大福 りす の 隠れ家

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--- 映ゆ ---  第141回

2017年12月28日 21時55分04秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



『---映ゆ---』 第1回から第140回までの目次は以下の 『---映ゆ---』リンクページからお願いいたします。

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- 映ゆ -  ~ Shou ~  第141回




八畳間に真名を寝かせ和室に戻ってきた貴彦。 和室には宮司と奏和が居る。 雅子は台所で茶を淹れなおしている。
貴彦が座るとすぐに奏和に声をかけた。 

「奏和君―――」 が、奏和がそれを拒んだ。

「小父さん、今、俺がしたみたいにして欲しいんです。 って、俺もまだ慣れてませんから、足らないところもあったと思うんですけど、とにかくシノハの名前を出す。 シノハの存在を認める。 お婆さんの言ってたことは、こういうことだと思うんです」

貴彦と宮司が苦い顔をする。

「今すぐには無理かもしれません。 最初は俺が頑張るつもりでいます。 でも、いずれは小父さんたちも」 

そう。 そう腹を括っていた。
渉を神社で引き取り、まずは自分が渉の面倒を見ると。 だから音楽と縁を切った。

父親である宮司にはまだ何も話していないが、宮司を説得する自信はあった。 だがこの腹づもりを貴彦が受けてくれるかどうかは分からない。 でも渉の苦しみとシノハの血を吐くような決断を目の前にした自分にしか出来ないと思っている。
簡単なことではないとは分かっている。 シノハと渉のことを知っているのは自分だけだと思い上がっているわけでもない。 簡単ではないからこそ、この関係者の中では自分が一番適役だと思っている。 もっと、あのお婆さんのように何もかも分かっている人間がいたならば別だが。
二人のあの姿を見た、あの会話を聞いた者にしか、針山は踏めない。 二人の苦しみから比べると針山も小さな丘のようなものだ。
それに勝手に反古にしてしまっていたお婆さんとの約束がある。


『では、頼むぞ。 シノハの片割れじゃ。 シノハ同様、娘も我らの子と同じじゃ』

そうセナ婆から頼まれたのだから。

だが、貴彦が奏和の申し出を断ってしまえば、貴彦たちに頑張ってもらわなければならない。 今、奏和のしたように。 それが出来ないというのであれば、自分に任せてもらいたい。

「・・・無理だよ。 ・・・渉を悲しみのどん底へ陥れるようなものだ。 どれだけ年月がかかってもいい。 毎日渉を抱きしめる。 私にはそれしかできない」

「小父さん!!」

「それに、真名は・・・きっと真名は渉を産んだことに自責の念を抱くだろう。 苦しむ渉を産んだことに・・・。 これ以上なく自分を責めるだろう」

ああ、どうしてこの時にそんなことを言ったのか、今は渉の話なのに。 言ってしまったことはなかったことに出来ない。 貴彦が己の不甲斐なさに唇を噛んだ。
仕事ではこんな下手は踏まない。 が、真名と渉のことになると全く仕事と同じように冷静に物事を考えられない。 それが不甲斐ない。 仕事よりも何よりも大切な真名と渉なのに。


貴彦の内なる声を知らない奏和。 貴彦が言うと同じに真名がそう思うだろうとは思っていた。 だから、真名をこの席から外した。
それに一番のキーである貴彦が魂と命を一緒に考えているのだろうとも思った。 一緒にしてはいけない。 全然別なのだから。 そこを分かってもらいたい。

「小父さん、俺も小母さんのことは考えました。 けど、小母さんが居なくちゃ渉はこの世に生まれてこなかったんです。 渉自身のことは・・・渉の命(いのち)のことはシノハと切り離しましょう。 シノハの世界と渉を結ぶのは魂です。 命と身体の存在ではないんです。 命と身体は・・・渉がこの世に生を受けたことは、小父さんと小母さんが居たからです。 小父さんと小母さんが居なければ渉は生まれてこなかった。 それを渉に分からせることも必要ですが、小母さんにも分かってもらわなくちゃいけない。 小母さんのことは小父さんしか出来ないんです」

二人で話していて『彼』 から『シノハ』 に変わっていた。 それはすぐに気づいていた。 此処大事な所では収拾がつかなくなるのに、変な所で冷静に聞き取れる。 そんな自分を持て余す。

奏和が『男』 から『彼』 に変え、続いて今、固有名詞の『シノハ』 に変えていた。 それはシノハの事を貴彦に敵対視させないためであった。

「奏和君・・・」

「小父さんお願いします・・・。 小父さんと小母さんの大切な渉です。 シノハと逢えないことに理解が出来たら、あとは小父さんと小母さんがどれだけ渉を・・・渉とシノハを想っているかを知らせなくちゃならないんです。 そうでないと渉が抜け殻になってしまいます。 渉を抜け殻にさせないでください」

渉に向けられたシノハの言葉はきっと、シノハ自身が身をもって感じたことを言ったのだろう。 自分と同じように、渉を抜け殻にさせたくない言葉だったのだろう。


『ショウ様を想っている方々が居られる』 渉の周りの人が渉のことを想っている、と。 一人じゃないんだ、と。


宮司が何も言わず二人の会話を聞いていた。
雅子は遠慮がちに茶を置くと台所に戻り、硝子戸を閉めテーブルの椅子に腰かけていた。



奏和の意に沿って、渉を神社で預かることにした。

「宜しくお願いします・・・」 貴彦が玄関で深々と頭を下げた。

「渉ちゃんが大きな声を出すとご近所さんに何事かと思われますでしょう。 ここなら安心です。 誰も渉ちゃんの声を聞きませんから」

奏和の言と共に宮司に言われ、貴彦が頭を下げた。 奏和の考えを後押しをする宮司の言葉だった。


奏和と貴彦、二人の話を静かに聞いていた宮司が、奏和が何を言わんとするか、何を考えているかが分かった。
たとえよく知る渉といえど、人様の大切な一人娘である。 そして宮司にとっても大切な渉でもあるが、その渉を易々と神社に、奏和の元に置いていいのか。 それは悩むところではあったが、奏和の話を聞いて、渉の様子を見て、今の貴彦夫婦を見て、宮司から見ても渉を家に帰すより、奏和に任せるのが最良と思われた。
だから「それに・・・真名さんは今の渉ちゃんに向き合えないでしょう」 と添えた。

宮司の言葉は奏和に驚きをもたらした。 自分は宮司に何も言っていないのに、と。


貴彦が頭を下げている中、翼が真名を支えながら、ゆっくりと先に歩いている。

頭を下げる貴彦の心中、今は渉より真名を立て直そう。 真名があっての渉なのだから。 先程の話で奏和に言われた。 真名のことは自分にしか出来ない。 それに情けないが、自分より奏和の方が渉のことを理解してくれている。 今は奏和に頼るしかない。

「奏和君、渉を頼む」

「はい。 ・・・小母さんが回復して渉のことを理解してくれればいいんですけど」

「真名には厳しい話だからね・・・」

「それほどに渉を想っているのに・・・」

普通の親子でも親は子を思う。 だが、渉と真名は並みのそれ以上だ。 それは奏和も重々分かっている。
だからこそ、真名はシノハと渉の繋がりを理解できないのだろう。
そして今は真名と渉の間で陽炎の如く揺らめく貴彦は足元が宙に浮いてしまっていた。 その中で今は奏和に頼るしかないと、今の自分には何も出来ないという思考が働いた。 その思考を認めるしか今の道はない。

「・・・奏和君、向こうでのことを本当に感謝している。 渉を止めてくれてありがとう」

「小父さん・・・」

「さっきの渉は・・・わたしには見ていられなかった。 ただただ、真名を支えているだけで渉に何も言ってやれなかった。 それなのに・・・向こうでの渉はそれ以上だったんだろう?」

その疑問が何を示すのだろうか。

「はい。 でも・・・シノハが居たんです。 渉もそうなりますよ。 それに、俺は特別に何もしていないです。 渉をシノハに触れさせないように止めたぐらいですから」

「そんなことはないよ」

シノハ・・・。 そうか、彼が居たことで、自分には想像もし得ぬ渉が居たのか、シノハの存在がそれ程までに渉に影響を及ぼしていたのか。 いや、影響ではない。 同調なのだろうか、そう考える。
だが影響、同調と思ったことで、そんな言葉は要らない。 まだ自分に真に渉のことは理解ができていない、それだけだ。 渉とシノハのことを語る奏和の言葉の端々がそう言っているように思える。

「奏和君・・・本当に感謝している。 ありがとう」



翼が奏和からシノハの話を聞かされた。

「やっぱりシノハはいたんだ」 ポツリと漏らす。

「なに? 翼、シノハのことをなにか知ってたのか?」 意外な事実がここにあったのかと思った。

「それって、ホントの話だよね」 言いながらも眉間に皺を寄せ、顔を歪ませている。 質問ではない。

「翼、何を知ってんだ?」 事を明快にしたい。

「・・・シノハの事って言っていいのかどうかわからないんだけど・・・」

あの日、渉をゲームのキャラクターにする為に、二人で神社に写真を撮りに来たことを言った。 そのことは雅子も知っている。

「その時に、磐座と一緒に渉ちゃんの写真を撮ってあげるって言ったんだよ」

「磐座と?」

「だって、渉ちゃんずっとブータレてたんだもん。 写真なんか撮られたくないって。 まぁ、山の中に入ってきた時には機嫌もなおって、いい写真が撮れたけどね。 だからそのお礼っていうか、渉ちゃんの大好きな磐座と写真を撮ってあげるって言ったんだよ。 そしたら運悪く電話がかかってきちゃってさ、その場を外したらその時にシノハと逢ったって渉ちゃんが言ってたんだよ」

「え? シノハと逢ったって?」

「うん。 ・・・渉ちゃんの言ってたことはホントだったんだ。 ・・・それなのに信じてあげなかった」 翼がうな垂れる。

「渉は他に何か言ってたか?」

「渉ちゃんが言ってたのは、俺が居なくなった間に全然知らないところに居て、シノハと逢った。 言ったのはそれだけだったよ。 不安そうな顔っていうか、わけが分からないって顔してた。 
だから渉ちゃんが話てる間はうんうん、って聞いてたけど、でも最終的にどこにも誰もいないし、此処は山の中だよとかって、渉ちゃんの好きな磐座の前だよって言ったんだ。 渉ちゃんの不安を取ってあげたくてさ。
でもよく考えたら、あの日以来、渉ちゃんシノハのことを言わなくなったな。
それからどれくらいたった時だったかな・・・駅前で偶然会った時に渉ちゃんがボケーっとして歩いてたから、まだシノハのことで不安になってんのかなって思って俺が名前を出したんだ」

『「まだオカシナこと言う?」
「だって、本当の事だもん」

あの時の会話を思い出す。

「『いいもん。 誰も信じてくれなくても』 って言ってたっけ」

じっと聞いていた奏和、翼の話はこれで終わりだろうと口を開いた。

「そうか・・・。 それっていつ?」

「え?・・・えっと」思考を巡らせる。

「ご・・・じゃない。 五月の連休のあと。 6月だったかな」

奏和が、渉がタコ踊りのように磐座の前で踊っていたのを見たのは7月。
今の翼の話からすると、不安そうな顔をしていた、その6月が初めて会った時と思われる。という事は、奏和が知る一か月前の6月に初めてシノハと逢っていたという事になる。

「・・・」

あの時は磐座の前でイリュージョンさながらの渉を見て驚き、元を知ろうと思ったが、今更それを知ったとてどうなる。

「奏兄ちゃん?」

難しい顔をしている奏和に声を掛けると、奏和が軽く手を上げた。

「何でもない」

奏和の返事を聞き己の世界に入る翼。

「あー! どうしてあの時に信じてあげられなかったのかなー!」 翼が頭を掻きむしる。

「そりゃ、無理だろ」 奏和がオロンガ村の風景を、鹿を操る姿を、これ以上にない美人を思い出して重ねて言った。

「ああ、無理だよ」

あの時の渉とシノハのことは余りに非現実的であり、お婆さんの言葉も宙に浮いて思い出された。


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--- 映ゆ ---  第140回

2017年12月25日 20時20分58秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



『---映ゆ---』 第1回から第135回までの目次は以下の 『---映ゆ---』リンクページからお願いいたします。

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- 映ゆ -  ~ Shou ~  第140回




「お願い冷静になって!」 真名の声がする。

「身体に障るよ、落ち着いて!」 続いて翼の声だ。

カケルを目に置いていた奏和が一番に閉じられている襖を見た。 続いて貴彦と宮司、雅子も襖を見る。
見ながらも、何が起きているのか分からない。 雅子と宮司が目を合わす。 腰を浮かしかけた貴彦、途端、荒々しい足音が聞こえたと思ったら、乱暴に襖が開けられた。

渉が立っている。 襖を開けたのは渉であった。

一瞬、渉が誰かを探すように部屋に居る全員に目を這わした。 その誰かは奏和。 いつもと違う席に座っていた。 いつもならそこには雅子とカケルが座っているはずだった。 そしていつも自分と奏和が座る席には、雅子とカケルが座っている。

正面に座る奏和と目が合った。

「奏ちゃん、シノハさんのところへ行くの。 行きたいの」

一歩部屋に足を踏み入れ、ゆっくりと二歩三歩と奏和に近づいていく。

渉を追ってきたものの、どうしてここに貴彦とカケルが居るのか。 廊下には翼が所在無し気に、真名が困惑を隠せない顔で立っている。 
渉は足元に座る父親の姿には気付いていない。 奏和しか目に入っていない。

「渉・・・」 卓上に手を着いてゆっくりと立ち上がる。

「行けるはずなのに行けないの。 奏ちゃんが一緒に行ってから行けなくな・・・」 虚ろな目が卓上に置かれている磐座の欠片を捉えた。

「・・・どうして?」

渉の視線の先を奏和が見た。

「渉・・・」 磐座の欠片から渉に目を戻す。

「どうして? どうして石がここにあるの? シノハさんが持ってるはずなのに・・・」

「渉・・・」

石を見ていた渉の目がゆっくりと奏和に向けられた。

「奏ちゃん、どういうこと?」 虚ろだった目が据わろうとしているかのように、目の中に息が入った。

「どうしてその石がここにあるの? ここにあったらシノハさんの所に行けないじゃない。 奏ちゃんが持ってきたの!?」 声が段々と大きくなって語気も荒れてこようとしている。

「どうしてここにあるの! 返して! シノハさんに返して! その石を返して!! 今すぐ返して!!」

「渉ちゃん!」 今にも奏和に飛びかかろうとした渉を翼が止めた。

「渉ちゃん、渉ちゃん・・・いったいどうしちゃったの・・・」 真名がその場に崩れ落ちる。 その真名をすぐに貴彦が支えた。

「奏ちゃん! 奏ちゃん!! シノハさんに返してよー!!」 半狂乱になって叫び暴れる渉を翼が抑えきれない。

「渉ちゃん!」 腕を押さえようと思うが、あまりにも細すぎて、強く握れば簡単に折れてしまいそうでしっかりと押さえられない。

「渉! 落ち着けって」 翼の手から抜け出て、全身で奏和に向かう渉を抱きしめた。

「返してきてよ! 返してきてよー!!」 奏和の身体をありったけの力で叩く。

「渉、俺の話を聞いてくれ」

「今すぐ返してきてー!!」

「渉!! 聞けって!!」

奏和の腹からの大声が響いて、渉の肩がビクリと上がった。
奏和が目を瞑り大きく息を吐くと、穏やかに渉に話しかけた。

「渉、彼・・・シノハっていったよな。 俺あの時、シノハさんって言ったけど、渉と同い年なんだってな。 お婆さんが教えてくれた。 だから“さん” 付けはやめるな」

「・・・奏ちゃん?」 奏和の両腕から渉が顔を上げた。

「石はシノハから受け取った」

「シノハさんがそんな事するわけない!」

「そうだよな。 シノハがどれだけ渉と居たいか俺も聞いた。 そのシノハがどんな思いで俺にこの石を託したか、考えてみろよ」

「考えられるわけない!」

「渉、そんなことないだろ? 渉はシノハの考えてることが分かるんだろ? そう言ってたじゃないか」

「シノハさんは、シノハさんは・・・私と共に居たい、ずっと身が絶えるまで私と居たいって言ってくれた!! 奏ちゃんも聞いてたでしょ!」

「ああ聞いたよ。 それがシノハの想いなんだってわかるよ。 でも、シノハは自分の想いを通すよりも何よりも、渉の存在を選んだんだ」

「シノハさんが居なきゃ、私が居る理由なんてない!」 

「渉・・・小父さんと小母さんが聞いてるぞ。 翔だっているんだぞ。 本当にそんなことを思ってるのか?」

「シノハさんだけ居ればいい! シノハさんに返してきて!」

「そうじゃないだろう? 小父さんと小母さんがいなきゃ、渉は生まれてこなかったんだろ? シノハにも会えなかったんだろ?」

「シノハさんが居なきゃ・・・シノハさんが居なきゃ!」 頭の片隅が痛くなってきた。

「翔とどれだけ話した? 二人だけの内緒の話もあっただろ? 翔にもシノハの話をしてやれよ」

「誰もいらない! シノハさんだけ居ればいい!!」

「そんなこと言うなよ。 渉、なぁ、シノハの果断を汲んで・・・いや、信じろよ」 

「シノハさんは私と一緒に居たいの!!」

「ああ、そうだ。 分かってる」

「だからシノハさんの所に行くの!」 息が短く荒くなってくる。

「渉、一度落ち着こう」

「返してきて! シノハさんの所に行くの!!」

「これはシノハの決めたことだぞ」

「奏ちゃんお願い・・・シノハさんに返してきて!」 息がしにくい。

「渉・・・分かってるだろう?」

「なに・・・何が分かってるって言うの・・・」 手がしびれる足もしびれてきた。 

「返しになんて行けないって」 渉にとって一番聞きたくない言葉だった。

奏和を睨む渉の呼吸が、更に荒く早くなってきた。

「渉、落ち着いて息をしろ」 渉を抱く手の力を抜いた。 途端、

「シノハさん・・逢い・・」 渉が膝から崩れ落ちた。

「渉ちゃん!」 翼が崩れ落ちる渉を支えた。

奏和がフゥーっと、大きく息を吐いた。 これで良かったのだろうかという迷いはあるが、自分が迷うのはこの場にいい影響を与えないだろう。 腹の底を再度据える。
足元の様子を見ると、渉を守る気概のある翼が今は渉の肉体を支えている。

「奏兄ちゃん・・・」 訳のわからない翼が渉を支えながら奏和を見上げた。

膝を折って翼の腕の中に居る渉を見た。

「渉、ゆっくりと息をしよう。 1,2,3・・・ほら、ゆっくりゆっくり、渉も一緒に数を数えるんだ」

何度か繰り返すと、渉の息が落ち着きを戻し始めた。 が、目は朦朧としている。
万が一、息がおかしくなってきたら、とセナ婆から聞いてきたやり方だ。

「過呼吸だろう。 お婆さんが言ってた。 病院へ連れて行く方がいいかもしれないけど・・・小父さんどうしますか?」

泣き崩れている真名を支えながら貴彦が首を振った。

「今はまだ真名がこの状態だ・・・。 渉が落ち着いたのならそれでいい。 その・・・奏和君から見て渉はどんな具合だ?」

ギクシャクに言葉をつなげるが、貴彦自身、想像もしないことを話された後で何もかも収拾がつかない状態だ。 余りにも聞き覚えがない事柄が多すぎる。 が、奏和の落ち着いた様子に渉の様子を預けようと思う。 少なくとも異なる所の渉の様子を聞いたとしても、腹から分からないのだから。

「医学的なことは分かりませんが・・・向こうで見た取り乱した時の渉よりマシです。 少なくとも気を失うまでにはなっていませんから」 

「・・・そうか」

言葉はそれだけだった。

(今の渉を見ているだけで、胸が締め付けられるようだったのに、向こうではこれ以上だったのか・・・) 真名を抱きしめる力が更にこもった。

「翼、渉を奥の部屋の布団に寝かせてきてくれ。 母さん、布団を敷い・・・翔!?」 カケルが雅子に支えられて虚ろな目をしている。

「俺が敷いてくる」


渉の姿に言葉に、今まで奏和が言っていた話が真実だったのかと、全員の臓腑が下がった。
宮司は納得をし、渉の姿に驚いてはいたが、場違いと思いながらも、奏和の冷静な対応に少なくとも驚いていた。

(いい加減な奴だと思っていたが・・・) と。

貴彦は自分を責めることになった。

(奏和君があれほど真剣に渉のことを語ってくれていたのに、こんな現実を見せつけられるまで、私は本心から信じられなかった。 畢竟(ひっきょう)渉のことを何も分かっていなかった。 渉に気付いてやれなかった)


一番奥にある八畳間に3組の布団を敷いて、真名とダブルショウが横になった。

「あとでちゃんと全部話すから」 と言った奏和の言葉に頷くと、翼が3人の看護師となった。

「渉ちゃん・・・お見舞いに行っただけなのに、こんな事になっちゃうなんて・・・。 車なんかでお見舞いに行くんじゃなかった」 

翼が父親の車でやってきたのを知って、彫像のように化していた渉が、神社に連れて行って欲しいと片言で言った。

過呼吸がおさまり、今は落ち着いて寝ている渉の髪を撫でる。 ハネている部分は枕に押さえられていた。

「あ? あれ? さっき・・・たしかシノハって・・・」 撫でていた手が止まる。

渉から聞いていたシノハと言う固有名詞を思い出した。 奏和が言っていた言葉が頭を駆け巡る。


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--- 映ゆ ---  第139回

2017年12月21日 22時00分07秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~ Shou ~  第139回




「向こうから帰る寸前に、彼が俺に握らせたんです。 だから渉には次に向こうへ行くときには俺も一緒に行くから、絶対に一人で行くなって言ってたんです。 行けないことを知らないんですから、どうなるか分かりませんでしたから」

そういう事だったのかと、渉のメールを見た貴彦が思う。 奏和から渉へのメールを思い出す。 『絶対に一人で行くなよ』 それはそう意味だったのかと。

奏和の話は進む。

「でもあの日、何も知らない渉が一人で彼のところに行く為に、磐座の前に来ていたんだと思います」

『男』 から『彼』 に変わった。 それに気付いた貴彦であったが、敢えて口には出さなかった。
奏和が自分に気を使ってずっと『男』 と言っていたのかもしれない。 気を使ってもらっていたのかもしれないのだから『彼なんて言ってくれるな』 等と、そこをどうこう言ってはいけないだろう。 それに奏和が言っていた『いい男でしたよ』 と。 だから奏和にとって『単なる男』 ではなく『彼』 と呼ぶに値する人物なんだろうと思う。 そんなことが一瞬にして頭の片隅に浮かんだが、それよりもっと大きく浮かんだことがある。
病院を抜け出し、磐座の前で倒れていた渉。 貴彦が顔を歪めた。

「ごめんなさい、こんなことを聞いていいのかしら」 雅子がチラッと貴彦を見てから奏和に聞いた。

「その男の人は渉ちゃんと・・・そのなんて言っていいのかしら、とにかくずっと会いたいと思ってるんでしょ? それなのに奏和に磐座の欠片を渡してしまったらもう二度と会えないってことじゃない? なのにどうして奏和に渡したの?」

今はもう、シノハの元に行けないと話が括られてしまった。 それでいいのだろうか。 今このタイミングで聞く話ではないかもしれないが、シノハがどういう人間であるか、ここで分かるのではないかという気がした。 男たちにそれが必要なのではないだろうかと。 

「渉は何も知らなかったけど、彼は長い間このことを知っていて、それでずっと悩み続けていたそうです。 あ、渉と知り合った時は何も知らなかったみたいですけど。 
そしてあの日、やっと決断できたんでしょう。 お婆さんが渉に話したことで、渉の反応を見たからかもしれません。 
きっと、彼もお婆さんから話を聞いた時には渉と同じだったんだと思います。 あのときの渉の気持ちは彼にしか分からないんだと思います。 だから、自分が苦しんだことを渉にだけはさせたくなくて、これ以上渉を迷いの中で苦しめたくないと思ったんだと思います」

「迷い?」 貴彦が聞く。

「ええ。 渉も彼も一緒に居たいんです。 それは俺たちには分からないほどの気持ちだと思います。
一分一秒と離れていられなくなるそうです。 触れたくても触れれば消えてしまう。 一緒に居る時間が長くなればなるほど、触れたいと思うでしょう。 そんな辛い中に渉を置きたくなかったんだと思います。 
触れないわけにはいかなくなる、一緒に居ると必ず消えてしまうことになる。 それが分かっているのに、逢わないわけにはいかない。 逢ってはいけない。 逢いたい。 彼が彷徨ったそんな迷いの中に渉を置きたくなかったんでしょう」

宮司が腕を組み目を瞑った。 貴彦が眉間に皺を寄せる。 雅子が顔を手で覆い俯く。 男たちがどう感じたのかは分からないが、シノハの想いが胸に突き刺さる。

「それと多分、俺が居た事も関係あると思います。
彼が渉に会わないと決めても、どこかに磐座の欠片を捨てることが出来ない。 仮に捨ててしまっても、きっとすぐに探しに行くでしょう。 そこが溶岩の中でも。
自分がどれだけ傷ついても渉に逢いたいと願うはずです。 あの場で渉と彼を見ているとそれが分かります。 言ってみれば運命の人以上の二人なんですから」

「奏和に渡してしまえば、返してもらうことも出来ない。 もうどれだけ逢いたいと思っても逢えないっていうことか」 瞑っていた目を開け、奏和の返事を待つ。

「はい」

「さっき言った渉の反応って?」 貴彦が気になるところだ。

「泣き叫んでいました。 彼の名前を何度も呼んで。 そして最後には絶叫して・・・気を失いました。 それに・・・」 奏和が下を向く。

「奏和、ちゃんと言いなさい」 宮司が諭す。

促されても簡単には言えない。 それでも言わなくてはならない。 暫く俯いていたが顔を上げ話し出した。

「渉は・・・向こうで暮らすって言ってました。 そしたら毎日彼に逢えるからと。 お婆さんが宥めすかしても、泣いて叫んで彼にすがろうとしていました。 お婆さんの話が本当なら、渉を彼に触れさせてはならないと思って止めていましたけど」

「それは・・・ここへ帰ってこないという事か? そんなことを渉が言ったのか?」

「・・・はい。 それが・・・彼が渉の期待に応えられないという事です」

奏和の返事に貴彦が顔に手をやった。

「小父さん、渉の運命の人それ以上の人なんです。 魂の片割れなんです。 渉が自分の魂の片割れと会ったんです。 その魂と共に居たいと思うことを認めてやってください」

「認める? 貴彦君じゃなくともそんなことを思えるはずがないだろう」 眇めた目を向ける。

「分かっています。 でも、それを理解してもらわなければ先に進めません」

「先?」 貴彦が顔を上げ奏和を見た。

「はい。 渉をこのままにはしてはおけません」

「どういう事だ?」 宮司が問う。



『では、頼むぞ。 シノハの片割れじゃ。 シノハ同様、娘も我らの子と同じじゃ』



「渉が気を失っている間に、お婆さんが助言をくれました。 俺はその助言に従わなかったんです。 ちゃんとお婆さんの助言に従っていればこんなことにならなかった・・・すみません」 奏和がまた頭を下げるのを見た貴彦。

「奏和君やめてくれ。 君が居なければ私たちは渉を失っていたかもしれないんだから。 それで? そのお婆さんは何て言ったんだい?」

「全てを受け入れ、渉を愛する。 それが渉を救う道だって。 だから、敢えてそんなことを言わなくても小父さんと小母さんなら十分だろうって思ったんです。 それに急に俺がそんなことを言っても、小父さん不審に思うでしょう?」

「そうだな」

「そうなると向こうであったことを話さなければならなくなります。 話しても多分、信じてもらえないだろうし」

「ああ、きっと信じなかったと思う。 それに、もしかしたら奏和君がおかしくなったと宮司に連絡を入れたかもしれない」

「ええ、きっとそうなったでしょうね。 でも、こうなってはそんなことを言ってられない。 だからと言って病院でこの話をするわけにはいきませんでした。 渉の状態もあるし、小母さんの事だって。
それに俺自身があの時まだ整理がついていませんでしたから。 でも、渉が身を断つかもしれない。 俺自身もそう思いましたし、お婆さんにも言われてました。 だから病院で小父さんにも小母さんにも言ったんです。 渉に生きる気力を持ってもらいたいって。 生きる気力を持つように、小父さんと小母さんの愛情を渉に分からせてくださいって」

「そういうことか・・・」

「はい。 でも俺が見誤っていました。 渉を愛するだけではいけないんだって今更にして分かりました」

「どういうことだい?」

「はい。 さっき言いましたすべてを受け入れるっていう所です。 愛することは勿論ですけど、そうじゃなくて受け入れるってことが一番必要だった、ということです」

「え?」

「全てというのは渉の気持ちや想いを、すべて受け入れるってことなんです」

「ああ、分かっているよ」

「あっちであったことを、受け入れるってことですよ?」

「え?」 カケル以外の全員が驚いた顔をした。

「どういうことなんだい?」

「彼の名前はシノハと言います。 渉とシノハの話や、あっちでの色んなことを渉と話すんです。 彼のことも、あっちでのことも受け入れるってことなんです」

「・・・それは」 宮司が苦虫を潰したような顔をした。

「奏和、それは思い出させるだけじゃないの? 逢えない人の話なんかして、渉ちゃんが苦しむだけじゃないの?」 宮司が言いたかったであろう言葉を雅子が繋ぐ。

「渉の想う彼のことを受け入れる。 渉から彼の名前を沢山出させる。 こっちも彼の名前を何度も言う。 それがないとダメなんだ。 彼・・・シノハのことを分かって、納得して受け入れる。 そうでなくちゃいけないんだ。 言ってみれば彼は渉でもあるんですから」

「でも・・・渉ちゃんの心を逆撫でするかもしれないのよ。 あまりにも大きな賭けにならないの?」

「俺はお婆さんの言うことを信じるよ。 小父さんはどうですか?」

難しい顔をして、肘を卓上に置いて手を組むとその拳を額に当てている。

「・・・雅子さんの言うように大きな賭けだな・・・」

「最初は渉も思い出しては泣くかもしれません。 触れられたくなくて怒るかもしれません。 一朝一夕では終わらない話です。 でも、何年かけてでも渉の笑顔を戻しませんか? その為にはこの方法しかないと思います。 
魂ですよ。 魂の片割れなんですよ。 簡単に忘れるなんて出来ないんです。 簡単じゃなくて、一生忘れられない片割れなんです。 いや、片割れなんかじゃなくて、自分自身でもあるんです。 渉であり、シノハである魂なんです。 当たらず触らずで済むはずありません」 今ここで分かってもらわなければ、どうしようもない。 言葉に力が入る。

「・・・確かにそうだが・・・」

貴彦のまだ迷いのある返事に、唇を噛みながらも話を進めた。 今度は穏やかに。

「別れ際、彼が渉に言ったんです。 渉の周りの人が渉のことを想っているって。 それを考えてくれって。 
小父さんと小母さんだけじゃない。 渉の周りの皆が渉をどれだけ想っているか、渉に分からせなくちゃならないんです。 渉だけじゃない、皆が渉とシノハのことを想ってるって。 渉を救うにはそれしかないんです。 だから翔にもここに来てもらったんです」

「あ・・・」 自分が呼ばれた理由がやっと分かった。

「翔、大丈夫か? 渉に翔の気持ちが伝えられるか?」

「うん。 渉がいなくっちゃ私の居る意味がない」

「話し聞いてたか? 渉はもう居なくはならない。 けど、居なくはならないけど、渉を魂の抜け殻にさせないためにも、翔が渉をどれだけ想っているか伝えるんだ。 シノハの話をするんだ。 多分だけど、翔がシノハの話をするのが一番いいだろうと思う。 渉にしてみれば翔とシノハの話が出来るのが誰よりも嬉しいと思うから。 出来るか?」

「うん。 渉がいなくちゃ私が居ない」

「おい、翔・・・」

翔の瞳が小刻みに左右に揺れている。

「翔ちゃん?」 隣に座る雅子がカケルの肩を抱えた。

と、その時、玄関の戸が開いた。


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--- 映ゆ ---  第138回

2017年12月18日 20時26分59秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



『---映ゆ---』 第1回から第135回までの目次は以下の 『---映ゆ---』リンクページからお願いいたします。

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- 映ゆ -  ~ Shou ~  第138回




「まずは、この日誌に書かれていたこと、渉が磐座から消えたり現れたりしていたことを信じてもらわないと話が進まないんです」

皆が目を合わせる。

「分かった。 その、信じろと言われても簡単には信じられるわけじゃないが、先を話してくれないか?」

「はい」 頭から否定されたのではない。 貴彦を見て頷くとカケルに目を移した。

「翔、聞けるか? 無理ならあっちの部屋で休んでてもいいぞ」

「大丈夫。 渉のことだもんちゃんと聞く」

カケルの目を見ながら頷くと「ちょっと足を崩させてください」 言いながら奏和が足を崩し、大きく息を吐くと話しだした。 変な所に力が入って筋肉が硬くなっていた。 自分の体をリラックスさせる。

「あの日・・・母さんと留守番をしているはずの渉が、この家から居なくなったんです。 きっと渉がまた消えると思ったから止めずにはいられませんでした」

雅子が小首を傾げる。

「ほら、翔も翼も来てて、母さんが電話で呼び出された時があったでしょ?」

このことはあまり言いたくなかった。 雅子に要らぬ感情を持たせて落ち込ませたくなかったから。

雅子が「・・・あの時?」 と呟くと眉宇に記憶を漂わせた。

「ええ、そうです。 その日です。
母さん、先に言っておきます。 今から言うことは、渉に留守番をさせた母さんのせいじゃありませんから。 それに、今は渉の事です」

冷たい言い方だが、母親の雅子のことも気にはなる。 歓迎はしたくないが、雅子が自分自身を責めようとも、今は渉の話をしなくてはならない。 雅子の思考に歩調を合わしていては遅くなるし話の筋が外れてしまう。 それに今は一気に話したかった。 そうでないと括った筈の腹がたわんでしまいそうになる。 一息も入れたくなかった。 そしてその想いを母である雅子は受けてくれるはずだ。

濁すでもなく、直線的に言う奏和の言いたいことは分かった。 今自分に関わっている時などないのだという事を。 今は唯々、渉の事だけなのだと。 自分のことで時間を取らせるわけにはいかない。 話を進めなければいけないことが分かる。 落ち込むなら後で落ち込もう。 雅子が首肯する。

雅子の無言の返事に、奏和が僅かに顎を引くと話を続けた。

「走って磐座まで行くと渉が磐座の前に居ました。 咄嗟に渉の手を掴んだら・・・次の瞬間には俺の知らないところに居ました」

「え?」

誰の声が漏れたのだろうか、だが全員が奏和の最後の言葉に時が止まったようになっていた。

「この地球上にこんな所があるのか、そんな風に思える所でした。 渓谷ではありましたが、渓谷にある岩や石が少なくともこの日本にはない色どりでした。 それに、俺はダウンベストを着てたんです、寒いはずなのに暑かった。 目の前には見たこともない服を着た男が立っていました。 それが・・・その男が渉が会いに行っていた異なる所の誰かです。 俺もかなり驚いたけど、渉とその男は俺以上に驚いていました」 目を瞑ってその時のことを思い出す。

「その男の目の前で渉にコテンパンに言われました。 どうして奏ちゃんがここに居るのよ、って」 僅かに口元が緩む。

「その男というのは?」 貴彦が問う。

「礼儀正しく、いい男でした。 渉に敬語で喋っていました。 渉のことを大切に思い、愛おしい目で見ていました。 でも、その男はあの時の渉以上の苦しみを味わっていたみたいです。 ずっと今の渉の様に苦しんでいたみたいです。 だから渉の期待に応えられなかった」

「渉の期待?」

「ええ。 さっきの小父さんの質問の答えです。 男は渉の期待に応えられない。 だから向こうから帰って来た渉が磐座の前で倒れていたんです」
本当なら『倒れていたんだと思います』 となるだろうが、どう考えても確実にそうだろう。 それにあやふやな返事を貴彦にしたくなかった。 

「それだけのことで? 渉の期待に応えられなかっただけで渉が倒れたと?」

「はい。 それ程に渉と・・・渉が男に・・・」 止めよう。 今この話をかいつまんでしまえば、筋が遠回りしてしまう。 話を戻そう。

「男も渉のことでかなり痩せていました」

貴彦が俯きかけた顔を上げ、奏和を見た。 が、何も言わない。 話を聞こうという姿勢が見える。

「かなり痩せていたって・・・その人の前を知らないのにどうして渉ちゃんのことで痩せたってわかるの?」

雅子が問う。 細かいところに男たちは囚われないと思った。 だが、細かいところが何かを産むのではないか、何かの切っ掛けになるのではないかと思った。

「渉自身も言ってましたし、渉のことをこうやって今居るように、皆が心配するのと同じように、向こうでも男を心配している人たちが居たんです。 その中の一人が話してくれました。 その話してくれた人っていうのが説明しにくいんですけど・・・」 頭を捻って考える。

「どう言えばいいのか・・・その、単純な言い方をすると、物知りな年寄りって言うんですか? よくテレビなんかで長老で何でも昔のことを知っているって人がいるじゃありませんか。 そんな風なお婆さんが話してくれたんです」

「そのお婆さんも、最初からそこに居たってわけか?」 宮司が頭を傾げながら言う。

「いいえ、渉とその場に着いたのは河原だったんですけど、最初はその男だけでした。 そしたら馬と・・・鹿に乗ったお婆さんと他に2人が現れたんです。 渉もその男以外の人は初めて見たと言ってました」

「しか? しかって?」 雅子が場に合わない声で問う。

だよなって思う。 “鹿に乗って” って、現実的に有り得ないだうと思って当たり前だと思う。

「ええ、鹿です。 分かりやすく言うと、奈良や厳島に居る鹿です」

「しか? 鹿に人が乗るって・・・?」 雅子の言葉に皆も頭を傾げる。

「ええ、あんな小さな鹿ではなかったし、見た目の威厳も角も全然違う鹿でしたけど、母さん、信じられないでしょうけど、俺は実際に見たんです。 それにそんなところで頭を傾げていたら話が進まないよ」 目の前の湯呑みを手にして一口飲んだ。

「ええ・・・ええそうね。 話を続けて」

「そのお婆さんが、渉にコンコンと話を聞かせてました。 男はもう知っていたみたいで、その話を渉に聞かせないように頼んでいましたけど、その男の頼みすらも説き伏せていました」 


その話・・・最初はオロンガの女の話をした。 赤い実の話。

全員が眉を顰めて聞いている。

「そしてお婆さんが続けて渉に話しました」


一つの霊(タマ) が、どうしても叶えたいことがある。 広く濃く深く。
そのために霊を二つに分ける。 霊はどこかで男と女として同時に生まれる。 どこか・・・それは邂逅(かいこう)することのない所。 
二つの霊はそれぞれが、その叶えたい事に生きる。 男にしか叶えられないこと、女であるゆえに叶えられること。 すると一つの霊であるときよりも広く濃く深く叶えることが出来るから。
だが、霊は呼び合う。 離れてしまうことがどれだけ辛く悲しいことか。 が、離れた霊が触れ合えば二人とも消えてしまう。 個々のものを無くして一つになる。 それは単純に身体が消えてしまうことではなく、分かれていた霊が一つになることで、結果、身体は消滅してしまう。


オロンガの河原で聞いてきた霊の話を漏らすことなく話した。

・・・ 「お婆さんがそう言っていました」

全員がにわかに信じられないといった顔をしているが、もしそれが本当ならと思うと慄きが走る。

「それからお婆さんが渉を説得していました。 渉が消えてしまって渉の周りを悲しませるなとか、心配をかけるなとか、互いに最初に決めたことをやり抜けとかって」 ここで一旦口を閉じた。

奏和の流れるような話を聞いていた貴彦が聞いた。

「その・・・磐座の欠片・・・それが赤い実のことだったっていうのは本当なのかい?」 

「はい、そうです。 そう思います。 それしか考えられません」

「最初にその石を相手から受け取ってきたと言ったね?」

「はい」

「と言うことは、さっきの話からすれば、渉はもうどこへも行けないってことになるんだが?」


『一に出会い
呼び呼ばれ
糸が触れあい
名で結ぶ』


そう、今奏和が磐座の欠片を持っていても、奏和とは名で結び合っていない。 奏和の所に来るわけはない。
名で結び合ったのはシノハとだけだ。 そのシノハが磐座の欠片を持っていないのだから、渉はシノハの所に行くことは出来ない。

それに磐座の欠片は偶然ではなく、自らシノハへの道先案内人になるべくしてシノハの前に落ちたのかもしれない。
そうであるなら神の悪戯なのか、試練なのか、加護なのか、それとも磐座の意志なのか、それは誰にも分からない。


「はい。 ・・・でも、渉はこの欠片を俺が持っているってことを知りません」

「え?」


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--- 映ゆ ---  第137回

2017年12月14日 23時59分58秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~ Shou ~  第137回







「神社って・・・どういうことだ?」

「磐座です」

「え?」 再度驚いて宮司が声を上げる。

吃驚している宮司を置いて立ち上がると、部屋の隅に用意しておいた宮司日誌と写真集を卓上に置いた。

「これは?」 貴彦が聞く。

「宮司日誌と手作りの写真集です。 親父、中を見せてもいいだろ?」 

「あ? ああ・・・かまわん」 どうして渉の話に神社が関係しているのかと、訝しながらも承諾する。

宮司である父親の了承を得ると、付箋を貼っていたページを開ける。

「ここに書かれていることですが」 皆が日誌を覗き込んだ。

「3代前の宮司が書いたものです。 読み上げます」 全員の顔を順に見て、日誌を手に取った。

≪大雨が降る中、凄まじい音がし、山に雷が落ちたようだ。 大雨のお蔭で火事にはならなかったが、翌日見に行くと無残に木々が倒れ、磐座の一部が欠けていた。 雷によって欠けたのだろうか。
欠けた部分を探すが、大きい物は見つかったが小さい一部だけがどこにも見当たらない。 よくよく写真と照らし合わせてみるが、ほんの僅か親指ほどの小さな欠片がどうしても見当たらない≫

「ここまではこんな事になった切っ掛けです。 ここからです。 続けます」

≪以前どこかで聞いたことがある。
物の一部が消えた。 その物の一部が異(い)なる所へ飛んで行き誰かがそれを拾うと、何処かの誰かとその物が縁を導くと。
一部が消えてしまったが、まだ消えていない物の前に立った誰かと、異なる所で一部を拾った誰かの縁が繋がると。
磐座と磐座の一部が誰かと誰かの縁つながり役をするだろうか。
この磐座の前に誰か立つのだろうか。 その誰かと磐座の欠片を持った誰かの縁が繋がるのだろうか。 異なる所の誰かと。
それとも欠片を探しきれていないだけなのだろうか≫

奏和が日誌を閉じ卓上に置いた。

「この後に探しきれなかった欠片が見つかったとは、どこにも書かれていませんでした」

場が静寂に覆われる。

雅子がそっと宮司と貴彦を見た。 硬い顔をしている。 そして最後にカケルを見たが、カケルに任せるわけにはいかないかと、心の中で小さく息を吐いた。
多分、これから話が進んでも、誰もが自分と同じ疑問を持つだろう。 今もそうである。 硬い顔の裏では色んなことを考えているのだろう。 男たちは簡単に疑問など口にしないだろう。 自分の頭で考えそれでも納得がいかなければ、やっと疑問を呈するするだろう。 それに、始まったばかりのこの場で、自分たちの考えも簡単には口に出して言わないだろう。 宮司と貴彦の性格をよく知っている雅子であるからそう考えられた。
では、自分が疑問を持ったところを即座に聞こうではないか。 口調は角張らなく、場を硬くさせないように。 その方が話が進む。
取り敢えずは、今の切っ掛けを作ろう。 その後は男たちが考えていたことを言うかもしれないし、話が進んでいくかもしれない。 言わなければ、また何かを言えばいいのだから。 そう考えた雅子が口を切った。

「確かに渉ちゃんは磐座が好きよ。 磐座の前に立つわよ。 でもそんな小説か何かみたいなことがなんだって言うの?」

「その小説か何かみたいな、都市伝説みたいな話が本当にあったんです。 欠片を持つ者がいたんです」

ポケットから欠片を出すと日誌の横に置いた。



あの時、初めて行った渓谷からこの地に戻る時に一瞬誰かに手を取られた。 その手がシノハのものだと分かった。 奏和の手に石を握らせたのだから。



「これは・・・磐座の欠片か?」 宮司が手に取る。

「はい。 相手から受け取ってきました」

言いながら綴じられている欠片の部分が載った、雷が落ちる前の写真のページを開ける。

「これは雷が落ちる前の写真です。 そしてこっちが雷の落ちた後」
最後のページを開けた。 それは取って付けたようなページだった。 3代前の宮司が磐座の割れた後の全体と、見つけた磐座の写真を撮って継ぎ足していた。
宮司が手に取った磐座の欠片と写真と照らし合わせる。

「相手?」 貴彦が小さな声で言うが、奏和に問う気配はない。

宮司がまじまじと見ると「ああ、確かに・・・」 そう言って卓上に戻した。 間違いなく磐座の欠片であった。

「奏和君、ちょっと待ってくれ。 その、さっき異なる所の誰かとか、縁を結ぶとか・・・何がなんだか宙に浮いてる状態だよ」

「そうなんです。 俺もこの日誌を読んだ時は腑に落ちなかったんです。 でも、俺はその前に、磐座の前に立った渉が消えるところを見たんです。 そして、磐座から現れる渉も」

全員が奏和の言葉が飲み込めないといった目を向ける。 勿論、話を展開させなくてはと思っていた雅子も。

「最初は偶然磐座から現れる渉を見ました。 その後・・・翔、覚えてるか? 俺が翔に言われて、昼飯に渉を磐座まで呼びに言った時の事。 渉が具合を悪くして倒れたから、抱えて帰ってきただろ?」

「え? ええ、覚えてるわ」

いつものカケルの鋭い気配はない。 貴彦と同じように・・・いや、貴彦だけではない。 ここに居る奏和以外と同じように、話が飲み込めないのだから。
カケルに問いながらも、この場にいる全員がそうであろうと、カケルと同じであろうと奏和は感取していた。 自分もそうだったのだから。 でもそこで止まってしまっていては話が進まない。 強引に進める。

「あの時、ハッキリとは言わなかったけど、渉の様子がおかしかったんだ」

「渉が倒れた?」 貴彦が初めて聞く話に驚きを隠せない。

カケルを見ていた視線を貴彦に移す。

「はい。 磐座の前で倒れてました。 その理由(わけ)は・・・この話を続けるしか分かってもらえないと思います」

「・・・そうか」

その言葉で終った貴彦の気宇に頷きながら話を続ける

「その時にはまだこの日誌のことを知らなかったし、渉が磐座の前で消えたり現れたり簡単にしているなんてことも、知りもしなかったんですけど、渉に何かあると感じました。 それで、次の日に渉を磐座の前で待ち伏せたんです。 そしたら渉がやって来て磐座の前から消えたんです。 消えたのはその時初めて見ました」

「待って、奏和。 それじゃあ、あの時にも渉は・・・その・・・どこかに消えてたって言うの? それで戻ってきたって?」

「ああ、消えたところを見たわけじゃないから言い切れないけど、まず間違いないと思う」

「あの時、一緒に帰ろうとした渉に、私が磐座に居るといいわよって言ったの。 私がそんなことを言ったから」

自分を責めるカケル。

「翔のせいじゃない。 多分だけど渉は何度も神社に来てそこに、異なる所に行ってる」

「何度も? 渉ちゃんが? ここに泊まる以外に来てたって言うのか?」 宮司が言う。

「はい。 俺も一度渉をチラッとみた事があるんです。 泊まりに来てない日だったから、その時は勘違いかと思ってたんですけど、順也が平日に駅でタクシーに乗るスーツ姿の渉を見かけたって言ってました」

「平日?」 貴彦が眉を顰めた。

「はい。 順也って言うのは駅前でレンタカー屋をしてるんです。 曜日の勘違いなんてしません」 

貴彦が額に手を当てた。

「小父さん?」

「ああ・・・。 きっと渉に間違いないだろう」

「どうしてそう思うんですか?」

「渉を・・・会社を辞めさせるときに、有給は残っていないと言われたんだよ」 渉の入院中に貴彦が退職手続きをしていた。

「え?」

「有給を使ってここに来ていたのかもしれない。 それに有休を消化して欠勤までしていた」

「そんな・・・誰かお友達と出かけてたんじゃないんですか?」 まるで藁をも掴むようにカケルが言う。

「私もそうかもしれないと思って真名に聞いたんだよ。 そしたら、真名には心当たりがないって言うんだ。 毎日スーツを着て会社に出かけてたって」

「渉・・・」 カケルの肩がどんどんと落ちていく。

「翔、しっかりしろ。 翔のせいじゃないんだから」

「会社を休んで・・・その上、小母さんに何も言わないで・・・うううん、小母さんを騙してまでそこへ行きたかったなんて・・・。 私、何も気付いてあげられなかった」

「翔、奏和の言うとおりだよ。 翔のせいじゃないんだから。 渉ちゃん自身がしていた事なんだから」 言ってしまった宮司。

渉自身がしていたこと、それは『渉の自由』 ということだ。 我が息子、奏和の話を聞いていて信じられない思いでいたが、奏和の話を信じる信じないの問題ではない。 今は奏和の話を聞き、それを信じるという前提で話している。 そんな時にトンデモナイ渉の行動を肯定してしまったことになる。 シマッタ、と額に手をやるが後の祭りである。

またも暫く部屋が静まりかえった。
そしてその沈黙を破ったのはやはり雅子であった。

「でも奏和、渉ちゃんがコッソリにしろなんにしろ、ここに来ていたにしても、そんなに簡単に消えたとか現れたとかって言われても・・・」

「母さん、俺も最初は信じられなかったよ。 どこかに仕掛けがあるんじゃないかと磐座の周りを何度も見たくらいなんだから。 実際に見た俺がそんなだったんだから、話を聞いただけでは信じられないだろうけど、日誌に書かれていたことは本当だったんだ」

「それじゃあ、渉がその異なる所の誰かの元に行っていたって言うのかい?」 貴彦が聞く。 ほんの数分前に奏和が言った『相手』 という言葉に疑問を投げかける。

「はい」

「渉がそう言ったのかい?」

「いいえ。 この段階では“いいえ” です」

「奏和、どういうことだ?」

うっかり『渉の自由』 を言葉で認めてしまった宮司が、若干苛立たしげに言うと、奏和が全員の顔を見渡した。

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--- 映ゆ ---  第136回

2017年12月11日 22時16分18秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~ Shou ~  第136回




渉が病院へ戻り、処置が施された。

「渉・・・」

緊急処置室の前で渉の両親が、渉が出てくるのを待っている。

奏和は雅子と共に離れた長椅子に座っている。

「奏和、渉ちゃんに何があったの?」

「それは・・・」 言葉を濁す。

「渉ちゃんが痩せてきてたのには勿論気づいてたけど・・・渉ちゃんに何があったの? 奏和は何を知っているの?」

車中『渉が入院してる事も知らなかった』 と聞いた。 それは雅子も同じだったが『今は何も言えない』 とも言っていた。 それは奏和が何かを知っているという事だ。 でも今は少なくともハンドルを握ってはいない。 勿論『今は何も言えない』 の『今』 はハンドルを握っているからという訳ではないことは分かっている。 が、渉のことを思うと気が気ではない。 長椅子に座ってそこそこ時間が経っている。 期待は薄いが、今は落ち着いて答えられるのではないかと思って聞いた。

「母さん・・・今は・・・今は言えない」

「奏和・・・」

「俺も頭の中を整理したい」 渉がこれほどにまでになっていたとは知らなかった。 自分の甘さに臍(ほぞ)を噛む。

「そう・・・」

奏和の様子に母親として奏和を優先に考えてしまう。 もし奏和の母親でなければ、渉の親であれば、他人であれば、今の奏和の言葉など一蹴するだろう。 だが、残念ながら雅子は奏和の母親である。 奏和の言いたいことが分からなくもない。
雅子にしてみれば渉のことも心配、渉に何があったのかを知り、自分に出来ることを考えたいと思うが、でも、渉の謎を知る奏和が口を開けない。 今の奏和の表情を見ると次に出る言葉がない。
足音が聞こえて奏和が顔を上げた。

「小父さん・・・」 思わず立ち上がった。

「小父さん、渉は?」

「ああ、もう大丈夫だ。 有難う。 奏和君のお陰で助かった。 雅子さんにもご心配をおかけしました」 その言葉に雅子が頭(かぶり)を振る。

「・・・良かった」 奏和が椅子に座り込むと両手で顔を覆った。

「真名さんは?」

「渉に付いてます」

「そうですか」

雅子を見て返事をした渉の父親が奏和を見た。

「奏和君・・・渉のことを何か知っているのか?」

渉の父親である貴彦が冷静を保っている。 が、それは雅子からしてみれば、ガラスの冷静であるのが見てとれる。

「小父さん・・・」 両手を顔から下ろすと渉の父親を見上げた。

「教えてもらえないか?」

「それは・・・」

「奏和君、教えてくれ。 情けない話だが、私たちには渉のことが何も分からない」

「そんな・・・小父さん。 ・・・俺が悪かったんです。 俺の判断が間違っていたんです・・・。 俺が渉を追い詰め・・・」 こみ上げてくるものに喉が詰まって話せない。 また顔を覆う。

雅子が自分の知らない世界で、渉と奏和が彷徨っているのかと、いや、渉が彷徨っていることを奏和が知っているのかと思いながら静観する。

「奏和君、頼む。 何があったんだ、話してくれ」

両手で顔を覆う奏和の様子があまりにもおかしい。 それが我が娘、渉に繋がることになると思うと、腹の底に冷たいものが走る。

「渉が・・・渉が・・・」 声が詰まった。

「奏和・・・渉ちゃんに何があったの?」 貴彦の心を思うと言わずにはいられなかった。

奏和が涙を手で拭き大きく息を吐くと、一呼吸置いて話しだした。

「・・・母さん・・・今は、今は言えない。 今は渉が・・・渉にここで生きる気力を持ってもらいたい。 それだけなんだ」

「え?」 思いもしない奏和の言葉に渉の父親と雅子が驚いた。

「小父さん、何がなんでも渉に命を絶たすようなことをさせないで下さい。 生きる気力を持つように。 小父さんと小母さんの愛情を渉に分からせてください。 今、渉を救うにはそれしかないんです。 すみません、今はそれしか言えません。 自分の頭の中を整理したいんです。 渉の様子が落ち着いて、俺の頭の中も整理できたらちゃんと話します。 それまで待ってください」 

一気に吐き出した。 今の状態で渉の両親に話すようなことをすれば、きっと真名は取り乱してしまうだろう。 だから少なくとも、渉が落ち着くまで待って欲しいと思った。 それに自分の頭も整理したい。

(奏和・・・)

奏和が何を知っているのか、何を考えているのかは分からない。 が、これでは唯々、渉のことは何も分からないままで終ってしまう。 渉の身に危険が生じるかもしれない。 奏和から事の次第を聞きださなければと思うが、奏和の顔が、その顔に乗る表情が、誰からも何も受け付けないと言っている。
二の句が継げない。



卒業式1時間前、バンドのメンバーに新しいドラマーを探してくれるように言いに行こうと、メンバーの居る部屋に入った。 すると

「あ・・・奏和」

見知らぬ茶髪の男がスティックを持って、メンバーと一緒に机を囲んで談笑していた。

「もしかして・・・新しいドラマー?」

「・・・悪い」

「悪くなんてないよ。 徹底的にサボってたんだからな。 俺が悪いんだ。 それに新しいドラマーを探してくれって言いに来たんだから丁度良かった」 軽く頭を傾げると片方の口の端を上げた。

そしてメンバーと縁を切って・・・音楽と縁を切って卒業式に臨んだ。

「卒業式に出るって。 音楽もしていかないのに・・・俺って真面目だな」

渉のことは頭から離れなかったが、けじめをつけたかった。 いや、気になっていたからこそ卒業式に出た。 それは、これからの渉に、いや、自分に腹を括りたかった。



卒業式から3週間後
神社の和室に宮司夫婦、カケルそして渉の父親である貴彦が揃っている。

「小父さん、今回のことは全部俺が悪いんです。 すみませんでした」 貴彦を前に正座をし、手をつくと深く頭を下げた。

「奏和君、頭を上げてくれ。 急にそんなことを言われても、私には何がなんだか分からない」



渉は家に帰った。 


精神がまだ追いついていない。 茫洋とした目を明後日に向け話すことさえない。 時折息をしているのかと、鼻の前に手をやるほど微動だに動かない。
真名はそんな渉にずっと付きっきりでいた。

病院ではずっと点滴生活をし、身体の様子がかなり良くなった。 病院はもう少しの入院を勧めたが、真名と渉のことを考えると家で見た方がいいだろうと、貴彦が判断を下して渉を退院させた。

真名は唯々、渉についている。 個室である故、泊りもしている。 言ってみれば渉のことは上げ膳据え膳のようなもので、真名が買い物に行ったり、料理をしたりという事をしなくて済むのだが、それがある故、真名が食事をとらない。 自分の食べることを後回しにしてしまっている。 売店に何かを買いに行く時間すら惜しんで渉についている。
夜、仕事を終えた貴彦が真名に弁当を持って行く、その一食だけしかとっていない。 それも胃が小さくなってきたのか、段々と弁当を残す量が増えてきた。 渉の看病に疲れ、いつ倒れるか分からない。 貴彦がそれを一番に懸念した。

そして二番目の懸念。
四角く白い部屋にずっといて、何の変化もなく、毎日同じことの繰り返し。 単調な毎日。 それは渉にも真名にもいいとは思えない。
家に帰れば渉の食事を作らなくてはいけない。 渉のことを考えて献立を立てるだろうから、真名自身もそれを口にするだろうと考えた。 男の考えで浅はかかもしれない。 今の真名に料理を作らせること自体が厳しい話かもしれない。 それでも、それしか考えられなかった。 勿論、翌日に使う食材を真名に書いてもらったメモを持ち、毎日貴彦が会社帰りに買い物をしている。



「小母さんにもちゃんと謝って説明しなきゃと思うんですけど、まだ今の小母さんには辛い話しかと思って」

「私にも真名にも謝ることはしないでくれ。 それに話は折をみて私から真名に伝える」

「奏和、渉ちゃんのことだから心配だけど、真名さんが知るより先に私達が一緒に話を聞いてもいいの?」 雅子が言う。

「母さん・・・母さんも話を聞いて驚かないで欲しい」 言うと貴彦をみて続けて言った。

「それと翔の協力も必要ですから、今日は翔にも来てもらいました。 小父さんいいですか?」

「翔ちゃんに知られてまずい話なんかはないけど・・・協力って、翔ちゃんいいのかい?」

「私、渉がこんな事になってるなんて全然知らなくて・・・。 今からでも遅くないなら何でも協力させてください」

「翔が聞いたら落ち込むかもしれない。 それでもいいか?」

「渉のことだもん。 自分が落ち込んでる場合じゃないわ」

「奏和、いったいどういうことなんだ?」

「親父・・・実は此処、神社が関係してます」

「え!?」 全員が驚いた。


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--- 映ゆ ---  第135回

2017年12月07日 23時50分25秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~ Shou ~  第135回






「輝彦さん・・・あの子って・・・」

目の前でウィンドウに手をついて崩れていく渉を見ながら、隣を歩く輝彦に言った。 賑やかな駅前、そうそう誰が何をしたようと目立つものではなかった。

「あ、ああ、多分そうだよな」 二人が目を合わせると、すぐさま崩れ落ちた渉の元へ走り寄った。

輝彦が渉を抱え支えると翠(みどり)が渉の顔を覗き込んだ。 激しく短い呼吸。 過呼吸に喘いでいるように見える。

「間違いないわ、あの時の子よ」 輝彦が頷いた。

「アナタ! 大丈夫?」 確か名前を呼んでいたのを聞いてはいたが、改めて名前を記憶していなかった。

あの日、神社で二人きりの挙式を挙げ、翠の白無垢姿を「キレイ」と言ってくれた、名前を聞いていなかった女の子。
過呼吸になりながら朦朧としている渉。

「そ・・・奏ちゃ・・・言わな・・で・・・」 短い息でハッハッとなりながら言うと瞼が閉じられ、全身から力がなくなった。

二人が目を合わせた。

「そうちゃ?」 渉の口元に耳を寄せていた翠が輝彦を見て言う。

「そうちゃ? ・・・それってもしかして、ソウちゃん、じゃないか?」 支えていた片手を離し、ズボンのポケットに差し込む。

「ソウちゃんて、誰?」 翠が言う。

「分からない。 でもすぐに救急車を呼ばなくちゃ」 輝彦がポケットの中の携帯を手にした。

サイレンを鳴らしてきた救急車に輝彦と翠が同乗したが、渉の生年月日や名前、住所などを聞かれるが、そんなものは知らない。 あの日、神社で自分たちの挙式を、自分たちの人生最後のセレモニーと考えていた輝彦と翠に、祝福の言葉を贈ってくれたことしか分からない。 だからまだこの世に二人が居た。 たしかに宮司からの言葉はあったが、あの時渉からの祝福の言葉を聞かなければ、今この世にいたかどうかは分からない。
搬送される救急車の中で二人がヒソヒソと話す。 

「とにかく病院についたら神社に連絡を入れるわ」

「そうだな。 ・・・あ、待てよ。 ・・・たしか、神主さんが若い神主さんを見て“ソウワ” って言ってなかったっけ?」

二人だけの簡素な結婚式。 簡素と言っても、宮司が手を抜いたわけでもなければ緊張をしていなかったわけでもない。 常と同じに、宮司としてのすべきことをしていた。 それは淡々としたものではない。 心あるものであった。

親族が居なければ親族を案内をする必要もない。 結果、奏和の出る幕がない。 その時に『奏和』 と、宮司が神主である奏和に新たな指示をしたことを思い出した。

「あ、そう言えば・・・。 じゃ、その人が彼女の言うソウちゃん?」

「・・・じゃないかな。 彼女の思いからすると、神社には連絡してほしくないのかもしれない。 翠、彼女の鞄の中の携帯から親御さんの連絡先が分からないかな?」 渉の鞄は翠が持っている。

「探してみるわ」



早朝、看護師が巡回をしていると、居るはずの渉が居なかった。 ベッドの布団が撥ねられ、もぬけの空となっていた。 トイレにでも行ったのかと、トイレを探しても見当たらない。
当直の看護師ですぐに病院中を探したが見当たらない。 渉の家に連絡が入った。 すぐに両親が病院へ向い、病院関係者と病院の外も探したがどこにも見当たらない。

一旦病室に戻った真名が、病室に何かヒントがないかと探しているとスマホを見つけた。 手に取る。

「・・・」

オカシイ。

電源が切られていない。 救急で運ばれ翠からスマホを受け取ったとき、確かに切っておいたはずなのに。
今の渉の状態で、病室でスマホを使っているなどとは思えない。 それに、病室ではずっと真名がついている。 それなのに切られていたはずのスマホが生きている。

ドウシテ?

渉が目覚めた後は、真名が渉を見ない時はトイレだけだ。
でも、トイレには真名がついて行っている。 トイレでスマホを、奏和に連絡を入れていたのだろうか? いや、トイレに行くときに渉はスマホを持っていなかったはず・・・はず? 思い返す。 渉のトイレには真名はついて行っていた。 一緒に個室に入らずとも。 だが、真名自身がトイレに行ったときに、渉がスマホを触っていたとは限らない。

まさかと思い起動させてみた。

通話履歴を見ると殆どが翼からかかってきている。 それに最後の連絡は入院前だ。 入院してからは電話は使っていないようだ。 ラインはどれも長く途絶えている。

そしてメールの履歴を見ると樹乃(じゅの) からあるが、それも入院前だ。 そして翼ではなく、樹乃でもない、奏和からのメールが毎日ずっと続いていた。 入院後も。 それも

『どうだ?』
『辛くなったらいつでも言えよ』 『今日は、今日も大丈夫か?』 『楽しいことを考えろよ』 『宿題忘れるなよ』 『絶対に一人で行くなよ』 
そんな内容だった。

その奏和からのメールを見た真名。 

「 『絶対に一人で行くなよ』 ? どういうこと? 渉ちゃんが一人でどこに行くっていうの?」 一つ眉を顰めると、すぐにまだ外を探している父親に連絡を入れた。

「パパ、もしかしたら奏和君が渉ちゃんのことを知っているかもしれない」 

そして病室に戻ってきた父親がメールを見た。



「どこか渉の行く所に心当たりはないか?」

「渉・・・」

スマホの向こうで沈黙がある。

「奏和君?」

「あ、はい。 ・・・一箇所心当たりがあります。 今からそこに行ってみます。 もし渉が居たらすぐに連絡します」

「ああ、頼む」 

スマホを握りしめ「渉・・・」 と口にし、下がっていた頭を上げると、すぐに部屋を出て駅に向かい電車に飛び乗った。

(渉・・・)

電車を降りると目の前にあるタクシーに乗り込み神社へ向う。

順也に乗せてもらおうと思っていたが、順也のレンタカー屋は道路を渡らなければいけない。 それに駅から出るとタクシー乗り場の方が近い。 そして何よりタクシー待ちが無かった。 僅かな時間も惜しい。

(渉・・・頼む、居てくれ)

タクシーが神社に着くと、なけなしの金を払ってすぐに階段を駆け上った。 勿論「お釣りは要りません」 と、タクシーから飛び降りた。 お釣りなどもらっている時間を取るくらいなら、道路を渡ってでも順也に送ってもらっていた方が正解だろう。

平日だからか、神社は閑散としていて宮司の父親も見当たらない。

家には目もくれず、そのまま山に入り磐座まで一気に走った。 小さく急な坂を飛び越えて磐座の前へ飛び出た。

「渉!」

目に磐座の前で倒れている渉が映った。

「・・・渉」 小さな流れを跨ぎ、倒れている渉を抱きかかえると胸に耳を当て心音を聞いた。 心音はあった。

「渉・・・気持ちを分かってやれなかった。 ゴメン・・・。 俺が悪かった」 一度渉を抱きしめると、すぐに抱きかかえ山を降りた。

すぐさまその足で山を下り、宮司の居るはずの家に向かった。

「親父! 車のキー貸して!」 渉を抱いたまま玄関の戸を足で開けると、お玉を手に雅子が台所から出てきた。

「奏和?」 奏和の顔を見たが、すぐにそれだけではないことが分かった。

「え? なに? 渉ちゃん!?」

奏和の腕にはぐったりとした渉が抱きかかえられている。 肘を曲げお玉を持っていた手が下がる。 ポタリとお玉から煮汁が落ちる。

「母さん、車のキー貸して! 渉が病院から抜け出して磐座に来てたんだ。 すぐに病院に帰さなくちゃならない。 だから車のキーを貸して!」

「渉ちゃんが!?」

「母さん、早く!」

お玉を持ったままの雅子が慌てて車のキーを取りに行った。


後部座席に座る雅子に渉を預けると、運転席に座る。
キーをまわしエンジンをかけるとアクセルを踏み込んだ。

車中、後部座席で渉を抱える雅子に奏和が言う。

「母さん、渉のスマホに連絡入れて。 渉の番号は知ってるだろ?」

「ええ、アドレスに入ってるけど」

でも、と言いたかった。 渉はここに居るのだから。 その渉に連絡を入れてどうするのかと。

「渉の小父さんが出るはずだから連絡を入れて。 今から渉を連れて行くけど、どこの病院に行けばいいかって」 言いながらハンドルが山道を下っていく。

「あ、うん」

奏和の言わんとしたことが理解できた。 渉のスマホは父親の元にあるのだと。 雅子がすぐに連絡を入れ、病院名と住所を聞いた。 山道を降りると一旦車を停め、運転席にいる奏和がナビに検索をかけた。

「奏和、いったいどういう事なの?」

「今は何もいえない。 渉が入院してる事も知らなかった」 ナビの誘導に従って車を走らせる。

「渉ちゃん・・・こんなに痩せちゃって、いったいどうしたの」 雅子が寄りかかる渉の額を撫でた。


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--- 映ゆ ---  第134回

2017年12月04日 21時51分38秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



『---映ゆ---』 第1回から第130回までの目次は以下の 『---映ゆ---』リンクページからお願いいたします。

   『---映ゆ---』リンクページ







                                        



- 映ゆ -  ~ Shou & Shinoha / Shou / Shinoha ~  第134回




「シノハさん・・・」

オロンガ村の河川でシノハと過ごした日々を思い出す。


目の前の川は凪いでいる。 穏やかに鳥たちがその川面に浮いている。 遠く続く碧空(へきくう) には、伸ばした綿菓子のように、うっすらと雲がかかっている。 このまま夜になれば朧月夜にでもなるのだろうか。
川べりに腰を下ろす。 時折優しい風がシノハと渉の髪を揺らす。 対岸から小鳥の声が聞こえる。 穏やかで長閑(のどか)、まさしく文字をそのまま現したような風景である。


「え? 物を交換するの?」

風景には似つかわしくない明るすぎる声が飛んだ。

「はい。 食べ物は村の畑と山の物で補えますが、どうしてもそれだけでは手にすることが出来ない物がありますから」

「例えば?」

渉はシノハの村、オロンガ村を見たことが無い。 想像では、片田舎を想像しているが、それでもコンビニはないにしても、金具屋はあるだろうし、雑貨屋もあるだろうし、いったい何がないのだろうかと頭を捻る。

「色々ありますよ。 まぁ、一番多いのが糸や鉈、それと・・・鍋ですね・・・他には剣もそうです」

「ふーん・・・」 何が何屋なのか考える気はないが、少なくとも金具屋も雑貨屋も村の中にはないようだ。 

「我が村は薬草の村です。 薬草の代わりにそれらをもらいます」

生活の上での物々交換ね、と分かる。

「お金はないの?」

「無くはないです」


そう話すシノハの穏やかな顔を思い出す。 歩を止めて下を向くと寂しい笑みを作った。


「都に出ると金が必要になります。 都にしかないものを手にするにあたって必要なのですが、都で薬草を売れば金になりますから」

「ふーん、そうなんだ」 お金で買うものもあるけど、物々交換もしているんだ、と理解した。

普通なら、というか、渉でなければ、今の時代に生きている者では、こんな話を簡単に飲み込めないであろう。 だが、渉は簡単に飲み込める。
シノハの背景を考える。 今までに聞いていた生活。 それを考えると今シノハが言ったことは当たり前に飲み込める。 渉とはそんな人間だ。

「都って・・・どう言えばいいんだろ。 えっと、こことは全然違う感じ?」 東京か京都のようなところなのだろうか。 それならシノハから聞く限りのここオロンガ村はかけ離れている。

「はい。 我は都にはたった一度しか行ったことがないのですが、とても賑やかなところでした。 人も多くて煌びやかでした。 渉様を見た時、初めて見た衣でしたので、都人かと思ったくらいです」

「コロモ・・・うん、雅なコロモって言ってたもんね」

「ショウ様が都人か精霊にしか思えませんでした」

「うん、精霊って言ってたよね」 どこか失笑する渉。 自分が精霊だなんて。

「どうしました?」 渉の顔を覗き込む。

「何でもない。 それで?」

膝を抱えるとシノハから目を外して膝頭に顎を乗せた。 その渉の様子を見て目を細めると、渉と同じように揺蕩(たゆた)う水鳥に目を転じた。

「あの時は、それ程に驚きました。 でも都人ではないと、どこかで思う気持ちがありました」

「どうして?」 顎を乗せていた膝頭に頬を置く。

「あの場所に精霊が居ることを願っていたという事もありましたが、都は煌びやかです。 でも我はそれになじめませんでした。 だから、ショウ様が都人ではないと思いました」

一瞬、タイリンの顔が浮かんだが、思考はすぐに渉の元に帰って来る。

「私、精霊じゃないって何度も言ったよね?」

「だからと言って、都人とは思えませんでしたから」

「どうして?」

「精霊であってほしいと願ったからかもしれませんが、もしショウ様が都人であったなら、我はあの時のようにショウ様を見なかったと思います」

それがどうしてなのかという疑問は残る。 でもこれ以上、渉は聞くことが出来なかった。
言い換えれば、精霊であるなら都人ではないという事。 それを願ったということは、 都人は完全に人として存在するであろうが、渉にとって精霊という存在は不確かな存在。 それを願うということは、自分のことを人間として考えていなかったのであろうか、それとも不確かな存在に希望を膨らませていたのだろうか。
そんなことは聞けない。 たとえ渉であっても。 責めるような聞き方になってしまうだろうから。 でもそんなことはどうでもいい。 今こうしてシノハと話せているのだから。
だから疑問の位置を少しずらす。 ではどうして、シノハが都人、都になじめないと言ったのだろうか?

「さっき、都になじめないって言ったよね?」

「はい」

「どうして? 煌びやかなのが嫌なの?」 

「はい。 なじめませんでした。 どうしても取って付けたような、それが」

「とってつけた?」

「髪飾りや、身に着けているもの、懐にあるもの。 あって悪いとは言いません。 ですが、それを身につけている都人が浮いているんです。 身につけたものに踊らされているんです。 確かに煌びやかで美しい。 でもその実(じつ)がない」

「実がない?」

「はい。 都人は物に踊らされている。 我はそう思っています。 それは間違っているのかもしれません。 都人には都人の生き方があるのですから。 ですが我はそれを見たくありませんでしたから、それっきり都には行かなくなったんです。 本当なら行かなくてはならないんですけどね」

『実がない』 その意味が分からない。 その言葉の意味も含むところも。 が、どこかで警鐘を鳴らすように『実がないというのはこういうことだろ?』 と言う声が聞こえてくる。 その警鐘に異議を唱えることなく従う。 何故かはわからないが、きっとそれはシノハの心の声だろうかと思う。 分かった。 だから、まわりくどいことは言わない。 単に起きた今の疑問を問う。

「だから行かないの? シノハさんらしくないね」

「はは、そうですか?」

「うん。 行かなくちゃならないんでしょ。 シノハさんって真面目っていうか・・・決められたことを守るっていうか・・・」

「お褒めの言葉、有難うございます」 両の眉を上げて言うと続けて言った。

「ええ、都に行くには順番があって、我が行かなくてはならない時には行かなくてはなりません。 ですが」 含むように笑う。

「なに?」

「若い者はみんな都に行きたがっているんです。 だから我の順番が回ってくると、皆で代わりに行くと取り合いです。 後ろめたさはないんですよ」

「そっかー。 それなら納得がいく。 ね、さっき都になじめないって言ってたの、もっと詳しく聞きたい」 

一つに納得すれば、次の疑問を投げかける。 それに嫌な顔を見せることなく、それどころか微笑んで渉の声を聞く。

「うー・・・む、なんと言っていいのか・・・あまりに煌びやかすぎると疲れますから」

「疲れるの?」

「そうですね・・・右を向いても左を向いても、眩しいばかりの色んなものが目に入ります。 我はこのオロンガに見える全てが好きなのです。 都はそれに相反するものです。 それにあまり人が多いのには疲れますから」 今にもペロッと舌を出しそうな表情を作る。

「ふーん・・・」 言うと、辺りに目をやった。

「ここは綺麗だもんね。 私も此処は心落ち着く」 

渉の言うところの綺麗は、広がる空に生き生きとした緑、澄んだ生きた水、生き物が住める地、それらに溶け込むように動物が生きている。 ここも渉の好きな山の中である。

「そう思ってくださいますか?」

「うん。 私、ここが大好きよ」

他愛もない話。 が、こうやって話せることが嬉しかった。 シノハの笑顔を見ているのが嬉しかった。

互いに目を合わせたかと思うと、どちらからともなく視線を外しどこかを見る。 その様子を見て同じ場所に目を転じる。 そしてまた目を合わせる。 何度も何度も。
言葉を交わす。 何度も何度も。
渉が突拍子もないことを言っても、それに向き合って答えるシノハ。 二人の笑顔は永遠に続くだろう。 そう思わせる時がゆっくりと流れていた。


駅前の沢山ある大きなウィンドウの前を肩を落としてトボトボと歩いていると、ふとそのウィンドウの一枚が目の端に映った。 渉の歩く姿が映っているはずなのに、違う姿の横顔が見えた気がした。

「え?」 足を止め、ゆっくりと首を横に回しウィンドウを見る。 

「シノハさん・・・?」 目を瞠ってウィンドウに映るシノハを見た。

ウィンドウには、驚いた顔で渉を見ているシノハが映っている。

「シノハさん!」

身体をウィンドウの正面に向けると抱きつくように、ウィンドウに映るシノハにバッと手を出した。

たしかにシノハが見えたはずなのに。 シノハに手を伸ばしたはずなのに。 シノハを抱きしめられたはずなのに。

掌に冷たい無機質な感触だけがあった。



「ショウ様!」

長い間降った雨が止み、氾濫を起こしていた川がやっと落ち着きを戻してきていた。 とは言え、まだ荒々しい流れが増水した状態。 その流れが一瞬止まった。 

そしてその川面にシノハを見る渉の瞠目する姿が映った。 渉がその手を前に差し出した。

川面に映る渉を抱きしめるように・・・飛び込んだ。

渉を抱きしめられるはずだった。 なのに・・・そこに渉の身体はなかった。

「・・・!!」 まさかそんなことをするとは思っていなかった。 シノハの後ろを歩いていたハシルの声さえ出る間が無かった。 半瞬をおいて叫んだ。

「シノハが落ちた!!」 

セナ婆に言われ、シノハに付いていたハシルが周りに叫ぶ。

増水し荒々しく白いしぶきをあげて流れる川に飛び込んだシノハが、流れに飲まれて流されてゆく。 

(ショウ様・・・何処に居られるのですか。 我は・・・我はずっとショウ様を・・・) 

浮き沈みを繰り返していた姿が見えなくなる。

「網引き笛を鳴らせ! 川の流れに先回りしろ!」 ハシルが叫ぶ。 

周りの者がこの時期にしか採れない薬草を入れた桶や袋を放り出して、川の流れに走る者、ズークを走らせ流れの先に回るもの、村に知らせに行く者がズークと共に岩を跳び越えていく。

ブォーっと網引き笛が鳴らされた。

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