大福 りす の 隠れ家

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お暇な時にお寄りください。

虚空の辰刻(とき)  第30回

2019年03月29日 23時38分03秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第20回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第30回



セイハがグッと両手の拳を握りその拳を胸元にやった。 顎を引き目は閉じている。 何か小さく口の中で言うと、その拳をパッと開けて前に突き出した。 と、その掌から風が起こり沢の水を竜巻のように巻き上げた。 まだ湧き出るつもりのなかった沢の水をも連れて巻き上げている。
風を操る様にゆっくりと腕を動かし、沢の水をそれに従わせる。 大きく掌を上にあげると一気に沢の水がそれに従い必要以上に湧き出た。 と、その途端、今度は掌を下にすると勢いよく腕を下げる。 沢の水が湧き出てきていたひび割れに吸い込まれるように元に戻っていく。 するとすぐさま左掌を下に向けたまま、右掌をそのひび割れの周りにあった石に向けると、閃光のようなものが見えて石が粉々に砕けた。 今度はその人差し指をひび割れに向ける。 砕け飛んだ石がひび割れに勢いよく集中して落ちていく。 それもその地を刺すように。 細かく砕けた石はひび割れを起こしていた土を塞いだ。

青の瞳の力、それは風と雷を操る。 風の力で水と砕いた石の行く先を操り、雷の力で閃光を出し石を砕いた。 だがセイハの雷の力はこれが限界だ。 セイハと同じ青の力、青い強膜を持つアマフウは閃光で大木さえ真っ二つにし、セイハは天から雷を起こすことなど出来ないが、アマフウはそれをやってのける。 セイハは雷に近い小さな閃光を手から発する程度が限界だった

「こんなもんかな?」
ずっと紫揺が見ていたのに気づいていたのか、セイハが紫揺を振り返る。

「どう? シユラ出来る?」

「え?」
何を言っているのか? 出来る出来ないの話の前に、違う話があるであろう。 今のが何だったのかの説明をしてもらいたい。

「今度同じものを見つけたらシユラもやってみるといいよ」

(有り得ないんですけど・・・)
言葉に出しては言えなかった。 これが簡単に現実だなんて思えないのだから。 でも簡単でないのなら分からなくもない、と思う心が片隅に芽生えていた。

先を歩く4人は、そこここで何かを見つけてては散らばって腕を動かしている。
黄色の瞳を持つキノラは、水浸しになっている辺りに乾いた土を指先を動かして運んでいる。

「ああ、こんなことは人手で出来ることなのに、なんて無駄な時間なんでしょう」
ブツブツ言いながら、時の経つのを気にしている。

「どれだけ仕事がしたいんだよ」
キノラの近くでトウオウが左の薄い黄色の瞳の力で、沢の水を飛ばして火を消している。

「トウオウ、ここはキノラに任せて進みましょうよ」
トウオウの横に立つアマフウが指先を動かしているトウオウの袖をつかんだ。

「・・・ああ、そうだな」 腕を下すとアマフウを見た。

「それじゃ、オレとアマフウの力がもっと発揮できるところに行こうか。 二人の力を合わせて大洪水でもおこそうか」

「ええ。 何もかも破壊してやりたいわ」
黒の瞳の力で水を操るのではなく、強膜の青色を使って雷や大風を起こそうとしているらしい。

「おい、青の力は使うなって。 ・・・って、何をまだイライラしてるんだよ」
そう言うトウオウを一顧するとプイと横を向いた。
「イラついてるのはトウオウでしょ?」

「はっ? さっきから何だよ。 イラついてなんてないし」

「嘘ついても分かるわよ。 アノコの服が気に入らないんでしょ?」

「・・・え?」

「ずっと気にしてたわよね」

「・・・思い過ごしだよ」
アマフウが何を言いたいのかが分かった。 アマフウの肩に優しく腕を回す。

「わ・・・分かってるわよ」
ソッポを向いたまま答えるが、どこかでイライラしていた気持ちが収まっていくのを感じた。

ずっと先を歩いていた赤い瞳のセッカが手を焼いていた。 山のふもとのアチコチで小さな爆発ともいえない程の、とーっても小さな地下からの小爆発からの炎があがっていた。 とても小さなもの。 だがその数が多すぎる。 そしてその親玉を抑えることができない。 足場を固めるために小さなものから消していく方が先決だからだ。

「トウオウとアマフウったら、何をしているのかしら!」
薄い黄色の瞳を持つトウオウと黒い瞳のアマフウに恨めしい言葉を吐く。

腕や指先を動かしては火を操る赤い瞳の力で炎を操り抑えこむが、追いつかない状態だ。
それにもっと炎に集中してやれればなんとかなるものを、あまりにもアチコチで炎が上がっていて集中などできない。
ここに黒の瞳を持つアマフウの水を操る力と、薄い黄色の瞳の力を持つトウオウの天や沢を操る力があれば、その力で水を呼び起こすことが出来るはずなのに。 その水で二人が小さな炎を消してくれれば、親玉の炎に気を集中して赤い瞳の持つ力で抑えることが出来るのに。
とはいえ、それほどまでに大きな親玉ではない。 地を揺るがすこともなければ、この辺境の地にどんな災害をもたらすほどでもない。

セイハから俗に言うところの3歩下がって歩く紫揺。 最初は平地を歩いていたが、その内に緩やかな下り坂となっていた。 歩くのには楽であった。
歩を進めながら頭の中を疑問が巡る。 さっきセイハのやっていたことの意味が分からない。 どれだけ頭で考えても分からない。 水が躍った、巻き上がった。 その後に石が粉砕されてセイハの指先を向ける位置に刺さっていった。 

分かることは、それによって湧き出ていた水が収まったということだ。
だがまず、何故、水が湧き出ていては駄目なのだろうか? どうして水の湧き出るのを止めなくてはならないのだろうか。 そんな疑問が次々と浮かんだ。

確かにここは寒い。 寒い土地に水が湧き出ると、もしかして一晩のうちに凍ってしまうのかもしれない。 そうすると滑って転ぶ人が出るかもしれない。 でも、ここは辺境の地だとムロイが言っていた。 誰が歩くこともないだろう。 実際ここまで誰にも会っていない。 それなのにどうして止めなくてはならなかったのだろうか。
何度も頭を捻るがその答えが見つからない。

(お婆様・・・もし本当にここがお婆様の来られる筈の所だったなら、お婆様はどう考えられるのでしょうか・・・)
そう考える一方で、いや、お婆様はここに来るはずがない。 来たいと思うはずがない。 母親の早季が書いていた日記の文字を頭の中で紡ぐ。


≪お母様とお爺様を早くお郷へ連れて行ってさしあげたい。 お帰りになりたいでしょうに≫ 
(お婆様はこんなところに来たくないはず) この領土を最初に見た時に同じことを感じたが、今は確信が持てる。 何の証拠もない、あくまでも感覚的にだが。

≪いつかは帰れるでしょうが・・・もしかしたら紫揺さんが連れて行ってくれるかもしれません≫ ≪お婆様たちのお郷に帰りたかった。 お婆様のお郷に行くんじゃなくて、帰りたい≫
(私なら、こんなところにお婆様もお母さんも連れてきたくない。 お母さんをこんなところに帰したくない。 ここはお婆様の来る筈だった所じゃないはず)

お婆様がここに来るはずではなかったと確信を持ったが、それとセイハのしたことは別の話だ。 それに自覚が無いとか何だとか・・・。 アマフウの袂を燃やしたとか何だとか・・・。 それは納得いくように知りたい。 他のみんなの誤解なら知る必要がないのかもしれないが、だがそれであったのなら、誤解であったとハッキリとさせたい。 自分にも他にも。

セイハが自分のしたことを見ていた紫揺にそれと同じことをやってみるといいと言った。
普通の可愛い女の子がセイハのしたことを見れば、冷静にものが考えられないかもしれない。 だが紫揺は違う。 目の前で見せられたことに少なからずも驚いてはいるが、冷静になれないわけではなかった。

高校時代ある体育館が新設された時、そのオープンセレモニーに招待され、そこで演技をした。 そして客席にいた小中学生をそこから下ろすと、単発のタンブリングや跳馬などと色んなことをしてみせた。 そうするように言われた。 すると、その時に間横で見ていた小学生が感嘆の声を上げていたのを思い出す。 その声の中には

「魔法だ! でなきゃあんなに高く飛べるはずがない!」
その声は跳馬を跳んだ後に聞こえた。 その小学生の声に中学生は 「ロイター板を蹴る力だろ」 と言いながら、伏せた横目を送っていたが。

「人間じゃない! 人間じゃないからずっと上から僕らを見下ろすんだ!」
またもや小学生が目を丸くして言うと、中学生が辟易していた。

この声は床を対角線上に小中学生が体育座りをして、タンブリングをするのを見ていた時だ。 紫揺が床で後方伸身宙返りをしながら軽く1回捻った時に聞こえた声であった。 確かに、宙に舞って軽く捻ったときに、チラリと横に膝を立てて座って並んでいる生徒たちを見たことは見たが、紫揺も小学生の言葉には少々ウンザリしていた。 マンガの見過ぎか、ゲームのし過ぎじゃないのかと。

一瞬自分は、その小学生の立場にあると思った。 さすがにセイハのしたことを目にしたときは驚いたのだから。 でもセイハを人間ではないと思えない、魔法を使ったとも思えない。 ただ、出来ることをしただけだと思っている。 あの時の自分と同じように。 でも、それと同じことが自分に出来るかと問われればそれは別だ。

(私に同じことが出来る? セイハさんと同じことが・・・?)
小中学生たちは努力をすれば、トレーニングをすれば魔法と思ったことも、人間業でないと思ったことも、すべてその身につけることが出来るであろう。 いや、つけられる。 実際に紫揺自身がそうであったのだから。 と言うことは、セイハから投げられた言葉に挑戦するのも一つなのだろうか。

もう先には誰もいない。 寒いながらも木々が多くなってきたからなのだろうか、歩く道の左右に新芽の吹く木々が多く見えだした。

「みんな雑木林の中に入って行ったんだろうね」

左右に見える木々のことを言っているのであろう。 左は奥に入るほどに山につながる。 木々が密集していそうだ。 ずっと歩いてきた道にはセイハが最初に水を止めた以外、既に誰かが手を入れただろう痕が幾つかあっただけで、乱れというものは残っていなかった。

「セイハさんも入らなくていいんですか?」

「いいよ。 疲れるだけだもん」 紫揺を振り返ると、肩を竦めてみせた。

それでいいのだろうかと思いながらもセイハの後姿を見ながら歩いていると、目の端で何かが動くのが見えた。 

(なに?) それはとても綺麗な輝きを持ったナニカだった。

紫揺が見たと同時にセイハも気付いた。

「あれ? ヒトウカがどうしてこんなところに居るんだろ?」 横を向き、ヒトウカと呼ばれたものの後を目で追う。

「ヒトウカ?」

「うん、ここには居ないはずなのに・・・」

ヒトウカは木々の間を走り去っていった。

「それって何?」

「ああ・・・言ってみれば鹿」

「鹿?」

「うん。 寒さをこの上なく好む鹿。 一歩踏み出してその足元に水があればその水が氷に代わる。 土であればそこにある僅かな水分を氷に変える。 ・・・そうか、ヒトウカがここに居るのか・・・。 それでいつもより寒かったんだ」
今までになくセイハが厳しい顔をしている。

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虚空の辰刻(とき)  第29回

2019年03月25日 22時37分48秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第20回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第29回



そのまま陽の光に向かって歩いて行くのかと思っていたら、人一人が通れる幅の狭い階段が右横に現れた。 上り階段である。
その階段の左手は洞窟の岩に添って、右手にはアルミで出来た手すりがあるが、よく見ると木の手すりがあった跡がある。 以前は木の階段で木の手すりだったのであろうが、この湿気を考えると朽ちてしまったのだろう。
上り階段はいったん斜めに伸びると小さな踊り場が出来て、また逆方向に登っていく形になっている。

それにしても、どう考えてもあまりにも屋敷と違い過ぎる。 屋敷のことを考えると洞窟の中を歩くなんてことはしないで、最大でも動く歩道にするだろうし、最小でももっと歩きやすい道にするだろう。 目の前にあるこの階段にしてもそうだ。 どうしてエレベーターにしないのであろうか。

階段を見上げた。 長い階段、幾重にもジグザクに階段がある。
ムロイがその一段目に足を置いた。

(え・・・ウソ・・・。 上り切れない。 絶対に無理・・・)
高所恐怖症の頭がヒョコリと出てくる。

(でも・・・座り込むなんてこと出来ない。 そんな弱みなんて見せたくない)
力がないとか、自覚がないとか散々言われたのに、ここで階段も上れないのかなどと言われたくない。 袖の中でグッと拳を握ると口を引き結んだ。

(絶対に登れる! 私には出来る!)
心の中で何度も自分に言い聞かす。

(と、取り敢えず下を見なきゃいいんだから。 足元の階段だけを見ていればいいんだから)

紫揺が歩きやすいように先を歩くムロイが階段の足元を照らす。 一歩ずつ階段を上がるが、なかなかその階段が終わる様子がない。 決して疲れたわけではないが、この階段はあまりにも長かった。

(良かった、ストレッチで筋を伸ばしてて・・・)
気持ちが高所に居ることから肉体の心配に代わっていく。 お蔭で下手に視線を動かさない限り腰を抜かすことはなかった。

ずっと運動不足でいた筋や筋肉をあのままにしておけば、強張ってきていたかもしれない。
長い階段が急な上り方向から緩やかに変わった。 するとその先にドアが見えた。
狭い踊り場に立つとムロイがカギを出し、重そうな錠を開けドアが開かれた。
そこは6畳にも満たない小さな空間になっていた。 窓もなければ今開けたドアと、その向かいにもう一つのドアが見えるだけである。 一歩を踏み出そうと思うがその足が出ない。

(ヤダ・・・やっぱり生贄? ここは生贄の部屋・・・?)

「後ろがつかえているんですけれど? 前に進んで頂けないかしら?」 同じように踊り場に居る紫揺の後ろでセッカが言う。

「あ・・・すみません」 

ないない。 生贄なんてこの時代にないんだから! それに怪しい台も何もない。 絶対になんともない・・・。 自分に言い聞かす。

踊り場には紫揺、セッカが立っていて、他の者はまだ階段の途中である。 奥から 「チッ!」 と舌打ちのする音がした。 きっとアマフウだろう、と紫揺が思った。

舌打ちの音が引き金となって、下唇を噛むと重い足を動かした。 一歩部屋の中に入る。 そこは血生臭い匂いもなかったし、怪しい道具も見当たらなかった。 それどころか何もない。
そっと2歩3歩と中に入る。 紫揺が中に入るとそれに続いて全員がその部屋に身体を入れた。 最後に入ってきたセイハがドアを閉めると、ムロイがそのドアに鍵をかけた。 

ムロイの後を追って目を流し振り返った紫揺が、あれ? と、思った。 何故ならそのドアは木で出来ていたからだ。 踊り場で見た時には金属製のドアだったのに、と。

ムロイがその足ですぐに向かいにあった木の戸の南京錠を開ける。 ガチャリと重々しい音がし、そのドアを開けた。
分厚い木の戸が開かれると陽の光がドッと入ってくる。 一瞬目を塞ぎ片腕で目を覆ったが、真夏の陽と違って、それほど目を襲う程のものではない。 それでもずっと暗闇を歩いて来た目には少々刺激がある。
ムロイが角灯の火を消し、ドアの横に吊るすと、他の5人もそれに従った。

「シユラ様、大丈夫ですか?」
慣れているのであろうか、ムロイは急に広がった明るさを何ともしていないようだ。

コクリと頷くとソロっと腕を下し、ゆっくりと目を開ける。 まだハッキリと外の景色が見えない。
何度も目を瞬(しばたた)かせながら、ドアを出るとそこには荒涼とした土地が広がっていた。 ビルもなければ家もない、駅の構内でもない。 目の前は単に広がる荒れた土地、所々寒そうに生える木々や草、土、砂、大小の岩や石。 それだけだ。 あまりにも何もなさすぎる。 荒れた土地に木や岩が雑然と見えるだけである。 
目の先を遠くに向けると、この土地の左右、正面を囲むように山が見え、真正面と右の山には山塊と思われる山々が屹立している。 振り返ると山が見えない。 三方を山に囲まれているようだ。

「・・・ここは?」 口から薄く白い息を吐きながらムロイに問う。

「・・・我が領土です」 厳重に鍵をかけたムロイが辺りを見て眉を顰めながら紫揺に答えた。

「領土? ・・・お婆様がここに来るはずだったという?」 

そんなことがあるわけない。 お婆様がどんな風に考えていたのかは分からないが、それでも母親から聞かされていた祖母がこんなところに来たいと願ったはずはない。
それに母親の早季もこんなに生を感じないところに帰りたいとは思わなかったはずだ。

「ここは我が領土の辺境の地です。 領土の中心はここから更にあります。 歩きながらあとの者達には仕事をしてもらいます。 シユラ様、まだお歩きになられますか? もしお疲れのようでしたら少々時間がかかりますが馬車をご用意いたします」

「ばっ・・・馬車?」
エレベーターのある屋敷に住んでいて馬車!? 車じゃなくて馬車!? 紫揺の目が鉄砲玉を食らったようになっている。

「ええ、ここは最小限の電力だけで動いています。 勿論ガソリンなどはございません」
紫揺が車と考えたのを見透かして言ったのかどうか。

「ムロイさんはどうするんですか?」

「私は他の者につきますが、シユラ様が馬車をご用命であればすぐに使いの者を出してご用意いたします。 事前にシユラ様が来られると分かっていればご用意しておりましたが」

一旦は馬車を利用して領土の中心という所を見たいと思ったが、ムロイの言った 『あとの者達には仕事をしてもらいます』 その言葉が気にかかった。

「大丈夫です。 自分の足で歩きます」 気にかかることを他の言葉に置き換えた。

「では、他の者に仕事をさせますが、シユラ様はお気になさらずに」
そう言ったムロイの揶揄するような視線が紫揺の心に嫌悪を走らせる。

紫揺から目を離したムロイが、今出てきたドアの横に目先を移した。 そこには幾本かの細い枯れ枝が積まれている。 すると誰を見ることなく 「おい」 と一言いう。

トウオウが肩をすくませ、セッカに視線を送ると、まるで 『どうぞ』 と言うように掌をセッカに向けた。 向けられたセッカが眉を顰めて歩き出す。

山の見えなかった建物の裏側がどうなっているのだろうかと気になり、紫揺が建物の裏に回った。
裏側は建物の5メートルほど後ろが断崖になっているようだった。 何故ならずっと向こうに断崖が見えるのだから。 かなり幅のある谷であるのが見なくとも分かる。
谷の向こうの断崖の先には平原のようなものが見える。 左の方は平らで、右に行くほど緩やかな下り坂になっているようだ。 そしてポツンと大きな岩が見える。 こちらから見てあの大きさだ。 間近で見るとかなり大きいものだろう。

(芝生でも生えてるのかなぁ。 こっちとエライ違い)

もし、歩を進め覗き込んだら谷から伸びてくる見えない手に取られ、そのまま落ちてしまっていたであろうが、見ただけでこれ以上近づいてはならないと分かる。 へっぴり腰で建物に手をつきながら、ゆっくりと元いた場所に戻っていく。


独唱の眉がピクリと動いた。 頭を下げ、暫く集中している様子がうかがえる。 その様子に塔弥が憂俱の表情を見せる。 
僅かに頭を上げると静かに口を開いた。

「塔弥・・・」

「はい」

「領土にいったん戻る。 ・・・紫さまが北に入られたかもしれん」

目を見開くことしか出来ない。 喉が詰まって何も喋ることが出来ない。 それに何かを言おうにも何も考えられない。

「わしはあの場所に行く。 お前は領主に知らせてから、わしを追ってくるといい」

「はい」 塔弥が踵を返した。

そして領土に戻ると間違いなく紫揺が北の領土に入ったことが分かった。


枯れ枝の前まで来たセッカが、その枯れ枝に手首を一つ回転させ人差し指を向けた。 枯れ枝から燻ぶったような煙が上がる。

「あら? かなり湿気っているのね」 言うともう一度同じことをしたが、今度は掌を広げて枯れ枝に向けた。

すると、ボッと枯れ枝に炎が上がった。 セイハが冷笑を送る。

「あら、強すぎたかしら?」
ほんの小さな火をつけるつもりでいたのに、予定より大きな炎になって少々面食らってしまった。

赤い瞳を持つセッカ。 その赤い瞳の力で火をつけたが、枯れ枝にどれだけ水分が含まれているのかは分からなかった。

「構わない。 煙が上がればいいんだから」 ムロイが言う。

そこに建物づたいに紫揺が帰ってきた。 さっきまで枯れ枝だった所に炎が上がっているのを見ると、焚火気分になる。

(手をあっためたら暖かくなりそう・・・)
そして頭の中でアルミホイルに包まれた芋を放り投げた。

「行くぞ。 各々自分の出来ることに目を走らせろ。 ショウワ様がお怒りだからな」
ムロイがまっすぐ前に歩き出した。

「ケッ、自分が領土を放っておいたからじゃないのかよ」 歩きながら小声でトウオウが悪態をついた。

「トウオウ・・・らしくないわね」 トウオウの横を歩くアマフウが言う。

「へっ? そうか?」
アマフウを見るが、当のアマフウは真っ直ぐに前を見て歩き進めている。

「何をイラついているの?」

「・・・なにも」 アマフウから視線を外す。 歩みは止まらない。

最後尾を歩くセイハが二人の会話を聞いてほくそ笑んでいいる。

そのセイハの斜め後ろを歩いている紫揺。
セイハは手を頭の後ろに組み気楽に歩いている。
紫揺がキョロキョロとする。 前方の左右にはまばらに木々が見えだした。

「ああ、あそこに乱れが出てる。 あれくらいなら風で飛ばせるわね・・・ここは私か」 暫く歩いているとセイハが独り言のように言った。

乱れと言われた場所には水が溢れていた。 横には小さな沢がある。 きっと沢の水が地下で幅を広げそれが上に染み出し、溢れているのだろう。 そして陽の当たるそこここに水溜りを作っていた。

「そこは私の範疇よ。 セイハは下がっていなさい」

風を操る青の瞳のセイハに、黒の瞳で水を操るアマフウが言う。 そのアマフウの声に気付いてトウオウが歩を止め振り返る。

「止せよ」 踵を返して歩きながら言う。

「これからアマフウしか出来ないところが出てくる。 それまでは傍観しておけ。 その方が楽だろう」

「爆発させたいのよ。 アチコチ壊したいのよ」

「壊したいって・・・青の力は使うなよ。 それに温存しておけ。 その内に何某(なにがし)か出てくるさ」
瞳は黒であるが、風や雷を操り破壊の力を持つ強膜の青の力を使おうとしていたということだ。

アマフウの肩に腕を回すと先を歩くように軽く押した。
2人が会話をしている姿を他の3人が一瞥すると、セイハがその場に止まり、他の2人とアマフウ、トウオウがムロイについて先を歩き始めた。

(セイハさん何をするの?)
セイハから少し離れた所で紫揺が足を止めて見ている。

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虚空の辰刻(とき)  第28回

2019年03月22日 22時13分13秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第20回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第28回



翌日早朝、紫揺が頭に描いていた計画が為せることが出来るかどうか、ガザンを味方につけられるかどうかを確かめようと、まだ屋敷の者が動いていないであろう時間に部屋を出た。

季節は5月に入っていた。

どこか分からないこの屋敷だが、そろそろベンチコートを手放そうかどうか迷い、手に持ったり離したりしたが、結局、今日が最後と手に取った紫揺がドアを開け、辺りをキョロキョロし誰もいないことを確認すると、肩にベンチコートを乗せ大階段の手すりに両手をついたかと思うと両足を蹴り上げ、横座りで尻を手すりに置いた。
手を離し3階からそのまま手すりを滑り台のようにして滑り降りる。 2階でいったん手すりが床と平行になるため、上半身をバネにしてポンと飛び降りた。

「あれ? シユラ?」

こんな早朝から思わず声が掛かり心臓が飛び出そうになる。

「あ・・・セイハさん」

「こんなに朝早くどこにいくの? え? もしかしてシユラも行くの?」

「え? どこにですか?」

「・・・ってことはシユラは一緒じゃないんだ。 ・・・ん、でも一緒に行けばいいのに。 そうだよ、そうだよ。 ね、一緒に行こ」
セイハがシユラの腕をとって組むとズルズルと引っ張って階段を降りだした。

紫揺を見守っていた2つの影の内、1つの影が揺れその場を離れた。

「え? え? どこに?」

大階段で1階に下りると4色の瞳がそれぞれソファーに座っていた。
全員が大階段を降りてきたシユラとセイハを見る。

「へぇー、シユラ様も行くの? 聞いてなかったけど?」
アマフウの隣に座るトウオウが紫揺の姿をまじまじと見ながら頬杖をついて言う。

その隣のアマフウの今日の衣装は控えめでは終わらない地味すぎるほどの衣装。 今まで見たこともない衣装である。 が、よく見れば全員が似たような衣装であった。

立て襟に膝上までの丈の上衣は合わせをボタンの代わりに細い皮紐で括っている。 そして後ろにスリットが入っているが、そこも細い皮紐で括られている。 なんのためのスリットか分からない。
上衣の下は筒ズボン。 上下とも皮で出来ている。
よく見ると服の色はそれぞれの瞳の色をしていた。 トウオウだけは右半分が赤で左半分が薄い黄色、というのではなく白である。 革製で少しのデザインの違いこそあるが、基本的に全員が同じような服を着ている。
靴も皮で出来ていて、紫揺から見ては分からないが、靴中はボアで暖かく仕上げてある。 そしてそれぞれの横に上衣と同じ色の外套と、耳当ての付いたフカフカの帽子を置いている。

「あの、いったいどこに行くんですか?」

「あぁら? どこに行くのかご存じないわけ? それじゃあ論外ね。 なぁに? セイハが勝手に連れてきたの?」

「シユラも屋敷に居るんだもん。 一緒に行ってもいいでしょ? セッカお姉さま」

「セイハ、それはムロイが決めることよ」 目の前にある大きな時計を見て、さも仕事をしたそうにするキノラが言う。

「ムロイが連れて行くはずないじゃない。 まだ何にもなにもまともに出来ないのに」 アマフウが誰を見ることなく言った。

「あら? シユラに袂を燃やされたのは誰でしたっけ?」

「っ!? セイハ! アンタ!」

「止めろよ。 セイハが何を言おうとムロイが決めることなんだから」
立ち上がりかけたアマフウをすぐさま隣に座るトウオウが止めた。

「おい、朝から騒がしすぎる」
1階の仕事部屋から出てきたムロイとセノギ。 ムロイは片手に外套と帽子を持っている。

「おや? これはシユラ様」
ムロイは他の5人とは少し違う衣装であるが、大して変わらなく、色は緑だ。

「ムロイー、シユラも一緒に行ってもいいでしょ?」

「シユラ様が?」

「え? 私なんのことだか・・・」

「いいじゃない、一緒に行こうよ」

「おい、セイハ、シユラ様にはまだご案内できない」

「なんで? シユラに力がないから? シユラに自覚がないから?」

力? 何の力なのか。 自覚・・・何の自覚なのか。 力と言われて、もし、跳躍の力とか、身のこなしの力と言われれば反発したくなるが、今はそうでないことが十分に分かる。
だからそれに反発する気はないが、自覚と言われれば話は違う。 いったい何の自覚なのか? 己は何を知らなくてはいけないのか。
『そろそろ自覚を持っていただかないと』 と言ったキノラの言った自覚なのだろうか。

「あ・・・あの。 どこに行くんですか?」

「シユラ様には落ち着かれたらご案内いたします」

「それは・・・それって、もしかしてお婆様の行く筈だった所ですか?」

「・・・はい」

「そこに行くと何かがあるんですか?」

「今は何かがあるというわけではありません」

「うそ。 あるじゃない。 シユラが行く所でしょ? ないはずないじゃない。 なんならシユラにやってもらえばいいじゃない」

「セイハ!」

「・・・行く」

「はい?」

「私そこに行きます」 

力がないとか、自覚がないとか、そんな風に言われて別にプライドが傷付いているわけではないが、それでも・・・ 『強情で好き嫌いが多い』 そんな性格がヒョコリと頭を出す。
今朝の予定はガザンと頭に描いた計画が出来るかどうかを確認したかったのだが、それは後にまわす。 それに、お婆様が行く筈だったと言われる所を見てみたい。 でも、見てみるだけ。 ずっと居る気はない。
と、その時、エレベーターの扉が開いた。 扉が開くとそこにいたのはショウワであった。 ショウワがゆっくりとエレベーターから出てくると恭(うやうや)しく紫揺に頭を下げた。

「ムラサキ様、どうぞ我が領土をご覧ください」

「領土?」

「ショウワ様! シユラ様にはまだ早い!」

「いつかは来て頂く領土。 今見て頂いても同じこと。 そのまま領土に残られるもよし、一旦こちらに帰ってこられるもよし、ムラサキ様がお決めになられればよい」

「ショウワ様、話が分かるー!」

「セイハ! お前は黙っていろ! ショウワ様、そろそろ屋敷に仕事をするものが来ます。 これ以上時間を無駄には出来ま―――」

「では今すぐにムラサキ様をお連れせよ。 よいな」

「・・・」

「セノギ、お前はこちらに残っているように」

「承知いたしました」
もとよりセノギは行く気が無かったのだろう、いつものスーツ姿である。

ムロイや五色の目を持つ者たちの服装はあくまでも領土に帰る為の服装である。 その姿を領土以外の者には見せたくない。
だが、コックがそろそろやってくる。 言い争いをしていては、その者に何事かと詮索されたくはない。 仕方なくショウワの言われるままになった。

全員が外套と帽子を持ちその場を立ちあがった。 セノギを先頭にムロイが歩き出すと全員がその後に続いた。
セノギが向かったのはたった今、ショウワが降りてきたエレベーター。

全員がエレベーターに乗るとドアが閉まり、セノギがまるでどこかの階のボタンを押すように人差し指で何もない1Fのボタンの下に触れた。
指紋認証。
認証が取れると、ボタンの一番上に今までなかった新たなボタンのようなものが現れた。 そこには何も書かれていなく、ただ赤いだけのタッチパネル。 そのタッチパネルを押すとエレベーターが下降しだした。 地下に進んでいると分かる。

エレベーターの中では誰も微動だにしなかった。 ムロイがセノギに耳打ちするのと、セイハがチラリと紫揺を見たくらいであった。

エレベーターが止まってドアが開くと、そこは贅を尽くした屋敷の地下とは思えない簡素・・・までもない原始的なものであった。 まるで単に地下をくりぬいたような洞穴状態。 いや、まさに洞窟である。

全員が外瘻を身に着け帽子をかぶった。 紫揺も先程までとは違う温度にベンチコートを羽織る。

エレベーターを出たすぐ横に幾つかの角灯が吊り下げてあった。 それに火を灯し一人一人に渡し、最後にムロイに渡すと 「それでは」 とセノギが言い、それに対してムロイが 「では、例の件、頼んだぞ」 というとセノギが頷きエレベーターの中に入りドアが閉まった。
例の件というのは株を動かす者の人員増加であった。 一人だが増やすことになっていて、その書類選考と面接の事であった。

「シユラ様、こちらへ。 足元にお気を付けください」
一番後ろにいた紫揺を呼ぶとその足元を照らした。

ムロイの後に続きながら 『行く』 と言った言葉に早々と後悔をし始めた。 思いもしない展開だったからだ。 てっきり、電車か飛行機か何かでこの場を後にし、お婆様の行くはずだった所に行くと思っていたのに、屋敷の地下に潜らされた。 全く意味が分からない、それどころか

(これって・・・黒魔術とかっていうのじゃないでしょうね・・・) 高校時代の友達からそんな話を聞いたことがあるのを思い出した。
(生贄になんかされるんじゃないの・・・?) ゾクッと背筋に寒気が走る。

この世の中、絶対にそんなことはないはずと、それでも身体中を緊張させ、疑りながら洞窟の中をムロイについて歩いた。
洞窟の中は特に変わった様子がない。 岩と土で出来ているだけの洞穴。 蝙蝠(こうもり)もいないようだし、蜘蛛の巣に引っかかることもなかった。
それが、二十分ほど歩くと何かを身体に感じた。 

(え?)
辺りを見回すがずっと続いていた洞窟に何の変化があるわけではない。 が、紫揺には今までの道程とは違った大きな何かを感じた。 後ろを振り返り、すぐ後に続くセッカを見たが下を向いて歩いているだけだ。 その後ろのキノラも。

(みんな慣れてるだけなんだろうか・・・) 僅かに歩調が遅くなった紫揺。

「シユラ様? どうかなさいましたか?」
先を歩くムロイが紫揺を振り返った。

「あ、何でもありません」

足元に目をやり、また前に歩き出すと段々と湿った空気を感じた。 それに、足元が滑りやすくなってきている。 足元の岩が濡れてきていた。 顔を上げ洞窟の周りを見ると、角灯に照らされて横の岩壁を湿らせている水ががキラキラと光っている。 そしていつの間にか土はなくなりほとんどが岩になっていた。
足元に水溜りを作るほどではないが、洞窟の中は随分と水分で湿っているようだ。 そう言えば急に寒さも感じる。 滑って転んだ時の事を考えるとポケットに手を入れて歩く勇気はない。 フードを被ると足元に注意しながらベンチコートの袖の中にしっかりと手を入れる。

暫く歩くと角灯以外の明かりが目の端に映った。 ふと顔を上げると目の先にほんのりと陽の光が見える。 そのまま歩き続けるとハッキリと陽の光が見えだした。 そこは木の枝か何かが邪魔をしているのだろうか、陽の光がまばらに洞窟に入ってきているようだ。

(陽の光が見えたってことは、やっぱり生贄とかじゃないよね、明るい所で生贄なんて聞いたことないし・・・) いつの間にか、いかっていた肩を落とした。

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虚空の辰刻(とき)  第27回

2019年03月15日 23時04分01秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第20回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第27回



数日後、ムロイに呼ばれたセイハとキノラが表の庭に現れていた。 遅れてムロイも姿を現す。 アマフウも呼ばれていたが、呼ばれてやって来るアマフウではない。

「ムロイー、待っても来る連中じゃないんだから早く用を言ってよ。 寒いんだからー」

今日は分厚い雲に覆われ陽の光が遮られている。

「ええ、本当に。 時間が惜しいんですが?」 今日も胸元にファイルを握りしめている。

「ああ、お前たち二人でも十分か・・・」

「なに? その言い方。 気に食わなーい」

セイハを無視してムロイが交互に二人を見ると次に芝生を見た。

「この枯れた芝生。 お前たちそれぞれの力で夏の芝生に変えられるか?」

「へっ!?」 間の抜けたセイハの声が大きく響いた。

「青の力を持つセイハ、黄の力を持つキノラ、それぞれの力で変えられるかと訊いているんだ」

「んなもん出来るわけないじゃない。 キノラはどうか知らないけど、私は風と雷の力だよ。 枯れた草を緑にするなんて出来るはずないじゃない」

「風と雷であっても、春の力も持っているだろう」

「春? 私の持つ春は風の一部。 春の風。 春一番。 その強風だけよ。 強風に枯れた草をイキイキさせるなんて出来ない」

セイハを横目で見ていたキノラも続いて言う。

「私も出来ません」

「何故だ? お前は山や地の力を持っているだろう。 その地の、土の力で出来ないのか!?」

「仮に土を肥やしたとして、それだけでこの寒さに草が生き生きとすると考えるのですか? 安直な考えだこと。 ムロイらしくない」

「では、お前たち二人には出来ないというのか?」

「当たり前です」

「どうしてそんなことを急に言うのかなぁ? もしかしてシユラが何かやったの? この枯れた芝生を緑に変えたのかなぁ?」 頭の後ろに腕を組んで置く。

「要らないことは言わなくていい」

「ムロイって知ってるようで知らないんだよね。 私たちのこと。 まっ、私もお姉さまたちや他の2人がどうなのかよく分からないけどさ」

「ええ、私たちには枯れたものに精を与えるなどということは必要のないこと。 勿論、生のないものに生を与えるということも、ひび割れた物のひびを無くすということも」

「うん、キノラお姉さまの言う通り。 私は破壊が出来ればそれでいいんだもん。 なんなら、今すぐにでも風を煽ってその辺の物をぶっ飛ばすか、雷でムロイをどうにかしてみようか?」

「セイハ、もう少し言い方があるでしょう」 セイハを見て窘めてからムロイに視線を転じる。

「ムロイの言う通り、私は山や地を扱う力を持っています。 でも鎮める力ではありませんし、地の力を持っているからと、地を肥やす力があるわけでもありません。
セイハの言う通りシユラ様が枯れた芝生を夏の芝生のように変えられたのならば、それはムラサキ様の力。 そして私たちにはそんな力は必要ありません」

「ムロイってば、欲が深すぎるんだよ。 領土にそんな力は不必要でしょ? なのにシユラのすることを見てそれが私たちに出来ればって、子供がおもちゃを欲しがるのと変わりないじゃない」

「セイハ、言い過ぎよ」

腕を組んだムロイが天を仰いだ。


ロビーの窓越しに3人の様子を見ていたアマフウとトウオウ。

「ムロイって何を考えてるのかしら」 今日の衣装は白いワンピースに天使の羽を背にしょっている。

「さぁな、さしずめムラサキ様の力の僅かでもオレ達にも欲しいんだろうよ」

「へぇー。 だからって精のないものに精を与えてなんになるのよ。 甘ったるいものだわね」

言葉の深さを読み取れないアマフウに横目を流す。

「それだけじゃないだろう。 芝生の話は例えの一つだ」

「トウオウが何を言いたいのかは知らないけど、領土に帰ればそんな甘いことは必要ないわよ」

「ああ、言わないでも分かってる」

5人の中でたった一人、水を操る力を持っている黒い瞳を持つアマフウ。 そしてセイハと同じ雷と風の力を持つ淡い青。 が、それは瞳ではなく強膜。

(分かってるよ。 寂しかったよな)


2月中旬に紫揺を船着き場で見かけてから2か月半が経つ。
早々に駄目もとと分かっていながら、阿秀 (あしゅう) は海に浮かぶ島、海近くにある別荘の持ち主の問い合わせを役所にしていた。
そしてその持ち主の人物は架空ではなく、現実に存在するのかどうかを調べさせていた。 結果、偽名の持ち主は居なかったということであった。 その結果は勿論何の役にも立たなかった。 だから船や車を出しての捜索をずっと進めていたのだが、いまだに何も掴みきれていない。
そんな時、醍十 (だいじゅう) から連絡があった。

此之葉の後任が見つかったということで、明日面接があるという。
この土地に慣れない此之葉には疲れが多かっただろう。 是非ともその面接で後任が決まってもらいたいものだ。 そう告げるとスマホを切った。
ソファーの背にドンと背を預けると天を仰いだ。 と言っても天ではない、天井だ。 低い。 ずっとホテルの一室に籠りっきりで指示を出している。 高い天を仰ぎたい。

「いったいどこに行かれたのか・・・」

塔弥から連絡はあった。 独唱が僅かながら紫揺の気を感じられたと。 それは叫びの気ではなかったが紫揺が嘆いているのは確かであると。
だが、場所を特定するには至らなかった。

「どこをどうお探しすればいいのか・・・」

気に迷いや焦りが出てくる。 だがそれを誰にも察せさせることはできない。 間違っていても凛としていなければならない。 両手で何度も顔をしごく。

スマホが鳴った。 画面を見ると自家用船で出ていた若冲 (じゃくちゅう) からであった。
紫揺の勤め先についていた二人のうちの一人。 初めて領主と阿秀がシノ機械にやって来た日、阿秀たちと合流し秘書と紹介された男。 もう一人は悠蓮 (ゆうれん)。 その悠蓮はその日紫揺が攫われた時、ガタイのいい男に伸されてしまっていた。

「どうした?」

「いえ、今まで何度も見ていた島なんですが気になりまして」

「なにが気になる?」

「ええ、無人島はくまなく探しましたが、阿秀のリストからこの島は所有者のいる島なんですが、何故か不自然に思えまして。 無人島でない限り、勝手に上陸して探すことも出来ません」
無人島も勝手に入り込んではならないが、勝手に入り込んで調べていた。

「不自然?」

「ええ、時折ボートで何かを運ぶ様子が見られるんですが、海から見ていて生活感がないとでも言いましょうか」

「それは何処の島だ?」

阿秀が渡した島のリストの番号を言う。

「わかった、調べておく。 目立たないように今はその辺りからは引いてくれ」

「了解」

と、部屋のチャイムが鳴った。 入ってきたのは野夜。

「悪い、他のことをしながらだが報告は聞く」 自分の持っているリストとメモに目を這わす。

「はい。 警察官の方は紫さまに関する事件事故を探しましたが見当たらず、そのまま異動しました。 僚友は事件にも事故にも巻き込まれていなかったことに安堵したようで、事を荒立てるようなことはなさそうです」

「分かった。 それではこれからどうする?」

「こちらに戻って皆と合流します」

「そうか。 それでは早速で悪いがこの男を詳しく調べてくれるか」
リストから住所と名前を書きだしたメモをテーブルに置く。

「詳しくとはどこまでのことを?」

「一度は、この男が実在しこの土地の人間だということは確認できている。 だが若冲からの報告ではこの男の所有する島が少々気になるということだ」

そこまで言うとみなまで言わずともわかる。

「分かりました」

離れていても情報は常に共有している。 ずっと佐川と坂谷についていてもこちらの流れを把握していた。


領土から帰ってきたショワと影。 ショウワが深刻な顔をしている。

「すぐにムロイを呼べ」

ショウワに言われたセノギが頭を下げると足早に仕事部屋に居るムロイを呼んだ。


部屋のチャイムが鳴る。

「入れ」

ドアを開けるセノギの後ろで、仕事を中途にされたことに少々憤った顔を見せるムロイ。

「何用ですか?」

「領土に帰っておったが、細かな所で乱れが出ておる。 それに―――」 ショウワの話をムロイが遮った。

「細かいところでしたら、まだよいのではありませんか?」

「何を言う? 大きくなってからでは抑えがきかなくなるであろう」

「こちらにはもう、ムラサキ様がおられるのですよ。 細かなことなど何でもありません」

「ムラサキ様に頼るでない! ムラサキ様にはここぞと言う時にお願いするだけの事。 それ以外は我が領土の人間で抑えんでどうする!」

「ああ・・・分かりました。 では誰を領土に帰せばよいのでしょうか?」

ショウワの怒気に満ちた視線を感じた。

「おっと、失礼。 領土に何が起きていたのでしょうか?」

「領主の責に置いてお前の目で見に行くがいい」

僅かに不遜な態度をみせ、軽く頭を下げると部屋を出た。 ドアの外に居たセノギに向かって、明日全員でいったん領土に戻るよう伝えるように言うとそのまま仕事に戻った。

閉められたドア。
椅子に座っていたショウワが以前からある頭痛に僅かに顔を歪めた。
最初はほんの一瞬の僅かな痛みから始まっていたが、段々と痛みを感じる時間が長くなってきていた。 それに頭痛の度合いも最初に比べると段々酷くなってきていた。 とはいっても、今はまだ簡単に我慢できる範囲だ。

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虚空の辰刻(とき)  第26回

2019年03月11日 22時06分01秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第20回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第26回



屋敷に連れられて来て1ヵ月と半月ほどが経った。 雨が降る日もあれば雪が降る日もあった。 反対に例年になく暖かい日も。 
来週には4月になるという頃、今日もセキとガザンについて散歩をしていた。 今日はよく晴れている。 いつも通りセキを挟んで両端に紫揺とガザンが居る。 と、ガザンが歩く方向を変えた。 いつもはゆっくりとセキの横を歩いているのに、突然セキを抜いてセキの前を塞ぐように歩きだした。

「ガザン?」 

セキがいつものルートと変えようとするガザンのリードを引っ張るが、少女の力で止まるようなガザンではない。
ガザンがそのままセキの前を歩くとセキの隣にいる紫揺の前で止まった。 セキと紫揺が目を合わす。

「ガザン? いったいどうしたの?」

初めての至近距離にピクリとスポーツシューズの中で足先が緊張する。
毎日ガザンを見て最初の時のような怖さはなくなっているが、それでもいつもセキを挟んで一緒に居るだけだったから、こんなに近くにガザンを見るのは初めてだった。
と、ガザンがゆっくりと紫揺を見上げ僅かに尻尾を振りだした。

「え?」 声を上げたのは紫揺ではなくセキである。

「・・・ガザン、シユラ様が撫でてもいいの?」 言って丸くした目で紫揺をゆっくりと見上げる。

コクリと頷いた紫揺がそっとガザンの首を撫でる。 少しは慣れたとはいえかなりの勇気が必要だ。

「きっと雨の中でも毎日一緒にお散歩をして下さるシユラ様に、お礼をしてるんだと思います」

「え?」

「ガザンって賢くて優しいけど、ちょっと意固地な寂しがりなんです。 多分、もっと早くにこうしたかったんだと思います」

「セキちゃんはガザンとどうして一緒に居るようになったの?」

セキが言うにはこうだ。
小さいガザンがここに来た時に厳しくトレーニングされ、ガザンがそれを嫌がった。 それでムロイがガザンを見限ったという。 そしてその時ガザンの食事係だったセキの母親が引き取った。 

「躾ではなくてトレーニング?」

「外のドーベルマンが受けたようなトレーニング・・・警備犬になるようなトレーニングです」

そして母親がガザンを引き取った後はこうしてセキが散歩をしたり、遊んでやったりしている。 最初はまだ小さいガザンではあったが、あくまでも土佐犬。 最初は母親も心配して見ていたが、小さい頃から活発に遊ぶということがあまり見受けられなく、いつものんびりとしていたので、それからはセキに預けたということであった。
ムロイ曰く 『怠慢な犬』 というのはそういうことであろう。
ムロイには懐かなかったけれど、セキにはすぐに懐いて母親とセキ以外には今も誰にも懐いていないということらしい。

「誰かガザンを見に来たりするの?」

「小さい頃は父さんや母さんの仕事仲間がよく来てましたけど、その時からガザンは威嚇ばかりしちゃって」

「そっか・・・。 じゃ、ガザンがこうしてくれたのには感謝しなきゃ」 今度はしゃがみ込むと両手を添えてガザンを撫でる。

「ガザン、ありがとう。 お友達になってね」 首を撫でていた手で今度は頭を撫でる。

ガザンの目が何かを語っているが、それを読み取ることは出来ない。 それを覚ったガザンが目の前にある紫揺の顔をベロンと舐めた。
セキが驚いて 「ヒッ!」 っと一瞬声を上げたが、当の紫揺は何のことはない顔をしている。 それどころか、小学校高学年の時の飼育係をしていたことを思い出した。

飼育係で見ていた犬は、迷子になっていた犬を近所の人が連れてきたり、家で飼えなくなったという犬を連れてきて集まった犬であった。 そんな犬たちは愛情に飢えているものもいたが、捨てられたと思っている犬、何が何だか分からなく恐怖だけを感じている犬もいた。 そんな犬たちを人に慣らせ家庭犬として生活できるようにまで育て、そして迎えてもらえる家庭を見つけて手渡す。 いわく付の犬だけに、本来なら人慣れするまでは飼育担当教師が面倒を見ていたのだが、紫揺は強情だ。

高校生の時の進路指導教師が顧問から聞いた紫揺の性格
『ホンットに強情だな。 顧問が言ってた通りってやつだな。 強情で食べ物の好き嫌いが多い。 全くそんな奴ほどどんどん伸びるってさ』
その強情さは少なくとも飼育係をする小学校高学年からあったようだ。
『私は飼育係です。 やらなきゃならないことをする。 先生にばっかりさせない』 と、まだ怯えたり威嚇をする犬たちに接していた。 その犬がやっと慣れてくれた時、紫揺を見かけて尻尾を振ったり、すり寄ってきたり、何よりも顔を舐めてくれた時には心底嬉しかった。 ずっと怯えていた仔が、威嚇を繰り返していた仔が、心を開いてくれた。 それを思い出した。

「・・・ガザン」

ガザンの身体に手を回し、その大きく渋い顔に目を瞑ると自分の頬をくっ付けた。
セキが信じられないという目でその様子を見守る。
と、紫揺の足元にあった茶色の枯れた芝生に色が付き、それが徐々に広がっていく。 セキの足元にも青々とした芝生が顔を見せた。

「ほぉー。 力とはそんな風にも使えるのか・・・」 ずっと窓越しに傍観していたムロイの顔に歓心が浮かぶ。

「枯れ草が緑を取り戻すというのは・・・青か? それとも黄か? 青ならセイハとアマフウ。 黄ならキノラか。 それともムラサキならではの事なのか? ・・・ふむ、一度奴等にも試させてみる必要があるかもしれんな」

「そんなことは必要ないでしょう?」 ムロイの独り言に後ろから声が掛かった。

「セッカか、驚かすな」
驚き振り返ると、そこに腕を組んで首を傾げているセッカの姿があった。

「まぁ、何を驚かなくっちゃならないのかしら? 毎日彼女を陰からずっと見ていたのが知られたからなのかしら?」 今日は胸元の大きく開いたドレスを着ている。

「何を馬鹿なことを言っている」

ムロイに向かい口元と眉を上げると、顔だけ残してゆっくりと後方に方向を変える。

「まぁ、私は赤だから関係はないのだけれど」
身体に遅れて顔を後ろに回す一瞬、細められた眼、赤い瞳がムロイを捉えるとそのまま歩きだした。


「ふーん・・・あんなことが出来るのか」 

「フン、子供だましじゃない」

別の窓からトウオウとアマフウが見ていた。


「シユラ様、芝生が・・・」 ムロイたちに遅れてセキが気付いた。

「え?」 ガザンから離れて足元の芝生を見ると青々としている。

「え!? どうして?」
立ち上がり回りを見ると、自分を中心に円を描くように茶色だった芝生がまるで夏の頃のように生き生きとしている。

「こんなこと初めてで、私にも分かりません」 セキも青々とした芝生に目を奪われている。

セキの返事に紫揺が困惑すると、まるでそれに従うかのように芝生が元の茶色に枯れていった。

「え?」 紫揺とセキが同時に声を発した。


唾液たっぷりの土産をもらってこの日は散歩を終えた。
木の陰で紫揺を見守る影が礫を手に、あまりの緊張に息絶え絶えに木の枝からドロリと幹に添って影を落とし根元に倒れ込んだ。

「・・・も、もう、明日には生きておらぬかもしれん」


部屋に戻った紫揺。 どうして芝生があんなことになったのだろうかと首を捻る。 自分の周りを中心に青々としていた芝生。 そう考えると自分が原因なのだろうか? 自分が原因? そう思うとセイハが言った言葉が気になる。
『あの時アマフウに何が起こったか考えないの?』 少しは何かを考えろということ。 その時には『そこの何に私が気付かなきゃいけないんですか? 誰かが火を放ったことの何に?』 と答えた。 が、よくよく考えるとその前にセイハは言っていた。
『ホントに何も知らないのね。 気付いてもないの?』 と。 気付いてない? それは自分が原因だということに気付いていないということなのだろうか? 

キノラが言っていた 『アマフウの袂を燃やしたんでしょ? そろそろ自覚を持っていただかないと』 という言葉が思い出される。 セイハを見て言っていたが、紫揺に対しての言葉であったのは分かる。
それはアマフウの袂を紫揺が燃やしたということを言っているのであろうか。 そしてそういうことをする紫揺に自覚を持てということなのだろうか。
だが、何をどう考えてもなにも自覚しなければならないなどということは考え付かない。

「でも・・・芝生が緑になった。 あの時はセキちゃんとガザンと私しかいなかった」

何か仕掛けがあるのだろうかと疑いながらも、違う、自分がしたこと、という想いがどこかに芽生える。

「どうして・・・自分がしたなんて思うんだろ」 ソファーの上で膝を抱える。

「そう言えば・・・」

ホテルで気を失ったあと目覚めると、憂慮するニョゼがベッド脇に居てそのニョゼと一言二言交わした時 『抑揚なく今話している希薄な自分が自分でないような。 それでいて今話している自分が心の中の自分を嘲るように感じた。 自分が二人居る?』 そんなことを思ったのを思い出した。

「え? 私って二重人格? もしかして、今の私が知らない間にもう一人の私が何かやらかしているの?」
ゾッとする。 そんなこと今まで考えもしなかった。 もう今日は何も考えたくない。

久しぶりの晴天だったこんな日は木に登るに限る。
帰る時用の布団の準備をすると、窓を開け木に飛び乗る。 3月のまだ冷たい海風が緩やかに幹近くに座った紫揺の頬を撫でた。

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虚空の辰刻(とき)  第25回

2019年03月08日 22時55分02秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第20回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第25回



「やっぱり佐川さんだった。 お久しぶりです」

「お久しぶりです。 やー、やっぱりお若いと元気だな」

「はは、もういい歳ですよ。 それにしても、あのことがあってからここへ2回来て2回とも佐川さんにお会いするなんて偶然では終わらない何かを感じますね」 冗談めかして言うが、野夜が聞くと恐ろしい言葉である。

方向を変えた坂谷の顔が見えた。 間違いなく野夜の知っている坂谷だ。 野夜は坂谷と面と向かって話したことがある。 顔を知られている。 これ以上近づけないし、梁湶にしても同じだ。 ついさっき、佐川と話したところだ。 このままでは会話が全く聞こえない。

「もしかしてまた紫揺ちゃんに会いに来られた?」

「ええ、異動が決まりましてね。 もうここには簡単に来られなくなるんで」

「簡単って・・・今でも十分遠いじゃないですか」

「まぁ・・・。 それより、こっち側に歩いていらっしゃるということは、もう藤滝さんに会われたんですか?」

「それが、引っ越しをしてしまったようで会えなかったんです」

「え? ・・・引っ越し? そうなんですか?」

「実は紫揺ちゃんから手紙をもらっていて引越すとは知っていたんですけど、どうにも腑に落ちなくて」

「腑に落ちない・・・ですか?」

「ええ」 言うと胸ポケットから紫揺が書いたと思われる手紙を出して坂谷に渡した。

「手紙?」

「ええ、紫揺ちゃんからです」

「読んでいいんですか?」

「どうぞ」

「読みやすい字ですね」 あて名や住所が読みやすい。 少し丸みを帯びたゴシック体で書いてある。

紫揺は仕事の時にはこの字でいつも書いていた。 だからその字を真似て此之葉が手紙を書いたのだが。

「ええ、そうなんですが」

「どうしたんです?」 読みながら話を促す。

「藤滝さんって、字が上手いんですよ。 たしか、何段って言ってたかな? 師範手前だったと思います」

「それはスゴイ。 ミミズの這う字しか書けない私には羨ましい話です」

「紫揺ちゃんも藤滝さんに似たみたいで、字を書くのが好きだったみたいなんです。 でも、女の子でしょ? 藤滝さんに字を教えてもらう一方で今時の字を書いていたみたいなんです。 藤滝さんがよく言ってたんですけど、紫揺ちゃんって器用に色んな字を使い分けてるって」

「字の使い分けですか?」 手紙を畳んで佐川に返す。

「ええ、なんでも学校時代、教科別に字を変えてるって」

「それがなにか?」

「藤滝さんが言ってたのは字で遊んでも構わないけど、目上に手紙を書くときには自分の教えた字で書くようにと言っていたらしいんです。 紫揺ちゃんからのこの手紙の字は、紫揺ちゃんの遊び文字です。 確かに同じ字を見たことがありますから。 でも藤滝さんはこんな字を書きませんでしたし、以前紫揺ちゃんから葉書をもらったことがあるんですけど、藤滝さんと同じ字で書かれていました」

「・・・ということは?」

「本当にこれを書いたのは紫揺ちゃんかなって・・・それで今日訪ねてきたんです。 この手紙をもらってすぐに来れば、まだ紫揺ちゃんはここに居たのかもしれなかったんですけど、一人でやっていくと書かれていたから二の足を踏んでしまっていて」

「今お訪ねになって空き家だったということですか?」

「いえ、もう他の人が住んでいました」

坂谷が首を捻る。 何かの事件に巻き込まれるような要素があるのだろうか。

「藤滝さんからこの手紙を受け取るまでに何度か会われました?」

「いいえ、前に坂谷さんと会った時があったでしょ? あれから一度も会っていないんですよ」

「連絡も?」

「ええ、紫揺ちゃんが自分が元気になったら必ず連絡を入れると言っていたので、こちらからアレコレ言うと紫揺ちゃんを落ち込ませるだけかと思っていまして。 そしたら、この手紙です」

「そうですか・・・」

「きっと、私の考え過ぎなんでしょうね。 紫揺ちゃんは元気にしてくれていると思います。 すみません、坂谷さんに心配をかけるようなことを言って」

「いえ、そんなことは」

「で、どこに異動されるんですか?」

「え? ああ、はい。 それが・・・ちょっと不便な所でしてね。 今は交通の便がいいところなんですが、簡単にアチコチへ行けないところなんです。 じつは息子が喘息を持っていましてね。 それで空気のいいところに行きたかったんで丁度良かったんですけど・・・藤滝さんのことは気になっていましたから」

当時、気になっていたのは確かだが、それ以上に数か月前にあった資料室のことや、志貴の頬の傷のことを言い触れ回っていた者がいたことなど、紫揺のことを思い出さずにはいられなかった。

「ああ、そんな時に心配をかけるようなことを言ってしまってすみません。 忘れてください。 紫揺ちゃんも一人でやっていくと書いていますから、大丈夫でしょう。 引っ越しして落ち着いたら、また連絡をくれると思います。 その時には坂谷さんにも連絡を入れます」

「はい、そうして下さると有難いです」

「どうです? 時間がありましたら、ちょっとどこかで暖まっていきませんか?」

「そうですね。 ここに来られるのももう最後かもしれませんから。 お付き合い願えますか?」

「こちらから言ったんですから、もちろんですよ」

笑い合う二人の後を仕方なく野夜が追った。


2人は早くから開けている居酒屋に入って酒を酌み交わした。 野夜は坂谷に顔を見られないよう、坂谷の後ろに座る。 まだ早い時間、客の入りはそんなにない。 話はハッキリと聞こえてくる。 その話はもっぱら紫揺のことであった。

「私も一応こちらの方に声をかけて、藤滝さんに関する事故や事件がなかったかどうか調べてもらいます。 何か分かりましたらすぐに御連絡を入れます」 

「そうして下さると安心です。 まぁ、きっと元気にしてくれているとは思うんですけどね」

「ええ、手紙にはお父さんに教えてもらった字を書かなくてはならないということを、ついウッカリ忘れていたのかもしれません。 多分、忙しく頑張っているんでしょうから」
かけ離れた字体なら考えるが、先程佐川は手紙と同じ字を見たことがあると言っていた。 紫揺が書いたのに間違いないだろう。

「そうですね。 友達とやり取りをしていれば友達同士の字をウッカリ書いてしまったのかもしれませんね」

(手紙の字が違う? ・・・あの手紙のことか?) より一層、聞き耳を立てる。

「それにしても羨ましいな。 さっきも言いましたけど、私なんてミミズの這う字しか書けないっていうのに、教科ごとに字を変えていたって・・・いくつ色んな字を書けるんでしょうかね?」

「一度藤滝さんに頼んで、紫揺ちゃんに色んな字を書いてもらったことがあるんですけど、さっきの手紙の字体から、丸文字って言うんですか? 今時の字。 反対に真四角や縦長横長の字も書いていましたし、テレビで見るような変わった字も書いていましたよ。 飾り文字っていうのかなぁ? それに行書体、草書体」

「え? 草書体も書くんですか?」

「ええ、でも草書体は滅多に書かないみたいです」

「書かれても私なんかには読めませんよ。 ああ、そうしたら目上にかくときの字は行書体ということですか? それであの手紙の文字が違い過ぎると?」

「ええ。 ・・・でも考え過ぎですよね」

(嘘だろ? あの手紙は失敗だったのか? その上、坂谷が絡んでくるなんて・・・下手に調べることが出来る人間だ。 紫さまが見つからないにしても、探し回られては困るじゃないか) 

暫く話を聞き、席を立つとその場を後にして今まだ梁湶のいる家に向かった。 家の中に行書体で書かれた紫揺の書いたものがきっとあるはずだ。


阿秀 (あしゅう) のスマホが鳴った。

「野夜か? その後どうなった?」

『すみません、不手際がありました』

「どういうことだ? 僚友に何かあったのか?」

『僚友に警官の知り合いがおりました』

「警官? 警察なのか!?」

『はい。 じつは―――』

一通り居酒屋で聞いた話をする。

「・・・そうか。 だが、それはもういいだろう」

『よろしいんですか?』

「ああ、確かに警察に嗅がれては困るが、異動するならその警官も構っていられないだろうし、紫さまが事件や事故に巻き込まれたわけでもない。 まさか失踪とも考えないだろう。 それに探すあてがなければ僚友も諦めるだろう。
そうだな、何かあれば此之葉に紫さまのその字で手紙を書かせておくくらいでいいだろう。 紫さまのお書きする手本となる字は見つかったのだろう?」

『はい』

紫揺の居た家に帰ると梁湶に事の次第を話し探してもらった。 醍十が片付けた家の中の物はどこに何があるか分からなかったが、さすがに書類やデータを見極めるのに秀でている梁湶だけあって、いとも簡単に見つけ出した。

「それに間違いがないなら、此之葉に書かせるといい。 特に何もないのならそのまま書かさなくてもいいくらいだと思っていいだろう。 新しい住所も書かなくてはならなくなってくるのだからな。 大々的な捜索にならないのならそれでいい。 無理をする必要はない」

『分かりました』

「一応まだ暫く付いていてくれ」 野夜の気が済むようにさせるために言う。

『はい』

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虚空の辰刻(とき)  第24回

2019年03月04日 22時21分08秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第20回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第24回



「へぇー、シユラの部屋ってこんな風になってんだ。 さすがはムラサキ様」

「皆さんとは違うんですか?」

「まっ、言ってもそんなに違わないけどね。 でもこんな大きな花瓶なんて無いし、広さもここまで広くないわ。 何よりも」 と言ってソファーに座るとソファーの手触りを確かめた。

「こんなソファーなんてないからね」 背もたれにもたれると足を組む。

「どこに座るんですか?」 向かい合うソファーに座ると質問を続けた。

「一人掛けと二人掛けの小さいソファーがあるの。 それにテーブルセットもあるけど、誰が部屋に遊びに来るわけじゃないから2つもソファーが要るわけじゃないし」

ここには3人掛けのソファーが3つ、コの字型に置いてある。

「このカーペットはシユラが頼んだの?」 毛足の長いカーペット。

「最初っからありました」

「へぇー、私たちは最初はなかったから頼んだわ。 ふーん・・・」 言いながら部屋の中を見回す。

「あの、さっきキノラさんが言ってた別の存在ってどういうことですか?」 

巡らせていた頭を止めて紫揺を見ると一瞬冷笑を見せた。

「ホントに何も知らないのね。 気付いてもないの?」

聞かれても何も分からない。 小首を傾げる。

「あの時アマフウに何が起こったか考えないの?」

「袂に火が点いたことですか?」

「まぁね」

「そこの何に私が気付かなきゃいけないんですか? 誰かが火を放ったことの何に?」

「プッ! そうくる?」 組んでいた足を解くと立ち上がってドアに向かって歩き出す。

「キノラも言ってたけど、自分で考えられないのならムロイに訊いて。 私たちからシユラには何も教えられないの。 シユラと私たちとはちょっと違うから。 それに下手なことを教えてムロイを怒らせたくないからね。 ここを出されて帰らされたくないもの」 じゃね、と言って部屋を出て行ってしまった。

座ったままソファーに曲げた足を乗せるとそのまま膝を抱え込んだ。

「ムロイさんが教えてくれるはずない」

そう、この先のどこかに行くまでは教えないだろう。 

―――でもそこに行く気はない。

それから毎日、天気が悪く雪が降ろうと、同じ時間になると西の小門がある芝生の庭に出向き、セキがガザンの散歩をするのに付いて回った。 影は寿命が縮む思いで毎日礫を持って見守っている。
時折見る紫揺のその姿にアマフウが顔を歪める。

もちろん影の知り得ないストレッチも欠かすことなく続けている。 最近はストレッチの後に、部屋の中で側転から後方伸身宙返りの1回ひねりまでしている。 限られた部屋の中ということで単発しかできない。 ひねりは脱走に1回以上ひねる必要性はないだろう、などと考えての事だったが、実際は1回ひねるのも必要ないと分かってはいるが、ちょっとひねりたいという気持ちから始めていた。

木の枝にも雨や雪が降っていなければしょっちゅう上がっていた。 夜には白い息を吐きながらも、セキに用意してもらった軍手で温まった手で飛び乗った木の枝から他の枝に乗り移ることもしていた。
慣れた頃になると木の枝に移る前に、窓から少し離れた所に布団を敷いておく。 そうすると木の枝を蹴った後、窓には頭から突っ込んでそのまま前転をして部屋に戻ることが出来るからだ。 それが一番楽で失敗なく確実に部屋に戻れる方法だった。 いわゆる飛び込み前転。



「どうだ? それらしい場所は見つかったか?」

「それが全く・・・」

「やはりもう少し情報がないと無理か・・・」

塔弥から連絡があり、紫揺はどこか北の構える居にいる可能性が高いと、それは大陸ではなく日本であろうということを訊かされた。
紫揺が船で出てからは阿秀の作ったリストを手にし、車を走らせるグループと、借り船で鳥取県、島根県周辺を探すグループ、そして自家用船を船着き場に持ってくるグループとに分かれていたが、その途中で塔弥から連絡が入ってきたのだった。

リストを持ち帰って車を走らせていたグループはそれぞれ阿秀に報告すると、既にほかのグループにも渡していた醍十 (だいじゅう) がスマホで撮っていた紫揺の乗った船の写真を手に、車で移動しながら海沿いを西と東に分かれ走り探す。 北が船で出たのは確かだ。 どこかの船着き場へ寄せたはず。 醍十が見た船の進行方向は僅かながら島根県方向。 島根県の船着き場から、回りの島に至るまで探すが、北の影が全く見当たらない状態だ。

「山口、九州まで伸ばすか・・・いや、もしかして水平線の向こうに出てから方向を変えて、兵庫、京都、福井方面に行ったか、それより東に行ったか・・・」 少なくとも大陸を探すほどではないが、それでもあまりに絞り切れない。



「やっと動いたか・・・」 やっとと言うより、やはりと言う方が正しいかもしれない。

「遅いんだよ。 2か月以上も」 野夜 (のや) が不自然に見られないようその後を追う。

紫揺の父親、十郎の僚友である佐川が消化しなければならない有休を使って紫揺の住んでいた家に向かっていた。 
ガタイのいい男が気になりながらもそれを見過ごしてしまった。 そのために紫揺が攫われ、それを止めに入った悠蓮 (ゆうれん) が伸されてしまった。 同じことを繰り返すわけにはいかない。 気になれば見過ごすことなく徹底的に調べ上げなければ。

今日はひときわキツイ朔風の中、電車を降りた佐川がコートに身を縮め歩いて行く。 胸ポケットには紫揺からの手紙が入っている。 とは言え、それは紫揺からではなく、紫揺のふりをした此之葉からの手紙なのだが。
紫揺の家の前まで来ると少し離れて家を眺める。 と、玄関の硝子戸の向こうに人影が動いた。

「え?」 玄関まで歩いて表札を見ようとするがそこには何もなかった。 

「表札を外してあるということは、やっぱり引っ越したのか・・・」 思うが諦めきれない。 意を決して硝子戸をノックする。

硝子戸の向こうで人影がカギを開けるのが透けて見える。 ガラガラと開けられるとそこには見たこともない男が立っていた。

「どなたさま?」 出てきたのは梁湶 (りょうせん) であった。

「あ、あの。 ここは藤滝さんのお宅じゃないでしょうか?」

梁湶が遥か後ろにいる野夜の姿を目の端にとらえた。

「藤滝? 違いますが? ああ、えっと、もしかして前に住んでいた人かな? もしそうなら、引っ越されましたよ。 今は俺の知り合いがここに住んでますから」

「それはいつからですか?」

「えーっと・・・1か月半くらい前かな? 2か月経つかな? ってくらいです」

「・・・そうですか」

「もしかして前に住んでた人に会いに来られたんですか?」

「ええ・・・。 あの、前に住んでた人、もしかして何か忘れ物などしていませんでした?」

「忘れ物?」

「ここを引っ越してどこかに行く予定を書いた紙とか」

「俺も引っ越しを手伝いましたけど、キレイに片付けてありましたから何も残っていませんでしたよ。 それに、大家さんからも何も聞いていませんから俺には分からないし、ここに住んでいる知り合いも知らないと思いますよ。 特に何も聞いたことありませんし。 あの、力になれなくてすみません」 とーっても気の毒そうに佐川を見る。

「そうですか。 あ、寒いのに有難う」

「どういたしまして」 爽やかな笑顔を残してガラガラと戸を閉める。

「やっぱりこの手紙は紫揺ちゃんが書いたものなのか・・・」 ポツンと漏らす。

「梁湶だったか、醍十 (だいじゅう) じゃなくて良かった」 離れた塀の影でホッと胸を撫で下ろす。

きっと醍十であったら、言われたことを棒読みで言ったであろう。 予定のない質問などにはアワアワ言うだけでまともに答えられなかったであろうし。
いつもなら此之葉が仕事に出ている間は醍十がここに居るが、今日は午後から仕事中の此之葉に付かなくてはならなくなった。 勿論社外である。
その醍十に野夜から家に僚友が行くからと連絡があったのだが、急遽出なくなってしまった醍十が偶然家に来た梁湶に頼んだのであった。

その梁湶は何をしに来たのか。 阿秀に言われて此之葉の様子を見に来た。 会社に電話を入れて昼休みに様子を見に行ったが、とくに変わった様子は見られなかった。 醍十の簀巻きが効いたのかもしれない。 時には荒治療も必要なのかもしれない。

別のホテルに移った阿秀、此之葉の様子は逐一醍十から聞いているが、もう一つ的を射ない報告であった。
その報告が 「昨日は残業をしました」 「今日はのり弁を買わせましたが、どうもこれも気に入らなかったようです」 「此之葉がコーラを飲んで目を白黒させていました」 と言うことばかり。
その上、夕べは「顔色が悪かったので布団で簀巻きにしておきました」 と言うのだから心配この上ない。
よって梁湶を派遣した。 そして梁湶へはついでに此之葉の働く夜のシノ機械に忍び込み、新しく人員を募集できているのかを調べるように言っていた。



トボトボと肩を落として歩き出す佐川。

「どうしてなんだ? そんなに紫さまに会いたいのか?」 首を捻る。

と、野夜のスマホが震えた。 見ると先程僚友である佐川の相手をしていた梁湶からであった。

「上手くやってくれたな」

『ああ、あんなものでいいだろう。 けど、紫さまの行方を気にしていたぞ。 まぁ、何も分からないとは言っておいたが』

「ああ、分かった。 もう少し付いてみるけど、もう探す手はなくなったのだから諦めるだろうな」

『そう祈る』

スマホを切ると先に歩いて行く佐川の後姿を見てその後をゆっくりと追おうとした時、後ろから声が掛かった。

「佐川さーん! 佐川さんじゃありませんかー?」

どこかで聞き覚えのある声に、今しまいかけたスマホを耳に当て顔を隠した。 野夜の横を追い抜き、そのまま佐川に手を振りながら走っていく。
佐川が振り向くと 「ああ、坂谷さん!」 と言う声が聞こえた。

(え!? 坂谷―!? まさかあの坂谷!? そんなはずはないだろう。 同姓だろう? 警察官の坂谷と紫さまのお父上の僚友が知り合いだなんてあるはずがない) スマホを耳にあてながら朔風に向かって走る後姿を目で追う。

野夜と醍十が似非警察官として入っていた警察署に、坂谷という警察官が居た。

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虚空の辰刻(とき)  第23回

2019年03月01日 22時17分30秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第20回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第23回



「こんにちは」 少し離れた所から声をかける。 ドーベルマンとも面識はないが、土佐犬も初めて見る。 簡単には近づけない。

「あ!」

「おでこ、大丈夫?」 紫揺の問いかけに少女がコクリと頷く。

「その犬・・・噛む?」 またもや少女がコクリと頷く。

「あ・・・そうなんだ・・・」 計画が消えようとする。

紫揺の残念そうな顔を見た少女が、でも、と言って続けた。

「アタシが居る時は大丈夫です」

「あなたにだけに懐いてるの?」

「最初にトレーナーにきつくされたから・・・」

「そういうこと・・・。 じゃ、あなたが居る時は撫でることとかできる?」

少女が眉を寄せ首を傾げる。

「少しずつ近づいてもいい?」 

すると少女が土佐犬に話しかけ始めた。

「ガザン、この方は怖くないの。 私の味方をしてくださったの。 絶対に吠えたり唸ったり噛んだりしちゃダメ。 分かった?」 ガザンと呼ばれた土佐犬がベロンと少女の顔を舐めた。

タップリと唾液が付いた顔を袖で拭くと少女がガザンの身体を抱え込む。 きっと動かないように止めているのであろうが、これだけ大きな土佐犬であれば少女の身体などで押さえきれるものではない。 不安に思いながら紫揺がゆっくりと近寄る。 
ピットブルじゃないんだから、土佐犬なんだから、日本出身同士なんだから絶対に大丈夫、分かり合える。 と、トンチンカンな理由をこじつけて自分を奮い起こす。

「ガザンって名前?」 少女が頷く。

「男の仔?」 またもや頷く。

離れた木の陰で影が揺らめく。 下手に近寄れば犬が己のことに気付いて紫揺に危害を加えるかもしれない。 いつでも鼻先めがけて礫を投げる用意はしているが、距離がある。 背中にタラリと汗が流れる。
紫揺とガザンの距離が1メートルほどになった。

「どう? ガザンは怒ってない?」

少女が一度ガザンの顔を覗き込むと、コクリと紫揺に頷いてみせた。
更に近寄ると少女の隣に立つ。 と、ガザンが身じろぎをした。 影が今にも礫を飛ばそうとする。

「ガザン?」 少女が声をかけると少女に抱えられたままお座りをした。 少女が手を離して目を瞠る。

「どうしたの?」

「・・・ガザンが人が居る時にお座りするなんて」 言った途端、今度は伏せの形をとった。

「信じられない・・・」 少女が呟く。

「きっとあなたが私のことを怖くないって言ってくれたから分かってくれたのね。 ありがとう。 えっと・・・あなたのお名前は?」 少女の横に膝を立てて座る。

影が僅かに息をつく。

「セキ・・・」 少女も同じように座ってガザンを撫でる。

セキとは古風な名前だなと、そしてすぐにその名の漢字を考える。 これは紫揺の悪い癖でもあるし、人の名前を覚える時の手段でもあった。 あまり人の名前を覚えるのが得意でないから、漢字で覚えるようにしている。 どんな漢字を書くの? と訊ける時にはそう訊くが、このセキという少女はまだ幼さそう。 漢字の説明が出来ないかもしれない。

“石” 幼さそうと言ってもこれくらいなら説明が出来るであろうが “セキ” と読む漢字は他にもあるし、この可愛らしい少女に “石” は似合わない。 “咳” “席” “籍” 駄目だ、まともな漢字が思い浮かばない。 それとも二文字だろうか “世樹” とか “瀬希” とか。 いや、どれも駄目だ、どれもこの少女に似合わない。 でも、充分にこの少女の名前は覚えた。 カタカナが一番カワイイ。

「セキちゃんね、ガザンに言ってくれてありがとう。 何歳?」

「12歳・・・」

思っていた年齢とは随分と違っていた。 相当に小柄である。 そう思った紫揺だが、他人から見れば紫揺も似たようなものなのだが、本人はそんなことに気付いてもいない。

「ずっとここに居るの?」 コクリと頷く。

「学校は?」

「勉強なら教えてもらってます」

「そうなんだ」 ふと、ニョゼが幼い時に親から離れ、英才教育を受けたということを思い出した。

「お父さんとお母さんは?」

「一緒にここに居ます」

親と一緒だと聞くと頬が緩んだ。

「あ、私は紫揺っていうの」

「知っています・・・」

そう言えばあの時何度も 『私は紫揺』 って言ったっけ、と思い出すが、セキはそれで知っているわけではなかったが。

「ねぇ、私とガザンお友達になれると思う?」 

セキがガザンを見る。 何に緊張する様子もなくのんびりとしている。 その様子にセキが撫でていた手を止め、邪魔になるであろう立てていた膝を伸ばした。

「撫でていいの?」

コクリと頷く。

セキの前からそっと手を伸ばしガザンに触れる。 ピクリとも動かない。 そのままゆっくりと撫でると、セキを見て笑みを見せた。

「土佐犬を撫でるなんて初めて」

「ガザンは賢いから、優しい人かどうかわかるのかもしれません」

「そう。 ガザンがセキちゃんに懐いているのは、セキちゃんが優しいからなのね」 

思いもよらぬことを言われ、セキが頬に含羞を浮かべた。 
ガザンが大きく欠伸をするとゆっくりと立ち上がり伸びをする。

「あ、もうお散歩は終わりです」 立ち上がり、リードをしっかりと持つとガザンの横に立つ。

ガザンがチラッと紫揺を見てゆっくりと歩き出した。

「ね、毎日ここにお散歩に来るの?」

セキが頷く。

「私も来ていい?」

コクリと頷くとガザンと共に紫揺の前を通っていった。
影が持っていた礫を手放すと大きく息を吐いた。


「洗濯女と話してたの?」 紫揺の姿を下から上に舐めるように見る。

セキと別れて屋敷の周りにある回廊を歩いていると横から声がかかった。 柱にもたれた両目に青の強膜を持つアマフウが腕を組んでこちらを見ていた。 トウオウからコスプレと言われていたアマフウの今日の姿はアーミールック。 髪の毛は高い位置で括ってあり、もともとくせっ毛なのかウェーブしたその裾が丁度肩にかかっている。

「洗濯女じゃなくてセキちゃん」 

クラブ時代は縦社会、歳上に敬語は絶対だ。 数日前は同い年くらいと思って敬語で話さなかったが、年上だと分かったからには敬語で話さなければならないと思う。 だが 『洗濯女』 などと人を馬鹿にしたような言い方をする人間に敬語など使うものか、と思った。

「セキ? へぇー、そんな名前だったんだ」

「なにか用ですか」 敬語なんか使うものか、と思ったところなのに、ついうっかり 『ですか』 と言ってしまった自分に口が歪む。

「アナタ、その格好は何?」

「ジャージだけど?」 何か文句があるわけ? と言った具合に言い返す。

「はっ、使用人かと思ったわ」

「用がないなら―――」 言いかけた紫揺の言葉にアマフウが被せる。

「忠告よ。 アナタ、もっと自分の立場を考えなさい」

「立場?」

「自分がどんな立場にあるのか詳しく知らなくとも、少なくとも屋敷の使用人と話すなんてしない事ね」

「私が誰と話そうとあなたに関係ない」

「こっちが困るのよね。 アナタが甘やかすことで、使用人が平気で私の前を歩いたりするようになったら―――」

「おやめなさいな、アマフウ」 アマフウの言葉に声が被せられた。

アマフウと紫揺が声のした方を向くと、そこには黄色の瞳のキノラが立っていた。 今日も白のブラウスに色こそは違うが、膝上のスリットの入ったスカート。 髪型も昨日と同じくアップにしていて、胸に置いた手には何冊ものファイルが握られている。

「なに? キノラには関係のないことでしょ?」

「シユラ様のされることにいちいち口を挟むんじゃないって言ってるの」

「はぁ? それこそこっちが言い返したいわ。 私のすることにいちいち口を挟まないでくれる!?」

「へぇ、そんな大きな口を叩けるわけ? トウオウから聞いたけど?」 

数日前のことを言っているのだと分かる。 花魁姿の時、紫揺に袂を燃やされたことを。

「トウオウのお喋り!」

「キノラの言う通り!」 また別の声が聞こえた。 ゆっくりとこちらに歩いて来るのは淡く青い瞳のセイハ。

「シユラのしたいようにさせればいいじゃない。 アマフウには関係のないことなんだから。 アマフウって我が儘が過ぎるんだよね」

「年下がっ! 偉そうに言ってるんじゃないわよ!」

「へぇー、歳のことを言うの? それならキノラお姉さまの言うことを聞けば?」

「セイハ、火に油を注ぐことを言うんじゃないわ」

「キノラ! 火ってどういうこと!?」

「アマフウ、冷静になりなさい」

「アマフウが冷静になれるはずないんだけどなー」

「セイハ! アンタって! ―――」

「ああ、あなた達で言い合いをするんじゃないわよ。 とにかく、アマフウはシユラ様に絡まないでいなさい」

「絡むってどういう事!? 絡んでなんかいないわ!」

「あーあ、救いようがない」 手を頭の後ろに組むと放擲 (ほうてき) する。

「セイハ黙ってなさい」 セイハに睨みを利かして言うと初めて紫揺に目を向けた。

「シユラ様、アマフウの言うことは当然の事です」

「え?」

「私たちが使用人と話すなどとは論外。 私たちは使用人たちとは別の存在なのですから」

「別の存在?」

「キノラ、シユラはまだそれが分かってないみたいなんだから無理なんじゃない?」

「ええ、分かっているけど、でもアマフウの袂を燃やしたんでしょ? そろそろ自覚を持っていただかないと」 セイハに視線を向ける。

「何のことですか?」

「それは・・・ムロイにお聞きください。 私は仕事がありますので」 言うとファイルを握りしめたまま歩き出した。

「なに? キノラってまだ仕事をしてるの?」 アマフウが言う。

「仕事が好きみたいだからな。 今もしてるんじゃないか?」 突然にオッドアイのトウオウの声がした。 そしてチラリと紫揺を見て片眉を上げた。

「あれ? ―――」 次の言葉を言いかけた時、アマフウが言葉を重ねた。

「トウオウ! このお喋り!」 

アマフウがトウオウに攻め寄るのを見て、セイハが小声で紫揺に言う。

「シユラ、あの二人は放っておくに限るよ。 これ以上巻き込まれないように部屋に戻った方がいい」

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