『虚空の辰刻(とき)』 目次
『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第130回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。
『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ
- 虚空の辰刻(とき)- 第134回
アマフウが何かをかかげ持つように両手を上げると、一気に下に降ろした。
ザバンと大量の海水がセイハと紫揺の頭に落ちた。 二人ともアマフウ以上にずぶ濡れだ。
「ちょっと! 私は関係ないでしょ! なんで私まで濡らすのよ!」
「言いたいことがあるなら前に出て来なさい!」
アマフウが海水を操れることは今分かった。 黒の瞳の力で水を操ることができるのは分かっていたが、海水を操ることも出来るのか、 真水だけではなかったのか。
それに引き換え自分は風しかない。 それもその風はさっきアマフウに簡単に切られてしまった。 負けるのは目に見えてる。 何を言われようとも前に出ず、紫揺の後ろで機を狙う。 それしかない。
だから黙り込む。
まるでセイハを指さすように向けられたアマフウの指先から、稲光が細い尾を引いて紫揺の横をかすめ、セイハの服を焼いた。 海水で濡れていたから大事にならなくて済んだが、これが濡れる前だったらと思うとゾッとする。 だがしかし、アマフウはセイハを呼び出すために脅す程度の細い稲光にしたのだろう。
セイハの口元が歪む。 そしてあくまでも紫揺の後ろで両腕を動かす。 アマフウに呼び出されてそれに応えたわけではなかった。 まるで濡れネズミのように濡らされたことが矜持を逆撫でされたからだ。
風が起き、砂を舞い上がらせる。 グルリと廻したセイハの腕の動きに従うように、竜巻となって砂が回転し始める。
――― いつもと違う。
力がみなぎっている気がする。 身体が軽い。
――― いつもと違う。
やれる。
セイハの白い歯が見えたその時、一歩紫揺の横に出て両腕を前に突き出した。
アマフウが片腕を動かす。 その腕からは縦に長く楕円状に広がる盾のような風が出た。 セイハの投げた砂が盾の風にぶち当たった。 これですべての砂を止められるはずだった。 が、セイハ渾身の力だったのか、アマフウが考えていたより砂の量が多かった。
盾になっていた風の両脇からねじれた風に乗った砂が勢いよくアマフウの顔に飛んだ。
セイハの顔に歪んだ笑みがはりついた。
一瞬にして手で顔を庇い横に向けたが、数粒が目に入ったようだ。 アマフウがその状態から動かない。
――― 今こそがその時。
セイハが紫揺の後ろから出て来て再度腕を動かし始めた。
「セイハさん! ちょっと待って下さい! アマフウさんはいま目が―――」
「うるさい!」
最後まで聞く必要などない。
セイハがもう一度風を作り竜巻を作った。 先程より大きい。
――― やれる。
自分自身の作った竜巻に陶酔しているのか、目の輝きが下卑ている。 口角が上がった。 視線をアマフウに投げるとその腕を一気にアマフウに向けた。
上向に広がる竜巻状態の砂が一辺に横穴をあけたように、方向を変え、アマフウの顔を目がけて飛ぶ。 ――― 筈だった。
竜巻の砂はアマフウの身体に到達する前に、烈火の炎の勢いに飛ばされてしまった。
炎は竜巻を飛ばした後、そのまま進めばアマフウを燃やしてしまうところだが、アマフウにあたる寸前で方向を変え、右下方向に飛んで行き、最終地点では砂浜に落ちていた枯れ枝を飛ばして砂浜にめり込んだ。
飛ばされた枯れ枝が火を噴き、周りの木の間に飛んで行った。
炎が発生した方向はセイハの横からだった。
「シユラ・・・!」
セイハの憎々気な怒気を込めた声と視線が紫揺を刺す。
片手を動かして、小さくはあるが風を作り、砂を含ませると紫揺に投げつけた。
「ヴワッ!」
女子にあるまじき声を上げて手で砂を避ける。 いや、今更か。 さっきからの声は女子にあるまじき声ばかりだった。
「なにをしてくれるのよ! シユラが手を出すとこじゃないでしょ!」
そう、あの烈火の炎は紫揺が出したものだった。 が、本人は、紫揺はその意識がホトホト薄い。 乏しい。
「え?」
紫揺にしてみれば、セイハの放った砂をアマフウに打たせたくなかった。 ただそれだけだった。 そうしたら烈火の炎がセイハの風を食い止めてくれた。 炎は砂を抑えたことは抑えたが、炎の一部がセイハの砂を抑えてから押されてアマフウに当たりかけた。 だから『避けて!』 と、そう願っただけだった。
その発生源がトウオウなのか、誰なのかは分からない。 それでもアマフウを助けてくれた誰かがいてくれる。
だからセイハから『なにをしてくれるのよ! シユラが手を出すとこじゃないでしょ!』 と言われてもすぐに意味など分からなかった。
でもこの状況で意味なんて、誰がどうこうなんて必要なかった。 やりたければ場を移してよ、とは言ったが、戦うことを推奨していたのではない。 そしてアマフウがあの状態なのに、そこに打つなどと、そんなことは許せるものじゃなかった。
「ふーん・・・自分がやったって分かってないのか。 んじゃ、さっきのも自分がやったって気付いてないか・・・スコブル天然だな。 ってか、天然過ぎるな。 アマフウより酷いかもしんないな」
それでもコントロールされている。
セイハが紫揺に言い捨てるとすぐさま足を左に一歩出し、アマフウに向き直った。 途端、目の前に閃光が走った。 天からではなく、アマフウの指先から放たれていた。 それはセイハと紫揺の間を走った。 セイハの右横を通り抜け、紫揺の左横をも通り抜け、一番近くにあった岩礁に当たった。 岩礁の頭部が砕かれた。
あの時、セイハが横に一歩足を出さなければ、今頃は岩礁と同じ運命をたどっていたかもしれない。
閃光を肩越しに見送ったセイハが口を歪め舌打ちをした。 そしてアマフウに向き合うとまた大きく腕を動かした。
アマフウは顔を上げセイハを直視している。 強膜が普通に白かったら、砂によって傷められ充血していたのが分かっただろうが、生憎と充血が見てとれない強膜をもつアマフウだ。
少し前までのセイハなら、こんなことは考えられなかった。 ずっと紫揺の後ろで身を屈めているつもりだったが、今の自分の力はみなぎっている。 アマフウに負けずとも劣らない。
それが感情の憤りの現れだということをセイハは分かっていない。 そこを自己制御するのが五色だということも。 セイハのそれに気付いているのはアマフウとトウオウだけだった。
二人の打ち合いが始まった。 紫揺が止めても、もう収まるようすがない。
二人に巻き込まれないようにその場を離れる。 そしてガザンは・・・。 左方向に目を転じようとした時、セイハとアマフウが放つ大きく鳴り響く音の隙間から“グエ” と、人ではない潰されたような獣の声がした。
「ガザン!」
辺りに目を走らせガザンを探す。 と、アマフウが発した稲光の光で砂浜の奥、木々が生い茂る手前に黒い影を見つけた。 その影がお座りをした格好で小刻みに揺れている。
ガザンだ。
だがいつものガザンのお座りをしたときの高さより随分と高い。
次にアマフウが発した光を頼りに目を凝らしてよく見る。 そしてはっきりと見えた。 紫揺の目に映ったのは、ガザンが獅子の上に座っている姿だった。
「獅子・・・」
獅子は岩壁の上から様子を見ていたが、叫ぶ声、飛び散る砂、発光、そんなものを見聞きしてしまっては興味を引いても仕方がない。 ゆっくりと岩壁を降りてきていた。 それにいち早く気付いたのがガザンだった。
セイハの打った風を見切って前に進んだ。 岩壁を降り切った獅子との距離はおおよそ百メートル。 ゆっくりと獅子が歩いて来る。 ウウウゥと、ガザンが低い唸り声をあげるが、誰もそれを聞くことはなかった。
ガザンがゆっくりと歩き出す。 距離は半分に縮まりガザンが止まった。 獅子がガザンを見据えるが声や音が気になる様子だ。 ガザンを気にしながらも、チラチラと先の様子を見ている。
更にガザンが唸った。 獅子の散っていた気がガザンに集中する。 獅子がガザンを睨み据えながら更に歩いてきた。 ゆっくりとした時が流れる。 歩を止めていたガザンが数歩前に出た。 獅子が止まる。 その距離おおよそ20メートル。 更なるガザンの唸りに獅子が後ずさった。
完全な打ち合いが始まった。 ガザンに睨み据えられていた獅子が驚き身を構えた。 雄の本能なのだろうか何なのだろうか、これが野生なら、リーダーとしての行動以外に労を費やすことなどまずない。 まずは先に保身を考えてその場を後にしただろうが、残念ながら何の刺激もなくダラダラと過ごしていては、身の危険など考えないのだろう。
興奮に我を忘れ、襲い掛かかろうと走り出した。 それを見事に仕留めた結果が、獅子の上にお座りをしているガザンの姿だった。
獅子のことなどすっかり頭から飛んでいた紫揺の腕が引っ張られた。
「え?」
振り向くとトウオウが居た。
「ここじゃ巻き込まれる。 こっちに来な」
「あ、でも二人ともこれ以上は」
あたりには砂と閃光が舞っていた。 ここに何か物があれば滅茶苦茶になっていただろう。 飛び交う砂、アマフウの手から出る稲光。
「心配ない」
「でも・・・あ、それにさっきの小枝の火」
ちょっと冷静になれたのか、少し前のことを思い出した。
炎によって枯れ枝が飛び、木々に火が移った筈。 すぐに消しに行くことが出来なかった。 頭の中がショートしていた。
「オレが消した」
トウオウの左の瞳の薄い黄色の力、空中にある水分で消した。
「それに」
そこまで言うと、親指で海を示した。
「瀬戸際だろ?」
二つの明かりをつけたボートが岩礁の間を縫ってすぐそこまで来ていた。
「・・・あ」
「行くんだろ?」
「あ・・・でも」
セイハとアマフウに目を流す。
「心配ないって言ったろ。 アマフウのあれくらい全然本気じゃない。 徹底的にセイハを弄んでるだけだから。 終わりたくなったら、それこそセイハの身体を二つに切るか、脳天に稲妻を落とすだけだ」
有り得なくない。 ゾッとする。
バシャバシャと水を蹴る音がした。
「・・・あの、お取込み中スミマセンが」
どんなお取り込み中に見えたのだろうか。
「えっと、紫揺ちゃんって・・・」
こんなことになるとは思わず、春樹には自分一人しかこの場に居ないのだから、迷うことなく紫揺とは自分のことだと分かる、そう言い切ったが、どうしてか紫揺候補が四人もいる。 尋ねられもするだろう。
「ほら、行きな」
拾い持っていた紫揺の上着を前に出した。
アマフウからある程度のことは聞かされていた。 だがそれはあくまでも、アマフウの想像であったし、船で迎えに来るなどとは聞いていなかった。 ただ、紫揺は北の領土にはいかないだろう。 ここから何某かの手を使って出て行くだろう。 その時にセイハが行動に出るはず。 そう聞かされていた。
『で? アマフウはどうしたいの?』
『アノコのしたいようにさせればいいわ』
『いいの?』
『別にアノコがどうしようとアノコの勝手よ』
トウオウは 『アマフウはどうしたいの?』 と聞いた。 それに対してアマフウが答えたのは紫揺に対してのことだった。 トウオウは紫揺のことはどうしたいの? とは訊いていない。 言ってみれば 『その時にセイハを徹底的にやるわ』 と答えてもいい筈だった。 いや、それが一番のはずだったのに紫揺のことを答えた。
不器用だな。 と、声に出しては言わなかった。
トウオウに背中を押されて一歩前に出た紫揺がガザンを探す。
「ガザン・・・」
こんな別れ方をするつもりなど無かった。 もっと別れを惜しむことが出来ると思っていた。
「ガザン!!」
「ヒッ!!」
訳の分からないといった青年が、紫揺の大声に左腕と左足を上げた。
すると
ウォォォーン、と遠吠えが聞こえた。 寂しい遠吠えにも聞こえるが、それがサヨナラの言葉だと分かる。
「ほら、セイハが気付かない内に行きな」
更に紫揺の背を押すと見たこともない青年に目を向けた。
「コノコがシユラ。 よろしく頼む」
紫揺のことを知らなかった様子を見せていた青年に“様” はつけなかった。
(コイツは・・・なんだ・・・) 青年がトウオウの顎から目が離せない。
どうして顎なんだ。
トウオウは何処からどう見ても男だ。 イヤ、女性美を思わせる程の美青年だ。 イヤイヤ、それでも男だ。 なのに、なのに、この・・・。 一瞬に見たあまりのトウオウの美顔に視線が下がった。 でも食らいつきたかった。 だから顎を見た。
紫揺が感じた優しく何もかも包み込むようなトウオウの目と同じことを感じたのかどうかは分からないが、もしトウオウの目を凝視していたのならば、懐中電灯の中でオッドアイを見止めたことだろう。
(男だよな、うん、そう。 男。 ・・・いや、でも・・・)
青年が美しい曲線を描くトウオウの顎を見た時にアマフウの声が聞こえた。 決して大きな声ではなかったし、それを聞いたのはトウオウと紫揺だけだった。 トウオウと紫揺より近くに居るセイハさえ聞こえなかったし、この青年も聞くことはなかった。
「え? なに? せ? せちゅう?」
振り返った紫揺が遠くにいるアマフウを見ながら言う。
「雪中花」
一度目を閉じ口角を上げたトウオウが言う。
「せっちゅうか?」
トウオウを見た紫揺。 その紫揺の左頬に右手を当てる。 そして紫揺の頬に唇を重ねた。
「は!?」
トウオウの顎をただひたすらに見ていた青年。 何が何か分からないまま声を上げた。
「合格だね」
頬から離した唇が耳元でささやいた。
「ほら、今度こそ行きな」
紫揺の背中を再再度押すと踵を返した。
トウオウの後姿を追う紫揺。 同じように青年が見送っていたが、我に返った。 ボートに父親を待たせていたのだった。 あまりに岩礁の間が狭くなりここまでやって来られなかった。
「あの?」
「あ、はい。 私が紫揺です」
「君が? 本当に?」
さっきトウオウも言っていたが、想像と違い過ぎた。
『駅まで送っていって切符を買ってやって。 出来れば、乗る電車まで連れて行ってほしいくらい』 そう聞いていたから、てっきり幼稚園児かと思っていた。
「・・・はい」
どうしてそんな疑いの目を向けられなければならないのだろう。
「間違いなく?」
電車も一人で乗れない? とは訊かなかった。
「はい。 私が紫揺です」
再度同じことを言った。
「そっか、わかった。 それより、この状況で行っていいの?」
今もまだ賑やかしく砂が舞い上がり、閃光が走っているお祭砂浜を指さした。 なんのお祭だろうか。 派手だ。
「・・・はい。 よろしくお願いします」
最後の最後、トウオウの言葉かそれとも頬に重ねられた唇なのか、見えない手が紫揺の背中を押した。
「じゃ、足元に岩が多いから危ないよ」
そう言うと紫揺の手を取って歩き出した。
手を取られ一歩一歩を進む。 ニョゼ、セキ、ガザンの顔が浮かぶ。 そしてトウオウのあの優しい目を。
『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第130回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。
『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
- 虚空の辰刻(とき)- 第134回
アマフウが何かをかかげ持つように両手を上げると、一気に下に降ろした。
ザバンと大量の海水がセイハと紫揺の頭に落ちた。 二人ともアマフウ以上にずぶ濡れだ。
「ちょっと! 私は関係ないでしょ! なんで私まで濡らすのよ!」
「言いたいことがあるなら前に出て来なさい!」
アマフウが海水を操れることは今分かった。 黒の瞳の力で水を操ることができるのは分かっていたが、海水を操ることも出来るのか、 真水だけではなかったのか。
それに引き換え自分は風しかない。 それもその風はさっきアマフウに簡単に切られてしまった。 負けるのは目に見えてる。 何を言われようとも前に出ず、紫揺の後ろで機を狙う。 それしかない。
だから黙り込む。
まるでセイハを指さすように向けられたアマフウの指先から、稲光が細い尾を引いて紫揺の横をかすめ、セイハの服を焼いた。 海水で濡れていたから大事にならなくて済んだが、これが濡れる前だったらと思うとゾッとする。 だがしかし、アマフウはセイハを呼び出すために脅す程度の細い稲光にしたのだろう。
セイハの口元が歪む。 そしてあくまでも紫揺の後ろで両腕を動かす。 アマフウに呼び出されてそれに応えたわけではなかった。 まるで濡れネズミのように濡らされたことが矜持を逆撫でされたからだ。
風が起き、砂を舞い上がらせる。 グルリと廻したセイハの腕の動きに従うように、竜巻となって砂が回転し始める。
――― いつもと違う。
力がみなぎっている気がする。 身体が軽い。
――― いつもと違う。
やれる。
セイハの白い歯が見えたその時、一歩紫揺の横に出て両腕を前に突き出した。
アマフウが片腕を動かす。 その腕からは縦に長く楕円状に広がる盾のような風が出た。 セイハの投げた砂が盾の風にぶち当たった。 これですべての砂を止められるはずだった。 が、セイハ渾身の力だったのか、アマフウが考えていたより砂の量が多かった。
盾になっていた風の両脇からねじれた風に乗った砂が勢いよくアマフウの顔に飛んだ。
セイハの顔に歪んだ笑みがはりついた。
一瞬にして手で顔を庇い横に向けたが、数粒が目に入ったようだ。 アマフウがその状態から動かない。
――― 今こそがその時。
セイハが紫揺の後ろから出て来て再度腕を動かし始めた。
「セイハさん! ちょっと待って下さい! アマフウさんはいま目が―――」
「うるさい!」
最後まで聞く必要などない。
セイハがもう一度風を作り竜巻を作った。 先程より大きい。
――― やれる。
自分自身の作った竜巻に陶酔しているのか、目の輝きが下卑ている。 口角が上がった。 視線をアマフウに投げるとその腕を一気にアマフウに向けた。
上向に広がる竜巻状態の砂が一辺に横穴をあけたように、方向を変え、アマフウの顔を目がけて飛ぶ。 ――― 筈だった。
竜巻の砂はアマフウの身体に到達する前に、烈火の炎の勢いに飛ばされてしまった。
炎は竜巻を飛ばした後、そのまま進めばアマフウを燃やしてしまうところだが、アマフウにあたる寸前で方向を変え、右下方向に飛んで行き、最終地点では砂浜に落ちていた枯れ枝を飛ばして砂浜にめり込んだ。
飛ばされた枯れ枝が火を噴き、周りの木の間に飛んで行った。
炎が発生した方向はセイハの横からだった。
「シユラ・・・!」
セイハの憎々気な怒気を込めた声と視線が紫揺を刺す。
片手を動かして、小さくはあるが風を作り、砂を含ませると紫揺に投げつけた。
「ヴワッ!」
女子にあるまじき声を上げて手で砂を避ける。 いや、今更か。 さっきからの声は女子にあるまじき声ばかりだった。
「なにをしてくれるのよ! シユラが手を出すとこじゃないでしょ!」
そう、あの烈火の炎は紫揺が出したものだった。 が、本人は、紫揺はその意識がホトホト薄い。 乏しい。
「え?」
紫揺にしてみれば、セイハの放った砂をアマフウに打たせたくなかった。 ただそれだけだった。 そうしたら烈火の炎がセイハの風を食い止めてくれた。 炎は砂を抑えたことは抑えたが、炎の一部がセイハの砂を抑えてから押されてアマフウに当たりかけた。 だから『避けて!』 と、そう願っただけだった。
その発生源がトウオウなのか、誰なのかは分からない。 それでもアマフウを助けてくれた誰かがいてくれる。
だからセイハから『なにをしてくれるのよ! シユラが手を出すとこじゃないでしょ!』 と言われてもすぐに意味など分からなかった。
でもこの状況で意味なんて、誰がどうこうなんて必要なかった。 やりたければ場を移してよ、とは言ったが、戦うことを推奨していたのではない。 そしてアマフウがあの状態なのに、そこに打つなどと、そんなことは許せるものじゃなかった。
「ふーん・・・自分がやったって分かってないのか。 んじゃ、さっきのも自分がやったって気付いてないか・・・スコブル天然だな。 ってか、天然過ぎるな。 アマフウより酷いかもしんないな」
それでもコントロールされている。
セイハが紫揺に言い捨てるとすぐさま足を左に一歩出し、アマフウに向き直った。 途端、目の前に閃光が走った。 天からではなく、アマフウの指先から放たれていた。 それはセイハと紫揺の間を走った。 セイハの右横を通り抜け、紫揺の左横をも通り抜け、一番近くにあった岩礁に当たった。 岩礁の頭部が砕かれた。
あの時、セイハが横に一歩足を出さなければ、今頃は岩礁と同じ運命をたどっていたかもしれない。
閃光を肩越しに見送ったセイハが口を歪め舌打ちをした。 そしてアマフウに向き合うとまた大きく腕を動かした。
アマフウは顔を上げセイハを直視している。 強膜が普通に白かったら、砂によって傷められ充血していたのが分かっただろうが、生憎と充血が見てとれない強膜をもつアマフウだ。
少し前までのセイハなら、こんなことは考えられなかった。 ずっと紫揺の後ろで身を屈めているつもりだったが、今の自分の力はみなぎっている。 アマフウに負けずとも劣らない。
それが感情の憤りの現れだということをセイハは分かっていない。 そこを自己制御するのが五色だということも。 セイハのそれに気付いているのはアマフウとトウオウだけだった。
二人の打ち合いが始まった。 紫揺が止めても、もう収まるようすがない。
二人に巻き込まれないようにその場を離れる。 そしてガザンは・・・。 左方向に目を転じようとした時、セイハとアマフウが放つ大きく鳴り響く音の隙間から“グエ” と、人ではない潰されたような獣の声がした。
「ガザン!」
辺りに目を走らせガザンを探す。 と、アマフウが発した稲光の光で砂浜の奥、木々が生い茂る手前に黒い影を見つけた。 その影がお座りをした格好で小刻みに揺れている。
ガザンだ。
だがいつものガザンのお座りをしたときの高さより随分と高い。
次にアマフウが発した光を頼りに目を凝らしてよく見る。 そしてはっきりと見えた。 紫揺の目に映ったのは、ガザンが獅子の上に座っている姿だった。
「獅子・・・」
獅子は岩壁の上から様子を見ていたが、叫ぶ声、飛び散る砂、発光、そんなものを見聞きしてしまっては興味を引いても仕方がない。 ゆっくりと岩壁を降りてきていた。 それにいち早く気付いたのがガザンだった。
セイハの打った風を見切って前に進んだ。 岩壁を降り切った獅子との距離はおおよそ百メートル。 ゆっくりと獅子が歩いて来る。 ウウウゥと、ガザンが低い唸り声をあげるが、誰もそれを聞くことはなかった。
ガザンがゆっくりと歩き出す。 距離は半分に縮まりガザンが止まった。 獅子がガザンを見据えるが声や音が気になる様子だ。 ガザンを気にしながらも、チラチラと先の様子を見ている。
更にガザンが唸った。 獅子の散っていた気がガザンに集中する。 獅子がガザンを睨み据えながら更に歩いてきた。 ゆっくりとした時が流れる。 歩を止めていたガザンが数歩前に出た。 獅子が止まる。 その距離おおよそ20メートル。 更なるガザンの唸りに獅子が後ずさった。
完全な打ち合いが始まった。 ガザンに睨み据えられていた獅子が驚き身を構えた。 雄の本能なのだろうか何なのだろうか、これが野生なら、リーダーとしての行動以外に労を費やすことなどまずない。 まずは先に保身を考えてその場を後にしただろうが、残念ながら何の刺激もなくダラダラと過ごしていては、身の危険など考えないのだろう。
興奮に我を忘れ、襲い掛かかろうと走り出した。 それを見事に仕留めた結果が、獅子の上にお座りをしているガザンの姿だった。
獅子のことなどすっかり頭から飛んでいた紫揺の腕が引っ張られた。
「え?」
振り向くとトウオウが居た。
「ここじゃ巻き込まれる。 こっちに来な」
「あ、でも二人ともこれ以上は」
あたりには砂と閃光が舞っていた。 ここに何か物があれば滅茶苦茶になっていただろう。 飛び交う砂、アマフウの手から出る稲光。
「心配ない」
「でも・・・あ、それにさっきの小枝の火」
ちょっと冷静になれたのか、少し前のことを思い出した。
炎によって枯れ枝が飛び、木々に火が移った筈。 すぐに消しに行くことが出来なかった。 頭の中がショートしていた。
「オレが消した」
トウオウの左の瞳の薄い黄色の力、空中にある水分で消した。
「それに」
そこまで言うと、親指で海を示した。
「瀬戸際だろ?」
二つの明かりをつけたボートが岩礁の間を縫ってすぐそこまで来ていた。
「・・・あ」
「行くんだろ?」
「あ・・・でも」
セイハとアマフウに目を流す。
「心配ないって言ったろ。 アマフウのあれくらい全然本気じゃない。 徹底的にセイハを弄んでるだけだから。 終わりたくなったら、それこそセイハの身体を二つに切るか、脳天に稲妻を落とすだけだ」
有り得なくない。 ゾッとする。
バシャバシャと水を蹴る音がした。
「・・・あの、お取込み中スミマセンが」
どんなお取り込み中に見えたのだろうか。
「えっと、紫揺ちゃんって・・・」
こんなことになるとは思わず、春樹には自分一人しかこの場に居ないのだから、迷うことなく紫揺とは自分のことだと分かる、そう言い切ったが、どうしてか紫揺候補が四人もいる。 尋ねられもするだろう。
「ほら、行きな」
拾い持っていた紫揺の上着を前に出した。
アマフウからある程度のことは聞かされていた。 だがそれはあくまでも、アマフウの想像であったし、船で迎えに来るなどとは聞いていなかった。 ただ、紫揺は北の領土にはいかないだろう。 ここから何某かの手を使って出て行くだろう。 その時にセイハが行動に出るはず。 そう聞かされていた。
『で? アマフウはどうしたいの?』
『アノコのしたいようにさせればいいわ』
『いいの?』
『別にアノコがどうしようとアノコの勝手よ』
トウオウは 『アマフウはどうしたいの?』 と聞いた。 それに対してアマフウが答えたのは紫揺に対してのことだった。 トウオウは紫揺のことはどうしたいの? とは訊いていない。 言ってみれば 『その時にセイハを徹底的にやるわ』 と答えてもいい筈だった。 いや、それが一番のはずだったのに紫揺のことを答えた。
不器用だな。 と、声に出しては言わなかった。
トウオウに背中を押されて一歩前に出た紫揺がガザンを探す。
「ガザン・・・」
こんな別れ方をするつもりなど無かった。 もっと別れを惜しむことが出来ると思っていた。
「ガザン!!」
「ヒッ!!」
訳の分からないといった青年が、紫揺の大声に左腕と左足を上げた。
すると
ウォォォーン、と遠吠えが聞こえた。 寂しい遠吠えにも聞こえるが、それがサヨナラの言葉だと分かる。
「ほら、セイハが気付かない内に行きな」
更に紫揺の背を押すと見たこともない青年に目を向けた。
「コノコがシユラ。 よろしく頼む」
紫揺のことを知らなかった様子を見せていた青年に“様” はつけなかった。
(コイツは・・・なんだ・・・) 青年がトウオウの顎から目が離せない。
どうして顎なんだ。
トウオウは何処からどう見ても男だ。 イヤ、女性美を思わせる程の美青年だ。 イヤイヤ、それでも男だ。 なのに、なのに、この・・・。 一瞬に見たあまりのトウオウの美顔に視線が下がった。 でも食らいつきたかった。 だから顎を見た。
紫揺が感じた優しく何もかも包み込むようなトウオウの目と同じことを感じたのかどうかは分からないが、もしトウオウの目を凝視していたのならば、懐中電灯の中でオッドアイを見止めたことだろう。
(男だよな、うん、そう。 男。 ・・・いや、でも・・・)
青年が美しい曲線を描くトウオウの顎を見た時にアマフウの声が聞こえた。 決して大きな声ではなかったし、それを聞いたのはトウオウと紫揺だけだった。 トウオウと紫揺より近くに居るセイハさえ聞こえなかったし、この青年も聞くことはなかった。
「え? なに? せ? せちゅう?」
振り返った紫揺が遠くにいるアマフウを見ながら言う。
「雪中花」
一度目を閉じ口角を上げたトウオウが言う。
「せっちゅうか?」
トウオウを見た紫揺。 その紫揺の左頬に右手を当てる。 そして紫揺の頬に唇を重ねた。
「は!?」
トウオウの顎をただひたすらに見ていた青年。 何が何か分からないまま声を上げた。
「合格だね」
頬から離した唇が耳元でささやいた。
「ほら、今度こそ行きな」
紫揺の背中を再再度押すと踵を返した。
トウオウの後姿を追う紫揺。 同じように青年が見送っていたが、我に返った。 ボートに父親を待たせていたのだった。 あまりに岩礁の間が狭くなりここまでやって来られなかった。
「あの?」
「あ、はい。 私が紫揺です」
「君が? 本当に?」
さっきトウオウも言っていたが、想像と違い過ぎた。
『駅まで送っていって切符を買ってやって。 出来れば、乗る電車まで連れて行ってほしいくらい』 そう聞いていたから、てっきり幼稚園児かと思っていた。
「・・・はい」
どうしてそんな疑いの目を向けられなければならないのだろう。
「間違いなく?」
電車も一人で乗れない? とは訊かなかった。
「はい。 私が紫揺です」
再度同じことを言った。
「そっか、わかった。 それより、この状況で行っていいの?」
今もまだ賑やかしく砂が舞い上がり、閃光が走っているお祭砂浜を指さした。 なんのお祭だろうか。 派手だ。
「・・・はい。 よろしくお願いします」
最後の最後、トウオウの言葉かそれとも頬に重ねられた唇なのか、見えない手が紫揺の背中を押した。
「じゃ、足元に岩が多いから危ないよ」
そう言うと紫揺の手を取って歩き出した。
手を取られ一歩一歩を進む。 ニョゼ、セキ、ガザンの顔が浮かぶ。 そしてトウオウのあの優しい目を。