュの実母)は言う。「私も過去にレイプされたが何も言わずにやり過ごした」。

道徳的に正しくなくても生きるために取る選択肢がある。決闘は現代の価値観から見ればとんでもない制度であるが、普通に暮らす人たちにとってはまず無関係な世界の話でもある。理不尽な話はどの時代にも(現代にだって)あり、わざわざ首を突っ込む必要はないでしょというのはまさにそのとおりである。

今回、R.スコット監督は、カルージュ、ル・グリ、マルグリットの順番で、それぞれが見たこの事件の経緯を描いた。最後のマルグリットの視点には「真実(the truth)」という注釈を付けた。

ネタバレ的になるが、マルグリットの回想が真実であると決め打ちしているように、映画全体のトーンは、カルージュ、ル・グリいずれも問題があって、マルグリットは巻き込まれてしまったということで統一されている。

辻褄は合っているし、現代の価値観からすれば妥当な選択であろう。賛同しないのであれば感想や意見の形で述べればいいし、その意味ではよくできた作品と言える。

ちなみにぼくは、マルグリットはカルージュが勝利する確率は高いと事前に踏んでいたのではないかと思っている。

カルージュが後に、ル・グリがマルグリットを犯したというのは事実ではなく、実は自分がやったものだと証言しているらしいが、誰が嘘をついていたかの真相は藪の中であり、ただ確かなことは、力が強い者が生き残る時代にカルージュがル・グリに勝利したということだけである。

「フリーガイ」で注目したJ.カマーは、凛とした美しさが際立っていた。ル・グリはマルグリットの心が揺らぐような美男という設定だったけど、A.ドライバーってそういう立ち位置だったのね。

(75点)
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