大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第196回

2023年08月28日 21時29分27秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第190回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第196回



翌朝しっかりとマツリを見送り、杠と二人乗りで岩石の山に向かった。 馬を下りるとすぐに杠が棚から出してきた硯を持って二人で山に入って行く。
作業場があればいいのだろうが、宿所を建てただけで作業場などない。 もっとも杉山もそうなのだが。

「お早うございます。 今日もお邪魔します」

「お早うっす! マツリ、マツリ様が許してくれたのか?」

「はい。 でもこちらには今日で最後になると思います。 また道具をお借りします」

紫揺の言った “今日で最後” さざ波のようなざわめきが起こったが、素知らぬ顔でノミを取りに行き、昨日と同じ所に座るとすぐに作業を開始した。
杠が何度も宿所と山を行ったり来たりするが、紫揺はずっと座ったままで作業を続けている。

昼餉時にはようやく岡を掘りだしたと話した。 墨を磨る部分である。

「今日中に出来そうだな」

他の者は宿所で昼餉を食べている。 人の耳を気にすることなどない。

「でも磨くのが大変。 昨日もそれで時間取ったし」

「どうして手順を知ってるんだ?」

「うん? 知らない。 幼い時に一度見たことがあるけど、細かいところはあんまり記憶にないから勘」

それに道具も全然違う。

「勘?」

「物を作るって・・・えっと、細かいことは苦手だけど、お裁縫とか。 でも決まった型なんだから削って磨けば出来るんじゃないかなって思って。 それに硯の山の人達と話さなくちゃいけないとは思うけど、同じことをするのにも意味があるでしょ?」

そんな風に考えていたのか。

「東の領土でもあちこち回る時にはその場所によって色々やってる。 お付きの人達に止められる時があるけど」

そうだろうな、根を詰め過ぎだ。 それに今は刃物を使っている。 指に怪我をさせるのではないかと思うと気が気ではない。 足の傷のことが無ければとうに止めている。

「紫揺は東の領土で五色として働いているんだったな」

「働くっていうか・・・声掛け程度だけど」

「そうか、でもそれを置いて六都に来たんだ。 明日はマツリ様と居ろよ。 俺からも明日の一日くらい杉山に行かれないようにお頼みするから」

「杉山について行くだけでもいいんだけどな」

「二人っきりになって話をすることも大切だ」

「そうかな・・・」

でもそうすればあの時のようにドキがムネムネ、じゃなくておムネがドキドキして大きくなるかもしれない。

「そうかもね」

杠の手が伸びてきて紫揺の頭を撫でた。

昼餉後も少しの休憩を取っただけで紫揺はすぐに作業に取り掛かった。 昼餉を食べてから山に戻ってきた者たちが、既に紫揺が作業を始めているのを見て大慌てで作業を開始していた。

掘り終わった後、磨きに磨いて僅かの凹凸もなくした。 指でそっと触れてみる。

「よし、これでいいはず」

だがそこで終るつもりはない。 その為に右端と池の上の部分を空けていたのだから。

「実用的じゃないって言われたらそれまでだけど」

実際掘った岡や池部分はかなり小さい。
彫刻刀に似た物を手にすると、頭の中に描いていたものを掘りだす。

「杠官吏、見てくれ」

「はい」

今日はこれで六つ目である。 段々と慣れてきたのか、今までとは比べ物にならないくらいである。 これからは漆を塗るまでをひと工程とした方がいいかもしれない。 そして今までの物はまとめて漆を塗らなくてはいけない時になってきた。

硯に水を入れ墨を磨る。 どこにも引っかかりを感じない。

「私からしてみれば文句なしです」

「よし。 で? いつ職人のところに持っていくんだ?」

職人に見てもらってからということは皆に話している。 そしてこの男はこれだけではなく今までにも仕上げている。 自分の出来がどんなものか気になっているのだろう。

「そうですね、明日から乾いている硯に漆を塗りましょうか。 それからということで」

「明日か、よし。 墨を塗りつけたらまた作ってくらぁ」

休まないようだ。
紙片を出すと今の男の名前を書く。 墨を塗りつけたらここに持ってくるのだ、誰の物か分かるように棚に置く時に名前を書いた紙片を下に敷く。 そして帳面にも名前を書きつける。

夕刻に差し掛かった。 今日はもうこれで終わりである。 紫揺を迎えに行くと細い砥石とヤスリを使って細かなことをしているようだ。

「どうだ、ですか?」

「うん、出来た。 どう?」

それは単なる硯ではなかった。 池の上から右の横にかけて鈴の花が彫られていた。 何本もの茎の先に鈴の花が咲いている。 鈴の花を模って縁を彫り浮き彫りにしているものと、鈴の花を彫っているものとがある。

「これは・・・」

「小さいし、彫ったところに水が溜まりそうで実用的じゃないけどね」

何のことだと、杠の周りに人が集まりだす。

「これって・・・?」

「模様を入れちゃいました」

男達には思いもしない発想であった。

「杠官吏、見せてくれ」

杠が男に渡すと次から次に男達の手に渡っていく。

「仕上げは私がしておきます」

「うん、お願いね」

「む! 紫さま!」

「はい」

「この硯は・・・どうすん、だ?」

「あ、えっと・・・」

杠に言って仕上がったらいつでもいいから宮に預けてもらうか、六都の宿に置いてもらうかして・・・。 などと考えていると、男が先に声にする。

「き、記念にここに置かせてもらえないか?」

思いもしなかったことを言われてしまった。

「硯の山に? え、あ・・・どうしよう。 記念って・・・上手く作れてるわけじゃないし・・・」

初めて作ったのだ。 後になり手慣れた時に見て笑われるかもしれない。

「杠官吏、杠官吏からも言ってくれや!」

そうだ、そうだ、と男達から声が上がる。
嫌な役回りを押し付けられたものだ。 だが仕方がない。

「いかがですか?」

「上手じゃないから・・・」

「作られた記念に持ち帰られたいですか?」

「うーん・・・それほどでも」

あまり記念と言うものにこだわりは無い。

「ではこちらに置いていても宜しいですか?」

「・・・笑わない? 下手っぴって」

「皆さんどうですか?」

「笑うわけねー!」

「おうさ、誰が笑うもんか」

やっと硯が回ってきた男たちが驚きに目を開けている。 初めて作ったというのに丁寧な仕上がり。 それに自分たちは池や岡を作るだけと思っていた。 それなのに・・・。

「じゃ、それで・・・」

おーっし! 全員が叫んだ。

杠の手に硯が戻ってくると宿所に戻り棚に置いた。 その間に紫揺が挨拶を済ませている。

「また来てくれ・・・下せー」

「そん時までにはオレらも上手くなってるからよ」

「はい、皆さん頑張ってください。 それじゃ、有難うございました」

賑やかに見送られ二人乗りで岩石の山をあとにする。
そしてこの日から岩石の山ではなく、紫揺が口にしていた硯の山と呼ぶようになった。

宿に戻るとマツリが先に戻って麦酒を呑んでいた。

「おや、お早いですね」

マツリを見つけた杠が前の席に座るとすぐに紫揺が杠の隣に座る。 マツリの眉がピクリと動いたのを二人で無視する。
マツリが紫揺を隣に座らせたいのは二人とも分かっている。 杠にしてみればマツリはこの先一緒に居られるだろう。 だが杠は紫揺が御内儀様になれば、今この時しか一緒に居られない。
紫揺にしてみても杠の隣に座りたいこともあるが、こっちの方がマツリの顔がよく見える。

「ああ、あの問題を起こしていた三人が岩石の山に行ったからな。 昨日に続いて今日も落ち着いておったから早々に戻ってきた」

杠と紫揺が目を合わす。

「そんな様子は硯の山では見られなかったと思うけどな。 私が周りを見てなかったからかな?」

「いいや、何度も見に行ったが黙々とやっていた」

マツリが意外な顔をする。

「合うか合わんかか」

「うーん、そうなのかもしれないかな。 誰にも何も言われないからいいって言ってたし」

給仕が注文を取りに来ると『今日のおすすめ夕餉』 を三人で頼んだ。 杠は麦酒も注文する。
それからは今日、岩石の山であったことを話した。

「へぇー、その様なものを紫が作ったのか、見たいものだな」

既に前に並べられていた『今日のおすすめ夕餉』 に箸を動かしながら聞いていた。 相変わらず日本の定食によく似ている。 言ってみれば生姜焼き定食だろう。

「仕上がりましたら一度宿に持ち帰りましょう」

「見なくていいよ。 マツリみたいに器用じゃないんだから」

「いや、大したものだったぞ?」

「いいってば。 それよりマツリ明日も杉山?」

「ああ、そうだ」

「マツリ様、あの三人が居ないのであれば、明日くらいは紫揺と一緒に居られれば如何ですか? お二人でどこか・・・特に景観を見に行くようなところはありませんか。 市にでも行かれればいかがですか?」

「市は・・・どうかなだけど、そうしよ、マツリ」

どういうことだ。 紫揺がそんなことを言うはずがないのに。

「・・・何を企んでおる」

「あ、なにそれ」

「・・・マツリ様、どうぞ素直に」

マツリが杠に半眼を送る。

「無いものを訝しく思っている間に紫揺は東の領土に戻ってしまいます。 それに己も紫揺も何も企んでおりません。 今日岩石の山の帰りに、明日一日くらいはと話をしていただけです」

「・・・」

「うわ、完全に拗ねてるし」

四方の子供に間違いなさそうだ。

「拗ねてなどおらんわ」

己の知らない所で勝手に明日の相談などしおって、などとは絶対に思っていない。
結局

「では行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」

二人乗りで馬に乗って杉山に向かうこととなった。 様子を見て落ち着いているようならば、三十都(みそと)まで足を延ばし景観を楽しむことにした。 いわゆる同伴出勤後のデートである。
紫揺の足の傷は無理をしなければそれで良いが、一人で馬に乗って三十都まで行くとなると不安がある。 まだ薬草をつけているのだから。

「三十都っていう所に行けるといいね」

市より滝や山や川の方が良いと言った紫揺。

「辺境が良いのか?」

行く先は辺境ではないが、それでも目的地は三十都の中心からかなり離れている。

「自然がいっぱいだから好き。 だから杉山も好き。 でも出来れば滝が見られるといいなぁ」

「まだ寒かろう」

「うーん、それでも見られたらいいな」

そういえば紫揺が何を好んでいるのかは、あの泉のことと菓子のことしか知らない。 何を厭うのかも知らない。
今までそんな事は考えもしなかった。
それを知る必要があるのかどうかは分からないが、何かの切っ掛けがあれば知りたいと思うだろうが今は必要ない。 無理に訊く気はない。

「そうだな」

杉山に行くと連日と同じく落ち着いていると聞いた。 そこであとは武官に任せて三十都に向かうことにした。
杉山は三十都の土地かと思っていたくらいだ。 三十都に入るのにそんなに時を要しないが、かといって目的地は徒歩で行けるようなものではない。

「足は痛まんか?」

「うん」

「痺れは」

「うーん、無くなったっていったら嘘になるかな。 でもマシになった気がする」

「その痺れに慣れてきているのではなかろうな」

「そんなことないと思う」

腕を見ると赤い筋はもう殆ど治ってきている。

「薬草ってすごいね」

「ん? 東の領土では切った時に薬草を使わんのか?」

「使うよ。 でも改めて思った・・・って言うか、本領の薬草ってよく効くみたい」

東の領土で紫揺が高熱を出した時、東の領土の薬湯の効き目は薄かった。 本領の薬湯をマツリが持ってきて、それがてきめんに効いた。

「紫の身体には東の領土の薬草より、本領の薬草の方がよく効くようだ」

「ああ・・・、もしかして本領と日本の食べ物がよく似てるからかなぁ。 東の領土の食べ物は私にしては珍しいものが多いし、身体の中の作りが本領風になってるのかもしれない」

「似ておるのか?」

「うん。 調味料も料理の仕方も食材も。 まぁ、何もかも全く同じかって訊かれたら何もかもじゃないけど。 北の領土の食べ物は知らない食材が多かったし」

紫揺の言うように食べてきたもので身体が作られている。 その身体に合う薬草を採っているのだから、東の領土は東の領土の者の身体に合うものを採っている。 本領も然り。

「そうか、それならばそうなのだろうな。 身体は摂る物で作られておるからな。 それにしても北の領土か」

「なに?」

羽音のことも思い出したが薬草の話をしていたのだ、違う人物を思い出した。 紫揺がトウオウのことを思い出す前に口を開く。

「北の領土にショウジという薬草師がおってな」

ショウジとの話を紫揺に聞かせた。 今思えば誰よりも先にマツリの恋に気付いていたのはショウジであった。 的外れな答えをしていたが。
紫揺の話を聞きたい気持ちはある。 だがそれはまだ僅かな時を過ごした東の領土でのこと。 日本の話は出来るだけさせたくない。 紫揺が話したいと思えば別だが。
紫揺が滝を見たいと言っていた。 話しながらも滝の方に馬を歩かせている。


「あー・・・やっぱり杠官吏だけか」

昨日紫揺から話を聞いていたはずなのに期待をしていたようだ。

「残念で御座いました。 さて今日は昼餉のあとから今まで仕上がったものに漆を塗りましょうか」

「おっ、とうとう職人のところに持って行くのか?」

「皆さんの手が早くなられてきたようなので」

「おー、そいじゃ、今やってるのも早く仕上げるか」

「食当番じゃありませんでしたか?」

「とっとと準備を終わらせる」

一つ笑むと杠が棚から紫揺の作った硯を手に持ち、墨を塗る準備を始めた。



昨日で紫揺が東の領土を出てから五日が終わっていた。

「阿秀、今日戻って来られるのかぁ?」

いつ戻って来てもいいように山の麓で待つお付きたち。 もちろんお転婆もいる。 ガザンは不参加を決めたようだったが、頼みこんでお転婆についてもらった。 謝礼は鶏肉。

「満の月までまだ日があるからな、どうされるだろうかな」

満月の夜には紫揺の誕生の祝いがある。 それまでには戻ってくるだろうが。

「湖彩」

「はい」

「辺境の女人とはどうなった」

「いや・・・阿秀、こんなところで訊かなくても」

「こんなところだからだ。 みんな退屈だろう」

阿秀に応えるかのように、阿秀と塔弥を除く五人に取り囲まれた。 この五日間、ずっと辺境に出ていた湖彩である。 どちらに転んでも、それなりに楽しいお話があるだろう。

「湖彩? どんなことがあったのかな?」

「一緒に泣いてやってもいいぞぉ?」

「言ってごらん」

「楽しく聞いてやるからさ」

「言えよ」

「お、お前ら・・・人の不幸を」

五人の目が輝いた。

「おー! そうか! 不幸か! よし、言ってみろ言ってみろ、聞いてやるから」

湖彩が責められているのを後目に阿秀が呟く。

「明日は梁湶にでもしようか」

涼しい顔で言ってのける。

「阿秀・・・性格恐くなってきてませんか?」

「退屈しのぎはこれが一番いい。 それにこっちに火の粉が飛んでは困る。 塔弥もだろう?」

「・・・あ、はい。 じゃ、明後日は悠蓮で」

「ん? 悠蓮にも居るのか?」

「一目惚れだそうです。 前回紫さまが本領に行かれた時には何日か通ったそうですが、その時にはまだ話が出来ていなかったと聞いています」

領主からそんな話は聞いていなかった。 悠蓮、領主に隠していたようだ。

「そうか・・・では明日は悠蓮にしよう」

悠蓮もこの五日間、お付きの部屋に居なかった。 それなりに何かあっただろう。

お付きたちの恋など知らない紫揺。 この事を知っていたのならば、五日と言わず十日と言っていたかもしれない。

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