『虚空の辰刻(とき)』 目次
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- 虚空の辰刻(とき)- 第108回
「トウオウ様が帰って来られました」
屋敷内を見ていたダンがショウワに報告する。
「身体の具合はどうだ?」
「縫合をされたようですが、どれ程の痛みかをお顔には出されておられません。 トウオウ様はさほど気にされた様子は御座いませんが、トウオウ様付を見ておりますと何とも言えません」
「歩けるのか?」
「トウオウ様付きの話からは通常なら車椅子と思われますが、介添えで歩いておられます」
「フッ、相変わらず強情なのかアヤツが過保護なのか」
トウオウが『オレ』 と言っただけで『わたくしでございましょう』 と何度言っても聞かないトウオウに顔を顰めていた。
それでもトウオウがちょっとした擦り傷を作っただけで、この世の終わりのような顔をして、薬箱を持って走っていた。 冬に乾燥して唇が割れないようにと、逃げようとするトウオウを押さえてこまめにリップを塗り、指先の皮膚が割れないようにとハンドクリームを塗っていた。
食べることに対してもそうだった。 『トウオウ様、もう少しお召し上がりください』 トウオウは食が細かった。
トウオウに付いてまわっていた、顔を顰める若き日の古参の顔が思い浮かぶ。
「セノギは?」
「かなり良くなったようですが、まだ一人で自由に歩くことはままならないようです」
「ハンの様子は?」
「やっと身体を起こすことが出来ましたが、まだハッキリとはしないようです」
「ヒトウカの冷えは想像以上であるという事か・・・。 セノギは帰りにはハンに負われていたのだからハンよりもましだろう。 ハンに無理をするなと伝えておいてくれ。 ゼンからの連絡は?」
「未だ御座いません」
「・・・セッカが領土に向かったのだな?」
「はい」
そこにドロリと影が人型をとり、頭を垂れ片膝をついた姿を現す。
「ケミか」
首肯する。
「遅くなり申し訳ございません。 領主が目覚められましたが、また深い眠りに入られたようです」
「身体の具合は?」
「薬師が見ておりますが、マツリ様も診られました」
「マツリ様が!?」
「マツリ様は薬師の見立て通りと仰られておいでで、骨折などをしておいでですが、命に別状はないとのことです。 そして『待つ』 と仰られておられたようです」
「待つ?」
「薬師がマツリ様のご伝言を領主に伝えておりました」
セノギが何を言ったのかは分からないが、その言葉をヒオオカミが聞き、マツリが得心したのだろうか。
「他には?」
「領主が深い眠りに入りましたので変化は御座いません」
「そうか・・・。 苦労だった。 ハンを見舞ってやれ。 ダンも今日はもうよい。 当分、ムラサキ様のこともな」
ムロイから紫揺を守るために居たのだ。 そのムロイが北の領土で倒れていればその必要もないだろう。 此処に居る間は今まで通り、薄く広く様子を見ているだけでいいという事なのだろう。 二つの影が首肯するとその場から消えた。
再び人型をとったケミとダン、その二人がうす暗い中、高さの違う肩を並べて歩く。
「ダン、ショウワ様のお顔の色が悪い。 何かあったのか?」
「え?」
え? っと言ったダンの言葉に厳しい目を送る。
「気付いていないのか?」
顔を上げ己を見下ろしているダンの目を見る。
「お顔の色と言われれば分からんがいつもとお変わりない」
先程の下聞(かぶん)もいつもと変わりなかった。
「これだから男は」
年下のケミにそんなことを言われる筋合いはない。
「ショウワ様がどうされたというんだ?」
「それはお前が知らねばならんことだろう! 吾に振るな! あれ程にお顔の色を悪くされているのにも気付かぬとは、呆れてものが言えん」
と言いながらも、これは女が持つ気のまわしかと思う。 ならばダンを責めることは出来ない。
「吾が残る。 お前はゼンと領主を見よ」
ゼンとは話が中度半端に終わっていた。 先を話すのが憚られた。 いや、恐かった。 だからではないが、領土に戻るのをダンに任せるいい口実になった。
なによりショウワの顔色の悪さが気になった。
「オイ、勝手に―――」
「お前、ショウワ様のお顔の色も分からなかったのに何を言うのか?」
「だが・・・」
「ハンの見舞いに行くぞ。 お前も来るのだろう?」
足を止めたダンを振り向くことなく足早に歩き出した。
数日前のこと。
阿秀から連絡を受けた野夜。 悠蓮(ゆうれん)の運転で停泊している船に帰ってきた。 そして、招集をかけた野夜の元にようやっと醍十を除く全員が集まった。
その醍十は此之葉を連れて阿秀の元に向かうと合流して、領主を迎える場所、小松空港に行く手はずだ。
「独唱様が紫さまのおられる場所を特定された」
阿秀から聞いた野夜が言う。
おお・・・。 と、男たちのどよめきが船の上に走った。
「阿秀が場所を指示してくれた。 石川県に含まれる日本海に浮かぶ小さな島だ。 時間が時間だ。 領主は今日中に此処には来られないだろう」
今日は満月から欠けた月が出ている。
「独唱様から言われた場所であるのだから、間違いなくそこに紫さまが居られる。 だから二手に分かれる」
「どういうことだ?」 誰ともなく質問が上がる。
「以前と同じだ。 領主をお迎えする者と先に調べる者」
以前、紫揺を攫われてしまったが、あの時にも二手に分かれていた。
「小さい島なんだろ?」
一人が言うと続いてもう一人が言う。
「独唱様が言っておられるのだから調べる必要などないだろう? 小さい島なら尚更だ。 下手に探って見つかってしまっては元も子も無い」
一気に行こうということらしい。
「たとえ小さな島と言えど領主が来られるのに、初めてのところで右も左も分かりませんでは話にならんだろう」 野夜が言う。
「小さい島なんだろう? 前のところと違うんだろう? 小さい島なら、島に上がればそれで済むんじゃないのか?」
前の所、それは大手企業による、バカンスを楽しむだけの島だった。
「そこが問題だ。 地図に載っていないような小さな島だ。 阿秀が場所を特定してくれているが、特に小さな島となれば船のつける場所も考えねばならん。 それにある程度島の様子を見て情報として持つのがいいと思う。 阿秀もそう言っていた」
「地図に載っていない小さい島?」
書類に詳しい梁湶(りょうせん)が言う。
「大きな地図には載っていないという事だ」
梁湶が小首を傾げる。
「それに独唱様のお声だ」
「・・・」
「納得いかないようだな、では梁湶は先に島を探るか?」
「ああ」
「他に? 先に島を探りたい者は?」
誰もが我先にと身を乗り出した。
早朝
独唱と塔弥、二人の話に応えたい東の領主だが、昨夜から怪しい雲行きだった空から、払暁(ふつぎょう)になると雨が降りだし、今では暴風と暴雨にまみれている。
飛行機が飛ぶかどうかは分からないが、飛ばないにしても今度こそ失敗は許されない。
自ら運転した車で屋敷から出た領主が、飛行場に着き目の前にしたのは、またしても台風の為に飛行機が飛ばないという文字だった。
屋敷のある島は台風の影響を受けやすい、沖縄離島になる鹿児島県の一つの島であった。
「出られんのか!」
切歯扼腕(せっしやくわん)する領主。
領主の後を追って来た塔弥が携帯を手に取り領主に渡す。
「阿秀か」
『はい』
「飛行機が飛ばんようだ」
『・・・やはりですか。 台風のニュースは見ております』
「このままここで待つ。 いつになるかは分からんが、飛び次第すぐに連絡を入れる」
『ここで待つとは。 無茶を仰らないでください』
単なる待合で、いつ飛ぶとも分からない飛行機を待つというのか。
「いや、今度こそは失敗できん。 とにかく、その時になれば連絡を入れる。 小松空港だな?」
『そうですが―――』
「那覇空港に着いたら連絡を入れる」
阿秀の言葉を最後まで聞かず言い切ると通話を切った。
領主! 止めようとした阿秀の声は領主には届かなかった。
阿秀がすぐに折り返し塔弥に連絡を入れ、領主のことを伝える。
『分かりました』
塔弥の返事はそうだったが、たとえ塔弥といえど、今の領主を説き伏せることなど出来ないだろう。 だが領主一人にしておくよりは随分と安心できる。
塔弥にしてみれば雨風の強い中、屋敷を出て行った領主のことが気になっていた。
独唱の事は葉月に任せてすぐに領主の後を追った。
この地においては屋敷から出ることがなかっただけに、すぐに地図を広げ空港の場所を頭に入れる。 さほど大きくはない島だ、迷うことはない。 車を乗るなどということは頭には無く、その俊足で屋敷を後にしていた。
「領主も焦っておいでなのだろうが、お歳を考えていただかなくては・・・」
息を吐くと血の気のない顔で椅子の背もたれにもたれた。
「疲れた、か」
誰の耳もないと分かっていてポツリと吐く。
ここ最近の阿秀は皆を束ねばならないこともあるし、紫揺のことは一番に気にかかっている。 身体を動かし汗をかくことで、少々なりとも発散することができたかもしれないが、年齢的に筆頭になってしまっている以上、指揮することが己の役目である。 身体ではなく、頭を使わなければいけない。
とは言え、今も誰よりも身体能力が優れているのは確かだ。 それだけに、待ち、情報を得、指揮するという事はストレスが溜まる。
紫揺が攫われた時、二階の窓から跳び下りたが、他の者であったならばそれは出来なかったであろう。 実際あの場に立ち会っていた若冲(じゃくちゅう)がそうであった。 若冲の名誉のために言うが、若冲でなくとも阿秀のようなことは出来なかったであろう。 ・・・あろうではない。 出来ない。
「私も塔弥のように若くはないか・・・」
最近の身体の疲れが著しい。 それは身体の疲れではなく心労からなのだということは自覚している。
セキとガザンと朝の散歩から帰ってきた紫揺。
一息つくとムロイの仕事部屋から出てトウオウの部屋を訪ねた。
ノックをするとドアが開きトウオウ付きの若い男が出てきた。
「シユラ様・・・」
喉の奥からの声。 思いもかけない人物の訪問にそれ以外言葉を出すことが出来なかった、
「あの、トウオウさんとお話をしたくて」
「シユラ様?」
部屋の奥から声が聞こえた。
「はい、お話がしたくて」
若いトウオウ付きの身体の横を覗くように返事をするが、トウオウの姿が見えるわけではなかった。
若いトウオウ付きが紫揺につられて背後に首をまわす。
何か小声が聞こえたと思ったら、若いトウオウ付きが身をひるがえすと古参が現れた。
「どうぞ」
深い声で紫揺を誘(いざな)う。
部屋に入ると奥の右手のベッドに、トウオウがうつ伏せた姿が見えた。
「や、シユラ様」
首を横にして紫揺を見ていた。
「トウオウさん!」
すぐにトウオウの元に駆け寄る。
「まだ・・・痛いんですか?」
膝を折ってトウオウの視線に近くした。
「いや、さほどでもないけど、じっとしてろって爺がうるさくてね」
紫揺の後ろに立つ古参が僅かに眉を動かした。
「傷が残るんですよね?」
「残んないよ。 それに残ったとしてもいいだろ?」
「そんなことっ! 背中に傷が残るなんて!」
「ん? シユラ様には関係のないことだろ?」
「だって、その傷をつけたのは私だから・・・」
「へ? オレはシユラ様にナイフで切られた覚えはないけど?」
「・・・こんなときに茶化さないでください」
「茶化してないよ。 本当の事だろ? それともオレの知らない所でナイフでも持ってた?」
「それは・・・そんなことは無いですけど」
「だろ? まぁ、シユラ様がナイフを持ってたとしても、それにやられるようじゃ、人間やめますか? って訊かれてるようなもんだけどな」
「どういう意味ですか・・・」
胡乱な目をトウオウに送る。
「まっ、そこは適当に」
紫揺にとって嫌な笑みを送ってくる。
いつまでもトウオウの話に乗っていては話が進まない。 居ずまいを正すように表情を変えると改めて異なる双眸を見た。
「あの・・・私、自分に出来ることがあれば何でもします」
「へぇ・・・。 んじゃ、今すぐこの傷を消してくれる?」
「・・・え」
「傷が治らなきゃ、爺がうるさいんだ」
紫揺の後ろに立つ古参をチラリと見た。
トウオウの言いように、とうとうピクリと古参が口元を動かした。
「それは・・・」
「出来ないだろ? 出来ないことを言うんじゃないよ。 って、ああそうだった。 シユラ様に出来ることがあれば、って話だったな。 んじゃ出来ることを言う」
何を言われるのだろう。 トウオウの目の奥に悪戯な光を感じるのは気のせいだろうか。
「爺を黙らせてくれ」
「へっ?」
「それくらい出来るだろう?」
「あの・・・。 でも・・・」
後ろに立つ古参の気を十分に感じながら振り向く勇気がない。
「出来るだろ?」
完全に遊ばれてる。 頭を垂れる。
「でもも何も無いよ。 分かった? オレから言われるじゃなくて、シユラ様はシユラ様に出来ることをすればいいんだ。 出来ないことはしなくていい。 ほら、頭を上げな」
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- 虚空の辰刻(とき)- 第108回
「トウオウ様が帰って来られました」
屋敷内を見ていたダンがショウワに報告する。
「身体の具合はどうだ?」
「縫合をされたようですが、どれ程の痛みかをお顔には出されておられません。 トウオウ様はさほど気にされた様子は御座いませんが、トウオウ様付を見ておりますと何とも言えません」
「歩けるのか?」
「トウオウ様付きの話からは通常なら車椅子と思われますが、介添えで歩いておられます」
「フッ、相変わらず強情なのかアヤツが過保護なのか」
トウオウが『オレ』 と言っただけで『わたくしでございましょう』 と何度言っても聞かないトウオウに顔を顰めていた。
それでもトウオウがちょっとした擦り傷を作っただけで、この世の終わりのような顔をして、薬箱を持って走っていた。 冬に乾燥して唇が割れないようにと、逃げようとするトウオウを押さえてこまめにリップを塗り、指先の皮膚が割れないようにとハンドクリームを塗っていた。
食べることに対してもそうだった。 『トウオウ様、もう少しお召し上がりください』 トウオウは食が細かった。
トウオウに付いてまわっていた、顔を顰める若き日の古参の顔が思い浮かぶ。
「セノギは?」
「かなり良くなったようですが、まだ一人で自由に歩くことはままならないようです」
「ハンの様子は?」
「やっと身体を起こすことが出来ましたが、まだハッキリとはしないようです」
「ヒトウカの冷えは想像以上であるという事か・・・。 セノギは帰りにはハンに負われていたのだからハンよりもましだろう。 ハンに無理をするなと伝えておいてくれ。 ゼンからの連絡は?」
「未だ御座いません」
「・・・セッカが領土に向かったのだな?」
「はい」
そこにドロリと影が人型をとり、頭を垂れ片膝をついた姿を現す。
「ケミか」
首肯する。
「遅くなり申し訳ございません。 領主が目覚められましたが、また深い眠りに入られたようです」
「身体の具合は?」
「薬師が見ておりますが、マツリ様も診られました」
「マツリ様が!?」
「マツリ様は薬師の見立て通りと仰られておいでで、骨折などをしておいでですが、命に別状はないとのことです。 そして『待つ』 と仰られておられたようです」
「待つ?」
「薬師がマツリ様のご伝言を領主に伝えておりました」
セノギが何を言ったのかは分からないが、その言葉をヒオオカミが聞き、マツリが得心したのだろうか。
「他には?」
「領主が深い眠りに入りましたので変化は御座いません」
「そうか・・・。 苦労だった。 ハンを見舞ってやれ。 ダンも今日はもうよい。 当分、ムラサキ様のこともな」
ムロイから紫揺を守るために居たのだ。 そのムロイが北の領土で倒れていればその必要もないだろう。 此処に居る間は今まで通り、薄く広く様子を見ているだけでいいという事なのだろう。 二つの影が首肯するとその場から消えた。
再び人型をとったケミとダン、その二人がうす暗い中、高さの違う肩を並べて歩く。
「ダン、ショウワ様のお顔の色が悪い。 何かあったのか?」
「え?」
え? っと言ったダンの言葉に厳しい目を送る。
「気付いていないのか?」
顔を上げ己を見下ろしているダンの目を見る。
「お顔の色と言われれば分からんがいつもとお変わりない」
先程の下聞(かぶん)もいつもと変わりなかった。
「これだから男は」
年下のケミにそんなことを言われる筋合いはない。
「ショウワ様がどうされたというんだ?」
「それはお前が知らねばならんことだろう! 吾に振るな! あれ程にお顔の色を悪くされているのにも気付かぬとは、呆れてものが言えん」
と言いながらも、これは女が持つ気のまわしかと思う。 ならばダンを責めることは出来ない。
「吾が残る。 お前はゼンと領主を見よ」
ゼンとは話が中度半端に終わっていた。 先を話すのが憚られた。 いや、恐かった。 だからではないが、領土に戻るのをダンに任せるいい口実になった。
なによりショウワの顔色の悪さが気になった。
「オイ、勝手に―――」
「お前、ショウワ様のお顔の色も分からなかったのに何を言うのか?」
「だが・・・」
「ハンの見舞いに行くぞ。 お前も来るのだろう?」
足を止めたダンを振り向くことなく足早に歩き出した。
数日前のこと。
阿秀から連絡を受けた野夜。 悠蓮(ゆうれん)の運転で停泊している船に帰ってきた。 そして、招集をかけた野夜の元にようやっと醍十を除く全員が集まった。
その醍十は此之葉を連れて阿秀の元に向かうと合流して、領主を迎える場所、小松空港に行く手はずだ。
「独唱様が紫さまのおられる場所を特定された」
阿秀から聞いた野夜が言う。
おお・・・。 と、男たちのどよめきが船の上に走った。
「阿秀が場所を指示してくれた。 石川県に含まれる日本海に浮かぶ小さな島だ。 時間が時間だ。 領主は今日中に此処には来られないだろう」
今日は満月から欠けた月が出ている。
「独唱様から言われた場所であるのだから、間違いなくそこに紫さまが居られる。 だから二手に分かれる」
「どういうことだ?」 誰ともなく質問が上がる。
「以前と同じだ。 領主をお迎えする者と先に調べる者」
以前、紫揺を攫われてしまったが、あの時にも二手に分かれていた。
「小さい島なんだろ?」
一人が言うと続いてもう一人が言う。
「独唱様が言っておられるのだから調べる必要などないだろう? 小さい島なら尚更だ。 下手に探って見つかってしまっては元も子も無い」
一気に行こうということらしい。
「たとえ小さな島と言えど領主が来られるのに、初めてのところで右も左も分かりませんでは話にならんだろう」 野夜が言う。
「小さい島なんだろう? 前のところと違うんだろう? 小さい島なら、島に上がればそれで済むんじゃないのか?」
前の所、それは大手企業による、バカンスを楽しむだけの島だった。
「そこが問題だ。 地図に載っていないような小さな島だ。 阿秀が場所を特定してくれているが、特に小さな島となれば船のつける場所も考えねばならん。 それにある程度島の様子を見て情報として持つのがいいと思う。 阿秀もそう言っていた」
「地図に載っていない小さい島?」
書類に詳しい梁湶(りょうせん)が言う。
「大きな地図には載っていないという事だ」
梁湶が小首を傾げる。
「それに独唱様のお声だ」
「・・・」
「納得いかないようだな、では梁湶は先に島を探るか?」
「ああ」
「他に? 先に島を探りたい者は?」
誰もが我先にと身を乗り出した。
早朝
独唱と塔弥、二人の話に応えたい東の領主だが、昨夜から怪しい雲行きだった空から、払暁(ふつぎょう)になると雨が降りだし、今では暴風と暴雨にまみれている。
飛行機が飛ぶかどうかは分からないが、飛ばないにしても今度こそ失敗は許されない。
自ら運転した車で屋敷から出た領主が、飛行場に着き目の前にしたのは、またしても台風の為に飛行機が飛ばないという文字だった。
屋敷のある島は台風の影響を受けやすい、沖縄離島になる鹿児島県の一つの島であった。
「出られんのか!」
切歯扼腕(せっしやくわん)する領主。
領主の後を追って来た塔弥が携帯を手に取り領主に渡す。
「阿秀か」
『はい』
「飛行機が飛ばんようだ」
『・・・やはりですか。 台風のニュースは見ております』
「このままここで待つ。 いつになるかは分からんが、飛び次第すぐに連絡を入れる」
『ここで待つとは。 無茶を仰らないでください』
単なる待合で、いつ飛ぶとも分からない飛行機を待つというのか。
「いや、今度こそは失敗できん。 とにかく、その時になれば連絡を入れる。 小松空港だな?」
『そうですが―――』
「那覇空港に着いたら連絡を入れる」
阿秀の言葉を最後まで聞かず言い切ると通話を切った。
領主! 止めようとした阿秀の声は領主には届かなかった。
阿秀がすぐに折り返し塔弥に連絡を入れ、領主のことを伝える。
『分かりました』
塔弥の返事はそうだったが、たとえ塔弥といえど、今の領主を説き伏せることなど出来ないだろう。 だが領主一人にしておくよりは随分と安心できる。
塔弥にしてみれば雨風の強い中、屋敷を出て行った領主のことが気になっていた。
独唱の事は葉月に任せてすぐに領主の後を追った。
この地においては屋敷から出ることがなかっただけに、すぐに地図を広げ空港の場所を頭に入れる。 さほど大きくはない島だ、迷うことはない。 車を乗るなどということは頭には無く、その俊足で屋敷を後にしていた。
「領主も焦っておいでなのだろうが、お歳を考えていただかなくては・・・」
息を吐くと血の気のない顔で椅子の背もたれにもたれた。
「疲れた、か」
誰の耳もないと分かっていてポツリと吐く。
ここ最近の阿秀は皆を束ねばならないこともあるし、紫揺のことは一番に気にかかっている。 身体を動かし汗をかくことで、少々なりとも発散することができたかもしれないが、年齢的に筆頭になってしまっている以上、指揮することが己の役目である。 身体ではなく、頭を使わなければいけない。
とは言え、今も誰よりも身体能力が優れているのは確かだ。 それだけに、待ち、情報を得、指揮するという事はストレスが溜まる。
紫揺が攫われた時、二階の窓から跳び下りたが、他の者であったならばそれは出来なかったであろう。 実際あの場に立ち会っていた若冲(じゃくちゅう)がそうであった。 若冲の名誉のために言うが、若冲でなくとも阿秀のようなことは出来なかったであろう。 ・・・あろうではない。 出来ない。
「私も塔弥のように若くはないか・・・」
最近の身体の疲れが著しい。 それは身体の疲れではなく心労からなのだということは自覚している。
セキとガザンと朝の散歩から帰ってきた紫揺。
一息つくとムロイの仕事部屋から出てトウオウの部屋を訪ねた。
ノックをするとドアが開きトウオウ付きの若い男が出てきた。
「シユラ様・・・」
喉の奥からの声。 思いもかけない人物の訪問にそれ以外言葉を出すことが出来なかった、
「あの、トウオウさんとお話をしたくて」
「シユラ様?」
部屋の奥から声が聞こえた。
「はい、お話がしたくて」
若いトウオウ付きの身体の横を覗くように返事をするが、トウオウの姿が見えるわけではなかった。
若いトウオウ付きが紫揺につられて背後に首をまわす。
何か小声が聞こえたと思ったら、若いトウオウ付きが身をひるがえすと古参が現れた。
「どうぞ」
深い声で紫揺を誘(いざな)う。
部屋に入ると奥の右手のベッドに、トウオウがうつ伏せた姿が見えた。
「や、シユラ様」
首を横にして紫揺を見ていた。
「トウオウさん!」
すぐにトウオウの元に駆け寄る。
「まだ・・・痛いんですか?」
膝を折ってトウオウの視線に近くした。
「いや、さほどでもないけど、じっとしてろって爺がうるさくてね」
紫揺の後ろに立つ古参が僅かに眉を動かした。
「傷が残るんですよね?」
「残んないよ。 それに残ったとしてもいいだろ?」
「そんなことっ! 背中に傷が残るなんて!」
「ん? シユラ様には関係のないことだろ?」
「だって、その傷をつけたのは私だから・・・」
「へ? オレはシユラ様にナイフで切られた覚えはないけど?」
「・・・こんなときに茶化さないでください」
「茶化してないよ。 本当の事だろ? それともオレの知らない所でナイフでも持ってた?」
「それは・・・そんなことは無いですけど」
「だろ? まぁ、シユラ様がナイフを持ってたとしても、それにやられるようじゃ、人間やめますか? って訊かれてるようなもんだけどな」
「どういう意味ですか・・・」
胡乱な目をトウオウに送る。
「まっ、そこは適当に」
紫揺にとって嫌な笑みを送ってくる。
いつまでもトウオウの話に乗っていては話が進まない。 居ずまいを正すように表情を変えると改めて異なる双眸を見た。
「あの・・・私、自分に出来ることがあれば何でもします」
「へぇ・・・。 んじゃ、今すぐこの傷を消してくれる?」
「・・・え」
「傷が治らなきゃ、爺がうるさいんだ」
紫揺の後ろに立つ古参をチラリと見た。
トウオウの言いように、とうとうピクリと古参が口元を動かした。
「それは・・・」
「出来ないだろ? 出来ないことを言うんじゃないよ。 って、ああそうだった。 シユラ様に出来ることがあれば、って話だったな。 んじゃ出来ることを言う」
何を言われるのだろう。 トウオウの目の奥に悪戯な光を感じるのは気のせいだろうか。
「爺を黙らせてくれ」
「へっ?」
「それくらい出来るだろう?」
「あの・・・。 でも・・・」
後ろに立つ古参の気を十分に感じながら振り向く勇気がない。
「出来るだろ?」
完全に遊ばれてる。 頭を垂れる。
「でもも何も無いよ。 分かった? オレから言われるじゃなくて、シユラ様はシユラ様に出来ることをすればいいんだ。 出来ないことはしなくていい。 ほら、頭を上げな」