大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第195回

2020年10月30日 22時03分30秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第190回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第195回



マツリがキョウゲンと共に戻ってきた。 そして今、日本庭園のような表庭に、姿を大きく変えたロセイが居る。

ロセイを取り囲むようにシキと四方の従者。 遠目には籠を作った職人や、働く者たちがいる。 そして紫揺たちも遠慮がちに居る。 澪引にはまだ外の空気に当たらないようにと四方が止め、リツソはその澪引についている。

マツリが戻って来て四方の部屋でショウワの様子を報告した。 随分と良さそうで、少々動いても事なしであろうということであった。

四方の後ろで共にマツリの話を聞いていた四方の側付きに四方が頷いてみせると、側付きが回廊に座る従者一人をつれてすぐに走った。 従者には職人の元に走らせ、側付きは澪引の部屋にいるシキの元に走った。

職人たちの手によってロセイの準備が始まり、その間にシキも領土を回る服に着替えた。
一センチ程の幅に鞣した皮の紐を青に染め丸襟のベストのような形に編んであり、その下には横にスリットの入った膝丈より少し上の薄青に染めた皮の上衣、下は上衣と同じく皮の筒ズボン。 足元は長靴。 髪飾りなど一切を取り、波打った髪が僅かな風に泳いでいる。
本領の衣姿を纏った姿も美しいが、美しい者は何を着ても美しい。

「ではシキ、ロセイ頼んだ」

シキが「はい」 と言い、ロセイが「畏まりました」 と応える。

ロセイの身体には二つの籠が載っていて、それを馬の腹帯と同じような物で締めている。

ロセイに籠を括りつけることなど、いや、それ以前に、主以外の他の誰かが乗るための籠を括りつけるなど今までに無かった事だ。
それでも主であるシキから言われれば否とは言えない。 その籠は落ちないようにとしっかりキツク締められている。

「羽が傷むわ」 と、悲しげな眼をしてシキがロセイの横で言ったが「これしきの事で傷む羽ではございません」 とシキを気遣ってロセイが返事をしたものだ。

いつもシキが乗る時よりロセイが大きくなっている。 シキを乗せるだけではなく余分に籠二つを載せているのだから。

ロセイが片方の翼を横に広げる。 その翼にシキが腰かけるとロセイが器用にそっと羽を畳む。 紫揺にしてみればまるで上りのエスカレーターの手すりに座って振動も音もなく動いているように見えた。

翼を器用に使ってシキを定位置より首に近い方につかせる。 いつもの位置には籠が載っているからだ。 大きく翼を広げて優雅に飛び立つ。 ロセイを誘導するかのように、空中で待っていたキョウゲンが方向を変えて飛んで行った。

此之葉が顔を上げて空を見ている。 もう見えなくなったロセイを追いかけているのだろう。

「此之葉、もう行かれた」

秋我が見かねて声を掛ける。

「また戻って来られる。 それまで茶でも頂こう。 な?」

「そうしましょう、此之葉さん。 顔色も良くないですよ。 ちょっとリラックスし・・・ゆっくりして唱和様を待ちましょう。 ね、行きましょ」

紫揺が此之葉の手を引き歩き出す。 もれなく “最高か” が紫揺の着る衣の裾を持ってついてくる。 
シキの従者が会話を聞いて茶の用意に走り、別の従者がいつも食事をしている部屋に誘導した。

コトリと湯呑を置いた。

「どうですか? 少しは落ち着きました?」

コクリと頷いた此之葉が申し訳なさげな顔で口を開いた。

「私が紫さまにご心配をお掛けするなどと、愚の至りで御座います」

茶を飲んで少しは落ち着いたのか、顔色が良くなってきた。

「やだ、そんな堅ッ苦しいこと言わないでください。 それにこれからのことを考えると、此之葉さんが気を張り詰めてもおかしくないんですから。 でも、ちょっとでいいですから気を楽にして下さい。 でないと唱和様と会う前に此之葉さんが倒れちゃいます」

「紫さま・・・」

「独唱様にいいご報告が出来るようにしなくっちゃ。 ね?」

「・・・はい」

此之葉が僅かにほほ笑んだ。

「あ、だめだめ。 そんなのじゃダメです」

「え?」

「もっと、イーって、歯が見えるくらいに笑わなくっちゃ」

さすがに大口はいけないだろう。

「ま、紫さま・・・」

まだイーの口をしている。 此之葉から笑みどころか、クスッと声がこぼれた。

「そうですよ、此之葉。 紫さまの仰る通りだ」

「秋我・・・」

「っとに、さっきまでどれだけ笑わせようと努力してきたと思ってるんですか。 全く笑ってくれなかったのに、紫さまの一言でそれですか?」

「あ、そんな風に考えて下さっていたのですか?」

「わっ、秋我さん、その努力、悲しく報われなかったですね」

此之葉と秋我が目を合わせると、秋我が見えない空に大きく口を開いて笑い出し、反対に此之葉は見えない地を見てくすくす笑っている。

「唱和様が帰っていらっしゃるのが楽しみですね」

「楽しみでございますか?」

「はい。 仲間が増えるんですから、元に戻るんですから。 嬉しくないですか?」

「え?」

「独唱様と唱和様には申し訳ないでは終わらせられないことをさせてしまいました。 それを思うと悲しいなんてものじゃない。 自分が笑っていた時を恨みたくもなります」

「紫さま・・・」

「でもそれに終止符が打たれるんです。 私に後悔はありますけど、でもそれは知ってて知らない振りをしてたんじゃない。 到底知ることも出来なかったことです。 お婆様もそうです。 誰が悪いじゃなくて被害者は独唱様と唱和様です。 その唱和様が帰って来られるんです。 独唱様がどれ程お喜びになるか、それを思うと嬉しくないですか? 楽しくないですか?」

「紫さま」

「えっと・・・間違っていますか?」

「間違ってなど、間違ってなど御座いません」

紫揺は後悔があるといった。 それがどれ程重いものとして紫揺にのしかかっているのかは想像もできないほどであろう。 だが紫揺は楽しいという。 誰が悪いわけじゃないという。 紫揺は前を向いている。 それなのに自分はずっと足元しか見なかった。
此之葉の表情が変わった。

「必ず唱和様を封じ込めから解いてご覧にいれます」

「はい」

笑んだ短い返事だった。

秋我が二人の会話を目を丸くして聞いていた。 あの不安や緊張を見せ強張っていた此之葉の顔が今は自身に満ち溢れている。

(紫さまとは・・・)

秋我が何を思おうとも、感じようとも紫揺の知るところではなかった。

「此之葉さん、とってもいい顔色になりましたよ。 きっとこのお茶が良かったんですね」

丁度おかわりを入れにきたシキの従者と目が合った。

「お茶を有難うございます。 此之葉さんの顔色がすごく良くなりました」

「それはようございました」

そう言ったのは、庭でシキを見送った後に東の領土の三人の会話を聞いて茶を淹れに走ったシキの従者だった。

「此之葉様のお顔のお色が悪いとお聞きしましたので、此之葉様には白茶を淹れさせていただきました」

ということは、此之葉の呑んでいる茶と紫揺と秋我が飲んでいる茶が違うということだ。

「え? 此之葉さんだけに違うお茶を淹れてくださったんですか?」

「此之葉様にはお疲れをお取りできる白茶を。 紫さまにはお気に召された茶を。 秋我様には爽やかなお味の青茶を淹れさせていただきました」

「え?」 と三人が声を上げた。

たしかにそうだ。 この茶は紫揺が気に入っていた茶、ハーブティーだ。 此之葉と秋我の湯呑を覗くとそれぞれ色が違う。 それに今気づいた。 紫揺だけ湯呑ではなくカップであった。

「・・・すごい」

本領の、シキの従者の心配りにそれしか出てこなかった。


北の領土に舞い降りたロセイとキョウゲン。

シキとマツリを迎えたニョゼがマツリと共にムロイの家に入った。 ニョゼがムロイの家で待っていたショウワを呼び、シキを待たせることなくすぐに家を出ようとしたのを、マツリに止められムロイを訪ねるようにと言われた。

「くれぐれもショウワ様のことを頼む」

ムロイがショウジに支えられながら身体を起こしてニョゼに言う。 ニョゼがそれに応えて「畏まりました」 と頭を下げる。

「ショウワ様、お気を付けて」

今までのムロイの態度とは打って変わったものだった。 マツリに言ったように、今までの自分を愚孫と認め、これからはショウワ孝行をしようとしているかのようである。

「もうくたばってもいい歳じゃ。 気を付けることも無かろう」

マツリがショウワのことを憑き物が取れたようだと言っていたが、まさにそんな感じだった。

キョウゲンと共に北の地に降り立ったロセイ。 年に一度の冬の祭にしか北の領土には来ないロセイとシキ。 この時季にくるのは初めてだった。

「北の領土も意外に暖かいものかと」

ロセイが言う。

「そうね。 こんな季節にくることは無かったから以外ね」

北の領土の夏は短い。 その夏も暑すぎるというのは、ほんの数日だけである。 今は北の領土の夏が終わろうとしている時。 過ごしやすいと言っていい気温である。

「出てきました」

マツリと共にムロイの家から出てきたのはショウワとニョゼ。

「頼みますね」

「承りました」

ショウワの足取りは遅い。 ニョゼがショウワの手を取り、マツリがそれに合わせて歩いている。 やっとシキの前までやって来た。

「シキ様、此度はこの老いぼれがご迷惑をお掛け致します」

ついさっき、シキの乗るロセイで移動するということを聞かされた。

「飛ぶということは初めてのことでしょう。 ですが怖れることなく安心して乗っていると良いですよ」

そしてニョゼに目を移す。

「わたくしまでもお手を煩わせてしまい申し訳ありません」

ニョゼは馬に乗れるのだから、ギリギリまで馬に乗り、あとは徒歩で行ってもよさそうだが、本領と繋がっている洞の場所を知らなければ、洞をどうやって開けるのかも知らないし、あの滝の裏を一人で歩くことなど女人にはかなりの勇気が必要だろう。

それに見るからに体力がなさそうだ。 洞まで行きつくにどれほど時がかかるか分からない。 それを思ったマツリが、ニョゼもロセイに乗せて欲しいとシキに頼んだ。 これがセノギなら洞の場所を知らなくとも、シキにもロセイにも迷惑をかけることなく、キョウゲンで誘導しただけにおさまっただろう。

「ショウワによくして下さっているようね」

「気付かないところが多く、ショウワ様にはご不便をおかけしております。 申し遅れました、ニョゼと申します」

「え? ニョゼ?」

マツリからは改めて名前は聞いていなかった。

「はい」

「まぁ、あなたがニョゼなのね。 お会いできて嬉しいわ。 驚くことがあってよ。 さ、行きましょう」

ショウワがどういうことかとニョゼを見るが、ニョゼは頭を傾けることしか出来なかった。

ロセイの翼で上手く籠の中に入れてもらったショウワとニョゼ。 最後にシキが乗る。

「どう? ロセイ飛べそう?」

「他愛もないことで御座います」

ニョゼはスレンダーだ。 ショウワにおいては小さなお婆さん。 それに冬であれは沢山の布を身体中に巻きつけるところだが、今は暖かく、綿の長いスカートと上着を着ているだけである。 重さはさほどもないということであろう。

キョウゲンが先に飛び立った。 ロセイがゆっくりと翼を広げ羽ばたかせる。 ショウワとニョゼが籠の端を持つ。 シキにおいては慣れたもので片手をついているだけだ。 だがそれは羽ばたきの揺れがあるからではなく、いつもの座り方である。

籠の中には重量のない敷物が敷かれている。 籠を作った職人たちの気遣いである。 高く飛んだロセイの背からそっと籠の外を見てみた。 ショウワはすぐに籠の中に引っ込んだが、ニョゼは時折動くロセイの翼を見ていた。

(なんて優雅なのでしょう)

色彩も美しく、陽に輝いているように見える。 ふと翼の下に目がいき、目が回りそうになる。 ショウワと同じく籠の中に引っ込んでしまった。 座り込んだ二人に敷物は有難かった。

山の上を簡単に飛び越え、すぐに滝の裏まで来た。 いつもより体を大きくし、籠の中の人間のことを考えると僅かでも身体を傾けることも出来ない。 ロセイの翼に幾つもの滝の水がかかる。 反対の翼の先が岩壁に当たる。

シキが振り返り左右の翼を見る。 声を掛けたいが、無理をしないでねとも言えなければ、大丈夫? と訊いてもなにも事は変わらない。

「お気になさらず」

シキの心がロセイに伝わったのか、シキが訊かずともロセイが答える。

「禁を破らせた上に。 本当にごめんなさい」

「シキ様にしか出来ぬことです」

禁とは『供は主にだけ仕え、その背は主以外に触れさせてはならぬ』 といった供に決められたことだった。 そして主の方にも『主は供を慈しみ、その背を誰からも触れさせてはならぬ』 ということである。 “触れさせてはならぬ” というのは単に触るということではなく、その背に乗せてはいけないということである。 シキは主としてその禁を破り、ロセイもまた供としての禁を破った。

だがロセイの言うように、シキにしか出せない命令である事にも違いない。 キョウゲンはマツリの供であるから雄である。

飛び方はロセイほど優雅なものではなく、どちらかというと強弱のはっきりとした飛び方。 そしてなにより、供は男の主を乗せるために雄が選ばれ、女の主には雌が選ばれる。 雄のキョウゲンが女を乗せることなど、背に主以外の誰かを乗せる以上の到底考えられない事であった。 マツリがキョウゲンにそんな命令が出せるはずなどない。

滝の裏にある洞に入る為、直角に曲がらなくてはならない。 あまり大回りをしては身体が大きくなった分、洞の壁に当たってしまう。 身体を傾けることなく右翼の先を中心に曲がり、なんとか洞に入った。
これはロセイだからできたのであろう。 マツリの性格の上に育ったキョウゲンの飛び方では到底できない事であっただろう。

洞を抜け本領に入った。 宮までは馬に比べるとすぐである。

「帰って来られた」

茶を飲み終えると庭に出て、ずっと上空を見上げていた秋我が言う。

「此之葉さん?」

此之葉の顔がまた緊張に走っている。 分からなくもないが少しでもその緊張を解いてあげたい。

「ちょっと屈んで」

此之葉がなんのことだろうかと、緊張の面差しのまま少し膝を折り、紫揺と同じ顔の高さになった。 紫揺の手が此之葉の顔に伸びる。 両方の手で頬を包み込む。

「大丈夫。 心を落ち着かせて。 此之葉さんには出来るって分かってるんだから、ゆとりをもって。 初めて見るショウワ様を笑顔でお迎えしなくっちゃ」

此之葉の顔を強張らせていた無駄な力が抜けていく。

秋我だけでなく、シキの従者や四方の従者もそれを見ている。 そして “最高か” が裾を持ちながら必死に後ろから覗き込んでいる。

昌耶は両手を組んで空を見上げているだけである。

「はい、大丈夫。 笑って」

此之葉の顔から紫揺の手が離された時、もともと陶磁器のように白い顔色だが、そこに青みを帯びていたのがなくなり、代わりに紫揺の手を当てていた頬がほんのり桃色になっている。
無言のどよめきが息から出てさざ波が起きた。

「紫さま・・・」

ほんのり暖かい自分の頬に指先を充てる。

「ね、笑って」

「・・・紫さま」

「やだ、どうして泣くの? 大丈夫? 大丈夫? あの、ごめんなさい。 私イヤなことしちゃいましたか?」

思わず下を向いた此之葉の顔を覗き込んで言う。

「紫さま大丈夫です。 此之葉は嬉しいのですから」

秋我の言葉に此之葉が何度も頷く。 そして涙を拭いた顔を上げると満面の笑みで「ありがとうございます」 と言った。

“最高か” が目を合わせた。 この二人だけが見ていたものなら、大部屋に帰った時の大きなネタになったものを、今は全員とは言わないが、シキの従者がここに居てそれを何人も見ている。
ネタの二人占めが出来なかったことは残念だが、今夜も大部屋は賑やかになるだろう。 夜が楽しみだ。 と、目を合わせただけでこんな会話が出来るほどに二人のタッグ力は高まっていた。

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虚空の辰刻(とき)  第194回

2020年10月26日 22時15分05秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第190回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第194回



呆気にとられたマツリが立ちすくんでいる。 そしてようやく一言が出た。

「どういうことか?」

マツリがリツソの大解放になっている部屋の中を見た。 そこには卓に向かって猛勉強しているリツソの姿があった。 その傍らに紫揺がいる。
“最高か” が頭を下げると身を引いた。

「上手! リツソ君、本当に字が上手ね。 じゃ、次は “馬” ね。 こうやって書くの」

字と姿が似てるでしょ? と言いながら、紫揺が書き順を教える。
字の画数がどうのこうのではなく、リツソが興味を引きそうな字から教えていた。

「他愛無い」

リツソが言うと、紫揺が示した書き順で “馬” を書いた。

「スゴイ! よく出来たねぇ」

紫揺がリツソの頭を撫でている。 リツソが嬉しそうに紫揺を見上げている。 カルネラが紫揺の肩の上で手足をブランと下にしてうつ伏せになって寝ている。 三画の漢字までしか書けなかったリツソが十画の “馬” を書いている。
これはどういうことなのだろうか。

シユラに頭を撫でられたリツソの目にマツリの姿が映った。

「あれ? 兄上」

紫揺が無意識にリツソの視線の先を見た。

(ゲッ)

「勉学か?」

「はい。 シユラと共に励んでおります」

共にではないであろう、教えてもらっているのだろう。 ついさっきまでは引き算を教えてもらっていただろう。 “最高か” が心の内を口にせず目を合わせる。


『はい、それじゃあ、次ね。 お皿にあった百個の小さなリンゴを、カルネラちゃんが四十個もほっぺに入れました。 お皿に残ったのは幾つでしょう』

『え? 百個か?』

それは多すぎると言いたかったが、リツソにはリツソなりの矜持がある。 口を閉ざした。

『うんそう。 百個。 頑張って考えて。 リツソ君なら分かるから』

十から徐々に数を増やしていった。 その様子を見て百迄くらいは数えられるだろうと思ってのお題であった。

『えっと・・・。 うん、と・・・』

先ほどまでは、二桁だった。 ここにきて三桁にしてみた。 数は数えられるが、桁が分からなくなったのだろう。

『約分しようか』

『やくぶん?』

紫揺に指南されていたリツソを “最高か” が見聞きしていたのだった。


「そうか。 だがもう夕餉の刻だ。 勉学を切りあげよ」

「いいえ、まだまだ。 夕餉などをとっているヒマがあれば、まだまだシユラと共に勉学をしたく思います」

「リツソはそれでよいかもしれんが、紫も夕餉の時だ」

紫揺がマツリを見るが、マツリは紫揺と目を合わせない。

(なに? あの時といい、何が言いたいのよ)

丸太橋での時も同じ様だった。

「あ、そうか。 シユラ、夕餉をどうする?」

リツソに話しかけられてマツリからリツソに目を転じた。
紫揺にしてみれば此之葉と秋我のことがある。 いつまでもここに居ては此之葉と秋我が夕飯をとることが出来ない。 リツソと付き合ってばかりいられない。

「じゃ、今日はこれくらいにしておこうか。 リツソ君よく出来たよ。 ご飯を食べてよく寝て明日もお勉強を頑張ろう」

「明日もか!? 明日も我と勉強をするか!?」

「リツソ!」

「ヒッ!」

マツリの声にカルネラが紫揺の肩の上で目を覚ました。 手足をダラリと下げたままボォーっとする目で顔を上げた。

「夕餉の刻と言っておる。 父上と姉上を待たすのではない」

「ほら、リツソ君、行っておいで」

「う、うん」

「カルネラ!」

「ピィ!」

マツリの声に紫揺の肩の上でカルネラが身を縮こませながらも毛を逆立てて悲鳴を吐いた。

「リツソと共に行け」

「ほら、カルネラちゃんも行っておいで」

「キュウイ」

一声鳴くとカルネラが紫揺の肩から腕を伝って下りると、リツソの肩に乗って縮こまる。

「父上と姉上がお待ちだ。 早く行け」

リツソが紫揺を仰ぎ見る。

「ほら、シキ様とお父上を待たせちゃいけないよ」

また明日ね、とは言わない。

「そ、そうであるな」

立ち上がったリツソの背をポンと押した。
リツソが回廊を走る。 その姿を紫揺が追う。

「リツソが世話になった」

シユラに背を向けマツリが言った。

「・・・いえ、こちらこそ。 リツソ君の宝物を頂きまして」

「リツソの? ・・・しがない物とは思うが収めてやってくれ」

紫揺が目に入るほどには振り返っていなく、ほんの少し肩越しに言うとリツソを追って歩き出した。

「なにアレ?」

喧嘩をしたいわけではないが、少々拍子抜けである。


紫揺が夕飯を済ませ風呂に入るとシキの部屋に入った。 これで今日の “最高か” の仕事が終わった。 二人が襖を閉め目を合わせた。 一刻も早く大部屋に戻り今日のネタを披露しなくては。

「リツソが世話になったそうね」

「いいえ、久しぶりの勉強で楽しかったです」

勉学ではなく勉強と言うのか、と、紫揺の言葉に耳を傾ける。

「あのリツソが・・・あら、わたくしったら」

指先で口を押えて言い変える。

「リツソが愉し気に勉学のお話をするのなんて、初めて見たわ」

ご隠居の屋敷から帰ってきた四方は夕餉の前にシキとマツリにご隠居との話をしていたので、 この日の夕飯の席では難しい会話はなかった。 よってリツソの一人舞台であった。

「明後日、朝一番にマツリが北に飛んで、ショウワの様子を見に行くの」

「はい」

「マツリの判断で本領に入れそうなら、次にわたくしがショウワを迎えに行きます」

神妙な顔をして紫揺が頷く。

「此之葉がショウワの封じ込めを解いて、その時にどんな風になるのか想像は出来ないけれど、でもそうなったら分かっていることが一つだけあるの」

シキが指を一本たてる。

「それは・・・?」

シユラが不安げな顔をシキに向ける。
その紫揺の不安げな顔と反対にシキが輝くような笑みで言う。

「紫と一緒に寝られるのは今日と明日だけだということ」

「え?」

「だからいっぱいお話しましょう? 今日は昼餉の後からずっとリツソに取られていたんですもの」

シキの声音が初めて会った時と比べて随分と堅苦しくなくなってきていたのには気付いていた。 本当に妹のように思ってくれているんだと思うと嬉しくなってくる。

女が複数で夜に話をすると必ず出てくる話題がある。
それは恋バナ。

波葉のことを聞いて紫揺が喜んだのは言うまでもない。 そしてそんな話を突っ込んで訊くのも女人道というもの。 どんな人なのか、どこで知り合ったのか、今何をしているのか等々。 シキが赤面していてもお構いなしに訊いた夜だった。


あふっと言いながらシキが口に手を当てた。

「どうした」

「失礼いたしました。 いえ、なんでも御座いません」

朝食の席で欠伸をしてしまったのだ。

「それよりマツリはどうしたのでしょう」

マツリが席に着いていない。

「彼は誰時(かはたれとき:明け方頃)前に出て行った。 南と西の境目を見に行くと言っておった」

「境目? もしや洞を見にですか?」

「ああ、北と東の境目に洞があったのは確かなのだから、西と南にもあるかもしれないと言ってな。 キョウゲンだけの目に任せては悪いと思ったのだろう」

「それで彼は誰時前に出て行ったということですか?」

「そうだろうな」

「一言いってくれればよかったのに」

「そう言ってやるな。 マツリは一人で動くことを好む」

「ですが南を見ているのはわたくしです」

「シキ、波葉のことを考えろ。 言ったであろう」

「ですがあの時には、こんなことになるとは思ってもおりませんでした」

「そろそろマツリに全領土を見させようと思っておる」

「父上、マツリは本領の地下も見ています。 ご存知でしょう」

「ああ、知っておる」

数十年前から本領の中の地下で蠢く者たちが居た。 もちろん四方も知ってはいたが、自らは到底手が回らなかった。 その者たちがここのところ怪しい動きをしているらしく、マツリが目を光らせていた。

「南の領土は落ち着いております。 東は紫が帰ってきたことで民に憂いがなくなるでしょう。 だからと言って本領と北と西に忙しいマツリです。 僅かでもマツリの手助けをしたいと思っております」

「シキ・・・」

「姉上、それは間違っておられます」

シキの席から一つ空席を置いた横に座っているリツソが言う。 四方とシキがリツソを見る。

「兄上は己(おの)が身を削っても、姉上に波葉と一緒になってもらいたいと思っておられるのでしょう」

「え?」

「つい先頃までは、姉上のことをご自分の所有物とさえ考えられていたのに、えらく変わられたものです」

シキが四方を見た。 その四方が意味が分からないという風に首を振った。 そこへ手を取られた澪引がやって来た。 今日から一緒に食事がとれるまで回復をした。
すぐに立ち上がった四方が、側付きに代わって澪引の手を取った。


今日一日は何もすることがない紫揺。 朝食を終えるとリツソがやって来た。

「シユラ! 勉学だ、勉学。 お勉強をするぞ!」

紫揺の手を取るとリツソの部屋まで走って連れて行かれた。
そして午後からは外でシキと茶を飲み、ゆるりとした時間を設けた。 ちなみにリツソは午後になり帰ってきたマツリに雷を落とされ澪引に添うこととなった。

そしてその夜もシキと紫揺は夜遅くまで話すこととなった。
女子の夜は長い。


「では行って参ります」

「頼んだ」

朝から緊張気味の顔をしていた此之葉の目に、渡殿の向こうでキョウゲンを肩に乗せて歩いているマツリの姿が映っている。
マツリが此之葉に気付くと此之葉が深々と頭を下げた。 それに応えるようにマツリが頷く。

マツリが勾欄に手を置くとキョウゲンが肩から飛び立つ。 勾欄を蹴ったマツリが身体を大きくしたキョウゲンの背に乗った。
まずはマツリが今日のショウワの体調を見に行くのである。

「いよいよですね」

此之葉が振り返ると秋我が立っていた。

「そんなに顔を強張らせていては、良いことも悪い方に動いてしまう。 気を楽に持って下さい」

秋我が柔らかく微笑む。
此之葉がコクリと頷く。

「さて、紫さまはどこに行かれたのか」

朝食の後 “最高か” がやって来て紫揺をどこかに連れて出たままだ。 辺りをキョロキョロとする。

「ずっとここにおりましたが、お見掛けしませんでした」

そうか、と一つ返事をして表情を変えて続ける。

「まぁ、ここに居て大事があるわけでもないでしょうが・・・」

庭を見ていた目を此之葉に移した。

「此之葉、一人になりたいと思っているでしょう? でもそうはさせませんよ」

「え?」

「いま此之葉を一人にすると沼の底まで沈んでしまいそうですからね。 マツリ様が帰って来られるまで一緒に居ますからね。 私より紫さまの方がいいとは思いますが、私で我慢してもらえますか?」

「まぁ。 ・・・お気遣い有難うございます」

やっと本日初めての此之葉の笑顔が浮かんだ。


シキに連れられて初めて歩く回廊の先に一室が見えた。 その一室に足を踏み入れる。

「紫に御座います」

日本に居る常なら○○と申します、なのだが、つい東の領土やこの本領で聞き慣れた、○○に御座いますになってしまった。

椅子に腰かける端麗な女性が妍麗な笑みで応える。

今日の紫揺の衣装は、今日が最後なのだからと昌耶を撥ね退けたシキが合わせたものだ。 深い桃色を基調に、差し色は袿に一色青を混ぜ、帯は濃い藤色である。
はい、今回も完全ヨロシク女の子色バージョンである。

「澪引(みおひ)よ。 よろしくね。 さ、お座りになって」

今朝から朝食を一緒にとれるようになった。 その席でシキが紫揺のことを話すと、ぜひ自分も会いたいと言ったのである。

(わぁー、なんて可愛らしいんだろ。 シキ様の妹って言ってもいいくらい)

シキが藤の花のように佇み、風に優雅に揺れるのなら、澪引は風に舞う桜の花びらが身の回りを舞っているようだ。 微笑んだだけで桜の花びらが舞っているように見える。

「シキが言うように、なんて可愛らしいのかしら」

澪引が紫揺を見て言う。
こんなにまじまじと言われたことがない紫揺。 照れ笑いで誤魔化すしかない。

「お身体はもう宜しいんですか?」

夜な夜な話で澪引の身体の状態のことも聞いていた。

「ええ、有難う。 すっかり良くてよ。 リツソが世話になったそうね。 大変だったでしょう」

「いいえ、そんなことはありません。 リツソ君と話していると楽しいですから」

「まぁ、そう言ってもらえると嬉しいわ」

この本領に “君呼び” というものはない。 初めて聞いた澪引が首を傾げそうなものだが、事前にシキから紫揺はリツソのことをリツソ君と呼ぶと聞いていた。
シキにしては、マツリと紫揺の舌戦の前振りとして聞いた。 その時は疑問を持つも何もそんな暇など無かったし、北の領土で初めて聞いたマツリも似たようなものであった。

「母上はまだリツソを目の中に入れても痛くないのですからね」

「だって、シキもマツリも勝手に大きくなっちゃって、何も手を出させてもらえなかったのですもの」

子供のように言うが、それが母心なのだろう。

「やっぱりそうなんですね、初めて会った時にリツソ君が言ってました。 お出来になる姉上と兄上だって」

かなりの粉飾である。 リツソは『いっつも、誰もかれも、父上様、姉上兄上って!』 と言っていただけなのだから。

「まぁ、リツソがそんなことを? リツソとはどこでお会いになったの?」

紫揺がチラリとシキを見た。 澪引に北の領土のことを言ってもいいのかという風に。 その視線に、心得たとばかりに紫揺に代わってシキが説明を始めた。 すでにシキは夜な夜な話で聞いていたのだから。

「え? リツソが一人で?」

「ええ。 リツソがお爺様の所に行って帰らなかった日がありましたでしょ? 翌日にお爺様に連れられて帰ってきた日」

「ええ、覚えているわ」

「あの日も紫の所に行っていたそうです」

「まぁ、そうなの?」

紫揺を見る。

「服・・・衣が破れて、怪我もしてて、頑張って途中まで一人で歩いて来たみたいです。 その、私が要らないことを言っちゃって。 前日、初めてあった日に自分で歩くことなく狼の上に乗って、って。 だからリツソ君、頑張って歩いてきたんです。 それで途中からハクロ達に助けられたみたいです」

「まぁ・・・」

その時のリツソのことを思うと、どうして抱きしめてやらなかったのかと心が痛む。

「母上、ご心配はいりませんわ。 マツリに言わせるとリツソの初恋のようですから」

「え?」

と言ったのは紫揺と澪引。

「そうなの?」

これは澪引。

「マツリだけではなく、わたくしから見てもそう思いますし、紫の話からすると、きっと一目惚れですわ。 紫に言われたことをやり通したかったのでしょう。 そして怪我をしてまでも会いに行きたかった。 わたくしも紫に一目惚れですからよく分かりますわ」

「え?」

紫揺が豆鉄砲を食らった鳩のような目をしてシキを見た。

「妹としてよ?」

女神のような微笑みを紫揺に向ける。
紫揺が訳の分からない安堵を得る。

「あら。 ね、それでは紫はどうなの?」

「は?」

「シキのお墨付きでこんなに可愛らしい義理の娘なら、わたくしは賛成よ。 うううん、是非にともよ」

「あ、あら、そう言えばそうですわ。 ね、紫、リツソの伴侶になれば正真正銘わたくしの妹よ。 リツソはまだまだ勉学が足りないけれど、どうかしら?」

どうかしらと言われても。

「リツソはまだ十四の歳ですから、今は許嫁ではいかが?」

「母上、それは良い案ですわ。 ね、その間にリツソには勉学に励んでもらうわ。 そういたしましょう?」

「あ・・・。 あはははぁ・・・」

リツソのことを話した自分の失敗だ。 だがこんな話になるとは思ってもいなかったし、リツソに初恋されているとも思わなかった。 完全に墓穴を掘ってしまった。

本日、此之葉と紫揺の間にはかなりの温度差があるようだが、秋我が此之葉の緊張をほぐしてくれているだろうか。

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虚空の辰刻(とき)  第193回

2020年10月23日 22時36分41秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第190回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第193回



「うーむ・・・」

腕を組み考え込んでいるのは、リツソのジジ様でもあり四方の父上であるご隠居である。

「お心当たりは御座いませんか」

紫揺のことは事前に文で知らせてあった。 そして今、口頭でショウワの事を東の領土の者の言うことを話してから、四方がご隠居に訊いたのは、朝食の席でマツリと話していたことである。

どうして代替わりした新しい時の北の領主が、ショウワが “古の力を持つ者” ということを知らなかったのか。 そして “古の力を持つ者” は生まれてこなかったのか。 という二点であった。

「あのことがあった時にはわしはまだ五の歳だった。 覚えているのは父上と当時の本領領主であるお爺様が、顔色を変えて何度も北の領土に走って行かれていたことくらいだ。 それに・・・」

ご隠居の父上がお爺様から引き継いで本領領主となり、領主の手伝いとして当時の若かったご隠居が北の領土を見て回ったのは、あのことがあって既に十年以上が経っていたという。

ご隠居の父上、四方から見て祖父からはショウワのことは “古の力を持つ者” と聞いていたが、その時すでにショウワの先代である師匠はもう居なかったという。 そしてたしかに北の領土を見に行く度に、ショウワが引きこもったようにずっと家の中にいたが、先代であるご隠居の父上からいつもそうだと聞かされていた。

本領が来ることで、あの忌まわしいことを思い出し、家の中に引きこもってしまうのかもしれないと。
家の中に引きこもっていた、最初はそうだったかもしれない。 だが今から思うに、後には家の中に引きこもっていたのではなく日本にいたのかもしれない。

そしてマツリもそうだが、ご隠居も四方もご隠居の先代もまたその上も “古の力を持つ者” のことを北の領土の者と話す時に、古の力を持つ誰々とは言わない。 単に名前を言うだけだ。 それはどの領土に行っても同じことである。 だが領主が変わった時にそう呼べば、事は変わっていたのかもしれない。

「お爺様がもう少し詰めておられればとは思うが、あの慌ただしさの中では叶わない事だろうし、狼たちに命令を出された時も出された後も、お爺様は塞がれておった」

自分の一声で何人もの北の民の命を失ったのだから。
それに、その後の領土内のことに本領が口を挟めるものではない。 本領はあくまでも、各領土に厄災をもたらす者を置いておかぬという役目を持っているだけなのだから、とご隠居が付け足すように言った。

「では、ショウワに訊かなければ時のことが何も分からないのでしょうか」

「ショウワにか・・・」

ご隠居が難しい顔をする。

「父上?」

「・・・ショウワは何も知らんであろう」

「どういう事で御座いますか?」

「ショウワはショウワとして生きた。 ただそれだけだ」

四方から訊いた限りでは、それ以外考えられない。 “古の力を持つ者” として五色に寄り添わず、ただただ紫だけを探していたのだろうということなのだから。

「父上、それではこれからの北の領土がどうあっていくのか、その軸が取れません」

「四方、お前の言いたいことは重々に分かる。 いま北を見ているマツリもそうだろう。 だが本領がそこまで北に足を踏み込んではならん。 北に限らず各領土は本領より独立した。 それは東西南北の領土が望んだことだ」

「ですがこれは当時の本領の疎漏です。 それを放擲(ほうてき)しておくわけにはまいりません」

今はあくまでも東の領土の者の言うことを信じるとしての話である。
東の領土の言うところの東の領土の “古の力を持つ者” である唱和がたとえ幼き時、北の領土に攫われてきたとしても、東の領土の者が北の領土に入り込んでいるということに気付かなかった本領の疎漏ということだ。 他の領土に足を踏み込まない事の確約を破ったということになるのだから。

「ああ、そうだ。 それに気付かなかったわしの為落(しおと)しである。 だが、そこでショウワの立場に気付いてショウワを東に戻したとしても、北は何も変わらなかっただろう。 現に北は “古の力を持つ者” がいないと思っていても、何ら感じておらんのだろう? 遡ればショウワの先代が年老いるまでに何の策も講じなかったということだ」

ご隠居にこれ以上何を言っても訊いても得たい答えを出してくれないであろう。 どうして “古の力を持つ者” が生まれなかったのかをご隠居も知らないようなのだから。 だがそれは尤もであろう。 それは領土内のことだ。 領主が考えることであって本領がかかわることではない。

チャンネルを変えるように言葉を変えた。

「東の領土の “古の力を持つ者” が、ショウワの封じ込めを解いた時に、何らかのことが明らかになるのを待つしかないのでしょうか」

ショウワがショウワとして生きてきただけといえど、ショウワが何かを記憶しているかもしれない。

「それもどうか・・・」

決して四方に軽く釣られたわけではない。 本領の入る話ではないと言ったのに、未だに四方が北の領土のことを気にしていることを知って応えている。

「どういう事でしょう」

「ショウワとわしは似たような歳だ。 仮にショウワがその者に解かれたとしても、遥か彼方の昔のことなど、それも己に関する以外のことなど遠く薄い記憶にしかない。 わしもショウワも、もう疲れている歳だ」

四方にしては、リツソのことではまだ矍鑠(かくしゃく)としているご隠居と呼ばれる父上である。 その父上がそんな風に考えていたとは思いもしなかった。


「マツリ様」

止まり木にとまるキョウゲンが、考え事をしているマツリを呼ぶ。

「うん? なんだ」

「この数日、本領のことが疎かになっておりますが、本日はどうなさいます」

「連日、陽の高いところを出てもらっている。 それに明日も明後日もだ。 今は休養を取ってくれ」

夜行性のフクロウであるキョウゲンが、陽の高いうちに飛ぶなど、キョウゲンのことを想うと以前は言語道断であった。 だが今はそんなことを言ってはいられない。

「承知いたしました。 ですが、その様にあまり紫さまと杠(ゆずりは)を重ね合わせられませんように」

シキから紫揺の話を聞いた時、耳に残っている声が渦を巻くようにまざまざと耳朶に蘇った。

『オレが・・・オレが。 オレがおとと(父)とおかか(母)を殺した・・・。 オレが殺したー! オレのせいでおとととおかかが死んだー! オレが殺したーーー!!』

何年も経っているというのに未だに鮮明に耳に残っている。
そんなことを耳に残していても死んだ者は帰ってこないというのに、杠の傷が癒えるわけではないのに。
分かっている。
己を嘲笑するかのように下を向く。

「・・・分かっておる」

何もかもお見通しなのか。 キョウゲンに隠し事は出来ないな、と苦笑いで応えた。

「明後日の朝が最後になればいいのだが。 ・・・事が片がつけばそのあとは夜に飛んでくれ」

夜と言っても真夜中ではない。 民が寝てしまっていては様子を見ることも出来ない。 夕刻からということである。

「御意」


リツソの部屋の中を見渡す。

「カルネラちゃんは?」

「カルネラなら外に出ておる。 種か何かを食べに行っておるのだろう」

ちょいちょい、紫揺が気になる言葉がリツソから出る。

「そっか」

「それより、ほら」

リツソの宝物を一通り見せられた。 それはセミの抜け殻や、葉っぱで作った舟、出来栄えの良い塗り絵などなど。 “最高か” が案じたガマガエルはなかったが、蛇の抜け殻はしっかりとあった。 だがそれを見た紫揺の反応は “最高か” が案じたものとは違っていた。

「あ、蛇の抜け殻を持ってると、お金が集まるっていうのよ」 と、跳び上がって逃げることもなく、尚且つ「白蛇じゃなかったんだ」 などとのたまい、廊下に座る “最高か” が蛇の抜け殻と聞いてすぐに目を逸らして見もしていないのに、顔を真っ青にして胃から何やら上がってきそうになっていた。

そして紫揺が一番気に入った物、それは卓の上に置かれた籠の中にある河原で拾ってきたという色んな形や色をした石であった。

「わー、これツルツル。 それに色んな色がある」

「気に入ったか?」

「うん、こうやって集めると面白いね」

リツソお気に入りの『うん』 が出たが、顔も目もリツソに向けているわけではない。 従って、この『うん』 は『うん』 でもお気に入りには入らない。 あくまでもリツソの目を見ての『うん』 がお気に入りなのだ。

「気に入ったのがあるなら、いくらでもやるぞ」

「ありがと。 でもいい。 せっかくリツソ君が集めたんだから」

「遠慮せずともよい」

「こら、変な喋り方をするんじゃないって言ってるでしょ」

とうとう、ちょくちょく出ていた紫揺の気になるリツソの言葉を指摘した。

“最高か” が、目を剥いた。 リツソに対して『こら』 などと。 信じられないようなモノを見るように紫揺を見る。 それにリツソの喋り方は全くもって変な喋り方などではない。

「だから・・・上げるって言ってるだろ」

口を尖らせている。

“最高か” が、今日これまでに何度目を合わせただろうか。 あのリツソが素直に相手の言うことを聞くなどと。 これは今日の話のネタになる。 一日の仕事を終え、大部屋に戻った時にはさぞ盛り上がるだろう。 二人が頷き合う。

リツソがプレゼントしたがっているのだろうか。 小さな子には往々にしてあることだ、と考え一つの石を手にした。

「じゃ、これ貰える?」

本当は透けた紫色の物が気に入ったが、それはあまりにも綺麗すぎる。

「それが気に入ったか?」

リツソの顔がパァっと明るくなる。

「うん、平べったくて丸くて面白い。 それにきれいな緑色」

この『うん』 も却下。 石を見ている。

「我もそれが・・・オレもそれがいいと思う」

「どうして?」

「オレも一番気に入ってるからだ」

「あ・・・リツソ君が気に入ってるのなら他のにする」

紫揺が手にしていた石を籠の中に戻そうとした時、リツソが紫揺の手を握り止めた。

「やると言ってるだろう」

「でもリツソ君が一番気に入ってるんでしょ?」

「だから、その、だから・・・それがいいんだ」

「なに?」

「オ、オレが一番気に入ってるものをシユラが持っていればいいんだ」

「ん・・・。 じゃ、もらう。 ありがと」

「あ・・・」

紫揺の手を握っていることに気付き、思わず手を引いたが、顔が真っ赤になっている。 ここに来るまでに紫揺の手を引いていたし、紫揺に抱きついてもいたのに何を今更である。

「大切にしろよ」

下を向いて言う。

「うん」

リツソの後頭部を見て言った。
リツソ残念。 顔を上げていればリツソの目を見てお気に入りの『うん』 が聞けたのに。

そして立ち上がった紫揺が部屋を見回した時に、隅に置いてあった勉強道具を見つけた。

「見ていい?」

リツソの許可を取って教科書に当たるのだろう、紐で綴じられたものをパラパラと見た。 懐かしい算数だ。 次に手を取ると漢字が書かれてあった。

この二冊を見ただけでリツソのレベルが分かる。 先程、紅香が来年リツソは十五歳になると言っていた。 十五歳というと中学二年か三年だ。 今見たものは完全に小学校一年レベル。 それどころか最近は小学校に上がる前から、計算も漢字も心得ている子が多いと聞く。

「ね、一緒にお勉強しよ」

紫揺が隅に置いてあった勉強道具を手に、石の入った籠の横に置いた。

「べ・・・勉強などと・・・」

紫揺の言う勉強が勉学だということは知っている。 北の領土で話していた時に耳にしていた。

「私とするのがイヤ?」

「そ、そんなことがあるわけないだろ! シユラとならなんだってするに決まってる」

「じゃ、石の籠片付けて。 一緒にお勉強しよう」

“最高か” が笑いを堪えながら、今日のネタ二つ目をゲットした。

リツソが渋々石の入った籠に手をやった時、「シユラ!」可愛い声が開け放たれていた窓から聞こえた。
二人が窓を見ると、そこに可愛らしいリスが居た。

「カルネラちゃん!」

リツソが邪魔者に半眼になる。

「シユラ! シユラ! ワレカルネラ!」

カルネラが窓から跳び降り、走って来ると卓の上に登ってきた。

「うん、知ってるよ。 それに私の名前を憶えてくれたんだ」

リツソお気に入りの『うん』 が、カルネラに向けられている。 石の籠を手にしているリツソの目が更に細くなってカルネラを見る。

「久しぶりね。 元気にしてた?」

「カルネラゲンキ。 オナカイッパイ」

「種を食べてきたんだ。 美味しかった?」

「オナカイッパイ。 オイシイ」

卓に置かれていた紫揺の手からスルスルと紫揺の肩まで上がった。

「わ、うれしい!」

リツソの目が殆ど一本線になりかけている。

「カルネラちゃん、いい仔~」

カルネラの頭を人差し指で撫でてやる。 リツソと違った意味でカルネラが目を細める。

「カルネラ、オレは今からシユラと勉強をするんだ。 邪魔をするな」

「ベンキョ?」

「い! いつもしていることだ! いつもの勉強に決まっているだろう!」

「イツモ? イツモ・・・イツモ・・・。 ニゲル?」

「こっ! こら! 黙れ!」

いつも逃げているのか。 レベルの原因が分かった。

「ほら、リツソ君、お勉強するよ。 籠、片付けて」

渋々と言った態でリツソが籠を卓から下ろした。 紫揺はカルネラの顎を指で撫でながら、もう一方の手で教科書を開く。
顎を撫でられているカルネラ。 紫揺は殆ど犬猫扱いであるが、カルネラはそれがとても気持ちがいいようで満腹も手伝ってなのか、目がトロリとしている。



ショウワが身体を抱え込んでいる。 影たちの存在を知るセノギは既に屋敷に向かっている。 ニョゼはショウワの夕飯を作るために台所に立っている。
ケミがニョゼを気にしながらショウワの傍らに姿を現した。

「ショウワ様、いかがなさいました」

「・・・丸薬を」

虫の声でショウワが言う。
ケミが常に置いてある水差しから湯呑に水を入れ、丸薬をショウワに渡す。

「ショウワ様・・・」

ショウワが痛みに耐えるかのように、顔中に皺を寄せている。

「・・・身体を」

「は?」

「背中をさすってくれ」

そんなことを言われたのは初めてだ。 ショウワに触れていいものかどうか、それさえも分からない。

「頼む。 ・・・早う」

ケミが何もかもの疑問を取り払いショウワの背をさする。

「くぅ・・・」

ショウワの息と共に声が漏れる。 ケミが今までに見たことの無いほどの渋面を作り、痛みに耐えているからなのだろうか、冷や汗なのだろうか、額にポツポツと汗が浮き出てきた。

頭痛がある中、重く巨大な文鎮のようなものが腹の底から浮き上がろうとしている。 それが腹をえぐり背をえぐる。

(丸薬、早く効かぬか!)

ショウワの背をさすりながらケミが心の中で叫んだ。
ショウワの家に共に居たゼンとダンは、洞が潰されるということで屋敷に向かっていた。 まだ一人では歩けないハンを北の領土に帰すためだ。 ショウワの家にはケミしかいない。

「ショウワ様・・・」

苦しむショウワを前に背をさする事しか出来ない。 こんな時にゼンが居てくれればとケミが思うが、思ったとて何かが変わるわけではない。 詮無いことであった。

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虚空の辰刻(とき)  第192回

2020年10月19日 22時40分16秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第190回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第192回



木立を抜け庭を歩いている時に辺りを見ると昨日のように人がいない。

「他に誰も見当たりませんね」

「朝一番にこちらのお掃除を済ませまして、次にこの辺りの廊下や庭に人が出てくるのは昼餉あとになります」

他愛もないことを話しながら歩いていると、太鼓橋の中央までやって来た。

「ここで鯉を見ています。 疲れたでしょう、じっとしてますから裾を下ろしてもらっていいです。 休憩してきてください」

「休憩などと、とんでも御座いません。 それに疲れなども御座いません」

紫揺の言う『じっとしています』の深い意味を知る由もない二人が丁重にご辞退を申し上げる。

「じゃ、もう少ししたらシキ様もいらっしゃるでしょうから、お茶の用意をお願いできますか? 急がなくてゆっくりでいいですから」

二人が目を合わせた。 紫揺が一人になりたいのか、それとも自分たちに休みの時間を取れるように言っているのかは分からないが、ここは是と言うのがいいことだと分かる。 互いに頷き合う。

「それでは茶の用意をしてまいります」

紫揺の思惑など知る由もない二人が裾を丁寧に降ろした。

「お願いします」

二人が見えなくなるまで見送ると辺りを見回した。

「よし」

さっき彩楓が言っていた。 朝一の次に人手が出てくるのは昼餉後と。
太鼓橋の欄干は朝一番の掃除でだろう綺麗に拭かれている。 長い裾があるから思うようには動けないが、向う脛くらいまで前の裾を片手で上げ履き物を脱ぐと、もう一方の手を欄干に着くと欄干に跳び乗った。

欄干の幅は平均台の二倍ちかくある。 全く落ちる気がしないし、この衣装を濡らす気もない。 人口の池なのだから太鼓橋もそれ程の高さがあるわけでもない。 片手で持っていた裾を両手に持ち換えると欄干の上を歩いた。

さすがに落ちる気はしないと言えど、この裾だ。 ジャンプの着地で裾を踏んでしまうかもしれないし、ターンなど長い裾が空気を含んでしまっては重心を失い万が一が起こってしまうかもしれない。 そう思うとジャンプもターンさえも考えてしまう。
だから歩いた。

歩いた・・・歩いた。 黙々と歩いた。

「歩くだけって・・・」

面白くも何ともない。

欄干の中央まで戻ると袿の裾を後ろに垂らして池の方に向かって座った。 足をブラブラしても衣の中に隠れて見えない。
池には蒼穹に浮かぶ白い雲が映っている。 それを揺らすように色とりどりの鯉たちが今にも上から餌が落ちてくるのかと口をパクパクさせてきた。

「ごめん、餌じゃないから」

これ以上ここに座っていれば鯉に下手な期待をさせてしまう。 立ち上がろうとしかけて裾が邪魔なのに気付いた。 たくし上げるしかない。 衣裳を持ち、裾をたくし上げようとしたその時、後ろから声が掛かった。

「こんな所で何をしておる」

聞き覚えのある声。 アンド聞きたくない声。 振り返る必要もなければそんな気もない。

「座ってる」

「東屋に行くと言っていたのではないのか」

「マツリに言った覚えはない」

「・・・姉上に所用が出来た。 ここには来られない」

「分かった」

マツリの気配が消えない。

「分かったって言ったでしょ、用が済んだのなら戻れば?」

「・・・」

「・・・なに」

「下りられなくなったのか」

「んなわけない!」

「では下りてみろ」

「マツリが居なくなったら下りる」

鯉たちが飽きずに口をパクパクさせている。

「落ちたらどうする」

「落ちない。 万が一落ちても衣はちゃんと自分で洗って返す」

目先は下を向いている。 あの口の中に落ちるのはゾッとする。 思いっきりチュウチュウ吸われそうだ。

「そんなことを言っておるのではない」

「池が深いのなら泳げるし―――」

ヒョイと身体が浮いた。

「へ?」

ストンと太鼓橋の上に足が降りる。

「姉上が見られたら卒倒される」

そう言い残すと立ち去って行った。

「なっに、アイツ!」

マツリの背中を睨みつけた。

正にマツリの言う通りになりかけていたシキが、回廊の端でお茶を運んできていた彩楓と紅香に支えられ座り込んでいる。 シキの後ろについていた二人は互いにもたれ合ってこれまた座り込んでいる。 そして此之葉も座り込んで秋我に支えられている。

マツリからの報告と願い事を聞いたあと、シキがマツリにかいつまんで紫揺のことを話した。
昨晩二人で話したことの一部だが、紫揺は両親を亡くしたことを自分のせいだとずっと思い悩んでいる。 そんな時に北の領土の者に攫われ、北から逃げた日に東の者が接触をした。 それが数日前のこと。
その時に東の領土の事を知り、自分が紫だということを聞かされ、その上、力のことを何も分かっていないのに意図せず力が出てしまう。 そういう苦境の中にいるのだと。 少しは紫揺の身になって欲しいと。

マツリは言い返すことなく聞いていた。 それどころか最初に両親を亡くしたことが自分のせいだと思っていると聞いた途端、寂寥(せきりょう)さえ見せていた。 そえがどうしてなのかに心当たりがなくはない。 結果としてその心を利用するような形にはなってしまうが、これはいけるかもしれないと思い、所用を思い出したから東屋に行けなくなったとマツリに伝言を頼んだ。

物陰から二人の様子を見るつもりで回廊を歩いていると、此之葉と秋我に出会ったのでお誘いしたのだが、シキも此之葉も太鼓橋の欄干の上を歩く紫揺を見て倒れそうになったのである。 これを若冲が知ったら「それくらいで。 こっちは高鉄棒だ」 とでも言うであろうが。

シキと此之葉のことなど知りもしない紫揺。 “最高か” の二人がきてくれなくては、裾を引きずって歩くわけにはいかない。

「倒立も出来ない・・・」

柔らかい裾広がりの着物に似た衣裳。 そんなことをしてしまえば、帯から下がアッパッパーになってしまう。 さすがの紫揺もそれはハシタナイと思う。
欄干に平たい胸を預けると顔と両手を池の方に出した。 せっかく落ち着こうとしていた鯉がまたパクパクとし始める。

「ごめん。 上げられるもの持ってない」



昼食の席で此之葉が沈んだ顔をしていた。 どうしたのかと訊いても、そんなことはないと沈んだ顔を隠して答えるだけだった。
席についた時、此之葉から唱和のことは今日ではなく明後日になったと聞いた。 その事で沈んでいるのだろうかと思うが、昨日以上の落胆が見える。
秋我は初日のことは無かったかのように、パクパクと目の前にあるものを食べている。

「お二人はいつも何をされているんですか?」

紫揺はここに来てからずっと、この二人と一緒に居ない時にはシキと居る。

此之葉は、ちょっと前には紫揺が欄干の上を歩いているのを見て倒れそうになっていました、などとは言えない。

「あまり部屋から出ては本領の方々に申し訳ないので、私は先程までずっと部屋におりました」

「ずっと? 退屈じゃないですか?」

「たまに秋我が来てくれていましたので」

「ええ。 とは言っても、ずっと部屋の中はよくありませんから、先ほど此之葉を誘って外の空気を吸いに出ておりました」

そして此之葉の身体に悪いことを目にした。
回廊でばったり会ったシキにマツリと紫揺が仲良くなるかもしれない、お二人もご心配でしょう? と聞かされ、ついて行ったのだが、マツリと紫揺のこと以前に、紫揺の奔放にシキと此之葉が倒れかけてしまった。
ちなみに唱和のことが明後日になったというのはこの時にシキから聞いた。

「ですよね。 此之葉さん、運動しなくちゃダメですよ」

運動・・・先程の紫揺の姿が目に浮かぶ。 此之葉は座っていると言えど、立ち眩みを起こしそうになった。



「では、明後日ということだな」

「はい」

「ロセイの方は大丈夫なのか?」

「ロセイのことです、難なくこなすでしょう」

「ご馳走様でした!」

リツソが箸を置いて大きな声で言うと、椅子から跳び下りかけたが、マツリがその後ろ衿をつかんだ。

「まだ食べ始めたところだろう」

「我は終わりました」

たしかに全部食べてある。 米の一粒も残っていない。 褒められたものだ。

「母上のご報告も聞いていない」

「お元気になられました。 では」

と言ってもまだ後ろ衿を掴まれている。

「兄上! 報告は致しました」

「まだあちらは食事中だ。 そんな中に入って行くというのか」

あちらとは紫揺たちの事。

「あ・・・」

「大人しく座っていろ」

口を尖らせて深く椅子に座り直した。 やっと後ろ衿からマツリの手が離れる。

「それにしてもショウワが “古の力を持つ者” と知らなかったとはな・・・」

これはマツリの落度ではない。 その前に北の領土を見ていた四方の落度だ。 それは分かっているが、四方自身も先代である四方の父、今はご隠居と呼ばれている父からそんな話は聞いていなかった。

「一度、父上にお訊きしてみるか」

父上とは四方の父、ご隠居ということである。

「はい。 いずれにせよショウワが東の者で東に行ってしまえば北に “古の力をもつ者” が居なくなるという事になります。 北の領主がいつの代からは分からないとは言っておりましたが、五色達のことを良くは言いませんでした。 それを思うと今代五色に関わらずなのでしょうが、少なくとも今は今代五色にショウワが “古の力を持つ者” としての役割を果たしていなかったことは明らかです。 北の五色のことを考えますに “古の力を持つ者” が必要かと」

「だが五色と違って “古の力を持つ者” はその領土に生まれる」

「はい。 我が思うに、先の紫が襲われショウワが攫われたときから、いえ、その様なことを考えた時から北の領土がおかしくなっていたのではないでしょうか。 ショウワのことは東の者が言うことを信じる前提としてですが、ショウワが居なければショウワの師となった “古の力を持つ者” が北の最後の “古の力を持つ者” ということになります。 何十年も前から北の領土には “古の力を持つ者” がいなかったということになります」

「北にあとを継ぐ “古の力を持つ者” が生まれなかったから、ショウワが攫われたということか。 そしてショウワのことを知りえることもなかった時の本領が、事に関わった者を狼の牙にかからせた。 領主も新しい者になり、それまでの領主が何を考えていたか、そしてそれまでの状態をも詳しく知らなかったということか。 ふむ・・・。 その辺りも父上にお訊きしてみよう」

膳が下げられてゆき、茶が運ばれてきた。

リツソの尻がもぞもぞと動く。 マツリを挟んで座っているシキにも明らかにそれが分かる。

「マツリ、そろそろリツソを許してやってちょうだいな」

マツリが軽く右下を見てから前を向いた。 左からは宙に足をバタつかせて、マツリを見上げているリツソの視線を感じる。 マツリが茶をすする。 四方も茶をすすっているが、マツリの様子に方眉を上げている。

「マツリ?」

マツリが片眉を上げて右を斜に見てまた前を見た。

「行ってよし」

リツソが目を輝かせて椅子から跳び下り、走って食事室を出て行った。

「どうしたマツリ」

「何がで御座いましょうか」

「別にリツソをじらさなくても良かっただろうに」

「じらしてなどおりません。 一言いう前に茶を飲みたかっただけです」

四方とシキが小首を傾げながら目を合わせた。



襖の外が騒がしくなったと思った途端、襖がバンと開け放たれた。

「シユラ―!」

リツソ様! とまだリツソを追う声が聞こえるが、そんなもので止まるリツソではない。 それにマツリのお墨付きだ。

「これはリツソ様」

秋我が言うと、此之葉と立ち上がり礼をする。
部屋に入ってしまってはどうしようもない。 追っていた者たちは諦めてしずしずと回廊の定位置に戻った。

「リツソ君」

同じように椅子から下りた紫揺にリツソがしがみ付く。 紫揺にしがみ付く前にチラッと見たテーブルにはもう膳はなかった。 下げられたのだろう。 ということは、これからずっと紫揺と一緒に居られる。

「我の部屋に来ぬか? 我の持っている色んなものを見せてやる」

宝物を見せてくれるらしい。

「うん、でもシキ様が」

「姉上はご存知だ。 それにシユラの所に行ってもいいと言ったのは兄上だ。 だから怖いモノはない」

「え? そうなの?」

「うん、だから行こう」

紫揺の手を引っ張る。

「あ、うん。 じゃ、行ってきます」

此之葉と秋我に言い残して、紫揺がリツソに手を引かれながら出て行った。 紫揺がいうところの “最高か” が後を追う。
呆気にとられている此之葉と秋我。

「そういえば、紫さまはどうしてリツソ様をご存知なのだ。 それもあんなに親しく。 此之葉、なにか聞いていますか?」

領主が居た時もリツソが紫揺に抱きついていた。
此之葉が首を振る。


リツソの部屋に入ると綺麗に片付いていた。 これはリツソの努力の賜物ではなく、誰かが片付けているだろうことは容易に知れる。
リツソが紫揺を部屋に入れると襖を閉めかけようとしたのを “最高か” が、襖を押して実力行使で止めた。

「何故止めるのか」

「女人をお房にお入れになった時には、女人の為に襖を閉めてはなりません」

“最高か” の片割れ彩楓がここまでで止めて正解だった。 許嫁でもないのですから、などと付け加えていれば「シユラは我の奥になる」 などと言いだし、ややこしくなることこの上ない。
“最高か” にしては、リツソが一般的に思う不埒な真似をすることなどないとは思っている。 だが相手はリツソだ。 何をするか分からない。 ガマガエルを出してくるかもしれないし、蛇の抜けがらを自慢げに紫揺の目の前にぶら下げるかもしれない。
驚いた紫揺に怪我でもされたらどうしようもない。 襖は開けて頂いておかねば。 リツソが何と言おうとも。

「そ・・・そうか。 そういうものなのか?」

「年が明ければリツソ様は十五の歳におなりになります。 こういうことはお守りくださらなければ。 十五におなりになるのですからっ。 十五にっ」

紅香も彩楓に続いて尤もらしく言う。 そして必要以上に二つ名をもらえる年齢を強調する。

「そ、そうだな。 我はもうすぐ二つ名をもらえる十五の歳になるオトコなのだからな。 女人のことを考えるのがオトコなのだからな」

言うと閉まっていた襖さえ全開した。
隠れるところもなく思いっきり部屋の中が見える。 “最高か” が互いの目を見て頷き、左右に分かれて座った。

ここに “最高か” のタッグが完全となって組まれた。

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虚空の辰刻(とき)  第191回

2020年10月16日 22時21分04秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第190回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第191回



意外な答えが返ってきた。 以外というより思ってもいない話だった。

「そうか、では領主も単に重鎮とだけ思っているということか?」

「単にと言われては考えます、か。 私が領主になった時から・・・十八年ですか。 その前からですから何年になりましょうか。 ショウワ様がムラサキ様をお探しされている横についておりました。 まぁ、ずっとということではありませんが。 若い頃には説教もされましたし、私にとっては近しい方です」

「ショウワももう歳だ。 万が一があった時にはそれなりの感情があるということか?」

「それはございましょう。 ショウワ様とは先々代からの深い付き合いです。 祖母も同じこと。 まぁ、ショウワ様から見れば愚息ならず愚孫でしょうが」

「領主はショウワのことを祖母と思っている。 ショウワが領主のことをどう思っていようとも、そういうことだな」

「正しくは、頑固でやりにくい祖母ですな」

領主が口元をやわらげて言う。

「そうか」

『憎まれ口をたたくほどに相手のことを想っている』 頭の片隅にある文章に当てはめる。
立場は違うがきっと同じであろう。 頭の片隅にある文章それは『恋心』。 『恋心』 にそう書いてあった。

「先程ショウワ様に憑き物が落ちたようだった、そう仰いましたが」

マツリが頷く。

「私もそうかもしれません。 この歳になって、今になって領土とショウワ様の有難味がやっと分かったような気がします。 ショウワ様にはこれから孝行をしたいと思います」

「・・・そうか。 ではこの度のことで本領に行くのはどうする?」

「ショウワ様にお付きしたく行きたいのは山々ですが、この足で山には・・・山どころか立つことさえもまま成りません」

「では、代理を立てるか?」

「代理?」

「ショウワに苦しかった年月を終わらせる立会人とでも言おうか? 領主に代わってそれを見聞きする代理ということだ。 必要なければそれでよい」

「いいえ、それは是非とも。 ショウワ様をお一人で本領に赴かせるのも気がかりで御座います。 それにショウワ様お一人で長年を終わらせられるのは寂しいものがあります。 是非とも」

「ではそれは誰に」

「セノギに。 セノギは私以上にショウワ様と打ち解けておりましたし、私の腹心でもあります」

「どこに居る」

前に来た時にショウワの居る部屋に案内をしたのがセノギだと覚えているし、紹介がないとはいえ祭ではいつもムロイに付いていた顔だということも認識している。 たしかに謹直実直な者という印象は受けていた。
領主が薬草師を見た。 それに薬草師が答える。

「ショウワ様の所に行くと言っておられました」

「悪いが呼んできてくれ」

ショウジが頷くとすぐに部屋を出て行った。
その間にマツリが思い巡らす。 マツリが黙ったのを見て、久しぶりに長々と会話をした疲れがムロイを襲い瞼を伏さがせた。

マツリがムロイのことなど意に介さず考える。
五色のことは気にせずともいいと分かった。 だが、ここにきて領主であるムロイから聞かされた話。 ショウワのことを “古の力を持つ者” と知らなかった。 どこでどうなって知ることがなかったのだろうか。

疑問は残るが今はムロイとショウワのことだ。 心寄せる祖母と思っているようだ。 代理を立てなければ、ムロイの気が収まらないかもしれない。 本心としては出来ることならば四方が言うように、代理などという者は本領に入れたくないのだが。

マツリが思いを巡らしている間にショウジがセノギを連れてきた。
セノギはショウワから本領に何もかもが知られてしまい、紫揺が東の領土から本領に入ったということをついさっき聞かされていた。

「ショウワの体調はどうだ」

「昨日より随分と良くなっておられます。 マツリ様・・・」

「なんだ」

「ショウワ様から洞を潰すと聞きました。 ショウワ様が気に病んでおられます。 あの地に残っている者たちは私が必ず戻して参りますので、今しばらくお待ち願いたく」

「セノギが?」

「馬を走らせても数日かかることで御座います。 今日中に領土を出ても明日にとは到底いきません。 向こうでの片付け事も御座います。 今しばらくの時を頂きたく」

向こうでの片付けなど、マツリには関係のないことであろう。 だが放っておけるものでは無い。 ただ頭を下げるしかない。

「セノギには領主の代理として本領に来てもらいたいのだが? 領主がセノギを代理にと言っておる」

「私が領主の代理でございますか?」

「領主がそう言っておったが・・・残っているものを引き揚げさせるのも、一時も早くせねばならん」

ムロイの瞼がゆっくりと上がった。

「セノギ、悪いな」

「領主、本領に行く代理とはどういうことでしょう?」

「説明は・・・疲れる。 ニョゼは?」

「ずっとショウワ様に付いております」

ムロイが一度瞼を閉じ、再び開けマツリを見た。

「セノギにはあの地に走ってもらい領土の者を引き上げさせます。 向こうでの片付け事も、向こうに居る五色の説得もセノギにしか出来ません。 代理はニョゼでお願い致します。 ニョゼはずっとあの地で働いていた者です。 才知を持ちムラサキ様を見つけた時にはムラサキ様にずっと付いておりました。 セノギが言うにはムラサキ様が心開いているのはニョゼだけだということですのでニョゼでよろしいかと」

「紫のことはいいが今の話しからすると、そのニョゼという者はずっとあの地に居たのだろう? ショウワのことをそれ程知らないのではないのか?」

セノギの案内でショウワと会った時に、ショウワの後ろに控えていたのがニョゼだと覚えている。 ショウワが立ち座りをするときに手を添えていたのも覚えている。 ショウワはニョゼのことを辺境にずっと居たと言っていたが、あの地に居たのかと、顔を知らなかったことに納得をする。

「ニョゼは才知を持ち明哲でもあります。 ムラサキ様だけにではなくショウワ様にも添える人間です。 仕事の合間にあの地の屋敷に来てはショウワ様に添い、五色の面倒も見ていました。 ショウワ様にはセノギほどに時を重ねてはおりませんが、ショウワ様はセノギと同じくらいに・・・いえ、お歳を召されているとはいえ、女同士ですからセノギに話せないことをニョゼに話していたかもしれません」

「ショウワのことを想うとニョゼという者でもいいということか」

「はい」

「その者をここに」

セノギが一礼をし、すぐに部屋を出た。
ショウワの家に向かったセノギが折り返し歩きながら、耳にしてきたことをニョゼに聞かせた。

「領主の代理?」

「ああ、その内容までは聞いていないが、領主が私の次にニョゼを推した」

「いったい何があるのでしょう?」

「訊いてみなければわからないということだな」

領主の家に着くとすぐにムロイの部屋に入った。

「ニョゼに御座います」

「先時は美味い茶を馳走になった」

普段のマツリならこんな挨拶はあまりしないのだが、やはり相手が女性だと気を使うのか、それとも茶の味を気に入ったのか。

「セノギから聞くにショウワの様子は昨日よりいいと聞いた。 領主の代理としてショウワと本領に来るよう。 ショウワは今日にでも動いて害はなさそうか?」

ニョゼがムロイを見た。 本領と言われてもそこがどこにあるのかも知らない。 ショウワにどれ程を歩かせるのかも何も分からない。

「深山の手前まで入らねばならん」

もう瞼を開けているのにも疲れたのだろう、瞼を閉じたままムロイが言う。

「山になど、ご体調がよろしくてもお歩きにはなれません」

「その心配は要らん。 本領から迎えがある。 だがあまりに動けない、若しくは動くことで害が出る様ならあと数日待つが他に待たせている者もおる。 本領としては今日中にでもと思っているが、どうか」

ニョゼがセノギと顔を合わす。

「本領をお待たせするわけにいかないのは当然だ。 だがマツリ様もショウワ様のご体調を考えて下さっている。 私よりニョゼの方がショウワ様のご体調を分かっている。 ニョゼの判断でいいのではないか?」

「それでは・・・今日、今日と明日を頂けますでしょうか。 明後日にはご体調を整えて頂きます」

「では明後日迎えに来る。 セノギはこの後すぐにあちらに向かい早々に引き揚げ、洞を潰すよう」

「承知いたしました」



職人たちがシキの説明を受け、何度も頷きながら聞いた。

「ではお願いしますね。 ロセイも頼みますね」

「畏まりました」

あまり乗り気でないシキの供であるサギのロセイだが、シキに言われては断ることなど出来ない。
今はシキと紫揺の裾を持つ四人だけを従えている。 こんな所にぞろぞろと従者を従えてくるわけにはいかない。
急遽呼ばれた職人たちが頭を下げてシキたちを見送る。 ここは宮の中の工房である。
シキの隣を歩く紫揺が先程までロセイを珍しげに見ていた。

「とてもきれいな鳥・・・サギですね」

ロセイを初めて見た。 常ならシキの部屋に居るのだが、紫揺が泊まりに来るというので、ロセイが気を利かせて部屋を出ていたのだ。

「ふふ、そうでしょ?」

シキの供はサギだとリツソから聞いていた。 リツソの説明ではわからなかった供とはどういうものなのかと訊ねた。 何せリツソからは『従者は従者。 供は供』 としか説明を受けなかったのだから。

「まぁ、リツソがそんな風に言ったの? まだ違いが分かっていないのかしら」

困ったことね、と言い、続けた。

「供はこの本領領主の直接に血を引く者のところにしかいないの」

と話し始めたシキの説明はこうだった。
領主、または次期領主に三人の子供が生まれたとする。 その子たちが産まれた時に、その子たちの父親である領主、または次期領主が子に合った産まれたばかりの動物を捕りに行き、寝ている子に添わせる。
すると共に生活をするうちに互いが共鳴し合い、子が思ったこと知ったことを、動物が感情や知識として受け取る。 そして子が大人になりその内の一人が領主になると同じことが繰り返されるが、領主の弟なり妹なりが大人になり子をもうけて同じことをしても、与えられた動物と共鳴することはなく、単なる動物であるだけだという。

「ではシキ様とサギはお互いの考えてることが分かったり、シキ様の持っていらっしゃる知識をサギも持っているんですか?」

「お互いではないわ。 お互いに共鳴することによって、動物の方が人間の知識や考え、感情を知っていくの。 それと、サギではなくロセイって言ってあげて」

「ロセイ・・・ちゃん? ですか?」

「ロセイだけでいいわ」

相変わらず素晴らしい笑みを向けてくる。

「はい。 ロセイですね、分かりました。 そうなんだ。 ということは、ロセイが何を考えているかはシキ様には分からないんですね」

「ロセイがわたくしのことを知るほどには分からないかもしれないけれど、生まれた時から一緒に居るのだもの、殆どのことは分かるわ」

今は不服でいっぱいよ、とは言わなかった。

と、その時、蒼穹が一瞬かげった。 上空を見上げたシキと紫揺。
「あら」 とシキが言い、紫揺が 「げっ」 っと同時に言った。

「紫、感情を暴走させてはいけませんよ」

釘を刺されてしまった。

上空から跳んできたマツリがシキの前に歩いて来る。 縦に大きく周り身体を元の小ささに戻したキョウゲンがマツリの肩に降りた。
紫揺を一瞥したマツリ。 紫揺はソッポを向いている。

「姉上」

「おかえりなさい。 キョウゲンも疲れたわね、連日陽の高いうちに出てもらって御免なさいね」

キョウゲンは夜行性だ。 いくらマツリと共鳴しているとはいえ、生体の根本までは変えることはできない。

「いえ、これしきのこと」

「疲れた時にはマツリに仰いなさい」

「お気遣い有難うございます」

紫揺がシキを見る。 シキとは見た目だけではなく、心も美しい人だと改めて感心しているのだ。

「どうでした?」

キョウゲンからマツリに目を転じて問う。
難しい話なのならば、この場を外すべきだろうと身体が鈍(なま)っている紫揺が思った。

「シキ様、昨日の東屋に行ってます」

「ごめんなさいね。 用が終わればすぐに行きます」

はい、と頷く紫揺を見るとシキが来た道を戻りながらマツリに話しだした。

「今作ってもらい始めたところなの。 間に合うかしら?」

「明後日お願いできますか?」

「今日ではないのね? それでは十分に間に合うでしょう」

「そのことでお願い事が増えました・・・」

「あら、なにかしら?」

二人を見送った紫揺が後ろを振り返り、裾を持つ者に訊く。

「昨日の東屋ってどっちですか?」

しっかりと今日も紫揺の裾を持っている二人のうち一人は紫揺の着替えを手伝った女だった。

「あちらに見える木立の向こうで御座います」

東屋のある庭の周りにあった木々があの木立だと分かった。

「分かりました。 えっと・・・」

歩きながら後ろを振り向く。

「お二人とも昨日も裾を持って下さっていましたよね?」

二人が目を合わせる。 覚えていてくれたんだという目の光が互いに見てとれる。

「昨日、お着替えも手伝ってもらいましたよね」

反対から後ろを見る。

「まぁ、覚えて下さっておいでなのですか?」

「あの時はどうしようかと思いましたから、助かりました」

「そんな風に仰っていただけるなど、嬉しい限りに御座います」

「お名前を教えてもらっていいですか?」

「彩楓(さいか)に御座います」

「サイカさん。 こちらは?」

最初に向けていた後ろを見る。

「紅香(こうか)に御座います」

「コウカさんですね。 お世話になります」 

この二人は本領に居る間ずっと裾を持ってくれるのだろう。 二人をセットで覚えた方が間違いがないだろうと思う。 と、下手な漢字を当てはめるのではなく “最高か” <彩紅 楓・香> で覚えようと決めた。

二人が目を合わせて喜んだ。 シキのことは完全に昌耶が独占状態だ。 シキが可愛がっている紫揺に付くのも悪くないし、彩楓にしては着替えを手伝った時からかなり紫揺派になっていた。

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虚空の辰刻(とき)  第190回

2020年10月12日 22時30分02秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第180回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第190回



マツリが自室で座卓の上に肘を置くと頬杖をついた。

「ふむ・・・」

「如何なさいましたか」

フクロウのキョウゲンが問う。

仮にショウワが東の領土の者として、ずっと北の領土の人間だと誰もが思ってきていたのだ。 封じ込められていたとはいえ、当人ですらそう思ってきていたのだから。 封じ込めを解いたとして、北の領土の者がどう思うだろうか。

「どう思う?」

「さて・・・」

マツリ自身のことならともかく、人間の機微など分からない。

「それにどうして時の領主は “古の力を持つ者” を攫ったのだ?」

「それは今にしては分かりようのないことであります」

時の領主はもう居ない。 訊くことなど出来ない。 それに北の領土が東の領土に足を踏み入れた時の者たちは狼の牙にかかり、その後、領主は血筋を絶やさぬようにということで、遠縁の者を置いた。 その者は北の領土のしたことを知らない。
そして本領でも攫われたことを知らなかったのだから、本領のどの史書にもそのようなことを書いたものなど残っていないだろう。

「北の “古の力を持つ者” に跡が居ない。 その事と関係があるのだろうか」

ショウワには此之葉のように継ぐ者はいない。 それと同じように時の “古の力を持つ者” にも継ぐ者がいなかったのだろうか。 だから紫を攫いに行った時にショウワも攫ったということなのだろうか。

「だが」

紫揺の言っていたことを思い出したくはないが、思い出さなければいけない。 それは夕食の席で聞いた、マツリが居ない時に紫揺が言っていたということだ。

『笑うことも楽しむこともなく八十年間ずっと気を張っていただけ、と紫が言っておった』 そう言って四方がマツリに聞かせた。

四方が若かりし頃、北と東の領土に赴いた時にはいつも自室に居てじっと座っていたから、北と東の “古の力を持つ者” はそういうものなのだと思っていたと言う。 幼い時から二人ともそうだったと先代本領領主からも聞いていたとも。

『わしはマツリの知っているショウワより、シキの知っている独唱よりずっと若い頃を知っておる。 二人とも笑うこともなく淡々としておった』
だからあまり “古の力を持つ者” のことは気にしないようにしていたという。 そしてそれをシキとマツリが引き継いだ。 本領としては領土に厄災をもたらす者がいないかどうかを見るだけ。 “古の力を持つ者” が厄災などもたらすことはないのだから。

「独唱のことはさて置き、ショウワはあまり民と触れ合っていない?」

もともと “古の力を持つ者” は民のために生きているのではない。 五色のために生きているのだ。 民と触れ合わなければならないことなどない。
“北の領土の者がどう思うか” その領土の者とは、領主と五色だけだろうか。
疑問に思っても四方譲りの判断は早い。

「明日、北の領主の様子も見に行く」

「御意」

領主と五色を本領に連れて来ればいい。 そしてもし封じ込められていたのだとすれば、領主たちの目の前で解くのを見せればいい。 見せることが出来ないと此之葉が言うのならばそれはそれ。
ショウワだけを本領に連れて来て、のちに結果だけを聞かされては納得も何もあったものではないだろう。 目の前で見せられるのが一番だが、それが叶わないとしても解かれたショウワと話せば納得も出来るだろう。 別れも告げられるだろう。


「領主と五色を?」

翌日の朝食の席である。

「はい」

四方が箸を置いた。

「どうしてそこまでせねばならん」

「置いていかれる者のことをお考えになって下さい」

「本領の関与することではない」

「何十年と共に居た者が姿を消すかもしれません。 それも “古の力を持つ者” がです。 理解して納得してもらわなくては、北の領土の者に歪が入ってしまうかもしれません」

「なにより領主はまだ動けんだろう」

「這わせてでもと考えておりますが、それも出来ないであるようならば領主のことは諦めます。 ですがショウワを東の者と認めず、北の “古の力を持つ者” と言い張るのであれば、領主の代理を出すようにと思っております」

「代理!? そんな者が認められるはずがなかろう」

「各々の領土に足を踏み入れぬこと。 それは東西南北の領土だけの話。 本領には関係のないことです。 領主、五色、”古の力を持つ者” これ以外の者が本領に入ってはいけないとはどこにも確約されておりません」

「暗黙の了解というものだ」

「この本領への道のりを知られるのを一人でも抑えるためのこととは分かっています。 ですがその為に北の者の心に歪が入り、万が一にも民を狼の牙にかけねばならぬことにでもなれば、代理の一人くらい本領に足を踏み入れても良いではありませんか」

「万が一だろう。 それに歪が入るとは限らん」

「領土史には、民が狼たちに牙をかけられた後の北の領土の荒れようが書かれています。 ご存知でしょう」

「マツリ? 口の利き方を慎みなさい」

先ほどのマツリの言いようは、四方を侮っているように聞こえなくもない。
マツリが僅かに横を向いて隣に座るシキに頷くようにした。

「北の領主も愚蒙(ぐまい)な者を代理になどたてるとは思えません」

「・・・」

マツリの言いようが分からなくもない。

「お許し願えますか?」

「・・・北の領土の今はマツリが見ておる。 一番分かっているのはマツリだろう。 マツリに任せる」

シキが笑みを零して箸を動かした。

リツソは全く聞いていない。 頭の中は紫揺だけで染め上げられている。


此之葉と秋我が東の領土の衣を着ている。 此之葉にしてみれば気慣れない衣より、我が領土の衣の方が良いと思っているが、秋我は上流の者が着る衣と聞き、万が一にも汚してはと思うと落ち着いていられないという理由であったが、自分の領土の衣を着るのは当たり前であり、本領も本領の衣を押し付けるわけにもいかない。

それに領土の衣は昨日の内にきれいに洗ってあったようで、秋我の衣からはほのかに爽やかな香りがする。 香を焚き染めてくれたようだ。
此之葉の衣が無臭なのは、古の力を邪魔しないためであろう。

そんな二人をよそに紫揺だけは本領の衣を着ている。 理由もあるが、紫揺にしてみれば気慣れているのはジャージやGパンであり、東の領土の衣にこだわりなどない。 ほんの数日前に数回着ただけなのだから。

その理由とは、朝起きるとすでにシキが起きていて、あれやこれやと昌耶と衣裳を選んでいたのだ。 そしてまた二択が出された。 昨日のことからシキと昌耶がそれぞれ選んだのは分かっている。 だが昨日はそんなこととは知らず、昌耶が見立てた衣を選んでしまった。 今日はシキに花を持たせねばいけない。

うーん、うーんと考えていると思い出したことがあった。 たしか昨日、お揃いで着ようと思ったとシキが言っていた。 ならば今シキが着ている衣と同じ色の衣を選べばいいことなのではないか。 だがシキと同じ色の衣は目の前にない。 今日のシキの衣は藤色が基調となり蘇芳色の帯。 ならば近い色を選ぼう。

「こっち」

と指さしたのは、薄紅藤を基調とし、紅桔梗色の帯。

「きゃっ!」 と嬉しそうな声を上げたのはシキであった。

「まぁ、どうしてで御座いましょう。 こちらの方が紫さまにお似合いですのに」

昌耶の言うこちらは、紅赤色を基調に海老色の帯である。
早い話、昨日と同じくどちらも完全女の子色であった。


「唱和様、今日来て頂けるでしょうか」

「うーん・・・」

思い出したくない昨日のマツリの話を思い出す。

「東の領土と違って北の領土は洞窟を抜けてから領主の家までかなりあるんです。 五色と領主は馬を走らせることが出来ていましたが、私は馬に乗れないから馬車で移動したんですけど、たぶん唱和様も同じだと思います。 何日もかかったのでかなり疲れました。 唱和様のお歳を考えるとかなり厳しいものがあったと思います」

「そうなのですね・・・」

箸が進まない。

「此之葉、残してはいけませんし、これからのこともありますからしっかりと食べてください」

領主代理、秋我が言う。

「そうですよ此之葉さん。 唱和様が来られた時に力が出ない状態では困りますよ?」

「はい・・・」

「此之葉。 此之葉が紫さまをお守りせねばならないのに、紫さまに励まされてどうするんですか?」

決して責めて言っているわけではない。 相好を崩して言っている。

「あ、はい。 紫さま申し訳ありません」

「ここ、謝るとこじゃないですよ? それより、しっかり食べないと大きくなれませんよ。 此之葉さんは細すぎます」

ね? と此之葉の顔を覗いて励ますように笑みを送る。

此之葉が細すぎるということは秋我も思うし、その前に付けた『大きくなれませんよ』 というのは細すぎるということなのだと話の流れから分かるが、言葉の使い方に笑いがこみあげてくる。 言われた此之葉にしてもそうだ。

「ほら此之葉、大きくなるために食べてください」

クックと笑いが漏れる口を、箸を持った手で押えながら言う。

「はい。 そうですね」

こちらは顔を横に向けて笑いを堪えている。

紫さまが微笑まれれば民が微笑み、悼みを抱かれれば民が心沈む。 これもそういう事なのだろうか。 と、長い間辺境で民の悲しみばかり見てきて、自分も笑うことが無かった秋我が思う。

だがそれは先の紫のことであるし、紫揺の場合は単なる天然である。 それでも悲しみばかり持っていた東の領土の者にすれば、紫揺の笑みが何よりもうれしいのだ。 紫揺が花を咲かせたのは民が紫としての力を見たものだった。 紫揺がありがとうと言ったのは、悲しみから救ってくれる言葉だった。


朝食を食べ終えたマツリがすぐに北の領土に飛んでいた。

「領主の具合はどうだ?」

「かなり良くなってきておいでです」

ムロイの部屋の前でショウジが答える。

「歩けるか?」

「それは到底不可能なことで御座います」

普通で考えても歩行などと無理な話だというのに、ショウジが居ない間、つまりは師匠と医者が見ている時にショウジがムロイの足に付けていた添え木を換えてしまっていた。 そのせいで足に問題が起きていた。

マツリが顎に手をやった。 這うことはできるか? と訊いても無理な話だろう。 四方に“這ってでも” と言ったのは、言葉の綾である。 領主がどう判断するかに任せるしかない。 だがショウワのことはここではまだ言うつもりはない。

「入っていいか?」

「もちろんに御座います」

ショウジが戸を開けてマツリを入れる。

「領主、マツリ様に御座います」

領主であるムロイが瞼を上げた。

「これはマツリ様。 薬草師を変えるように言っていただいたと聞きました。 お蔭さまでこれまで回復することが出来ました」

起き上がろうとしてウッ、と呻き顔を歪める。

「無理をせずともよい。 まだ足が痛むか?」

「若くはありませんから治りが遅いようです。 歳はとりたくありません」

以前シキに噛みつくように言ったのと同じ人間かと疑いたくなる程の違いである。 何かあったのだろうかと疑ってしまうのは、ムロイに失礼な話しなのだろうか。 そう思いながらも話を逸らすわけにはいかない。 その為に来たのだから。

「昨日、東の領土から本領に紫が来た」

「え?」

「北の領土がどこで紫を囲っていたのかも聞いた。 洞は塞がせるが、まだあちらに人が残っているとショウワから聞いた。 即座に全員を引き上げさせ洞を塞ぐよう。 そして紫のことは諦めよ」

「・・・」

「あくまでも、各々の領土に足を踏み入れぬこと、という確約を破ったわけではない。 それに対しての本領からの咎はないが、厄災を招くかもしれない洞の報告が無かった事に対しては後に知らせる」

「ムラサキ様の事、ショウワ様はご存知なのですか?」

「昨日言った」

「落胆されていたでしょう」

「その色は見えた。 だが憑き物が落ちたようだった」

「え?」

「苦しい年月ではなかったのか?」

「・・・そうかもしれません」

「シキ様が仰ったように、これからは領主が先頭となり五色を愛し心より想い、厭うことの無きようにせよ」

「・・・」

「そしてショウワにも苦しい年月を終わらせる。 その為に本領に連れて行くが、領主と五色にも来てもらいたい」

「ショウワ様の苦しい年月を終わらせる? それを本領が? どういう事でしょうか?」

「紫と東の “古の力を持つ者” を今も本領に待たせておる。 ショウワに紫を会わせ、紫を守る東の “古の力を持つ者” と話をさせる。 ショウワも納得をして終わることが出来るだろう」

「それを五色や私にもということですか?」

「そうだ」

「・・・私はこんな状態です。 行くことは叶いません。 それに五色には必要ありません」

「どういうことだ?」

「五色はムラサキ様のことを何とも思っておりません。 言いましたでしょう。 ろくでもない五色だと」

「領主!」

「分かっております。 ですが真実です。 あの者たちは・・・いえ、いつの代からなのか、北の領土の五色は自分のやりたいことをするだけです。 民のことなど考えておりません。 シキ様は五色の力のことを仰いましたが、力以前の問題。 五色としての意識もなければ、人としても何もない。 囲っていた場所をお知りになったと仰いましたが、今の五色はそこでずっと暮らしておりました。 民のことなど見ておりません。 まず、民を人としても見ておりません。 顎で使える便利な道具としていると言っても遠くはないでしょう」

五色のことは領主の責ではない。 “古の力を持つ者” の責となる。 領主を責めることなど出来ない。 だが

「あの地に行ったことが大きな理由なのではないのか?」

「それは否めません。 五色をあの地に連れて行ったのは私と先代ですから、私にも責任があるでしょう。 ですが五色としての些細な意識すらあの者たちにはありません」

「それは “古の力を持つ者” ショウワの責だとでもいうのか」

“古の力を持つ者” は単に五色を守るだけでなく、五色としての立場を意識させ、心を民に添わせるように導くということも含まれている。 だがそれは敢えて言われなくとも五色になら分かるはずだが、それさえも北の五色には無いという。

「ショウワ様が “古の力を持つ者” ? 何とも冗談にもほどがありますな」

「どういうことだ」

「ショウワ様は北の重鎮です。 まぁ、こうなってはなにも隠すことが御座いませんから申しますが、なんらかのお力はあるように思います。 ですからムラサキ様を探し出すことが出来たのですから。 それを “古の力を持つ者” とは何を仰いますことか」

「本当にそう思っているのか?」

「昔はどうだったかは存じませんが、今の北の領土にはそのような者はおりません」

「ではショウワと五色の繋がりは?」

「重鎮、ただそれだけです。 せいぜいセッカがショウワさまを重鎮と重んじているくらいでしょう。 他の者は話したことさえあるのかどうか」

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虚空の辰刻(とき)  第189回

2020年10月09日 22時31分09秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第180回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第189回



「紫の力っていうのは?」

五色の中にない色だ。 先程の説明になかった。
シキが首を振る。

「さっき言ったことと同じ。 どう変えていくのか広げていくのか、それは紫次第ということ」

「理解の仕方や気持ちの問題」

「ええ、そう。 それは民の為の力ということを忘れないでね」

「民の為?」

独立前から決して各領土の状態は良いわけではなかったが、それでもその昔と比べると随分と良くなってきていた。 そこで各領土が本領から独立を望んだ。 本領では己の領土で手一杯であったからそれを承諾したが、それは完全独立ではない。

まだ完全独立をするには不安要素があったからだ。 各々の領土に干渉せぬこと、各々の領土に足を踏み入れぬこと、それを確約させ、尚且つ、各領土内の小競り合いや、領土の方針、在り方などは各領土内で解決し決めればいいが、領土自体を脅かすものには本領が判断を下す。 そして今まで本領から時折廻っていた五色を各領土に配置した。 各領土が選んだのは

北の領土は一色だけを持つ五人の五色。
南の領土は異なる双眸を持つ二人と一色だけを持つ一人の、三人の五色。
西の領土は北と同じく一色だけを持つ五人の五色。
東の領土はたった一人で五色を持つ五色。
であった。

領主は民と向かい合い領土の安寧を図る。 そして五色は民一人一人に添い、自然から領土の安寧を保ち領土を守る。

「一人一人に添う。 自然から守る」

「ええ、自然の驚異は民にはどうしようもないわ、その為の五色の力。 そして民に添えるのも五色の力、それは色の力ではなく脈々と受け継がれているものよ」

思いにふけりたくはあったが、チャンスの時間は短い。 訊けるときに訊いておかなければ。

「五色の力はどうやって出すんですか?」

「それは五色それぞれ。 思念で力を出せる者もいれば、動作で出せる者もいるわ。 ただ困ってしまうのが、思っただけで力を出してしまう五色と、全く関係のない所で力を出してしまう五色かしら。 それは自分を制御できていないということなのですから。 紫は光石を壊したそうね」

「・・・はい」

あのクソ親父、喋ったんだ!
ジジイではなく親父。 クソ親父とは誠也の影響だろうか。

「それは今言った困ってしまう五色に入るわ。 自分自身の感情をよく理解しなくてはいけないわ」

「はい・・・」

「お説教じみたわね。 ごめんなさい」

「いいえ、そんなことはないです。 それに攫われた時や、北の屋敷に居る時に感情的になって思いっきり部屋の中の物を壊したんです。 ニョゼさんに・・・北の領土の人ですけど、そのニョゼさんに、感情のコントロールをしましょう、と教えてもらいました。 それからは少しずつですけどマシになった気がするんですけど・・・それでもあんな風になっちゃって」

コントロールとは何のことなのだろうか、と思いながらも気になることがある。

「そのニョゼというのは?」

「ずっと付いてくれてた人です。 キレイで優しくて何でもできて、私には出来過ぎたお姉さんみたいな人でした。 自分は五色ではないからよくわからないけど、感情は意とせず出ますって。 だから私には心を庭に向けるようにと言ってくれました」

コントロールということが何となく分かった。

「お庭に?」

「庭で花を咲かせたことがあったんです。 だから、そこから五色の力に入っていこうってことだと思っています。 さっきシキ様が仰った気持ちの問題ということをニョゼさんは考えてくれたんだと思います」

「素晴らしいわね」

ニョゼが褒められるのが嬉しい。 本領に来て初めて心から笑むことが出来たような気がする。

「わたくしも紫からお姉さんのような人と呼ばれたいわ」

柔和な笑みを添えて言った。


シキと紫揺が東屋に居る姿を何人もの、何十人もの従者や職人が目にしていた。

「どなただ?」

「あのお小ささでは・・・」

「まさかっ! リツソ様の!?」

「いや、リツソ様より背丈がおありだ」

「背丈の問題ではないだろう。 リツソ様は普通より―――」

「それ以上言うな」

辺りをキョロキョロとする。 神出鬼没なリツソが居ないかどうかを確かめたのだ。

「だが・・・。 リツソ様の許嫁?」

「有り得んこともないな」

成長期に入れば、身長も伸びるだろう。

他に「あら、お可愛らしい」 やら「久しく見ていない乙女子ね、シキ様とお似合いだこと」 やら「まさか! 四方様のお隠し子!」 などと言いたい放題であった。


「お長いですね」

紫揺の着替えを手伝った従者が言う。

「それ程にシキ様がお話をされたいのでしょう。 ですがそろそろお引上げいただかなくてはいけませんね」

何度茶が出されたことだろうか。 話が盛り上がる度に喉を潤すシキと紫揺が何杯もの茶を飲んでいた。 そしてその度に茶菓子も追加されていたが、茶を運ぶと何故か紫揺の前に空になった器が二つ置かれていた。

「この菓子も気に入って?」

ポリポリと食べている紫揺の姿が可愛い。 コクリと頷く紫揺を見て、シキの前に置かれていた器を「これもどうぞ」 と言って紫揺の前に置いていたのだった。


夕飯の席、紫揺と此之葉、秋我の三人は、それぞれに用意された部屋と別部屋で三人で食している。

そしてここは澪引を除く四方家族の食事の席である。

「リツソどうしたの?」

箸も持たずに下を向いてしょぼくれている。

「何でもありません」

ブスッとして応える。

「リツソのお蔭で母上がお元気になられたのだろう。 それなのにお前は要らんことばかり考えおって」

東の領主を見送った後、すぐにシキの部屋の前で待っていようと思っていたリツソ。 見送りを終え走り出そうとした時に、マツリに後ろ衿を掴まれそのまま澪引の部屋に連れて行かれ 『夕餉の時まで母上のお傍についていろ』 と言われた。

澪引が身体を悪くしているなどと知らなかったリツソ。 最初はかいがいしく寝台に体を預ける澪引に『母上、苦しくはないですか?』 『どこか痛みませんか?』 などと訊いていたが『随分よくなったの。 大丈夫よ』 という返事を聞き安心した途端、紫揺のことを思い出した。

もう着替えなどとっくに終わっているはず。 だが澪引が起き上がってリツソを抱きしめないということは、まだ十分ではないのだろう。 それに澪引の部屋から出ようものなら、マツリの顔を思い出しただけで戦慄が走る。

『かなり不機嫌だったからなぁ。 ・・・シユラぁ』 ポソリと口にした。
『リツソどうしたの? なにかあったの?』 横たわる寝台からリツソの顔を見て憂慮気な目を向けてこられた。

病人に心配されてどうする。

『何でもありません』 と言ったものの、澪引と話しながら隙間さえあれば紫揺のことを考えていた。
これを親離れというのだろうか。 十四歳にして。

夕餉の準備が整ったと、マツリがリツソを呼びに来た。 呼びに行くだけなら、他の者で良かったのだが澪引の様子も気になったし、リツソがちゃんと澪引の部屋で大人しくしていたかの抜き打ちチェックでもあった。

澪引はリツソを連れてきた時より随分と表情が明るくなっており、リツソも大人しく澪引の隣に椅子を置いて座っていた。
『リツソが居てくれて随分と良くなったの』 と澪引がマツリに言ったものだ。

「明日は朝餉の後、母上の所に昼餉まで顔を見せていろ。 そのあと勉学だ。 分かったな」

紫揺が居なくなったと知り泣きだしてからは、完全に勉強が止まってしまっていた。

勉学の師が言っていた 『はい、それはもう、頑張っておられまして、答えが二十くらいまでの足し算、引き算は苦手でおいでですが、それでも十五からの引き算はほぼ間違いなく引けるようになられましたし、三画の漢字が書けるようになっておいでです』 と満足そうに言っていたレベルなのだから。

「それではシユラと会えないではありませんか!」

「もう会っただろう」

「姉上、なんとか言って下さい! 姉上は今日ずっとシユラを独り占めされてたんでしょ? 我の味方になって下さいますよね?」

「そうね」 

紫揺もリツソのことを可愛いと言っていたし、カルネラにも会いたいと言っていた。

「マツリ、少しくらいならいいでしょ? 紫もリツソのことを気にしていたわ」

「シユラが我を心配して、会いたいと言っておりましたか!」

「姉上は、気にしていたと仰っただけだ」

「では、明日の昼餉の後シユラに我の顔を見せてやります」

立場的におかしな話になっているがそんなことも気にせず、先程までの元気のなさを吹き飛ばす勢いで箸を手にし夕餉を食べだした。

(母上にお顔を見せる時ではなく、勉学の時を取ったか)

さてそれは、澪引のことを心配しているからなのか、単に勉強から逃げようとしているのか。

三姉弟の座る前で四方が呆れた顔をしているのには三人とも気付いていない。

四方が紫揺の部屋だけが用意されていないということをシキに尋ねると、シキが紫揺と一緒に寝るのだと言いだした。
『よろしいでしょう?』 と訊いておいて『反対なさっても一緒に寝ます』 と言ってしまう始末。 マツリはマツリでこのように弟にも厳しく、自分にも厳しいのに紫揺に対してはあの態度。 低レベルな言い合いに、言葉使いも宮の者とは思えない民のような言葉使いになっていたという始末。 リツソはいつまで経ってもあの調子。

長い歎息を吐いた。

一方、東の領土の三人も膳を前にしている。 まさか泊まることになるとは思っていなかったので、着替えなど持ってきてはいない。 お疲れでしょうと領主を見送った後、二人には早々の湯浴みを用意され、紫揺と同じく本領の衣装を着ている。

此之葉は紫揺と同じような衣装で水色を基調にし緑色の帯。
秋我は狩衣姿。 こちらも紫揺や此之葉と同じく、日本の生地のように固く分厚くなく、糊で固めてもいないし、日本の狩衣ほど野暮ったくもない。 それに烏帽子などは頭に乗せていない。

「まさか本領の衣を着るなどとは思ってもいませんでしたね」

艶やかな衣裳を身に付けた女性二人を前にして言う。

「本当に」

東の領土の衣装は簡素なものだ。 着慣れない衣裳に未だ戸惑っている此之葉である。

「これは・・・どなたの衣をお借りしているのでしょうかね」

「来客用ってシキ様が仰っていましたよ」

「客用に? ですが体格の違いもありましょう」

「私のサイズだけで二十セットくらいありましたよ」

「さいず?」
「せっと?」

「あ、えっと。 私の寸法だけでも二十・・・二十人分くらいありました」

二十人前と言ってしまったら、寿司やピザになりそうだ。

「それはすごい」

「本領は広いからあっちこっちから色んな人が来るんですって。 ご親戚とか偉い人とか。 そんな人達にはこの衣装らしいですけど、男の人で仕事関係で地方から宮に来た人には四方様の従者さんみたいな衣裳らしいですよ」

朱禅が着ていた裃(かみしも)と袴によく似た衣裳で、これもまた日本のように硬さがない。
此之葉が紫揺に頷くと「ではこの衣は本領の上流の方がお召しになる衣なのでしょうね」 と言った。
ということは、

―――絶対に汚せない。

紫揺と秋我に緊張が走った。 箸を持つ手に力がこもる。


膳が下げられ三人で団らんをしていたが、早々に此之葉の瞼が何度も落ちてきた。 今日一番疲れたのは此之葉であろう。 肉体的にも精神的にも。

精神的な疲れは一種類だけでいいはずであったが、誰かさんのせいでもう一種類増やしてしまった。 その誰かさんからの疲れは量ることが出来ないほどの疲れである。

それに此之葉にはまだ一仕事が残っている。 今日はここでお開きにしようということになった。 とは言っても、此之葉と秋我には用意された部屋があるが、紫揺はシキの部屋に泊まることになっている。 紫揺から訪ねていくのは気が引ける。 どうしたものかと思いながら、紫揺が一番最初に部屋を出なければあとの二人が出ることはない。 立ち上がり襖を開けて出ると、紫揺の着替えを手伝ったシキの従者が座っていた。

「お話は宜しいでしょうか?」

終わったのかと訊いている。

「はい」

「では、湯浴みのご用意が整って御座います」

“湯浴み” その言葉はリツソから聞いていて知っている。

「あ・・・」

そういえば忘れていた。 埃まみれの身体にこの衣装をまとったのだ。 血の気が引いていきそうになる。


シキと同じ寝台の布団に寝ころんでいる。 ついさっきまで他愛もないことや、紫揺の疑問にシキが答え、逆にシキの質問に紫揺が答えたりとしていたが、そろそろ寝ようということになったのだ。 そしてシキと枕を並べている。 キングサイズより大きいのではないかと思われるほどの大きさである。 二人で寝ても狭苦しいわけではない。

「リツソとはよくこうして二人で寝たの」

「リツソ君とシキ様は十一歳違いですもんね。 リツソ君も甘えたかったんでしょうね」

東屋で話していた時に互いの年齢を言った。 シキは紫揺が二一歳だと聞いて少々驚いた顔をしたが『四の歳違いだなんて理想だわ』 と喜んだ。 何故なら、マツリは一つ下なだけ。 リツソは十一も下。 弟と呼ぶにはどちらも理想とは違うというらしい。
紫揺においては四年後自分はこんな風に典雅で妍麗な女性になれるだろうか、と無駄に頭を悩ませた。

「マツリに怒られた日は必ずと言っていいほど潜り込んできていたの。 でもそうね、思い返したら、わたくしが紫の事を耳にしてから一度もないわ。 リツソも想い人が出来て少しはしっかりとしたのかしら」

「・・・」

紫揺からの返事がない。 シキが横を見ると寝息を立てて眠っている。

「まぁ」

一瞬にして寝たのには驚いたがそれにさえも笑みがこぼれる。

「物怖じしないところもそっくりね」

言いながら布団を直してやった。

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虚空の辰刻(とき)  第188回

2020年10月05日 22時43分42秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第180回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第188回



常なら見送りなどしない四方だが、最後の最後にマツリがやってくれたので大階段まで見送ることとした。 四方の後ろにはマツリがついている。

「リツソも行ってらっしゃい」

「我はシユラと居ます」

「あら、女人の着替えを見るというの?」

「え?」

見る見るうちにリツソの顔が赤くなっていく。 紫揺の手を離すとマツリの後を追って走って行った。

「ふふふ。 リツソにも恥ずかしいということが分かるようになったのかしら」

リツソを見送っていたシキが端麗な笑みを紫揺に向ける。

「このままでは出られないわね」 言うと「誰か」 と開いたままの襖の向こうに声を掛けた。
何人ものシキの従者が入ってくる。

「上掛けを」

そう言っただけで数人の従者が部屋を出て行った。 残りの者たちは人垣を作るように両横に立ち軽く頭を下げている。
出て行った従者が戻ってくるとシキの前に出て「上掛けに御座います」 と恭しく出してきたのは、ストールのようなものだった。

「ありがとう」

受け取った上掛けを紫揺の肩にかけてやる。

「これで大丈夫ね」

「あ・・・有難うございます」

「さ、行きましょう。 沢山お話がしたいの。 そうそう、紫にお答えしなくっちゃならないこともあったわね」

紫揺の背中をそっと押す。
汚れたままで歩くことなど気にしていなかった紫揺だが、こうしてかけられると気にせざるを得ない。 前に垂れていた上掛けを胸元で握りしめた。

「リツソが紫の衣を汚してしまったの。 お替えの用意をお願いね」

襖の近くにいた何人かの従者が慌ただしく部屋を出て行き、またシキが口を開いた。

「それと東の領土の ”古の力を持つ者” と、領主のご子息のお房を用意してちょうだい。 紫は私のお房でいいかしら?」

「え?」

「明日領土に帰るかもしれないのでしょ? そうでなくても数日でしょ? 寝ながらもお話ししましょう? それとも迷惑かしら?」

寝ながら・・・? ではお房というのは部屋のことなのだろうか。

「いえ、そんなことは・・・」

「うふ、じゃ、そうしましょう。 妹が出来たみたいで嬉しいの」

「え?」

「だって弟だけですもの。 衣も一緒に選ばせてね」

屈託のない笑顔さえ妍麗(けんれい)である。 だからと言って今日初めて会った人とずっと一緒に居るなどとは息が詰まりそうになる。 訊きたいことはあるが、それが終わってしまっては何を話していいのかもわからない。
チラリとシキを見上げる。
紫揺の視線に気付いたのか、シキが愉し気に目を細めて見返した。


シキが言うところのお房であるシキの部屋に入ると所狭しと衣裳がかけられていた。 どれも今、紫揺が着ているものとは違う。 シキが着ているようなものだ。

「東の衣とは違って本領の衣しか用意できなくってごめんなさいね」

「いいえ、東の衣って私もこれが初めてなので」

「ではどんな衣を着ていたのかしら?」

Gパンやジャージの説明はしにくい。 身振り手振りで応えたが、通じたのだろうか、シキがコロコロと笑っている。

結局、この場まで声を控えていたシキの側付きの昌耶と、シキがああでもないこうでもないと言いながら、紫揺にあれこれと衣裳を当てどうにか二着が決まったようだ。

「紫はどちらがよろしくて?」

出されてきたのは明るいオレンジ色の着物に似たものに同色を基調にしながら緑系の入った袿(うちぎ)に帯はえんじ色の取り合わせが一着と、もう一着はシキと同じような取り合わせで桜色を基調にしたもので帯は赤だった。
ぶっちゃけて言ってしまえば、どちらも完全に女の子色である。

シキが妹が出来たみたいで嬉しいと言っていたのがこんな所に現れたかと思うが、昌耶はどうしてなのだろうか、と首を傾げた。

「気に入った方を選んで」

「ささ、紫さま、ご遠慮なく仰ってくださいませ」

シキの部屋に入った時、シキから昌耶は紹介されていた。 シキが幼少の頃から付いていた側付きで、シキが心から信頼しているということだった。
その二人が紫揺に食いついてくる。

―――コワイ。

顔を引きつらせながらも、一瞬迷ってオレンジの方を選んだ。

「ごらんなさいませ! やはりこちらを選ばれました。 紫さまにはご快活のお色がお似合いで御座います。 昌耶の目に狂いは御座いません」

勝ち誇ったように昌耶が言う。

「せっかくお揃いにしようと思いましたのに」

眉尻を下げて言うが、それも美しい。

(そういうことか・・・)
だから食いついてきたのか。

「では、お着替えはこの昌耶がお手伝いをいたします」

「あら、わたくしがしますわ」

「シキ様御自らなど、とんでも御座いません」

「そんなことを言って昌耶が手伝いたいだけなのではなくって?」

早い話、二人で紫揺の取り合いをしている。

紫揺にしては一人で出来ますと言いたいが、日本で着物などきたことがない。 その着物と着方が似ているようなのだ、衿の合わせも分からなければ帯の結び方も分からない。 実際今着ているものも此之葉に着せてもらったものなのだから。
チラッと部屋の隅に座る従者を見た。 何人かと目が合った。 そっと衣を引くとそろりとその場を後退して、目が合ったうちの一人の従者の前まで進み出た。


「こんな立派な衣装をお借りしても本当にいいんですか?」

未だどちらが着付けるかと、静かに言い合っていたシキと昌耶が紫揺を振り返ると、手を横に広げて立っている紫揺が目に入った。

「まぁ」 「あれ、いつの間に」 と二人の声が重なった。

「よくお似合いよ」

「ほんに、お似合いで御座います」

選んだ昌耶が大きく頷く。
着付けた従者が鼻を高くして紫揺の足元に座っている。

「ね、外に出ましょう? 皆に見せたいわ」

「え? そんな・・・」

「そうで御座いますね、池の畔(ほとり)などはいかがで御座いましょう。 あそこでしたら遠目に行きかうものが御座いますし、お話を聞かれることもなく、みなが目を向けましょう」

言った後に名案だと言わんばかりに何度も頷いている。

「そうね、色とりどりの鯉もいるのよ。 愛でながらお話しましょう?」

ね、と言うと紫揺の手を引いて歩き出した。
昌耶を先頭に従者を引き連れて回廊を歩いていると、行きかう者たちが端に避け軽く頭を下げながらも、初めて見る上流な衣を着た紫揺を目だけ上げて見ている。

「ふふ、みんな紫を見ているわ」

紫揺に囁く。

「あはは・・・」

笑うしかない。

上がってきた大階段に出るのではなく、違う階段に出た。 大階段ほどではないが、それでも立派な階段だ。
出た場所は来た時に見た表庭ではなく、来た時に見た建物の奥に当たる中庭の一つだった。 中庭と言っても表庭ほどにはないが、それでもかなりの広さである。 表庭はあくまでも厳かさを感じさせた日本庭園のようだったが、この中庭は庭師が精魂込めて作った花々が咲く作品のようだった。

「わぁー・・・すごい」

広葉樹に囲まれ足元には緑が広がり、所々に色とりどりの花々が植えられている。 幾つかの大きな石が存在を主張することなく、ただ静かに花々を見守っている。 築山には屋根付きの東屋があり、その手前には池があり太鼓橋が架けられていた。

「気に入ってもらえて?」

「はい!」

元気よく答える二一歳。

その元気良さの理由である、あの太鼓橋の欄干の上を歩いてみたいというのは、心の中にしまっておく。 たとえ紫揺といえど、その程度の常識はわきまえている。 そういうことは人に言わず、人の居ない時にするものだと。

「まぁ、お元気がよろしくて」

紫揺の心の内など知る由もない昌耶は紫揺の返事に相好を崩しているが、あくまでも紫揺は二一歳である。

下足番が履き物を揃えて出す。 従者二人ずつが、すかさず後ろに引きずる裾が下につかないように慣れた手つきで裾を上げる。 あくまでも足が見えないように。 せいぜい見えても履物くらい。

紫揺の裾を上げている二人の内一人は紫揺を着付けた従者だった。 こういうことをされるのになれていない紫揺が後ろを振り向き、断るわけにもいかずぺこりと頭を下げた。 此之葉に散々頭を下げるなと言われているが、さすがにこれは認めてもらいたい。

庭を愛でながら太鼓橋に上がると、下に色とりどりの鯉が泳いでいるのが見える。

「口をパクパクさせてる。 お腹が空いてるのかなぁ」

などと欄干に手をかけ池を覗き込みながら独り言をいっているのを聞いて、シキと昌耶が目を細めている。

太鼓橋を渡り切ると、築山に上がるため数段の階段を上がった。 そしてテーブルと椅子が置かれてある東屋に腰を掛けるとすぐに茶が出てきた。
色を見ると薄い桃の色が付いて甘い匂いが漂ってくる。 紫揺が気に入っていたハーブティーであった。 それぞれに小さな器に茶菓子が添えてある。

「では、御用の時にはお呼び下さい」

そう一言残すと昌耶と共に従者たちが辞していった。

「着心地はどうかしら?」

「とても気持ちがいいです」

「良かったわ。 じゃ、わたくしの我がままに付き合ってもらったのですから、次は紫ね。 わたくしの分かることをお答えするわ」

まず一番に訊いたのは五色(ごしき)の故郷、つまりは紫揺の先祖はこの本領出身なのかということを訊いた。 答えは単純明快にYESだった。 尚且つ「五色は、わたくしたちの遠い親戚にあたるの」 と付け加えられた。

「え?」

「特に一人で五色(ごしょく)を持つ者は他の五色(ごしき)より濃いのよ」 と更に付け加えられる。

初代本領領主は五色(ごしき)だった。 紫揺と同じに一人で五色を操る者であり、その力は絶大であったという。
まずは紫揺が訊きたかったことには納得が出来た。 やはり自分は純な日本人ではなかったようだ。
日本人と東の領土のハーフで、突き詰めれば本領の血が混じっているということだった。

自分のルーツは、母方のルーツは本領だったのか、そう思った時に、いや待て、と頭の隅に新たな疑問が浮かんだ。 たしかセイハが五色からは五色の力を持つ子は一人しか生まれないと聞いた。 それではこの領土にはもう五色がいないのではないか? それなのに祖母の代わりに新しく五色を連れてくるというのは可笑しいのではないか?
今更ながら領主の言っていたことを思い出した。

「ええそう、不思議なの。 本領を出ると五色の力を持った者は必ず一人しか生まれないというわ」

「じゃ、本領に居ると力の持った子が何人か生まれるんですか?」

「ええ、生まれた者が全て五色とは限らないけれど。 でも昔からのことだから、本領には何人も五色が居るわ」

「そうなんだ」

遠くを見ながら口の中で言う。
考えてみれば他の五色もそうだが、一人で五色を扱う者も一人だけしか居なかったとは限らないのだった。 そうでなければこの本領に五色が残っていない事になる。
セイハから聞いた話の疑問は解けた。 だがまた新しい疑問が生まれた。

「初代の本領領主が五色って仰いましたけど、それなら四方様やシキ様やリツソ君も五色なんですか?」

一人欠けている。 意図的に一人省いたことに気付いたシキがクスッと笑う。

「いいえ、違うわ。 代々五色として生まれた者が後を継いでいたのですけど六代目から五色にこだわらず、領土をまとめる力のある者が領主になったの。 五色の力があるからと言って、民をまとめることはできないでしょ?」

「そうですね」

自分が領主になれと言われてなれるはずがない。
今生まれた疑問は解決した。 訊きたいことを元に戻そう。

その五色の力とはどういうものなのか。

すると、五色(ごしき)と言われるだけに五色(ごしょく)の瞳の色を持っていて、その瞳の色が力を現しているという。

一人一色を持つ者、異(い)なる双眸で一人二色を持つ者、そして一人で五色を持つ者がいる。 他の者は常にその力を現した瞳の色をしているが、一人で五色を操る者は平時は黒であり、その他の色の力を使う時に瞳の色が変わると言う。
五色の色は、青赤黄白黒とありそれぞれの力は

青が春、雷、風を操る
赤が夏、火、を操る
黄が中央、山、土、を操る
白が秋、天、沢、を操る
黒が冬、水、を操る
白の力を現す瞳の色は薄い黄色である。

「基本がそうなの。 そこからどう変えていくのか、広げていくのかは五色(ごしき)次第。
例えば青の力ならば、多少の力の違いはあっても、雷や風を操ることはできるわ。 そこでどう変えるかというのは、その力を使って例えば閃光にかえて操ることができるわ。 雷や風を操れるということは破壊にもつながるわ。 何かを破壊するということね。
そして春の力もあるのだから春は誕生。 生き物を産ませたり、生き返らすことは出来ないけれど、お花を咲かせたり木々を芽吹かせることができるわ。 青の力を持つ個人の力の大きさや、理解の仕方、気持ちの問題もあるかしら? 他の力も同じ、現れ方は五色(ごしき)それぞれよ」

――― 心当たりがある。 大いにある。 あり過ぎる。 あれは青の力だったのか。

「いま言った力は外に出すことだけれど、赤と青の力に関しては内に出すことも出来るの」

「内に出す?」

キョトンとして小首をかしげる。
きゃ、可愛い! と胸の前で両手の指を組んで喜んだシキ。 話が逸れては困る。 傾げた首をゆっくりと元に戻して、眉根を寄せて考える顔を作った。

「あ、あら。 わたくしったら」

伸ばした指を口に当てる。 紫揺の作戦は成功したようだ。

内に出すとは、自分の身体の中に五色の力を現すことだという。
例えば、冬山に登り凍えそうになった時には、春の力で自分の身体を暖めることが出来るということらしい。

「他の色はどうして駄目なんですか?」

すると赤と青の力は自分の内から出すものもあるからだからと言う。
赤の力ならば、実際の火を大きくしたり消したり、燃え盛る方向をかえたりも出来る。 それを操ると言うが、それとは別に自分の身から火を発することが出来る。 それは自分の内から出したものである。

そして青の力ならば、風をおこすことも出来るし、雷を落とすことも出来る。 それが操るということ。 自分の内から閃光を走らせたりするのは、自分の内から発するものである。

「それに他の色は土や水ものでしょ? 身体の内に水や土があってもね」

たしかに水膨れは遠慮したいし、身体の中に土があるなんて、それが固まって結石にでもなったら笑えない。

「紫の五色(ごしょく)だけれど、全ての色で五色(ごしき)の中で一番なの」

紫揺の瞳は基本、黒である。 紫揺に限らず一人で五色を操るものは瞳の色は黒。 仮に赤の力を発する時に瞳は赤くなるが、その赤の色のバックには黒があるということ。 一人一色を持つ者に比べ、赤の色がより深く濃いということになる。 その深く濃い力が単なる赤の瞳を持つ者より大きな力となって現れる。 青にしろ黄にしろ同じで、不思議なことに白である薄い黄にしても同じということらしい。

「そしてね、力のある一人で五色(ごしょく)を持つ者は、異(い)なる双眸の力も持っているの」

異なる双眸、それはオッドアイということ。

「一人で五色を持つ者の異なる双眸の色は決まっているの。 赤と青だけ。 この意味が分かるかしら?」

「赤と青だけ・・・」

眉根をひそめて首をひねる。

「赤と青を合わせると何色になるかしら?」

「あ・・・むらさき」

「そう。 力の弱いうちは異なる双眸も作れないけれど、力がついてくれば段々と異なる双眸になって同時に赤と青の力が使えるの。 そして更に力が強くなれば双眸が紫色になるの。 東の領土の初代は力があったの。 だからその瞳から紫と名付けられたのでしょうね」

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虚空の辰刻(とき)  第187回

2020年10月02日 22時35分12秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


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- 虚空の辰刻(とき)-  第187回



「シユラ―!」

水干に似た姿のリツソが紫揺に駆け寄ってくる。 紫揺が椅子から下り膝を折ってリツソを迎える。 紫揺に突進するリツソ。 思わず紫揺が後ろに倒れかけたのを領主が支える。

「シユラ―、シユラ―!」

涙と鼻水を垂らして紫揺にしがみ付いてくる。

「これリツソ、戻っていなさい。 誰かリツソを―――」

四方が開け放たれたままの襖に向かって言いかけたが、それを遮るように次の声が聞こえた。
リツソが現れたことにも驚き、母上以外の者にこんな風に甘えるリツソを見たのは初めてだったシキが人影に気付いたのだ。

「あら、マツリ」

先ほどからことごとく最後まで喋らせてもらえない四方が襖の方を見た。

「申し訳ありません。 我がリツソにつかまりました」

大股で入ってきたマツリ。

「シユラの声がしたと駄々をこねられまして」

この部屋とリツソの部屋はかなり離れている。 それなのにどうして紫揺の声が聞こえたのか不思議に思うが、それが恋する者の力なのだろうかと思いながら、訴え続けながら後をついてくるリツソを振り払いきれずにここまで来てしまった。

言い終わるとチラリとリツソを抱きかかえている紫揺を見た。 見下すように。

マツリの服装は、一センチ程の幅に鞣した皮の紐を黒に染め、丸襟のベストのような形に編んであり、その下には横にスリットの入った膝丈より少し上の黒い皮で出来た上衣、下は上衣と同じく皮の筒ズボンである。 それは紫揺が北の領土で見たマツリの姿と同じだ。
さっきシキがマツリは北の領土に様子を見に行っていると言っていた。 だからたった今、北の領土から帰ってきたところだというのが分かる。

「シユラ―、シユラー、シユラ―!」

「リツソ! 静かにしろ!」

「ヒッ!」

リツソが声を上げ、そのリツソの頭を撫でてやりながらマツリを睨み返す紫揺。
真横でそれを見た此之葉の顔色がみるみる青くなっていくのが分かる。

「紫さま、お願いでございます」

椅子から下り、紫揺の隣に膝をつくと小声で言った。
顔色の悪い此之葉に言われてしまえば仕方がない。

「分かってます・・・」

「東の領主、お騒がせして申し訳ありありません」

紫揺に落とした視線と全く違う目でマツリが東の領主に詫びを入れる。

「いえ、何ということは御座いません。 丁度終わりましたところですので」

マツリに返事をしながらも、いつ紫揺が怒りだすか気もそぞろだ。

「“古の力を持つ者” と、領主の子息」

此之葉のことは祭の時に紹介を受けて知っている。 東の領土をまわっていないマツリは辺境に居る秋我を初めて見るが、先に四方から聞いていたこともあるし、見た目に東の領主とよく似ている。
二人が立ちかけたのを見て手を軽く上げそれを制止する。

「此之葉と秋我。 分かっています」

マツリにとってそれが挨拶である。
二人が座ったまま頭を下げる。

「どうだった?」

やっと最後まで言えた四方だが、そのセンテンスは短い。

「良さそうではありませんでした。 洞をすぐに埋めさそうと思いましたが、まだ向こうに幾人かいるそうなので、それは叶いませんでした。 昨日見えた疲れはその二ホンから帰ってきたところの様で、その疲れだろうと言っておりました。 洞は北と東の領土の境目にありましたので、あのお歳であの距離の移動は身体にきたかと。 今日の顔色の悪さは更に疲れが出てきたのでしょう」

マツリに洞のことを言われ、ましてや “ニホン” とも言われ、ショウワは観念したようだった。

今のマツリの説明でショウワが日本に居たことが分かった。 紫揺の言った “唱和” は “ショウワ” に間違いないだろう。
マツリが暗に言ったことに四方が頷いてみせた。

「本領に来ることは話したのか?」

「話しておりません。 体調が良ければ用があるので、動かぬようにと言っておき、一応・・・」 狼たちに見張らせている、と目で言った。

「そうか」

そう言うと東の領主に目を移した。

「今聞いた通り。 明日と決められんようだが、よいか? 無理をさせて元も子もなくなるのを避けるのが一番だと思うが」

東の領主が返事をしかけたときに下から声が聞こえてきた。

「シユラ―、どこに行ってたんだ? どうして―――」

「黙れと言っておるだろう!」

「ひっ!」

「紫さま、紫さま、紫さま・・・」

マツリの一言に念仏を唱えるように此之葉が下を向いて何度も紫揺の名を言い、怒りを収めてもらえるよう頼み込む。
何も知らない秋我は此之葉をどうしたことか? という目で見ている。

「あかってまふ」

“分かってます” 完全に歯を食いしばって言っている。 リツソの頭を撫でてやっている手に、抱きしめてやっている腕に我慢の力がこもる。

「マツリ」

大声を出すマツリをシキがたしなめる。

「領主、失礼した」

「いいえ」

お気になさらずという風に首を振ると続けて言う。

「四方様の仰る通りかと。 ですが、いつになるか分からぬ状態で三人も世話になることになりますが」

紫揺のことは此之葉に任せて、身体だけではなく精神も四方に向ける。

「それは気にせずとも―――」

「シ・・・シユラ・・ぐるじい・・・」

必要以上の力で抱きしめられているリツソ。

「あ、ごめ―――」

腕の力を緩めた紫揺が “ん” まで言えなかった。

「リツソ! 何度言えばわかる!」

「ひっ!」

カッチーン。 と、どこかで音が鳴ったのを聞いたのは紫揺だけだろうか。 紫揺が立ち上がった。

「紫さま!!」

此之葉が止めるが、紫揺はもう止まらない。 此之葉の声に領主が振り返る。

「リツソ君を怒るのはお門違い。 今のは私が悪かったの。 謝る」

私、怒るんじゃない、と頭の中の暴れっこ司令塔に言い聞かせる。

「声を出したのはリツソだ」

「だから、そうさせたのは私。 だから謝るって言ってるでしょ」

「お前に謝られる筋合いなどない」

「は? それこそリツソ君が怒られる筋合いなんてないわよ」

「謝ると言っておいて大きな態度だな」

「話の筋を変えようっていうの? 自分の間違いを認めないってこと? 誤魔化すってこと?」

「誤魔化す!? そんなことがあるわけないだろうが! 黙れというのに声を出したのはリツソだ! お前には関係のないことだ!」

「だから! 声を出させたのは私だって言ってるの! 最初に謝ったのを聞かなかったの!?」

「だから謝ろうとなんだろうと、お前は関係ないと言ってるんだ!」

「どうしてそんなにリツソ君を虐めたいわけ!? 言いがかりもいいとこだわ!」

「虐める? 言いがかり? そんなことをするわけがないだろう!」

「完全にしてる。 自分の言ってることが分かってない。 リツソ君が傷ついているのが分かってない。 あの時にも言ったけど、アナタ、リツソ君の兄上でしょ? どうしてリツソ君の気持ちを分かってあげないの!?」

「俺はマツリと言ったはずだ」

“アナタ” などと呼ばれるいわれはない。

「こっちだって言ったわよね! 紫揺だって! さっきから何回も “お前” 呼ばわりされるいわれはないわよ!」

「シ、シユラ?」

我が兄上にここまで言う紫揺を見上げて名を呼んだ。

「リツソ君、行こ。 気分が悪い」

「気分が悪いとはどういうことだ!」

「アナタの顔を見てると気分が悪いってこと!」

「勝手にあちらこちらとフラフラしておって、何を言うか!」

「言い直すっ。 マツリの顔!!」

「お前・・・!」

「紫揺だって言ってるでしょうがっ!」

先ほど紫揺のことでマツリが荒れた口調になっていたのを聞いていたし、その前には紫揺が “あのマツリ” と言っていたのも聞いていた四方。 別々にではあるが、二人の様子を見たのは初めてではないので驚かないにしろ、紫揺が本領に対して敬う態度をみせないことに領主に物申したいが、マツリの対ひとに対しての物言い、それも低レベルの。 それも諍めなければならないところだろう。 だが今はあまりにレベルが低すぎる舌戦に情けないばかりで、四方も領主と同じように頭を抱えている。

そしてもう止められないと悟った此之葉は、その場に座り込み眉尻を下げて二人の様子を力のない目で見ている。 秋我と部屋の隅に控えている者たちは呆気にとられ、口が閉まらない状態だ。

そんな中で、くすくすと笑っていた声。 もう止められない。 コロコロと笑い出した。 最初は大きく目を開けて驚いていたシキだ。

「姉上」 「シキ様」 二人の声が重なり、互いの声が許せないとまた睨み合う。

「落ち着きなさい」

「ですが!」 「でも!」 今度は火花が見えそうなほどに睨みあう。

「仲がいいのね」

「そのような―――!」 「そんなこと―――!」 噛みつかんばかりに睨み合う。

「あるわけが御座いません」

マツリでもなく紫揺でもない。 下から聞こえてきた声。

「シユラは我とだけ仲が良いのです」

「あら、リツソの一人占めなの? マツリにもわたくしにも仲良くさせてちょうだいな」

「我には要りません!」

シキの言いようにマツリが言う。

「なに、その対物質的な言い方! こっちだって願い下げだわ!」

「ああ、ようやく互いの意見が合ったということか。 俺はお前と話す気などないのだからな」

「こっちだってそうよ。 それに今度お前って言ったら、こっちもアンタって言うからね。 その足りない頭でよく覚えておきなさいよ」

「なんだと! 足りない頭だと!!」

「マツリ、いい加減にしろ。 領主の前でいつまで恥をさらしているつもりだ」

マツリが口をひん曲げて紫揺をひと睨みしてから「申し訳ありません」 と言う。
それを見た紫揺がマツリに聞こえるようにわざと「ぷっ」 と言って嘲る目を送る。 マツリが睨み返す。

「紫さまも落ち着かれますよう。 マツリ様にこれ以上のご無礼はお控えください」

いったん口を尖らせた紫揺が「分かっています。 言い過ぎました」 と言う。
今度はマツリが鼻から大きく息を出し “ふん” と鳴らすと揶揄する目線を紫揺に送る。 紫揺が睨み返す。

「シキ、このような状態だ。 互いに顔を合わせなくともだ。 あまり逆撫でせんでくれ」

「あら、正直に申しましたのに」

「このようなことで少なくとも明日まで、悪ければそれ以上となりますがご迷惑では?」

「まぁ、賑やかにはなるかもしれんが・・・案じずともよい」

今更引けない、そう言うしかない。

「紫と此之葉、そして秋我を預かる」

「・・・では、お願い申し上げます」

立ち上がり辞儀をする。

「此之葉、くれぐれも頼んだぞ」

本当なら自分が唱和を迎えたい、自分が居なくなった後の紫揺のことも気にかかる。 だがそれは今の領主の仕事ではない。 領主は一番に領土の民の安寧をはからなければならない。 祭が終わり紫が現れたことで民がどうなっているか分からないのだから。

「はい」

地べたに座り込んでいた此之葉がいつの間にか立っていて、領主に深くお辞儀をする。

「秋我も」

領主代理だということを肝に命じよ、と言っている。
既に立ち上がっていた秋我が顎を引いて固い返事とした。

四方、シキ、マツリに退領の挨拶をすると最後に紫揺に手を繋がれているリツソにまで声を掛けた。
その様子を見ていたシキが「あら」 と声を上げた。 紫揺の衣装がリツソの涙でぐしょぐしょになり、鼻水で凹凸を作っている。

辞去するために踵を返した領主。 その領主を見送るために、歩を出した秋我と此之葉に続いて紫揺も歩きかけたが「紫、待って」 とシキに止められた。
何事かと領主が振り向く。

「領主、申し訳ありません。 紫の衣をリツソが汚したようです。 着替えさせたいので、紫はここまででよろしいかしら?」

このまま人目にさらすことなど出来ないと言っているのだ。 それは宮に住む女人として当たり前のことである。

紫揺とリツソも勿論のこと、隅に立っている者以外、部屋に居る全員が改めて紫揺の衣装を見た。

「フッ、まるで童女の衣装だな」

「マツリ」

シキがたしなめる。

「いえ、水干と釣り合いがとれていると言ったまでです。 リツソ、二人でよく似合っておる」

リツソは今十四歳。 紫揺が着ているのは先の紫の先代が十一歳の時の衣装だ。 それは釣り合いがとれているだろう。 あくまでも紫揺は二一歳であるが。

リツソが嬉しそうに紫揺を見上げる。 だが紫揺は水干の意味は分からないが、嘲弄されたことは肌で感じている。 シキは衣裳が汚れていると言ったのだ。 この衣装に対して何か言ったのだろうことも分かる。

たしかにこの衣装は先の紫の先代紫が十一歳の時に着ていたのだから、子供の衣装に間違いない。 聞き逃してやろうと思っていたが、そのあとの言葉は絶対に見下したことを言っているのだと思うと聞き逃す気がなくなった。 紫揺が口を開きかけた時、四方の声が響いた。

「マツリ!」

「さっきの姉上と同じです。 正直に言ったまでです。 リツソも喜んでおります」

「紫さまに来て頂いたのは急なことでしたので、ご衣裳をお作りする暇もなく先々代のものに手を通して頂きました。 紫さまにおいては耐えて頂いております」

「いや、領主こちらが悪い。 失礼なことを言った。 詫びる。 紫も気にせぬよう」

「・・・はい」

そう言うとマツリを見て顎を上げ、フンというような仕草を見せた。 マツリの口が曲がる。

「では、私のお房に来てくださる?」

さっきも言っていたが “お房” とは何なのだろうと思いながら「はい」と言ってから領主を見る。

「じゃ、領主さんお気を付けて」

「紫さま、くれぐれもお気を荒げられませんよう」

最後に残したい言葉がこれだとは何ともしがたい。

「ど・・・努力します」

自信があるわけではない、笑いで誤魔化すしかなかった。

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