大福 りす の 隠れ家

小説を書いたり 気になったことなど を書いています。
お暇な時にお寄りください。

--- 映ゆ ---  第21回

2016年10月31日 22時28分19秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



『---映ゆ---』 第1回から第20回までの目次は以下の 『---映ゆ---』リンクページからお願いいたします。

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- 映ゆ -  ~Shou~  第21回




「俺の知ってることはそれだけ。 それ以外は知らない。 けど、吹き手の心で音色が変わると思うよ。 天と地をつなぐとか、神おろしの音って言われてるけど、それは吹き手で変わるんじゃないかな?」

「吹き手で?」

「吹き手で音色が違うのは勿論だけど、俺の言ってるのは吹き手の心」 自分の胸元をトンと叩いた。

「心?」

「そう。 やったらめったらピャーピャー吹いたって天と地も繋がらないと思うよ」

「吹き手の心で音色が変わるっていうのは何?」

「心がないと空(から)の音だろ? 怒ってる時に吹いたら怒りの音だろ?」 両の眉を上げる。

「言ってる事は分かるけど、それで音色が違うものかなぁ・・・」 盆の上の磐笛を見る。

「少なくとも、俺らみたいに色んな音を聞いてるとすぐに分かるさ。 神はそれ以上に分かるとおもうよ。 心のない音を聞いて、降りてこようなんて思わないとおもうよ」

「奏和は専門学校に行ってから磐笛の事を知ったの?」

「そんなわけないだろう。 神社で育ってんだから小さい頃から知ってるよ」

「そうなんだ・・・」

「あ、でも初めて吹いたのは神職養成所で知り合ったやつに借りて吹いたの」

「神職養成所で?」

「そっ。 やっぱり普通の学校と違って特別だろ? そっちの話が多くなってくるからね。 専門学校もそうだよ。 話せば音楽の話ばっかだしさ、みんな同じ方向に向いてるからね。 自ずと偏った話にばっかりなってくるってこと」

「そうか・・・」 

何かを考えているようだが、ここのところを掘り下げて“吉” と出れば宮司に大きな顔が出来るが“凶” と出ては困る。 今はスルーしよう。

「ま、取りあえず一度吹いてみなよ」 視線を磐笛に流した。

「・・・無理だって」 こちらは目を落とすだけで磐笛を見ることが出来ない。

「俺は奏和様だから吹けただけ。 でも、お前は普通の人だから最初から吹けるわけないの。 わかる?」 

すぐに返事はない。 が、暫くすると

「さっき言ってた・・・」 まだ下を向いている。

「なに?」

「初めて吹いたときはどうだった? 吹けた?」 

「愚問だな」

「嘘でも吹けなかったって言えばいいのに」

「だから言ってんだろ? 俺は奏和様。 和を奏でる人なの」 

下を向いている頬が膨らんだのが見える。

「取りあえず持つだけ持ってみろよ」

「・・・いやだ」

(こいつはー! いい加減、堪忍袋の緒が切れるぞ! いや、親父からの命令じゃなかったらとっくに切れてるからな!) 下を向いているカケルには奏和の顔が見えないのをいい事に、思いっきり歯を剥き出しにして睨んでいる。
が、怒っても事が運ばないことは分かっている。 

「何がそんなに嫌なわけ?」

「奏和に教わるのがイヤ」 

(あー、率直に有難う。 って言うわけないだろが!) と心で思っても口は他の事を言う。

「俺の何が気に食わないわけ?」 もう、どうでもいいと鼻でもほじりたい気分だ。

「だって・・・」

言ったかと思うと“吹き手の心で音色が変わる” という言葉を心の中で反芻する。 

初めて聞いたあの時、磐笛を吹きたいと思った。 今でも磐笛を吹きたいと思っている。  べつに天と地を繋ぎたいわけじゃないし、神おろしもしたいわけじゃない。 ただ、磐笛を吹けるようになりたい、吹きたいだけなんだ。 あの心に響く澄んだ音を大切に吹きたいだけなんだ。 自分の心であの音を出したい。
さっきまで意地を張っていた思いの中に小さく穴が開き、そこから溜め込んでいたものが言葉となって出てくる。

「だって、何?」 見てないからほじってみようか。

「・・・音楽“2” だったんだもん・・・」 

あまりの声の小ささに聞き返そうとしたが、聞こえた言葉を頭の中で整理すると今の言葉が分かった。
(駄目だ、駄目だ。 絶対笑っちゃ駄目だ) 鼻がヒクヒク、口元もヒクヒクする。

「それがなんなの?」 ヒクつく口元、今にも笑いそうになる震える声を抑えて話す。

「笛のテストなんて悲惨だったんだもん」 

(そのテスト聞きたかったー!) 大声で叫びたいのを我慢して冷静な声で答える。

「あっ、そういうこと。 音楽の成績やテストの結果が悪かったから、天才的に吹いた俺に聞かせたくないわけだ」 またカケルの頬が膨らんだ。

「そんなことはいいから持ってみろよ」 

それだけじゃない。 もっと他にも口にしたいことがある。 口にしたくても出来ない事もある。 
(今の私でも・・・) カケルの中にある天秤が吹きたくない理由を述べるより、今吹きたいという方に少し傾いた。 ほんの少し奏和の前で吹きたくない理由を白状しただけなのに。

磐笛に視線を寄せた。

「吹かなくていいから、持つだけ持ってみろよ。 お前の磐笛なんだから。 吹き手に持ってもらえないなんて磐笛が可哀想だろ」 

思いもよらない言葉にカケルが顔を上げ奏和を見た。

「な?」 ニコリと演技丸出しで微笑みを作り顎をしゃくって促す。

(ああー、良かったー。 あのヒクついたときの顔のままだったら、こじれまくったところだよ) 奏和の心のうちの独り言。 声には出せない。

「私の?」 

「そうだよ。 宮司が決めたんだから」 

暫くじっと見ていたがそっと手を伸ばし磐笛を手にした。

(やっとだよー。 俺も気が長くなったもんだ。 はい~、第一関門突破~) 心の中でヨシ! と叫んだ。
(このままチャッチャと進めてお役ご免にするぞ) 意気込んだが、顔に出すとカケルがヘソを曲げるのは分かっている。 あくまでも何気なく。

「見てみ、穴が開いてるだろ?」 穴が2つ開いている。

「うん」

「その磐笛によって貫通している穴もあるし、貫通していない穴もある」

「へー、そうなんだ」 磐笛を知らなかったのだから当たり前だが、初めて聞いた。

「これは一つは貫通してるけど、もう一つは貫通してない」 磐笛をひっくり返してみてみたが穴が一つしか見えない。

「うん」

「で、どっちの穴で吹いてもいい」

「決まってないの?」

「磐笛に決まりごとはないよ。 心があるかないか、それだけ。 まぁ、吹くときにどうのって言われる所もあるけど、俺は心があればいいと思ってる。 それが音に出るんだからさ」 

言われ、不思議な顔をしたカケル。

(奏和・・・どこを見てるの?) 焦点がずれているわけではないが、一瞬違うところを見ているような気がした。

「どっちの穴にでもいいから息を吹きかけてみな」 奏和がここに戻ったようだ。

「え? どんな風に?」
 
「どんな風でもいい。 音を鳴らす気じゃなくて、息を吹きかけてみな」 少し戸惑いはしたが、唇を尖らすと大きな方の穴へ息を吹きかけてみた。

「そっ、それでいい」 人と同じように進めては、いつヘソを曲げるか分からない。 遠回りしてでも難なく進めていかなければ。

「貫通してない穴の方がいいか?」

「そういうわけじゃないけど、何となく・・・」

「そっか。 じゃ、今度は穴の近くに唇をくっつけて息を吹きかけてみな」

「どうやって持つの?」 磐笛を縦に横に動かす。

「どう持ってもいい。 翔がしたいようにすればいい」

「そんなこと言われても」 眉根を寄せ、持て余しているような感じだ。

「そんな風に思うと磐笛に伝わるぞ」 カケルが眉を戻すと奏和を見た。

「うん・・・」 

奏和はカケルの弱みと言っていいほどの考え方を持っているのを知っている。 物に気持ちがあるという事。 そして自分の思う気持ちが物に伝わると。 まぁ、渉の考えが大きく影響しているのだが。

「翔のしたい事が磐笛がして欲しい事だと思えばいい。 やってみな」

右手に縦にした磐笛を持ち、左手はその右手を支えるようにして手を覆い、唇に近づけたが、唇が当たる少し前に手を持ちかえ磐笛を横に持った。
目で穴を確認しながらそっと唇をつけた。

「穴にゆっくり息を吐いてみな」 フゥーっと息を吐いたがカケルの口からもれ出た空気の音しかしない。

チラッと奏和を見る。

「それでいい。 そのまま磐笛の角度を色々変えてみな」 手がもつれそうになりながら少しずつ角度を変えると一瞬「ピッ」 と鳴った。
驚いた顔で奏和を見た。

「鳴ったじゃん」 本当は他の言葉が言いたかった。

カケルは奏和を見たときに、磐笛を口から離したのだ。 本来なら鳴った所からそのまま少しずつベストな音が出る場所を探していくのだが、ここで「なにやってんだ!」 なんて言ったものなら何もかもが水の泡となってしまう。

「早いほうだぜ」 満面の作り笑顔で褒める。

「そう?」 作り笑顔に気付かず、嬉しさのあまり顔が上気している。

「さっ、これで間違いなくお前の磐笛になったからな」

「え? 間違いなくってどういう事? 小父さんが決めてたんでしょ?」

「磐笛は初めて口を当てた人のものになる」

「それだったら奏和が先じゃない」

「あの後ちゃんと清めたよ。 祓いもしたからな。 だから誰が何と言おうとお前のもの。 お前が責任持ってその磐笛の音を出してあげな」

手に握っている磐笛を改めて見る。

「ピッだけじゃ親父に叱られそうだからな。 もう一回やってみな。 で、また音が出たら今度は笛を離すんじゃないぞ。 そのまま少しずつ角度を変えてお前が気に入った音の場所を探すんだ。 いいな?」 

返事はしない。 今の奏和の言いよう、声を出すと言われた言葉に反抗したくなる。 今はもう一度音を鳴らしたい。 反抗的な言葉の魅力が薄れていく。

さっきと同じように唇をつけて息を吐きながら少しずつ磐笛を動かしていった。

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--- 映ゆ ---  第20回

2016年10月27日 22時56分52秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shou~  第20回




カケルが奏和の部屋から台所に向う廊下を歩きながら考えていた。

「あんな風に奏和に言ったけど、小母さんに言われたしなぁ・・・どうしよう・・・」 そう考えている時、ふと思った。

「あっ、でも、小母さんの言ってた、行っていいからねっていう事は、行きなさいってことじゃないよね。 行かなくてもいいってことよね。 小母さんに背いた事にはならないわよね。 うん、小母さんも忙しいんだから食べてから授与所に行こう」 歩きながら一人ごちた。


廊下から硝子戸を開けて台所に入るとテーブルで宮司が昼ご飯を食べていた。

「あれ? 小父さんお昼ご飯まだだったんですか?」 白い小袖に緋袴姿だが、ここの空間では小父さんと呼ぶ。

奏和との会話を聞かれていただろうかと思うところだが、取り立てて宮司に言わなくてもいいだろう。 特別なことではないんだから、と無かったことにした。

「ああ、今終わったよ。 小母さんが遅くなったから翔もお腹が空いてるだろ。 早くお食べ」 

言いながらカケルのお茶を用意しようと、急須を持ったのを見て「あ、自分でします」 すぐに宮司の手から急須を取り、宮司と自分の二人分のお茶を入れた。

椅子に座り、頂きますと手を合わせると「ああ、喉が渇いた」 そう言い、飲み頃になっていた味噌汁をゴクリと一口飲んだ。 次に小鉢に入れられた野菜から食べだした。
ポテトサラダの横に添えてあったプチトマト、ホウレン草のおひたし、蓮根のキンピラ。
食べ終えた宮司がその様子をお茶をすすりながらいつも思っていた疑問を投げかけた。

「翔っていつも野菜から食べるんだな」

「はい」 箸を止めて宮司を見た。

「希美さんは変わった食べ方を教えたんだな」 決してカケルの母親を否定して言っているのではない。

「やだ、小父さん。 今の若い女の子は野菜から食べるって知らないんですか?」

「え? なんだそれ?」 湯呑みをテーブルに置くと素っ頓狂な目を向けてきた。

「ほら、最近ってテレビで健康番組をよくやってるじゃないですか?」

「んん? あんまりテレビは見ないからなぁ」 腕を組み斜め上を見る。

「あ、そうでしたね。 健康番組の中でダイエットの事もよく放送されてるんですよ」

「ダイエット?」

「はい。 食事の時に野菜から食べると太りにくいらしいから良いんですって」 

宮司は腕を組んだまま、顔を突き出してその言葉を聞いたが、すぐに顔を引くと今の話がカケルに何の関係があるのかといった風に尋ねた。

「ダイエットって・・・翔には関係ない話じゃないか」

「え? 小父さん何言ってるんですか。 この歳って気を緩めるとどうなるか分かんないんだから。 うちの両親ってどっちも太ってるでしょ? だから私には絶対に太る遺伝子があるんだから。 特に気を付けなくちゃならないんです」 話しながらも食事を続けている。 気兼ねのない関係だ。

「何言ってるんだ。 翔はもっと肉を付けてもいいくらいだぞ。 それに希美さんくらいが丁度いいんじゃないか。 まぁ、良治君はちょっとお腹が心配だけどな」 立ち上がり食器を重ねだした。

「あ、小父さん置いておいて。 私が片付けるから」

「ああ、皿くらいは片付けるよ。 洗い物は頼むな」 食べた後の食器を重ねると流しの中に入れ振り返り言葉を続けた。

「ダイエットって言って、無理な事をしてるんじゃないだろうな?」 

憂慮わしげに尋ねた宮司を見ると、上目使いでカケルが答えた。

「大丈夫です。 ケーキも食べてますから」 

その返事を聞くとクスッと笑い

「それじゃあ、丁度いいくらいか。 じゃ、ゆっくりお食べ」 そういい残すと台所を出かけたが、思い出したように振向いた。

「あ、翔」 呼ばれ、顔を上げ宮司を見た。

「食べ終わったら奏和の部屋に行くんだぞ」 飲み込みかけた白米で喉を詰めるかと思った。

「小父さんまで言うんですか?」

「小父さんまで言うんじゃなくて、わしが言ったの」 人差し指を自分の鼻に当てた。

「え?」 

「渉に磐笛を教えてやるように、って奏和にわしが言ったの。 で、小母さんに今日の授与所のことは頼んでおいたの」

「なんでー!?」 箸を握りしめた。

「まぁ、やってごらんよ」 
あの時、カケルの独り言を聞いたなんて事は言わない。 この状況でそんな事を言ったらこの娘はもっとヘソを曲げかねない。

「やだ! どうして奏和に習わなくっちゃいけないの!」

「そんなこと言わないで、基礎だけ教えてもらいなさい」

「絶対いやだ」

「じゃあ、宮司命令だから」 言うとサッサと姿を消した。

「小父さん!」 と言った時にはもう遅かった。

「ずっるーい!」 でもここだけの話、奏和に都合のいい言い訳が出来た。 ふと思ってしまった。


食事を終え、食器を流しに運ぶとフゥーっと溜息をついた。

「どんな顔して部屋に行けばいいのよ」 さっきの自分の愚行を振り返った。

「あーあ、最低・・・」 

食べ終え食器を流しに運ぶと、スポンジに洗剤をかけ食器を洗いだした。

「吹きたいのは吹きたいわよ。 でも、目の前であんなに簡単に吹かれて、教えてなんて言えないわよ。 音楽“2”なんだもん・・・。 笛のテストなんて悲惨だったし、きっと吹いても音も出ないだろうしなぁ」 手を止め、どこを見るという事なく前を見たが、そこに答えはない。 
はぁ、と息をつくと今度は考えの方向が変わる。

「大体、なんで奏和なのよ。 小父さんが奏和に習って、私に教えてくれればいいのに」 部屋に行きたくないが上、他に洗うものはないかと洗剤の付いた手で台所を見回したが、雅子が全部片付けていた。

「いつもの事だけど、小母さん忙しいのにキッチリしてるな」 諦めて洗剤の付いた食器をすすぎ始めた。
最後の食器をすすぎ、水きりに入れたとき

「遅いんだよ」 後ろで声がして振り返ると、台所と廊下の仕切りのガラス戸の柱に背をもたれかせ、腕を組んでいる奏和が目に入った。

「なによ」 流しに向き直り、台拭きで流しまわりを拭き始めた。

「もっとチャッチャと洗えない?」 言われても返事をせず、台拭きを洗いだした。

「おい、無視かよ」 台拭きを絞ると、今度は食器を拭こうと布巾に手を伸ばしかけたのを見て

「時間がないんだから、そんなのおいとけよ」 言うが、これまた無視。

「宮司命令が出たろ?」 チラッと奏和を見ると布巾を持ち、もう片方の手に食器を持った。

「小父さんに言うから」 持った食器を拭きだす。

「何を?」

「小父さんが奏和に習って、そのあと小父さんから習う」

「は?」 背中で柱を押すように身体を跳ね上げた。

「別にいいでしょ?」 拭いた食器をコトンとテーブルに置いて、また濡れた食器を取ろうとした時

「バカ言ってんじゃないよ」 言うと大股で歩いて来てカケルの手から布巾を取り上げ、その手を引いて歩き出した。

「った! 痛いじゃない!」

「お前のセリフの方がよっぽどイタイわ」

「離しなさいよ!」

「お前なぁ、俺の立場を考えろよ」 喋りながらも歩を進めている。

「なによ! 奏和に立場なんてあるわけないじゃない! 離しなさいって!」

「俺が親父に教えるって、どうやって教えるんだよ。 考えられないだろうが」 閉められていた襖を開けると中に入った。

「ほれ、座れ」 足元には盆の上に置かれた磐笛があった。

「一度でいいからやってみろよ」 

腕を組んでソッポを向くが、部屋を出て行く気になれない。 いや、出て行ったらもう二度と教えてもらえないかもしれないと言う不安がどこかにある。

奏和が座り込むと畳をポンポンと叩いた。 座れという事だ。

「いやだ」 更にソッポを向く。

「じゃ、立ったままでもいいけどな」 またもや片方の口角が上がった。

「まず、磐笛は腹式呼吸で吹く。 絶対に胸からの息で吹くなよ。 それから―――」 ここまでいうとカケルが奏和を見下ろした。

「ちょっと待ってよ。 この状態で話を進めていくわけ?」

「イヤなら座れよ」 

「座らない」 またソッポを向いたが、先程よりはマシな顔の角度だ。

「そっ、じゃ話を進めるからな」 

「腹式呼吸なんて出来ない」 まだ明後日を向いている。

「え? ダイエットしてんだろ?」 言われ驚いた顔をした。

「なんで知ってるのよ!」 慌てて奏和を見た。

「親父から聞いた」 
台所を出た宮司は奏和の部屋に行って話したのだ。 とは言ってもそれが目的ではない。 カケルの昼ごはんが終わるであろう時間を言いにきたのだ。

「もう、小父さんったら・・・で? ダイエットとどう関係があるのよ」

「教えてやるから座れば?」 大きな溜息をつくと渋々といった感じで座り込んだ。

「その出っ腹には腹式呼吸が効くんだぜ」 カケルのお腹を指差した。

「なっ! 見たこともないのに何言ってくれるのよ!」 思わず両手でお腹を隠した。

「ウソだよ。 あ、腹が引っ込むのはホント。 でも、親父も言ってたぞ、翔にダイエットは必要ないのにって」

「仕方な・・・ダイエットは女の永遠の課題なの!」 
何を言いかけて止めたのだろうか、気になったものの、今はそんなことはどうでもいい。

「じゃ、丁度いいじゃん。 腹式呼吸でその永遠の課題とかを、クリアしとけばさ」 ふて腐れるカケルを見て言葉を続けた。

「腹式呼吸なんて簡単に出来るから安心しな。 取りあえず、むやみに吹かない。 長く後の音を引いていく感じで吹く。 それと・・・リラックスが一番かな? それを頭においておくだけでいいから。 それだけ」 頭を傾げて唇を両方に引いた。

「え? それだけって?」


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--- 映ゆ ---  第19回

2016年10月24日 23時09分30秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shou~  第19回




碧空の元、連休初日。 
優しい陽が参拝者の身体を包む。 時折、5月の爽やかな風が吹き、木々の葉を揺らしている。 葉擦れの音が耳に優しく春を告げている。
境内には風景や拝殿、手水舎を写真におさめている者、拝殿の前で祝詞をとなている者、お喋りをしながら山に入ろうかと話している者と、連休初日にしては人が多い。

着替えを終えたカケルが授与所に座っている。 
いつもなら、前日に来て当日早朝から掃除を始め、修祓(しゅばつ)も朝拝も宮司と雅子と共に行っている。 カケルはこの朝の一連が何とも心穏やかに迎えることが出来て助勤の度に前日に来ていたのが、夕べは遅くまでもう一つのバイトに出ていたが為、来ることが出来なかった。 いや、最終バスがないとはいえ、バスに乗らずタクシーでなら来ることが出来た。 だが、その体力がなかった。 というか、メンタル面で疲れ果ててしまっていた。


「あの?」

(あーあ。 音楽は小学校の頃からずっと“2” だったからなぁ・・・歌も音痴だし)

「あのぅー?」

(なんで、あのチャランポランの奏和が吹けるのかしら。 ああ、チャランポランでも音楽をやってるんだもんね。 学校に行ってるんだから、吹けるものは吹けるか・・・)

「お守りを・・・」

(あんなチャランポランでも努力してるのは確かだし・・・)

「翔ちゃん、なにしてるの!」 奏和の母親、雅子(みやこ)が滑るようにカケルの隣に座って、小声で叱咤した。

「あ、小母さん」 

横に座る雅子を見て何のことかといった顔であったが、そのカケルを無視して前に立っている若い女性二人組の参拝者に返事をしている。

「すみません、お守りでございますか?」

「はい、これ」 言うと参拝者が手に持っていたお守りを一つ渡した。 

雅子が受け取るとすぐに袋に入れ参拝者に渡すと初穂料を受け取った。

参拝者が歩いていくのを見送るとカケルが小声で言った。

「小母さ・・・奥さんゴメンなさい」 白い小袖に緋袴姿。 小父さんを宮司と呼ぶように、小母さんを奥さんと呼ぶようにしている。

「翔ちゃんがボーっとするなんて珍しいわね。 何かあったの?」 案じ顔でカケルの顔を覗き込んだ。

「うううん、何でもない」

「なら、いいけど。 でも、何かあるのならいつでも言うのよ」 言うとせわしげに立ち上がりその場を後にした。 

「くそっ! 奏和のせいだ!」 雅子の去った後を見送りながら巫女にあるまじきセリフを吐いた。

「呼んだ?」 覚えのある声に振り返ると、窓口に片手を着いている奏和が目に入った。

「呼ぶわけない」 焦ったが、シラを切るしかない。

「母さん相変わらず忙しそうだな」

突っ込んで聞かれなかったと言う事は、聞こえていなかったんだと胸を撫で下ろし、気を入れ替えて言った。

「奏和がちゃんと手伝わないからじゃない?」

「翔がボーっとしてるからじゃない?」 間髪を容れず翔の口調を真似て言った。

「なっ!」 食ってかかろうとしかけたら、先に奏和が口をきった。

「参拝者そっちのけで、頭うな垂れてたじゃん」 片方の口の端が上がった。

見られてた。 と思うと、食ってかかる気がそがれてしまった。
「奏和のそういう顔する時ってイヤなんだけど」 切れ長の目でソッポを向く。

「なんでだよ。 この顔モテるんだぜ」

磐笛にね、と言いかけたが今そんなことを言ってしまえば、自分の首を絞めることになりそうでやめておいた。
「どこが。 あっち行ってよ」 まだソッポを向いているカケルを見てニヤッと笑うと奏和が言った。

「明日、昼飯食べた後 練習するからな」

「はぁー?」 睨みつけるような目で、呆れるような声で奏和を見た。

「俺の部屋に来いよ」

「練習って何の!」 分かってはいるがそう簡単には分かりたくない。

「何って、磐笛に決まってんじゃん。 なに? それとも翔もギターの練習する?」 

奏和の部屋にはアコースティックギターとエレキギターが置かれている。
ニタリと笑うその顔、今のカケルには一層気に食わない。

(からかわれた! ムカつく!) 口を思いっきり歪めた。

「来いよ」 そう言うと踵を返し、歩いて行った。 

奏和の背中に憎まれ口を叩こうと思ったとき、授与所の前に参拝者が現れグッと口をつぐんだ。


境内を歩いて奏和が家に入ろうとしたとき、玄関の左横でガサっと音がした。

「うん? 母さん?」 

玄関の前には垣根はないが、左右はずっと垣根が続いている。
垣根の間を通り玄関に向かって左に曲がる。 次に右に曲がると家の左側にでる。 その左側は少々広いスペースがあり縁側がある。 
裏と右側は1メートルほどの幅があり、右側以外そこから向こうは山の木々に囲まれている。 右側は崖になっていて、そこから参拝者用の駐車場が見える。

首を傾げながら家の左側に出ると誰もいない。 縁側のガラス戸も閉められている。 そのまま裏にまわって家の周りを一周してみたが、やはり誰もいない。

「おかしいな・・・」 もう一度境内へ戻って辺りを見回した。

親子連れ、年寄り、仲の良さそうな賑やかな女のグループ、若いカップル、カメラを手に境内を撮っている男、スマホで本殿をバックに自撮りをしている青年もいる。

腕を組んで厳しい目で見るが怪しい人間はいないように思える。 

「気のせいか・・・」 踵を返すと、鳥居をくぐるガラの悪そうな男が数人目に入った。

「なんだ?」 

ガラが悪そうであれ、なんであれ、何をしたわけではない。 お参りをしに来たのを止めるわけにはいかない。 そう思って奏和の前を通り過ぎるのを黙って見ていると、社務所から宮司が出てきた。

「親父?」 

見ているとなにやら押し問答をしているかと思ったら、男たちが捨て台詞を残して向きを変えた。 そして奏和の前を歩き、鳥居をくぐって帰っていった。

「なんだったんだ? ま、何かあったら親父が言うだろうな」 そう言うと家に帰っていった。


その日の夕飯、カケルがイヤでも奏和と顔を合わせなくてはならない。 台所で夕飯の手伝いをしながら、どうしようかと考えていたら廊下を歩いて宮司が入ってきた。

「奏和どっかに出て行ったみたいだぞ。 夕飯いらないって」

「え? そうなの? もっと早く言えばいいのに」 雅子が文句を言ったが、カケルにとってはラッキーな事であった。

(ああ、これで久しぶりに美味しく夕飯を食べられる) 
何といっても今日の献立はカケルの好み。 雅子の作る手順を見てダイエット解禁日にするつもりだった。



翌日昼をすっかりまわった頃、授与所にやってきた雅子がカケルの横に座った。

「遅くなってごめんね。 お昼ご飯用意してあるから食べてきて。 お味噌汁ももうお椀に入れてるからね」

「はい。 じゃ、お願いします」 立ち上がったカケルを見て雅子が言葉を続けた。

「あ、もう最後までこっちは見てるから」 え? という顔をしたカケルを見て

「食べたら奏和の部屋に行っていいからね」 と付け加えた。

「え? なんで・・・」 まで言うと「これください」 と窓口に参拝者がやって来た。 

雅子がお守りを受け取ると、あとにも何人かがお守りやお札を見にやって来た。 カケルはその場を後にして歩き出した。

(奏和のヤツ、小母さんに何か言ったんだ。 汚ったない手を使うなー)

授与所に続く社務所の出口から出ると、ドカドカと境内を歩きたい気分だったが、今は巫女姿。 そんな訳にはいかない。
摺り足に叉手(さしゅ) 静かに歩く。 境内では身についた歩き方。 そして背の高い美人のその姿は人の目を引く。


宮司の家に入るとすぐに奏和の部屋に向った。

「おっ、翔が帰ってきたか」 台所にいる宮司が一人ごちたが、カケルは台所に入ってこず、そのまま廊下を歩いて行った。


「入るわよ!」 一声かけると勢いよく襖を開けた。

「よっ」 と、畳の上で胡坐をかいている奏和が片手を挙げてカケルを迎えた。

「ったく、小母さんに言うなんて反則じゃないの!」

「母さん? 何のことだよ?」 

カケルは腰に手を当て襖の向こうで仁王立ち状態だ。 その姿を見てちょっと溜息をついたかと思うと続けて言った。

「昼飯食べたのか?」

「まだよ!」

「じゃ、先に食べて来いよ」

「先も後もないわよ! 来ないからね!」 言い残して開けた襖を閉めることなく立ち去った。

「なんで、最近のアイツはこうなのかなぁ・・・」 今は居ないカケルの後ろ姿に語ると目先を盆の上に置いていた磐笛に移した。

「どう思う?」 磐笛に問うが、返事はない。


「あーあ、早速やってるか・・・」 宮司が残っていた茶を啜った。

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--- 映ゆ ---  第18回

2016年10月20日 23時28分08秒 | 小説
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- 映ゆ -  ~Shou~  第18回




「で? 私にどうしろっていうのよ」

座っているカケルの手には丁度、掌に収まる程の穴の開いた石が握られていた。
その石を見たかと思うと視線を移し、畳の上に置いた、添えられていた手紙を睥睨した。
≪貴社によく合う音色の磐笛(いわぶえ)です。 どうぞお納め下さい≫ 
長々と書かれていた手紙であったが、要は今カケルの掌の中にある穴の開いた石、この磐笛を貰って下さいという事であった。


今日、カケル(翔)が助勤(バイト)にやってくると、宮司からこの一式が入った宅配の袋を手渡された。
手渡した宮司は、翔(しょう)なら出来るだろ? すぐに戻ってくるから中を見ておいて、と言って部屋を出て行ってしまった。
カケル(翔)が袋の中をのぞくと手紙と箱が入っており、その箱を開けると磐笛が入っていたというわけだ。


ガラガラと縁側のガラス戸が開いた。

「よう、なに難しい顔してんの?」 

「あ? あれ? 奏和(そうわ)、 学校じゃないの?」

「頭ボケてんの? 連休だろ」

「え? あ、そうか。 連休だから来たんだった。 って、いつも連休だからって帰ってこないでしょ」 

そう言うカケルの言葉を聞き流し、履物を脱いで上がってきた奏和がカケルの手元を見た。

「磐笛?」 カケルの前に座り込む。

「え? 知ってるの?」

「当ったり前。 俺を誰だと思ってんの。 どうしたの?」 

カケルが畳の上に置かれていた手紙を手に取ると奏和に渡しながら、先ほどの事の成り行きを説明した。
手紙を読んだ奏和がカケルの掌から磐笛をヒョイと取ると目の前にかざした。

「へぇー、高知県の川にあった石か・・・」 その時、宮司が部屋に戻ってきた。

「奏和、山の中の掃除は終わったのか?」

「はい、終わりました」 言った奏和のその手に磐笛が握られているのを見て、すぐに奏和の横に座り込んだ。

「おい、磐笛は翔に吹いてもらおうと思っているんだから、お前が触るな」 それを聞いて一番に驚いたのはカケルだ。

「え!? 小父さん(おじさん)、私には吹くなんてこと出来ませんよ」 白い小袖に緋袴を着ると“小父さん”ではなく“宮司” と言うが、今はまだ私服だ。

「え? 翔なら出来るだろ?」

「出来るだなんて、どこからそんな発想が出てくるんですか? 絶対無理!」 

その二人の会話を聞いていたのか、聞いていなかったのか、磐笛をじっと見つめていた奏和が、それをそっと口元に置くと息を吹きかけた。 時々音が出る。 音の出る場所を探しているようだ。

カケルと宮司が何事かと奏和を見た。

途端、透明で純粋な音が出た。 すると奏和はそのまま音に導かれるように磐笛を吹いた。
縁側の向こうでは、風がそよぎ葉を優しく撫でている。 小鳥のさえずる声が聞こえる。 磐笛がその中に溶け込み、尚且つ、空(くう)に突きあがって高く上がっていくような音を奏でた。

宮司は驚いた顔をしていたが納得できなくもない。

宮司の一人息子、奏和は4年大学を卒業したあと、宮司の後を継ぐために2年間、神職養成所で学び、卒業後は少しの間手伝いをしていたが、今は音楽の専門学校に行っている。
父親の後はちゃんと継ぐ、でも30歳までは自由にやらせて欲しいということだった。
それに和の音楽、雅楽を奏でて欲しいという願いを込めて“奏和”と名付けたのだから。

吹き終えた奏和がフゥっと息を吐くと

「懐かしい」 小さな声で言い、磐笛を包むように見ている。

「奏和? どうしたの?」

「あ、ああ、何でもない」 一瞬、昔の思い出に浸ってしまった自分に気づき言葉を続けた。

「いい音だな」 その目をカケルに移すと 「吹いてみなよ」 と磐笛を差し出した。

「いやよ、出来るわけないでしょ」 そっけなく言い、顔を背けた。

(冗談じゃないわよ。 ウソでもあれだけの音を聞かされた後に、私がピーヒャラ吹くわけにいかないじゃない)

様子を見ていた宮司が困った顔をしたのが奏和に見えた。

「なに? 親父どうしたの?」

「ったく、お前は要らない事をして!」

「え? なんでだよ。 翔に吹かせるんなら吹かせればいいじゃない。 俺は別にこれを吹くなんて言ってないんだから。 ほら、翔、持てよ」

「イヤだって言ってるでしょ!」 ソッポを向くと 「着替えてきます!」 部屋を出て行ってしまった。

「あーあ、ヘソを曲げてしまった。 説得するのに暇が掛りそうだ」 カケルの後姿を見送った宮司が奏和を睨むように言った。

「な、なんだよ。 俺が悪いのかよ」

「せっかく、いいチャンスと思ったのに、お前がぶち壊したんだよ!」

「は? いいチャンスって?」 

「お前も言ってたろ、翔に。 神職の勉強をしたらいいのにって」

「あ、ああ。 俺よりあいつの方が向いてると思ったからね」

「だから、ここでたまに助勤をしてるくらいだったら、キチンと勉強をしてほしくてな。 希美さんに言ったら希美さんも賛成してくれたんだ」

「翔の母さんが?」 

奏和が驚いて父親を見ると、父親は立ち上り縁側の方に歩いた。 それ以上話したくないといった具合だ。

「ああ、お前は信じられんからな」 縁側の外に目をやりながらポソリと言った。

「え? なに?」 立ち上がり父親の後ろに歩き出す。

「なんでもない」 縁側から見える外を見ているが、そこには山へ続く木々が見えるだけだ。

「でもさ、なんで磐笛が神職の勉強の何かになるわけ?」 
聞こえなかった言葉を気にする様子もなく、父親の後ろに立つと同じように外を見ながら疑問を投げかけた。 もうずっと前に父親の身長を越していた。

「前にな・・・」 他愛もない話、説明が面倒臭いと思い言葉を切った。

「前になに?」

「お前が神職の道を歩んだ時に説明するよ」

「なんだよ、それ」

「で、お前はいつまで遊ぶって? 最初に聞いたのは30までだったな?」 振り返り、話の流れではない質問を投げかけた。

「あ、いや・・・だから・・・あと10年延ばしてって頼んだじゃん。 ほら、親父もまだまだ元気なんだしさ、何も焦る事ないじゃない?」 少々言いにくそうではあるが、特に悪びれる様子も感じられない。

「図体ばかり大きくなって、お前はいったい何を考えてるんだ」 親として情けなげに言う。

190㎝近くある背丈に、専門学校に行きだしてからは、毎晩腕立て伏せをしている。 ガッチリとした肩幅に胸圧がある。

「だから・・・その間、音楽で飯食って夢を叶えてサッパリして、気持ちよく親父の後を継げるってこと・・・あ、じゃなかったご奉仕できるってわけです」

「まだ学校に通ってるだけの何も知らない甘ちゃんのセリフだな」

「今は親父の若かった頃の時代とは違うんだよ。 色んな手を使って世界中に発信出来るんだ。 だから目をつけてもらえるチャンスが山とあるんだよ」 

腕を大きく広げて言うその手にはまだ磐笛が握られている。

「やる気のない者に神職は務まらんから無理にさせる気はない。 が、援助などはせんからな。 専門学校を出たら自分で生計を立てろよ」

「俺も26だよ。 それくらい分かってます」 

「磐笛・・・お前はどうしたい?」 奏和の手に握られた磐笛をチラッと見ると奏和に視線を戻した。

「どうって言われても・・・」 その手を見る。

「ここで吹く気はあるのか?」 言われ、宮司に視線を戻した。

「吹く気がなくもないけど。 まぁ、いつかは・・・」

「お前の言ういつかは、プラス10年の40歳以降ってことだよな」 溜息混じりに言う。

「まぁ・・・ね。 時々帰ってきた時には吹いてもいいけど?」

「中途半端な事を言ってるんじゃないよ。 それに誰もお前に頼んでない」

「なに? 何が言いたいわけ?」

「今日の責任だ。 お前が翔に教えろ」

「えー?! だって翔が嫌がってるんだから、どうするんだよ。 それにほら、俺も手伝いが済んだらアパートに帰るんだから、ムリムリ」

「翔はこの連休、ここに泊まってるんだから、その間お前が帰るまでには教えておけよ」 言うと部屋を出て行った。

「ウソだろ?」 ひとり言の様に言う声で父親の背中を見送った、と思ったら父親が見えなくなった途端また帰ってきた。

「忘れてた。 本当にお前に吹く気がないんだったら今すぐ塩水につけておけ。 いいな」

「はーい」 気の入らない返事を聞いて「情けない!」 と言うとまた出て行った。

父親の足音が遠ざかるのを聞いて視線を下げると、手の中の磐笛をじっと見つめた。

「似た音色だったな・・・」


朝拝を終えていた宮司は誰に邪魔されることなく、朝の勤めを始めた。

巫女装束に着替えたカケルは授与所の周りを箒で掃くとお守りの準備をし、授与所の中に座った。

「磐笛かぁ・・・奏和、上手に吹いてたなぁ」 どことなく冴えない表情だ。 頭が垂れていく。


あの日、初めて聞いた磐笛、渉と神社で待ち合わせをした日。 カケルはかなり関心を持ったようだったのだ。
磐笛奉納が終わった時、「磐笛・・・吹いてみたいなぁ」 ポソリと漏らしていたのだ。
宮司にとってこれは嬉しい事であった。 射たり、という目でカケルを見た。


決して磐笛を吹くことが神事だけに限った事ではない。 
興味を引いて吹くことが出来れば、今では簡単に手に入れることが出来る。 趣味の範囲で吹いていてもいい風潮だ。
だが、磐笛が神代の楽器と言われる事を思うと、神職についている宮司にしてみれば、趣味などとはとんでもない話であった。


カケルが磐笛に興味を示し、このまま上手く話を進めるつもりであった。
それが今日、思いもしないそのチャンスが訪れた。 そのままトントン拍子に本格的に神職の勉強をしてみないか? と話すつもりであったのだ。


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--- 映ゆ ---  第17回

2016年10月17日 21時01分24秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shinoha~  第17回




「婆様が二十五の歳になられた頃だったか、才ある跡継ぎが必要だと長が婆様に言った。 どういうことかと婆様が聞くと、子を産めといわれた」

「なっ!」 無意識に頭を抱えていた両の手が拳をつくり、足の上にドンと下ろされ、同時に顔を上げた。

「ああ、酷い話だ。 村からは何十の年が経っても才ある女子が生まれなかった。 この村は地の怒りを買い、天にまで見放されてしまっていたのだ。
だが誰もそれに気付かなかった。 長も年老いていく。 “才ある者” を残す事だけに執着してしまったようだった。 
どれだけこの村は婆様の生を狂わすのか・・・」

「長は“才ある者” が子をなしてはいけない事を知らなかったのですか!」 
大きな声を出してはいけない事は分かっている。 が、怒りに声が震える。
足に置かれた両の拳が力任せにシノハの足を下へ下へと押さえる。

「勿論、知っておった。 知った上でタム婆様に言ったのだ。
婆様は“才ある者” が子をなしてはいけない事を知っていよう、天に逆らう事をいうのではない! と長をきつく諌めた。
そして、己はまだ二十五の歳、己が歳をとるまでには、いつかこの村の血を継ぐ才ある女子が生まれるはずだ、と言ったが・・・数日後、この村で一番の強靭な男が婆様の寝間に入った」

「なんてことを・・・!」 両の拳を開くと膝が割れるかと思うほど握り締め、歯を食いしばった。

「いくら気の強い婆様であっても男の力にはかなわん。 そしてその時に肩を折った」

「婆様・・・」 悔しさで我が身がどうにかなりそうになる。

「生まれたのは女子だった。 長は喜んだ。 だが、その女子が五の歳になっても才が見られなかった。 女子には才がなかったのだ」

「当たり前です! そんな風に生まれた子に才があるわけない!」 声を荒げて言ってから、はっとし、すぐに要らぬ事を言ってしまったと心にもない言葉で謝った。

「謝る事はない。 お前のように長も考えればよかったのだ。 だが長は考えなかった。 男が悪かったのだろうと、今度は村で一番頭の切れる若者を婆様の寝間に入れた」 シノハが両手で顔を覆った。

「辛い話を聞かせるなぁ。 だが、この村で起きた事を、狂わされた婆様の生を、オロンガの誰かに知っていて欲しい。 オロンガの才ある女子は遠く離れた村で一人で生き、辛い思いをさせたその村に生を捧げてくれたのだと。 誇り高きオロンガの女なのだと」

両の指で目をギュッと押さえ、まだ顔を覆ったまま頷き上を向いた。 手を放すとその目には見られたくない光るものが、今にも溢れそうになってくるからだ。

「二人目が生まれた。 女子だった。 が、この女子にも才はなかった。 婆様には“才ある者” としての毎日がある。 長は生まれてすぐに二人の女子を婆様から離し、他の女に世話をさせた。 婆様は一人目も二人目も命として大切にはしたが、我が子として認めていなかったから、まだ救われた」

(救われた?) 長の言葉に引っかかるところがあったが、そうかもしれない、と思うところがあった。 だが、素直にそうとは思いたくもなかった。

(婆様はどんな思いで我が子を手放したのだろうか・・・それとも、そんな風に生まれてきた子を見るのが辛かったのだろうか・・・)

溢れそうになっていた光るものは、考えるということで目からひいていった。

「この時に婆様は三十の歳をゆうに過ぎておった。 小さい身体のタム婆様にもう子は産めん。 長は婆様から産まれる才ある女子を諦めた。
だが、その女子たちが女となり、子を産んだ。 そして婆様の産んだ二人目の女が産んだ末の子が才ある女子として生まれた。 
村は“才ある者” を残せた。 ・・・それがトデナミだ」 

「トデナミが“才ある者”?」 あまりの驚きに覆っていた手を外した。 
白目はこれほどになく赤くなっていた。

「ああ、そうだ」

「・・・ですが、トデナミは下衣を穿いていました」 

“才ある者” はくるぶしまである長い1枚物の衣を着る。

「“才ある者” としての行の時には1枚物に着替えておるが、トデナミは今、ザワミドの手伝いからわしの仕事、そして女たちの仕事にも手を貸して走り回っておる。 長い1枚物では動きにくいからなぁ」

「・・・そうだったのですか。 そうか・・・トデナミが“才ある者”・・・」

トデナミに対しての複雑な思いは十分にある。 今までトデナミの存在を知らなかったのだから。 それにトデナミが“才ある者” と言われて信じられない思いがあるが、まだ知り合って間がないとはいえ、あのトデナミがタム婆についていてくれれば、これ以上に安堵するものはない。
何故なら、己はあくまでも男。 タム婆につくことはできない。 だが、トデナミは女。 ましてや“才ある者”。 “才ある者” が才あるタム婆にずっとつくことは誰に問われることなくできる。 それにトデナミがどれほどタム婆のことを心より想っているかは、先ほど痛に知った。
ただそれだけが今の安心材料だった。

「トデナミは小さな頃から婆様と一緒に暮らし“才ある者” の教えを請うている。 
十の歳でこのトンデン村に来てからずっと一人だった婆様がやっと一人ではなくなった。 が、婆様はトデナミの事を孫とは思っていない。 才ある女子として引き取り、師として一緒に暮らしているだけだがな」

そうだったのかと思う。 僅かにトデナミとタム婆の想いの違いをどこかで感じるが、今はそれ以上に頭が回らない。 ただ、たった今聞かされたことだけが頭に残る。 

タムシル婆が“才ある者” で、タムシル婆ではなく、タム婆であった。 そのタム婆の末孫トデナミが“才ある者” それに驚いた。 それだけしか考えられない。 
それはタム婆の幼き頃、若かりし頃を考えたくないという自己防衛の思いからだったのかもしれない。

「お前の事は婆様から聞いていた。 オロンガの村から帰った後には、わしにだけは嬉しそうにお前の話をしていた」

「婆様が我の話を?」 
(わしにだけ? そんなことはない。 トデナミも俺の話を婆様から聞いていたと言ってた) が、思えば長とはどこか違う声音だった。

「ああ、お前と妹婆様の話をよく聞かせてもらった・・・どれだけオロンガへ帰りたかっただろうか」 そう言うと悲しげな目をした。

今にしてこの長が話していたことと、己が知ることをつなげて考えることが出来た。

(ああ、そうか・・・。 そういう事だったのか。 タムシル婆様が何度も「わしと遊んだ事は誰にも言うなよ」 と言われていたのはそういう事だったのか)

タムシル婆の存在はオロンガの村から消されていた。 長でさえ、語り継がれなかったタムシル婆。
いつもタムシル婆はシノハが朝、セナ婆の元へ行くともう居た。 その代わりにいつもなら一緒にいるはずの“才ある者” がいなかった。 そして数日後の朝、セナ婆の元へ行くと、タムシル婆はもう居なかった。 そしてその夜に“才ある者” がセナ婆の家に戻り“才ある者” の教えを請うていた。
村人が寝た後にオロンガに来ていたのか。 帰るときもそうだったのか。 生まれた村なのに誰もいない夜の闇の中を来てそして去っていたのか。
オロンガにいる間は一歩も外に出ず、セナ婆の家の中にずっと居た。 ・・・ラワンが生まれたときと、夜、成長したラワンに会うとき以外は。
そう納得した。

あの時、ラワンが生まる時、セナ婆は床に伏していた。 が、偶然にもオロンガに来ていたタムシル婆がラワンをこの世に招いてくれた。
いや、偶然といっていいのか。

セナ婆とタムシル婆の間では、いつタムシル婆がオロンガにやって来るのかということは約束されていた。 それがいつだったのかはシノハの知るところではなかった。
それはセナ婆とタムシル婆の間で真円(満月)の日と約束されていた。 毎月やってくる真円の日。 そのいつの真円の日にやってくるのかを二人の“才ある者” は事前に話していた。

シノハにしてみれば喘ぎ苦しむ母ズークを見てセナ婆を呼びに行ったのだが、床に伏していたセナ婆の代わりにタムシル婆が命危ういズークの母子を救ってくれた。

(あの時、父さんがやってきてタムシル婆様とともに、逆子のラワンの足を引っ張ってくれた。 タムシル婆様と共に居たことを誰にも言うなよ、と言われていたのに、タムシル婆様のことが父さんに分かってしまってはどうしよう。 と、そういえばあの時考えたな) と、要らないことを思うとすぐにそれを頭の中から消した。

(・・・婆様が来られたときに一緒に居たのはセナ婆様と俺だけだった。 そうだ、一緒に暮らしていた“才ある者” もその時だけはセナ婆様は家に帰していた。 
誰の目にもつかぬようにしていたのか・・・)
はじめにこの長が言った。 時のオロンガの村長がタムシル婆の事を内密のこととしても長に受け継がれていないはずだと。

(帰りたくても帰ることが出来ない、顔すら見せられない生まれた村になってしまっていたのか)


「幼い頃より苦労をし、それが実って村人からの信頼を掴むことが出来た。 
それなのに才ある婆様として、今回の地の怒りを知ることができなかった事、婆様はとても自分を責めておられる」

(そういう事か・・・) 

何度も頷くシノハの様子を見て長が続ける。

「シノハ」 ずっとお前と言われていたのに、急に名を呼ばれ、驚き返事をした。

「は、はい」

「数日この村に留まってはもらえないだろうか」

「はい、お役に立つことがありましたら、なんなりと申し付け下さい」

「不便をかける村だが、暫く婆様の元に居てくれ。 頼む」 

その目を見て深く頷いた。


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--- 映ゆ ---  第16回

2016年10月13日 23時22分16秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shinoha~  第16回




「心を決めた婆様たちは母上と才ある婆様、村長の前で、二人のどちらかがトンデン村に行くと言った。 
皆が驚いたそうだ。 それに才ある婆様からは『“才ある者” が浅慮な言を発するでない!』 と、憤然と言われたそうだ。
だが、オロンガの村長は長という者は村を治めねばならん、村人を守らねばならん。 それをよく知っている。 いや、長が知っているという話ではない。 長とはそういうものだ。
それだけに村に“才ある者” が居ないトンデン村の長の事を思うと、確かにトンデン村の長が持ってきた話に心が揺れていたそうだ。 とは言え、オロンガの村人を守るのはオロンガの村長の仕事でもある。 
婆様たちの母上も心が揺れておった。
時の才ある婆様だけが心が揺れていなかったそうだ。 才ある婆様のお考えだ、我らでは計り知れない何かの思いがあったのかもしれん。 いや、もしやタム婆様のこれからを唯一知っておられたのかもしれんな・・・」 ふぅ、と息をつくと沈思するかのようにしばらくの間があった。

「婆様たち二人の間では妹婆様がこの村に来ると決まっていたが、才ある婆様の叱りを受けたとき、妹婆様が口を引き結んではおったが、足の上に置ていた手が才ある婆様の言葉に震えていたそうだ。 
それを見たタム婆様は、妹婆様は一人違う村で生きてはいけないだろうと判断をされた。 すると、叱るならこの姉を叱れ! と言い返したそうでな・・・」 その時の様子を想像したのであろう、笑いを堪えるように下を向き緩みそうになる口を強く結んだ。

「なんと・・・女子(にょご)が才ある婆様にそんな口を・・・」

「そうだな。 どこの村でも考えられない。 タム婆だけであろうな」 二人で目を見合わせた。

「タム婆様はすぐに妹婆様をその場から帰したそうだ。 
残ったタム婆様は立ち上がり、両の足を広げしっかりと立つと、座っている三方を見回して、我がトンデン村に行く。 と言ったそうだ。 まだ言するのか! と才ある婆様の叱りがはじまったかと思うと、タム婆様は
オロンガの才ある婆様は困っている人々を助けないのか! それがオロンガの才ある婆様のすることか! オロンガの名を汚すのではないは! と・・・ああ、語っているだけでも畏れ多いわ」

長の言葉にシノハの口から小さく笑いが漏れた。

「怒りに任せた婆様が 勝手にせい! と言い残してその場を出たそうだ。 残された母上と長がなんとかタム婆様を説得しようとしたが、心に迷いのある者が、迷いなく決めた者の心を動かすことなど出来ん。 
そしてまだ幼かったタム婆様がトンデン村にやって来た」

「そんなことがあったのですね・・・。 タムシ・・・タム婆様が才ある婆様だったとは知りませんでした。
我はタム婆様がトンデン村に嫁に行ったのだとばかり思っていました。 “才ある者” としてトンデン村にいらっしゃったとは思いもしませんでした」 才ある婆様、だから何でもご存知だったのか、と納得した。

「ああ、もしそうなら婆様は幸せであったかもしれん」

「やはり、十の歳の女子が一人で暮らすには大変だったのでしょうか?」

「村人が・・・な」 一つ大きな溜息をついてまた話し出した。


「ここからは妹婆様も知らないことだ。 タム婆様は妹婆様に心配をかけぬよう、話しておられないはずだ。 話せば妹婆様はタム婆様をこの村に行かせたご自分を責めるであろうから」 

厳しい顔を作り頷くシノハを見ると、どこを見るともなく話しはじめた。


「女達が婆様を虐めていた。 女達に教わらなければこの村のことが分からないというのに、女は男が想像出来んことをするからなぁ。 ずっと耐えていたそうだ。 十の歳の時から十年、いやそれ以上。 毎日毎日、女達に苛められていた。

村の習慣は長から聞き覚えたそうだが、“才ある者” としてのことは一人で地を感じ、風と話し、星を読み、雨を身体に受け取って村の雨風地のことは分かってきたそうだ。 
だが、昔語りが分からん。 昔語りと合わせて考えなくてはならんからな。 
長から聞く昔語りだけでは到底足らん。 “才ある者” が居ないのだから“才ある者” の昔語りや語りは聞けないにしても、少なくとも女達が知っている昔語りを聞かせてもらわねばならん。 
婆様はどうしようかとずっと考え込んでいた。 何を言っても返事もしてもらえないどころか、返事の代わりに頭から水をかけられる、物を投げられる。 途方にくれたそうだ」

シノハが当時のタム婆の事を考える。 が、考えてもその時は帰ってこない。 

「それに、段々と女たちのすることが酷くなってきた。 風を感じようと外に立っているだけで木で殴られる。 体の小さい婆様が毎日何かとされる。 怪我を受けても、誰も薬草を塗ってやろうともしない。 
あ、いや・・・記憶に遠いが誰かが薬草を塗っておったような・・・」

「え? 誰かとは?」

「今話しているのは婆様から聞いた話とわしが見聞きしてきたことだ。 そしてこれからトンデンに伝えゆく“オロンガに産まれたトンデンの才ある者" の人語りだ。
だが・・・その中に抜けておるところがあるな・・・まだわしも幼かったからなぁ・・・誰だっただろうか・・・いや、どんなことだっただろうか・・」 考えるが思い出せないようだ。

「ああ、思い出せんな」 眉をしかめ、首を振る。

「・・・そうですか」
感情は抑えなければと分かっている。 だが、タム婆の思いもよらない話。 今は戻ってこない時だとしても、その時誰か一人でもタム婆に添ってくれていたのかと期待したのだが、それが聞けなかった。
僅かに愁色の表情を出してしまった。

「婆様の膝が歪んでいるのを知っているか?」

「はい。 婆様からは昔転んで膝と肩を折ったのだと聞きました」

「折ったのは確かだ。 だが、転んだのではない」

「まさか!?」

「ああ、膝は大人の女達に引きずり回されて折ったんだ。 十五の歳の時か、その前ぐらいか・・・。 
折った後も誰一人としてその引きずる足に手を貸さなかった」

「男達は止めなかったのですか」 怒りを抑えた声で問うた。

「女達はいつか自分達の中から才ある女子が産まれると思っていた。 長に説得されたとは言え、納得してはいない。 だから、タム婆様はこの村に必要ないと考えていた。 
その昔から“才ある者” がいなくなって、男どもが暴走せぬよう女達は必死だった。 それ故に村は女達が仕切っていた。 “才ある者” は女ゆえ、男は口を出すな、とな。
最初は少し苛めれば泣いて帰ると思っていたのだろうな。 だが、婆様は何をされても泣きもせねば、オロンガに帰ろうとする様子さえ見せなかったらしい。 その姿を見て怒気を帯びた女達が暴走したのだろう。
男どもは女達が決めた事に逆らえなかった。 それに女同士の事だからと、見て見ぬ振りだったそうだ。 ・・・長すらもな」 

「何故! 長が婆様を連れてきたのに!」 感情は抑えているつもりだが、とうとうシノハの声が荒立った。

長が今言った浮薄な言葉にシノハの心がささくれだったのだ。 いや、今の村長に対してではない。 確かに浮薄な言葉は今の村長が言った。 だが、その言葉は時の村長の考えを表す一番適切な言葉だったのだろう。 時の村長に対して怒りが抑えきれない。

言われた長はシノハの言いたい事は十分にわかる。 だが、過ぎ去ってしまったこと。 取り戻すことができない、今更なにを言っても始まらないこと。 タム婆の過去は帰ってこないのだから。 

ただ、タム婆から聞いたこと、己が知り得ることを話すしかない。 それが事実なのだから。 どれだけタム婆を慕うシノハが傷つこうと、どうしても言わなければ。 それを知ってほしいのだから。 タム婆がこのトンデンで血を吐く思いで過ごしたことを、オロンガの村人に知っていてほしいのだから。

「時の長はタム婆様が骨を折っても熱を出しても、“才ある者” のせねばならないことが出来ればそれでよかったのだろう」 その言葉にシノハが首を振り怒りの息を吐いた。

「婆様でなかったら・・・タム様でなければ他の“才ある者” であったなら、もうここへは居らんかったであろう。 この地にもな。 あまりの仕打ちに天に身を返しておったかもしれん。 ・・・だが、婆様は、タム婆様は誰にも泣き言をいわず、身を天に返すこともなく一人で耐え抜かれた。 
そのお陰でこの村は助かった。 婆様の強い心に感謝せねばならんが、それ以上に心から謝らなければならん」 

何を言っても罪を作ったこの村・・・天に見放されたうえに天に逆らったこの村。 心の中でそう呟くと長は話を続けた。

「婆様と同じ歳くらいの女達は十八の歳にもなると次々と子を産んでいった。 母となっていった。 大人の女たちと同じように婆様を虐めていたが、子を育てるのに忙しくなり苛める間も少なくなってきた。 
大人の女達はまだ婆様に手を出していたようだがな」 ひとつ間を置きまた話し出した。

「そんな時、婆様がオロンガの村から来た時にはまだ生まれていなかった女子の一人が、大人の女がいないところで婆様に話しかけてくるようになった。 
丁度、婆様がトンデンの村へ来たときと同じくらいの年頃の女子だった。
その女子は母から聞いた昔語りを聞かせてやったりした。 その昔語りを元に婆様は考え、徐々に皆を導く行動を起こされてきた。 とは言ってもすぐには誰もついて行かんかったがな」

頭を抱えて下を見ているシノハに憐憫な眼差しを送った。 
だがここで終わってはならない。 このことも聞かせなくては・・・天に逆らったこの話を。 と、目を瞑り小さく息をした。 
そしてゆっくり目を開けると話し始めた。

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--- 映ゆ ---  第15回

2016年10月10日 20時53分15秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shinoha~  第15回




長が一つ大きく息を吸ってゆっくりと吐くと顔を引き締め、話し出した。

「昔、我が村で最後の“才ある者” 才ある婆様が息を引き取った。 地の怒りを買ったのが原因だと聞いている。 才ある婆様が居られなくなられたのはあまりの急なことであった。 
そして、それまでに才ある婆様の後を継ぐ“才ある者”、才ある女子(にょご)が生まれていなかった。 これからどうしたものか、時の村長は頭を抱えたそうだ」 


どこの村にも “才ある者”が絶えることなく、才ある女子が一人生まれる。 その女子が“才ある者” と共に寝起きをして教えを請い、“才ある者” が亡くなると、その女子が今までの名を二文字に変えて次の“才ある者” となる。


「村は長い間“才ある者” が居ない状態になってしまった。 当時は地の揺れが何度もあったらしい。 “才ある者” が居ない故、導く者がおらん。 命を絶たれた者が少なからず出たそうだ。
村長も“才ある者” が居なくなった状態で代がわりもしていた。 そんな時、オロンガの村では二人の才ある女子が居ると噂に聞いた。 時の村長が皆にオロンガからそのうちの一人を迎えようと言った」 シノハは目を瞠った(みはった)。

「そうだ。 有り得ない事だ」 


“才ある者”は途絶えることなくその村に必ず生まれると聞いている。 ましてや、他の村から迎えるとは聞いた事がない。 
何故ならば、生まれた頃よりその村で生き、村の事、雨風、温度などを頭と身体で覚えなければならない。 長と共に、いや、長にはない生まれ持った才や受け継いだ知恵で村の安泰を図るのが勤めだ。
このトンデン村では特に地の揺れの事を細かく知っていないと“才ある者” にはなれない。 いざと言う時を知り、皆を安全に導くよう、長に言わなければならない。


(タムシル婆様の話をするのではないのか? 今、村長が言っているのは村長の片腕、いや、村長の上に立つ“才ある者”の話をしている。 どうしてだ?) 


「女達が反対したと聞いている。 だが長い間、才ある女子は生まれていないのだから、これから先も村を守る“才ある者” がおらんでどうする、と長は女達を説得しオロンガへ向った。 説得された女達は納得をしたわけではなかったがな」 シノハはただ黙って聞いている。

「オロンガの村では拒まれたそうだ。 だが、何度も何度も長は足を運んだ」 

あの岩山を何度も通ったのだろうか。 岩山が平らであるのはその時の長が何度も歩いたお陰もあるのだろうか、ふと思った。

「我が村長が何度もオロンガの村に足を運ぶのを見て、オロンガでは色んな噂が立ったようだ。 下手な噂が立つよりは皆に全てを話すほうが良いだろうと、オロンガの村長は皆に話したそうだ。 
トンデンの村に“才ある者” がいなくなって長い。 よって、オロンガに居る二人の才ある女子のうちどちらか一人を、トンデンの村に迎えたいという話をトンデンの村長が持ってきている。 だが、どちらの女子も渡す気はない。 とな」 

話がよく見えないシノハは取りあえず頷いて聞いている。

「オロンガの才ある二人の女子。 その時の女子とは、タムシル婆様と妹婆様のことだ」 

「え?」 シノハの驚く顔を見た長がコクリと頷く。

「そうだ。 タムシル婆様は、才ある女子だった」 

「タムシル婆様が?」 頭の中が整理できない。 が、ふと思い立ち質問をした。

「ですがお名前が・・・タムシル婆様と言うお名前では“才ある者” ではないはずですが・・・?」 


“才ある者” になるとその名を二文字に変えなければいけない。
セナ婆も幼き頃にはセナイルという名だった。


「この村に来られてからは“才あるタム様” 今はお年を召しているからタム婆様という」

「タムシル婆様ではなくて・・・タム婆様・・・?」

「ああ、そうだ」 

(タムシル婆様が才ある女子だった? いや、タムシル婆様ではない? タム婆様? 何故? どうして? どうして知らなかったんだ? いや、そうじゃない、婆様たちはどうして教えてくれなかったんだ? ああ、頭がどうにかなりそうだ) 


少し話し疲れたのか、長が目を瞑って小さく息を吐いた。

「長、お身体に触るのなら・・・」 そう声を掛けながらも頭の中はタムシル婆の事を考えている。

腰を上げたシノハを見ると長が首を振った。

「婆様の事をオロンガの若者に知ってもらわねば。 オロンガの村でこの話は受け継がれなくなっているはずだ。 時の長が皆に、子達にタムシルという女子が居たことを話すなと命じたと聞いている。 
このトンデンの村のことを思ってそう命じられたのだろう。 長ですら内密の事としても受け継がれていないはずだ。 オロンガの村で今知っておられるのは妹婆様だけであろう。 妹婆様はこの事を誰にも話さないはずだ」 

(え? 長はこの話を兄のトワハに言ってないのか?)

「悪いが、壷から水を入れてくれるか?」 長が座っている椅子から少し離れた所に簡素な台があり、その上に壷と椀が置いてあった。

「はい」 立ち上がり、壷から水を注ぎながら考えた。
(それじゃあ、今のトンデン村の“才ある者” はタムシル婆様・・・いや、タム婆様? 
あ、それでザワミドさんが畏れ多いとあんなに婆様に触れるのを拒んでいたのか。 ああ、男たちの目が厳しかったのもそのせいか・・・。 え? じゃあ、トデナミが孫というのはどういう事だ? “才ある者” は子をなさないはずだ)

考えながら水を見るとタム婆の時と同じ濁りのある水であった。

(この水か・・・) 顔を僅かに横に向けるとあらためて長に向き直った。

「長、差し出がましいのですが、我の持つ水を注いでも宜しいでしょうか」 

「旅に必要な水であろう? それはお前が飲むといい。 わしは壷の水でいい」 その返事を聞いて(俺の水を飲みたくないわけではないのだな) と判断をし、今注いだ水を壷に返した。

そして腰にぶら下げていた筒から椀に水を注いだ。 

(ああ、もう少しでなくなるか・・・) 椀を長に手渡すとその水を見た長が

「ああ、澄んだ水だ。 すまぬな」 そして一口飲むと目を瞑ったかと思うとすぐに目をつぶり顔を上に向けた。
暫くそのままでいると顔を下ろし、ゆっくりと目を開いた。

「何という水だ・・・」

「お疲れも少しは飛ぶでしょう」

「先ほど、オロンガの村では大雨に見舞われると聞いたが、こんなに生き生きとした水なのか?」 問われ戸惑った。

「あ、いえ・・・その。 村の水ではなく・・・その・・・途中にあった水を入れたといいますか」 どうやってあの時の事を説明したらいいのか。

「オロンガまでの道のりにそんな所があるのか?」

「あ・・・っと、話せば長くなるのですが・・・多分ないと思います」

「ない?」

「その、我にもよく分からないことがありまして・・・そこでこの水を汲みましたが、今はその場所がないと思います。 ああ、思いますではなく、水を筒に汲んだあと、その場所がなくなりました・・・」 ああ、絶対に秘密にしていると思われているだろうな、と顔をゆがめた。

「では、同じ道を歩いても、もうこの水はないのか?」

「はい」 説明できないことに頭を垂れるしかなかった。

「そうか。 お前は嘘をつける人間ではない。 この水はもう無いのであろう。 有難く頂く」 そう言うと、椀の中の水を飲み干した。

長はまた目を瞑りじっとしている。 山の恵みの滑らかな生(せい)を慈しむ力が身体に行き渡るのを感じているのであろう。
長が目を開くのを待っていると、ゆっくりと瞼が開いてきた。 シノハが手を出し椀を受け取ると元の場所に置いた。

「皆にこの水を飲ませたいものだ」 その言葉に頷くが、あと少ししか残っていない水。 これはどうしてもタム婆に飲ませたい。

「さて、話の続きだ」 頷くと胡坐をかいて座った。

「タム婆様の母上は悩んだと聞いている。  
母上は、長からも時のオロンガの才ある婆様からも、女子だったタム婆様たちのどちらも渡さないと決めている、と聞かされた。 普通ならそれで胸を撫で下ろすだろうがお優しい故、悩まれたそうじゃ。
村に“才ある者” が居ない状態では、先々村が立ち行かん。 “才ある者” が必要だと言う事は誰もが分かる事。 だが、我が子は離したくない」 

(婆様の母上・・・セナ婆様の教えは母様からも伝わってきた教えなのだろうか)

「だが、一番悩んだのはタム婆様とその妹婆様、今のオロンガの婆様だった」

「え?」 思わず声が漏れた。

「その時はまだ婆様達も若かった。 若いというよりは、まだ女子なのだからな、タム婆様がまだ十の歳くらいの時だと聞いている。 母上の悩む姿を見ているのが辛かったのであろう。 
タム婆様たちは、母上とオロンガの才ある婆様と暮らしておられた。
普通なら、母上とは暮らさない。 才ある女子と“才ある者” だけが一緒に暮らすが、その時のオロンガの才ある婆様はかなりのご高齢だった。 二人の女子を見るには大変だったからであろうな。
才ある婆様と暮らしておれば、タム婆さまも妹婆様もまだ幼い女子とは言え、村を導く“才ある者” がどれだけ必要かと言う事は身に染みて分かっていたのであろう」 申し訳ない思いが段々と大きくなってきたのか、少し頭を垂れた。

「幼い婆様たち二人で、何度も話し合ったそうだ。 オロンガの村には一人の女子が残ればいい。 だから、二人のうちどちらかが、一日も早くこのトンデンの村に行けば村で育つ。 村のことが分かってこよう。 分からないことがあれば、長や女達に聞けば何とかなるのではないか。 
だが・・・母から姉から妹から離れなければいけない、それは身を切る思いだ。 と、婆様たちは簡単にどちらも選べないと話していたそうだ」

(十の歳のとき・・・俺がその歳の時にそんな風に考えられただろうか・・・ただただ、婆様たちに甘えていただけだったこの俺に・・・)

「そして、何度も話した末、タム婆様より少しでも歳を過ぎていない妹婆様のほうが、少しでもこの村で育つ間が長いからと、妹婆様がこのトンデンの村に来ると二人の間で決まったそうだ。 妹婆様は母上と姉のタム婆様から離れる事を決断された」

「セナ婆様が?」

「ああ、タム婆様が妹婆様を裏切らなければ、今頃は妹婆様がこの村におられたかもしれん」

「タムシル婆様・・・あ、タム婆様がセナ婆様を裏切ったと?」 長がその言葉にほくそ笑んだ。

「ああ、素晴らしい裏切りをされた」 シノハが眉根を寄せ小首を傾げると、長が片方の口の端を上げ「婆らしい裏切り」 と言い、話を続けた。

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--- 映ゆ ---  第14回

2016年10月06日 23時53分52秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



『---映ゆ---』 第1回から第10回までの目次は以下の 『---映ゆ---』リンクページからお願いいたします。

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- 映ゆ -  ~Shinoha~  第14回




姿勢を正し、右指先で額に触れ、その右手を握ると左胸に当て顎を引いた。

「オロンガ村のシノハと申します。 兄、トワハが旅のできない状態にあり、弟如きが失礼かと思いましたが、使いにやってまいりました。 我が村長(むらおさ)から、何か用意するものがあれば何なりと、と申しつかっております」 

「トワハの怪我はいいのか?」 今はトワハが旅の出来ない状態だと言った。 トワハが怪我をしたなどと言っていない。 

先にあの大声の男から話を聞いていたのだな・・・ああ、あの待たされたときに聞いたのか、と思った。

「はい。 順調に治ってきております」

「そうか。 なによりだ。 こちらへ来るといい」

「はい」 薄暗い中に目が慣れてきて、中の様子が入ってきた時よりよく見えるようになってきた。

長の前まで来ると、椅子に座ってはいるが腕や足の傷が痛々しい。

長の前に片膝をついた。 その姿を見て長が片眉を上げた。

「お前はカタイのう」 その言葉の意味が分からない、どういう事かという顔をした。

「まぁ、良いわ。 薬草をたんと貰った、それだけで充分だと村長に伝えてくれ」

「はい」

少しの間があった。

長が今度は両の眉を上げると「お前は何も聞かんのだなぁ」 とシノハを見た。
地の怒りはどんなものだったのか、皆はどんな様子なのか。 トワハのみならず、誰でも聞くであろうが、シノハは聞かない。 


相手が大変な目をしたときにはアレコレと聞くではないぞ。 話したくないこともあるであろうからな。 相手が話し始めるまではこちらからは聞くのではないのぞ。 
幼い頃よりセナ婆からそう教わっていた。


「婆の言うとおりか・・・」 

(おい、何だよ、何を言いたいんだよ、婆様が何を言っておられたんだよ。 全然意味が分からないじゃないか、これじゃあ返事のしようもない・・・) 
心の中は声に出せない事をあれやこれやと考えているが、長を真っ直ぐに見る目はずっと変わらない。 
馬に乗る以外でゴンドュー村で鍛えられた真っ直ぐに見るという目の力。

「話が長くなるかもしれん。 そこに座るといい」 指差されたのはタムシル婆の所で見たと同じ、高さがそんなにない木床の上に敷物が敷かれてある場所だった。

(これって、長が寝る寝床だよな。 いいのか?) 迷っていると「かまわん座れ」 と言い、話を始めた。

「地の怒りは凄まじかった。 あれ程の怒りはわしが生きている中で初めてのことだ」 空(くう) を見ていたがシノハに視線を戻した。 

「森へ来る前に村を見ました。 地が大きく揺れたと話には聞いていましたが、あれ程とは思いもしませんでした」 

敷物をめくると、木床の上に腰を下ろし、片膝を立てもう一方の足を前へ出すと軽く膝を折り足の裏側を相手に向けない。 手は立てた膝を包むようにおく。 
どこの村でも男達が集まる時に、若い衆はこの座り方をする。 目上に失礼のない座り方なのである。 そして目上の者は胡坐で座る。

「ああ、村を見たか。 地の割れを見たか?」

「はい」

「段々と塞がってきているらしい」

「え?」 聞こえるか聞こえないかの声が漏れた。

「小さいが、まだ地の怒りが続いていてな、その度に地割れが塞がってきているそうなのだ」

「そういうものなのですか。 我が村は大雨に見舞われることはありますが、地が揺れたことがないので知りませんでした」 
女たちの昔語りにも、オロンガ村の“才ある者” 才あるセナ婆の昔語りにも川が溢れ、村が沈んでしまった話はあっても地が揺れた話などない。

「そうか、雨が降りすぎるか。 オロンガの村長も苦しいだろうな。 この村は何度か地の怒りを買っているが、地の割れを起こすほどではなかった。 わしも初めてのことだ。 女達の知る昔語りにも地の割れる語りなどはない。 
それに割れた地が塞がるなどという事は知りもしなかった。 そして、あれだけの地の怒りであったのに酷いのは我が村だけだ」

(あ・・・そう言えば・・・) 心の中で考えてから口にした。 

「はい、地の割れをみたのは村からこの森に入る前まででした。 村に入るまでは見ませんでした」 そうだ、村に来る前は何ともなかった。 頭の中を巡らせた。

「信じられんが、そんなことがあるのだな。 大きな村ではないのになぁ。 それに地の怒りを買うことなどは、今はもう決してしておらんのに」

(今はもう?) 思ったが相槌に頷くしかなかった。
そして 
(この村の“才ある者” はなんとお考えなのだろうか。 それにさっき長は女達の昔語りと言った。 女達の昔語りではなく、“才ある者”の語りでなくてはならないのではないのか?)

「だが、地も温情を下さった。 いや、婆の力かのう? 婆の想いが届いたのかのう・・・」 長が微笑んでまたシノハを見た。

(地の温情? 婆の力?) 何のことであろうかと言う風に首をかしげた。

「わしや婆のような年寄りと小さな子供達、そしてその母は逃げ遅れたが・・・ああ、逃げる間もなかった。 が、皆 命を繋いだ」 
その言葉を聞きシノハの目が輝き、疑問などはフッ飛んで、思わず腰を上げ大声で言ってしまった。

「それでは! それでは! 皆無事なのですね!」 一番聞きたかったことだが聞けないでいた。 今までにない大きな声に長が驚いた。

「ああ、年寄も子供達も母も怪我はしたが、皆無事だ」 笑みを浮かべた長が、座る様にと目で促す。 頷き、目を輝かせながら座りなおした。

すると長が少し考えたような素振りを見せ、言葉を続けた。

「ああ、足は崩せ」 胡坐をかいても良いという事である。

「それは・・・」 我が村長の前どころか、父親の前でも胡坐などかいたことがないのに、とんでもない話だ。

「畏まられては話しづらい」 

タムシル婆の言うとおりの若者だったという事は最初に分かってはいたが、これと言う信じきれるものが無かった。
だが、今のシノハの喜び様、他人を気遣う思いを持つ者だとしっかりと分かった。 この若者に全てを話そう、その為に足を崩してもらいたい。

一方シノハは崩せと言われてもどうしたものかと考えていた。

「トワハは当たり前に崩しているぞ」 目を丸くして長を見た。

(トワハ・・・なにやってんだ!) 歳の離れた兄を心で叱咤した。

「この村の長の命令と言えば崩せるか?」 そう言われれば腹を括るしかないのか、トワハを責める言葉をなくしてしまう。

「では、失礼して」 

きっとトワハであったなら、このまま木床の上で胡坐をかいたであろう。 が、シノハは木床から降りて直に板間に座ると胡坐をかいた。 シノハの胡坐をかく様子を見ると長が続けて話した。

「婆には会ったのだろう?」

「はい、今日は無理をされたようで、今はザワミドさんとトデナミが見て下さっています」

「婆め、薬草も拒むと聞いたが今度は何をしたのだ?」

「あ・・・これは内緒でありましたか・・・」 しまった、と思ったが後の祭りだ。

「ああ、気にするな。 言ってくれ」 言われ、口淀んだが、嘘を言っても始まらない。

「村の様子を見に行かれたそうです」

「なに!?」 とっさに椅子の背もたれから身体を起こすと顔を歪めた。

(あったー・・・しまったなぁ。 これではまるでタムシル婆様の首を絞めた状態か・・・)

「婆様・・・」 嘆声をもらすと片手で顔を覆った。 

その様子を見ながら
(あれ? 婆様? たしかずっと“婆”と言っていたよな、それにさっきは“婆め”と言っていたのに?) シノハはさっきからこの長の考えが全く分からないといった様子だ。

顔を覆ったまま長が話し出した。

「婆様はオロンガ村から来られた。 いや、来て頂いた」 覆った手を離し、シノハを見ながら続けた。

「何度も婆様に救ってもらったこの村が、万が一にも婆様の命を縮めては申し訳が立たん。 婆様は今どうしておられる?」 

(え? そんな話になるのか? それより、来て頂いたとは何だ?) と思ったが顔には出さない。 
取りあえず、今己が知りえるタムシル婆の状態を話した。

「そうか、それでは婆様は命を落とす事などないのだな?」 そう聞かれて、これからの進み次第と答えるしかなかった。

「婆様が、ザワミドさんの言う事を聞いてくださればよいのですが」

「ああ、そうか。 ザワミドに任せるしかないのだな」 シノハがコクリと頷くと長が言葉を続けた。

「婆様は自分を責めておられる。 その婆様をザワミドが説得できるか・・・」 

(何故? 何故なのだ? どうして婆様が自分を責めておられるのだ?) 聞きたいけれど聞かない。 セナ婆の教えは身に付いている。

「本当にお前は何も聞かんのだな」 すると、ニヤリと笑った長が意味ありげに言う。

「ドンダダがトワハとは似ても似つかん、トワハの弟と名のる者が来た、と言っておったが、ドンダダの言うとおり。 お前はトワハと似ておらんのだなぁ」 

少し首を捻り ドンダダ? ああ、あの大きい声を出した男の名か、と思い 「はい」 と答えた。

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--- 映ゆ ---  第13回

2016年10月03日 22時46分50秒 | 小説
『---映ゆ---』 目次



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- 映ゆ -  ~Shinoha~  第13回




(我が村では男が歳を重ねた女を背負うことを禁じられているが、この村では女が背負うことも禁じられているのか? 先々、婆様が歩けなくなったらどうするんだよ) と、心でいっても口に出すことは無い。

「では・・・何か。 そうだ、板戸などはないのですか?」 辺りをキョロキョロとする。

「男達が持って出たよ」 村に帰り、何か運べるものがあったらと持って出たようだ。

「そうですか、それでは・・・」 首を捻り下を向いた。 少し考ると「ああ」 と言って顔を上げた。

「うつ伏せになってラワンの背に乗ってもらいましょう」

「え?」 二人が驚いた顔をシノハに向けた。

「ラワンであったら良いのですよね?」

「あ、まぁ・・・ズークに乗せてはいけないとは聞いたことがないねぇ」 ザワミドが顎に手を当てて言うと、続けてトデナミが問い直した。

「婆様をラワンの背に、うつ伏せにですか?」 

「はい。 ラワンの背に横向きにうつ伏せると背が丸まってしまいますので、ラワンの背に沿って縦にうつ伏せてもらいましょう。 少し寝心地は悪いとは思いますが」 両の眉を上げ一言を添えるとラワンを呼んだ。

「ラワン、婆様の前に伏せてくれ。 婆様に尻を向けるようにな」 言われてすぐにラワンがタムシル婆の前で足を折った。

「手伝ってもらえますか?」 二人を見ていうと、どうすればいいのかという目を向けてくる。

「両脇から婆様を支えるように、脇と腰元に手を添え、そのままラワンの背に乗せてください」 それを聞いてザワミドが叫んだ。

「とんでもない!! 婆様が起きておられる時ならともかく、婆様の言葉もなく、勝手に私が婆様に触れるなんて!」

「今は婆様の命が一番なのです!」 

タム婆の額がうっすらと汗ばみだしてきていた。 もうどんな文句も聞いていられないと厳しく言ってしまった。 
言うとマントを脱ぎ、ラワンの背に拡げるように乗せた。 小さいタムシル婆ならシノハのマントの中に充分全身が入る。 ラワンから降ろす時にはマントを四方から引っ張って簡単に降ろすことが出来るだろうと考えてのことだ

「婆様、失礼します。 ほら、早く!」 急きたてるように言われ、腰がひけながらも二人でタムシル婆の脇に手を入れると、そのままソロっと前へ倒しもう片方の手でトデナミが腰元を支えた。 

「ああ・・・婆様、婆様・・・お許し下さい・・・」 ザワミドが罰でも当たるかのように眉を下げながら腰元に手を添えた。

「もう少し前へ、あともう少し」 シノハが指示を出す。

タムシル婆は深い眠りに落ちたのか、全く目を覚ます様子がない。
なんとかタムシル婆をラワンの背に乗せるとシノハが言った。

「トデナミはザワミドさんの横に行って下さい」 言われてすぐにトデナミがザワミドの横に立った。

「我はこちら側に立ちます。 ザワミドさんとトデナミでそちら側から婆様が落ちないように支えていてください」

「なんとまぁ。 いや、でもこれは無理じゃないかね? ラワンとか言うのかね? いくら支えていても、立つ時には婆様が落ちるよ」 その言葉に返事をしたのはトデナミだった。

「ザワミドさん、きっと大丈夫だと思います」 それを聞いてシノハが口の端を上げ、ラワンを見た。

「ラワン、トデナミを裏切るんじゃないぞ」 ラワンがチラッとシノハのほうに目だけを動かした。

(こいつーーー! また無視しやがった!) 心の声が段々と口汚くなってきたが、顔は平静を装っている。

「それでは、立った後は何処へ行けばいいですか?」

「あそこに見える小屋の奥にまだ小屋があります。 そこで婆様が寝起きされています。 そこへ」 トデナミが指差した小屋は一番奥にある小屋だった。 その奥の小屋。

「わかりました。 それじゃあ、ラワン頼むぞ」 ラワンがソロっと足を動かした。 途端小さく揺れた。

「あわわー、あわわー。 大丈夫かね、大丈夫かね。 トデナミ、コッチへ落ちてきそうになったら頼むよ」 ザワミドがオロオロとする横で、トデナミが小さく笑っている。

すると、ゆっくりとゆっくりと大きく身体をぶらすことなく、段々とラワンが高くなっていく。

「これは何という事かね?」 トデナミは先ほどその様子を見ていて特に驚かなかったが、ザワミドは目を丸くして驚いている。

ラワンが完全に立ち上がったが、タムシル婆がズレ落ちてくることはなかった。

「よし、ラワンゆっくりでいいからな。 あっちに歩いてくれ」 指差された方向にゆっくりと歩き出した。


小屋に入るとすぐに板間になっていて入口のすぐ右横に腰高の小さな卓があり、左右両側には明り取りの窓が作られている。 
板間の右奥には少し高くした簡易の寝床が作られていて、その上に左が頭になるように敷物が敷かれていた。 そして左奥には椅子と机が置かれていて、一人で過ごす小屋にしては広めであった。 

寝床にタムシル婆を寝かせるとシノハは小屋を出た。

まずは、ザワミドはタムシル婆の背中の様子を見る為、トデナミは衣を脱がせる為に小屋に居たが、年老いた婆の背中といっても、そんなところに男が入っていられない。
ましてや、薬草師でも都の医者でもないのだから。

小屋の外にはラワンもいる。

「ラワンすまなかった。 今日は何度も無理な事を頼んでしまったな。 何処も悪くしていないか?」 身体をぶらさず立つ事など決して簡単な事ではない。

「また、だんまりか。 いったい何だって・・・あ・・・」 そうだったのか、と気付いた。

「婆様が心配だったんだな。 そうだよな、そう言えばこの村に近づいてきて婆様の話をしだしてからだんまりになったな」 シノハの話を聞いているのかいないのか、小屋の入り口をずっと見ている。

「だからって、返事くらいしてくれてもいいだろ?」 すると返事の代わりに、煩いといわんばかりに振り返り、睨め付けた。

「なんだよ、それ!」 睨み返すシノハにラワンは相手もしなかった。

「シノハさん?」 呼ばれ振向くとタイリンが居た。

「あ、あはは」 バツが悪そうな顔をして頭を掻く。

「今、長の具合が良くて、是非ともシノハさんに礼が言いたいと言っているのですが」 

長への挨拶を気にはしていたが、あの大声の男から、長は具合が良くないと聞いていて今だに挨拶ができていなかった。

「挨拶をさせてもらえるのなら是非とも。 だが、無理をされていないか?」

「いえ、俺から見ても今日は顔色がいいです」 

「では、お願いする。 ラワン、ここに居てくれ」 ラワンに言い残すと、タイリンの横を歩いた。

(くそ、ラワンのヤツ、また無視しやがった) 思いながらも気になっていた事を問うた。

「ずっと男たちが居ないが? いや、婆様、ザワミドさんとトデナミ以外誰も居ないが?」 タイリンを見て問うと、目が合ったタイリンがすぐに答えた。

「小屋の中には傷を負ったものが居ます。 えっと・・・森に逃げた以外のものが居ます。 森に逃げたのは働いていた者ばかりですから、今日は地の怒りが無いと聞いたので、皆で村に行っています。 シノハさんが来られたとき、丁度村に行こうとしたときだったんです」

「ああ、それであんなに男達がいたのか」

「地の怒りがずっと続いているんです。 だから簡単に村に行けないんです」

(そう言えば、さっきトデナミもそんな事を言っていたな。 今日は地の怒りが治まっている様だから婆様が村を見に行くと仰った、と)

「どういうことだ?」

「揺れがまだときどきあるんです。 殆どが小さい揺れですから大丈夫ですが、それでも万が一を考えると村には簡単に行けないんです」 タイリンはずっと下を向いて答えていた。

「そうか。 たしか、タイリンと言ったな?」

「はい」 歩を止め、少し嬉しげにシノハを見た。 さっき、有難うと言って貰えたことが頭をかすめた。

「タイリンは村に行かないのか?」

「俺は・・・俺は役立たずですから」 また下を向いて歩き出す。

「そんな事はない。 役に立たない人間などおらん」 言われたが、二度とシノハの顔を見ようとはしなかった。

「この小屋です」 そう言うと「シノハさんをお連れしました」 と告げ、戸を開けた。

開けられた戸の先、明り取りの窓から僅かな光が漏れ入ってきているようだが、薄暗くしか見えない。

「どうぞ」 疑り深い村だとセナ婆から聞いているだけに、小屋に入るのには色んな可能性を考えた。

タイリンは元気な者はみんな村に行ったと言っていたが、何人か残っていてもおかしくない。 そしてその手に槍を持っていても・・・。
さっきまでの男達の態度を考えると有り得なくもない話だ。 だが小屋は狭い空間、槍を向けられたらどうしようもないだろう。

(なるようになるか・・・) 腹を決め、一歩小屋に入った。 

タムシル婆の小屋と同じような作りになっている。 そしてうっかり厳しい目を動かし周りを見てしまった。

「安心せい。 誰もおらん」 奥から聞こえてきた声に、しまったと思ったが後には戻れない。 

小屋の外から見たときには僅かに明かりがあるように見えたが、いざ中に入ってみると気味の悪い雲がまだ太陽にかかっているせいで、明り取りの窓がほとんど用をなしていない。 その陽が差さない薄暗い中でも、声の主の顔の輪郭が分かる。 面長の顔。
男達もみな面長の顔だった。 いや、面長では済まされないほどだった顔もあった。 

(かなり血が濃くなっているのか・・・月夜の宴(つきよのえん)に出ていないのか・・・)


月夜の宴、それは昔から続く村々の血を薄くするための、年に一度催される若い男と女の出会いの場であった。 あちらこちらの村から、何日もかけてやってきた若者の宴(うたげ)。 年かさのある身を固めた者が、飲み食いの場を作り、若者を盛り上げるそれはそれは、賑やかしいものだった。


(疑り深い村か・・・他の村からの人間を受け入れていないという事か・・・)

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