大福 りす の 隠れ家

小説を書いたり 気になったことなど を書いています。
お暇な時にお寄りください。

辰刻の雫 ~蒼い月~  第161回

2023年04月28日 21時04分54秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第160回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第161回



今もまだ床下に潜ったままの紫揺。 男たちの会話からもう一人来るかもしれないという男を待っている。
柴咲という男を。

男達は為すべき話は終わったというように、裏の木戸を開け放ち風を通している。 二人が濡れ縁に座っているようで、むさ苦しい男の足が四本見える。

(声の感じからすると四人はいたかな)

くぐもっていたということもあって似た声音だと区別がつかなかったし、喋っていない者もいたかもしれない。 簡単に断定はできない。

(うー・・・そう言えばお腹空いたな。 お昼ご飯食べてない)

食べたのはもぎ取った梨やちょっとした物だけ。 馬を駆けさせてきて体力も使ったのだ、腹も空いてこよう。
それにこの体勢も疲れる。 極力衣を汚さないように全身の身体を浮かせていたが、聞く場所が決まってからは下半身を下ろしたのは下ろしたが、うつ伏せ状態で上半身を起こしたままである。

(早く来いよー、しばさきとやらー)


杉の葉が風に揺れた。 見上げた曇天は雨を降らすこともなければ、陽の光を降り注ぐものでもなかった。 ただ・・・微妙暑い。 杉の葉を揺らした風は一瞬で終ってしまった。

「よう、將基、今日は中心には行かなかったんだな」

「お前の知ったことか」

「つれないこと言うなや、一緒に自警の群第一陣を飾った仲じゃないか」

杠が頭と思わしき男と見た男、將基(しょうぎ)。
ふん、と鼻で息を吐いた。

「あれ? なに? 自警の群が気に入らなかったのか?」

「うっせーんだよ」

「・・・そっちこそ」

声をかけた巴央が声を低くして続ける。

「うざいんだよ」

どれだけお道化ながら揺さぶっても何も見せない、言わない。 とうとう限界だ。
將基が巴央を見た。

「あの時、オレが力山に言われて最後尾を歩いてただって? ふざけんなよ、なんでオレが力山に言われるがまま動かなきゃいけない。 オレを見下してんのか」

今までの巴央の態度を一転させる。
將基が巴央から目を外した。

「・・・悪かった。 宮都のヤツかと思ったからだ」

「は?」

またもや一転して間の抜けた声を出したが、それは作ったものではなく本心からであった。


芯直たちがやっと杠を見つけた。 だが困ったことに屋舎に入ってしまっている。

「どうする?」

「うーんと・・・最後のやつ使う?」

「いいのか?」

「手加減してよ?」

芯直がニヤリと笑い、そして息を吸うと大声で叫んだ。

「淡月のバカタレー!」

バカタレと言われた絨礼が「きゃー」と叫びながら頭を抱えて走り出し、上手い具合に屋舎の入り口付近でスッテンコロリンと転ぶ。 そこに追いついてきた芯直が絨礼の頭をポカスカ叩きだした。
屋舎の外で作業をしていた男達が笑いながら様子を見ている。

「だって! 朧が下手に名前を言ったんじゃないかー!」

嘘っぱちの芯直絨礼劇場なのに真実をついてきた絨礼。
聞き覚えのある声に屋舎の中にいた杠が外に目を移した。

「あー!! それ言うかー!!」

ポカスカポカスカ。

「きゃー、やめてよー!」

隣りに立つ文官も筆の手を止め杠と同じように目を転じている。

「坊の喧嘩ですか」

「そのようですね」

思いっきり目立っている。 これでここらあたりにいる男達に顔を覚えられたということになる。 杠が額に手を当てかけ白々しく頭を掻く。

頭を抱えてうずくまる絨礼。
ポカスカポカスカ。
あまりの一方的さに作業をしていた男達が声をかけてきた。

「こら、坊。 喧嘩は同じ力の者同士でしろ」

「馬鹿か、そんな止め方があるか。 こら、喧嘩はやめろ」

ポカスカポカスカ。

「いたーい・・・」

手加減してって言ったにもかかわらず、そこそこの力で叩いてくる。 涙が出そうになってきた時、ポカスカがなくなった。
ふと顔を上げると男が芯直の手を止めていた。

「坊、これが見えねーか」

『六都 自警の群』 と書かれた腕章をこれ見よがしに見せる。

「俺らに捕まったら武官の所に連れて行くぞ」

「だってー」

「だっても糞もない。 どうする、捕まるか?」

恐~い顔をしてみせているが笑いを堪えている顔である。

「・・・分かった」

「よーし、今度喧嘩をする時は相手を選べ」

芯直の頭をガシガシと大きな掌で撫でたが、少々おかしな助言に芯直が首を捻る。

「オレが相手してやるから」

「いっ!」

芯直が逃げ出すと、次いで絨礼がその後を追うように走って行った。

「なんだい・・・ありゃ」

被害者が加害者を追う図。
作業をしていた男の一人が言う。

「あの二人、しょっちゅう一緒に居るからな。 喧嘩をしてもああなんだろ」

「なんだ、止め損か」

作業をしていた男達の間で笑いがおきた。

「ではそろそろマツリ様が戻ってこられると思いますので」

「はい。 ご協力、有難う御座いました」

マツリ付きという立場であるのだから本来、杉の木の管理は杠の仕事ではないが手伝いをしている。 給金の計算が増えてしまって文官の仕事が増えてきていたからである。

屋舎を出ると辺りに目を走らせ歩を出す。
いくらか歩くと物陰からひょいひょいと手の先が杠を呼ぶように動いている。
辺りを見まわしスッと物陰に入る。

「ごめん、逃げられた」

「見つかったということか?」

「見つかってはいない・・・はず」

見つかったというなら分かるが、逃げられたというだけであんなに派手な呼び出し方はしないだろう。 次の言葉を待つ。

「途中で塀を上っちゃって追えなくなった。 そしたら杠のことを知ってるおねーさんって坊が来てあとを追ってくれるって。 えっと・・・迎えに来てって言ってた」

「は?」

お姉さんって坊? どういう意味だ?
いや、待て。 その前に芯直は己のことを知っていると言った。

「えっとね、朧がうっかり俤の名前を言ったの。 それなのに杠に迎えに来てって伝えといてって」

「だから・・・淡月、それは言わないでって」

「言わなきゃ俤が何のことか分からないじゃない」

己の立場を漠然とではあるが知っている女人は限られているし、その女人にしても杠と言う名を教えていない。 それに俤として何をしているのかもはっきりとは知らない。

「そのお姉さんって坊というのはどういう意味だ」

「俺たちと一緒くらいの坊。 でも自分でおねーさんって言ってたから、おねーさんって名前の坊」

ちょっと誤解が入っているようだ。
ようやく掌で額を覆うことが出来た。
俤と杠の両方の名を知っていて、尚且つ、俤が何をしているか知っていて、芯直と絨礼が上れなかった塀を昇り、芯直たちと同じくらいの坊。 だが実際は女人。 心当たりがある。
だが・・・六都にはいない。 この本領にも。

「どこに迎えに来るようにって?」

「いつもいる所を訊かれたから官所って言った」


「いたか?」

「いない」

四方八方から武官が寄ってきた。

「不審な者は?」

「いや、見かけなかった」

いったいどこに・・・。

「・・・もうそろそろマツリ様が戻ってこられる」

互いに見合った。
ここに居る者たちだけではなく、他の者たちもそれに気付いてきたのだろう。

―――まだ戻ってきてもらっては困る。

あちこちで革鎧を着た武官による不気味な祈祷もどきが始まった。

「ゴルラァー!! そんなことしている間には探さんかー!!」

六都黄翼軍長の叫び声が響いた。


戸を叩く音がした。
男達が互いに目を合わせる。

「誰か居らんか!」

柴咲ではなかったようだ。 一人の男が頷いて腰を上げる。

「へい、へい、居ります。 お待ちくださいませ」

男が履物を履き鍵を開けガラガラと戸を開けると目の前に武官が立っていた。
情報が漏れたのかと男の顔が一瞬こわばったが、ここで逃げ出して逃げ切れるものではないのは分かっている、誤魔化す自信があるわけではないがなんとか平静を装う。

「こちらに女人・・・坊が来なかったか」

「は?」

最初に見せたこわばった顔は武官を見てのことだったのだろう、本当に何のことかという顔をしている。 家の中に隠してはいないようだ。

「坊が迷い込んでは来なかったか」

「さ、さて。 つい先ほど裏の木戸を開けたところですんで・・・あとも鍵をかけてありますし・・・迷って家の中に入ってくるなどということは無いと思いますが」

武官が三和土を見る。 男物の草履が一つ。 紫揺は長靴をはいていたと聞いている。 三和土にはないが、捕獲したのなら家の中に隠すことくらいはするだろう。 だがそれ以前に、まったく寝耳に水状態のこの反応。 隠してはいないだろう。

「そうか、邪魔をした」

玄関先での会話を離れた床下に居た紫揺が聞くことは無かった。

武官が家を出てきた時にスッと物陰に隠れた影があった。
武官が隣の家に入って行った隙にすぐに目的の家に入って行く。 先ほど武官が出てきた家。
武官を見送った家の主が鍵を閉めようとした時、外から戸が開けられた。
ひっ! 突然のことに驚いたが相手は知った顔だった。

「お・・・驚かすな」

男が家の中に入ると履き物を脱いで己の懐に入れ、勝手知ったる他人の家、という具合に部屋の中に入って行く。 鍵を閉めたこの家の主が後ろから上がり框を上がってきた。

「武官がウロウロしている。 何かあったのか」

「さぁ、坊を見かけなかったかって訊かれた」

「なんだ、迷子か? それにしても仰々しいな」

二人が話している間に暗黙の了解なのだろう、他の男たちが木戸を閉め始める。

(ん? 新しい声?)

多少こもってはいるが聞き取りやすい声音。
男達が座ったのだろう、紫揺が聞き耳を立てている場所からドンドンと音が聞こえる。

(この新しい声がしばさきとやらかな)

外からは今までの音や声に混じって、新たに何か呪文か呪詛のような声が聞こえてきている。 決して呪詛ではないのだが、武官たちの野太い声で低くぼそぼそと言っていれば呪詛のように聞こえなくもない。

(外うるさいなぁ・・・)

「マツリの様子を見に来たのだが居なかった。 どんな具合だ?」

「毎日毎日あっちこっち歩き回っている。 最近、自警の群ってのを作りやがった」

「自警の群? それならマツリが作ったんじゃないだろう」

「え? そうなのか?」

「勝手に作って・・・そうだな、許可はマツリが出しているだろうが。 だがどういうことだ? 六都にそんなものを作る奴なんていないだろう。 まさかまとめられてないんじゃないだろうな」

(あれぇ? この声どっかで聞いたことあるような・・・)

「あれだよ、杉山に行ってる奴ら。 あいつらがその自警の群ってのをやってんだ」

「杉山のか・・・。 あそこは武官も、それこそマツリも手を出しているところだ。 あの中にこの事を知っている奴はいないだろうな」

「さぁ、どうだか。 だけど未だに探られたりしてないってことは、いないんじゃないのか?」

「いい加減な!」

「い、いや、まとめてる奴らの中にはいない。 ただ、話を聞いて入らなかった奴がいるかもしれないってことだ、だから詳しいことなんて知らないはずだ」

「入らなかった奴らにはどうやって声をかけたんだ」

「あんたらが俺らに声をかけてきたのと同じだ。 本来なるべきだった六代目本領領主の直系、その後ろ盾をしないか、だ。 何も変えてない。 そこで質問してきた奴は全員まとめてる。 入らなかった奴らは鼻っから馬鹿にして入らなかった。 話も信じてないってとこだ」

「まぁ・・・六都の民だ、学も何もない。 そう心配することもないだろうが事を起こすまで気を緩めるなよ」

「その事ってのは? いつ?」

「これから徐々に始める。 五六七八都は一二三四都にゆっくりと入る。 一気に入ると武官に気付かれるからな、だが素早く。 入ってからは一二三四都でまとめている奴が誘導する。 それから徐々に宮都に入る。 決起はマツリが六都に居る間に起こさねばならない。 だからマツリの様子を見たかったんだが・・・。 そうだな、この六都で自警の群を作って間がないのなら・・・暫くは宮都に戻って来まい」

「そうなのか?」

「暫くと言っても保証できるのはそう長い間ではない。 五日後から・・・いや、六日後から六都を動かせるか? 三都に入れるか?」

「六日後?」

「本当なら明日と言いたい。 だが一斉に動かしたい。 これから他の都をまわって同じ声をかける。 そうするには五日か六日はかかる」

「分かった。 六日後から動く」

三都のどこに行くかを説明すると柴咲が立ち上がった。
木戸は再び閉められている、それは音を聞いて知っている。 逃げるなら今しかない。
柴咲を待っている間に方向転換はしている。 まるでヤモリのようにサワサワと動き始めた。
床下から出る時に辺りを見まわす、耳にも集中する。 相変わらず呪文か呪詛か、新しく加わった念仏のような声も聞こえるが、木戸を開ける音でもなければこの裏庭に誰かが居る声でもない。

(しばさきって人の顔を確認するに越したことは無いよね)

どこかで聞き覚えのある声・・・くぐもってはいたが心に沁みるような声。 似ているだけなのかもしれないが、紫揺が聞き覚えのある声なのだから場所は限られている。 宮内か地下の者たちか、地下の関係で馬車や馬に乗っていた武官、若しくは見張番。 顔を見れば覚えているかもしれない。 どこで会ったか分かるかもしれない。


一人の武官が難しい顔をして紙を手にし、なにやら念仏を唱えている。
後ろから覗き込むとガマガエルが描かれてあったが、そこに気になるものも描かれている。

「ガマガエルを探しておるのか」

ギョッとして振り返るとマツリが似面絵を覗き込んでいた。

「マ! マツリ様!?」

マツリが武官からガマガエルの絵を取り上げると、反対の手で顎をさすりながらまじまじと見る。

「このガマガエルの額にある物は?」

「あっ! ぎゃ! いやっ・・・それはっ! ガマガエルではなくっ!」

木の枝を突いていた武官がマツリを見かけ顔色を変えると走り出した。 「マツリ様のお戻りぃぃぃ」 と呪われたように叫びながら。
あちこちで武官たちが顔色を変えた。 マツリが戻ってきたことをあちこちで叫ぶ声がする。 いつもはそんなことは無いのに。

「なんだ?」

ガマガエルの似面絵を見ていたマツリが顔を上げ走って行く武官を見ようとしたが、ワラワラと武官が出てきては走っている。
己の居ない間に何かあったのだろうか。

「何があった」

「いえ・・・そっ、それは。 己の口からは・・・。 六都武官長が来るまでお待ちください!」

「六都武官長?」

どうして?
ガマガエルの似面絵をもう一度見る。

「このガマガエルのこれはどういう意味だ」

額に書かれている物を指さしたが、武官は「お待ちください」と繰り返すだけである。
武官が簡単に口を割らないだろう。

「これは貰う」 とだけ言って先に歩いて行きかけたが、すかさず武官が止めた。

「申し訳ありませんが、その似面絵はお返しください」

もう一度ガマガエルの似面絵を見る。 そんなに大事なものなのだろうか。
ガマガエルの似面絵を武官に渡すと今度こそ歩き始めた。
武官にとっては、このガマガエルの絵がマツリの御内儀様になろうとしている女人を描いたものだという証拠は無いものにしたい。

罪状、侮辱罪。

この武官が描いたわけではないし、実際こんな顔なのかもしれないが、それでももう少し美化して描いていても良かったのではないか。

歩いていたマツリの前に黄翼軍六都武官長が走ってきた。 周りにいた武官たちが足を止め黄翼軍六都武官長を見ている。
黄翼軍六都武官長がマツリの前まで来ると、カンという音を立て踵を合わせ急いで礼をとる。

「申し訳ありません! 宮から東の領土五色様である紫さまが来られましたが、この六都で護衛の武官を振り切って逃走・・・見失ってしまい、未だ捕獲・・・お見つけ致しておりません!」

ちょいちょい気になる言葉が入っていたが、地下の時のことを思うと当てはまらなくもない。
だがどうして六都に来たというのだ。
それに六都に来るからには四方を通しているはず。 そこそこの護衛を付けていただろう。 それを振り切って逃走? いや、なぜ逃走をしなくてはいけない。
本当の話なのだろうか。

「先ほど武官がガマガエルの絵を持っていたが気になることがある。 誰か持っておらんか」

ガマガエル・・・。 マツリの御内儀になるかもしれない人物を描いた絵がガマガエル。 見せることなど出来ない。
遠巻きに見ていた誰もがそっと似面絵を後ろ手に持ったが、そんなことを見逃すマツリではない。 一人の武官の元に行き手を差し出す。 武官がマツリの後ろに立つ黄翼軍六都武官長を見ると痛い顔をして頷いてみせている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辰刻の雫 ~蒼い月~  第160回

2023年04月24日 21時04分56秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第150回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第160回



杠だって何もかもを一人では賄いきれないだろう。 使い走りが居てもおかしくない。 それに子供なら扱いやすいはず。
この飴ちゃん上げるから、あの男の人のあとを追ってもらえるかなぁ~。 誰かとお話ししているところを見たら教えてくれる? そしたら手のひらサイズのグルグル巻きの飴ちゃん進呈!

・・・有り得る。 いや、杠はそこまで軽くはないか。 でもきっと似たような感じで。

「この塀の向こうに行ったけど・・・君たちには追えないよ?」

“追えない” と言われた。
芯直が口を開こうとする前に絨礼が開いた。

「なに言ってんだ!」

「え? 淡月?」

淡月が食って掛かるなど珍しい。
紫揺が口の端を上げる。 面白い。

「この塀は跳べる? だとしてもその先にもっと高い塀があるよ? それをよじ登って行ったけど、君たち跳び越えられる?」

「当たり前だろ!」

「た、淡月!」

男の子たちの体格からしてそれが無理なことは明確である。 だが啖呵を切るのは聞いていて面白い。

「元気だね。 でも無理だよ。 ってことで、お姉さんが君たちの代わりに追ってあげる」

「は?」

「お姉さん?」

二人が辺りをキョロキョロする。

「こらこら少年、どこを見てんの。 目の前にいるでしょうが」

腕組みをして口をひん曲げている。

「は?」

「えっと、その前に君たちが話してた官吏さんは日頃どこに居るの?」

「俤のことか?」

「あー! おい朧!」

官吏の服を着ているときには杠と言わなければならない。 それなのについ俤と言ってしまった。

「あ、そっか。 俤って言ってんだ」

名乗っていたんだ。 影の名を。

「言ってんだ? それってどういう意味だよ!」

官吏の服を着ていたのに俤と言っている。 ということは杠のことを何もかも知っているということ。 単なる使いっぱではないのかもしれない。

(仲間が出来たのかなぁ・・・)

「男、逃げちゃうよ? 俤はいつもどこに居るの?」

「か・・・官所には戻るけど」

「かんどころね、分かった。 んじゃ、杠に言っといて。 迎えに来てって」

大きな賭けだった。
俤と杠、どちらの名前もわざと言ってみせた。 この二人が言ってもいない杠の名を出し、おかしいと気付いてもらわなければ迷子になってしまうのだから。 もしくは官所でずっと膝を抱えているか。
言った途端、塀に手をかけると軽々と登った。

「え・・・」

塀を持って背伸びをして見てみてみると、誰かの家のようだった。
人の家だというのに頓着することなく紫揺が走り抜けて行く。 高い塀の前まで来てどうするのかと思ったら、九十度向きを変えて走り出した。

「え?」

そしてそのままそこに生えていた幹を蹴り上げて一番下の枝に掴まった。 ここからは武官たちと別れた時のように、蹴上がりで上がって枝を移動して塀を跳び越えた。

「すご・・・」

確かにこれでは二人に追うことは出来なかった。

「だ・・・だれ?」

「おねーさんって言ってた」

お姉さんではないだろう。 おねーさんって言う・・・名前?

「あっ! それより追わなくっちゃ!」

迂回になるが二人が紫揺の消えた方を目がけて走り出した。


武官たちに意味不明な動きが見られた。 誰もが目を皿にして木で枝を突いたり、どぶ板をひっくり返したりしている。
特に朱と黄の革の鎧を着ている武官達が血眼になっている。

「いねー、いねー。 ・・・どうするよぉ!?」

「諦めんな、生きてるからには身体はある」

「・・・死んでたら?」

マツリの御内儀になるかもしれない東の領土の五色の紫という女人・・・らしからぬ、ほぼほぼ坊。 それを・・・じゃない、その方を放牧させてしまった・・・じゃない、行方不明にさせてしまった朱翼軍と黄翼軍の武官。
最初は、ほんの最初は放牧させてしまった武官二人で探した。 だが全く影すら見つけることが出来なかった。
こんな時に下手な矜持に囚われ紫揺を取り押さえる・・・保護することが出来なくてはどんな言い訳もたたない。 即刻、武官所に行き、紫揺捕獲・・・御内儀様探しの協力を願い出たのだった。

二人の武官たちからは背丈や面差し、特徴として額に飾り石を付けている、などを聞き、数枚の似面絵が渡された。

『何なんだよコレ! 坊なのか女人なのかどっちだよ! ってか、これって人間か!?』

『だーから、言ってんだろ! 女官は女人て言ってたって。 どこから見ても坊だけど、聞いた話だと、女人でマツリ様の御内儀様になるかもしれない、それとちゃんと話してたから人間だ。 それしか言えねー』

だがそれ以前に死体・・・もとい、それらしい影も形も見つからない。

「し・・・死んでても、身体はあるだろう・・・」

「ボコボコにされてたら顔かたちが無いけど?」

「あ・・・ほら、聞いた背丈なら・・・それにこの面差し、人間には・・・女人には見えない・・・そう思うと坊なら一番安全だ」

適当に描かれた似面絵を手にしている。 適当と言っても描いた当人たちは真剣に描いたのだが、到底それが伝わらない似面絵だった。 二人の武官がサラサラっと筆を走らせ数枚描いたのだが、あとで紫揺が見たら頭から火を噴くかもしれない。

二人の会話に緑の革の鎧を着た武官が入ってきた。

「小柄な女人はいる。 面差しの・・・この描いてある顔は・・・ほぼほぼガマガエルだろう」

描かれた絵は紫揺の笑みだった。 のつもりだった。 奴ら二人の。

「珍物として捕獲され、後に高値で売られるかもしれない、か」

そうなればすぐには見つからない。

「お前・・・俺たちに喧嘩売ってんのか?」

緑の鎧を付けた緑翼軍の武官が半笑いで答える。

「まさか」

「だよな、まさかだよな。 こんな緊急時に」

緑翼軍の兵士がピクリと眉を動かす。

「なら、どういうことだ?」

その態度は、その言いようは。 どうして眉を動かした?

「緑翼軍次席筆頭が体術で負けた、時」

杠に。

「・・・!」

忘れていた。 あの時、たまたま宮都に行き、杠の体術をコイツと見ていたのだった。 そして緑翼軍次席筆頭が杠に負けた時、この武官にいやらし~い目つきを送ってやっていたのだった。

「意趣返しかっ!」

「そんな狭量ではない。 単に同僚として御内儀様を探し出し朱翼軍と黄翼軍の面子を挽回するには絶好だろうと言っているだけで、その新たな探し先を提案しただけだ」

「ほざけ! 狭量どころか極狭量じゃねーか!」

緑翼軍の男が踵を返した。 それを見送ると朱翼軍の武官が目を遠くに送った。 珍物、捕獲・・・。

「わぁーーー!!」

猛スピードでどぶ板をひっくり返し、伐採する勢いで枝を打ち始めた。


「っとに、あいつら。 とんでもないことをしてくれた!」

六都朱翼軍長が武官所で頭を抱えていた。

『とっ! とにかく今は杉山に行っておられる! 戻ってこられるまでになんとしてもお探ししろ!!』

六都朱翼軍長が声をひっくり返して言ったことはすぐに広まった。
今ごろは六都黄翼軍長もどこかで頭を抱えているだろう。


高い塀を軽々と跳び越えた紫揺。
男の子たちと話していてかなり遅れを取ったが、枝に立った時に男の姿を捉えていた。 男は塀で身を隠せたと思って油断していたのだろう。
高い塀の向こうには小路があった。 その小路を歩きクロスする小路にまた入った。

「これじゃ、尾行(つ)けてるのバレバレになるか」

歩いてきた道を戻り、通り過ぎてきた木に登った。 ここらの家は少なくとも一本は庭木を植えているようだ。
枝から枝へと登っていくと男の姿が目に入った。 もしも男が紫揺のような背丈であれば、塀に邪魔をされ見えなかっただろうが、しっかり普通の男の背丈をしている。 それに家は全て平屋。 時々見え隠れはするが、木の上から男の歩く方向を見ることが出来る。
やはり警戒しているのだろう、必要以上に曲がってばかりしている。

その男に小路から出てきた男が接触してきた。 男が辺りを見まわすと、先に立って小路を歩き一軒の家に入った。 後ろを歩いていた男も後について家に入って行く。
暫く見ていたが家のどこからも出てくる気配がない。 最初のように塀をよじ登って出てくる様子も見受けられない。

どこかから「だああーーー」とか「がぁぁぁー」等と叫んでいる声がする。 その間を縫うように色んな音が響いている。

「あの家に決定か」

と、木を降りようとした時に、数人の武官が下を走り抜けて行った。

「うん? 今の人を追ってんのかな?」

走り抜けた武官たちは、紫揺を送ってきた武官が身に付けていたような軽装ではあるが武装ではなく、革の鎧を身に付けている。

「そんなわけないか。 それなら俤として動くわけないもんね。 何があったか知らないけど、革と言っても鎧だもんね、重たいだろうな。 ご苦労様」

最後に下りた枝から地面に下りたつと、男達が入って行った家に走って向かった。


芯直と絨礼が紫揺の消えて行った方に走ったが、男の姿も紫揺の姿も消えていた。 あちこち走り回ったが、どこにも二人の姿を見ることは出来なかった。
そのうちに何故か武官が前から走って来たり後ろから走って来たり、出合頭でぶつかったりとしていた。
この小路を出たのかもしれないと、小路を出ると何故か叫びながら武官がどぶ板を剥がしていて、剥がされたどぶ板は延々と続いていた。 ほかにも草地を棒で突いていたり、枝を打ったりしている武官の姿が見られた。

「何かあったのかな?」

「さぁー、ネズミかイタチ探しかなぁ」

芯直たちが武官の姿を目にしたということは杠も目にする。 マツリは杉山に行っていて目にすることは無い。

「あの? いかがされました?」

あちこちに置いてある雑多な物を手にするとポイポイと投げ、まるでアリでも探しているかのような黄翼軍の武官に声をかけた。

「あ! いえ、何でもありません」

杠の立場がマツリ付きの官吏であることは知っている。 絶対に知られてはならない。
驚いた顔を一瞬向けたが平静を装っている。 ・・・だが声が緊張していて目が泳いでいる。

何でもあるだろう。 絶対。

「何かお探し物では?」

「いいえっ、探してなどっ! おりません!」

探してるよな、完全に。
大切な書簡か何かだろうか。 そう言えば宮都の馬が急いで厩に向かって行ったのを目にした。 三頭。 だが乗り手は二人だった。 ということは、書簡なりなんなりを落とした一人が下馬し先に探していたのだろうか。
だがそれにしても範囲が広すぎる。 イタチか何かが咥えて走った可能性を考えているのだろうか。

「お手伝いをいたしましょうか?」

「けけけ、決して! そのようなことはお気になさらずっ!」

そうか。 これ以上言うと武官の矜持に関わってくるのかもしれない。

「あ・・・それでは、失礼いたしました」

「はっ! お気遣い感謝いたします!」

マツリ付の官吏である杠には決して言えることではない。 向きを変えた武官がまたポイポイと始めた。
それを肩越しに見た杠。 きちんと元に戻せよ、と心の中で呟いた。


紫揺が家の前に立った。 登っていた木を振り仰ぐ。 紫揺の乗っていた枝が見える。 方向的にあっている。 間違いない、この家だ。

「さて、どうしよう」

家の間取りも分からなければ、どこにいるかも分からない。

「とにかく入ってみよっか」

家の中にでは無い、塀で囲われた敷地の中にである。
ある程度を把握しようと家の周りをグルリと回ろうと思っていたが、裏庭に出ると裏庭に面している木戸が閉められている。

「まだ夜でもないのに・・・」

それに窓を開けていないと蒸し暑いだろう。
濡れ縁に手を着きそっと木戸に近寄り耳を寄せると人の声がするが、何を喋っているのかは聞き取れない。
しゃがみ込んで下を覗くと紫揺一人なら匍匐前進ならず、腕立て前進で入ることのできる床下の高さ。

「蜘蛛の巣とかに引っかかったらヤだな・・・」

言いながらも匍匐前進ではなく、腕立て前進で進んで行く。 服を汚す気はない、体は地につけていない。

声が段々と明瞭に聞こえてきた。 木戸のあった部屋にいるようだが、木戸に耳を付けられては困ると思ったのだろう、木戸の反対側に寄って話しているようだ。
あちこちから叫び声や物をひっくり返す音が邪魔をするが、声に集中して会話に耳を寄せる。

「それで? 集まりはどうだ」

「上々。 とは言っても、興味半分マツリのヤツへの当てつけ半分」

「興味って・・・基本がなってねーか」

「此処は六都だぜ? 誰が本領領主になろうが知ったこっちゃねーって思うだろう」

(え? どういう事?)

「今日あたり柴咲(しばさき)が来るだろう」

「そろそろってことか?」

「マツリがこの六都に居てる間にって言ってたからな」

「他の都は?」

「宮都には呉甚(ごじん)がいる。 他の都・・・と言っても、一都から八都までだ。 数の差こそあれ、それぞれの都でまとめ役がいる」

「他の都は?」

「最初っから頭数に入れてないままだ。 離れ過ぎてるからな。 辺境もだ」

「本当に・・・金印を手にした者が領主になれるんだな?」

「正確には金狼印、だがな。 ああ、そうだ、それが本領領主の証。 初代本領領主が己の力で作った証」

(きんろういん? 初代本領領主が・・・。 五色の力で作ったのかな)

「まだ手にしていないんだろう、どこにあるのか分かってるのか?」

「あちこち探しているらしい。 現段階で見つかっているに越したことは無いがな。 だが宮を制圧すれば探し放題だ」

「集めた人数でいけるのか?」

「多数の武官がこの六都に集まっている。 宮に残ってる武官は今までになく少ない。 宮都でのまとめ役が動き出したはずだ」

(剛度さんの奥さんが言ってたことって・・・)


「こんなもんか? いっぺん乗ってみてくれ」

世洲が手すり付きの階段を昇ると、横に付いていた馬に難なく乗れた。

「どうだい?」

「安定していて乗りやすいです」

「どっか具合の悪いとことか、変えてほしいとことかってないか?」

「充分です。 前は手すりがありませんでしたから、ちょっと恐々だったんですけど、そんなこともなく」

「けっ、マツリサマに言っといたのによ、いくらでも変えるって」

「ええ、マツリ様から聞いておりました。 ですがあの時はあれで十分でしたので」

驚いたように目を輝かせている世洲であった。
これで各学び舎に台が揃った。

自警の群の初日、護身などを習いに学び舎に行くと、丁度世洲が馬に乗るところだった。 馬に乗り終えた世洲のあとを、子供たちが重そうにして階段の台を運んでいる姿を見た。 だが決して無理やりやらされているのではない。 それは見ていてすぐに分かった。
『ごめんなさいね、いつも有難う。 怪我をしないように気を付けて下さいね』 と世洲が言えば、子供たちがニコリと笑い順番に持つ手をかわっていた。
『一つは厩に置いてあるんです。 世洲はあと二か所の学び舎をまわります』 杠が言った。
マツリがあと二つ欲しいと言った意味が分かった。
『ですからこの一つを子たちが運んでくれているんです。 誰かに何かをすれば、その何かが己に返ってくると言いますが、世洲が思いやりというものを教えた子たちが、世洲に思いやりを返しているんでしょうね』

目の前の様子に微笑ませてもらった。
それじゃあ、俺たちも微笑ませてくれた子たちに返すか。 お役を取り上げることになっちまうが。

「それじゃあ、これでいいか?」

「はい」

「じゃ、あと三つ、すぐに作るから」

「誠に有難うございます。 いつも子たちが運んでくれているんですが、いつ怪我をするか心配でして有難いことで御座います」

金なんかより・・・ずっといい。

「馬、ちゃんとここに止まるんだぞ」

馬首をポンポンと叩いて二つ目に取り掛かることにした。


紫揺と男を探すのを断念した芯直と絨礼。

「ねぇ、さっきのおねーさんのことどうする?」

「オレ、ついうっかり俤って言っちまった・・・」

「うん、官吏の服を着てたのにね。 おねーさんも官吏って言ってたし」

「うう・・・言わないでくれ」

「でもそうなんだよね、朧が俤って言ったのに、あのおねーさん、杠って言ってたろ?」

「え?」

「杠に言っといてって」

「え? そうだっけ?」

「言いに行こうか。 迎えに来てって言ってたし」

あの時、紫揺に食って掛かっていたのは絨礼だったというのに、紫揺の言っていたことをしっかりと聞いていたようだ。
芯直が頷くと二人で走り出した。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辰刻の雫 ~蒼い月~  第159回

2023年04月21日 21時01分11秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第150回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第159回



激しいほどの襲歩にはならなかったがかなりの速度で走り切った。
あまりにも武官がトロく馬を走らせていた。 紫揺からしてみればちんたら、ちんたら歩かせている程度でしかない。

『あの? これで着くんですか?』

『遅くはなりますが』

『最初に言いました、武官さんの歩で進めてくださいと』

『ですが・・・』

『えっと、女人だと思って甘く見てません?』

『は?』

そうだった、女人でしたね。 坊と見ていました。

『これからどっちの方向ですか?』

聞いてどうするのだろうかと、あちら方向ですとゆるゆると指で先を示す。

『分かりました』

言った途端、紫揺の乗っていた馬が走り出した。
武官二人がギョッとして拍車を入れたのだった。



見つかってしまったか。 仕方がないまだ昼にもなっていないのだから。
宮内を出る門を潜ると、その男が一部に印象を残す顔で曇天を仰いだ。
今日もまだ暑苦しい。

せっかく地下と繋がっていたのに、その地下があんな風になってしまった。 扱いやすい城家主だったというのに。 だがあれは商人から相当に不興を買っただろう、信頼を落としただろう。
地下の者に商人が移動する行程を何度も流した。 商人の移動行程は宮都でしか扱われない。 その行程で地下の者に襲われていたのだ、宮都の信用はがた落ち。 宮都の信用、それは四方の信用に繋がる。
宮都の民もそこそこ抱え込んでいる。 隠しておいた我が筋の五色が一声上げれば、民も四方から背離するだろう。 紛う事なき六代目本領領主になるべき血筋だったのだから。

家を潰された。 歴史ある家を。 六代目本領領主の妹の家系。 連綿と続くその家系を潰された。
一人で五色を持つ者にとらわれることなく、本領領主となった六代目領主。 その領主に潰された。

『其の権限を削ぐ』

『何故に!』

『其の血筋・・・領主の座を狙っておろう。 その筋、争いを起こすだけにある』

領主の血筋は一人で五色の力を持つ者が領主の座に着いていたが、六代目で五色の力を捨てていた。 五色の力があろうとも、本領と東西南北の領土を統率できなくてはただのボンクラでしかない。
だが己らは・・・五色の血筋は連綿と続いている。 己らは六代目本領領主の妹の血筋、五色だった。 本来なら己らの筋が領主となっていたはず。
本領領主は五色の血筋で守るもの。

「時がかかった・・・」

かかり過ぎた。
たしかにあの頃の五色は六代目にはなりえないどころか、五色としての力もあまり無かったと聞いている。
それどころかその周りもボンクラ。 己が立ち上がるまで誰も何もしなかった。 代々クソ文句を垂らしているだけだった。
あと少しで四方を追い落とす。 マツリにまで時を伸ばす気はない。 それにマツリが宮都を空けている時が動きやすい。
実際マツリが宮都を空けだしてからマツリ自身の本領内の見回りが少ない。 以前に比べると活発に動けている。 他の都も抱え込みやすくなった。

「我らの血筋を復興させる時が近い・・・」

男が頭を下げた。
長かった。 あまりにも長すぎた。 閉じられた扉があと少しで目の前で開こうとしている。

前から文官が歩いてくる。

「事を起こす前にマツリの様子を見てくる」

心に沁みるような声ですれ違いざまに言った。


「いったいどういうことですの!?」

千夜派が声を荒げて言う。

「はい? どういうこととは? 何のことで御座いましょう?」

「紫さまが来られていたではありませんか!」

「ああ。 はい、来られておりました。 皆さんも紫さまが四方様のお房から出てこられたのをご覧になりましたでしょう」

「お方様のお話しでは、菓子を出すこともなくご出立されたとのことっ!」

「ええ、紫さまがそれを望まれましたので。 ああ、そうでしたわ。 ご出立される前にはわたくしたちの作った菓子を美味しかったと言って頂きましたわ。 おほほほ」

「ぬ! 抜け駆けを!」

そりゃ、門番まで知っているだろう、というくらいに『菓子の禍乱』 は人目も憚らず続けられていた。



やっと宮都を出たらしい。 最初のトロいのが無ければもっと早くに抜けていたはずなのに。

「へぇー・・・宮都を出ると雰囲気が変わるんですね」

宮都の道は幅があった。 それにこんなに山を近くに見られなかった。

「ですからお願い致します。 大人し・・・ここではゆっくりと歩かせてくださいませ」

見張番の言っていたことがようやく分かった武官たちである。

「急に誰かが飛び出てきては避けきれませんので」

今は剛度の家に行った時のように両端に家が並んでいる。 でも道幅は全然違う。

「分かってます」

本当に分かっているのか?

「家がなくなるまでですよね?」

真髄は分かっていないようだ。
だが武官二人で考えた道は当たったようだ。 わざと人家のある道に来た。 常なら馬道と呼ばれる道を走り、人家のある道などには出てこない。
これでまだ走ると言ってしまわれては、人として救いようがないだろう。

「此処は三都に入ったところですので、六都に行けばまた雰囲気が変わります」

「三都・・・。 えっと、あといくつナントカ都を抜けるんですか?」

ナントカ都。 己らは武官である。 そしてナントカ都と言った相手は御内儀様になるかもしれない坊に見える女人。 溜息なんて吐けない。

「・・・三都を抜けると六都で御座います」

「あ、そうなんですね。 結構早く着くんだ」

そうでもないが今はそう思わせておこう。

「あー、イチジクの実が生ってる」

垣根から覗くイチジクの木は、東の領土では見ることのない懐かしい木であった。



マツリのことはあの男に任せて。 さて、陽があるうちに宮内には入れそうもないか。
あの男が一度忍び込んだが分からなかったと言っていた。 明るい内が探しやすいかと思ったが仕方がない、夜に忍び込むしかないか。

「呉甚(ごじん)殿」

男が下げていた顔を上げた。

「戸水工部長が探しておられましたよ」

「ああ、そうですか。 すぐに向かいます、有難うございます」

爽やかな笑顔で応えた。



昨日の夕方、新たな手を考えてやってきた芯直たち。
『官吏さーん、飴上げる』 と言って飴と一緒に小さくたたんだ文を渡された。
新たな手・・・ベタ過ぎる。
文には『よくわからない詰をききました 来てください』 と書かれていた。
“詰”。 ・・・多分 “話” だろう。 惜しい。

深夜、杠が芯直たちの長屋に訪れた。
遅すぎたのか、芯直と絨礼は寝てしまっていた。 それでも頑張ろうとしていたのだろう、布団に入ってはいなかった。

『悪かったな、遅くなった』

連日、京也から送られてくる杉山の男たちの対応に追われていた。

『起こしてもいいですけど、オレは聞いてます』

兄貴分である柳技が赤い目をしながら応える。

『では起こす前に弦月から聞こう。 それで分かれば十分、起こすことは必要ないだろう』


弦月である柳技が言うには、芯直と絨礼がほてほてと歩いていると、陰に入るようにした男たちが居たということだった。

『その男たちがけっきが近い、と言ってたそうなんです』

『決起?』

『何のけっきかは分からなかったみたいです。 ってか、けっきの意味が分からなかったみたいですから、話の中に何か思わすものがあったのかは分かりませんが、それを耳にしていないみたいです。 でも顔付きが剣呑だったから気になったと』

『他にそれらしいことを聞かなかったということか・・・』

『はい。 淡月と朧は』

杠が考えるようにして顎に手を当てる。
ここのところ杉山のことに囚われ過ぎていた。 別な所で決起を起こそうとしていたのか。

『俤・・・訊いてもいいですか?』

『あ、ああ』

『けっきってなんですか?』

同じ穴の狢だったようだ。
だが仕方のないこと。 懇切丁寧に教えた。

早朝。

『決起?』

『はい』

『面白い』

やめて欲しい、面白がらないで欲しい。 一日も早く六都を抑えて紫揺を迎えに行って欲しいのに。

『で? それはどのような者だ?』

『淡月と朧が寝てしまっていましたので人相などは訊けませんでした。 これから訊きに行きます』

『すぐに朧たちが捕まるか?』

夕べ頑張って起きていたようだ、朝からあちこちを走ってはいないだろう、そう言いかけた杠の口より先にマツリが口を開いた。

『急くことはない。 杠・・・』

『はい』

『急くことはない』

再度同じことを言われた。 念を押すかのように。

『・・・え?』

『杠は杠の妹を信ぜんか?』

まったくもって心の中を見透かされていたようだ。 ここで紫揺なら頭を抱えた所だろうが杠はそこまで間抜けではない。

『迂闊で御座いました。 先にマツリ様に我が妹の想いを取られるなどと』

『先にって・・・』

『紫揺は我のことを兄と慕い、その後にマツリ様を想い人と思ったので御座いますので』

『ふん、我は杠の次ということか』

『当たり前に御座います』

紫揺は想い人であるマツリを待つことが出来る。 想いに我が儘ではない。 それが我が妹であったのだった。


夕刻になり、ようやっと捉まえることが出来た芯直と絨礼。

「昨日は飴を馳走になったな」

普段は杠から声をかけられることなどない。 柳技からは杠に話しておいたと聞いている。

「美味しかった?」

ベタな接触が役に立ったようだ。

「人相は?」

声音静かに杠が問う。

「今、追っかけてる」

まだ声変りのしていない声で芯直が答える。

二人が走っていた先には男の背中が見える。 アイツか。

「今度は私からだ」

そう言うと二人に飴を渡し二人の頭を撫でてやる。

「追え」

微笑んで頭を撫でながら低い声で口を動かさず言う。
ちょっとコワイ。 でもそこに惹かれる芯直。
芯直と絨礼が走った。

「うん?」

あれは・・・杠? 遠くにいても分かる。 でも様子がおかしい。 男の子と話しているだけなのに、一瞬だったが地下に居た時のような雰囲気があった。
男の子の頭を順に撫でている。
隣りに並びたい。 杠にヨシヨシされたい、その気持ちをグッと堪える。
男の子が走り出すと周りの気を窺うように寸の間止まっていた。 そして何事もなかったように歩いて行く。

(あ、そっか。 裏のお仕事ナウか)

官吏としてではなくマツリの手足としての。
そうなら走って行った男の子が気になる。 誰だろう。 それも二人。

「ここってもう六都ですか?」

マツリと杠は同じ所に居るはず。

「あ、はい」

どうして分かったのだろうか。

「あの先の道を右に曲がるとこの塀の向こうと繋がりますか?」

ずっと先の道を指さし、それから右の塀を指さした。 ずっと先の道を男の子が右に曲がって走って行った。

「あ・・・どうでしょうか。 知ってるか?」

黄に染めている皮の鎧を着た武官が朱に染めている皮の鎧を着た武官に訊く。 軽装の皮の鎧である。

「いえ知りませんが、大抵の都の造りを考えると繋がるとは思いますが」

紫揺が口の端を上げた。
武官が「いっ!」っと声を上げる。 ここに着くまでに散々やってくれていたのだから。
急に走り出したのを切っ掛けに、隙を見ると馬を走らせ、水場を通り過ぎようとした時には「ちょっと足だけでも浸けさせてください」と言って急に馬首を変えたり「美味しそう」と言って鞍の上に立ち上がり木の実に手を伸ばす始末。 その他諸々。
木に成る梨をもぎ取った時には「武官さんも、はい」とお裾分けを頂いたが。

「お、お前! なに要らない事っ」

「訊いてきたのはそっちだろがっ」

小声で小競り合っているが紫揺には馬耳東風。

「じゃ、ここまででいいです」

「は?」

武官の声のハミングは低い。

「六都に着いたんですからここまでで」

紫揺が武官の馬に寄せる。

「な、何を仰いますか! 六都だからこそ―――」

「手綱お願いします」

「あ、はい」

うっかり手を出してしまった武官。

「あ? え?」

「マツリの居るところに馬を置いといてください」

鞍の上に立ち上がると、塀の向こうから生えてきている木の枝に飛び移った。 蹴上がりで枝に立つと、そのまま木を移動していく。
呆気にとられた武官二人、紫揺の名を叫ぶことも出来なかった。 やっと我に戻った時には紫揺の影も形も見えない。

「ばっ! お前! なんで手綱を受け取った!」

「あ・・・いや、つい。 って、言い合ってる暇ねーだろ」

二人が紫揺の指さしていた道に馬を走らせた。

木の枝を渡って塀の向こう側に移った紫揺。 どうもここは人の家の裏庭のようだ。 枝から跳び下りるとそそくさとその場をあとにする。
家並みを抜け小路に入り大きな道に顔を出すと、さっきの男の子たちがこちらに走って来ている。 すっと角に身を隠す。
少しでも早くマツリの顔を見ておムネを大きくしたいが、こちらにも興味がある。 迷子になるようだったら、あの子たちに杠の居所を訊けばいいこと。 イコール、あの子たちからはぐれてはならないということ。

「あ、剛度さんの奥さんからの伝言も早く伝えなきゃいけないか・・・」

衣を借りに行った時、剛度の女房からマツリ宛に伝言を預かっていた。 それはちょっと剣呑気味なお話しだった。

「でもま、予定より随分と早く着いたんだからいいか」

角から顔を出し男の子たちの様子を見ていると、前に歩いている男のあとを尾行しているようだ。

「ふーん、あの人の何かを探ってるのかな・・・」

でも杠は一人であるはずだ。 マツリの手足となっているのは杠一人、杠からそう聞いている。 ではあの男の子たちは何なのだろう。
男の子たちを抜いて武官が馬をぶっちぎって走らせてきた。

「やば」

今は見つかりたくない、 そのまま身を隠していると武官たちが通り過ぎて行った。 僅かに耳にしたのは幻聴だろうか。

「お前が手綱を預かったからだろーが! このクソッ!」

「なに言ってやがる! その前にお前が塀のことを言ったからだろーが! クソ垂れてんじゃないわっ!」

とても紳士的に接してくれていた武官たちが、あんな雑言を言うはずがないのだから。

男が道から外れ曲がった、そして紫揺の隠れている前を通りすぎる。 途端、身を隠すように塀をよじ登って向こう側に行った。
男の後を追って来た男の子たちがキョロキョロとしているが、男を見失ったようだ。
男も男の子たちも紫揺の存在に気付いていない。
紫揺の存在薄し。

「・・・どこに行った?」

小声で話している。

紫揺が背伸びをして低い塀の中を見ると男がどんどん歩いて行っている。 進行方向は分かった。

「何してるの?」

紫揺が芯直たちに声をかけた。
芯直と絨礼が跳び上がる。

「・・・あ」

自分達よりは高いようだがそんなに極端に変わらない背丈。 そして不思議に額にはキレイな紫色の飾り石を付けている。

「今の男の人・・・男を追ってるの?」

「え・・・」

二人の反応で分かった。 杠が釣りあげた使い走り・・・かもしれないと

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辰刻の雫 ~蒼い月~  第158回

2023年04月17日 21時12分25秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第150回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第158回



先程、景色の良い所を二人で見に行けば良いと言ったのに、紫揺はそれに是と言わなかった。 ましてやそんな所があるのなら一人で見に行くと。
紫揺の心が決まっているのかどうかは、まだ分からないのだから推しまくらなければ。

(あら? それならどうしてマツリに逢いに来たのかしら? 五色の力のことを訊きに来たのかしら? だから急いでいるのかしら?)

そう思うとシキでもいいはずなのだが。 それともシキから聞いた暮夜の話に繋がるのだろうか。

「紫? とてもよく似合っているわね」

額の煌輪のことだ。
宮に入る前に外そうと思ったがお座布を持ってきていない。 粗末に扱うことも出来なく、額に着けたままであった。

「有難うございます。 職人が作ってくれました」

「そう。 紫は飾り物を付けないから好きでは無いと思っていたのだけれど。 そうではないのだったら贈らせてもらえるかしら?」

「あ、いえ、これはそういうものではなくて。 紫の力を抑えてくれるもので特別な石なんです。 また倒れることがないようにって、マツリが出掛ける時には必ずしておくようにって言ったんです。 だから着けてるだけで飾りではないんです」

何気にやんわりと贈り物をお断りする。 東の領土の職人にも作ってもらったのがこれ一つだというのに、本領から頂いたとなれば職人にとっては気のいい話ではないだろう。

「まぁ」

マツリの言うことをきいているというだけで嬉しかったが、力の事と言われれば全く分からない。 澪引が四方を見る。 すると四方が腕を組んで眉根を寄せている。

「四方様? どうなさいました?」

澪引が四方に問うが、四方の眉間の皺は緩むことがない。
紫揺がどういうことだと両の眉を上げる。

「力を抑える為と?」

「はい」

「倒れたと言ったか」

「はい」

「先刻、紫が宮に留まった折か」

マツリからそう聞いている。 だがそんな理由があったとは聞いていなかった。

「はい。 その節は長々とお世話になりました」

ただ飯は勿論のこと、ただ菓子を沢山いただいた。

「マツリから何もかも教えてもらったのか」

いま紫揺が言ったことを詳しく説明されずとも、何を言っていたのかは大よそ見当がつく。

「はい。 お話しも出来ましたし、何度も導いて頂きました」

多分、四方は何もかも分かっているのだろう、マツリがそうであったように。 だからこの返事でいいであろう。

「その後は倒れるようなことは無いか」

「はい、窮地には・・・取り乱しそうになった時には必ず額の煌輪が導いてくれています」

「その石の主は分かっておるのだな」

「マツリによるとこの石はもう一つの石に共鳴しているそうです。 そのもう一つの石とお話しができました。 主は初代東の領土の紫です」

初代東の領土の紫。 一人で五色を持つ者。 その力は初代本領領主、一人で五色を持つ者に匹敵するほどの力があったと書に残されている。
四方が深い息を吐いた。

「全く・・・」

マツリから紫揺が紫の力を持っているとは聞いていた。 紫の色の力を。 それだけでも驚くことだというのに、それだけではなかったようだ。 どれだけ秘められた力があるのか。 彼の地で生まれ育ったというのに・・・。
それにしてもそんな話をマツリから聞いていない。 報告をしなかったということは、この事を五色のことと判断しなかったのだろうか。 マツリの想い人としての一つの出来事としての判断だったのか、いやそれとも五色の全てをも自分の仕事の枠に入れているのだろうか。

「マツリはその力を何と言っておった」

マツリが言った紫揺の力の事。 先の遠い話だったらなくはない。 でもいま四方が訊いているのは遠い話ではないだろう。

「え? ・・・えっと・・・特には言ってなかったと思います。 記憶にありませんから」

『我と紫の間にはどんなややが出来るのか、空恐ろしくなってきたわ』 そんな先の遠い話はしていたが、今は関係ないだろう。

四方が腕組みを解き前屈みになると肘をついた。 その掌に額を置く。
紫揺にそこまでの力があるとは思わなかった。 そこまでどころではない、もう永世現れないと思っていた。
その力がこの紫揺に・・・。

「四方様? 如何なされました?」

こんな四方を見るのはカジャのこと以来か。 いや、あの時とは違う気がする。
四方を心配する澪引を置いて紫揺が口を開く。

「えっと・・・、着替えてきてもいいでしょうか?」

「はあ!?」

大音量で言いながら四方が顔を上げ紫揺を見た。

「あ、この衣・・・衣裳じゃ目立ちますから、剛度さんに衣裳を借りてきましたのでそれに着替えたいかと?」

(語尾を上げるなっ!)

「剛度が?」

「はい、地下に入った時にも衣装をお借りしました」

「民の衣ではないか」

あれ? 衣裳じゃなくて衣で良かったのか?

「たしかに宮の衣装で六都に行くのは考えものだが、だからと言って五色が民の衣を着てどうする。 こちらで用意する」

「あ、そこまでお世話になれませんから。 剛度さんに借りた衣で行きます。 では御許可に感謝いたします」

立ち上がり「失礼します」と言って頭を下げると、澪引が止める間もなくとっとこ部屋を出て行った。

(有り得ない・・・。 下がれと言った覚えはない)

ついていた肘。 いつの間にか掌を拳に結んでいた。 ゴン! という音を響かせて額を拳の上に置いてしまった。
痛い・・・。

「四方様、何をなさっておいでですか・・・」


四方の部屋から出てきた紫揺。 ずんずんと歩いていき末端に座る “最高か” と “庭の世話か” の前にしゃがみ大門の前で世和歌が門番から受け取っていた荷物を指差す。 剛度の女房から受け取っていたものだ。

「それに着替えたいんですけど着替えるところってありますか?」


額の痛みから立ち直った四方。 額が赤い。

「澪引、さきほど其方と紫が話している時に気付いたのだが」

何をでしょう? という顔をして少し顔を傾ける。
己もそうだったが、父親であるご隠居も澪引の可憐さに、美しさに、妍麗さに、艶麗さに・・・言い尽くせないほどの澪引。 その澪引の頬に朱がさしている。

「身体の具合が良くなってきておらんか?」

『わたくしはこの身体で御座います』 そう言った時になにやら、と気づいた。 リツソが攫われた時には薬を拒否し、食も進まなくどんどん顔色も悪くなっていたが、ここ最近では寝込むことがなくなっていた、と。

「あ・・・」

身体がだるくなるようなこともなければ眩暈も何もない。 いつからだったのだろうか。
自分の腕を見てさすると、ゆっくりと四方を見る。

「それに・・・」

澪引の目に応えるように四方が続ける。

「過ぎるほど元気になっておらんか?」

過ぎるほど元気、それは先程の澪引に対しての嫌味としか受け取れない。
澪引の目が半眼になった。


着替え終わった紫揺が大門に行くと軽装ではあるが武装した武官が二人、馬の手綱を持って待っていた。
その横には瑞樹が毛艶のいい馬の手綱を持っている。 そしてその横に百藻が居る。 楽しい二人がニヤニヤしながら後ろに控えている。
紫揺は客人である、他の門からは潜らせられない。 大門から出させなくてはならない。

尾能が武官長の部屋を訪ね「マツリ様の御内儀様になる方かもしれません、万全を持ってお守りできる武官を」と言った。
御内儀様。 それは尾能一人の判断であったが間違いはない筈。

『そのような方にたった二人で?』

一人の武官長が眉根を寄せて問い返した。

『四方様がそう仰られました』

『・・・承知しました。 即刻、厳選いたします』

その厳選された二人がいま紫揺の目の前にいる。
武官は今マツリの要請でてんでバラバラになってしまっている。 残っている武官の中で精鋭を考えるとこの二人になるだろう。 皮衣はそれぞれ朱と黄に染められている。 朱翼群と黄翼軍からの二人であった。

武官二人はここで待っているようにと言われたが、現れたのは女官に連れられた坊。

「紫さまに御座います」

彩楓が言った。

「はっ?」

思わず辺りを見渡す。 だが女官を従わせているのは・・・坊・・・しかいない。 それも民の衣を着て、その衣に似つかわしくない飾り石を額にのせて。
守る対象はマツリの御内儀になるかもしれない、東の領土の五色の紫さまだと聞いている。

「あの?」

「こちらが紫さまに御座います」

紫揺がペコリンと頭を下げる。

「紫さま、下げられませんよう」

頭を下げるなということだ。 ここでも言われてしまった。

「くれぐれも・・・いえ、指先にさえ一つの傷を負わすことが無いよう、お願いを致します」

こ、この坊が・・・マツリ様の御内儀になるかもしれない五色? 東の領土の? この坊が?

五色の力を持つ者は女である。 だがそれを知っているのは五色自身と、五色のことを知っている者だけ。 武官などそんなことは知らない。 だから坊だと思っても仕方がない。

そして、マツリ様には・・・そっちの趣味があったのか?

「えーっと・・・。 この童・・・で?」

「なんということを仰いますか! 童女では御座いませんっ、ましてや童などと! れっきとした女人で御座います!」

“最高か” と “庭の世話か” が武官ににじり寄る勢いで睨みつけた。
れっきとした・・・こんな時に使われては褒められた気がしない。

女人? 全く以って女人には見えない。 だが童ではないようだ、そっちの気は無かったようだが、女人と言われても女人には見えない。
マツリ様・・・あっちの気があったのか?
そっちもあっちも全然そんな様子を見せていなかったのに・・・そうだったのか?

そっちとかあっちとか、色々考えている武官二人の脳みそが空の彼方に飛んでいきかけた時。

「お仕事が忙しい中、ご迷惑をおかけします。 道案内をお願いします」

喋った、と思った武官二人が思わず頭を下げる。

「えっと・・・すみませんが六都? マツリの居るところまでお願いします」

頭を下げていた武官二人が目を見開いた。 マツリ様のことをマツリという。

―――有り得ない。

御内儀になるからと言っても有り得ない。 ましてやこの坊が。 あ、いやいや坊ではなかったのだ。 多分女人だったのだ。
だが突っ込むことも出来ない。

「紫さま、お乗りになるのはこの馬です」

瑞樹が手綱を曳いて紫揺の前に出してきた。 月毛の馬であった。

「わっ、きれい・・・」

それに骨格がいい、その骨格に筋肉のつきは極上、毛艶も文句なしにいい。 さすがは宮の馬。 ってことは・・・武官の馬なのだろうか。

「天馬とは雲泥ですぜ」

楽しい二人の内の一人が言う。

「ですね。 天馬はよく走ってくれましたけど、この仔は・・・分かってくれるみたいです。 お転婆と一緒」

「は? おてんば?」

馬の首を撫でていた紫揺が楽しい二人の内の一人を見る。

「東の領土の愛馬です。 その仔と同じくらい分かってくれるかもしれません。 あ、でもお転婆ほどじゃないかな?」

戦争などはないが武官の馬であるのだから、いわゆる軍馬である。 そうそう気まぐれに付き合うことは無い。 だが紫揺が騎乗するとそれも揺さぶられるだろう。

「ほぅー、では? 襲歩をされると?」

未だに頭を下げている武官二人が聞き捨てならない言葉を耳にした。

「武官さんがされたらついて行きます」

「先頭を切るのではなく?」

武官が僅かに頭を上げる。

「おい、いい加減にしろ」

思わず百藻が間に入ってきた。

「何でだよ、武官様に聞こえるようにご注意を申し上げてるだけだろ」

先程から聞いていれば、この坊に見える女人らしい坊・・・いや、女人。 それがマツリの御内儀になるという。 まるで迷路に入った気分だったが、多分出られただろう。
目の前にいる坊がマツリの御内儀になる予定の女人。 武官の矜持にかけて・・・いや、矜持に掛けるほどもないだろう。 マツリの御内儀になるかもしれないという、坊に見える女人をマツリの元に送り届けるだけなのだから。

「四方様は武官さんなら今日中に六都に着けると仰っていました。 武官さんの歩で進めてください」

「武官様? あんまりノロノロ走ってたら、紫さま一人で走っちまいますぜ」

「そうそ、よくよくご注意ですぜ。 紫さまの僅かの目の動きも捕らえ損ねるようなことが無いように」

馬を寄せて紫揺に競争のことを言った時、紫揺の目の奥の輝きを見た。 そしてそれは間違いなかった。
顔を上げた武官が「進言、心得た」という。
楽しい二人が目を三日月にする。 分かってねーな、という風に。

「なんですか、それ。 負けたのは見張番さんですからね」

ぶちぶちと文句を言いながらも馬上の人となり、鐙を合わせ腹帯を締め直す。
あっという間に一人で騎乗し、何もかもを一人でする紫揺に驚きながらも武官が騎乗する。

「お気をつけて。 ・・・武官様」

楽しい二人が紫揺にではなく武官に声をかけた。 ましてや “お気をつけて” などと聞き逃せないコトバ。

「どういう意味ですか」

まるで今の言いようでは、紫揺が悪魔のような存在ではないか。

「そういう意味です」

紫揺の心の中を知ってか知らずか、そんな返事をした楽しい二人と紫揺の会話の間に百藻が入る。

「武官殿、くれぐれも紫さまをお願い致します。 一瞬たりとも紫さまから目をお離しになりませんよう」

百藻まで・・・。 何故そんなことを言うのか。

「ちょっと競争をしただけなのにぃ」

「ちょっとでは御座いません。 それにそれだけでは無いでしょう、次期東の領主とのお話を肝に銘じて頂きますよう」

大人しくする。 紫揺なりに、ではあったが、それだけでも・・・あ、いや、そう言った後にすぐ競争をしていたのだった。

秋我が言ったことを念押しして言おう。

「人の天秤と同じにしていただきますよう」

『紫さまの大人しいは、人と天秤が違うのをご存知ですか?』

天秤と言われたら秋我の言葉だと分かる。

「・・・私のことを狂犬みたいに言わないで下さい」

狂犬・・・? いや、暴走馬の間違いだろう。
武官二人が目を見合わせた。 ・・・どういう意味だろうかと。


一人の文官が歩いていた。

「おや? こちらに何用か?」

ここは宮内。 前を歩いていた文官の腰にある帯門標を下げる部署の文官が来ることのない所、それ以前に来てはいけない所。 四方が宮内に設置した文官の仕事場には、一定の帯門標を下げる文官しか入ることが許されていない。

「ついでがありましたので式部省からの書簡を預かりお届けに」

「ああ、そうですか移動書ですか。 承りましょう」

文官が手を差し出すと書簡を文官の手に乗せる。

「お願い致します」

「承りました。 ですがそちらの帯門標の文官はもうこちらには来られませんように。 式部省の方にもそうお伝えし今後はついでとはいえ、お断りになられるよう」

「承知いたしました」

苦言を意ともせず文官が頭を下げると歩を返して戻って行った。

「宮内に・・・意図がないとはいえ、他の部署の文官が簡単に出入り出来るとは・・・」

宮内に入る門を糺(ただ)さなくてはいけない。
書簡を受け取った文官が仕事部屋に入っていった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辰刻の雫 ~蒼い月~  第157回

2023年04月14日 21時00分35秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第150回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第157回



尾能の微笑みに、どういうことだ? と疑問を持ち紫揺が小首を傾げたが、続けられた尾能の言葉は紫揺の心を軽くするものだった。 だがそれは一瞬だけのことだったが。

「四方様には紫さまからお話がおありになりますとお伝えいたしました。 思いのままをお話しされればよろしいかと」

「はい」

尾能は四方の側付き。 その側付きがそういうのなら安心して言いたいことを言える。

「マツリ様はマツリ様の想いのたけのみをお話しされております」

“マツリの想いのたけのみ”?  “マツリのだけ”? それはどういうことだ。 何のことだ。

「あの・・・」

「紫さまのお気持ちをお話しされればよろしいかと」

(気持ち?)

武官を出して欲しいとか馬を貸して欲しいとか・・・。 いや、尾能は何か分かっているような顔をしている。 だがいくら何でもよく分かっている尾能とはいえ、紫揺がマツリ会いに来た、だから馬を貸してほしいなどと考えていることが分かるはずはない。 それにその理由がおムネを大きくする為などということも知るはずはない。 第一に気になる言葉を尾能は言った。 “マツリの想いのたけのみ” と。
ってことは、マツリは紫揺の返事を四方に言っていないということなのだろうか。

―――何故だ。

「分かりました。 有難うございます」

(クッソ、むかつくマツリ。 自分のことだけ言ってんじゃないっての! ・・・ん? でも何で尾能さんがそんなことを言うのかな?)

尾能を見ようとしたがすぐに襖が開けられ、つい中に入ってしまった。

「何用か」

卓の前に座る四方が訊く。

(おっさん、挨拶も無しかい!)

だがその方が紫揺にとっては気が楽である。
尾能が椅子を引き紫揺を座らせる。

「この本領を歩き回る許可を頂きたく。 そして岩山から乗ってきた見張番の馬をお借りしたく。 その二点のご許可を頂きに参りました」

よくよく考えると天馬でいいじゃないか。 わざわざ宮の馬を借りて四方に借りを増やすこともない。

「見張番から紫に武官を付けてほしいと聞いたが?」

紫揺が眉を上げる。

「剛度さんがどう考えて言ったのかは知りませんが、私はこの本領の地理を知りません。 武官さんでなくともいいんですが、道案内をして下されば私としては願ったりです」

馬鹿正直に剛度と取引をしたなどと言わなくてもいいだろう。

「何をしようとしておる」

「え?」

葉月指導の元、おムネを大きくしようとしているだけですけど? などとは言えない。

「何か目的があって本領に来たのだろう」

「はい。 マツリに会いにです」

そしておムネを大きくするためにです。

「マツリに何用か」

「マツリはいつでも会いに来ていいと言っていました」

マツリが言ったのは杠に会いたければ、だったが、都合の悪い所は言わなくていいだろう。 しっかりと杠にも会いたいが、どうやら葉月の説明では杠ではおムネが大きくならないらしい。

『あ、杠兄様は違うからね。 特に杠兄様では完全に女性ホルモンは出ないから。 マツリ様のみ。 ご注意あれ』 と、領主の家に向かいながら言ったのだった。

秒針があれば十秒ほど経っただろうか、無言の時が過ぎた。

「マツリから紫を奥にしたいと聞いておるが」

「私もそう聞きました」

可笑しな返答に四方が眉を顰める。

「それはどういう意味だ」

「私も聞いたということです。 そこから先をマツリが四方様に話していないのなら、私が勝手に言うわけにはいきませんので」

(さすがにマツリと罵倒しあうだけの根性を持っているようだ。 わしを前にしてこの言い草)

尾能がおや? っと言うように眉を上げた。 四方に訊かれればてっきり紫揺の気持ちを言うのかと思っていた。
その尾能はマツリから何かを聞いたわけではない。 だがマツリの表情を見ていれば分かることであるし、以前やって来た紫揺を見ていても分かることである。 それにこうやって紫揺はマツリに会いに来ているのだ、それが何よりものことだろう。

「その後のことはマツリから聞けということか」

「そんなエラそばって言ってるつもりはありませんけどそれが筋かと。 それとも四方様の権限で話せと仰るのであれば話しますけど?」

(“けど?” どうして尻上がり口調で言うのか。 それにわしに向かって “けど?” とはどういう言い草だ)

四方が大きなため息を吐いた。 言葉尻に難癖をつけるのもあまりにも本領領主として狭量が過ぎる。 常ならこんな時には尾能が戒飭(かいちょく)するはずだが、何故だか黙っている。

「よい、そんな話に権限も何もない。 マツリに会いに行ってどうする」

と、そこで回廊に何人もの足音が響いた。

「お方様、お待ちくださいませ!」

千夜の声がする、澪引が来たのだ。
四方が襖内に座っている尾能を見る。 尾能が頷き襖を開けるとすかさず澪引が入ってきた。

「紫!」

「澪引様」

立ち上がり礼をとる。

「どうしたの? 何かあったの?」

澪引が椅子に座りながら紫揺にも座るように促す。

「いいえ、なにも。 ただマツリに会いに来ただけです」

「まぁ! マツリに!?」

「今、マツリに会いに行ってどうすると訊いておったところだ」

澪引が冷たい視線を四方に送ると一言いう。

「黙っていて下さいませ」

「あ・・・?」

まさか、澪引がそんなことを言うなんて。 四方に二の句が出なかった。 襖内に座っている尾能も顎を出して目を大きく開いてしまっている。

「そう、マツリに逢いに行くのね」

そう言うと四方を見た。

「今マツリはどこに行っているのでしょう?」

「・・・」

「四方様、マツリは何処に居りますか?」

「黙っておれと言ったではないか」

すぐに拗ねる五十オーバーおっさん。 特に澪引とカジャのことに対しては昔からそうだった。 そして今では新しく天祐もメンバー入りとなっている。
澪引がさも情けないと言った具合に息を吐く。

「マツリは何処におりますか!?」

「紫と話している時の声音と違いすぎるのではないか?」

四方の受け答えを聞いた紫揺。 意外だった。 あの四方が、あの意地悪な四方が。
東の領主からは本領領主ともなれば、即決せねばならないこともある、それを冷たく感じるところもあるだろうとは聞いていた。
初めて四方と話をした時にそう領主から聞かされ、それが必要な場面とは分かっていた。 だがどちらかというと元々の性格だと思っていたのに・・・。 誤解だったのだろうか。

「いい加減になさいませっ、マツリは何処で御座いますかっ!」

プイッと四方が横を向く。

(え? おっさん、そこまでするの?)

「あ、あの、澪引様、四方様がお困りのようなので・・・」

「困っているのは紫でしょう?」

とまで言うと、尾能に振り返る。

「尾能、いまマツリは何処に居りますか?」

「六都に御座います」

「び! 尾能!!」

「六都・・・噂では良いとは聞きませんが?」

「はい。 紫さまお一人では不用心かと。 見張番からも武官を付けるようにと言われております」

それではマツリを宮に呼び戻せばいいと言いかけたが、そこまで話が進んでいたのか。

「あら? 見張番はマツリが六都に居ることを知っていたのかしら」

「申し訳御座いません、そこまでは存じ上げなく」

「何を勝手に話しておる」

二人が話している間に頬杖をつきだした四方。 今はかなり口を歪めている。

(うっわ、おっさん・・・お母さんに振り向いてもらえない子供じゃない。 それもかなり幼稚園児に近いし)

「第一誰が紫に六都に行っていいと言った」

澪引にではない、尾能に目を向けて言っている。

「四方様、紫がマツリに逢いに行くんです。 紫が宮を出て宜しい御座いますわね」

疑問符が付いていない。

「あ、出来れば見張番さんにお借りして、ここまで乗ってきた馬もお借りしたいんですが」

上手く入ってきやがった、という目をしてギロリと四方が紫揺を睨む。

「え? 馬車ではないの?」

「はい、馬車はあまり得意ではないので。 馬で」

馬車が得意ではないの意味は分からないが、馬車酔いでもするのだろうか。

「そ・・・そうなの? それじゃあ、馬の方も。 四方様よろしいですわね」

「宮を出て怪我でもしたらどうする」

「その為の武官では御座いませんの?」

一人でも大丈夫ですけど、と言いたかったが、剛度との交換条件で服を借りてきたのだから言えるものではないし、まず道が分からない。

「あの、四方様。 宮を出る許可と見張番さんの馬を貸して頂けますか?」

「・・・怪我をしたらどうする」

「しません」

「紫は東の領土からの預かりとなる。 迂闊に宮の外に出すわけにはいかん」

「地下に行きましたけど? それも二回目は四方様の命令で。 その六都っていうのは地下ほどじゃないんですよね?」

(“行きましたけど?” だからどうしてそこで言葉尻を上げる!)

「武官が付いているのでしたら宜しいでしょう? ね、四方様? わたくしからもお願い致します」

さっきまでと全く違う声音で言うとそっと四方の頬杖に手を伸ばし、お行儀の悪さを正すように手を下ろさせた。

「そ・・・其方がそれほどまでに言うのであれば」

ブツブツと尖らせた口の中で言う。
なんじゃそりゃ!? と紫揺一人が思うだけではなかっただろう。 ここに “最高か” や “庭の世話か” 従者にしてもそうだ、きっと・・・いや絶対、同じことを思っただろう。
ただ一人・・・いや、ただ一派閥だけは思わない派閥はあるだろうが。 『さすがはお方様』 と言って千夜派は拍手をして大きく頷いただろう。

「では宮を出て、見張番の馬を使っても宜しいのですのね?」

四方が元の顔に戻って紫揺を見る。

「許す、が、その前に一つ訊く」

「はい」

「先ほども訊いたがマツリに会ってどうする」

おムネを大きくしたいんです。 葉月によると短期間じゃ駄目だけど、それでも会わないよりはずっとマシらしく、だからおムネを大きくしたいんです。 ただそれだけなんです。 だけどそれは言えない、などと思っていたら代弁が入ってきた。

「四方様、何を無粋なことを仰るのですか」

「ぶ、無粋とはっ?!」

「では四方様はどうしてわたくしに逢いに来られていたのですか? 辺境まで。 ましてや毎回兄のことでブチブチと・・・」

「だぁーーー!! そ、そんな昔のことをっ! 何を申すのかぁぁぁ」

「わたくしはこの身体で御座います、四方様に逢いに行くなどということは出来ませんでしたが、紫はそれをしてくれるので御座いますよ? 四方様はわたくしが宮まで逢いに来ていたら・・・どう思われました?」

紫揺がマツリに心を寄せているのかどうかははっきりと耳にしていない。 だがマツリが紫揺を想って奥にしたいということは、はっきりと聞いている。 そして今、紫揺がそのマツリに会いに行くと言っている、答えは出ているようなもの。

「あ・・・それは、そのだな・・・」

「懐かしゅう御座います、四方様は言っておられましたか。 お方様からも会いに来てほしいと。 まるで四方様の一方行きのようで不安だと」

ぎょっと目を剥いた四方。
思わぬ伏兵が隠れていた。 いや、さっきも澪引の肩を持っていた。 澪引なのか紫揺なのかマツリなのか、はてさて四方なのか、誰の味方なのかは分からないが。

「び! 尾能!!」

「そう言っておられたでは御座いませんか。 あの頃はなんとかしてご隠居様の目をかいくぐり、四方様にお方様の元に走って頂いておりましたか。 今のマツリ様はあの時の四方様と同じくお忙しくされております。 紫さまから足を運んでくだされば何よりかと」

「そっ! それとこれとはっ!」

「同じで御座いましょう」

しれっと尾能が言ってのけた。

何やらお話がトンデモの方に向いているような気がする。 おムネが大きくなりたいだけなのに・・・。

「・・・あの、そういうわけじゃ・・・」

澪引が紫揺に微笑むと首を振る。

「気にしないで行ってくるといいわ。 紫がその気になってくれたのが何よりも嬉しいわ」

「な、何を言っておる、澪引。 ほれ、そういうわけではないと紫が言ったであろう」

キッと澪引が四方を睨むと次に紫揺の手を取った。 その手の上にさらに澪引の手を置く。

「仕事を放っては馬鹿ほど逢いに来ていらっしゃた四方様と違って、マツリは仕事を優先し紫に殆ど逢いに行っていないわ。 幾日でも行ってらっしゃい」

馬鹿ほど・・・。 簡単に言ってくれるが、その陰でどれほど尾能が走り回っていたことか。
その尾能が頬を緩めた。

『尾能ー、また夢を見たー。 澪引が兄御にヨシヨシされておったー』

(ほんに・・・懐かしい)

「はい、有難うございます。 マツリがどんな仕事をしているのか興味もありますから、しっかり見てきます」

「え? あ? そうなの? 二人でどこか六都の景色の良い所に行けばいいのよ?」

「マツリの仕事の邪魔をしたくないので。 景色の良い所があったら一人で見に行きます」

澪引がコキコキコキと首を傾げ、四方が口をあんぐり開け、尾能が何度も目を瞬かせている。
マツリに逢いに行くのではないのか? 逢引きをする為ではないのか?

「えっと、今から出てその六都ってところに着きますか?」

一日でも早く逢えば、それだけおムネが大きくなるはず。

「武官なら着くが。 そうだな、澪引が言っていたように明日、馬車を出そう」

馬車・・・御免こうむりたい。 じっとなんてしたくないし、マツリにチョンバレになる。 驚かせたいこともあったのだから、却下却下。

「大丈夫です馬で行きます。 東の領土では辺境に行くにも馬に乗ってますから、武官さんについていけます。 何なら見張番さんに聞いてもらってもいいですよ?」

(だから言葉尻を上げるなっ。 ふふん、それよりかなりの自信があるようだが・・・。 一度その鼻をへし折っておいた方がいいか)

万が一にもマツリの奥になるのなら、ここらで一発己の非力を分からせておかねば。

「そうか、では見張番の馬ではなくこちらの馬を出す」

お断りしたかったが馬車を断り、その上馬も断るのは失礼にあたるだろう。 それに紫揺は見張番の馬に乗ると言ったのだ、それを勝手に覆したのは四方。 これは借りにはならないだろう。

「じゃ、お願いします」

すかさず尾能が立ち上がり四方の横に来た。 先ほどは座ったまま話していたというのに。 仕事モードということだろうか。

「護衛は何人にいたしましょう」

(ご? 護衛? そんな仰々しい話になるのか?)

おムネを大きくしに行くだけで。

「左右と・・・前に一人後ろに二人・・・それくらいで良いだろう」

(どうだ、さっき澪引が噂では良いとは聞きませんが? といっていたのを聞いていただろう、この少人数の武官だけでは不安であろう。 あと数人付けてくださいと言ってみろ)

「それではあまりに少な―――」

尾能が言いかけたが紫揺が反対のことを口にする。

「い、いや、待って下さい! そんなに沢山! いっ、要らないです、要らないです」

それでは馬車より目立つのではないか!? それに武官の仕事はどうなってる。
ブンブンと首を振る。

へっ? とした顔をした四方。 予定とは違った言葉が返ってきた。 それでも顔を戻し威厳を保つ。

「これで最小限であり最大限だ。 今はマツリに武官を取られておる、そうそう何人も出せんのでな」

「いや、だから、そんなに要らないです、道案内だけで。 なんなら見張番さんでは?」

気心が知れている。 楽だし新しく付いてくれた二人も面白い。 二人は百藻に怒られたから、道中の競争はないかもしれないが、また別の形で競争が出来るかもしれない。
四方がジロリと紫揺を見る。

「見張番に護衛は出来ん」

「護衛って・・・それが要らないんですけど?」

(だから語尾を上げるなっ。 誰と話しておると思っておるのか。 くっそ、確実に鼻っ柱をへし折ってやる)

「では二人ではどうだ」

「し! 四方様! それではあまりに危険すぎます。 行くのは六都で御座います!」

「あ、じゃ、それで。 尾能さん大丈夫ですよ、道案内一人でいいくらいですから」

(こいつの鼻柱は鉄で出来ておるのかっ!)

「紫さま!」

「大丈夫ですって。 それに行くまでです。 行ったらマツリが居るんですから」

「尾能、二人」

仕方なく頷いた尾能が部屋を出ると回廊に座していた従者に言うことなく、己の足で武官長の元に走った。 精鋭を出してもらわねば。

「紫はマツリを信頼しているのね」

武官の数を言われても六都と言われても、その程がしっかりと分からない澪引。 ずっと黙っていたが、紫揺がマツリのことを言ったのであれば黙っているわけにはいかない。 どんどこ、どんどこマツリのことを推さなければ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辰刻の雫 ~蒼い月~  第156回

2023年04月07日 21時09分38秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第150回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第156回



岩山を降りてしまえば剛度が言っていたように前後左右を見張番で固める。 前後はいつもと同じように百藻と瑞樹が固めている。 そして左右には腕遊びで勝った二人。

「ちょっと寄り過ぎだろう」

寄りすぎどころか両横から紫揺に何か話しかけている。 後方を固めている瑞樹が眉を寄せている。
左右の見張番の言うことに紫揺が目を輝かせコクリと頷く。 寄ってきていた左右の馬が離れると紫揺が少しだけ前を歩かせている百藻から横にずれた。

「紫さ―――」

瑞樹が紫揺を呼ぼうとした時、一斉に紫揺と左右を固めていた見張番二人の襲歩が始まった。
わ! っと瑞樹が叫んだ時には百藻の横を走り抜けていた。

剛度が思わず前のめりになって落ちかけたが、隣りにいた男がすかさず剛度の腕を取った。 コロコロコロと小石が下に落ちていく。 この小さな小石に混じって大の男が転がっていっていたかと思うとゾッとする。

「ひゅ~、あいつら本当にやりやがった」

「・・・お、お前ら、知ってたのかっ!」

「本当にやるとは思っていませんでしたよ」

「おお、あいつら引き離されてんぞ」

腕を取られたまま驚いて下を見て顔面蒼白になる。 隣りの男はまだ剛度の腕を放してはいない。

「瑞樹はなんとか頑張ってるか。 でもさすがは百藻だな」

「百藻だからじゃねーだろ。 百藻の乗ってる馬だろ」

紫揺の奇行という暴走話に今後、紫揺が来た時には見張番の中で一番と二番に早い馬で付くということが決められていた。 そして

「・・・ちょっと待て。 紫さまの乗られている馬はたしか・・・天馬だったな?」

紫揺が騎乗した時に見た馬。 そして決められていたことを思い出す。

「はい、この中で一番の鈍足です」

完全に名前負けの馬である。
鈍足と言ってもメッチャ遅いというわけではない。 あくまでもこの見張番の馬の中で微妙に一番遅いというだけである。

「天馬であれか・・・」

「紫さまの軽さもあるんでしょうが、いいもん見せてもらったじゃないっすか」

岩山でこんな話などされているとは露知らず、百藻が天馬の横に付けた。

「紫さま! お止め下さい!」

紫揺が百藻を見る。

「ゲッ! 鬼の形相」

後ろを振り返ると勝負をかけてきた二人に勝ったようだ。
よし、納得。
徐々にスピードを落としていく。

「あ、もう終わりか」

紫揺の背中を見て馬を走らせていた二人。 これ以上走られても面白くも何ともない。
負けた。
諦めはつく。

その様子を岩山から見ていた剛度。

「お前ら―――!」

「いや、俺らは何もしてないですし」

そそくさと岩穴に戻って行った。

「あいつらっ! 戻ってきたらただじゃおかない!!」

岩山の上から剛度が吐いた。
そして岩山の下では完全に並歩になった天馬の首を叩いてやっている紫揺が居る。

「む、紫さまっ! 襲歩は厳禁で御座いますっ!」

瑞樹が紫揺に声を荒げ、百藻は後の二人に怒鳴り散らしたあと馬上から蹴りを入れている。

「うー・・・、気持ちよかったのに。 ここでもそれを言われるんですか・・・」

ここでも・・・。
やっているのか東の領土で。
剛度に報告だ。

お転婆と初めて襲歩をしたときには合図の出し方が分からなかったが、思っただけでお転婆が走ってくれた。 その後にお付きたちの足の動きを見ていて合図の出し方が分かった。
初めてお転婆以外の馬にお付き達が出していた襲歩の合図を出した、それは共時を救った時だった。 あの時には自信は無かったが馬が応えてくれた。 だからちゃんと合図を出せていると確信できた。 だから見張番の提案する勝負にのった。

ここは東の領土ではない。 瑞樹から一言いわれただけでぐちぐちと塔弥に言われるようなことは無かった。 陣形を元に戻して馬を歩かせる。
その後、人が言うところの大人しくという態度で剛度の家に向かい、女房から服を借りると宮に向けて馬を歩かせた。 前を歩かせている百藻からは早歩でさえ禁止となったようだ。

「しっかし、天馬がここまで走るとはなー」

百藻に怒鳴られ大人しく紫揺の左右を固めていた男二人だったが、そろそろいいだろうと話し出し始める。

「天馬?」

「その馬ですよ。 見張番の馬の中で一番の鈍足」

「え? そうなんですか? よく走ってくれましたよ」

「こりゃ、紫さまにはどの馬を充ててもどうにもならないってことらしいぜ百藻」

前を歩かせている百藻が振り返る。

「そのようだな・・・」

百藻の乗る馬は天馬より数段速いというのにあのザマだった。 少々、心打ちひしがれている。
後ろを歩かせている瑞樹にしてもそうだった。 百藻以上にドーンと落ち込んでいる。
左右の見張番に馬の話を聞かせてもらいながら、森を抜け宮の塀沿いを抜けると大門の前に着いた。

「東の領土五色、紫さま!」

百藻が大声で言う。
毎度毎度思う。 大層だ。 だが紫揺は領主たちのように門番からの誰何(すいか)は無い。 それだけでもマシだろう。
内門番が横木を外し門が開けられた。 その内門番の一人が紫揺の顔を確認してすぐに走り出した。 瑞樹が天馬の手綱を預かり、百藻が剛度からの伝言を門番に伝えるとその門番も直ぐに走って行く。

百藻が門番に紫揺の荷物を渡す。 剛度の女房から借り受けた坊の衣と履物である。 その門番が紫揺を大階段まで先導するだろう。
天馬を含む五頭の馬と見張番四人が厩に向かって行った。

先に走っていた門番の目に回廊にいる女官が映った。 門番たちは紫揺を巡る女官たちの争いは知っている。 通称『菓子の禍乱』。 紫揺が来たことを言っていいものかどうか迷ったが部屋の用意があるだろう。

「紫さまがお見え」

えっ? という顔をしたのは偶然にも通りかかっていた世和歌だった。 すぐに丹和歌に知らせに行き二手に分かれる。 世和歌は門に向かい、丹和歌は “最高か” に知らせに、そして暫くは四人で紫揺に付くと真丈に言いに行きに。

「まぁ、紫さまが?」

真丈の目が輝く。

「良いですか、負けるのではありませんことよ」

千夜にも昌耶にも。 もうすでに真丈まで戦いの中に入ってきている。
千夜と昌耶の言い合いを偶然に目にした女官が真丈に言った。 あとになって何事が起きたのかと問われた “最高か” と “庭の世話か”。 あの時は酒菓子のことがあってかなり立腹していたとはいえ、話すつもりはなかったが、真丈に詰め寄られ話してしまった。
今までなら隠し通しただろうが、今となっては真丈配下も昌耶配下も知っていること。 隠し通せることではなかった。

そして今や千夜派と、微妙だが昌耶派、真丈派に分かれている。 だが昌耶派と真丈派は千夜派に相対する時には寄り添っている。
微妙どうして昌耶派と真丈派に分かれたか。
切っ掛けは紫揺宛てにマツリに菓子を預けたことが原因だった。 元シキの従者が菓子をマツリに預けたことは預けたが、言ってみればそれが真丈派となる。
千夜派たちが菓子を作っていると知って大慌てで元シキの従者が作ったのだが、それを後に聞いた昌耶が怒りまくった。 どうしてこちらに連絡が無かったのかと。 それが原因で微妙に二つの派閥を分けていた。

そしてマツリがシキの邸に行くことはそうそう無い。 マツリが宮に戻ってきた時には、千夜派に対抗するのが “庭の世話か” と “最高か” や元シキの従者達が属する女官である真丈派となった。 元々は昌耶派の宮での守りということなのだが、ここ最近は微妙、昌耶派から独立しつつある。

真丈の真の狙いはマツリに女官をつけるということ。 マツリが紫揺に心を寄せている。 その紫揺をマツリにくっ付ければ、女官の株も上がるだろうということで、あくまでもマツリに女官を付けさせる布陣であった。
どの派閥が紫揺を落とすか。 キョウゲン曰くの繁殖相手の取り合い・・・というのとは少しずれているが、戦いのゴングは既に鳴っていた。

「必ずや」

マツリが紫揺のことを奥にしたいと思っているというのは、すでにシキから聞いている。 あとは紫揺次第。
三派閥が燃えている。
だが・・・残念なことにマツリと紫揺の心は既に寄り添っている。 それを誰も知らなかった。

「紫さま!」

世和歌が大階段を降りて走ってやって来た。

「世和歌さん! お久しぶりです」

世和歌が辺りをキョロキョロする。 千夜派の姿が見られない。 このままひっそりと連れて行きたいが、さっきの門番が四方の従者に言いに行くだろう。 その後には澪引に話がいく。 ここに千夜派の誰かがいれば澪引の耳に入る前に千夜が知ることになる。 ひっそりとは到底無理な話だが、僅かな時でも千夜派から離しておきたい。 小さな抗いだとは分かっている。

「お菓子、有難うございました。 美味しくいただきました」

「まぁ、それはよう御座いました」

「マツリ、戻ってきていません?」

「え? あ? どうして、で御座いますか?」

どうして挨拶のあとの開口一番がマツリなのか? いや、そう願ってはいるけれど・・・でもどうして?

「ずっと宮に戻って来てないんですよね? マツリがそう言ってましたから」

そうだった。 マツリは少なくとも二回は東の領土に飛んでいるのだった。 菓子を二回預けたのだった、その時に話したのだろう。 東の領土でどんな会談・・・いや、会話がもたれていたのだろうか。 探る必要があるかもしれない。 千夜たちに先を越されるわけにはいかない。

「はい。 ずっとお戻りにはなっておられません。 そういったお話しを東の領土でされたのですか?」

「はい。 全部の領土に言ったみたいですよ。 当分は来られないからって」

ああ、そういうことか、単にそれが理由なのか。 そして喧嘩相手をけん制したということか。 いや、けん制されては困る。

「やっぱりまだなんだ。 えっと、四方様にご挨拶したいんですけど」

「四方様はお忙しいと思いますので、今回も澪引様にということになるかと」

そうなると千夜派に取られてしまうのが口惜しい。
だが世和歌がどう考えているかなど、紫揺の知ったことではない。 武官のことを頼みたいし馬も借りたいし、何よりも宮を出る許可をもらいたい。

「あ、じゃあ朱禅さんは?」

「あ・・・」

「ん? どうかしました?」

世和歌の表情が一瞬にして暗くなった。

「その・・・お身罷りに・・・」

「え?」

“身罷る” ・・・マツリがトウオウのことを話した時に言っていた。 亡くなったということかと念を押して訊いたらそうだと言っていた。 だからその言葉の意味はしっかりと知っている。
まだ老衰で亡くなるような歳ではなかったはず。 何かの病気か事故か・・・。 でも言える理由なら今言っていただろう。
病気なら “水虫をこじらしてお亡くなりに” とか。 事故なら “溝に足を突っ込んですっ転んで頭を打ってお亡くなりに” などと言うだろう。
紫揺と “最高か” と “庭の世話か” との関係は成り立っているはず。
ここは理由を訊かない方がいいのだろう。 あとでマツリにでも訊こう。 それにお花の一輪でも供えたい。

「・・・そうですか」

朱禅には肉親が居たのだろうか。 子供や孫がいたのだろうか。 お父さんお母さんはさすがに亡くなっているかもしれないけど・・・奥さんがいたのだろうか。 ああ、奥さんが居なくちゃ子供も孫もいないか。
奥さんがいたなら引き離されたのだろうか、剥がされたのだろうか、見えない手に生と死を分けられたのだろうか。
見えない手なら仕方がない。 それは天命なのだから。

トウオウ・・・。
天命・・・マツリは血脈と言っていた。

「紫さま・・・」

「・・・はい?」

世和歌が手巾を出すと紫揺の頬をトントンと優しく拭く。

「あ・・・」

気付かなかった。 涙を流していた。

「要らぬことを申しました。 申し訳御座いません」

「・・・そんなことないです。 私が訊いたから教えてくれただけで・・・」

世和歌から手巾をもらうこともせず、ずっと止まることを知らない涙を世話歌に拭いてもらっている。
世和歌からすれば、それほどに朱禅のことを悲しんでいるのかと思う。 世和歌だけではない、まだ門を潜って数歩しか歩いていない。 残っていた内門番もずっと様子を見ていた。
その内門番は客が来る度に朱禅が客を迎えに来ていた。 朱禅のことは他の四方の従者よりも良く知っている。 その朱禅に涙を見せている紫揺。
内門番たちの胸が朱禅の亡くなったことを思い出し心が痛んだが、紫揺の涙でその痛みが温かなものに包まれるようだった。

だが紫揺にしてみれば実のところそうではない。
いやいや、悲しんではいる。 悲しんでいるからトウオウのことを思い出したのだから。 だから紫揺の涙は朱禅への涙ではなかった。

「宮を出て戻って来たらお花を供えていいでしょうか?」

「紫さまにお花を供えていただけるなどと、朱禅殿もきっと喜ぶでしょ・・・は? 宮を出て?」

頬から離れた世和歌の持つ手巾を紫揺が手に持つと、グシグシと目を拭いて世和歌に返す。 もう涙はない。
そこに “最高か” と丹和歌がやって来た。
紫揺の目が赤い。 どうしたことかと世和歌を見るが、世和歌が何でもないと微笑んで首を振る。

「紫さま、お疲れで御座いましょう、茶をお持ちいたしますのでお房に」

今はまだ四方の許可は得てはいないから客間には通せないが、女官長である真丈の権限がある部屋には通せる。

このままマツリの所に行きたかったが仕方がない、一旦は部屋に入るか。 丹和歌は美味しいお茶を淹れてくれる、それを一服してからでも遅くはないだろう。
それにしても男一人に会いに行くだけで仰々しい、と思うのは間違っているのだろうか。

それは完全に間違っている。 単なる男ではないのだから。

四人に囲まれ大階段を上がった時、四方の側付きが走ってきた。

「あ・・・尾能さん」

尾能が紫揺を見て微笑む。

「その折は大変お世話になりました」

「お母上はいかがですか?」

「お陰様で元気にしております。 紫さまのお力添えを頂けたからで御座います」

四人の眉がピクピクと動く。 なんだその話。 全く知らない。 いつのことなのか。
だがそれは仕方のないこと。 女官が咎人のことなど知る由もないのだから。 それに尾能と厨の女のことは内密に等しく進められたのだから。

「そんなことないです、立派なお母上です。 私は何もしていません、お母上を助けたのは武官さんですから。 ・・・でも、お元気で良かった」

更に尾能が頬を緩める。

「四方様がお会いになるということで御座います」

「え? お仕事大丈夫なんですか?」

始業したばかりであった。 まだ筆も手に持っていない時であったからなのか、他に思惑があったからなのか。 それでも紫揺に会うと言っている。

「僅かな時しか設けられませんが」

「分かりました。 私もお話があるので」

その僅かな時に言いたいことを言おう。 “マツリに会いに行く” ただそれだけなのだから瞬殺だろう。
あ、いや待て。 剛度が言っていた武官を出してもらう話もあるし、馬を貸してもらうこともある。 それに宮を出る許可をもらわなくてはいけない。 瞬殺にはならないようだ。
尾能のあとを紫揺が歩きその後を四人が歩いている。

紫揺の目が赤かった事に三人の目が世和歌に集まる。 代表して丹和歌が世和歌に耳元で訊いた。

「姉さん、何があったの?」

「それに、普段飾り物を付けていらっしゃらない紫さまなのに、あの額のお飾りは?」

「ええ、お飾りはお勧めしてもお付けにならないのに。 でもよくお似合いだわ」

額の煌輪である。

シキに逢いに来た時には着けてこなかった。 だが今回は宮を出るということが最初から分かっている。 用心に着けてきていた。

四方の自室前まで連れてこられた紫揺。
四方の部屋に入れないということは、まだ四方が部屋に入っていないのだろう。

(面倒臭・・・)

部屋の主が居ない時にその部屋に入ろうとは思わないが、尾能という見張りが居ればそれでいいんじゃないかと思う。 どうして回廊で座して待たねばならないのか。

(あ・・・天皇陛下に仕える人達ってこうなのかな)

紫揺には遠い存在でそんなことは知らない。

(そうだったら・・・皆さんお疲れさん)

座しながら、あれやこれやと考えていると四方が目の前に立った。

「話を聞こう」

そう一言いってさっさと部屋の中に入っていく。

(なにあれ? うっざ)

地下のことがあって話はしたが、紫揺の中ではまだまだ四方は東の領主を虐めた相手であり、そうそう許せる相手ではない。

「お立ち下さいませ」

紫揺が立ち上がると尾能が微笑んだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辰刻の雫 ~蒼い月~  第155回

2023年04月03日 21時04分43秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第150回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第155回



ガザンが紫揺を鼻先で押す。 いつもの位置に座れということだろう。 紫揺が立ち上がりいつもの位置に座るとすかさずガザンが紫揺の横に伏せをする。 そのガザンの頭を紫揺が撫でる。

「そのようなものは食しておりませんし飲んでもおりません」

生真面目に答える此之葉を見て葉月が大きく息を吐いた。

「此之葉ちゃん、そうじゃないでしょ?」

「え?」「え?」 此之葉と紫揺の声が重なる。

此之葉は “どういうこと? 何を言うの?” と言う目をして。 一方紫揺は “此之葉はサプリ以外のなにか秘訣を持っているのか?” と言う目をして。
葉月が紫揺の目を見る。 しっかりとガザンの伏せをしている反対側の横に座っているから紫揺も首を捻っている。

「今の此之葉ちゃんって、女性ホルモンがバンバン出てるの」

「え?」

「んー・・・、おムネが大きくなったと言っても、此之葉ちゃんと阿秀はまだ関係は持ってないと思うの」

「は! 葉月!!」

此之葉が顔を真っ赤にしているがそれを完全スルーする。

「あのね、紫さま。 トキメキ、大事よ。 此之葉ちゃんみたいにいっつもトキメいていないと。 紫さまとマツリ様、離れ過ぎ。 そんなんじゃ、おムネも大きくなんないわ」

トキメキ・・・それは何だろう。

「あ? トキメキの意味が分からないって顔をしてる」

ストラーィク! アンパイアーが居ればそう言うだろう。

「紫さまの場合のトキメキって・・・うん、そうだなぁ・・・。 前にマツリ様が来られた時、かな?」

そこが一番充当するだろう。 その前の紫揺の誕生の祝いの時でもいいかとは思うが。

「マツリ様と泉に行ったり、ここで話をしたりしたでしょ? マツリ様を見てマツリ様の声を聞いて心がドキドキしたでしょ? それがトキメキ」

「うーん・・・何となく分からなくもないけど」

あの時の印象はトウオウのことが大きかった。 でも泉に行くまでは・・・そうか、あれがトキメキかもしれない。 でも泉に行った後はトウオウのことばかりが心にあって、心の底からマツリのことを思えなかった。
それを思うと・・・突然に来たマツリ。 辺境に行くのを勝手に変更したマツリ。 でも・・・腹が立たなかった。 久しいと言ってくれた。 ・・・嬉しかった。

「ドキドキはしなかったかな?」

「え? そうなの? 紫さまって案外座ってるのかも?」

嬉しかっただけだったから。 ドキドキまでは感じられなかったのかもしれない。

「うーん、もっと此之葉ちゃんみたいに単純だったらドキドキときめいたかも。 残念ね」

「はっ、葉月! 言わせておけば!」

この手のことは葉月に任せるのが一番と、眉をしかめたい言葉の連続に口を閉ざしていたのに。

「あ、訂正。 単純じゃなくて純粋」

「えー? 私、純粋じゃないってこと?」

どちらかと言えば単純な方に組み分けされるだろうが自覚がないだろう。

「あのね、離れ過ぎなの。 もっとマツリ様と会わなくっちゃ」

「だって、マツリ忙しいから」

「なら、紫さまからマツリ様に会いに行けばいいでしょ?」

「宮に居ないって言ってたし・・・」

「なに? それじゃあ、宮に居る時にしかマツリ様に会えないの? 紫さまはマツリ様のお飾りなの?」

「・・・え?」

葉月がニコッと笑う。

「待ってるだけなんて此之葉ちゃんくらい。 その此之葉ちゃんですら今はトキメいておムネが大きくなってるんですよ? 行こうよ、紫さま。 紫さまはマツリ様のお飾りじゃないんでしょ? ってか、この東の領土の紫さまを本領がお飾りとしたならば反乱を起こすし。 一揆、一揆! 領主のお尻に火を点けてやるし」

時代劇も見ていたようだ。

「いや、待って。 一揆って・・・」

葉月の言葉使いにとうとう切れそうになったし、待ってるだけが自分だけと言われたことにも物申したいが “いっき” ・・・それは何ぞや。 此之葉が小首を傾げる。

「紫さまがマツリ様にトキメかないのならば、パフパフしてもらうまでおムネは大きくなりませんよ?」

パフパフも性教育の中で知っている。
『おムネ、パフパフされますからねー』と。

「え?」

「此之葉ちゃんのおムネが大きくなったのは、此之葉ちゃんが阿秀にトキメいたから。 一回や二回じゃないですよ。 ずっとトキメいてるから。 だから・・・」

だから紫さまもマツリ様にトキメいたらおムネが大きくなりますよ。

「本領に行かれませ」

葉月の言葉と思えない言葉。 いやに重い。
そうなのかな。

「マツリに会ったら、大きくなるかな・・・」

自分の断崖絶壁に手を当てる。

「一日二日三日、そんなんじゃ駄目ですよ」

「え? じゃ、どれくらい?」

「此之葉ちゃんが阿秀と仲良くなって今日までどれくらいかかったと思います? それでようやく極貧AからB‘ に昇格したくらいですよ?」

此之葉の握る手がプルプルと震える。

「びぃ・・・BじゃなくてB‘ ? そんなサイズあったっけ?」

「小指のさかむけ分がBカップに入ってるくらいってこと」

「・・・葉月、気にしていることをよくもズケズケと・・・」

少しの間だったが日本で暮らしていた時にブラを知った。 サイズの違いもよくよく知っている。
ぽふ。

「立派でしょ」

此之葉が此之葉なりの低い声で唸っているのを完全無視して、紫揺が葉月のおムネをポフっとした。 その時の葉月の反応がこれだった。
たしかにフワフワ。 紫揺の手では収まりきらない。 抱きしめてくれるシキと同じくらいだろうか。
むに。

「これこれ、紫さま、ムニはいけません。 どうせならしっかりと」

ぱふぱふ。

「そうそ、それならいいけど」

「は! 葉月! 紫さまも! 何をしてるんですかー!!」

「どうして姉妹なのにこうも違うの?」

さっきは此之葉のおムネを触って大きくなったと言ったところなのに。 この言われようはどういうことだ。
そっと此之葉が自分のおムネにタッチする。

「どうしてでしょうね? 私は母さん似で此之葉ちゃんは父さんに似たのかな?」

父親の胸に似た? それって完全に断崖絶壁ではないか。

「ね、行ってきて? ちょっとゆっくりしてきたらいいから。 塔弥に聞く限りじゃ、領土は安定してるんでしょ? マツリ様とのことはもう領主も知ってるんだから、気にしなくていいよ。 おムネ、ちょっとでも大きくなると思うから。 何かあったらすぐに秋我が紫さまを呼びに行くから。 それにね」

―――お付きたちがマツリ様と紫さまに刺激されてるから、時間をあげて。

葉月が言った最後の言葉が気になるが、葉月と共に領主の家に行き領主に承諾を得た。
葉月が実に上手く言ってくれた。 決しておムネを大きくするためにとは言わなかった。
マツリとのことを知っている領主が反対することは無かったが、秋我も共にと言った。 そこは葉月の口の挟むところではない。
葉月が黙っていると、紫揺がしっかりと葉月の言ったように、領土で何かあった時には秋我に呼びに来てもらわなくてはいけないと言い切った。 そこは大事な所だ。 何かあって何も知らなかったでは済ませられない。

「それでは宮まで送らせます」

おムネが大きくなりたい、女性ホルモンバンバン出す。 その一心で翌早朝、お転婆に跨った。


「こりゃ紫さま」

丁度外の確認に立っていたのは剛度だった。

「剛度さん!」

後ろから歩いてきた秋我を見ると秋我には辞儀をする。 どうしてか紫揺にはそれが短縮されているが、他の五色達と違って親しみを感じているのだろう。 紫揺もそんなことを気にもしてもいない。

「へぇ~、お珍しい。 よくお似合いで」

剛度が自分の額をツンツンと指で叩いた。 額の煌輪のことだ。 実によく似合っている、と示す。
ありがと、と恥ずかし気にいうと閃いたことがあった。 剛度は信用のおける人間だ。

「剛度さん、またあの衣をお借り出来ませんか?」

「え? まさか・・・?」

「じゃないです。 そこじゃないです」

「本当に? 嘘をついていらっしゃるのでしたらお貸しできませんよ?」

マツリの許可もなく地下に行くのなら貸せないと言う。

「マツリを驚かそうと思ってるだけです」

剛度の眉が寄る。

「マツリ様を驚かす?」

「今、宮に居ないんですって。 だからこの衣じゃ宮を出たら目立つし、宮の衣・・・衣裳じゃ外に出たらもっと目立つから」

「紫さま! 宮を出られるなどと!」

思わず秋我が叫んだ。

「何てことないですよ。 前にも宮を出たし」

「は!?」

「マツリに会いに行くんだもん。 行った先にマツリが居るから大丈夫」

二人の会話を聞いていた剛度が間に入る。

「次期東の領主、確かに以前マツリ様と紫さまは宮を出られました。 俺もいたから知ってます。 だが紫さま、ここからマツリ様にお会いに行かれるということは、それまでお一人ということじゃないですか。 それに本領の中のこともよくご存じない」

秋我の名は聞いていた。 だが簡単に “秋我” とも呼べないし、他領土なのだから “秋我様” にも値しない。 よって次期東の領主となる。
見張番はあくまでも岩山と宮の往復に付き添うというだけ。 宮に送り届ければあとの事は宮に任せるということになる。
秋我が何度も頷く。

「お会いされる前に、宮には行かれるんですね?」

紫揺が頷く。

「宮でマツリの行き先を教えてもらわないと分からないですから」

剛度が口の端を上げる。

「次期東の領主、それなら宮にお任せして大丈夫でしょう。 宮の者が付きます」

宮の者が付くなどと、紫揺に付くにはそんなに簡単なことではない。 知っているお付きたちでもどれだけ翻弄されていることか。

「いや・・・紫さまにお付きするのは・・・難しくはないでしょうか」

どういう意味かと剛度が眉を上げたが、次の瞬間にはガハハと笑い出した。
剛度の笑い声に岩穴から他の見張番が出てきた。 その中に瑞樹が居る。 紫揺を見止めるとすぐに岩穴に戻り、まだ岩穴に居た百藻に言って馬を曳いて出てきた。

「宮の者たちは甘く見られたものですな。 分かりました、それ程ご心配でしたら、腕のたつ武官をつかせるように言付けをさせます。 どうです? 紫さま。 それなら衣をお貸しできますが?」

「はい、それでいいです。 宮に行く前に剛度さんの家に寄ってもいいですか?」

宮の者や武官が剛度の家など知らないだろう、だが見張番なら知っているはず。

「ああ、構いません。 女房も紫さまのことをよく覚えていますから」

それに見張番が一緒に居るのだ。
ニパっと紫揺が笑うと秋我に振り返る。

「ってことで、これから剛度さんの家に寄ってから宮に行きます。 見張番さんが付いてくれるので秋我さんはここまででいいです」

「そういうわけには参りません」

「うーん、だって秋我さん本領の人じゃないでしょ? 宮以外をウロウロしてもいいんですか?」

紫揺も今現在は本領の人ではないが、代々を遡れば本領の人間である。 五色の郷は本領なのだから。
思いもかけないことを言われ、うっ、と詰まってしまった。

「ご安心ください。 前後左右、四人付けますんで。 紫さま、これで暴走できませんぜ」

百藻から聞いている、共時を見つけた時の紫揺の奇行を。 マツリが居ないのだ、全責任は見張番にかかってくる。 前後左右を固める。
他の見張番も不服を言わないだろう。 百藻から聞かされた時に大笑いをして、紫揺に興味ありげにしていたのだから。 それに何故か、今の話を聞いた途端、剛度の後ろでコンビを組む時の腕遊びが始まっている。 日本でいうところのグッパである。 それを腕でしているのである。

秋我が額に手を当てた。

―――本領で何をした。

「こう言っちゃなんですが、手綱捌きは次期東の領主は俺らには勝てないと思いますが?」

諦めたのだろう、大きく息を吐いて口を開ける。

「くれぐれも・・・」

本領で何をどれだけやってくれているんだ・・・。 何度でも考えてしまう。
何を言っても己はこの岩山から宮までしか行けない。 先に宮に送り届けても、その後あちこちをウロウロするのであれば、少しでも無駄なことを省くのが賢明だろう。
剛度がポンポンと秋我の背中を叩く。

「ご苦労、お察しします」

暴走どころか地下にまで入った紫揺だ。 それも東の領土に戻る時にはケロッとした顔をしていた。 普通なら大の男でも腰を抜かしていただろうに。 秋我のさっきの言葉から東の領土でも色々やらかしているのだろうと察することが出来る。
『紫さまにお付きするのは、無理ではないでしょうか』 その一言で背景が見えるようだ。

「宜しくお願い致します」

「お任せください」

丁度腕遊びが終わって、常に紫揺についている百藻と瑞樹以外のあとの二人が決まったようで「よっしゃー!」 と二人の声が上がった。
剛度が呆れた顔で振り返ったがすぐに秋我を見る。 秋我も声のした方を見ていたが、何のことかとすぐに剛度を見る。

「紫さまの取り合いです。 人気者ですぜ。 身を挺してでも万が一になどには遭わせません。 どうぞご心配なさらず」

秋我が岩山から見えなくなるまで紫揺を見送ろうとしているのは分かっている、だがその必要は無いと言っている。
秋我が剛度に頭を下げると次に紫揺に声をかけた。

「紫さま、どうぞ無茶な・・・大人し・・・困らせな・・・あ、いや。 とにかくお怪我などないよう」

紫揺が斜に見る。

「いっぱい言ってくれましたね・・・それも中途半端に止めて」

「心の声が、つい・・・」

「・・・分かってますって。 大人しくしてますから。 私なりに」

「紫さまの思われる大人しいは人と天秤が違うのをご存知ですか?」

「チガウクないです。 なんか・・・秋我さん、塔弥さんよりキツくなってません?」

見張番たちが声を殺して笑っている。

秋我に見送られ今はまだ前後二人に固められた紫揺が岩山の坂を下りて行った。

「心配はご無用です。 なんなら一杯やっていきますか?」

岩山は冷える。 身体を温める程度に酒を吞むことがあるので冬には酒が常備されている。 それは各自の持ち込みである。

「いえ、それでは宜しくお頼みします」

そう言って岩山を上がって行った。
秋我の背中を見送る腕遊びに負けた見張番たち。

「あーあ、引き留めて欲しかったっすねー」

「何でだ?」

「東での紫さまの武勇伝を聞きたかったに決まってるっしょ」

「言えてるな」

クックっと喉で笑った。
それからも一応、岩山を無事に下りたかを確認するためにだろうか、残っていた全員が下を見ていた。 その当番は剛度だというのに。

「お前ら・・・とっとと中に戻れよ」

「いいじゃないですか」

何やら含み笑いをしている。

「あーん? 何か企ててんじゃねーだろなー」

「俺らがそんなことしますか。 あいつらとは違います」

「・・・どういう意味だ」

「来たぜ」

その声に剛度が下を見ると、四人が岩山から出てきたのが見えた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする