『虚空の辰刻(とき)』 目次
『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第150回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。
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- 虚空の辰刻(とき)- 第160回
翌朝八時ちょうど。 引き戸がノックされた。
引き戸を開けて紫揺が出てきた。 大きなスポーツバッグを持っている。 戸を閉め、しっかり鍵をかけ振り返ると、七人の男たちと領主、此之葉が低頭していた。
「でぇ・・・」
意味のない声を発し、誰かに見られていないかすかさず辺りに目を這わした。
一番に頭を上げたのは領主である。
「唯々、有難うございます」
再度深く頭を下げた。
「あ・・・えっと、あの・・・」
これではどこかの姉御の迎えのようではないか。 頭を上げてくださいと言いたかったが、それは領主だけにではなく、全員に言いたかった。 だが今までのことを考えると、言ったところで誰が耳を傾けるだろうかとも思う。
「はい、行きます。 さっさと行きます。 どこに行くんですか? とっとと、行きます。 教えてください。 右ですか、左ですか?」
足を踏み出した。
阿秀が交通の都合があると言っていたのは頭の片隅にあったが、そんなことは今はどうでもいい。 こんな所でこんな風に低頭されては紫揺もどうしていいものか分からない。
「車にお乗りください」
阿秀が言った。
前を見ると確かに車があった。 全く気付かなかった。
悠蓮が後部座席のドアを開けた。
「お荷物はお預かりいたします。 どうぞ」
阿秀が言うと、梁湶が手を出してきた。
(なにこれ? ・・・わざとらしい)
思いながらも梁湶に鞄を渡し、とっとと車に乗り込んだ。 この時間だと、遅刻小学生が親にお尻を叩かれて家から飛び出てくる可能性が高い。 こんな所をご近所さんに見られたくない。
運転席に湖彩が乗り込み助手席に悠蓮が座った。
後部座席から辺りを見回す。 遅刻小学生も居なければ、玄関の外を掃きに出て来たご近所さんも見当たらない。 ホッと一息つくと背もたれにもたれた。
「出発します」
僅かに振り返ってそう言ったのは助手席の悠蓮だ。
湖彩の運転する車の後に醍十がハンドルを握る車が出た。 助手席に阿秀、後部座席に領主と此之葉が座っている。 その車の後ろから野夜がハンドルを握り、助手席に若冲、後部座席に梁湶が紫揺のバッグと共に座った。
車中、後部座席にたった一人の紫揺。 助手席に座る悠蓮の顔は下げられていたとは言えど、何となくは分かるし、声を覚えている。
「家の鍵を渡してくれた人ですよね?」
「はい」
「私は東っていう所に行くと言いました」
「うかがっております」
「東って所はどこにあるんですか?」
「まずは空港に向かい、飛行機で沖縄に行きます。 そちらからまた飛行機で移動し、車に乗って頂き一旦、休憩を入れて頂いて、領土には徒歩で入っていただきます」
僅かに後ろを見るように首を回してはいるが、その顔は伏せられている。
「そんなに遠いんですか?」
「少々お時間はかかりますが、極力お待ちのお時間のないように考えております」
すべて阿秀が段取った。
「そうですか・・・」
「お具合が悪くなされれば、いつでも仰ってください」
「・・・はい」
具合が悪いのは今まさにそうだ、と言いたいが、そうとは言えない。 いま悪いのは具合ではなく気分なのだから。
(取り敢えず、言われるままにしてみようか)
気分はスコブル悪い。 どうしてこれだけの人間に、ましてやどう見ても全員紫揺より年上ではないか、それなのに低頭、慇懃されなくてはいけないのか。
縦社会の部活生活をしてきた紫揺には無性に気分が悪いことである。 だが行く所に行かなければ何も分からないのだろう。
マツリに頼みごとをしなければいけないかもしれないということが解決できないのだろう。
車の窓から外を眺めた。 家から空港になど行ったことなどない。 試合や遠征は全て電車、遠ければ新幹線での移動だった。 初めての風景に視線を送った。
車を降りると悠蓮に誘導されながら移動し、最後には紫揺を含め四人で飛行機に乗った。
沖縄に着くと次の飛行機に乗る。 そこから車に乗る。 そう聞いていた。
飛び立った飛行機が沖縄に着き、那覇空港では待ち時間があったので、何か食べるものでも用意しようかと阿秀に訊かれたがお断りした。
ただ座っているだけで腹が減ることはなかったし、食欲もなかった。 反対に座りっぱなしということで身体は疲れた。 どちらかといえばこの広い空港を走り回りたい気分だ。
阿秀は誰から見ても落ち着き払ったように見えているが、紫揺の後ろに立ちあちらこちらに目を動かしている。
上手く紫揺が食事を断ってくれたから良かったものの、もしここで襲われでもすれば、領主と此之葉を置いて紫揺を追いかけていかなくてはならない。 だがそれには二の足を踏んでしまう。 領主と紫揺を天秤にかけるということになるのだから。
(失敗したか・・・此之葉を船に乗せれば良かったか・・・)
分ってはいたが、実際になると考えが甘かったと思わずにはいられない。
だが此之葉にそんなことを言ったところで、此之葉は納得をしなかっただろう。 そして領主も此之葉と同じことを言うだろう。
『五色様と “古の力を持つ者” が共に居なくてどうする』 と。
(とにかく、ここさえしのげれば・・・)
阿秀の神経がピリピリと音をたてるが、辺りの喧騒に消されていく。
「あと少しで着きます」 そう言ったのは那覇空港を飛び立ち、この島に下りた後、運転席に座った阿秀だった。
島に着いた途端、阿秀の上がっていた肩が下がっていた。 見知らぬ人間はどこにもいなかったからだ。
助手席には此之葉、後部座席に領主と紫揺が座っている。
悠蓮たちは紫揺を空港で見送ったあと、船着き場まで車で走り船に乗り換えていた。
紫揺の気分はスコブル良くない。 それは九州を旅立った時から付いているのが阿秀だったからだ。
阿秀に対しての紫揺の印象は、決して良いものではなかった。
あれだけの逃走劇をした挙句、目の前に涼しい顔で立たれたのだから。
「お疲れになったでしょう。 休憩を入れ、領土に向かうのはそれからに致しましょう」
隣りに座る領主が言う。
(ああ、あの人が言ってた休憩ってこのあたりだったのか)
悠蓮が言っていたことを思い出した。
(休憩の後は徒歩って言ってたっけ)
ふと、考えた。
やっぱり一人だ。 車の中に四人いるのに、自分だけが浮いている。 飛行機の中でも一人だったが、仮に四人で座ったとしても同じだっただろう。
阿秀が言うには、前日でのチケット購入だったので、バラバラの座席となってしまった。 一番近くに此之葉を座らせるので、何かあれば此之葉に言うようにということであった。
(どこに行っても一緒なのかな・・・)
別に一人が寂しいわけではないつもりだ。 でも夕べ高校時代のことや、シノ機械の社員の顔を思い出して、ちょっと里心がついてしまっただけだ。 そこに戻ろうとは思わなかったのだから。
「どうぞ」
いつの間にか阿秀がドアを開けていた。 すでに助手席のドアも領主側のドアも開けていたようで、此之葉と領主がゆっくりと降りている。
「さ、こちらへ」
そう言って歩き出したのは、領主だった。 ここまで来れば領主も阿秀の手を借りずとも自分で動ける。
阿秀がトランクから紫揺のスポーツバッグを下ろして後につく。
沖縄から小さな島にやって来た。 だが、北の屋敷のあった島と比べると随分と大きい島である。 車中、島民が歩いているのを見たのだから。
どうしてその人が東の者ではなく、島民と分かったかというと、元々速度を落として走っていた車だったが、更に徐行をしだした。 そして領主側の窓を運転席から阿秀が開け、車を止めた。
『あれま丹我(たんが)さん。 島から出ておられたみたいやけど、帰ってきなすったか』
腰を曲げ、背中に野菜の入った籠を担いでいる。
『ええ、暫く家を空けておりました。 ハルさんは、お変わりなく?』
『はいな。 これから物々交換じゃて』
そう言うと抜けた歯の間からヒャッヒャと笑い声を立てた。
ハルさんに挨拶を終えた様子を見て、阿秀が車を発進させると領主が話した。
『この島にずっと住んでおられる方です。 当時ここに来た時には、ハルさんのご祖父母さまには大変お世話になったそうです。 右も左も分からない時に、あれこれとお世話をしていただいたと聞いています』
そう言っていたからだ。 それにハルさんは、物々交換と言っていた。 他にも島民がいることが容易に知れる。
そして続けて言ったこともあった。
『そのご祖父母さまが、先の紫さまが此の地を出られ、本土へ移ったということを教えてくださいました。 ハルさんご一家には足など向けて寝ることなど出来ません。 お元気そうにされていて何よりです』
(あのお婆さんの祖父母が、お婆様を知っていたかもしれない?)
後ろを振り向くと過ぎていくハルさんの姿を追った。
石畳を歩く。 けっこう長い。 その奥に古い平屋の一軒家が見えるが、古くはあるがぼろっちいのではなく堂々としている。 広縁もあり、まさに日本家屋といった風だ。
石畳はその家の玄関まで続いている。 その玄関に小柄な青年が低頭して待っていた。
「お帰りなさいませ」
低頭のまま言う。
「何事もなかったか?」
「後ほど・・・」
何事かがあったということだ。
「・・・分かった。 用意は出来ておるか?」
「広間にご用意をしております」
「此之葉、紫さ・・・藤滝さんを広間にお連れしてくれ」
「承知いたしました。 こちらへ」
紫揺の後ろを歩いていた此之葉が紫揺の先に出ると、小柄な青年、塔弥がずっと低頭したまま玄関の戸を開けた。
「中に葉月がいる」
此之葉だけに聞こえるように言う。 此之葉の妹、葉月が昼の御膳の用意をしているということだ。 此之葉がコクリと頷く。
此之葉、紫揺、阿秀の順に家の中に入った。 阿秀が玄関の戸を閉めると、紫揺を見送っていた領主が塔弥に向き直った。
「何があった?」
「今は安定されましたが、独唱様が一度お倒れになりました」
「なんとっ!?」
「一時はご回復されたのですが、また伏せられてその時に立ち上がろうとされて倒れられたと」
“られたと”?
「塔弥がいない時にということか?」
「あまりに状態がよく見えないものでしたから、医者を呼び玄関に迎えに出た時でした」
「では? 葉月が見ていたということか?」
「はい、葉月の気落ちもかなり」
「で? 医者はなんと?」
「立ち上がろうとされたのは、無意識だったのだろうと。 そして年齢的に弱ってきているというだけで、点滴をして下さいましたが、一旦は本島での入院をされるよう勧められました」
「今は何処におられる」
「独唱様がどうしても領土に帰りたいと仰られて、領土にお連れ致しました」
この小柄な体で、独唱を背負って領土まで帰ったのか、と思う。 以前は反対に、領土の一番端からここまで背負ってきたこともあったが。
「それで今はどうしておられる?」
「つい先ほどまでついていましたが、安定されていると思います。 起き上がってお座りになられるまでにはご回復されました」
塔弥は一旦、紫揺や領主を迎えるために領土から出てきたのだろう。 葉月に携帯を渡しておいて、阿秀からの連絡の橋渡し役にしていたのだろう。
「これから領土に帰るのか?」
「宜しいでしょうか?」
「ああ。 独唱様に付いてくれ」
「有難うございます」
“承知” でも “御意” でもない。 今この時間さえ、独唱のことが心配なのだろう。 紫揺のことも気になるだろうに。
一つ頭を下げ、そのまま洞窟に走って行った。
塔弥の助けも、あとの六人の助けもないが、それが此の地以外のところであったのなら、紫揺を連れた領主は此之葉と一緒に阿秀にしがみつくしかないであろう。 だが此処から領土へは、阿秀が居ずとも誰が居ずとも案内できる。
家に入ると広間へ足を向けた。
「まだ召し上がっておられなかったのですか?」
先に広間に入った紫揺たちは既に食事を始めていると思っていた。
「お勧めしたのですが、紫さまが領主をお待ちになると仰って」
言ったのは葉月だ。
「葉月、紫さまとお呼びせず、藤滝さんとお呼びするように」
領主が言う。
葉月が首をかしげるが、理由が分からないというだけで承知はしている。
「紫揺でいいです」
葉月を見てすかさず紫揺が言った。
どうしたものかと、葉月が領主を見る。
「此之葉さんも。 女の子に苗字で呼ばれるのはくすぐったいです」
葉月と此之葉が目を合わせ、そのまま領主にその目を流す。
女の子と言われた姉妹。 たしかに葉月は紫揺より年下だが、年齢を聞かねば分からない程、葉月の方がずっと歳上に見える。 それに背は葉月の方が紫揺よりうんと高い。 自由に育ったせいか、姉の此之葉よりも高いのだから。
「では、そうさせて頂きなさい」
領主が言うが、かなり笑いを堪えているのが分かる。 阿秀など横を向いてこちらに顔を見せない肩が揺れている。
「じゃ、領主さんも来られたことだし、いただきます」
元気よく言ったが食欲薄し。 とはいっても、座りっぱなしだというだけで、北の領土の時のように、スプリングも無ければゴムでもない木のタイヤの馬車に乗って胃が踊りまくったわけではない。 せっかく作ってくれたのだから、詰め込むくらい出来る。
「葉月さん一人で作ったんですか?」
仕出し屋が作ったような品揃えだし、飾り切りも素晴らしい。
「はい。 お口に合うといいのですが」
一品一品を少しづつ口に運ぶ。
「美味しいです、どれも。 お料理上手なんですね」
自分なんて、母親が居なくなって初めて台所に立つようになったのに。
「有難うございます」
「こういうことは此之葉より、葉月の方が数段上だな」
葉月が恥ずかしそうに下を向き、此之葉は我が妹が褒められたことに微笑んでいる。
ちらりとセノギモドキ、本名、阿秀を見た。 背筋を伸ばし優雅に食べている。
(あのひとって、何者なんだろう)
セノギは一緒に食事などとらなかった。 でもよく考えれば此之葉も今一緒に食事をとっている。 仮に此之葉がニョゼ的立場と考えると、ニョゼとも一度も食事を一緒にしたことなどない。
(やっぱりこの人達は東の領土っていう人たちなのかな。 そして北と東とではルールが違うのかな)
まだどこかで疑っているところがあった。
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- 虚空の辰刻(とき)- 第160回
翌朝八時ちょうど。 引き戸がノックされた。
引き戸を開けて紫揺が出てきた。 大きなスポーツバッグを持っている。 戸を閉め、しっかり鍵をかけ振り返ると、七人の男たちと領主、此之葉が低頭していた。
「でぇ・・・」
意味のない声を発し、誰かに見られていないかすかさず辺りに目を這わした。
一番に頭を上げたのは領主である。
「唯々、有難うございます」
再度深く頭を下げた。
「あ・・・えっと、あの・・・」
これではどこかの姉御の迎えのようではないか。 頭を上げてくださいと言いたかったが、それは領主だけにではなく、全員に言いたかった。 だが今までのことを考えると、言ったところで誰が耳を傾けるだろうかとも思う。
「はい、行きます。 さっさと行きます。 どこに行くんですか? とっとと、行きます。 教えてください。 右ですか、左ですか?」
足を踏み出した。
阿秀が交通の都合があると言っていたのは頭の片隅にあったが、そんなことは今はどうでもいい。 こんな所でこんな風に低頭されては紫揺もどうしていいものか分からない。
「車にお乗りください」
阿秀が言った。
前を見ると確かに車があった。 全く気付かなかった。
悠蓮が後部座席のドアを開けた。
「お荷物はお預かりいたします。 どうぞ」
阿秀が言うと、梁湶が手を出してきた。
(なにこれ? ・・・わざとらしい)
思いながらも梁湶に鞄を渡し、とっとと車に乗り込んだ。 この時間だと、遅刻小学生が親にお尻を叩かれて家から飛び出てくる可能性が高い。 こんな所をご近所さんに見られたくない。
運転席に湖彩が乗り込み助手席に悠蓮が座った。
後部座席から辺りを見回す。 遅刻小学生も居なければ、玄関の外を掃きに出て来たご近所さんも見当たらない。 ホッと一息つくと背もたれにもたれた。
「出発します」
僅かに振り返ってそう言ったのは助手席の悠蓮だ。
湖彩の運転する車の後に醍十がハンドルを握る車が出た。 助手席に阿秀、後部座席に領主と此之葉が座っている。 その車の後ろから野夜がハンドルを握り、助手席に若冲、後部座席に梁湶が紫揺のバッグと共に座った。
車中、後部座席にたった一人の紫揺。 助手席に座る悠蓮の顔は下げられていたとは言えど、何となくは分かるし、声を覚えている。
「家の鍵を渡してくれた人ですよね?」
「はい」
「私は東っていう所に行くと言いました」
「うかがっております」
「東って所はどこにあるんですか?」
「まずは空港に向かい、飛行機で沖縄に行きます。 そちらからまた飛行機で移動し、車に乗って頂き一旦、休憩を入れて頂いて、領土には徒歩で入っていただきます」
僅かに後ろを見るように首を回してはいるが、その顔は伏せられている。
「そんなに遠いんですか?」
「少々お時間はかかりますが、極力お待ちのお時間のないように考えております」
すべて阿秀が段取った。
「そうですか・・・」
「お具合が悪くなされれば、いつでも仰ってください」
「・・・はい」
具合が悪いのは今まさにそうだ、と言いたいが、そうとは言えない。 いま悪いのは具合ではなく気分なのだから。
(取り敢えず、言われるままにしてみようか)
気分はスコブル悪い。 どうしてこれだけの人間に、ましてやどう見ても全員紫揺より年上ではないか、それなのに低頭、慇懃されなくてはいけないのか。
縦社会の部活生活をしてきた紫揺には無性に気分が悪いことである。 だが行く所に行かなければ何も分からないのだろう。
マツリに頼みごとをしなければいけないかもしれないということが解決できないのだろう。
車の窓から外を眺めた。 家から空港になど行ったことなどない。 試合や遠征は全て電車、遠ければ新幹線での移動だった。 初めての風景に視線を送った。
車を降りると悠蓮に誘導されながら移動し、最後には紫揺を含め四人で飛行機に乗った。
沖縄に着くと次の飛行機に乗る。 そこから車に乗る。 そう聞いていた。
飛び立った飛行機が沖縄に着き、那覇空港では待ち時間があったので、何か食べるものでも用意しようかと阿秀に訊かれたがお断りした。
ただ座っているだけで腹が減ることはなかったし、食欲もなかった。 反対に座りっぱなしということで身体は疲れた。 どちらかといえばこの広い空港を走り回りたい気分だ。
阿秀は誰から見ても落ち着き払ったように見えているが、紫揺の後ろに立ちあちらこちらに目を動かしている。
上手く紫揺が食事を断ってくれたから良かったものの、もしここで襲われでもすれば、領主と此之葉を置いて紫揺を追いかけていかなくてはならない。 だがそれには二の足を踏んでしまう。 領主と紫揺を天秤にかけるということになるのだから。
(失敗したか・・・此之葉を船に乗せれば良かったか・・・)
分ってはいたが、実際になると考えが甘かったと思わずにはいられない。
だが此之葉にそんなことを言ったところで、此之葉は納得をしなかっただろう。 そして領主も此之葉と同じことを言うだろう。
『五色様と “古の力を持つ者” が共に居なくてどうする』 と。
(とにかく、ここさえしのげれば・・・)
阿秀の神経がピリピリと音をたてるが、辺りの喧騒に消されていく。
「あと少しで着きます」 そう言ったのは那覇空港を飛び立ち、この島に下りた後、運転席に座った阿秀だった。
島に着いた途端、阿秀の上がっていた肩が下がっていた。 見知らぬ人間はどこにもいなかったからだ。
助手席には此之葉、後部座席に領主と紫揺が座っている。
悠蓮たちは紫揺を空港で見送ったあと、船着き場まで車で走り船に乗り換えていた。
紫揺の気分はスコブル良くない。 それは九州を旅立った時から付いているのが阿秀だったからだ。
阿秀に対しての紫揺の印象は、決して良いものではなかった。
あれだけの逃走劇をした挙句、目の前に涼しい顔で立たれたのだから。
「お疲れになったでしょう。 休憩を入れ、領土に向かうのはそれからに致しましょう」
隣りに座る領主が言う。
(ああ、あの人が言ってた休憩ってこのあたりだったのか)
悠蓮が言っていたことを思い出した。
(休憩の後は徒歩って言ってたっけ)
ふと、考えた。
やっぱり一人だ。 車の中に四人いるのに、自分だけが浮いている。 飛行機の中でも一人だったが、仮に四人で座ったとしても同じだっただろう。
阿秀が言うには、前日でのチケット購入だったので、バラバラの座席となってしまった。 一番近くに此之葉を座らせるので、何かあれば此之葉に言うようにということであった。
(どこに行っても一緒なのかな・・・)
別に一人が寂しいわけではないつもりだ。 でも夕べ高校時代のことや、シノ機械の社員の顔を思い出して、ちょっと里心がついてしまっただけだ。 そこに戻ろうとは思わなかったのだから。
「どうぞ」
いつの間にか阿秀がドアを開けていた。 すでに助手席のドアも領主側のドアも開けていたようで、此之葉と領主がゆっくりと降りている。
「さ、こちらへ」
そう言って歩き出したのは、領主だった。 ここまで来れば領主も阿秀の手を借りずとも自分で動ける。
阿秀がトランクから紫揺のスポーツバッグを下ろして後につく。
沖縄から小さな島にやって来た。 だが、北の屋敷のあった島と比べると随分と大きい島である。 車中、島民が歩いているのを見たのだから。
どうしてその人が東の者ではなく、島民と分かったかというと、元々速度を落として走っていた車だったが、更に徐行をしだした。 そして領主側の窓を運転席から阿秀が開け、車を止めた。
『あれま丹我(たんが)さん。 島から出ておられたみたいやけど、帰ってきなすったか』
腰を曲げ、背中に野菜の入った籠を担いでいる。
『ええ、暫く家を空けておりました。 ハルさんは、お変わりなく?』
『はいな。 これから物々交換じゃて』
そう言うと抜けた歯の間からヒャッヒャと笑い声を立てた。
ハルさんに挨拶を終えた様子を見て、阿秀が車を発進させると領主が話した。
『この島にずっと住んでおられる方です。 当時ここに来た時には、ハルさんのご祖父母さまには大変お世話になったそうです。 右も左も分からない時に、あれこれとお世話をしていただいたと聞いています』
そう言っていたからだ。 それにハルさんは、物々交換と言っていた。 他にも島民がいることが容易に知れる。
そして続けて言ったこともあった。
『そのご祖父母さまが、先の紫さまが此の地を出られ、本土へ移ったということを教えてくださいました。 ハルさんご一家には足など向けて寝ることなど出来ません。 お元気そうにされていて何よりです』
(あのお婆さんの祖父母が、お婆様を知っていたかもしれない?)
後ろを振り向くと過ぎていくハルさんの姿を追った。
石畳を歩く。 けっこう長い。 その奥に古い平屋の一軒家が見えるが、古くはあるがぼろっちいのではなく堂々としている。 広縁もあり、まさに日本家屋といった風だ。
石畳はその家の玄関まで続いている。 その玄関に小柄な青年が低頭して待っていた。
「お帰りなさいませ」
低頭のまま言う。
「何事もなかったか?」
「後ほど・・・」
何事かがあったということだ。
「・・・分かった。 用意は出来ておるか?」
「広間にご用意をしております」
「此之葉、紫さ・・・藤滝さんを広間にお連れしてくれ」
「承知いたしました。 こちらへ」
紫揺の後ろを歩いていた此之葉が紫揺の先に出ると、小柄な青年、塔弥がずっと低頭したまま玄関の戸を開けた。
「中に葉月がいる」
此之葉だけに聞こえるように言う。 此之葉の妹、葉月が昼の御膳の用意をしているということだ。 此之葉がコクリと頷く。
此之葉、紫揺、阿秀の順に家の中に入った。 阿秀が玄関の戸を閉めると、紫揺を見送っていた領主が塔弥に向き直った。
「何があった?」
「今は安定されましたが、独唱様が一度お倒れになりました」
「なんとっ!?」
「一時はご回復されたのですが、また伏せられてその時に立ち上がろうとされて倒れられたと」
“られたと”?
「塔弥がいない時にということか?」
「あまりに状態がよく見えないものでしたから、医者を呼び玄関に迎えに出た時でした」
「では? 葉月が見ていたということか?」
「はい、葉月の気落ちもかなり」
「で? 医者はなんと?」
「立ち上がろうとされたのは、無意識だったのだろうと。 そして年齢的に弱ってきているというだけで、点滴をして下さいましたが、一旦は本島での入院をされるよう勧められました」
「今は何処におられる」
「独唱様がどうしても領土に帰りたいと仰られて、領土にお連れ致しました」
この小柄な体で、独唱を背負って領土まで帰ったのか、と思う。 以前は反対に、領土の一番端からここまで背負ってきたこともあったが。
「それで今はどうしておられる?」
「つい先ほどまでついていましたが、安定されていると思います。 起き上がってお座りになられるまでにはご回復されました」
塔弥は一旦、紫揺や領主を迎えるために領土から出てきたのだろう。 葉月に携帯を渡しておいて、阿秀からの連絡の橋渡し役にしていたのだろう。
「これから領土に帰るのか?」
「宜しいでしょうか?」
「ああ。 独唱様に付いてくれ」
「有難うございます」
“承知” でも “御意” でもない。 今この時間さえ、独唱のことが心配なのだろう。 紫揺のことも気になるだろうに。
一つ頭を下げ、そのまま洞窟に走って行った。
塔弥の助けも、あとの六人の助けもないが、それが此の地以外のところであったのなら、紫揺を連れた領主は此之葉と一緒に阿秀にしがみつくしかないであろう。 だが此処から領土へは、阿秀が居ずとも誰が居ずとも案内できる。
家に入ると広間へ足を向けた。
「まだ召し上がっておられなかったのですか?」
先に広間に入った紫揺たちは既に食事を始めていると思っていた。
「お勧めしたのですが、紫さまが領主をお待ちになると仰って」
言ったのは葉月だ。
「葉月、紫さまとお呼びせず、藤滝さんとお呼びするように」
領主が言う。
葉月が首をかしげるが、理由が分からないというだけで承知はしている。
「紫揺でいいです」
葉月を見てすかさず紫揺が言った。
どうしたものかと、葉月が領主を見る。
「此之葉さんも。 女の子に苗字で呼ばれるのはくすぐったいです」
葉月と此之葉が目を合わせ、そのまま領主にその目を流す。
女の子と言われた姉妹。 たしかに葉月は紫揺より年下だが、年齢を聞かねば分からない程、葉月の方がずっと歳上に見える。 それに背は葉月の方が紫揺よりうんと高い。 自由に育ったせいか、姉の此之葉よりも高いのだから。
「では、そうさせて頂きなさい」
領主が言うが、かなり笑いを堪えているのが分かる。 阿秀など横を向いてこちらに顔を見せない肩が揺れている。
「じゃ、領主さんも来られたことだし、いただきます」
元気よく言ったが食欲薄し。 とはいっても、座りっぱなしだというだけで、北の領土の時のように、スプリングも無ければゴムでもない木のタイヤの馬車に乗って胃が踊りまくったわけではない。 せっかく作ってくれたのだから、詰め込むくらい出来る。
「葉月さん一人で作ったんですか?」
仕出し屋が作ったような品揃えだし、飾り切りも素晴らしい。
「はい。 お口に合うといいのですが」
一品一品を少しづつ口に運ぶ。
「美味しいです、どれも。 お料理上手なんですね」
自分なんて、母親が居なくなって初めて台所に立つようになったのに。
「有難うございます」
「こういうことは此之葉より、葉月の方が数段上だな」
葉月が恥ずかしそうに下を向き、此之葉は我が妹が褒められたことに微笑んでいる。
ちらりとセノギモドキ、本名、阿秀を見た。 背筋を伸ばし優雅に食べている。
(あのひとって、何者なんだろう)
セノギは一緒に食事などとらなかった。 でもよく考えれば此之葉も今一緒に食事をとっている。 仮に此之葉がニョゼ的立場と考えると、ニョゼとも一度も食事を一緒にしたことなどない。
(やっぱりこの人達は東の領土っていう人たちなのかな。 そして北と東とではルールが違うのかな)
まだどこかで疑っているところがあった。