大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第70回

2022年06月10日 21時23分02秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第60回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第70回



大声こそ出さなかった杠もかなりショックを受けている。 だがそれは波葉とは違った意味である。

「泣かせたとは、どういうことで御座いましょうか」

杠の目が厳しい。 それほど気になるのなら杠の女房にすればいいのに、とさえ考えてしまう。

「どういうことだと思う?」

「紫揺を泣かせるなどと・・・」

「泣かせてはいかんか? それでは杠が紫を大切に己の元に置いておけばいいのではないか?」

「その様なお話では御座いません。 なぜ紫揺が泣いたのですか」

先ほどまでの浮かれた空気はどこへやら。 波葉は二人をオロオロとしながら見ているだけだ。
マツリが酒杯に手を伸ばそうとしかけたのを止め、改めて視線を杠に転じる

「我から問う。 杠は紫のことを何と考えておる」

「何度も申し上げました。 守りたいそれだけで御座います」

「守るというには色んな意味がある」

「それも何度も申し上げました。 我のたった一人の妹と思っております。 紫揺も然りで御座います」

「では杠の元に大切に置いておけばいいのではないか」

再度同じことを言った。

「守ると言うのは何もさせない事では御座いません」

「此度は大きな傷なく済んだが、手元に置いていなく、それが為に傷を負ってもいいということか」

「それが紫揺の望んだことの結果なのならば」

「それで死しても良いと?」

「マツリ様!」

暫くの静寂が流れた。
波葉の目が宙を踊る。
口を開いたのは杠だった。

「己は紫揺を守りたい、そして紫揺には幸せになってもらいたい。 ・・・どうして紫揺が泣いたのですか」

“紫揺にはマツリ様と幸せになってもらいたい” 喉まで出て言えなかった。 マツリがどうして紫揺を泣かせたのかが分からないから。 今のマツリが何を考えているのかが分からない。 紫揺の事をマツリの肩に背負わせるのは重すぎたのだろうか。

「・・・幸せにか。 それは・・・俺が杠のことを想っているものと同じということか」

「己が紫揺のことを想っていると同じにマツリ様が己に想って下さっているのならば、これ以上の幸せは御座いません」

「俺は杠が幸せになってくれればそれでいいと言った」

「己も紫揺にその様に思っております」

マツリが息を吐いた。
反対に息をのんで見ていた波葉。 ピンと張りつめていた空気が緩んだように感じた。

「悪かった」

酒のせいか、と言いながら今度こそ酒杯に手を伸ばし口にする。
どこか緩んだ空気に波葉も少しは落ち着いたのか、マツリに続いて酒杯に手を伸ばす。

「紫が誰かの手になどということは考えたくもない。 杠の言った通りだった、なにもかも。 だからちょっと杠を虐めたくなった」

重荷ではなかったようだ。 だがどうしてそんな理由で己を虐めたくなったのか、それを追求したいが今は紫揺の方が気になる。

「それで、どうして紫揺が泣かなくてはいけないのですか」

まだ目は厳しい。

「俺の許嫁になるように言った」

口にした酒杯を今にも噴き出しそうになった波葉が咳き込んでいる。

「義兄上、大丈夫で御座いますか?」

「それは、それはあまりにも早急で御座いましょう」

咳き込みながらも波葉が言う。
だが杠は違った。

「それくらいで紫揺が泣くはずはないのですが」

紫揺のことをよく分かっているようだ。
マツリが両の眉を上げると酒杯を口にする。 ゴクリと飲むと言った。

「紫の首に唇を重ねた。 泣かれて頬を打たれた。 許嫁のことは納得しないと言われた」

思いっきり振られたということだ。
間があった。 しんと静まり返る部屋の中。 マツリが手酌で酒杯に酒を注ぐ音しかしない。

クッと杠が笑いを漏らした。

「紫揺らしいと言うか。 見事にやられたということですか」

緊張していた目元も身体も緩み “御座います” も取れて、残っていた酒杯の酒を呑むと改めて身を正す。

「失礼をいたしました」

マツリの名を大声で叫んでしまっていたし、厳しい目を送ってしまっていた。 端座すると手をついて頭を下げる。

「やめてくれ。 俺が先に仕掛けたことだ。 それにしても見事なほどに嫌われた」

頭を上げた杠が「足を崩せ」 とマツリに言われ胡坐をかく。

「時が解決してくれましょう」

「時があればいいがな。 男に目星をつけて領主に言うと言っておった」

「その様な者は現れはいたしません」

「杠から言われていることは分かっていると言った上で、そこそこならなどと言っておったぞ」

杠が顔を歪める。

とんでもないことを聞かされたがとにかく二人の剣呑な雰囲気が無くなった。 波葉が胸を撫で下す。
だが今のマツリの言葉は気にかかる。 東に戻ってしまった紫揺にはシキも杠も何も出来ないし、見事に嫌われたマツリには口も利かないだろうが、まぁ、そこまでの心配は波葉が受けた指令には無い。 ホクホクした手土産を持ってシキの部屋に入ることが出来る。
それにひと段落ついたのだ。 明日には安心してシキも帰るだろう。 また新婚生活が始められる。


翌早朝、少し酒が残ってしまった顔を洗い、水を一気に飲んだ波葉がシキの部屋に足を向けた。

「シキ様はもう起きていらっしゃるだろうか」

ニコニコと独り言をいいながら部屋の前まで来ると、回廊にシキの従者と昌耶がまだ座っている。
まだシキは起きていないようだ。 だが波葉はシキの伴侶である。 シキがまだ寝ていても部屋に入ることが出来る。

波葉の姿を見とめると従者と昌耶が手をついて頭を下げる。

「シキ様はまだお起きでないご様子ですか?」

「気配が感じられませんので」

どうぞ、と言って昌耶が襖戸を開ける。
波葉が入るとそっと襖戸が閉められた。 奥の部屋を見ようとしたが襖が閉まっている。 そっと襖を開けシキの様子を窺い見る。
布団の中からシキがこちらを見ていることが分かった。 襖を閉めると波葉が横になっているシキの元に歩み寄り膝を着いた。

「お起こししてしまいましたか?」

「いいえ、起きておりました。 少し気分が優れなかったもので・・・」

「え? いかがなされました。 すぐに医者を呼びましょう」

立ち上がりかけた波葉の袖をシキが引っ張った。

「大事は御座いません。 昌耶も知っておりますので」

昌耶はシキが小さな頃から付いていると聞いている。 その昌耶が知っているのならば昌耶に預けるのが一番だろう。

「ご無理をされないように。 今日には邸に戻りましょう。 そこでゆっくりとお過ごしください」

「・・・はい」

歯切れが悪い。 どうしたのだろうか。

「マツリのことはどうでした?」

そう訊かれて昨日のことをゆっくりと話した。 気分が優れない中で波葉の言うことに耳を傾けている。
それにしても、と波葉が思う。 昨日はあんなに元気だったのに、どうして・・・。
シキの母親である澪引は身体が弱い。 それを思うと不安を感じることは消せない。

「マツリ様の事はこれで宜しいかと。 シキ様はゆるりとされて下さい」

シキが身体を起こす。 波葉がシキの背中に手をまわす。

「随分と良くなりました。 マツリのことも杠のことも安心できましたが、紫のことが気がかりです」

シキの言いたいことは分かる。

「はい。 もう少し順をお踏みになられれば良ろしかったものを・・・」

何も知らない紫揺にどうして首などに口付けたのか。
後になって杠から問われ、マツリが話してはいたが。

『木から跳び下りてきたのを後ろから抱きとめたのでな。 そこしかなかった』 と。

杠は笑っていたが、いったいどういう状況なのだろうか。

「極端にもほどがありますわ。 かわいそうな紫」

紫揺は男女の理を何も知らないと “最高か” と “庭の世話か” から聞かされている。
杠が話している時にとんでもないことを言いかけ、思わず紫揺の耳を塞いだ。 “最高か” と “庭の世話か” などは目や口まで塞いでいた。

その時には紫揺が何も知らないなどとは知らなかったが、そうせずにはいられなかった。
きっと日本でも周りがそうしていたのだろう。 何も知らない紫揺。 今も泣いているのではないだろうか。

「今日、マツリは東に飛べそうですか?」

「それは出来かねます。 今日だけでなく明日もです。 きっとそれ以降も。 当分マツリ様はお忙しくされます」

「ではいつ、誰が紫の様子を見に行くのです?」

「シキ様、マツリ様はマツリ様の背負われていることが御座います。 伴侶は二の次で御座居ます。 マツリ様が心寄せられている紫さまと添われるに越したことは御座いません。 ですがいま宮は動かなければならない時で御座います。 マツリ様もそれを重々分かっておられます」

シキが唇を噛む。

―――美しい。

シキが紫揺の事で心穏やかでないというのに、そうと分かっていても我が伴侶はいつ何時でも何と美しいのだ。 そう思いながらシキに見惚れる波葉だが、シキが今何を考えているなどとは考えもしなかった。

「では、わたくしが東に飛びます」

己の気分が優れないというのに、それを押してまで紫揺の様子を見に行くというのか。 荒げそうになる声を抑えて諭すように言う。

「何を仰られますか。 ご気分も優れられないというのに」

「ご尤もで御座います」

え? とシキが顔の向きを変え波葉が後ろを振り返った。 襖は閉められている。

「シキ様、お身体をお考え下さいませ」

声が続いた。
波葉が襖を開けると襖の向こうに手をついている昌耶が居た。

「シキ様が飛ばれると仰せられれば、この昌耶、身を捨ててお止めいたします」


いつもより随分と早い四方とマツリの朝餉が終わった。
従者が厨に手配をしていた。 しっかりと四方に言われたからなのだが。

「酒は残ってないか」

「はい」

「杠は何と申しておった」

「父上の褒美を受けると」

四方が口の端を上げる。

「段取らねばならんな。 杠の体術はいかほどのものか」

「我が教えました」

それは知っている。 だから勝算があるのだから。
だがここで少しでもマツリが口ごもれば、マツリから見て杠の体術には不安があるということになる。 そうなれば勝算も怪しいものになったがマツリは言い切った。

「それでは充分か。 ではこの一件が落ち着けば執り行う」

マツリに体術を教えたのは四方だ。 己の教えには自信がある。 それをマツリが杠に教えたのだから間違いはない。

「はい」

そろそろ武官長と財貨省長に従った文官が来るはずだ。 四方が立つとマツリもその後に続いた。

武官長と財貨省長との段取りはついた。 四方は現場にはいかない。 行くのはマツリだ。

造幣所が動き出す随分と前に宮を出た武官と文官を従えたマツリ。
文官は馬には乗れないので馬車である。 そしてマツリはキョウゲンを飛ばすことなく馬に跨っている。
キョウゲンは宮で留守番ということにしたかったが、それをキョウゲンが撥ねた。 マツリの言うことに忠実だったキョウゲンが。

「飛ぶことはいたしませんがマツリ様の肩においてくださいませ」 と。

だから馬に乗るマツリの肩にキョウゲンがとまっている。
キョウゲンはマツリのことを知ろうとしている。 洞であまりに突然マツリから大きな感情が流れてきて更に毎日流れてくる。 収拾がつかない状態がまだ続いていた。

「では行く」

先頭は武官に任せその後をマツリの乗っている馬が走る。 その後を武官が御する文官を乗せた馬車と咎人を乗せるための馬車が走り、またその後に武官の馬四頭が続く。
目指すは造幣所。



「紫さま?」

此之葉に揺り動かされてやっと紫揺の目が開いた。

「ずっと目を閉じられたままかと思いました」

心底安堵したように此之葉が言う。
何度声を掛けても返事もない。 とうとう戸を開けると着替えもしていない紫揺が掛布団の上に横たわっていた。 息があるかとさえ確認したほどだった。

「え? そんなに爆睡してました?」

「ばくすい?」

「あ、思いっきり寝てました?」

未だに言葉のチョイスに困る。

「何度お声がけをしてもお起きにならなかったので」

「そうなんだ。 うん、寝不足だったから。 しっかり寝られたみたいです」

身体を伸ばす。

「本領であまり寝られなかったのですか? 何かあったのでしょうか?」

「あ、そういう意味じゃなくて」

充分そういう意味だが。

「それより昨日、阿秀さんとお話されました?」

「え・・・」

此之葉が頬を染める。
話したんだ。
あの堅物が何を言ったかは分からないが進展はあったようだ。

「お付きの人たちもそうですけど、此之葉さんもご自分の自由に足を踏み出してください。 もう紫は東の領土に居るんですから」

「紫さま・・・」

「遅く起きて偉そうなことを言っちゃいました。 耶緒さんの話は聞かれました?」

寝起きにかかわらず気にかかることを訊く。

「はい。 紫さまに言われたように湯呑一杯を耶緒に飲ませたと。 耶緒がまだ喉が渇いたというので、もう一杯飲ませたということでした。 今も秋我が耶緒に付いております」

紫揺が口角を上げた。 いい方向にいっているようだ。

「耶緒さんの状態を視に行きます」

「朝餉は・・・」

「あとで頂きます」

此之葉と阿秀がどんな話をしたかは気になるが今は耶緒のことが第一だろう。 着替える必要もない。 昨日あのまま寝てしまったのだから。 顔を洗って歯を磨く。
肩の凝りは残っているが昨日より随分とましだ。 しっかり寝られたのだろう。
領主の家に足を運びながら首の痛みにムカつくことを思い出してしまった。
ヒリヒリとしている首筋に左手をあてる。 こすり過ぎた首筋が触るなと訴える。

(思い出したくもないのに)

手を下すとどうすれば記憶というものがなくなるのだろうかと模索するが、学者でもなければ、日本にいれば選挙権があるだけの単なる一般市民だ。 記憶をどうやって消せばいいかなどという知識は持っていない。

(あのマツリ・・・腹立つ! 腹立つ!)

記憶を消したいのに記憶は増幅するばかり。 それも悪いように。

耶緒を見ると昨日とは随分と違っていた。 布団の中ではあるが座っていても平気なようだ。 とは言え秋我が耶緒の背中を支えてはいるが。

「ご気分はどうですか?」

「お陰様で随分と良いです。 久しぶりに深く眠られましたし、白湯を飲んでも吐き戻すようなことはありませんでした。 秋我から聞きました。 昨日は随分と長く手を添えて下さったようで、有難うございます」

「気にしないで下さい」

「なんでしょう・・・。 身体が楽になったのもありますが何よりも心が楽になったような気が」

「心、ですか?」

「はい。 紫さまがお話しくださったことが心に響きました。 特に頑張っているつもりはありませんでしたが、やらねばならぬとは思っていました。 無意識に早くここの場所に慣れねばと、余裕がなくなっていたのかもしれません」

(・・・あれは、あの塊は食物じゃなくてストレス? でもストレスがお白湯を飲むことで溶けるなんて有り得ないし)

「少しでも楽になったのなら良かったです。 それと領主さんにも秋我さんにも訊いたんですけど、耶緒さんの気分が悪くなる前に何か今までに食べたことの無いものを食べました?」

「秋我に聞かれました。 それでよく考えたんですけど、シュリを食べました」

「シュリ? シュリなら辺境でも食べていたじゃないか」

耶緒の背に手をまわしていた秋我がどういうことだと訊く。

「ええでも、辺境のシュリとこちらのシュリでは随分と調理法も味も違いましたもの」

「あ・・・そういえば。 こちらに来て懐かしいと思って食べたんだったか・・・」

辺境のシュリは毒性がほとんど見られなく灰汁抜きも軽いもので良いし、シュリ自体にそんなに味はしない。 ほんのりと爽やかな味がするだけである。 だから辺境では薄味で煮て爽やかな味を楽しむだけで子供も食べるが、ここのシュリはそうではない。

繊維が多いだけでなく毒性が高くしっかりと灰汁抜きをしなければいけない。 シュリ自体の味もかなり苦いもので濃い味付けで少しでも苦みを消し、酒のアテなどに出されることも多く、身体の弱っている時には繊維を消化できず、胃がもたれるからと食べることは少ない。 そして子供たちはその苦さに食べることなどない。

「あ、シュリって、ああ、あの苦いやつですよね。 あの苦いのを食べたんですか?」

苦さを思い出しただけでチョコレートを食べたくなる。

「食としてはとりませんでしたが、味付けのほどが分かりませんでしたので料理をしながらいくつか口に運びました」

「繊維が消化しきれなかったのかな・・・」

あくまでも紫揺の目に映るのは実際のものではないと紫揺自身そう理解している。 だがどう考えても分からない。 仮に実際のものとしても、食物の繊維が白湯で溶けるはずなどないし、さっき考えたストレスもだ。
どういうイメージであんな風に視えたのだろうか。

「取り敢えず一度視させてください」

夕べからの変化をみたい。

耶緒を横にさせ紫の目で視る。
灰色に茶色を混ぜたような色の塊はほんの少し残っているだけで驚くほどなくなっている。 心配な下腹には光り輝くものがしっかりと視える。

秋我が耶緒から目を外してふと紫揺を見た。 紫揺の瞳が紫色になっている。 ゴクリと息を飲む。 初めて見る五色の瞳。 美しい紫の瞳。

紫揺が目を閉じた。 再び開いた時には瞳の色は黒に戻っていた。

「まだ胃・・・胃の腑? に視えるものは有りますけど夕べとは比べ物にならないほど小さいです。 このまま暫くはゆっくりとして可能な限り胃の腑に負担の無い食事を・・・食をとって下さい。 お茶はまだやめた方がいいかもしれません。 お白湯をしっかりと飲んでください」

耶緒が頷き、秋我が「有難うございます」と言った。

「赤ちゃ・・・赤子も元気なようです。 命が輝いて視えます」

夫婦が目を合わせて微笑み合った。

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