『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第38回
マツリが共時に一言二言いうと走り出した。
「キョウゲン行くぞ」
キョウゲンが羽ばたく。 ここは木々が邪魔でキョウゲンが縦に回れないし、大きくなったキョウゲンが木々の中を潜るのにも無理がある。
見張番とすれ違いざまに共時を宮に連れて行くように言い、波葉を挟んで内密に四方に会わせるようにとも言った。
波葉なら領主を義父に持つ領主直轄の見張番と話していても不審に思われないし、見張番も波葉になら接触しやすいだろう。 この見張番二人は剛度のお墨付きでもあるし、マツリが魔釣の目でも見た相手である。 信用があるから頼むことが出来る。
林立する木々から出ると、マツリがキョウゲンに跳び乗った。
岩山の端に見張り番の服を着た一人の男が立っていた。 てっきりこちらに向かってくるものだと思っていたのに、方向を変え下降すると再度岩山と違う方向に飛んで行くキョウゲンを見送っていた。
「チッ」
舌打ちをして端に背を向けた。
「あの馬鹿が・・・」
キョウゲンが何度も瞬きをする。 眩しいからではない。 なにか今までに知らなかったものがスッと流れてきたからだ。
紫揺が地下に行くと言っているのだ、馬鹿とは言いながらもその心配からだろうか・・・。 キョウゲンが考えるがそれだけでもないような気がする。
「如何なさいますか?」
「あの馬鹿は止めても聞かんだろう」
それこそわざと大声で俤の名を呼びまくるとでも言いかねない。
「とんだじゃじゃ馬だ」
マツリが顔を歪める。
「あの衣装で地下に入りますと身ぐるみ剥がされましょう」
「あ・・・ああ、そうだな」
気がつかなかった。
キョウゲンの下を紫揺が馬を走らせている。 時々上を仰ぎ見ている紫揺。
「バッカじゃない。 真上を飛ぶなっていうのよ、分かりにくいったらないっ!」
林立する木々から出た後は道案内なら先を飛べと言いたいらしい。
「剛度の家に行けばそれなりの衣装があるかもしれんな」
何人もの孫がいるくらいだ。
「御意」
キョウゲンが紫揺の走らせる馬の上空斜め前を飛んできた。
「あれ? 聞こえたのかな? フクロウって耳が良かったっけ?」
飼育小屋にはフクロウは居なかった。 フクロウの生態など、せいぜい夜行性ということしか知らない。
「夜の行動だから暗闇での目はいいはずだけど。 うーん、そう考えると耳もいいのかなぁ。 小さな音を聞き分けられないと獲物を探せないだろうし」
紫揺がフクロウの生態を考えている間にも馬は足を早めている。
ちなみにフクロウの聴覚は発達しており、種類によっては左右の耳の大きさや位置が違い立体的に音を認識することが出来る。
林立する木々を抜けたあと何もないところを走っていたが今度は先に家が見えだした。
こんな所に地下と呼ばれるところがあるのだろうか、と疑いの目を上空に向ける。 と、キョウゲンが下降してきたのが見えた。
紫揺の走らせる馬と並ぶ。
「馬を止めよ」
「は!? 連れて行かないっていうの!」
「違う。 いいから一旦馬を止めよ」
紫揺が口を歪めると馬を止めた。
マツリが跳び下りる。 その肩にキョウゲンが乗った。
「どういうこと!」
「大声を出すな。 俺がここに居るのをあまり知られたくない。 いいかよく聞け」
と説明を始めた。
これから先はキョウゲンだけが紫揺の道案内をし剛度の家に向かう。 そこで剛度の女房に男の衣装に着替えさせてもらえということだった。 女房はキョウゲンを見ただけでマツリが関係していると分かるはずだと。
「どうしてそんなことをしなくちゃいけないのよ」
「地下にそのような衣装で入るとすぐに剥がされる」
皮で出来た筒ズボンにサラサラの上衣。 ハッキリ言って絹で出来ている。
そういうことかと、紫揺が納得する。
「どうして男の服?」
「地下の者がお前を女と知ったら何をするか想像くらい出来るだろう」
「・・・」
―――コイツ、そんなことを考える奴だったのか。
そんなことというのを具体的には知らないが、ろくでもない事なのは漠然と知っている。
「私が着替えている間に一人で地下に行こうなんて考えてないでしょうね」
そんなことをしたら俤の名を大声で呼んでやる、そう言って脅しておいても損はないだろう。 紫揺が口を開きかけた時、先にマツリが言う。
「そんなことをすればお前は俤の名を大声で呼ぶとでも言うだろう」
当たりだ。 何故当たったのだろうか。 紫揺が口をひん曲げる。
「一刻を争う。 早く行け」
キョウゲンがマツリの肩から鞍の前に飛び移った。 紫揺の肩に止まってしまえばキョウゲンが目立ってしまうし、なによりマツリの肩巾ほどもない。 いかにも止まりにくそうだ。
キョウゲンが百八十度首を捻ってこのまま真っ直ぐに走らせるようにと言う。
宮を出てくる前の会話があったからこそ、こうすることが出来た。
ロセイが紫揺に問われ返事をしていた。 それを思うと事前にキョウゲンと紫揺の会話が成り立つかもしれないと知っていなければ、キョウゲンが紫揺に言われたことに返事をしているのを聞いた時点で時が止まっていたかもしれない。
紫揺が馬の横腹を蹴った。 自分がノロノロしていてその間に俤に何かあってはと心が逸る。 自分がこんな我儘を言わなければ、もうマツリ一人で地下に行けていたかもしれないのだから。
我儘では終わらせない。 必ず俤を救う。 マツリがあれ程顔色を変えていた相手なのだから。
家々からは人が出入りしているのが目に入る。
どこかの畑から取ってきたのか、それともどこかにある市場から買ってきたのか、野菜を竹籠に入れて運んでいる女。 家の修理か、戸に木槌をあてている男。 外で遊んでいた子供たちが紫揺の走らす馬があげた砂埃を手で払う。 それが遊びのように、きゃあきゃあ言いながら楽しんでいる。
キョウゲンが何度も顔を後ろに捻じって方向やスピードの指示を出す。
「キョウゲンはそれ以上小さくなれないの?」
「これが本来の私の大きさです。 マツリ様の為に大きくはなれますが本来の大きさより小さくはなれません」
「そうなんだ」
マツリがあまりここに居るのを知られたくないと言っていた。 それではキョウゲンも同じだろうと考え、小さくなれるのなら懐にでも入れようと思っていたが無理なようだ。
もとより、そんなことをすると紫揺が言えばキョウゲンは飛んで逃げるだろうが。
「左前に見える家、戸が開いているのが剛度の家です」
左前に見える数軒の木造の家で戸が開いているのは一軒しかない。 紫揺が頷き、馬の足を緩めて開いている戸の前まで馬を歩かせる。 馬から跳び下り手綱を持ったまま開いている戸を覗き込んだ。 すると中から子供の声が聞こえる。
覗き込んだ家はすぐに正面に向かって長細い土間が見え、そこにはきちんと揃えられた履物がある。 子供の履物が三足と大人の履物が二足。
土間は玄関の戸と同じ大きさくらいの幅があり、その向こうには暖簾のような物がかかっている。 台所になっているようだ。 左に上がり口と部屋があり、そのまま奥の部屋に続いているのだろう。
「すみません、剛度さん、いらっしゃいますか?」
パタパタと走ってくる音がする。 左手の部屋から土間に男の子が跳び下りてきた。 五、六歳だろうか。
この子のお兄ちゃんの服を借りるのか。 それじゃあせいぜい十歳か十一歳くらいではないか。 自分はその倍以上生きているというのに。
祖母の先代である先代紫の服を借りた時は、先代紫が十一歳の時の服だったが、今は十一歳の服では無理だ。 と、考える紫揺だが、他から見てこの二年程でそんなに変わったようには見えない。
「これ、十基(じゅうき)、裸足で下りるんじゃないってば」
追ってきた女が履き物をはき少年を抱き上げ紫揺の方を見た。 見たこともない衣装を身に付けている。
「どちらさんで?」
その声に羽音もさせず、すっとキョウゲンが家の中に飛んできて土間に置いてあった背の低い棚の上に乗った。
「あれ? マツリ様の・・・」
特徴のある羽色を持つキョウゲンに目をやると、その目を紫揺に戻す。
「突然にすみません。 お願いがあってきました」
そこまで言うと部屋の奥から声が聞こえた。
「マツリ様がいらしたのか?」
女の声が聞こえたのだろう、奥の部屋から出て来て正面に見えるキョウゲンを見るとてっきりマツリが来たと思った剛度が、左の部屋から顔を出した。
「あ!」
見知った見張番の顔がそこにあった。
「こりゃ、紫さま、どうなさいました」
土間を下りると紫揺が手綱を持っているのが目に入った。 紫揺から手綱を受け取ると家の外に立ててある手綱かけに手綱をかける。 見張番の家には手綱かけが必ずある。
手綱をかけ、外から戻ってきた剛度が紫揺に問う。 たとえキョウゲンと一緒だったと言っても東の五色が一人で本領の中を歩くのは考えられない。
「で? どうなさいました?」
偶然にも今日剛度は夕陽の番だった。
キョウゲンを知っている女房に言ってもいいが、どこか疑われても困る。 そう思うと自分のことを知ってくれている者がいてくれてラッキーである。
「突然で申し訳ありませんが、急ぎお願いがあります」
そう言うと、マツリから言われたことを剛度に聞かせた。
「マツリが離れた所で待ってます。 急なことですみません、急いでもらえないでしょうか」
「おい、聞いただろ。 紫さまに着られるくらいの衣を用意しな」
剛度が女房に言う。
女房が十基を下すと走って部屋の奥に消えていった。
それにしても。 いま紫揺はマツリと言った。 マツリ様ではなく。 それに今回紫揺が本領に来た時にはマツリがずっと付いていた。 他の領土の五色に対してもだが、今までそんなことは一度も無かった。 どういう関係なのだろうか。
「もしかして地下に入るんですか?」
どういう関係かは分からないが、五色である以上、疑う相手ではない。
「え?」
「ああ、言わなくてもいいです。 安心してください。 マツリ様から地下の話は聞いております。 ただ、もし地下で危ない目に遭いそうになったら、共時ってのを頼って下さい。 アイツなら何とかしてくれます」
「キョウジ、さん?」
「はい。 まぁ、地下に落ちてはしまいましたけど、面倒見がいいって言うか根が悪い奴じゃないんで」
「キョウジって言う名は、本領には多いんですか?」
「共時ってのは、共の時って書くんですけど、本領で考えるとまぁ、違う字もあったりしてそう珍しくはありませんがこの宮都では珍しいですかね」
「ミヤト?」
「ええ、宮のあるここら辺りを宮都と言います」
東南と南に岩山を置き、南と東を除く宮都の周りに一都(ひと)二都(ふと)三都(みと)四都(よと)とある。 またその周りに五都(いつと)から八都(やと)まであり、それが続いて六重になっていて、その先が辺境になっている。 そして辺境も含めて本領と言う。
「宮都もそうですが地下に居る者では共時ってのは、そうそう居るもんじゃないと思いますがね」
剛度の言う共時が気になる。 もしさっきの男と同一人物なのならば、怪我のことを伝えなければいけないのではないのだろうか。
そこで共時と名乗る男の風貌を剛度に尋ねた。
「え? そりゃ共時に違いない。 っち、間の悪い。 地下から出てきやがったんですか」
「すごい怪我をされてました。 私の前後を走って下さっていた見張番さんが共時さんを運んでくれているはずです」
そうマツリに言い置いたのだから間違いないだろう。
「共時が怪我を?」
地下で何か下手を踏んだのだろうか。
俤を助けるためにとは言えない。 マツリが剛度にどこまで言っているのかが分からないのだから。
「百藻たちはどこに共時を運ぶって言ってました?」
「あ、すみません。 マツリに共時さんのことを見張番さんに頼むように言っただけですから何処とは・・・」
そこに女房の声が入ってきた。
「アンタ、用意が出来たよ。 これくらいのがいいだろう」
「こちらこそ。 要らんことを訊きました」
そう言うと後ろを振り返って部屋に入ってきた女房を見る。 その女房が孫の服を広げて見せている。
「ちっと、大きくないか?」
「大きいくらいの方がいいのさ。 ほら、胸も誤魔化せるしさ」
紫揺が断崖絶壁に手を当てた。 その心配は要らないような気がするが、絶壁女子としてそう言ってもらえるのは嬉しい。
「紫さまって、仰いましたか。 どうぞ上がって下さい。 奥の部屋で着替えなさって下さいまし」
「有難うございます。 お邪魔します」
奥の部屋の中に入って行った二人を見送る剛度。 顔を土間に戻すと紫揺の長靴を見て小首を傾げる。
「この長靴じゃすぐに剥ぎ取られるか」
土間に下り似たサイズの履き物を探す。 汚して帰って来る孫の履き物の替えならいくらでもある。
探しながら考える。 それにしても話が見えない。 百藻たちが紫揺の前後を走っていたのなら岩山に向かっていたはずだ。 それなのにどうして地下なのか。 それにさっきも考えたがマツリと紫揺の関係が分からない。
棚に止まるキョウゲンを見たが教えてくれるはずもないだろう。
「剛度!」
マツリが驚いた目を向ける。
「地下に行かれるんでしょう?」
喋ったのかという目を紫揺に向ける。
「紫さまは何も言っておられません。 ですが五色様にこのような衣を着せるということはそれしかないでしょう」
暗にあんな話の後なのだからと、ニヤリと剛度が笑う。
「マツリ、共時さんは?」
「宮に連れて行かせた」
それがどうしたという目を紫揺に向ける。
すると何故か剛度が頷いた。
「剛度さんと共時さんは知り合いだって」
「え?」
「地下で何かあったら共時さんを頼るようにって言ってくれたから、共時さんの怪我のことを話した」
「そうか、知らなかった」
「いやぁ、酒場での顔見知りってくらいで深い付き合いじゃないんですけどね、共時のことはあとで百藻に訊きます。 それより急いでおられるんでしょう、地下迄お供します。 馬を地下の外に放っておくわけにはいきませんのでな」
そうか、とマツリが溜飲を下げた。 よく考えるとこの馬は見張番の馬だったのだ。 地下の外に繋いでおいても誰に持って行かれるか分かったものではない。
「悪いな」
「これくらい知れたもんです」
キョウゲンが紫揺の乗る鞍から飛び上がり縦に円を描く。 マツリが地を蹴った。
「それじゃあ、行きましょうか、俺が後ろを走ります。 紫さまはキョウゲンを追われて下さい」
紫揺が頷き馬の横腹を蹴った。
少し走るとすぐに剛度が紫揺に感心した。
「こりゃこりゃ、うちの番に欲しいな」
初めて紫揺が来た時には馬に乗れなかった。 それから二年も経っていない。
紫揺を前に座らせた見張番の瑞樹(みずき)からは、紫揺が馬に乗れるようになりたいそうだ、ということを聞いていたし、その後にやって来た時には百藻からも紫揺の走りの良さは聞いていたが、ここまでとは思ってもいなかった。
馬を走らせる専門家から見ても紫揺の走りはいいらしい。 阿秀の功績だろうか。
「なかなかに早く走らせておりますが如何いたしましょう」
紫揺のスピードに合わせてキョウゲンが飛んでいるが、このまま走れば地下に着くまでに馬がばてるかもしれない。
「地下がどこにあるか分からんだけに走らせればそれで良いと思っているようだな」
下を見ると紫揺も丁度こちらを見上げてきた。
マツリの胸がドクンと撥ねる。
(なんだ!?)
心臓が大きく、そして早鐘のように脈打つ。 全く治まる様子がない。 胸に何かが刺さった時にはすぐに収まるのに。
ギュッと胸元を掴む。
キョウゲンが何度も瞬きをする。
馬から下りた紫揺と剛度。 剛度が袈裟懸けにしていた袋から履き物を出した。
「汚いですけどこちらにお履き替え下さい。 その長靴ではすぐに剥がされますんで」
洗ってはあるようだが長年履いていた汚れが蓄積されている。
「あ、有難うございます」
慌てて長靴を脱ごうとした時に足元が悪かったからか、紫揺がよろめいた。 すぐに剛度が紫揺を支え脱ぎ終えた長靴は剛度が預かり袋の中に入れた。
そのやり取りを見ているマツリ。
「懐の中の物は落としていませんな?」
「はい」
剛度の目が紫揺からマツリに移された。
「今日中に出てこられますんで?」
マツリを見て言っているというのにマツリからの返事がない。 斜め下に目を向け紫揺の姿を見ているようだが、その目に紫揺が映っているようにも見えない。
「マツリ様?」
剛度の様子に気付いた紫揺がマツリを見る。
「マツリ? どうしたの?」
そう言っても返事がない。 紫揺がマツリの目の前で手を横に振る。
「マツリ、しっかりしてよ!」
「マツリ様」
耳元でキョウゲンの声が聞こえた。
「え?」
「如何されました?」
あれ? と紫揺が思う。 主と供は共鳴しているのではないのか? マツリのことなら何でもキョウゲンは分かるのではないのか? マツリがキョウゲンを知る以上に。 そうシキから聞いている。
「ああ、なんでもない」
そう言うと剛度に向き直る。
「わざわざ悪かったな」
「明るい内に出てこられますんで?」
言葉を変えて再度訊く。
「出来ればそうしたいが、どうなるかは分からん」
「では一旦馬を連れて帰ります。 夜になるようでしたら光石も要りましょうし、お帰りの時にはまたお知らせください」
「ああ、今日は夕陽の番だな」
「はい、陽が落ちるまでは岩山に居ます。 その後は家に。 明日も夕陽の番です。 万が一のために百藻と瑞樹には言っておきます。 宜しいですか?」
百藻と瑞樹は紫揺の前後を走っていた者だ。 共時を宮に連れて行けば見張番に戻ってくる。
剛度はこの二人に信用を置いているようだ。
マツリが頷く。
「再々悪いな」
「これくらいでそんなことを言わないで下さい。 それじゃ、くれぐれもお気をつけて。 紫さまも十分お気を付けください」
「はい。 有難うございました」
剛度が馬に跨るともう一頭の手綱も持って走り出した。
「わ、すごい」
今度はあれの練習をしよう、と緊張感のない紫揺が考える。
「うん? どうした? 阿秀」
「あ、いえ。 何か背中に悪寒を感じたんですが・・・気のせいでしょう」
「そうか? 気のせいならいいが、紫さまの居られない内に体調を整えておけよ」
「はい」
「おい、なんか今、寒気がしなかったか?」
「した」
即答したのは塔弥であった。
他の者も我が身を抱えるようにし、怖気(おぞけ)に耐えている様子だ。
東の領土では急に得体のしれない寒気がお付き達だけに蔓延したようであった。
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第38回
マツリが共時に一言二言いうと走り出した。
「キョウゲン行くぞ」
キョウゲンが羽ばたく。 ここは木々が邪魔でキョウゲンが縦に回れないし、大きくなったキョウゲンが木々の中を潜るのにも無理がある。
見張番とすれ違いざまに共時を宮に連れて行くように言い、波葉を挟んで内密に四方に会わせるようにとも言った。
波葉なら領主を義父に持つ領主直轄の見張番と話していても不審に思われないし、見張番も波葉になら接触しやすいだろう。 この見張番二人は剛度のお墨付きでもあるし、マツリが魔釣の目でも見た相手である。 信用があるから頼むことが出来る。
林立する木々から出ると、マツリがキョウゲンに跳び乗った。
岩山の端に見張り番の服を着た一人の男が立っていた。 てっきりこちらに向かってくるものだと思っていたのに、方向を変え下降すると再度岩山と違う方向に飛んで行くキョウゲンを見送っていた。
「チッ」
舌打ちをして端に背を向けた。
「あの馬鹿が・・・」
キョウゲンが何度も瞬きをする。 眩しいからではない。 なにか今までに知らなかったものがスッと流れてきたからだ。
紫揺が地下に行くと言っているのだ、馬鹿とは言いながらもその心配からだろうか・・・。 キョウゲンが考えるがそれだけでもないような気がする。
「如何なさいますか?」
「あの馬鹿は止めても聞かんだろう」
それこそわざと大声で俤の名を呼びまくるとでも言いかねない。
「とんだじゃじゃ馬だ」
マツリが顔を歪める。
「あの衣装で地下に入りますと身ぐるみ剥がされましょう」
「あ・・・ああ、そうだな」
気がつかなかった。
キョウゲンの下を紫揺が馬を走らせている。 時々上を仰ぎ見ている紫揺。
「バッカじゃない。 真上を飛ぶなっていうのよ、分かりにくいったらないっ!」
林立する木々から出た後は道案内なら先を飛べと言いたいらしい。
「剛度の家に行けばそれなりの衣装があるかもしれんな」
何人もの孫がいるくらいだ。
「御意」
キョウゲンが紫揺の走らせる馬の上空斜め前を飛んできた。
「あれ? 聞こえたのかな? フクロウって耳が良かったっけ?」
飼育小屋にはフクロウは居なかった。 フクロウの生態など、せいぜい夜行性ということしか知らない。
「夜の行動だから暗闇での目はいいはずだけど。 うーん、そう考えると耳もいいのかなぁ。 小さな音を聞き分けられないと獲物を探せないだろうし」
紫揺がフクロウの生態を考えている間にも馬は足を早めている。
ちなみにフクロウの聴覚は発達しており、種類によっては左右の耳の大きさや位置が違い立体的に音を認識することが出来る。
林立する木々を抜けたあと何もないところを走っていたが今度は先に家が見えだした。
こんな所に地下と呼ばれるところがあるのだろうか、と疑いの目を上空に向ける。 と、キョウゲンが下降してきたのが見えた。
紫揺の走らせる馬と並ぶ。
「馬を止めよ」
「は!? 連れて行かないっていうの!」
「違う。 いいから一旦馬を止めよ」
紫揺が口を歪めると馬を止めた。
マツリが跳び下りる。 その肩にキョウゲンが乗った。
「どういうこと!」
「大声を出すな。 俺がここに居るのをあまり知られたくない。 いいかよく聞け」
と説明を始めた。
これから先はキョウゲンだけが紫揺の道案内をし剛度の家に向かう。 そこで剛度の女房に男の衣装に着替えさせてもらえということだった。 女房はキョウゲンを見ただけでマツリが関係していると分かるはずだと。
「どうしてそんなことをしなくちゃいけないのよ」
「地下にそのような衣装で入るとすぐに剥がされる」
皮で出来た筒ズボンにサラサラの上衣。 ハッキリ言って絹で出来ている。
そういうことかと、紫揺が納得する。
「どうして男の服?」
「地下の者がお前を女と知ったら何をするか想像くらい出来るだろう」
「・・・」
―――コイツ、そんなことを考える奴だったのか。
そんなことというのを具体的には知らないが、ろくでもない事なのは漠然と知っている。
「私が着替えている間に一人で地下に行こうなんて考えてないでしょうね」
そんなことをしたら俤の名を大声で呼んでやる、そう言って脅しておいても損はないだろう。 紫揺が口を開きかけた時、先にマツリが言う。
「そんなことをすればお前は俤の名を大声で呼ぶとでも言うだろう」
当たりだ。 何故当たったのだろうか。 紫揺が口をひん曲げる。
「一刻を争う。 早く行け」
キョウゲンがマツリの肩から鞍の前に飛び移った。 紫揺の肩に止まってしまえばキョウゲンが目立ってしまうし、なによりマツリの肩巾ほどもない。 いかにも止まりにくそうだ。
キョウゲンが百八十度首を捻ってこのまま真っ直ぐに走らせるようにと言う。
宮を出てくる前の会話があったからこそ、こうすることが出来た。
ロセイが紫揺に問われ返事をしていた。 それを思うと事前にキョウゲンと紫揺の会話が成り立つかもしれないと知っていなければ、キョウゲンが紫揺に言われたことに返事をしているのを聞いた時点で時が止まっていたかもしれない。
紫揺が馬の横腹を蹴った。 自分がノロノロしていてその間に俤に何かあってはと心が逸る。 自分がこんな我儘を言わなければ、もうマツリ一人で地下に行けていたかもしれないのだから。
我儘では終わらせない。 必ず俤を救う。 マツリがあれ程顔色を変えていた相手なのだから。
家々からは人が出入りしているのが目に入る。
どこかの畑から取ってきたのか、それともどこかにある市場から買ってきたのか、野菜を竹籠に入れて運んでいる女。 家の修理か、戸に木槌をあてている男。 外で遊んでいた子供たちが紫揺の走らす馬があげた砂埃を手で払う。 それが遊びのように、きゃあきゃあ言いながら楽しんでいる。
キョウゲンが何度も顔を後ろに捻じって方向やスピードの指示を出す。
「キョウゲンはそれ以上小さくなれないの?」
「これが本来の私の大きさです。 マツリ様の為に大きくはなれますが本来の大きさより小さくはなれません」
「そうなんだ」
マツリがあまりここに居るのを知られたくないと言っていた。 それではキョウゲンも同じだろうと考え、小さくなれるのなら懐にでも入れようと思っていたが無理なようだ。
もとより、そんなことをすると紫揺が言えばキョウゲンは飛んで逃げるだろうが。
「左前に見える家、戸が開いているのが剛度の家です」
左前に見える数軒の木造の家で戸が開いているのは一軒しかない。 紫揺が頷き、馬の足を緩めて開いている戸の前まで馬を歩かせる。 馬から跳び下り手綱を持ったまま開いている戸を覗き込んだ。 すると中から子供の声が聞こえる。
覗き込んだ家はすぐに正面に向かって長細い土間が見え、そこにはきちんと揃えられた履物がある。 子供の履物が三足と大人の履物が二足。
土間は玄関の戸と同じ大きさくらいの幅があり、その向こうには暖簾のような物がかかっている。 台所になっているようだ。 左に上がり口と部屋があり、そのまま奥の部屋に続いているのだろう。
「すみません、剛度さん、いらっしゃいますか?」
パタパタと走ってくる音がする。 左手の部屋から土間に男の子が跳び下りてきた。 五、六歳だろうか。
この子のお兄ちゃんの服を借りるのか。 それじゃあせいぜい十歳か十一歳くらいではないか。 自分はその倍以上生きているというのに。
祖母の先代である先代紫の服を借りた時は、先代紫が十一歳の時の服だったが、今は十一歳の服では無理だ。 と、考える紫揺だが、他から見てこの二年程でそんなに変わったようには見えない。
「これ、十基(じゅうき)、裸足で下りるんじゃないってば」
追ってきた女が履き物をはき少年を抱き上げ紫揺の方を見た。 見たこともない衣装を身に付けている。
「どちらさんで?」
その声に羽音もさせず、すっとキョウゲンが家の中に飛んできて土間に置いてあった背の低い棚の上に乗った。
「あれ? マツリ様の・・・」
特徴のある羽色を持つキョウゲンに目をやると、その目を紫揺に戻す。
「突然にすみません。 お願いがあってきました」
そこまで言うと部屋の奥から声が聞こえた。
「マツリ様がいらしたのか?」
女の声が聞こえたのだろう、奥の部屋から出て来て正面に見えるキョウゲンを見るとてっきりマツリが来たと思った剛度が、左の部屋から顔を出した。
「あ!」
見知った見張番の顔がそこにあった。
「こりゃ、紫さま、どうなさいました」
土間を下りると紫揺が手綱を持っているのが目に入った。 紫揺から手綱を受け取ると家の外に立ててある手綱かけに手綱をかける。 見張番の家には手綱かけが必ずある。
手綱をかけ、外から戻ってきた剛度が紫揺に問う。 たとえキョウゲンと一緒だったと言っても東の五色が一人で本領の中を歩くのは考えられない。
「で? どうなさいました?」
偶然にも今日剛度は夕陽の番だった。
キョウゲンを知っている女房に言ってもいいが、どこか疑われても困る。 そう思うと自分のことを知ってくれている者がいてくれてラッキーである。
「突然で申し訳ありませんが、急ぎお願いがあります」
そう言うと、マツリから言われたことを剛度に聞かせた。
「マツリが離れた所で待ってます。 急なことですみません、急いでもらえないでしょうか」
「おい、聞いただろ。 紫さまに着られるくらいの衣を用意しな」
剛度が女房に言う。
女房が十基を下すと走って部屋の奥に消えていった。
それにしても。 いま紫揺はマツリと言った。 マツリ様ではなく。 それに今回紫揺が本領に来た時にはマツリがずっと付いていた。 他の領土の五色に対してもだが、今までそんなことは一度も無かった。 どういう関係なのだろうか。
「もしかして地下に入るんですか?」
どういう関係かは分からないが、五色である以上、疑う相手ではない。
「え?」
「ああ、言わなくてもいいです。 安心してください。 マツリ様から地下の話は聞いております。 ただ、もし地下で危ない目に遭いそうになったら、共時ってのを頼って下さい。 アイツなら何とかしてくれます」
「キョウジ、さん?」
「はい。 まぁ、地下に落ちてはしまいましたけど、面倒見がいいって言うか根が悪い奴じゃないんで」
「キョウジって言う名は、本領には多いんですか?」
「共時ってのは、共の時って書くんですけど、本領で考えるとまぁ、違う字もあったりしてそう珍しくはありませんがこの宮都では珍しいですかね」
「ミヤト?」
「ええ、宮のあるここら辺りを宮都と言います」
東南と南に岩山を置き、南と東を除く宮都の周りに一都(ひと)二都(ふと)三都(みと)四都(よと)とある。 またその周りに五都(いつと)から八都(やと)まであり、それが続いて六重になっていて、その先が辺境になっている。 そして辺境も含めて本領と言う。
「宮都もそうですが地下に居る者では共時ってのは、そうそう居るもんじゃないと思いますがね」
剛度の言う共時が気になる。 もしさっきの男と同一人物なのならば、怪我のことを伝えなければいけないのではないのだろうか。
そこで共時と名乗る男の風貌を剛度に尋ねた。
「え? そりゃ共時に違いない。 っち、間の悪い。 地下から出てきやがったんですか」
「すごい怪我をされてました。 私の前後を走って下さっていた見張番さんが共時さんを運んでくれているはずです」
そうマツリに言い置いたのだから間違いないだろう。
「共時が怪我を?」
地下で何か下手を踏んだのだろうか。
俤を助けるためにとは言えない。 マツリが剛度にどこまで言っているのかが分からないのだから。
「百藻たちはどこに共時を運ぶって言ってました?」
「あ、すみません。 マツリに共時さんのことを見張番さんに頼むように言っただけですから何処とは・・・」
そこに女房の声が入ってきた。
「アンタ、用意が出来たよ。 これくらいのがいいだろう」
「こちらこそ。 要らんことを訊きました」
そう言うと後ろを振り返って部屋に入ってきた女房を見る。 その女房が孫の服を広げて見せている。
「ちっと、大きくないか?」
「大きいくらいの方がいいのさ。 ほら、胸も誤魔化せるしさ」
紫揺が断崖絶壁に手を当てた。 その心配は要らないような気がするが、絶壁女子としてそう言ってもらえるのは嬉しい。
「紫さまって、仰いましたか。 どうぞ上がって下さい。 奥の部屋で着替えなさって下さいまし」
「有難うございます。 お邪魔します」
奥の部屋の中に入って行った二人を見送る剛度。 顔を土間に戻すと紫揺の長靴を見て小首を傾げる。
「この長靴じゃすぐに剥ぎ取られるか」
土間に下り似たサイズの履き物を探す。 汚して帰って来る孫の履き物の替えならいくらでもある。
探しながら考える。 それにしても話が見えない。 百藻たちが紫揺の前後を走っていたのなら岩山に向かっていたはずだ。 それなのにどうして地下なのか。 それにさっきも考えたがマツリと紫揺の関係が分からない。
棚に止まるキョウゲンを見たが教えてくれるはずもないだろう。
「剛度!」
マツリが驚いた目を向ける。
「地下に行かれるんでしょう?」
喋ったのかという目を紫揺に向ける。
「紫さまは何も言っておられません。 ですが五色様にこのような衣を着せるということはそれしかないでしょう」
暗にあんな話の後なのだからと、ニヤリと剛度が笑う。
「マツリ、共時さんは?」
「宮に連れて行かせた」
それがどうしたという目を紫揺に向ける。
すると何故か剛度が頷いた。
「剛度さんと共時さんは知り合いだって」
「え?」
「地下で何かあったら共時さんを頼るようにって言ってくれたから、共時さんの怪我のことを話した」
「そうか、知らなかった」
「いやぁ、酒場での顔見知りってくらいで深い付き合いじゃないんですけどね、共時のことはあとで百藻に訊きます。 それより急いでおられるんでしょう、地下迄お供します。 馬を地下の外に放っておくわけにはいきませんのでな」
そうか、とマツリが溜飲を下げた。 よく考えるとこの馬は見張番の馬だったのだ。 地下の外に繋いでおいても誰に持って行かれるか分かったものではない。
「悪いな」
「これくらい知れたもんです」
キョウゲンが紫揺の乗る鞍から飛び上がり縦に円を描く。 マツリが地を蹴った。
「それじゃあ、行きましょうか、俺が後ろを走ります。 紫さまはキョウゲンを追われて下さい」
紫揺が頷き馬の横腹を蹴った。
少し走るとすぐに剛度が紫揺に感心した。
「こりゃこりゃ、うちの番に欲しいな」
初めて紫揺が来た時には馬に乗れなかった。 それから二年も経っていない。
紫揺を前に座らせた見張番の瑞樹(みずき)からは、紫揺が馬に乗れるようになりたいそうだ、ということを聞いていたし、その後にやって来た時には百藻からも紫揺の走りの良さは聞いていたが、ここまでとは思ってもいなかった。
馬を走らせる専門家から見ても紫揺の走りはいいらしい。 阿秀の功績だろうか。
「なかなかに早く走らせておりますが如何いたしましょう」
紫揺のスピードに合わせてキョウゲンが飛んでいるが、このまま走れば地下に着くまでに馬がばてるかもしれない。
「地下がどこにあるか分からんだけに走らせればそれで良いと思っているようだな」
下を見ると紫揺も丁度こちらを見上げてきた。
マツリの胸がドクンと撥ねる。
(なんだ!?)
心臓が大きく、そして早鐘のように脈打つ。 全く治まる様子がない。 胸に何かが刺さった時にはすぐに収まるのに。
ギュッと胸元を掴む。
キョウゲンが何度も瞬きをする。
馬から下りた紫揺と剛度。 剛度が袈裟懸けにしていた袋から履き物を出した。
「汚いですけどこちらにお履き替え下さい。 その長靴ではすぐに剥がされますんで」
洗ってはあるようだが長年履いていた汚れが蓄積されている。
「あ、有難うございます」
慌てて長靴を脱ごうとした時に足元が悪かったからか、紫揺がよろめいた。 すぐに剛度が紫揺を支え脱ぎ終えた長靴は剛度が預かり袋の中に入れた。
そのやり取りを見ているマツリ。
「懐の中の物は落としていませんな?」
「はい」
剛度の目が紫揺からマツリに移された。
「今日中に出てこられますんで?」
マツリを見て言っているというのにマツリからの返事がない。 斜め下に目を向け紫揺の姿を見ているようだが、その目に紫揺が映っているようにも見えない。
「マツリ様?」
剛度の様子に気付いた紫揺がマツリを見る。
「マツリ? どうしたの?」
そう言っても返事がない。 紫揺がマツリの目の前で手を横に振る。
「マツリ、しっかりしてよ!」
「マツリ様」
耳元でキョウゲンの声が聞こえた。
「え?」
「如何されました?」
あれ? と紫揺が思う。 主と供は共鳴しているのではないのか? マツリのことなら何でもキョウゲンは分かるのではないのか? マツリがキョウゲンを知る以上に。 そうシキから聞いている。
「ああ、なんでもない」
そう言うと剛度に向き直る。
「わざわざ悪かったな」
「明るい内に出てこられますんで?」
言葉を変えて再度訊く。
「出来ればそうしたいが、どうなるかは分からん」
「では一旦馬を連れて帰ります。 夜になるようでしたら光石も要りましょうし、お帰りの時にはまたお知らせください」
「ああ、今日は夕陽の番だな」
「はい、陽が落ちるまでは岩山に居ます。 その後は家に。 明日も夕陽の番です。 万が一のために百藻と瑞樹には言っておきます。 宜しいですか?」
百藻と瑞樹は紫揺の前後を走っていた者だ。 共時を宮に連れて行けば見張番に戻ってくる。
剛度はこの二人に信用を置いているようだ。
マツリが頷く。
「再々悪いな」
「これくらいでそんなことを言わないで下さい。 それじゃ、くれぐれもお気をつけて。 紫さまも十分お気を付けください」
「はい。 有難うございました」
剛度が馬に跨るともう一頭の手綱も持って走り出した。
「わ、すごい」
今度はあれの練習をしよう、と緊張感のない紫揺が考える。
「うん? どうした? 阿秀」
「あ、いえ。 何か背中に悪寒を感じたんですが・・・気のせいでしょう」
「そうか? 気のせいならいいが、紫さまの居られない内に体調を整えておけよ」
「はい」
「おい、なんか今、寒気がしなかったか?」
「した」
即答したのは塔弥であった。
他の者も我が身を抱えるようにし、怖気(おぞけ)に耐えている様子だ。
東の領土では急に得体のしれない寒気がお付き達だけに蔓延したようであった。