大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第15回

2021年11月29日 22時32分14秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第10回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第15回



次に向かうは医者部屋。 ある程度まではまたもや床下を潜る。

(三辰刻も力を出していたということか・・・)

―――有り得ない。

ましてや力の事を知ってまだ二年にもなっていないというのに。

床下から出るとすぐに履き物を脱ぎ小階段から上がり回廊を歩いた。 そろそろ宮内に居た官吏たちが仕事を終え回廊を歩いて来るはずだ。

本来の官吏たちの仕事場は文官や武官たちのいる建物でするのだが、そこは宮の客人が潜る門とは違う門を潜った先にある。 だがここ数年の忙しさから、宮内に四方が仕事をする執務室と、四方が目を通さねばならない書類を管理する官吏が仕事をする仕事部屋を設けていた。

ゴーンと時を告げる鐘の後に、ドンドンドンと三度太鼓の音が響いた。 仕事を終わらせる太鼓の音だ。

(もう鳴ったか)

床下を歩いてかなり近道をした。 足早に医者部屋に向かう。 回廊では誰かが歩くたびに光石が点きだした。

医者部屋の戸を開ける。 誰も居ない。 マツリの片眉が上がる。

「誰か居らんか」

マツリの声に左手奥にある下げられた布で仕切られた向こうから、マツリの自室の前に座っていた女官が現れた。

「こちらに御座います」

布を大きく開ける。

マツリがそちらに進む。 布を潜り二歩あるくと右手の壁に沿って膝上高の寝台が三つ置かれ、一番奥の寝台に布団が敷かれてあるのが見えた。 そしてそこに紫揺が寝かされていた。 他の二つの寝台には布団は敷かれていない。

寝かされている紫揺の右側の壁には窓があるが、窓の外側の木窓が閉められている。 外から見られないようにするためだろう。 灯りは光石で取っている。

マツリがその場に止まる。 先ほどの女官、丹和歌がマツリの後ろにつく。 先ほどまで世和歌と “最高か” そして丹和歌が座っていたのだろう、寝台に添って椅子が四脚置かれている。 三人は椅子から離れて頭を垂れている。

「改まらずともよい。 どのような具合だ」

「まだお目が覚められておりません。 医者が言うには心の臓も息もはっきりされているとのことで大事は無いということですが・・・」

「倒れたと聞いたが、どこかを打った様子は無かったか」

「紫さまのお身体がお揺れになられた時には、薬草師が飛び入って紫さまをお抱えしましたのでその様なことは無いかと」

「・・・そうか」

三人が頷く。 ついでにマツリが見えないところで丹和歌も頷いている。

「そのまま薬草師がここまで連れてきたということか」

「医者が板戸を持って参りまして板戸でお運びしました」

「誰かに見られなかったか」

「見られたとしても布を被せておりました。 お顔までスッポリ。 わたくしたちがウロウロしていてはおかしいので、それぞれ別の所からここに入りましたので誰にもおかしくは見られていないと思います」

薬草師と医者が板戸を運んでいたのだ。 怪我をした者を運んでいると思われただろう。

「そちらに行ってもよさそうか」

三人が目を合わせる。 許嫁でもなければマツリの奥でもない紫揺の寝顔を見せてもいいものだろうか、と。

当の紫揺はそんなことを気にすることなく、サンダーバードでは坂谷の前で寝ていたし、ましてや新谷など初めて会ったのにそんなことも気にせず寝ていた。

「無理にとは言わんが、視ておきたいことがある」

三人が一つだけ椅子を残して身を引いた。

マツリが紫揺の横につく。 頭の上に手をかざす。 その手をゆっくりと下げていく首まできたが、布団が邪魔で感覚が捕らえられない。

「この布団を何か薄物と取り換えよ」

そう言うと下げられていた布を潜って最初に入ってきた部屋に出て行った。

四人が慌てて何かを探すが、ここは医者部屋、何があるわけでもない。 紫揺に被せてきていた布は医者が戸板と共に持って出ていた。 と、押入れを開けた世和歌が良いものを見つけた。 いわゆるシーツだ。
この部屋は具合を悪くしたものが仮寝所としている所。 新しいシーツがあってもおかしくはない。

「これでいいんじゃないかしら」

「姉さん、さすが」

姉妹が糊付けされたシーツを広げてる間に “最高か” がそっと紫揺の布団を剥ぐ。
四人がシーツの端を持ち紫揺の上に被せる。 そして頷くとまたもや丹和歌がマツリを呼び布を大きく開ける。

マツリが紫揺の横に立つと先程と同じことをしていく。 胸元まで来ると右手に手を動かし、右手に添わせたまま戻って来て次は左手に、またもや添わせたまま今度は腹まで下がると左右の足を同じようにしていく。
北の領土の領主であるムロイにしたことと同じである。
最後に左足で終った。

「ふむ・・・」

四人が手を取り合ってマツリの後ろで見ている。 手を添えたとはいえ紫揺の身体に触れていないことは明らか。 だがそれでも何の関係もない、ましてや医者でもない男が女人の身体に手を添わせたのである。 そんなことをしていいはずがない。
とは言っても紫揺の身体が気になる。 何をどう考えていいのか四人は今にもパニックになりそうだった。

「安心するがよい」

「え・・・」 カルテット。

「多少なりとも煙を吸ったかもしれんが、どちらかといえば五色の力を使い過ぎたのであろう。 医者から聞いたが三辰刻も力を使っていたということ。 無茶をして紫の身体が限界を超えたと視える。 このまま休んでおれば体力も戻るであろう」

「は・・・」 気の抜けた声もカルテット。

マツリが振り返る。

「世話をかけたがもう少し、紫が目覚めるまで付いていてやってもらえるか」

「もちろんに御座います」

「三辰刻の間、五色の力を使っていたと聞いたが、ずっと付いてくれておったのか」

「もちろんに御座います」

何故か全員張り切っている。

「では昼餉もとっていないのであろう。 もう夕餉の時になる。 二人ずつ夕餉を取ると良い・・・。 ああ、そうか、彩楓と紅香は姉上の所に行っていることになっているのだったな。 考えておく」

その事は事前に他の女官に告げていたし、暫く二人を借りるとも告げていた。

「夕餉時?・・・ あ! え?! どうしましょう! 姉さん、私たち何も言わずに出て来てしまいましたわ!」

「あ! あああ・・・真丈(しんじょう)様のお怒りがあぁぁぁ」

マツリが目の前に居るというのに、上司からのお怒りの方が気になったようだ。

「真丈か、我から言っておこう。 急遽手を借りていた、この先も借りると言っておく。 よいか?」

「有難う存じますっ」

「名は」

「世和歌に御座います」

「丹和歌に御座います」

「承知した。 では頼む」

マツリが布を撥ね上げて部屋を出た。
足早に医者部屋から遠ざかる。
回廊を歩いているとあちこちで光石が点灯している。

「さて、父上はどちらに居られるか」

出来るなら自室に居て欲しいが、まだ執務室に居るのだろうか。 どちらに足を向けるか。

「まだ執務室に居られる、か」

あの書類の山だ、まだ執務室に居るであろう。
すれ違う官吏は皆帰り支度をして歩いている。 これから宮を出て帰るのだろう。 マツリに頭を下げていく。
ということは執務室であっても、もう官吏はいないということになる。 ならば四方の自室でなくとも執務室でも話が出来る。

何度か角を曲がると四方の執務室の前に出た。 だが居るはずの従者が居ない。

「もう房に戻られたか?」

それとも澪引の部屋に行ったか。

中から襖が開けられた。 出てきたのは文官だった。

「これはマツリ様。 お疲れに御座いました。 地下の方ではリツソ様はお見つかりになられましたでしょうか」

「かなり歩いたが残念ながらだ。 どこにいったのやら」

「そうですか。 宮の外も内も色よくは無かったようでございます」

「そのようだな。 今まで仕事か?」

「本日最後の束を置きに参りました」

「明日の分ということか」

「少々問題が多く続いておりますが故、なかなか終わりませぬ」

「そうか。 父上は中に?」

「いいえ、今日はお疲れになったのか、太鼓と共にお引きになられたようで御座います」

「房に戻られたか・・・」

「お方様のお房かどちらかかと」

「ふむ。 遅くまで苦労であった」

文官が恭しく頭を下げる。

話しながら文官の目の奥を見たが、もう一つはっきりとしなかった。

(あの陰りは地下の者と繋がっているものではないか・・・)

一人で執務室に居たのを怪しんだが、せいぜい書類の内容に腹が立っていたくらいのものかもしれない。
先ほどの文官は四方の斜め左右に机を置いている文官が書類を見る前に、上申書を見ている者であった。 その内容はくだらないものも多く、くだらないと判断したものは四方たちには上げず、先ほどの文官たちが処理をしている。 あまりのくだらなさに憤っていた陰であろう。

考えながら歩いていると角の向こうから女の声がする。

「ホンットに! どこに行ったのかしら!?」

角から出てきたのを見ると真丈の下にいる女官であった。 その後ろには三人の女官が従っている。
マツリに気付いたようで、あっと声を漏らし、回廊を開け勾欄に身をつけ頭を垂れた。 従っていた女官三人も同じようにしている。

「真丈はどこにおるか知らぬか」

問われた女官が頭を僅かに上げる。

「夕餉の確認をしておられるかと」

「そうか。 忙しい時に厨に行くわけにもいかんか」

「何かお言伝が御座いましたら承りますが」

「では頼む。 あとになって済まぬが我の居ぬ間、世和歌と丹和歌に頼みごとをしておった。 昼餉も食べずに手伝ってくれておったが、まだ手を借りたいのだがと」

彩楓と紅香のことは事前に他の女官に告げてある。 すでに真丈の耳に入っているはず、改めて言うことも無いだろう。

「あ、ああ・・・そうで御座いますか。 お役に立てれば何よりで御座います。 必ずやお伝えいたします」

「すまんな。 昼餉も抜いているが故、夕餉だけはきちんと食べるように言ったところだ。 しかりと食べさせてやってくれ。 ああ、そうだ、まだまだ遅くなるやもしれん。 夜食用に膳を持たせてくれ」

「承知いたしました」

「それと、父上を見なかったか?」

「今しがたお方様のお房から出て参りましたが、お方様にお付きで御座いました」

「そうか」

女官が頭を下げる前をマツリが歩を進めた。

澪引の部屋の前に行くと澪引の従者がズラリと座っている。 四方の従者は見かけない。 もう戻らせたのだろう。

マツリに気付いて女たちが手を着いて頭を下げる。

「入ってもよいか?」

「お待ちくださいませ」

襖に一番近く座っていた澪引の側付きが、そっと襖に顔を寄せる。

「マツリ様がお見えで御座います」

襖越しに声を掛けるが、奥にまで聞こえるように少々声が大きい。

「入れ」

四方の声だ。

側付きが襖を開けるとその前を通ってマツリが部屋に入った。 側付きがそっと襖を閉める。
奥の部屋に行くと外に会話が漏れないよう襖を閉めた。

「地下の話はあとで聞こう」

マツリが頷く。

澪引が寝台で横臥している。 その横に四方が座している。 澪引の手を取ってやりたいのだろうが、澪引が背を向け布団を深く被っている。 リツソに会わせてもらえないのを背中で訴えているのだろう。

常なら四方の隣に座るが、澪引にもよく聞こえるように回りこんで四方の前、澪引の頭に近い所に座った。

「父上」

四方を見て言うと次に澪引に目を移す。

「母上、リツソが二度声を出したそうです」

「え?」

布団の中からくぐもった声が聞こえた。
細く白い指が布団の端を持ってそっと下げる。 まだ泣いていたようだ。 涙というものは尽きることが無いのだろうか。
リツソの鼻汁のように。

「大きな声を出さないでくださいませ」

そう言って口の前に人差し指を立てると優しい笑顔を澪引に送る。

「リツソが・・・?」

「はい。 二度ほど声を出し、まだ意識がはっきりしていないそうですが、その時に気付けの薬湯を飲ますことが出来たそうです。 母上もリツソが目覚めた時に抱きしめてやらねばならないでしょう。 卓に夕餉が置かれています。 お食べになりませんと」

先ほどの女官が置いていったのだろう。

「・・・リツソが」

そう言うとまた泣き出した。

「マツリの言う通りだ。 今日も何も腹に入れておらんのだから。 泣いてばかりおらんと。 ほれ起き上がれるか?」

四方が手を添えてやる。
四方の手を撥ねることなく澪引がゆっくりと体を起こすと立ち上がり隣の部屋に移った。

側付きがちゃんと胃に負担のない物を作るように言っていたのだろう、粥や柔らかいものが膳に乗っている。

四方に支えられ椅子に座った澪引。 マツリから見てもゲッソリとやつれているのが分かる。

以前、三日間リツソが見つからない時があったが、その時にはこれ程にはならなかった。 その時は泣いて暮らすというより、澪引なりに探しに出ていたからだろう。 だが今回は目を覚まさないリツソ。 そのリツソの横にも付いてやれない。 泣くことしか出来なかったのだろう。

「マツリ、昼餉を食べておらんのだろう。 ここに持って来させるか?」

「いいえ、あとで父上と」

「そうか」

「では母上、ゆっくりと召し上がって下さい」

「え? ここに居てはくれないの?」

「地下を歩き回ってきました。 湯浴みをしてまいります」

「マツリ・・・」

澪引がマツリの頬に手を伸ばす。 触れやすいようにマツリが膝を折る。

「何も出来なくてごめんなさいね・・・」

「そのようなことは」

また澪引の目から涙が生まれる。

「母上は居て下さるだけで我の励みになります。 ですから薬と食をおとりください」

澪引が小さく頷く。
その頷きに安心し、頬にある澪引の手を持つと両手で包み込んで卓に置かせた。
そして四方に目顔を送ると部屋を出た。 心配しているであろう澪引の側付きには、いま食事をとっていると伝え、きっと薬も飲むだろうとも言った。

側付きや従者に安堵の色が浮かんだ。


湯浴みを終わらせ、作業部屋で臭いが付いたかもしれない直衣(のうし)には手を通さず、部屋から持ってきた青色の狩衣(かりぎぬ)に手を通す。 これまた直衣と同じく日本の物とちょっと違っている。


「どうだった?」

四方とマツリだけの食事の席であるから、常なら二、三人が給仕に付くが四方が人払いをしていた。 普通に食事をとり、その後に話しても良かったのだが、普通の食事の時の普通の会話が今は無い。
マツリがまだ箸を手に付けず茶を一口飲んで報告する。

「見張番は先に申しましたように一人を確認できましたが」

と話し出し俤から聞いた五つのことを言う。

一つに、側付きや従者には地下との繋がりの可能性が低いということ。
一つに、少なくとも官吏に二人、見張番に三人。 地下に繋がった者が居るかもしれない。
一つに、官吏は商人の行程を知る者。
一つに、マツリがどこかの領土に飛んだ時に、強盗が頻繁に起きているはず。 マツリが飛んだ後に地下の者に知らせることの出来る見張番。
一つに、それぞれは報酬を得ている。

「地下では今もリツソを探しておりました。 それは間違いなく。 ですからあの日リツソを見た者と父上の側付きは間違いなく地下と繋がってはいないかと」

マツリがそう締め括った。
無言で食べながら聞いていた四方が箸を置くと逆にやっとマツリが箸を持つ。

「従者に疑いの可能性が低いというのは安心できることだが、それにしても金で釣られたということか。 官吏までもが金に釣られるとはな」

情けないと吐き出すように言ったが、四方は今、従者と言った。 側付きとは言っていない。 マツリからは側付きのことも言われたが、微塵も疑っていなかったということだ。

「見張番を増やした官吏は分かりましたか?」

煮込まれた肉を箸でつまみながら問う。

「帖地(じょうち)を知っておるか?」

「・・・帖地」

肉を噛みながら考える。
思い出した。 東の領土の祭から帰ってきた時に、宮の中でリツソを呼んでいると『リツソ様で御座いますか? 今日はとんとお見掛けしませんが』 と言ってきた官吏だ。 あのときはこんなに遅くまで仕事をしていたのかと思っていたが・・・。 そして怪しみもしたが。 やはりか。 口の中の肉をゴクリと飲み込む。

「思い出しました。 リツソが居なくなった日、東の領土から帰ってすぐにその文官に会いました。 リツソを探していたのですが、文官の方からリツソをとんと見ていないと言ってきました」

「あの日か・・・。 見張番と関係しておるだけで、リツソの事は知らなかったとも考えられるが、それも難しい話か。 そんな遅くに宮に居るなどと」

官吏と別れたあとマツリは四方に会っている。 普通ならとうに官吏は宮から消えている刻限だった。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第14回

2021年11月26日 21時43分37秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第14回



「・・・ですが」

医者が口ごもる。 五色と言われればその力のほどの知識が医者には全く無い。

「よろしいですね」

五色とエラソーに言ってしまっても、さっき紅香が言ったように紫揺は東の領土の人間だ。 紅香が言わなくとも紫揺にもその意識はありすぎるくらいにある。
本領の人間である医者の了解を無しに入ることなど出来ないと思っている、ただそれは二度の問までとも。 仏の顔のように三度までは待てない、二度の問で諾と言わなければ強制的に入るつもりだ。

「お待ちくださいっ」

彩楓の声だ。

「え?」

紫揺が振り返った。

「たとえ紫さまにお力があられようとも、わたくしたちの出来ることはわたくしたちがいたします。 それがお付きというもの」

ツンと顎を上げ何を怖がる様子もなく言う。
薬草師が手巾で鼻口を押さえていた。 それで防げるのならなんということは無い。 彩楓と紅香が目を合わせて頷き合う。

「無茶を言いなさるな」

医者が止めようともお付きのお役目を果たさなくてお付きと言えようか。 公明正大に任命されたお付きでないとはいえ、マツリ直々から受けたご指名のお付きなのだから。
片手で衣裳の袖を持ち、もう一方の手で懐から手巾を取り出す。

「御前を失礼いたします」

「え?」

紫揺の前を通り過ぎ手巾で鼻と口を押せると、もうもうと煙る部屋の中に入って袖で煙を扇ぎだした。

「ええ!?」

まさかそんな突飛な行動に出るとは思いもしなかった。
人にそんなことをやらせておいて平気な紫揺ではない。
まずは鼻の奥と喉に春の力を使った。 それは食虫植物のような物を想像した。 煙を吸う吸煙植物だ。 そんな植物はいないとは分かっているが、五色の力を広げるのは想像であるのだから。

いけるだろう。
倒れたら倒れた時の事。

「世和歌さん丹和歌さん、裾を放してもらえますか」

「紫さま、どうぞ今しばらくお待ちください」

裾を持つ二人が頭を下げる。
紫揺が急に動いた。 部屋に向かって歩を出したのだ。
すぐに二人が裾を持ったまま紫揺を追う。

「紫さま!」

「紫さま今しばらく」

医者が低頭するがその前を過ぎていく。

紫揺が部屋に足を踏み入れた。 丹和歌と世和歌も入ろうと思ったが、到底そんな人数が入れる部屋の広さでは無い。 “最高か” が踊らせている手を止めた。

「紫さま」

手巾で口を押えた “最高か” がくぐもった声で紫揺を迎える。

せめて手巾だけでもと世和歌が懐から出すと中にいる彩楓に渡した。 彩楓が紫揺に手渡そうとしたが、紫揺がそうさせない雰囲気をかもし出している。

「彩楓さん、紅香さん有難うございます。 大分煙が抜けたようです。 どうぞ一旦お部屋・・・お房から出られてください」

「ですが」

「どうぞ出てください。 私なら大丈夫です」

“最高か” が目を合わせる。 二度までも紫揺に言われてしまえば仕方がない。 まだ煙は残っているが “最高か” がそっと部屋から出て行く。 彩楓が世和歌に手巾を返す。

戸は開け放ったままだ。 医者から退くように言われたが、四人が手巾で鼻と口を押えたまま戸口で紫揺の後姿を見守っている。

白い霞のような煙の向こうでは、敷かれた布団の上でリツソが横たわっていた。 白い煙は木窓から入ってくる風で開け放たれた戸からどんどんと出て行っている。

「リツソ君!」

敷かれていた布団の横に座り込んだ。

リツソの手を取る。

「リツソ君、どうしたの? 紫揺よ、目を開けて」

何の返答も示さないリツソの手をさすってやる。

「リツソ君!」

声は殺している。 咎められることは無い。
どんどんと煙が引いていく。 はっきりとリツソが見えてきた。

「リツソ君? 目を開けて。 ほら、一緒にお勉強しようよ」

何度も何度もリツソの手をさすってやる。

「リツソ君、リツソ君、お願い目を開けて」

思わず四人の目から涙が零れる。

「おいたわしや・・・」

四人の声はリツソにではなく紫揺に向けられている。

「・・・え?」

リツソの頭にどす黒い緑の塊が視えた。 それが渦を巻いている。

「何、これ」



マツリと接触できた俤(おもかげ)。
己の知り得た情報を無駄なく即座にマツリに告げる。 あちらこちらで城家主の手下の者たちがうろついている。 時を取っていては見つかるかもしれない。 だが最後に、官吏のことを金で釣られたと言っては可哀想だという事を言いかけた時

「そうか見掛けぬか」

急にマツリが言った。

「お前はまだ若いのだから、賭け事で身を滅ぼすなよ」

俤が背後に視線を感じた。

「そんなことくらい分かってまさぁ。 分かってて地下に入り込んだんですから」

「分かっていて止められないということか」

「へぇ、まぁ気になることは本領に一つ残してきましたから、身を滅ぼす前に地下を出まさぁー」

一つ言い切れていない事があるということだ。

「一日も早くそうすることだな」

言いたいことは分かったと、マツリが頷いて返事をした。
俤の横を通り過ぎて路地の奥に入って行った。 聞き耳を立てていた者が慌てて更に奥に入って行く。

この日のマツリはかなり地下の中を歩き回った。
紫揺がずっとキョウゲンの上に座っているだけだと言ったが、マツリは己の足で歩くことも多い。

城家主の屋敷まで足を運ぶと人雇いも目にした。 何をしているのかと声を掛けると穴銀貨を配っていた男が目を踊らせた。

「や、あの、その・・・。 城家主のその・・・。 ああそうだ、手下が、物を落としたみたいで、それを探すのに人雇いをして・・・」

まさかこんな所でマツリに声を掛けられるとは思ってもいなかった男が言う。

「何を落とした」

「そ、それは・・・」

更に男の目が踊る。

(アイツ以下だな)

紫揺が領主にアレコレと言っていたことを思い出す。
そこに城家主が屋敷から出てきた。

「これはマツリ様、私の手下が何か不躾なことでもしましたか?」

「いいや。 人雇いを何故しているのかを訊いていただけだ」

「手下が物を落としたのを探す為と!」

男が城家主に話を合わせるようにと、振り返って城家主に言った。

「それは何かと訊いておった」

マツリが言う。

「ああ、人雇いの事ですか。 ・・・賭博で手にした珍しい一本彫りを落としたようで、それを探させています」

マツリが屋根裏部屋で見た一本彫りを思い出す。 城家主がすぐに一本彫りと言ったのは記憶に新しいからだろう。 あれは最近手にしたものなのだろう。

「ほぅー、一本彫りか。 そんなものを簡単に落とすのか?」

「間の抜けた者でして、他にも手にしていたから気付かなかった様です」

「そうか」

「で? マツリ様はこんな地下の奥まで何用で?」

手下からマツリが地下を歩き回っていることは聞いていたが、白々しく訊いてみる。

「ああ、本領から子が居なくなってな。 地下に紛れ込んだのではないかと探しておる。 手下の者から何か聞いていないか?」

「子が?」

「ああ、まだ十の歳にもならない背丈だ」

マツリはいともなげに言っているが、それがリツソだということは分かる。
本領の中で子供が居なくなったところでどうしてマツリが出てこようか。 そうならばとっくにマツリは沢山の子を探していただろう。

それに袋に入っていたリツソを見た城家主。 その背丈が十分に想像できる。 だからマツリが言っているのがリツソだと分かる。 十五になったと聞いていたが、その背丈は十の歳にもならない背丈のものであったことは知っている。

余裕をかましているように見せているが、心の中は焦っていることだろう。
城家主に余裕の笑みが出る。

「はて、そんな話は聞いておりませんな。 この地下に子が入ればすぐに私の耳に入るはずですが」

穴銀貨三枚を手にしたくて行列が出来ている。 マツリが現れたことによってその列の流れが止まってしまったからだ。
一度列を目にしたマツリ。

「そうか。 邪魔をしたな」

「その様なことは御座いません。 ご心配なく」

マツリが踵を返した。
マツリの後姿を追う城家主が満足するかのように目を細めた。

そしてその後も地下を歩き回っていたマツリだった。


「基本マツリは夕刻からしか動かない筈」

城家主が部屋に戻ると誰に聞かせるともなく言った。

「だがそのマツリがこんな時に動いている」

今はまだ昼過ぎだ。 地下の上空と言われる所、その岩壁には空気穴のように自然に出来ている穴がある。 その穴から陽が射している。

一年と数か月前に例外はあった。 朝早くから急にマツリが地下に入ってきた。
マツリが北の領土に何度か飛んでいた時の話だ。 リツソがハクロと共に本領の床下に潜っていた時の話しである。

「あのチビが今も宮に帰ってねーってワケだ」

城家主が部屋の隅に居た男達を見据える。

「マツリより先にあのチビを見つけ出せ! マツリに先を越された時にはお前達の首がなくなると思え!」

顔を青くした男達が頭を下げると部屋から出て行った。



布団の中にあるリツソの指先がピクリと動いた。
今はもう目に白い煙の一筋も見えない。

長い時が過ぎたが、戸口には四人と医者、薬草師が雁首を揃えて紫揺の後姿を見ている。 その紫揺は最初こそはリツソの名を呼んでいたが、何時間も前からリツソの名を呼ぶことなくリツソの頭に手をやり何やら動かしているのが分かるが、何をしているのかまでは分からない。

リツソの瞼の下の眼球がゆっくりと動く。

(あと少し・・・)

あと少し、あと少しと思いながらもどれだけ経っただろう。 何度も何度もリツソの頭付近でゆっくりと手を動かす。
何度か気が遠くなっていたが、それでもリツソを助けたいと自分の意識を繋ぎ止めた。

紫揺が昼餉もとらず休憩もせず、ずっとこうしている。 四人がどうしたものかと何度も目を合わすが、到底紫揺を止めることなど出来ない。

リツソの瞼がゆっくりと開いた。

「リツソ君?」

紫揺の声が部屋に響いた。
何があったのだろうか、それとも何もないが為に紫揺がリツソを呼んだのだろうか。 医者がそっと部屋の中に足を踏み入れる。

「・・・ひゆ・・・は」

喉の水分が足りないのだろうか、枯れた声で “紫揺” リツソがそう呼んだ。
まだ口がしっかりと動かないのだろう、頭もはっきりしないのだろう。 だが頭の中にあったどす黒い緑の塊はかなり薄くなっている。

「気がついてくれた。 うん、紫揺だよ」

布団をそっとめくるとリツソの手を取って握る。

医者が目に耳にした。 リツソの目が虚ろだが開いている、そして軽く開けられた口から声が出た。
医者が振り返り薬草師を目顔で呼ぶ。 薬草師も部屋に入ってきた。

「よく頑張ったね」

「ひゆ、は・・・」

「もう大丈夫だか・・・」

目の前が真っ暗になった。 ふわっと浮いた感じがした。



城家主の屋敷から足を進め、その後も地下を歩き回ったマツリ。 時は夕刻になっていた。

「こんなもので良いか」

「充分かと」

足を洞の出口に向けた。



「お帰りなさいませ」

マツリの服装を見れば出掛けて帰って来たのが分かる。 大半の者は宮の外を探しているが、回廊を歩いていると今でも宮の中を探している数人の者達が声を掛けてくる。

「リツソは?」

「それがまだ・・・」

「そうか」

我ながら白々しいなと口を歪めたが、その表情はリツソがまだ見つからない事に落胆しているように見える。

このまま作業所に行きたいが少々目立ってしまう。

「まずは着替えなくてはならんか」

自室に足を向ける。

普通ならまだこの刻限は宮内で働いている者がいるはずだが動く人影は少ない。 大半が宮を出て宮都内でリツソを探しているからだ。 もうリツソは見つかっているというのに、それぞれの仕事を放って無駄足を踏ませている。 そのしわ寄せが後に来るだろう。 マツリにとって決して気持ちのいいものではない。

「お帰りなさいませ」

声のした方に顔を向け頷くように顎を引く。 声を掛けられた時のマツリの反応の仕方だ。 決してにこりとはしないが無視はしない。

自室に戻ったマツリ。 キョウゲンがマツリの肩から飛んで止まり木に移動する。 素早く着替えながら頭の中で段取りを立てていく。

袖を通した直衣(のうし)によく似たそれは日本の生地のように固く分厚くなく、糊で固めてもいないし、直衣ほど野暮ったくもない。 もちろん烏帽子など被ることはない。
最後に後首の下で括っていた平紐を解くと丸紐を手に取る。 サラリと揺れる銀髪を高い位置で括りあげる。
幼い頃よりずっと一人でやってきた。 手慣れたもので人に手を借りるよりも早い。

キョウゲンには部屋に居るように言い、先ほど段取りを立てた順に足を向けようと襖を開けた。 するとそこに女官が座していた。

「何用か」

一度頭を下げると女官が辺りを気にするようにキョロキョロとし、マツリにだけ聞こえるように小声で言う。

「リツソ様が目覚められました」

女官、丹和歌が言った。
マツリの目が一点を見る。

「ですが今はまだはっきりしておられず、医者と薬草師が付いております」

マツリが頷く。

「あと一つ。 紫さまが倒れられました」

マツリの目が見開かれた。

「医者は大事ないと言っておりました」

「どこに居る」

「医者房にお運びいたしました。 彩楓と紅香が付いております」

「承知した」

紫揺が倒れるなどとは予定外だ。 段取りが瓦解しかけたが、なんとか持ち直す。 医者が大事ないと言っていたのだから一と二の間に紫揺のことを入れる。 まずはリツソだ。

足早に作業所に向かう。 誰かから見られていないか全神経を尖らせながら。 小階段から回廊を降りると横に置いてあった履き物をはく。

俤(おもかげ)の話しでは、最低でも官吏に二人地下の者と繋がっているということであった。 官吏の誰一人とも会うわけにはいかない。
リツソを探しに出ているのは下働きの者達で官吏は仕事を続けている。 今はまだ宮の中で官吏も働いている。 誰か分からない以上はバッタリとも会いたくはない。 膝を屈め腰を折って床下を歩く。

作業部屋の戸が開かれた。 医者と薬草師が振り返る。

「マツリ様」

煙がないとはいえ、木に沁み込んだ炙った臭いがまだ残っている。

「目が覚めたと聞いたが」

だがリツソはまだ横たわっている。 まだハッキリとしていないと女官は言っていた。

「一度目覚められてからまだいくらも経っておられません。 ですがその時に気付けの薬湯を飲んでいただけましたので、遅くとも明日朝にははっきりとされると思います」

「早くて」

「・・・なんとも。 どれだけ飲まされた薬湯がリツソ様のお身体の内に残っているのかが分かりませんので」

それも今までに聞いたことの無い組み合わせで、二種類の薬草を合わせて飲まされていたのだから。

「遅くとも明日朝というのは違いないか」

「まずは・・・」

医者の横で薬草師も頷く。

「紫が倒れたと聞いたが」

「大事は無いと思います。 まだ出し切れていない煙は紫さまのお力でお身体の中に入れないと仰っておられましたので」

「あの煙の中でここに入ったのか」

「いくらかは付いていた女官が出しましたが、紫さまはそれをお止めになって女官を房から出されました」

まだ燻ぶっているようなこの臭い。 どれだけあの煙を吸ったのだろうか。 それが倒れた原因だろうか。

「リツソは紫の声で目覚めたということか」

医者と薬草師が首をかしげたが、先に見ていたのは医者だ。 医者が話し出した。

「紫さまが何をされておられたのかは分かりませんが、ほんの最初はリツソ様をお呼びになっておられました。 ですがその後はリツソ様の頭の所に手を添われて・・・何やら長い間そうされておりました。 その後、紫さまがお声をかけられましたら、リツソ様が目を開けられ、お声が二度聞こえました。 紫さまが倒れられたのはその時で御座います」

「手を添わせていたというのは、いかほどの時を要した」

手を添わせていたということは、紫揺が紫の力を使ったのだろう。 ハンの時にそうしていたと聞いている。

「・・・三辰刻(さんしんこく:六時間)は」

時を告げる鐘の音からするとそれくらいにはなるだろう。

「三辰刻?」

あの紫揺のことだ、休みなど入れていないだろう。 その間ずっとこの燻ぶっているこの臭いの中に。 この臭いにやられたか、それとも長時間紫の力を出して倒れたのか。

「医者も薬草師も鼻が慣れ気付いておらんようだが、まだまだ臭いが残っておる。 房を替えるが良いだろう。 そしてこの房の戸と木窓は開け放しておくが一番だ。 職人が入ってきては鼻を曲げて手先が狂う」

医者と薬草師が目を合わせた。 臭いは完全に抜けていると思っていたからだ。

「あとを頼む」

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第13回

2021年11月22日 22時37分14秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第10回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第13回




「城家主が本当に金貨を渡すと思ってんのか?」

「あーん?」

振り返りながら思いっきり顔を歪めてみせる。
距離は歩いた歩数ほど広がっていない。 ついてきていたようだ。

「渡すわけねーよ。 城家主はそんな奴だ。 用無しに払う金なんか持ってねー。 だがそれを聞いた時には、もうこの地下にお前はいねえ」

僅かに辺りを気にしながら言っているようだ。

「だがさっきお前はリツソを見つけた奴をボコって自分が見つけましたって顔をして城家主の所に行くって言ってたじゃねーか」

「一見(いちげん)は用無しってことだ」

追って来ていた。 斜め後ろにやって来た。 俤が前を向きそのまま歩き出す。

「お前は一見じゃねーってことか?」

斜め後ろに居る男に聞こえるように言う。

「まぁな」

「何でそんなことを俺に言うんだ?」

「お前の自信過剰が気に入った」

鼻の横を掻きながら言う。

「そうかい、ありがとよ。 だが俺は探しに行く、じゃあな」

足を早めるふりをする。

「止めとけって。 俺はそんな奴を何人も見てきた」

とうとう路地を出る角に出た。

己のことを怪しんでいるわけではなさそうだ。 それよりコイツは探している者にかなり近いようだ。 さて、どうやって話を切り出そうか。

「チッ、マツリだ」

え? と思って男の目の先を見た。 間違いなくマツリが前から歩いてきている。

「昨日も見たが・・・」

俤が白々しく言う。

「マツリがリツソを探しているらしい。 宮の者が大探しだとよ」

地下ではリツソの名前とその馬鹿っぷりが知れ渡っていた。 だからいつかは誰かが手を出すだろうと思われていた。 俤はそれをマツリに報告をしていた。

「それでか。 それで城家主も地下に居るかもしれねーってことで探してるってわけか」

「そういうわけじゃねーんだがな」

「わけじゃねーって、どういうことだ?」

白々しく俤が言う。

「いや、そこまでは言えねーがよ、あのチビがこの地下のどこかに居るはずだ。 それは確かなんだがな」

「お前、色々とよく知ってるようだな」

俤が男に対峙するように身体の向きを変える。

「まぁな、一時は城家主の屋敷にいたからな」

「そういう事か」

やはり城家主の隠れ手下ということか。

「ヘマでもやって追い出されたか」

「ヘマなんざやっちまったら今頃生きてないわな」

「おおコワ」

わざと大袈裟に怖がってみせる。

「今はこの地下で城家主に逆らう者がいないか見てるだけだ」

「へぇ、さっき俺が言ったみたいなことということか?」

「オレだけじゃねーんだからな。 だから声高に言うなってんだよ」

「へい、へい」

「おやっさんの時代は良かったのになー、今じゃこうして逆らう者がいないかコソコソだ」

「おやっさんってのを俺は知らねーが、時々聞く。 そんなに良かったのか?」

「ああ、おやっさんはこの地下だけで・・・この地下を上手くまとめてた。 ヤサグレ者の集団をな。 だが城家主はまともに地下をまとめられないどころか、本領にまで手を出してやがるんだからな」

「本領に?」

マツリの言っていた見張番と繋がるのだろうか、そうであるのならば確かめなければならないし、本領に手を出したと言っているのだ、他の可能性であっても探らなければ。 だが思わず訊き返してしまった、これでは何も知らないということになる。 そうなれば何も話さないかもしれない。

「ああ、そういやぁ、そんなことも聞いたか。 ここのところ手下もよく外に出て行ってるのを見るな、ろくでもないことをしてんだろ」

「ああ、見たのか。 そうさな、ろくでもないことをしてやがる。 いや、させられてる」

「させられてるって、手下なら当たり前だろう」

「当たり前って、まぁ、そりゃそうだがな。 だがな、そんなことはこの地下に来る前に大体の者が終わらせてきた事よ。 それをまたこの地下に来てまでってな。 やらされてる方もたまったもんじゃねーわさ」

「へぇー、いったい何をやらされてるんだか」

俤が言うと男が辺りを気にしながら「誰にも言うなよ」と言い置いて続けた。

この男によると、手下の者を本領に向かわし強盗を働いているという。 この男も何度か行かされたらしい。
その上、何日もかけて領土の山の中を歩き、麓に下りると商人の荷車も襲っているということだった。

「金銀、飾り石があの屋敷にゃ五万とある」

「へぇー、羨ましいこった」

「おい、落ちぶれてここに来たのは分かるが、本領に出て悪さをするのだけはやめとけよ。 本領相手じゃ逃げも隠れも出来やしねー。 だからオレはそれが嫌になって屋敷を出たくらいだからな」

「肝に銘じておくよ」

自分が疑われていないであろうことは分かった、そこのところに気を向ける必要はなくなった。
この男の話によると強盗に商人の荷車襲撃、当然見過ごせる話ではないが見張番のことは知らないのだろうか。
だがどうしてこの男はこんな話をするのだろうか、いやそんなことよりもっと突っ込んだことをこの男は知らないのであろうか。

「おい」

マツリの声だ。
二人がマツリを振り返る。

「チビッコイのを見なかったか?」

「さーてね、まずこの地下にゃあチビなんて居ませんぜ」

「そうか」

そう言うと路地の奥に歩いて行った。

「噂通りだな」

「出来ない弟を持つと兄が忙しくなるってことか」

「さぁ、弟だけかどうか」

「どういうこった?」

「領主も抜けてるんじゃねーか、ってことだ」

「あの領主が? まさか」

「裏切り者に気付いてねー」

「宮に裏切り者が居るってことか? え? どういうこった、城家主と繋がってるってことか?」

「オレの知る限りじゃ、見張番に三人。 官吏に二人」

「ウソだろ!?」

知っていたのか。 だが見張番の名前など知らないはず。 何をどうやって聞き出そうか。

「ウソなもんか。 一度だけだがオレが情報を聞いてきたんだからな。 報酬の金も渡しに行った」

情報? 何の情報だろうか。
喰いついて、肩を鷲掴みにして揺さぶって訊きただしたいがそんなことをしてしまえば元も子もない。 冗談めかして話を続けさせるしかない。

「なんでー、お前の知り合いだったってのか?」

「そんなことあるわけねーだろーが、顔も見たことねー奴さ」

「にしても、いくら何でも領主が気付かねーわけねーだろ」

「なんだ、このオレを疑うってか? さっき言っただろ。 何日もかけて本領の山の中を歩いて商人の荷車を襲うって」

「あ? ああ」

「商人の荷車がいつどこを通るかなんて、この地下でどうして分かると思うんだ」

「え?」

「官吏からの情報だ」

見張番の話ではなかったのか。

賊の出やすい所は都司からの命令で、各都に常駐する武官が見回ることになっている。 その行程はまず書簡で商人から宮都に知らされ、宮都で承諾されてから都司に知らせが行き武官が動く。 その商人の行程を宮都の官吏が目にするということである。

「まさか、だな。 ってことは・・・その、領主の周りに侍ってる・・・なんてったっけ。 ああ、お付きって奴らもか?」

疑われるかもしれないが、ここは念を押して訊いておかねばならない。

「そりゃないな」

疑うことなく答えてくれた。

「お前が知らないだけだろう」

「いや、ない」

「その官吏とやらに手玉にとられてるってことも考えられんだろ」

「そんなことをしたら官吏が自分で自分の首を絞めることにならーな。 宮のお付きってのは地下にはかすりもしてこねーんだよ。 誰よりも領主の怖さを知ってるからな」

「お付きも肝っ玉がちっせーてことか」

疑われはしなかったようだ。 少なくともこの男からは側付きやお付き、従者を怪しむことは無いと分かった。 見張番のことを言っていた程だ、口にこそしなかったがマツリもこの事を気にかけているだろう。

「それだけじゃねーと思うがな。 領主は城家主と違って配下にまっとうなことをしてんだろ」

「あの城家主のことを考えると、そりゃ納得がいけるか。 そうか、お付きはもちろんだろうが、官吏にしろ見張番にしろたんと貰ってるってことか。 それなのに金で釣られたか。 たんと貰ってるはずなのによう。 お偉いさんのするこたー俺には分かんねーな」

官吏や見張番を “お偉いさん” と言って揶揄して言ってみせる。

「そう言っちまうと官吏が可哀想だ」

「金で釣られた奴のどこがだ?」

「それゃ言えねーな。 それに肝のちっせーのは城家主だ。 城家主はマツリを一番恐れてるからな。 領主は宮を出ないがマツリは本領の中でウロウロしてるだろ、そのマツリが本領を空けた時に強盗に入る。 で、その為には見張番が必要ってことよ。 コソコソとしてやがるぜ」

(何を隠してやがる)

金で釣られたと言ってしまえば官吏が可哀想? それはどういうことなのだろうかとは思うが、見張番、いま男がその言葉を出した。 今を逃せば訊く切っ掛けをなくしてしまうかもしれない。

「へぇー、じゃ、その見張番ってのこそお前の知り合いか?」

わざとおちょくるようにニヤケてみせる。

「馬鹿言うな、官吏や見張番に知り合いなんかいるもんかい、顔も何も知らねーよ」

(知らないのか)

今はこれ以上訊くと怪しまれるかもしれない。 時を置いた方がいいだろう。
俤が胡乱な目で男を見る。

「なんだってんだ、その目は」

「どうしてそんなことを俺に言う?」

「お前の自信過剰が気に入ったって言っただろ」

「お前が今言ったことを俺が城家主に話したら、お前は生きてられねーってのにか?」

「お前はそんなことをするかい」

「何をもってそう言ってんだ?」

「自信過剰なやつは姑息なことをしねーってもんだ」

「はっ、お前のその思い違いを起こしている脳みそを、一度水で洗うこったな」

男が両の眉を上げる。

「そうしてみるか」

やけに嬉しそうな顔をして言う。

「なんだ? 気持ちの悪い」

「ここに来る前に息子によく言われた。 親父の腐った脳みそを洗えってな」

「けっ!」

「新顔に言ってる前に、お前がこんな地下にいつまでも居るんじゃねーよ。 さっさと出ちまいな」

新顔を見ると金を渡し、地下を出ろと言っていることだ。

「おい、どうしてそれを知ってる」

去ろうとした男の胸ぐらをつかんだ。

「目立ってる。 気を付けな。 陰でお前のことは言われている。 まぁ、悪いこととしてではないがな。 だが城家主にも気付かれてる。 目を付けられる前にさっさとここを出な」

俤が手の力を緩めた。 その手を男が掴んで胸倉から外す。

「お前は息子によく似てる」

男が路地に入って行った。 その背中を見ていたが、路地の奥で曲がって見えなくなってしまった。
己が疑われて城家主があの男を己に近づけたのだろうか。 すると今聞いた情報は作り事なのだろうか。

今聞いた情報をマツリに流し、見張番や官吏が捕らえられれば疑うことなく己が情報を漏らしたことになる。 試されているのだろうか。
いや、あの城家主ならそんな回りくどいことをしないであろう。 疑っているくらいならさっさと捕らえるはずだ。

「あの男・・・」

そう言えばあの男を何度か見たのは、視線に気付いて振り返ったり顔を上げたりした時だ。 己を疑って見ていたのではなく、あの男が言っていたように、息子と似ていて見ていたのだろうか。
そして城家主のやり方を言って己をここから出そうとしたのだろうか。 本領で正しく生きろと言いたかったのだろうか。 己が城家主に目を付けられる前に。

だが己がやっていることを気付かれても、疑われても城家主に捕らわれてもいい。 掴んだ情報はマツリに告げなければ。
いつもマツリと会う路地に向かった。



四方との挨拶をし終えた紫揺。 着替えている時に彩楓(さいか)からマツリから聞いたという話を聞かされていた。 もちろん紅香(こうか)も聞いていた。

『じゃ、本領領主さん・・・ああ、回りくどい。 四方様との御挨拶の後はどうすればいいんですか?』

“最高か” が目を合わせる。

『わたくしたちにお任せください』

“最高か” は宮内の隅々まで知っている。 最初はまるで紫揺がシキの元に行くように見せかけ、その紫揺を床下に誘(いざな)っていた。
門番にまでその姿を見せることは必要とされていないだろう。 もしそうであればマツリが違う言い方をしたはずだ。

「紫さまにこのような所をお歩き頂くのは申し訳ないのですが」

先を歩く彩楓が言う。
後方に目を光らせているのは虹香だ。
そしていつの間にやら紫揺の着る裾を持っているのは丹和歌(にわか)と世和歌(せわか)姉妹である。

「どうってことないです」

頭を打たないように腰を屈めている紫揺が言う。

彩楓の話しからリツソは普通ではない、何かがあったと覚ることが出来る。 『紫さまには何をご覧になっても大声を出されませんようにと』 彩楓が言ったそれはリツソのことであろう。 リツソを見て大きな声を出さない様になどと、どう考えても普通の状態ではないということだ。

「あと少しで出ることが出来ますので、今少しのご辛抱を」

「そんなに気にしないでください。 全然、大丈夫ですから」

彩楓が紫揺を振り返る。

「私より背の高い皆さんの方が大変でしょう?」

彩楓を見て言うが、それは紅香や丹和歌、世和歌姉妹にも言っている。

丹和歌、世和歌姉妹を紹介された時には、この本領領土は “か” で終わる名が多いのだろうかと紫揺が思ったが、そうではなく偶然だったようだ。

丹和歌、世和歌姉妹は “庭の世話か” と覚えたが、あくまでも後につく世和歌が姉だということは忘れないでおかなければならない。

「そのようなことを紫さまがご心配されるなど・・・」

「後でいくらでも腰を揉みます。 付き合ってもらって御免なさい」

「む・・・紫さま・・・」

彩楓だけではなく、他の三人も口の中で紫揺の名を呼んでいた。

床下を抜け裏側に出た。 そこは作業所(さぎょうどころ)と言われる場所であった。
腰を伸ばした紫揺と “最高か” と “庭の世話か”。 四人が辺りを警戒しながら作業部屋に進む。 いま宮ではリツソ探しに作業者もかり出されている。 辺りに人はいない。

彩楓が紫揺と “庭の世話か” と共に作業部屋の前に、紅香が作業部屋の裏に回った。 その紅香が医者を見つけた。

「マツリ様から言いつかってご案内して参りました」

紅香が医者に言うと医者が心得たように頷く。

「どちらに?」

「作業房の前にお待ち願っております」

「分かりました」

医者が木窓をコンコンと叩く。 暫くして木窓が開くと白煙が木窓からもうもうと出てきた。

医者が作業部屋の前に回る。 紅香がその後ろをついてくると医者が紫揺を含む四人の女人を目にした。 そのうちの二人は紫揺の裾を持っている。 裾を持たれている紫揺がリツソに会いに来た女人なのだと分かる。

「ここからお離れ下さい」

四人と後ろをついて来ていた紅香を二つ隣りの作業部屋まで退かせる。 薬草師が戸を開けると炙っていた白煙が出てくる。 それを吸わせるわけにはいかない。

間もなく、手巾で口を押えた薬草師が作業部屋から出てきた。 薬草師を追うように更に白い煙が出てくる。

「この煙をお吸いにならないよう、しばしお待ちください」

医者の後ろに居る五人に肩越しに言う。

「どうだ」

医者が薬草師に問う。
薬草師が首を振り「何の変化も見受けられません」 と答えた。

この中にリツソが居るのか? リツソに何があったのか、紫揺が不安を隠せない顔になっていく。

「こちらの方は?」

振り返った医者が紅香に問う。

「東の領土の五色様、紫さまに御座います」

何故か胸を張って言う。

「東の領土の五色様が・・・。 そ、そうですか」

紅香に言うと次に紫揺に目を向けた。

「紫さま、こちらにリツソ様が居られます。 この煙がなくなりましたら、リツソ様にお会いできますが大きなお声を出されませんよう」

大きな声を出さないようにと彩楓からも聞いているし、ややこしい話も聞いている。 それに人目を避けるように床下を通って来たのだ、秘密の事だと充分に分かる。 大声を出して誰かに見つかってはいけないだろうことは、言われれなくても分かっている。
いったいリツソに何があったというのか。

リツソの尻から尻尾でも生えてきたのだろうか、それとも背骨から山の形をした恐竜のようなイガイガが出てきたのだろうか、いや、それとも頭に角か。 足がなくなって人魚のように尾びれになったのだろうか、それとも嘴(くちばし)のようなモノが生えてきて河童になったのだろうか。
想像はどんどんと膨らんでいく。 でもどんな姿になっていても、リツソには違いない。

「リツソ君に何があったんですか?」

声を殺して言う。

「煙がなくなるとお会いできます。 リツソ様は今、薬草を飲まされて昏睡状態にあられます。 リツソ様にお声を掛けて頂ければ、お目覚めになるかもしれません」

医者の話から恐竜になったわけでも人魚や河童になったわけでもなかったようだ。 ほんの少し前には、どんな姿になっていてもリツソには違いないとは思ったが、紫揺に泣きながら抱きついてきたリツソを見下ろした時に、河童の皿が見えてはどんな顔をしていいのか分からなかっただろう。

安堵の息を吐きたかったが、昏睡状態と聞かされては安堵も何もない。

「昏睡?」

「今日の夕刻で丸三日になられます」

「三日?」

日本の医療であれば、昏睡状態が続いても栄養や水分は点滴や経管栄養から摂れる。 だがここは日本ではない。
医療のことはよく分からないが、それでも三日も水分を摂らなければ脳に支障をきたすかもしれない。 一刻も早くリツソに声を掛けたい。

「私は五色(ごしき)です。 五色(ごしょく)を一人で持つ者です。 煙を体内に入れないことなど容易いことです。 入ってよろしいでしょうか」

自信がなくとも自信ありげに言わなければ。 それに問うている言葉ではあるが、否とは言わせない口調である。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第12回

2021年11月19日 22時43分30秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第10回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第12回



宮に降り立ったマツリ。 すぐに目当ての人物を探すが見当たらない。

「簡単には探せんか」

宮は広い。

「アイツを待つしかないか」

独り言のように言うマツリにキョウゲンが苦言を呈する。

「紫で御座いましょう。 言い慣れておられないと、つい出てしまいます」

お前と言っていたのを肩の上で何度も聞いている。
マツリが口を歪めると何かを思い出したように、そうだ、と言いながら四方の執務室に足を向ける。

「東の領土で飾り石の話をし終った時、領主の元に戻ったアイツ―――」

「紫で御座います」

マツリの言葉にキョウゲンが重ねてきた。 マツリが片眉を上げる。 こんな風に言えるのはキョウゲンくらいだろう。

「・・・紫を待とうかどうか迷っていた時、紫がかなり慌てていたようだがもういいのではないかと言ったが? あれは後ろを見ていて計算ずくで言ったのか?」

「そんなところでしょうか」

ナイスタイミングであった。 キョウゲンに跳ぼうとした時に紫揺が 『帰るんじゃないわよー!!』 と叫んできた。
キョウゲンに乗ってからでは遅い。 蹴り上がっていては後に引けないところであったし、マヌケのように待っているのも白々しかっただろう。
あのタイミングのお蔭で領主に念を押すことが出来た。

肩に止まるキョウゲンを目の端に映す。

「つくづく俺は父上に良い供を選んでいただいた」

あの時だけに限らずだが。

「恐れ入ります。 それもこれも、マツリ様のお言葉があってのことで御座います」

たしかにリツソではここまでキョウゲンを引き上げられなかっただろう。 現にカルネラがあの状態だ。
マツリが歩を進める。

「マツリ様がお見えで御座います」

まだ顔色の悪い四方の側付きが、細く開けられた襖に耳を傾けたあとに四方に言った。 四方がまだ顔色の悪い側付きを見て僅かの溜息の中で頷く。

この側付きの顔色の悪さは四方が気に留めているだけではなかった。

『おや? どうした、顔色が悪いが』

回廊を歩いている時、朱禅に呼び止められた。
朱禅は頭の回転が速い。 その朱禅は言ってみれば己の師である、だがリツソのことを知らない。 朱禅に知られたとて困る話ではないが口止めをされている。 下手なことを言って知られては困る。

『どうも最近寝付けませんで。 歳で御座いましょうか』

『私よりも若い者が何を言っておりますか、薬草師に言って寝つきのよくなる薬湯を出しておくように言っておきましょう』

『かたじけございません』

『体に無理があるようなら四方様に申し出て少し休ませて頂きなさい』

『有難う存じます』

『くれぐれも無理をせぬように。 四方様には失礼な言い方にはなりますが、あなたあっての四方様と考えて行動するよう。 それほどに四方様にとって必要なのですからね』

言って頂いた事に有難く思いながら、リツソのことを隠していることに頭を下げながら 『はい』 としか言えなかった。

四方の斜め左右には二人の官吏が付いて、同じように書類に目を走らせている。
机の上の書類が一向に減らない。 四方が手を置く。

「失礼いたします」

「どうだった」

肩が凝ったのか、首をまわしている。

「姉上の宮帰りは父上の仰る通り、まだ早いということに致しました」

そこでいったん切る。 でなければ話が伝わらないだろう。
なんのことかと四方がピクリと眉を動かしたが、そのまま首をまわす。

「東の五色を姉上の話し相手に呼びました」

「そうか」

まわしていた首を止め、今度は左右に首を傾けボキっと大きな音を鳴らす。

「姉上の所に行ってもらわねばなりませんので、領主と ”古の力を持つ者” には控えてもらいました」

「紫一人というのか?」

「岩山まで我が付いておりましたが、岩山からは見張番に任せて我が先に飛んで来ましたのでまだ着かないかとは思いますが、姉上の所に行く前に父上への挨拶がありましょう。 その・・・時はございますでしょうか」

山のように積まれている書類に目をやる。 わざとらしく。

「ああ、少しの時くらいは何ともない」

「お疲れで御座いましょう。 少し休まれてはいかがですか?」

四方を見てから二人の官吏にも目を移す。

「そうだな・・・。 少し茶でも飲んで休むとしようか」

襖の前に座していた側付きが襖を開けると外に居た従者にその事を告げる。

この四方の側付きはリツソのことを知っている。 だが今日は地下の様子をまだ見ていない。 この側付きが信用するに値するのかはまだ分からないし、もちろん四方の斜め左右に居た官吏にも疑いを持たずにはいられない。 この官吏たちは見張番の長である剛度と接点は無いが、剛度が言った官吏だけとは限らないのだから。

「二人とも疲れただろう。 茶でも飲んでくるとよい」

左右に座っていた官吏が書類の山を見てから息を吐くと席を立った。
さっきマツリが官吏を見たのを察してくれたようだ。

「姉上が宮帰りを言い切られなくて良う御座いました。 宮に帰って来られればリツソのことが姉上に知れて、母上のみならず姉上まで涙に暮れましょう」

官吏を遠ざけたのにまだマツリが警戒を解かない。 己の側付きにも警戒しているということか。
それは四方にとって心外であった。 四方は側付きを疑う気などさらさらなかった。 四方とこの側付きには長い歴史がある。 だが現状動いているのはマツリだ。 今はマツリの思うように従うしかない。

すぐに襖が開いて茶が用意された。
執務机ではなく長卓に茶が置かれる。 四方とマツリが長卓についた。
茶を持ってきてから下がろうとした女官をマツリが止める。

「たしか以前、姉上に付いておったな」

「はい」

「もう少しすれば東の領土の五色である紫が来る。 ずっと紫に付いていた者がおったであろう、二人ほど。 その者達を呼んでくれるか」

マツリが探していた女官である。 探す手間が省けた。

「畏まりました」

盆を手にした女官が下がっていった。

「姉上の所に行くときには紫にその者たちを付かせましょう」

四方が頷く。

「母上のご様子は?」

四方が側付きに目を移す。 側付きが頷き襖をあけて出て行った。 このような内容であるならば、襖の外に座る従者に言うのではなく、側付き自らが澪引の様子を見に行くのは分かっている。

「何があった」

声を潜めて言う。

「見張番だけではなく官吏にもいるかもしれません。 父上には申し訳ありませんが、一度地下に行って、まだ地下の者がリツソを探しているようなら、少なくとも父上の側付きと、あの時リツソを見た者は信用できるかと」

「官吏が・・・」

「その者が見張番の人数を増やしたようです」

「なに?」

「官吏からの命で見張番が二人増えたようです。 随分と前に一人、そして最近に一人。 ご報告はありませんでしたか?」

四方が腕を組む。 無かったということだ。

「今日は一人、新しく入ったという者をこの目で視てきました。 その一人は確定かと。 残念ながら全員を見ることは叶いませんでした」

あの時、見張番と話した。 その間に見張番の目の奥を見ていたということだ。
魔釣の目はしっかりと視なければ、禍つものか怒りや邪心かは見分けがつかない。 人は誰でも怒りや邪神を持っているのだから。 それを見るために見張番にしろ四方の側付きや官吏にしても、何の会話もなくじっと目を見るのは不自然なことである。

「紫を誰にもわからずリツソの所に連れて行きたいのですが、それにはさっき申しておりました姉上に付いていた者がよろしいかと。 あの者たちはまずまず大丈夫でしょう。 我から話しておきます」

「見張番を増やした官吏のことはこちらで探っておく」

「宜しいのですか?」

書類の山に目をやる。

「また六都(むと)で大きなことがあったようだが、何とかなるだろう」

失礼いたします、と襖の外から声が聞こえた。 入ってきたのは “最高か” であった。
そのすぐ後に四方の側付きが入ってきた。 “最高か” が身を引く。

「お方様におかれましては・・・」

側付きが頭を下げた。

「まだ、ということか」

四方が言うと、マツリが口を一文字にする。
その様子を見ていた “最高か” がどうしたものかと互いに目をやる。

「ああ、すまない。 名はなんという」

「彩楓(さいか)に御座います」

「紅香(こうか)に御座います」

「彩楓、紅香、あと少しすれば紫が一人でやって来る」

“最高か” の目に星が宿ったように見えたのは気のせいだろうか。

「父上に挨拶を済ませたら姉上の所に向かわせる。 紫に付いてやってくれ」

キャ! っと聞こえたのも気のせいだろうか。

「紫は馬に乗ってやって来る、まずは着替えをさせてやってくれ。 それと・・・紫も一人では心細いであろうから門で待ってやってくれ」

絶対に心細くなど思うはずはないと思いながら口にする。

“最高か” が「畏まりました」 と深く礼をすると部屋を辞した。 二人が見つめ合うと互いに頷く。 無言の頷きは門へ紫揺を迎えに行く者と衣裳を用意する者とに分かれるということである。
官吏たちも茶を飲み終えたのだろうか、部屋に戻ってきた。

「では再開をするか」

四方が上げたくないであろう腰を上げる。

「お邪魔をいたしました」

「たまにはこうして休みを入れる方がはかどるだろう。 これからは詰めてばかりも考えものだ」

「ご無理をされませんように」

「ああ、ではリツソのことは頼んだ」

もし官吏が地下と繋がっているのであれば、今からリツソを探しに行くということを官吏たちに聞かせているのだろう。 そして側付きは地下と繋がっていようがいまいが、リツソが宮に居るのは知っている。 四方の言葉にどう動くかは、この側付きの立ち位置で変わるだろう。

はい、と応えたマツリが部屋を辞し門に向かう。 その足取りは早い。

「マツリ様」

内門の番の者の声に彩楓が振り返る。 するとついさっき別れたはずのマツリがこちらに向かって歩いて来ているではないか。

彩楓を過ぎ内門番の近くまでやって来た。

「門番、もう少ししたら東の領土の五色が見張番と共に一人でやってくる。 すぐに門を開けるよう」

「承知いたしました」

門番に告げるとマツリが振り返る。

「彩楓だったな、もう一人は」

「紫さまの御衣裳をご用意しております」

「そうか。 どこに居る」

「衣裳部屋に御座います」

そんなところに男は入れないし、マツリがそんな所の近くにも行けるはずがない。

「少しこちらに」

門番から離れた所に彩楓を呼ぶ。

普通の者なら、マツリに名を訊かれただけで驚くだろうし、こちらに来るようにと言われれば男なら身が引き締まり、女でマツリに憧れている者なら耳まで赤くするだろうし、そうでなくても常から硬い表情をしているのだ、何事かと心臓を撥ね上げるか身を強張らせるだろう。 だが彩楓のハートは紫揺に向いている。 マツリに呼ばれたからと心臓を撥ね上げることもなければ、身を強張らせることもない。

「先ほどの話しは真実ではない」

小声で言うマツリに彩楓が目を何度かパチクリとさせる。

「紫は来るが姉上の所には行きはせん。 父上に挨拶を済ませた紫をさも姉上の所に行くように見せ、誰にも見つからぬよう作業所(さぎょうどころ)の作業房へ連れて行ってくれ。 そこに薬草師か医者がおる。 紫を会わせるようにと我から言いつかったと言えば、あとの事はどちらかがやってくれる」

何がどうして、などと問うこともなく彩楓がコクリと頷く。

「よいか、絶対に誰にも見つかるのではない。 父上は何もかもご存知だ、父上が何かを仰られればそれに合わすよう。 それと紫には何を見ても大声を出すなと言っておくよう。 あと一人・・・紅香にも伝えおくよう」

彩楓がもう一度頷く。

「我が戻ってくるまでそのまま作業所に居るよう」

「承知致しました」

「では頼む」

他出着に草履というおかしな格好をして足早に戻っていくマツリに頭を下げて見送った。

見送られたマツリ、次に誰にも見つからないよう作業所に足を向け、医者に紫揺のことを話すとすぐに作業所を離れ回廊を歩いた。
自室の前に置かれていた長靴を履く。 キョウゲンがマツリの肩から飛び立ちマツリが勾欄を蹴り上げた。



「よう、景気はどうだ?」

何をすることもなく、路地に座り込み乾燥した薬草を砕いて紙で包んだ乾燥草を吸っている男に声を掛けた。

「いいわけ無いだろうが」

「宮のリツソって知ってるか?」

「ああ、ろくでもねぇーって噂わな」

男が煙を一口吸い、その煙を吐き出しながら言った。

「見たことは?」

「んなもん、あるわけねーだろ」

「そうか。 明るい黄緑の水干を着たこれくらいの背丈のを見なかったか?」

背丈を現した手の高さはかなり低い。

「水干? そんなものを着てたら今ごろ身ぐるみ剥がされてるだろーよ、知らねーよ、そんなチビ。 第一そんなチビがここに居るはずねーだろうよ」

「知らないか。 ・・・城家主が人を雇ってるぜ」

「は?」

「そんなにはならないが、酒は呑めるぜ」

「本当の話しかよ・・・お前は?」

疑いの目を向けてくる。

「当たり前だろう」

穴銀貨を三枚見せた。

「三枚かよ」

「目当てのヤツを見つければ金貨十枚らしいぜ」

地下でそんな大金を持っている者などいない。

「ウソだろ!? さっき言ってたリツソか?」

「自分の目で確かめな。 城家主の屋敷だ」

男が吸っていた乾燥草を投げ捨てその場を走り去って行った。

「火くらい消していけよ」

俤(おもかげ)が草履で火を消す。

「アイツも城家主の隠れ手下(てか)じゃなかったか」

頭をがしがしと掻く。
俤は今、城家主の隠れ手下を探していた。 噂では城家主の隠れ手下が屋敷を離れて、あっちこっちに散っていると聞いている。 噂をどこまで信じるかは難しいところだが。
“隠れ” と言われるからには、相手はいつも堂々と城家主の手下としているわけではないだろう。 探すのに苦労する。

マツリに言われていた、どの見張番が地下と繋がっているのかを訊きだしたいが、リツソが居なくなってからというもの、手下たちが上手く捕まらない。 目先を隠れ手下に移したのだが、なかなか上手くいかない。

「アイツで何人目だ・・・」

ため息が出てくる。
そこにポンと肩に手を置かれた。

「よう」

横を見ると何度か視線を送ってきていた奴が立っていた。 己のことを怪しんでいるのかと思っていた相手だ。
とうとう声を掛けてきた。 緊張が走る。

「なんだよ」

先走ってはいけない、肩に置かれた手を撥ねる。

「しけたツラしてんな」

「ほっとけ」

「金がないなら城家主が人雇いをしてるぜ」

さっき自分が吐いた言葉と同じことを言う。 この男はいったい何者だ。 己の正体がバレているのなら、それなりに考えなければいけない。 だが出来るならば何事もなく終わらせたい。 このままコイツを探るしかない、喋らせるしかない。
怪訝な目を送り穴銀貨三枚を見せる。

「なんだよ、知ってたのか。 で、見つかったか?」

「見つけてたら、こんなとこに居やしねーよ」

「それでしけたツラか」

「お前も探してるってわけか?」

「まあな。 穴銀貨三枚でブラブラ」

「探す気はないってのか? 見つければ金貨十枚だってのに?」

「リツソを見つけた奴を偶然にでも見つけられればいいんだがよ」

「はぁ?」

「そいつをボコってオレがリツソを見つけたことにすればいいだけだ」

そんなことはこの地下では珍しくもない。

「へぇー、だが俺が見つけた時には諦めな。 お前にやられる程ボケてねーしな。 俺にかかってくる時には命を捨てる気で来いや」

「なかなかの自信家だな。 それなら城家主の手下にでもなれば、そんな穴銀貨三枚に踊らされることもないだろうによ」

「人の下につくなんざ御免だ」

「へぇー」

疑うような視線を送ってくる。 やはり感づいているのか? それとも。

「なんだよお前。 え? もしかして城家主の手下になる奴を探してるのか? 手下なんて普通で考えればゴロゴロいるだろうに。 金目当ての奴はここにはバカ程いるのに、それでも集まらないってか? 城家主も落ちたもんだな」

「そんなことをあんまり声高に言うんじゃねー。 オレがその手下だったらどうする気だ? 城家主に筒抜けだ。 いくらお前の腕に自信があるからって、何人もにかかられちゃあ、生きちゃいられねーだろが」

「お前は城家主の手下じゃねーって言いたいのか?」

「まぁ、な」

「なんだよはっきりしねーヤツ。 用がないならもう行くぜ。 金貨を頂かなくちゃいけねーんだからな」

路地を出る方に歩き出す。 ついて来いと念じながら。

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辰刻の雫 ~蒼い月~ リンクページ

2021年11月15日 22時18分42秒 | 辰刻の雫 ~蒼い月~ リンクページ
『辰刻の雫 ~蒼い月~』 目次



第 零回
第 1回第 2回第 3回第 4回第 5回第 6回第 7回第 8回第 9回第10回
第11回第12回第13回第14回第15回第16回第17回第18回第19回第20回
第21回第22回第23回第24回第25回第26回第27回第28回第29回第30回
第31回第32回第33回第34回第35回第36回第37回第38回第39回第40回
第41回第42回第43回第44回第45回第46回第47回第48回第49回第50回
第51回第52回第53回第54回第55回第56回第57回第58回第59回第60回
第61回第62回第63回第64回第65回第66回第67回第68回第69回第70回
第71回第72回第73回第74回第75回第76回第77回第78回第79回第80回
第81回第82回第83回第84回第85回第86回第87回第88回第89回第90回
第91回第92回第93回第94回第95回第96回第97回第98回第99回第100回
第101回第102回第103回第104回第105回第106回第107回第108回第109回第110回
第111回第112回第113回第114回第115回第116回第117回第118回第119回第120回
第121回第122回第123回第124回第125回第126回第127回第128回第129回第130回
第131回第132回第133回第134回第135回第136回第137回第138回第139回第140回
第141回第142回第143回第144回第145回第146回第147回第148回第149回第150回
第151回第152回第153回第154回第155回第156回第157回第158回第159回第160回
第161回第162回第163回第164回第165回第166回第167回第168回第169回第170回
第171回第172回第173回第174回第175回第176回第177回第178回第179回第180回
第181回第182回第183回第184回第185回第186回第187回第188回第189回第190回
第191回第192回第193回第194回第195回第196回第197回第198回第199回第200回

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第11回

2021年11月15日 22時17分07秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第10回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第11回



「手を添えてどうなった」

「冷えが身体の中から出て行った」

「手を添え何をした。 いや、待て。 その前に何故体の中にヒトウカの冷えがあると分かった」

「ヒトウカの冷えって分かったのは、あとからセノギさんに教えてもらったから。 だからその時はヒトウカの冷えによるものだってことは知らなかったけど、その人の身体を支えようと思ったら普通じゃない冷たさを感じて、改めてその人がリラックスをしている時に見たら身体の中にある冷えが視えて、それが足の裏から少しずつ漏れてるのが視えた」

小学生並の作文が終わった。

紫揺の話は短くても訊き返さなくてはならないところがある。 ましてやこの作文は長すぎる。 もっと要所を掴んで短くし、その分説明の足りないところを補って欲しいと心の中でマツリが思う。

「りらっくすとは、何をしていた時だ」

「あ、ああそっか。 何もしてなくて楽~にしている時」

最低限でもカタカナを使っては通じないのだった。

「身体を支えたと言っておったが、それほどに悪かったのか」

「膝がやられていたこともあったけど、かなり身体の中が冷えてたから臓器もまともに動いてなかったと思うし、身体中の筋肉や骨、筋も固まっていたと思う。 私も二次的に冷えにあたったから分かるけど身体がまともに動かなかった。 立つことも出来なくなったし」

(それで抱き上げられたということか)

北の領土にいるヒトウカの冷えがどういうものかは知っている。

「身体の中の様子が視えたと言ったが、どんな風に視えた」

「うーん、と・・・。 そのヒトウカの冷え? が見えたのかな? 煙みたいにボワボワしてた。 濃い所や薄い所も視えたし、その流れも視えた」

(だから足の裏から漏れているのも視えたということか)

それを五色の紫の目で視たのか。

「手を添え何をした」

「んっと、日本のことはもう知ってるよね?」

「ああ。 そのような地があるというのはな」

「別によく知らなくてもいいけど。 日本には気功っていうのがあって、身体に悪い気や合わない気を身体から出したり、身体に良い気を身体の中に入れたり、身体の中の気を循環させたりコントロール・・・調整する手法っていっていいのかな? まぁ、そんなのがあるわけ。 で、私にはそんなことが出来ないけど、それを頭の中で想像しながら真似事のようなことをしただけ」

「・・・」

返事がない。 そう言えば段々と歩みが遅くなってきている。 マツリを見上げる。
そのマツリは難しそうな顔をして右手の指先を口に充てている。

「マツリ様」

肩の上からキョウゲンが呼ぶ。

「あ? ああ」

手を下げると歩みの速さを元に戻す。

「紫の力として現れたのは癒しの力であろう。 紫が “キコウ” というものを見て知っていたのが知識の中にあったからと考えるのが妥当であろう。 紫の力は紫自身が熟知していなくとも、そこから紫自身が広げていくことが出来る。 煙のようにヒトウカの冷えが視えたのは目で見たのか、別のところで視たのかは分からんが、どちらにしてもそれも紫の力だ。 だが・・・」

だが余りにも紫の力が強い。 まだ力の事をあまり分かっていない筈なのに。 本領でも今居る五色の中で紫の力を現す者がいないというのに。

マツリの言葉が止まった。 同時に疑問も生まれた。
紫揺はマツリの言葉を心の中で復唱しながら、シキに言われたことを思い出していた。
シキは五色の持つ力は基本だと言った。 そこからどう変えていくのか、広げていくのかは五色次第。 理解の仕方、気持ちの問題であると。

自分は治したいと思った。 そして気功を真似てやればどうにかならないかと思った。 いやその前に、ヒトウカの冷えがまるでドライアイスの煙のように視えた。 そのどちらも紫の力なのか。 いやもっと前にハンに冷えを感じたのも紫の力なのだろうか。

ハンはずっと痛みを堪えていた。 膝が悪いのは分かっていた。 何故だ。 痛みを堪えていたのがどうして膝だと分かったのだろうか。 影と呼ばれていた者たちは紫揺の前に姿を現した時には片手片膝をついて動かなかったのに。

(もしかして唱和様から封じ込めの話を聞いたから?)

封じ込められた人たちを哀れんだ・・・いや違う。 どれだけ辛かっただろうかと心に添いたいと思った。 それもあって無理矢理に封じ込めを解除するようなことをしたくなかった。 だから自ら封じ込めを解除したいと申し出るまで待った。
添いたい、心に添いたい。 それが紫の力の元なのだろうか。

「・・・だが、なに?」

マツリの言葉に戻した。
マツリが考えを置いて己にあった疑問を手放す。

「ヒトウカにあたったということは北の領土の者のことだろう」

紫揺が頷く。 マツリの目の端にそれが見える。

「さっきの話は北に入った時の話しか」

「あー、えっとぉ・・・」

言い辛い。
本領まで足を運んだあととは言えないが、どう言っていいのかが分からない。 仕方がない。 東の領主を巻き込まないように言うしかない。 それで駄目なら、最後には、ケンカしかない。

「本領で唱和様の封じ込めを解いたあと」

「どういうことだ、あのあと北の領土に入ったというのかっ」

声を荒げてはいないが、語尾に力が入っている。

「入ってない。 日本の北の領土の屋敷の外」

「あのあとニホンをフラフラしたというのか!」

「唱和様が封じ込めをかけた人達の解除に行っただけ。 それくらいいいでしょ? 唱和様だって気にされてたんだし、その人達を放っておけるわけないじゃない。 マツリだって見たでしょ、唱和様が封じ込めを解除された後の姿を。 あのまま解除されなかったら一生自分のことを思い出せないし、かなりの身体の痛みに一生襲われるみたいなんだから」

マツリが大きな息を吐く。

(あれ? 終わり?)

喧嘩ごしに何かを言ってこないのか? こっちは心の中でファイティングポーズをとっているというのに。

「父上に・・・本領領主にそれを言うのではない。 分かったな」

四方がどれだけ東の領土から洞を潰すのを長引かされたことか。 その理由がこんな事と知れば東の領主が四方から何と言われることか。 終わったことをまたひっくり返して事をややこしくする必要などない。
それにそう考えるのがこの紫なのだろう。 だから今もこうしてリツソのことが心配ですぐに行動を起こしたのだろう。

「分かった・・・」

心の中で構えていた手をそっと下ろす。

「では、紫がその力を出したのは、紫の、紫の色の力の事を姉上から聞いた後ということだな」

「そう」

「・・・力の事を納得出来た後ということであれば、紫の力が出てもおかしくはない」

先ほどまでは何も知らない紫揺がどうして紫の色の力を使えるのかと思っていたが、そういうことならばと無理矢理ではあるが納得が出来る。

「そういうもの?」

「五色としての力は納得できずとも知らずと出てしまうが、紫の力はそうではない」

知らずに力が出てしまうシキの言っていた困ってしまう五色。 それに以前の自分はピッタリと当てはまっていた。 いや、今も自信はない。

「唱和様に封じ込めをされている北の領土の人達が残ってるって聞いて、洞も潰されるから本領から帰った後にすぐに行ったんだけど」

ここで紫揺が一旦言葉を切り顔を下げた。 マツリがチラッとその下がった頭を見る。 五秒ほどで紫揺の顔は上げられた。 マツリが視線を前に戻す。

「その人達がどれ程辛かっただろうって思った。 その人達に自覚は無いだろうけど。 でも、だから・・・心に添いたいと思った。 ・・・それが、紫の、紫の色の力の元になるの?」

さっき考えていたことを訊いた。 この問いに “是” とマツリが答えれば今回のことは分かったような気がする。 でも “否” と答えられればもう自分では考えられない。

紫揺が顔を上げてマツリを見る。 マツリは前を向いている。

「紫の力はそれぞれの心の持ちようで変わる。 お前がそう思ったのならば疑う余地などないが、力を出すという気持ちが無ければ出すことは出来ん。 その時に五色の力、赤か青かを使ったか」

「使った。 つもり。 自信はないけど。 出来てたはず。 シキ様から聞いたようにやったつもりだから」

一言づつを区切っている。 それは紫揺自身が言ったように、自信がそれほどまでないということだろう。

「姉上から?」

「内に出す力? 赤の力で自分に冷えが入ってこないようにしてた」

「だが冷えにあたった。 失敗していたのではないのか」

「此之葉さんが一緒に居たけど、此之葉さんがすぐに寒がったから、失敗してたら早々に倒れてたと思う。 足の裏と喉に赤の力を使ったけど、まさか皮膚から入ってくるとは思わなかったから」

皮膚から入ってきた、それは皮膚呼吸のことを言っているのか。

「そういうことか。 ではその時に・・・それを切っ掛けに紫の力が作られ出たのだろう」

力が強いと言っても、いくらシキから教えられていたと言っても五色としての経験は浅すぎる。 切っ掛けでもなければ紫の力は出せないだろう。
だがそれにしても力が大きすぎる。

「そっか・・・」

「お前の場合、紫の力は慈愛というものから始まるのかもしれない。 それは紫の力に一番要求されるものだ。 紫の色の力、強いては紫自身の力をお前自身信じるが良い」

「紫の力を私が信じる・・・」

先ほどからちょくちょくとお前と言われているが、紫揺はそれに気付いていない。 言葉としては聞いてはいる。 だが少々不安を持ちながらの話しである、その不安にマツリが答えてくれているのだから気付くはずもなかった。

「あれ? 解決しちゃった・・・」

シキに訊こうと思っていたのに。

「何をしておる」

マツリが洞に手を入れている。 先程まで岩壁だったところに洞が口を開けている。 いつの間にか足を止めていたようだった。

洞に入るとすぐにキョウゲンが飛んで行き暫く歩いていると戻って来たが無言の時が流れていた。

そのまま洞を出て本領の岩山に出た。 前後にずれているとはいえ、紫揺を岩山側に歩かせマツリが崖側を歩いている。

(へぇー、そんな気遣いが出来るんだ)

いや、本来ならそれ以上に出来る。 紫揺がシキであれば手を取っていることは間違いない。

岩山を下りてきたマツリを見て見張番の一人が驚いた顔をした。

「マツリ様、どうして・・・」

隣に居る紫揺と交互に見る。

「姉上が気に入っておられる東の五色に逢いたいということで連れてきた。 馬の用意をしてやってくれ」

「シキ様が? どうして・・・」

「そろそろ宮帰りをされたそうだったのでな、父上がまだ早いと仰るし、可愛がっている東の五色と話でもされれば楽しくなるだろうと早馬に文を持たせたら、すぐにでもということであった。 だから五色だけだ。 一頭頼む」

(まずはコイツか。 あとの者は洞の中か)

今朝はリツソも探さずどこかの領土に飛んだことは分かっていただろう。 きっと何か引っかかっていたはず。
だからシキに宮帰りをさせないようにとわざと言った。 リツソが居なくなったことをシキに隠していると受け取るだろう。 そうすれば今朝リツソを探さず東の領土に飛んだ理由が分かるだろう、そう解釈するだろう。

「あ、はい。 すぐに」

見張番が走って洞に向かった。

「どうして嘘を言うの?」

「・・・他言はするな」

この性格でよくも黙っていたものだ。 感謝の言葉を言わなければいけないだろうか、などとそんな気もなく考える。

「あの人が変だったから?」

「変?」

「だって・・・キョドってるって言うか・・・」

「きょどって?」

「ああ、えっと。 挙動不審の目をしてた」

「・・・」

(コイツはけっこうな人観察が出来るのか?)

それなら自分のことも見えるだろうに。

(ああ、待てよ。 人は自分のことは分からないと書いてあったか・・・)

『恋心』 に。

「マツリ様」

黒髪を後ろで束ね髭も濃く、鼻の下から続く髭が顎にまで続き、長い逆三角形を作っている男が現れた。
先ほどの男と同じく半袖で上から被るタイプの上に皮を細く切ったものを編み込んだベストを着ていて、下穿きは筒ズボンだろうか長靴の中に入っていて裾が見てとれないが、いずれにしても濃淡こそあれ、岩山と似た色である

「剛度(ごうど)、久しいな」

紫揺が初めてここに来た時に東の領主とも話していた男だ。

「いつもキョウゲンと飛んで行かれますから話す間も御座いませんので。 今日はお珍しい、徒歩(かち)で御座いますか?」

「ああ、東の五色に来てもらわねばならなかったが、領主には来るのを断ったのでな」

「聞きましたらシキ様のお相手をされにと? シキ様も宮帰りをされたいでしょうに」

洞の中から三頭の馬が曳かれてきた。 一頭は紫揺が乗るために。 もう二頭は紫揺の乗る馬の前後をかためるために。

「まぁな。 馬の調子はどうだ?」

曳かれてきた馬の首をポンポンと叩きながら問う。

「まぁまぁと言うところで御座いましょうか」

「歳を老いてきては無理がある。 何かある前に官吏に申し出るといい。 何頭いたか?」

「常は九頭で御座います」

「七頭と思っていたのは覚え違いだったか?」

「それは随分と前の話しです。 随分と前に一人増えまして。 最近増えたのがさっきの奴です」

「二人も? ということは全員で十八人ということか。 では九人づつ?」

一日に二交代制であるのは知っている。

「はい。 そんなに必要とは思わないんですがね」

「官吏にはちゃんと言ってあるのだろうな」

給金を払わなければいけないということを言っている。 だが遠回しに別のことを訊いているがそれは剛度の知ったことではない。

「もちろんで御座います。 その官吏から言われましたもんで。 上から言われりゃ断り切れませんで」

「ならばよいが。 そうか、姉上の婚姻の儀のおりには足りなかったということか」

東の領土から三人、西の領土から二人、南の領土から七人、北の領土から二人、合計して十四名がこの岩山を通ってきた。 ましてやその前後も固めなくてはいけない。 到底、見張番の人数では足りない。

「そこのところはちゃんと官吏に言って助けを用意していただきました」

「そうか。 毎日、苦労であるな」

「これが我らの仕事ですから」

台にも乗らず紫揺がもう馬に乗り鐙(あぶみ)を合わせている。

「我は先に飛ぶが紫は先に父上への挨拶を済ませねばならん。 宮まで頼む」

紫揺の前後を固める男たちに言うと、マツリの肩からキョウゲンが飛びマツリが地を蹴る。

「では行きましょうか」

初めて本領に来た時に紫揺を前に乗せ支えてくれていた男だ。 その紫揺が次に来た時には一人で乗って行くと言ったものだから驚いたが、なんのなんの、安定して乗っていたではないか。

「はい」

岩山を三頭の馬が降りて行く。

いま剛度を除く見張番の誰もが信用できないが、紫揺の前後を固める人間は随分と前から居た者たちだった。 それに長くは視られなかったが、最初に見た者のように目の中に禍(まが)つものは視えなかった。 剛度のようにじっくりと見たわけではないから、まだ何とも言えないが紫揺を預けてもいいだろうと、わざと先に飛ぶところを見せた。

「まさか見張番に魔釣をせねばならんとはな・・・。 それにしても官吏が絡んでいたかもしれぬということか」

それならば納得の行くところが出てくる。

俤(おもかげ)がリツソの攫われた日、昼過ぎからバタバタと動きが活発になったと言っていた。 地下から出たり入ったりしているようだと。 そして夕刻過ぎにはリツソを攫って来ていた。
見張番からの情報だけではマツリがどこに飛んだかも、どれくらい居るのかも分からない。 

だが官吏から東の領土の祭に飛ぶと聞いていればすぐに帰ってくるはずがないと思っただろう。 そして見張番から確実に本領を出たと聞けばリツソを誘い出すことくらい容易い。

その官吏が勉学の師から逃げてきたリツソに珍しい蛇の抜け殻でもあるとでも言えば、ホイホイと宮の外に出ただろう。
官吏が手を出さなくともリツソが一人で出たのかもしれないが、そこで誰かが喉が渇いただろうとでも言って、薬草の茶でも飲ませれば簡単に済むことだ。

マツリが口を歪める。

「父上に口止めをお願いしておいてよかったということか」

リツソを連れ帰った日、リツソを見た者に口止めをしている。 未だリツソのことが地下に漏れていないとしたなら、言い変えればその者たちは信用ある者ということになる。

「地下に行かれますか、それとも宮に?」

本当ならこのまま地下に行きたいが紫揺を放っておくことも出来ない。

「・・・そうだな」

ある人物達を思い出した。

「いったん宮に。 その後に地下に飛んでくれ」

「御意」

もう紫揺の事は見張番に任せていれば良い。 馬より速い速度でキョウゲンが上空を飛び去った。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第10回

2021年11月12日 23時42分02秒 | 小説
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第10回




家に戻った紫揺。 すぐにガザンが紫揺の後ろに付いて家に入って来た。 さっきから走ってばかりいる紫揺が気になったようだ。

東の領土に来て最初のうち散歩以外は紫揺の部屋に入れていたが、半年ほど経つとガザンが一人で家を出て行くようになっていた。
その頃には領土の子供たちはガザンを気に入り、大人もガザンを怖がらなくなっていた。 もちろん子供も大人もガザンからの紫揺チェックは受けていた。

玄関の横に濡れた手巾を置いておくと、ガザンが自分で足の裏をこすりつけ、外の砂を拭いて家の中と外を自由に行き来している。
一つ注文があるとすれば、開けた戸は閉めて欲しいということくらいだった。

ガザンが部屋に入ってくると紫揺が襖を閉め、屈んでガザンに話しかける。

「ガザン、ちょっと家を空けるの。 またお留守番しててね。 皆と仲良くしていてね」

シキの祝いの時に数日家を空けたが、その間ガザンはみんなと上手くやってくれていたようだったと紫揺は思っているが、ガザンにしてみればこの領土の民は紫揺を大切に想っている、向かって行く相手などいないと思っている程度である。

立ち上がり着替えようとするとガザンがまとわりついてくる。

「ん? なに? どうしたの?」

ガザンに邪魔をされながらも帯を解くと、その臭いをガザンが嗅ぎまくっている。

「ん? ああ、マツリの臭いね」

初めての臭いに敏感になっているのだろう、と思う紫揺だが、既にガザンは祭の時に嗅いだこの臭いを知っていた。

着替えながらガザンを見ていると、マツリとガザンは会わせられないなと思う。 紫揺が気に入らない人間にはもれなくガザンが喰ってかかるからである。 まぁ、会わせる気など毛頭ないが。

スカートからズボンに履き替えた。 ズボンと言ってもGパンでもなければジャージでもない。
乗馬を始めた紫揺に職人が慌てて作ったものの一つであった。 皮で出来た筒ズボンである。 上衣は先程まで着ていたものと同じ様なもので長さが違う。 膝上までの長さで横にスリットが入っている。 そしてその上に皮で出来たベストのような物も作られていたが、今の季節は暑いだけである。 身には着けなかった。

今回着ている上衣と下衣はどちらも青色であった。 上衣は薄い青、下衣は濃い青。
乗馬を始めた紫揺に職人が三つもの衣装を作った。 青、紫、黒と汚れが目立たぬようにと下衣は濃い目の色で染め上げた鞣した皮で出来たものだった。
そこで紫揺が言った。

『綿にして下さい。 これからは皮を使わないでください』 と。 皮は生き物の皮を剥ぐことになるのだから。
とは言ったものの、作ってもらったものを無視できるはずもない。 乗馬を教えてもらう折にはその三着をずっと着ていた。

上衣の合わせの着方も心得ている、皺を入れることなく着ることが出来るようになっていた。
帯はえんじ色をチョイス。 帯結びも一人で出来る様になっていた。 あくまでも日本のようなお太鼓ではない。 単純に言うと蝶々結びのように結ぶのだが少し違う。 常なら飾り結びをしたあとの帯を長く後ろに垂らすが馬に乗るのだ、この時にはもう一重身体に巻いて垂らす長さを短くしている。 そんなところも一人で出来る様になっていた。

ただ、どうしてか昔から蝶々結びが縦結びになる紫揺である。 考え事をしながら帯を括ると何とも言えない帯結びが仕上がってしまう。

そしてこれに長靴を履く。

「紫さま!」

玄関で長靴を履いている紫揺に外から入ってきた此之葉が声を掛けてきた。
湖彩に此之葉を押さえておいてくれと言ったのに、此之葉は家を出ていたようだ。

「本領にお出になられるとお聞きしましたが」

「はい。 でも此之葉さんはいいですよ。 一人で行きます」

「お一人でなど!」

五色と “古の力を持つ者” が分かれるなど有り得ない。

「マツリが了承していますから」

「ですがお一人でなど!」

「大丈夫です。 それにほら、此之葉さん馬が苦手でしょ?」

「あ・・・。 ですが・・・」

馬と言われて思わず引いてしまった。

「いいから、いいから。 納得したら帰ってきますから」

五色の力を訊きに行くと聞いている。 あの時の紫揺の施術は間違いがなかったはずだ。
あの時、北の領土の者である影と呼ばれていた者の一人の身体を癒したとき。
何が分からないのだろうか。 紫揺の瞳が紫色になっていたのが疑問の原因だろうか。
だがその事実を此之葉は紫揺に伝えていない。

「紫さま、あの時、船で北の者を癒しておられた時」

「え? 癒すなんて言わないで下さい、適当に思い浮かぶことをしただけですから。 それが偶然に当たっただけだから」

「あの時・・・紫さまの瞳が紫色になっておられました」

「え?」

名を紫と呼ばれる由縁。 それは東の領土初代五色がその瞳を紫色にしたことから始まった。

(私の瞳が紫なっていた?)

長靴に筒ズボンを入れている手が止まる。

紫色の瞳を持たなくとも東の領土の五色は代々紫と命名されていた。 それは “紫さまの書” を読んで知っている。 “紫さまの書” は二代抜けてはいるが “紫さまの書” からは初代を除くと紫色の瞳を持つ者がなかったとも書かれていた。

シキから紫色の瞳の話は聞いていた。 だが自分がそうなっていたとは思いもしなかった。
父と母の元に生まれ成長した。 そして仮という形で領土に入って五色の話を聞いて、いや、それ以前に自分が純粋な日本人じゃなかったと聞いて、今の段階で二年にも経っていない。
どうして瞳が紫色になったのか。 それに此之葉の言う瞳が紫色になったあの時は、まだ東の領土に入ると決めていない時だ。

紫揺の中で色んなことが駆け巡るが、そんなことを此之葉に言ってどうする。 再び手を動かし思考を此之葉に向けた。 此之葉が今も喋っている。

「“古の力を持つ者” は五色につくというのが―――」

やはり馬のことが気になるのだろう、先ほどとは勢いが違う。 それでもこうして言い尽くしてくれる。 知らず笑みがこぼれる。

「それは昔の話ですよ。 四六時中、一緒に居なくても大丈夫ですって。 それより私が居ない間に此之葉さんはお料理の腕を磨いておいて下さい」

「え?」

「帰ってきた時のお料理を期待してますね。 あの堅物を唸らせてください。 じゃ、行ってきます」

紫揺が鮮やかな青い衣を翻して玄関を走って出た。 目指すはマツリの居る所。

「・・・え?」

此之葉が紫揺の残像に声を向けたが、もうそこに紫揺はいない。 紫揺の部屋からのっそりと出てきたガザンが、反応の遅い此之葉を呆れたように見ていた。

厩まで走ると八人のお付きと八頭の馬が居た。 紫揺を入れて馬に乗るのは九人。 一頭には二人乗りをするのだろう。 紫揺が降りた後に紫揺の馬に誰かが乗るのだろう。 それは塔弥か阿秀か・・・。 いや、曳き馬かもしれない。 あの紫揺の愛馬だ、簡単には誰もその背に乗せはしない。

上空ではマツリを乗せたキョウゲンが旋回している。
紫揺が愛馬に乗った。

「行きましょうか」

阿秀が先頭を走り、殿(しんがり)は梁湶(りょうせん)。 阿秀に続く紫揺のすぐ後ろには塔弥が付き、その後ろに若冲(じゃくちゅう)。 そして二人乗りの野夜と醍十(だいじゅう)と続く。 紫揺の左右には湖彩(こさい)と悠蓮(ゆうれん)がいる。

阿秀は紫揺がどれ程走れるのかは知っていたが、あくまでも軽い駈歩程度に抑えている。

「阿秀さん、遅すぎ!」

後ろから紫揺が叫ぶ。

「ですが万が一にも落馬をされては―――」

振り返った阿秀が言い終える前に、襲歩で阿秀を抜いて走り出した。 陣形が崩れる。

「紫さま!」

阿秀が、塔弥が、皆が紫揺を追う。
空からそれを眺めていたマツリ。

「何とも言い難いな」

「リツソ様のことをご心配されているのでしょう」

「いや、それ以前の話だ。 東がやっと見つけた紫だというのに、アイツはそれを分かっておらぬようだな」

シキが心を痛めていた紫があのような者とは。

「・・・」

「どうした?」

キョウゲンの返事がない。

「・・・いえ」


阿秀も塔弥もその他の者も紫揺に追いつけなかった。 何故なら、紫揺の乗っている馬はこの領土で一番早く走る馬だったということと、騎乗している人間の重さ、そしてスタートの差があった。

山の麓で紫揺が馬を降りると遅れてやってきた阿秀と塔弥が馬を降りる。 塔弥が自分の馬の手綱を阿秀に預け、紫揺の乗っていた馬を警戒しながら紫揺から手綱を預かる。

「何日かかるか分からないけど、気にしないでって領主さんに伝えておいてください。 帰ってきたら歩いて家に戻りますから。 じゃ、ちょっと行ってきます」

若冲、湖彩と悠蓮が、そして梁湶がようやっと馬を付けた。 遅れて野夜と醍十の二人乗り。

「ドンダケ自由なんだよ・・・」

誰がこぼしたのだろうか。

阿秀が上空を見上げる。 キョウゲンに乗ったマツリの姿が見える。 そのキョウゲンが下降を始めたのが目に映る。
マツリが徒歩で紫揺に付いてくれるのだろう。 阿秀がホッと胸を撫で下ろす。

「阿秀・・・」

塔弥の声だ。

「大事はないだろう。 山の中からはマツリ様がついて下さるようだ」

だが塔弥が渋面を作った。

「この先は我らの知らぬ所。 踏み入れることが出来んのだから仕方のないこと。 だがマツリ様がついて下さる」

塔弥だけではなく誰もが渋面を作る。 どれだけ紫揺が自由気ままにしていても己たちが守るべき五色の紫である、他の者の手になど預けたくはない。 たとえそれがマツリだとしても。

「それよりも・・・」

阿秀が上げていた顔を下して全員を見渡した。

「誰が紫さまに襲歩をお教えした」

もう一度阿秀が一人一人を見る。
誰もが互いを見るが首を横に振るだけだ。

「阿秀、誰もお教えしていません。 その、紫さまとその馬です」

梁湶が全てを含んで言う。
その含みに阿秀が眉根を寄せる。
紫揺とこの馬が勝手に走ったということか。 最初に紫揺に乗馬を教えたのは阿秀だ。 紫揺の感覚の鋭さは知っている。 そして紫揺と気が合い紫揺に応えるだろうこの馬のことも。



紫揺が乗馬を教えてくれと言ってきた時、渋りはしたが五色の言うことを撥ね退けるわけにはいかなかった。 領主と相談し、諾ということになった。
そこで紫揺を厩に連れて行き一頭ずつを見せた。 もちろん塔弥を除くお付きたちもついて来ていたが、教えるのは阿秀と決まっていた。

手前から一頭ずつを見ていった紫揺。

『お気に召した馬はおりましたか?』

まるで全部の馬を見て回った後のように阿秀が言う。 だが一頭、見せてもらっていない。

『え? あの馬は?』

離れた所にポツンと繋がれている馬を見せては貰っていない。

『あれは気が荒いと言いましょうか』

『紫さま、あの馬はいけません。 足が速いだけで、隙を見つけては噛もうとしたり蹴ろうとしたりします』

阿秀に続いて紫揺の後ろに居た湖彩が言う。

『どうしてそんなことをするんですか?』

紫揺が振り向いて湖彩に尋ねる。

『気まぐれとでも言いましょうか』

『病気ではなく?』

『病気などとは遠い話。 元気すぎるから困っているくらいです』

『で、足が速いの?』

『ええ、ですがあぁぁぁー!!』

湖彩の声が叫びとなった。

他の馬の首を撫でてやっていた者たちが湖彩の目の先を見る。 阿秀の脇を走り抜け、あの馬に向かっている紫揺の後姿を。

湖彩と話していることで気を緩めていた阿秀がすぐに手を伸ばして紫揺を掴もうとしたが、あえなく空振りをしてしまい、すぐに追って走ろうとしかけたが、立てかけられていた箒に足を取られてしまった。 それに比べて紫揺は障害物があれば跳び越し、何に足をとられることもなく走って行く。

馬が紫揺に気付き上唇をめくり上げ歯を剥いた。

『紫さま!』

阿秀の呼ぶ声など、どこ吹く風。 馬にぶつかる寸前で足を止めた。

『こんにちは』

馬が紫揺に首を回した。 その顔を紫揺に向ける。
阿秀の足が止まった。

―――デジャヴ

阿秀の頭には北の屋敷の海岸で見た、ガザンが紫揺に跳びかかった時がフラッシュバックした。

のしかかった紫揺の上でガザンが頭を上下させていた。 その様子を後ろから目にした時には紫揺が喰われたと思った。 走り出そうとした時、紫揺とガザンは友達とセキから聞き、尚且つ、紫揺が喰われていたのではなく、ガザンにベロンベロンと舐められていただけだったから良かったものの、今回は友達どころか初めて顔を合わせているのだ。

『紫さま!』

阿秀が頭の中の囚われから解放されると一歩を出した。 すると

『いい仔ねぇ』

馬が紫揺に顔を摺り寄せている。

『・・・え?』 



阿秀が大きく息を吐いた。 紫揺を知ってから何度この息を吐いたことだろう。 もう吐くことは無いと思っていたのに。

「誰がこの馬に乗る?」

ついさっきまで紫揺が乗っていた馬の手綱を握る塔弥の手先を見て阿秀が言う。
紫揺がどの馬より気に入った馬。
『お転婆』 と名付けられていた馬の背に誰が乗る。


山の中に足を踏み入れた紫揺。

「ちゃんと覚えてるかなぁ・・・」

本領と繋がる洞まで行きつくことが出来るだろうか。 たった二往復しかしたことがない。 それも人の道がない山道。
そう漏らした時、マツリが空から跳び下りてきた。

「わっ!」

遅れてキョウゲンが肩に止まる。

「道が分かるか」

そう言うと背を見せ先を歩き出した。

「・・・多分分かる」

「多分か」

腹の立つことを言うと思うが、確かに多分なのだ。

「マツリはいつもフクロウに乗ってるだけじゃない。 知ってるっていうの?」

「当たり前だ」

ボォーっとキョウゲンの背中に乗っているわけではないらしい。

「いっつもフクロウの背中に乗ってるだけなのに、山の中を歩けるの?」

一応、体力面を心配して言っているが、言葉的にその気遣いはマツリには伝わらないだろう。

「・・・」

キョウゲンの背に乗ってるだけと言われて返事をする気も失せる。
だが紫揺はマツリの返事がないことなど気にしない。

「ね、リツソ君のこと―――」

「具合を悪くしたのか」

紫揺の声にマツリの声がかぶさった。

「は?」

マツリの声が少し小さい、聞き取れなかった。 マツリの横に並ぶ。

「なに?」

四方や澪引、シキ以外が己の横に立つなどと、コイツは何を考えているのかと紫揺を睨もうとしたが、目に映るのは紫揺の頭頂部だけである。 腰を折り顔を覗き込んで睨んでも間抜けな話しだろう。

「具合を悪くしたのか」

怒りも呆れも何もかもぐちゃぐちゃになった状態でもう一度同じことを訊ねる。

「何の話? いつの事?」

目を合わせたくない、まっすぐ前を向いたまま尋ねる。

(話の流れから分かるであろうがっ!)

それも紫揺自身が少し前に言ったことなのだから。 マツリが呆れたように眉根に皺を寄せる。

「紫が悪くなった時と先程領主に言っておっただろう」

抱っこしてもらったと言っていた。

「ああ。 あの時」

その時以外にどの時がある。 マツリが顔を投げたくなる。

「ちょっと色々あって」

色々とはどういうことか、そう訊こうとしかけたが紫揺が続けて言う。

「さっき、着替えて家を出る時に此之葉さんに聞いたんだけど、私の瞳が紫色になってたらしい。 だから正真正銘、シキ様にお訊きしたい」

紫の力を訊きたいから本領に行くと領主に言っていたのは、完全に取って付けた理由付けだと分かっている。 マツリが上手く誘導したからなのだから。 上手くなくても簡単に乗ってきただろうが、いとも簡単に。

(コイツ、今までに何度騙されてきたのか? それを学ばんのか? それとも騙されたことなどないのか? いや、騙されたことにすら気付いておらんのか?)

「なに?」

紫揺の頭頂部を見ていたはずが、いつの間にか紫揺が上を見ていて目が合っていた。

「・・・いや」

正真正銘とはな、と続けたかったが、そうなるとリツソの話に戻ってしまう。 顔を前に向ける。

「瞳が紫に?」

「自覚は無いんだけどね」

紫揺も前を向いた。

「どうしてそうなった」

「分からない」

「分からないでは済まん。 力の出し方がまだ分かっておらんのか。 その時何をしておった」

「えっと・・・ヒトウカの冷えを身体の中に入れてしまった人がいたから、それが治るといいなぁと思って手を添えて・・・」

紫揺からヒトウカと聞いた時に、ヒトウカを何故知っている、と訊きたかったが最後まで紫揺の話を聞く。
そして聞き終わると疑問を口にする。

「二つ訊きたいことがある。 まず一つ目。 何故ヒトウカを知っておる」

「北の領土に迷子ですーって形で入った時に、ヒトウカと会った。 ヒトウカの話は北の五色に聞いてた。 それで・・・二回? 三回? ヒトウカに会った、子供のね。 一度はヒトウカを抱きしめたけど、冷えにあたらなかったのは、子供のヒトウカだったからだろうってセノギさんが言ってた」

ドヘドを吐いている時と、ヒトウカを抱きしめた時のことは鮮明に覚えている。 だがあと一回でも会っているような気がするが、あの時にはすぐにヒオオカミが現れたのだ、ヒオオカミとごっちゃになって分からなくなってしまっている。

紫揺がセノギと言った。 セノギのことはマツリも知っている。

「どうしてヒトウカがおま・・・紫の前に現れた」

「そんなことはヒトウカに訊いて。 私が呼んだわけじゃないから」

シグロかハクロが知っているかと、この話しを終わらせる。

「ではもう一つ。 身体の冷えが治ると良いと思った。 手を添えた。 このどちらの時点で瞳の色が変わった」

「知らない。 あ、でもそうだなぁ・・・」

あの時の前後のことと、此之葉の言葉を考える。
治ると良いなぁ、と考えた時にはまだ黒の瞳だったはずだ。 それはハンがセノギの肩を借りてラウンジにやって来た時に、ハン一人を集中して見た時に思ったことだったのだから。

そしてハンがラウンジに入った時には、どうしても治したくて此之葉に封じ込めの解除が終わったら呼んでくれと言ったのだ。 ラウンジから出ても誰も瞳の色のことは言わなかった。

それに何より此之葉は癒している時に瞳の色が変わっていたと言っていた。 あの時、ラウンジに入って行った時も此之葉は紫揺の瞳を見ているはずであった。 だがその時からだとは言っていない。

「手を添えた時だと思う」

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第9回

2021年11月08日 22時42分15秒 | 小説
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第9回




歩いている先から大きな鳥の姿の影が飛んでいるのが見えた。

「おや?」

領主が見上げる。
その大きな鳥はフクロウ。

「こんな朝早くに・・・」

シキはサギが供であるが故、朝から飛んで来てはいたが、マツリはフクロウが供であるから、特別なことがない限り早くても夕刻の前のはずだ。 それに一昨日の祭に来たばかり。

「何かあったのか?」

マツリが家並みの奥にあたる領主の家の奥の緑が生えている所に降り立った。

領主だけではなく紫揺のお付きたちも見ていたようで、すぐに一人が領主の家に呼びに走った。 呼ばれて領主の家から走り出てきたのは秋我であった。
領主自身は家から離れた所に居る。 もう七十手前の歳、年齢的に全速力で走るなどということは困難だ。

「マツリ様」

走り寄った秋我が頭を下げる。

「ああ、気にせずともよい。 ・・・紫は」

「紫さまで御座いますか?」

秋我が驚いて目を開ける。
祭の時には互いに堪えていたようだが、また言い合いが始まっては自分の力ではどうにもならない。

「もうどこかに出かけたか」

「あ、そのようなことは・・・。 あの、お呼びしてきますので、どうぞ我が家でお待ちください」

「大した用ではない、ここで済ます。 悪いが呼んできてもらえるか」

「はい。 ではしばらくお待ちください」

どういうことだろうと思いながらも、踵を返すと前から小走りに走ってきた領主が目に入った。 すれ違いざま「紫さまに御用と」 と言うと、もれなく領主も目を見開くが、秋我にしてみれば自分一人で背負うことがなくなったとホッとしている。

紫揺のお付きたちが秋我に寄ってきた。

「マツリ様が紫さまに御用ということだ。 紫さまはもう朝餉はおすみか?」

「はい。 先程此之葉が膳を下げておりました」

「ではお呼びしてきてくれ」

頷いたお付きがすぐに紫揺を呼びに走った。


「は? マツリが?」

「紫さま、なにとぞマツリ様と」

此之葉が崩れるように低頭する。

「・・・だって、向こうが俺はマツリだって言ったんですよ、だったらマツリでいいじゃないですか」

「それは・・・」

低頭している此之葉が溶けていきそうになる。

「此之葉、あまりお待たせしてはならん」

「そうですよね。 気分の悪いことはさっさと終わらせてきます。 此之葉さんは来ないでくださいね、気絶するかもしれませんから。 湖彩(こさい)さん、此之葉さんを押さえておいてください」

全く意味の分からない湖彩。 お付きたちは紫揺のサル技なら知っているが、マツリとのバトルは知らない。 反対にマツリは紫揺と口で言い合ったことはあるが、紫揺のサル技を知らない。

脹脛まである若葉色の合わせの一枚物、衿のところには三色の色に染められ、そのまま帯に隠れるまで続いている。 その帯は紫色の半巾帯の半分ほどの幅の帯である。 足元は踵を覆うサンダルのような履き物。 紫揺用に新調されたものである。

走って領主の家に向かうとそこに悠蓮(ゆうれん)が居た。 秋我を呼びに行ったのは悠蓮だったようだ。

「奥で御座います」

芝生のような緑が豊富な方を指し示す。 てっきり領主の家にいるのだと思っていたがそうではなかったようだ。

歩を進め目先を変えるとしっかりとマツリが居た。 領主と何やら話しているようで秋我も一緒に立っている。
領主の家にも入らずマツリと立ち話などと、紫揺が首を傾げるが首を傾げていても何にもならない。 すぐに走り出すとマツリが紫揺の姿を捕らえた。 その様子に気付いた領主と秋我が振り返る。

「紫はいくつになったのだったか」

「この月で23の歳におなりになります」

「23の歳というと・・・。 走るか?」

軽い小走りではない。 腕を振っての全力疾走。

ああ、またこんなことが切っ掛けで言い合いになってしまうのではないかと、領主が言い訳じみたことを言う。

「マツリ様をお待たせするようなことにならないためかと・・・」

言いながらも苦い顔をしているのが自分でも分かる。

息を上げることも無く走って来た紫揺が領主を見る。 あくまでもマツリではない。

「お呼びですか?」

呼んでいるのはマツリと知っていて領主に訊くという一手。

領主と秋我が紫揺の隠れたケンカ腰の雰囲気を感じとる。 秋我が下を向き、領主が “お頼みします、どうぞ穏やかに” と言った目を紫揺に向けてくる。

「用があるのは我だ」

「俺じゃないんだ」

即答の紫揺が眉を上げて怪訝そうにマツリを見上げる。
北の領土に居る時には俺と言っていたのを憶えている。

マツリがそれをかわし、領主に向いて一言いう。 「悪いが外してもらえるか」 と。
驚いた領主が「ですが」 と言うが「悪いが」 と繰り返された。 二度も言われてしまった、これ以上何も言うことは出来ない。
「紫さま、くれぐれも」 と言い残してそこから離れ、秋我と共に家の方に向かった。
紫揺がなお一層怪訝な顔をする。

その紫揺の顔など意ともしないように、懐の中からリツソの部屋から取ってきた紫色の石を取り出した。

「これを」

上部を指でつまみ紫揺の目の前に出してきた石に近付きよく見る。

「え? ん? これってリツソ君の宝物の石?」

リツソの部屋で見たきれいな透き通った紫色の石。 リツソが気に入った物をくれると言った時にこれが気にはなっていたが、あまりにも綺麗すぎるので別のものを手に取ったのだ、よく覚えている。

「そうだ」

知っていたようだ。 手間が省けた。

「これが?」

紫揺が顔を上げマツリに目を合わせた。 そのマツリが紫揺を見ていた。 

(こいつ、いつから見てたんだ・・・)

だがそんな表情は見せない。 今は石のことだ。 どうしてリツソの宝物の石をマツリが持っているのか。 そしてどうして今こうして差し出しているのか。

「貰ってやってくれんか」

「は?」

「我の勝手で決めたことではあるが、リツソも望んでいよう」

「意味がよく分かりませんが?」

「リツソはお前・・・紫のことを想っておる。 その紫に自分の大切な物を渡したいだろうと、そう思うだろうと思ってのことだ。 これを選んだのはおま・・・紫の名にちなんで我が選んだ」

「全くもって分かりませんが?」

(その人を馬鹿にした言い方はなんだっ)

心の中で思うがそんな顔など出せない。

「・・・リツソに万が一があってからでは気付かぬ間に時が過ぎてしま―――」

「はっ!?」

「いや・・・思わぬ時が過ぎてしまってはリツソの想いどころでは無くな―――」

「違う! そこじゃない。 万が一ってなんのこと!」

簡単に食い付いてきた。

「ああ、気にせずともよい。 とにかくこれを受け取っ――――」

「リツソ君からなら受け取るわよ」

(こいつは人の話を最後まで聞くということが出来んのか)

「それが叶わぬか―――」

「叶わないって何? リツソ君に何かあったの?!」

まるでマツリがリツソをブッ叩いたかのように睨んでくる。

(腹の立つ・・・)

ここまで睨まれるとは思ってもいなかった。 だがあくまでも涼しげな顔を作っている。

「受け取ってはもらえんのか」

「リツソ君に何があったのかって訊いてるの!」

紫揺の声にお付きたちや領主と秋我が身体を隠して覗いている。 だが声を荒げていることは分かるが言葉は聞き取れない。

「無理に受け取ってもらおうとは思っておらん。 リツソの想いを叶えてやろうと思っただけのこと」

「返事になってない!」

「時をとらせた」

「待ちなさいよ!」

「紫も民が待っておろう。 戻るが良い」

あまりにも簡単にいきすぎて自分が騙されているような気にさえなる。

「何一人で話を終わらせるのよ! 話は終わってないからね! 待ってなさいよ!」

言い置くとすぐに領主の家に走りかけた紫揺の背中にマツリの声が投げかけられた。

「リツソのことは他言無用。 分かっておろうな」

一瞬足を止めた紫揺が走り出した。

(他言無用って・・・)

それ程にリツソに何があったのか・・・。

「よく走るものだ・・・」

呆れて紫揺の後姿から目を外し身体の向きを変えた。
だがこんなに簡単に乗ってくるとは思ってもいなかった。

(さて、ここで帰ろうか、それともアイツを待つか・・・)

もう少し揉めるつもりだった。 それを領主なりが止めに来る予定であった。 そこで紫揺本人から本領に行くと言わせるつもりであったが。
待っていろと言われて待つというのも間が抜けた話だが、領主に釘を刺しておきたい。

(どうしたものか・・・)

考えていると肩からキョウゲンの声が聞こえてきた。

「かなり慌てておりますが、もう宜しいのではないですか?」

首をクルリと元に戻したキョウゲンが言う。

「・・・そうだな」

キョウゲンがマツリの肩から飛び立ち、縦に大きく円を描く途中でその身体を大きくした。 そしてマツリが地を蹴ろうとした時、

「帰るんじゃないわよー!!」

紫揺の大声が聞こえた。 振り返ると紫揺の後ろを追って秋我が走って来る。
背に乗ってもらえなかった身体を大きくしたままのキョウゲンが上空に上がる。

「マ、マツリ様、いったい何が?」

走りながら秋我が問う。
何がということは、リツソのことを言っていないのだなと分かる。
遥か後ろには領主がこちらに向かって小走りに走ってきている。

「キョウゲン」

呼ばれたキョウゲンがもう一度縦に円を描いて身体を小さくし、マツリの肩に乗った。
マツリの元に走り寄ってきた紫揺と秋我。

「ああ、走りにくいったらない!」

こんな時はジャージが恋しくなる。 自分の着ている衣に文句をつけたくもなる。

「マツリ様、紫さまが急に本領に行くと仰られて、いったい何があったのでしょうか」

「いや? 特に何も。 紫、本領に来てどうする」

「ど、どうするって・・・行くのよ」

「来る必要などない」

「なに? 五色は本領に行っちゃあいけないってわけ!?」

「そんなことを言っておるのではない。 だが各領土は本領に何某か用のある時にだけ来るもの」

「用があるから行くんじゃない!」

「では何用か」

「だから! だから、その・・・」

―――他言無用。

(ほほぅ、意外と言われたことを守るのか)

守ってもらわなくては困るが。

ようやくやって来た領主。

「マツリ様、本領に何かあったので御座いましょうか?」

「いや、なにも」

「ですがマツリ様とお話の後に紫さまが本領に行くと仰って」

「秋我から聞いた。 宮としては紫が来ることを拒む理由は無いが、それは何用かある時に限る。 いま紫から聞くと用があると言っておるのだが。 紫、何用か? それとも領主が何用かあるのか? 祭の後にでも何かあったか?」

「いいえ、その様なことは」

マツリに向かって言うと次は紫揺を見て言う。

「紫さま何がありました?」

「え・・・と。 その。 シキ様・・・シキ様の―――」

「姉上はお幸せに暮らしておられる。 案ずることは無い」

「そうなんだ。 それはなによりで。 じゃ、えっと」

(じゃ、などと言うな、馬鹿者が)

「紫、先ほども言った。 民が待っておろう、行くがよい」

「・・・」

「領主、時をとらせた」

領主に聞かせるにはこれくらいで十分に釘が打てただろう。 それに領主の居ない間のことを秋我から聞くだろうし、こちらが拒んでいるのは明らかだろう。

「ちょっと待ちなさいってば!」

「紫さま・・・! お言葉をお選びください」

領主が腰を曲げて低頭する。

「ああ、そうだ。 うん。 領主さん、マツリと話をつけてきます」

「は?」

腰を曲げたまま領主が顔だけを上げる。
そしてマツリと呼ばれマツリが眉をしかめる。

「ほら、ここだったらみんなが困るでしょ? 私とマツリのバトルを見たら」

「ばとる?」

「あ、言い合いです、言い合い。 だから本領でしてきます」

「とんでも御座いません!」

曲げていた腰を一気に伸ばす。

(コイツは! もっとマシなことを考えられんのか!)

「本領でマツリ様を愚弄するなどと! 絶対に本領に行っていただいては困ります!」

「ちぇっ・・・。 あー! そうだ! この手がある!」

「この手?」

領主がキョトンとした顔をする。 そして覚った。

(この大馬鹿者がっ!)

マツリが皆から顔を背け大きく歪める。

「紫の力で分からないところがあるんです。 “紫さまの書” を読んでもどこにも書かれていなくて。 それで、シキ様に教えて頂きたくて」

そう言うと今度はマツリを見る。

「ちょっとお話を伺うだけならシキ様のお幸せの時間・・・時を割かないでしょ? だからいいでしょ? いいはずよね!? いいわよね! 絶対にっ!!」

クレッシェンドに感情がこもっている。

紫揺の全開馬鹿さ加減にマツリが口を曲げる。 肩の上からキョウゲンが「マツリ様」 と囁き注意を促す。

「領主さん、だから今から本領に行きます」

領主と秋我にしてみれば、何か理由があって紫揺は本領に行きたがっているのだろう、ということは分かっている。 その理由付けとして紫の力のことを言っているのだろうと。 それは明らかに分かってはいるが、紫の力と言われれば言い返しようがない。

「えっと、分からないっていうのは、此之葉さんに訊いてもらえれば何のことか分かります。 あ、阿秀さんでも。 私が悪くなった時ずっと抱っこしててくれましたから」

マツリの方片眉が無意識に動いた。
領主にしてみれば阿秀からその報告は聞いている。 あながち嘘ではないことは分かるが、あくまでも理由付けだろうことは明白。

「ですが今すぐなどと。 シキ様のご都合もありましょうし」

領主が何と言おうともせっかく考えた理由、それを水に流す気もなければ本領行きを無いものにする気もない。 領主に合わせていた目をマツリに転じる。

「いいわよね、マツリ! 今すぐ行っていいわよね! マツリから領主さんに私が本領に行くって言ってよ!」

何度も何度も気軽にマツリ呼ばわりする。

「・・・お前」

マツリの眉間にくっきりとしわが寄っている。

「あ? なに? まさかお前って言わなかったでしょうね。 今度お前って言ったら、こっちもアンタって言うからねって言ったわよね。 その足りない頭でよく覚えておきなさいって言ったわよね!」

「領主・・・」

更にマツリの眉間が寄り、その刻まれた縦皺が更に更に深くなっていく。

「も、申し訳ございません。 ・・・紫さま・・・!」

下げた頭のまま小声で叱責するように紫揺の名を呼ぶ。

「領主さん謝らなくていいですよ。 これは約束事なんですから」

「約束をした覚えなどない」

紫揺が一方的に言っただけだ。

「ああ、今はそんなことどうでもいい。 領主さん行っていいでしょ?」

言い返したことに対しての返事がそれか。 マツリの口がもう一度曲がる。

いつまで持つか分からないマツリの忍耐。 領主もそれは分かっている。 これ以上紫揺に何も言わせたくない。

「マツリ様、ご迷惑では? それにシキ様のご都合が」

先ほどは馬鹿なことを言う紫揺のお蔭で反対方向に話がいきかけた。 今を逃してはまた話がどうなるか分からない。

「東の領土には紫に伝えられなかったものがあろう。 五色として分からないところがあるのならば、本領を預かる宮として手を貸さぬことは無い。 それに姉上に限らずとも父上にも教えて頂ける」

怒りをドンと腹に置いて言う。 そしてこんな紫揺に自分は教える気などない。

「ゲッ、四方様?」

あのいけ好かない本領領主とは話したくもない。

「紫さま・・・そのような仰りようは」

紫揺の言いように、顔を下げ領主が言う。

「だって・・・あ、じゃないか。 と言うことで、領主さん今から行ってきます」

「宜しいのでしょうか?」

マツリを見て問う。

「五色としての向上の心が見えるならば、それを折るのは愚昧な者であろう」

領主が深く頭を下げ秋我を呼ぶ。

「あ、大丈夫です」

「は?」

領主が間の抜けた顔を紫揺に向けた。

「一人で行ってきます」

「とんでも御座いません!」

「だって、ほら、一緒に行っても退屈ですよ? 本領の領主さんやシキ様の時が取れなかったらいつ帰ってくるか分からないんですから」

「そんな! 何日も本領に居られるなどと!」

「お忙しくされてる本領の領主さんに無理矢理に訊くとでも? シキ様にしても?」

「いいえ、決してそのようなことを言っているのではなく・・・」

「それにマツリがずっと上を飛んでついて来てくれるって」

「はぁー?」

いつそんなことを言った! と言いたいが、紫揺一人の方が都合がいいことには違いない。

「ほら、ついて来てくれるって」

「マツリ様はその様なことを一言も言っておられな―――」

「秋我さん、馬の用意をお願いします。 すぐに着替えてきます」

そう言うと走り去って行った。

「・・・領主、苦労するな」

マツリ自身今頭痛がしてきそうだが、毎日一緒にいる領主はそれ以上であろう。 その領主は頭を垂れている。

「取り敢えず今回は紫が言うように我が上からついて行こう」

「マツリ様にそのようなことはお願いできません」

「気にすることは無い。 それに秋我も知っていようが、紫は姉上や母上に気に入られておる。 姉上付きの者で姉上と共に宮を出た者もおるが残った者もおる。 その者たちとも紫は顔見知りだ。 待つ時が必要ならばその間、その者たちと過ごすであろう」

言ってしまえばマツリの作った筋書きだ。 その筋書きに馬鹿ほど簡単に乗ってきた紫揺。 これ以上、領主に心労を負わせるのは気が引ける。

「秋我、紫に馬の用意をしてやってくれ」

秋我が領主を見るが、マツリからの命令に逆らえるはずなどない。 領主が渋々と頷く。

「ではせめて山までは阿秀達につかせますか?」

「ああ、そうしよう」

了解したと、すぐに秋我が走った。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第8回

2021年11月05日 22時16分11秒 | 小説
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第8回




「リツソ・・・」

医者部屋で一睡もせず澪引がリツソの手を握っている。 リツソの目は未だに覚めない。

澪引の後姿を一度見てから薬草師と医者が何やら相談をしている。

医者より薬草師の方が随分と若い。 だがこの薬草師は若いといっても歳上を敬うことを忘れることはないが、自分の意見をはっきりと言う。 それに見合う知識が豊富であったからなのだろう。

元々薬草が豊富な地域で育っていたということもあったし、薬草に関する勉学にも励んでいた。 それを買われて宮仕えの薬草師となったのだが、宮に来てから深い知識はこの宮で働く叔父に教わっていた。

「使われた薬草はこの二種類を混ぜたものと思います」

臭いからやっと特定できたその二種類を医者の前に出した。
他の薬草師と話し合おうかとも思ったがこの事は口留めをされている。 誰に相談することなく一人で薬草を限定した。
だがリツソの呼気からのみ二つの種類の薬草を限定するにはかなりの知識と経験、そして胆力が必要だった。
内密に叔父に頼り相談しようかとも思ったが、叔父はもう薬草から身を引いている。

『さあ、これで私の知る限りのことは全て教えた。 これからはより一層仕えることが出来る』

そう言っていた。
薬草の勉学に励んでいた叔父は誰かに薬草の知識を受け継がせたかったのかもしれない。 その知識を捨ててまで宮に仕えたかったのだろう。

そんな叔父に今更頼るなどということは出来ないし、なにより全て教えたと言われた。 叔父を頼りにするのではなく、頂いた知識を元に模索していくことが何よりの恩返しになる。 腹に力を込め二種類の薬草を医者の前に差し出したのだった。

「一種類だけで良いものを二種類も?」

「はい。 その上マツリ様のお話では身体に見合わない量を飲まれたと聞きました」

「わたしが診た限りでは目が覚められない以外はどこも悪くしておられん。 胃の腑も心の臓もどこも悪くされていない。 そこから診てどう判断する?」

「まず、最悪のことはないかと。 この薬草はどちらも眠らせる以外のなにもありません」

「合わせたことで薬効が変わることは?」

「合わせたことなど今までに誰もしなかった事ですから言い切れませんが、そちらもまず無いかと」

「だが昨日の昼餉以降なにも食されていないと聞いた。 このまま幾日も目覚められなければ、別の意味でお身体が危うくなる」

薬草師が頷く。

「・・・あまり期待は出来ませんが、気付けの薬草の実を炙ってみようかと」

「炙り煙ということか? それも薬草ではなく実を?」

「薬草より効果のある香りを出します。 安定して息はされていますので、炙り煙を吸っていただけるはずですが、どれだけ期待できるものかは・・・」

前例が無いのである。 それに己もその煙を吸うことになる。 己がどうにかなってしまえばリツソを救うも何もあったものではない。

「今はそれしかないということか」

薬草師が頷いた。

四方の許可を得、澪引には説得して自室に戻ってもらいリツソを誰にも見つからないように、宮の裏にある作業所(さぎょうどころ)の作業部屋に移動させた。
 
理由は二つ。 ここは作業所の最奥にあり、四方から何かを作るように言われなければ滅多なことではだれも来ない。
そして二つ目は、効果を少しでも早く出すために少しでも狭い所の方が良い。 狭い所で実を炙る方が煙の充満度も高いだろう。 職人が集中できるよう作業部屋は狭い。 だがその分、薬草師自身の身体がどうなるかは分からない。

薬草の実と七輪、炙り皿を薬草師が持って入り作業部屋の戸が閉められた。

この作業部屋は職人が集中したいときに使う一人部屋である。 ほんの畳二畳分くらい。 空気の入れ替え用にガラスの入った窓ではなく、跳ね上げの木窓がつけられている。 職人は集中したいときには陽の光を嫌う者もいるからだ。 明かりのとり方は職人それぞれだが、薬草師は光石で明りをとった。

薬草師が七輪に火を入れ炭が点くのを待った。 次に炙り皿を七輪の上に置くとその中に薬草の実を入れる。
暫くしてパチパチと実のはぜる音がした。 炭に火が点いているからときおり木窓を開けなくてはいけない。 でないと別の死因が出来てしまう。
黒くなっていった実から細い煙が上がる。 それを手で扇いで出来るだけリツソの方に行くようにする。

薬草師も己の身の安全をはかりたい。 手巾を口と鼻に充て、ときおり作業部屋から出て外の空気を吸う。 それを何度も繰り返す。 その内に部屋中が煙一杯になった。

もう陽が落ちた。 そして暗闇が宮の外を覆う。


澪引が自室でずっと泣いている。 その傍らには四方が椅子を並べて座っていた。
以前、リツソが居なくなった時、結局はハクロと並んで宮の床下に居たのだったが、リツソに何かあると澪引はどうにもならない。

「なぁ、頼むから薬を飲んでくれ」

澪引の側付きに泣きつかれてしまった。

未だに宮の者たちにはリツソ探しをさせている。 もうリツソは見つかってはいたが、これを解くわけにはいかない。 リツソが居ないはずなのに宮がリツソを探していないと地下に流れては困るからだ。
リツソが居ないから澪引が泣いていると思っている澪引の側付きやお付きの者達。 丸一日以上、澪引が食事も摂らず薬も飲んでくれない。 今はシキもマツリもいない。 四方に頼るしかなかった。

襖の外から声が掛かった。

「四方様、マツリ様が帰っておいでで御座います」

「おお、ここに来るように言ってくれ」

救世主が現れてほっと息をつく。
暫くするとマツリが部屋に入ってきた。

「母上・・・」

「食事も摂らなければ薬もだ」

この状態を見ただけで、まだリツソの目が覚めていないことが分かる。

「姉上には?」

「何も言っておらん。 もう宮を出たのだからな」

マツリが頷く。 そして澪引の座る椅子の横に膝まずく。

「・・・母上、母上に何かありましたら、リツソが目覚めた時にどれほど悲しむでしょうか。 己のせいで母上が寝こまれていると知ったら」

「リツソ、リツソ・・・」

リツソの名を何度も呼ぶ。

「我が今からリツソの様子を見に行きます」

外に並び座る従者に漏れ聞こえないよう、小声で言っている。

「リツソの・・・?」

薬草師と医者からリツソと離されてからはリツソの様子が全く分からない。 手も握ってもやれなかった。 泣くしかなかった。
少し顔を上げた頬につたう涙がより一層澪引の美しさを引き立てている。

「はい。 ですが、母上が薬を飲んでくださらなければ見に行くことも出来ません。 薬だけでも飲んでくださいませんか?」

卓に置かれていた湯呑に水差しの水を入れ、薬の包みを開け差し出す。
ゆっくりと澪引の手が動く。 その手に包みを乗せる。 そして包みの中の粉を口の中に入れた。 マツリが湯呑を差し出す。

「ではリツソの様子を見て参ります」

四方が大きく息を吐いた。

「なぁ、マツリがリツソを見に行っている間に少しでもいい。 粥なと食べてくれ。 一口でも二口でもいいから、な?」

そしてマツリを部屋の隅に呼ぶと、素早く今のリツソの処されている状況と場所を説明した。
領主である四方が見に行くと目立ってしまう。 医者は作業部屋の外の木窓の下にいて、下手に誰も木窓から漏れてくる煙を吸わないように目を配っていると言う。 よって、誰からも報告がなく、リツソの状況が分からないということだった。

マツリが部屋を出ると、外で待っていた澪引の側付きに薬を飲んだこと、そして粥を持ってくるようにと言い、足早に作業所に向かった。

作業部屋の裏に回ると木窓の下に座り込んでいる医者を見つけた。 足音に気付いた医者が垂れていた頭を上げる。

「マツリ様」

「リツソの様子は?」

「薬草師の話ではまだ・・・。 薬草の実を炙っており、それが効くかどうかも分からない状態では御座いますが、今はその手しかないかと」

マツリと医者の会話が聞こえたのだろう。 木窓が大きく撥ね上げられた。 白い煙がもうもうと出てくる。

「マツリ様こちらに。 あの煙を吸われませんように」

反対側の部屋の戸が開き手巾を口に充てた薬草師が出てきた。 戸は開け放たれたままにし、片手に炙り皿を持っている。 開け放たれた戸からは白い煙が出てきている。

「どうだ?」

医者が訊くが薬草師は首を横に振るしかなかった。

「そうか」

「一度煙を抜きます。 これまでにリツソ様に異常が見られないかもう一度診て下さい」

「ああ、そうしよう」

二人の会話を聞きマツリが薬草師を見る。

「全く目覚める様子は無いか?」

薬草師が重々しく頷く。

「実を炙るのは過ぎてはどうなのだ?」

「過ぎるまで・・・私の知る限りで一番長かったのは二日間です。 その二日の間に何度かの煙抜きをしたというだけで御座います。 どこからが過ぎるというのかは分かっておりません」

「その時にはどうして二日でやめたのか?」

「・・・息を引き取ったからで御座います。 ですがそれが煙のせいなのか、口にしてしまった薬草のせいなのかは分かっておりません」

「それでは逆にその煙で目覚めた者もおるのか?」

そうでなければ今こんなことをしていないだろうが、確認せずにはいられない。

「おります。 ですがこのやり方は気付けの薬湯を飲むに比べると非常に弱いものです。 その者も煙で目覚めたのか、偶然目覚めたのかは分かりません。 僅かでもリツソ様が目覚めて下されば薬湯を飲んでいただくことが出来るのですが」

「リツソの飲まされた薬湯はどんなものか分かったのか?」

「はい。 ジョウソウ草とシミンリョウ草、臭いから判断しますにこの二種類のものを飲まされておいでと思われます」

「ジョウソウとシミンリョウ・・・」

思わずマツリが腕を組み眉を寄せた。 この薬草のことはマツリも知っている。
取り扱いをギリギリではあるが禁止されてはいなく、それでも効き目がきつすぎる薬草である。 それに思わぬ副作用もあるということで、薬草師以外が使用することを禁止しているほどであり、薬草を売る側も薬草師以外に売ってはいけないと決められている。

「どこで手に入れたのやら」

「薬草師の遣いか何かとでも言ったのでしょう。 今にも急ぐ患者がいるような様子でも見せれば薬草を売る側も疑わずに売りましょう」

この医者は盗むということが念頭にないようだ。

「・・・そうかもしれんな。 炙っている実というのは?」

「この二種類を選んだのは即効性を求めたからだと思いますが、この二種類を合わせたことなど今まで聞いたことが御座いません。 ですのでそれに見合う実が分かりません。 苦肉の策では御座いますが、個々の薬草に見合う実を炙っております」

「・・・そうか」

組んでいた片手を外して曲げた人差し指の関節を口の周りに充てる。

「そうだな・・・声は聞こえておるようか?」

医者と薬草師が目を合わす。

「煙を抜いた後に何度かお声をおかけしました。 そのような事があると史書にも書いて御座いましたので。 気付けの薬草で目覚めた者に意識を失っている間、呼びかける声が聞こえていたのかというもので御座います。 聞こえていた者も居りましたし、聞こえなかったという者も居りました。 聞こえていた者は返事をしようにも、口も手足も痺れるようになっていたり重く感じ動かなかったということで御座いましたが、それによって己をその戒めから解こうとして、意識を取り戻したということで御座います」

医者に続いて薬草師が言う。

「ですがそれは、薬草が原因では無かったり、また薬草であっても過剰に反応し、効き過ぎた薬草だけの話で御座います。 ましてやこの二種類を合わせたというのは薬草史書には何も書かれて御座いません」

「そうか・・・。 だが試してみる価値もあるということか・・・」

独り言のように言うマツリに、どういうことかと、もう一度、医者と薬草師が目を合わせた。

「とにかく一度リツソに異常が無いかを先に診てもらえるか。 それから考える」

「はい」

医者が返事をし、薬草師と共に煙が大分抜けた部屋に入って行った。

暫くして医者と薬草師が出てきた。

「炙り煙をする前と何らお変わりは御座いません。 心の臓もしっかりと動いておいでですし、呼吸も安定しておられます」

「そうか」

「あの、マツリ様・・・。 出過ぎたことでは御座いますが、お方様にお声掛けはお辛くなられるだけかと」

先ほど声掛けのことをマツリが訊いた。 もしや澪引に声を掛けさそうと思っているのかと案じての進言である。

「ああ、その心配はない。 それにしても我にあの煙にあたると良くないと言っておったのに、薬草師は大丈夫なのか?」

木窓と戸を開けた時もかなりの煙の量であった。
応えたのは薬草師ではなく医者。

「ときおり出て外の空気を吸っておりますようで・・・」

尻切れに言うということは良くは無いということだろう。 単純に考えても気付いている者が気付けの煙を吸うということなのだから。

「悪いな」

「そのようなことは。 これが我々の仕事で御座います」

そう言われてしまえば何という事も出来ない。

「ではあとを頼む。 明日の朝もう一度様子を見に来る」

医者と薬草師が頭を下げた。

人に見つからぬよう歩くと、そのまま澪引の自室に向かう。 何の変化もない様子を伝えるのは憂鬱にしかならなかった。


翌朝の朝食の席。
シキはもちろんだが澪引もリツソも居ない、四方とマツリだけの席であった。 給仕はもちろんのこと全ての人払いをしている。
医者と薬草師と話したことは昨日言っていない。 澪引に聞かせたくなかったからだ。

「紫を?」

「母上にはお気の毒ですが紫はリツソの想い人です。 母上と共に居ても紫のことを考えるほどなのですから」

「リツソの・・・。 だが紫は東の者だ。 本領の為に労を負わせるわけにはいかん。 それにその間、紫は東の領土を空けることになる。 その間に東に何かあってはどうする」

今も尚リツソの想い人が紫揺だと聞いて驚いたことは驚いたが、今はその話をする時ではない。

「分かっております。 ですから紫に決めさせます。 紫から行くと言わせます」

「言わせる? どういうことだ」

「今朝もまだリツソは目覚めておりませんでした。 今日の夕刻になれば丸三日目覚めないままです。 これ以上長引かせるわけにはいきません。 父上の了承さえ頂ければと」

四方が眉を顰めさせる。

「本領に責がかかるようなことをするのではないぞ」

「しかと」

頷いて応える。

朝食を食べ終えたマツリが一旦自室に戻ると他出着に着替え、キョウゲンを肩に乗せてリツソの部屋に入った。 カルネラがリツソの部屋の中にある自分の寝床でまだ寝ている。

カルネラは地下から宮に戻った時、ついうっかりマツリの懐の中で光石を抱きながら丸まって寝てしまっていた。

地下から戻った時に自室に戻ったマツリが懐からカルネラを出すと、光石を抱いたカルネラをキョウゲンの巣の横に置いていたのだが、昨日マツリが地下に行っている間に目を覚ましたらしく、リツソの部屋に戻っていたようだ。

リツソの部屋を見渡すマツリの眉根が寄る。
セミや蛇の抜け殻に川石、葉っぱで出来た舟に塗り絵やお面がずらりと並んでいる。
いったいいつまでこんなことばかりしているのだ、とため息もつきたくなったが今はそんなことを考えている場合ではない。

そんな中に籠を見つけた。 手を伸ばし蓋を開けてみるとそこには飾り石が入っていた。 どうやらリツソの宝箱のようだ。

「せめてこれか・・・」

紫色をした親指ほどの大きさの飾り石を手に取った。

リツソの部屋を出て回廊に出ると部屋の傍らに置いてある長靴を履く。

「キョウゲン頼む」

「御意」

マツリの肩から飛び立ったキョウゲン。 マツリが勾欄を踏み跳んだ。
向かうは東の領土。

「俤(おもかげ)は上手く訊きだしてくれているだろうか。 無理をせねば良いが・・・」

昨日リツソを探すふりをして地下に入った時、俤と接触をした。
まずは見張番のことを言った。 誰が地下と通じている見張番なのかを探って欲しいと言っていたのであった。 リツソを救出したことは地下の者がやって来て言えずじまいだった。

「俤のことです、抜かりは御座いませんでしょう」

「そうは思うが・・・」

危険なことをさせたくはない。

マツリが何を考えているか分かるキョウゲン。 このまま俤の話をしていると余計とマツリの気が萎えてしまうだろうと、話の矛先を変えた。

「紫が上手く乗ってきますでしょうか」

「ああ、それは間違いないだろう。 あの性格だ」

「かなり我慢をされなくてはならなくなりますが?」

「仕方がないだろう。 まぁ、俺が限界を越えそうになったらキョウゲンが俺をたしなめてくれ」

「・・・御意」

出来かねることを言ってくれるが、返事はせねばなるまい。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第7回

2021年11月02日 22時29分32秒 | 小説
辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第7回




薬草師が走って来た。

「お方様、御身を」

澪引に身体を下げろと言っている。 顔を強張らせた澪引が一歩退くと薬草師が麻袋から顔を出しているリツソを見た。

「身体に見合わぬ量の薬湯を飲まされたらしい。 頼めるか?」

澪引に聞かれないように薬草師の耳元で言う。
それがどういうことかは薬草師も心得ている。 薬草師がリツソに顔を近づけ臭いを嗅ぐとその眉根を寄せる。

「何とも言い難く」

「我にはどうすることも出来ん、預ける」

そう言って薬草師に麻袋ごとリツソの身体を渡す。 マツリには分からない分野なのだから預けるしかない。

「リツソの息を吹き返してくれ」

リツソに息があるのは確認しているが、単純にそういう意味ではない。

「手を尽くします」

「父上、医者も呼んでください。 それとリツソを見た者にはすぐに口止めを」

口止めの理由が分からなかったが、頷いた四方の返事にキレよく側付きが動いた。

薬草師の腕に乗せられたリツソが宮の中に入って行く後を澪引が追う。

「リツソの状態はそれ程に悪いのか」

「薬草師でも医者でもありませんので分かりません。 ですが薬湯を飲ませた者が言うに、もう目覚めていてもいい頃だということでした」

「そうか」

四方が執務室に足を向ける。 マツリがその後を歩く。

「まだ顔色が悪そうでしたが」

四方の側付きのことである。

「ああ、無理をすることは無いと言っておるのだがな」

先ほども裃姿(かみしもすがた)によく合うキレで応えていた。

その裃は日本の物とは若干異なっている。 日本の物のように糊がピッシリときいた物ではないし、生地が全く違う。 肩衣も日本のもののように必要以上に張ってはいない。

それ以降、執務室に入るまで四方の口が開くことは無かった。

「報告を聞こう」

ようやく執務室に入り椅子に掛けるとマツリに問う。 人払いをしている。 執務室に居るのは四方とマツリだけである。
問われたマツリが城家主と呼ばせている者の屋敷で見聞きしたことを四方に伝える。

「木箱に隠し金!?」

「少なくとも地下の者から巻き上げたものでは無いかと」

「かなり悪さをしておるな。 少なくともというのは」

「銀貨や銅貨は有り得るかもしれません。 ですがあれ程の金貨を地下の者から巻き上げてしまっていば地下が動かないと思います」

「地下から出て来て何かをしているということか。 どうやって」

地下の者は地下の者なりに商売をしている。 それはおやっさんと呼ばれていた先代よりもっと前からではあったが、商売の為に酒や食べ物を地下から出てきて買い求めることはあった。

俤からは今商売をしているのは全員、城家主の息がかかっているということであった。
ろくでもない城家主の息がかかっているのだ、酒や食べ物を単純に買い求めていたのではないだろう。 それに四方の言う通りそれだけではないだろう。

「全く分かりません。 軽く考えると掏り(スリ)か何かかもしれませんが、父上の方にはそれに値するような報告は御座いませんか? 例えば付け火や強盗が続発しているなど。
金もそうですが、宝飾品や手に持って逃げられるような高価なものもありました。
地下に新しく入ってきた者がこれだけはと持っていたものを、賭博や何かで巻き上げられたのかもしれませんが、それにしては金も宝飾品も多すぎました」

「ふむ・・・充分に有り得るか・・・。 報告は無くはない。 それが地下と関係しているのかどうかは、洗い直さねばならんか」

マツリが深く頷き、言いたくないことを口にする。

「見張番と通じているようです」

「見張番? どういうことだ」

「今日、リツソが狙われたのは我が夕刻前に飛んだのを聞いたからのようでした」

「見張番から聞いたということか?」

マツリが頷くと四方が歪めた顔を投げた。

「何人かまでは今の段階では分かりません。 早計に動かれない方が宜しいかと」

「見張番には信用のある者しか置いていないというのに。 だが悠長には構えておれん。 各領土に入るようなことがあってはどうにもならん」

「我も出来うる限りそちらを調べます」

「だがマツリがリツソを地下から出したと分かったのなら、奴らも簡単に尻尾を出さんだろう。 いや、それどころではない己等がリツソを攫ったと知られて何をしてくるか分からん」

「城家主の屋敷を抜けてきた時には、リツソ一人で抜けてきたように細工を残してきました。 我が関わっているとは疑わないでしょう。 ですからリツソが回復をしても暫くは房に閉じ込めておいてください。 リツソの足ではこんなに早くは宮に帰っては来られませんので」

それで先ほど口止めと言ったのか。 納得するがその先が分からない。

「だとしてもそれからどうする。 リツソが己の足で抜け出てきたとしても、訊かれればリツソは地下から出てきたと言うだろう」

どれだけ口止めをしたとしてもうっかり言うだろう、そういう可能性は大いにある。

「リツソは地下のことは全く知りません。 眠らされて地下に入ってきたようですし、そのまま目が覚めておりません。 地下の者、誰からも何も聞いていないでしょう。
抜け出てきたところが城家主の家とも知りませんし、城家主という言葉も知りません。 城家主の屋敷に連れて行かれたとは言えないでしょう。
城家主も一旦はそれで落ち着くと思います。 自分たちに疑いは向かないと」

四方が腕を組む。

「我も地下に行きそのように振舞います。 今回のことが落ち着いてから城家主を潰す方が何かとやりやすいかと」

その方が時を自由に使える。 切羽詰まって慌てると要らぬ尻尾を踏むかもしれない。

「・・・各領土のこともそうだが、地下のことにも離れ過ぎていたようだ」

マツリから地下の報告は逐一聞いていたが、事が起こるまで手を出さずにいた。

「そのようなことは」

「いや、書類に追われてばかりとは言い訳に過ぎん」

本領の人口が増えてきていた。 それによる色んなことが書類としてあげられてくる。 それはマツリも知っている。

「お爺様が本領領主であられた時に、父上はお一人で各領土と地下を見ておられました。 我などはついこの間まで姉上の手を煩わせておりました」

「わしが見ておった時には各領土も地下も落ち着いておった」

そう言うと唱和のことが浮かんだ。

「唱和のことに気付かなかったのは落度であったが」

東の領土の “古の力を持つ者” である唱和は幼い頃に北の領土の者達に攫われ、記憶を封印されてずっと北の領土に居た。

唱和に気付いたのは紫揺であった。 その紫揺が四方に進言をし、唱和を本領に連れてくると此之葉が封印された記憶を解いた。 そして今は妹である独唱と共に静かに東の領土で暮らしている。

「唱和のことは我も気付きませんでした。 あの事には紫が気付かなければ誰にも分からなかったことです」

「いつでもわしも走る。 わしの手が必要な時には言うようにしてくれ」

「有難うございます」

そうは言ったが、もう五十の歳になった四方を供の山猫の背に乗せて走らせるわけにはいかない。 四方自身もそうだが、山猫も歳を取っている。
供である動物はその種の年齢や寿命に関係なく、主と共に歳を重ねる。

「他に気付いたことは」

「今のところはありません。 明日、地下に行きリツソを探すふりをしに行きます」

以前リツソが居なくなった時にも地下を探しに行っている。

あの時リツソは北の領土に居た紫揺に会いに行った後、会えなかった紫揺の置手紙を見て本領に帰って来ていた。
リツソは漢字がまだ読めない。 宮に戻ると漢字が混じっている紫揺からの手紙をすぐに四方に読んでもらえばよかったものを、何故かハクロと共に宮の床下に居た。
ついでに言うなら、腹が減ったリツソが厨(くりや)から盗み食いをした嫌疑をハクロにかけられていた。

「それで誤魔化せると?」

「充分でしょう」

「・・・地下の者は随分と甘くなったか」

ある意味で、である。

「甘くなった分、性質(たち)が悪うございます」

「気骨を忘れたということか」

良くも悪くもである。

「はい。 城家主と呼ばせている者がそうさせています」



軽い食を乗せた盆を片手に持った男が、屋根裏部屋の鍵を開け戸を開けた。
天窓の上は空ではなく通気口のように穴が開いている。 そこから十分ではないが陽が入っている、この刻限なら歩くに角灯は必要ない。

「え?」

片手で戸を持ちもう一方の手が揺れた。 均衡を失った盆が手から滑り落ち、大きな音をたてる。 汁椀から汁が零れ足元の荒い木を濡らしていき、小麦で練られたパンが転がっていく。

「逃げた!」

後ろに居た者がどういうことだという目で振り返った男を見た。

「逃げたんだよ!」

すぐに跳ね上げ階段まで走って行くと、顔を出し下に向かって「逃げた!」 と叫んだ。
男の声を聞いて廊下を見回っていた者たち四人がすぐに屋根裏に上がってきた。

盆を持っていた男がもう一度部屋の中に入った。 一人が角灯を持ってきた。 角灯で部屋の隅を照らすと隣との境の木が破られているのが見えた。 すぐに隣りの部屋の鍵を開け勢いよく戸を開けた時に崩れるような大きな音がした。

男たちが目にしたのは朝陽が入ってきている天窓が開けられ、その下には足場にしたのだろう、色んなものが散乱している状態だった。
勢いよく戸を開けた衝撃で崩れたと見てとれる。
そして天窓からは綱が下がっていた。
角灯で陽のあたらない部屋の隅を照らすが、特に変わったところはない。 雑多な物が使われた以外は。

「ここから逃げたってことか?」

開け放たれている窓を見上げる。

「誰が連れ出したんだ! マツリか!?」

「いや、マツリならもっと自分の身体に見合った範囲で木を破るだろうよ。 それにあんなに物を積み重ねて足場を作る必要もねー」

マツリの身体能力は誰もが知っている。

「どういうことだ」

「マツリ以外が助けに来るなんて有り得ねー。 あのチビが一人で・・・」

「あのチビにそんなことが出来るか、手が付けられねーと聞いてただろうよ。 頭を働かせるなんて出来ねーはずだ」

「だからよ。 手が付けられねー、逃げ足が速いと聞いてただろが。 ここから抜け出ることは造作もなかったかもしれねー」

「・・・」

天窓にかけられた綱が素知らぬ顔で揺れている。


「なんだとー!」

短髪に濃い髭を生やし出っ張った腹で、着流しにした綿で出来た白黒黄色の縦縞の着物に似た作りの衣に、これまた黒い羽織のようなものを着た城家主と呼ばせている男が叫んだ。 その前で五人の男たちが身を小さくしている。

「あれだけ見張りをしててどこから逃げたってんだ!」

「・・・天窓から」

「あそこの天窓は閉めておけって言ってたはずじゃねーか! 開けてたってことか!」

「閉めてました。 その、隣の部屋の天窓から」

「どうやって隣の部屋に入ったってんだ!」

「境の木を蹴破ったみたいで・・・」

「くそっ! マツリか、マツリの奴!」

男たちが下げた頭のまま目を合わせた。 マツリの影があるとしておいた方がいいのか、リツソ一人で抜け出ただけでマツリの影は無かったとした方がいいのかが分からない。

「てめーら、どうなるか分かってんだろうなぁ」

城家主が前に並ぶ五人の男たちに目を這わせる。

「そ、そんな。 オレたちだけのせいじゃ―――」

「逆らうんじゃねー! こいつらを縛り上げろ!」

部屋の中にいた他の者が目を合わせる。

「さっさとしねーか!」

と、そこに一人の男が入ってきた。

「城家主、マツリが地下に入ってきました」

「けっ・・・さっそくお見えか」

本領領主が宮都の武官を伴ってきたわけではなさそうだが、マツリだけでも十分だ。 歯噛みをして言ったが男が続ける。

「それが、あのチビを探しているみたいです」

「あー? どういうこった」

「その辺で博打を始めたヤツ等に、チビを見かけなかったかと訊いていたそうです」

以前リツソが本当に居なくなった時には、マツリは誰にも訊いたりはしなかった。 そんなことをしては、城家主に機会を与えるだけになってしまうからだったが今回は違う。

「マツリが知らないとでも?」

自分たちがリツソを攫ったことを。

「どういうこった?」

まだ縛り上げられていない前に立つ五人を見て言う。

「・・・その、屋根裏部屋からはあのチビが一人で出たようです」

「あのチビにそんなことが出来るってーのか!」

「手が付けられないチビだったらしいですから・・・」

何が言いたいか分かった。

「くそっ!」

リツソ一人で逃げたのかどうか、そんなことはどうでもいい。 今は自分たちが攫ったことだけが本領領主にバレなければそれでいい。

本領領主である四方夫妻が溺愛している、ましてや先代領主も溺愛していると聞くリツソという人質無しに太刀打ちなど出来ないのだから。
四方夫妻と先代領主であるご隠居がリツソを溺愛しているということは、宮の者しか知らない事であったが、どうしてか城家主はそれを知っていた。

「マツリが探してるってことは、まだあのチビがこの地下に居るかもしれねーってことか・・・」

人質は手からこぼしたくはないが、いつ宮都の武官が入ってくるか分からない。 リツソが宮に戻って本領領主に城家主に攫われたと言えばそれで終わりだ。

「あのチビは地下のことも何も知らないはずです。 かなりの馬鹿なようですから、それこそ本領内、宮都のことも知らないはずです。 せいぜい宮の外近くに出るか、宮の中で悪さばっかりしているようなチビです。 地下の中で出口が分からないのでしょう。 それにここから出たといっても、ここが城家主の屋敷だとも知りません」

万が一マツリがリツソを見つけ出しても、リツソが城家主の家に連れ去られたとは言わないだろう、ということか。

「・・・そういうことか。 よし、すぐにあのチビを探せ!」

人質は取り戻す。

「へい!」

前に並んでいた五人も他の者に紛れて城家主の前から消えた。

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