『---映ゆ---』 目次
『---映ゆ---』 第1回から第110回までの目次は以下の 『---映ゆ---』リンクページからお願いいたします。
『---映ゆ---』リンクページ
「あ・・・」 目の前に磐座がある。
「・・・帰ってきちゃったんだ」 片手にはタッパが握られている。
「どうして帰ってきちゃうの・・・。 シノハさんとの時間を誰が邪魔してるの・・・」 涙が溢れてくる。 しゃがみこんで声を殺して泣いた。
「シノハ・・・」 セナ婆が家に帰ってきたシノハを見て何があったか見当がついた。
「女と逢ったのか?」
「・・・はい」
「わしの言ったことをよく思い出せ」 立ち尽くすシノハに言う。
「今シノハの悲しみを女もおっているのじゃぞ。 女もシノハと同じ悲しみの中にいるのじゃぞ。 これ以上女を傷つけるな、悲しみの中に溺れさせるな」 諭すように、それでいて厳しく優しく言う。
「・・・」
「シノハの片割れじゃ。 良い女じゃろう。 それだけに周りの者の気持ちも考えねば。 我らがシノハを失いたくないという思いと同じ気持ちである者が多々居よう」
(ママと言っていた。 ママが作ったと・・・。 ショウ様の身体を考えてと・・・ショウ様が痩せてきている。 初めて会った時のショウ様で居て欲しい) 分かっている。 分かっているが、どうしても渉と逢いたい。
(己は何と愚かか・・・)
「シノハ」
「・・・はい」
「もう少しするとリンラニが飯を持ってくる。 しっかりと食べろよ。 これ以上リンラニを心配させるでないぞ」 リンラニ。 シノハの母。
「・・・はい」
痩せ細ったシノハを初めて見た時、リンラニが絶句した。
「シノハ、シノハ。 どうして」 思わず持ってきた盆に乗っている飯を落としかけた。
母親の顔が引きつっている。
ロイハノが居ない。 リンラニが持ってきたセナ婆と己の昼飯を、シノハが受け取らねばならない。
「卓に食を置いても良いぞ」 セナ婆がシノハの母、リンラニに言う。
「婆様、いったい何が!? どうしてシノハがこんなことに!?」
食を受け取りかけたシノハが、あまりの母の驚きように、部屋の片隅に行くと背を向け、その背を丸くして座り込んだ。
「触れを出したはずじゃ。 シノハのことに誰も触れるなと」
「ですが!」
「分かっておる。 じゃが今はシノハのことに触れるな。 シノハに精のつく物を食べさせろ。 今はただそれだけじゃ」
「婆様・・・」 どうしてこんなことになったのか訳の分からない目を、不安だけの目をセナ婆に向ける。
リンラニの心の内はあって当たり前のこと。 セナ婆でなくとも誰もが十分に分かること。
「シノハと話しても良いぞ」 リンラニがシノハを見るがシノハは背を向けたままだ。
「シノハ、話をせんか?」
「・・・」 今は渉のことで頭がいっぱいだ、母とどう話をしていいのか分からない。
無言のシノハを見たセナ婆。
(あれほど母思いだったのに・・・母を見ても心を動かせないか・・・)
唯々、シノハの背を見る母。 その姿が哀れでならない。
「シノハのために精のつく物を作ってやってくれ」
「・・・はい」 卓に食を置いた。
『才ある者』 才ある婆様の教えは絶対である。 それに今はシノハの身体を元に戻すのが一番。 元に戻してやりたい。 今にも溢れ落ちてきそうな涙を堪えた。 泣いている場合ではないのだから。
登校前テレビを見ていると奏和のスマホが鳴った。 画面には『母さん』 と出ている。
「母さん?」
「お早う」
「お早うございます。 なに? 朝からどうしたの?」
「卒業したらどうするの?」
「った、朝からなんだよ」 乱暴に頭をポリポリと掻く。
「嘘よ。 ね、来週も来てくれる?」
「嘘って・・・。 今週も来週も行くつもりだけど? って、毎週末行ってるじゃん。 なんで急にそんなことを聞くの?」
「急にお式が入ったのよ。 だから絶対に来てほしくて」
「ああ、そういうこと。 必ず行きます」
「必ずよ。 でね、翔ちゃんは来られないかしら?」
「あ、そっか・・・」
「無理ならいいんだけど」
「全然いいわけないんじゃない?」
「・・・そうなのよね。 どこかから巫女さんに来てもらってもいいんだけど、出来れば翔ちゃんにしてもらいたいの」
「翔も暇にしてるだろうし、連絡して行かせるよ」
「うん。 無理ならいいって言っておいて、お願いね。 それと奏和は絶対よ。 予定なんかいれないでね。 ね、ついでにさっきの話だけど、就職活動とかしてるの?」
「・・・してないよ。 してないけど・・・今色々考えることがあってさ」
「え? もう卒業が近いっていうのに。 何を考えるって言うの?」
「俺だって考えることくらいあります。 ね、もういいでしょ? 来週は必ず行くから」
「必ずよ。 お願いね」 雅子が電話を切った。
毎週末になると神社を訪れ手伝いをしていたが、冬休みに入った年末から新年にかけて、どれだけ忙しいかを実感した。
「親父と母さんでこれだけのことをやっていたのか・・・」
今年初めて年末年始の手伝いをした。
「あ、翔も手伝っていたのか・・・。 俺は何もしてなかったな・・・」 改めて自分がどれだけ実家の、神社の手伝いをしていなかったのかを痛感した。
年末から始まって正月から数週間、神社の手伝いを終えると夜には社務所に籠り、まるで都市伝説のような話を調べているが、それらしいものが他にどこにも見当たらなかった。
「あんな話をどこから聞いたんだろう」 雅子との会話を終えスマホを卓上に置いた。
「学校の奴らに聞いてもそんな話は知らないって言うし・・・」 頭の下に腕を組み枕にするとゴロンと転がり瞼がウトウトと塞がってくる。
「就活かぁ・・・」 バンド仲間と微妙なズレが生じてきた。
(アイツら若いもんな) 価値観の差に、想いの差について行けない。
(どれだけ練習をさぼってるかなぁ・・・)
思いながら、自分がどれだけ神社と関わってこなかったのかと思う。
(俺・・・跡取りだよな・・・) 夢うつつの瞼を開けた。
「おっと、こんなことをしてたら二度寝で遅刻だ」 パッとしない身体を起き上がらせた。
「そうだ翔に連絡・・・。 ってまだ7時じゃん!」 翔は起きているであろうが、連絡をするには時間が早すぎる。
「シノハさん・・・」 ベッドの上で掌の上にあるジョウビキを撫でる。
コンコン。 ドアがノックされた。
「渉ちゃん、何してるの? そろそろ会社に行く時間よ」
いつも朝食を食べ終えた後は、ダイニングかリビングにいてそのまま会社に行っていたのだが、シノハと逢って巾着を渡してからは、朝食を食べた後は出勤時間まで部屋に籠り、ジョウビキを眺めていた。
「はーい」 ジョウビキを大切にハンカチで包むと上着のポケットに入れベッドを下り、バッグを手に持った。
「はい、お弁当」
「ありがとう。 じゃ、行ってきまーす」 バッグにお弁当箱を入れると、慌ただしく靴を履きドアを開けた。
「行ってらっしゃい。 気を付けていくのよ。 あ、手袋は?」
「持った」 ドアが閉まった。
「ふぅー・・・。 最近の渉ちゃんたら、また食べる量が減ってきた・・・。 縫物をしていた時の明るい顔もなくなったし、いったいどうすればいいのかしら」 目を落とすともう一度ため息をついた。
「今日・・・今日も逢いたい。 昨日も今日も明日も逢いたい・・・オロンガにずっと居たい」 真名には今まで通り普通にしているつもりだが、心は限界になっていた。
巾着を渡してから1週間ほど経っていた。 我慢が限界になってきている。 だが、暫くは会社を休んでしまうと樹乃に多大な迷惑をかけてしまう。
「どうして思うままにならないんだろ・・・」 溢れてきた涙を手袋で拭うと、空を見上げた。
「雨が降ってるのかな・・・」
目に映る空は夕べの雨が汚れたものをすべて洗い流したのか、綺麗に晴れ渡っている。 遥かな空はどうなっているのだろうか。
空を見上げているとシノハと2度目に逢った時のことを思い出した。 初めて逢ったトンデン村とは全然違う爽やかな空、ずっと続く川が見えたあの日のことを。
《 「私、ずっと考えてたの。 なんでこの世なのかな、なんで私なのかなって」
「はい」 シノハが優しく相槌を打つ。
「私のいる世はもしかしたら私のいる世じゃないんじゃないのかなって、それに私が私じゃないような気がしたの。 息を抜いたら自分が居ない気がしてた」 》
「あ・・・私のいる世は私の居る世じゃない・・・?」 そうだ、そんなことを思っていた。
《 「それが、初めてシノハさんと逢って、もう一度シノハさんと逢えると全てが分かると思ったの」
「お分かりになりましたか?」 目を細めて聞いたシノハ。
「分からない。 まだ分からないの。 でも、もう分からなくてもいい。 シノハさんに逢えればそれでいい」 》
(そうよ。 社会人になって、いつもいつも思っていた。 『なんでこの世なのかな・・・なんで私なのかな・・・』 って・・・。 シノハさんと逢って忘れてた。 あれだけ苦しかったのに・・・) 前を見据えたかと思うと口元が上がった。
(そうよ。 この世は、此処は私のいる世じゃないんだ、私の居る場所じゃないんだ。 私はオロンガに居なくちゃいけないんだ。 私はシノハさんと共に居るんだ。 どうして気付かなかったのかしら) 何かが吹っ切れた。 が、迷惑をかけることは避けたい。
「今日も明日も明後日も、会社に行くのは思うままにならないんじゃない。 樹乃に迷惑をかけたくないから行く。 それは私が選んだこと。 うん、そう。 そしてキチンと終わらせる。 それからオロンガに行く」 が、シノハの悲しそうな顔を思い出す。
(でも、私がオロンガに行くって言ったらシノハさんが悲しそうな顔をする・・・。 何故なんだろう。 私がどんな迷惑をかけてしまうんだろう・・・) それが何より悲しい。
(でも・・・それでもいい。 シノハさんと一緒にいる。 一時でいい、シノハさんの傍にいる。 ・・・あの川でシノハさんを待っていればいいことだもん。 シノハさんが仕事を終えて川に来てくれたらそれでいいんだもん。 それで会えればいいんだもん。 うん、そうよ。 一緒に暮らしたいって思ってるわけじゃないもん)
暫くシノハに逢えないのは寂しいが、すべてを終わらせて・・・そう、両親にも別れを告げてオロンガに行く。
左手を目の前に時計を見ると電車に乗り遅れてしまう。 向かい風の中、颯爽と走り出した。
『---映ゆ---』 第1回から第110回までの目次は以下の 『---映ゆ---』リンクページからお願いいたします。
『---映ゆ---』リンクページ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
- 映ゆ - ~ Shou & Shinoha ~ 第115回
「あ・・・」 目の前に磐座がある。
「・・・帰ってきちゃったんだ」 片手にはタッパが握られている。
「どうして帰ってきちゃうの・・・。 シノハさんとの時間を誰が邪魔してるの・・・」 涙が溢れてくる。 しゃがみこんで声を殺して泣いた。
「シノハ・・・」 セナ婆が家に帰ってきたシノハを見て何があったか見当がついた。
「女と逢ったのか?」
「・・・はい」
「わしの言ったことをよく思い出せ」 立ち尽くすシノハに言う。
「今シノハの悲しみを女もおっているのじゃぞ。 女もシノハと同じ悲しみの中にいるのじゃぞ。 これ以上女を傷つけるな、悲しみの中に溺れさせるな」 諭すように、それでいて厳しく優しく言う。
「・・・」
「シノハの片割れじゃ。 良い女じゃろう。 それだけに周りの者の気持ちも考えねば。 我らがシノハを失いたくないという思いと同じ気持ちである者が多々居よう」
(ママと言っていた。 ママが作ったと・・・。 ショウ様の身体を考えてと・・・ショウ様が痩せてきている。 初めて会った時のショウ様で居て欲しい) 分かっている。 分かっているが、どうしても渉と逢いたい。
(己は何と愚かか・・・)
「シノハ」
「・・・はい」
「もう少しするとリンラニが飯を持ってくる。 しっかりと食べろよ。 これ以上リンラニを心配させるでないぞ」 リンラニ。 シノハの母。
「・・・はい」
痩せ細ったシノハを初めて見た時、リンラニが絶句した。
「シノハ、シノハ。 どうして」 思わず持ってきた盆に乗っている飯を落としかけた。
母親の顔が引きつっている。
ロイハノが居ない。 リンラニが持ってきたセナ婆と己の昼飯を、シノハが受け取らねばならない。
「卓に食を置いても良いぞ」 セナ婆がシノハの母、リンラニに言う。
「婆様、いったい何が!? どうしてシノハがこんなことに!?」
食を受け取りかけたシノハが、あまりの母の驚きように、部屋の片隅に行くと背を向け、その背を丸くして座り込んだ。
「触れを出したはずじゃ。 シノハのことに誰も触れるなと」
「ですが!」
「分かっておる。 じゃが今はシノハのことに触れるな。 シノハに精のつく物を食べさせろ。 今はただそれだけじゃ」
「婆様・・・」 どうしてこんなことになったのか訳の分からない目を、不安だけの目をセナ婆に向ける。
リンラニの心の内はあって当たり前のこと。 セナ婆でなくとも誰もが十分に分かること。
「シノハと話しても良いぞ」 リンラニがシノハを見るがシノハは背を向けたままだ。
「シノハ、話をせんか?」
「・・・」 今は渉のことで頭がいっぱいだ、母とどう話をしていいのか分からない。
無言のシノハを見たセナ婆。
(あれほど母思いだったのに・・・母を見ても心を動かせないか・・・)
唯々、シノハの背を見る母。 その姿が哀れでならない。
「シノハのために精のつく物を作ってやってくれ」
「・・・はい」 卓に食を置いた。
『才ある者』 才ある婆様の教えは絶対である。 それに今はシノハの身体を元に戻すのが一番。 元に戻してやりたい。 今にも溢れ落ちてきそうな涙を堪えた。 泣いている場合ではないのだから。
登校前テレビを見ていると奏和のスマホが鳴った。 画面には『母さん』 と出ている。
「母さん?」
「お早う」
「お早うございます。 なに? 朝からどうしたの?」
「卒業したらどうするの?」
「った、朝からなんだよ」 乱暴に頭をポリポリと掻く。
「嘘よ。 ね、来週も来てくれる?」
「嘘って・・・。 今週も来週も行くつもりだけど? って、毎週末行ってるじゃん。 なんで急にそんなことを聞くの?」
「急にお式が入ったのよ。 だから絶対に来てほしくて」
「ああ、そういうこと。 必ず行きます」
「必ずよ。 でね、翔ちゃんは来られないかしら?」
「あ、そっか・・・」
「無理ならいいんだけど」
「全然いいわけないんじゃない?」
「・・・そうなのよね。 どこかから巫女さんに来てもらってもいいんだけど、出来れば翔ちゃんにしてもらいたいの」
「翔も暇にしてるだろうし、連絡して行かせるよ」
「うん。 無理ならいいって言っておいて、お願いね。 それと奏和は絶対よ。 予定なんかいれないでね。 ね、ついでにさっきの話だけど、就職活動とかしてるの?」
「・・・してないよ。 してないけど・・・今色々考えることがあってさ」
「え? もう卒業が近いっていうのに。 何を考えるって言うの?」
「俺だって考えることくらいあります。 ね、もういいでしょ? 来週は必ず行くから」
「必ずよ。 お願いね」 雅子が電話を切った。
毎週末になると神社を訪れ手伝いをしていたが、冬休みに入った年末から新年にかけて、どれだけ忙しいかを実感した。
「親父と母さんでこれだけのことをやっていたのか・・・」
今年初めて年末年始の手伝いをした。
「あ、翔も手伝っていたのか・・・。 俺は何もしてなかったな・・・」 改めて自分がどれだけ実家の、神社の手伝いをしていなかったのかを痛感した。
年末から始まって正月から数週間、神社の手伝いを終えると夜には社務所に籠り、まるで都市伝説のような話を調べているが、それらしいものが他にどこにも見当たらなかった。
「あんな話をどこから聞いたんだろう」 雅子との会話を終えスマホを卓上に置いた。
「学校の奴らに聞いてもそんな話は知らないって言うし・・・」 頭の下に腕を組み枕にするとゴロンと転がり瞼がウトウトと塞がってくる。
「就活かぁ・・・」 バンド仲間と微妙なズレが生じてきた。
(アイツら若いもんな) 価値観の差に、想いの差について行けない。
(どれだけ練習をさぼってるかなぁ・・・)
思いながら、自分がどれだけ神社と関わってこなかったのかと思う。
(俺・・・跡取りだよな・・・) 夢うつつの瞼を開けた。
「おっと、こんなことをしてたら二度寝で遅刻だ」 パッとしない身体を起き上がらせた。
「そうだ翔に連絡・・・。 ってまだ7時じゃん!」 翔は起きているであろうが、連絡をするには時間が早すぎる。
「シノハさん・・・」 ベッドの上で掌の上にあるジョウビキを撫でる。
コンコン。 ドアがノックされた。
「渉ちゃん、何してるの? そろそろ会社に行く時間よ」
いつも朝食を食べ終えた後は、ダイニングかリビングにいてそのまま会社に行っていたのだが、シノハと逢って巾着を渡してからは、朝食を食べた後は出勤時間まで部屋に籠り、ジョウビキを眺めていた。
「はーい」 ジョウビキを大切にハンカチで包むと上着のポケットに入れベッドを下り、バッグを手に持った。
「はい、お弁当」
「ありがとう。 じゃ、行ってきまーす」 バッグにお弁当箱を入れると、慌ただしく靴を履きドアを開けた。
「行ってらっしゃい。 気を付けていくのよ。 あ、手袋は?」
「持った」 ドアが閉まった。
「ふぅー・・・。 最近の渉ちゃんたら、また食べる量が減ってきた・・・。 縫物をしていた時の明るい顔もなくなったし、いったいどうすればいいのかしら」 目を落とすともう一度ため息をついた。
「今日・・・今日も逢いたい。 昨日も今日も明日も逢いたい・・・オロンガにずっと居たい」 真名には今まで通り普通にしているつもりだが、心は限界になっていた。
巾着を渡してから1週間ほど経っていた。 我慢が限界になってきている。 だが、暫くは会社を休んでしまうと樹乃に多大な迷惑をかけてしまう。
「どうして思うままにならないんだろ・・・」 溢れてきた涙を手袋で拭うと、空を見上げた。
「雨が降ってるのかな・・・」
目に映る空は夕べの雨が汚れたものをすべて洗い流したのか、綺麗に晴れ渡っている。 遥かな空はどうなっているのだろうか。
空を見上げているとシノハと2度目に逢った時のことを思い出した。 初めて逢ったトンデン村とは全然違う爽やかな空、ずっと続く川が見えたあの日のことを。
《 「私、ずっと考えてたの。 なんでこの世なのかな、なんで私なのかなって」
「はい」 シノハが優しく相槌を打つ。
「私のいる世はもしかしたら私のいる世じゃないんじゃないのかなって、それに私が私じゃないような気がしたの。 息を抜いたら自分が居ない気がしてた」 》
「あ・・・私のいる世は私の居る世じゃない・・・?」 そうだ、そんなことを思っていた。
《 「それが、初めてシノハさんと逢って、もう一度シノハさんと逢えると全てが分かると思ったの」
「お分かりになりましたか?」 目を細めて聞いたシノハ。
「分からない。 まだ分からないの。 でも、もう分からなくてもいい。 シノハさんに逢えればそれでいい」 》
(そうよ。 社会人になって、いつもいつも思っていた。 『なんでこの世なのかな・・・なんで私なのかな・・・』 って・・・。 シノハさんと逢って忘れてた。 あれだけ苦しかったのに・・・) 前を見据えたかと思うと口元が上がった。
(そうよ。 この世は、此処は私のいる世じゃないんだ、私の居る場所じゃないんだ。 私はオロンガに居なくちゃいけないんだ。 私はシノハさんと共に居るんだ。 どうして気付かなかったのかしら) 何かが吹っ切れた。 が、迷惑をかけることは避けたい。
「今日も明日も明後日も、会社に行くのは思うままにならないんじゃない。 樹乃に迷惑をかけたくないから行く。 それは私が選んだこと。 うん、そう。 そしてキチンと終わらせる。 それからオロンガに行く」 が、シノハの悲しそうな顔を思い出す。
(でも、私がオロンガに行くって言ったらシノハさんが悲しそうな顔をする・・・。 何故なんだろう。 私がどんな迷惑をかけてしまうんだろう・・・) それが何より悲しい。
(でも・・・それでもいい。 シノハさんと一緒にいる。 一時でいい、シノハさんの傍にいる。 ・・・あの川でシノハさんを待っていればいいことだもん。 シノハさんが仕事を終えて川に来てくれたらそれでいいんだもん。 それで会えればいいんだもん。 うん、そうよ。 一緒に暮らしたいって思ってるわけじゃないもん)
暫くシノハに逢えないのは寂しいが、すべてを終わらせて・・・そう、両親にも別れを告げてオロンガに行く。
左手を目の前に時計を見ると電車に乗り遅れてしまう。 向かい風の中、颯爽と走り出した。