大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第79回

2022年07月11日 21時54分38秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第70回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第79回



此之葉が紫揺の部屋に入って驚いた。
用意していた手拭いが全て使われていた。 ましてや山と積まれた手拭いを触ってみると、殆どが絞れば吸った汗が落ちてきそうなほどだ。

「・・・これほど薬湯に違いが」

マツリが持ってきていた薬湯の入った筒に目を流した。

暫し考えたようにしていたが今は紫揺の着替えが一番だ。 あれ程の汗をかいたのだ、服もかなり濡れていよう。
そっと布団をめくり紫揺の服に触れる。 湿った感じはあるが濡れているようではない。 此之葉が首を傾げながらも紫揺を起こさない様に着替えさせる。
手が止まった。 ふと気づいた。
もしかして服に汗が染み込む前に手拭いで拭いていたのだろうか。
山と積まれた手拭いを見る。
一瞬にして顔が赤くなった。

(私ったら、何を考えているの)

手早く紫揺を着替えさせる。

戸の外では塔弥と阿秀が座している。

「塔弥」

後ろに座する塔弥に話しかけるが前を見たまま。

「はい」

「唱和様のお加減がここのところよろしくない」

出遅れていた阿秀は唱和についていた。

今度八十三の歳になる。 “古の力を持つ者” として東の領土で先代に教えを乞うていたが、幼少の時に北の領土の者に攫われ、北の領土の “古の力を持つ者” にずっと術を掛けられていた。 己が “唱和” である以外、己は誰なのかを忘れていた。

紫揺によって唱和が東の領土の者だと分かり、それを切っ掛けに本領が間に入りかけられていた術を此之葉が解いた。 それからは東の領土にいる妹の独唱と一緒に暮らしていたが、長い間北の領土に居たからなのか、東の領土の温暖な気候に身体が休まればいいものを、北の領土の寒さに慣れてしまっていたのか、身体がついてこられないようだった。

此之葉のことに出遅れていた阿秀だったが、ずっと独唱と共に唱和についていた。

「北におられた方が唱和様のお身体には良かったのかもしれませんが、そうは考えたくありません」

「・・・そうだな」

「薬膳はお食べになっておられるのですか?」

「僅かだがな」

「独唱様はなんと?」

塔弥は紫揺が見つかるまではずっと独唱付きでいた。 その独唱は “古の力を持つ者” として紫揺をずっと追っていた。 塔弥が知る限りは、その間、一言も唱和が居なくなったことへの泣き言を聞いたことはなかった。

「歳だからと言ってはおられるが、姉妹として一緒に居られたのが僅かな年月だ。 お寂しいだろう」

「たしか・・・唱和様は日本にも居られた? 紫さまを探すために」

独唱もそうであるが、唱和も紫揺を追っていた。
独唱は東の領土の洞を抜け、日本に入った洞の中でずっと紫揺を探していた。

「ああ、北の領土で洞を見つけてからは日本を知り、日本の島に屋敷を建てた後、屋敷の中で探されていたようだ」

「ということは、日本の物を食べておられたということになる・・・」

塔弥のつぶやきに「そうなるだろうな」と阿秀が答える。

「陽が昇ったあとも此之葉だけに任せて宜しいでしょうか?」

紫揺のことは気になるが、マツリが『一寝入りもすれば何もなかったように起きるだろう』 と言っていた。
紫揺の事は此之葉に任せ、元気になったあとには他のお付きが付くだろう。

「独唱様と唱和様に付くということか?」

「いいえ。 葉月に頼みごとがあります。 その手伝いをしたいと思います」

「葉月に?」

ようやく阿秀が振り返って塔弥を見る。

「葉月は日本の食べ物を知っております。 全く同じにとはいかないでしょうが、似た物を作ってもらいます」

阿秀が「ああ」と言った。 己も日本の料理は知っている。 日本に居る時に散々食べてきたのだから。

「そう言えば違うな」

「薬膳に越したことは無いでしょうが、懐かしいものを食べられれば少しでもお元気になられるかもしれません」

何故そう思ったかを阿秀に説明する。

「え? 紫さまが? そんなことを言っておられたのか?」

チョコレートやケーキ、シュークリームやパフェやプリンを食べたいと。

阿秀が思い出したように笑いを漏らす。
紫揺と二人、北の領土の者たちが住む日本の屋敷に向かったあと、タクシーでコンビニに寄った時のことを思い出したのだ。

夜食に何か食べようと言ったのに紫揺が手にしたのは、生とカスタードのダブルのクリームが入ったシュークリームと玄米茶のペットボトルだった。

「シュークリームか。 懐かしいな」

その後、紫揺が領土に戻るか日本に居るかを決めかねていた時、紫揺の家の前にドッグフードとダブルのクリームが入ったシュークリームを差し入れてもいる。

紫揺の部屋の戸が開いた。
此之葉が山のように手拭いを抱えている。

「どうだ?」

阿秀が訊く後ろで塔弥が立ち上がるとその手拭いを受け取る。 ずっしりと重い。 それにぐっちょりと濡れている。

「お熱は下がって眠っておられます」

「心配は無いということか? マツリ様は一寝入りもすれば何もなかったように起きると仰っておられたが」

「おそらくマツリ様の仰る通りだと思います。 いつもと何ら変わりはありませんから」

阿秀と塔弥が再度安堵する。

「この手拭いは?」

塔弥が訊く。

「マツリ様が紫さまのお身体を拭かれたものと・・・」

阿秀が眉を上げ、塔弥の時間が止まった。
此之葉が再度頬を染める。

「・・・あ」

ようやく我に戻った塔弥。 顔を赤くすると手拭いを抱えたまま洗濯場に足を向けた。

「まさかマツリ様と紫さまがその様なご関係・・・」

此之葉には答えにくいことを阿秀が呟く。

「そ、そ、そのようであれば・・・お、お着替えをお任せになられることは無いかと・・・」

問われたわけではないのに更に顔を赤くして此之葉が答える。

「・・・そう、だな」

懸命に答えた此之葉に阿秀の返事は短いものだった。

「急な高熱と解熱で身体がついていかないだろう、と仰っておられた。 気をつけてみてくれ」

「はい・・・」


昼餉前時に紫揺が目を開けた。

「紫さま?」

此之葉の声がする。

「ん? 此之葉さん? お早う」

紫揺がいつも通り身体を立てようとする。 違和感がある。 途端、ふわっと体が浮いたような気がした。

「・・・あれ?」

言ったかと思うと、ドタンとそのまま元の体勢に戻った

「無理をされませんよう。 シキ様が帰られた後、お熱を出されました」

「え?」

そう言われれば頭がぼやんとしている。 ほんの僅かだが。
記憶をたどる。
あ、というと思い出したような目をした。

「そう言われれば、塔弥さんが支えてくれたんだ。 え? で? お熱下がったみたい?」

自分で額を触ってみる。

塔弥からマツリが来ていたことは話さないようにと言われている。 マツリがそう言っていたと。

「はい。 その、頑張って薬湯を飲んでくださったので」

マツリが紫揺に薬湯を飲ませている所を見ている。

「薬湯を?」

倒れてすぐに飲まされたことは覚えている。 だが頑張ったのではなく普通に飲んだ。 苦かったのを憶えている。
でも今、此之葉は頑張ったと言った。
紫揺が顔を歪めて思い出そうとする。 そう言われればと、身体を支えられて湯呑を口に当てられたことを思い出した。 かなり強引に飲まされたことが頭の片隅に浮かんだ。

「そう言われれば・・・。 誰が飲ませてくれたんですか?」

此之葉の心臓が撥ね上がった。 後ろを向いて立ち上がる。

「お腹が空いてらっしゃいませんか? すぐに薬膳を持って参ります。 それまでそのまま横になっていて下さい」

薬膳と聞いて紫揺ががっくりと肩を落とした。

紫揺の部屋を出た此之葉が膳を取りに行くと台所に塔弥が居た。 なにやらあちらこちらを開けて探し物をしているようだ。 その塔弥の後姿に声を掛ける。

「紫さまが目覚められました」

え? っと膝を着いて下の棚を覗いていた塔弥が振り向いた。

「まだお身体がしっかりとはされていないようですけど、お布団に横になってもらっています」

「そうか。 良かった」

その場に胡坐をかく。

「マツリ様が仰っておられたように本領の薬湯がよく効いたんでしょうね」

どこか寂しそうに言う。

「仕方がないさ。 それより、これからはお熱を出されないように計らおう。 それが一番だ」

コクリと此之葉が頷く。

「塔弥は何をしているの?」

「ああ、葉月に頼みごとをしてその手伝い。 葉月が言うにはここの台所に菜の花からとった油があると聞いたんだけど」

「ああ、それならここ」

塔弥が探していた棚とは違う、奥の棚から瓶を出すと塔弥に渡す。

「そんな所にあったのか」

「それよりどうして誰も昼餉の用意をしてないの?」

もう昼餉前だ。 この台所でお付きたちの昼餉の用意をしていなくてはならない。 それに紫揺の薬膳も用意されていない。

「紫さまが臥せっておられるからって、向こうで作ってる」

共同の台所のことである。 物音を聞かせないために配慮したのだろう。

「薬膳ならできていたから、これを持って行ってすぐに持ってくる。 紫さまのお部屋で待っていてくれ。 お一人にはしたくない。 何かあったらお付きが部屋にいる。 すぐに呼ぶといい」

頷きかけた此之葉だったが、さっきの紫揺の質問をまた訊かれては困る。

「待って、私が取ってきます。 油も持って行くから塔弥が紫さまと待っていて」

此之葉が塔弥の手から油の瓶を取り上げた。

「葉月はあっちの台所?」

「あ、うん」

「じゃ、紫さまをお願いします」

台所を出かけ、呆気にとられる塔弥に振り返る。

「誰が薬湯を飲ませてくれたかって訊かれたの。 また訊かれたら、塔弥、お願いね」

塔弥が溜息をついた。
そういうことか。

いつまでも紫揺を一人にはしておけない。 塔弥が台所を出ると誰が飲ませたことにしようかと考えながら歩いた。 己が知らないと言ってしまえばまた此之葉に訊くのだろうから。

紫揺の部屋の前まで来ると「塔弥です」と声を掛けてから部屋の中に入る。
普通なら此之葉も他の女も居ないのに、男が紫揺の部屋に入ることは暗黙の了解で禁じられている。 それは代々の紫の頃からである。 だが塔弥だけは例外だった。 それも暗黙の了解であった。
だから紫揺が倒れていた時にも、塔弥が一人で紫揺に付いていても誰も何も言わなかった。

此之葉からは布団で横になってもらっていると聞いていたのに、紫揺が座卓の前に座っているではないか。

「あ? え? 横になっておられなかったのですか?」

布団も上げられ、もう押し入れの中に入れられているのだろう。 部屋の中には見当たらない。

「此之葉さんに言われたけど何ともないから」

塔弥が渋面を作って頭を下げる。 マツリが言っていたそのままだ。

『一寝入りもすれば何もなかったように起きるだろう』

「どこか具合の悪いところは御座いませんか?」

言いながら立ち上がり押入れを開け、せっかく紫揺が片付けた布団を出し始める。

「ない。 ・・・何やってるの?」

「昨日は沢山汗をかかれました。 布団を干します」

「え? 汗かいたの?」

「かなりのお熱が出られましたから。 手拭いが何枚も必要なほど」

「そうなんだ。 ・・・何も覚えてない」

「それだけお熱を出されました。 己がお止めしなかったのが悪いのは分かっていますが、 少しはお身体のことを考えて下さらなくては」

布団を戸の近くに置いて卓を挟んで紫揺の前に座る。

「あ・・・。 やっぱり泳いだのがいけなかったのかな」

「夏ではありませんから」

「途中で寒気はしたんだよね。 でもあれくらいで・・・歳かなぁ」

「三月が終わるといってもこんな時期に泳がれるからです。 お歳以前です」

「でもあの時はそうしたかったんだもん」

「もん、じゃありません。 スッキリしなかったと仰っていましたが、他に方法が御座いましょう」

「水に浸かったら流れると思ったから」

「何がで御座いますか?」

「まぁ・・・いろいろ」

そこが言えない所か。 それを知って解決したいのは山々だが、いま突き詰める必要はないだろう。 それに突き詰めるのではなく、紫揺から言ってもらわなくてはこれからのこともある。

はぁーっと、塔弥が大きく溜息を吐く。

「とにかく、泉へ行かれるのならば泉へ行かれると仰っていただき、お転婆での襲歩は禁止です」

「えー!? 横暴!」

「横暴なのは紫さまです」

「なーんか、塔弥さん怪しい」

紫揺が塔弥を横目で見る。

「何がで御座いますか?」

「いつもより厳しい感じがするんだけど」

「はい。 これからは厳しく申し上げます。 もう二度とお熱を出されては困ります」

それにあの時思ったのだから。 『紫さまには抑える人間が必要だ』 と。

「泉に行くことを言わなかったのは悪かったけど、お転婆で襲歩をしたからってお熱には関係ないじゃない」

「あります。 あれだけお転婆を走らせて休むことなく泉に入られて。 身体がついていかないでしょう」

「そんなことないし」

「ないし、じゃありません。 現にお熱を出されました」

「・・・塔弥さんに熱が出そう」

「馬鹿なことを言わないで下さい」

戸の外でコソコソと声がする。
ずっと戸の向こうで聞いていた者たちだ。

「塔弥の馬鹿が、紫さまに馬鹿と言うか?」

「いや馬鹿とは言っていないだろう。 馬鹿なことと言っただけで」

「それにしても挑戦的に言ってるな」

「ああ、塔弥に何があったんだ?」

「昨日か? マツリ様が来られて何かがあったのか?」

団子になって戸に耳を付けている。 下になっている三人が四つん這いになり、その者たちの肩の上に手を置いて上段に二人が居る。 その誰もが廊下に尻を向けている。 組み立て体操もどきだ。

「何をしているのですか?」

後ろから声が掛かった。 組み立て体操もどきが大きな音をたてて崩れる。 その音に眉根を寄せた塔弥が戸を開けた。
もつれ合っているお付きたち五人。

「あ、あ」 と前後の塔弥と此之葉を見る。

「立ち聞きか?」

「いや、手はついてた」

「そういう問題かっ!」

すぐに蹴散らそうとしたが、その前に全員が立ち上がってその場から逃げ出した。

「襲歩は遅いのに逃げ足は速い」

逃げていく背中にポツリと漏らした。

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