大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第14回

2019年01月25日 23時10分53秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第10回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第14回



毎日毎日、両親のことを考えている。 ニョゼが顔を見せてくれているその間は忘れているものの、ニョゼが居なくなるとすぐに両親のことを考えた。
考えようとして考えているわけではない。 涙が勝手に流れ、思い出す。
坂谷が何度も言ってくれた。 これは事故だったんだ、紫揺のせいではないんだ、と。
「まだそうとは思いきれないけど・・・」 
と、頭の片隅に年かさの事務員に言われた言葉が浮かんだ。
『ご両親に心配かけないように生きていこうね』 その時は心に引っ掛かりもしなかったのに。

「泣いていたらお父さんとお母さんが心配する?」 

そう思いながらもどこかで自分の考えを否定する。 自分が殺しておいて殺された両親が自分のことを心配なんかする筈ない。 枯れることを知らない涙がとめどなく溢れてきた。

頭の中で色んなことが錯綜する。 両親が慈しんで育ててくれた事、母親の一つ一つの言葉、父親の愛に溢れた手。 勿論、坂谷や事務員の言葉も。

「あ・・・」

母親の日記に書かれていたことを思い出した。
『紫揺さんがプレゼントしてくれた旅行をあり難く受け取って早季さんも心を休めましょう』 そう書かれていた。
自分は殺めようと思って両親をあのツアーに招いたのではなかった。 そう、そんなはずはない。 両親へ感謝を込めて贈ったプレゼントだった。 ただ、結果が最悪を招いた。
『両親が自分のことを心配なんかする筈ない』 ついさっきそう思った事が両親への冒涜の様に思われた。

その時、どこかで紫揺を呼ぶ声がした。 とても微かに。

「え?」

―――生きて。

「え? なに? だれ?」

―――生きて。

「お母さん?」 声は男ではなく優しい女の声。

「お母さんなの!?」 布団を跳ね飛ばし、ベッドから飛び降りる。 でもその先どこへ目を向ければいいのか分からない。

「お母さん? お母さんなの?」

―――守っているから。 見ているから。 
―――ね、紫揺ちゃん。

「お母さん!! お母さんどこ!! どこに居るの!?」
『ね、紫揺ちゃん』 というのは母親である早季の口癖。

部屋中を歩き回るがそれ以降何も聞こえない。

「・・・お母さん」 その場にうずくまった。

その時、おののいた様に部屋の片隅から一つの影が消えた。


「・・・ケミ、なかなかのものをしたな。 だが、そんなことはショウワ様から命じられていない筈だが?」

「・・・あまりにムラサキ様が不憫でな。 だが・・・」

「なんだ?」

「吾の言った言葉と違う言葉が入った」

「どういうことだ?」

「吾が退散するに至った言葉だ」

『―――守っているから。 見ているから。 ―――ね、紫揺ちゃん』 そんな言葉をカミは発しなかった。

「ふっ、ほんにムラサキ様のお母上がケミの言葉に添えたのかもしれんな」

「気味の悪いことを言うな」

「気味の悪い? 吾らも充分、気味の悪い存在だと思うがな」

憮然としたケミがカミに問うた。

「領主はどうしておる」

「ああ、ムラサキ様が正気に戻られた時の次の手を考えているようだった」

「次の手?」

「屋敷へ戻る時の算段だ」

「どういうことだ?」

「ムラサキ様の意識のある状態で屋敷へ移る気がないようだ」

「もどかしい言い方をするな」

「今度は注射などという荒い手は使わないようだ。 睡眠薬が使われると思う」

「睡眠薬?」

「ムラサキ様を眠らせてその間に移動するという事だ」

「その薬はムラサキ様のお身体に負担はないのか?」

「ああ、知れたものらしい」

「ショウワ様に報告をしたのか?」

「ああ。 かなり頬を歪めておられた。 だが、最後の手段として承知された」

「最後の手段?」

「お生まれになってからあまりにも年月が経ち過ぎた。 万が一のことを考えられたのだろう」

「・・・それだけ使いたくない手という事か?」

「おい、お前の視点はズレているぞ。 ムラサキ様がわが領土に来てくださればそれでいい話ではないか。 確かにムラサキ様のお身体が一番ではあるが、ここでお逃げにでもなられたことを考えろ。 我が領土は灰に朽ちてしまうかもしれんのだぞ」

「分かっている。 灰か・・・あの者たちだ、灰以外にも朽ちる事があるかもしれんがな」

ケミのその言葉にカミが顔を歪めた。

「お前・・・ムラサキ様に付きすぎたな・・・。 吾と代わろう。 お前は領主に付け。 吾がムラサキ様に付く。 ゼンとダンは領主が雇った者たちを見ている」

「ああ・・・その方が良さそうだ」

ずっと影から見守っていたケミが紫揺の元を離れる。 当然だ。 紫揺に介してしまったのだから。 影が言葉をもって介するなどとはもっての他であった。


「お母さん・・・苦しくないの? 痛くないの?」
そして
「許してくれるの・・・?」

『紫揺ちゃんありがとう。 大好きよ。 紫揺ちゃん、笑って』 過去の母親の言葉を思い出す。
紫揺の目から大粒の涙がボトボトと流れ落ちた。

「お母―さ―ん!!」 泣き叫びその場にうずくまった。

重厚な窓がガタガタと揺れる。 ベッドと猫足のテーブルの四つの足が留まることを知らないように揺れ踊る。 部屋中の大きな調度品が左右に揺れる音を出す。 パキンと音を立てて割れたのはサイドボードのガラスと中にあったグラス。 次いでシャンデリアがパンパンと音を立ててガラスが弾けとび、紫揺の上にいくつものガラスが飛び散る。 勢いをつけたガラスが紫揺の纏うシルクの服を簡単に切り裂く。 淡い藤色のシルクの服からジワリと血が滲む。  後ろの首筋にも血の筋が何本も描かれた。



「お叫びじゃ!」 岩屋で独唱が叫んだ。 慌てて塔弥が地図を差し出す。

老女が意識を集中する。 が、すぐに紫揺の激しい感情がおさまった。 紫揺が今まで持っていた感情を全て納めたからであった。

「くっ、追えん」 独唱が唇を噛んだ。

塔弥が独唱の身を案ずるのは勿論であったが、今ここに最後と思える紫、紫揺の足跡を探せるのならばと、独唱の身体を気づかう気持ちと、紫揺を迎えたいという気持ちが一気に濁流として舞い込んだ。 お叫びならすぐにでも場所を特定できると思った。
誰よりもこの領土に紫揺を迎えたいと思う塔弥なのだから。 


「お母さん、お母さん・・・」 自分の激しい気を抑える。

「お母さん、許してくれるの?」 頭を上げるとその身体からジャラジャラと音を立ててシャンデリアの大きなガラスが落ちる。 

だが、その問いに返事はない。

「・・・ありがとう、大好きよ、って言ってくれた?」 朦朧と辺りを見回す。

「笑ってって言った?」 問うがどこからも返事がない。


「何をしておる! ムラサキ様がお叫じゃ!」 

夜、領土から帰ったばかりのセノギにそんな連絡が入った。
すぐさまニョゼを連れて紫揺の部屋を訪ねたが、明かりが点かない。 非常用の予備灯のスイッチを入れても点かない。 仕方なく廊下に備え付けられていた懐中電灯を手に取り部屋の中で点けると、細かな割れたシャンデリアを身に纏い倒れている紫揺が目に入った。 淡い藤色の服に何筋も切れ目が見え、そこから血が滲んでいる。 髪の毛にも細かなガラスが飛んだのだろう、キラキラと懐中電灯の灯りを反射をしている。

「シユラ様!」 ニョゼが紫揺の元に駆けつけようとするのをセノギが腕を掴んで止めた。

「ニョゼも怪我をしてしまう。 これからもシユラ様に付かなくてはいけないんだ、少なくとも手袋をしてからだ」 

唇を噛んでセノギの言葉を受けると手袋を探しに部屋を出て行った。

「何があった・・・」 

懐中電灯で照らされた部屋中を見渡すセノギ。 サイドボードのガラスもその中のグラスもみんな弾け飛んで割れている。 テーブルとベッドやソファーが移動している。 今にも倒れそうな大きな調度品。 花瓶に入れてあったバラが焼け焦げている。

「・・・これがムラサキ様の力か・・・」 震撼すると共に酷薄さえ感じる。

懐中電灯で紫揺を照らすと床に置き、ゆっくりと歩いて紫揺の横にしゃがみ込むと、紫揺が纏っているガラスの破片を軽くはたいて落とす。

「力とは持つものではありませんね・・・」 抱き上げるとそのままバスルームに運んだ。


翌日、セノギと共に昨夜領土から帰ってきたムロイが、セノギの報告に紫揺の部屋を訪ねた。

「あーあ、やってくれたな」 ムロイに見せるため、片付けることをせずそのままにしてあった。

「支払いが高くつく」 

良い物ばかりを取り揃えてあるVIP ROOMなのだから。 だが、そう言いながらも歓心が抑えきれないようだ。

「なかなかに破壊してくれているが大きな物や窓は壊れなかったか・・・まだまだと言うところだな」 と、焼け焦げたバラが目に入った。

「青は充分に目覚めているようだが、赤が目覚めつつあるというところか」 得得と独語すると振り返りセノギを見た。

「仔ギツネはどこにいるんだ?」

「シユラ様でしたらこの部屋が片付くまで、控えの部屋に移っていただきました」

「そうか。 では早々に片付けてくれ」

「・・・はい」



「ほぉー、冬の海か久しぶりだな。 え? いや、それは出来ないよ。 ・・・そうは言ってもなぁ・・・。 ああ・・・ああ、分かった。 じゃ、きくだけ訊いてみるよ」
社長が長電話の受話器を置くとすぐに此之葉を見た。

「ねぇ、ねぇ、此之葉さん」

「はい?」

「今度、一緒に出張しませんか?」

「出張・・・ですか?」

「ええ、大建工業 (だいたつこうぎょう)に」

「大建工業・・・鳥取県ですね」 醍十から聞いていた情報がよぎる。

他の者ならこの情報を此之葉に流さなかったであろう。 此之葉には紫揺の仕事の後始末だけが必要なのだから。 だが、醍十はそんなことを考えない。 送り迎えする車の中で聞かされた情報を何も考えず此之葉に話していた。

「よく覚えていますね。 そうです、鳥取県です」

「あー! 船ですね! ヤダな、社長。 俺を誘ってくださいよー」

「お前たちは出張という大義名分で充分に遊んでいるだろ」

「って、えー!? 社長、此之葉さんと出張デートですか!?」

「なに馬鹿なことを言ってるんだ! そんなこと有るわけないだろうが! 大建工業の社長からのお誘いだ。 この前来た時に此之葉さんが気に入ったらしい。 で、船に招待したいんだと」

「あそこの社長って、すぐに招待するもんなぁ」

「お前も・・・3年前か? 招待されたよな」 男女関係なく気に入れば招待するようだ。

「ああ。 けっこう楽しかったぞ。 ね、此之葉さん行ってみれば? めったにクルーザーになんて乗れないんだからさ」

「社長、私は誘ってもらえないんですか?」 歳かさの事務員が言う。

「おお、旦那さんのことがあるから遠慮したんだが行くか? 一緒に?」

「旦那のことなんてどうでもいいです。 それより此之葉さんが心配だからついて行きます」

「心配ってどういう意味だよ・・・」 薄い頭を一撫でした。

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虚空の辰刻(とき)  第13回

2019年01月21日 21時12分59秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第10回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第13回



「お気づきですか?」

青みの色素を帯びた薄いグレーの瞳が覗き込んで自分を見ている。

「・・・ニョゼ、さん・・・?」

「はい、ニョゼにございます。 わたくしの細心が欠けておりました。 申し訳ございません」

朦朧 (もうろう) とした目でニョゼを見るとその目先を天蓋へ移した。 両親は迎えに来てくれなかった、同じ場所へ連れて行ってくれなかった。 ・・・当たり前だ。 そんなこと現実的に考えてできるはずがない。 それに自分で両親を殺しておいて、何を今更都合のいいことを考えていたのか。 浮薄な思いで両親を呼んだ自分の愚考に嫌気がさす。

「・・・どういうことですか?」

「お部屋をお訪ねするのが遅すぎました」

「・・・」 記憶を辿る。

(窓・・・そうだ、窓で崩れた) 

僅かに薄布で見にくくはあるが、目の先をもう閉じられている背の高いカーテンに移した。 じっとカーテンを見ていると目に映るものがはっきりと見えてきた。 だが、崩れた先の記憶は見えてこない。

「あの・・・もしかして、あそこからここまで移動させてくれたんですか?」 

「紫揺様には失礼かとは思いましたが、そとにいる男が・・・」

「男の人?」

「はい」

「そうなんだ」 あのマッチョか。

何故だろう。 どこか自分自身が他人の様に思われる。 抑揚なく今話している希薄な自分が自分でないような。 それでいて今話している自分が心の中の自分を嘲るようにも感じた。 自分が二人居る? バカな、そんなはずはない、と自分の中で首を振る。

「わたくしがもっと早くにお訪ねすればよかったのに。 申し訳ございません」

「・・・ニョゼさんは何時ごろにここに来られたんですか?」

「9時過ぎにお部屋に入らせていただきました」

「その時に、私はあそこで?」 

「はい。 倒れていらっしゃいましたので、すぐに男を呼びました。 大事はないとは言っておりましたが・・・」

「・・・はい、なんともないです」 

そんなことを言うつもりはなかった。 だがニョゼの顔を見ているとその憂慮をとってあげたかった。 自分が大丈夫と言えば、それで済む話なのだから。 そう思ったとき、やっと自分を取り戻した気がした。

「あの、もしかして・・・それからずっとここに居てくれたんですか?」 チラッと時計を見ると午前3時を示していた。

「はい」

「ごめんなさい。 私は何ともないから。 お部屋に戻って下さい」

紫揺の言葉にニョゼが僅かに相好を崩した。

「シユラ様はこれからどうなさいますか?」

「え?」

「お休みになられますか?」

「眠れそうにないみたいです。 けど、一人で起きていますからニョゼさんは寝てきてください」

ニョゼが一瞬目線を下げるとすぐに柔和な面で紫揺を見る。

「お疲れでいらっしゃらないのでしたら少しお話をいたしませんか?」 

紫揺が驚いた顔をしてニョゼを見返した。

「シユラ様は年が明け3月で二十歳になられますね。 わたくしと丸1年違いでございます」 指を一本たててみせた。

「え? ニョゼさん高校を卒業したばかり?」 完全に自分より1年歳下だと思っている。

意表を突く返事をされてニョゼが両の眉を上げる。

「この3月で21歳になります」

「え? 歳上?」

「まぁ、嬉しいですわ。 わたくし今まで実年齢より若く見られたことはございませんでしたから」

ニョゼが言うが、どちらかと言うと紫揺以外の人間が正しいと思われる。 紫揺が人の年齢を見る感覚がズレているだけなのだから。 だがこの言葉が少なからず紫揺の気持ちを和らげた。
勿論、両親のことは心から離れない。 今置かれている自分の位置を忘れたわけでもない。 でも、この1ヶ月ずっと付いてくれていたニョゼ。 そのニョゼの愁いをとりたいと思ったのは、その原因が自分だと分かっていたから。

「じゃ、高校を卒業してここのホテルに就職したんですか?」

「いいえ、大学を卒業したのち、秘書の資格など諸々を取りました」

「二十歳なのに大学って・・・短大ですか?」

「日本の大学ではなく、アメリカの飛び級で卒業いたしました」

「・・・わっ、スゴイ」 まるで子供のような眼差しで目の前にいる才媛を改めて見た。

紫揺の正直な言葉を聞くと、憐憫な眼差しを送りながらも口角を少し上げ、僅かに頷いた。

「シユラ様・・・。 今はまだお辛いと思います。 ですがニョゼがついております。 お一人で泣かれるようなお辛い目にあわせたくはございません。 どうぞ、なんなりとニョゼにお話しください」 言い終わると 「・・・あ」 と言って口を押え次の言葉を続けた。

「・・・申し訳ありません、出過ぎたことを」

「うううん、そんなことないです」

「出過ぎたことを言ってはいけないと教わっておりますのに、つい」 ああ、言い訳をした上に 『つい』 などと言う言葉も発してしまった、と己を恥じた。 

先程の紫揺の子供のような正直な言葉につられてしまったようだ。

「ニョゼさん・・・お父さんとお母さんは?」

「郷に居ります」

「アメリカに行ってて、今もここに居て寂しくないんですか?」

「・・・そうですね、寂しくないと言えば嘘になるかもしれませんが、5歳の頃より離れて暮らしておりましたから慣れております」

「え? どうしてそんなに早く離れちゃったんですか?」

「英才教育とでも申しましょうか」

「あ・・・それで飛び級。 ・・・ニョゼさんってホントに凄いんだ。 でも、勿体ない」

「はい?」

「そこまで出来てどうしてホテルにお勤めなんですか? もっと・・・研究者とかになろうとは思わなかったんですか?」 

「わたくしはここのホテルの者ではございません。 領主についております」

「え? そうだったんだ」

「シユラ様がこうしてお話しくださることが嬉しくございます。 とても正直でいらっしゃるのですね」

「・・・え、そうなのかな・・・?」

「はい、とても」

「そう言えば、こんなに沢山話したのって久しぶりです」

両親のことで毎晩泣き、両親のことが心の中を占領していて、自分の考えなんてずっと持つことがなかった。

「それなら・・・どうして私がこんな事になってしまったか教えてもらえない?」

「領主からお話を聞かれたと思いますが」

「聞きました。 聞きましたけど、納得がいってないんです」

「そうですか・・・。 ですが、その事はわたくしから何を申し上げられることは・・・。 シユラ様が領主から聞かれたと同じ事しかわたくしは知り得ませんので。 ただ、シユラ様のお側でお仕えするようにと言い付かっておりますだけで・・・」

そんなことはない。 全てを知っている。 いや、自分の知りえることが全てなのかは分からない。 それでも紫揺が知るよりは知っている。

「そうなんだ・・・」



岩屋では老女が地図を広げているが数日は動いたものの、その後は一向にその指が動かない。

「もう無理か・・・」

「独唱様、これで充分かと。 この先は阿秀たちに任せましょう」 塔弥が言う。

紫揺が何かに耐えながら泣く。 その悲嘆な感情は独唱が感じるにはあまりにも小さすぎた。 思いのほか探しあてる事ができなかった。 最初の数日から絞って指差されたのは、兵庫県、鳥取県、島根県であるというところに留まった。
独唱にしてみれば塔弥の見え透いた言葉に納得など出来るものではなかったが、だからとてこれ以上何も出来ることなどない。 それに、塔弥が我が身を案じているのを知っている。 地図から目を離すことしか出来なかった。

「茶を淹れてまいります」 


「塔弥から連絡があった。 独唱様がこれまでとされたようだ」

此之葉を覗く全員が部屋に集まって阿秀の声を聞く。

「3県かぁ・・・広すぎるな」 

醍十 (だいじゅう) がポツンと言った。 だがその言葉は全員の思うところであった。

「手をこまねいている事も出来んが、無駄に歩き回る事も考えものだ」 阿秀が言うが誰からの返答もない。

「どうする? 帰るか?」

「俺は此之葉の守りがあるから帰りません」 的を外れた返答だけは返ってきた。 するとそれに乗せられたかのように野夜が口を開いた。

「確かに紫さまのことは気に掛かります。 ですが俺はお父上の僚友のことをもう少し見張っていたいのでそちらの方で残ります」

「なんだ? 僚友のことは終わったのではなかったのか?」

確かに終わったと報告をした。 僚友と紫揺の間では紫揺が落ち着いたら紫揺から連絡をするということであったと。 だから、此之葉に紫揺の字に似せてもらって手紙を書いてもらった。 文面も日頃の紫揺のことが分かる此之葉が書けばそれなりになる。 そしてその内容は引越しをして心機一転一人でやっていくという内容であった。

「ええ、ですが・・・何かよくは分からないんですけど、どこか気になることがありまして」

阿秀の眉が動く。

「そうか。 それではそこのところは野夜の判断に任せる。 だが、必要以上に深追いは無用だという事を頭に入れておいてくれ。 紫さまを追って話を大きくしなければそれでいい話なのだからな」 頷く野夜を見ると話を続けた。

「他の者はどうだ。 紫さまをお探しするならいつまでも此処に居ても始まらない。 場所を変えなければいけないんだが?」

本来ならもっと早くに場所を移動しなくてはならなかったが、独唱からの情報が時折ブレていた事から移動をしかねていた。 最初は京都府も指差されていて1府3県だったのだから。
一瞬の沈黙のあと梁湶 (りょうせん) が口を開いた。

「確かに場所を絞りきれません。 ですが・・・無駄と言われればそうかもしれませんが、北のやることです。 どこかのホテルに宿泊している可能性が高いと思います。 別荘かもしれませんがそれも虱潰しに探します」

「と言う事は、残るという事か。 他の者は?」 阿秀の問いかけに全員が頷いた。

「では、これからも紫さまをお探しするという事だな。 それでは移動は明日、各県に分かれる。 詳しいことは明日話す。 今日はこれまでだ、身体を休めてくれ」 

解散の言葉に全員が部屋を出ると阿秀がすぐに立ち上がりメモを出すと策を練る。



ニョゼが部屋を出て行った。
ほんの数分前の自分を顧みると自責の念に全身が覆われた。 両親を忘れて話し込んでしまったことに。

「私って・・・馬鹿だ」 つと涙が流れる。

カクンと頭を垂れるとそのまま顔を横に振り時計を見た。 午前4時を過ぎていた。

「でも、自力でやらなくちゃならないんだ。 今はお父さんにもお母さんにも頼れないんだから・・・」 いつも言うその先の言葉を飲み込み布団にもぐった。


それから8日後にムロイとセノギがホテルに帰ってきた。

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虚空の辰刻(とき)  第12回

2019年01月18日 22時13分04秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第10回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第12回



紫揺が目覚めた。  

「・・・」 感触からそこが布団の中であることに気付いた。

うっすらと目を開ける。 小さく誰かの声がした。 その声がする方を見た。 すると、憂慮する面 (おもて) のニョゼが目に入った。

「シユラ様? お気づきですか?」 ニョゼが紫揺を覗き込んだ。

「・・・」

「わたくしの気付くのが遅くなり、申し訳ありません。 お風邪などの気配はございませんか?」

「・・・」

「シユラ様?」

紫揺がゆっくりと身体を起こし、数刻前と同じように周りを見る。 自分の着ている物も見た。

「・・・同じだ」

「シユラ様?」

呼ばれ、ニョゼを見る。

「ニョゼ・・さん?」

「はい。 ニョゼにございます。 お加減はいかがでございますか?」

「・・・夢じゃなかったんだ」 泥沼に沈み込むように顔を落とした。

ニョゼに紫揺が何を言いたいかが分かった。

「シユラ様・・・」



阿秀 (あしゅう) のいるホテルの一室に紫揺の父親、十郎の身辺を探っていた野夜と醍十 (だいじゅう) が報告にやって来た。

「お父上の僚友がおられました」

「そうか。 で? 紫さまと繋がっているのか?」

「お父上とお母上が亡くなった時、お二人の葬儀を取り仕切っておられたようです。 紫さまが心を許しておられるのだろうと思われます」

「・・・そうか」 阿秀が腕を一旦組むとその片腕を解き額をなぞった。

「此之葉に記憶を消してもらう事は出来ませんか?」

「今は紫さまの記憶を追うことで此之葉も精一杯だろう。 それに、あまり此之葉の力を使いたくない。 僚友は何人だ?」

「現段階では一人ですが、他にはいないと思われます。 お父上はこの一人だけに何もかもを話されていたようです」

「一人か・・・一人であるならば何とでも誤魔化しがきくだろう。 紫さまがどれだけ心許しておられたかそこを探ってくれ。 やりようはそれからだ。 それと、これからは此之葉には醍十についてもらう。 野夜はこれから一人で動いてくれ」

「え? 俺ですか?」

「ああ、此之葉も大分と分かってきたからそれほど手を煩わせることもないだろうが、まだ一人には出来ないからな。 ただ、此之葉が働いている間は紫さまの家に行って、ある程度物を片付けておいてくれ。 ああ、それと表札は外しておいてくれ」

既に家主に申し出て来週からは阿秀が借主となる契約を済ませた。 紫揺が旅行に出て、その間は自分が借りることになったからと。
紫揺一家が長年借りている借家だ。 阿秀の顔がものを言ったのか、所作か口の上手さか、それともすべてか。 何の疑いもなく、家主が紫揺が言うのならと気軽に阿秀に貸すことにした。 勿論偽名で。

「はい、分かりました。 えっと・・・それじゃ俺と此之葉で紫さまの家で暮らすんですか?」

「いや、此之葉を紫さまの家に連れて行っては神経が休まらないだろう。 退社後は今までと同じで此之葉もお前もここに泊まる」

スイッチの入り切りを出来るとはいえ、触れればなにもかも分かる此之葉。 紫揺の暮らしていた家になど入ると、スイッチを切りたくとも切る事など出来ないであろう。

「毎日、此之葉の送り迎えをしてくれ。 此之葉をつれてコンビニで昼飯を買ってそれを持たせてくれ」

「おかかえ運転手ってとこですか」

「まぁ、そんなところだ」

「何故、醍十ですか?」

「一番、此之葉の邪魔にならないからだ」

「それは、ある意味ですか?」

「勿論そうだ」

他の者であっては此之葉の行動に気を使い過ぎる。 それが的を射ていればいいのだが、外れたときにはこの上なく此之葉の邪魔になってしまう。
醍十であれば先を読んで気を使うなどという高等芸は到底出来ず、邪魔になるようなことがあっても知れたものだ。 せいぜい、その大きな体躯が邪魔になり、行きたい所を塞いでしまっている程度である。 それになにより、この土地での過ごし方以外、此之葉自身が人の助けを必要としない。

「納得いけます」

「おい、何を納得したんだ?」 

「では、お父上のことはこれから私一人で動きます。 それと、ちょっと気になることがあるのですが」 完全に醍十を無視して話を進める野夜の横で目を眇める醍十である。

「なんだ?」

思い過ごしかもしれませんが、と前置きをするとホテルのロビーで探りを入れていた湖彩 (こさい) から聞いた話、ガタイの大きな男の話をした。

「湖彩が言うにはその男は北のようではなかったと言いますし、俺らが見た警察署の中の男たちも北の者ではなかったと思います。 紫さまに関する話をホテルのロビーで初めて聞くとは思えません。 たとえ北であっても、情報はすぐに流しているはずです」 

野夜の話に阿秀が思惟する。 その阿秀にもう一声添える。

「悠蓮 (ゆうれん) をやったのもその男ではないかと思います」 

「やったのも?」 阿秀が思惟を一旦止めた。

「今回の北の動きが気になりまして、もう一度警察署に入ってみたんです。 するとあの日、紫さまが攫われた日の朝、警察署の中で体の大きな男が暴れて問題を起こしていたそうなんです。 かなりの手練だったという話でした。
考えられるのは、資料室に入りにくくなっていた北の関係者が、故意に問題を起こして資料室近くを手薄にした。 その間に資料室に入り、紫さまの資料を見て住所を突き止めたのだと思われます。 資料の場所は分かっていますから、1分もあれば住所くらい写メればすぐですから」

「外部の人間を雇ったという事か?」

「私はそう踏んでいます」

「その男の行方は?」

「暴れるだけ暴れて逃げ去ったそうです。 逃げる段取りもついていたようで、車で走り去ったと」

「もしそうであったのなら、単純な話ではないな」

「はい。 北の領土のことが大々的に知れ渡りますと、我ら東の領土も人の目に晒されるかもしれません」

「だが、その男が初めてホテルのロビーで知らされたという事は、詳しいことは知らないのではないかな。 いや、簡単に懸念は捨てられないがな。 それに深く知らなくともその男たちだけではなく、他にもいるかもしれない」

「ええ」

「っとに! 北は何を考えてやがるんだっ!」 ずっと二人の会話を泰然と聞いていた醍十が急に憤然をぶつけた。

「はっ? お前も一緒に警察署に行ったのに、何を今更怒ってるんだよ」

「お前がそんなことを考えてるなんて言ってくれなかったじゃないか!」

「・・・此之葉付きにしてもらって良かったな」 醍十には理解し得ない笑みを送る。

「とにかく一番は紫さまの居所をつかむ事だ。 北はもう特には動かないだろう。 紫さまを北の領土に連れて行かれる前になんとしてでも探さなくてはならない。 それにこの土地の者が関わっていれば、紫さまと同じ所に居るはずだろう。
独唱様がある程度まで探してくださればあとはこちらも動ける。 野夜も僚友のことを早く終わらせていつでも動けるようにしておけよ」

「はい」


野夜から遅れて若冲 (じゃくちゅう) と悠蓮 (ゆうれん) が報告に来た。

「紫さまが就職も進学もしなかったわけは、東京に出て自力で何かをしようとされていたようです」

「何かとは?」

「・・・それが分かりません」

「そうか・・・。 では、それに関する人の関係はあったのか?」

「東京の方では新しく住むアパートは契約されていましたが、それ以外は何もありません」

「ふむ。 ではそれを解約せねばならんな。 他には?」

「せいぜい、高校時代の進路指導の教師くらいのものですが、紫さまが卒業されてからは何の接触もないようです」

「そうか・・・だが、人を教えるという者はいつどこでその人間を思い出すやもしれん。 その教師は紫さまのことを思い出して尋ねて・・・ああ、それはいい。 卒業後に紫さまと少しでも連絡をしているのか?」

「いえ、そのようなことも全くありません。 一切の連絡をしていないようです。 多分、もう東京に行ったのだと考えているのでしょう」

「そうか。 では、その教師は省く事にしよう」 

紫揺の住んでいた家を空にするのだから、一家で引っ越したとでも思うだろう、そう考えた。 そしてそれは間違いではなかった。



「どんな具合だ?」 ムロイの部屋に呼んだニョゼに階上を指すように顎を上げた。

「まだ気落ちされたままです」

「一月もたつのにか」 僅かに冷笑を見せると続けた。

「食事はとっているようなのか?」

「僅かではありますが」

「気持ちの上でもまともになって欲しいが、その前に倒れられては困る。 食事だけは相応にとらせろ」

「はい」

「これからセノギと数日領土に戻る。 その間にしっかり見ておいてくれ。 一日も早く屋敷に移りたいのだからな」

「はい」 

ニョゼが出て行くと、代わりにセノギが入ってきた。

「そろそろお出になりませんと」

「分かっている。 こんな時に祭りなどと煩わしい!」

年に一度の領土の祭りである。 領主であるのだから祭りに参加して然るべきであるが、唾棄するように言う。

ムロイの部屋を出ると一つ大きく息を吐いて階上に上がっていった。
部屋の中の紫揺は、ここのところずっとベッドの上で過ごしていて、ただボゥッとしている。 ニョゼにとってみれば泣かれるよりましであったが、だからと言って心休まるものではない。 とは言え、今の紫揺に何を話しかけても無駄なことは分かっている。


「お父さん・・・お母さん・・・」 

ベッドの上で両手を伸ばす。 さも両親に抱きかかえてもらうかのように。 なのに、その両手を両親の手はとってくれない。
ユラユラとベッドから降りると開けられていた背の高いカーテンの方に歩き出した。 窓の外が見える距離まで来たが、その満天の星のような夜景が目に入らない。

「・・・傍に行く」

窓に張り付いて空をあおぐ。 地上と相反する空は暗く星さえ見えない。 ただ、その空からはヒラヒラと白いものが落ちてきている。

「迎えに来て・・・連れて行って・・・」 

ズルズルと窓から崩れ落ちた。

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虚空の辰刻(とき)  第11回

2019年01月14日 22時01分18秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第10回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第11回



「あんなのがムラサキか? よく見積もっても親を亡くした迷子の仔ギツネじゃないか。 本当に間違いがないのか?」 かったるそうにネクタイを緩めると、ソファーにドカリと座った。

「領主もお確かめになられたではありませんか。 早季様のお子様であり、ムラサキ様のお孫様だと」 座るムロイの斜め後ろに立つ。

「ああ、確かにそうだが。 注射が効きすぎて頭がおかしくなったんじゃないだろうな」

「注射のことは私の知りえるところではありませんでしたから、そのことには正しく返答をしかねますが、私の見る限りでは注射の影響はないと思えます」

「ふん、まるで俺が指図したような言い方をするんだな」

「いえ」

「まぁいい。 だがアレではあの者達を押さえるどころか尻に敷かれるだけじゃないか」

「・・・それは確かに」

「早季を間に挟んだのがいけなかったのか? 早季という者は何も出来なかったようだからな」

「それは・・・早季様がシユラ様をお産みになったのですから。 早季様なくしてシユラ様をお迎えすることは出来ませんでした」

「はっ、物は考えようだな」 嘲弄する目を斜め後ろに立つ男、そのセノギに向ける。

「この後はどうなさいます?」 ムロイの視線などは意に介さずといった具合に次に進める。

「そうだな・・・。 さっき言った通りだ。 あの迷子の仔ギツネがもう少しマシになれば屋敷に移る。 今はまだ無理だ。 今動けば仔ギツネが・・・ヒナにもなりかねない。 ヒナになられてはどうにもならん」

「東はどういたしましょうか?」 東とは東の領土の者の事。

「放っておけ。 東のすることなんぞ甘ったるいことだ。 だが、その甘ったるい東にこの場所を探られんように蜘蛛の糸を張っておくように」

「はい」

「言いたくはないが、東は古の知 (いにしえのち) が未だにある。 油断はするな。 ・・・古い教えを今もまだ持つなんぞ・・・」 嘲笑で吐き捨てた。

「・・・夕食はどうなさいます?」

「ああ、運んでくれ」

軽く会釈をすると部屋を出て別の部屋に入った。 ムロイの夕食の用意を伝えるためであった。 その後すぐに階上に上がった。
最上階ではいくらもしない内にホテルのワゴンを押す女性と先程の男、セノギが紫揺のいる部屋に入ってきた。

「シユラ様、これからはこの者がシユラ様のお世話をさせて頂きます」

女性がワゴンから少し離れると 「ニョゼと申します」 と、背筋が伸びたきれいなお辞儀をした。 青灰色 (せいかいしょく) の瞳に薄化粧がよく似合う婉然な容姿の持ち主ではあるが、どこか凛としたものを感じさせる

深々と頭を下げるグレーのスーツを着た女性は自分と同い年くらいだろうか、と紫揺が思ったが、誰が見ても紫揺よりずっと年上に見える。 というか、紫揺が実際の歳より幼く見え過ぎるのが原因だ。

「必要なことがあればこのニョゼにお申し付け下さい。 では、わたくしは失礼いたします」 

ボォッとした頭で男を見送った紫揺が音に気付いて振り返ると、ニョゼと名乗った女性が白い猫足のテーブルにワゴンに乗っていた食事を次々と置いている。 その量たるや見たこともない量である。 紫揺がソファーの上で背中を丸めて前屈みになると自分の足首を掴んだ。 顔を膝の上に置く。

(お母さん・・・どうして私こんなところに居るの?) ギュッと目を瞑る。
(どうしたらいいの・・・?)

「・・・さま?」

(いったいどうなってるの・・・あの人が言ってたことは本当なの?)

「・・・ユラさま?」

(お婆様が過ごす筈だった所って・・・)

「シユラ様?」

「え?」 足首を掴んだまま顔を上げた。

「お食事のご用意が整いました」

「あ・・・」

「冷めないうちにどうぞお召し上がりください」

「あの・・・」 足首を離すと背を伸ばしたが、顔は下を向いている。

「はい」 ニョゼが膝をついて紫揺の目の高さに合わす。

紫揺が首を捻じりテーブルに目を送ると、顔を戻した。

「ごめんなさい。 何でもないです」 言うとソファーから立ち上がり、白い猫足テーブルに向かった。

「紫揺様、カーテンをお開けしてもよろしいですか?」 問われ、コクリと頷く。 すると隅に置いてあったリモコンを持ち、カーテンを開けた。

(あ・・・リモコンで開くんだ)

開けられたカーテンの向こうはさっき見た空とは違う色をしていた。 先程はまだかろうじて明るかったが今は太陽がその身を完全に隠していた。
遠くに白やオレンジの光を身に纏った星空のような夜景が見える。 あの光は少し前に見たビルの窓から出ている光なのだろうか。 暗闇に足元が消されて、今いる高さが分からない。 恐れることはなかった。 少し怖いが。 だから、窓に背を向けて座った。

椅子に座ると見たこともなければ食べたことのないようなフルーツがズラリと並び、色んな形をした可愛らしいパン、リゾット、スープにサラダがテーブルにのっていた。

「お身体のお調子が今ひとつ分かりませんでしたので、軽いものと思いまして油ものは控えました。 もし、他にお食べになりたいものがござい―――」 ここまで言うと紫揺が言葉を重ねた。

「いいです、いいです。 これで十分です」 慌てて顔の前で手を振った。 そして

「あの・・・ニョゼさんは食べたんですか?」

「え? わたくしでございますか?」

「あ、ごめんなさい。 なんでもないです」

こんなに沢山食べるなんてこと出来ない。 でも残すなんてことも作ってくれた人に悪い。 ニョゼがまだ食べていないのなら一緒に食べて欲しいと言いたかったが、まだそんな風に話すことが出来なかった。 今の自分の位置が分からない。 『様』 呼ばわりされる覚えなんてない。 何がどうなっているのか分からない。
椅子に座るも頭を下げてじっとしている。

「シユラ様?」

「・・・はい」

「お気に召されませんでしたか? すぐにお下げして別の物をお持ちしましょうか?」

「あ、いえ。 そうじゃないです。 これでいいです。 いただきます」 選ぶことなくパンを手に取った。

ニョゼが身を引き、紫揺の斜め後ろについた。
チビチビとパンを食べていると 「お飲み物をお入れしましょうか?」 ニョゼが聞いた。

「あ、大丈夫です。 このお水で」

「シユラ様は普段どのようなものをお飲みになるのですか?」

「・・・お茶です」

「緑茶でございますか?」

「玄米茶・・・です」

「パンを召し上がる時には?」

「玄米茶です」

「失礼いたしました」 

そう聞こえたあとで何やら後ろで音がする。 と、湯呑に入ったお茶がコトリと置かれた。

「・・・あ」

「生憎と玄米茶はございませんが、玉露でございます。 お気に召して頂ければよいのですが」

「・・・有難うございます」 一口コクリと飲む。

「美味しい・・・」

「お気に召して頂けましたか?」

「はい」

「玄米茶はすぐに御用意をしておきます」

「あ・・・。 あ、いいです。 このお茶で。 美味しいですから」 

家族三人で卓を囲んで飲んだ玄米茶。 父と母と一緒に飲んだあの味が今は宝物になってしまっている。 宝物はずっと心の中にしまっておきたい。 一人で宝物をたしなみたくない。 心の中が涙で溢れる。

結局、クルミが練り込まれた小さなパン一つとお茶を一杯飲んだだけで食事を終えた。

「あの・・・沢山残してしまって、作ってくれた方にゴメンナサイって・・・」

ニョゼがお気になさらず。 お腹が空いたらいつでもお呼び下さい。 と、ニョゼを呼ぶベルの場所を教えるとワゴンを押して部屋を出ていった。


離れた所から開けられたカーテンの向こうにソロっと目をやる。 遠くにオレンジの光が見える。 高層ビルなのだろうか。 見下した地上には満天の星が如く光輝くものが見えるのに、夜空には星のただの一つも見えない。 唯一、飛行機から放たれる点滅した明かりだけが見えていた。

「何がどうなってるの・・・お父さん助けて。 ・・・お母さん教えて、お婆様、どうすればいいんですか・・・」 涙が頬を伝う。 その場に座り込んで声を押し殺して泣いた。


「紫さまじゃ・・・」 広げられていた日本地図に集中する。 片膝をついていた塔弥が慌てて独唱の横に立つ。

「な・・・なんじゃ・・・?」 紫揺を感じた独唱が首を傾げ眉を顰める。

阿秀から連絡を受けた塔弥がすぐにその旨を独唱に伝えた。 するとその日からまた独唱が岩屋の中で地図を広げていた。

「・・・紫さま・・・お泣き下さればよいものを、何に耐えておられる」

紫揺が今いる場所を特定するのには確かに紫揺が感情的になればすぐにでも分かる。 だが、そのことを言っているのではなかった。 北に攫われたであろう紫揺が何を耐えているのか、それが心配でならなかった。
塔弥が地図から独唱の顔に目を移した。


「ショウワ様・・・」

「ハンか」 目を眇めて壁を見る。

壁に影が現れると人型をとった。

「ムロイはどうしている」

「今もムラサキ様とホテルに投宿されております。 ムラサキ様には至誠に接していらっしゃいます。 今日よりニョゼをムラサキ様付にされておいでです」

「ニョゼか、そうか。 ニョゼならばムラサキ様に非礼を行うことはあるまい。 まぁ間違いはない。 それにしても至誠とは、あのムロイがいつまで持つものだろうかな」 嘲るように鼻で息を吐くと、吐き捨てるように言う。

「ムラサキ様にとんでもないことをしおって!」

「・・・申し訳ありません」

「ハンを責めているわけではない」

「ゼンが己の手落ちと唯々、頭を垂れております」

「さすがのゼンも想像が出来なかったということか。 いや、ゼンだけではない。 わしも気付かんかった。 そこまでするとはな。 ムロイがこれ以上、ムラサキ様に無礼極まりないことをしすればすぐに報告せよと、いや、すぐにでも止めよとくれぐれもゼンとダンに伝えておいてくれ。 ご苦労であった。 ハンはしばし休んでいるとよい」

「御意」 人型をとっていた影が壁に消えていく。

「カミ、ケミ、おるか?」

「ここに」 またしても壁から現れた影が人型をとる。

「ムラサキ様に何かあってはどうにもならん。 この屋敷に来られるまでムラサキ様をお守りするよう。 くれぐれもムロイの手からムラサキ様をお守りせよ」

「仰せのままに」 この2つの影も壁に消えてなくなった。

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虚空の辰刻(とき) 目次

2019年01月14日 21時56分35秒 | 虚空の辰刻(とき) リンクページ
   『虚空の辰刻(とき)』 目次



第 1回第 2回第 3回第 4回第 5回第 6回第 7回第 8回第 9回第10回
第11回第12回第13回第14回第15回第16回第17回第18回第19回第20回
第21回第22回第23回第24回第25回第26回第27回第28回第29回第30回
第31回第32回第33回第34回第35回第36回第37回第38回第39回第40回
第41回第42回第43回第44回第45回第46回第47回第48回第49回第50回
第51回第52回第53回第54回第55回第56回第57回第58回第59回第60回
第61回第62回第63回第64回第65回第66回第67回第68回第69回第70回
第71回第72回第73回第74回第75回第76回第77回第78回第79回第80回
第81回第82回第83回第84回第85回第86回第87回第88回第89回第90回
第91回第92回第93回第94回第95回第96回第97回第98回第99回第100回
第101回第102回第103回第104回第105回第106回第107回・第108回第109回第110回
第111回・第112回・第113回・第114回第115回第116回第117回・第118回第119回第120回
第121回第122回第123回第124回第125回第126回第127回第128回第129回第130回
第131回第132回第133回第134回第135回第136回第137回第138回第139回第140回
第141回第142回第143回第144回第145回第146回第147回第148回第149回第150回
第151回第152回第153回第154回第155回第156回第157回第158回第159回第160回
第161回第162回第163回第164回第165回第166回第167回第168回第169回第170回
第171回第172回第173回第174回第175回第176回第177回第178回第179回第180回
第181回第182回第183回第184回第185回第186回第187回第188回第189回第190回
第191回第192回第193回第194回第195回第196回第197回第198回第199回第200回
第201回第202回第203回第204回第205回第206回第207回第208回第209回第210回
第211回第212回第213回第214回第215回第216最終回

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虚空の辰刻(とき)  第10回

2019年01月11日 22時06分58秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次






                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第10回



紫揺が目覚めた。

「アタマ・・・」 顔を顰めボォーっとする頭に檄を送り目を開けるが、その目に映る物が全て滲んで見える。 ギュッと目を瞑り開ける、それを繰り返す。

「なんで・・・?」 鈍い思考を巡らす。 と、徐々に思い出してきた。


会社の使いから帰ってきた。 もうすぐで会社という時に車に乗る男から尋ねられた。

「ここらにシノ機械ってあります?」 と。 だから取引相手かと思い、丁寧に応対するために自転車を降り 「ここです」 とブロック塀を指さして、もう少し行くと入口が見えます。 と付け加えた。

「もしかしたらシノ機械の人?」 問われ頷いた。

「藤滝さんって人がシノ機械にいる?」 自分の名を言われ少々・・・いや、大いに驚いたがそれに答えるのが筋であろう。

「えっと、藤滝は私ですが」 紫揺の返事を聞いた相手の目が受け付けられるものではなかったが、それでも自分の姓を名乗った。

「間違いなく?」 念を押すように聞いてくる。

「はい。 シノ機械の藤滝紫揺です」 

こんな事になろうとは紫揺の思考回路の一駅にもないことであった。 迂闊にも自分からフルネームを言ってしまった。 さっき、この男は氏しか聞かなかったのに。
その途端、後部座席のドアが開いて男に羽交い絞めにされた。 誰かが助けに来てくれたような気がしたけれど・・・記憶に薄い。 
無理やり車の中に入れられたと思った途端、何かの注射を打たれて・・・そのまま今の状態につながっている。


「どうして・・・?」 何とかして今の状況、今自分が居るところを見ようと滲む目を大きく開ける。

「・・・駄目だ、よく見えない・・・頭もグラグラする・・・」 身体も思うように動かない。 諦めて一度目を閉じた。 目を閉じるだけのつもりだったのに、意識が飛んだ。

次に気付いた時には頭もスッキリしていた。 知らぬ間にまた眠っていたようだった。
ソロっと目を開けると自分の目の前に手をかざした。 先程は自由に動かなかった手が今は動かすことが出来る。

「見える。 私の手」 手相までシッカリと見えてその手は滲んでいなかった。

その目で辺りを見回すが、どこを見ても腑に落ちない。

「なに?」 ゆっくりと上体を起こす。

(落ち着け、落ち着け。 見えるものだけを見るんだ) 自分を鼓舞し、ゆっくりと身の回りを見た。

「え? お布団?」 身体の上には布団が掛けられていたが、それは見たこともなければ触ったこともない、シルクのカバーで包まれた羽毛布団だった。

一番近くの周りを見ると周りに純白の薄布が掛けられてあるのが目に入った。

「カーテン?」 上を見るとどこかで見たことがある。

「あ・・・これって中世のお姫様の寝室にあるやつ・・・」 それは天蓋であった。 薄布の間から向こうが見える。

「そっか、ベッドの上にいるのか・・・」 ソロっと掛布団を身からはずし、足を下ろそうとした。

「え? え?」 自分の着ている服を慌てて見ると、薄桃色のシルクで出来た長袖の一枚物を着ていた。

「事務服を着てたはず・・・」 

紺色のスモックの事務服の下にはGパンを穿いていたはず。 腕や身体に纏っているそれを触るが、どこを触っても事務服にもGパンにも変化することはなかった。

「・・・拉致られた。 それなのに着替えさせられてる」 足をベッドから降ろし座ると、薄桃色のシルクがストンと膝下まで垂れた。

「とにかく・・・私を拉致ってどんな得があるっていうのよ。 人間違えにもほどがある」 目を座らせるとベッドからハネ降りた。

取り敢えず部屋の中を見渡すと壁には見たこともない立派な絵が飾られている。 大きな花瓶には真っ赤なバラがデザイン的に生けてある。 品の良さそうな調度品も目に映る。
背の高いカーテンの前には白い猫足のテーブルが置かれている。 そのカーテンの向こうにはきっと窓があるのだろう。

「部屋から出るドアは?」 

部屋の中を歩き回るとすぐにドアが見つかった。 ソロっと開けてみると目の前には黒一色しか見えない。 

「あれ?」 と、その目の前の黒が動いた 「NO」 と頭の上から野太い声が降ってきた。

「え?」 そろりと上を見ると黒のサングラスをして黒いスーツを着た肌の黒いマッチョが紫揺を見下ろしていた。

「え? ・・・」

「NO」 もう一度繰り返された。 と、その時

「申し訳ありません。 この者は日本語を知らなくて」 

日本語を知らないマッチョが振り返ると、そのガタイをドアから避けた。
日本語を話した男はたった今、別の部屋から出てきて紫揺に走り寄ってきた。 

「お部屋にお戻りいただけますか?」 紫揺を見るその目は色素の薄いグレーに僅かに青が混ざった瞳であった。

「でも、あの・・・」 その瞳でじっと見られる。

「すぐに領主が挨拶に参りますのでお部屋でお待ちください」 言うとドアを大きく開け、紫揺を部屋の中にいざなうように片手を部屋の中に入れた。

どうしていいか分からない紫揺であったが、とにかくマッチョが居る。 駆け抜けることも出来ないだろう。 仕方なく部屋に戻った。

ドアを閉めると男が階下に降りた。

部屋に戻った紫揺。 背の高いカーテンまで小走りに行くとそのカーテンを潜った。 窓から逃げようと思ったのだが、生憎と窓を開けることが出来ない。 窓に鍵などついていなかったのだから。 その上、眼下に見える風景で今いるこの部屋の高さが身に染みて分かった。 一瞬息が出来なかった。 肝が上がるとはこういうことなのであろうか。 身体にある重力が肝について上がり、下半身の重さを全く感じないような気がした程だった。
途端、その高さの底から見えない手が出てきて紫揺の身を捉えた。 捉えられた紫揺の身体が僅かに揺れ、そのまま引き込まれるように身体の中心を失うと前に倒れこんだ。 ゴン! 大きな音が響いて額を窓にしこたま打ちつけた。

「・・・イタ」

窓の下には30、40センチばかりの高さと幅のある僅かな壁があった。 きっと夜にでもなればその壁に腰かけて夜景を眺められるのだろう。 だが、紫揺にしてみればそんなことにこの壁が有難いわけではなかった。 壁があるお陰で少しでも視界が遮られる。 高所恐怖症というシルクを着た塊は四つん這いになって窓から離れカーテンを潜った。 そして打った額を押さえ 「うそ・・・」 と一言が出た。 最上階であった。 飛び降りるなんてことは到底できない。

部屋のベルが鳴った。 慌てて立ち上がったが、その先どうしていいのか分からなく無意識にカーテンを握ったままそこに固まってしまった。
ガチャリとドアの開いた音がする。

「失礼いたします」 先程の男の声がした。

慌てて前髪で額を隠す。

部屋の中に入ってきたのは二人の男。 先を歩くのは先程の男。 後ろに歩く男が領主と呼ばれた男だろうか。 だが先を歩く男もそうだが、後ろの男にも見覚えがない。
先を歩く男が途中でソファーの後ろに立つと、後ろを歩いていた男がカーテンの前で固まる紫揺のところまで歩いてきた。

「初めまして」 男が笑顔を向けて軽く頭を下げた。

「部下の不敬をお詫びします。 乱暴にここへお連れしたと聞いて私も驚いているのです」 男の目は色素の薄いグレーの瞳をしている。 薄いグレーの中に黒い瞳孔が目立つ。

「そんなに怖がらないでください。 もう大丈夫です」 男が再び笑みを作るが、紫揺の筋肉は弛緩することがない。

「私の名はムロイと申します」 柔和そうな顔で紫揺を見る。

「藤滝紫揺さん、座りませんか?」 右腕をソファーの方に向けたが、紫揺がピクリとも動かない。

「どうしてここに来て頂いたかご説明させて頂けませんか?」 その言葉に一刻も早く誤解を解きたいことを思い出した。

(そうだ、人間違えをしてるって言わなきゃ)

「あの・・・」

「はい?」 籠の中の小鳥が隅っこで小さくなってピィと鳴いたのを見るような目で紫揺を見た。

「・・・人間違えをしています」 より一層カーテンを握りしめた

「どうしてそうお思いですか?」

「私を誘拐してもお金を払う人はいません」 蚊の鳴くような声。

「身代金ですか? それは大きな誤解です」 頭を軽く振ると続けた。

「お手をとりましょうか?」 ソファーに向けていた手を紫揺の前に差し出した。

今度は紫揺が頭を振る。

「では座りましょう。 さっ」 紫揺の横に立ち、歩を進めることを促した。

ソファーの後ろに立っていた男が紫揺が裸足なのに気付き、大股で歩きだすとベッドの足元に置いてあったフワフワの室内履きを取り紫揺の足元に置いた。

「ああ、これは気付きませんで。 失礼しました」 ムロイと名乗った男が膝をついて履かせようとすると紫揺が慌てて 「大丈夫です」 と言い、すぐに自分で履いた。

「これで歩けますね。 さっ、ソファーに」

仕方なく歩き、まるでなにかの小動物のようにチョコリンとソファーに座った。 紫揺が座るのを見るとムロイが向かいに座った。 その姿が背もたれに背を預けてはいないし、足を組んでいるわけでもない。 紫揺にとればそれまでも、今ソファーに座る姿勢も横柄な態度には見えなかったから幾分か安心できたが、それでも人間違えをされていることをどう説明しようかと悩む。

「では先にもう一度謝罪をさせてください。 部下がとんでもないことをしてしまい大変申し訳ありませんでした」 立ち上がり頭を垂れる。

「あ、いえ、そんな」 思わず紫揺も立ち上がった。

「無理に引きずった挙句、注射などというものをしたと聞いています。 どこか具合の悪い所はありませんか?」

「あ、大丈夫です・・・」 

紫揺の返事を聞くと座るように促し、自分も再びソファーに腰を下ろした。

「さぁ、それでは紫揺さんの誤解から解きましょう」 紫揺がどこで人間違いを起こしているのか探し出そうと耳を傾ける。

「まず、私には身代金は不要です」 

この部屋を見て頂ければわかって頂けると思いますが・・・と話を続けた。 要するにこの部屋はこのホテルにある2つの内の1つのVIP ROOMであり、自分はもう1つのVIP ROOMに泊まっている。 サポートする者のために他に部屋はあるが、1つのVIP ROOMがそのフロアーを占有している。 金が無ければそんなことは出来ないでしょう? と言い、それに、と続けた。

「落ち着かれたら屋敷へお迎えしますが、屋敷には馬場もテニスコートも室内プールもあります。 それだけでは身代金の不要を説明するに値しませんか?」

唐突に言われた色んな名詞に紫揺は全く意味が分からないといった顔になっている。

「紫揺さん?」

「え? あ、はい」

「やはりどこか具合の悪い所がありますか?」

「いえ・・・。 でもあの」

「はい?」

「お金の心配がないのは分かりました。 ですけど、私ではないと思います。 その、どんな理由もありませんから」 先程までの蚊はかろうじて飛んでいたのに、今は息絶え絶えな蚊にかわっていた。

「貴方なのですよ。 藤滝早季さんの娘さんであり、ムラサキ様のお孫様。 藤滝紫揺さん」

「え?」 突然に母と祖母の名前を言われ大きく目を開けた。

「間違えないでしょう?」 ムロイが両の指を組むとその両肘を足の上に置いた。

「・・・どうして?」

「やっと人間違いではないと分かっていただけましたか?」 ずっと笑みであったが、より一層口の端を上げ目を細める。

「では何故、紫揺さんをお迎えに上がったかですが。 ああ、あんな乱暴をしておいて、お迎えとは言えませんね」 と、間をおいて続ける。

「先程も申しましたが、紫揺さんには屋敷へ来て頂きたく思っています。 そこでゆっくり過ごして頂きたいのです。 その後のことは、屋敷で落ち着かれてからお話します。 そうですね、その後のことと言うのは本来なら、ムラサキ様にもそうして頂ける筈でした」 笑みの後ろにイヤな影を見せる。

「私の言い訳じみた説明はこういうことなのですがご納得いただけましたか?」 

聞かれても意味が分からない。 ただ、この男が言ったムラサキ様と言うのが、紫と言う名を持つ祖母ということなのだろうか。 お婆様がそうしていく筈だったという言葉が頭に残る。
では? お爺様は? お母さんは? お父さんは? 何がどうなっているのか分からない。
紫揺の様子を見ていて今はこれ以上話しても無駄かと踏んだムロイが話の先を変えた。

「さて、それではお腹が空いているでしょう? 半日寝ていらしたのですから。 食事を運ばせますので今しばらくお待ちください」 では、と言ってムロイと男が出て行った。

ドアを開け廊下に出たムロイがマッチョに視線を流し頷いて見せると、マッチョがすぐにドアの前に立った。 ムロイはそのまま歩いて行き、男は別の部屋に入り指示を出すとすぐにムロイにつき、少々格下にはなるが階下にも設けられているVIP ROOMに入った。

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虚空の辰刻(とき)  第9回

2019年01月07日 21時35分19秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』






                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第9回



「ええ、わたしも急遽、郷 (さと) から呼ばれまして、会社の方は任せてきたのですけど、藤滝さんの方はお母様が亡くなっておられるということで。 
先程も申しましたように、藤滝さんのお爺様のお子様であるお母様に急遽郷に帰ってきていただきたかったのですが、それが叶いません。 そこで紫揺 (しゆら) さん、あ、藤滝さんにお願いしようかと思いまして」 間違いなくフルネームを知っているという事を示したかったが、ワザとらしかっただろうか。

「ほう・・・。 郷に帰って何かがあるんですか?」

「ええ・・・その、申し上げにくいのですが、書面上のことがありまして・・・相続とか色々・・・」 とーっても言いにくそうな顔を作る。

「あ・・・そういう話で。 そういう話なら、まぁ、私が何を言うわけにもいきませんか。 まぁ、ですけどねー、だからと言って簡単に見ず知らずの方に、身寄りのない藤滝さんを預けるわけにもいきませんで・・・。 あ、遠縁でいらっしゃる方に失礼な言い方になってしまいますな」 少ない白髪頭を乱暴に撫でる。

すると計算されたひとつの間を置いて阿秀 (あしゅう) が言う。

「・・・藤滝さんは良い会社に入社されたんですね」 相好を崩す、演技をする。

「はい?」 思わぬことを言われ社長が何のことかと眉を上げる。

「一社員のことをこれほどに心配してくださる社長などそうそうおりません。 私も鑑にさせていただきます」

「あ・・・これはお恥ずかしい」 またもや少ない白髪頭を撫でると続けて言う。

「我が社は社員によって支えられていましてな、社員は宝ですので。 ・・・そうですね、ここで藤滝さんとお話し下さい。 お話の結果は藤滝さんが判断するでしょう」 と言いながらも話を続ける。

「ですが、藤滝さんからその判断を私が聞きます。 失礼とは思いますが、まだ二十歳にもならない藤滝さんです。 判断を誤ることもありますので。 社員も藤滝さんの今の状況は重々分かっています。 藤滝さんのことを心配する声が上がっていますので、そこの所は了承していただきたい」

「はい。 勿論です」 阿秀が真に相好を崩した。

と、阿秀たちが入って来たドアがノックされる音が聞こえた。 思わずドアの前に立っていた若冲 (じゃくちゅう) がドアから身を外すと、此之葉もそれに準じた。 それも大きく。
2度のノックのあとドアが開き、社員が顔を覗かせた。

「社長、テン鋳造が工場に来てますが」

「あ、そうだった」 思わず腕時計を見た。

「来客中悪いんですけど急いでいるようで、確認してもらえますか?」 言いながら身体を応接室に入れる。
鋳造会社のことは社長にしか分からない。 鋳物 (いもの) の型が入ってきたという事だ。 と、窓の外に人影を見たその社員が言った。 とても重要なことを。

「あれ? 藤滝さんが帰ってきたみたいですね」

「おっ、そうかい。 それは丁度よかった」 

若冲と此之葉が窓の外を見る。
ブロック塀の外側の道路で自転車を走らせている少女の姿が見えた。 コートを着ていてわからないが、コートの下にはきっと女性事務員が着ていたと同じ紺色のスモックの事務服を着ているのであろう。

(あのお方が紫さま・・・) 神々しい何かを見るように若冲が胸の中で呟いた。

と、後ろから走ってきたランドクルーザーが、若冲が紫さまと言った紫揺の自転車の横につけた。 助手席の窓が開いて何か話しかけられているようだ。 すると紫揺が自転車を降りると、こちらの建物の方を指さした。 そして何かを言っているように見えた。 道を聞かれているのだろうか。 それまで紫揺の後ろをつけていた悠蓮 (ゆうれん) が曲がり角にそっと身を隠した。 その様子を眉をピクリと上げた若冲が上から見ている。

「って、えー!」

社員が叫ぶと同時に此之葉が口を押え、若冲が視線の先を紫揺に戻した。
若冲と此之葉の間で出窓に張り付いた男の叫びで、すぐさま阿秀が席を立ち、出窓に走ると外を見た。 と、目に入ったのは、車の後部座席から飛び出てきた男が紫揺の口を押さえて、そのまま車に無理矢理入れようとしていた。 暴れる紫揺の手から離れた自転車が倒れる。

阿秀が窓を開け、出窓にバンと両手をつくとその出窓を躍り越えた。 そしてまるで猫のように着地をする。
その阿秀より僅かに早く、曲がり角から様子を見ていた悠蓮が飛び出し、紫揺の口に手を当て羽交い絞めにしている男に飛びかかった。 が、反対の後部座席から出てきた男にいとも簡単にやられてしまい、最後にはブロック塀にその身を貼り付かされてしまった。 あとから出てきた男は身体が大きくかなりの手練れとみえた。 腹を殴られブロック塀に身体を打ちつけた悠蓮がそれでも身を起こし車にしがみつこうとしたが、トランクのないランドクルーザー。 しがみつきようもなかった。

阿秀の飛び降りる姿を車の横に立っていた男がとらえた。 すぐに車に乗り込みエンジンをかけると阿秀の指示でランドクルーザーを追った。

「社長! 藤滝さんが!」 阿秀が信じられなく窓を跳んだことを分かってはいるが、窓から振り返り社長を見た社員を見て、社長が慌てて立ち上がった。 

社長と同時に立ち上がったご隠居役の領主が、人差し指と中指の2本の指を立てるとフッと息を吐きかけ、目の前に立つ社長の額に人差し指だけを当てた。 同時に此之葉も社員の額に人差し指を当てている。

若冲は此之葉に指を当てられている社員とドアの間に挟まれて身動きが出来ない。 いや、動こうと思えば動けるが、どちらかと言えば此之葉の動きを害う気がして動けなかった。 いやいや、もっと正直に言おう。 初めて間近で見る此之葉のそれに驚き足がすくんでしまって動けなかった。 が、この理由は誰にも言えない。

「今見たこと聞いたことは、そなたの深きにある泉の深淵へ深く深く落ちる。 そこは探することの出来ぬ深み。 深淵にぞ落ちし。 そなたの深淵、我が閉じし」 領主の声が静かに滔々と響く。

「藤滝紫揺さんは遠縁である我々とここで話し、郷に帰ると承諾した。 そしてそなたも承諾した。 急いでいるので誰にも挨拶が出来ない。 今、そなたと話していた男と藤滝紫揺さんは既に車の中で待っている。 仕事のことは急ぎ新たに人を求める。 それまではこの此之葉を置いてゆく。 此之葉と藤滝紫揺さんとは知り合いであり、藤滝紫揺さんの仕事の話を時折聞いていた故、何の心配も要らぬ」 言い終わるとそっと領主が人差し指を離した。 

若冲の前で似た言葉を此之葉も発していて、今その此之葉も指を離し、何もなかったようにすぐに横を向く。

「・・・と。 あれ?」 社長がまた白髪頭を乱暴に撫でた。 社員も 「あれ?」 と言っている。

「そういう事ですので、藤滝紫揺さんは私と郷に帰ります。 急な申し出を聞いてくださり感謝をいたします。 では、長々と仕事のお邪魔を致してしまいました」 領主が深々と頭を下げる。

「あ・・・えっと。 うん、そう。 そうでしたね。 くれぐれも藤滝さんをお願いします。 それと此之葉さんでしたね」

「はい。 宜しくお願い致します」 此之葉が頭を下げた。

「それでは」 領主が今度は軽く頭を下げた。

社長、社員はテン鋳造と会うため隣にある工場に、領主と若冲は車に戻る為、此之葉は事務所に行く為に階段を降りた。 最後に応接室を出た此之葉が抜かりなく、社長がうっかり置きっぱなしにしていた阿秀の名刺をポケットに入れて応接室を後にしていた。

ガラスの扉には 『昼休み中につき、暫くお待ち下さい』 という札がかけられてあり、扉には鍵をかけられて事務所には誰も居なかった。
誰もいなくて正解だった。 もし誰かが居て、その顔をカウンター越しの窓に向けていれば阿秀が窓を飛び降りたところを見られたであろう。
「あ! 誰かが落ちてきた!」 という風になっていたこと間違いない。 だが、昼休み、誰もそれを見ることはなかったし、階段を下りてくる客の一名が足りないことも知ることはなかった。

一緒に階段を降りてきた社員が此之葉に紫揺の席を教え 「昼休み明け、社長から紹介されると思うけど、お昼ご飯はもう食べたの?」 と訊いてきた。

「はい。 済ませてきました。 藤滝さんのお席に座っても宜しいですか?」

「もちろん」

「お昼休みが終わるまでお席の周りを拝見しておきます。 どうぞ、お昼ご飯を食べてきてください」

「あ、じゃ。 みんな奥の部屋で食べてるから何かあったら呼んで」 いうと事務所奥にある扉を指差した。

コクリと笑顔で頷く返事をする。

社員がそのまま社長の後を追って事務所を出て行くと、此之葉が紫揺の席に着き目を閉じた。

するとこの机で紫揺がやっていたことが手に取るように此之葉の瞼の裏に映し出された。 それは二次元的な縦と横があるだけのべタッとした瞼の裏ではない。 四次元的にさえ見える、聞こえる。 紫揺の目で見ている仕事中の動作であり、目の前にある電話の応対であった。 同時に他の角度からも見える。 伝票を切る。 台帳をつける。 紫揺のその動作、紫揺の目が此之葉の目となり、それが理解へと繋がる。 手元を見ただけでどんな仕事をしていたのかが分かる。
取引会社の名前も伝票からはっきりと分かる。 紫揺の電話応対が聞こえる、その手でどんなメモを取っているのかが見える。 此之葉が電話に出ても相手の名前を聞き返すことなく応対する事が出来る。 紫揺がどんなことをしていたのかが全て分かる。 湯呑みを持てば誰の湯呑みかも分かる。

領主は此之葉が紫揺から事前に仕事の話を聞いていると言ったが、そんなことがある筈もなく、此之葉のこの力があってこそ言える言葉であった。


領主の乗る車がブロック塀を出るとすぐに脇から身体を引きずりながら歩いて来る悠蓮 (ゆうれん) が見えた。

車を下りた若冲が悠蓮に肩をかす。

「すみませんでした」 助手席のドアを開けると肩を借りながら後部座席に座る領主に頭を下げた。

「過ぎたことは良い。 が、紫さまを追わねばならん」

車で北の領土の人間と思われる人間、紫揺を攫ったランドクルーザーを追った阿秀たちが、紫揺の乗る車に追いついたのだろうか・・・。 いや、それとも北ではないのであろうか。


夜ホテルの一室で阿秀が領主に頭を下げた。

「申し訳ありません。 逃がしてしまいました」

「・・・そうか」


隣の部屋ではちりじりに探っていた者たちが集結している。

「紫さまを車に無理やり連れ込んだとは、信じられん」 梁湶 (りょうせん) が言う。

「そう言っても、目の前で起きたんだ」 今度は悠蓮。 やられた体の痛みがまだ残っている。 顔をしかめながら言った。

そう言われて警察署内に醍十 (だいじゅう) と共に居た野夜 (のや) が考える。

「悠蓮をやったヤツは身体が大きかったんだな? それじゃあ、あの時のガタイのいい男がそうと思わないか?」 野夜が醍十に問いかける。

「どうだぁ?」 今度は醍十がホテルのロビーで探りを入れていた男、湖彩 (こさい) に目を向けた。

「身体が大きかったことは大きかったさ。 だからと言ってソイツかどうかは俺には分からん」

「・・・そうか。 が、その可能性を考えると資料室に入って情報を手に入れるとすぐに、紫さまを攫ったということか?」 野夜が醍十に目線を送る。

「まさかっ! そんなことは有り得んだろう。 領主もなしに紫さまに接触するなどと!」 醍十が言う。

「いや、既に来ていて車の中に居たのかもしれない。 そうとしか考えられない」 湖彩が言う。

「それは有り得ない。 まず領主が運転するはずはない。 そして助手席から話しかけられたということは、それも領主ではないだろう。 2列目には少なくとも2人いた。 そのうちの一人、ガタイのいい男が座っているんだ。 そんなむさ苦しい所に領主は乗らん。 2列目には二人以上は座らんだろう。 3列目に領主が乗るなど考えられない」 冷静に野夜が言う。

「それはどういうことだぁ? 言ってみれば、お前はさっきガタイのいい奴は北だと言ったんだぞ。 だが、今の言いようでは北でないと言っているということになるぞ」 醍十が言う。

「いや、北ではないとは言っていない。 領主が居なかったと言っているだけだ」 野夜の言葉に全員が驚愕の目を向けた。

「・・・おい、どういうことだ」 誰が言ったのだろうか。

「どう考えても誰が紫さまを攫うんだ? 俺たちが調べた中でそんな種があったか?」 全員を見渡して続けた。

「今日一日動いていてお父上の会社も分かった。 お父上お母上が誰に恨まれていることもなかった。 もちろん紫さまだってそうだ」 梁湶だ。

「ああ、たしかにな。 攫われる理由なんてどこにも見当たらないなぁ」 野夜と一緒に動いていた醍十が言う。

「紫さまを攫ったのは北だ。 領主不在で紫さまを攫った。 だから、それほどまでに北が紫さまに不敬であったってことだ」

しばらくの沈黙が流れた。

「今回のことで最初に愚行を踏んだのは俺だ」 野夜が両手で顔を覆うとその肘を足に置いた。

「どういうことだぁ?」 醍十が聞く。

「あの時、警察署を引き上げる時に気になったんだよ。 そのガタイのいい男のことが」 両手で顔を何度も擦るとその手で髪の毛をかき分けて続ける。

「お前の言う通りに、あの場に残っていればよかったんだ」

「残って・・・なんだぁ?」

「少なくともあの場に残っていれば、そいつのことが気になって奴らをずっと追えていたはずだ。 紫さまを我が領土にお連れ出来ることだけに気がいき過ぎていた。 先に北のことを考えなければならなかった」

「・・・そ、そうか。 そういうことか」 いつまで経っても野夜の言葉の先を読めない醍十である。

「言うな。 悔やみ事は全員にある。 俺だってあのままそいつを尾けていればよかったんだ」 ホテルのロビーで探りを入れていた男、湖彩が言う。


部屋では沈黙の時間が流れていた。

「領主・・・」

「ああ・・・。 また独唱様にお願いするしかないかもしれんな」

「・・・はい」

「塔弥に連絡を入れてこのことを話しておいてくれ」

「はい」

「私は一度帰るが・・・どうだ?」 隣の部屋に目線を送る。

「領主の下知であれば帰ると思いますが、下知が無ければきっと紫さまをお探し終えるまで帰らないと言うでしょう。 少なくとも紫さまのお父上の会社は分かりましたが、僚友が居られたかがまだ分かっておりません。 そのことでは何人かは残さなければと、思っております。 それと、此之葉をまだ一人にするわけにはいきませんので」

「そうか、ではそのことは阿秀に任せる。 お父上のことはくれぐれも抜かりなくしてくれ。 それにしても探すと言ってもどこをどう探していいのかが分からんのに残るというのか・・・」

「申し訳ありません。 全て私の手落ちです」

「いや、一番に問われるのは私だ。 浅慮であった。 あのまま会社に入らず待っていればよかったんだ」

「・・・領主。 ・・・領主は紫さまの周りをも考えられて事を起こされたのです。 決してその様なことはございません」

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虚空の辰刻(とき)  第8回

2019年01月04日 22時47分28秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』






                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第8回



ホテルに着き部屋に入ると領主がソファーにドッカリと座り込んだ。 さすがに乗りなれない乗り物つづきで疲れたようだった。 その後ろに此之葉が立とうとしたとき 「此之葉も疲れただろう座りなさい」 領主が目の前のソファーに座るよう促した。 

コクリと頷くと帯が背もたれに当たらないよう、肩までの髪の毛を持つ市松人形のようなその姿を浅くソファーに預けた。

領主と此之葉が着ているのは、初めて紫揺に会う時に失礼のないように、この日本での衣裳を揃えてくれと、領主が阿秀に言って揃えさせたものだった。 領主には羽織袴、此之葉には振袖だった。

阿秀が緑茶を入れて二人の前に置く。

「今は、もう会社に行かれている時刻です。 この衣装のままで会社に行かれるのは・・・。 着替えを用意しております」

「そうか。 早く出んといかんな」

「紫さまには二人付けております。 今のところ北の影が見えたという報告はありません」

「そうか。 北が早々に紫さまの居られる所が分かったとしても、北の領主を待っておるのかもしれんな」

「それはどうでしょうか。 先 (せん) の紫さまのことを思いますと何をするやら・・・」

「うむ・・・。 わしもその時のことは話にしか聞いておらんから詳しくは分からんが、船の上には領主がおったそうだ。 さすがの北も領主無しという無礼はせんであろう」 一口飲んだ湯呑みをコトンと置いた。

「領主が居てあのようなことをすること自体が信じられない話です。 無礼どころの話ではありません」

冷静に言ってはいるが、嫌悪という箒を持ってその無礼を掃き散らす思いで言う。

「ああ、そうだ。 信じられないことだ。 今の領主がまともであってほしいと願っておったが、無理な話だったようだな」 

北の影が見えたことで領主がまともでないことを改めて知った。 だが東から見ての無礼である。 決して北から見ては無礼ではないのかもしれない。 もし誰かがそんなことを言えば、東は憤慨するであろうが。


領主が此之葉を見て茶を飲むよう目顔で促した。
コクリと頷くと白皙にして繊弱な手を伸ばすと湯呑みを持った。 此之葉のことをよく知らない者が見ると支えてやらねば今にも倒れるのではないかと思うだろう。 が、決してそうではない。 阿秀さえもその才に歩を引く此之葉である。 勿論、警察署内に居た二人も。

阿秀が相変わらず無表情な此之葉の顔を見た。
(乗ったこともない車や飛行機に乗ったというのに、疲れも見せないか)


領主が時計を見るともうすぐ11時になろうとしている。

「そろそろ着替えるとしようか。 どうだ? 此之葉はもうよいか?」
訊かれ、コクリと頷く。

「此之葉の服は隣の部屋に用意してある。 このカードで開けて入るといい」 カードキーを渡しかけて小首を傾げる此之葉に気付いた。

「あ、そうだったな。 私が開けにいこう」 この土地のことは何一つ分からない。 よってキーの開け方が分からなかったのだと気付いた。


車を走らせること30分弱。
着いた所は此之葉が見た事もない建物であった。 表情の薄い此之葉が少し目を丸くしている。

そう高くはないブロック塀で囲まれた中は、車が何台も停められる広さがあり、数台停まっていたとしても、充分に2トントラックがUターンできる。 今は大型トラック1台と、営業車であろうか社名の入った車が2台、通勤の車と思われる車が数台停めてあった。 そして奥に建物があり、その右にプレハブ工場が見える。
左にある建物は2階建てになっていて、1階の左端にガラスの玄関扉があり、その横右側にずらっと大きな窓があった。 その窓から中で仕事をしている姿が見える。 1階が事務所になっているのであろう。 2階にも大きな窓が見えるが、ブラインドが下がっていて中を窺えることは出来ない。
プレハブ工場と2階建ての建物の間には、屋根付きの駐輪場があり、5台ほどの自転車とその奥に数台の原付バイクが停めてあった。

ブロック塀の中に入る前に、1人の男が近づいてきて助手席の窓をノックした。 運転席から助手席の窓を下げる。

「どうだ?」 阿秀が男に聞く。 

後部座席に座る領主に目礼すると阿秀に目線を戻して答えた。

「今のところ北の影は見えません。 紫さまは今、使いに出られていて悠蓮 (ゆうれん) がついています」
阿秀の服装を見て、おや? と思いながら答えた。

「そうか」

「領主、どう致しましょう」

「うむ・・・。 先に入っておこうか。 会社と紫さまとの様子も窺えるであろう」

はい、と答えると男に向かって言う。

「今から入る。 後ろに付いて車を入れるといい」 頷くとすぐに車の元に走った。

領主の乗った車がゆっくりと敷地内に入って行くと、遅れてもう一台が入ってきた。 領主たちの車の運転をしていた男はそのまま残り、先程窓をノックした男、若冲 (じゃくちゅう) が領主たちと入口に向かった。


入り口のドアが開いた。 一番近くに居た事務員が顔を上げると最初に入ってきた男性を見て ついウッカリ 「あら」 と一言漏らしてしまった。

「いらっしゃいませ」 どこからも聞こえる声。 教育が行き届いているようだ。

「いらっしゃいませ」 改めてさきほど 「あら」 と言った、紺色のスモックの事務服にアームカバーをつけた歳かさの事務員が、ドア横にあるカウンター越しに応対に出てきた。 

「こちらに藤滝さんがいらっしゃると伺いまして」

(あら) 今度は声に出さず、口から出る前に止めることが出来た。 まぁ、いい男は声もいいのかしら、などという浮薄さに、コホンと咳払いを一つした。

「藤滝さんのお客様? ・・・ですか?」

入口扉を開けると正面には何もない状態でずっとフロアーの片隅だけが続いていた。 そして左手には窓が続き、右手にカウンター、その奥に事務机が広がっている。 駐車場から事務所内を見ることが出来た窓があり十分な明り取りになっている。 陰湿さを感じさせない事務所である。

カウンター越し、事務員の前に居るのは、薄くストライプの入ったグレーのスーツに、見慣れている白ではなく、青く襟元がお洒落なカッターを着ている、30半ばくらいの痩身長躯、眉目秀麗、無駄のない流れるような所作。 文句のつけようのない男が立っている。 これが若いOLなら目を奪われただろう。 だが、応対に出たのは亀の甲をも黙らせる、年の功を背中にしょってる事務員だ。
その男の後ろに茶色の袷の紬に羽織を着ている温容そうな初老の男性、そのまた後ろには黒のスーツ姿がなんとも可愛らしいオカッパ頭の色白の女の子。 その横には20代くらいの濃い青色のスーツに身を包み、体格のいい身体で後ろ手に立っている男が居た。

どうにも理解出来ない取り合わせに胡乱な目を送る。

と、その時ガラス扉が開いた。

「これは・・・お客様ですか?」
低頭して入ってきたのは、小柄で白髪さえ寂しく風に数本揺れる頭髪をした気の良さそうな男だった。

「あ、社長。 藤滝さんのお客様だそうですけど・・・」 少々眉を寄せて小柄の男に緩く訴えた。

「藤滝さんの?」
社長と呼ばれた小柄な男が、一番前に立つグレーのスーツを着た阿秀に目を移した。

「ええ。 ちょっと藤滝さんにお話がありまして。 お仕事中にご迷惑とは思ったのですが、一人住まいの藤滝さんのお宅に男が伺うのは失礼かと思いまして、こうして職場にお邪魔させて頂きました」

「藤滝さんが一人住まいとご存知だったという事です、か・・・?」 気のよさそうな顔がゆっくりと紫揺を守ろうとする顔つきに変わった。

「ええ。 私と後ろのご隠居は藤滝さんの祖父の縁者です。 藤滝さんには直接ご連絡をしたことはないのですが、最近になり藤滝さんのお母様に御用がございまして。 すると昨春にお亡くなりになっていたという事でしたので・・・」 

そこまで言うと心痛な表情を作った。 そのあまりの演技の上手さに20代と見える青色のスーツを着た若冲 (じゃくちゅう) が阿秀のその姿を見ないように目を逸らした。 でなければ今にも大笑いをしそうだったからだ。

(ここに醍十 (だいじゅう) が居れば、何と言っただろうか・・・あ、言う前に顔に出ているな) クッと笑いを堪える。 

醍十というのは警察署内に潜んだ体の大きな真っ直ぐな性格の持ち主の男だ。 その醍十は嘘をつくということが出来ない男だったし、もちろん裏事を考えることも出来ない。 だから今の阿秀を見たならば目を白黒させるであろう。 あの素晴らしい阿秀がそんなことをするはずはないと。 少なからず若冲自身も思うのだから。
その横で此之葉はピクリとも動かない。

「ああ、藤滝さんのお爺さんの縁者さんですか。 遠い親戚という事ですか。 ま、こんな所ではなんですから」 言うと、歳かさの事務員に人差し指を上に向けてみせた。

事務員が顔を歪めながらもカウンターから出て、入り口正面の右にある階段を上がっていった。

「どうぞ。 2階に」

社長を先頭に階段を上がる。 踊り場で一度曲がり、ゾロゾロと2階に上がるとそこは応接室になっていた。 先に上がった事務員がブラインドを上げたのだろう、よく晴れた日、電気をつけなくても充分に明るい。
通された領主と阿秀がソファーに座る。 20代の男、若冲と、おかっぱ頭の此之葉が閉められた戸の前に立った。 部屋の端にあたる戸は入って正面から左手に応接セットがある。 右手にはずっと出窓が続いている。

「あれ? どうぞお嬢さんもお若い方もお座り下さい」
吹けば飛ぶような頭髪の寂しい社長に答えたのは阿秀だ。

「いいえ、どうぞお気遣いなく。 二人は秘書ですので」
秘書といわれた若冲が笑いを堪えるのに口を真一文字にした。

「秘書? ほぉー、それはそれは。 大きな会社をしておられるんですか?」 若冲たちから目を離した社長が席に着いた。

「あ、これは失礼致しました」 胸ポケットから名刺を出すと 「こういう者です」 と似非名刺を差し出した。

(阿秀も役者だな。 それこそ醍十が見たらパニックを起こすかもしれないな)

いつの間にそんなものを用意していたのかと驚きながら、いつもの阿秀とは別人の様子を見せる姿に心の中で呟いた。 それに名刺などもともと持ってはいないが、常日頃の阿秀なら名刺を出し忘れるなどということはない筈だ。 出し忘れたなどと、狙ったのは見え見えだ。

(だが、阿秀が役者をやれるとは知らなかったな) 阿秀の所作もいつもと違うように見える。

胸元のポケットに刺してあった老眼鏡をかけると 「ほぉ、代表取締役で・・・TARIAN?・・・ですか?」 その老眼鏡から上目遣いに阿秀を見る。

「ええ、まだ日本には支社がないのですが」

「という事は、海外でされているということで?」

「ええ、アパレル関係ですが主に女性の服飾関係をしております。 インドネシアで会社を立ち上げておりましてTARIANというのは、ダンスとかそういう意味になるんですが、今更ながらベタな社名を付けたと思っているんです」 これ以上突っ込まれないよう、先手を打って自虐的な言葉を発すると頭を掻く仕草をした。

それで今日の服の感じがいつもと違うのか、と若冲が納得をした。

フランスやアメリカという国名を出すと余りに、もっともらしい似非と見られるかもしれない。 間違いなく似非なのだが。 真実味に欠けるだろうと敢えて避けた。
そう言う30代半ばの男にいい加減な目を持っていないかを捉えようと、社長が阿秀の目の奥を見る。

だが、どれだけ探られても当の本人の目は真剣である。 穏便に紫揺をこの会社から連れ出したいのだから。 とは言え内容はとってもいい加減だ。
たとえ短期間であったとしても、下調べは充分にしている。 相手は機械屋だ。 うかつに機械的なことを言えば、そのまま色んなことを問われて付け焼刃の素人は完全に疑われるであろう。 だから、服飾と言えば機械屋は何も分からないだろうと思った。 それも女性の服飾と言えば。

「ほぅー、海外ならず、服飾とまでいわれましたら私はチンプンカンプンですな。 いやいや、言葉は大切ですからな。 女性の服飾でダンスとはよく考えられましたよ。 それにしてもまだお若いのに?」 

訝る目で見る社長に両の眉を上げて阿秀が答える。

「偶然の成功です。 運が良かったのでしょう」

「ご謙遜を」 と言ったところで阿秀への疑惑が飛んだかどうかは分からないが話を戻した。

「で? 今日は藤滝さんにどんな御用で?」 

阿秀達が入って来た別のドア。 奥のドアでノックが3回鳴ると、さっきと違う事務員が茶を持って入ってきた。 2階には応接室のほかに違う部屋ともう一つ階段があるようだ。
応接室に入ってきた事務員は、慣れた手つきで3人分の茶をテーブルに置き、ドアの前に立つ2人には出窓に茶を置くとチラリと阿秀を見て応接室を出て行った。

順番で言うと、先に客へ茶を出すのが常識だが、この事務員が3番目に置いた茶は自社の社長であった。 立ち聞きをしていたのだろう。 窓際に立つ二人が秘書というのを聞いたに違いない。

『あら』 と言った事務員がお茶を淹れようとしたところ、この事務員が挙手をして自分が淹れると言い出したのだ。

「いい男ですよね。 今度は私に譲って下さい」 と、付け加えて。 特筆すると、配偶者あり、保育園に預けている2歳の男の子がいる事務員だ。

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