大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第108回

2019年12月30日 20時07分03秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第100回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第108回


「トウオウ様が帰って来られました」

屋敷内を見ていたダンがショウワに報告する。

「身体の具合はどうだ?」

「縫合をされたようですが、どれ程の痛みかをお顔には出されておられません。 トウオウ様はさほど気にされた様子は御座いませんが、トウオウ様付を見ておりますと何とも言えません」

「歩けるのか?」

「トウオウ様付きの話からは通常なら車椅子と思われますが、介添えで歩いておられます」

「フッ、相変わらず強情なのかアヤツが過保護なのか」

トウオウが『オレ』 と言っただけで『わたくしでございましょう』 と何度言っても聞かないトウオウに顔を顰めていた。
それでもトウオウがちょっとした擦り傷を作っただけで、この世の終わりのような顔をして、薬箱を持って走っていた。 冬に乾燥して唇が割れないようにと、逃げようとするトウオウを押さえてこまめにリップを塗り、指先の皮膚が割れないようにとハンドクリームを塗っていた。
食べることに対してもそうだった。 『トウオウ様、もう少しお召し上がりください』 トウオウは食が細かった。
トウオウに付いてまわっていた、顔を顰める若き日の古参の顔が思い浮かぶ。

「セノギは?」

「かなり良くなったようですが、まだ一人で自由に歩くことはままならないようです」

「ハンの様子は?」

「やっと身体を起こすことが出来ましたが、まだハッキリとはしないようです」

「ヒトウカの冷えは想像以上であるという事か・・・。 セノギは帰りにはハンに負われていたのだからハンよりもましだろう。 ハンに無理をするなと伝えておいてくれ。 ゼンからの連絡は?」

「未だ御座いません」

「・・・セッカが領土に向かったのだな?」

「はい」

そこにドロリと影が人型をとり、頭を垂れ片膝をついた姿を現す。

「ケミか」

首肯する。

「遅くなり申し訳ございません。 領主が目覚められましたが、また深い眠りに入られたようです」

「身体の具合は?」

「薬師が見ておりますが、マツリ様も診られました」

「マツリ様が!?」

「マツリ様は薬師の見立て通りと仰られておいでで、骨折などをしておいでですが、命に別状はないとのことです。 そして『待つ』 と仰られておられたようです」

「待つ?」

「薬師がマツリ様のご伝言を領主に伝えておりました」

セノギが何を言ったのかは分からないが、その言葉をヒオオカミが聞き、マツリが得心したのだろうか。

「他には?」

「領主が深い眠りに入りましたので変化は御座いません」

「そうか・・・。 苦労だった。 ハンを見舞ってやれ。 ダンも今日はもうよい。 当分、ムラサキ様のこともな」

ムロイから紫揺を守るために居たのだ。 そのムロイが北の領土で倒れていればその必要もないだろう。 此処に居る間は今まで通り、薄く広く様子を見ているだけでいいという事なのだろう。 二つの影が首肯するとその場から消えた。

再び人型をとったケミとダン、その二人がうす暗い中、高さの違う肩を並べて歩く。

「ダン、ショウワ様のお顔の色が悪い。 何かあったのか?」

「え?」

え? っと言ったダンの言葉に厳しい目を送る。

「気付いていないのか?」

顔を上げ己を見下ろしているダンの目を見る。

「お顔の色と言われれば分からんがいつもとお変わりない」

先程の下聞(かぶん)もいつもと変わりなかった。

「これだから男は」

年下のケミにそんなことを言われる筋合いはない。

「ショウワ様がどうされたというんだ?」

「それはお前が知らねばならんことだろう! 吾に振るな! あれ程にお顔の色を悪くされているのにも気付かぬとは、呆れてものが言えん」

と言いながらも、これは女が持つ気のまわしかと思う。 ならばダンを責めることは出来ない。

「吾が残る。 お前はゼンと領主を見よ」

ゼンとは話が中度半端に終わっていた。 先を話すのが憚られた。 いや、恐かった。 だからではないが、領土に戻るのをダンに任せるいい口実になった。
なによりショウワの顔色の悪さが気になった。

「オイ、勝手に―――」

「お前、ショウワ様のお顔の色も分からなかったのに何を言うのか?」

「だが・・・」

「ハンの見舞いに行くぞ。 お前も来るのだろう?」

足を止めたダンを振り向くことなく足早に歩き出した。


数日前のこと。

阿秀から連絡を受けた野夜。 悠蓮(ゆうれん)の運転で停泊している船に帰ってきた。 そして、招集をかけた野夜の元にようやっと醍十を除く全員が集まった。

その醍十は此之葉を連れて阿秀の元に向かうと合流して、領主を迎える場所、小松空港に行く手はずだ。

「独唱様が紫さまのおられる場所を特定された」

阿秀から聞いた野夜が言う。
おお・・・。 と、男たちのどよめきが船の上に走った。

「阿秀が場所を指示してくれた。 石川県に含まれる日本海に浮かぶ小さな島だ。 時間が時間だ。 領主は今日中に此処には来られないだろう」

今日は満月から欠けた月が出ている。

「独唱様から言われた場所であるのだから、間違いなくそこに紫さまが居られる。 だから二手に分かれる」

「どういうことだ?」 誰ともなく質問が上がる。

「以前と同じだ。 領主をお迎えする者と先に調べる者」

以前、紫揺を攫われてしまったが、あの時にも二手に分かれていた。

「小さい島なんだろ?」

一人が言うと続いてもう一人が言う。

「独唱様が言っておられるのだから調べる必要などないだろう? 小さい島なら尚更だ。 下手に探って見つかってしまっては元も子も無い」

一気に行こうということらしい。

「たとえ小さな島と言えど領主が来られるのに、初めてのところで右も左も分かりませんでは話にならんだろう」 野夜が言う。

「小さい島なんだろう? 前のところと違うんだろう? 小さい島なら、島に上がればそれで済むんじゃないのか?」

前の所、それは大手企業による、バカンスを楽しむだけの島だった。

「そこが問題だ。 地図に載っていないような小さな島だ。 阿秀が場所を特定してくれているが、特に小さな島となれば船のつける場所も考えねばならん。 それにある程度島の様子を見て情報として持つのがいいと思う。 阿秀もそう言っていた」

「地図に載っていない小さい島?」

書類に詳しい梁湶(りょうせん)が言う。

「大きな地図には載っていないという事だ」

梁湶が小首を傾げる。

「それに独唱様のお声だ」

「・・・」

「納得いかないようだな、では梁湶は先に島を探るか?」

「ああ」

「他に? 先に島を探りたい者は?」

誰もが我先にと身を乗り出した。


早朝
独唱と塔弥、二人の話に応えたい東の領主だが、昨夜から怪しい雲行きだった空から、払暁(ふつぎょう)になると雨が降りだし、今では暴風と暴雨にまみれている。

飛行機が飛ぶかどうかは分からないが、飛ばないにしても今度こそ失敗は許されない。
自ら運転した車で屋敷から出た領主が、飛行場に着き目の前にしたのは、またしても台風の為に飛行機が飛ばないという文字だった。

屋敷のある島は台風の影響を受けやすい、沖縄離島になる鹿児島県の一つの島であった。

「出られんのか!」

切歯扼腕(せっしやくわん)する領主。

領主の後を追って来た塔弥が携帯を手に取り領主に渡す。

「阿秀か」

『はい』

「飛行機が飛ばんようだ」

『・・・やはりですか。 台風のニュースは見ております』

「このままここで待つ。 いつになるかは分からんが、飛び次第すぐに連絡を入れる」

『ここで待つとは。 無茶を仰らないでください』

単なる待合で、いつ飛ぶとも分からない飛行機を待つというのか。

「いや、今度こそは失敗できん。 とにかく、その時になれば連絡を入れる。 小松空港だな?」

『そうですが―――』

「那覇空港に着いたら連絡を入れる」

阿秀の言葉を最後まで聞かず言い切ると通話を切った。

領主! 止めようとした阿秀の声は領主には届かなかった。
阿秀がすぐに折り返し塔弥に連絡を入れ、領主のことを伝える。

『分かりました』

塔弥の返事はそうだったが、たとえ塔弥といえど、今の領主を説き伏せることなど出来ないだろう。 だが領主一人にしておくよりは随分と安心できる。

塔弥にしてみれば雨風の強い中、屋敷を出て行った領主のことが気になっていた。
独唱の事は葉月に任せてすぐに領主の後を追った。

この地においては屋敷から出ることがなかっただけに、すぐに地図を広げ空港の場所を頭に入れる。 さほど大きくはない島だ、迷うことはない。 車を乗るなどということは頭には無く、その俊足で屋敷を後にしていた。



「領主も焦っておいでなのだろうが、お歳を考えていただかなくては・・・」

息を吐くと血の気のない顔で椅子の背もたれにもたれた。

「疲れた、か」

誰の耳もないと分かっていてポツリと吐く。

ここ最近の阿秀は皆を束ねばならないこともあるし、紫揺のことは一番に気にかかっている。 身体を動かし汗をかくことで、少々なりとも発散することができたかもしれないが、年齢的に筆頭になってしまっている以上、指揮することが己の役目である。 身体ではなく、頭を使わなければいけない。

とは言え、今も誰よりも身体能力が優れているのは確かだ。 それだけに、待ち、情報を得、指揮するという事はストレスが溜まる。

紫揺が攫われた時、二階の窓から跳び下りたが、他の者であったならばそれは出来なかったであろう。 実際あの場に立ち会っていた若冲(じゃくちゅう)がそうであった。 若冲の名誉のために言うが、若冲でなくとも阿秀のようなことは出来なかったであろう。 ・・・あろうではない。 出来ない。

「私も塔弥のように若くはないか・・・」

最近の身体の疲れが著しい。 それは身体の疲れではなく心労からなのだということは自覚している。



セキとガザンと朝の散歩から帰ってきた紫揺。
一息つくとムロイの仕事部屋から出てトウオウの部屋を訪ねた。
ノックをするとドアが開きトウオウ付きの若い男が出てきた。

「シユラ様・・・」

喉の奥からの声。 思いもかけない人物の訪問にそれ以外言葉を出すことが出来なかった、

「あの、トウオウさんとお話をしたくて」

「シユラ様?」

部屋の奥から声が聞こえた。

「はい、お話がしたくて」

若いトウオウ付きの身体の横を覗くように返事をするが、トウオウの姿が見えるわけではなかった。
若いトウオウ付きが紫揺につられて背後に首をまわす。

何か小声が聞こえたと思ったら、若いトウオウ付きが身をひるがえすと古参が現れた。

「どうぞ」

深い声で紫揺を誘(いざな)う。

部屋に入ると奥の右手のベッドに、トウオウがうつ伏せた姿が見えた。

「や、シユラ様」

首を横にして紫揺を見ていた。

「トウオウさん!」

すぐにトウオウの元に駆け寄る。

「まだ・・・痛いんですか?」

膝を折ってトウオウの視線に近くした。

「いや、さほどでもないけど、じっとしてろって爺がうるさくてね」

紫揺の後ろに立つ古参が僅かに眉を動かした。

「傷が残るんですよね?」

「残んないよ。 それに残ったとしてもいいだろ?」

「そんなことっ! 背中に傷が残るなんて!」

「ん? シユラ様には関係のないことだろ?」

「だって、その傷をつけたのは私だから・・・」

「へ? オレはシユラ様にナイフで切られた覚えはないけど?」

「・・・こんなときに茶化さないでください」

「茶化してないよ。 本当の事だろ? それともオレの知らない所でナイフでも持ってた?」

「それは・・・そんなことは無いですけど」

「だろ? まぁ、シユラ様がナイフを持ってたとしても、それにやられるようじゃ、人間やめますか? って訊かれてるようなもんだけどな」

「どういう意味ですか・・・」

胡乱な目をトウオウに送る。

「まっ、そこは適当に」

紫揺にとって嫌な笑みを送ってくる。

いつまでもトウオウの話に乗っていては話が進まない。 居ずまいを正すように表情を変えると改めて異なる双眸を見た。

「あの・・・私、自分に出来ることがあれば何でもします」 

「へぇ・・・。 んじゃ、今すぐこの傷を消してくれる?」

「・・・え」

「傷が治らなきゃ、爺がうるさいんだ」

紫揺の後ろに立つ古参をチラリと見た。

トウオウの言いように、とうとうピクリと古参が口元を動かした。

「それは・・・」

「出来ないだろ? 出来ないことを言うんじゃないよ。 って、ああそうだった。 シユラ様に出来ることがあれば、って話だったな。 んじゃ出来ることを言う」

何を言われるのだろう。 トウオウの目の奥に悪戯な光を感じるのは気のせいだろうか。

「爺を黙らせてくれ」

「へっ?」

「それくらい出来るだろう?」

「あの・・・。 でも・・・」

後ろに立つ古参の気を十分に感じながら振り向く勇気がない。

「出来るだろ?」

完全に遊ばれてる。 頭を垂れる。

「でもも何も無いよ。 分かった? オレから言われるじゃなくて、シユラ様はシユラ様に出来ることをすればいいんだ。 出来ないことはしなくていい。 ほら、頭を上げな」

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虚空の辰刻(とき)  第107回

2019年12月27日 22時28分10秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第100回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第107回



トウオウの姿を見送った紫揺。 背後から声が掛かった。

「アナタ・・・」

「はいっ!」

振り返ると、間違いなくやっぱりそこにアマフウが居る。

「トウオウの背中に傷が残るようなことがあったら、ただじゃおかないわよ」

「・・・はい」

勿論分かっている。
予定では、ただじゃおかなくされる前に、自分はここを出るつもりだが。
だが、アマフウの言うようにトウオウの傷も気になるし、ニョゼのことも。

「セッカが居ないわね」

「は?」

「トウオウを迎える気がないって事かしら? 領主代理だったんじゃないのかしらね」

「あ・・・あの、セッカさんなら領土に戻られたそうです」

「は?」

アマフウにしてみれば領主が居ないこんな状況の中、そしてトウオウがこんな状態なのに、屋敷を空けることが信じられないという目を紫揺に寄こす。

「何の音沙汰もないムロイさんのことが心配なんじゃないでしょうか」

アマフウが紫揺に一瞥をくれる。
紫揺の言も一理ある。 フン! と鼻を鳴らして屋敷の中に入って行った。

大きく溜息をついた紫揺。

「トウオウさんのことは私が悪いって分かってる。 分かってるけど」

ここを脱出したい。 一日でも早く。
トウオウに不敬なことも、ニョゼには切りたくない縁を切ってしまうことも、どちらにも心が痛い。

「ダメ・・・。 心を動かしちゃダメ。 揺れちゃダメ。 アッチもコッチも欲しいものを手にするだなんて出来な―――」

「シユラー、何をブツクサ言ってんの?」

「ウワッ!」

「ウワッ・・・って・・・。 私お化けじゃないから。 それに昼日中に出るお化けも居ないんじゃない?」

「セ、セイハさん!」

いつの間にかセイハが横に立っていた。

「そんなに驚かなきゃいけない?」

「あ、ちょっと考え込んでて」

「トウオウのことを考えてたの? 帰ってきたみたいね」

「はい」

「どんな具合だった?」

聞きたいのであれば出迎えればいいのに、と思うが、アマフウが居ては出迎える気にもなれないかと、アマフウと犬猿の中であろうセイハの立場に納得する。

「背中を縫合したみたいです」

言いにくい。 その原因は自分にあるのだから。 それに背中を強く打ったことは、トウオウが 『言う必要はない』 と言っていたのだから控えよう。

「ふーん・・・。 まぁ、ソコソコ血が出てたからねぇ。 ふーん、結構深い傷だったんだ」

言ってみれば犯人は紫揺である。

途方にくれた者が崖の縁に立ち、悪意ある者からその背中を押され、崖に落ちるというサスペンス的な話を聞くが、今は崖の縁まであと五歩という所で 『あと三歩進めばいいよ』 と言われている気分だ。 『あと六歩』 と言われない所がミソだ。 だが、いつかは三歩進んでから『あと三歩』 と言われるような気がする。

「で? どうやって落とし前付けるの?」

「え?」

「だって、縫合したってことは傷が残るんでしょ? だよね?」

「・・・はい。 多分・・・」

「女子の背中に傷があるってイタダケないもんね。 だからどうやって落とし前を付けるの?」

「え? 女子って?」

「え、って。 今はトウオウの話じゃない」

「え?」

「あーもう、イライラする! 女子のトウオウの背中に傷を入れて、どう落とし前を付けようと思ってるの!? って聞いてるのっ!」

『あと三歩』 言われてしまった。


―――トウオウは女性だった。


トウオウ付きに付き添われて部屋に入り、ゆっくりとベッドに寝かされる。 その横にアマフウが付いている。

「なぁ、アマフウ」

うつ伏せ体勢のトウオウがアマフウに問う。

「なに?」

トウオウ付きが椅子を持ってきて、アマフウに腰かけるよう勧める。

「座れよ」

トウオウに促され、椅子に腰を下ろす。
トウオウがトウオウ付きに目を移す。

「あとはいいよ。 何かあったらアマフウに言うから。 疲れただろ? 茶でも飲んでてくれ」

若いトウオウ付きが戸惑った目を、後ろから歩いてきたトウオウと共に後部座席に座っていた老年のトウオウ付きに送る。
老年のトウオウ付きが、一つ会釈をすると部屋から出て行った。 若いトウオウ付きが慌てて後を追う。

老年のトウオウ付きはトウオウが幼年の頃から付いていた、云わば乳母ならぬ、乳父のようなものだ。
その乳父である爺を見送ったトウオウがアマフウに目を転じる。

「今回のことはオレが勝手に出たんだ。 シユラ様を責めないでくれるか?」

「納得しがたいわ。 どうしてあの子を庇うの?」

「納得か・・・」

不遜な笑みをアマフウに送る。

「なに?」

「アマフウ? オレはそんなにバカじゃないぞ」

「え?」

「アマフウの考えていることは分かっているつもりだ。 アマフウの考えるシユラ様とセイハのこともな」

「やめてくれない? トウオウのことをバカだなんて思ったことはないわ。 でもあの子を庇う意味が知れない」

「アマフウと同じ考えだよ」

「え?」

「アマフウの考えていることなんて簡単に分かる。 勿論セイハの考えもな。 オマエら女のすることって、コッチから見れば丸見えだからな」

「オマエら女って・・・トウオウも女じゃない」

「まぁな。 でも、諍(いさか)いを起こしたくないから、此処ではアマフウを省くけど、女の考えることって・・・ああ、特にセイハの考えることって丸見えなんだよな」

「それは私も見えてるわよ」

「だよな。 だからオレを巻き込んだんだよな」

「巻き込むつもりなんて!」

「ああ、悪い。 言い方が悪かった。 でも、シユラ様の考えだけは分からなかったから、教えてくれて感謝している」

「空々しい・・・」

「本気だよ。 で? 最終的にアマフウはシユラ様をどうしたいの? 決まったの?」

「それは―――」



「トウオウさんが・・・女の子?」

『 「オレの背中がどうこうだなんて、どうでもいいことだ」 「何を言ってるのよ! 背中に傷があるなんて!」 「あってもいいだろ? 箔が付く」 「なに馬鹿なことを言ってるのよ!」 』

その会話の意味が分かった。

「勿論、ずっとトウオウに付くんでしょ? 少なくともトウオウが嫁に出るまでは」

「え?」

「トウオウが北の領土に帰るかもしれないけど、そうなればシユラもついて行くわよね? でないとシユラはトウオウに責任が負えなくなるもんね」

「・・・」

セイハの言うことは尤もだ。
何も考えられなかった。 

「シユラ様」

ムラサキと呼ばれなかった声の主に目を向ける。 そこにはトウオウ付きの老年の男が立っていた。 後ろに小さくなっている若いトウオウ付きも立っている。 始めて呼ばれたが、トウオウがシユラ様というのに合わせて言っているのであろう。

「お話し中、申し訳ありません。 トウオウ様からシユラ様とお呼びするよう命ぜられましたので」

「トウオウさんに何かあったんですか?」

「拙子に御随意願えますでしょうか?」

「・・・はい」

とは言ったものの、この古参であろう者の発する単語の真意が分からないが、想像で解釈する。 それに『はい』 と言えば、セイハから解放されるように思った。

「セイハ様、聊爾(りょうじ)をお許しくださいませ。 では、シユラ様はこちらに」

そう言って紫揺を屋敷の中に誘(いざな)う。
後ろでセイハの舌打ちが聞こえた。

先を歩く老年の古参、トウオウ曰くの爺。 その後に続く紫揺。 またその後に続く若いトウオウ付き。

若いトウオウ付きは何が何だか分からない。 トウオウの一番近くに居たのは自分だ。 近くどころか身体を支えていた。 だがこの古参が言うところの、トウオウが紫揺を呼んだなどという事はなかった。 茶でも飲んでてくれと言われたのに、先を歩く古参が部屋を出ると足早にここまでやってきた。 その背中に 「あの・・・」 と問いかけたが、返事をしてもらえなかった。

階段を上がり、トウオウの部屋の有る二階を通り越して結局、紫揺の部屋の前に着いた。 修理のため、色んなものを運び入れるからだろう、部屋の戸は開け放たれている。 中からは色んな音がしている。

「あの?」

「トウオウ様はお傷などお気になされておりません。 シユラ様におかれましてはどうぞお気になさらぬよう」

「それってトウオウさんからの伝言なんですか?」

「トウオウ様がそうお考えであります」

「でも! トウオウさんは女の子なんでしょ? 女の子の背中に傷が残るって―――」

「シユラ様はお気になされませんよう」

「それって・・・私に気を使って―――」

「そうではございません」

「どういうことですか?」

「トウオウ様はアマフウ様のことをお考えでおいでです。 失礼ながらシユラ様の事はお考えには御座いません」

「え?」

考えてもらえなかったという、残念な気持ちが無いわけではないが、話が違うだろうと思う。

「だって、トウオウさんに傷を負わせたのは私ですよ! その私を責めるどころか―――」

「申し訳ありません。 トウオウ様はアマフウ様の事だけを考えておいでです」

だから・・・それ以上トウオウに関わってくれるな、と言っているのか。 古参の言いたいことが分かった。

二人の様子を見ていて若いトウオウ付きが得心した。
トウオウが何某かを言ったわけではないのだ。 ましてやトウオウが紫揺を呼んで来いなどとも言っていない。 トウオウの考えをこの古参は分かっているのだ。
自分もそのようになれるだろうか・・・。 現段階では『否』 だ。

意味も分からなく領土からかり出され、今日からトウオウ付きになれと言われた。 古参から学べと。 古参も領土の人間だ。 領土とは違うこの土地のことを含めて、ゆっくりと教示してくれた。 それに享受したいとは思っているが、何年ここに居るだろうか。 夜になると里心が出てきた。 領土に帰りたいと。 父の仕事を手伝いたいと、母は妹はどうしているのだろうかと・・・。

そんな夜、グラスを片手に窓から外を見ていると、ふとトイレに向かう同室の古参に目をやった。
古参は家族に会いたくなかったのだろうか・・・。

「・・・分かりました」

この場はそう言うしかない。

トウオウの言葉をそのまま受け取るとこのまま逃げられる。 ニョゼの事は置いておいてだが。 だが、それでいいのか?

いいわけがない。

ずっと男だと思っていたトウオウ。 だがその思いはトウオウの外見と話し方から、勝手にそう思っていただけ。 当人にも誰からにも、トウオウが男なり女なりなどと聞いた覚えはなかった。

だが、実際は女子。

よく考えてみると、トウオウの肌はきめも細かく、白いではないか。 アマフウのように頬をバラ色にはしていない、どちらかと言えば青みが刺しているように見えなくはない。 病弱な女の子の肌のようではなかったか。

トウオウはもう女の子とは言えないお年頃。 女性だ。 それだけにその背中に傷跡を負わせた責は重い。 傷のことを考えなくてもいいと言われたところで、ハイそうですか、では終われない。
でも自分は何を犠牲にしてでも、己の正義を犠牲にしてでも此処を出たい。 それが浅ましい考えだと重々に分かっている。

「私・・・最低だ」

無意識に小さく呟いた。
古参がそれを聞き逃す筈がない。

「シユラ様、その様なことは御座いません。 トウオウ様はアマフウ様を透いて、シユラ様を見ておいでです」

そうではない。 トウオウは初めて紫揺を見た時から紫揺一人を見ている。 だがそう言ってしまえば、紫揺がどう考えるか。 それはトウオウの望むところではない。
紫揺の心を慮って、譲って言えるのはここまでだ。

「え?」

「どうぞ何事もお気になさらず」

そう言うと一礼して紫揺の元を去った。 若いトウオウ付きが意味も分からず一礼すると、古参に従ってその場を去った。



アマフウの考えを聞いたトウオウ。

「ふーん・・・。 アマフウの考えてるようにいくかなぁ」

「あの子がどんな手に出るかは分からないけど、目を離しさえしなければ上手くいくはずよ」

「まぁ、アマフウがしたいようにすればいいさ。 でもまっ、こんなことになったから、残念ながら協力は出来ないだろうけどな」

いつものトウオウならそんなことは言わない筈。 やはり傷の具合が酷いのだろうか。 アマフウが哀憫(あいびん)な視線を送る。

「さっきふらついたわよね、背中を強く打ったって・・・」

「あ? ああ、青たんが出来てるみたいだから打ったんだろうな。 オレってこんな身体だろ? アマフウみたいに肉クッションもないし」

アマフウの眉がピクリと動く。

「あ、言い方が悪かった。 アマフウみたいに女らしいフワっとした肉がないから、骨直撃になっちゃっただけ。 それくらいのもんだよ」

女性のふくよかさがない以上に、無駄な肉が一切ない華奢な身体。

「でも強く打ったんでしょ? 足元がふらつくほどに」

「さっき変に身体を動かしたから、ちょっと痛みが走ってああなっただけ。 シップ貼ってりゃ、明日、明後日には治るって。 なに? アマフウはオレの言う事より、爺たちの言うことを信じるわけ?」

爺とは古参の事。

「でもさっき、こんなことになったから協力は出来ないって」

「あ、誤解すんなよ。 こんなことってのは爺の事だよ」

「え?」

思いもかけない言いように目を瞬かせる。

「さっきまでちょっと出てただろうけど、今はドアの向こうに立ってるはずだから」

「あ・・・そういうことね」

トウオウが勝手に動き回らないように、ずっと見張っているという事かと、言いたいことは分かった。

「当分大人しくしてないと、見張りの目が更に強くなったらベッドに括り付けられるからな。 でも抜糸が済んだら協力出来るから安心しろよ。 それまでシユラ様が大人しくしてくれてるといいんだけどな」

「あの子に自覚させてくれただけで充分よ。 それに当分あの子は動かないと思うわ。 少なくともトウオウが動けるようになるまではね」

「ん? どうしてだ?」

「トウオウに傷を入れたのは、あの子のせいだって念を押して言っておいたから、あの子の性格からしてトウオウのことを気にして動こうにも動けないはずよ。 それにセイハが私の上に念を押して言うはずよ」

あの時 『せいぜいトウオウにしたことを後悔することね!』 そう言った。 だがセイハはそれ以上のことを言うだろう。 もっと具体的なことを。

「ふーん・・・。 さて、それはどうかな?」

「どういうこと?」

「爺がシユラ様に何か言ってるはずだからね」

「何かって?」

「そうだな・・・。 例えばオレが傷なんて気にしてないとか、シユラ様が気にすることがオレの意に反してるとか? 爺がどう言ったかは知れないけど、シユラ様の納得するような言葉を選んで言ったはずだと思うよ」

「はっ!?」

「あの爺だからね」

「トウオウの事しか目に入ってない爺! 邪魔をしてくれて!」

「だからアマフウも付き人を付けなよ。 説教は聞かなきゃいけないけど、それも勉強になるし結構いいぜ」

「御免よ」

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虚空の辰刻(とき)  第106回

2019年12月23日 22時08分07秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第100回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第106回



長い年月があるわけではない過去。 すぐに思い出したようだ。

「ガザン・・・、ガザンの話を母さんから聞いた時になりました。 母さんが顔色を変えて背中をさすってくれていたのを覚えています」

ガザンの話とは、ガザンが北の領主であるムロイに懐かなかった経緯を言っているのだろう。 そして今は紫揺自身の事。 有難くもセキは、紫揺のことをガザンと同じに気に掛けてくれているのかもしれない。

「セキちゃん・・・。 もしかしたら過呼吸を持っているかもしれない」

「カコキュウ?」

「うん。 セキちゃん気になることが多すぎるかもしれない。 ね、もしかしたらウダさんと会いたい?」

「それは勿論そうですけど・・・」

突然何を言い出すのかと目を丸くしたが、続けて言った。

「叶わないことを思っても仕方のないことですから」

我が身はこの地で洗濯女として終る身。

「どうして叶わないと思うの?」

「え?」

セキの目が紫揺の言うことが分からないというかのように大きく見開いた。

「あ・・・ごめん。 なんだろ・・・どうしてこんなことを言うんだろ。 ホントにゴメン」

セキを救うことなどできない身でありながら、無責任なことを言ってしまった。

「洗濯物は・・・自分で洗えるものは自分で洗ってるから安心して。 お母さんにもそう言っておいて」

じゃね、とその場をたった。 ガザンの頭を一つ撫でることを忘れなかった。


「私・・・オカシイ。 無意識に何かを言ってしまう」

ニョゼの時にもそうであった。
そのニョゼが言ったことも覚えている。

『シユラ様はお優しい。 ですがムラサキ様は、お優しさも厳しさも持っておいでと聞いております。 ムラサキ様のお心が目覚められたのではないでしょうか』

そう言っていた。
力だけにとどまらず、無意識のうちにムラサキと呼ばれる意識が働いている?

「止めてよ・・・」

現象は目にした耳にした。 だが言動や意識さえも囚われるなどとは、許しがたい。 それでは自分でなくなるではないか。

「そう言えば・・・」

回廊を歩いている足が止まった。

北の領土に居た時のことを思い出す。 初めて領主の家の裏に行った時だ。 無機質な木を感じた時。
『もっと生のある木々なら何か教えてくれるのに』 そう思ったことを思い出した。
多分そんな風に思ったのは初めてだ。 北の領土に触れ、ムラサキの力というものが出てきたのだろうか。

本来ならお婆様の来る場所だったと言っていたムロイ。 お婆様が北の領土に来たかったなどとは思えないが、ニョゼの言うムラサキ様というのは祖母の紫の事なのだろうか。 ムラサキの力というのは祖母の力の事なのだろうか。 祖母は力を持っていたのだろうか。

「力なんて・・・私は私なんだから」

いつの間にか止めていた足を動かす。
そう言いながらも、意識なくも自分が言葉にしたことを、振り返ると認めたくはないが納得がいける。 心が思うよりも先に口から出ていた。

「もしかして・・・他人(ひと)の考えてることが分かる?」

そして生のある木なら。

ゾッとする。

ゾッとする? 前に同じ様に思ったことがある。

ホテルで気を失ったあと目覚めると、憂慮するニョゼがベッド脇に居てそのニョゼと一言二言交わした時、抑揚鳴く希薄な自分が居た。 嘲るような自分が居た。 二重人格かと思った。
その時に自分の中にもう一人自分が居るのかと思った。 そしてゾッとした。

「・・・嘲ってたんじゃない」

どうしてそう思うのかは分からない。 だがいま色んなことが分かって自分は二重人格でもなければ、自分を嘲っているのではないことが分かる。

他人の考えていることが分かると思ってしまった。 それはどうしてなのかは分からない。
でもどこかで何かが・・・。 なにかに気付いた? なにかに触れた?

回廊を歩く足を速めた。


翌日、トウオウが帰ってきた。
車で屋敷に帰ってきたトウオウをアマフウが迎えた。 紫揺は離れた所で迎えている。

「トウオウ!」

ドアを開けられることを待つことなく車から出てきたトウオウに、アマフウが抱きつくようにしかけたのを、助手席から出て来てドアを開けたトウオウ付きが止めた。

「アマフウ様、申し訳ありませんがお背中のお傷に障ります。 医者からも言われておりますので」

若いトウオウ付きが言った。 紫揺もアマフウもそれぞれ誰にも付かせなかったが、それ以外の五色には付き人が居た。

アマフウを止めた若いトウオウ付きにトウオウが目を丸めた。

(アマフウに逆らった? まぁ、今のオレの状態では仕方がないのか・・・)

未だに縫い合わせた背中が突っ張るが、何を心配しなければいけないかと思う程の軽い傷だ。 抜糸が済んでからの退院と言われたのを、トウオウがこれくらいの傷に入院などしていられないと、無理を押して退院してきたのだから。

まぁ、病院に居れば看護師に預けられ、付き人に煩く言われることは無いだろうから、入院していても良かったのだが、一日でも長引けばアマフウの心配は勿論の事、紫揺が責任を感じてしまうだろうと思ってのことだった。

だがトウオウのそんな思いを知らず、二人の会話が続く中、後部座席でトウオウの横に座っていた老年のトウオウ付きが車から降りた。

「背中の傷・・・酷いの?」

若いトウオウ付きが驚くほどに、あのアマフウが困惑して訊いてきた。

「医者からは歩くに問題はないという事です。 ですが縫い合わせた傷後が残るかもしれないという事ですので、少しでも残さないためにこれ以上は・・・」

「そう、分かったわ」

アマフウと若いトウオウ付きの驚く会話が終わったようだ。

「オレの背中がどうこうだなんて、どうでもいいことだ」

「何を言ってるのよ! 背中に傷があるなんて!」

「あってもいいだろ? 箔が付く」

「なに馬鹿なことを言ってるのよ!」

真剣にまくしたてながらも愁眉は隠せない。

「ウソだよ、傷なんて残らない。 ほんのちょっと縫っただけ、心配ないって。 で? オレはこの先を歩いていいのか?」

アマフウに問いかけるが、それがアマフウにトウオウから向けられた甘美なものであるのは、トウオウの表情からして誰もが知るところだ。
トウオウ付きが退いた。

トウオウの腰に手をまわしたいアマフウだが、背中の傷にひびくかもしれないと、その手をトウオウの腕に回した。 トウオウがアマフウを見て歩き出そうと先に目を転じた。

「あれ? シユラ様?」

そこに棒立ちの紫揺が居た。

アマフウと共に紫揺に近づくトウオウ。

「なに? お出迎えしてくれたの?」

アマフウは黙っている。

「トウオウさん・・・。 ごめんなさい」

「へぇー、自分の力が分かった? 認める?」

「そんなことじゃなくて、トウオウさんの身体に傷を入れたこと・・・」

「うん、見事に入ったみたいだね」

「すみません」

「アナタ・・・すみませんで済む話じゃ―――」

「アマフウやめろ」

「だって」

「オレがやったことだ」

「トウオウじゃなくてコノコがやっ―――」

「オレがやったんだ」

アマフウが唇を噛んだ。

「悪い。 今はオレのやりたいようにやらせてくれ。 アマフウの考えの道からは逸れない筈だから」

「え?」

思いもしないことを言われてアマフウが驚いた目をトウオウに向けた。

「さて、シユラ様。 どう? ご自分の力が分かった? よね?」

「・・・」

「言ったよね、オレは無言がウザイって」

トウオウが帰ってきた途端、そんなことを言うとは思ってもいなかった。 身体の傷は分からないにしても、気を失ったのだ、休みを入れるのだろうと思っていた。

「・・・分かりました」

トウオウが満面の笑みを作る。

「何処で分かったのかな? 記憶はある?」

漠然と分かったでは困る。 もっと具体的に。
トウオウの身を案じるアマフウがトウオウをじっと見ている。

「トウオウさんが『怒るな』 って言った時の事、その背景が記憶にあります」

「あれ? オカシイな。 それがどうして分かることになるのかな?」

「トウオウ、もういいでしょ? 今日は休んで」

「アマフウ、戯(ざ)れたことを言ってんじゃないよ」

「でも!」

「黙ってな」

厳しくアマフウを見据える。
アマフウに対してこんなトウオウを見たのは初めてだ。 紫揺が息を飲む。

「さて、アマフウには喋らせない。 安心して何もかも言いな」

軽くトウオウが言うが、何もかもと言われても。

「えっと・・・私にはムラサキと言われる血がある・・・」

「へぇー、そこまで分かったんだ」

「・・・らしい」

「らしい、かよ」

「ムラサキと言われる人は破壊の力があったり、花を咲かせたり、厳しさも持っている・・・らしい」

「その“らしい” は何なんだよ」

「ムラサキの血って民の為の力の血・・・らしい」

「で? その“らしい” の血を受け継いでるって自覚が出来たのか?」

「力の使い方が分かってないみたい」

「おいおい、シユラ様、話が飛んでる。 確かに力の使い方は分かってないよ。 でもその前に、認めるのか? 力を」

「・・・」

「まだ抵抗してるのかよ」

「・・・抵抗なんてしてない」

「へぇー、じゃ、認めてるってことか?」

「認めるじゃなくて有るものは有る。 それだけ」

「なんだよそれ。 シユラ様ってドンダケ強情なわけ? それって、アマフウと大して変わらないんじゃないか?」

「どういう事よ!」 「どういう事ですか!」 アマフウと紫揺の声が重なった。

「は? アナタ、それはどういう意味?」

咄嗟に出た声だったが、問われてしまうと心の中で百と言い返せるが、公然とは言い返せない。

「ああ、悪かった。 口が滑った」

二人の間にトウオウが入る。

「口が滑った? それはどういう意味よ!」

「だから悪かったって。 オレの身体のことを心配してくれるんなら、タイムリミットまで近いんだからそれまで黙っててくれ」

言い返したかったがアマフウが再び口を噤んだ。
そのアマフウの様子を見て紫揺に向き直った。

「だから、その“らしい” を分かったのか?」

「深いところは分かりません。 でも、アレを起こしたのは自分だって認めます」

「アレって?」

分かっていて訊く。 念を押す。

「部屋を破壊したのは私です」

「本当にそう思ってる?」

「はい」

「誰かにそう言われたんじゃくて?」

「そんなこと誰も言いません」

「ふーん・・・」

疑いの目を紫揺に向ける。

「・・・誰かにそう言われたんじゃなくて、そう考えるように導いてもらったって言うか・・・」

やはり堂々とは言えない。

「やっぱね。 シユラ様が考えられるわけないもんね。 それは誰?」

「・・・ニョゼさん・・・」

「ニョゼ?」

「はい」

「ニョゼが此処に帰ってるという事か?」

「はい」

「ふーん・・・そっか」

「なにか?」

「いや。 ここに居てはニョゼも退屈だろうと思ってさ。 あ、そっか。 仕事を終わらせてきたんだな。 んで、領主が居ないから次の仕事先の命令が下りないってことか」

まるで独り言のようだが、目で紫揺に問いかける。

「そうみたいです。 でも今はセノギさんについてらっしゃいます」

「そう、セノギにね。 セノギはまだ起きられないのか?」

「らしいです」

自分が無理をさせたことは割愛しよう。

「また“らしい” かよ」

嫌気をさすように言葉を投げる。

「ニョゼさんはセノギさんの看病にこもりっきりですから、何も聞いていません」

「ふーん・・・」

そう言った時、トウオウが軽くフラついた。
腕をまわしていたアマフウが咄嗟にトウオウの身体を支える。

「トウオウ!」

「あ、悪い」

平気な言葉を返すが顔色が悪い。

「どうしたの?」

「アマフウ様」

後ろから声が掛かり、アマフウが振り返る。 そこにトウオウ付きが立っていた。

「申し訳ありません。 トウオウ様は縫合後のお傷もありますが、背骨を強く打っておら―――」

「言う必要はない」

若いトウオウ付きを声で制すると悪い、と言ってアマフウのまわしていた手を解く。

「シユラ様が自覚を持ってくれたみたいだから安心して部屋で休むな。 検査疲れもいいとこだよ」

言うとトウオウ付きに目で合図をした。
トウオウ付きが 「失礼します」 とアマフウに会釈をすると、トウオウの身体を支えて屋敷の中に消えていった。

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虚空の辰刻(とき)  第105回

2019年12月20日 22時15分48秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第100回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第105回


トウオウの一つ一つの言葉を思い出すと、トウオウがどれだけ紫揺に自覚を促してくれていたのかが分かる。

「何度も言ってくれてたのに、全然わからなかった・・・。 知ろうとしなかった」

「え? なんですか?」

「あ、ゴメン何でもない。 明日よね。 分かった。 ね、アマフウさんは最近どうしてるか知ってる?」

アマフウはこの事を知っているのだろうか。

「ここのところ見ないです。 お部屋に籠ってらっしゃるんじゃないでしょうか?」

紫揺の横に腰かける。

「・・・」

トウオウのことを考えて、心配して部屋に籠っているのだろう。 それ以外考えられない。 トウオウだけではなく、アマフウまでも傷つけた。

「シユラ様?」

「あ・・・。 あとの人達は?」

あんな力の使い方をして、五色達はどう思っているのだろうか。 五色達は誰も自覚を持てと言っていた。 あんな事を起こしたのだ、今は紫揺に自覚がある。 五色達の言っていたようになっている。

「五色の方々の事ですよね? どなたも今まで通りです。 ですがセッカ様だけはずっと病院に居られていたからお見かけしませんでしたし、今は領土に行かれましたから」

今まで通り。 紫揺が自覚を持つのが当たり前ということ。

「そう。 キノラさんはいつも通りお仕事をしてるのよね。 セイハさんは?」

「はい、セイハ様はいつも通りにアチコチをブラブラされているようです」

「え? それがいつも通りなの?」

「はい。 特にシユラ様が来られてからはそれが目立っていますけど」

「え? そうなの?」

「はい。 それまではしょっちゅう船で出られてたようですけど。 それで疲れたら屋敷をブラブラです」

「船で出て?」

「海の向こうは楽しいことがあるみたいです。 それにニョゼさんもお仕事で海の向こうに行かれていますし・・・えっと、私は知りませんけど、五色の皆さんも海の向こうで生活をしていらっしゃったって聞いています」

ニョゼは海外に行って学んでいたということを聞いている。 あれだけの才媛。 仕事も海外のことがあるかもしれない。
そしてセキの言う五色の海の向こうの生活が、日本なのか海外なのかは分からないが、いずれにしても出発点は石川県、もしくは日本のどこかだろう。 海外に飛ぶにもそこから一番近い飛行場か電車に乗らなければいけないのだから。

そしてセキの言うところのセイハの楽しいこと、向こうにしょっちゅう行くというのは、あのセイハのことだ遊びに出ていたのであろう。
北の領土を疎まし気にしていた。 この屋敷で大人しくしているはずがない。 それに“フネ” という言葉もある。
紫揺は石川県をよくは知らないが、石川県の海沿いに楽しいところがあるのだろうか? それともそこからどこかへ足を伸ばしているのだろうか。 紫揺の知識はそう深くないが、セイハが何処へ行くという目的地は今は関係がない。

「セイハさんは船で毎日出て行ってたの?」

「いいえ、出て行かれたら少なくとも一週間は帰って来られていませんでした」

ああ、そう言う事か。 きっと東京かどこかに出て遊んでいたのかもしれない。 それとも海外か。

「・・・これを言っていいのかどうかは分かりませんけど・・・」

「なに? 言って」

「・・・はい。 シユラ様が来られてからは、セイハ様は外に出ず屋敷に居られるようになって、アマフウ様はシユラ様が来られてから、セイハ様の行動を見られるようになりました」

「どういうこと?」

全く意味が分からない。

「アマフウ様はお部屋や二階の窓からも、セイハ様をよく見られているようですし、シユラ様が来られてからは物干し場に来られるようになりましたから」

「それってどういうこと? 今までは物干し場に来てなかったっていう事?」

どういうことだ。

「一度もありません」

「ちょっと待って・・・。 アマフウさんが物干し場に来るようになったのは・・・セイハさんがそこにいたから? 初めてセキちゃんと会った時もそうだったの? それにこの前も?」

この前というのは、トウオウがしかけた時のことを言っている。

「シユラ様と初めて会った時は・・・」

少し考える様子を見せてから思い出したように顔を上げる。

「いらっしゃったと思います。 ほんのちょっとの間だけでしたけど、セノギさんに干し物の取り入れを止められました。 でもすぐにいいよって仰ってもらいました。 あの後にもしなくちゃならないことがあったから、私が急いていたのを知ってらっしゃったのかもしれません」

紫揺があの時の光景を思い出そうと頭を巡らせる。

「で、この前ですけど」

話が進んでいる。 いつまでも留まってはいられない。

「うん」

「アマフウ様が不自然だったっていうか・・・」

「不自然?」

「はい。 セイハ様がいらっしゃらないのに急に現れて急に怒られて」

「それって、今更じゃないの?」

アマフウの機嫌次第ではないのか?

「・・・アマフウ様のことはよく知りませんから」

「でも、不自然とかって感じたのよね?」

「それは・・・そうですけど。 あの時は・・・。 ハッキリとは分かりませんけど、アマフウ様が物干し場に来られる時には、セイハ様がいらっしゃいます。 あの時はセイハ様はいらっしゃらなかったから」

「・・・どういうこと?」

小さく呟いた。
トウオウが言ってたことを思い出そうと、頭の中の脳みそを雑巾のように絞る。
トウオウが話してくれたのはいいが、その後にとんでもないことが続いてしまってあまりにも記憶に薄くなってしまっている。

あの時トウオウは・・・セイハがアマフウにちょっかいをかけてくるから、それに巻き込まれないようにしているといっていた。
そしてアマフウが必要以上にセキにキツク言うのは、セキに甘く言うとセキがセイハに必要以上にやられることを懸念してる・・・。 たしかそう言っていた。
眉根をギュッと寄せる。

「ね、こんなことを訊いてセキちゃんには悪いんだけど」

紫揺の言いようにセキが軽く首を振る。

「セキちゃん、私が来る前にアマフウさんに会ったことがある?」

「遠くからお見掛けすることはありましたけど、それ以上は。 アマフウ様が物干し場に来られることはありませんでしたし、用があってここ以外のところを歩いていると、私を見かけたセノギさんが五色様と鉢合わせしないように、今は足を止めるようにって言ってくれていましたから」

以前、セノギのことを聞いた時にセキがそう言っていたことを思い出す。

『角を曲がったらどなたかが居らっしゃる時には、今はそちらに行かないように、って教えてくださったり・・・』

そう言っていた。 優しいセノギと言っていた。

「でも、セキちゃんと初めて会った時もそうだったけど、私が見た二回とも、セキちゃんアマフウさんのことをすごく恐がってたよね? 会って話したことも無いのに」

「はい」

「それはどうして?」

トウオウからアマフウがセキにキツク言う理由は聞いてはいるが、セキはどう思っているのだろうか。
今までにアマフウと会わなかったという事は、アマフウの事を何も身をもって知らなかった筈。

「母さんから聞いたんです。 北の領土では有名な話らしいんです。 アマフウ様はお気に召さなかったら何でも切られるって。 ・・・だから」

「そういう事・・・」

その話もしっかりトウオウから聞いていた。 

『アマフウは気に入らなければすぐに切るんだよ。 まぁ、切るならマシかな。 落雷を落とすこともあるからな。
アマフウ、今までに何を切ったっけ? たしか、気に入らなかった馬と、山から下りてきた野犬と・・・』

トウオウがそう言っていた。 でもそれは歪んだ気性で切ったのではないということも、トウオウから聞いた。 馬を切ったのは、馬が暴れ出して厩番を蹴りそうになったから切ったということだった。 それも馬がおかしな動きをしていたから。 そして野犬を切ったのは、幼い頃のセキを助ける為であった。 セキはそれを知らされていないのか?

「ね、セキちゃん。 それってどうして・・・アマフウさんがどうして犬や馬を切ったか知ってる?」

「それは・・・知りません。 ただ、そう言われてるから。 アマフウ様には逆らっちゃいけないって母さんから聞いてるだけです」

「そっか・・・」

トウオウが言っていたことがこれなのか。 目の前で獣が真っ二つにされた。 その後にその血を浴びたセキを抱えてすぐに井戸に向かってセキを洗った。 それがこんな風に理解され伝わっているんだ。

事実は間違っていない。 けれどその理解は・・・アマフウに対しての誤解に代わっている。 冷血漢だと。
セキには真実を知ってもらいたい。 あったことをどう理解するのではなく、あったことだけを知ってもらいたい。

「セキちゃん・・・、お母さんにもっと詳しく話を訊いてみてもらえないかな」

「え? どうしてですか?」

「お母さんの見たことの中に、セキちゃんが感じる所があると思うの。 お母さんと違った想いがあると思うの」

「・・・はい」

少し眉根を寄せて返事をしたが、母親のことを思うとこれ以上は出過ぎたこと。 ここで止めるのが最善と思われる。 ただ、母親から話を聞いてアマフウのしたことを知ってくれればと思う。 母親がどう話すかは分からないが、洞察力のあるセキなら分かってくれるはず。

どうしてそんなにアマフウのことを気にするのか。 今は他に気にしなくてはいけないことがあるのに、と軽く自問するが自答はない。 その代わりに微かに顔が緩んだ。 それは決して自嘲ではなく、無意識に含羞を含んだものだった。

そしてトウオウのことは気にしなければならない内の一つ。
退院できるということはトウオウに意識がなくなったのが、頭の異常ではなかったのだろう。 良かった。 だがあれだけの血が出ていた背中には、大きな傷が入っているはず。 傷跡が残るだろう。 肌の傷もそうだが、脊髄に異常はなかったのだろうか・・・。

保障とかしなくてはいけないのだろうが、保険などには入っていない。 その当ては皆目ない。 ましてやこの地から逃げ出そうと考えている身だ。 少々脱出を遅らせたところで何も出来ない。

「シユラ様?」

「あ、ゴメン。 お母さんに訊いてみてね。 それと知らせてくれてありがとう」

「あの?」

「なに?」

「ずっと気になってたことがあるんですけど、訊いていいですか?」

「うん、何でも。 なに?」

「その・・・。 シユラ様のお洗濯物が殆どないんですけど・・・」

一度下げた顔から上目遣いに紫揺を見る。

「あ・・・。 気付いてた?」

申し訳なさげに上目遣いのセキの目を見た。

「はい・・・。 母さんとオカシイなって言ってるんです」

「気付いてたのなら、なにも隠さず白状するね。 少々の事で何も変わらないと思うけど、ちょっとでもセキちゃんとセキちゃんのお母さんの手を煩わせたくなくて、洗濯物を出さないようにしてたの」

「え? どういうことですか?」

「最初は分からなくて洗濯籠に入れてたけど、セキちゃんと会ってから自分の手で洗えるものは自分で洗うようにしたの。 でも手洗いでは手に負えないものは出したけど。 ちょっと前に出したベンチコートとか」

「え!? ご自分で洗われていたんですか!?」

「だって、下着とかジャージくらいなら手洗いできるから。 ボディーソープで洗うだけだし、柔軟剤は持ってないからちょっとゴワゴワするけどね」

「シ! シユラ様!」

セキが今にも仰天して口から泡を吹きそうな状態を見せた。

「セキちゃん! どうしたの!? 大丈夫!?」

紫揺がセキの背中をさする。

「シ、シユラ様・・・」

「ウソでしょ!? 今は喋らないで! 落ち着いて!」

「む・・・無理です」

北の領土では五人が一色ずつ五色を操る。 それに対して紫揺は一人で五色を操ると聞いていた。 セキはこの地に居るからだろうか、五色が何かを操るところを見たことはないが、母から五色の力を聞いている。 その力を一人で集約している紫揺。 その紫揺が洗濯をしている? 信じられない。

紫揺のことは分かっているつもりであった。 五色とかけ離れたところで姉のように思っていた。 だが紫揺は五色を一人で持つ存在。 姉のように思う気持ちはセキの自由であっただけだが、紫揺に洗濯などという労力を強いているとは微塵も思っていなかった。

「シユラ様・・・お・・・お着替えなど」

セキの様子がオカシイ。

「セキちゃん! 喋らないで! 大きく息を吸って!」

セキが紫揺に言われるがまま、肺に酸素を送り込んだ。

「うん、ゆっくりと吐いて」

自分の言った台詞をどこかで聞いたことがある。 セキの背をさすりながら頭の中を走馬灯のように何かが走った。

『シユラ、大丈夫か? ほら、ちゃんと息を吸え』

リツソが紫揺の背中をさすった。
そのリツソの声が遠くに聞こえ、なんとかヒュッと音を立てて息を吸った。

『ほら、今度は吐いて、次はゆっくりと吸ってゆっくりと吐け・・・ほら、息をして』

そうだ。 初めてマツリと会った時に今のセキと同じような状態になった。 その時にリツソが言ってくれた台詞だ。

(リツソ君・・・)

紫揺の頭の中はオモチャ箱がひっくり返ったように、色んなことがあり過ぎたが、今はセキのこと。

「セキちゃん、ゆっくりと呼吸して」

紫揺に促されながら何度も浅い呼吸から深く呼吸をする。
ようやっとまともに声が出た。

「シユラ様・・・」

涙目になって紫揺を見るセキ。

「どう? 落ち着いた?」

「はい・・・」

「ゴメンね。 セキちゃんを驚かせたみたいね」

「いいえ・・・」

「ね、セキちゃん、今みたいになったのは初めて?」

「え?」

「呼吸が出来なくなったよね? それって今までにもあった?」

「えっと・・・」

昔ともいえない浅い過去を振り返る。

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虚空の辰刻(とき)  第104回

2019年12月16日 21時54分20秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第100回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第104回



「すぐに・・・」

言いながら、独唱の身体を起こそうとする。

「構わん。 一人で起きる。 それより地図を」 

一刻も待てないのだろう。 塔弥が頭を一つ下げると棚に向かって立ち上がった。 塔弥によって抑えられていた重い身体をユラリと起こす。

塔弥が窟屋から持ってきていた焦点が絞られた地図を手に持った。 そして日本全土の地図。 まずは日本全土の地図を、独唱の座る膝の上に置いた。 その地図をじっと見る独唱。

「・・・ここじゃ・・・この辺りじゃ」

指さされたのは中部地方であった。
中部地方の縮小地図を探し出し、独唱の膝の上に置いていた地図と入れ替える。

独唱が地図の上に掌を這わせる。 何度も何度も掌の動きを繰り返す。 独唱の様子を気もそぞろに見つめる塔弥。

強い気であるならばすぐに分かるはずなのに、独唱の中で場所が特定できないようだ。 それは体が弱っているせいなのだろう。 そうなると今以上に独唱に負担がかかる。 いつが引き際か・・・。 どう説得するか、説得に応じてもらえるか、独唱を見ながら逡巡する。

「おかしい・・・」

独唱の声に我に返る。

「何がで御座いましょうか?」

「此処には居られん」

「・・・どういうことでしょうか?」

「此処の先に地はないか?」

拡大した石川県が写る地図。 その西側の海を指す。

「その先は海になっておりますが・・・お待ちください」

そんな所の縮小地図は持っていなかった。 もしや海外だろうかとも首を捻るが、日本と聞いていたので海外の地図など用意していなかった。
いま独唱に見せたのは中部地方のみが描かれた地図だったが、その地図を下げ、地図を対角線状に結んだ左下側に滋賀県あたりから、秋田県を右上側において左には日本海が描いてある地図を選び、独唱の前に置いた。

独唱が床に臥せっているのは日本にある東の領主の屋敷である。
東の領土、そこはその昔、紫が襲われた地。

ずっと紫揺の僅かな気を辿っていた独唱が、とうとう紫揺が北の領土に入ったことを知った。それを切っ掛けに身体の具合を悪くしたが、その後も紫揺の気を辿り僅かな気を追って東の領土に戻り、紫揺が北の領土から出るのを待っていた。

そしてやっと紫揺が北の領土を出たことを知った。 紫揺が北の領土を出たことはすぐに独唱の口から塔弥に伝えられた。

そして独唱がとうとう意識を無くしてしまった。

意識を無くしながらも座していた場所は紫が落ちたと言われる崖。 そこにずっと座し、正面に見える北の領土を見つめていた。 その座した姿のまま気を失ってしまっていた。

独唱から少し離れた後ろに控えていた塔弥にはその様子がすぐには分からなかった。 動こうとしない独唱を訝しんで「独唱様?」 と呼びながら光石を持ち独唱の元に近づきやっと気を失っている独唱を見た。

すぐに独唱を抱え込み独唱の家に連れて行こうとしたが、その時にまだ家に戻っていない独唱を心配して見に来た東の領主が現れた。 領主が独唱を抱える塔弥の後姿を光石の照らす中に見た。

「塔弥? どうした?」

「領主・・・」

小さな独唱を抱えたまま塔弥が振り返る。

「どうした・・・」

問いながらも、どこかで何かがあったと・・・独唱に何かあったと肌で感じ、すぐに塔弥に駆け寄った。

「独唱様が!」

領主の駆け寄る姿を見ながら塔弥が大声で言った。

日頃、必要以外を話さなければ感情も露わにしない塔弥。 その塔弥が大声を出した。 尋常ではないことが分かる。

領主が駆け寄ると塔弥に抱えられた独唱が目に入った。

「独唱様・・・!?」

「申し訳ありません。 独唱様にご無理を強いてしまいました。 すぐに独唱様の家にお連れし医者を呼びます」

「独唱様にご無理? どういうことだ?」

「紫さまの僅かな気をずっと追っておいででした。 それをお止めすることが出来ませんでした」

「それで、独唱様がお身体を悪くされたという事か?」

「然に。 紫さまが彼の地(日本) に戻られたと言われてそのまま・・・」

「紫さまが彼の地に戻られたと?」

「はい」

「そうか。 それで? お身体の具合はどうなのだ?」

「・・・医者ではありませんので分かりかねますが・・・」

「では、彼の地の屋敷にお連れするが良い。 それまでに独唱様がお耐えになられそうか?」

「領主! 一歩も、一歩の揺れすらも独唱様にはお厳しい話です!

「塔弥、お前の言いたいことは分かる。 だが、独唱様は紫さまのことを誰よりもお考えだ。 勿論、東の領土の誰もがそうであるが。 その紫さまが彼の地に戻られたという事だ。 この領土に居ては彼の地の紫さまの気が追えん。 彼の地に独唱様をお連れしてくれ。 先に戻って誰なと助けを呼んでくる」

気を無くしてまでも紫揺の気を追っていた独唱。 その独唱にまだ鞭を打つというのか。 塔弥が更に声を荒げた。

「領主!」

「独唱様のお身体も心配だが、第一は紫さまだ」

領主の言いたいことは分かる。 領主が嫌われ役を買って出ているのも分かる。 だがそんなことでおさまらない独唱の身体。

「独唱様もそれを望んでおられる」

「独唱様のお身体はもう限界を超えていらっしゃいます!」

「では彼の地の医者に見せればよい。 その手配はすぐにでもしよう。 その為にも独唱様を彼の地へお連れせよ。 そして阿秀に紫さまが北の領土を出られたことを伝えよ」

そう言い残すと踵を返した。 その後ろ姿に塔弥が言った。

「・・・誰の手伝いも要りません。 独唱様をお連れ致します」

「そうか・・・。 では頼む。 すぐに医者に来るよう手配をしておく。 彼の地の屋敷で待っている」

すぐに誰かを呼ぶと再度言いたかったが、それを拒否するように誰の手伝いも要らないと、塔弥が言った。 塔弥と独唱の間には誰も入れない。 己も手を貸したかったが領主という立場からそれが出来なかった。 何もかもを屋敷で待つしかなかった。


日本の地の領主の屋敷を預かる此之葉の妹、葉月(はづき) を捕まえ、床(とこ) に落ちついた独唱の横につかせ部屋から出た。 と同時に携帯を開いた。

臥せっていた独唱が起き上がり、紫揺の居る場所を指さしたことを領主へは直に言うことが出来る。 だがこの地から離れている阿秀には直に言うことが出来ない。 携帯を通じて独唱の話を伝えるしかない。 領主に言ってから事を動かしては遅すぎる。 先に阿秀に布陣を敷いてもらうに越したことはない。


数日前のこと、顔色を悪くしていた阿秀のスマホが鳴った。 画面には『塔弥』 と出ていた。

『塔弥?』

『紫さまが北の領土を出られました』 

『出られたのか!』

そんな連絡があった。 そしてまたしても阿秀の持つスマホの画面に『塔弥』 と出ている。

「塔弥?」

『独唱様が紫さまを見られました。 領主のお言葉が取れ次第、また連絡しますが、先に大体の場所をお伝えします。 石川県の日本海側です』

「石川県の日本海側? 海沿いの町か?」

『いえ、日本海に浮かぶ島です』

石川県の日本海側? 能登半島の内ではなくて?

「どういうことだ?」

『大きな地図に載っていない島があるようです。 かなり小さな島のようです。 詳しくは地図の写真を送ります』

その地図にも島など載っていない。 ただ、日本海の中にマジックで丸を示しているだけだ。

『ああ、宜しく頼む』 これ以上無駄な疑問を投じても何の進展にもならない。

塔弥が会話を終えるとすぐに操作し、地図を撮った写真を添付したメールを送る。 そして携帯を閉じると領主の居る部屋に足を向けた。

塔弥から聞かされた場所を頭に置きパソコンの電源を入れた時に、メールの着信音が鳴った。 すぐにメールを開け、添付された地図を受け取った阿秀。 拡大から徐々に縮小にと、数枚の写真が貼られていた。
すぐに一枚一枚の写真を開ける。

「・・・ここに島があるのか?」

小さくギリギリ日本海域を保っている島のようだ。
塔弥も大きな地図に載っていない島だと言っていた。 石川県から離れた見逃されるほどの小さな島。 それが日本海に浮かぶらしい。

「・・・ここか?」

ここかと言いながらも地図に載っていない島。
丸を示された場所を大まかな経度緯度で割り出し、ネットの地図で確かめるしかない。

すぐにでも全員を走らせたいが、今はまだ正しい場所が分からないうえ領主の指示もない。 独唱が言うのならば、塔弥の持つ地図に載っていなくともこの場所に間違いない。 領主を伴うことなく紫を出迎えることなど出来ない。 だが先に探ることが必要だ。 スマホの画面を変えた。

『阿秀?』

「野夜、今どこに居る」

『阿秀のリストに添って日本海岸を―――』

「一旦、止めてくれ」

『は?』

「船か?」

『いえ、車です』

「すぐに全員を集めて船に乗り換えて待機しておいてくれ」

『・・・え?』

「今はまだハッキリとしないが、あとで場所を送る。 それまでに全員を船に集めておいてくれ」

『了解』

何か新たな動きがあったのだと分かる。 スマホを耳から外した野夜。

「なんだ?」 

「阿秀からの連絡だ」

そう言うと右を見て運転席に座る悠蓮に続けて言った。

「船に戻ってくれ」

眉を顰めていた悠蓮がハンドルを180度変える。 タイヤの軋む音が道路にひびいた。

電話を切るとすぐに塔弥から送られてきた添付された地図をパソコンに送り、パソコンからアウトプットする。
パソコンで日本地図を出す。 アウトプットされたところに見合う場所にズームする。 あった。 本当に小さい島が。
次に座標を調べるソフトを開ける。 そしてその場所をクリックする。



「うぐ・・・」

「領主?」

北の領主、ムロイが気を失ってから数日が経つ。 ムロイに付き添っていた薬師が腰を上げた。 あともう少しでムロイの家に着く。

「領主、お気づきですか?」

ムロイがゆっくりと目を開けた。

「領主」

「ここは・・・?」

「あと少しで領主のお屋敷に着きます。 医者が待っています。 ご安心ください」

「医者?」

身体を起こしかけたムロイ。

「アウゥ!!」

全身から叫び声をあげ、仰け反った。

「領主! まだ起き上がられませんよう! 安静にしてくださいませ」

「・・・なにが、何があったというんだ!?」

「それは・・・誰にも分かり得ません」

「どういうことだ?」

「領主は馬車道に倒れておいででした。 その前に何があったのかは誰も知り得ません」

「馬車道に倒れていた? ・・・グッ!」

渋面を作って悶絶する。

「領主! 鼻の骨が折れております。 お話をお控えください」

「クソ! どういうことだ!」

ムロイの気が上がり過ぎる。 この気を抑えるには、再度のマツリからの伝言しかないのであろうか。 一度目に伝えた時のように落ち着いてもらえるだろうか。

「マツリ様からのご伝言があります」

余りの痛さに鼻を押さえながら、薬草師にムロイが目だけを動かす。

「マツリ様は『待つ』 と仰っておいででした」

ムロイの目が大きく開いた。

やはり前回言ったことは頭の中に残っていなかったようだ。 あの時はまだ朦朧(もうろう)としていたのだから仕方があるまい。
そしてムロイの頭の中では今度こそ、その言葉が書き込まれた。



「シユラ様!」

セキがガザンと共に芝生の上に居る紫揺に駆け寄ってきた。
紫揺とセキそしてガザンの朝のお散歩のあと、セキだけが仕事に向かい、紫揺とガザンがそのまま芝生の上でのんびりとしていた。

「セキちゃん、お仕事終わったの?」

「はい。 それよりニョゼさんから伝言があります」

「え?」

「トウオウ様が明日に帰って来られるそうです」

「え!?」

「お傷のほどは分かりませんが、意識を失われたのはさほどの心配はないようです、とのことです。 セッカ様がニョゼさんにそう言い残すと領土に戻られたようで、ニョゼさんがすぐにシユラ様にお伝えして欲しいと仰っていました」

紫揺が一瞬にして目に涙を溜めた。

「シユラ様?」

「ゴメン、何でもない」

セキはあの一件を知らない。 紫揺がトウオウに傷を負わせたなどと。 そのトウオウが目の前で意識を無くして倒れ込んだ。 今では甘んじて受けられるアマフウからの罵倒の言葉もセキは知らない。

トウオウが倒れた日、ニョゼが姿を見せた。 その驚きや、訊きたいことも抱えきれないほどあった。 そしてこれからの計画として春樹とも会った。
決してトウオウのことを忘れていたわけではない。 心の大きな笹垣となって打たれてはいたが、自分に力があることを自覚し、そのことをニョゼに相談し、これからの自分の行く末の線路も敷かなければならなかった。

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虚空の辰刻(とき)  第103回

2019年12月13日 22時22分32秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第100回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第103回



「シユラ様!」

慌てたニョゼが椅子を撥ね、紫揺の肩を抱き覗き込んだ。

「あ・・・大丈夫です。 こんなことってここの所、日常茶飯事ですから」

北の領土に向かい、この屋敷に帰るまでの間、打ち身とお友達になっていたのだから。 あ、いや。 ホテルでも一度あったか。

「ここの所・・・?」

「情けないですけど・・・。 あ、気にしないでください。 慣れましたから」

ニョゼに顔を向ける。

「額が赤くなっておられます。 すぐに冷やすものをお持ち―――」

それにずっと腕にある赤い筋も気になっていた。

「いい! いいです! これくらいなんともありませんから」

今にも飛び出しそうなニョゼの手を取り止めた。

「ですが―――」

「ニョゼさん、心配しすぎ。 甘やかしてもらうと我儘になっちゃうから。 ね?」

「本当に―――」

「大丈夫、これくらいなんともありません。 ね、座って下さい」

ことごとくニョゼに最後まで言わせず紫揺がニョゼの言葉を遮った。
ニョゼにしてはそれも大きな驚きであった。 紫揺はずっと人の話を最後まで聞く耳を持っていた。 人の話を遮る、それは自信がついてきたという事なのだろう。  そう、それに時折、語尾にも不安や寂しさを感じさせない。 自分の居ない間に紫揺は強くなったのだろう。
紫揺に促されるまま椅子に座った。

「それより、失礼なことを言っちゃってゴメンナサイ」

「そんなことはございません。 わたくしに考え直すお言葉を頂きました」

「考える? 考え直す?」

「まだ何も分かりませんが、シユラ様のお話をお聞きして、わたくしの中に何か納得できないものがあったと・・・。 いえ、違います。 何かが違うと思う心でしょうか。 そのようなものがあることを知りました」

「それは、ご両親・・・あ、いいです。 訊きません」

にこやかにニョゼを見ると続ける。

「ニョゼさんにとっていい風が吹けばいいですよね。 そのように事が動けばいいですね」

「シユラ様・・・」

「私、ニョゼさんのことが大好きです。 あ! そうだ。 私、ニョゼさんみたいになりたくて・・・じゃないな。 私がニョゼさんに守ってもらってたから、私も守りたいと思った子がいるんです。 ニョゼさんみたいにその子を守りたいって。 そしたらその子の窮地の敵はアマフウさんだったという。 まだ力のことも五色のことも何も知らなかったから、今思うに無鉄砲にもアマフウさんにケンカを売りました」

「ア・・・アマフウ様にですか!?」

ニョゼが驚いたように目を見開いた。

五歳の時に領土を出たと言えど、五色とは時折、屋敷で会っている。 領土のことはあまり詳しく知らなくとも五色のことは良く知っている。

初めて見たニョゼの驚いた顔。 ニョゼはいつも紫揺に笑顔を向けていた。 穏やかなニョゼが驚いたという事は、やはりとんでもないことをしたのだと分かる。

「知らない強みって言うんですか?」

「シユラ様・・・」

珍しくもニョゼが頭(こうべ)を垂れた。


この日からニョゼがセノギに付いた。
ニョゼは紫揺に付くと言ったがそれを紫揺が断った。

「一人で出来ます。 って、周りの人にお願いしてることが多いですけど」

ペロッと舌を出す。

「でも、セノギさんにはニョゼさんがついてあげてください。 ムロイさんもいなくてセノギさんもあの状態では何も動きません。 セノギさんの回復のお手伝いをしてあげてください」

紫揺が自ら周りの人間にお願いが出来るというだけでニョゼは驚いたが、そんなことに驚いていてどうする。 紫揺は強くなったのだから。 それに・・・。 いや、それはセノギに相談しよう。

「承知いたしました。 ですが、何かございましたらすぐにお呼びくださいませ」

そう言ったニョゼだったが、セノギの部屋から出てくることはなかった。 紫揺が破壊した日、セノギがまだまともに動かない身体を無理に動かしたせいだろう、その影響が回復に尾を引かせたようだった。


月明かりの下、紫揺の足音に気付き、紫煙をくゆらせながら振り返った。 携帯灰皿でタバコを消す。 まだ吸える長さがあったが、それを惜しむ気はない。 紫揺と時を過ごせるのだから。

「今日は俺の方が早かった」

紫揺に指摘され正直に『僕』 ではなく『俺』 と言いやすい方で言う。

「待たせちゃいましたね」

破壊した部屋を片付けるために数日は部屋に戻れないと聞いた。 同じ階の空いている部屋は使えるが、修理の音でゆっくり出来ないだろうと、当分はムロイの仕事部屋で過ごすこととなった。
仕事部屋とはいえソファーベッドもある。 そして各部屋にある様なバスタブは無いが、仕事中に軽くシャワーを浴びることがあるのだろう、シャワー室が設置されていた。

紫揺としては基本、寝るだけの部屋なのだからそれで十分なのだが、本棚が多すぎてストレッチをしようにも、本を蹴飛ばしそうで思うように動けなかったが為、時間を見過ごしてしまっていた。

「それ程でもないよ」

辺りは暗い。 だが横に見えるランドリーの窓からの明かりでお互いの顔も足元も見える。 この部屋の電気は必ず春樹が点けている。 足元を見やすくするためだろう。

「早速だけど、連絡を取ってみた」

父親が船舶の免許を持ってる専門学校の時の友達に連絡を取ったという事。

「どうでしたか?」

「今は親父さんが旅行に出ているらしくって、旅行先まではこの話を持っていくことは出来ないって。 まぁ、そうだろうね。 でも、友達は協力するって言ってたよ」

「梅雨が開けた途端に旅行ですか? まだ不安定なのに」

「日本はそうだけど、ヨーロッパを周遊しているらしいからね。 日本の梅雨は関係ないから」

海外旅行とは想像もしなかった。

「あ・・・海外なんだ。 いつ戻ってくるって仰ってました?」

「急いでるんだよね・・・でも悪い。 急かすことは出来ないんだよ。 あと少しで定年を迎えた有休消化でのお袋さんとの旅行らしいから。 それに海外だろ? 一世一代の旅行だろうしね」

「いえ、それは大丈夫になりました」

「え? どういう事?」

「一日も早くここを出たいことには変わり有りませんけど、ちょっと事情が変わって数日後でも大丈夫って言うか、そうして欲しいくらいなんです」

「じゃ、親父さんの予定で話を進めていいってことだね?」

「はい」

その日程が自分と合うかどうかは分からないが、今は急ぎではないことを伝えるだけにしよう。

「良かった。 どうしようかと思ってたんだ」

「え? どうしてですか?」

「だって君の希望に応えられなくなったから」

「・・・君じゃなくて紫揺です」

ムラサキと呼ばれたくないが為、ついうっかりフルネームではなく紫揺と言ってしまった。

「あ、ああそうだね。 紫揺ちゃんだったね」

やっと言えた『藤滝さん』 ではなく『紫揺ちゃん』 と。 冷静に言っているようだが、心の中では喜びで何度も足を踏み鳴らしている。
今回は計画的ではなく、自然に出ただけに喜びもひとしおだが、紫揺自身はそんなことに頓着していない。 今まで友達には色んな呼ばれ方をしてきたのだから。 とは言え、女友達以外から『シユ』 とか『ユラユラ』 と呼ばれればそれなりに言い返しただろう。

「じゃ、この話はコッチで進めていくよ。 それでいい? 紫揺ちゃん」

紫揺の名前を念を押して言う。

「はい」

「ね、今日地震みたいに揺れて、その後、紫揺ちゃんの居る三階で大騒ぎになってたみたいだけど、何かあった?」

紫揺から言い出したことだ、こう呼んでも良いだろうと、必要以上に紫揺を『紫揺ちゃん』 と呼ぶ。 その呼び方に物申されたらどうしようかとドギマギだ。

「あ・・・」

物申されるのだろうか・・・。 春樹の心臓が撥ねる。

「あ・・・ちょっと。 でも、落ち着いたみたいです。 ・・・三階に降りてこられなかったんですか?」

ぼやかして言うしかない。 それに騒ぎがあったのにそこに駆け付けなかったことが不思議だ。
紫揺は紫揺なりのことを考えて春樹に言う。 春樹は物申されなかったことに安堵する。

「うん、禁じられてるからね」

「え?」

「俺たちは四階以外に行かないように言われてるんだ。 あの時は昼休憩のすぐ後で、床に地響きと揺れを感じたから、全員が机にしがみついたけど、治まったらキノラさんが仕事を続けるように言ってね。 仕事が終わってから何気なく見たけど、三階が大変だったみたいだったからさ」

ある意味キノラの采配かと思う。

「キノラさん何か言ってました?」

「いや? 何も。 でも、厳しい顔はしてたかな」

「厳しい?」

「うん、今にも部屋を出て行きそうな気配だったよ」

その時、ウォン! とガザンの声がした。

「あ、先輩有難うございます。 じゃ、船の・・・お友達のお話を宜しくお願いします」

「明日も! 明日も此処だよね?」

ガザンの元に向かおうとした紫揺が足を止める。

「明日もガザンに会いに来ますから」

そう言い残すと、窓の明かりが届かないガザンの元に走った。

「え? それだけ? ってか、それって、どう!?」

ガザンのついでか? 先輩と呼ばれた春樹が暗闇に走る紫揺を見送った。


「ガザン、どうしたの? 呼んだ?」

ポケットに忍ばせていた懐中電灯を灯し、足元を照らしながらゆっくりと歩を進めている。

「ブフ」

ガザンの吐いた息が聞こえる。

「ガザン?」

ようやっとガザンの居る所まで歩いてきた。
懐中電灯に照らされたガザンが迷惑そうに目を背け、伏せた。

「あ、ゴメン。 眩しいよね」

すぐに懐中電灯を下に向ける。
ブフ、ブフ、とガザンが鼻を鳴らす。

「ガザン・・・何が言いたいの?」

膝を折って伏せているガザンの身体に添うとその背中を撫でた。
ブフ―、とガザンが安心する様に鼻から長い息を吐いた。

「やだ、ガザン。 心配してくれたの? 心配ないって。 先輩は味方だから」

人間不信のガザンがそう簡単に春樹を認めるわけがない。 フン、とガザンが顔を投げた。

「ガザン、今日は一緒に寝ていい? 明日まで一緒に居てくれる?」

そう言いながらガザンの首を抱きしめた。
余りにもあり過ぎた。 色々なことが。 ニョゼと会えたことは心躍るほどに嬉しい。 だが何よりトウオウのことが気になる。 それに自分があんなことをしてしまって、セノギにも弱っている身体に鞭を打たせてしまった。

ブフッと息を吐いたガザンだが、紫揺を撥ね退けはしなかった。

「アリガト。 今日は寝られるような気がする」

トウオウとセノギのことが気になっていたことはあるが、それと違う所で部屋を破壊し、まだ開花されていない力を出し過ぎていた。 すぐにガザンの横で寝落ちた。


ベロン。

「んん?」

ベロン。

「え?」

ベロン。

「え? ガザン!?」 

横たわっていた身体が飛び起きた。

「あ・・・」

夕べの記憶が蘇る。 ガザンの横で寝た。 ガザンの身体の暖かさにすぐに寝入ってしまったようだ。

クシュン!

ガザンの身体が温かいと言えど、今は梅雨がやっと明けた時期。 添う暖かさではイマイチ足りない。 薄くでも覆う暖かさが必要だ。
布団を身に纏わなかった紫揺がクシャミを連発した。

途端

ベロン。
ガザンのベロン攻撃にあう。

「・・・なに?」

夢うつつの紫揺がハッキリと目を開けた。

「え? 朝? あ、朝日が昇ってるんだ。 そっか」

朝を迎えたのだ。 昨日はあんなことがあったのに、充分に寝られたことを感じる。
ガザンがベロンと再度紫揺の顔を舐める。

「・・・大丈夫。 何ともないから。 心配してくれてアリガト」

ガザンの唾液で朝の洗顔が終えそうな顔で微笑む。

「ゴメンね。 ガザンの寝るのを邪魔したかもしれないね」

ベロン。

さっき大丈夫と言ったから、次のベロンはガザンの睡眠を邪魔したことなど無いという、ガザンの返事なのだろう。 邪魔なんてなかった、と。 ベロンと返事をしてくれたのだろうか。

「アリガト。 ガザンのお蔭で寝られた。 じゃ、戻るね」

立ち上って戻っていくその後ろ姿をガザンがじっと見ていた。



気を失ってしまっていた独唱(どくしょう)が、東の領土から塔弥に負ぶわれて日本に戻ってきて臥せっていた。
そして数日が過ぎていた。

十数時間前のこと。

「紫さまが・・・」

と、今は衰えた目を開け、何かを告げようとしている。
それは何度もあったが、その度にすぐに床に伏せっていた。 だが今回は違うようだ。

「独唱様、お目覚めですか? 今は独唱さまのお身体が一番です。 どうぞ、もう少しお休みください」 塔弥が言う。

「い・・・いや」

先程、独唱の口から紫さまと聞いた。 そのことがどれだけ重要かは分かっている。 だが

「これ以上のご無理はお控えください」

上半身を起こそうとする独唱を塔弥が抑える。

「紫さまがお叫びじゃ」

「独唱様! 御身を!」

「我が身など! すぐに地図を!」

「独唱様!」

背はそんなに高くはなく痩身だが、その身体に見合わぬ力がある。 それ故であろう、あれ程に身の軽い塔弥が僅かとも身を動かさず独唱を抑えている。

「塔弥!?」

「独唱様と己の思いは同じです。 ですが独唱様のお命を危険にさらすことは出来ません」

「何を言っておる!」

「分かっております」

「わしと塔弥の事だけではないというのを分かっておるというのか?」

「重々に」

「わしと塔弥の事以外が、何よりも紫さまことが先決だという事も分かっておるのか?!」

「然(さ)に」

「分かっておって、わしを止めるのか!?」

「正直にお話いたします。 お止めしたくは御座いません。 曾祖叔父のことは今も尚知りたく思っています。 それに紫さまのことも。 ですが、お止めいたします。 今の独唱様はお身体を害しておられます」

「何をもってそう言うのか!?」

「何十年と気を張られておられました。 ほんの少しでいいのです。 もう少しの休みを取って頂きたい」

「わしの身体など厭わん! わしの身体は紫さまの小指の爪ほどにもならん! 紫さまがお叫びなのじゃ!! 今をもって逃すと紫さまの居所が分からん! 地図を! 早う!」

独唱が紫揺の気を感じた。 それは時が経つにつれ薄まってしまう。 今すぐに紫揺の気が発せられた場所を特定せねばならない。

「今も・・・発せられておられるのですか?」

「ああ。 お怒りの気を発せられておる。 強い気じゃ!」

ずっと僅かな気を追って来た独唱。 これ以上独唱に無理をさせたくはないが、強い気なのであれば独唱の負担も少ないであろう。 それにこれ以上独唱に逆らえない。

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虚空の辰刻(とき)  第102回

2019年12月09日 21時37分34秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第100回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第102回



「それは?」

「ニョゼさんのことを想ったの。 そしたらニョゼさんの顔も声も思い出した。 そしたら嬉しくなって心が温かくなった。 その暖かさに浸かっていると、なんでもない飾りの木に花がついたの」

紫揺が話してくれた。 意識は迷子にならなかったようだ。 だがニョゼからすれば余りにもセンセーショナルな話だ。

「まぁ、わたくしをシユラ様の良い想いの中にお入れくださったのですか?」

「ニョゼさんは・・・うん・・・」

一方的にお姉さんのように思っているなどと、恥ずかしくて言えない。 段々と地に足がついてきた。

「どう致しましょう、わたくし今晩寝られるでしょうか?!」

いつも冷静沈着なニョゼが大袈裟なほどに喜んでいる。 だがそれは取って付けたものには感じない。

「ああ、すみません。 わたくしが寝られるかどうかなどとシユラ様にお訊きして・・・あ! わたくし何を言っているのでしょうか・・・」

「そう言えば前にもありましたよね」

「はい?」

「私がまだ・・・ニョゼさんに壁を作ってる時、壁が壊れかけた時に、ニョゼさんが素を見せてくださいました」

「素? でございますか?」

「はい。 ニョゼさんが言って下さったんです。

『シユラ様・・・。 今はまだお辛いと思います。 ですがニョゼがついております。 お一人で泣かれるようなお辛い目にあわせたくはございません。 どうぞ、なんなりとニョゼにお話しください』

「って。 そしたら、言い終わると『・・・申し訳ありません、出過ぎたことを』 そう言われたんです。
だから、そんなことないですって言ったのに
『出過ぎたことを言ってはいけないと教わっておりますのに、つい』 って。 あの時のニョゼさんと同じ・・・」

「まぁ! ・・・そんなことを思い出さないでくださいませ。 お恥ずかしい、まだまだ未熟者でございます。 ですがシユラ様の良い想いの中に入れてくださっていることは、この上なく嬉しく思います」

照れるしかない紫揺とニョゼ。 第三者が見ていると呆れて溜息を吐くか、面白がって煽るだろう。
互いに束の間の時を持った後、ニョゼが口を開いた。

「シユラ様?」

なに? と言った具合に紫揺が小首を傾げる。

「シユラ様にはお力がございます。 そのお力をシユラ様の思いでお使いになられなければいけません。 感情の起伏にお力が捉えられてはシユラ様がお怪我をなさいます。 少しずつお力の出し方を感じて頂ければと思います」

「出し方・・・」

「はい。 わたくしにはその力がございませんから、シユラ様にお伝えすることはままなりませんが、シユラ様ご自身が感じられるというのが一番かと思います」

「感じる?」

「はい。 先に申し上げましたが、シユラ様のお力は民の為のお力です。 ですがシユラ様は民をご存じありません。 ですから例えて置き換えてお考え下さい。 民ではなく、お友達やお知り合いとお考えください。
路頭に迷うお友達を守ろうとされればどうお感じになられるか、どうお考えになられるか、 何をされようと思われるか。 お知り合いに幸せが舞い降りると、シユラ様はどうお感じになられるか、何をされたいと思われるか。 お友達が悲しめば、お知り合いが痛みを覚えれば・・・どなたにおいてもどうお感じになられるか、どうしようとされるか」

そんなことは考えもしなかった。 だが、そうだろう。 友達に何かあれば何なりと考えただろう。
この誘拐された状況でなければ考えただろう。

誘拐・・・ニョゼは紫揺が誘拐されてきたことを知っているのだろうか。 その上で優しいのだろうか、誘拐されてきたから哀れんで優しいのだろうか。

・・・そんなことはどうでもいい。
ニョゼに騙(だま)されているかもしれない。 だがニョゼに騙されていてもいい。 うううん、ニョゼを信じたい、ニョゼを信じる。

「・・・ニョゼさんの言いたいことが、分かるような気がします」

もう紫揺の目は迷子にならないだろう。 言いたいことを受け取ってくれた。
ニョゼがニコリと微笑んだ。

どうしてだろう、あれだけトウオウが言ってくれた時には分からなかったのに。 トウオウとニョゼは同じことを言っている。 なのに分からなかった。 ・・・うううん、分からなかったんじゃない。 分かろうとしなかった。 分かりたくなかったんだ。

トウオウ? トウオウはどうなった!?

「ニョゼさん! 私、私の破壊の力でトウオウさんを傷つけた!」

紫揺が“私の力” と言った。
ニョゼの言ったことを受け入れてくれたということ。

「お傷のお加減は?」

「背中が血だらけで意識がなかった・・・セノギさんが船で運ぶようにって・・・」

紫揺の顔色がどんどん悪くなっていく。

「お怪我のほどはわたくしには分かりかねます。 ですが今はセノギに任せましょう。 セノギは優秀です。 トウオウ様の一番良いように運びます」

「でも・・・」

「トウオウ様とセノギを信じましょう」

迷いながらも首肯するしかない紫揺。

トウオウの無事を確認するまではここからの脱出は出来ない。 それにニョゼのことも・・・。

話しの方向先を変えようとニョゼが椅子に座った。

「椅子に座ることをお許し下さい」

「あ・・・そんなことないです」

そんなことを考えていたのか。 今まで知りもしなかった。

「ニョゼさん・・・ずっとここに居てくれるの?」

「わたくしも此処に居たいのですが、今は先が見えません」

「どうして? どうして一緒にここに来てくれなかったの?」

自分で驚いた。 そんなことを言うなんて。 そんな我儘を言うなんて。 いや、それ以前にこのことをこれほど強く言うほど想っていたなどと思いもしなかった。
でも言ってしまった。 だがそれは嘘ではない。 誰にも知られたくない本心だ。 それを声高に言ってしまったが後悔はない。

少し前の自分ならついウッカリそんなことを言ってしまえば、恥ずかしくて顔も上げられなかっただろう。 だが今は違う。 本心を恥ずかしく思うなどということは必要のないことだ、 そう思う。

もしかしてそれはアマフウに鍛えられたのだろうか、それともリツソとの出会いだろうか。 リツソとの会話がリツソに言っているつもりが、自分に言っていたのだろうか。

「わたくしは・・・」

「なに?」

「・・・北の領土のことはもうご存知でいらっしゃいますね?」

「はい。 北の領土に行きました。 向こうの方と少しだけどお話もしました」

「北の領土はお寒かったでしょう?」

「うん、信じられないくらい。 馬車でムロイさんの家まで行ったけど、それまでの家にも泊まったし、温泉にも入りました。 それにヒトウカやヒオオカミの話も聞きました」

ニョゼが何を言いたいのか分からない。 少なくとも自分が北の領土で知り得たことを言えば、少しでも話が広がるのではないかと話した。

「そうですか。 わたくしは幼少の頃に領土を出ましたので、シユラ様の方が北の領土のことをわたくしよりご存じでございましょう。 北の領土を出たといえど、わたくしは北の人間でございます。 北に居るだけでいい人間でございました」

「でも、英才教育を受けたんですよね?」

「覚えてくださっているのですか?」

あの時、ホテルで話したことを。

「はい、覚えています。 だって、スゴイと思ったから。 アメリカで飛び級して大学を卒業して色んな資格を取ったなんて、私には考えられない事だから」

「・・・確かにそうかも知れません。 そのお蔭で、先代領主がわたくしを拾って下さったことにご恩をお返しすることが出来ています。 ですがわたくしは北の領土の人間です。 わたくしが何も知らない五歳の時に領土を出たいなどと申したことは御座いません。 そういう運命になりました。 運命にあらがう気は全く御座いませんでした。 運命を受け入れるという事は必要なことであると思いましたから」

「それでいいの? それがニョゼさんの選んだ道? 不服は無いの?」

「不服がないのかと問われれば・・・無くは御座いません。 ですが―――」

「じゃ! その不服を解消しよう! ニョゼさんは北の領土に居るご両親と過ごしたいんですよね? 違う?」

「・・・シユラ様」

「なに?」

「お話は、どうしてシユラ様と共にわたくしが一緒にここに来なかったということですね?」

「あ、うん。 そうでした。 ゴメンナサイ話してください」

話しの筋を見失っていたようだ。 ・・・どうしてだろう、急にニョゼの気持ちに添いたくなった。

「わたくしは学ぶという事を先代領主に教えられました。 それが楽しかったのです。 多国語も数式も歴史も。 頭に色んなことが入るだけで楽しく、尚も、もっと知りたいと心が次を要求致しました。 わたくしは両親と過ごすより、学ぶという事を取ったのです。 それに先代領主が応えてくださった。 ご恩を返さなくてはいけません。 それは分かっていただけますか?」

「はい」

「わたくしは今の領主から出される仕事先に赴きます。 わたくしの仕事はいかに短期間で問題を解決するかを問われています」

「え?」

「問題のある会社に赴いております。 シユラ様がホテルから出られた日、その日に領主から次の仕事先に案内されました。 まさかその日にシユラ様がホテルを出られて、屋敷に来られようとは思ってもおりませんでした。 すぐに問題を解決し領主に連絡を入れましたら、シユラ様はホテルを出られたと聞かされました」

「じゃ、じゃあすぐにここに来てくれたら・・・」

「わたくしもそうしたかったのですが、次の仕事を言いつかりました」

「次の仕事に向かったの?」

「それがわたくしに敷かれた道であり、わたくしの選んだ道の結果ですから」

そうか。 そうだったのか。 自分の知らない所で知らないことがあっても当たり前。 自分が知らなさすぎるのだから。

「・・・分かった。 ニョゼさんが一緒に来てくれなかったことも、今日までに来てもらえなかったのも分かりました」

「わたくしにもっと能力があれば、もう少しでも早くここに来られたはずでしたのに、今回ほどわたくしの足らぬ能力を厭(いと)わしく思ったことは御座いませんでした」

「そんなことないです。 ニョゼさんは才媛です。 私の我儘をニョゼさんに押し付けただけで、私がニョゼさんを困らすようなことを言っただけ。 でもそれで、それでいいの?」

「え?」

「仕事を終えてここに来たんですよね?」

「はい」

「もっと早く・・・。 その、傲慢な言い方になっちゃうけど、私に会いたいとは思ってもらえなかったの?」

「毎日! 毎日毎日、シユラ様のことを考えておりました。 どうしていらっしゃるのかと心痛を感じておりました」

「なら! どうして会いに来てくれなかったの? お休みとかありましたよね?」

ニョゼが首を振った。

「一日も早く仕事を終えてシユラ様にお会いしたく、一分一秒も無駄にせず仕事をしておりました。 お会いしたかったのは隠しきれない気持ちでございます」

一分一秒を無駄にしなかった。 紫揺に会いに来るために。 休みなどとらなかった。

「じゃあ、ご両親にもあいたいですよね?」

「え?」

「私の思い上がりなら笑ってもらってもいいです。 でも、ニョゼさんが私のことを想って下さっているのは、私のことを妹のように思って下さっているからではないのですか? それと同時にご両親にお会いしたい・・・うううん、ご両親と過ごしたい、ずっと一緒に居たいと思っているんじゃないんですか?」

心の温かいニョゼの事、幼少の頃から両親と離れていたことは先程の話を聞いてよく分かった。

「・・・シユラ様」

「違いますか?」

数か月前までずっと暗い顔でいた紫揺。 抱きしめて心を癒したいと思わせる程の憔悴しきった紫揺だったのに、ここまでハッキリと強く言う。 ましてや、相手の心の中を覗くように。 隠して伏せて自分さえも、誰にも見られないようにしていたものさえ見ているかのように。

「・・・」

無言の中に自分の心の中の霞が晴れてきたような気がした。

「ニョゼさんに気に留めてもらって嬉しい。 でもニョゼさんを自由にしてあげたい。 私の傍に居てもらうのは嬉しいけど、居て欲しいけど、それはニョゼさんの自由を括ることになってしまう」

「・・・シユラ様」

「ムロイさんは北の領土で倒れているそうです。 そして今もムロイさんからの連絡は入っていないみたいです。 セノギさんも身体の調子が良くないみたいです。 さっきも支えてもらっていました」

屋敷にやって来てすぐにセノギの姿は見ている。 そしてそのセノギからムロイのことは聞いていた。 ニョゼが頷いた。

「ニョゼさん、子供の頃はそうだったのかもしれません。 学べるという事に向上心があったのでしょう。 先代領主と言われる人がニョゼさんの夢を、思いを叶えてくれた。 でも今のニョゼさんは借りも貸しも何もかも差っ引いて、ご両親と暮らしたいと思ってるんじゃないんですか?」

再度重ねて問う。

ニョゼが息を飲む。

「ニョゼさんがムロイさんに・・・領主という人に借りを感じているのは分かります。 あ、ニョゼさんは借りだなんて思っていませんよね。 多分・・・ご恩をお返ししたい、ですか。 それも分からなくはないです。 でも、それでいいんですか?」

「・・・どうしてそうお考えになられるのですか?」

「え?」

己を取り戻す、までにはいかないが、まるでこの話をする前に、頭の中の一つのピースがどこかに飛んで行ってしまっていて、そのピースが今戻って来てピタリと嵌まった、そんな印象を持たせる表情をしている。

「シユラ様?」

「え? あの、ごめんなさい。 どうしてこんなことを考えたんだろ、どうして言ったんだろ・・・。 あ、あの前言撤回・・・って、もう言っちゃったし。 どうしたらいいんだろ。 何が何だか分からなくなってきた」

困ったように幼い仕草で顔に手をやる。

「シユラ様・・・今仰られたことはシユラ様のお考えでしょうか?」

「はい! 勿論です。 ・・・って・・・そうなのかな? あのゴメンナサイ。 分かりません。 思ったことは思いました。 でもどこか違うというか、わけが分からないというか・・・でも考えたのも言ったのも私です。 間違えなく」

「シユラ様のお心が目覚められてこられたのでしょうか・・・」

「え?」

「シユラ様はお優しい。 ですが、ムラサキ様はお優しさも厳しさも持っておいでと聞いております」

ムロイからそう聞いた。
あの日、紫揺がホテルに連れてこられた日、急遽仕事先から呼び戻された。 今までにそんなことは無かったのに。
ムロイがこれからは紫揺に付くようにと言った。 その時にかいつまんで聞かされただけで、詳しいことは聞かされていない。

「え?」

「ムラサキ様のお心が目覚められたのではないでしょうか?」

「あ、ってことは、ニョゼさんに厳しいことを言ったんでしょうか。 って、言いましたよね完全に」

失礼にも程がると全身が脱力した。 ゴン! と音を立てて額がテーブルに落ちた。

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虚空の辰刻(とき)  第101回

2019年12月06日 22時31分04秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第100回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                      



- 虚空の辰刻(とき)-  第101回



何の話をしているのだろう、トウオウが横たわっている。 それだけが現実なのに。 紫揺の双眸が揺れる。

「・・・トウオウ」

何度も何度もトウオウの名を呼び、頬を額を撫でるアマフウが居る。 その向かいには爺が腰を抜かしたように座り込み、トウオウの手を握っている。

セノギが座り込んで宙を見ている紫揺の横に屈んだ。

「シユラ様?」

返事がない。 ホテルでは破壊をした後、気を失ってしまっていたが、今は心ここに有らずといった具合だ。 だが身体の意識はあるようだ。

「シユラ様、お気を確かにお持ちください」

だが、目を開けたまま紫揺は微塵とも動かない。

やっと担架がやってきた。 ソロリとトウオウを乗せると担架が持ち上げられた。 爺は腰が立たないようで、トウオウの若い側付きだけが担架に付き添う。

「シユラ様、私の声が聞こえますか?」

セノギがそう言った時、パン! という音が聞こえたと思うと、セノギの目の前から紫揺が居なくなった。

「え・・・?」

今まで見ていた紫揺の顔のかわりにアマフウの震える手が見えた。

「アナタ! いい加減になさいよ!!」

アマフウの足元に紫揺が倒れ、ゆっくりと自分の頬に手をあてた。
アマフウが紫揺の頬を平手で叩いていた。

「トウオウがどんな気持ちでアナタに向かったと思ってるの! いつまでもグジグジグジグジ! アナタにはトウオウの気持ちを考えるってことが出来ないの!」

「アマフウ様・・・担架が行ってしまいます。 船までお見送りを」

今はアマフウの怒りを紫揺にぶつけても何にもならない。 だがアマフウの平手のお蔭で紫揺の目に息が入った。

「せいぜいトウオウにしたことを後悔することね!」

言い残すとすぐに担架を追った。

セノギがアマフウを見送ると一拍おいて紫揺に声を掛けた。

「シユラ様、お怪我はございませんか?」

「・・・セノギさん」

「どこか痛いところはございませんか?」

紫揺がゆっくりと首を振る。

紫揺の腕には一本の線が入り、そこから少しだが血が流れている。 だが紫揺はそれに気付いていないようだ。

「わ、私・・・私がこれを、した・・・」

セノギの両の眉尻が下がる。 ポケットからハンカチを出すと紫揺の腕を拭いた。

「シユラ様、今はそんなことはお考えになられませんよう」

「ホテルの時のアレも私がしたんですか?」 

紫揺の問いに口角を上げてムロイが答える。

「シユラ様、食堂で美味しいお茶が待っております。 さ、お立ちになって下さい」

言う当のセノギは座っている間も支えてもらい、立つときにも人手を借りなくてはならなかった。
紫揺がユラリと立ち上がった。

「誰か、シユラ様をお支えして食堂までご案内してください」

遠巻きに見ていた者に言うと、足を踏み出したのはキノラ付きの者であった。
さすがに今回は階段ではなく、エレベーターで一階まで下りた。 そしてそのまま食堂に向かう。 食堂に入ると名前を呼ばれた。

「シユラ様」

聞き覚えのある声。 懐かしい声。 自分を紫揺と呼んでくれる声。 その声に垂れていた頭を上げた。
一瞬にして涙が溢れた。

「ニョゼさん・・・」

あの優しいニョゼの笑顔が涙で歪んで映った。

「シユラ様、ご無沙汰をいたしました」

紫揺の腕に傷がある。 すぐにでも薬を塗りたいが、今は精神の方が先だろう。
ニョゼの声さえ涙のさざ波に揺れる。

「ニョゼさん!」

身体を支えられているのも忘れてニョゼの胸に飛び込んだ。

一瞬ニョゼが驚いた顔をした。 感情を表わさなかった紫揺が飛び込んでくるなんて。 一人でどれだけ心細かったのかが容易に知れる。 だがそれと相反して頑張って一人で乗り越えてきたんだ。 きっと、強くなったのだろう。 ニョゼが相好を崩す。

「シユラ様をお一人にさせてしまって申し訳ありませんでした」

ニョゼの声が腕が優しく紫揺を包み込む。
キノラ付きがその場を辞した。

「トウオウさんが! トウオウさんが!」

ニョゼが「はい」 と言って頷く。

「トウオウ様はお強いです。 ご心配には及びません。 お茶をお淹れいたしましょう。 さ、おかけくださいませ」

紫揺の肩に手を添えるとそっと紫揺を我が身から外し、椅子に座らせた。


コトリと湯呑を置く。

「少しは落ち着かれましたか?」

ニョゼは現場を見ていないが、あの音を聞き、紫揺の様子を見ただけで何があったのか察しがつく。 ホテルと同じことがあったのだろうと。
紫揺がトウオウの名を叫んでいたが、トウオウに何があったのかは知らない。 だが紫揺を立て直すのにトウオウは強いと言った。 それが紫揺に一番いいと思ったから。 それに憖(なまじ)トウオウを知らないわけではない。

ニョゼにトウオウのことを言われ少しは落ち着いた紫揺。 ニョゼの淹れた茶の湯呑み一杯を飲み干すと、コクリと首肯した。

「ニョゼさんの淹れてくれたお茶、久しぶりに飲みました」

飲み干してもまだ両手で湯呑を包んでいる。
ニョゼがそっと紫揺の手元を見る。 手は震えていない。

「いかがでしょうか?」

「美味しいです。 他の人も淹れてくれるけど、ニョゼさんが淹れてくれると味が全然違います」

「まぁ、有難うございます。 おかわりはいかがですか?」

返事の代わりに笑みと共に湯呑を差しだした。
首肯するとシユラから出された湯呑を手に取る。

「ニョゼさん、あの・・・」

茶を淹れているニョゼが振り返り紫揺を見る。

「はい、このままでもよろしければ何でもお話しくださいませ」

優しいニョゼ。 自分を包んでくれるニョゼ。 心に足があるのなら、浮いていた足が地につき、その地から暖かいものが、安心できるものが、足の裏から全身に流れてくるような気がする。

「ニョゼさんが居なくなったことも訊きたいんですけど、でもそれより先にホテルに居た時に、部屋が滅茶苦茶になって修理が入った時のことを訊きたいんです。 あれは・・・部屋を滅茶苦茶にしたのは私なんですか・・・?」

ニョゼもセノギも部屋を滅茶苦茶にしたことは話していない。 無論、ムロイも。 だがこのことを紫揺が知っているのは、控えの部屋から脱走した時、その時に一緒に居たVIP ROOM  の修理に来ていた男から聞いたのだろうと察しがつく。

ニョゼが微笑みとともに湯呑を紫揺の前に置き、紫揺の隣に立つと膝をついた。

「シユラ様、わたくしはシユラ様をシユラ様とお呼びしております。 ですがシユラ様はムラサキ様の血を継がれておられると聞いております。 シユラ様はムラサキ様の血を受け継いでおられて、その力をお持ちです」

ムラサキ・・・紫である祖母の血。 セイハから聞いていた。

「それが・・・破壊、なんですか?」

母親である早季から聞くことが出来なかった話。

「いいえ」

ニョゼが首を振った。

「でも! ホテルで部屋を無茶苦茶にしたんでしょ!? それに今も・・・」

過去のことを冷静に問おうとしたが、やはり今に繋がってしまう。 勿論だろう、トウオウの横たわる姿を見たのだから。

「シユラ様、シユラ様は、お力の使い方が分かっておられないだけなのではないのでしょうか?」

「使い方?」

トウオウを倒れさせた力の使い方?

「はい。 シユラ様の持っておられるお力は素晴らしいものです」

「でも! 物を破壊するなんて、それにどんなことがあるの? 人を困らせるだけ。 物を壊すだけ。 それだけしか無い」

破壊と言いながら、それだけしかないと言いながら、紫揺のすがる様な目。 それは助けて欲しい。 そう言っている。 それは今までになかった。 いつも殻に閉じこもるようにしていた。 たとえニョゼに心開いてきたといえど、そこまではなかった。 紫揺が正直に人に頼ろうとしている。
そして破壊の意味を教えて欲しいとも言っている。 だが残念ながらそれは紫揺の自覚の中に無い。

「いいえ」

ニョゼが首を振った。

「目先をお変えください。 そうですね・・・分かりやすく申しますと・・・。 車に乗っていてトンネルをくぐり終えようとした時に、その先に大きな岩があってトンネルから出られないとします。 そんな時に大きな岩を破壊すればトンネルから出られます」

とーっても紫揺に分かりやすく平たく言った。

「バックすればいいんじゃないんですか?」

「元に戻っては先に進めません。 それに、入ってきた入り口も岩で塞がれてしまっていたとしたらどうでしょうか?」

ニコリと優しい笑みを向ける。

「先にも進めないし元にも戻れない?」

「はい、そうです。 岩がピッタリとトンネルに付いていれば空気も薄くなってきます」

「・・・でも、それは・・・」

どう訊いていいのだろう、口ごもる。

「はい、人生に早々有るものではございませんし、言い訳じみたご説明なのは分かっております。 ですが紫揺様はご自分のお力を誤解されておられます」

「誤解?」

「はい。 シユラ様のお力は民の為のお力です」

北の領土に行ったと聞いた。 では領土のことは分かっているだろうと踏んで話した。

「民?」

セキも“民” と言っていた。

「はい。 お力というのは民の為のお力です。 民のことを思われれば、必要なお力は自然に出られることが出来ましょう。 ですが、今のシユラ様は民のことをご存じありません。 不本意なるお力が出ても致し方ございません」

「でも! だからと言って何でも壊していいわけが有りません!」

「はい。 お力の出し方を心得て頂ければと思います。 でなければシユラ様も大怪我をなさいます」

ニョゼが心配顔で包帯を換えてくれたことを思い出す。

「あの時の怪我は・・・私自身が作ったものなんです、ね?」

「作りたくて作られたわけではございません。 あの時・・・シユラ様は塞いでおられました。 ご両親様の事だけを考えておられました。
これは、わたくしの憶測ですが、シユラ様はご両親様のことをお想いになられて、なられ過ぎて、ご自分が見えなくおなりになったのではないでしょうか」

「私が? 私が見えない? 私が私のことを見えなくなってしまった、っていうこと?」

「わたくしには何の力も御座いませんので、あくまでもわたくしの憶測にしか過ぎないのですが、シユラ様はご自分が見えなくなられた時、お力を出されるのではないでしょうか? それともその他の折にもお力がみえましたでしょうか?」

「・・・ハナ」

「ハナ? でございますか? それは?」

ニョゼが首を傾げる。

「オハナ」

「・・・オハナ、でございますか?」

お花なのか、お鼻なのか。 何か鼻で匂いを感じたのか、それは花の香だったのか、若しくは、鼻の調子が悪いのか・・・。 紫揺の言いたいことが分からない。

「うん。 ・・・お花が咲いたの」

トウオウが言っていた。

「お花が咲いたのですか?」

咲いたと言われれば “鼻” でなく “花” であろう。

「でも、どうして咲いたのか分からないの」

「シユラ様? 難しくお考えになるのはおよしになりせんか?」

「え?」

「単純にお考えになりませんか? 一つにシユラ様はご自分が見えなくなられると、お力に強い現象がみられるようです。 お花を咲かせられた時には何かございましたか?」

「・・・何にもなかった」

「感情の起伏などございませんでしたか?」

「・・・うん。 多分・・・」

怒ったり悲しんだり、何も無かった筈。

「そうですか」

紫揺が不安な顔をニョゼに向ける。

『シユラ様はご自分が見えなくなられるとお力に強い現象がみられるようです』 そう言っていたのだから。 だが、花の話をしてみれば、自分が見えなくなったという訳ではない。

紫揺の不安を消すように、ニョゼがフワリと微笑んだ。

「強い現象ではなくお花を咲かせられたのは、きっと・・・紫揺様がお幸せを感じられた時。 そう考えられませんか? わたくしはそう感じました」

「でも、だって、さっき私が自分を見失ったら力を発揮するって言いましたよね?」

相反するものではないか。 だがこの質問の仕方はそれを拒否してほしいという事。 でなければ収拾がつかなくなるのだろう。

「はい、確かに。 ですがご自分を失ってお花が咲きますでしょうか? お花には命がございます。 気持ちがございます。 お花が咲くという事は、紫揺様のお心に呼応したとしか考えられません。 シユラ様がご自分を見失った時にお力を発せられるのは、まだお力の発せられ方をご存知ないという事。 それと同じにお幸せを感じられるとお力を発せられる。 そうではないでしょうか。
お花が咲いた時、どう感じられておられましたか? お幸せを、嬉しさを感じられてはおられませんでしたか?」

初めてガザンに舐められた時、ガザンが自分を受け入れてくれたと思った。 それが嬉しかった。 そう思うと小学校の時の飼育係の時を思い出した。

まだ怯えたり威嚇をする犬たちに接していた。 その犬がやっと慣れてくれた時、紫揺を見かけて尻尾を振ったり、すり寄ってきたり、何よりも顔を舐めてくれた時には心底嬉しかった。 ずっと怯えていた仔が、威嚇を繰り返していた仔が、心を開いてくれた。 それを思い出した。
だから、ガザンの名を呼びガザンの身体に手を回し、その大きく渋い顔に目を瞑ると自分の頬をくっ付けた。

その時に枯れた芝生が青々とした。

そして北の領土からの帰り、一人家の中でニョゼとの会話を思い出していた。

『お姉さんみたいに優しかった・・・』 と。

ニョゼの顔を声を思い出す。 知らず笑みがこぼれる。 心が温かくなる。 その暖かさに浸かっていると、どこからか音が耳に入った。 少々太い枝に更に細い枝をつけていた単なる木だった枝に、葉と花の蕾をつけた。 蕾が次々とまるで満開の桜のように咲いた。

それに、セキが思いもしないことを言ってくれた。

『シユラ様は私を守って下さった。 そしてお友達にもなって下さった。 私の心にはいつもシユラ様がいらっしゃいます。 ガザンの心の中にも。 だから、二度と会えないなんて言わないでください。 いつも心の中にいらっしゃるんですから』
そう言ってくれた。 鼻の奥がツンとしたと思ったら、目に涙がドバっと溜まった。

そしたら、辺り一面に花が咲き誇った。

「嬉しい時に・・・嬉しく思った時にお花が咲いた・・・」

紫揺の目がどこかに飛びそうになっている。
だがニョゼは慌てない。

「そうですか。 シユラ様にお幸せがあったと聞いてニョゼは嬉しく思います」

いつもは 『わたくし』 なのに敢えて 『ニョゼ』 と自分の名を言った。 紫揺の意識を引き留めるために自分の代名詞の 『わたくし』 ではなく敢えて固有名詞を言った。

「・・・」

「シユラ様はお幸せです。 シユラ様の周りに良い想い、良い方々が居られるのでしょう」

「チガウ・・・」

紫揺が返事を返してくれた。 固有名詞を聞いてどこかに飛ぶようなことは無かったのだと、胸を撫で下ろした。

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虚空の辰刻(とき)  第100回

2019年12月02日 22時38分13秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第90回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第100回



一人になった。 いつの間にしゃがんでいたのだろう。
目の前にも頭の上にも誰もいない。

「何やってんだ! 早く火を消せっ・・・」

足元から声が聞こえる。 目をやると背中に傷だらけのトウオウが倒れている。
吹き飛ばされたシャンデリアが、トウオウの背中を襲っていた。

「トウオウさん・・・」

「火を消せって・・・」

「火を消す・・・?」

辺りを見ると、燃えていたテーブルに爆風に煽られた物や、破壊されて落ちてきた物が加わって更に炎を増している。 今にも天井につきそうなくらい炎が高く上がっている。

「か、火事!」

「なに悠長なこと言ってんだよ、早く消せ・・・」

「え・・・だって」

「この期に及んでそれか・・・。 ならいいよ。 シユラ様はこの屋敷から出ていけ」

「どういうことですか・・・?」

「ホンットに・・・シユラ様って徹底的にボケてるね。 シユラ様に逃げろって言ってんだよ」

息が不安定なトウオウだが、紫揺はそれに気付いていない。

「トウオウさんを置いて私に逃げろって言うんですか? 出来るはずありません!」

今にも炎に飲み込まれそうな部屋。 いや、このままでは部屋だけでは収まらないだろう。 この屋敷が炭と化すのは目に見えている。

トウオウの腕を取って肩に乗せるとそのまま引き上げようとするが、華奢ではあるが、紫揺より数段背の高いトウオウを抱えきれるわけがない。 ヘナヘナトと膝をついてしまう。

「やめろって。 オレはいいから。 シユラ様逃げろ」

紫揺の肩に乗せられていた腕をしっかりとつかんでいた手を払いのけると、ドンと紫揺を押した。 押された紫揺はトウオウの横に尻もちをついた。

「私一人逃げられるわけないじゃないですか!」

更にアチコチで小さな破壊がおきる。

「シユラ様、怒るな! シユラ様が怒ると破壊がおきる! 炎の餌になるだけだ!」

「・・・え?」

「分かんないのか!? シユラ様がこの部屋を破壊したんだよ!」

辺りを見回すとアレもコレも、何もかもが壊れている。 破壊されている。 照明も置き物も窓の取っ手も、窓は一枚を残して他の窓が姿を無くしている。

「これ以上炎が上がると屋敷は燃える! 早く逃げろ!」

「イヤです! 逃げるなんてことしない!!」

パキパキとアチラコチラで小さく物が破壊されていく音がする。

「無言は逃げてんだよ。 シユラ様はそれを選んだんだよ。 とっくにシユラ様は逃げてたんだよ。 何を今更言ってんだ」

「そんなことない!」

バン! と大きな破壊音がした。 残っていた窓が割れた。 これで部屋のガラス窓が全て割れた。

「やめろ! やめろって! 怒るんじゃない! これ以上破壊するな! 風に煽られて炎が更に大きくなるだろ!」

「炎・・・?」

窓を割ったことによって煽られた炎が天井に舞い上がった。

「ダメ!!」

言った途端、炎が消えた。

「え?」

消防の消火など比べ物にならない程あっけなく。
上から降ってきた大量の水が部屋の中を浸している。

「派手にやってくれたわね」

声のする方に目を向けると、壁にもたれて腕を組んだアマフウが立っていた。

「チッ、アマフウか。 どうして手を出したんだよ。 あと一歩だったのに」

「どこが。 よく言ってくれるわ」

「アマフウさんが消してくれたんですか?」

「此処が火事になってしまっては困る人がどれだけ居ると思ってるの。 ・・・アナタ」

「はい・・・」

疑問符がついていない。 どれだけ怒っているのだろう。 勿論それが当たり前なのは分かっている。

「アナタの足の下に、何人の人を踏みつければ気が済むわけ?」

「そ! そんな!」

「そんなことはないって言いたいの?」

「だって、誰も踏みつけたりしてません!」

「じゃあ、トウオウはどうしてそこで横たわってるの?」

アマフウを見る紫揺の足元に横たわっているトウオウ。

「それは・・・」

「まぁ、トウオウがけしかけたんでしょうけど、それはアナタの為。 そのトウオウがアナタを守って怪我をした。 他にもアナタの周りにそんな人が居るはずよ。 そうね、私が知っているのはあと一人。 洗濯女の子供」

「セキちゃん? セキちゃんを踏んでなんていません!」

「アナタに関わったことでアナタの踏み台になってる。 そんなことも分からないの?」

セキを通じてガザンに協力を頼んでいる。 それは利用かも知れない。 だが、踏みつけたりなんてしていない。 それにそのことをアマフウは知らない。 いったい何を言っているのか分からない。

「アナタが居なければ、洗濯女の子供も今まで通りでいられたのよ。 でもアナタがそれを変えた」

「そんなこと!」

バン! 大きな音が鳴った。 紫揺とアマフウが音の元に目を向ける。 すると窓枠が木っ端みじんになったのを目にした。

「アマフウやめろ。 これ以上破壊を促すな」

横たわっていたトウオウが虫の息で言った。

「コノコにその自覚があるのかしら?」

いつものアマフウならすぐにトウオウの異変に気付いたろうが、今は紫揺に気を取られてトウオウの顔をチラッと見ただけだった。

「・・・」

「どうだ? シユラ様。 シユラ様がしたことって分かるか?」

「分かりません」

「ア、アナタ! いい加減になさいよ!」

「だって! 私って限ったことじゃない! アマフウさんかもしれない! アマフウさんだって木を切ったりしたじゃありませんか!」

「木を切った?」

トウオウがアマフウを見る。 そのアマフウは紫揺を見据えている。

「馬車に乗ってて、休憩をしたときに、その、私が・・・」

「ああ、あの時ね。 当たり前じゃない。 アナタが遅すぎるから脅しに木を切っただけよ」

「・・・脅しで木を切ったのかよ」

「だから、此処のこともアマフウさんが部屋の中のいろんなものを切ったかもしれない・・・」

紫揺の言いようにアマフウが嫌味を込めて 「ハッ」 と声をたてて息を吐くと顔をそむけ、トウオウは口の端を緩く上げた。

「はは、無言じゃなく、言いたいことを言ってくれるね。 それなら聞くよ。 トンチンカンチンでもね」

紫揺はアマフウが切るということが出来ると知っている。 それも紫揺の目で見たようだ。 だが破壊も出来るということを知らないと踏んだ。 いや、知る知らないで言うのなら、知っているはず。 紫揺と向かい合って話していた時に散々アマフウの破壊と言っていたのだから。 だが目で見た情報を鮮明に覚えているのだろう。 この状況だ、トウオウの話したことは、目で見たものに塗り替えられたのだろう。

ではそれに乗ろう。 アマフウは切る、破壊ではない。 だが紫揺は破壊をすることが出来るという事に。

「トンチンカンチン?」

「シユラ様はアマフウが木を切ったと同じ様に、何かを切ったって言うけど、部屋の何かを切っただけでこんな風になると思うか? これは切ったじゃなくて破壊だよ。 オレ、何度も言ったよな? シユラ様に怒るなって」

記憶の中にあるトウオウのセリフだ。

「シユラ様が怒ると破壊になるんだよ。 ここを破壊したのはシユラ様だよ。 ほんの数分前の事だ思い出せよ」

ほんの数分前、トウオウの言うことに反発した。 その途端、何かが割れるような音がした。

『無言は逃げてるんだよ。 シユラ様はそれを選んだんだよ。 とっくにシユラ様は逃げてたんだよ。 何を今更言ってんだ』

そう言われた時ショックだった。 逃げるなんてことをしたこともないのに、そんなことを言われて心外だった・・・だから

腹が立った。

そしたら、バン! と大きな破壊音がして部屋のガラス窓が割れていた。
その後にトウオウが叫んでいたのを覚えている。

『やめろ! やめろって! 怒るんじゃない! これ以上破壊するな! 風に煽られて炎が更に大きくなるだろ!』

そう言えばトウオウはその前に

『シユラ様、怒るな。 シユラ様が怒ると破壊がおきる。 炎の餌になるだけだ。
分かんないのか? シユラ様がこの部屋を破壊したんだよ』

そう言っていた。

「私が・・・破壊した・・・?」

「ああ、そうだよ」

「・・・でも・・・何もしてない」

「だよな。 シユラ様は何もしてない」

「じゃあ・・・」

「肉体的に、具体的に何もしていない。 でも心で起こしたんだよ」

紫揺が無言になるが、それは逃げの無言ではない。 どれだけ脳みそを動かしても意味が分からない無言だ。

「オレたちは体と心を繋げなければ何も出来ない。 でもシユラ様は心ひとつ、想い一つで出来るんだ。 花を咲かすことにオレ達みたいに手を動かす必要はないだろう? 心で何かを想っただけで花を咲かせられるんだ」

「・・・ココロ?」

「ああ。 花を咲かすことにどう想ったのかはオレは知らない。 でも破壊はシユラ様が怒ったからだ。 シユラ様の感情がそのまま現象に現れるんだよ」

『やめろ! やめろって! 怒るんじゃない! これ以上破壊するな!』

トウオウがそう言っていた。 それがそうなの、か?。

「私が怒った時・・・」

「そうだ。 いや、それ以外の感情もあるかもしれない」

あの時 『やめて! お願い!!』 そう言っていた。 それは哀願の声だった。 その他にもあるかもしれない。 それから考えると・・・

「もしかしたら悲しんだ時にも破壊が出るかもしれない。 でもそれはシユラ様にしか分からない。 オレ達には分からな―――」

横たわりながらもなんとか立てていた肘が崩れ、うつ伏せに倒れ伏した。

「トウオウ!」

この場をトウオウに任せていたアマフウが背で壁を撥ねてトウオウに駆け寄った。 さっきまで横を向いていたトウオウ。 だが今、うつ伏せに倒れ伏したトウオウの背中に血が滴っている。

トウオウの意識は消えていた。

「トウオウ! トウオウ!」



「ダン」

紫揺の部屋を訪ねたトウオウが出て行く姿を見送るまではと、紫揺の部屋の前に居たダン。 だが戸の向こうから、言い合う声が聞こえだし不気味な音や破壊するような音が耳をつんざいた。 紫揺の部屋に入ることは出来ない。 すぐにショウワに報告に上がった。

そのショウワが紫揺の部屋の前に居た。

「此処に」

声だけが何処からか聞こえてくる。
だがダンが返事をしたと同時に、大きな音に異変を感じた何人もの五色付きと、陰で紫揺付きをしていた者達が階段を上がってきた。

「ショウワ様・・・」

「来たか。 ああ、良い。 あとはあの者達に任せる」

「御意」

そしてショウワも自室に戻った。



「これは!」

紫揺の部屋が滅茶苦茶になっているのを目にした領土の者達、領主と五色の身の回りを見る者達が驚きを隠せなく、すぐに紫揺とアマフウに駆け寄った。

「ムラサキ様!」

「アマフウ様!」

「コノコなんてどうでもいいわよ! トウオウを運んで!」

「トウオウ様?」

一人がアマフウの手の中に居るトウオウを見た。

「トウオウ様!」

アマフウの手に駆け寄る。

「早く!」


「・・・トウオウさん」

紫揺が改めてトウオウを見る。
トウオウの背中の服は破れている。 そしてそこから血が滴っている。

(どうして? さっきまで話してたのに・・・?)

「トウオウ様!」

「トウオウ! トウオウ!」

アマフウの声も領土の者の声も遠くに聞こえる。 だってトウオウが倒れるなんてことないはずだから。 さっきまでいつも通りに話してたんだから。 なのに目の前のトウオウは力なく床に臥している。

・・・自分のせい?

トウオウが言っていたことを考える。 
それが真実なら自分が破壊した。 その破壊がトウオウに傷を負わせた。

自分がいけない。 自分がこの屋敷を燃やそうとした。 トウオウに怪我を負わせた。
全部、全て自分のせい。
そうだ、トウオウが言っていた。

『もしかしたら悲しんだ時にも破壊が出るかもしれない。 でもそれはシユラ様にしか分からない』

悲しみ・・・。

そうだ。 悲しんだ。 悲しんだ。 父と母のことを思うとこれ以上なく悲しんだ。
そう、あのホテルの一室で悲しみに暮れた。 悲しみに・・・心が破裂した・・・。 

そのあとホテルで別室に移動した。 身体中記憶のない傷を負っていた。 そうだ、脚立を持っていたオジサンが工具を腰につけていた。 そのオジサンが言っていた。

『ああ、VIP ROOMがことごとく無茶苦茶になっていてね。 なんだろね、あの部屋で台風でも起きたんじゃないかと思う程だよ』

そう言っていた。

あれは・・・あの部屋を滅茶苦茶にしたのは自分、だ。 あのホテルの部屋もこの部屋も壊したのは、破壊したのは自分だ。

破壊・・・どうしてそんなことが出来るのか、どうしてそんなことをするのか、どうして有るものを壊すのか。
どうして自分がそんなことをしたのか。 どうして自分はそんなことをするのか。

「イヤァァァ―――!!!」

立っていた者達が飛ばされ壁に全身を打ちつけた。
突風の力。

「お止めなさい!」

異変を聞いたセッカが駆けつけた。

「ムラサキ様! ご自分の力を制御してくださらないかしら! 何もかも無くなってしまいますわ! 人も死んでしまいます!」

両手に握った拳を頭の左右に置き、頭を垂れて全身を縮こまらせていた紫揺に言う。

「・・・人が、死ぬ?」

自分が誰かを殺してしまう? 部屋を壊すだけでなく?

うううと、壁に飛ばされた者たちが喘ぎ声をあげる。

「これ以上、ムラサキ様が感情をあらわにされると誰かが死にますわ!」

「一番にトウオウかしらね」

セッカの後を追ってやって来たセイハが嬉しそうに言うと続けた。

「続いてアマフウね。 こっちとしてはシユラにお礼を言いたいくらいだけど?」

「セイハ! お黙りなさい!」

「あら? セッカお姉さま、いつもと違う? ふーん、そっか。 ムロイが居ない分、婚約者として頑張ってるんだ」

「その口を焼いてやろうかしら!?」

「その前にこっちが破壊してやるけど?」

「破壊? セイハにそんな力があるとは思えないわね。 セイハにはせいぜい緩い風を起こすことしか出来ない筈よね?」

「ふーん。 試してみる?」

「お・・・お止め下さい・・・」

部屋の外からの声。 だがその声には張りがない。
戸口に居たセッカとセイハが廊下を見た。

「セノギ・・・」

二人が声を合わせた。
身体を支えられながらセノギが現れた。

「まだ筋肉痛? 長いねぇー」

横目でセノギを見たセイハが部屋から出て行った。
セイハと入れ違いに部屋に入ったセノギ。 あまりの部屋の中の様子に驚きを隠せない。 と、トウオウの姿が目に入った。 トウオウの顔を撫でながらアマフウがトウオウの名を呼んでいる。
そこに遅ればせながらトウオウ付きの二人がやって来た。 爺が顔色を変えてトウオウの元に走り寄った。

「船の用意を。 すぐに病院へお連れしてくれ。 セッカ様、お付き添いをお願いできますか?」

「仕方ないわね」

「私が行く」

トウオウの顔を撫でていた手を止めアマフウが言う。

「アマフウ様はこちらに居られますように」

「どうして!」

振り返りセノギを睨み据える。

「あちらでの手続きをご存じありません。 ここはセッカ様に・・・」

「ええ、ほんの数日前にセノギの手続きをしたんだもの。 任せて下さればいいわ。 それに別にトウオウを焼いて喰おうなんて思っていないわ。 セイハと一緒にしないで頂けるかしら」

アマフウがセッカから目を外した。

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