大福 りす の 隠れ家

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ハラカルラ 第23回

2023年12月29日 21時12分11秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第20回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第23回




翌朝、やはり一番最後に起きてきた水無瀬が初めて会ったライたちの父親と顔を合わせた。
見た目は逞しい身体を持ち、顔は・・・岩だった。 性格も岩のようで、ワハハおじさんのように柔軟性は感じなかった。 良く言えば生真面目、悪く言えば冗談がきかない、そのまま言えば、座っているのを見ただけで背筋が伸びてしまう。

「夕べはお留守の間にお世話になりました」
(そちらの首脳会議は如何でしたか?)

「ゆっくりできたか」

「はい、お陰様で」
(盛り上がりました?)

「ライから聞いたが、今日もあちらに行くらしいが?」

「はい、ちょっと気になることがありまして」
(夕べのお酒は残ってないようですね)

「そうか。 ライに案内をさせる」

一人で行けそうな気がするが、あくまでも気がするであって目印となる郵便局やコンビニがあるわけではない。 あんな広い所で迷ってしまっては戻って来られないだろう。

「ありがとうございます」

朝から米というものを二日連荘食べ、出汁のよくきいたインスタントではない味噌汁に煮物と、これも二日連ちゃんという贅沢な朝食を終えたあとライと長の家に向かった。
長の家は初めてだったが、煉炭やライの家とそう変わらないようでどこも似たような感じなのだろう。

「烏がそう言っていた?」

「はい。 ずっと矢島さんっていう苗字だと思ってましたから、そうではなかったというので間違いないつもりですが、今日もう一度烏に訊いてきます」

「・・・水見か。 いや、あの時もしやとは思ったが念を押して訊くのもなぁ。 それに昔のそれが矢島の親戚筋として何がどうということは無いのだが・・・」

「だが、というのは?」

「その家に代々、水の世界のことが残されていれば、あ・・・」

長の声が止まってライの眉が動いた。

「いや、各門には各門の在り方がある、というところが引っ掛かってくる」

それは朱門が黒門を頼ってきたとき、黒門が言った言葉。 黒が朱に断った言葉であると、水無瀬は一昨日、長から聞いている。

「その在り方というのが水の世界のだけのことであれば、わしらが口を出すことではない。 だが村の者は補佐をしている。 こちらに関わってくるようなことであれば、また、矢島が今までの矢島の立場である者と違うことをしていれば、在り方というのが変わってしまっている。 わしらが口を出すことではないとは思うが、それは代々のやってきた事を無に帰すということになる。 まぁ、矢島はもう居ない。 その在り方というのを次に残すことは無かったがな」

「長のご心配は分かります。 ですが昨日も言ったように、烏は矢島さんのことを褒めていました。 在り方というのは烏には関係ないことかもしれませんし、代々のやってこられたことが無に帰すというのも烏には関係のないことかもしれません。 でもそうであったのならば、水の世界ではちゃんと役に立っていた、ということで、それで終われませんか?  その、村の人たちの補佐というところに何か影響が出ていなければって前提ですけど」

「それが矢島の居なくなった理由だとしてもか?」

水無瀬の隣に座っていたライが言った。

「あ・・・」

考えてもいなかった。

長が腕を組み「ふむ」 と言い
「まぁ、今は何もかも分からん状態ということ。 水無瀬君の言うように何もなければそれでいいがな。 だがライの言うようにそれが為の理由であれば、放っておくわけにもいかないだろう。 村の者として居てくれたんだからな。 水無瀬君が今日水の世界に行くことは聞いた。 ライ、頼むぞ」

ライが頷く。

水無瀬より遅れて長の家を出てきたライの案内の元、水無瀬が穴の中に入り、机のある所から更に奥へと進んで行く。
ピロティ―に出た。 誰も居ない。 大きな穴に足を向ける。
大きな穴には二羽の烏が居た。 黒と白。 それぞれが何やらしている。 昨日説明された水鏡の前には白である白烏が居る。 羽を動かしているようだが、後姿となっていて何をしているのかは分からない。 黒烏もこちらに背を向けて羽を動かしている。 時々足で何かをしているのは足癖が悪いのか、羽では掴めない何かを足で掴んでいるのだろうか。

「鳴海、何をしておるのか、入ってこい」

こちらに背を向けているのに黒烏は水無瀬に気付いたようだ。

「えっと・・・お邪魔します」

「今日は水の宥(なだ)め方を教えようかのう」

「あ、いや、その前に、ってか、それはいいです。 お伺いしたいことがあって」

「あん?」

黒烏がゆっくりとぴょんぴょんと跳ね身体をこちらに向け、白烏が首だけでこちらを向いた。

「それはいいとはどういうことだ」

ぴょんぴょんと跳ねながら水無瀬に近づいてくる。 水無瀬を睨んでいるような気がしないでもない。

「いや、あ、っと・・・」

この事ははっきりとお断りしない方がいいのだろうか。 何気なく、そろりとスルーするあくまでも丁寧に。

「いえ、分からないことがあるので教えて頂きたいなって」

ちょっとプライドをくすぐれば、この烏は簡単に釣れるかもしれないと続けて言う。

「烏さんが御存知ならばのお話しですけど」

「あーん? わしに知らないことなどあるはず無かろうが」

釣れた。

「ではお伺いして宜しいでしょうか?」

「何でも訊くがいい」

「矢島さんは水見矢島さんで間違いないですよね?」

「わしが言ったことに間違いがあるとでもいうのか」

「いいえ、俺の覚え間違いかと訊き直しただけです。 その矢島さんは此処で水を宥める以外に何かされてました?」

「別に」

「別にというのは?」

「わしらも見張っているわけではないからのぅ、だが目立って何かをしていたのを見たことは無い」

何か引っかかる言い方だ。

「目立たないことはあった、ということですか?」

「ふーむ・・・黒は歴代他と会うことを良しとはせんようだったが、矢島は違っておったな」

「え?」

『特に昔の黒と青はそんなことがあったからなぁ、誰かがここに居れば引き返すようだ』 と言っていたではないか。 どうしてその時に言ってくれなかったのか。 だが前言のことを突いても仕方がない。

「誰かと顔を合わせていたということですか?」

「何度かな。 見たわけではないが、ぴ、ぴ・・・」

「ピロティ」

「おお、そうそう。 そのピロピーで話していたようだ」

ピロピーではなくピロティだ。

「誰かは分かりませんか?」

「さあ、わしもここで忙しかったからな」

「そうですか。 それともう一つ」

「言うてみぃ」

「烏さんは水見矢島さんのことを、どうして矢島さんと呼ばれていたんですか? 水見さんの方が、その、験が良かったんじゃないですか?」

水無瀬など、水が無い瀬と書いて験が悪いと言われたのだから。

「ああ、それは水見というのが以前に居ったからな。 同じ呼び名で呼んでしまっては昔話をする時にややこしくなるだろう、それに矢島もそれでいいと言ったからの」

「その以前にいらっしゃった水見さんというのは、どちらの方なんでしょうか」

「鳴海、さっき、もう一つと言わんかったか?」

「あ、えーっと、関連質問としてですね」

「ここでは約束ごとは守ってもらう。 それが大きな嘘とは言わんが結果的には嘘になる。 水をざわつかせることになる」

「あ、はい」

「ではその水の宥め方を教えよう」

ここでお断りしたり何気にスルーしてしまっては、さっきの質問に答えてもらえないかもしれない。
それに仮に水の宥め方を教えられたとしても、烏が言っていたではないか、ここに来ることがなくなった人間もいると。 ここに来なければならないと強制されるものではないのだろうし、よく考えれば昨日烏に次はいつ来るのかとは訊かれなかった。

「はい・・・でも俺に出来るなかなぁ」

「出来るに決まっておろうが、どれだけかかるかは分からんがの。 おい? 教えてやってくれ」

白烏が羽を止めこちらを向いた。
黒烏が教えてくれるのではないらしい。
白烏が羽をクイクイと、まるでCome onというように動かし水無瀬を呼ぶ。

「あ、宜しくお願いします」

何故かヘコヘコとした態度で水無瀬が白烏の横にしゃがむ。

「これは水鏡という」と白烏が言った水鏡には水の中の様子しか映っていない。 当たり前といえば当たり前だが。

「じっと見てみ」

見てみ、と言われてもそこそこの大きさである。 どこに焦点を絞って見ていればいいのか分からない。

「ほれ、水がざわつき始めた」

「え?」

どこだ?
じっと見る。

「この程度で終わってくれれば、この水鏡で対処できる」

どこか分からないのだから、この程度がどの程度か分からない。

「ざわついているところに羽を当てる」

「・・・あ」

さっきまでは静かな水が映っていたはずだったのに、いつの間にかほんの僅かだが水が揺らめいているのが見えた。 だが揺らめきといえば穏やかに聞こえるが、そうではなく不自然な動きと言った方がいいだろう。

この “ざわつき” と呼ばれるものを見るというのは、クイズ番組でよく見る徐々に画像が変化していく、それによく似た感じだ。
白烏は伸ばした羽をゆっくりと円を描くように動かしている。
宥めるというのはまさに言葉の通り、宥めるということらしい。

「こうしていても水が静まらない時にはその場に出向く。 ほれ、やってみぃ」

白烏が羽を引く。 代わりに水無瀬が手をそっと出し指を同じ位置におくと、鏡のはずなのに水を感じる。 不思議に思いながら白烏と同じように円を描くように動かす。

「水のざわつきを感じるか」

不思議だ。 あくまでも鏡なのに鏡に映っている水を感じることが出来るだけではなく、その水が不自然な動きをしているのが指に伝わってくる。

「はい、多分この感覚がそうだと思います」

しばらく円を描いていると、段々と不自然な動きがおさまってきた。 まだ完全ではないが。

白烏が横目で水無瀬を見ているがそれに気付いていない。

「ふむ、これで静まりそうか。 完全に静まるまで指を止めるな」

「はい」

まだ指には静まりきっていない感覚があったが、暫くすると指がポチャンと水の中に入るような感覚があった。 実際にさっきまでは指が水に触れている程度だったのに今は手首まで浸かっている。

「こら、そんなに手を浸けるでない」

「あ、はい」

すぐに手を引くとバチンと頭を叩かれた。 羽で。

「ゆっくりとせんか!」

「はぃぃ、すみません」

最後は失敗してしまったが、それにしても簡単なことであった。
っとにもう、とブツブツ言いながらも白烏の説明は続く。

「この程度で静まるものなら、楽なのだがな。 まだ分からんうちの目安として、この水鏡いっぱいに水がざわつくようであれば、そこに行って水を宥める」

何故か白烏が半眼の目を水無瀬に向けてきた。 何も言っていないのに。

「はい?」

「鳴海、お前いま、こんな簡単なことと思っただろう」

「あー・・・いえ、そんなことは・・・」

「嘘をつくと水がざわつく」

「・・・ちょっとだけ思ったかもぉ・・・」

「言っておくが、これを習得するに何か月もかかる。 長い者では年単位。 水のざわつきすら見るのにどれだけもかかる者も居る」

「え?」

そんなことはない、見えた。 それに単に円を描くだけに? あ、また思ってしまった。

少し離れたところに居た黒烏が会話に入ってきた。

「昔はそれなりにやってはおったが段々と足が遠のく。 今など習得する前に途中でやめる者も居るからのぅ」

「まぁ、ざわつきが見えん、見えても宥めることが出来ん、そうなれば仕方が無いのだがな。 だが飽きるということは無い。 そのざわつきざわつき、全てが違う」

「でも円を描くだけですよね?」

「今の場合は小さかった。 言ってみれば右往左往の右往というところか。 だが大きくなればなるほど水は悲しみ、泣き、苦しむ」

なんというネガティブな言葉の羅列。

「描くだけというが鳴海だから言える」

「どういう意味で―――」

「わぁぁぁー」 という、雄叫びを抑えた雄叫びに水無瀬の言葉が遮断された。
水無瀬と白烏が雄叫びの元である黒烏を見る。
「入ってきた!」 そう言って黒烏が穴から泳いで出て行く。
「またか」 と言うと白烏が水無瀬を見る。

「いつ戻って来られるか分からん。 居られる限りでいい、水を見ていてくれ。 その代わりと言っては何だが、さっきの水見の質問に答えよう」

「はい!」

思わず力が入り「うるさい」 と言ってまたもや白烏に頭をはたかれた。

「水見というのは黒か青か朱か白の人間だった」

そう言い残して白烏も泳いでいった。

「それって答えになってないんですけど」

ましてや長以下の答えではないか。 黒以外ということは分かっているのだから。 黒であったのならば歴代に名が残っているはず。 ならば長が知っているはずなのだから。
ライを待たせていることが気にはなったが頼まれては仕方がない。 それにネガティブワードの羅列を聞かされた。 小さなざわつき相手しか出来ないが放っておくことは出来ない。

じっと水鏡を見てざわつきを見つけると指を当て円を描いていく。
それを繰り返していると、最初よりよほど早くざわつきを見つけることが出来るようになってきた。
多少の位置のずれはあるものの、ざわつきは水鏡のほぼ中央に見えた。 そして早く見つけ円を描くことによって、早く静められることが出来るということも分かった。
何度も繰り返すうち、白烏が言っていたことではないが、水が右往左往というのが分かったような気がする。 穏やかなハラカルラの水がどうしていいのか分からず、まるで迷子が立ち止まり大泣きをする前に、半泣きの顔で左右を見ながらあちこちを歩いているような感じがした。

「たぁー、目がイカレそう」

じっと水鏡を見ているだけ、目がどうにかなりそうと思っても不思議はないが、ここではそういう心配は無用であるのはわかっている。 だがつい口から出てしまう。
ここには時計などない。 どれだけの時間が経過したのだろうか。

「さすがにもういいよな」

どれだけライを待たせてしまっただろう。 ピロティに出ると黒の穴を潜った。

「よ、お疲れ」

何もなかったように片手を上げる。

「悪い、かなり待たせた」

「気にしなくていい、これも俺らの仕事だからな」

「ん? 仕事って?」

「補佐。 あ、気にしなくていいからな」

補佐と言ってしまえば、水無瀬は矢島の跡を継ぐ者になったということになる。 そこに気を使ってくれたのだろう。
行こうか、と言ってライが歩き始めた。

「なんか、断り切れなくて水の宥め方を教わされた」

「そうなんだ」

ライの返事が素っ気なく感じて隣を歩くライを見たが、よく考えればそれ以外の返事のしようが無いのだろう。

「矢島さんのことを訊きに来たつもりだったんだけど大きな収穫は無し」

「無理しなくていいよ」

水無瀬がもう一度ライをチラッと見て顔を俯かせ「大したことじゃないけど」 と言って続ける。

「代々の人達は昔昔のことがあって、他の門の人と会うことを良しとしなかった、誰かが居ると引き返してたってことだったらしいけど、矢島さんは誰かとここで話していたらしい」

「誰かと?」

「それが誰かは分からなかった」

「・・・その誰かが、矢島のことと関係してるのかなぁ」

「烏も忙しくて誰かまでは確認してなかったみたいだ。 それと別に疑っては無かったけど水見さんという人は居たみたいだな。 烏の記憶が鮮明でないらしく、どこの門の人かは覚えていないようだった」

「そうか・・・」

“そうなんだ” より短い “そうか” だったが “そうか” には複雑な思いが込められているような気がする。

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ハラカルラ 第22回

2023年12月25日 21時19分55秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第20回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第22回




適当にと言われてもコップを持ったままベッドに座れるはずもなく、ましてや勉強机にも座りがたい。 ミニテーブルにコップを置きライの正面に座った。

「ご自由につまんで。 他にもまだある」

ベッドの下からコンビニ袋を出すとひっくり返した。 バラバラとチョコやお菓子の箱や袋が出てきた。

「いや、いい」

しっかりと夕飯を食べたのだ、腹は減っていない。 それにこれから甘いココアを飲むのだ。

「そぉ?」

ざざっと、散らばった菓子の箱や袋をひとかためにする。

「まっ、食いたくなったらどれでも食って」

「うん。 さんきゅ」

それから無言の時間がどれだけ続いただろうか。 ライがポテトチップスを食べるポリポリという音だけが聞こえていた。
ライからは何も訊かないということだろう。

『話くらい聞ける。 聞くことしか出来ないけどな。 話してちょっとでも楽になるなら聞くからさ』
穴から出てきた時にライはそう言っていた。 それを貫いているのだろう。 誰かに言われたか、それがライの考え方かは分からないが。
そしてライからは訊かないと言っていた。 結局あの時はあまりのことに訊いてきたけど、でも訊かないというのはそういう意味ではないだろう。

「矢島さんってどんな人だった?」

まるで今までの無言の時が無かったようにライが水無瀬に答える。

「んー矢島かぁ。 俺が小さい時に突然、水の世界に現れたらしいってことは聞いたな。 で、結構あっちに行きっぱなしだったから、たまに話す程度であんまり知らないけど、すんなり水の世界を受け入れたらしい。 あ、あんまりここんとこ気にすんなよ、矢島は矢島、水無瀬は水無瀬だからな」

「お気遣い痛み入ります」

「苦しゅーない」

煉炭といて楽しいことは楽しかったが、このテンポは望めなかった。

「矢島さんはどうしてすぐに、ってか、すんなりと受け入れられたんだろう」

「うーん、矢島に限られたことではないんじゃないか? 俺も知ってるわけじゃないから全員とは言わないけど、それでも代々が続いてきたからな。 ああ、それとも水無瀬の場合、矢島のスカウトの仕方が下手だったとか?」

「スカウトって・・・。 スカウトにもなってなかった」

「そういやぁ、頼むって言われたって言ってたな、他に言われなかったわけ? 忘れてるとか」

「ない。 あるとしたら “頼む” ってあれを渡される前に “やっと見つけた” って言われたのと “あとを頼む” って言われたくらい」

「あー、そっか。 やっぱ、矢島は水無瀬に決めたんだ」

「ん? 今更?」

「いや、ほら、事象からじゃなくて感情的にって言うの? やっと見つけたってのは、そうなるだろ?」

「まぁ・・・。 でも、取りようによっちゃ、あとを頼める人間をやっと見つけた。 初めはあれを誰かに渡して欲しいんだと思ってたんだけどさ。 いわゆる俺は郵便配達員的な?」

「見事に違ってたってわけだ。 まぁ、何も知らなきゃそんなもんだろ。 で、その矢島がネットニュースに出たってわけだ」

「うん、もう一年ほどになるから顔は―――」

「は? ちょっと待て! いまなんて言った? 一年?」

「はっきりと覚えてるわけじゃないけどそれくらい前。 去年の今頃、ダウンを脱ごうかと思ってた時だから。 長から聞いた話では、一昨年の終わりごろに矢島さんが居なくなったってことだけど、それの二、三か月後ってとこかな」

「えー、そんなことは早く言えよー」

「え? これ必要?」

「よく考えろよ。 矢島はほぼ一年前に水無瀬を見つけていた。 なのに村にも水の世界にも戻って来なかった。 おおよそ一年、矢島はこっちで何をしていた? って話になるだろ」

「いや、待ってくれよ、ライたちは矢島さんの足跡を追ったって言ってたじゃないか、それでその中に俺が居たって。 そしたらいつ接触してたかって分かってただろ」

「残念ながら水無瀬を見つけたのは一ヵ月前にもならない。 それで目撃した人に訊いても記憶が薄いということだったけど、去年の寒い時ということは言っていた。 それならこの冬って考えるだろう。 この冬の数か月前とかって。 でなきゃ矢島が戻って来ないはずがないんだから」

「うわ、いい加減な調べ方」

「悪かったな」

「矢島さんは一年も何をしてたんだろ」

「全く分からないな」

「そうか。 俺と会った時、矢島さんは誰かから逃げてるふうだった」

ライが口を歪める。

「多分・・・朱だろうな」

「俺、事情はライよりかは知らないけど、赤と決めつけるのはどうかな」

「どういうこと?」

「いや、さっきの話じゃないけど、思い込みは禁物だってこと」

ライが半眼で水無瀬を睨んでポテトチップスを齧った。

矢島は村の誰にも何も言わなかった、それはライたちと初めて会った時に水無瀬は聞いていたが、やはりそうだったようだ。
烏に訊くしかないのだろうか。 烏は何かを知っているだろうか。 だが単純に考えて何かを知っていたのならば、昔昔の話を水無瀬にしたほどだ、その時に言うのではないだろうか。

「烏は何も言ってなかった?」

このライ、時々心を見透かしているようなタイミングで何かを言ってくる。 それとも野生の勘だろうか。
ナギに訊けば “そうだろう” と答えるだろう。

「あーうん、矢島さんのことは褒めてたけど、特にってことは無かったかなぁ」

「どっち? 黒烏? 白烏(あきがらす)?」

「え? あきがらすって? 黒と白の烏がいただけ」

秋の烏はいなかった。 って、秋の烏ってどんなだ。 夕焼け色か?

「白い烏のことを白烏(しろからす)と書いて、あきがらす。 黒烏はそのまま、くろがらす」

「へぇー、白って “あき” とも読めるんだ」

知らなかった。

「俺たちはそう呼んでる。 で? どっちに聞いたの?」

「黒烏。 あれやこれやと話してくれた。 ああ、そう言えば、ずーっと昔からのことを知ってたけど何年生きてるか知ってる?」

「いやぁー、あれは妖怪だろ。 代替わりをしたって話は聞いてない。 その内、猫みたいに尾が二つに分かれるか、狐みたいに九つに増えるかするんじゃないか?」

猫又か九尾の狐のことを言っているのだろう。
だが代替わりをしていないのなら、猫又か九尾の狐と聞かされて納得できるものがある。 烏はハラカルラの言葉も知っていた。 水の言葉と言っていたが、それはハラカルラの言葉のことだろう。

「長が矢島さんの残してくれた・・・文章って言うの? あれを読んで訳してくれたけど、なんで知ってんの?」

あれはきっとハラカルラの文字に違いない。

「ああ、あれはその昔の長の筋が矢島的存在に教えてもらったらしい。 長はかなり発音に苦しんでたって話だけどな。 小さい子が見る五十音の表があるだろ? あんなのを作って覚えたらしいけど、多分、烏が聞くとカタコトだろうな。 で、書かれていた文章、あれはテンプレート」

「そうなんだ。 矢島さんは前の人に教えてもらったってことなのかな」

「そうなんだろな。 あんなの誰も知ってるはずないし」

烏は・・・黒烏はスラスラと水の言葉を話していた。 ハラカルラの言葉を。 漢字を知っていた烏だ、もしかして文字は烏が考えたものかもしれないが、そうであれば訊けば教えてくれていたかもしれない。
烏とはいったいどういう存在なんだ。 最初の黒の兄妹がハラカルラに入る前から居た、それは黒烏の話から分かっている。

「烏って・・・どこから来たとか・・・」

「うーん、それは誰も知らないみたい」

「漢字も知ってたんだけど」

「そうらしいな」

「そう言えば長が言うところの門、赤門とか青門とか。 あれって門っていう言葉こそ付いてないけど烏が決めたのか?」

「ああ、そう聞いてる。 あの色分けを聞くと単純に陰陽師的かなって思うけど、そうでもないらしいしな」

「陰陽師?」

「知らない? 東西南北、東は青の青龍、西は白の白虎、南は朱の朱雀、北は黒の玄武。 それぞれは神獣。 古代中国の思想で陰陽五行説。 それを日本の陰陽師が受け継いだ。 受け継いだって言う言い方はどうかな、中国から流れてきた。 仏教と一緒」

陰陽師と聞かされて水無瀬の知る範囲ではないと思ったが、それぞれの神獣のことは耳にしたことがあるし絵も見たことがある。

「五行説なのに四つ?」

「あと黄色があるけど、中央とかってなって四方角には入らない」

「そうでもないっていうのは?」

「矢島的存在の何代か前が訊いたらしいけど、なんじゃそりゃ、って返されたらしい。 だったら、色の三原色かって訊いても、同じ答えだったらしい」

色の三原色・・・考えもしなかった。

「そうなんだ・・・。 あ、いま朱雀って言ったよな?」

「うん」

「朱雀(すざく)って、朱(しゅ)だろ? なのに赤?」

陰陽五行説に乗っ取っていないのなら、もっと素直に考えてもいいのではないだろうか。
玄武の “玄” は “くろ” とも読めるし、朱雀の “朱” も “あか” と読めることは知っているし、別段不思議ではないのだが確かめておきたい。

「ああ、だから俺たちは、ってか、烏もだけど朱と書いて “あか” 玄は例外で、黒と書いて黒と呼んでる」

赤門ではなく朱門だったのか。

「かぁー、俺って思いこんでるとこが多い」

「なにそれ、嫌味?」

「いや、そうじゃなくて、完全に信号の赤色と書いて赤門だと思ってたし、矢島さんだって苗字と思ってたから」

「え?」

「え?」

ポテトチップスを半分口に入れかけたままのライに俺は “え” 返しをした。
互いに見つめ合う。
男同士で気持ちが悪い。

「水見矢島さんだろ?」

ライがパリッと音をたててポテトチップスを噛んだ。 口の端からポロっと食べこぼしが落ちていく。 そしてまたそのまま止まった。

「烏がそう言ってたけど。 あ、黒烏が」

半分残ったポテトチップスを持ったまま、ようやくライの手が下りた。 もう一方の手でココアの入ったコップを持ち、チューチューとココアを飲んでいく。
おい、今口の中に入ったポテトチップス噛んでないだろ、喉に刺さるぞ。 ってか、塩味にココア味って、美味しいのか?
ようやくストローから口が離れた。 コップをミニテーブルに置く。 大きく息を吸ってその息を吐いたライが言った。

「矢島水見」

「え?」

矢島水見、ライが繰り返してもう一度言う。

「あー、それって、苗字と名前をひっくり返して外国的な?」

ライが首を振る。

「矢島は自分のことをそう言っていた。 水の世界では嘘をつくと水がそれなりに反応する。 烏はそれをすぐに察知するはずだ。 だから烏が言った水見矢島というのが、本名だろう」

「あー、ってことは、ここでは単にひっくり返して言っただけとか?」

バンとドアが開いた。
ヒッと、二人が声を上げ、ライは左を、水無瀬が右を向いた。 そこにナギが立っている。

「ナギかよ・・・」

「ドアが開いたくらいでビビるな」

「ノックくらいしろよ」

「はん、女子会でもないのに、何を気を使わなくてはいけない」

「水無瀬が裸だったらどうしてたんだよ」

「蹴り上げてくれるわ」

思わず水無瀬が大事なところを守る。

「そんなことはどうでもいい」

水無瀬にとってはどうでもよくはない。

「おかしいと思ってたけど、やっぱりそうだったのか」

「立ち聞きしてたのかよ」

「部屋を出た時に聞こえただけだ。 ライ、ココア」

何故この流れでココア?

「自分で取ってこいよ、それに今は男子会。 女子は入室禁止」

ナギがライをひと睨みする。

「もぉー」

ライが立ち上がった。
どっちが兄でどっちが妹なのだろう。 それにナギって二重人格か?
今ナギはアパートでの言葉と態度、さっきと随分違う。 ナギは二重人格なのだろうかと、水無瀬が思っても仕方のないことである。
ベッドを背もたれに、ライの座っていたところにナギが座る。

「おかしいって、なにが?」

「矢島の身体を引き取りに行った時、矢島がこの村の者だと証明するものは駐在と住民票。 まぁ、私と写ってる写真はあったけど、おまけみたいなものだからな」

写真と聞いて泣き崩れたということを思い出す。

「そのときに住民票こそ見てはいないが、長が矢島水見と言っていたからか、警察が水見矢島と小さな声で言ったのが聞こえた。 住民票も何もかも手続きは駐在がしてくれていたから、そのままなおざりになった。 駐在が何も言わなかったということは、駐在は私らが矢島と呼んでいたのを、下の名前で呼んでいたと思っていたのだろうな。 まぁ実際、村ではみんな下の名前で呼び合うからな。 でも・・・多分、矢島自身、何かあった時を考えて駐在には水見矢島と本名を言っていたんだろう」

「あー・・・、でもそれくらい。 んーっと、何も知らない此処でやっていこうと思えば最初は疑うだろうし、正直に名前を言わなかったとしても仕方ないんじゃないか? 完全な偽名でもないし、ちょっとしたことじゃないかな」

「水見という苗字ではなかったらそれでいい」

「うん?」

ドアが開いた。 ライが両手にココアの入っているだろうコップを持っている。 一つをナギの前に、一つを持ったまま勉強机に置き、そのまま椅子に腰かける。
ライの飲んでいたコップを見ると氷しか残っていない。 さっきココアを飲み干したようであった。

「水見って苗字は過去の、ずっと以前の・・・矢島的存在の中に居た。 それがどこの門かは分からないけどな」

「え?」

「何代か前が烏から聞いたということらしくって、同じ年頃の者が居るとも言ってたらしい」

「その話しを矢島さんは知ってたのか?」

ライが首を振り、ナギが答える。

「誰も言ってはいないし、長も最初に水見と聞いて思うところはあったが、苗字ではないというところで何も言わなかっただろう。 だから矢島は知らないはずなんだが」

「偶然の同姓だったとか」

「そう転がっている苗字でもないだろう。 仮に偶然だとしたら何故隠すようなことをする」

「あー、うん、そうだな」

今の話からするに、ナギは矢島の正確な名前すら知らなかったということになる。
水無瀬とすれば、長から矢島の遺体と対面してナギが泣き崩れたと聞いていた。 それに他にも誰かいたかもしれないが矢島と写真も撮っている。
歳がかなり離れているということも知っているがそれは言い訳にはならない。
今、矢島が偽名を使っていたと知ってナギはショックを受けているのではないだろうか。

「ライ、明日長に報告」

「了―解」

ナギが立ち上がりココアのコップを持って部屋を出て行った。
去り方があっさりとしている。
だがナギが居なくなった、気になっていたことをライに訊ける。

「なぁ、長に聞いたんだけど、矢島さんのご遺体に対面した時、ナギが泣き崩れたらしいんだけど、もしかしてナギと矢島さんってそういう仲だったとか?」

ライが呆れたような顔を水無瀬に向けてきた。

「そんなわけないだろ。 長がどういうつもりで言ったのかは知らないけど演技演技」

「へ?」

「泣いてみせりゃ、事がすんなり運びやすいと思ったんだろ。 まぁ、俺としてはよよよと泣いたくらいかと思ってたけどな、泣き崩れるって、どんだけ力入ってんだって感じ。 ライダースーツから、フリフリのブラウスにロングのフレアースカートにまで着替えて、か弱い女子力満載だったくらいだからな」

なんだ、心配して損をした。

「なに? 水無瀬気になんの?」

「気になるって言うか、年齢的に厳しいとは思うけど有り得なくもないし、もしそういう仲だったら名前のことで騙されてたわけだろ? ショックを受けてたんじゃないかなって」

「あー、そんな心配ナギにはご無用ご無用。 もし付き合っていたとしたら騙されてたってブチ切れる。 ショックなんて受けるもんか」

「へぇ、たくましいのな」

「女って男以上だぞ。 まぁ、ナギがあんなだから、特にそう思うのかもしんないけどな。 そっか、水無瀬って一人っ子だったったな」

一人っ子とは一度も言ったことは無いが身元調査をしたと言っていた。 兄弟姉妹が居るかどうかも調べたのだろう。 居れば仕事先か学校も調べていただろう。 そこまで調べるというのに、矢島と水無瀬が会った時季を一年ほど勘違いしていたのが笑える。

「なぁ、明日も烏の所に行ってもいいかなぁ?」

「別にいいだろ。 まぁ、長には事前に言っとく方がいいけどな。 明日一緒に行くか?」

ライは矢島のことを報告に行くのだろう。

「うん」

水無瀬が立ち上がり「ちょっと気が楽になったみたい。 ありがとな」 そう言ってライの部屋を出た。

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ハラカルラ 第21回

2023年12月22日 20時52分57秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第10回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第21回




ガシガシと髪を拭きながらボディバッグを手に取る。 拭いていたタオルを首にかけ、ボディバッグを開けてスマホを取り出す。 着信の音量はミュートにしていた。
長に連れられライの家に来た途端、疲れただろうと丁度ナギが風呂から上がって来たところだからと、そのまま風呂に入るよう勧められ、スマホチェックはほぼ丸二日していない。
見てみると着信ランプが点滅している。 電源ボタンを押しロック画面からホーム画面に変える。 ラインの着信が5となっていて電話にも着信が7となっている。

「雄哉かな」

電話の画面を開くと大学で同じ講義を受けていた友達からの連絡だった。 留守録に数人からの打ち上げ吞み会のお誘いが録音されていた。
続いてラインを見ようとした時、外から声がかかった。

「水無瀬上がってる?」

ライの声である。

「ああ、うん」

「入っていいか?」

「うん」

ガラガラガラと引き戸が開けられた。

「あ、ドライヤーまだだったか」

まだ濡れている水無瀬の髪を見ながら言う。

「あ、使うんだったら、いいよ」

「あーん、いいんだ。 どうせナギだし」

そういえば丁度ナギが風呂から上がってきたところだとライの母親が言っていた。 まだドライヤーをしていなかったのか。

「ああ、いい。 俺、出るから。 ナギにドライヤー使ってって言って」

「んじゃ、水無瀬が言ってきて。 俺風呂入る。 ナギは台所。 風呂来るまでにあっただろ?」

「うん、分かる」

ライがどんどんと服を脱いでいく。
ライが湯に浸かってる時にここでナギがドライヤーで髪を乾かす。 水無瀬には考えられないが兄妹とはそういうものなのだろうか。

手の中にあったスマホのライン画面を開ける。 やはりこちらも同じ講義を受けていた大学仲間からだった。 こちらも打ち上げ呑み会のお誘いであった。 雄哉を通さないで直接連絡してくるとは珍しいが、この友達たちは雄哉と接点がない。 水無瀬が最後の講義を受けたとどこかで聞いたのだろう。 同じ講義を受けていたのだから打ち上げでもしようということなのだろう。

「あとで返信しよ」

風呂ではバシャバシャと音がしている。
スマホをボディバッグに戻し洗面所を出た。

硝子戸を開けると、ライは台所と言ったがそこにはテーブルもある。 従ってダイニングキッチンであった。 そんな洒落た作りではないが。

「お先に頂きました」

「まぁ、ご丁寧に」

皿を持って振り返った母親。

「あら、髪の毛は?」

「あ、あとでいいです。 ナギ、今ライが風呂に入ってるけどドライヤーをって・・・」

尻切れトンボになる。 なんと言っていいのか分からない。

「え? もうライってば、夕飯だって言うのに」

「いいじゃない、どうせ烏なんだし」

それは泳ぐ烏でも飛ぶ烏でもない。 烏の行水ということである。

「ドライヤーしてくる」

「早く終わらせてよ」

「はーい」

ん? という表情をした水無瀬だが、水無瀬から見てナギの言葉が不自然に聞こえるのは仕方のないことである。
後姿を見せていたナギが立ち上がり、硝子戸近くに立っている水無瀬に顔を向ける。

「うっ・・・」

あまりの驚きにそれ以上声が出なかったがナギにひと睨みされた。 そのナギが素知らぬ顔で水無瀬の横を過ぎていく。

(パックしてたのかよ・・・)

心臓が止まるかと思った。

水無瀬の心臓が止まりかけたことなど知らない母親が水無瀬に声をかけてきた。

「田舎料理なんだけど」

テーブルには煮物や和え物が並んでいる。 昨日の煉炭の家もそうだったが、水無瀬にしてみれば有難いメニューである。

「ラーメンばっかりですから嬉しいです」

「まぁ、そうなの? それは身体によくないわねー。 あと少しで出来上がるからあっちに座ってて」

あっちと言われたのは台所との境の硝子戸が開け放たれた居間で、こたつが置かれている。 天板には籠に入ったミカンもある。 テレビは点けられてはいない。
田舎の家の一室という感じだ。 爺ちゃん婆ちゃんの家は決して田舎ではなかったが、それでも年寄二人で過ごしていた。 よく似ている。 今は既に婆ちゃんも亡くなってしまって家は手放されてはいるが、時々遊びに行った家を思い出す。
風呂上りでもあるし部屋の中は暖かい。 こたつの布団を少し押して座った。

「水無瀬君、たまには実家には戻ってるの?」

「あんまり」

振り返り答える。

「ご実家でご両親寂しくしてらっしゃらない?」

話しが長くなるのだろうか、それならばと身体全身を台所に向ける。

「どうでしょうか。 うちの両親仲が良いんで二人で楽しくやってると思います」

「まぁ、それは別よ。 夫婦は夫婦、子供は違うわよ」

「そんなものでしょうか」

ライたちの母親の話し方に少し疑問を感じた。 昨日の煉炭の母親の話し方と違う。

「あの、おばさんはこの村出身なんですか?」

「ああ、違うの。 ふふ、イントネーションとか違うでしょ? ずっと使ってきた言葉はなかなか直らなくて。 言ってみれば余所者、あ、つまはじきにはされてないわよ。 みんないい人だから。 子供も村のみんなで育てるって感じで楽できちゃってるの。 でも初めて来た時にはこんな山の中だとは思ってなかったけど」

「そうなんですか」

この村の人たちがしていることを知っているのだろうか。 もし知っているとしたら、初めて聞いた時には驚いただろう。

「さ、出来た」

最後の皿をテーブルに置いた時だった、硝子戸が開いた。

「おっ、ナイスタイミング」

(え? もう上がってきたのか?)

早すぎるだろう。

「ナギは?」

「顔のパーツの位置整えてる」

途端、バシッという音がした。
ナギが後ろからライの頭を叩いた音であった。

「誰がそんなことしてるっていうんだ?」

「ナギ、言葉遣い」

「はーい」 と言ったナギだが、二人がほぼ同時に戻って来た。 ということは、ナギがドライヤーをかけている後ろでライが身体を拭き、スウェットを着ていたということか?
とてもじゃないが水無瀬には理解できない世界だ。

「水無瀬、さっとドライヤーかけてきたら?」

「そうね、風邪でも引いたら大変」

「あ、じゃあ、すぐに終わらせてきます」

殆ど乾きかけているが。
さっとドライヤーを終わらせ台所に戻ってきた水無瀬。

「まだお替わりはあるからね、いっぱい作ったからいくらでも食べてちょうだい」

「有難う御座います」

テーブルの上を見ると箸が四膳。 大皿はおいておいても、茶碗も和え物も取り皿も四皿。 今ここに居る人数と同じ。

「あの、おじさんは?」

「親父は首脳会議」

「え?」

「と言う名のドンチャン」

「あ、呑み?」

「この煮物とかはその為に作ってたってこと。 あっちこちから持ち込み呑みだな。 久しぶりにゆっくり出来るってんでな」

「ゆっくりって・・・」

自分のことを言われているのだろうか。

「水無瀬がここに居るからに決まってんだろ」

やはりそうか。

「ライ、その言い方はないでしょ。 水無瀬君気にしないでね」

「そうそ、お父さんたちは矢島のことでずっと忙しかったんだから」

ナギの口から矢島と聞いて長が言ったことを思い出した。 『ナギが矢島の遺体と対面して泣き崩れた』 そう言っていた。 それに矢島と一緒に写真に写っていたとも。

「そうよ、水無瀬君が気にすることじゃないから。 さ、座って」

空いている席はライの隣だった。 当たり前といえば当たり前だが。

「遠慮しないで食べてね。 ラーメンばっかりじゃいけないわよ」

母親が言う横でナギが下ろしたままの長い髪の毛を団子にしてヘアクリップで留めている。
女になったことが無い水無瀬は女の人はよくこういうことをしているが、器用なもんだといつも思っている。

「はい、いただきます」

こういう料理はそうそう食べられるものではない。 練炭の家でもそうだったが、しっかりと遠慮なく頂いた。
夕飯の席では色んな話を楽し気に母親がきかせてくれた。 ライたちの両親の馴れ初めもその中にあった。

「一目惚れってとこね」

少し前、この村の人たちがしていることを知っているのだろうか、それならば初めて聞いた時には驚いただろうと思っていたが、そうではなかったらしい。 聞いたということではなかったらしく、いずれにせよ村の人たちがしていることを知っていたということであった。

「親父のどこに一目ぼれしたんだか」

「あらぁ、カッコよかったものぉ」

キャー、水無瀬君の前で恥ずかしい、と言いながら何故か隣に座るナギをバンバンと叩いている。
その母親を横目で見ながらライが両親の出会いの話をする。

矢島の先代が村を出た時に影から護衛をしていた時だったという。
朱門に襲われかけ、あのキツネ面を付けた数人で対峙し戦いが始まったところを偶然部活帰りのライの母親が見たらしく、挙句にクナイが足元に飛んできた。
それに気付いたライの父親が母親を庇いながら逃がしたということだった。 だから初めては聞いたのではなく見たということになる。
見られたことで長からかなり叱責を受けたらしいが、決して口止めで結婚したわけではないということだった。

「もう、アクションスターそのものだったわ」

母親はそういう系が好きらしく、映画もよく見に行っているということだったが部活は茶道部ということだった。 その時も文化祭の準備で遅くなっていたらしい。

「面を付けてたから顔が見えないもんな」

「あら、岩みたいで頼りがいがあるじゃない」

顔は岩らしい。 この二人、顔は母親に似て正解だったようだ。
三人が三人とも気を使ってくれていたのか、矢島の跡の話しや水の世界に行ってどうだったか、これからどうするのか、などということを訊かれることはなかった。

夕飯のあと水無瀬が案内されたのは、二階の一室の六畳の畳間で部屋にはエアコンがついていて、すでに暖められていた。 リモコンが枕の横に置いてある。
喉が乾けば勝手に台所に行って飲めばいい、用があれば隣の部屋がライの部屋だからと、ライが自分の部屋に戻って行った。
畳間には既に布団が敷かれている。 枕とリモコンをどけてその布団に大の字になって転がる。

今日一晩泊めてもらってどうしようというんだ、俺は。
“矢島さん、どうして欲しいですか” またそれが浮かんだ。
俺は・・・矢島さんと秘密を共有している。 歴代の守り人とも。
少なくとも黒の守り人たちは、きっと青の人間たちのやったこと、いや、人間がやったことではなく、異変のことを口にしたくなかったのかもしれない。

烏が言っていた。
『二十年前の異変はおかしかったのだろう』 『二十年前の異変はどこかが狂っていたのかもしれない』 と。
それを口にしたくなかった。 それは・・・不安にさせたくなかったから。 そう考えると、青の人間たちが飛ばされ居なくなったことは知っていた、ということに頷ける。 その筋が残っていると思うと不安になるだろう。

「ああ・・・俺なに考えてんだ。 あ、返信」

スマホを出しラインに返信を入れる。 電話相手にもラインで返信を入れた。 どちらにも『悪い、ちょっとパス』 と。

スマホを置き両腕を枕にして寝転ぶ。
少なくとも考えるということがおかしい。 この話に乗る気がなければ考えなければいいことだ。 バイトと就活それに専念すればいいこと。 朱門のことは長に任せればいいのだから。

枕を引き寄せ胸に抱く。
『君だ! やっと見つけた、これを頼む!』 『あとを頼む』 矢島の声が頭にひびく。
“これ” というのは便箋のこと、それは矢島が選んだという証。 “あとを頼む” というのは・・・守り人のこと。
便箋に何が書かれてあるのか気にはなっていた。 だから長から聞いて納得はできたものの、それが “あとを頼む” に繋がるというのは考えもしなかった。
“あとを頼む” それは便箋を誰かに渡すとか、そういうものではなかった。

そんなにハラカルラが大切なのだろうか。
この世と重なった世。 クロスしている世。 こっちの世で不浄というものがあると、ハラカルラに影響が出る。
持って帰られない不浄、心の不浄、それは穢れ。

枕を抱いたままごろりと横を向く。

喧嘩、万引き、詐欺、強盗、抗争、テロ、銃の乱射、デモ、汚職、あらゆる事件。
軽いものはそう影響を受けないと烏は言っていたが、どこまでが軽いものなのだろうか。

「戦争」

少なくとも戦争は軽いものではない。 どれだけハラカルラは影響を受けていたのだろうか。
過去形では終われない。 今もどこかで戦争が起きている。
矢島達歴代の守り人が水を抑えて宥めていた。

「矢島さんは正義感を持っていたということなのかな」

百人が百人とも矢島と同じような正義感など持てないだろう。 現に烏から話を聞かされた水無瀬は二つ返事が出来ていない。 矢島のような正義感が無いということになる。

(この村の人たちは生まれながらにして、守り人の補佐をしているってのに・・・俺は・・・)

だがそれは生まれた場所の違いなのだろう。 水無瀬もここに生まれていれば何の疑問も持たず補佐をしていただろう。

(明日・・・もう一度・・・)

烏に会いに行こうか。
そして矢島のことを訊こうか。

烏といえば思い出したことがあった。 水無瀬が自分のフルネームを烏に言った時のことだ。
水無瀬は烏の声に被して、烏曰くのフネネームを言った。
フルネームの無い人間なんて今の時代いないんだよ、と言わんばかりに。 だがその声に力は無かったが。
するとまたもや烏に漢字を訊かれた。 その返事が 『ほほー、鳴る海か。 鳴る水であれば良かったのになぁ。 まぁ、仕方があるまい、そちらの方がまだ良いな』 だった。

苗字だけではなく名前にもケチをつけられた。 それに水が鳴っては異変とやらが起きたということになるのではないのか? と思うが烏は大きな音を立ててと言っていた。 そこまで大きな音でなければいいのだろうか、鳴る程度であればいいのだろうか。

水から始まって水で終る名前って何だよ。 シャレかよ。 と心の中で突っ込んでいると烏に言われた。
『お前は変わっておるのぉ』 と。
喋る烏に変わってるとは言われたくなかったが、あの時の水無瀬にはもう言い返す元気はなかった。

エアコンで乾燥しているのだろう、喉が渇いてきた。
水でも飲みに行こうかと身体を起こし部屋を出た。 と、隣の部屋からもライが丁度出てきた。

「ん? どした?」

「水でも飲もうかなって」

「ああ、エアコンって乾くもんな。 水なんてしょぼいこと言うなよ、いいよ、持って来てやるよ。 部屋で待ってな」

ライが階段を降りていった。

「おーい、開けてー」 と襖の外から声がかかった。 戻って来たライの手にコップが二つ握られている。 それぞれストロー付きである。
「死んだ顔してんぞ、あんまり考えすぎんなよ」 そう言ってコップが差し出された。
「ありがとう」 二つの意味で。

差し出されたコップを見るとアイスココア。

(なんでココア?)

「疲れた時には甘いモノ」

心の声が聞こえたのだろうか。

ライは矢島のことをどれだけ知っているのだろうか。

「いま、ヒマ?」

「忙しくはないし用はない」

それをヒマという。

「ちょっといいか?」

「あーいいけど・・・俺の部屋くる? 和室汚すと母ちゃん煩いし」

「あ、じゃ、お邪魔します」

「ん」

ライの部屋に入ると六畳の洋室でベッドと勉強机、フローリングにミニテーブルが置かれてあり、その上にポテトチップスの袋が広げてあった。
さっきライが言った汚すというのは、ポテトチップスの食べこぼしのことだったのだろう。

「適当に座って」

ライが自分のコップを置きミニテーブルの前に座りながら言う。 その傍らにはちょっと前まで読んでいただろうバイク雑誌が置かれている。

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ハラカルラ 第20回

2023年12月18日 21時04分12秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


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ハラカルラ    第20回




狛犬の振りをした獅子のところまで来た。 さすがにライはもう笑っていなく、プラスティックのキツネ面は顔から外し、持つのが面倒臭いのだろうか頭の横に付けている。

「お獅子の話は聞いた?」

「うん」

ライが足を止め水無瀬が獅子の台座に肘をつく。

「ふーん、烏は何考えてんだろ」

その疑問に答えたくはなく、光霊を入れられたということだけで判断がつくだろうとは思うが、ライはライなりに水無瀬の思いを優先に考えてくれているのかもしれない。

「烏も長も獅子って言ってたけど、煉炭もライと一緒でお獅子って言ってたな」

「敬愛の気持ちを込めて、ってとこかな」

「敬愛?」

「長から聞かなかったか? 俺らは矢島の補佐をしてるって」

「聞いた」

「水の世界の入り口を守ってくれてるってのもあるけど、矢島の為にもお獅子は居てくれてるんだ。 まぁ、今回は残念な結果に終わったけどな。 それでも烏から聞いたお獅子は走ってくれたからな」

「烏はどうやって獅子・・・お獅子に言ったんだ? 水の世界を出られないって言ってたけど」

「クロスしてるって話は聞いた?」

「うん」

長は交差していると言い、烏は重なっていると言っていた。

「お獅子は烏の烏使だからな、烏がこっちの世に来なくてもクロスしている所から烏が言えば通じる。 言ってみれば、水の世界とこっちの世界っていう境がないってことだな」

「へぇー」

「水無瀬もある意味そうじゃないの?」

「なんで?」

「烏じゃなくて水の世界とだけど」

一瞬言われて分からなかったが、よく考えると水が見える時には魚は水無瀬を認識し、水無瀬も魚を認識していた。 そういうことなのだろうか。

「あー・・・そうかもしれない」

そう考えると、ハラカルラに居る烏を見られるということにはなるが、烏使ではないのだから声は聞こえないのだろう。

水無瀬が獅子の鼻を触る。
獅子の、ライオンの鼻など触ったことは無いが、犬の鼻なら触ったことがある。 グリグリと動かすと黒い鼻も一緒に動いていたが獅子の鼻は動かない。 今は石でいるようだ。
何をしているのかとライが見つめている。 そんなライの目をよそに水無瀬が訊ねる。

「あっちの人達、向こうか? 長は赤って言ってたけど」

手を下ろして今度は獅子の足を触る。 砂埃が手に付かない。 ここも、この獅子も村の人たちが毎日きれいにしているのだろうか。 それとも夜にでもなれば獅子自身が毛づくろいをしてきれいにしているのだろうか。

ワンテンポ遅れてライが答える。

「ああ、あっちでも向こうでも・・・朱でも、どれでもいいよ。 通じる」

「んじゃ赤。 赤の人の中に水が見えるって人が居たって俺が言ったの覚えてるか?」

「ああ」

「こっちには居ないの?」

「んー、居ないなぁ。 それにその見えるってのも、その村の出かどうかも分かんないしな」

「どういうこと?」

「水無瀬と一緒って言えばわかるか?」

攫って来た、若しくは話合いで来たということだろうか。

「矢島が接触した人達は水が見えるはずなんだ。 今回は水無瀬に絞ってきたから、他の人には手を出さなかったみたいだけど、水が見える的なことを耳にすると説得なり、自分も一緒だから安心していいとかなんなり言って村に引き込んでる可能性がある」

そういう風に言われると思い当たるところがある。

「引き込んでどうするんだ?」

「そういう人間を集めてるかもしれないってこと。 ま、想像の域だけどな。 長が待ってる、行こか」

「あ、うん」

道々聞いた話では、ライと水無瀬は同じ歳だということだった。 もちろんそうなるとナギも同じということになるのだが、水無瀬としては最初はライが客として来ている時、一つ二つ下だと思っていたし、ナギに対しては姐御とすら思ってしまっていた。
そして水無瀬が乗ったチョッパーの話も聞かされた。

「天才的な乗り方だったらしいな」

「え?」

「あれでこけないのが不思議だとか、補助輪要らないのかって聞いたけど?」

水無瀬の居ないところであれやこれやと言われていたようだ。 どこで見られたのだろうか。

「普通、無理だろ、あんなハンドル」

言い返せたのはそれだけだった。

「うん?」

あの音が聞こえた。
カンか、キャンと聞こえた音だ。

「どした?」

「あの音・・・」

「ああ、ナギが弓の練習をしてんだろ」

「弓?」

「あれは矢を放った時の音」

「ビュンとかじゃないのか?」

「それはアニメとかで擬音として矢が走ってる時の音だろ。 あ、それとも鳴弦(つるね)かな? ま、どっちでもいいけど。 あの音は弦音(つるね)。 弦音(つるおと)っていう人もいるけど、俺は弦音(つるね)っていう方が好きだな。 音によって “つるね” か “つるおと” かを言い分けてるってのも聞くけど、俺たちは弓道を歩んでるんじゃないしな」

「へぇー弦音、っていうんだ。 ふーん。 ナギは弓矢を打つのか?」

「打つとは言わない。 弓を引く、又は射(い)る、だな。 で、一射(いっしゃ)二射とかって言う。 一射絶命って知らない?」

「一球入魂とか絶体絶命とかなら知ってるけど、そっちは知らないかな」

「この一射に命をかける思いで射るとか、一射に全神経を集中させろとかって、平たく言うと、次の矢があると思うなってこと。 ナギはそれを思えるように練習してる」

「へぇ・・・百折不撓(ひゃくせつふとう)と反対ってとこか」

「ほら、戦いって言うか、あっちとあんな状況だろ? 落ち着いて射ることが出来ないからな」

「え? あんな時に―――」

そこまで言って思い出した。 サ-ビスエリアでのことを。 アスファルトに矢が刺さったのをこの目で見たのだった。
そう思うと初めてこの音を聞いたのは山の中。 連れ去られようとした時にキツネ面たちが助けてくれた時だった。 そしてサービスエリアでも聞いた。

「そっ、思いっきりアスファルトに刺さっただろ」

「あれはナギだったのか?」

「基本、ナギは車のタイヤを射るんだけどな。 サービスエリアの時もナギが水無瀬が乗せられてた車のタイヤを射ったことでこっちが居るのがバレたんだけど、せっかく俺がトンチンカンな方に行く水無瀬を驚かせないように、クナイを転がしたってのに、ナギの奴、ブッ射しやがった。 まあ、あの時はあれくらい威嚇しないと水無瀬、完全にやられてただろうけどな」

リアルに思い出した。 あの一瞬がなければ、サングラス男に拳を打ち込まれていたかもしれなかったのだ。
それにあのクナイ。

「クナイ・・・ライだったのか?」

始めて現物を見たクナイ。 それを放ったのはライだったのか?

「うん、そうそう」

クナイだぞ、分かってるのか? もう一度言うがクナイだぞ? この世の中でそんなに軽く “うん、そうそう” と言える代物ではないだろうが。

「眩暈(めまい)がしてきそう・・・」


最初に案内されたのと同じ建物に案内され、入ってみるとライが言ったように長が待っていた。

「あ、ずっとお待たせしてしまっていましたか? 勝手に離れてしまって、すみませんでした」

長が笑みで応え片手を振る。

「ついさっき来たところだ。 それに離れたと言っても水無瀬君がしようとしてそうなったのではないことは分かっている」

長の前に置かれている湯呑からは湯気が上っている。 嘘ではないようだが、これがおかわりだったら優しい嘘と受け取っておこう。

「んじゃ、俺は戻るな」

「ああ、ライ待て」

Uターンした百八十度をそのまま続けて、三百六十度回って元に戻る。

「なに?」

「その面はどうした」

頭に付けたままだったのを忘れていた。

「あ、えーっと、これは、その、店で買ってぇ・・・」

「ナギから聞いたが?」

「わっ、ナギめ」

「どうして面を粗末に扱った」

「いや、粗末に扱ったわけじゃなく、相手がクナイを投げてきて、それで振り返った時に面に当たりまして。 いや、面に当たって割れたのは大変なことだけど、振り返ってなきゃ俺の頭に刺さってたわけで、振り返って・・・面が俺を守ってくれた? とか?」

「今・・・面が割れたと言ったか?」

「あー、はい。 接着剤でうまくくっ付かなくて・・・今度はステップルを打ち込もうかと・・・」

ステップルとはコの字型の釘のようなもの。 割れた部分を股にして左右に打ち込むということだが、それではフランケンシュタインの傷跡のようになってしまう。

「打ち込むって・・・ライ!!」

「はいぃぃぃ」

「すぐに創樹爺(そうきじい)のところに持っていけ!!」

「はいー・・・」

そそくさとライが出て行った。
長がこれほどの大声を出すとは思いもしなかった水無瀬だが、穏やかにしているのは煉炭のような子供の前か、水無瀬のような客人の前だけなのだろうか。

「騒いで悪かったな」

「あ、いえ」

面というのはそれほどに大切な物なのだろうか。

「お面って、木で出来たキツネのお面ですよね?」

「そう、あれは村の面作りが怪我をしませんように、役が果たせますようにと、ご神木の周りにある木から丹精込めて打ったもので十八になった時に渡されるものでな」

ご神木、それは稲荷の鳥居をくぐった時に見かけた紙垂の巻かれた大木。

「そうなんですか」

あのカオナシに似た面もそうやって作られた物なのだろうか。

「水の世界に入ってどうだった?」

「ん-・・・どうというか、烏に会って色々聞かされました」

「ああ、会ったか」

やはり会ったか。 先手を打って昔々の話を聞かせておいてよかった。

「水の中を泳いでいたのか?」

「あ、泳いでいたことは泳いでいましたけど、うーんと最初は岩穴の中で。 それから長の言う芯の奥ってところに行きました」

ということは穴に入ったということ。

(どちらの岩穴に行ったのか。 だがライも誰もあちらの岩穴は知らない)

「ライが案内したのか?」

「いいえ、魚に案内されました」

「え?」

「いや、俺も驚きました。 魚による完全な道案内ですから。 烏、矢島さんのことを褒めちぎっていました。 どこよりも水の世界を守ってくれていたって」

(魚による道案内とはどういうことだ)

「烏がそう言ってくれているのならば、矢島への大きな供養になるだろう」

(供養?)

俺は矢島さんのことを初めて知った時、矢島さんの何かの役に立てればと思った。 それが俺に出来る供養だと。 でもその時の俺は矢島さんのことを知らなかったし、役に立てる何かを持ってもいないと思った。 あるとしたら見たまましかないと。 だからライとナギに話した。

(でも今の俺は・・・)

長はなぜ昔昔の兄妹が亡くなったのかを知らないと言っていた。 どうして襲われたのか、その理由は未だに知れない、と。 それに兄妹のことを特別だと言っていた。
俺は兄妹が亡くなった理由を知っている。 烏が教えてくれた。 矢島さんもその前の人もずっと前の人も烏から聞いていたはずだ。 それなのに長は知らない。
その反面、兄妹を襲った相手は、水の世界から居なくなったということを知っていた。 水によってどこかに飛ばされたということも知っていた。
それは・・・矢島さん達守り人が昔々の兄弟のことを敢えて言わなかったということだろうか。

そうだとしたら、俺は今、矢島さん達守り人と秘密を共有しているということになる。
矢島さんのことを何も知らないではない。

それに矢島さんの便箋を見つけた時俺は 『矢島さん、どうして欲しいですか』 そう言った。
あの時の俺は矢島さんにかかわろうと思った。 多分。
つい出た言葉だ、深く考えて言ったわけではない。
いや、そうだろうか。 言葉としてはついうっかり出たかもしれない。 でもあの時、それなりのことを考えていた。 考えていたから口から出た。

いつの間にか下がっていた顔を上げると、茶が減っているわけでもないのに長の湯呑から上がっていた湯気が上がっていない。

「あ・・・」

「うん? どうした?」

俺はどれだけ考えこんでいたんだろう。 その間長はずっと何も言わず待ってくれていたのか。

だがそれだけでは無かった。 茶を運んできた煉炭の母親が戸を開けた時、長がすっと手を上げて止めた。 母親はそのまま静かに引いていった。 それにすら水無瀬は気付かなかった。

「あの、図々しいお願いなんですけど、もう一泊してもいいですか?」

「なんの遠慮も要らない」

長はそれだけを言った。 喜んで、何日でも、気の済むまでなど、水無瀬を引き留めるようなことを匂わす言葉は言わなかった。 図々しいと言った言葉に対して遠慮はいらないと言っただけだった。
ただ 『それでは煉炭のところに』 とは言った。 だが水無瀬がそれを断った。 もう痣を作りたくないという気持ちがなかったとは言わないが、しかしあの二人は可愛いけれど、ずっとまとわりついて来て考える時間をもらえないからだ。

「そうか、煉炭は水無瀬君を気に入っているようだったから残念がるだろうな。 あの帰りずっと一緒に風呂に入ったやら、一緒に寝たやら、機械の作り方の説明をしたやら、あれこれと聞かされた。 えらい子守をさせたようだな」

「いいえ、俺がいいって言ったんです。 俺も二人の話を聞いてて面白かったですし。 ただ今日は、ちょっと考えたいなって」

「ふむ・・・では、ライたちの家にでも行くか? ここでもいいが布団は持って来てもだだ広いだけで何もないからなぁ」

トイレも水場も何もない。

「それに初めて会う者より、多少なりとも知っている者のところの方がいいだろう」

だから夕べはずっと一緒だったワハハおじさんのところになったのか。


「で? 水無瀬が来たってわけ?」

風呂から上がってきたナギがまだ湿った髪でスポーツタオルを首にかけ、ダイニングの椅子に腰かけた。 斜め前には、アイスココアをストローでチューチュー吸いながらライが座っている。
アパートと違って家の中は暖かい。 暖かいのであればホットココアよりアイスココアの方がいい。

水無瀬は今、ナギが上がってきた風呂に浸かっている。

ナギを見たライが一瞬顔をしかめてから答える。

「そっ、風呂覗くなよ」

「そんな趣味ないわ!」

「あんたたち煩(うるさ)い。 水無瀬君が考えたいって言ってたそうなんだから静かにしてなさい」

ダイニングテーブルを背に夕飯を作っていた母親が振り返って言い、次に冷蔵庫を開ける。

「そうそ、ナギみたいに煩くしてたら、煉炭ン家と変わんない」

「なんですって!!」

「ナギ、静かにしなさい。 ライもおちょくるんじゃないの」

ナギの前に母親の手でアイスココアが置かれた。 ストロー付きである。

「ありがと」

「それって、俺には絶対言わないけどな」

「うるさい」

「ライ、面はどうだった?」

「あ! そう言えば、ナギ! 長にチクっただろ!」

「なに言ってんの、あんな状態でいつかはバレるに決まってる。 それなら早々に作り替えてもらう方がいいでしょうよ」

何気に言葉が女子らしいのは、母親に言葉使いを指摘されるのが煩(わずら)わしいからである。

「え? 作り替えてもらうの?」

「だってコイ・・・ライの面、割れてるんだもん」

「割れてるって・・・いったい何がどうなってそうなるの。 それで承知してくれたの?」

「最終的には? その分こってり絞られた」

「明日母さんから謝っておく。 そういうことはすぐに言いなさいよ」

「へーい、次はちゃんと母ちゃんに言う」

「次なんて御免だから!」

「お母さん煩(うるさ)い」

水無瀬が風呂から上がってきた。 ライのスウエットを母親が出してくれている。 夕べは煉炭の父親である、ワハハおじさんのスウエットを借りたが、かなりぶかぶかだった。 それを思うとライのスウエットは丁度である。

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ハラカルラ 第19回

2023年12月15日 20時54分20秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第10回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


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ハラカルラ    第19回




阿吽といえば狛犬じゃないか。

「あの、それってもしかして・・・石で出来た・・・狛、犬・・・?」

「おお、たしか黒がそう言っとったではないか」

「ああ、そういえば昔々に言っておったか」

(あの狛犬がシシ・・・獅子。 石の狛犬、あ、いや、獅子。 その獅子が動、く?)

そういえばと思い返す。 煉炭のどちらかが飛ぶと言っていた。 凄いとも、力もあって早いとも。

「あ、あの、それなら見ました。 見ましたけど・・・あれが動く?」

「素知らぬ顔をして座っておるがな、わしらの下知が飛べばすぐに動く。 それだけでは無い、ハラカルラに害を与える者が入ってこんようあそこで見張っておる」

「・・・」

もういい。 どうでもいい。 それにちょっと前に常識という概念を手放したではないか。

「あ・・・それじゃあ、黒の、その、最初の兄妹の時も光霊は飛んできてたんですよね?」

水を落ち着かせることに奔走していたと言っていたが、それならどうして一言獅子に知らせなかったのか。
だが白烏は首を振った。

「どういうことですか?」

「兄はここに入ることが出来なかった、よって光霊は入っておらん。 だがそれ以前にあの時には光霊も獅子もおらん」

「あれからどれくらいが経った頃か、徐々に守り人(まもりびと)はここに居るような事が少なくなってきた。 まぁ、ずっと居たのは黒の妹だけだったが、それでも時々兄の居る方に行っていたがな。 ハラカルラさえ出て行き、お前らの言う世に行きっぱなしという者も出てきた。 今もここに居る、それどころかハラカルラに居るのはお前だけだ。 だが一時でもここを守ってくれた、その身を案じ救おうと思うだろう」

「光霊を入れたとて、わしらはハラカルラからは出られん。 そこで烏使(うし)として獅子を作ったということじゃ」

「格好を考えたのは時の黒の守り人だがな」

煮えたぎる大きな瓶にトカゲやカエルを入れ、棒を差し込んでグルグルと回している絵が浮かぶ。 烏二羽が悪魔か魔女に思えてくる。

「それぞれの・・・黒青赤白のあっちの世に獅子は居るんですか?」

「もちろん」

「その、それとさっき仰った守り人って?」

想像はつくが確かめておきたい。

「ここに来る者、ハラカルラを守る者。 お前たちのことだ」

やっぱり・・・。

「あの、言っときますけど俺は矢島さんに何の返事もしてませんし、そんな守り人になる気もありませんから・・・って、聞いてます?」

せっかく、ようやく言ったのに烏二羽がこちらに尾を向けて何やらこそこそと話している。

「本当に何も知らんようだな」

「ああ、最初はわしにさえ驚いておった」

「だがあれは・・・」

「おう、おう、やはりか? わしもそうではないかとな」

「あのぉー・・・」

烏二羽が同時に振り返った。 返した石、オセロを見ているようだ。

「おお、そうそう、ここの説明をせねばな。 ここで水を宥める」

「あの、そうじゃなくて―――」

「ちょっとこっちへ来い」

「あ、はい」

「これを見てみろ」

これと言われたそれは、水無瀬の部屋にあるテレビよりも大きなサイズで、丸みのある鏡のようなものだった。 インチ的には三十二か、三十七くらい。 ただしテレビのように立てられてはいなく寝かされている。

「水鏡と言ってな、水がざわつくとここに映る。 そこでこの水鏡でざわつきを宥めるのだが、所詮水鏡。 大きなざわつきにはその場に出向かねばならん」

「どうしてざわつくんですか?」

「ここは、ハラカルラはお前たちの言う世と重なっておる。 開眼した者が見えるそのもの。 軽いものはそう影響を受けんが、お前らの言う世で大きな不浄があるとハラカルラは影響を受ける。 それがざわつきとなる」

「不浄? それって汚(よご)れているってことですよね?」

汚(よご)れている、汚(けが)れている、不浄。 そんなものはこの地球上にバカほどある。 トイレのことを御不浄と言うようにトイレだって不浄になる、この世にどれだけのトイレがあると思っているのか。 それともこれが軽いものという枠に入るのだろうか。

「物理的な不浄、例えば血などがそれにあたる。 そして心の闇から発する不浄の念、邪心など。 争いごとなどがあるとてきめんじゃ」

トイレは問題外だったようだ。

「それとハラカルラに入ってきた人間だな、そっちは少しのことで水がざわつく」

ずっと黒の烏が喋っていたがここにきて白の烏が嘴を開いた。
俺たち人間はハラカルラに多大なご迷惑をかけているということである。

「宥め方は追々な。 そして・・・」

一方的になんやかやと説明を聞かされた立ちっぱなしの水無瀬に、黒の烏が座るようにと言った。 白の烏が何やらゆっくりとバタバタし始めている。
水の中だけに身体の重さは感じてはいなかったが、座れと言われれば、そう言えばずっと立ちっぱなしだったと思いその場に座ろうとすると、そこではないと言われ指定されたところに座った。 何故だか岩壁の方を向かされて。

「あの?」

これでは話も何もあったものではないではないか。

「喋るでない、口を噤(つぐ)んでおれ」

「あ、はい」

烏に言われたからではないが、こうしてじっと水に身を浸していると心地いい。 僅かに水の揺らぎがあるのを感じる。 あまりの心地よさに瞼が落ちてきた。


『婆ちゃん? 爺ちゃんどうしたの?』

両親に連れられ病院に行った時、爺ちゃんがベッドに横になっていた。 だがその横になった姿がいつもとどこかが違う。 それに母親が爺ちゃんの身体に覆い被さるようにして泣き出したからだ。
だからベッドの横にそっと腰かけていた婆ちゃんに俺は訊いた。

『婆ちゃんを置いてった』

婆ちゃんはそれだけを言った。
今の俺が考える小学校五年生はみんなしっかりしていると思う。 だが時代がそうだったのか、俺だけがそうだったのか、それとも核家族になり死というものに直面する機会が減ったからなのか、少なくとも俺は爺ちゃんの死を、今の俺が考える小学五年生のように受け取れなかった。 核家族だけの問題と考えると、もしかして俺と同じ核家族で育っている今の小学五年生も同じなのかもしれないが。

母親に言われ俺は爺ちゃんの手を握った。 爺ちゃんは握り返してはくれなかった。 俺の頭をよく撫でてくれた手は力無く、そして俺の頭を撫でてもくれなかった。
爺ちゃんは私立高校の教師だったから定年など無かった。 いつも楽しそうに生徒たちの話を聞かせてくれていた。 『やんちゃでなぁ、それでいて可愛い』 と。 その生徒たちの目の前、教壇で倒れた、脳溢血ということだった。

葬儀の日、婆ちゃんから供養の話を聞くまで、もしかしたら俺は放心状態に近かったのかもしれない。 放心状態の中で大人たちが大勢涙するのを見て訳が分からなくなり、戸惑っていたのかもしれない。

(え・・・)

爺ちゃん? いま爺ちゃんが俺の頭を撫でてくれた?

(あ・・・)

爺ちゃんが笑っている。
爺ちゃんが俺の小さな手を取り・・・ああ、そうだ、忘れていた。 爺ちゃんが泊りで海に連れて行ってくれたんだった。 今思えば父親は泊りの仕事があったのだろう、婆ちゃんと母親と一緒に爺ちゃんの運転で四人で出かけたんだった。
あの時、あの日見た波と大海原。 そうだ、思い出した。 俺は初めて海を見たんだった。

「おい」

「おいこら」

「・・・ん?」

目を開けると二羽の烏が水無瀬を覗き込んでいる。

「お前寝てたな」

「信じられん、霊を入れている時に寝るなどと、前代未聞だわい!」

「はい?」

今何と言った? 霊? 入れ、て?

「はいぃぃぃー!?」

水無瀬の許しもなく光霊が勝手に入れられた。
片付けをしている烏二羽をよそに、あまりのショックによろよろと戻ろうとした水無瀬が間違って他の色の穴に入ろうとして思い切りぶつかった。 ぶつかるようなところではなかった、穴だったのに。 すると後を追って来た黒烏が言う。

「おお、言い忘れておったわい。 通ってきた穴しか通れんからな、他の穴から戻ろうとするとそうやってぶつかる」

そういうことは早く言ってくれ、そう思った頭の片隅で他のことが浮かんだ。
ああ、そうか。 だから烏は妹を逃がしたのか。 ここで水に巻き込まれることを避ける為でもあったが、青の人間が妹を追って黒の穴に入ることが出来ないと分かっていたからか。 青の人間もそれを知っていたから追わなかった、いや、追えなかったのか。

ショックを受けていた水無瀬なのに、何故か冷静にそんなことを考えた。 きっとどこかにそんな疑問を持っていたからだろう。

烏は水無瀬の前を泳ぎ矢島がどうだったとか、その前の守り人がどうだったとか、訊きもしないことをぺらぺらと喋っている。
烏が狭くなった穴を潜ると続いて水無瀬も屈んで穴を出た。

「ということで、この何十年の時、矢島はどこよりもハラカルラを守ってくれておったということだな。 まぁ、お前も矢島に見習って・・・」

机の上に下りた烏の嘴が止まった。

「そう言えばまだお前の名を聞いておらなんだか」

今更だろ。

「・・・」

どうして烏に名前を訊かれ俺が答えなきゃならないんだ。

「ほれ、名を言うてみぃ。 いい歳をして自分の名を知らんわけでもあるまい」

腹立つ烏。

「・・・水無瀬」

「みなせ? うーん・・・水の無い瀬か?」

烏・・・漢字を知っているのか。

「そう」

「それは・・・験(げん)が良うないな、良うないというより悪い」

人の苗字にケチつけるなよ。 雄哉なんて気に入って水無ちゃんって呼んでるってのに。

「ほれ、何と言ったか、ふ、ふ、ふね、ふねねー・・・」

「もしかしてフルネーム?」

「ああ、それそれ。 それは何という?」

面倒臭い烏・・・。

「水無瀬でいい」

「何を不貞腐れておる?」

不貞腐れてなんかないけど、不貞腐れたくもなるだろうが。

「矢島などは水見矢島(みずみやじま)と立派なフネネームをもっておったが、お前は持っとらんのか?」

それを言うならフルネームだろ。 それにフルネームを持っていない人間がこの世の何処に居る。 あ、でもそっか。 下の名前だけだった時代があったか。 っていうか、矢島って苗字じゃなくて下の名前だったんだ。
ああ、なんか・・・考えたからかな、頭の中で何かが響いてるような気がする。 頭の中の血流の音かな。 爺ちゃんみたいに脳溢血にでもなるのかな。 いや、それはまだ早すぎる。 もう何も考えないでおこう。

「持っとらんのであれば・・・仕方がないか。 では、水無―――」

「水無瀬鳴海(みなせなるみ)」


机に突っ伏してどれくらいが過ぎただろうか。
この突っ伏した状態でも身体の具合がおかしいとか、何か違和感があるということは無い。 光霊とは身体と一体化とか融合などをするのだろうか。
何もかも諦めて・・・いや、少なくとも取り返しのつかなくなった光霊のことだけは諦めて立ち上がり、ゆっくりと水の中に入った。
ここにずっと居ても何も解決しないからだ、だからと言ってここから出て何かが解決するのかどうかは分からないが。

岩の穴から出て下に降りていく。

「よっ」

俯けていた顔を上げると、着地をした水無瀬にプラスティック面を付けたライが片手を上げて迎えている。

「長かったな」

「ライ・・・どうしてここに」

「迷子にしちゃ大変だからな、後を追って来た。 んで、ここに入って行くのが見えたから待ってた」

「そう、か」

「なんか、元気なくない?」

「元気もなくなるよ・・・」

ライが両の眉を上げる。 プラスティック面で水無瀬には見えないが。

「痣、消えたな」

「え?」

ライが自分の顔を指さし、そして続ける。

「まっ、話くらい聞ける。 聞くことしか出来ないけどな。 話してちょっとでも楽になるなら聞くからさ、取り敢えず戻ろうや」

雄哉が言った 『まぁ、迎えにくらい来るわさ』 そんな言葉が思い出された。 多分ここに雄哉が居れば、同じようなことを言ってくれたかもしれないと思ったからだろうか。
ライが一歩を出すと水無瀬もそれに続いた。
ふとライの手元を見ると血の付いたものを持っている。

「ん? それは?」

ライが水無瀬の視線に気づき少し上げて見せる。

「前の山の中での時に負傷したおっさんの血。 まだ治ってなくてな、不浄だから俺が持って帰る」

「そっか」

不浄は持って帰るようにと烏が言っていた。

「烏、知ってるか・・・」

「空飛ぶ烏? それとも泳ぐ烏?」

「泳ぐ烏。 そっか、知ってるんだ」

「お話しはした事ないしお友達でもないけどな。 たまにここに居ると姿を見かけたりって程度」

「そうか・・・」

水無瀬がそれだけ言うとライも何も言わなかった。
いくらか歩いた時、水無瀬が口を開いた。

「烏がどうしたって訊かないのか?」

「んー?」

ライが両手を頭の後ろで組む。

「水無瀬が話したければ聞くし、訊かれれば答える。 でも俺からは訊かない」

「そうか」

「うん」

「光霊ってのは?」

「全てかどうかは知らないけど・・・ほら、ああいうのってシステムとか色々ややこしそうだろ? だから知ってるとは言いきれないけど、現象がどういうものかは知ってる」

「そうなんだ・・・」

「多分だけどね」

「その光霊を入れられた」

「・・・」

「返事は? 応答は? ご発言は?」

何か言ってくれ。 モールス信号でも手旗信号でもいいから。

「いや・・・あの・・・ご愁傷さまで・・・」

「なんだよそれ」

「だって、水無瀬まだ決めてなかったから。 決めてないって言うか、どっちかっていえば、その気がなかっただろ? なに? OKしたの? 烏と話して気が変わったとか?」

「OKなんてしてない、するわけないだろ。 知らない間に入れられたんだよ」

「さっき言ったシステムじゃないけど、入れられる方法? 儀式? そんなのは知らないんだけど、知らない間に入れられるわけ? そんな簡単なものなの?」

「さっきライからは訊かないって言ったよな」

「あ、ゴメ、そうだった。 あまりの驚きに、つい」

「・・・寝てしまってた」

「は?」

「座れって言われて・・・それで、それまでに色々驚くことがありすぎて、精神的に疲れてたのかもしれないけど・・・座った途端に寝たみたいで烏からは前代未聞だって言われるし・・・」

「ぷっ!」

ライが両手で自分の口を押さえる。

「・・・完全に笑ってるな」

まだ口を押さえて身体をくの字に曲げている。
ここではゆっくりと動かなければならない、水の揺らぎに反することになるからだと烏が言っていた。 そこから考えるに、大声を出してもいけないということだろう。 声の振動が水の揺らぎにひびくのかもしれない。

「サイアク」


「ほぉ、鳴海というのか」

「水であればよかったのに海ときた」

「まぁどちらでも良かろう。 と、魚に案内されてきたと言っておったな」

「おお、そういえばそんなことを言っておったか。 稀魚(まれさかな)じゃろ」

「村の者が案内をせんかったということか」

「まぁ、どうあれ迷うことなく来たということ。 矢島も万が一を考えて印(いん)を聞かせたのだろうて」

印、それは長が言った印ではあるが決して判子のことではない。 水無瀬に印(しるし)をつけたということである。 その印も長があの時ハラカルラの言葉で最後の三文字を読まなければ印はつけられなかった。 印とは言葉で付けられる。 印を付けたことによりそれを察知した稀魚が矢島の跡と理解し道案内をしたということである。

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ハラカルラ 第18回

2023年12月11日 21時08分27秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


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ハラカルラ    第18回




水無瀬がすぐに立ち上がり机周辺をチェックする。 机の後ろの岩壁も押してみるが隠し扉などないようだ。

「何をしておるかー、さっさと来んかー!」

烏がバサバサと羽を動かし軽くホバリングをしながら嘴を大きく開けて叫んでいる。

「・・・うそん」


烏の先導で穴の中に入って行く。
穴の入り口は屈まなければ入れなかったが、中に入って数歩歩くと腰を伸ばし立つことが出来た。 ここも円柱状の作りで中に入ってすぐは直径一.五メートル弱ほどだったが、立てる所に来ると左右や足元はそのままで、上が突き抜けた形になっていた。

「いいか、水の中ではゆっくりと動け、歩け。 決して水をざわつかせるでない。 それは水の揺らぎに反することになるからな。 それと水は不浄を嫌う。 不浄なものは持って入るでない。 致し方ない時が無きにしも非ずだが、そんな時は極力早々に持ち帰るよう。 持って帰られぬ不浄、心の不浄だな、穢れとでも言おうか? 水は特にそれを認めん。 認めんが不浄なものの置きっ放しと同じで、水が直接何かをするわけではない。 水は争いを認めてはおらん、水自身も争うことをせんからな。 ただ、迎え入れてもらえない、水がざわつく。 水が大きくざわつき始めると渦が出来る。 その渦に巻き込まれるとどこかに飛ばされる」

烏に教えられながら斜め下へと歩いている。 上を見た時、やはりさっきの場所と同じで水の揺らめきが見えた。
今はもう全身が水に浸かっている。 早い話、烏は水の中をペンギンのように泳いでいるわけである。
水無瀬が常識という概念を手放した。 そうしなければ今を受け止められない。
どんどんどんどんと、下に向かって行く。

(地下帝国なんかに行くんじゃないだろな・・・)

もう水無瀬が歩いていたところより随分と下になっている。
更に降りていくと、やっと目の前に広い空間が現れた。 広いと言っても今まで上方向を除き閉塞感のある所をずっと歩いて来たわけだから、野原のように広いわけではなくとも広く感じる。

「ここ、は?」

「ハラカルラ」

「え?」

「お前たちの世でいう ”世界” というものをハラカルラと言う。 正しくはそうではないが、お前たちの耳に分かる、口で言える言葉で表すならばそうなる。 正しくは・・・」

また聞き取れない言葉を紡いだ。

「ここはハラカルラの中心・・・あー、何と言ったか・・・矢島が言っとった・・・コ、コ、コ・・・」

烏ではなくニワトリか?

「あ、そうそう、コア」

「コア?」

「コアを知らんか?」

「いいえ、知っていますし、中心よりそっちの方が分かりやすいです」

どうして俺は烏に敬語で喋っているのだろうか・・・。

「あー、やっぱりそうか。 矢島が言葉は変わってきているとは言っておったが、悲しいものよのぉ」

爺さん烏なのか?

「ここで何かするんですか?」

「おお、そうそう。 こっち」

爺さん烏が飛んで・・・・いや、広い方に泳いでいく。
広い所の中心に立たされた。 ぐるりと三百六十度を見渡す。 広さ的には二十畳あるなしの岩穴。 上を見上げると突き抜けていて明かりが入ってきている。 そして水無瀬が入ってきたと同じ様な穴が等間隔に他に四つある。 穴は合計五つということになるが、一つの穴だけは他の四つと比べると大きい。

「大きな穴以外は各々、黒青朱白と呼ばれる。 どこも今下りてきたと同じような作りとなっておって、お前が出てきた所は黒。 ここは単なる出たところと言った具合か。 矢島は・・・ピ、ピ、ピ・・・何と言っておったか・・・」

今度はヒヨコか?

「ピロティ?」

「あ、そうそう、それ」

この爺さん烏、時々軽い。

「ピロティか」

出たところよりかは聞こえがいい。

「ここで黒青朱白の者が鉢合わせすることもある。 そうだな、矢島からは何も聞いておらんのだろう? 黒の話も交えて話して聞かせよう。 その昔・・・」

その昔、烏はずっとここを守っていた。 だがある日、黒の方で異変を感じた。 すぐに黒の坂を上がって行くとそこには二人の子供がいた。 一人がもう一人を庇うように背にしていたが、その背から覗かれた目も、庇っている子供の目も穢れのない目をしていた。

『何をしておる』 烏はそう訊いたという。
すると道に迷ってここまできてしまったと言ったが、ハラカルラに入って臆することもなくここまでやってきたとは考えられなかった。
烏は二人の目を交互にじっと見た。 そして分かった。 二人は少し前に起きた異変を感じていたのだと。 更に背に庇われている子供は尋常ではない感じ方をしたようだと。

『水に赦しをもらおう』
一定の儀式を終えると背に庇われている子供だけが水に赦された。 それはここを守るということに繋がる。
赦しをもらえなかった妹を背にしていた兄は坂のあるあの穴を通ることは出来ない。 だから机のあったあの場所を、妹を守っていた。
そして赦しを得た妹は烏と共にここで守っていた。 ここで守るということは、ハラカルラを守るということになる。 ハラカルラで水の動きがおかしくなれば、ここから水を宥める。 妹はその力に長けていた。

それが二十年以上続いていたが、ある日、青に異変を感じた妹が烏にそれを報告した。
すぐに烏が青の穴を上って行くとそこに数人が居た。 そして誰もが開眼していた。
水の世界が見えるからと、同じような者たちが肩を寄せ合い小さくなって生活をしていたという。
だがその内、気が触れ亡くなった者が出だしたということだった。 いつかは自分達も気が触れてしまうのではないか、そういう不安から放浪するように毎日歩いていると、偶然にもハラカルラを見つけ続いてここを見つけた。 それは安堵の広がる思いだったという。

二十年前に起きた異変は今までになく強烈なものだったようで、兄妹以外にも多数の人々に感じさせ、その二十年後に起きた異変時には、同じように多数の人が開眼をした。 そしてその一部が内に秘める力を目覚めさせた。
その一部というのが、コアまで入ることが出来るということであった。
ある日、ここを守っていた青の人間が突然物足りないと暴れ出した。 その時ここに居なかった妹がここに異変を感じすぐにやってきたが、見境なく暴れる青の人間に痛めつけられた。

妹と青の人間はこの時初めて顔を合わせたという。 青の人間はさほどここには来なかったということだった。
烏は青の人間を何とか落ち着かせようとしたが、烏の言葉などに耳を貸す様子すら見せなかった。 このままでは水がざわつき始める。 そうなれば妹も巻き込まれてしまう。 妹に上へ逃げるようにと言い、どうにか水のざわつきが起こらないようにはしたが、だが同時に、ハラカルラで青の人間たちが暴れ出していた。
青の人間たちはハラカルラを跋扈し、水をざわつかせ、魚や亀、ここで生きているものたちを水の渦に飲み込ませた。 挙句に、偶然に見つけた黒の穴にまで上り、そこに居た兄と逃げてきた妹に手を出した。

烏は二人を守るのが役目ではない、ハラカルラを守るのが役目である。 二人を助けることなく、水を落ち着かせることに奔走していた。
青の人間たちが起こしたこと、それは考えられないことだった。 水に浸かっていれば争いなど起きるはずはなく穏やかに過ごせるはずだった。 ただ、不測の事態というものはどこにでもある。

二十年前の異変はおかしかったのだろう。
兄妹が開眼もしていないのに、臆することなくハラカルラに入ってきた。 二十年前に異変を感じたものが多数いた、その者たちがハラカルラに満足しなかった。
二十年前の異変はどこかが狂っていたのかもしれない。

「結局その時の青の人間たちは水の渦に飲まれた。 のちに朱と白、また新たに黒と青からも人が入ってきた。 黒青朱白の順でここを守る者が生まれた。 何の前触れもなく黒青朱白のどこかからここに入ってくる。 鉢合わせもするだろうて。 まぁ、特に昔の黒と青はそんなことがあったからなぁ、誰かがここに居れば引き返すようだし、他も誰かが居れば引き返しておったなぁ」

「黒のことは分からなくもないですけど、他はどうしてですか?」

「誰かがここでハラカルラを宥めているのなら、それでいいと思っておるのだろうなぁ。 それとも、ここは任せて外を回ろうと思っておるのか、訊いたこともないわ」

「そうですか」

妹はここに異変を感じてやって来た。 水無瀬自身そんな異変を感じるほどの力があるとは思えないが、三人の誰かとここで鉢合わせということは可能性としてあり得るだろう。 今も誰かが入ってくるかもしれないのだから。

「人間がここを守るというのは黒が初めてであった。 黒の、あの人間だけが水に赦しをもらった。 他の人間は単に異変を感じ開眼し、少なくともここまで来られるという内なる力が目覚めただけ」

「その異変とか開眼って何なんですか?」

長も言っていたし、多少の説明を受けたがいま一つ納得出来ていない。
水無瀬の質問に答える烏が言うには、異変とはハラカルラで起きる水の激しい流れのことということであった。

二十年に一度、ハラカルラの水が大きく音をたて大きく動く。 水の動きを感じる。 それはハラカルラを感じているということ。 感じるだけではなく、稀に水の揺らめきが見える者、音を聞くことが出来る者がいる。 だがそれはかなり特別で黒の妹の方は揺らめきを見たり聞いたりしたのだろうということであった。

「だがその昔は縁がなければここに来ることは出来なかった。 今は村が出来ておるから別だがな」

そして開眼とは、二十年前に異変を感じた者が再び起きた二十年後の異変で、ハラカルラを見ることが出来るようになるということだと言い、それは一度目の時ほど感じなくても自動的に起きるということであった。

「だが二十年後に開眼して必要以上に驚く者はハラカルラを理解できておらん。 そのような者にハラカルラに入ってもらいたくはないが、これは致し方のないこと、異変を感じずとも開眼をしていなくとも、入ることの出来る入口があるのでなぁ。 まぁここまで入れる者は多少なりとも理解しておるのだろうがな、だから入ることが出来るというわけだ」

「最初に入った黒・・・その子供以前は理解できる者がいなかったというわけですか?」

「そうなるなぁ。 それとも縁がなかったか、入り口を見つけられなかったか、力及ばずだったか。 矢島などは入り口から入らなくとも、ハラカルラに入ってこられたがな。 初めて矢島が入って来た時、水がざわついてすぐに誰かが入ってきた事は分かったが、矢島の前の黒が跡を探しに行く手間が省けたと喜んでおった。 ああ、あの兄の方もそうだったか。 妹は一度もハラカルラから出んかったから、出来たのかどうかは分からんが、まぁ出来ただろうがな。 少なくともその二人と青一人と白の二人だけか」

矢島が水無瀬の前から姿を消した、兄の方が村の人たちの前から姿を消した、それがそういうことなのか。

「ああ、だが忠告しておく。 万が一、お前も出来るとして、そんな入り方をしては長くはハラカルラには居られんからな」

そういう形で入れるのは開眼で大きく開かれた、若しくは一回目に異変を強く感じた、そういうことが条件になってくるが、ハラカルラは入り口以外から入って来ることを認めていない。 不浄なものが沢山ついてくるからである。 よってハラカルラがざわつき渦を起こしてしまう。

「だから渦を起こさせないために自ら早々に出て行くよう。 入り口から入れば徐々に不浄なものが流されていく。 まぁ、致し方のない不浄はハラカルラも大目に見ているようだがな」

長が水無瀬に訊いた場所 『矢島に言わせるとこの辺りから始まっているというんだが』 あの場所から徐々に不浄なものが流されていたということである。
そして烏が続けて言ったのは、入口以外から入って来るのにはそうとうの精神力を使うということだった。
ハラカルラに渦を起こさせないためにと、何度も小刻みに出入りをするのも一案だが、そういうことをすれば身体が持たなくなってくる。 せいぜい一日に一回ないし二回。 だがそれも毎日できるものではないということだった。

「ではあちらに行く」

烏が一つだけ大きな穴の方に泳いでいった。
大きな穴を潜るとそこも岩穴で、黒青朱白と言われる穴のように上に続く穴ではなかった。
十五畳ほどの広さで、岩穴の周りには沢山の貝があり、あちこちに藻が水に揺れている。
そしてそこには白い烏が居た。

「遅い」

背中を見せていた白い烏が振り返り嘴を開いた。

「そう言うな、異変はこの男じゃったわい」

爺さん烏であろう黒の烏は黒の穴に異変を感じやってきた。 するとそこに水無瀬が居たというわけである。
白の烏が小刻みにゆっくりと飛び全身をこちらに向ける。

「矢島の跡でな、色々説明しておった」

いや、跡などと認めた覚えはない。
水無瀬が口を開こうとする前に白い烏が先に嘴を開く。

「そうか、矢島の跡か。 矢島は残念なことだった。 あと少しでも早く霊(たま)が飛んでくれば救えたものを」

救えた? え? どういうことだ?

「あの、救えたって・・・?」

白の烏が黒の烏を見る。

「ああ、何も知らんようでな、それで説明が長くかかったが霊の説明はまだしておらん」

「矢島が伝えなかったということか?」

「あ、あの、俺は矢島さんとは一回しか会ってなくて、それもその一回が頼むって言われただけで―――」

だから俺は何も知らないし、それに跡とか何とか承諾したわけではなくて。 そう続けたかったのに、次の言葉を発する前に白の烏に取られてしまった。

「ああ、そういうことか。 ではどうやってここに来た?」

『そういうことか』 で止まってくれれば続きが言えたのに質問を出されてしまった。 続きは質問に答えてから言おう。

「その、色々あって・・・結局は村の人たちに。 その後は信じられないとは思いますが魚に案内をされて。 あの、それで俺は―――」

「魚の案内か、そういうことか。 まぁ村の者は何もかもを深く知ることはないからな。 おお、そう、霊のことだったか」

「あ・・・はい」

言いたいことはあるが矢島を救えたかもしれないということは気になる。

「霊とは・・・」

光霊(ひかりたま)と言って、ここに入ることが出来た者、その者に与えられる。 それは物質ではなく身体の中に、ある種(しゅ)の力として入れられるもの。
そのある種の力というのは、与えられた者の身体の状態を察知する力である。 状態の察知と言っても単なる怪我や病気というものではなく、生死にかかわるもの。
死に直面した時には光霊が烏の元に飛んできて、与えられた者が死の瀬戸際にあることを知らせに来る。 知らせに来ると言っても喋るわけではなく、光霊が烏の元に戻って来たということだけでそういうことになる。

光霊が戻ってくれば、烏はすぐさま獅子にその者の肉体を救いに行くよう下知を出す。
だが矢島のように自ら死の淵を選んだ者の光霊は、すぐに肉体を離れて烏の元には戻ってこない。 それはその者自らがそれを選んだから。 光霊は自己の思いを優先する。 その様にしてある。 烏の一方的な思いで生きながらえさせることなどしない。 光霊は入れられてから二度の異変があったのち消滅する。

「分ったか」

「あ、はい。 何となく。 そのシシというのは?」

「獅子をまだ知らんか?」

「あー、はい」

長が狛犬のことを獅子と言っていたが、狛犬が、ましてや石で出来たものが何かをするはずもなく。

「ここに来るまでに見んかったか?」

「どんな姿形でしょうか?」

「獅子の姿、そうとしか言えん。 ああ、たしか矢島は阿吽(あうん)とかなんとかと言っておったか」

阿吽?

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ハラカルラ 第17回

2023年12月08日 20時54分10秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第10回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第17回




ライが水の世界に入った。

「水無瀬はどこに・・・」

キツネ面を付けたライが水無瀬が居なくなっただろう方向をじっと見ると、姿が見えないことを確認し、三百六十度をぐるりと見まわすが岩という障害物が無いわけではない、簡単には見つからないようである。

「走るしかないかな・・・」

あまり水の中で走ることはしたくない。 水の中ではゆっくりとしなければ水がおかしな動きをしてしまう。
もう一度、水無瀬が居なくなっただろう方向に身体を向け凝視する。 何かが動いた。

「うん? 水無瀬か?」

姿が見えなければ走り回って探すしかないと思ったが、合っているかどうかは分からないにしろ目的先が出来たのだ、水をザワつかせないようにゆっくりと歩きだす。


「ここは・・・」

岩、イソギンチャク、貝、エビ。 揺れる藻。 その藻の中で泳いでいる小さな魚。 ウミガメと同じ形をした亀が悠々と泳いでいる。 目の前を泳いでいく鯛くらいの大きさの魚が口角を上げながら水無瀬を見ていく。
視覚的には見えていただけの水の世界とそう変わらないが、それでも肌で感じるものがある。 水が肌に触れている。 水道水でもカルキの入ったプールの水でも海水でもない。 優しく包まれるような・・・水。

もしもっとこの水を表す言葉があるのならば、水という言葉は当てはまらない。 だが残念ながらそんな言葉を知らないし、そんな言葉は存在しないだろう。

「・・・声が出せる」

声が出せるし息も出来る。 見えていただけの時と同じ。 ライもそう言っていた。

「あ・・・でもちょっと色が濃いかな」

見えていただけの水の世界と “そう” 変わらないと思っていた “そう” が何なのかに気付いた。 色だ。 ほんの僅かだが、こちらの方が色が濃く見えるように感じる。 それだけに全体を見るとはっきりと見えるという感じがするが、見えていただけの時にぼやけていると感じたことは無かった。

長が問題があれば水がおかしな流れをすると言っていた。 その問題というものがどんなものかは分からないが、ここを乱すようなことと理解するとすれば精神的なことはもちろんだが、少なくとも水の流れを乱すような動きはご法度だろう。

「歩いても大丈夫かな」

このままじっとしていても退屈とは感じないだろうし、ゆっくりしていたいともどこかで感じさせる。 だが今はここの様子を見ておきたいという気持ちの方が勝ってしまっている。

恐る恐るという風に一歩を出した。 全くではないが水の抵抗があまり感じられない。 二歩三歩と出していく。
プールなどの水中で歩くといい運動になるというが、それは水の抵抗があるから。 その観点からするとここはあまりいい運動にはならないようである。 だが身体の重さは感じない。 そこのところは単純に水中と同じと考えていいだろう。

「あ」

余所見をしていたから小さな石に躓いた。 身体が前に前傾していく。 こけないようにと足を前に出そうとして気付いた。
ゆっくりと身体が前傾していた。 まるで水の抵抗を受けているかのように。
足を前に出して前傾してきた身体を受ける。 足は何の抵抗もなく前に出すことが出来た。

「いったい、どうなってるんだ・・・」

呆然と立ち尽くす水無瀬の手に何かが触れた。 見てみると二十センチほどの長方形に丸みを帯びさせた形をした魚が水無瀬の手を突いている。

「餌と間違ってるのか?」

魚が水無瀬を見ている。 まるで自分に気付いてくれたというように。 そして水無瀬の顔の前まで泳いできて口角を上げた。
ゴクリと音がするほど水無瀬が唾を飲み込んだ。
魚が水無瀬の前をゆっくりと泳いでいく。 少し泳いだかと思うと戻って来て、また水無瀬の顔の前にやって来て目を合わせてくる。
それを二度繰り返した。

「ついて来いってことか?」

少し前方でこちらを向き止まっている魚に近づくと、魚が向きを変えて泳いでいく。

「ついて行っていいのか・・・?」

迷子になったらという心配ではない。 無暗にこの中を歩いて荒したくないという思いがあってのことだった。
魚はゆっくりと泳いでいる。 水無瀬もそれに従ってゆっくりと歩いて行く。


「うーん、やっぱり水無瀬だよなー」

最初は大きな岩陰で見つけられなかったが、岩陰から出てきたのは間違いなく水無瀬だった。 だがその水無瀬が確かな足取りで歩いている。 初めて来た水の世界だというのに迷うことなく歩いているのが気にかかる。

「ライ、何だ? その面は」

足元から声がかかった。

「あれ? まだ居たの?」

キツネ面を付けた男が岩を背に座り込んでいる。 互いに面を付けていても誰かは分かるし、ライなど特徴的な髪形をしているのだからすぐに分かる。
山中での時、あの時に負傷者がかなり出たが、殆どが完治とまではいかないが、水無瀬が村に入ってきたことを知らず昨日ここから引き上げて来ていた。 スマホは使えないのだから一切の連絡は遮断されている。

「いやぁー、クナイを面に打ち込まれちゃって。 ただ今面は負傷中」

競争と言って相手をおちょくっていた時だった。 飛んでくるクナイの気配を感じ振り向いた途端だった、クナイが面の左顎部分に飛んできた。 あの時振り向かなければ、完全に頭に刺さっていた。

「負傷中って、お前。 ちゃんと修理に出せよ」

まさか割れているとは思ってもいない。

「まぁ、ね。 で? まだ治んないの?」

「言ってくれるなよ、あいつら思いっきりやりやがった」

見てみると、太腿が切られたようだ。 大腿動脈(だいたいどうみゃく)がやられたのだろう。 横には太腿を縛っていただろう血のついた布が置かれているが、どこまで切られているのか分からない。 筋肉の切断も大きくあるだろう。

「あったー、痛そう」

「まだ暫くかかりそうだ、あっちの様子はどうだ?」

「あ、気にしなくていい。 水無瀬は昨日村に来た、仮だけどな。 で、今はここに入ってる」

「ここに?」

「うん、ってんで、水無瀬が迷子になったら大変だから行くわ。 ゆっくり養生すればいいからな。 あ、と。 この不浄は持って帰っておく」

横に置かれていた血のついた布を手に取ると、水無瀬を見つけそちらに歩いて行った。


水無瀬が魚に従って歩くようになってからは、魚は一度も向きをかえなかった。 水無瀬を呼ぶような仕草は見せなかったということである。

(ついて行っていいんだよな?)

魚とお友達になったことは無いし魚の思考回路などは知らない。
距離にしてどれくらい歩いただろうか、かなり歩いたつもりだが、歩調がゆっくりというところがあるし何故か疲れてもいない。 それに初めての場所を歩くと時間を長く感じるということもある。 かなり歩いたつもりと言ってもそんなに歩いていないのかもしれない。
目の前にそそり立つ大きな岩が現れた。 前を泳いでいた魚が上昇していく。

「え? 置いてきぼり? ここにきて?」

顔を上げ上昇していく魚を見ていると魚が止まった。 そして水無瀬に向き直る。

「あ・・・上って来いってこと?」

岩を上るのか? と一瞬考えたがここは水の中ではないか。
両手を上に上げそのまま横に広げる。 身体がふわりと浮いた。 その様子を見ていた魚が向きを変え上昇していく。 その魚の後をゆっくりとした平泳ぎの格好で追う。

(ここはどれほど広いんだ)

いったい水深はどれほどあるのだろうか。

先を泳いでいた魚が途中にあった岩の洞の中に入って行った。

(うん? 穴がある?)

魚が入って行ったところまで来ると、岩に大きな口が開けられていた。 上から降り注ぐ明かりは穴の中の方までは届かないはずなのに、何故か先に明かりが見える。 魚がその明かりに照らされこちらを見ている。

(行けばいいんだろ・・・)

身体を穴に滑り込ませる。 足を下に下ろすと水無瀬の身長ぎりぎりの高さの穴だった。 歩いて魚の居るところまで行くと寸前で魚がまた上昇した。
上を見上げると直系二メートルほどの円柱状の穴が上に向いて伸びている。 そこから明かりが零れてきている。

(え?)

一度眉をしかめた水無瀬だったが、爪先で岩を蹴り先ほどと同じように両手を動かして上昇していく。 それは短い間だった。
上を見て泳いでいるとすぐに水面が揺れるのが目に入った。 ここに入って初めて水面というものを見たような気がする。 だがそれは水面の内側ということになるのだが。
ザバン、という音をたてて水無瀬の顔が水から出た。 まるでトランペットのように円柱状の穴が広がりそこに水がある。

案内を終えた魚が方向を変え泳いでいったが、現状に驚いている水無瀬がそれに気づけるはずはなかった。

「え・・・なんで?」

長は水の世界と言っていた。 なのにどうして水のない場所が存在するのか。
前方の下を見ると、上に上がれるように足元は岩であるため凸凹こそあるが、坂になっている。 坂に足を乗せ上がって行く。 身体が段々と水から出て行くがプールから出た時のように体の重さは感じない。

「ここは・・・?」

上は突き抜けていて、その先に明かりで照らされた水の揺らめきが見える。 目先を変えて目の前を見ると、水のある部分を除くと一辺だけに三畳ほどの広さがある。

「な、に・・・?」

水から顔を出した時には気付かなかったが、こうして上から見ると座卓があるのに気付いた。 かなり年期の入った木製であるが、しっかりとした木が使われているのだろう、傷みは見られない。

顔を左横に振ると別の穴が開いている。 ゆっくりと近づき穴の縁を持ち腰を屈めてそこを覗き込むと、正面と右側は行き止まりになっていて左側に斜め下へと伸びる道があるが、そこも途中から上が突き抜けているのか暗くはなく水があるのが見える。

振り返り机を見た。 机には二つの引き出しがついている。
いいのだろうかと思いながら机の元に来ると、そっと上の段の引き出しを引っ張る。 見慣れたものが入っていた。

「文房具・・・」

ボールペン数本に何も書かれていない小振りのメモ帳。 それだけが入っていた。
上の段の引き出しを元に戻すと下の段の引き出しを引っ張る。

「便箋?」

取り出して表紙をめくるが、薄く引かれた罫線の間に何かが書かれているわけではなかった。

「上等な便箋じゃないのかな」

さっきの小振りのメモ帳は百円均一にでもありそうだったが、この便箋は一枚が結構厚みのある用紙である。

「あ、え?」

厚みのある便箋、薄い罫線。 そしてこの便箋はB5サイズ。

「これってもしかして・・・」

矢島が水無瀬に渡した紙?

そういえばと長の話を思い出す。 今自分が辿って来たルート、あれは長から聞いた昔昔の兄妹の両親が兄妹の妹を助けるために辿って来たルートと同じではないか。
兄妹の両親は岩を上ったということだったが、水無瀬も一瞬上ろうとしかけた。 だが水の中なのだから泳げばいいと思い直したのだが、昔の人が泳げることが出来たのかどうかは分からないが、山の中に住んでいた人達だ、泳ぐことと縁があったとは思えない。 きっと泳げなかっただろう。 泳ぐという発想すら出なくても可笑しな話ではない。
そしてここに妹が倒れていた。

「ここに矢島さんが居た・・・」

顔を横に振る。 斜め下に伸びている道の入り口である穴が目に映る。

「あそこが・・・」

長の言う、芯の奥なのだろうか。
じっと見ていたが顔を元に戻した。

「これ以上関わることじゃない」

便箋を引き出しに戻し閉めた。
その手が止まっている。
顔を下げる。

『どうしてだが矢島は一人で出てしまった』

長の言葉が気になる。

(矢島さんはどうして・・・いや、何をしようとしてたんだ)

報道では自殺とあったが、ライは 『ダムに身を投げたってことになってる』 と言っていた。

(なってるって、どういうことだよ)

一度目を瞑り、ゆっくりと顔を横に振る。
ここから見ると黒い穴にしか見えない。 あの黒い穴の先に何があるというのか。
顔を戻しうな垂れる。

「・・・矢島さん、どうして欲しいですか」

あの日のことが頭に浮かぶ。
顔の隅々までは覚えていないが切羽詰まった矢島の顔。
『君だ! やっと見つけた、これを頼む!』 『あとを頼む』  矢島と話したのはそれだけだった。 話したというよりは会話など成り立っていなかったのだから、一方的に言われただけという方が正解だろう。

「そういえば肩も掴まれたし腕も手も握られたよな」

突然のことに手の感触も暖かさも覚えていない。

バサバサバサという音がした。

「え・・・?」

こんな所で羽音?
引き出しから手を離し、耳を澄ましてどこから聞こえるか判断しようとした時、あの黒い穴にしか見えない穴から鳥が飛び出してきた。

「うわっ!」

思わず腕で顔を隠した。
不意打ちの事に人間はよくこんな行動をとるが、無意識に目を守ろうとしているのだろうか。

カシャっという音が聞こえた。 腕を下ろし周りを見ようとしたがその必要はなかった。
目の前に烏が居る。 光の加減で見える瑠璃色の光沢をもった黒い烏。
烏が机の上に居る。

「あ・・・」

烏に襲われるという話しはよく聞く。

「わわわ」

思わず尻もちをつきササササと蜘蛛の姿に似た格好をして、蜥蜴のような動きでそのまま後ろに下がっていく。

「そのまま行くと落ちるぞ」

(え?)

「水をざわつかせるな」

後ろを見る、水しかない。 それにあと一回手を動かせばドボンの位置だ。 周りを見る、何もない。 誰も居ない。

「どこを見ておるのか」

ゆっくりと顔を正面に戻す。
机の上で烏がこちらを見ている。
もう一度周りを見るが、やはり誰も居ない。

「落ち着きのない」

顔を正面に戻して烏を見ると、首を横に向け溜息でも吐いているようにしている。

「あ? え?」

烏がこっちを見た。
目が合った。

(ヒェー、突かれる)

このまま水の中に逃げた方がいいに決まっている。 そうすれば追って来られな、い・・・。

(え? 待て? この烏、あの穴から来たよな)

穴の先には水があった。 明かりが入ってきている突き抜けているだろう上は、ここと同じで水の揺らめきが見えるはず。 水の揺らめきがあるということは、そこには水があるということ。
烏であろうと雀であろうとペンギンではない。 鳥が水の中を出入りなんて出来るはずがない。
ではあの時、穴を覗いた時には近くに居たのだろうか。 それを見逃していたのだろうか。

「矢島は残念なことだった」

烏の嘴(くちばし)が動いた。

(え・・・)

「いつまでそんな格好でおるつもりか」

またもや烏の嘴が動く。

「お前は・・・ふむ、間違いないようだな」

「は、はい?・・・」

「ここに居るということは矢島の跡か」

完全に烏の嘴が動くのと声が聞こえてくるのが一致している。

「あ、や、えと・・・」

「なにを言っておるのか。 言葉が通じんか? ん? 水の言葉でないといかんのか?」

では、と言って訳も分からない言葉で話し出した。 それは長から聞いた、聞き取れない発音で発していくではない、紡いでいると感じた発声と似た感じだったが、烏の方は包まれ揺られるような、漂うような、まろやかな、そんな心地の良い言葉で紡いでいる。 長よりこちらの方が聞いて心地が良い。 いつまでも聞いていたい心地の良さがあるが今はそんな時ではない。

「わー、ストップ、ストップ!」

思わず手が前に出る。 その手は烏に向けられている。 完全に烏にストップと言っている形になっている。

「あん?」

烏が小首を傾げた。 何度かの瞬き付きで。
もうどうでもいい。 腹話術であろうとなかろうと取り敢えず喋ることは喋るし、もし烏が襲い掛かって来たらこのまま水に飛び込んで逃げるだけだ。

「そっちの言葉の方が分からない。 それに矢島さんの跡とか何とか、それは俺じゃない・・・って言うか、そうでもあるらしいけど、俺は跡を引き継がないって言うか、なんて言うか・・・」

ああ、どうして尻切れトンボになってしまうんだ。

烏が今度は反対に小首を傾げた。 今度は瞬き付きではないようだ。
ああ、やっぱりそうだよな。 烏が言葉を理解しているわけじゃないよな。 あの机の向こうにでも誰かが居て―――。

「何をモゴモゴ言っておるのか。 お前に決まっておろうが。 矢島は何と言っておった」

「あ、え・・・っと。 頼むって・・・」

ああ、俺なに言ってんだよ。 それも烏相手に・・・。

「ではお前であろうが」

「いや、そういうんじゃなくて・・・」

「ったく、矢島め、ろくでもないのを選んできおったか」

カチンときたが烏相手に言い返す気にならない。
いや、俺なにを言ってる、だから烏が喋るはずないだろ。
さっきは烏相手と思ったり、頭の中がおかしくなってきているような気がする。

「他には」

「え・・・他にって。 それだけで・・・」

烏がまた溜息を吐くような仕草を見せた。

「まぁ、とにかくついて来い」

烏が羽を広げて穴の方向に飛んで行った。

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ハラカルラ 第16回

2023年12月04日 21時02分53秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


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ハラカルラ    第16回




余所見をしている間に二人の位置が変わってしまっている。 もうどっちがどっちか分からない。

「これが盗聴器を見つけたモノ?」

生き物ではなかったようだ。 だがこの二人を見ていて誰が機械と発想できるだろうか。 どちらかというと、クマのぬいぐるみや小さな仔犬を抱いているような姿が目に浮かぶというのに。

「モノじゃない、ピーピー」

(いや、どう見ても機械じゃないかよ)

「モノなんて言ったらピーピーが可哀そう」

どうしてか、ふと、あいつの言ったことを思い出した。 『犬は物扱い』 警察署で会った時にそう言っていた。
犬を物扱いするのはどうかと思うが、機械は物扱いしても良いのではないのか? とは思うが、このまま言い合っていても勝てそうにない。 この二人はある意味、口がたちそうだ。

「わかった、じゃ、ピーピー。 このピーピーが盗聴器を見つけてくれたってわけ?」

「盗聴器を見つけたのは炭」

「え? そうなの?」

「ピーピーがライの部屋でピーピーって言って教えてくれたから」

何気に話が分からなくもない。
まずピーピーと言って教えてくれたということは、このピーピーはピーピーと鳴ることからそう命名されたということ。
そしてライの部屋、つまりは水無瀬の部屋の隣でこのピーピーが反応した。 そのことがあり、この二人は水無瀬の部屋に忍び込みこれを見つけた。 だがどうしてUSBスティックと確定したのだろうか。 他の物とは思わなかったのだろうか。 それとも確認のためにもう一度ピーピーを作動させ、ピーピーと音を鳴らせたのだろうか。 そうであるのなら向こうに、おじさん団体にもその音が聞かれていたはず。 不思議に思わなかったのだろうか。

「炭が見つけてから、ピーピーにもう一度訊いたら教えてくれた」

やはり鳴らしたようである。

「ちゃんと点灯して教えてくれた」

「え?」

点灯?

「ピーピーの音を出したら、向こうに聞こえるからね」

小さいなりにも分かっていたようである。

「点灯に切り替えられるようにピーピーの身体は出来てるからね」

これ、と言いかけて一度口を噤み、一呼吸おいてから疑問を投げかける。

「ピーピーは誰が作ったの?」

作ったと言っていいのだろうか、だが、誰が産んだのはおかしいだろう。 作ったと言ってしまったが、また突っかかって来るのだろうか。

「炭と煉」

良かった、ここは作ったで良かったようだ。 いったいどこに線引きがあるのか。

「え? ああ、じゃ、誰かに教えてもらったんだ」

「教えてなんてもらってなーい」

「煉と炭はお勉強してるもん」

勉強? 勉強してこんな・・・盗聴発見器が作れるのか? それもこんな小さな子に?
だが周りを見渡すと確かに色んな部品がある。 それに椅子の高さもこの二人に合わせてあるようだし、他に椅子は見当たらない。

「この盗聴器だって分解してもう盗聴できないようにした」

「見た目にはわかんないけどね」

「わかんないようにしたもんねー」

「ねー」

「そうなんだ・・・じゃ、これはもう盗聴器の役は果たせないんだ」

眩暈を起こしそうになりながらも水無瀬が二人の会話についていく。

「うん、バラバラにして部品取りしたいけど、一応、水無瀬のものだから駄目だって言われた」

なんだ、そのジトッとした目は。

「水無瀬のものは水無瀬が決めるって言われたから。 部品取りしたいけど」

いや、だからそんなに見られても・・・。 って、俺のもんじゃないし。
だからと言って、持ち主に返すのも間の抜けた話である。 それに確かに水無瀬の家にあったものなのだから、水無瀬が判断しても良いのではないだろうか。
少々の怨みがあるUSBスティックだが、分解されるほどの怨みはないし、分解などとはUSBスティックが可哀そうとも思うが、もう盗聴器の役を果たしていないのならば、単なる部品クズになっているだけ。 それなら新しく生まれ変わった方がいいだろう。
盗聴などという黒いものに手を染めるものではなく、もっと明るい製品に生まれ変われれば部品も喜ぶだろう。

「うん、いいよ」

「わーい、やったー!」

二人が喜んで手を合わせたが、すぐに水無瀬が付け足す。

「ただ、約束をしてほしい」

「なに?」

「なんでもする」

「このUSBスティックは盗聴という悪いことに使われていた」

「うん知ってる」

「ピーピーが教えてくれたもん」

「だから今度は、いいことに使って欲しい」

「いいこと?」

「炭も煉もいっつもいいことしてる」

「そうか、それは二人ともいい子だ。 じゃあ、このUSBスティックの部品を取ったら、いいことに使う物を作る時に使って欲しい」

「うーん・・・例えば?」

「そうだな、いつもはどんなものを作ってるんだ?」


煉炭と共に水無瀬が出て行くとワハハおじさんに続いて爺や男たちが集まって来ていた。

「長、水無瀬君は何と?」

「焦ることは無い」

「ということは、良い感じではなかったということですか?」

「いいや、そういう意味ではない。 ただ、あっちを良いように思ってくれているようだ」

あっちというのは長が言っていた水の世界ということである。

「そうかい、それが何よりもの返事だろうて」

一人の爺が顎に手を当てて頷きながら言う。

「ああ、それがなけりゃ、矢島も選ばんだろうて」

同じ顔をした爺が同じ仕草で答える。

「あとは煉炭に任せるしかなかろうな」

「煉炭に?」

「こういうことは無邪気な子供が一番だろうて」

煉炭の無邪気さは度が過ぎてはいないだろうかと、男たちが首を捻った。


煉炭の過去に作ったものを聞いて頭がくらくらしてしまった水無瀬であったが、にわかに信じられなくもない。 結局部品取りをしたもので何を作るかは二人で吟味して考えるということで、いま風呂に浸かっている。 何故か洗い場では煉炭がキャッキャ言いながら頭を洗い合っている。

(どうしてこうなる・・・)

煉炭と一緒に風呂に入るのもそうだが、何故、一泊する羽目になったのか。

「水無瀬も洗ってあげる」

「湯船から出て出て」

「いや、俺は―――」

腕を引っ張られた。
渋々湯船から出てスノコの上に座ると二人で背中を流し始めた。

「父ちゃんみたいに広くないね」

「でも母ちゃんより大きいね」

母ちゃんより小さいと言われたならば水無瀬は湯船に沈み込むだろう。
炭が水無瀬の前に回り込んできた。

「今度は頭。 下向いて」

湯桶で水無瀬の髪を流すとシャンプーをかけ、ゴシゴシとこすりだした。

「なー、炭」

煉炭はどういう字を書くのかはすでに聞いていた。 二人ともが「書ける」 と、自慢し合いながら教えてくれたのだった。 教えてくれた漢字はまさに “煉炭” だった。

「なにぃー?」

水無瀬の頭をこすりながら炭が応える。

風呂に入っている時は煉炭の見分けはつく。 今も水無瀬の前で小さな男の子の証明が、ゴシゴシとこする手と同じタイミングでプラプラと揺れている。
ザっと、背中を湯で流された。

「背中ゴシゴシ完了」 と煉の声が聞こえる。 炭さえ分かれば煉を見る必要はないし、ジロジロ見て変態と思われたくもない。
可愛い双子だとは思っていたが、敢えて性別まで考えてはいなかった。 脱衣所で服を脱ぎだした煉がまさか女の子とは思わず、思わず二度見してしまった。 あの失敗は繰り返してはならない。
煉もやってきて水無瀬の頭を炭と一緒にゴシゴシし始めた。 思わず水無瀬が目を閉じる。

「炭はあっちっていうか・・・なんて言ったらいいのかなぁ、長は水の世界って言ってたけど、行ったことあるのか?」

「お水ちゃぷちゃぷだ」

「ちゃぷちゃぷしちゃいけないけど、楽しいもんね」

何か勘違いされているようだ。

「プールじゃないぞ?」

「知ってるよー」

「お魚いっぱいのとこ」

分かっていたようである。

「じゃ、行ったことがあるんだな?」

「たまーに」

「怪我した時」

「すぐに怪我しちゃうけど」

「すぐに治るもんね」

「もんね」

「そう、か・・・」

「水無瀬は行ったことがないの?」

「ああ・・・うん、ない」

「んじゃ、明日一緒に行こー」

「怪我してないけど一緒に行こー」

「楽しいよ」

「きれいだよ」

「目、つぶって」

「流すよー」

じゃばっと、シャンプーの泡が流されていった。
そして用意されたスウェットに着替えた水無瀬は、何故か川の字になって煉炭と一緒に寝ている。

「痛て・・・」

この二人、かなりの寝相だ。


翌朝、誰よりも遅く起きてきた水無瀬の顔を見たワハハおじさんが「すまん」と手を合わせ頭を下げた。
水無瀬の顔の痣に気付いたからだろう。 さすがは親、我が子の所業に敏感である。

朝食を済ませると煉炭に手を引っ張られ長の家に向かった。 長は既に煉炭の父親から話を聞いていたようで、入口までの案内を長自らがした。 それについて来たのが、煉炭の見張り役ということでライが後ろから歩いて来ている。 そのライがやってきた時「どしたのその痣」 と顔を指さされ訊かれてしまった。 当の煉炭にも朝一番に訊かれたが、犯人は煉炭だ、とは言わなかったが顔を洗った時に鏡で見た。 かなり目立つ。

それほど長くは歩かなかったが少々の坂や階段があった。 木々に囲まれた中を歩いていると、ふいに長の声が聞こえた。

「歳をいくとここまでは簡単に来られなくなってしまう。 わしはまだセーフだがな、老爺になってしまうととてもじゃない。 だがな、それでいいと思ってる」

どういうことだろうかと、両手を煉炭と繋ぎながら歩いている水無瀬が長を見た。 煉炭はかなり嬉しいのだろうか、ずっと手を大きく振って歩いている。 それが為、水無瀬の身体は不規則に動いている。
斜め前を歩く長は前だけを見ている。

「いつまでもここに来ることが出来てしまっては身体が治ってしまう。 身体が老いるのを受けとめ、それに従うことが出来なくなってしまうからなぁ」

それでは来なければいいだろうと思うかもしれないが、人というものは痛みに弱い、病気にはなりたくない。 痛みを取ってもらえるのならば、病気が治癒するのならば、と考えてしまうのは避けられないこと、そう長は言った。

長の言ったそれは万人に対してのことではないと思った。 少なくとも長は身体が動けても来ないだろう、そしてこの村の人達もきっとそうだろう。 だが異分子はいつ生まれてくるかは分からない。

「これは?」

目の前に赤い鳥居がある。

「隠れ蓑のようなものだな、この先には稲荷神社があるという態をとっている。 稲荷神社は何処にでもあるからな、聞き慣れない神様をご祭神にして神社オタクにかぎつけられても困るということだ。 まあ、実際に稲荷の祠はある。 五穀豊穣は昔からの願いなもんでな」

長が足を進め赤い鳥居をくぐる。 横を見ると紙垂(しで)の巻かれる大木がある。

少し歩くと小さな祠があった。 石で作られたお狐様が祠の両端に座っている。 祠の中には砂埃が見えなく、水の入った湯呑が置かれている。 花も枯れてはおらず、無地の一輪挿しに佇んでいる。 毎日誰かが世話をしに来ているということだろう。
長が祠の前で手を合わせると、水無瀬の手を握っていた両方の手が離され煉炭がその手を合わせた。 思わず水無瀬も手を合わせる。

長が手を下ろし「行こうか」 と言って歩き出した。 煉炭がすぐに水無瀬の手を握る。

祠の後ろを歩いて行くと、今度は石で出来た狛犬が台座の上で左右に鎮座しているのが目に入った。 先ほどのお狐様とは比べ物にならないくらいの大きさであるが、神社で見かける狛犬サイズである。 お狐様が祠に合わせた可愛いサイズだったということだ。

「これは獅子と言ってな、ここを守っている」

「狛犬じゃないんですか?」

狛犬なら、邪気を払ったり、神聖な場所を守ったりということを聞いたことがあるし、見るからに狛犬ではないか。 それとも獅子という名のついた狛犬か?

「まぁ、見た目は狛犬だな。 だが狛犬ではない」

どういうことだ。

「お獅子はすごいの」

「力もあるし早いし」

珍しくもずっと黙っていた煉炭が口を開いた。

「それに飛ぶ!」 最後は二人で声を合わせる。

「え? 飛ぶって?」

「これ、煉炭、約束は?」

長に言われ二人が両手で自分の口を押さえる。 両手ということは水無瀬の手も引っ張られているということである。
どうやら煉炭は長と黙っているという約束をしていたようだ。

「獅子の詳しい話は控えよう。 ここを守ってくれているというのが一番重要なことだ。 進もうか」

長が獅子の間を歩いて行く。 それに続いて水無瀬も歩いた。 が、何か違和感を感じた。

(今・・・目が動かなかったか?)

足を止め獅子と呼ばれている狛犬を見るが、最初に見た時と変わりがあるようには見えない。

「水無瀬?」

「どうしたの?」

「あ、うん、何でもない」

後ろでライが笑いを堪えているのを水無瀬は知らない。
いくらか進んで行くとすぐに水を感じた。 それは水無瀬であるから分かった。 水無瀬や跡を継ぐ者でなければまだ気付く者はいない。

「矢島に言わせるとこの辺りから始まっているというんだが、水無瀬君はどうだ?」

「どういう風に言えばいいのか分かりませんが、単純な言い方をすれば水を感じます。 矢島さんの言っていることが分かる気がします」

「そうか」

後ろではライが口笛を吹く真似をしている。
長が足を進めていく。 すると水無瀬の目には段々と周りの景色が消えていき、完全に水の世界となった。

「あ・・・」

水無瀬が声を漏らした。 もう水無瀬の目には水の世界が見えている。 だが長にもライにも、もちろん煉炭にもまだ見えていない。 目の前には木々が広がっているだけである。

「あ・・・」

今度は煉炭が声を漏らした。
握っていた水無瀬の手がいつの間にかなくなっていた。

「うわぁ、もう入ったのかよ」

水無瀬の姿がどこにもない。

「ライ、追ってくれ」

ライがすぐに走り出した。 このまま走って行くとライもすぐに水の世界に入ることが出来る。

「長、炭と煉は?」

「ここまでということだな」

「えー!」

「行くー!」

「約束だろう? 水無瀬君の手を離さないことって。 離したらそこまでとわしは言ったな?」

「だってー、水無瀬が離した」

「煉も炭もちゃんと握ってた」

「駄目駄目、さ、帰るぞ。 ほれ、手を繋がんと。 これも約束したな?」

渋々二人が長の手を握る。

煉と炭の見張り役にライを付けていたが、結局長がお守り役となってしまった。

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ハラカルラ 第15回

2023年12月01日 21時05分51秒 | 小説
『ハラカルラ 目次


『ハラカルラ』 第1回から第10回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。


     『ハラカルラ』 リンクページ




                                  



ハラカルラ    第15回




「各門には各門の在り方がある、とな。 だが朱門はそれに納得がいかなかった。 矢島の何代も前から跡を継ぐ者を探しに出る度、後をつけ狙い横取りしようとした。 ああ、横取りなどと言う言い方は水無瀬君に悪いな」

「いいえ、大丈夫です」

それくらい構わない。 腹にパンチや膝まで入れられ、背中など長く痛みが残ったほどだ。 横取りなどと優しい言葉では済まないくらいである。

「そういうことがあって、跡を継ぐ者を探しに出る時には必ず村の者が同行していた」

「どうして矢島さんも他の人達も相手に顔が知れていたんですか?」

「村の者が面を着けているのを見たか?」

「はい」

長は見ていないだろうがプラスティックの面も見ている。

「村の者はみんな水の世界に入る時には面を付ける。 だが矢島的存在の者は村の者ではないので着けることは無い。 村の者もこっちで何もなければ面など着ける必要はないのだがな」

仲良くオテテを繋げる状態であれば、顔を隠す必要などないということ。

「あの、もしかして同行していたという時には、俺が攫われた時みたいなことがあったんでしょうか? 色んなものが飛び交って剣戟とかも聞こえてきてたんですけど」

「ああ、いつもそんな風だ。 命を落とす者が出ていないとはいえ、大怪我を負う者はいる。 向こうもそれなりの怪我人が出ているだろうに、いつまで経っても諦める様子がない」

ライが言っていた長い確執とはこのことだったのか。

「矢島さんはどうやって俺を探し出したんでしょうか? というか、何かがあったから俺に決めたんですよね?」

「それは矢島にしか分からんが・・・一つ言えることはある」

昔昔の兄妹の両親が跡を継ぐ者を探し出したと同じだが、と長が話し出す。

二十年に一度、異変が起こるという。 その異変を感じ、それからまた二十年後に異変が起こる。 その時に新たに異変を感じる者が居るが、二十年前に異変を感じた者はその異変を感じない。 だが開眼がある。 開眼とは水の世界の様子が見えだすということ。 水の世界が見えだすと段々と様子が変わってくる。

「今の時代は情報過多でさほど驚きもしないだろうが、その昔は突然に見える水の世界に気が触れる者もいた。 兄妹の両親はその様な者を探して水の世界に連れて行き落ち着かせた。 何人もそうしている内に、その中に跡を継げる者が居たということだ。 多分、矢島たち跡を継いだ者はそういう人間を肌で感じるというか、何かを感じるのだろうな」

「俺は異変なんて感じなかったんですけど話としては分かりました。 でも今の話からするとおかしな点が出てきます。 昔昔の兄妹はまだ幼かったんですよね? 二十年に一度なら、零才の時に異変を感じたとしても二十歳になっていないとおかしくはないですか?」

「切っ掛けとしては、水の世界に迷い入ったということなんだが、そこで開眼が促されたのかもしれん。 村でも幼い時から水の世界に連れては行くが、それで開眼するようなことは無いがな。 兄妹は特別だったんだろう」

特別な兄妹が偶然にも迷い入った。 そんな偶然があるのだろうか。 それともそれは因縁だったのだろうか。 そしてその結果が死。 ましてや納得のいく死ではなかった。
結果も含み因縁だとすれば迎えたくない宿命だ。

「そうですか。 昔昔の兄妹のことは今となって詳しいことは誰にも分かりませんもんね」

「そうだな、特別と考える他何とも考えようがない」

水無瀬が頷いてみせ話を元に戻す。

「青と赤そしてここの黒の性格は分かりました。 白って言うのはどういう感じなんですか?」

(あ、俺、何を踏み込んだことを訊いてるんだ。 そんなことはどうでもいいじゃないか。 ・・・でも気になる)

長が首を振りながら応える。

「全く分からん。 さっきも言ったように全く姿を現さん。 何か事が起きたこともない」

「ということは、そこに・・・芯の奥にも水の世界にも来ていないってことですか?」

「すれ違ってしまっているのか実際来ていないのか全く分からん。 水無瀬君も見ただろう、あの広い光景を。 誰が何処に居るかは特定できない。 問題があれば水がおかしな流れをして場所を特定できるがな、そんなこともなければ何も分からない」

どこまでも続くあの世界。 一人の人を探そうと思えば、それこそ大海で一粒の砂を探すようなものである。

「大海の一粟(たいかいのいちぞく)・・・」

「そんなところだな。 だが存在はする。 絶えてはいない」

それがどこからくる核心かは水無瀬の知るところではないが、長には言い切れる何かがあるのだろう。

「一度見てみるか?」

「え?」

「単に見えるだけでなく、入って見てみるか?」

「・・・」

上手く誘導されているような気がする。

「無理にとは言わんがな」

「あ、いえ・・・」

俺はどうして黙ってしまったんだ。 どうして断らない。

「まぁ、ここに居れば安心だ、あの者たちは来ないからな。 焦って考えることも無いだろう。 いや決して引き留めているわけではないからな、誤解のないように。 どうだ? 一晩でも泊まっていかんか?」

「え?」

「大学には当分行かんでいいと聞いている、バイトも休んでるんだろう?」

「あ、はい」

「それとも何か予定があったか? そうであれば、すぐにでも送って行かせるが?」

「いいえ、特には」

(おい俺! 何を言っている! どうして嘘でも予定があると言わない! それにこれは長の大きな駆け引きかもしれないだろ、しっかりしろよ俺!)

勢いよく木戸が開いた。
首を巡らせると小さなお尻が二つ並んで突き出されている。

「母ちゃん巻けた?」

「多分。 父ちゃんも巻けた?」

「きっと」

何やら二人でコソコソと話し、そっと木戸を閉めていく。

「煉炭、何をしてる」

突き出されていた小さなお尻二つが引っ込み、ついでに背筋と腕がピンと伸びる。

(レンタン?)

短髪の可愛らしい二つの顔がこちらを向いた。

「わわわ、お」
「わわわ、さ」

「え?」

同じ顔?

「えーっと、えーっと」

「うーんと・・・そうだ! 繁蔵爺(しげぞうじい)に褒められた!」

「そうだ! 煉と炭が褒められた!」

「炭も煉もいいことをした!」

(レントタン? タンモレン? ああ、そうか、この二人の名前がレンとタンなのか。 てっきりレンタンという変わった名前だと思っていたが、そうではなかったのか)

ワハハおじさんは 『本人たちに言わせる』 と言っていた。 『たち』 と。 だが水無瀬はその時 『ケジメってもんがある』 と言ったワハハおじさんの言葉に気がいき 『たち』 と言ったことに気付いていなかった。

「そうらしいな、聞いた聞いた。 でかしたな」

「わーい、長にも褒めてもらった」

「褒めてもらった、褒めてもらった」

二人が両腕を上げてくるくる回っている。 かなり嬉しいらしい。

「これこれ、客人の前だ、挨拶は?」

「あ」 二人が声を合わせる。
その二人が駆け寄って来て板間に上がると、水無瀬の横にちょこりんと正座をした。

「こっちは煉」

「こっちは炭」

互いに互いを指さして紹介してくるが、どうして自己紹介ではなく、もう一人紹介になるのか。

「こんにちわー」 二人がまたもや声を合わせる。
だが可愛いではないか。

「こんにちは。 俺は水無―――」

「わ! 水無瀬?」

「きっとそうだ、水無瀬の声だ!」

「え? 声?」

「水無瀬だろ?」

「あ、うん」

「わーい、水無瀬だ水無瀬だ」

立ち上がるとまた手を上げてくるくる回り出す。 もうどっちがどっちか分からなくなった。

「これ、水無瀬さんと言わんか」

(いや、どちらかと言えば、お兄さん、若しくはお兄ちゃんでお願いします)

くるくる回っていた煉炭がピタリと止まると、一人のポケットから小さな袋を出し、二人で顔を見合わせてにっこりとする。
水無瀬の両横にくっつくように座り込むと袋を水無瀬に差し出す。

「え? なに?」

「見てみて」

「知ってるもの」

差し出された小さな袋は、ジップ付きのキャラクターが描かれたビニール袋だった。 キャラクターの描かれていない透き通った隙間からは白い色をした何かが見える。
ジップを開けて袋を逆さにして広げた掌に落とす。 見慣れたものが掌にコロンと転がってきた。

「あ・・・これ」

あのUSBスティックではないのか? ライが盗聴器と言っていた。

「部屋から回収してきてあげた」

「盗み聞きされるの嫌だろ?」

ということは、この二人が部屋に忍び込んだということか? この小っちゃい二人が?

「いいことしてもらったら、ありがとうって言わなきゃいけない」

「ありがとうは大切だって、父ちゃんも母ちゃんもいつも言ってる」

ついさっきまでは黙って聞いていた長だが、とうとう口を挟む。 長は繁蔵爺とは違う。

「これ、煉炭。 水無瀬君の部屋に忍び込んだそうだな」

「あ・・・」 二人が声を合わせ、しょんぼりと顔を下げる。

「いいことをしてもらったかどうかは、水無瀬君の決めること。 強要するものではない。 それに煉炭には謝らなくてはならないことがあるだろう。 煉炭のしたことは悪いことだ。 分かるな?」

ワハハおじさんが言ってたのがこの事かと、水無瀬が理解した。

父ちゃんに絞られても母ちゃんに怒られても、なんとか逃げるつもりだった二人だが、長に言われては逃げることも誤魔化すことも出来ない。
下を向いたまま「ごめんなさい」 と二人が声を合わせる。
長が頷いて水無瀬を見る。

「水無瀬君、悪かったな、勝手に忍び込んだりして」

「あ、いえ・・・大丈夫です」

最近の若者はよくこの言葉を使うが、いったい何が大丈夫なのだろうか。

水無瀬が大丈夫と言ったのに二人の顔は下がったままである。
もっと他の言い方をしなくては幼い子には通じないのだろうかと、言葉を模索する。

「えーっと、その、大丈夫だから・・・」

また言ってしまった。

「あ、じゃなくて・・・うん、嫌だよね、勝手に話を聞かれるなんて。 探してくれてありがとう」

二人の顔がパッと上がる。

「いいことした?」

「炭も煉も水無瀬が嬉しいことした?」

「あ、うん。 あの、出来ればお兄ちゃ―――」

「わーい、わーい、水無瀬がありがとうって言ったー」

「炭も煉もいい子だー」

さっきまでの殊勝な姿は何処へやら、立ち上がりまたもや両手を振りながら二人でくるくると回っている。
その二人の声を聞きつけたのだろう、木戸がまたもや開けられた。

「お前ら!」

ワハハおじさんが仁王立ちになっている。

「うわ、父ちゃん」

「あんたら!」

「わわ、母ちゃん」

煉炭の両親が何を言おうとしているのかを、もう長は聞いて知っている。

「これ、客人の前だ、そう声を荒げるな。 それと煉炭がいま水無瀬君に謝った。 わしがしっかりと聞いた」

「あ・・・それなら」

そう言って近づいてくると、土間の上に立ったまま「うちの二人が勝手なことをして済まなかった」 と頭を下げ、その後ろでは母ちゃんも同じように頭を下げている。

「あ、そんな。 いいんです頭を上げてください。 それに俺は盗聴されてるなんて気も付かなかったから、あのままで何もかも人に聞かれてたかと思うと気持ちのいい話ではなかったので」

「そう言ってくれるとありがたい」

やっと頭が上がる。 そして視線を煉炭に転じる。

「煉炭、水無瀬君に謝ったのはそれで良しとする。 がっ! ケジメはつけるからな。 来い」

「えー!!」 二人が声を合わせ、そして水無瀬を見る。

「ピーピー見たくない?」

「ピーピーが見つけてくれたんだよ?」

ピーピーとは・・・どんな生き物だ? とは思ったが、見つけてくれたということは、盗聴器のことだろう。 興味がわかないわけではない。

「あー・・・」

「見たいよね?」

「今すぐ見たいよね?」

「あ、じゃあ、うん」

「長! 水無瀬を連れて行ってもいい?」

「お前ら! 父ちゃんから逃げようとしてるだろ!」

「まぁまぁ、そう目くじらを立てるな。 一応、わしからそれなりに叱っておいた。 今回はそれでいいだろう」

「ですが長、指示もないことを勝手にした上に人の家に忍び込むなどと。 父親としてしっかりと教えなければならんことです」

「まあそうだが、今回は煉炭のお蔭で分かったこともあった。 それに免じてはやってくれないか」

「長がそう仰るのなら・・・」

長に合わせていた目を煉炭に転じる。

「煉炭」

「ひ~・・・」
「はぃぃぃ・・・」

何故か両横から水無瀬の腕にしがみ付いている。

「今回は長の口添えに免じてこれ以上言わんが、次に指示以外のことをしたり人様の家に勝手に入ったりしたら許さんからな」

「はぃぃぃ」 と二人が半泣きの顔で答える。

「邪魔をしました」 そう言い残すとワハハおじさん夫婦が出ていった。

半泣きの顔だった煉炭が木戸が閉められたと同時に水無瀬を仰ぎ見る。

「んじゃ、ピーピー見せてあげる」

「ピーピー可愛いよ」

いや、君らの方が可愛いと思う、とは思うがこの変貌のしかた。 性格はかなり怖いようである。
煉炭が両方から腕を引っ張る。

「ちょ、ちょっと待って」

まるで保父さんにでもなったような気分である。 煉炭から目を外すと長を見た。

「あの、お話しは・・・」

「粗方は話した。 話を聞いて水無瀬君がどう判断するかは水無瀬君自身に任せる。 今この場でとは言わんが、話を聞いた上での返事を聞かせて欲しい」

「・・・はい、分りました」

聞いた上で断ります、とは言わなかった、今はまだ言えなかった。

水無瀬が出て行くと長が疲れたような顔を見せ、少し遅れてワハハおじさんが戻って来た。

「長・・・」

「ああ、こういうことは疲れる」

煉炭に引っ張られやって来たのは小さな物置小屋のようなところであった。 煉か炭かどちらか分からないが木戸を開け、もう一人が「入る入る」 と言いながら水無瀬の尻を押す。
中に入ってみると四方に棚が作られそこに小さな部品が置かれている。 部屋の中心には長方形の机が置かれ椅子が二つ並んで置かれている。

「ここは?」

「煉と炭の実験室」

「じ、実験?!」

「違うよ、炭。 工作室って言うようにって、母ちゃんが言ってたの忘れた?」

ということは今話しているのが煉ということになるが、またくるくる回られるとすぐに分からなくなる。

「あ、しまった。 そうだった。 工作室」

工作室でも実験室でもいいが、ここに置かれている物はこんな小さな子が扱うような物ではない。

「これがピーピー」

水無瀬が四方を見ていると、いつの間にか一人の掌に小さな機械が載って差し出されてきた。

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