大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第59回

2022年05月02日 21時52分24秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第50回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第59回



襖戸に耳をくっ付けていた丹和歌。

「静かになったようですわね」

その下で同じような格好をしている昌耶。

「ええ。 でもまだヒソヒソとお話になられておられるようですわね」

「何をしておられます?」

上から声が降ってきた。
ビックリして襖戸から飛びのくと、そこに波葉が立っていた。

「な、波葉様」

「こちらにシキ様とマツリ様がいらっしゃるとお聞きしましたが・・・」

「あ! はい。 こちらに居られます」

まるで何もなかったかのように昌耶と丹和歌が左右から襖戸を開ける。

と、目に飛び込んできたのはシキがこちらに背を見せ、右に座る者の顔を見ているようだ。 いや、見ているだけではない。 右に身体が傾いている。 まるで寄り添っているように。
シキの右に座る者がシキの顔を見て何かを話している。 若い。 優しい面立ち。 その顔が少し傾くと間をおいて笑顔になる。
その二人の正面にはマツリが座っている。 会話には入っていないようだが、どうして姉弟で隣り合って座らないのか。 それにどうしてシキが末席に座っているのか。

「波葉様?」

襖戸を開けているのにもかかわらず波葉が入ろうとしない。

「如何されました?」

その声に押されるように波葉が部屋の中に入った。 そして杠を睨みながらゆっくりと三人の座る所に歩いて行く。

一番に気付いたのは杠であるが、その杠は波葉のことを知らない。 だが官吏の服を着ているのは分かる。 帯門標に目を移そうとした時、シキが振り向いた。

「あら、波葉様」

シキの声に波葉がシキに目を移す。

シキが “様” を付ける相手? 杠が首を捻る。

シキの声にマツリが一人耽(ふけ)っていた沈思から浮き上がるように波葉を見た。

「何をしておいででしょうか」

シキの座るところまで来た波葉の声がいつもより硬い。 いつもにこやかな表情も硬い。

部屋に入らないまま襖戸をそっと閉めた丹和歌と昌耶だが隙間は空いている。 そこから二人分の目、四つの瞳が覗いている。

「どうかなさいました?」

「今、何をしておいででしたでしょうか」

同じことを繰り返して言うと視線を移し杠を睨む。

「義兄上? どうかなさいましたか?」

単なる官吏と思っていたがマツリの言葉でシキの伴侶と分かった。 礼を欠いてしまった。
立ち上がり深く礼をする。

「失礼をいたしました」

「あ、ああ。 義兄上、この者は杠と申しまして我の友で御座います」

“友” という言葉に驚いた杠が腰を折ったまま目を大きく開けた。
己のことをそんな風に思ってくれているのか。 いや、心底思っていようがいまいがそんな風に紹介をしてくれるのか。 それだけでも勿体なく涙の出る思いである。

「マツリ様の友であられるのなら、何故シキ様の隣に座っているのでしょうか」

「波葉様、そんなことより杠の頭を上げさせて下さいな」

「そんなこととは、どういうことで御座いましょう」

「波葉様? 如何なさいました?」

「お聞きしていますのは私の方です」

「義兄上?」

「シキ様には末席にお座りいただき申し訳ございません。 シキ様がお席を一つ空けて下さっておられます、決してシキ様の隣には座して御座いません」

頭を下げたままの杠が言う。

そう言われてよくよく見てみればシキと杠の間には椅子が一つある。 その椅子にシキが手をついて杠の方に傾いていたのか、それが寄り添っているように見えたのか。
だからと言ってどうなのだ。

「杠と申したか。 頭を上げよ」

杠がゆっくりと腰を伸ばした。

「シキ様、ご夫君様はマツリ様のことをご存知で御座いますか?」

「え? ええ」

マツリの事、それは今が今だ。 マツリが紫揺を想っていることを問うてきているのは分かる。 だが今は波葉が話しているというのにシキに問いかけるなどと、礼を欠く杠ではないはずなのに。

「シキ様と何の話をしておった」

礼を欠いた杠に、ひときわ波葉の声が大きくなった。

「マツリ様のお話しで御座います」

波葉に睨まれているというのに清々しささえ感じるように答える。

「目の前にマツリ様が居られる。 そのマツリ様が話に入らず、シキ様と二人で話していたということか」

「波葉様、どうなさいました」

「義兄上、とにかくお座りになられれば」

シキとマツリが波葉に言うが当の波葉は杠を睨み据えているだけである。 その杠が波葉に応える。

「左様で御座います」

「いったいどんな話があると言うかっ」

いつも穏やかな波葉だが、珍しく言葉尻に力が入った。

「マツリ様と紫さまのお話で御座います」

杠の返事に、そういうことか、とシキが得心する。
波葉がマツリと紫揺のことを知っていたのならば、その一言でまとめられ説明など要らない。
それに知らなければシキが波葉に言わなかったということになる。 そうなれば今の状況に沿う他の何らかの説明が必要であっただろう。 マツリのことを内密にしていたシキと、伴侶に何も話してもらえていない波葉の立場を悪くさせない何かの説明を。
それを確認するために礼を欠くと分かっていても訊いてきたのか。

「その事、シキ様がお気にされていることは知っておる。 だが、其方は関係が無かろう!」

声を荒げる波葉に襖戸の隙間から見ていた十二の瞳が驚いて見開く。

「マツリ様、シキ様のご夫君様は己がシキ様とお話していたのがお気に障られたようです。 いかが致しましょう?」

余裕の笑みさえ見せて波葉から目を離さずマツリに問う。

マツリが、え? とした目を杠に送る。

「己のことは己で語らんか!」

「まあ、そうでしたの? 波葉様、もしや妬いておられるのですか?」

「や、や、妬いてなど! ・・・決してそのようなことは!」

睨み据えていた杠から目を外し、慌ててシキを見る。

「ええ、そうですわね。 たしか・・・心が淋しくなったり痛くなると仰っておられましたものね。 妬いて怒るのはマツリだって」

「あ・・・」

「え?」

「シキ様、それ以上は」

スッと会話に入ってきた杠。 これは願いごとである、シキの目を見ることなく顔を俯けて言った。

「あら、だって勝手に妬いておいて長い時を杠に頭を下げさせるなんて」

そう言った時にふと気づいた。

さっき杠が言った 『シキ様とお話していたのがお気に障られたようです』 あの言葉、波葉を見てはいたがマツリに問うていた言葉だった。 そしてその言葉に反応したのはシキ自身だった。
もしかしてあれは、波葉が妬心しているのをシキに分からせるつもりだったのだろうか。 そしてその事をシキの口から言わせるように持っていったのだろうか。
そうだとすれば、人の口を使わせるのが上手いのかもしれない。 だがそれは先程の失礼を欠くと分かっていても問うてきた、相手の立場を考えるという心ある考え方とは真反対になる。

いや、そうではないか。 あの場合、シキが気付いて何かを言うのが一番場が収まったに違いない。 それに妬心していることを第三者が言ってしまっては波葉の矜持が傷つくか、怒りを持たせるだけ。 波葉に気付かせるにはシキが言うのが一番心の琴線に触れない。
杠はそこまで考えていたのだろうか。 そうであるならば人の機微にかなり敏感・・・いや、心があるのだろう。 そして頭も切れるということ。

「シキ様、お願いで御座います。 これはご夫君様だけでなく、男の矜持に関わりますのでどうかお許し下さい」

俯き加減だった頭を下げる。

「そうね、分りました」

もしかして四方は杠のそういうところも気付いていたのかもしれない。

「頭を上げてちょうだいな」

襖戸の間に見えている十の目がパチクリしている。 残りの二つの瞳についている口が嬉しそうに口角を上げる。

「杠殿って・・・」

「ええ、腹も据わっておいでだけど」

「他人の代わりに頭も下げられるのね」

「見目だけではなく素晴らしいお方ですわね」

「ほんに。 あのような者が独りでいるなど、なんともったいない」

八つの目が下を見る。
その下、最下段では、紫揺が杠を褒められて嬉しそうに笑っている。

「あ、その、杠と言ったか。 思い込みとはいえ。 すまなかった」

シキに言われ、頭に上っていた血が一気に下がった。 完全に独善していたようだ。

「とんでも御座いません。 己のような者がシキ様のお近くに居りましたのがそもそものご無礼で御座います。 申し訳御座いません」

上げた頭をもう一度下げる。

「あら、身を寄せていたのはわたくしよ。 マツリに聞こえないように杠にマツリのことを言っていたのだから」

「我に聞こえないようにとは?」

杠が襖戸を見た。 十二の目がぎょっとしたように見開いてそのまま襖戸がゆっくりと閉まっていく。

「紫揺を想っておられることをお認め下さい。 お認めになることなく妬いてばかりおられましたら紫揺は遠ざかっていくばかりで御座います。 宜しいのですか? 紫揺がマツリ様のお知りにならない者の奥になっても。 その者に抱かれても」

襖戸が閉められたとはいえ、最後は声を静めて言う。

「な! なにをっ!」

「夜な夜な」

この顔のどの口からそんな言葉が出てくるのか。
完全に嗾(けしか)けている。
マツリはぐうの音も出ない様子だ。

シキがまたもや頬を赤くする。 シキだけではない、たとえ声を沈めて言っていても聞こえていた波葉もだ。

「よくお考え下さい。 声を荒立てず、紫揺の目を見てお話しください」

すると襖戸の方を見て声を掛ける。

「紫揺、入っておいで」

両方からすっと襖戸が開いて紫揺が入ってくる。
その後に五人が続いて入ってきて襖内に座る。 今度は堂々と見ていられる、聞いていられる。 あの腰が攣(つ)りそうな格好をしなくてもいい。

「なに?」

「シキ様、ご夫君様はお座りになられませんか?」

そうだった。 波葉が座らない限り杠が座れないのだった。 杠に促さるまま波葉に座るように言う。 これで最末席は波葉となった。
波葉が座るのを見て紫揺を座らせ杠も座る。

「マツリ様と何か話は無いか?」

「別に?」

「マツリ様は?」

「・・・無い」

「そうで御座いますか、分かりました。 己の勘違いのようで御座いましたか」

マツリに向けていた顔を紫揺に戻す。

「紫揺は今日、東に戻るんだな」

紫揺好みの優しい顔で訊いてくる。

「うん」

「もう会えないがいつも紫揺のことを想っている。 この地から紫揺を見守っている。 シキ様に教えて頂いたことをよくよく考え良い男を見つけろよ。 俺をがっかりさせる男は許さないからな」

先ほどの賑やかしい話の中に、シキから伴侶を迎えるようにと言われているという話を紫揺がしていた。 そして跡取りをもうけることを。 そんな話の中から、紫揺が男女間のことを何も知らないのだと、杠と “最高か” と “庭の世話か” が知ったのであった。

マツリが眉根を寄せる。
マツリだけではない。 話の筋が見えない。 どういうことだ。 誰しもがそう思っている。

何も知らない波葉にしてみれば杠が紫揺のことを想っているようにしか聞こえない。 だが東と本領の人間。 結ばれることは出来ない。 諦める代わりに杠が認める男を探せと言っている。 そうとしか聞こえない。
それをどうしてマツリの目の前で言うのか。 マツリはこの杠のことを友と言っていたというのに。 それに先程、何やらマツリに言っていたようだが。
そういえば頭に血が上ってしまっていて杠の衣装にまで気がいっていなかった。 帯門標を見ようとするが位置的に見えない。 着ている衣裳からすれば四方の従者のようだが、顔に見覚えがない。 いったいどこの者なのだろうか。

「うん。 今まではそんな目でみんなを見ていなかったから気がつかなかったけど、これからはそんな目で見る」

早い話、男漁りをすると言っている。

「紫、それはもしかして・・・」

眉尻を下げてシキが訊ねる。

「はい。 紫の力を残すということです。 シキ様に言っていただくまで考えもしませんでしたけど、杠と話して相手を選ぶのも大切なことって分かりました。 本腰入れて探します」

―――本腰入れて男漁りします。

「そんなお話を杠としたの?」

「シキ様が紫揺に仰られたことは肝要なことで御座います。 紫揺はよくよく理解致しました」

「我は聞いておらん」

マツリが紫揺を睨み据えるように言う。

「シキ様とのお話をどうしてマツリに言わなくちゃいけないのよ」

「杠に言ったではないか」

「杠には言うわよ」

「マツリ様、そのように紫揺をお睨みにならないで下さい。 紫揺は己を兄と慕って相談をしてきただけで御座います」

「うん。 男選びのコツ」

「バッ! 女人が口にすることでは無かろう!」

シキがほんのり頬を染めている。 先ほど杠が言った、よくよく理解したというのはそういう意味なのか。

襖内に座る昌耶を除く四人が思い出したのか、くすくすと笑っている。 その時の話しを一緒に聞いていたのだから。

「ですが紫揺は子を残さなくてはなりません。 五色様の血を引いた子を。 何としてでも子をっ、残さなくてはなりません。 お相手には紫揺にふさわしい方を紫揺の目で見つけてもらわなければなりません。 お相手をっ」

不自然な話し方だと充分に分かっている。 だがマツリにはここまで言わなくてはならないだろう。

「東に戻って伴侶を探すというのか」

杠から目を転じて紫揺をジロリと見る。

「うん。 だってそうしないと東の紫が今度こそ途切れてしまうもん」

「・・・」

紫揺から目を外すと斜め下を向いた。

あと一押し、と杠が思った時、遠くに喧騒が聞こえた。

「・・・武官が戻ってきたようだな」

立ち上がりマツリが部屋を出て行ってしまった。 皆が無言でもう見えなくなったその背中を見送る中、紫揺の声が響いた。

「尾能さんの母上が気になるから見てくる」

杠に言うと紫揺がマツリの後を追った。 その後を “最高か” が追う。 “庭の世話か” はこの後を聞くために、見るために残っている。 その辺りは暗黙の了解で四人とも今の杠には興味津々である。

「あ・・・」

波葉がシマッタという顔をしている。 己はマツリの食事が整ったと言いに来たのだった。 すっかり忘れてしまっていた。

「シキ様、下世話なお話をお聞かせしてしまいお耳を汚してしまいました。 申し訳御座いませんでした」

立ち上がり杠が頭を下げる。

「あ・・・。 いいえ、気にしないで。 頭など下げないで座ってちょうだい」

お許し願え有難うございます、と言い椅子に座った。

「マツリ様には正攻法ではお考えいただけないと思いまして」

「正攻法?」

「はい。 一つ一つマツリ様がお考えになったことや、お感じになられたことに注釈をつけたとて、言葉の意味は分かられても心の底まではご納得いかれないでしょう」

シキと波葉が目を合わせた。
全く以ってそうである。

「見事に私はそれをしました。 結局マツリ様には分かって頂けなかった様です。 杠殿はマツリ様のことをよく分かっているようですが、何処に所属を?」

杠が立った時に帯門標を見ようとしたがすぐに杠が頭を下げたので見えなかった。
だがどう見ても己より年下。 年齢だけで括れるわけではないが、己より高い位置ではない筈。

「いいえ、己は仮初にこのような衣装を着させて頂いておりますが、その様な地位は御座いません」

地下から這い出てきました、とは言えない。

「と言うと?」

「波葉様、宜しいでは御座いませんか。 杠はマツリの友、それだけのことで御座いますわ」

杠がゆっくりとシキに頭を下げる。

「ね、杠。 これからどう致しましょう」

杠が下げた頭を上げると波葉を見た。

「要らぬことを申し上げました。 申し分け御座いません」

先ほど杠が言った注釈をつけて、という話のことである。

「あ、その様なことは・・・」

波葉に頭を下げると真っ直ぐに前を見た。 まるでそこにマツリが座っているかのように。

「きっとマツリ様は武官の報告のあらかたを聞かれて紫揺を東に送られると思います」

襖内で座っている “庭の世話か” と、何故か昌耶もコクコクと首を縦に振っている。

杠がシキを見る。

「その時が最後の時になるかと思います」

「最後の時? それはどういうことかしら?」

「紫揺は東に帰ります。 マツリ様は時折東にいかれるでしょうが、当分は本領のことでお忙しくされます。 普通で考えますに想いは募られるでしょうが、マツリ様はそれを撥ね退けるお心をお持ちです。 その時には己の言ったことがマツリ様のご記憶から外れるかもしれません」

己の言ったこと、それは下世話なこと。 マツリにそんな話を出来る者はこの宮にはいない。

シキが溜息を吐きながら肘から上を上げると、その掌の中に美しい額を置いた。
波葉がシキの背をゆっくりとさする。

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