家族は宇宙であり、すべてである。
週明けに発表される本年のアカデミー賞において、作品賞を含む数々の部門の戴冠にもっとも近い距離にあると言われているのが本作。賞レース常連のS.スピルバーグ監督作品等を差し置いての評判というのだからすごい。
しかし、事前に入ってくる情報のかぎり本作はアカデミーというよりは娯楽作品。しかもかなり変わった作りのようで、作品の内容もさることながら、いかにしてここまでの存在になったのかに俄然興味が湧いてきた。
主人公は、おそらく米国であろう、特に特徴のない街の一角でコインランドリーを営む中華系の女性・エヴリン。気は優しいが頼りない夫・ウェイモンドと、難しい年ごろに差し掛かった娘・ジョイ、そして年老いて体の自由が利かなくなっている実父・ゴンゴンと暮らしている。
家庭を顧みる余裕がないほど営業成績は綱渡りで、その日も税の申告の協議のため国税庁へ向かったエヴリン。建物に入り乗ったエレベータの中で突如異変が訪れる。
簡単にいうと、もはやMCUではお馴染みとなったマルチバース。ただ、この映画でのマルチバースは、ある人物が過去に対面した選択の、選ばなかった方の選択肢から伸びた人生という定義になっている。
ウェイモンドからのプロポーズを受けていなかったらという選択肢がいちばん大きいが、他にも生きている中でこのことをしていたら超一流になれていたかもしれないという「もしも」がいろいろ出てくる。
その中のある世界にいるエヴリンが天才的な頭脳を持っており、これらのマルチバースを行き来する術を編み出し、同じ世界にいたウェイモンドが、コインランドリーのエヴリンに助けを求めてきたというのがあらすじである。
これだけでもかなり荒唐無稽で、頭の中が複層的に整理されていないと飲み込むのも難しいのだが、その中でも巧いなと感じたのは、数多くいるエヴリンの中でなぜ特段の能力を持たないコインランドリーの彼女が救いの存在とされたのかであった。
助けを求めてきたウェイモンドが言う。「君は誰よりも多くの失敗をしてきた。だから強いんだ」。正確ではないと思うが大体こんなニュアンスである。
成功する者ははじめから天才なわけではない。多大な努力とちょっとした運不運が決めると言って過言ではない。ただそれも、その道を進もうとする選択をしないかぎりは、可能性はゼロである。
このマルチバースの世界では、失敗、つまり挑戦の数が多いほど成功した別の自分が存在するわけで、何度失敗しても諦めないことが尊く、コインランドリーのエヴリンがそれだけ強いということにつながるのである。
という作品のメッセージ的なものに関し、ここまでは褒め言葉であるが、実際はそれをはるかに上回るほどストーリーや映像がぶっ飛んでいて、作品の評価は極めて難しい。時々置いてけぼりにされるし、お下劣で寒いギャグ(っぽい場面)もふんだんに出てくるし、やはり「なぜこの作品がアカデミー最有力なんだ?」という疑問は全編を通してついて回る。
まあ結論としては、作品の勢いが猛烈であるとしか言いようがない。娯楽作であろうが芸術作品であろうが「なぜこの作品が?」は毎年出てくる疑問に違いなく、答えもまた同様である。
ただ、もともと賞レースは狙っていなかったのかもしれないが、非白人系を中心キャストに起用し、主要人物の重要な設定にLGBTQを絡めているところで、ツボをぬかりなく押さえているということは付け加えておきたい。
それにしてもK.ホイ・クァン、長らく俳優業はしていなかったというけど、いい感じに年齢を重ねました。これから活躍の場が増えそう。
(75点)
週明けに発表される本年のアカデミー賞において、作品賞を含む数々の部門の戴冠にもっとも近い距離にあると言われているのが本作。賞レース常連のS.スピルバーグ監督作品等を差し置いての評判というのだからすごい。
しかし、事前に入ってくる情報のかぎり本作はアカデミーというよりは娯楽作品。しかもかなり変わった作りのようで、作品の内容もさることながら、いかにしてここまでの存在になったのかに俄然興味が湧いてきた。
主人公は、おそらく米国であろう、特に特徴のない街の一角でコインランドリーを営む中華系の女性・エヴリン。気は優しいが頼りない夫・ウェイモンドと、難しい年ごろに差し掛かった娘・ジョイ、そして年老いて体の自由が利かなくなっている実父・ゴンゴンと暮らしている。
家庭を顧みる余裕がないほど営業成績は綱渡りで、その日も税の申告の協議のため国税庁へ向かったエヴリン。建物に入り乗ったエレベータの中で突如異変が訪れる。
簡単にいうと、もはやMCUではお馴染みとなったマルチバース。ただ、この映画でのマルチバースは、ある人物が過去に対面した選択の、選ばなかった方の選択肢から伸びた人生という定義になっている。
ウェイモンドからのプロポーズを受けていなかったらという選択肢がいちばん大きいが、他にも生きている中でこのことをしていたら超一流になれていたかもしれないという「もしも」がいろいろ出てくる。
その中のある世界にいるエヴリンが天才的な頭脳を持っており、これらのマルチバースを行き来する術を編み出し、同じ世界にいたウェイモンドが、コインランドリーのエヴリンに助けを求めてきたというのがあらすじである。
これだけでもかなり荒唐無稽で、頭の中が複層的に整理されていないと飲み込むのも難しいのだが、その中でも巧いなと感じたのは、数多くいるエヴリンの中でなぜ特段の能力を持たないコインランドリーの彼女が救いの存在とされたのかであった。
助けを求めてきたウェイモンドが言う。「君は誰よりも多くの失敗をしてきた。だから強いんだ」。正確ではないと思うが大体こんなニュアンスである。
成功する者ははじめから天才なわけではない。多大な努力とちょっとした運不運が決めると言って過言ではない。ただそれも、その道を進もうとする選択をしないかぎりは、可能性はゼロである。
このマルチバースの世界では、失敗、つまり挑戦の数が多いほど成功した別の自分が存在するわけで、何度失敗しても諦めないことが尊く、コインランドリーのエヴリンがそれだけ強いということにつながるのである。
という作品のメッセージ的なものに関し、ここまでは褒め言葉であるが、実際はそれをはるかに上回るほどストーリーや映像がぶっ飛んでいて、作品の評価は極めて難しい。時々置いてけぼりにされるし、お下劣で寒いギャグ(っぽい場面)もふんだんに出てくるし、やはり「なぜこの作品がアカデミー最有力なんだ?」という疑問は全編を通してついて回る。
まあ結論としては、作品の勢いが猛烈であるとしか言いようがない。娯楽作であろうが芸術作品であろうが「なぜこの作品が?」は毎年出てくる疑問に違いなく、答えもまた同様である。
ただ、もともと賞レースは狙っていなかったのかもしれないが、非白人系を中心キャストに起用し、主要人物の重要な設定にLGBTQを絡めているところで、ツボをぬかりなく押さえているということは付け加えておきたい。
それにしてもK.ホイ・クァン、長らく俳優業はしていなかったというけど、いい感じに年齢を重ねました。これから活躍の場が増えそう。
(75点)
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