『ハラカルラ』 目次
『ハラカルラ』 第1回から第20回までの目次は以下の 『ハラカルラ』リンクページ からお願いいたします。
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翌朝、やはり一番最後に起きてきた水無瀬が初めて会ったライたちの父親と顔を合わせた。
見た目は逞しい身体を持ち、顔は・・・岩だった。 性格も岩のようで、ワハハおじさんのように柔軟性は感じなかった。 良く言えば生真面目、悪く言えば冗談がきかない、そのまま言えば、座っているのを見ただけで背筋が伸びてしまう。
「夕べはお留守の間にお世話になりました」
(そちらの首脳会議は如何でしたか?)
「ゆっくりできたか」
「はい、お陰様で」
(盛り上がりました?)
「ライから聞いたが、今日もあちらに行くらしいが?」
「はい、ちょっと気になることがありまして」
(夕べのお酒は残ってないようですね)
「そうか。 ライに案内をさせる」
一人で行けそうな気がするが、あくまでも気がするであって目印となる郵便局やコンビニがあるわけではない。 あんな広い所で迷ってしまっては戻って来られないだろう。
「ありがとうございます」
朝から米というものを二日連荘食べ、出汁のよくきいたインスタントではない味噌汁に煮物と、これも二日連ちゃんという贅沢な朝食を終えたあとライと長の家に向かった。
長の家は初めてだったが、煉炭やライの家とそう変わらないようでどこも似たような感じなのだろう。
「烏がそう言っていた?」
「はい。 ずっと矢島さんっていう苗字だと思ってましたから、そうではなかったというので間違いないつもりですが、今日もう一度烏に訊いてきます」
「・・・水見か。 いや、あの時もしやとは思ったが念を押して訊くのもなぁ。 それに昔のそれが矢島の親戚筋として何がどうということは無いのだが・・・」
「だが、というのは?」
「その家に代々、水の世界のことが残されていれば、あ・・・」
長の声が止まってライの眉が動いた。
「いや、各門には各門の在り方がある、というところが引っ掛かってくる」
それは朱門が黒門を頼ってきたとき、黒門が言った言葉。 黒が朱に断った言葉であると、水無瀬は一昨日、長から聞いている。
「その在り方というのが水の世界のだけのことであれば、わしらが口を出すことではない。 だが村の者は補佐をしている。 こちらに関わってくるようなことであれば、また、矢島が今までの矢島の立場である者と違うことをしていれば、在り方というのが変わってしまっている。 わしらが口を出すことではないとは思うが、それは代々のやってきた事を無に帰すということになる。 まぁ、矢島はもう居ない。 その在り方というのを次に残すことは無かったがな」
「長のご心配は分かります。 ですが昨日も言ったように、烏は矢島さんのことを褒めていました。 在り方というのは烏には関係ないことかもしれませんし、代々のやってこられたことが無に帰すというのも烏には関係のないことかもしれません。 でもそうであったのならば、水の世界ではちゃんと役に立っていた、ということで、それで終われませんか? その、村の人たちの補佐というところに何か影響が出ていなければって前提ですけど」
「それが矢島の居なくなった理由だとしてもか?」
水無瀬の隣に座っていたライが言った。
「あ・・・」
考えてもいなかった。
長が腕を組み「ふむ」 と言い
「まぁ、今は何もかも分からん状態ということ。 水無瀬君の言うように何もなければそれでいいがな。 だがライの言うようにそれが為の理由であれば、放っておくわけにもいかないだろう。 村の者として居てくれたんだからな。 水無瀬君が今日水の世界に行くことは聞いた。 ライ、頼むぞ」
ライが頷く。
水無瀬より遅れて長の家を出てきたライの案内の元、水無瀬が穴の中に入り、机のある所から更に奥へと進んで行く。
ピロティ―に出た。 誰も居ない。 大きな穴に足を向ける。
大きな穴には二羽の烏が居た。 黒と白。 それぞれが何やらしている。 昨日説明された水鏡の前には白である白烏が居る。 羽を動かしているようだが、後姿となっていて何をしているのかは分からない。 黒烏もこちらに背を向けて羽を動かしている。 時々足で何かをしているのは足癖が悪いのか、羽では掴めない何かを足で掴んでいるのだろうか。
「鳴海、何をしておるのか、入ってこい」
こちらに背を向けているのに黒烏は水無瀬に気付いたようだ。
「えっと・・・お邪魔します」
「今日は水の宥(なだ)め方を教えようかのう」
「あ、いや、その前に、ってか、それはいいです。 お伺いしたいことがあって」
「あん?」
黒烏がゆっくりとぴょんぴょんと跳ね身体をこちらに向け、白烏が首だけでこちらを向いた。
「それはいいとはどういうことだ」
ぴょんぴょんと跳ねながら水無瀬に近づいてくる。 水無瀬を睨んでいるような気がしないでもない。
「いや、あ、っと・・・」
この事ははっきりとお断りしない方がいいのだろうか。 何気なく、そろりとスルーするあくまでも丁寧に。
「いえ、分からないことがあるので教えて頂きたいなって」
ちょっとプライドをくすぐれば、この烏は簡単に釣れるかもしれないと続けて言う。
「烏さんが御存知ならばのお話しですけど」
「あーん? わしに知らないことなどあるはず無かろうが」
釣れた。
「ではお伺いして宜しいでしょうか?」
「何でも訊くがいい」
「矢島さんは水見矢島さんで間違いないですよね?」
「わしが言ったことに間違いがあるとでもいうのか」
「いいえ、俺の覚え間違いかと訊き直しただけです。 その矢島さんは此処で水を宥める以外に何かされてました?」
「別に」
「別にというのは?」
「わしらも見張っているわけではないからのぅ、だが目立って何かをしていたのを見たことは無い」
何か引っかかる言い方だ。
「目立たないことはあった、ということですか?」
「ふーむ・・・黒は歴代他と会うことを良しとはせんようだったが、矢島は違っておったな」
「え?」
『特に昔の黒と青はそんなことがあったからなぁ、誰かがここに居れば引き返すようだ』 と言っていたではないか。 どうしてその時に言ってくれなかったのか。 だが前言のことを突いても仕方がない。
「誰かと顔を合わせていたということですか?」
「何度かな。 見たわけではないが、ぴ、ぴ・・・」
「ピロティ」
「おお、そうそう。 そのピロピーで話していたようだ」
ピロピーではなくピロティだ。
「誰かは分かりませんか?」
「さあ、わしもここで忙しかったからな」
「そうですか。 それともう一つ」
「言うてみぃ」
「烏さんは水見矢島さんのことを、どうして矢島さんと呼ばれていたんですか? 水見さんの方が、その、験が良かったんじゃないですか?」
水無瀬など、水が無い瀬と書いて験が悪いと言われたのだから。
「ああ、それは水見というのが以前に居ったからな。 同じ呼び名で呼んでしまっては昔話をする時にややこしくなるだろう、それに矢島もそれでいいと言ったからの」
「その以前にいらっしゃった水見さんというのは、どちらの方なんでしょうか」
「鳴海、さっき、もう一つと言わんかったか?」
「あ、えーっと、関連質問としてですね」
「ここでは約束ごとは守ってもらう。 それが大きな嘘とは言わんが結果的には嘘になる。 水をざわつかせることになる」
「あ、はい」
「ではその水の宥め方を教えよう」
ここでお断りしたり何気にスルーしてしまっては、さっきの質問に答えてもらえないかもしれない。
それに仮に水の宥め方を教えられたとしても、烏が言っていたではないか、ここに来ることがなくなった人間もいると。 ここに来なければならないと強制されるものではないのだろうし、よく考えれば昨日烏に次はいつ来るのかとは訊かれなかった。
「はい・・・でも俺に出来るなかなぁ」
「出来るに決まっておろうが、どれだけかかるかは分からんがの。 おい? 教えてやってくれ」
白烏が羽を止めこちらを向いた。
黒烏が教えてくれるのではないらしい。
白烏が羽をクイクイと、まるでCome onというように動かし水無瀬を呼ぶ。
「あ、宜しくお願いします」
何故かヘコヘコとした態度で水無瀬が白烏の横にしゃがむ。
「これは水鏡という」と白烏が言った水鏡には水の中の様子しか映っていない。 当たり前といえば当たり前だが。
「じっと見てみ」
見てみ、と言われてもそこそこの大きさである。 どこに焦点を絞って見ていればいいのか分からない。
「ほれ、水がざわつき始めた」
「え?」
どこだ?
じっと見る。
「この程度で終わってくれれば、この水鏡で対処できる」
どこか分からないのだから、この程度がどの程度か分からない。
「ざわついているところに羽を当てる」
「・・・あ」
さっきまでは静かな水が映っていたはずだったのに、いつの間にかほんの僅かだが水が揺らめいているのが見えた。 だが揺らめきといえば穏やかに聞こえるが、そうではなく不自然な動きと言った方がいいだろう。
この “ざわつき” と呼ばれるものを見るというのは、クイズ番組でよく見る徐々に画像が変化していく、それによく似た感じだ。
白烏は伸ばした羽をゆっくりと円を描くように動かしている。
宥めるというのはまさに言葉の通り、宥めるということらしい。
「こうしていても水が静まらない時にはその場に出向く。 ほれ、やってみぃ」
白烏が羽を引く。 代わりに水無瀬が手をそっと出し指を同じ位置におくと、鏡のはずなのに水を感じる。 不思議に思いながら白烏と同じように円を描くように動かす。
「水のざわつきを感じるか」
不思議だ。 あくまでも鏡なのに鏡に映っている水を感じることが出来るだけではなく、その水が不自然な動きをしているのが指に伝わってくる。
「はい、多分この感覚がそうだと思います」
しばらく円を描いていると、段々と不自然な動きがおさまってきた。 まだ完全ではないが。
白烏が横目で水無瀬を見ているがそれに気付いていない。
「ふむ、これで静まりそうか。 完全に静まるまで指を止めるな」
「はい」
まだ指には静まりきっていない感覚があったが、暫くすると指がポチャンと水の中に入るような感覚があった。 実際にさっきまでは指が水に触れている程度だったのに今は手首まで浸かっている。
「こら、そんなに手を浸けるでない」
「あ、はい」
すぐに手を引くとバチンと頭を叩かれた。 羽で。
「ゆっくりとせんか!」
「はぃぃ、すみません」
最後は失敗してしまったが、それにしても簡単なことであった。
っとにもう、とブツブツ言いながらも白烏の説明は続く。
「この程度で静まるものなら、楽なのだがな。 まだ分からんうちの目安として、この水鏡いっぱいに水がざわつくようであれば、そこに行って水を宥める」
何故か白烏が半眼の目を水無瀬に向けてきた。 何も言っていないのに。
「はい?」
「鳴海、お前いま、こんな簡単なことと思っただろう」
「あー・・・いえ、そんなことは・・・」
「嘘をつくと水がざわつく」
「・・・ちょっとだけ思ったかもぉ・・・」
「言っておくが、これを習得するに何か月もかかる。 長い者では年単位。 水のざわつきすら見るのにどれだけもかかる者も居る」
「え?」
そんなことはない、見えた。 それに単に円を描くだけに? あ、また思ってしまった。
少し離れたところに居た黒烏が会話に入ってきた。
「昔はそれなりにやってはおったが段々と足が遠のく。 今など習得する前に途中でやめる者も居るからのぅ」
「まぁ、ざわつきが見えん、見えても宥めることが出来ん、そうなれば仕方が無いのだがな。 だが飽きるということは無い。 そのざわつきざわつき、全てが違う」
「でも円を描くだけですよね?」
「今の場合は小さかった。 言ってみれば右往左往の右往というところか。 だが大きくなればなるほど水は悲しみ、泣き、苦しむ」
なんというネガティブな言葉の羅列。
「描くだけというが鳴海だから言える」
「どういう意味で―――」
「わぁぁぁー」 という、雄叫びを抑えた雄叫びに水無瀬の言葉が遮断された。
水無瀬と白烏が雄叫びの元である黒烏を見る。
「入ってきた!」 そう言って黒烏が穴から泳いで出て行く。
「またか」 と言うと白烏が水無瀬を見る。
「いつ戻って来られるか分からん。 居られる限りでいい、水を見ていてくれ。 その代わりと言っては何だが、さっきの水見の質問に答えよう」
「はい!」
思わず力が入り「うるさい」 と言ってまたもや白烏に頭をはたかれた。
「水見というのは黒か青か朱か白の人間だった」
そう言い残して白烏も泳いでいった。
「それって答えになってないんですけど」
ましてや長以下の答えではないか。 黒以外ということは分かっているのだから。 黒であったのならば歴代に名が残っているはず。 ならば長が知っているはずなのだから。
ライを待たせていることが気にはなったが頼まれては仕方がない。 それにネガティブワードの羅列を聞かされた。 小さなざわつき相手しか出来ないが放っておくことは出来ない。
じっと水鏡を見てざわつきを見つけると指を当て円を描いていく。
それを繰り返していると、最初よりよほど早くざわつきを見つけることが出来るようになってきた。
多少の位置のずれはあるものの、ざわつきは水鏡のほぼ中央に見えた。 そして早く見つけ円を描くことによって、早く静められることが出来るということも分かった。
何度も繰り返すうち、白烏が言っていたことではないが、水が右往左往というのが分かったような気がする。 穏やかなハラカルラの水がどうしていいのか分からず、まるで迷子が立ち止まり大泣きをする前に、半泣きの顔で左右を見ながらあちこちを歩いているような感じがした。
「たぁー、目がイカレそう」
じっと水鏡を見ているだけ、目がどうにかなりそうと思っても不思議はないが、ここではそういう心配は無用であるのはわかっている。 だがつい口から出てしまう。
ここには時計などない。 どれだけの時間が経過したのだろうか。
「さすがにもういいよな」
どれだけライを待たせてしまっただろう。 ピロティに出ると黒の穴を潜った。
「よ、お疲れ」
何もなかったように片手を上げる。
「悪い、かなり待たせた」
「気にしなくていい、これも俺らの仕事だからな」
「ん? 仕事って?」
「補佐。 あ、気にしなくていいからな」
補佐と言ってしまえば、水無瀬は矢島の跡を継ぐ者になったということになる。 そこに気を使ってくれたのだろう。
行こうか、と言ってライが歩き始めた。
「なんか、断り切れなくて水の宥め方を教わされた」
「そうなんだ」
ライの返事が素っ気なく感じて隣を歩くライを見たが、よく考えればそれ以外の返事のしようが無いのだろう。
「矢島さんのことを訊きに来たつもりだったんだけど大きな収穫は無し」
「無理しなくていいよ」
水無瀬がもう一度ライをチラッと見て顔を俯かせ「大したことじゃないけど」 と言って続ける。
「代々の人達は昔昔のことがあって、他の門の人と会うことを良しとしなかった、誰かが居ると引き返してたってことだったらしいけど、矢島さんは誰かとここで話していたらしい」
「誰かと?」
「それが誰かは分からなかった」
「・・・その誰かが、矢島のことと関係してるのかなぁ」
「烏も忙しくて誰かまでは確認してなかったみたいだ。 それと別に疑っては無かったけど水見さんという人は居たみたいだな。 烏の記憶が鮮明でないらしく、どこの門の人かは覚えていないようだった」
「そうか・・・」
“そうなんだ” より短い “そうか” だったが “そうか” には複雑な思いが込められているような気がする。
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ハラカルラ 第23回
翌朝、やはり一番最後に起きてきた水無瀬が初めて会ったライたちの父親と顔を合わせた。
見た目は逞しい身体を持ち、顔は・・・岩だった。 性格も岩のようで、ワハハおじさんのように柔軟性は感じなかった。 良く言えば生真面目、悪く言えば冗談がきかない、そのまま言えば、座っているのを見ただけで背筋が伸びてしまう。
「夕べはお留守の間にお世話になりました」
(そちらの首脳会議は如何でしたか?)
「ゆっくりできたか」
「はい、お陰様で」
(盛り上がりました?)
「ライから聞いたが、今日もあちらに行くらしいが?」
「はい、ちょっと気になることがありまして」
(夕べのお酒は残ってないようですね)
「そうか。 ライに案内をさせる」
一人で行けそうな気がするが、あくまでも気がするであって目印となる郵便局やコンビニがあるわけではない。 あんな広い所で迷ってしまっては戻って来られないだろう。
「ありがとうございます」
朝から米というものを二日連荘食べ、出汁のよくきいたインスタントではない味噌汁に煮物と、これも二日連ちゃんという贅沢な朝食を終えたあとライと長の家に向かった。
長の家は初めてだったが、煉炭やライの家とそう変わらないようでどこも似たような感じなのだろう。
「烏がそう言っていた?」
「はい。 ずっと矢島さんっていう苗字だと思ってましたから、そうではなかったというので間違いないつもりですが、今日もう一度烏に訊いてきます」
「・・・水見か。 いや、あの時もしやとは思ったが念を押して訊くのもなぁ。 それに昔のそれが矢島の親戚筋として何がどうということは無いのだが・・・」
「だが、というのは?」
「その家に代々、水の世界のことが残されていれば、あ・・・」
長の声が止まってライの眉が動いた。
「いや、各門には各門の在り方がある、というところが引っ掛かってくる」
それは朱門が黒門を頼ってきたとき、黒門が言った言葉。 黒が朱に断った言葉であると、水無瀬は一昨日、長から聞いている。
「その在り方というのが水の世界のだけのことであれば、わしらが口を出すことではない。 だが村の者は補佐をしている。 こちらに関わってくるようなことであれば、また、矢島が今までの矢島の立場である者と違うことをしていれば、在り方というのが変わってしまっている。 わしらが口を出すことではないとは思うが、それは代々のやってきた事を無に帰すということになる。 まぁ、矢島はもう居ない。 その在り方というのを次に残すことは無かったがな」
「長のご心配は分かります。 ですが昨日も言ったように、烏は矢島さんのことを褒めていました。 在り方というのは烏には関係ないことかもしれませんし、代々のやってこられたことが無に帰すというのも烏には関係のないことかもしれません。 でもそうであったのならば、水の世界ではちゃんと役に立っていた、ということで、それで終われませんか? その、村の人たちの補佐というところに何か影響が出ていなければって前提ですけど」
「それが矢島の居なくなった理由だとしてもか?」
水無瀬の隣に座っていたライが言った。
「あ・・・」
考えてもいなかった。
長が腕を組み「ふむ」 と言い
「まぁ、今は何もかも分からん状態ということ。 水無瀬君の言うように何もなければそれでいいがな。 だがライの言うようにそれが為の理由であれば、放っておくわけにもいかないだろう。 村の者として居てくれたんだからな。 水無瀬君が今日水の世界に行くことは聞いた。 ライ、頼むぞ」
ライが頷く。
水無瀬より遅れて長の家を出てきたライの案内の元、水無瀬が穴の中に入り、机のある所から更に奥へと進んで行く。
ピロティ―に出た。 誰も居ない。 大きな穴に足を向ける。
大きな穴には二羽の烏が居た。 黒と白。 それぞれが何やらしている。 昨日説明された水鏡の前には白である白烏が居る。 羽を動かしているようだが、後姿となっていて何をしているのかは分からない。 黒烏もこちらに背を向けて羽を動かしている。 時々足で何かをしているのは足癖が悪いのか、羽では掴めない何かを足で掴んでいるのだろうか。
「鳴海、何をしておるのか、入ってこい」
こちらに背を向けているのに黒烏は水無瀬に気付いたようだ。
「えっと・・・お邪魔します」
「今日は水の宥(なだ)め方を教えようかのう」
「あ、いや、その前に、ってか、それはいいです。 お伺いしたいことがあって」
「あん?」
黒烏がゆっくりとぴょんぴょんと跳ね身体をこちらに向け、白烏が首だけでこちらを向いた。
「それはいいとはどういうことだ」
ぴょんぴょんと跳ねながら水無瀬に近づいてくる。 水無瀬を睨んでいるような気がしないでもない。
「いや、あ、っと・・・」
この事ははっきりとお断りしない方がいいのだろうか。 何気なく、そろりとスルーするあくまでも丁寧に。
「いえ、分からないことがあるので教えて頂きたいなって」
ちょっとプライドをくすぐれば、この烏は簡単に釣れるかもしれないと続けて言う。
「烏さんが御存知ならばのお話しですけど」
「あーん? わしに知らないことなどあるはず無かろうが」
釣れた。
「ではお伺いして宜しいでしょうか?」
「何でも訊くがいい」
「矢島さんは水見矢島さんで間違いないですよね?」
「わしが言ったことに間違いがあるとでもいうのか」
「いいえ、俺の覚え間違いかと訊き直しただけです。 その矢島さんは此処で水を宥める以外に何かされてました?」
「別に」
「別にというのは?」
「わしらも見張っているわけではないからのぅ、だが目立って何かをしていたのを見たことは無い」
何か引っかかる言い方だ。
「目立たないことはあった、ということですか?」
「ふーむ・・・黒は歴代他と会うことを良しとはせんようだったが、矢島は違っておったな」
「え?」
『特に昔の黒と青はそんなことがあったからなぁ、誰かがここに居れば引き返すようだ』 と言っていたではないか。 どうしてその時に言ってくれなかったのか。 だが前言のことを突いても仕方がない。
「誰かと顔を合わせていたということですか?」
「何度かな。 見たわけではないが、ぴ、ぴ・・・」
「ピロティ」
「おお、そうそう。 そのピロピーで話していたようだ」
ピロピーではなくピロティだ。
「誰かは分かりませんか?」
「さあ、わしもここで忙しかったからな」
「そうですか。 それともう一つ」
「言うてみぃ」
「烏さんは水見矢島さんのことを、どうして矢島さんと呼ばれていたんですか? 水見さんの方が、その、験が良かったんじゃないですか?」
水無瀬など、水が無い瀬と書いて験が悪いと言われたのだから。
「ああ、それは水見というのが以前に居ったからな。 同じ呼び名で呼んでしまっては昔話をする時にややこしくなるだろう、それに矢島もそれでいいと言ったからの」
「その以前にいらっしゃった水見さんというのは、どちらの方なんでしょうか」
「鳴海、さっき、もう一つと言わんかったか?」
「あ、えーっと、関連質問としてですね」
「ここでは約束ごとは守ってもらう。 それが大きな嘘とは言わんが結果的には嘘になる。 水をざわつかせることになる」
「あ、はい」
「ではその水の宥め方を教えよう」
ここでお断りしたり何気にスルーしてしまっては、さっきの質問に答えてもらえないかもしれない。
それに仮に水の宥め方を教えられたとしても、烏が言っていたではないか、ここに来ることがなくなった人間もいると。 ここに来なければならないと強制されるものではないのだろうし、よく考えれば昨日烏に次はいつ来るのかとは訊かれなかった。
「はい・・・でも俺に出来るなかなぁ」
「出来るに決まっておろうが、どれだけかかるかは分からんがの。 おい? 教えてやってくれ」
白烏が羽を止めこちらを向いた。
黒烏が教えてくれるのではないらしい。
白烏が羽をクイクイと、まるでCome onというように動かし水無瀬を呼ぶ。
「あ、宜しくお願いします」
何故かヘコヘコとした態度で水無瀬が白烏の横にしゃがむ。
「これは水鏡という」と白烏が言った水鏡には水の中の様子しか映っていない。 当たり前といえば当たり前だが。
「じっと見てみ」
見てみ、と言われてもそこそこの大きさである。 どこに焦点を絞って見ていればいいのか分からない。
「ほれ、水がざわつき始めた」
「え?」
どこだ?
じっと見る。
「この程度で終わってくれれば、この水鏡で対処できる」
どこか分からないのだから、この程度がどの程度か分からない。
「ざわついているところに羽を当てる」
「・・・あ」
さっきまでは静かな水が映っていたはずだったのに、いつの間にかほんの僅かだが水が揺らめいているのが見えた。 だが揺らめきといえば穏やかに聞こえるが、そうではなく不自然な動きと言った方がいいだろう。
この “ざわつき” と呼ばれるものを見るというのは、クイズ番組でよく見る徐々に画像が変化していく、それによく似た感じだ。
白烏は伸ばした羽をゆっくりと円を描くように動かしている。
宥めるというのはまさに言葉の通り、宥めるということらしい。
「こうしていても水が静まらない時にはその場に出向く。 ほれ、やってみぃ」
白烏が羽を引く。 代わりに水無瀬が手をそっと出し指を同じ位置におくと、鏡のはずなのに水を感じる。 不思議に思いながら白烏と同じように円を描くように動かす。
「水のざわつきを感じるか」
不思議だ。 あくまでも鏡なのに鏡に映っている水を感じることが出来るだけではなく、その水が不自然な動きをしているのが指に伝わってくる。
「はい、多分この感覚がそうだと思います」
しばらく円を描いていると、段々と不自然な動きがおさまってきた。 まだ完全ではないが。
白烏が横目で水無瀬を見ているがそれに気付いていない。
「ふむ、これで静まりそうか。 完全に静まるまで指を止めるな」
「はい」
まだ指には静まりきっていない感覚があったが、暫くすると指がポチャンと水の中に入るような感覚があった。 実際にさっきまでは指が水に触れている程度だったのに今は手首まで浸かっている。
「こら、そんなに手を浸けるでない」
「あ、はい」
すぐに手を引くとバチンと頭を叩かれた。 羽で。
「ゆっくりとせんか!」
「はぃぃ、すみません」
最後は失敗してしまったが、それにしても簡単なことであった。
っとにもう、とブツブツ言いながらも白烏の説明は続く。
「この程度で静まるものなら、楽なのだがな。 まだ分からんうちの目安として、この水鏡いっぱいに水がざわつくようであれば、そこに行って水を宥める」
何故か白烏が半眼の目を水無瀬に向けてきた。 何も言っていないのに。
「はい?」
「鳴海、お前いま、こんな簡単なことと思っただろう」
「あー・・・いえ、そんなことは・・・」
「嘘をつくと水がざわつく」
「・・・ちょっとだけ思ったかもぉ・・・」
「言っておくが、これを習得するに何か月もかかる。 長い者では年単位。 水のざわつきすら見るのにどれだけもかかる者も居る」
「え?」
そんなことはない、見えた。 それに単に円を描くだけに? あ、また思ってしまった。
少し離れたところに居た黒烏が会話に入ってきた。
「昔はそれなりにやってはおったが段々と足が遠のく。 今など習得する前に途中でやめる者も居るからのぅ」
「まぁ、ざわつきが見えん、見えても宥めることが出来ん、そうなれば仕方が無いのだがな。 だが飽きるということは無い。 そのざわつきざわつき、全てが違う」
「でも円を描くだけですよね?」
「今の場合は小さかった。 言ってみれば右往左往の右往というところか。 だが大きくなればなるほど水は悲しみ、泣き、苦しむ」
なんというネガティブな言葉の羅列。
「描くだけというが鳴海だから言える」
「どういう意味で―――」
「わぁぁぁー」 という、雄叫びを抑えた雄叫びに水無瀬の言葉が遮断された。
水無瀬と白烏が雄叫びの元である黒烏を見る。
「入ってきた!」 そう言って黒烏が穴から泳いで出て行く。
「またか」 と言うと白烏が水無瀬を見る。
「いつ戻って来られるか分からん。 居られる限りでいい、水を見ていてくれ。 その代わりと言っては何だが、さっきの水見の質問に答えよう」
「はい!」
思わず力が入り「うるさい」 と言ってまたもや白烏に頭をはたかれた。
「水見というのは黒か青か朱か白の人間だった」
そう言い残して白烏も泳いでいった。
「それって答えになってないんですけど」
ましてや長以下の答えではないか。 黒以外ということは分かっているのだから。 黒であったのならば歴代に名が残っているはず。 ならば長が知っているはずなのだから。
ライを待たせていることが気にはなったが頼まれては仕方がない。 それにネガティブワードの羅列を聞かされた。 小さなざわつき相手しか出来ないが放っておくことは出来ない。
じっと水鏡を見てざわつきを見つけると指を当て円を描いていく。
それを繰り返していると、最初よりよほど早くざわつきを見つけることが出来るようになってきた。
多少の位置のずれはあるものの、ざわつきは水鏡のほぼ中央に見えた。 そして早く見つけ円を描くことによって、早く静められることが出来るということも分かった。
何度も繰り返すうち、白烏が言っていたことではないが、水が右往左往というのが分かったような気がする。 穏やかなハラカルラの水がどうしていいのか分からず、まるで迷子が立ち止まり大泣きをする前に、半泣きの顔で左右を見ながらあちこちを歩いているような感じがした。
「たぁー、目がイカレそう」
じっと水鏡を見ているだけ、目がどうにかなりそうと思っても不思議はないが、ここではそういう心配は無用であるのはわかっている。 だがつい口から出てしまう。
ここには時計などない。 どれだけの時間が経過したのだろうか。
「さすがにもういいよな」
どれだけライを待たせてしまっただろう。 ピロティに出ると黒の穴を潜った。
「よ、お疲れ」
何もなかったように片手を上げる。
「悪い、かなり待たせた」
「気にしなくていい、これも俺らの仕事だからな」
「ん? 仕事って?」
「補佐。 あ、気にしなくていいからな」
補佐と言ってしまえば、水無瀬は矢島の跡を継ぐ者になったということになる。 そこに気を使ってくれたのだろう。
行こうか、と言ってライが歩き始めた。
「なんか、断り切れなくて水の宥め方を教わされた」
「そうなんだ」
ライの返事が素っ気なく感じて隣を歩くライを見たが、よく考えればそれ以外の返事のしようが無いのだろう。
「矢島さんのことを訊きに来たつもりだったんだけど大きな収穫は無し」
「無理しなくていいよ」
水無瀬がもう一度ライをチラッと見て顔を俯かせ「大したことじゃないけど」 と言って続ける。
「代々の人達は昔昔のことがあって、他の門の人と会うことを良しとしなかった、誰かが居ると引き返してたってことだったらしいけど、矢島さんは誰かとここで話していたらしい」
「誰かと?」
「それが誰かは分からなかった」
「・・・その誰かが、矢島のことと関係してるのかなぁ」
「烏も忙しくて誰かまでは確認してなかったみたいだ。 それと別に疑っては無かったけど水見さんという人は居たみたいだな。 烏の記憶が鮮明でないらしく、どこの門の人かは覚えていないようだった」
「そうか・・・」
“そうなんだ” より短い “そうか” だったが “そうか” には複雑な思いが込められているような気がする。