大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第194回

2023年08月21日 21時07分42秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第190回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第194回



朝餉を終わらせたマツリが早々に杉山に向かって出て行った。

「武官所に行くか?」

享沙や柳技たちとの接触の時はまだである。

「うん」

薬草のお礼を言いに行くか、と言ってくれているのだろう。 杠が言わなくてもそのつもりだった。
だが杠はそのつもりではなかった。 紫揺の元気な姿を見せねば、今夜もまたあの嗚咽交じりの嘆きの呪詛を聞かされるからである。

武官所では思った以上の歓迎ぶりだった。 丁度交代にやって来ていた武官たちが多く居て、泣き出すものまで現れた。

「うわぁぁぁー・・・良かった、良かった。 崖から落ちられたと聞いた時にはぁぁ・・・」
「グスングスン、その後に川に流されたとお聞きしてどれだけ・・・うぐぐぐぅぅ」
「ジュル、最初には杉のてっぺんから跳び下りられて、着地に失敗されそのまま坂を転げて行かれたと・・・うぅぅぅ」

ジュルは鼻水を吸い上げた音。 それは分かる。 だがどういうことだ。
今の話では、杉のてっぺんから跳び下りて着地に失敗、そのまま転げて行って崖から落ち川に流された・・・。
あまりの噂に杠が呆れた顔をしていたが、紫揺はそうでは無かった。

「はい? どっからそんな噂が流れたんですか?」

「え? 違うのですか? ズビ」

どっからどう見ても違うだろう。 そんな状況に遭っていれば今ここに居ないだろう。 紫揺は一応人間のつもりだ。 いや、完全に人間だ。
そんな噂があっては嗚咽交じりの嘆きの呪詛も致し方ないかもしれない。 それに濃い桜色の晒に紫揺の生き返りを願ったことも。

「走ってる時に葉っぱや枝で切り傷が出来ただけです。 それにそんなにドンクサくないです」

一瞬、え? と言った顔を見せていた武官達だったが、どこからか、そうだよなー、と声が上がった。

「よく考えれば、紫さまがそんなことになられるはずがないよなー」

「だが杉のてっぺんから跳び下りられたというのは、説得力があり過ぎだ」

「ああ、紫さまなら有り得るってな」

「ああ、そこを信じたから、あとも信じてしまったな」

言いたいことを言ってくれる武官達だ。

「いくらなんでも杉のてっぺんからは跳び下りません」

どれだけ高いと思っているのか。 こちとら高所恐怖症だ。

「いや、ご尤もです」

「何より大きなお怪我が無くてよう御座いました」

「ですがそのお傷・・・」

腕に赤い線が沢山ついている。

「これくらいすぐに治ります」

御内儀様の腕に傷・・・。 武官たちが目を合わせる。 ・・・いいのだろうか。 いや、良くない。 いくら単に葉や枝で切った痕だと言っても。

「お傷が完全に消えますまで薬草をお塗り致しましょう」

いや、動きにくいのはもう勘弁願いたい。

「何ともないです。 それにマツリが塗らないと判断したんですから大丈夫です。 えっと、朝早くに薬草もいただきまして、ご心配をおかけしました」

早朝に杠が薬草を取りに来たという話は武官所に来た途端全員が聞いていた。 その薬草が痺れ毒に対するものだとも。
腕には薬草が塗られていない。 痺れ毒の傷は無かったのだろう。 紫揺が言うように、腕の傷はマツリの判断で自然治癒に任せたのだろう。
痺れ毒は放っておくと個人差があるものの、感覚が麻痺してしまったりすることがある。 それが短期間なのか、長期間なのかは受けた傷の具合や、痺れ毒を持つ葉の種類で違いがある。

痺れ毒に対する薬草を塗った箇所は、きっと足。 チラチラと見えている紫揺の生き返りを願った晒が見える、足。 だが御内儀様となられる紫揺の足を武官がじっと見るわけにはいかない。

武官達は納得をしただろうし、それに誤解も解けただろう。 そろそろいい頃合いだ。

「紫さま、そろそろ」

享沙や柳技たちとの接触の時ということだろう。 コクリと頷くとちゃんと礼を言う。

「薬草と晒、有難うございました」

片足を前に出すと、キュロットを少しだけ上げて濃い桜色の晒を見せた。 キュロットを上げなくても足首まで巻かれている晒は短靴の上からチラチラとは見えていたのだが、それでもよく見えるようにと少しだけ上げてくれたようだ。

「とっても可愛くて気に入ってます」

そう言われて見てみれば、淡い桜色の下穿きによく合っている。

早馬が宮から持って来た下穿きは、淡い桜色のものと柿色の二色だった。 包帯代わりの布の色に合わせて今日は淡い桜色の下穿きをチョイスした。

「へぇ・・・、下衣と対になっている衣に見えなくもありませんな」

「よくお似合いで」

「やはり女人である紫さまはお考えになられることが違う」

簡単に言うと包帯である晒しがファッションの一部に見えるということだった。
褒められてちょっと嬉しい。

武官所を出ていつもの接触しやすい所に行ったが特に接触は無かった。

「会わないって事は良いことなんだよね」

接触してこないということは、問題が無いということである。

「マツリ様のされている杉山への咎がかなり効いているのだろうな」

実際、問題を起こす者も少なくなってきている。 ここのところ武官や自警の群が捕らえるのは、酔ってわけが分からなくなり暴れる者たちばかりであった。
マツリもそのあたりは考えて酔って暴れた者には度合いによっては違うが、大体三度に一度、数日の杉山送りとしている。
杉山に忙しいマツリには、その辺りの報告はマメに杠がしている。
さっきも紫揺が武官達と話している時に、前日捕らえられた者たちの事が書かれた帳面を見ていた。

「あとはちゃんと働いてくれればいいのだがな」

働いていない者は誰かの物を取るしかない。 マツリの咎を知って今まで取った物で食べていけていたとしてもそれも尽きる。 また悪循環を繰り返すかもしれない。

「働くのって・・・嫌な人は嫌と思うからね。 とくに毎日ってのが嫌みたいだから」

日本のようにバイトや日雇い感覚のようなものがあればいいのに。 それなら短期で働いて、そのお金で生活して無くなればまた働けばいいのに。

「盗ることを覚えた者はそれ以前だ。 働くということをしない・・・いや、疎んじる」

「そうなんだ」

紫揺には理解できない。

「人の物を盗るのにもそれなりに大変なのにね」

前を向いていた杠がクッと笑って下を向いた。

「なに?」

「そんな風に考えるのは紫揺くらいだろう」

「そうかな? だって人の家に入って物を盗ろうとしたら、その家の人の様子を見てなきゃいけないし、持ってる物を盗ろうとしたら、結構気を張り詰めるんじゃないかな? その力があるんだったら働いた方が楽と思うんだけどな」

「そうだな、要らぬ労力や気を使うな。 いいコだ」

紫揺が何度もカルネラに、そしてカルネラも何度も言っていた言葉。
紫揺の頭を撫でてやると、馬を曳いてくるからここで待っているようにと言って足早に厩に向かって歩いて行った。

そう言えば杉山に乗って行った月毛の馬。 杉山に置きっ放しになっている。 杉山からは杠の乗ってきた馬に二人乗りで帰ってきたのだから。
杠に頼んで明日にでも二人乗りで馬に乗って杉山に行ってもらおう。 そしてあの月毛に乗って帰ろう。

「あれ? 紫揺?」

自分の名前が耳に入り振り返ると、絨礼と芯直がこちらに向かって歩いてきていた。

「朧、紫さまだろ」

「あ・・・そうだった」

人目がある。 そんな時には紫揺ではなく紫さま。
二人のそんな会話が聞こえる。 思わず頬が緩む。 紫揺とそんなにかわらない身長だが、生きている年数は随分と違う。

「淡月! 朧!」

紫揺が二人の元に駆け付けた。

「久しぶりね」

「紫さまにお声をかけて頂き、至極恭悦に御座いますぅー」

辺りにしっかりと聞こえるように言う。

「朧・・・白々しいよ」

「これくらいの方がいいんだよ」

「いま杠は馬を曳きに行ってるけど、何かあったの?」

紫揺も辺りを気にしながら小声で言うと二人が首を横に振る。
良かった、何もなかったようだ。 二人がここに現れたのはただ単に歩いているだけのようである。
だが・・・。

「勉学進んでる?」

享沙に教えてもらっていることは絨礼から聞いている。

「まぁな。 享沙が元に戻ったし」

「ん?」

どういう意味だろうか。
享沙の話をマツリが聞かせたが、さすがに杠から聞いた壊れた享沙のピョコの話は言わなかった。

「何か不便はない?」

「そんなもん無い」

「淡月も?」

「・・・うん。 朧と弦月が居てくれるからいい」

「そっか」

人が居てくれるからいい。 それは大事なコト。 ・・・そうだ、それは大事なこと、大切なこと。

―――マツリが居てくれる。

過去を過ごした日本のことを何も知らないマツリ。 日本のことを一切聞かない。 それでも・・・奥として迎えてくれる。
マツリが日本のことを訊かないのは、本領領主の跡継ぎとしてなのだろう。 訊いてはならぬこと。 そして洞は塞いだ。 日本との繋がりは一切ない。 訊いてどうなるものではない。 そう思っているのだろう。 そこに間違いはない。
それに一番甘えたい杠が居てくれる。 いつか杠も奥さんを迎えるだろうが、それまで杠は紫揺のもの。

「弦月はどうしてるの?」

「他のところを回ってる」

「紫揺っ」

思いつめたような顔をして、絨礼が紫揺を紫ではなく紫揺と呼んだ。 朧が「コラ、声が大きい」とは言ったが。

「ん? なに?」

「武官達が噂してた・・・その、紫揺の・・・身体が、良くないって。 崖から落ちたりしたって。 外に出てていいの?」

噂は武官の間だけでは終わっていなかったのか。

「それ武官さんの思い違い。 心配してくれてアリガトね。 全然何ともないから」

「そうなの? 本当に?」

「見れば分かるでしょ?」

紫揺が大の字になって見せる。 腕には赤い線が多々ある。 民であれば・・・辺境に居て良いことの無かった絨礼であれば、それは当たり前だが紫揺はそうでは無い。

「その腕の傷は何?」

「おい、淡月」

「朧、いいよ、何でもないから。 走り回って葉や枝で切っただけ。 何ともないよ」

くるぶしから見える濃い桜色の晒。

「それなに?」

紫揺の足元を指さす。

「ああこれ? 可愛いでしょ、武官さんからのプレゼン・・・」

プレゼント、とは言えない。 ましてや紫揺の理解は間違っている。

「武官さんから貰った晒」

今の紫揺はどこにも薬草を巻いていない。 それなのに薬草の匂いがする。

「その晒の下に薬草を付けてるの?」

「よく分かったね、そう。 マツリが塗ってから巻いてくれた」

「マツリ様が?」

「うん、だから何の心配もないよ」

「絨礼どうしたんだよ」

「・・・何でもない」

紫揺との初対面は良いものではなかった。 ましてや芯直ではなくいつも大人しい絨礼が紫揺に食って掛かっていた。
紫揺に言われた。 『追えないよ』 と。 何をしても芯直に追いつけない絨礼。 それなのに目の前に現れた坊にそんなことを言われ頭にきた。
だが後に紫揺の正体を知り、その上、杠に言われ宿の隣の部屋で紫揺を守っていた時、紫揺に誘われ紫揺の居る部屋に行った。 そこで紫揺と話し印象は全く変わった。 紫揺という人間がよくよく分かった。
怪我の心配をしてもおかしくはない。

そこに一頭の馬を曳いて杠がやって来た。
杠を見た紫揺の様子を見て、絨礼と芯直がそっと姿を消した。

絨礼と芯直が姿を現したということは何か連絡があるということか、それとも紫揺に何か伝えたのだろうか。 杠が視線を変える。

「膝から下の傷がまだあります。 二人乗りで行きましょう」

「うん」

確かにまだ痺れている。 足で馬体を締めるには楽ではないかもしれない。
素直に二人乗りを認めた紫揺に傷の具合がうかがえる。 マツリの話からはそう悪くは無いものだと聞いているが、気を緩めてはいけないだろう。
紫揺を先に騎乗させる。 此之葉が居る時には馬にまたがるなどと言語道断と怒られるが、マツリも杠もそういうことを言わない。 そして作ってもらったキュロットはスカートより随分と乗りやすい。
杠が騎乗するとすぐに紫揺が口を開いた。 杉山に残してきた月毛の馬のことである。

「ご心配なく。 昨日マツリ様が月毛の馬を曳かれて戻られたそうです」

それは馬に乗りながら、もう一頭を曳いて帰ったということ。
月毛はかなり訓練されている。 それは乗る前から分かってはいたが乗ってからもよくよく分かった。 その仔の手綱を馬上から曳くことはそう難しいことではないだろう。 だがマツリがそこまで馬に乗れるとは思ってもいなかった。

「そうなんだ」

初めてそんな姿を見たのは剛度が見せた時だった。 自分もやってみたいと東の領土で何度かやってみたが、ことごとくお転婆が隣に来た馬に歯を剥いてみせ一度も成功していない。

―――悔しい。

杠が軽く馬を走らせる。 武官たちが振り向いて紫揺の足元を見る。 立っている時より足元がよく見える。 濃い桜色の晒が。

「傷にひびきませんか?」

「うん、大丈夫」

「先ほど、淡月たちは何か言っておりましたか?」

訊かずとも絨礼たちが何か言っていれば紫揺から言うだろうとは思ってはいたが、一応確認してみる。

「傷の心配をしてくれただけ。 一応訊いてみたけど何もないって」

しっかりと紫揺から訊いてくれたようだ。 だがどういうことだ、今紫揺は傷の心配と言った。 手に見える赤い線を見て心配をしたのだろうか。 たしかに未来の御内儀様の付ける傷ではないが、あの二人はある程度紫揺の行動を知っているはず。

「武官さん達から民に伝わってるみたい。 とんでもない理由を考えてくれたもんだわ」

想像力激しすぎ、と付け加えて言われ、武官所で聞いた話が広まっているのかと、絨礼たちが心配をした理由が分かった。

「紫さまの姿を民が見れば単なる噂と分かりますでしょうし、武官達があの話が事実ではなかったと話すのを聞くでしょう」

「そう願いたい。 そんなドンクサい人間だと思われたくないもん」

そこか、と思いながら紫揺の後ろで杠が微笑んだ。


岩石の山に着くと既に昨日の三人の男たちが手順を教えてもらったあとだった。 道具は人数分あるわけではなかったが、工程をずらせば誰なとが道具を持つことが出来る。
三人の男たちは崩した原石を鏨(たがね)と槌を持って層に沿って割っているところだった。
紫揺が三人に近づく。 決して足場がいいわけではない。 杠がピッタリと紫揺の後に付いている。

「どうですか?」

後ろから声をかけられ男達が驚いて振り返った。 まず女の声など杉山にしても此処にしても無いのだから。 でも聞き覚えのある声だった。

「なかなか上手くはいかねーもんで」

それでも杉山に居た時と比べると形相が変わっている。

「何をするにも最初はみんな同じですよ」

目の先に紫揺の掌大ほどの板状の岩石がある。 それを拾い上げると全面を見てから、道具が置かれている所に足を向ける。
何をするのだろうかと杠が後ろをついて歩くと、砥石と水に入った桶を手に持とうとしたのですぐに杠が手に取る。 紫揺がしようとしていることが分かった。
空いている場所に紫揺を座らせると、簡素な木の卓ではあるがしっかりしている台の上に手に持っていた石を置き、杠が持ってきた桶の水と砥石を使って削り始めた。

「杠、ここで大人しくしてるからお仕事してきて」

日本ならここで旋盤を使うのだろうがそんなものは無い。 ただひたすらに平らにするために砥石をかける。

「杠官吏、見てもらえるか?」

仕上がった硯を持って男がやって来た。 使い具合を見てもらうためである。
硯を受け取ると指先であちこちを触る。 それは今までに何度もされた仕草。 ここでいつも注意を受けやり直しをしていた。

「では宿所に行きましょう」

だが今回は次の段階に進んでもらえるようだ。
紫揺がチラリと杠を見る。

「宿所に行って参ります」

「うん、分かった」

杠がどんな仕事をここでしているのかは知らないが、今の様子から使い具合を見るということも仕事の一つのようである。

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