『国津道(くにつみち)』 目次
『国津道』 第1回から第30回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。
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- 国津道(くにつみち)- 第39回
朝食の用意をしていると祐樹が起きて来た。
「お早う」
「オハヨ。 お休みなのに早いんだね」
祐樹の言うとおりである。 祐樹が来ていても休みの日には少々寝坊をしていた。 社に行く以外は。
チラリと祐樹を見た詩甫が手を動かしながら言う。
「山に行こう」
「え?」
「上らない約束できる?」
「え?」
「ご挨拶に行く?」
祐樹の顔が満面の笑みに変わっていく。
「うん!」
「顔洗っておいで」
「うん!」
電車を乗り継ぎ、タクシー乗り場に向かった。 供え物も花も持っていない。
タクシーを待っていると一台のタクシーが入ってきた。 自動的にドアが開かれる。
「お久しぶりで」
タクシーの運転手からそんな声が聞こえた。
「あ、運転手さん」
浅香と詩甫に大蛇のことを教え、順番にタクシー代を支払えばと提案してくれた運転手であった。
「今日は兄さんと時間差行動?」
別行動ではなく、時間差行動とはどういう意味だろうか。
「え?」
「走ってた時にチラッと見えたんだけど、兄さん歩いてたからさ」
「え? どこを歩いていました?」
「多分・・・ホームセンターに行ったんじゃないかな、凜魁(りんかい) 高校のグラウンドを過ぎかかってたし」
詩甫と祐樹が目を合わせる。
「どれくらい前ですか?」
「うーん・・・お嬢さんたちの一台前だろな」
詩甫たちが此処に来る一台前、詩甫たちはいつも乗る電車に乗ってやって来ていた。 その前となると乗り継ぎに無駄な時間を要する。 それを選んででも浅香は乗ってきたのか。 きっとホームセンターの開店時間に合わせたのだろう。
「一旦、ホームセンターまでお願いします」
詩甫がすぐにスマホを手に取る。
何度目かのコールで浅香が出た。
『はい、浅香です』
「野崎です。 今どこですか?」
『え?』
詩甫に伝えることなくここに一人でやって来ていたのに、その訊き方はどういうことだろう。 まるで浅香がこの地に居るのを知っているかのようだ。
「今、タクシーの運転手さんから、浅香さんがホームセンターの方に歩いていたらしいって聞いたんですけど」
『え? こっちに来られてるんですか?』
浅香は “こっち” と言った。 間違いなくこの地に居るのだろう。
「はい、祐樹と一緒に。 今どこですか?」
『ホームセンターです』
「お社に行くんですか?」
運転手が耳を傾ける。
『・・・はい、そのつもりです。 それに行かなければ曹司と接触できないんで』
とは言っても先週来た時には接触できなかったが。
そういう理由でここに来たのか。
「今そちらに向かっています。 お買い物は終わりました?」
何を目的に何を買ったのだろうか。
『いや、まだです。 思うようなモノが無くて』
それならばタクシーにいったん帰ってもらおう。
「すぐに着きます。 合流させてください」
合流・・・浅香が声なく笑う。
『入り口で待ってます』
声なく笑った浅香の顔が通話を切った途端厳しいものになった。
スマホを耳から外すとすぐに祐樹が訊いてきた。
「浅香が来てるの?」
うん、と応えると運転手に言う。
「すみません近場で。 ホームセンターまででも宜しいですか?」
「そんなことは気にしなくていいよ。 社に行くの?」
「はい」
祐樹が一瞬目を輝かせたが、詩甫を社に連れて行きたくはない。 社どころか山の中にさえ。
「姉ちゃん・・・」
「取り敢えず、浅香さんと合流しよう」
運転手が首を傾げる。 兄さんとこのお嬢さんは彼氏と彼女ではないのか? どうして同じ目的の場所に来ているのにお互いの行動を知っていないのだろうか。
(やっぱり単なる社サークルってのの、先輩と後輩なのかなぁ?)
タクシーが駐車場の中に入りホームセンターの入り口前に止まる。
すぐ目の前に浅香が立っている。
有難うございます、と言って料金を払っている間に祐樹が浅香に走り寄っていく。
「なに? 浅香、まだ何も買ってないの?」
浅香はいつも通りに手ぶらだった。
「うん、思うモノが見つからなくてね」
「ふーん、何を探してんの?」
詩甫が浅香と祐樹の元に歩き出した。 それを見送ったタクシーの運転手がアクセルを踏む。
「若いっていいねー」
兄さんとお嬢さんが彼氏彼女でなくとも、自分の青春時代を思い出す。
「だが・・・コブはどうなんだろうかな」
自分の青春時代にコブはなかった。
コブとは祐樹のことである。
詩甫が浅香の居るところまで歩み寄ると、それまで祐樹に向けていた目を詩甫に転じた。
「社に行かれようとしていたんですか?」
浅香の声は厳しかった。 詩甫の身に何があるか分からないのだから。
「浅香、違う」
浅香への返事は祐樹からであった。
「姉ちゃんは行っちゃいけないって言ってたんだ。 でもオレが社の様子を見たいとか色々言ったんだ」
「祐樹」
「姉ちゃんは黙ってて、オレが言ったことを浅香に説明するんだから」
浅香が頬を緩める。
「その色々って何なんだろうかな?」
「姉ちゃんが行っちゃいけないって言ったから、お社にも行かないし山の中の中にも入んないって言ったんだ。 だから、それを姉ちゃんと約束したから連れて来てくれた」
浅香が眉を上げる。
では何のために来たのだろうか。 それに山の中の中とはどういうことだろうか。
「じゃ、祐樹君は何をしにここに来たのかな?」
「ずっと来てなかっただろ? だから階段の下から大きな声でお社とご供養石にご挨拶をする為」
そういうことか、山の中の中とはそういう意味だったのか。 きっと階段を上がれば山の中の中になるのだろう。
浅香が相好を崩す。
「そっか」
「姉ちゃんを責めんなよ」
「そんなことしないよ」
「さっき怖い顔してたじゃないか」
祐樹、と詩甫が止めると続けて言う。
「あの、浅香さんごめんなさい、勝手に来ちゃって」
祐樹が言うようにさっきの浅香の顔は厳しかった。 浅香にあんな顔が出来るのかと思ったほどだった。 でもそれは、それだけ心配をかけてしまったということ。
「いえ、こちらこそ。 怖い顔をしたみたいで。 僕から一言かければよかったですね。 珍しいですね」
そう言って詩甫の上着を指さす。 今日はウールのコートではなくダウンジャケットであった。
やはりウォーキングシューズのことを考えて購入していた。
買っちゃいました、と返事をしてから話を元に戻す。
「昨日の夕方、急にこんな話になって。 それでその時は駄目って言ってたんですけど、祐樹の言う通りだなと思って急に今朝来ることにしたんです」
「なに? オレの言うこと?」
詩甫が祐樹を見る。
「うん、聞こえないかもしれないけどご挨拶をするってこと。 それって大切だなと思ったの」
「さっき祐樹君が言ってたことですね」
「はい」
「で? 浅香は何を買いに来たの? オレが見つけてやるよ。 お社に持って行くものなんだろ?」
こんな所で買おうとしているのだ、社に持って行くものだろう。
「うーん、それがねぇー、無いみたいだ」
何十分も探していたのだ。 祐樹にも見つけられないだろう。
「店員さんに訊かれたんですか?」
「それがオープンしてすぐだからなのか、田舎だからなのか、レジにも店内にも店員が誰も居ないんですよ」
と、そう言った浅香の肩に誰かがぶつかった。
「あ、すみません」
ぶつかってきた相手に振り向くと、浅香より十センチほど身長が高い。 その上かなりのハンサムだ。 だが浅香より若い顔付き。 凜魁高校生だろうか。
「いえ、こちらこそ」
入り口に立っていた浅香たちが悪いのだろう。
「ここじゃ邪魔になりますから行きましょうか」
「だから、浅香は何を探してんだよ。 オレが探してやるって」
「あー、そうだった。 荷物忘れてた、って、レジがまだだったんだ・・・じゃ、無いと思うけど違う目で探したら見つかるかな」
「おう、まかせろ」
「まずは入ろう」
入り口を入ると、ちょっと待っててくださいと言って浅香が隅に足を向けた。 そこには買い物籠とビニールの袋が置かれていた。
籠と袋を持って戻ってくると、籠には既にいくつかの工具が入っていてビニールの袋には空のペットボトルが入っている。
「え、まさか?」
工具から何をしていようとしていたのかが想像できる。
「ええ、僕たちが足踏みをしている間に社が傾きでもしたらって思って。 でもまぁ、そこまで修理できませんけどね。 完全に僕の専門外ですから」
浅香が言うには先週も見に来たらしい。 その時に社の足元、基礎部分となっている石が崩れてきていたのを見たということであった。
籠の中にはセメントの粉袋が一袋と小さめのタライ、他に金槌や釘、木切れも入っている。
詩甫が首を振る。
「駄目ですよ! 万が一のことがあったらどうするんですか!」
さっき浅香にぶつかった男子高校生らしき青年がカートを押してきたが、声を大きくする詩甫を驚いて見た。
浅香が言ったようにのんびりとしている店なのだろう。 カートも前に出していないようだった。 都会では考えられない。 どんな苦情が来るかしれないし、万引きだって簡単に出来てしまう。 だがそんなことも考えないのだろうか。 それ以前に万引きも苦情も無いのだろうか。 現に男子高校生らしき青年は当たり前のように自分でカートを取りに行っていたようなのだから。
浅香が驚いた目をして足を止めた男子高校生に軽く頭を下げると、すぐに詩甫も気付いて「すみません」 と頭を下げた。
つられたのか返事の代わりなのか、男子高校生らしき青年も頭を下げ店内に入って行った。 片手には紙を持っていた。 買い忘れの無いようにきっと買い出しのメモが書かれてあるのだろう。
「僕には秘密兵器があるんですよ? お忘れですか? 野崎さんの秘密兵器ほど役には立たないかもしれませんけど」
「え? 私の靴より? そんなんじゃ―――」
「あ! 曹司だ!」
「祐樹君、正解。 曹司に見張らせておきますからまずは大丈夫でしょう」
「それなら姉ちゃんもお社に行ける?」
「うーん、曹司って気紛れだしなぁ。 急にどこかに行くかもしれないし、野崎さんは完全に狙われてるからねぇ」
「そっか・・・そうだよな」
祐樹とて詩甫にもう怪我は負わせたくない。
「で? 何が見つからないの?」
「コテ」
浅香が籠の中から一つのコテを出した。
「これの細いタイプ」
「よし、まかせろ」
祐樹が中に走って行った。
「浅香さん・・・」
祐樹を見送った浅香が詩甫に振り返る。
「先週は会えなかったんですけど、今日は見張をさせるために絶対に見つけます。 いい加減な曹司ですけど大丈夫です。 曹司の気分次第ってこともありますから、あまり時間をかける気もありませんので、しっかりと補強できるかどうかも分かりませんけど」
「私がグズグズしてたから、すみません」
「野崎さんのせいじゃありませんよ。 僕たちにだって仕事があるんですから」
詩甫は期末に入り、当分会社が忙しくなると浅香に連絡を入れていたが、忙しくなくとも解決策を見い出せてはいなかった。
「僕たちが動くと祐樹君が迷子になるかなぁ」
きっと祐樹は見つけられなくとも見つけようとも、この場所に戻ってくるだろう。
そう言った浅香の横をカートを押していた男子高校生らしき青年がすり抜けて行った。 スマホを耳に充てている。 会話が終わったのか、すぐにスマホを耳から外した。 カートには既に色んなものが入っていた。 このホームセンターの置き場を熟知しているらしい。
入口に立って誰かを待っているようだ。 すこしすると女の子が走ってやって来た。 男子高校生が手を上げて迎えている。
「星(せい)ちゃん!」
「思いの外早かったから迎えに行けなかった、ごめん」
「うううん、私が早く着きすぎちゃったから」
「駅で待ってれば迎えに行ったのに」
「これくらい何ともないよ。 星ちゃんがよく話していたし、駅員さんに聞いてすぐにわかったから。 大学合格おめでとう」
バッグから出した可愛く包装されている箱を手渡した。
「わっ、ありがとう。 なんだろ?」
重さがないし、可愛く包装されている中身には細長い箱が入っているようだ。
「万年筆。 お小遣い貯めて奮発しちゃった」
「そんなに気を使わなくてもよかったのに」
「だって星ちゃんの夢が叶ったんだもん。 それとこっちは遅ればせのバレンタインチョコ。 手作りよ」
「ありがとう」
照れ臭そうに受け取る姿が初々しい。
「買い物終わった?」
女の子がカートに手をかけていた男子高校生の腕に手を回した。
その様子を見て浅香と詩甫が目を合わせる。 女の子の方が積極的なようだ。 大人びた服を着て確かに美人だがまだ幼い顔をしている。 その幼い顔に化粧を施して、耳のイヤリングは中高生が買いに行く店の物だろう。
背伸びをしてこの男子高校生らしき青年・・・いや、さっき「大学合格おめでとう」 と言っていた。 時期を考えると高校の卒業式はもう終わっている。 だから今は高校生ではない青年、彼氏に背伸びをして合わせているという感じを受けなくもない。
知らず浅香と詩甫が二人の様子を見ていた。
青年である彼氏が歩きだし、女の子も一緒に店の中に入ってきた。
「あと少し。 爺さんがまとめて買って来いって言うもんだから。 小さいコテが見つからないんだよな」
浅香がカートの中をチラリと覗くと浅香が購入しようとしている物と似たような物が入っていた。
「あの!」
まさかと思って浅香が声をかけた。 この星ちゃんと呼ばれた青年はさっき “爺さん” と言っていた。 きっと地元の人間なのだろう。 それにカートの中の内容。
青年と女の子が足を止める。
「はい?」
「それってもしかして・・・お社の修理、ですか?」
充分に社会人と見える浅香が高校を卒業したばかりの相手に丁寧な言葉使いをしている。 呼び止められたとてその内容が何だとて、その言葉一つで気の悪いものではない。
「お社?」
「星ちゃん、知ってる人?」
「いや、知らないけど・・・」
星ちゃんと呼ばれた彼氏が浅香の持つ籠の中を見ると同じような物が入っている。
社や祠なら神主や土地の者が修理をする。 現に今揃えている材料はその為である。 だが見たこともない顔だ。 それに一つだけ誰も修理をしない社がある。
「あの、もしかして社って山の中の社のことですか?」
浅香が「ええ、そうです」 と頷きながら答える。
「この土地の人じゃないですよね?」
「ええ」
「あの社には行かない方がいいですよ」
ということは、社の修理のために揃えた道具では無いのだろうか。
「これは祠の修理の為です。 あの社には近づかない方がいいです。 土地の者さえ近づかないんですから」
「大蛇が出るから?」
青年が一瞬にして顔を歪めた。
既に高校を卒業もしているのにこんな表情を見せるほどにこの話は浸透しているのか。
女の子は見た目と違って場をわきまえる能力があるのだろう、最初に知っている人かどうか訊いただけで口を挟むことなくずっと黙って話を聞いている。
「どうしてそれを? 土地の者しか知らないはずですけど」
「ええ、ちょっとした切っ掛けで耳にしま―――」
まで言うと祐樹が上げた手に何かを持ち、それを振りながら走ってやって来た。
「浅香ー! これでどうだー?」
浅香が工具の所を探して無いと言っていたのだ、祐樹が探しても見つからないだろう。 だから目線を変えた。
「あ? え? なにこれ?」
祐樹から受け取ると “工作” と書かれていた。
「粘土の工作の時に使うやつ」
少し角度のついたヘラであった。 浅香も目先を変えてヘラを探したが、工具の所には品切れだったのか、ヘラと書かれていても何もぶら下がっていなかった。
祐樹の持ってきたヘラは工作用具にしてはしっかりとしている。
「おお、充分役に立つ。 コテの代わりになるよ」
「コテの代わり?」
青年が言った。
「ええ、君もさっき言ってたみたいだけど、小さいコテが見つからなくてね、代わりになる物を見つけてくれたみたい」
青年の陰になっていた女の子が覗き込もうとした時、入口から声がかかった。
「星亜」
青年が入口を振り返ると知った顔が立っていた。
「兄ちゃん」
「爺さんがまだかって。 歳を取ると待つってことが出来ないんだから」
浅香と詩甫が入口に目を向ける。
「え―――!?」
という声が、四人から同時に上がった。 そして次にまた同時にそれぞれが違う名を呼んだ。
「祐樹!?」
「優香ちゃん!」
「詩甫ちゃっ」
「座斎さん・・・」
聖徳太子になれない浅香と青年が取り残された。
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- 国津道(くにつみち)- 第39回
朝食の用意をしていると祐樹が起きて来た。
「お早う」
「オハヨ。 お休みなのに早いんだね」
祐樹の言うとおりである。 祐樹が来ていても休みの日には少々寝坊をしていた。 社に行く以外は。
チラリと祐樹を見た詩甫が手を動かしながら言う。
「山に行こう」
「え?」
「上らない約束できる?」
「え?」
「ご挨拶に行く?」
祐樹の顔が満面の笑みに変わっていく。
「うん!」
「顔洗っておいで」
「うん!」
電車を乗り継ぎ、タクシー乗り場に向かった。 供え物も花も持っていない。
タクシーを待っていると一台のタクシーが入ってきた。 自動的にドアが開かれる。
「お久しぶりで」
タクシーの運転手からそんな声が聞こえた。
「あ、運転手さん」
浅香と詩甫に大蛇のことを教え、順番にタクシー代を支払えばと提案してくれた運転手であった。
「今日は兄さんと時間差行動?」
別行動ではなく、時間差行動とはどういう意味だろうか。
「え?」
「走ってた時にチラッと見えたんだけど、兄さん歩いてたからさ」
「え? どこを歩いていました?」
「多分・・・ホームセンターに行ったんじゃないかな、凜魁(りんかい) 高校のグラウンドを過ぎかかってたし」
詩甫と祐樹が目を合わせる。
「どれくらい前ですか?」
「うーん・・・お嬢さんたちの一台前だろな」
詩甫たちが此処に来る一台前、詩甫たちはいつも乗る電車に乗ってやって来ていた。 その前となると乗り継ぎに無駄な時間を要する。 それを選んででも浅香は乗ってきたのか。 きっとホームセンターの開店時間に合わせたのだろう。
「一旦、ホームセンターまでお願いします」
詩甫がすぐにスマホを手に取る。
何度目かのコールで浅香が出た。
『はい、浅香です』
「野崎です。 今どこですか?」
『え?』
詩甫に伝えることなくここに一人でやって来ていたのに、その訊き方はどういうことだろう。 まるで浅香がこの地に居るのを知っているかのようだ。
「今、タクシーの運転手さんから、浅香さんがホームセンターの方に歩いていたらしいって聞いたんですけど」
『え? こっちに来られてるんですか?』
浅香は “こっち” と言った。 間違いなくこの地に居るのだろう。
「はい、祐樹と一緒に。 今どこですか?」
『ホームセンターです』
「お社に行くんですか?」
運転手が耳を傾ける。
『・・・はい、そのつもりです。 それに行かなければ曹司と接触できないんで』
とは言っても先週来た時には接触できなかったが。
そういう理由でここに来たのか。
「今そちらに向かっています。 お買い物は終わりました?」
何を目的に何を買ったのだろうか。
『いや、まだです。 思うようなモノが無くて』
それならばタクシーにいったん帰ってもらおう。
「すぐに着きます。 合流させてください」
合流・・・浅香が声なく笑う。
『入り口で待ってます』
声なく笑った浅香の顔が通話を切った途端厳しいものになった。
スマホを耳から外すとすぐに祐樹が訊いてきた。
「浅香が来てるの?」
うん、と応えると運転手に言う。
「すみません近場で。 ホームセンターまででも宜しいですか?」
「そんなことは気にしなくていいよ。 社に行くの?」
「はい」
祐樹が一瞬目を輝かせたが、詩甫を社に連れて行きたくはない。 社どころか山の中にさえ。
「姉ちゃん・・・」
「取り敢えず、浅香さんと合流しよう」
運転手が首を傾げる。 兄さんとこのお嬢さんは彼氏と彼女ではないのか? どうして同じ目的の場所に来ているのにお互いの行動を知っていないのだろうか。
(やっぱり単なる社サークルってのの、先輩と後輩なのかなぁ?)
タクシーが駐車場の中に入りホームセンターの入り口前に止まる。
すぐ目の前に浅香が立っている。
有難うございます、と言って料金を払っている間に祐樹が浅香に走り寄っていく。
「なに? 浅香、まだ何も買ってないの?」
浅香はいつも通りに手ぶらだった。
「うん、思うモノが見つからなくてね」
「ふーん、何を探してんの?」
詩甫が浅香と祐樹の元に歩き出した。 それを見送ったタクシーの運転手がアクセルを踏む。
「若いっていいねー」
兄さんとお嬢さんが彼氏彼女でなくとも、自分の青春時代を思い出す。
「だが・・・コブはどうなんだろうかな」
自分の青春時代にコブはなかった。
コブとは祐樹のことである。
詩甫が浅香の居るところまで歩み寄ると、それまで祐樹に向けていた目を詩甫に転じた。
「社に行かれようとしていたんですか?」
浅香の声は厳しかった。 詩甫の身に何があるか分からないのだから。
「浅香、違う」
浅香への返事は祐樹からであった。
「姉ちゃんは行っちゃいけないって言ってたんだ。 でもオレが社の様子を見たいとか色々言ったんだ」
「祐樹」
「姉ちゃんは黙ってて、オレが言ったことを浅香に説明するんだから」
浅香が頬を緩める。
「その色々って何なんだろうかな?」
「姉ちゃんが行っちゃいけないって言ったから、お社にも行かないし山の中の中にも入んないって言ったんだ。 だから、それを姉ちゃんと約束したから連れて来てくれた」
浅香が眉を上げる。
では何のために来たのだろうか。 それに山の中の中とはどういうことだろうか。
「じゃ、祐樹君は何をしにここに来たのかな?」
「ずっと来てなかっただろ? だから階段の下から大きな声でお社とご供養石にご挨拶をする為」
そういうことか、山の中の中とはそういう意味だったのか。 きっと階段を上がれば山の中の中になるのだろう。
浅香が相好を崩す。
「そっか」
「姉ちゃんを責めんなよ」
「そんなことしないよ」
「さっき怖い顔してたじゃないか」
祐樹、と詩甫が止めると続けて言う。
「あの、浅香さんごめんなさい、勝手に来ちゃって」
祐樹が言うようにさっきの浅香の顔は厳しかった。 浅香にあんな顔が出来るのかと思ったほどだった。 でもそれは、それだけ心配をかけてしまったということ。
「いえ、こちらこそ。 怖い顔をしたみたいで。 僕から一言かければよかったですね。 珍しいですね」
そう言って詩甫の上着を指さす。 今日はウールのコートではなくダウンジャケットであった。
やはりウォーキングシューズのことを考えて購入していた。
買っちゃいました、と返事をしてから話を元に戻す。
「昨日の夕方、急にこんな話になって。 それでその時は駄目って言ってたんですけど、祐樹の言う通りだなと思って急に今朝来ることにしたんです」
「なに? オレの言うこと?」
詩甫が祐樹を見る。
「うん、聞こえないかもしれないけどご挨拶をするってこと。 それって大切だなと思ったの」
「さっき祐樹君が言ってたことですね」
「はい」
「で? 浅香は何を買いに来たの? オレが見つけてやるよ。 お社に持って行くものなんだろ?」
こんな所で買おうとしているのだ、社に持って行くものだろう。
「うーん、それがねぇー、無いみたいだ」
何十分も探していたのだ。 祐樹にも見つけられないだろう。
「店員さんに訊かれたんですか?」
「それがオープンしてすぐだからなのか、田舎だからなのか、レジにも店内にも店員が誰も居ないんですよ」
と、そう言った浅香の肩に誰かがぶつかった。
「あ、すみません」
ぶつかってきた相手に振り向くと、浅香より十センチほど身長が高い。 その上かなりのハンサムだ。 だが浅香より若い顔付き。 凜魁高校生だろうか。
「いえ、こちらこそ」
入り口に立っていた浅香たちが悪いのだろう。
「ここじゃ邪魔になりますから行きましょうか」
「だから、浅香は何を探してんだよ。 オレが探してやるって」
「あー、そうだった。 荷物忘れてた、って、レジがまだだったんだ・・・じゃ、無いと思うけど違う目で探したら見つかるかな」
「おう、まかせろ」
「まずは入ろう」
入り口を入ると、ちょっと待っててくださいと言って浅香が隅に足を向けた。 そこには買い物籠とビニールの袋が置かれていた。
籠と袋を持って戻ってくると、籠には既にいくつかの工具が入っていてビニールの袋には空のペットボトルが入っている。
「え、まさか?」
工具から何をしていようとしていたのかが想像できる。
「ええ、僕たちが足踏みをしている間に社が傾きでもしたらって思って。 でもまぁ、そこまで修理できませんけどね。 完全に僕の専門外ですから」
浅香が言うには先週も見に来たらしい。 その時に社の足元、基礎部分となっている石が崩れてきていたのを見たということであった。
籠の中にはセメントの粉袋が一袋と小さめのタライ、他に金槌や釘、木切れも入っている。
詩甫が首を振る。
「駄目ですよ! 万が一のことがあったらどうするんですか!」
さっき浅香にぶつかった男子高校生らしき青年がカートを押してきたが、声を大きくする詩甫を驚いて見た。
浅香が言ったようにのんびりとしている店なのだろう。 カートも前に出していないようだった。 都会では考えられない。 どんな苦情が来るかしれないし、万引きだって簡単に出来てしまう。 だがそんなことも考えないのだろうか。 それ以前に万引きも苦情も無いのだろうか。 現に男子高校生らしき青年は当たり前のように自分でカートを取りに行っていたようなのだから。
浅香が驚いた目をして足を止めた男子高校生に軽く頭を下げると、すぐに詩甫も気付いて「すみません」 と頭を下げた。
つられたのか返事の代わりなのか、男子高校生らしき青年も頭を下げ店内に入って行った。 片手には紙を持っていた。 買い忘れの無いようにきっと買い出しのメモが書かれてあるのだろう。
「僕には秘密兵器があるんですよ? お忘れですか? 野崎さんの秘密兵器ほど役には立たないかもしれませんけど」
「え? 私の靴より? そんなんじゃ―――」
「あ! 曹司だ!」
「祐樹君、正解。 曹司に見張らせておきますからまずは大丈夫でしょう」
「それなら姉ちゃんもお社に行ける?」
「うーん、曹司って気紛れだしなぁ。 急にどこかに行くかもしれないし、野崎さんは完全に狙われてるからねぇ」
「そっか・・・そうだよな」
祐樹とて詩甫にもう怪我は負わせたくない。
「で? 何が見つからないの?」
「コテ」
浅香が籠の中から一つのコテを出した。
「これの細いタイプ」
「よし、まかせろ」
祐樹が中に走って行った。
「浅香さん・・・」
祐樹を見送った浅香が詩甫に振り返る。
「先週は会えなかったんですけど、今日は見張をさせるために絶対に見つけます。 いい加減な曹司ですけど大丈夫です。 曹司の気分次第ってこともありますから、あまり時間をかける気もありませんので、しっかりと補強できるかどうかも分かりませんけど」
「私がグズグズしてたから、すみません」
「野崎さんのせいじゃありませんよ。 僕たちにだって仕事があるんですから」
詩甫は期末に入り、当分会社が忙しくなると浅香に連絡を入れていたが、忙しくなくとも解決策を見い出せてはいなかった。
「僕たちが動くと祐樹君が迷子になるかなぁ」
きっと祐樹は見つけられなくとも見つけようとも、この場所に戻ってくるだろう。
そう言った浅香の横をカートを押していた男子高校生らしき青年がすり抜けて行った。 スマホを耳に充てている。 会話が終わったのか、すぐにスマホを耳から外した。 カートには既に色んなものが入っていた。 このホームセンターの置き場を熟知しているらしい。
入口に立って誰かを待っているようだ。 すこしすると女の子が走ってやって来た。 男子高校生が手を上げて迎えている。
「星(せい)ちゃん!」
「思いの外早かったから迎えに行けなかった、ごめん」
「うううん、私が早く着きすぎちゃったから」
「駅で待ってれば迎えに行ったのに」
「これくらい何ともないよ。 星ちゃんがよく話していたし、駅員さんに聞いてすぐにわかったから。 大学合格おめでとう」
バッグから出した可愛く包装されている箱を手渡した。
「わっ、ありがとう。 なんだろ?」
重さがないし、可愛く包装されている中身には細長い箱が入っているようだ。
「万年筆。 お小遣い貯めて奮発しちゃった」
「そんなに気を使わなくてもよかったのに」
「だって星ちゃんの夢が叶ったんだもん。 それとこっちは遅ればせのバレンタインチョコ。 手作りよ」
「ありがとう」
照れ臭そうに受け取る姿が初々しい。
「買い物終わった?」
女の子がカートに手をかけていた男子高校生の腕に手を回した。
その様子を見て浅香と詩甫が目を合わせる。 女の子の方が積極的なようだ。 大人びた服を着て確かに美人だがまだ幼い顔をしている。 その幼い顔に化粧を施して、耳のイヤリングは中高生が買いに行く店の物だろう。
背伸びをしてこの男子高校生らしき青年・・・いや、さっき「大学合格おめでとう」 と言っていた。 時期を考えると高校の卒業式はもう終わっている。 だから今は高校生ではない青年、彼氏に背伸びをして合わせているという感じを受けなくもない。
知らず浅香と詩甫が二人の様子を見ていた。
青年である彼氏が歩きだし、女の子も一緒に店の中に入ってきた。
「あと少し。 爺さんがまとめて買って来いって言うもんだから。 小さいコテが見つからないんだよな」
浅香がカートの中をチラリと覗くと浅香が購入しようとしている物と似たような物が入っていた。
「あの!」
まさかと思って浅香が声をかけた。 この星ちゃんと呼ばれた青年はさっき “爺さん” と言っていた。 きっと地元の人間なのだろう。 それにカートの中の内容。
青年と女の子が足を止める。
「はい?」
「それってもしかして・・・お社の修理、ですか?」
充分に社会人と見える浅香が高校を卒業したばかりの相手に丁寧な言葉使いをしている。 呼び止められたとてその内容が何だとて、その言葉一つで気の悪いものではない。
「お社?」
「星ちゃん、知ってる人?」
「いや、知らないけど・・・」
星ちゃんと呼ばれた彼氏が浅香の持つ籠の中を見ると同じような物が入っている。
社や祠なら神主や土地の者が修理をする。 現に今揃えている材料はその為である。 だが見たこともない顔だ。 それに一つだけ誰も修理をしない社がある。
「あの、もしかして社って山の中の社のことですか?」
浅香が「ええ、そうです」 と頷きながら答える。
「この土地の人じゃないですよね?」
「ええ」
「あの社には行かない方がいいですよ」
ということは、社の修理のために揃えた道具では無いのだろうか。
「これは祠の修理の為です。 あの社には近づかない方がいいです。 土地の者さえ近づかないんですから」
「大蛇が出るから?」
青年が一瞬にして顔を歪めた。
既に高校を卒業もしているのにこんな表情を見せるほどにこの話は浸透しているのか。
女の子は見た目と違って場をわきまえる能力があるのだろう、最初に知っている人かどうか訊いただけで口を挟むことなくずっと黙って話を聞いている。
「どうしてそれを? 土地の者しか知らないはずですけど」
「ええ、ちょっとした切っ掛けで耳にしま―――」
まで言うと祐樹が上げた手に何かを持ち、それを振りながら走ってやって来た。
「浅香ー! これでどうだー?」
浅香が工具の所を探して無いと言っていたのだ、祐樹が探しても見つからないだろう。 だから目線を変えた。
「あ? え? なにこれ?」
祐樹から受け取ると “工作” と書かれていた。
「粘土の工作の時に使うやつ」
少し角度のついたヘラであった。 浅香も目先を変えてヘラを探したが、工具の所には品切れだったのか、ヘラと書かれていても何もぶら下がっていなかった。
祐樹の持ってきたヘラは工作用具にしてはしっかりとしている。
「おお、充分役に立つ。 コテの代わりになるよ」
「コテの代わり?」
青年が言った。
「ええ、君もさっき言ってたみたいだけど、小さいコテが見つからなくてね、代わりになる物を見つけてくれたみたい」
青年の陰になっていた女の子が覗き込もうとした時、入口から声がかかった。
「星亜」
青年が入口を振り返ると知った顔が立っていた。
「兄ちゃん」
「爺さんがまだかって。 歳を取ると待つってことが出来ないんだから」
浅香と詩甫が入口に目を向ける。
「え―――!?」
という声が、四人から同時に上がった。 そして次にまた同時にそれぞれが違う名を呼んだ。
「祐樹!?」
「優香ちゃん!」
「詩甫ちゃっ」
「座斎さん・・・」
聖徳太子になれない浅香と青年が取り残された。