Con Gas, Sin Hielo

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「ガーディアンズオブギャラクシー:VOLUME3」

2023年05月13日 22時43分27秒 | 映画(2023)
ガーディアンズは戻ってこない、とは言っていない。


MCUのどのシリーズも、第4フェーズ以降はアベンジャーズで広げたウィングを自分の世界に折り畳む必要を強いられたが、それは決して簡単な作業ではなかった。

マンガの連載でもそうだが、戦いを描く物語では、続篇の敵が前より弱くなっては見応えがなくなるため、話がどうしてもインフレになりやすい。

先日の「アントマン&ワスプ:クアントマニア」がまさにそうだが、それによって主人公が追い詰められるところばかりが際立ち、本来主人公が持っていた持ち味が薄まってしまう危険性を備えているのである(何よりサノスの後というわけだし)。

ガーディアンズは、C.プラット演じるスターロードが目立った特殊能力を持っておらず、特徴といえばピンチのときにも明るさと音楽を忘れないポジティブ思考というキャラクターなので、特にその点が心配であった。

本作は、"凶暴なアライグマ"ことロケットの知られざる過去を中心に展開する。

空から突然現れた刺客がロケットに体当たりし、彼は瀕死の重傷を負う。医療措置を施そうとするが、彼の体には触ると死亡してしまうスイッチが埋め込まれており手を出せないことが分かる。

なぜこんな装置が埋め込まれているのか。そもそもロケットの出自とは。シリーズ当初からの謎が明かされることになる。

その他にも、このシリーズは登場人物が多い分関係性も多様になっており、その経過を描くだけでも結構分量が多くなる。

スターロードとガモーラの恋、ガモーラとネビュラの姉妹関係、グルートの成長もあれば、かつては好敵手の側にいたクラグリンのようなキャラクターも描かれる。他のシリーズとのコラボや全宇宙レベルの壮大な危機まで広げる余裕が必然的になくなったのは、結果的には良いことだったかもしれない。

前作までの復習をしなかったためうろ覚えの記憶での鑑賞となったがそれなりに楽しめたので、きちんと観返してからだったらもっと面白く観られたであろう。

さて、エンドゲーム以降、インフィニティサーガを彩ったヒーローたちが次々に退場してきたが、ガーディアンズも本作が最後と事前から明らかにされていた。最も気になったのは、どういった形でシリーズを終わらせるのかということだった。

単なる解散か、それとも主要人物の死なのか。ポジティブな彼らに限って・・・と言いながら何があるか分からない緊張感とともに、クライマックスは大きなスケール(大量の子供や動物、宇宙船(?)の衝突など)で畳みかけてきた。終わり方は基本的に納得。

エンドクレジット。いつも楽しみに観ていながら、次の作品のときにはあまりよく憶えていないということがほとんど。新聞記事の「ケヴィンベーコン」がやけに気になったので、ここに記しておこう。

(80点)
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「ザスーパーマリオブラザーズムービー」

2023年05月03日 22時23分11秒 | 映画(2023)
文句なしにスーパーなキャラクターたち。


最も多感な年代を過ごしたということもあって、かねてから1980年代が最高と言い続けていた。その対象として取り上げるのは、たいてい音楽か映画かというところで相場が決まっていたのだが、大事なものを忘れていたことに気が付いた。

それがゲームだ。

70年代から80年代にかけて、自動車や電化製品といった分野で次々にメイドインジャパンが世界を席巻していったが、ほぼ同時期の83年に発売されたのがファミリーコンピュータであった。

それまで任天堂という会社は花札やトランプを作る会社としてしか認識がなかったものが、突然世界のニンテンドーとなった。近年、アニメが絶好調で聖地巡礼に訪れる外国人のニュースをよく聞くが、30年以上昔からニンテンドーのゲームのキャラクターは世界中で愛されていた。

今回、ニンテンドーは、ミニオンシリーズなどで世界的ヒット作を誕生させたilluminationとタッグを組み、マリオブラザーズの映画を製作した。だいぶ昔に微妙な実写版が作られたことがあったが、今回は誰にも受け入れやすいCGアニメである。

そしてニンテンドー側が本気で製作に参加したのであろう。登場するキャラクターの造形や設定、アイテムや音楽まで、ゲームをプレイしたことがある人たちが喜ぶツボを押さえたものになっていた。

ピーチ姫が、ゲーム初期のさらわれる立場から自らも戦う勇者になったのは、時代の変化もあるが、そもそもJRの車内広告動画で流れていたマリオのクイズでは、だいぶ前から捕らわれるのはルイージになっていたから特に違和感はなかった。

それにしても全般を見ると、魅力的なキャラクターや、ゲームのステージ設定の巧みさ、記憶に深く残るキャッチーな音楽と、すべてが高いレベルで作られていたことに改めて驚かされる。

ひいき目だけでなく、80年代のニッポンがいかに先進的で独創的だったのかが分かる。いまさらのように言っている「クールジャパン」を体現していたのである。もう少し要領良くやっていれば、今ももっと優位性を活かしていられたのだろうけど。

本家であるわが国に先駆けて世界公開された際には、観客からの絶賛と批評家からの批判のギャップがニュースになっていたが、この反応はおそらくどちらも正解だと思う。

前述のとおり、ゲームをやったことがある人たちが見て喜ぶ設定は、映画の質や芸術性といったところにはあまり関係がない。物語に意外性があるわけでもなく、おもしろいのはゲームのこの要素をこう取り入れるか~といった点に集約されるのである。

だから若い人にどれだけ受けるのかは分かりかねるのだが、この世界的なヒットの状況を見るかぎり、どうやらマリオのキャラクターというのは、今も次々に新しいファンを生み出しているということなのだろう。

それは、ファミコンからスーパーファミコン、ゲームボーイ、64、Wii、そしてスイッチと、時代に合わせて新しいシステムを生みヒットさせてきたニンテンドーという会社の強さがあってこそ成し得た成果に相違ない。

(90点)
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