大福 りす の 隠れ家

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国津道  第47回

2021年06月28日 22時39分11秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第40回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第47回



朱葉姫が社の中に入って行ったのを見届けると、曹司が浅香に向き合った。

「亨、何をしに来た」

「おっ、そうだよ折り入って頼みがある」

「何が折り入ってだ、ほんの少し前に頼みにきたところだろうが」

「だから今回は折り入ってだよっ」

朱葉姫が居なくなったと同時に詩甫の身長が元に戻った。 というか、瀞謝から詩甫に戻った。

今は曹司が居る。 まだぽかんと口を開けている祐樹の手をそっと離して社を見て回る。
朽ちてきている。 浅香が大工仕事をした跡もあるが、それだけでは追い付かないだろう。
今日明日とまではいわないが、早くしないと。 少なくとも梅雨までには。

「え? あ? あれ? 姉ちゃん?」

やっと我に戻った祐樹が自分の空になった手を見た。 そこに詩甫の手が繋がれてもいなければ、その姿さえない。

「姉ちゃん!!」

「え?」

祐樹の声に曹司と言い合いをしていた浅香が辺りを見回す。 そこに詩甫の姿がない。

「え? ええーー!!」

いつの間にか詩甫が居なくなっている。 曹司と言い合いをしていた間だろう。 なんと間抜けな話だ。

「野崎さん!」

思わず叫んだ。
すると「はーい」 とお気楽な返事が返ってきた。

すぐに浅香と祐樹が声のした社の横に走った。 すると詩甫が屈んで基礎の部分を見ているではないか。
セメントを塗った部分を見ているようだ。

浅香が大きく息を吐く。

「一人で・・・うろつかないで下さい。 心臓が止まるかと思いましたよ」

「あ、すみません。 曹司が居るから大丈夫かなって思って」

「それはそうですけど・・・」

目の前にはいないが、詩甫の言葉を聞いて後ろで鼻を高くしている曹司の姿が目に浮かぶ。

「姉ちゃん・・・浅香の言う通りだよ。 オレ一瞬死んだからな」

「あ、ごめん」

祐樹の言うことは尤もだろう。

「曹司には話をつけておきました。 とにかく曹司が堂々と見張ってくれている間にお供え物と花を供えましょう」

供え物が入った袋を浅香が持ち、花の入った袋を詩甫が持っていた。
前回、浅香と来たときに、供養石にも社にも挨拶を出来なかったと祐樹が嘆いたこともあって、今回持ってきていた。

後ろを振り返ると曹司が立っている。 しっかりと見張ってくれているようだ。

「曹司、頼むぞ」

「他愛ない」

曹司の言いように浅香が、くそっ、と思う。 別に曹司のことがどうのということではない。 姿を現さない霊体が見えない、その気配を感じないということに対してであった。

浅香が曹司に言ったことは、供え物をし、その後少しの間を置く。 決して掃除はしない。 祐樹も詩甫も気にかかっているだろうが、そこまで全てを曹司に任せる気など無い。
少しの間とは、詩甫が来たことを目立たさせる為だけである。 その間は堂々と曹司に見張っていてもらう。 その後、社をあとにする時には曹司に陰から見てもらう。

『いいか、失敗なんて許されないからな』

『笑止』

『なーにが笑止だよ。 瀞謝は囮になるって自分から言い出したんだからな。 自分の身を投げ出して “怨” を持つ者を誘い出そうとしてるんだからな。 絶対に失敗すんなよ』

『亨は・・・己を信じられんのか』

『はぁ?』

『そういうことだろう。 己を信ずれば疑うことなど必要ないはず』

曹司は浅香であり、浅香は曹司であるのだから。

『当たり前だろうがっ、俺は俺のことを信じてるよ、曹司のことが信用ならないって言ってるだけだ』

『なんだと!?』

そんな時に詩甫が居ない事に気付いた祐樹の声が上がったのだった。
社、供養石の順に供え物と花を置き、詩甫と祐樹が手を合わせる。 浅香は浅香なりに曹司と一緒に辺りに気を這わせている。

「誰か居るか?」

「誰も居らん」

「花生って人もか?」

「花生様は・・・」

花生が言っていた。 『時折こうしてここまで来て朱葉姫に心を寄せる、わたくしはそれだけでいいの』 と、階段を上がったところでそう言っていた。
だからここに来るはずはない。

「花生様は階段を上がったところ以上にはここには来られない」

「それは花生って人の言葉を信じればってことだろが」

「・・・」

即答がない。 今も信じたいと思っているのだろう、信じているわけでは無いのであろう。

「亨・・・」

「ああ、言わなくてもいいよ。 曹司も間に挟まれてんだな」

浅香であり曹司の分霊である亨は曹司が言わんとしていたことを分かってくれた、そう思えた。

「亨・・・まんざらでもないな」

分霊として。

「・・・褒めるんならしっかりと褒めろよ」

珍しく頬を緩めた曹司だったが、すぐに元の厳しい表情に戻った。

「今度は口の利き方を教えてやろう」

「結構毛だらけ。 ・・・花生とその後会ったのか?」

「花生様だ!」

「・・・」

ついうっかり呼び捨てになってしまったが・・・面倒臭い、曹司の返しがとてつもなく面倒臭い返しだ。 だが意地でも花生と呼び捨てにすればこうして曹司が突っかかって来る。 それでは話が進まないし余計に面倒臭いだけだ。

「花生って人がそう言ってたんだよな」

「ああ、そうだ。 お歳を召した花生様を見送って・・・それっきりだった。 永年久しく花生様とお会いした。 その時に花生様がそう仰った」

浅香が腕を組む。

「曹司、花生って人の言葉を信じるか?」

「ああ」

「でもどっかで疑ってるよな」

「・・・」

「瀞謝もそうだ」

曹司が眉根を寄せる。

「だがそれは曹司と反対の意味でだ。 花生って人を怪しまなくていい証拠がないということだけでだ」

「どういうことだ」

「花生って人のことを瀞謝は信じている。 曹司以上にな」

「・・・」

「なんだよ、言いたいことがあれば言えよ」

「瀞謝は・・・花生様が残された言葉を聞いておらん」

二人の会話を聞いているだろう詩甫に聞かれないように小声で言った。

「え? なにそれ」

「花生様は・・・」

曹司が花生が亡くなる前に虚ろに言った言葉を浅香に聞かせる。

「口惜しい?」

「声が大きい!」

「だーっ! そっちの方が大きいだろが!」

偉そうに言った浅香をひと睨みすると、殆ど溜息の中で言う。

「もうご自分の意識もなくなっておられただろう」

無意識の中で言った、それは心底からの声であっただろう。

「そういう事は早く言えよ!」

祐樹がチラリと浅香を見る。 詩甫も二人の会話を何となく耳にしている。

「な、浅香、結構言うだろ?」

「みたいね」

やはり祐樹と詩甫にはかなり気を使って話してくれているのだろう。

「ったく、幽霊怒らしてどうすんだよ」

浅香を睨みながら言う祐樹の言いようにくすりと笑って目の前の供養石を見る。

「ご挨拶できてよかったね」

挨拶をする為に前回来たのに、挨拶が出来なかったと悔やんでいたのだから。

「うん」

どうして祐樹が社、とくに供養石を気にしているのか、その理由を訊いたことは無いが、今思えば多分複雑な理由ではないのだろう。
初めて連れてきた時に供養石のことを教えると顔を引きつらせていた。 そして『この石って言っちゃった・・・罰が当たったらどうしよう』 そう言っていた。

今は罰などとは考えていないようだけれど、それが切っ掛けで供養石を気にするようになったのだろう。 それに供養石はどうして建てられたのか、誰に対して建てられたかの話も祐樹に聞かせた。 供養石を大切に想っているのだろう。

「じゃーな! 曹司!」

「今日は送っては行けんがぁー、気をつけて帰るよう!」

白々しい二人の大声が聞こえてきた。

「いいか、坂の上まではゆっくりと歩くから、すぐに誰にもわからずつけて来いよ」

「何度も同じことを言うな。 一度聞けばそれでいい」

今度は本気の二人の小声である。

事前に浅香からどういう方向で曹司に動いてもらうのかは聞いている。 それが今始まったのだろう。 どこに居るか分からない大蛇に、曹司はここまでしか一緒に居ないと聞かせているのだ。
だが・・・まるで小学低学年の学芸会のようだ。

「完全に大根だね」

祐樹が詩甫にコソリと言う。 浅香一人であるならば浅香に聞こえるように言っただろうが、曹司に言う勇気は無いようである。

「それじゃ、お供え物を下げて戻りましょうか。 祐樹君、ご供養石のお供え物を下げて」

祐樹に言うと、浅香が社の供え物を下げに行ったのを見ながら、曹司が詩甫に歩み寄って来た。

「瀞謝、くれぐれも気を付けるよう」

「はい、ご無理をお願いしてばかりですみません」

曹司が首を振る。

「花生様のこと・・・嬉しく思う」

瀞謝である詩甫が花生のことを信じているということだ。 浅香と曹司の会話を聞いていた詩甫はすぐに分かった。
だがその後の話は小声で話していたので耳にしていない。

「とてもお綺麗でお優しそうな方でした」

一瞬曹司の頬が緩んだように見えたが、すぐに厳しい顔に戻る。

「近くには居れん。 気を緩めるな」

「はい・・・」

「祐樹と言ったか」

曹司が供養石から戻って詩甫の後ろに立っている祐樹に目を向ける。

「ひいぃぃぃ・・・・」

曹司に、幽霊に話しかけられた。 詩甫にしがみ付きたいが、そうなれば曹司にも近付くということになる。 持っていたお供え物を抱きしめる。

「瀞謝を頼む」

「あ、あ・・・あい」

そこに社からお供え物を下げてきた浅香が歩み寄って来た。

「んじゃ! 曹司! 帰るな!」

「お、おう! 今日は苦労であった!」

詩甫が脱力した。 祐樹が言ったが、ここまでの大根が何処にいるだろうか。 曹司が気を緩めるなと言ったが、戻る前にこんな大根を聞かされてどうやって気を張れというのか。

曹司が歩いて来る浅香を見るために社の方に振り向くと、社の前に薄が立っていた。 しっかりと形を取っている。 今姿を現したところではないのだろう。

あまり大きくはない眼(まなこ)のようだが、その目を大きく開いて目を瞬かせているのがはっきりと分かる。

「薄姉?」

薄姉という言葉は曹司と朱葉姫がしていた会話で聞いている。 社の中の人だということは分る。
詩甫は薄の姿を社の中で見ていた筈だったが、社の中に入ると朱葉姫しか見ていなかった。 凝視はしていなくとも目の中に入ったのはせいぜい朱葉姫の後ろに控えている一夜と、初めて朱葉姫と会った時に進み出てきた曹司くらいであった。

「綺麗な人・・・」

花生は年齢の割に水を含んだ艶やかな美しさを感じた。 目の前にいる薄姉と呼ばれたその女(ひと)もしっとりとした美しさを感じるが、花生ほど水を含んだ感じはなく、大人の落ち着いた美しさを含んでいる。

だが二人共に共通するのは、見た目に芯がありそうだということ。 それは朱葉姫には見受けないが、きっと心の中に持っているのだろう。 そして朱葉姫を入れて三人に共通することは、美しい容貌に美しく長い黒髪である。

「ですね。 朱葉姫もすごく可愛いらしかったし、ここって美人揃いなんですかね」

供え物を手にした浅香が曹司とすれ違いに詩甫の隣に立っていた。

「もしかして花生って人も美人ですか?」

「はい」

「うーん、朱葉姫のお父さんの領主って人は、顔で選り好みしてたのかな」

「そんなことは無いでしょう」

浅香の言いように半分笑いながら応えると、薄に歩み寄った曹司に目を転じる。

「薄姉?」

「あ、ああ、御免なさい、曹司があんなに大きな声を出すなんて、驚いてしまって」

心底驚かせてしまったようだ。 まだ目を瞬いている。
だがそれもそうだろう。 成長し館を守っていた曹司は特に意識して、朱葉姫と共に可愛がってくれていた薄と花生の前では大きな声など出さなかった。 朱葉姫を失くした二人にはいつも静かにいたいと思っていたからだ。

「あ、これは申し訳ありません」

「いいのよ、わたくしが勝手に驚いただけなのですもの。 さ、朱葉姫がお待ちよ、戻りましょう」

「はい」

二人の姿が揺れ、その姿が目の前に見えなくなった。
さっきまで時代錯誤な衣装を着て二人の姿があった時には、時代劇を見ているというよりも、タイムスリップをしたような感覚になっていたが、現実はそうではない。 気を引き締めなくては。

「曹司はいなくなりました。 少なくともここから坂の上までは、曹司の目がないと思って辺りの変化に気を付けてください」

祐樹が持っていた供え物を受け取り袋に入れると浅香が持つ。

「祐樹君、野崎さんと手を繋いで」

「う、うん」

祐樹に緊張が走る。

「少なくとも坂の上からは曹司が見てくれてはいるはずですが、離れていますし、どちらかと言えば大蛇に気を覚られずに大蛇を探していて、こちらには時々しか目を向けないでしょう。 すぐに助けに来ることは出来ません。 僕が背後を守りますけど、相手は目に見えません。 野崎さんも充分に注意してください」

「はい。 少し突かれたぐらいでは落ちないように気を付けます。 祐樹? お姉ちゃんゆっくり歩くからね」

一歩一歩の足を踏ん張るつもりだろう。 手を繋いでいるのだ、祐樹を巻き込みたくないのであろう。

「祐樹君が聞いてきた話で、尖った木で刺された者もいるそうです。 前、右横、上にも充分に注意してください」

一瞬驚いた詩甫だったがすぐに頷く。

「浅香さんも」

浅香は社の修理をしたのだから。

「はい、では行きましょう」



社の中に入った曹司と薄。 そこに朱葉姫の姿はなかった。

「まぁ、あれほど曹司を心配してお待ちになっていたのに」

「先に行かれたようですね」

「ええ、曹司が戻って来ないと心配をされていたのよ」

「・・・そう、ですか」

「まあ、朱葉姫様にご心配をおかけして、なんて悠長なことを」

「これは、申し訳ありません」

薄が笑みをこぼす。

「お行きなさい。 朱葉姫が待っておいでよ」

「薄姉は?」

「曹司の足には追いつけませんし、わたくしが持って行かねばならないものもあります。 先にお行きなさいな」

「そうですか。 では」

社の濡れ縁から曹司が飛び出した。

「まあ、お行儀の悪いこと」

二十七歳の頃の姿をとっているのに、いつまで経っても薄のなかで曹司は小さな子なのだろう。
そんな薄の声を背に曹司が走った。

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国津道  第46回

2021年06月25日 22時36分20秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第40回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第46回



数日後、浅香から連絡があった。

スマホの画面に『浅香さん』 と出た時点で、詩甫がハンズフリーにした。 しっかりと祐樹も聞いているということである。

『曹司がやって来まして』

うぇ、っと祐樹が声を上げる。 幽霊が部屋にやって来たということなのだから。

『朱葉姫に聞いたらしいです。 当時は十人程が館に仕えていたということで、出身の村は全ての村から来ていたそうでした』

朱葉姫から聞いた曹司が言うには、村は七つほどあったということであった。 朱葉姫の父親が村に偏りが出ないよう、まんべんなく全ての村から仕える者たちを選んでいたということであった。

「座斎村から来ていた人が誰かは分からなかったんですか?」

『朱葉姫も今となっては誰がどこの村から来ていたのかは記憶が曖昧だそうです。 それに座斎村から誰が来たのかを訊いておいてくれとは曹司に言っていませんでしたから』

山での時のことをよくよく思い出すと『ついでにどの村出身とかも』 と浅香は言っていた。 たしかに座斎村のことを口にはしていなかった。

「そうでしたね」

「ちっ、浅香の失敗かよ」

『おーい、祐樹くーん』

祐樹の突込みに浅香が答えているのを耳にしながらも、反対をされるのは分かっているが、社から戻ってきてずっと考えていたことを口にする。

「あの、浅香さん・・・私、お社に行ってみようかと思うんです」

『え!?』

「何言ってんだよ姉ちゃん!」

「祐樹から話を聞きました」

「え? オレ? オレ何言ったっけ?」

「お社の様子よ」

「あ、うん。 話した」

「お社がかなり腐ってきているみたいですね。 それに基礎部分も崩れかけてきているみたいで」

『・・・ええ、それは確かです。 急に傷みが進んだという感じがしなくもないです』

「大蛇を探している時間なんてないのではないでしょうか」

『それは・・・強引にお社に手を入れるとかっていう意味ですか? その話をしに朱葉姫に会いに?』

詩甫が首を振ったが、それを見られるのは祐樹だけである。

「ならどういうこと?」

話しが飛んだように感じた浅香だったが、取り敢えず黙って聞いていよう。

「あ! まさか! 姉ちゃん囮になろうと思ってんじゃないだろな!?」

『え・・・』

「祐樹と浅香さんとで守ってもらえない?」

『ちょっと待って下さい! どういう意味ですか!』

「浅香! 声デカイ!!」

祐樹の大声に思わずスマホを耳から離す。

『あ、ごめん・・・』

だがその言葉をそっくりそのまま返したい。

『野崎さん、それは出来ない相談です』

「それじゃ、一人で行きます、と言ったらどうします?」

『野崎さん!』

「姉ちゃん!」

「大蛇に会わなくては話が進みません」

『会うで終わらない事は野崎さんが一番分かっているでしょう? それに僕と祐樹君が隙なく見張ることが出来たとしたら大蛇は出て来ません』

「姿は現さないでしょう。 ですが私を探っているはずです。 浅香さんと祐樹の隙をつこうとずっと見ているはずです」

『それは・・・曹司、ということですか?』

「はい」

詩甫のことは完全に浅香と祐樹に守ってもらい、曹司に気配を探ってもらう。 そして出来れば押さえてもらう。 その為に曹司には姿を隠してもらう。 相手にも気付かれないように。

まさかここで曹司が出てくるとは思わなかった浅香が言葉に詰まっている。

「姉ちゃん、駄目だよ。 オレ、姉ちゃんを守る自信あるけど、それでも万が一失敗したら・・・それに言ってたんだろ? 花生って人が今度こそ殺されたいのかって」

「うん、それも気になってるの。 出来ればもう一度花生さんにも会いたいと思ってるの」

“花生さんにも” という詩甫の言い方は、大蛇と花生は別であるということだ。 それは以前にも話していたこと。

『どういうことですか?』

「花生さんの言ったその台詞が気になって、その意味を教えてもらおうかと」

浅香が大きく息を吐いたのが聞こえた。

「姉ちゃん・・・」

祐樹も溜息交じりである。

『野崎さん、相手は人間ではないんです。 いいえ、たとえ人間であっても危険な人っているでしょう。 誰もが皆、自分と同じ価値観ではないんです』

「浅香、花生って人・・・幽霊、今度こそ殺されたいのかって言ったってことは、前に姉ちゃんを突き落としたのがその花生って幽霊なんだよな?」

『見たわけじゃないからそうは断定出来ないけど、その可能性はあるよね、そんな言い方をしたんだから。 少なくとも野崎さんが落ちたのを知っているんだから』

詩甫が大婆の話を祐樹に聞かせていなかったということは、花生の色んな話も聞かせていないはずだ。 今度こそ失敗しないように話さなければ。

「そこなんです。 それが気になるんです」

詩甫自身、最初に花生にそう言われた時には浅香や祐樹と同じように考えた。 だが何かが違うような気がしていた。

「どういうこと?」

「あとからよく思い出してみたら、今の祐樹や浅香さんの言う意味じゃなかったんじゃないのかって。 それに何かを忘れているか・・・覚えていないのか、とにかく何かがあるような気がして」

『それは?』

「思い出せないんです」

『そうですか・・・』

浅香が聞いた花生が言ったことは、詩甫が曹司に聞かせたことを聞いただけだ。 どういう流れでそんな話になったのかということなどは聞いていない。
詩甫はどうして花生の肩を持つのだろう。 いや・・・花生に何を感じているのだろうか。 スマホを耳に充てたまま上を見る。

浅香が眉をしかめた。
・・・天井しかない。

ここに青空が広がっていれば何か流れてくるものがあったのかもしれない。 閃きとか、詩甫を説得する何かとか。

(・・・雲もないか)

顔を元に戻す。

(雲外蒼天、か)

次のステップが要るのは確かだ。 そのステップが、空があり流れて来る雲であればそれに越したことは無い。。
甘いだろうかな、と思いながらも口を開く。

『ですが祐樹君と僕が野崎さんを守るということはどうでしょうか』

「え・・・」

『祐樹君と僕はお社の修繕をしたんです。 その時に曹司に見張りを頼んでいたんです』 

「はい」

それは知っている。 詩甫も一緒に社までは行っていないものの、一緒に山まで行ったのだから。

『曹司が誰の気配もないとは言っていましたが、どこで見ていたかは分かりません』

「あ・・・浅香さんも祐樹も狙われるかもしれないってこと・・・」

『そうです。 僕たちのことを見ていて覚えていれば』

「そう、ですね・・・」

そうだった。 修繕した者も手にかけられていたのだった。

『だから、祐樹君聞いてる?』

「うん」

『僕が曹司だってことは覚えているよね?』

「うん」

『どうして僕が生まれたかも説明したよね?』

「うん」

『僕は瀞謝である野崎さんの手伝いをしなきゃいけない』

「え? 浅香?」

『僕は瀞謝を止めてはいけないんだ』

曹司にそんなことは言われていないが、理解の仕方で変わってくる。 詩甫があまりにも無茶を言うようなら止める。 今も無茶を言っているのは分かっている。 だがこのまま止まってしまっては誰の想いも叶えられない。 朱葉姫も瀞謝も詩甫も、そして曹司と曹司の分霊である自分自身も。
叶えられるのは “怨” を持つ者の想いだけ。

『留守番をしていてくれる?』

「なっ! なに言ってんだよ!」

「浅香さん・・・」

詩甫は瀞謝であった時からこの事が始まったと思っている。 詩甫としての色んなことには諦めはつく。 いや、諦めなどではない。 やっと知り行えるとさえ思っている。
自分はそれでいいが、詩甫とは違う浅香に危険が生じるかもしれない。 だが浅香とて浅香の生まれた意味を分かっている。 浅香には感謝しかない。

「祐樹、お願い。 祐樹には怪我をさせたくないの」

「嫌だよ! 浅香が行くんなら、うううん、浅香と姉ちゃんが行くんならオレも行く!」

「祐樹・・・」

「浅香、この間みたいに浅香の足手まといになんてなんない。 だからっ、連れて行けよ!」

足手まといと言うのは、きっと階段で転びかけたことを言っているのだろう。

『足手まといだなんてなんて一度も思ったことは無いよ。 でも今回は曹司に堂々と守ってはもらえない。 野崎さんが階段を落ちて行った時、一瞬だったんだ。 相手は幽霊なんだよ、姿を現さなければ僕たちには見えないんだ』

「でも! どこかで曹司が見張ってるんだろ? それならオレたちに近付く前に曹司に分かるんじゃないのか!?」

言われればそうであるが・・・そんなに上手くいくだろうか。

浅香との通話を切って祐樹を何度か説得したが、全く応じてもらえなかった。
挙句に翌日からは、勝手に詩甫と浅香が行かないように朝早くから起きてきて、出勤の時には有休を取って社に行かないかと駅までついてくる始末だった。
通勤の為のホームではなく、反対のホームに行くと社に向かうということだからだ。
どちらの階段を下りて行くのかを、ごった返す通勤者の中で改札口の向こうからじっと詩甫だけを見ていた。

「祐樹・・・」

毎朝祐樹の視線を背中に受けて通勤電車に乗った。

そして一週間程が過ぎた。

タクシーを降りたのは三人の姿であった。 その内の背の高い二人が荷物を持っている。

「祐樹君、ここで待っててくれないか?」

詩甫から祐樹の様子は事前に連絡を受けて知っていた。
今日のことも部屋を出るにも祐樹を括りつけるわけにはいかないし、駅で祐樹の分の切符を買わなければいいのだろうが、それはあまりにも可哀そうなことだと出来なかった。 そんなことを電車の中で詩甫が言っていた。

浅香もここまでくる間に何度も祐樹を説得していた。

「ふざけたこというなよ」

「怪我では終わらないかもしれないんだ」

「お社を潰さないんだろ?」

「それはそうだけど、今日のこととは直接的には関係がないよ」

「ばーか」

「なんだよ」

「まずは外掘り固めだろ」

「ん?」

「自分で言っといて忘れたのかよ。 その大蛇が朱葉姫の味方にさえ付いたらいいんだろ」

その大蛇が元凶なのだが。 それにしても、ここに来て外掘り固めの話をしてくるとは・・・。

「外掘り固めって?」

「あ、いえ、何でもありません。 そんな話を前に二人でしてただけです。 アニメの話で」

祐樹は今も学校での問題のことを詩甫に言っていないようだ。 これは男同士守らなければならない秘密だ。

「ほら、浅香も姉ちゃんも行こ」

祐樹が浅香と詩甫を後ろから押す。

二人が目を合わせとうとう諦めた。 祐樹を置いていくには縄で縛っておくしかないだろうが、そんな事が出来るはずもないし縄も無い。

山の中に入り階段の下まで来ると詩甫が何度も花生を呼んだが、花生が出てくることは無かった。

「十五分経ちましたね」

時間のチェックは浅香に頼んでいた。

「仕方ないですね」

花生からは来るなと言われていたくらいなのだから。

「じゃ、行きましょうか。 まだ曹司には頼めていません。 辺りに気を付けてください。 祐樹君も」

祐樹が無言で頷く。 緊張しているのだろう。

「僕が野崎さんの斜め後ろを歩くから、祐樹君は野崎さんの手を繋いてあげていて」

もう一度祐樹が頷き詩甫の手を取る。 二人が階段に足をかけた。

社に着くまでにかなりの気を消耗した。
だが何もなく社に着くことが出来た。

「朱葉姫に会っていかれます?」

今から詩甫は囮になるのだ。 いや、もう始まっている。 そんなことを朱葉姫が察したらどれだけ心配をかけるか。
詩甫が首を振りかけたとき、朱葉姫の声が心に聞こえた。
『瀞謝』 と。

「朱葉姫がわたしに気付かれたようです」

社の前で手を合わせようと祐樹と繋いでいた手を離しかけた時、朱葉姫の方から姿を現してきた。

「瀞謝」

辺りを見回していた祐樹が聞いたことの無い声に振り返った。

「朱葉姫様」

「どうして来たのですか」

「諦めないと、逃げないと申し上げました。 今日はお社の様子を見に来ました」

朱葉姫が浅香に目を向ける。

(うわっ、嘘だろ・・・可愛っ)

詩甫と並んで立っている祐樹もあまりの可愛さに口をポカンと開けている。 曹司や薄を見た時とはえらい違いだ。

「曹司の分霊ね」

「は、はい」

「社を有難う」

「いいえ・・・その、いい加減にしただけで、あまり役には立たないでしょうが」

朱葉姫が首を振る。 長く美しい黒髪が僅かに揺れる。

「わたくしたちは気持ちが嬉しいの。 社から分霊の声が聞こえていたわ」

「え? 声、ですか?」

曹司と言いあっていた時の声だろうか。

「ええ、頼む、頼むと。 そして社に向けてくれている気持ちを感じていました」

違ったようだ。
今朱葉姫が言ったことに記憶がある。 確かにそうだ。 釘を打つたびに『頼む頼む、持ってくれ』 そう念じながらだった。

「嬉しく思います。 ですが・・・」

朱葉姫の可愛らしい顔に影がさす。

「朱葉姫様、瀞謝のことは僕が・・・僕と瀞謝の弟が守ります」

瀞謝の弟というのは、今詩甫である瀞謝が手を繋いでいる少年であろう。
朱葉姫が祐樹に目を移すとぽかんと口を開けている。

「可愛らしいこと、曹司を思い出すわ」

いつ頃の曹司のことを言っているのかは分からない。
少なくとも今の曹司は浅香より長身だ。 そして祐樹は平均よりかなり身長が低いだろうことは分かっている。
きっと曹司が言っていた朱葉姫と曹司が一緒に居た曹司の幼かった頃、その時のことなのだろう。
朱葉姫の言葉を聞いて詩甫が祐樹の頭を撫でようとした時、祐樹の背が高くなっているのに気付いた。

(え・・・)

でもそれが間違っていたことにもすぐに気付いた。 祐樹の背が伸びていたのではなく詩甫の背が縮んでいたのだ。
瀞謝の姿になっていた。

(あ、やっぱり朱葉姫様の前では瀞謝の姿になるんだ・・・)

それは社の外であっても。
浅香が瀞謝の姿を見ているかと思うと、どんな顔をしていいのかが分からない。 自然と顔が下がっていく。

「この山に居る間は、わたくしが付いていましょう」

それは困る。 それではおびき出せない。

「朱葉姫様のお手を煩わせるわけにはいきません。 そんなことをしては曹司に何と言われますか」

「当たり前だ」

曹司の声がしたと思ったら、その姿を濃くして朱葉姫の斜め後ろに現れた。

「まぁ、曹司。 どうして分かったの?」

社の中にある世界。 この山とそっくりな世界で小川の方に居たはずである。 今日は皆で小川まで出かける。 清流を眺めに行こうということであった。 その下見に曹司が出掛けていた筈なのだから。
社の中ではあれやこれやと行事を行っていた。 朱葉姫が皆を退屈させないようにと、そして皆も朱葉姫が退屈しないようにと、互いに互いを気づかっていた。 それは心からのものであった。

月夜の綺麗な夜には月見をし、夜に限らず朝な昼なに自然を愛でていた。 花鳥風月、春夏秋冬を楽しんでいた。

「丁度戻って来ましたら、薄姉から瀞謝が来たと仰って姫様が社の外に出られたと聞きましたので」

「まぁ、そうなのね」

「皆が心配しております。 それに小川に行くのを楽しみに待っております」

「そうね、今日は皆で小川に行くのですものね」

「どうぞ社の中にお戻りください」

朱葉姫が “怨” を持つ者の存在を知った時、敢えて朱葉姫が皆に言った。

『わたくしの責任です。 皆に危害を加えられたくありません。 その者にもそのようなことをしてほしくはありません。 社の中に居ればわたくしが守ります。 まだその力は残っています。 社からは出ないでちょうだい』

そう言っていたのだから皆も心配をするだろう。 朱葉姫は曹司にもそう言ったが、曹司は首を横に振っていた。

『お館をお守りするのが己の役目、ですがお館はここには在りません。 今は姫様をお守りするのが己のお役目。 それはお社を守ることにも繋がります』

そう言っていた。 そして今まで通り山の中を見て回っている。 その曹司に何某かが降りかかって来ることは無かった。

「・・・ええ」

柔らかな笑みではあるが、少なくとも浅香が今日見た中で見たことの無い戸惑いのようなものを顔に浮かべていた。
それは詩甫のことを考えると下がるわけにはいかないし、社の中の者たちを心配させたくもないという表情だ。
だが朱葉姫が社に戻りたくない理由、それを消すことを曹司が言った。

「瀞謝のことは己が見ております」

今の朱葉姫の心配は瀞謝であることはよくよく分かっている。 瀞謝を守ることが今の朱葉姫の望みである。 曹司はただそれを叶えるのみであった。

「・・・ええ」

たとえ朱葉姫の力が衰えてきたといえども、曹司の力は朱葉姫ほどにはない。 曹司はそれを重々分かっている。 だがここで引くわけにはいかないし、力が劣っているとはいえ詩甫を危険にさらす気もない。

「ご安心ください。 瀞謝について山の下まで送って行きます故。 どうぞ皆の元へ」

「そう、ね・・・では頼みます」

朱葉姫が可愛らしい笑みを添えて曹司に応え、そしてその目を詩甫に送る。

「瀞謝・・・」

「はい」

「社のことは、決して瀞謝が逃げるというわけではありません。 あの時の瀞謝もです。 決して瀞謝は逃げてはいませんでした」

「朱葉姫様・・・」

「それを心に置いておいてね」

分霊、瀞謝を頼みますね、と言い残して朱葉姫の姿が揺れて薄くなり、そこに居なくなった。

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国津道  第45回

2021年06月21日 22時27分48秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第40回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


     『国津道』 リンクページ




                                   



- 国津道(くにつみち)-  第45回



祐樹の説明では、終業式を終え男子生徒と少し話をして、詩甫の部屋に向かおうと教室を出ようとした時だったという。

日向が教室に飛び込んできた。

バレンタインデーに花瀬が祐樹にチョコを渡した。 それを聞いた女子が賭けを始めようと言い出した。 そこでこの日向は祐樹が花瀬と付き合う方に賭けていて、その返事を祐樹に訊いて来いと白羽の矢をたてられた同級生である。

『祐樹! 脇田と付き合ってるのか?』

脇田というのは祐樹が荷物を持ってくれたお礼として、今年度最後の家庭科クラブで作ったクッキーを祐樹に渡した相手である。

『はぁ?』

『なんだよその返事、違うのか?』

『んなはずないだろ』

『だったら、完全な言いがかり?』

『言いがかり? なに言ってんだよ』

『脇田が花瀬に呼び出された』

花瀬は祐樹にバレンタインチョコを渡して振られた女子である。

『呼び出されたって・・・花瀬と脇田って友達だろ? 待ち合わせかなんかじゃないのか?』

『給食棟の裏でか?』

『え?』

この小学校では代々、いちゃもんを付けたい時には給食棟の裏と決まっている。

『脇田が花瀬を裏切った・・・花瀬の周りにいる女子がそんなことを言ってたらしいぞ』

『嘘だろ?』

『確かめれば?』

祐樹がすぐに給食棟の裏に走った。
息を切らして給食棟の裏に着き一番最初に映ったのは、花瀬の取り巻きが脇田をぶったところだった。
脇田がぶたれた頬に手を充てた。

『おい! 何してんだよ!』

祐樹が脇田と取り巻きの間に入った。 取り巻きの後ろに花瀬が居る。

『花瀬! やめさせろよ!』

『勝手なことを言ってんじゃないわよ』

取り巻きの一人が言った。 もう一人が続けて言う。

『陽葵(ひまり)を振って脇田? レベル落ちもいいとこ』

陽葵とは花瀬の名前である。 花瀬陽葵。

祐樹が一瞬にしてカッとなった。

『それってどういう意味だよ! お前たち脇田と友達だろ!』

『お菓子さえ運んでくればいいのよ』

『え・・・どういうことだよ、なんだよそれ』

『運んでこない、その上、隙間を狙ってそのお菓子で陽葵が想ってた祐樹を誘惑した』

『ああー!?』

『祐樹、アンタ陽葵にチョコ貰ったからって図に乗ってんじゃないわよ』

『乗ってるわけないだろ!』

『えらそーに、チビのくせに』

『ほっとけ! 脇田、帰ろう』

チビと言われてもっと言い返したかったが、今はそんなことを言っている場合ではない。 脇田の手を引いた時だった。

『脇田とはこれから話すんだから。 帰るんだったら祐樹一人で帰んなさいよ』

『これのどこが話してんだよ』

『うるさいわね!』

花瀬の一言で取り巻きが祐樹から脇田を引き剥がそうとする。

『触んなよ!』

手を上げたその手が偶然、女子の頬にあたってしまった。
そこに噂を聞いてやって来た教師が姿を現した。 ちょうど祐樹が女子生徒を叩いたように見えた瞬間だった。

すぐに祐樹の母親が呼び出された。 母親は教師の前で祐樹を責め立てた。
『お母さん、落ち着いて下さい』 という教師の声も聞かず、一方的に頬を叩かれたと言い、泣いている女子の言い分を信じた母親だった。

詩甫の部屋に向かうつもりだった祐樹だったが、母親と一緒に家に帰ってからもずっと母親は泣いていた。 だから昨日は詩甫のところには行けなかった。


「まず、祐樹君がチョコを貰ったってことに僕は反感を覚えている」

「そんな話ししてないだろ。 心狭すぎだろ」

「狭くて悪かったな」

「だからそんな話じゃないって。 オレどうしたらいい? 始業式が始まって脇田がまた虐められるかもしれないし、お母さんにどう言えばいい?」

終業式とか始業式とか懐かしい言葉を聞かせてくれる。 まぁ、こうして相談に来ているのだ、反感を覚えたというところには蓋をして大人の態度で相対そう。

「そうだな、お母さんのことは・・・お母さんが解決するだろう」

「はぁ!?」

「そうでなければ母親じゃないよ」

「どういうことだよ」

「祐樹君言ったんだろ? ありのままを」

「うん」

「衝撃はあるかもしれないよ。 自分の子供、ましてや男の子が女の子をぶったなんて聞けばね。 でも理由があるだろう。 それにぶったんじゃなくて偶然にあたっただけ。 ましてや女の子を庇おうとしてのこと。 それを衝撃から落ち着いて思い起こせば、自分の子供の言ったことを理解してくれると思うよ。 祐樹君から改めて何も言うことは無いと思うよ」

「・・・お母さんが、どうかな」

詩甫も母親の話をする時、決して悪くは言わないが暗い顔を見せる。 今の祐樹も似たようなオーラをかもし出している。 無責任なことを言っただろうか。

「オレが春休みの間に姉ちゃんの所に泊まって、その間にお父さんとお母さんで旅行に行くんだ」

「そっか」

子供を置いて旅行か。

「なのに・・・旅行に行く前にお母さんに嫌な思いをさせた」

祐樹が母親に寄り添ったことを言うのを聞いて浅香が口を歪める。
母親にどんな思いがあるかは知らないが、小学生を置いて旅行に行くなどと、それでも母親なのだろうか。
だがそんなことを祐樹に聞かせるわけにはいかない。

「お父さんがカバーしてくれるよ」

「そうかな・・・」

「そうだよ。 お父さんは夕べなんて言ってたの?」

「会ってない。 遅く帰って来てたみたいだし、今朝はゴルフの付き合いだって早く出て行ったみたいだから」

「そっか。 でもま、お母さんから話を聞いてお父さんは分かってくれるだろうから、お父さんがちゃんと言ってくれるよ」

「ならいいけど。 ・・・脇田のことはどうしたらいい?」

「祐樹君はその子の事が好・・・どう思ってる?」

「うーん・・・姉ちゃんに作ってあげたい料理を教えてもらえる相手だと思ってる。 実際に教えてもらったし。 それが理由なら花瀬たちから虐められるのは筋違いだと思う」

「そっか、そういう事か」

祐樹の中心には詩甫しか居ないということか。

「じゃ、その子を守ってあげれば? 出来ないんだったら、野崎さんへの料理を諦めるか、他の子に教えてもらうか」

「脇田は家庭科クラブの次期部長だよ? 脇田より料理が分かってるの学校に居ないし」

家庭科クラブに入っていなくとも料理の出来る子はいるだろう。 家庭科クラブの存在感スゴシ。

「じゃ、守る?」

祐樹が難しい顔をした。 具体的なことが分からないのであろうか。 それとも学校が始まればどんなことがあっても硬い鉄壁として、脇田という女の子の前に立っていなければならないと思っているのだろうか。 それこそ授業そっちのけで、休み時間はトイレ以外。

「う、ん・・・守る」

具体的なこととか言う前の返事。 その気はあるようだ。
祐樹の中心には詩甫しか居ないということはさっきの言葉で分かったが、それでも脇田という女の子を気にかけているのだろうか。 家庭科クラブの次期部長としてではなく、一女子として。

「守るってのも色々あってね」

「うん」

声色が変わった。 やはり具体的なことが分からなかったようだ。

「まずは誤解を解くことから始めたらいいんじゃないかな」

祐樹が脇田の荷物を持ったのは教えてほしいことがあったから。 だがその脇田は教えたこと以上に荷物を持ってくれたことが有難いと思った。 殆どこけそうになるほどの荷物を持っていたというのだから。 だからそのお礼にクッキーを祐樹に渡した。 それが事実だ。

「花瀬って子とその取り巻き以外の子に」

「以外?」

「その子たちってやりにくそうじゃない? それなら外側から固めていくって方法もあるからね。 そしたら外側に居る子たちがこっちの味方に付いてくれる」

「味方かぁ・・・」

どこか新しい言葉を聞いたような目をした祐樹。 その目が前を見たようだ。

「祐樹君の味方もいるんだろ?」

「多分・・・いくらかの男子にはね」

「なんだよそれ」

気の弱い返事である。 それにいくらかとは。

「全員ってわけじゃないけど、ほぼ男子の半分が花瀬をいいと思ってるんだもん」

「はぁ!?」

それだけいい女子なのか? 遡りたい。 何十年も。 その花瀬と向き合ってみたい。 そう思った浅香がブンブンと首を振る。

(俺、今サイテイ)

花瀬の言葉をたった今、祐樹からよくよく聞いていたのに。

「全員ってわけじゃない他の半分は?」

「もう一人の女子」

「なんだよそれ。 男子って、女子に飢えてるのか?」

「うえてる?」

「あ、失言」

バレンタインチョコに飢えているのは自分自身であった。

「じゃさ、そっちの男子を味方につければ?」

「そっか・・・」

「そうだよ。 まずは外堀固め」

「外堀固めか・・・」

この話しを詩甫に言っていないのであろう。 詩甫を置いて相談をしてくれたのは嬉しい。

「まだ野崎さん帰ってないよね」

「うん」

午後五時である。

「予定では昨日姉ちゃんの所に行くってことだったんだけど」

母親が呼び出され、ましてやその母親は祐樹の言葉を信じることなく学校で責め立て、その後はずっと泣いていた。 今日は朝から目を腫らしていた。

「野崎さんに連絡入れた?」

「うん。 昨日行けなくなったから今日行くって連絡した」

「そっか」

浅香が腰を上げる。

「夕飯食べに行こう」

「・・・浅香」

「なに?」


祐樹と浅香がラーメンを啜っている。
浅香が夕飯を食べに行こうと言ったことに対して、祐樹がスーパーに連れて行ってくれと言った。 そこで袋ラーメンを浅香に買ってもらった。

『浅香・・・卵もないのかよ』

スーパーから帰ってきた祐樹が冷蔵庫を開けると、ほぼ缶ビールで埋め尽くされていた。

『かたじけない』

スーパーから帰った二人の会話はそんなことから始まった。
よって素うどんならず、素ラーメンが仕上がっていたのだった。

何度も断ったのにもかかわらず「それじゃ、せめてそこの駅まで」 と駅まで浅香が送ってくれ、ましてや切符まで持たせてくれた。

「借りだなんて思わないぞ」

「ラーメンを作ってくれたお礼だよ。 これで貸し借りなしね」

詩甫の部屋に入った。 祐樹の手には新しく借りた単行本の入った紙袋が持たれている。 リビングに入ると詩甫はまだ帰っていなかった。 電気が点いていないのは玄関を見て分かっていたが、更に詩甫のビジネスシューズが無かったことから分かった。

浅香と一緒に夕飯を食べたことは浅香から詩甫に連絡をしていた。 詩甫も祐樹の夕飯を気にして早く帰ってきたりすることは無いだろう。
手を洗い浅香から新たに借りてきた単行本を手に取ると読み始めた。
一時間ほどが経った頃、玄関の鍵を開ける音がした。

「姉ちゃん、お帰りー」

祐樹の元気な声が玄関に響いた。



社の裏に曹司の姿があった。 座り込んで膝に顔を埋めている。
“口惜しい” 花生は亡くなる前、虚ろになりながらそう言っていた。 多分無意識だ。 生前それに関するような話は聞いていなかったのだから。

そのことを覚えていたから、朱葉姫から “怨” のことを聞いた後に駄目押しをするかのように大蛇の話を聞き “まさか” と思ってしまったのは消せるものではなかった。 だが花生のその一言が朱葉姫に向けられていたものとは到底思えない。

何度か階段まで山を下り花生を呼んだ。 だが花生は姿を現してはくれなかった。

「花生様・・・」

詩甫から花生が曹司のことを “甘い” と言っていたと聞いた。
それは何度も聞いていた言葉だった。

『曹司? 優しいことは良いことです。 ですが甘いというのは違いますよ』

詩甫から花生が曹司に期待していたとも聞かされた。 何を期待していたのか、何がどう甘かったのか・・・。
そして花生は詩甫に “今度こそ殺されたいのか” と言ったという。 詩甫が嘘をつかなければならない理由などない。
詩甫を突き落としたのは花生なのだろうか。

「花生様・・・どうして教えて下さらないのですか・・・」

浅香が人死にがあったと言っていた。 全く知らない事だった。 いつの頃かは分からないと言っていた。 だからきっと、まだ朱葉姫も自分も力を持たなかった頃か、力を持っていたとしても社から離れたところであれば気が付くことではない、そう言った。

朱葉姫ほどではないが曹司も単なる幽霊ではない。 朱葉姫は民の心によって力をつけてきた。 それは絶大なる力であった。 だが曹司には民の支えなどない。 朱葉姫を守りたい、その一心で段々と力を付けてきただけである。 物を動かすことも出来れば、浅香のところにまでも行ける。 そうなるにどれだけの年月を、いや年月などと浅いものではない。 百年、いや何百年かかったことか。

社の中に居る者たちは、ただ朱葉姫と一緒に居たいというだけであって、社から出ることもなく、朱葉姫に寄り添っているだけだ。 力を持つということは簡単なことではない。

一夜が社から出て詩甫に乗り移ろうとしていたのには驚いたが、よく考えると一夜は誰よりも長く深く朱葉姫と過ごしていた。 それこそ朱葉姫の襁褓(むつき:おしめ)も替えていた。 朱葉姫に対しての想いは他の者と違い深くそして大きい。 そこから力を得たのだろう。

朱葉姫が言っていた “怨” を持つ者。 その者は怨みが知恵を与えた、朱葉姫はそう言っていた。 その知恵とは物を壊すことも引き裂くことも出来るということだ。

「亨の言っていた大蛇・・・それがもしや “怨” を持つ者・・・」

脳裏に花生の顔が横切る。
花生はこの社に居なかった。 どのような力を付けていても曹司に分かるものではない。

「何を考えているんだ・・・。 亨が要らないことを言うから・・・」

浅香は大蛇は花生なのではないかと言った。 村にそんな言い伝えが残っていると言っていた。
ましてやその言い伝えが残っているのが、花生の出身の村だという。
花生と同じ村の出身者は今の社の中には居ない。 それは知っているが、他の者たちが何処の村の出身者かまでは知らない。

浅香が朱葉姫が亡くなる前に何人くらい仕えていた者たちがいたか、どこの村出身か誰かに訊いておけと言っていたがまだ訊けていない。

「まぁ、曹司の分霊が直してくれたのですね」

急にかかった声に驚いて座って下を向いていた顔を上げる。

「姫様」

思わず立ち上がった。
朱葉姫がいつから居たのか全く気付かなかった。

「考え事?」

朱葉姫には大蛇の話はしたが、花生が大蛇であると伝えられている話はしていない。

「最近元気がないようだけど」

浅香が聞けば元気がないから幽霊なのだろうとでも言うだろう。

「あ、決してそのような事は」

「“怨” を持つ者のことで曹司が悩むことは無いのよ?」

「・・・」

「“怨” を持つ者が大蛇と言われている者でしょう」

「姫様・・・」

「わたくしが悪いの。 “怨” を持つ者の願いを叶えるつもりはありませんが、結果はそうなるでしょう。 それで “怨” を持つ者が帰るべきところに帰ってくれるのならばそれも本望」

何と寂しい本望だというのか。

「わたくしが憎いのならば・・・どれだけの時を憎しみだけでいたのでしょう。 それは今まで気付かなかったわたくしの罪」

「そんな、どうして姫様が」

朱葉姫が社を見上げた。 浅香の大工作業のあとが所々目に入る。 だが高いところには手が届かなかったのだろう、腐ってささくれ立ちの目立っている所が残されたままである。

「曹司の分霊に最後にこうして社を直してもらって嬉しく思いますよ。 瀞謝も見つけてきてくれました。 瀞謝と再び会えてどれ程嬉しく思ったことか」

「最後などと・・・」

朱葉姫が上げていた顔を下げ、曹司に目を合わせる。

「もうあと少しでしょうから」

浅香が手を加えてはいたが、それでも社が潰れるのは目に見えている。 そうなれば “怨” を持つ者は納得をするだろう。

「“怨” を持つ者も帰るべき場所に戻るでしょう。 そこで会えれば、わたくしから謝ることが出来るわ」

この世に縛り付けてしまったのは自分のせいだと言っている。 自分が生きていた時に怨みを買うようなことをしてしまったのだから。 自分の行いがいけなかったのだから。 朱葉姫はそう言っているのだ。

「姫様、決してそのようなことは御座いません」

きっと何かの逆恨みだ。 朱葉姫が生きている頃に誰が朱葉姫を憎むだろうか、怨むだろうか。 そんなことなど有り得ない。

「姫様、教えて頂きたいことが」

陰気な話など朱葉姫にさせたくない。 表情を一転させ曹司が問う。

「何かしら?」

「姫様がお社に来られる前には、どれくらいの方々がお館に仕えておられたのでしょうか」

社に来る前、それは生きているという時のことをさしている。 決して朱葉姫は亡くなってすぐにこの社に来たわけではない。 ましてやその頃にはこの社は建っていなかった。 朱葉姫が亡くなって随分としてからこの社が建ったのだから。

朱葉姫の受けた呪は霊体となっても朱葉姫を苦しめていた。 この世での肉体の生が終わり、帰るべきところに戻ったことには戻ったが、そこは次へのステップがある所ではなかった。 霊体と共に心をも休ませるところであった。 だが朱葉姫は肉体から離れたというのにまだ苦しんでいた。 苦しんでいた心を休ませていた。
そんな時にこの社に向かって手を合わせる民たちの声が聞こえてきた。

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国津道  第44回

2021年06月18日 22時35分08秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第40回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第44回



六時ちょっと過ぎた頃、浅香から電話が入った。 電話では互いに情報交換をした。
浅香は座斎の祖父母から聞いたことを。
詩甫は座斎から聞いた話を。
意外な所で祐樹が浅香が聞いてきた続きの話を星亜から聞いてきていたようだった。

まずは浅香から。

村同士の対立はかなりあったということであった。 それは花生の居た村である僧里村と相対する他の村の集合体であった。

僧里村は花生が嫁いでいったことをかなり鼻にかけていた。 それ程に当時の朱葉姫に対しての想いと、朱葉姫の兄に憧れる娘が多かったということであった。

花生が実家に戻ってきた時には、隣の村である座斎村にも姿を見せていたという。 さすがに遠くなる他の村まで足を運ぶことは無かったようだが、座斎村からの話を聞いて他の村も怒っていたという。

『あれはわざと。 わざと花生の姿を親族が見せて回っていたに違いない、自慢しとった、そう語られとる』

座斎村の娘たちも朱葉姫が館でどうなのか、兄がどんな様子なのか訊きたいという気持ちはあったが、朱葉姫の兄の嫁になったことを鼻にかけるような花生の態度を見て怒るしかなかった。

だがそんな話は館までは届かなかったらしい。 誰もが朱葉姫に嫌な話を聞かせたくなかったのだろうということであった。

「親族が見せていた、ですか?」

『ええ、自慢だったんでしょうね』

「そして花生さんの態度も気に食わなかった?」

『そうみたいです。 花生がどんな態度をとっていたとまでは知らなかったようですけど。 それを思うと、もしかしたら花生は普通にしていたのかもしれません。 大婆さんの話では、花生が違う態度を見せるのは親族の前だけだということでしたから。 親族の態度が良くなかったから、花生の態度も良くは見えなかったのかもしれません』

それがあってか、朱葉姫が亡くなったのは花生のせいだと言われるようになった。 きっと館でも不遜な態度を取り、朱葉姫が心痛から身体を弱くし流行り病に罹ってしまった。 館では誰も流行り病に侵されていない。 村でもそうであった。 きっと身体を弱くしてどこかから飛んできた弱い流行り病に罹ったのだと。

『で、曹司にも訊いた話なんですけど、座斎村からは当時、一人の女性が館に仕えていたそうなんです』

「私も座斎さんから聞きました。 座斎さんは名前を知らないと言ってましたけど、名前を言えば曹司も思い出すかもしれませんね」

『それが残念ながら昔語りには残っていないんです』

「うわぁー、浅香ってもう一歩が足りないんだよなー」

しっかりと祐樹も聞いているようだ。

『僕のせいじゃないよ』

館に仕えている者は泊まり込みであったが、館にずっと入りっぱなしではなく、時々村に戻って来ていた。 館から戻ってきた者には皆が話を聞きたがって寄ってきたということだった。

どの村でも戻ってきた者が喜んで話を聞かせたということだったが、座斎村から仕えていた女はいつも難しい顔をしてあまり話したがらなかった。
仕方なく村人は他の村々に戻ってきた者から話を聞いていた。 そこで僧里村以外の村同士の結束も余計に固まったのだろうと浅香が言う。

『最初に座斎さんのお婆さんから、僧里村では花生を庇っただろうと言われたんです。 大婆さんの村のことです。 その意味がこのことなんだろうなと』

最初の浅香の言葉に “え?” っと思った。 大婆さんはそんなことを言わなかったからだ。 だが他の村の結束と聞かされれば、そういう事かと納得が出来る。

「村の対立のことも頭に入れておかなくてはいけないということですね」

大婆から聞いた時には全く考えもしなかったことだ。 それに、それらしいことを座斎も言っていた。

『そうなりますね』

「その女性はどうして話したがらなかったんでしょうか」

『そこまで昔語りに残っていないということでした。 名前も最初は残っていたのかもしれませんが途中で忘れられたのか、あまり話したがらなかったというところでわざと名前を伏せたのか。 昔語りというのは都合の悪いところを伏せたり隠したりして都合よくしたり、隠語にしたり段々と変わってきたりもするでしょうからね』

「そうですか・・・たしか昔話もそうだと聞いたことがあります」

「え? そうなの?」

思わず祐樹が詩甫に訊いた。

今は平和な昔話だが、それは書き換えられたものであり、当初の昔話は今の感覚で子供に聞かせられるような話では無かったり、残酷であったりした。
昨今でも昔話が平等ではない、腹を割くなどと残酷だと書き換えられているようだし、小学校で配られる手洗い推奨のステッカーなども “菌を殺す” ではなく “菌をやっつける” と変わってきている。

『そう思うと、大婆さんのところで聞いたことも丸っきり言葉通りとはいきませんね』

「さっきから言ってる大婆さんって誰?」

大婆から聞いた話を詩甫は祐樹にしていない。
花生のことは山の中で花生の名を耳にして気になっていたのだろう、部屋に戻った時に祐樹に訊かれ説明をしていた。 だがそれはとても綺麗な朱葉姫の兄嫁だということだけであった。

「うん、ちょっと前に話を聞いたお婆さん」

「オレ聞いてないけど」

二人の会話から、詩甫が祐樹に大婆のところで話を聞いたことを話していないのだと気付いた。
要らないことを言ってしまった。

(うわぁー、そんなことは事前に言って欲しかった。 多足宇宙人ウインナ―の時にちゃんと言っておけばよかった・・・)

「花生さんのことを教えてくれたお婆さんよ。 花生さんの親戚だって」

「ふーん・・・」

きっと祐樹は口を尖らせているのであろう。 詩甫が言うからその程度なのだろうが、浅香が言ったらケリが加えられるかもしれない。

『でも館に仕えるのが嫌ではなかったようで、誰にも嫁がず動けなくなるまで仕えていたということです。 当時、仕えていた人でそんな人が多くはなかったようですね』

詩甫が座斎から聞いたのも同じことで、座斎はその女のことはそこまでしか知らないということであった。

「それはもしかして、いまあのお社にいる人たちのことでしょうか」

『その可能性はありますね』

だからと言ってこれが何のヒントになるのだろうか。 その女性があのお社に居るというだけで・・・。 話したがらなかったというところは気にかかるが。

「それなら曹司に調べてもらえますね」

『ええ、それで調べといてくれって言ったんです。 どこの村の出身かも』

あの時の浅香の曹司に対しての言いようには驚いたものがあった。 だがあれが本来の浅香なのかもしれない。 詩甫と祐樹にはかなり気を使ってくれているのかもしれない。 そう言えば瀬戸が “他人行儀” と言っていた。

「大蛇の言い伝えはどうでしたか?」

花生のことをよく思ってはいない村であった。 花生の態度が山の神の怒りに触れ、山の神が大蛇を遣わした。 そう昔語りに残っているという。

「うわぁ・・・日本昔話みたい」

祐樹の頭に日本昔話のオープニングが浮かぶ。

『まさにそうだね』

「では直接的に花生さんのせいにはなっていないということなんですね?」

座斎も神が遣わしたと言っていたが、眉唾ものであるな、と思ったが間違いなくそう言い語られているようだ。

『そのようです。 きっと他の村もそうだと思います』

次は座斎から聞いた話を詩甫がする。

「ほぼ浅香さんと同じです」 と始め、浅香からは聞かなかったことを話し出した。
村々には社と祠があるということであった。 どの村も村の社と祠に足を運び、紅葉姫社には別の目で足を運んでいたという。

「別の目?」

「座斎さんが言うには、当時の人達はどの村も紅葉姫社を村の社や祠と同じように考えず、朱葉姫を想って足を運んでいたのだろうということでした」

だが後年になると僧里村しか足を運んでいないようであったと座斎が付け足して言っていた。

「後年と言っても何百年後だと思うと言ってらっしゃいました。 その辺りから大蛇説が出て来たのかもしれないとも言ってらっしゃいましたが、もしかしてそれだけでは無く、浅香さんの仰ったように、僧里村が鼻を高くしていたという言い方をされていてそれも一因かもしれないと」

『鼻を高く、か。 村の対立・・・そこに何かがあるんでしょうかね』

「そうかもしれませんけど・・・分かりません」

「お兄さんは村の喧嘩って言ってたけど、それと同じことかな?」

「え?」

『え?』

最後に祐樹が星亜から聞いた話を始めた。

「オレが最強王になったあとなんだけどね」

と、意味の分からない話しから始まった。

「お兄さんが絶対負けないって優香ちゃんと挌闘しながら、結局は負けちゃたんだけど」

更に意味が分からない。

「三戦しても四戦してもオレが最強王のわけなんだ。 で、優香ちゃんが次席」

「祐樹、何のこと?」

「オレが最強ってこと。 その時にお兄さんが言ったんだ、だからこの村は勝てなかったのかーって。 ちょっと叫んでたかな」

「村が勝てなかった?」

「うん、お兄さんの村に昔昔、綺麗なお姉さんが居たんだって。 そのお姉さんが朱葉姫のお兄さんのお嫁さんになる筈だったんだって」

『え? ちょっ、祐樹君、それどういう事!?』

浅香も詩甫も大婆から聞いたことを思い出していた。 花生は朱葉姫の兄の心を射止めるのに少々とんでもない手を使った、大婆がそう言っていた。

「勝負に負けたって話だよ。 でもお兄さんはその話は怪しいって言ってた」

『怪しいってどういう事?』

「多分、お兄さんの村が勝手にそう思い込んでたんじゃないかって。 だから他のお姉さんが朱葉姫のお兄さんのお嫁さんになるって決まった時に怒ったんじゃないかって。 そこから喧嘩が始まったって」

『喧嘩って言うのは具体て・・・例えば?』

「さっき姉ちゃんが言ってたけど、お嫁さんになったお姉さん・・・花生さん? 花生さんがお嫁さんになる前に、お兄さんの村の人たちが花生さんの村のお社や祠を壊したりしたらしいよ」

「それが言い伝えに残ってるって、星亜さんが言ったの?」

そんなことを座斎は言わなかった。 浅香も然りである、座斎の祖父母から聞いていなければ大婆からも聞いていない。

「言い伝えって昔語りのこと?」

「あ、うん、そう」

「昔語りにはないって。 お兄さんがオレくらいの時に親戚の人がお酒を呑みながら話しているのを聞いたんだって。 で、お兄さんはそれが気に食わなかったんだって。 だから村のお爺さんやお婆さんに訊きに行ったんだって」

年寄りに訊いた結果、星亜の見解として当時の過剰な被害者意識であったということらしい。 当初は昔語りに入っていたかもしれないが、その後語られなくなったのかもしれない。 だから少なくとも今の昔語りには残っていないということなのだろう。
そうであるならば、座斎村では都合の悪いことは昔語りとして残していないということだ。

「浅香さん、もしかしてその女性が朱葉姫の館に入って仕えていた人とは考えられませんか? 大蛇の正体が花生さんではなく、その女性とは考えられませんか?」

『いや、待って下さい。 座斎村が僧里村の社や祠を壊したという話は本当にあったのかもしれません。 その女性が朱葉姫のお兄さんのお嫁さんになれなかった話も本当かもしれません。 だからと言ってその女性が大蛇に結びつくとは現段階では考えられません』

今までの話からその女性が館に入っていた女性とするならば、結婚をすることなくずっと仕えていた女性ということになる。 もしずっと朱葉姫の兄のことを想っていれば、花生を自慢していた花生の筋の者が憎かろう。 それに花生自身も。

『野崎さんは花生が大蛇ではないと、そうお考えなんですね』

「・・・はい」

『それはどうしてですか?』

「花生さんはずっと朱葉姫に寄り添ってこられたんです。 大婆さんが言うような花生さんであったなら、朱葉姫が亡くなった後に態度が変わると思うんです。 でもそうではなかった」

『それは良き義娘、良き妻、良き義姉を演じていたと大婆さんが言っていた延長上にあるのではないですか?』

詩甫が首を振る。

「姉ちゃん・・・」

「嘘偽りを何十年も同じようには出来ません」

『それを言ってしまえば、その女性も同じです』

「え?」

『もしその女性が館に入っていたとして、の話ですけどね。 その女性も同じように朱葉姫に寄り添う・・・仕える・・・どんなことをしていたかは分かりませんけど、もし不遜な態度が見られれば、館から出されたのではないでしょうか』

「あ・・・」

『その女性を大蛇だと考えるのであれば、その女性も花生と同じように何十年も朱葉姫の生前から死後も寄り添っていたはずです』

「・・・そうですね」

『すみません、言い方きつかったですね』

「いいえ、そんなことは・・・」

『どうして野崎さんは花生の肩を持つんですか?』

「肩を持っているわけではありません。 今の女性の話にしてもそうですけど、何十年と・・・それこそ朱葉姫が亡くなっても、朱葉姫を見ていた人達が人を殺めるなんて考えられなくて」

『そういうことですか』

「朱葉姫からは、人を想う、人の笑顔が一番の輝きであり、それが他の人の心の糧になる、とでも言ったらいいのかな、そんなことを感じるんです。 だから周りの人達もきっとそうだろう、そうでなければ朱葉姫を理解できない、一緒に居られないと感じるんです。 でも理解できない人ですら朱葉姫は包んでくれそうですけど」

『そうですか。 朱葉姫に会った人にしか分からない事ですね』

ここで浅香は言いたいことを止めた。
大婆は詩甫に『あんたのご先祖さんは女の持つ執念を持ち合わせていなかったか』 そう言った。 それは詩甫を見て分かると言っていた。 詩甫も同じということだ。
たとえ朱葉姫と会った詩甫とて、詩甫はそこまで考えられないだろう。

この日の話はこれで終わった。


そしてそれからほぼ一週間後、浅香の目の前に祐樹が座っている。 祐樹一人だけである。 そこは浅香の部屋であった。

終業式を終えてそのまま詩甫の部屋に行くつもりであったが、そうはならなかった。 この日は終業式を終えた翌日であった。

浅香の出勤形態など知らない祐樹が浅香の部屋を訪ねると、偶然にも浅香が居た。

「ふーん、祐樹君バレンタインにチョコ貰ったんだ」

男ばかりの職場にいる浅香にはこの何年もそのような事はなかった。 いや、職場を言い訳にしているに過ぎないことは浅香自身も分かっている。

「そんな話してないだろ」

「しただろ」

話したから浅香が知ったのだから。

「だからっ・・・。 どうしたらいい?」

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国津道  第43回

2021年06月14日 22時07分56秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第40回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第43回



浅香は早足だが、祐樹はほとんど走っている。

社まで戻ってくると、きっとやられるだろうなと覚悟しながら、社の裏にタライを置いてその中に袋に入れたままの木切れを入れた。 木切れが重石になってタライは飛ばないだろうし、袋はきっちりと括った。 その袋に入れてあるから万が一雨が降っても木切れは雨に当たらないだろう。 やられなければ、だが。

浅香が小さな袋にまとめてあったゴミの袋の中に二人分の軍手を入れると、隣に置いてあった金槌と釘、祐樹の両手に持たれていたコテとヘラも袋の中に入れる。

「よし、じゃ下りよう。 急ぐからバラけないように手を繋ぐ、いいね」

ここまでは手を繋ぐことなどしなかった。 小川から社までは木々も生え、登り坂にもなっている。 湿った地面の上の枯葉で足を滑らせるかもしれない。 それを考えると手を繋ぐより、手をフリーにさせておく方が体のバランスもとりやすいし転んだ時に手をつける。
浅香が手を出す、祐樹がその手に自分の手を乗せる。

「走るよ。 曹司、ついて来いよ」

坂の上までの平坦な道を走り坂を降りる。 雨が降った後だ、地面が濡れていて滑りやすい。

「祐樹君、気を付けて」

「うん」

言った途端、ズっと祐樹が足を滑らせた。 浅香が握っていた手を上に上げる。 尻もちを着きかけた祐樹の身体が持ち上げられた。

「大丈夫?」

「うん・・・」

言われた途端にやってしまった。 顔を上げられない。

「亨、それくらい気を使えんのか」

自分にもそれくらい気を使えということであろう。

「要らないこと喋ってないで周りに気を付けとけよ」

「話し方にしてもそうだ。 どうしてもっと敬えん」

「だからー、ちゃんと辺りを見張ってろって」

「見ておるわ。 誰も居らん」

浅香の足が若干緩んだ。 元々祐樹に合わせているのだ、さほど早いものではない。 とはいっても祐樹は何と言っても、もうすぐ五年生になる元気な小学生だ。 坂が乾いていればそこそこ走れるだろうが、調子に乗って走ってしまうと足を滑らせて転げ落ちてしまうかもしれない。 特に今は何があるか分からない。

「あ? え? そうなのか?」

詩甫は大丈夫だったのだろうか。 だが今はまだ坂の途中だ。 まだ詩甫に近付いていない。

「花生って人は?」

「・・・居られん」

ここに花生が居なくて良いのか悪いのか。

花生の存在を知らない祐樹。 今の話の内容では花生というのは曹司にしか見えないようだ。 浅香は “花生って人” と言っているが、その花生というのは人ではない。

「浅香・・・姉ちゃん幽霊にどこかに連れて行かれてない?」

そんな発想もあるのか。
そう言えば妖怪は人をどこかに連れて行ったりする。

(って、こんな時に俺ってば何を考えてんだ!)

「きっと大丈夫だよ。 とにかく急ごう」

「うん」


詩甫が腕時計を見た。 午後二時を過ぎている。 浅香たちが山に入ってから既に二時間半は経っている。 社までの往復を五十分と考えて、一時間四十分の作業ならそろそろ下りてくるはず。 それとも作業に二時間くらいかかるのだろうか。 それとも何かあったのだろうか。

花生にもうここに来るなと言われた。 その “ここ” とは何処のことなのだろうか。 社なのか、話していたあの場所なのだろうか、それともこの山に入るなということなのだろうか。
山の中に入るのが怖い。
花生が最後に言っていた。 今度こそ殺されたいのか、と。

だがここでただ待っているだけなんて・・・何度時計を見たことだろう、もう待てない。
山の中に入ったところで浅香や祐樹の何が変わるわけではない、それは分かっている。 変わるのであれば詩甫自身だろう。

もう一度時計を見た。 詩甫がぐずぐずと思い出してから更に五分経っていた。
山の中を覗き見る。 木々の間の先に階段が少し見える。
詩甫が足を踏み出す。

丁度階段の下に来た時「姉ちゃん!」 という祐樹の声が聞こえた。 祐樹が階段を駆け下りてきている姿が目に映った。

「祐樹!」

無事だった。
ずっと後ろには浅香の姿も見える。 浅香は走って下りてきてはいないようだが、無事であったようだ。

「花生って人の気配はないんだな」

回りくどいから “花生” とだけ言いたいが曹司が怒るだろう。 当の曹司は “様” まで付けているのだから。

「ああ、花生様だけではなく誰の気配もない」

「もしかしてだけど瀞謝が花生って人と会っていたかもしれないけど、どうする?」

「・・・」

「僕としてはどっちでもいいけどな」

祐樹が走って詩甫に飛び込んできた。

「姉ちゃん、何ともなかった?」

詩甫の背に手を回し、一度埋めていた顔を上げる。

「うん、大丈夫だったよ。 祐樹は? 何もなかった?」

「うん、曹司がずっと見張っててくれた」

「そう、ちゃんとお礼を言った?」

「あ・・・」

幽霊にお礼を言うなんて発想にもなかったし、思い返せば急いで下りてきて社にも供養石にも手を合わせてきていなかった。

「ここまで来てくれるといいけど、その時にちゃんとお礼を言おうね」

「うん・・・」

曹司と話す・・・幽霊にお礼を言う。 気が遠くなりそうだ。

「浅香さんは怪我をしてない?」

まだゆっくりと下りてきている。 どこか怪我をしたのだろうか。

「うん、全然何ともない。 曹司と言い合いをしてるんじゃないかな?」

「言い合い?」

「浅香、曹司に無茶苦茶言うんだもん。 いつ曹司が怒り出すかヒヤヒヤもんだった」

浅香が曹司であろうと誰かに無茶苦茶に言うなどと信じられないが、曹司は長年を生きているのだ。 生きていると言うのは語弊があるかもしれないが、器は大きいだろう。 それは失礼を平気で言っている祐樹に対しての浅香も同じだろう。

「曹司も浅香さんみたいに心が広いのよ」

「そうかな、曹司も結構言ってたよ?」

「祐樹も浅香さんに結構言ってるよ?」

「う・・・」

詩甫はそれが言いたかったのか。 浅香が怒ったのは “おじさん” と言った時だけだった。 それも本気で怒ってはいなかった。
だが今更浅香との間での態度を変えられるものではない。

「星亜さんに対してと同じくらいの態度にしなくっちゃ」

「うぅ・・・」

「あ、ごめん。 こんな時にお説教だなんて。 なんだかずっと心配で待ってたからほっとし過ぎちゃったみたい」

「・・・浅香・・・汗かいて大工仕事してた」

「え?」

「ちょっと見直した」

左官とは言わなかった。 祐樹が左官という言葉を知っているのかどうかは分からないが、金槌や釘を買っていたのを見ている。 きっと祐樹が言うように汗を流しながら大工仕事をしていたのだろう。

「野崎さん、大丈夫でした?」

「はい」

お待たせしましたではない。 心配してくれていたのだろう。 祐樹を見ていた顔を上げて答えると、その後ろに曹司の姿があった。

「曹司・・・」

ここまで二人を送ってくれたのか。

「弟から聞きました。 お世話になり有難うございました」

祐樹も詩甫に回していた手を解いて「ありがとう」 と震える声で言った。

「大儀ない」

「文句ばっかり言ってたくせに」

「なんだと!」

祐樹が詩甫をつついた。 詩甫が祐樹を見ると「ずっとこんな感じ」 と小声で言う。

「野崎さん、もしかしてですけど花生って人と会いました?」

曹司を無視して浅香が言うと、次を言いかけていた曹司が口を閉じ詩甫を見る。

「はい」

「花生様は何か仰っておられたか?」

浅香の後ろからずいっと出て来て詩甫に近付く。
ひいぃぃーっと小さな悲鳴を上げて祐樹が詩甫の後ろに回り込みしがみ付く。

曹司の質問に詩甫が頷き、花生との話を話し始めた。

「確かに言ったと? そんなことを? それで笑うしかないと? 花生様が?」

村で花生が朱葉姫に対して良くないことを言っていたらしいが? と、花生にその話を聞かせると花生はたしかに言ったということを曹司に説明をした。

村での話のことは既に浅香から聞いて知っていたが、それを花生が認めたということ。
瀞謝が嘘をつくはずはない。 花生にしても然りだ。 だが曹司には簡単に信じられるものではない。

「それと村も曹司も甘いと」

「甘い、と?」

「はい、曹司には期待をしていたのにと」

「曹司、心当たりはないのか?」

曹司が首を傾げながら考える様子を見せていた。 だが間髪を入れず詩甫が続ける。

「あとは私にはもうここには来ないようにと。 今度こそ殺されたいのかと」

「え・・・姉ちゃん・・・」

「ここというのが何処か分かりません。 話していたこの場所のことなのか、社なのか山のことなのか」

「・・・花生様」

「曹司、何か思い出したらどんなことでもいい。 すぐに知らせてくれよ。 僕たちだってこうしてすぐに知らせてるんだから」

「曹司、教えてほしいことがあります」

「あ、今度訊いとくって言ってたのはもう聞きました」

詩甫が首を振る。

「人の背景が分からないんです。 私たちが耳にするのは村の昔語りだけです。 当時のことを誰よりも知っているのは曹司だけです。 人間関係その他、それを教えてほしいんです」

すると曹司が首を振る。

「教えないわけではない。 だが朱葉姫様が居られた時には己は幼過ぎた。 一度亨と話した時に昔を思い出すことが何よりも肝要、人の機微を思い出そうとしたが、朱葉姫様が亡くなられてからもずっと朱葉姫様のことしか考えていなかった。 力をつけ盗賊からお館を守る仕事はしていたが、周りに目を配ってはいなかった。 己には人が何を考え何を言っていたか、はなから記憶にはない」

「そうですか・・・」

「曹司、これは分かるだろう。 “家に入る” ということを聞いたが、それはきっと今、曹司が言った館、そこに入るという意味だと思うんだけど、朱葉姫が居る時に村からそうやって館に入って来た人達が居ただろ、何人いた?」

「お館に仕える者は全員そうだ。 お館に入る。 だが嫁いでいく者もあれば、嫁をとって辞めていく者もいる。 数えていてはきりがない」

「大体でいい。 そうだな、朱葉姫が亡くなる前、合計で何人くらい?」

思い出そうとしているのか、曹司が空を見上げる。

「そうだな・・・知っているだけ、覚えているだけで七人はおったか」

「知ってるだけってのは?」

「言っただろう。 朱葉姫様がお亡くなりになった時には己は幼かったと。 己にはその時仕事があったわけではない。 庭で遊んでいただけだ」

「ってことは、その七人ってのは遊んでくれた相手か?」

「そうだ」

「それは今、お社に居る人達か?」

「全員ではない。 当時遊んでもらっていたのはお社に居る中の数人だ」

「でも今お社に居るのは、朱葉姫のことをよく知ってる人だよな? 誰かに訊いといてくれよ」

「・・・そうだな」

「ついでにどの村出身とかも」

「朱葉姫様が待っておられる。 今日のことには感謝する」

すぅーっと曹司の姿が透けていく。

「なんだよ急に! おい! 分ってんだろうな! ちゃんと情報寄こせよ!」

曹司の姿が消えてなくなった。

詩甫が驚いた顔をしているが、それに全く気付かない浅香だった。

「野崎さん祐樹君、出ましょう。 曹司が居なくなっては何があるか分かりませんからね」

「はい・・・」

祐樹が言ってた、浅香が曹司に無茶苦茶言っていたという意味が分かったような気がする。


タクシーを降り、持っていた袋から不要な物を選別すると駅のゴミ箱に入れ電車に乗った。 使いまわしたいものは袋の中に入ったままである。

絶好のタイミングで電車が入ってきた。 三人で乗り込み座席に座るとすぐに詩甫が訊いてきた。

「曹司に訊いて下さったこと、なんて言ってました?」

「ええ、その様な人は誰も見なかったようです」

花生に代わり朱葉姫の社に謝りに来た人は誰も居なかった。 いや、正確には見なかった聞かなかった、当時の曹司の耳目には映らなかった、ということであった。 それに後年になってからはきっとそんな話を朱葉姫からも聞いていないのだろう。 本当にいなかったのか、それとも浅香が言っていたように、その頃の朱葉姫にはまだ力がなかったのか。

「それどころか人死にがあったことも知らなかった様です」

「全くですか?」

「ええ、あの村の人のこともそうですし、修繕に来た男達のことも」

「修繕に来た人たち?」

そこで浅香が祐樹が星亜から聞いてきたことを話した。

「昔語りの中の噂の域かもしれませんが」

修繕に来た者のことはタクシーの運転手からは聞いていたが、浅香は座斎の祖父母からそんな話は聞かなかったし、詩甫にしてみても座斎からそんな話は聞かなかった。
村々で昔語りが違うのか、単に昔語りから枝葉が生えただけなのか。 だが一蹴できるものではない。

「どうしてでしょうか・・・少なくとも曹司が見回っているんですよね?」

「曹司が言うには当時は今のような力もなく、社から出ることも無かったそうですから社の外で何かあっても気付かなかったということでした。 力を持った後も山を下りることが無かったようです。 見回っていると言っても最初は社のあるあの辺りだけだったようで、今はその時と比べて広い範囲をとっているようですが、それでも滅多に山を下りることは無いようです。 あくまでも社を守っているということで、それも民が来なくなって大分してからということでした」

そういうことか。

曹司のことは分かった。 そしてもし噂ではなく本当のことであったとして、修繕に来た者達が亡くなってしまったことを曹司と同じように社の中に居る朱葉姫が知ることは無いだろう。
そしてもう一つ、やはり大婆の言うように、朱葉姫に謝罪しようとしていた大婆の家の筋の女たち・・・婆たちは社に辿り着く前に突き落とされていたのかもしれない。

「座斎さんから何か情報はありましたか?」

「少し。 お爺さんとお婆さんからは?」

「村同士は対立していたみたいです」

「対立?」

「ええ」

詩甫の方を向いていた浅香が何気に前を向いた。 正面に座る中年の男と目が合った。 その男は耳を澄ませて聞いていたのだろう。 すぐに下を向いた。
話しの内容に興味を持ったのか、おかしな三人組に興味を持ったのか、それとも単に退屈だったのか。 どちらにしても人に聞かれたくはない話だ。

浅香が腕時計を見る。 午後二時四十分。 自分はいいが、小学生の祐樹はお腹を空かせているだろう。

「途中、乗り換えのところで遅まきながらの昼ご飯を食べませんか?」

詩甫に話しかけた後、二人の間に座っている祐樹を見る。

詩甫は座斎の家でたらふく和菓子を食べていて昼食時を過ぎているのに気付いていなかった。 うっかりしていた、祐樹はお腹を空かせているはずだ。

「ん? オレならまだそんなにお腹空いてない。 お兄さんの部屋でおやつ一杯食べたし」

「え? そうなの? じゃ、野崎さんは?」

「あ、私も座斎さんが和菓子をいっぱい出してくれて」

浅香だけが茶で終わっていたようだ。

「あ、そうなんだ。 じゃ、お腹の心配はないんですね」

浅香が急にお昼のことを言い出したのには気付いていた。 前に座る男が聞いていたからだろう。

「またお電話します」

電話で情報交換ということだ。

「えー、それじゃあオレが仲間はずれになる・・・」

「ちゃんと祐樹にも聞こえるようにするよ?」

「・・・ならいいけど」

その方法を知らないのだろう。 信じていないのか、少し不貞腐れているようだ。

「今日はお疲れでしょうからゆっくりと休んでください。 明後日、ご連絡を入れます」

浅香の出勤形態を考えるとそうなってくる。
今日は祐樹から浅香が汗を流して大工仕事をしていたと聞いていた。 疲れているだろう。

「姉ちゃん、それじゃあ、オレが姉ちゃんのところに居ないよ」

「あ、そっか」

「慣れないことをして疲れていないとは言えませんけど、そうですね・・・それじゃ今日、六時ごろにこちらからお電話を入れます。 祐樹君そんな時間になっても大丈夫?」

電話の前に腹に何かを入れたいし、風呂は諦めても取り敢えずシャワーだけでも浴びたい。

「おう、余裕」

余裕、ではないが、仲間外れにはなりたくない。 帰る時間が遅いと母親に何か言われるより仲間外れの方が嫌だ。

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国津道  第42回

2021年06月11日 22時14分59秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


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- 国津道(くにつみち)-  第42回



やっと社までやって来た。 ここまで不穏なことは無かった。

まずは何よりも先に曹司を呼ばなくてはならない。 社の前に立ち浅香が曹司を呼ぶ。 その背中を祐樹が守っている。

(ん? それとも上からか? 脳天直撃か?)

上を見るが、寒空に白い雲が流れているだけである。

(あれ? そういえば、お社の前には木がないなぁ・・・)

坂を上がって来て社の前までには木はない。 ましてや、坂を上がって来て左手は雑草こそ生えてはいるが広く開けている。
今まで竹箒で掃いていたのに気付かなかった。 いやそんなことを考えなかった。

「なんだ」

浅香と違う声音が聞こえ顔を戻すと、祐樹の前の空気が歪み時代遅れの衣装を着た男が薄っすらと現れた。

「うぇっ!」

「良かった、居た。 先週はいなかったみたいだけど、今日は絶対にきいて欲しい頼みがある」

薄っすらとしていた姿が段々濃くなってきて祐樹にもはっきりと見える。

(こ、これが・・・曹司)

「褌(ふんどし)もせん奴からの頼みは受けん」

それに先週はいなかったのではない。 浅香の前に姿を現す気がなかっただけである。

「まだ言ってるのかよ」

(ふ・・・ふんどしぃー・・・?)

曹司の存在におののきながらも単語に疑問を持ってしまう。

「今からお社の修理をするから見張っててくれ」

こんな所で褌論争をする気はないし、それは終わったはずだ。 それにそんなことより祐樹に何かあってはいけない、今は話を進めるだけだし、頼みごとのようには言ったが気持ちの上では強制だ。

「・・・」

「おい、今まで修理しようとしてきた人たちがどうなったか知ってるだろ」

「何のことだ」

「え? 知らないのかよ」

「だから何のことだ」

(い“い”―――)

浅香と幽霊が当たり前のように会話をしている。 簡単に受け入れられる図ではない。

「みんな死んだよ」

「なんだと!」

「本当に知らなかったのかよ。 だから取り敢えず・・・いや、取り敢えずじゃ困る。 しっかり見張っててくれ」

「亨、話を聞かせろ」

「話はあとだ。 とにかく修理してる間、目を光らせておけよ」

(あ、あさ、浅香ぁ・・・幽霊に命令すんなよぉー・・・)

祐樹の目が涙目になり唇が波打っている。

「先祖にその言い草はなんだ」

こくこくと、祐樹が首を縦に振る。 先祖だろうと何だろうと、幽霊に命令をするなんて。

「うっさいんだよ、とっとと終わらすからしっかり見張っとけって言ってんだよ!」

(浅香ぁー、やめてくれぇー。 幽霊が怒ったらどうすんだよおぉー)

「祐樹君、さっさと終わらす。 見張は曹司に任せて手伝ってくれ」

「う、うわぁ・・・」

「祐樹君?」

「だって・・・だって・・・怒ってる」

曹司のことを言っているのであろう。 確かに曹司が睨んでいる。

「放っときゃいいんだよ。 始めるよ」

浅香が荷物を持ってさっさと歩き出した。 慌てて祐樹が曹司から出来るだけ離れて浅香について行く。 その浅香が社の裏に回った。

「とにかく袋の中から全部出して」

「あい・・・」

ついて来た曹司に怯えた目を送りながらの返事であった。 浅香が笑いかけたが、そんなことをしたらあとで何を言われるか分かったものではない。

浅香がセメントの袋を取り出すと、買ってきたタライの中に入れる。 ペットボトルの水は浅香がホームセンターのトイレの蛇口から取っていた。

『調べたんだけどね、ミネラルウォーターでもいいかどうか分からなかったから。 ちょっとイタダキ』
そう言っていた。 袋に入っていた空のペットボトルはこの為の持参だったようだ。

「袋からだしたら、コテとか台紙から外して」

袋に書かれている配分を見ながら計量カップで水を入れていく。
祐樹が台紙から外したコテを手に取る。
少し落ち着きを取り戻した祐樹が基礎の石に目を送ると、一つだけ外れかけている。 いや、違う所でもズレてきているように見える。

セメントを練り終えた浅香が祐樹に軍手を渡す。 二組ワンセットだった。

「大きいけど軍手はめて。 それであの粘土工作のヘラでズレてきてるところの細かい所にセメントを中まで入れて」

「え? オレそんなことしたことない」

「僕だって初めてだよ。 初心者同志、適当でいいから。 仕上がり二の次、出来栄え三の次、一日でも持たせるつもりでいいから」

「・・・うん」


花生が大きく溜息を吐いた。

「ああ、確かに言うたが、笑うしかないのぉ」

詩甫は花生が実家に戻って朱葉姫の悪口を言っていたことが本当なのかと尋ねた。 聞いたままは言っていない。 かなりオブラートに包んで言った。

「どういうことですか?」

気だるげに花生がうなじに手をやる。
同じ女の詩甫から見ても艶っぽい。 そのまま浮世絵になりそうだ。

『朱葉姫の兄の心を射止めるのに少々とんでもない手を使った』 と大婆から聞いたが、この美しさがあればそんなことは不必要だったのではないだろうか。 大婆は性格もさほど悪いものではなかったと言っていたのだから。

「曹司もあの村も・・・甘いのぅ」

「村も曹司も・・・ですか?」

「そう・・・。 あれほど言ったのにのぅ。 曹司には期待しておったのだがなぁ」

話しが見えない。

「あのっ!」

「お前・・・もうここに来るではない」

「花生さん!」

「今度こそ殺されたいのか?」

詩甫の目が見開いた。

「花生さん・・・」

花生の身体が段々と透けていく。 透けていく後姿の花生が肩越しに振り返った。 その視線が念を押しているかのようだが、見返り美人、そう思わせるほどに美しかった。

「花生さん・・・」


浅香がセメントを塗りながら曹司に話しかける。 祐樹の心臓はバクバクと音をたてている。

「瀞謝が曹司に聞いて欲しいって言ってたんだけど」

浅香に言われ辺りに気を巡らしていた曹司が浅香を見る。
祐樹の手が止まった。 その昔、詩甫は瀞謝という名であったと聞いている。

「花生って人が亡くなる前や後に、その親族の分家や本家が社に手を合わせて謝りに来たはずだけど? 知らない?」

浅香の手は止まっていない。 思わず祐樹も手を動かす。

「謝る?」

曹司のその返事で十分だった。

「なにを」

「いい、分かった。 それで充分だ」

曹司が半眼で浅香を見る。

「ちゃんと見張っとけよ」

(だから、浅香ぁー、幽霊にそんな言い方すんなよー)

ヘラで隙間を埋めていく祐樹だが、仕事に集中できるものではない。

「曹司?」

女の声が聞こえた。 曹司が振り返るとそこに女の姿があった。

「薄姉(すすきあね)」

薄であった。

明らかに幽霊だ。 着ているものも時代の流れに乗っていないし、曹司が姉と呼んだのだから。
幽霊体が増えたということだ。 祐樹が凍りつく。

つい前、薄は社を出た時に寂れた社を見て悲しい顔をしていた。 今の社を見たくはないはずなのに。 それなのにどうして。

「朱葉姫様が心配をしておられますよ」

「え?」

「急に曹司の分霊の声がしたと言って出て行ったら戻らないと」

「あ・・・」

そうだった。 朱葉姫と話している途中だった。
薄の目が浅香に向く。

「曹司の分霊、ね?」

滅多に社の外に目を向けない薄だ。 いや、薄だけではない、今は一夜もそうである。 そして曹司と朱葉姫を除く社に居る誰もがそうだ。

浅香が作業の手を止めて頭を下げる。
浅香を見て『曹司の分霊ね』 と幽霊が言う。 祐樹の頭の中がパニックに陥りかけている。

「朱葉姫様が曹司の心配をされているの、戻らせていいかしら?」

浅香が曹司を見る。 それはお断りだという目をして。

「亨」

今にも曹司が社の中に戻ろうとする。 それほどに朱葉姫に心酔しているのか。 だが今はそれを認めるわけにはいかない。 自分の命もある、祐樹の命もある、社のこともある。

「社を今日明日に潰したいのかよ。 それに責任取れよ。 瀞謝に協力しろって言ったのは曹司なんだからな。 ちゃんと見張ってろ」

(浅香・・・)

どうして幽霊相手にそんなに強く言えるのだろうか。

「ほら、祐樹君、手が止まってる」

「あ、うん」

曹司が深く息を吐いた。 この子孫は先祖への口の利き方を全く知らない。 それに分霊であるにもかかわらず、曹司の気持ちが全く分かっていない。 今更だが・・・。

「薄姉、亨の用が終わりましたら戻りますと朱葉姫様にお伝えくださいませ」

薄が悲しそうな顔をする。 社に居る誰もが朱葉姫に微塵ほどの心配もさせたくないのだ。

「曹司・・・」

「そう時もかかりませんでしょう」

「・・・分かりました。 そうお伝えしておきます」

曹司を見て言うと浅香に目を転じる。

「瀞謝は来ていないのね?」

念を押すような言い方だ。

「下で待ってます」

(うわあぁー、曹司以外とも話すのかよおぉ・・・)

「そう・・・瀞謝と会えないのは寂しく思われますけど、朱葉姫様もご安心でしょう」

詩甫が来るということは朱葉姫の心配の種になるということ。 それを危惧して訊いてきたのか、だから念を押すように言ってきたのか。 きっとこの社の住人誰もがそう思っているのだろう。

(曹司だけが心酔しているわけじゃないのは分かってたけどな)

詩甫のことにも曹司のことにも納得をしたのだろう、薄が社の正面に向かって移動をする。 足を動かさずスッと。
祐樹の鼻水が垂れそうになる。

「亨、朱葉姫様がお待ちだ、さっさと終わらせろ」

「どんだけ上からだよ」

(だからぁー、浅香ぁ、やめてくれよぉ、そんな言い方すんなってぇー・・・)

「よし、この酷い所はこれでいいか。 祐樹君、続けて細かいところを埋めていってくれな」

「えええ!? 浅香は?」

置いていってなど欲しくない。

「社の木の部分の腐っている所に添え木を打ってるから、その間に終わらせてくれれば嬉しい」

「なに? 社が腐ってきているのか?」

思わず曹司が訊いてきた。 朱葉姫の力は削がれてはいるが、そこまでではないはずだ。

「ああ、雨が続いてたみたいだな。 酷くなってるし、これ以上放っておいて大雨が続いたらイチコロだろな」

イチコロの意味は分からないが、良い意味では無いのであろう。 大雨が来たら・・・そこまできていたのか。 朱葉姫の力はもう殆ど無いのかもしれない。 分かってはいたがそこまでとは思っていなかった。
そう思った時に思い出したことがあった。
曹司が『亨が言っておりました。 今も民は姫様の御名とお社のことを覚えていると』 そう言った時に朱葉姫が気のない返事をしていた。

朱葉姫の力は朱葉姫自身が一番よく分かっている。 それは朱葉姫が力を失くし、もう社を雨からも守ることが出来ない。 いくらも経たないうちに社が朽ちることが分かっているからこそ、民の心を想えば想うほどに悲しみがあったのかもしれない。

そう考えれば考える程、今すぐにでも朱葉姫に寄り添いたい。 社を守れない、どれだけ心を痛めているだろうか。

「さっさと終わらせろ」

「そのつもりだよ、しっかり見張ってろ」

木切れと釘、そして金槌を手に持つ。

「亨、さっきの話だが・・・」

「あとで話すって」


詩甫が山から出て道路に立っていた。 時計を見ると午後の一時になっていた。

「あ・・・」

見覚えのあるコンパクトカーが目の先を走って来ていた。
座斎の車だ。 祐樹が言っていた、座斎が凜魁高校まで車を出すと。 きっと後部座席に星亜と優香を乗せているのだろう。 星亜の祖父母の家で昼食を摂っていたのかもしれない。

「あの子、勇気あるなぁ」

詩甫の中学時代を思うとそんな勇気などない。 彼氏の祖父母の家で昼食を摂るなどと。 中学時代だけではなく未だにそんな勇気などない。
そんな思いにハッと気づいた。 運転席に座っているのは座斎だ。 車を止められたくはない。 ややこしいことはご免だ。 山の中に姿を隠す。

座斎が山近くになると周辺を見渡しながらハンドルを操作している。 だがそこに詩甫の姿を見つけることは出来なかった。

「帰ったのかな・・・」

「ん? なに?」

後部座席から星亜の声が上がった。

「何でもない」

後部座席では高校入試の話がされていた。
ルームミラーに映る優香を見る。

(この子も頭良いんだろうな・・・。 ふむ、可愛い魔法使いの服・・・いや、違うな。 それにそれじゃあインパクトに欠ける。 うん、イメージとしてはセーラーマーキュリーだな)


ようやく気になっていた部分の添え木が終わった。 腐り具合が激しいところは、無理矢理に崩して木切れをはめ込んでの添え木であった。 色んなサイズの木切れを買ってきてよかった、と今更ながらに思ったがこの添え木も知れたものだろう。

まだ腐り具合が小さいところもある。 そこが段々と大きくなって腐っていくだろうが、時間が有り余っているわけではない。 置いてきた詩甫のことも気になるし、曹司などちゃんと見張っているのか、ほとんど心ここにあらずだ。

とにかく片付けようと足元を見ると、もうセメントを塗り終えた祐樹が片付けてくれていたようだ。 足元に何も転がっていない。 セメントの付いたコテとヘラは残っていた水でタライの中で軽く洗ったようだが、水が足らなかったのだろう、タライはそのままの状態だった。

「サンキュ、片付けてくれたんだね」

浅香の手にはまだ金槌が握られている。

「ちゃんと塗れたかどうか分かんないけど」

祐樹の塗ったところを座って浅香が覗いてみる。 しっかりと中までセメントを入れているようだ。

「充分じゃない?」

「亨、終わったのか」

「一応ね、片付けたいから小川までついて来て」

「なんだと?」

「なんだとじゃないよ、これからが一番危ないってのに。 僕が死んだら分霊にした意味がなくなるだろ。 ほらついて来いよ」

タライを持つと小川に向かって歩きだした。 祐樹が浅香の後ろにすぐに付く。

「お前みたいな先祖を敬うことの無い憎まれ者が簡単に死ぬはずがないだろうが。 大体分霊なら分霊らしく・・・」

後ろから曹司の憎まれ口が聞こえるが、知らぬ顔をして浅香が歩いて行く。
曹司の存在にかなり慣れたとは言っても幽霊が怒っているのだ、祐樹がそっと浅香の服を掴んだ。

小川でタライとコテとヘラをもう一度洗いながら、あとで話すと言ったことを曹司に聞かせた。 最初は態度の悪かった曹司だったが、話の内容に眉をしかめてきた。

「人死にがあった?」

「ああ、お社を修理しようとした人達。 修理ってことだから多分男な。 山のてっぺんから落ちたり、祐樹君が聞いてきてくれたけど、尖った木に刺されたりという話もあるらしい。 それはさっき言ったな。 それとは別にお婆さん。 花生って人の親族」

「花生様の?」

「さっきの話はまだ詳しくは調べ切れてないけど、それだけは間違いないようだ」

大婆と座斎の祖父母の言ったことで、花生のことは一致していた。

「どうして花生様の?」

「さっきも言ったようにまだ調べ切れてないから本当かどうかは分からないけど、社を修理しようとした人が殺されたのは、朱葉姫の言った通り、朱葉姫が一番大切に想うことを瓦解するのを待ってる。 それなのにそれを邪魔されたから、妨害するためだったと考えられる。 だが花生って人の親族が何故殺されたのかは今のところ分からない」

大婆からは聞いているが、座斎の祖父母は違うことを言っていたからだ。 精査してからでないと簡単に口にしてはならないだろう。

「花生って人、お社に居るの?」

そっと祐樹が聞いたが、誰もそれに答えることは無かった。

曹司が僅かに下を向いた。 口を開く様子がない。

「おい、黙んなよ。 僕だってあれやこれやと考えてるんだから、知ってることがあれば情報提供くらいしろよ」

軍手をしたままタライを洗い終えた。 祐樹もヘラとコテを洗い終えている。 浅香が軍手をはめたままの状態で軍手を洗い、その次に軍手をとって手を洗い出したので、祐樹もそれを真似たが冷たい小川の水で手がかじかみそうになる。
絞った軍手でタライを拭きだすと、またしても祐樹が真似る。
その一連を見ていた曹司がやっと口を開いた。

「いつから居られたのは知らんが、山の・・・階段の途中でお会いした」

さっきの祐樹の質問に答えているつもりなのだろうか。

「社には居ないってこと?」

「ああ、この山に居られたことも知らなかった」

そう言えば曹司が浅香の家に来た時に言っていたか。 花生がこの世にいるとは思いもしなかったと。

「朱葉姫と花生って人は仲が良かったって聞いたけど、曹司たちみたいに花生って人は社に来なかったってわけ?」

「ああ。 お会いされないかと申し上げたが、是とは言って頂けなかった。 それどころか花生様とお会いしたことも黙っているようにと。 朱葉姫様が悲しまれるだろうと仰ってな」

「なんで?」

「お会いできない事情があるからと。 時折ここまで来て朱葉姫様に心を寄せている、それだけでいいからと」

丁度タライを拭き終わり、軍手を絞っていた時だった。 その浅香の手が止まった。

「階段の途中? ・・・もしかして野崎さん」

「え? 姉ちゃんが何?」

「花生って人に会ったかもしれない」

たしか・・・挨拶をすると言っていた。 それは社に対してなのではなく花生に対してなのかもしれない。 ゆっくりはしていられない。
祐樹は大婆から聞かされた話を知らない。 もし知っていたらすぐに顔色を変えただろう。

「・・・姉ちゃんも幽霊と喋ってんの?」

違う意味で祐樹の顔色が変わった。

「行くよ、祐樹君」

「う、うん」

「曹司、山の下までついて来いよ、見張ながら」

つい今しがた浅香から修理した者が死んだ具体的な話しを聞かされたところだ。 文句を言わず付いてくる。

走って祐樹に遅れをとらせたくない。 早足で歩きながら曹司に声をかける。

「社の中に道具を入れてもらえないか?」

「それは出来ん」

「なんでだよ」

小さな物は持って帰ることが出来るが、タライや木切れなどは荷物になるだけだ。 今日の作業で社がどうにかなるとは思えない。 続きが必要になってくるだろう。 出来れば使いまわしたい。

「社の中は当時のまま。 それ以外のものは受け付けん」

「ケチクサ」

「愚弄するのか!」

「浅香ぁぁぁ、怒らすなよぉぉぉ」

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国津道  第41回

2021年06月07日 22時48分04秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第40回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


     『国津道』 リンクページ




                                   



- 国津道(くにつみち)-  第41回



「弟さんから山の中の社に行かないように言われたんです、何故かご存知ですか?」

手で田舎饅頭を半分に割る。 それ以上は小さく出来ない。 あんこがブニッとなって欠片でも落としてはいけないだろう。 半分に割ったものを少し口に入れて噛んだ。

「ああ、大蛇のことだろうな」

「大蛇って?」

すっとぼけて言ったが、今までならそんなことは言えなかっただろう。 いや言えたかもしれないが、もっと不自然だっただろう。 かなり浅香に感化されたようだと自覚をした。

「あの社には大蛇が居るって昔語りがあるんだよ」

「社に?」

山ではないのか。

「ああ。 いつの時代からは知らないけどかなり昔からみたい」

「単純に大きな蛇っていうことですか?」

「昔語りからすると多分恐竜並みのね。 でもそれは現代的に考えてどうだろうかとは思うけど、昔はそう言われてたみたい。 でもおかしいだろ? 昔語りに残ってるだけなのに、大昔からずっと大蛇が生き続けてるみたいに思われてる。 だれもあの社どころか山にも入らなんだよ? まっ、山の神が遣わした大蛇ってことだから寿命が長いって考えてるのかもしれないけど」

「山の神?」

「そっ、今の時代にそれを信じてるっておかしいだろ?」

「座斎さんも入ったことは無いんですか?」

「べつに大蛇が怖くてじゃないけど、用がないから入らないってとこかな」

「お社があるのに?」

「この村には村の社と祠があるからね」

そういうことか。

「どこの村にもあるんですか?」

「多分ね」

「さっきお婆さんが言ってらした僧里村にも?」

「うん、あるけど。 あそこはどっちかって言ったら今話していた山の中の社を重視してるみたい。 あの社に祀られてる、朱葉姫って言うんだけどね、その義理のお姉さんの出身の村だから」

そこまでは分かっている。

「出身とかって関係があるんですか?」

「うーん、昔のことだからね。 昔は領主・・・あ、えっと朱葉姫の家が領主だったの、その朱葉姫のお兄さん、領主の長男に嫁いだんだから鼻が高かったんだろうね」

「でも代々誰かが嫁ぐわけですよね?」

簡単にいってしまえば領主の妻、朱葉姫の母親の出身の村も鼻を高くしていたということになる。

「朱葉姫がいたから特別だったんだと思うよ。 朱葉姫の義理の姉になったんだから」

単に領主の跡取りの元に嫁いだということではなく、朱葉姫の義理の姉になったからということか。

「朱葉姫と義理のお姉さん、お二人は仲が良かったんですか?」

「そう言い伝えられてるね、だから余計と僧里村は鼻が高いんだよ」

「こちらの村は代々の領主の所に嫁いだなんてことは無いんですか?」

「うーん、どうだろう。 聞いた事ないけど、って、嫁いだことがないっていう意味じゃなくて、やっぱり朱葉姫の時のことが残ってるんだろね。 この村からじゃ、朱葉姫の時代に領主の家に入った者が居るってのが残ってるってくらいだから、多分どこの村も同じだと思うよ」

「家に入った?」

「そっ」


星亜の部屋ではトランプが広げられていた。
三人でババ抜きである。
オセロをしても手加減をしてもらえず星亜と優香にボロ負け。 トランプに切りかえて七並べをしても星亜が一番に上がって次に優香。
「手加減してよぉー」 と言ってもしてもらえず、運に頼るババ抜きとなったのである。

優香の手に並べてあるトランプを難しそうな顔をしながら祐樹が選んでいる。

「ねぇ、祐樹君、あのお兄さんと社に行く気?」

お兄さんとは浅香のことである。
祐樹がお兄さんと呼ぶお兄さんが、浅香のことをお兄さんと呼んでいる。 浅香、と言ってしまってはお兄さんに悪いだろうか。

「出来れば行きたいなと思ってるけど、姉ちゃん一人置いていけないし」

一枚を選んで引っこ抜いたが、同じ数字のカードがなかった。 三分の一の確率だというのに。 トランプを後ろ手にして混ぜると手に持って星亜の前で扇型に広げる。

「お姉さんは行かないの?」

社のことを分かっていない優香が問う。
星亜が一枚づつ指に充てながら祐樹の表情を見ている。 五枚目で祐樹の顔が引きつった。
星亜がニマリと笑って引き抜く。

「あー! 今優香ちゃんから回ってきたところのカードなのにぃ」

「祐樹、顔に出過ぎ」

星亜が揃ったカードを二枚前に出す。

「優香、あの社には大蛇が居るって言われてるんだよ」

「あ、さっき話してた?」

星亜が扇形に広げたカードに優香が手を伸ばす。

「うん、大昔からの昔語りだけどね。 昔語りの始まりは千年くらい前でその後、何年後か何百年後かは分からないんだけど大蛇が出るって言われてるんだ」

「じゃ、それって当時は本物の蛇だったかもしれないけど、今は本物の蛇じゃないってこと?」

鶴は千年、亀は万年というが、蛇が鶴と同じくらいも生きられないだろう。 それにそれは本当の寿命の話ではないことくらい分かっている。 大きな蛇の妖怪というのだろうか?

「いや」

星亜が首を振る。

「どういうこと?」

優香が一枚抜いて持ち手のカードと合わせようとするが、同じカードがない。 そのまま広げた扇型の端に持った。

「優香ちゃん早く」

優香が祐樹に扇型に持ったカードを向けると、すぐに祐樹がその一枚を抜く。

「おーっし!」

同じ数字のカードを二枚前に出す。

「あ、しまった。 祐樹ずるい」

「優香ちゃんがぼぉ~っとしてたからだよぉ」

ゲームは続いている。 星亜の前に扇型に広げる。

「昔語りは大蛇だって言ってるけど、その昔も大蛇でも蛇でもなかったんじゃないかと思ってるんだ」

「どうして?」

「山に入った人が山から落ちてるんだ」

「それって、蛇の呪い?」

無意識に星亜と優香の手が動いている。 意識して動いているのは祐樹だけである。

「まさか。 優香はそんなことを信じるの? 理系にいこうとしてるのに」

「理系は関係ない、女子ってけっこう占いとか信じてるから、その範囲かな」

そういうことかと、星亜がカードを広げて優香の前に広げる。

「落ちるのは女性・・・お婆さんだけ。 簡単に後ろから突き飛ばすことが出来る」

ピクリと祐樹の指が動いた。

(突き飛ばす?)

「誰も見てないの? 一緒に居た人とか」

「それが一人で上ってるお婆さんだけなんだ」

「怪我で終わって何か話とかは?」

「全員亡くなってる」

(姉ちゃんが怪我で終わったのは奇跡なのか・・・それとも姉ちゃんがお婆さんじゃなかったからなのか?)

「じゃ、あのお兄さんと祐樹がそこに行っても大丈夫ってこと?」

「いや、あのお兄さん修繕しようとしてただろ? 修繕しようとした者も突き落とされたって話しを聞いたことがあるんだ」

「なに? 分かんない。 修繕って言ったら男の人でしょ? それに一人じゃなかったんでしょ?」

「そう。 たまたま一人になった時。 それも突き落とされるだけじゃなくて、先の尖った枝に刺されたり」

「やだぁー、ホラー? それだったら聞きたくない」

「え? じゃあ、浅香・・・浅香兄ちゃんがそんな目に遭うかもしれないの?」

「あくまでもこの村の昔語りだけどね、でも何かあったら大変だから。 だから止めたんだ。 でも僕としては・・・当時の誰か、人間がやったと思ってるんだけどね」

祐樹が優香のカードを一枚抜いた。 手に持っている最後のカードとぴったり合った。

「はい、上がり」

「え? うそいつの間に?」

「優香ちゃんがボォーッとしてたからだよ」

優香は合わなかったカードを全て端に持ってしまっていた。 負け続きの祐樹がそれを見逃すはずがない。

「おお、祐樹君はババ抜きの最強王か。 よし、優香、最弱王争いだ」

配られた時からずっとババを握りしめている星亜のカードが一枚多い。
最強王の気分に浸りながら出されていたシュークリームを食べると、一緒に置かれていたお手拭きで手を拭き、星亜の後ろに回り優香がどのカードを引くのかを見た。


村同士の対立があった。
大婆からは聞かなかったが、それは花生を朱葉姫の兄に嫁がせた余裕からだったのだろうか。

「あんまり大きな声じゃ言えんがな」

「いえ、参考になりました」

「で? どうする?」

「修繕にだけは行きたいと思います。 長居をする気はありませんので、応急的なものですが」

「これだけ言ってもか」

「お話しは有難く聞かせていただきました。 ですから応急的なもので終わらせようかと思います」

「・・・そうか」

この青年は大学時代あちこちの神社や社をまわっていたと言った。 そこで色んな神社や社を見たが、紅葉姫社はあまりにも悲しい状態である。 だからどうしても修繕したいと言っていた。
大蛇の昔語りのことは勿論あるが、同じ様に昔語りにある紅葉姫社のことを思ってくれてのこと。 これ以上反対が出来ようか。

「他所の者からすりゃあ単なる昔語りと思うだろうが、それでもあのお嬢さんだけはやめとけや」

話しの間にちょくちょく入ってきていた祖父も最後に念を押してきた。

「はい、それは絶対に」

正座に座り直して身を正し、ちゃんと礼をする。

「貴重なお話しを有難うございました」

「アンタ、海斗とそんなに歳が変わらんようだに、しっかりしとるのぉ」

「あのお嬢さんもしっかりしとったで」

詩甫が褒められて悪い気はしない。

「それじゃ、そろそろお暇を」

「ああ、海斗に送らせよう。 待ってな」

祖父がそう言うと立ち上がり、硝子戸を開けると座斎を呼んだ。


座斎の車でいつもタクシーを降りる手前で降ろしてもらった。 ここならUターンが出来る広さがあるからだ。 座斎がトランクから浅香の買った荷物を出し浅香に渡す。 小さい方の袋は祐樹が持った。

「詩甫ちゃんが待ってるなら俺も一緒に待ってるよ。 寒いんだから車の中に居れば?」

「祐樹と待ってますから大丈夫です」

祐樹が座斎の誘いに嫌なものを感じた。 それに詩甫も断っている。 浅香が居なくなるというのに、コイツを詩甫に近づけることなど出来ない。

「あ、そうだ。 お兄さんが優香ちゃんと一緒に凜魁高校に連れて行ってもらう約束してるって言ってたよ?」

つい白々しく言ってしまったが、頭の中で考えていることと口から出た言葉のトーンが違うのを自分で感じた。 まるでコナンのような気分だ。

「あ、そうだ、忘れてた」

詩甫がニコリと笑った。 それはホッとした笑顔でもある。

「それじゃ、ここで。 有難うございました。 月曜日会社に来て下さいね」

「うん・・・そうさせてもらう」

三人が背中を向けると歩き出した。
弟の彼女が凜魁高校の見学をしたいと言っていたのだった。 兄として連れて行ってやる約束をしていた。
受験勉強をしながらも十八歳になってすぐに免許を取りに行き、一発合格をした弟だったが家の車は軽トラしかない。
最初は軽トラで行くつもりだったらしいが、座斎が昨日コンパクトカーでやって来た。 それを見てしまってはコンパクトカーではあるが、軽トラよりましに見えたらしい。 だから学校まで送迎をしてくれと頼まれたのだった。

「たぁー、東大合格ってなぁ・・・」

凜魁高校に合格しただけで驚きだったのに。 身長はいつの間にか抜かれていたし、顔の造形も違う。 彼女がいてまだ中学生と言っていたが、きれいな顔をした子だった。 その子も来年凜魁高校を受けるという。

「あいつは突然変異なんだよ、変異変異。 どっかで遺伝子が狂っちゃったんだよ」

両親も祖父母も平々凡々だった。 平々凡々の顔に平々凡々の身長に平々凡々の生活。 座斎と変わりはしなかった。
祖父母は根っからの農業で身を立て、両親は高校に行っていない。 だからたとえ三流の私立高校だったとしても、合格した当時は喜んでくれていたというのに。

「兄として・・・そりゃ、そっちの道に走るだろ」

コスプレに。

他人が聞くと、いや、一般的にはどうだろうか、と応えるだろう。

ハンドルを切ると何度か切り返してUターンをした。


頑張って荷物を持っている祐樹を微笑ましく見ながら、いつもタクシーを降りるところまでやって来た。

「じゃ、ここで待っていて下さい」

「・・・姉ちゃん」

「ん? なに?」

祐樹の顔を見て何が言いたいか分かった。 だから頑張って荷物を持ったのだろう。
それは嬉しいことである。 その祐樹の気持ちに応えるべきだろう。

「浅香さんから離れちゃダメよ」

「え? 野崎さん、それは危険です。 曹司はそこまで信用できませんよ」

浅香が何度もそんなことを言っているが、曹司が聞けば張り倒されるだろう。

「浅香が修理してる間、オレがキョロキョロして周りを見ててやるから」

星亜が言っていた。 先の尖った木に刺されるかもしれない、怖い。 でも浅香一人だと修理をしてる時に背中から刺されるかもしれない。

そうね、と言った詩甫に浅香が物申そうとしたが詩甫に先を取られてしまった。

「私に様子は分かりませんけど、浅香さんは祐樹を守ってくれるつもりで、祐樹は浅香さんを守るつもりで。 無理をせず最低限のことをして下りてきて下さい」

互いのことを想って早々に切り上げろということか。
それに祐樹はここまで何一つ文句を言わず荷物を持っていた。 最初っから自分と一緒に社に行くつもりだったのだろう。 詩甫もそれに気付いたのかもしれない。

「・・・祐樹君、大丈夫?」

「姉ちゃんを一人置いていくのが心配だけど」

「大丈夫よ。 ここか、入っても階段の下辺りで待ってるから」

「できれば山の中には入って欲しくはないんですけど」

浅香はそこまで範囲を広げて気を配りたいと思っているのか。
だが詩甫は詩甫なりの考えがある。

「ちょっとご挨拶をする程度です」

「え?」

「もうお昼になっちゃいますよ? お腹もすいてきますから力が出なくなっちゃいますよ?」

詩甫は和菓子でお腹がいっぱいであるが。

「あ、ええ」

「姉ちゃん、大人しくしといてよ」

「分かってるって」

「じゃ、出来るだけ早く戻って来ます。 祐樹君行こ」

「うん」

二人が山の中に入って行った。 出来れば今から詩甫がしようと思っていることは誰にも見られたくない。 腕時計を見る。 急いでいる浅香の足では階段と坂を上がるに二十分もかからないだろうが、祐樹がいる。 ましてや荷物も持っている。

「三十分後に入ろうか」

それまで退屈だが待つしかない。
ポケットに手を突っ込むと木々を背に空を見上げた。

祐樹がへこたれることなく荷物を持って階段を上がり切った。 あとは坂だ。

「ここまで持ってくれたから助かった。 荷物持つよ」

祐樹の持っている袋には木片が入っている。 いくつも入っているのだから重いだろう。

「これくらい何ともない」

男のプライドを傷つけるのは良くないか。

「そっか、じゃ、頼む」

「頼むのかよ」

「あん?」

「お兄さんが言ってたけど、修理をしてた人で先の尖った木で刺された人がいるらしいぞ、浅香、気を付けろよ」

どうして高校を卒業したばかりの男をお兄さんと呼んで、浅香のことを浅香と呼ぶのか。 突っかかりたかったが、今の話は放っておけない。

「それ初耳なんだけど?」

「なんだよ、大人同士の話で聞かなかったのか?」

「違う話を聞いたけど・・・そうだ、初耳で思い出した。 最初にさっきの人と野崎さんが会った時に、どうしてさっきの人が謝ってたのか知ってる?」

祐樹の足が止まった。

「ん? どした?」

「話してやるから持て」

持っていた袋を浅香に差し出す。
やはり重かったのだろう。


詩甫が時計を見た。 二十五分が過ぎていた。

「あと五分・・・か」

だが五分の違いなど知れているだろう。 山の中に足を入れる。
一人で歩く山の中は静寂であった。 それが恐怖をそそる。 音のない世界にやって来たようだ。
木の枝に枝葉がかろうじて残ってはいるが、薄茶で硬く水分のなくなった葉だけである。 近い日に雨が続いて降ったのだろうか、足元の雑草は枝葉と逆に水分を含み過ぎて腐って横たわっている。

階段の下辺りまで歩く。 階段を見上げ、勇気を振り絞るように胸の前で左手で右手の拳を握った。 目を瞑って三回深呼吸をする。 こんな場所で、ましてや何があるか分からない場所で目を瞑ることは余計と怖かったが、それでも気を落ち着けたい。
詩甫の瞼に次いで口が開いた。

「花生さん、いらっしゃいますか?」

山の奥に向かって少し大きな声で花生を呼んだ。
こんな時には一分が五分にも十分にも思える。 勘違いをしないように、組まれた手にある腕時計を見る。
五分経った。

「花生さん、いらっしゃればお話をさせて下さい」

ぐるりと辺りに顔を巡らせながらもう一度花生の名を呼ぶ。
更に五分。
居ないのだろうか。 詩甫の思い違いだったのだろうか、昔語りが間違っていたのだろうか、それとも花生の耳には詩甫の声は届かないのだろうか。

「花生さん、お願いします、お話をさせて下さい」

更に五分が経った。
無駄だったか・・・。 他に方法を考えなくてはいけないか。
あまり一人で長くここには居たくない。 詩甫が最後に言葉を残す。

「花生さん、お話が出来なく残念です。 聞いて下さっていたのならば、それだけでも有難うございました」

聞こえていなくても礼は尽くさなければいけないだろう。 それに相手は霊だ、少しの間違いでどう出てくるか分からないのだから。

「誰が呼んだかと思えば・・・お前か・・・」

どこからか声がしたと思ったら、目の前の先、階段の途中に一人の女の影が薄く見えた。 それが段々と濃くなってくる。
美しい着物を着ている。 髪の長い美しい女性だ。 一段ずつ階段を降りて来た。

「花生さん、ですか?」

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国津道  第40回

2021年06月04日 22時00分11秒 | 小説
『国津道(くにつみち)』 目次


『国津道』 第1回から第30回までの目次は以下の 『国津道』リンクページ からお願いいたします。


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- 国津道(くにつみち)-  第40回



「えっと・・・一昨日はごめん」

その一言ですぐに祐樹が気付いた。 頬が緊張する。

「ちょっとこっち、いい・・・?」

星亜たちから離れようとする座斎に手招きされ、詩甫が浅香から離れたが、優香のことを気にしながらも祐樹が詩甫について行く。 一昨日の犯人を前に詩甫一人にさせるわけにはいかないのだから。

浅香にしても最初の一言に何があったのか気になるところだが、祐樹のようについて行くわけにはいかない。

星亜と優香も何のことかという顔をしているが、座斎のことを “兄ちゃん” と星亜が呼んでいた。 星亜に回していた腕をそっと外す。

「あの、さっきの続きですけど、ちょっとした切っ掛けで耳にしたってどういうことですか?」

「あ? ああ、僕と彼女、大学時代に社サークルってのに入っていてね、あちこちのお社のことを調べたりしてたんだよ」

「それで大蛇のことを?」

「まぁね、大蛇のことを知ったのは最近なんだけどね」

「中途半端に調べられたのなら、社には行かない方がいいです。 ましてや修繕なんて。 その道具で修繕しようと思っているんでしょ?」

「まね、でも僕は大丈夫に出来てるから」

「大丈夫に出来てるからって、そんないい加減な・・・」

入り口を出て、充分星亜に聞かれない所に行くと再度、座斎が謝った。 今度は腰を深く折っている。

「ホンットに御免」

詩甫が首を振る。

「願弦さんから聞きました。 こってりやられたみたいですね」

腰を伸ばした座斎が情けない顔を詩甫に向ける。

「うん。 弦さんが帰ってから親父とお袋からも怒られまくって、当分田舎に行っとけって言われてさ」

「あ、で、こちらに?」

「うん。 有休全部使って長期休暇をとれってね」

「願弦さんはそんなこと仰っていませんでしたよ。 月曜日に・・・その、謝らすから許してくれって。 それにもう謝ってもらいましたし」

「怖い思いをさせたね」

「もういいですって」

「ね、うちでお茶でも飲んでって。 せめてそれくらいさせて」

ということで座斎の祖父母の家に向かうことになった。

星亜と優香は星亜が運転してきた軽トラで、浅香と詩甫と祐樹は座斎が乗ってきていた黒のコンパクトカーで移動をした。

軽トラの中では優香が祐樹の説明をしていた。

「へぇー、優香が可愛がってんだ」

「うん、祐樹が聞いたら怒るかもしれないけど、ずっと一年生みたいな感じ。 あんな弟が欲しいなぁ」

「一人っ子だもんな」

「戸籍上はね」

「・・・そうだったな」

優香は片親であった。 父親に引き取られた優香には妹がいる。 その妹はまだ小さいからと母親が引き取った。

「妹、元気にしてるの?」

「まだ小学生だからすれ違い」

同じ小学校の時には学校で話していたが、優香が中学に上がってからは会えなくなっていた。 小学校の時は毎日でも当たり前に顔を見られていたし時間があれば話も出来ていたのに、進学中学に入学して授業や塾に忙しくしている今は顔を見ることさえままならない。

妹の話になって会いに行くのもいいかな、などと考えていると、そうだ、中学校の特別半日休日があった。 創立記念日だが、午前と午後に分かれて授業がある。 優香は午後授業だ。 午前中は塾に行きたい。 塾は午後十二時まで。 学校の午後授業は二時から始まる。 その合間に小学校に顔を出そう。 昼休みに会いに行こう。

「そっか・・・」

優香が考えていたことを言う前に星亜が返事をした。

浅香は助手席に詩甫が座ったことが気に入らなかった。 だが座斎のことを知らない浅香が助手席に座るのも可笑しな話だし、助手席を空けてコンパクトカーの後部座席に三人が座るというのも狭苦しい話である。

車を降りると座斎の祖父母の家にお邪魔をした。
そして何故か今、祖父母の前に座らされた浅香と詩甫である。

星亜から浅香が社の修理をしようとしていると聞いて、祖父母が浅香を呼んだのだった。 詩甫もまたどんな話がもたらされるのかと同席をした。

祐樹は優香と星亜と共に、星亜の部屋に入った。

「うっわー、すっごい本だらけ・・・」

浅香の漫画の単行本だらけとはエライ違いだ。 難しそうな本がずらりと並んでいる。

「星ちゃんね、東大に合格したの」

「えー!?」

祐樹にも東大のすごさは分かっている。 すごいとだけしか分かっていないが。

「来年は優香だよな」

星亜が優香からのプレゼントを開けながら話している。
来年優香は星亜が卒業した凜魁高校を受験する。

「受かるといいけどなぁ・・・」

「優香ちゃん、お兄さんと同じ高校に行くって言ってたよね」

お兄さんと呼ばれた星亜がこそばゆい顔をする。 年の離れた兄との二人兄弟だ。 お兄さんなどと呼ばれたことなど無い。

「うー、祐樹君気に入ったー」

「わ、わ」

星亜が祐樹を抱きしめる。
妬くのならどっちへのやきもちかは分からないが、そんなやきもちを妬くことなく、微笑んでその姿を見ている優香だった。

祖父母の前に座る詩甫たちに既にお茶を置いていた座斎が、まだせっせせっせと茶菓子を運んでいる。
そんなに食べられないだろうという程である。 漆塗りの長卓が茶菓子で埋まりそうである。

「社にいる大蛇のことを知っておって社の修理をするとな?」

口を開いたのは祖母の方であった。 この家も女が仕切っているのだろうか。
この家も大婆の家と同様、見るからに古くからある家である。 大婆の親戚筋だろうか、少なくとも同じ村だろうか。

大婆が言っていた『わしらの村はその血筋の女が仕切るということになっている』 と。 村の大きさはどこでどう区切られるのか分からないが、来た道から考えると同じ村なのだろうか。 でも大婆の家とは結構離れている。 山の途中にあった大婆の家と違って、ここはどちらかと言えば谷に近い。

「はい」

「大蛇のことはどこから聞いた」

どこから・・・誰にではないのか?

「ここより山に近い方です」

「僧里(そうり)村か?」

「すみません。 土地の者ではないので村の名前までは知りませんし、色んな人のお話しからですので」

大婆の家のことは言わない方がいいだろう。

「花生の親戚筋からか?」

詩甫の心臓が止まるより先に時が止まってしまったが、浅香にそういうことは無かった。

「親戚筋かどうかは聞いていませんが、花生さんのお名前は聞きました」

花生の名前を知っていると言って浅香はどう話を持って行くつもりなのだろうか。

「ふん、きっと僧里村だの」

襖が開いて座斎がまた盆に茶菓子を乗せてやって来た。 もうどう見てもどこにも置けないだろう。

ふと詩甫が考えた。 座斎と二人きりになるのは避けたいところだが、祖父母からの話は浅香に任せて座斎から話を聞くのも一つではなかろうか。 もしかして祖父母が口を噤むことを座斎が話してくれるかもしれない。

「海斗(かいと)! ええ加減にせんか! 糖尿病になるわい!」

海斗と呼ばれた座斎が煩そうな顔を祖父母に向ける。

「爺さんも婆さんも食べんでええだろが。 俺は詩甫ちゃんに出しとんやから」

いつも話している言葉ではないし、イントネーションも違っている。 ここの方言なのだろう。 そういえば大婆の所とイントネーションや言葉が少し違うようだ。
それに今の話し方から大婆の村とは違うようだが、村によって少しづつ言葉やイントネーションが違うのだろうか。 そう遠く離れてもいないのに。

「詩甫ちゃん、この話は彼に任せ・・・って!? えー!? 詩甫ちゃんの彼氏なのー!?」

遅いだろ、気付くのが。 今までのシチュエーションの中に居れば最初に気付くだろう。 と、浅香も詩甫も思ったが、それを認めているわけではないし、ましてや確認し合ったわけでもない。 普通ならそう考えるだろうということだ。

「海斗! うるさいわ!」

「ほんにお前は星亜のように落ち着けんのか」

初めて祖父が口を開いた。

「ねー詩甫ちゃん、どうなのよー?」

「違います」

あまりの即答に浅香が肩を落とす。

「わっ、じゃ」

座斎が喜んだ途端、その額に見えないお札を貼っておく。

「願弦さんですから」

浅香が素知らぬ顔をしながら(誰だよそれー) と心で叫んでいる。 反して口に出したのは座斎だ。

「やめてよ、弦さんの名前出すの・・・」

お札は効いたようだ。 それもかなりの即効性がある。

「おら、海斗、出て行かんか」

「あの、途中に申し訳ありませんが、すこし座斎さんとお話しをしたいので中座をさせて頂いて宜しいでしょうか」

「ほぉー、この馬鹿もんとか?」

馬鹿もんと言われて “はい” とは言いにくい。 返事は頷くだけに収めておいて次に浅香を見る。

「浅香さん、いいですか?」

詩甫が何を考えているのか分からないが、こんな所で駄々をこねるわけにはいかない。
精一杯ニコリと応え余裕をぶちかます。

「あ、じゃ、俺の部屋に行こうよー」

「馬鹿もんが! 娘さんを部屋に引き込んでどうする!」

座斎より祖父より祖母が一番元気なようである。

「見えるとこに居れ!」

「婆さんの言う通りや、ここから見える庭に居れ」

「ちぇ・・・」

ちぇ、とはどういうことだろう。

「ではすみません。 少し失礼します」

立ち上がり際小声で浅香に「浅香さん、足を崩させてもらえばどうですか?」 と小声ながらもしっかり座斎に聞こえるように言った。

「ああ、うん、崩してくれ。 爺婆なんか気にしないでいいから」

詩甫の彼氏でないのなら苦しませる必要など無い。

「あ、でも・・・」

「ああ気にせんでええ、あとで立てんようになる方が面倒やろ」

「はい、それじゃあお言葉に甘えて。 失礼します」

ごそごそと動くと浅香が胡坐をかく後ろで座斎と詩甫が座敷を出て行った。

お爺さんも酷なことを言ってくれたものだと、あとになって詩甫が思った。 まだ四月にもなっていないのだ。 庭に居れとは・・・。
ダウンジャケットを着て玄関を出た。

いつの間にかクッションを二つ持った座斎が前を歩いて、庭の石造りの椅子に座るように言う。 クッションはその為であったようで、石造りの椅子に敷いてくれた。

石造りの椅子は四つあってテーブルもある。 季節の良い時にここに座るとさぞ気持ちがいいだろう。 今は寒い風に身体が当たってしまうが、庭の木が綺麗に選定されていて清々しい気分にさせてくれる。
そしてそこはしっかりと座敷から見えるところであった。 振り返ればこちらからも座敷の様子を見ることができる。

「待ってて」

と言うと座斎がどこかに消えて行った。
再び現れ、また消えて、それを四度繰り返した。 石造りのテーブルの上に見覚えのある茶菓子がずらりと並んでいる。 きっと座敷から取ってきたのであろう。
そしてポットに急須。 最後に持って来たのは膝掛であった。
結構、気が利くようだ。

座敷では何度も座斎が出たり入ったりとしていて落ち着かなかったが、外の様子を見てようやく落ち着いて話すことが出来る。
長卓には最初に出されていた茶菓子が一皿といくらかの茶菓子が残っているだけである。

「ここは座斎村と言ってな」

「え・・・」

たしか詩甫があの男のことを座斎と呼んでいた筈。

「ああ、村長の苗字が村の名前となる。 僧里村を除いてな。 あそこはその昔、僧がよく通った場所でな、村人がよう泊めとったらしい。 それで僧の里と書いて僧里村となった」

「では今此処の村の村長さんはこちらのお宅ということですか?」

祖母が首を振る。

「厳密に言うと、もう村なんぞないわ。 村から群、次に市に代わっとる。 まぁ、昔の村同士の何某かがあればその昔の村長が出るがな。 もう滅多なことは無い」

何もかも市で決められるということだろう。

「きっとアンタは僧里村から聞いたんだろ」

「こちらでは違うということですか?」

どういうことだ、昔語りが二つもあるのか? いや、それより村ごとに違うというのだろうか。

「僧里村は花生のことを庇ぼうておったろ」

「いいえ、そんな風には聞きませんでした」

おかしいな、という顔をして祖母が見る。

質問されては困る。 どこまで言っていいのかが分からない。 花生の悪態を知っていたのは村の者だけであると大婆が言っていた。 挙句に花生のやったことを知っているのは親戚筋だけ。 他の村の者は知らないはずだ。

それに大婆の話したことと、この村の昔語りが違うのであれば、単にこの村の昔語りを聞かせてくれればいいだけである。 質問をされる前にこちらから質問を突っ込めばそれでいいだろう。

「花生さんは朱葉姫のお兄さんの元に嫁いだと、それくらいのものでした。 花生さんを庇うとはどういう意味でしょうか?」

「僧里村やなかっんかの、爺さん」

「さぁー、どうだか」

「その僧里村なら花生さんを庇うと?」

「ああ、花生の出た村だでな」

間違いない、大婆の所は僧里村だ。 だがどうして庇うという言い方になるのだろうか。

「花生はな、一人の女を疑ごうとった。 その女がわしらの村の女」

そんなことは大婆から聞いていない。 話がややこしくなってきた。

「あの、詳しいことを聞かせて頂けませんか?」

座斎が甲斐甲斐しく詩甫に温かな茶を淹れてくれた。
これが他の人間なら詩甫が代わって淹れただろうが、座斎を甘やかす気はない。

「どーぞ」

「有難うございます」

「ね、食べて。 ほんの謝罪の気持ちだから」

さっきの “ちぇ” というのを考えると、謝罪の気持ちというのは疑わしいが、訊きたいことがある。 防御線を張らせることなく調子に乗ってもらわなければ困る。

「じゃ、頂きます」

田舎饅頭を手に取る。

「へぇー詩甫ちゃんって、あんこ好きなんだ」

確かに田舎饅頭は薄皮で所々にあんこが見えていてぎっしりとあんこが詰まってはいるが、出されているもの全部が全部にあんこが入っているではないか。

「嫌いじゃないです」

「じゃ、みんな食べて」

お婆さんではないが、糖尿病になるわ! と叫びたくなる。

「一人じゃ食べにくいんで座斎さんも食べて下さい」

「あ、そだね」

座斎も田舎饅頭に手を伸ばす。

「お訊きしたいことがあるんですけど」

「ん?」

もう田舎饅頭が半分口に入っている。

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