大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第58回

2022年04月29日 22時20分39秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第58回



再度、静寂が辺りを支配したが、その静寂には個々それぞれ違う意味を持っている。
それを一番に破ったのはマツリ。

「添うと言えば一つしか無かろう」

紫揺と杠が目を合わせた。
紫揺にしては意味が分からない。 そして杠は・・・。

「マツリ様、なにか誤解をされておられるようですが」

「誤解?」

「はい、決して反駁(はんばく)の意は御座いませんが誤解かと。 ですからはっきりと申し上げます。 己は紫揺のことを妹のように思っております。 いや、弟でしょうか」

くすぐったい笑みを紫揺に送る。 送られた紫揺が嬉しそうに微笑む。

「妹?・・・弟?」

意味が分からないといったようにマツリが復唱する。

シキは先ほど紅香から、紫揺は杠のことを兄のように思い、杠も紫揺のことを妹のように思っていると聞いた。
まさかだった。 マツリでは到底太刀打ちできない雰囲気を二人でかもし出していたのだから。
だがシキは今はっきりと耳にした。

「己は両親を亡くしました」

どうして今そんな話を、とマツリの眉が僅かに顰められる。 それに、それは知っている。

「己には兄も姉も弟も妹もおりません」

それも知っている。

「養い親には・・・」

育てては貰った。 だが心あるものでは無かった。
ずっとマツリは陰から杠を追っていた。 杠が辛い目に合っていることも知っていた。

「言うでない」

杠が一旦頭を下げ、続けてマツリに言う。

「己に兄弟はおりませんでした。 己に守れる弟妹がいれば、守ってやりたい者がいれば、そんな相手がいればと、いつもそう思っていました」

「杠・・・」

「己にそんな者などおりません。 己にはマツリ様しか居られません。 己に兄弟はおりません・・・マツリ様しか居られません。 ずっとそう思っておりました。 ですが紫揺が現れました」

意味が分からない。
だからどうなのだ?

「紫揺の思うまま、紫揺のまま、その紫揺を守りたい。 己はそう生きたいと思っております。 もちろん紫揺が東の領土の五色様だとは知っております。 ずっと付いて守ることなど出来ない事は知っております。 遠くから見守ることしか出来ないと分かっております」

「・・・ならば、紫の気持ちも分かっていような」

「はい。 そのつもりで御座います」

杠の答えにマツリの心が痛んだ。 だが痛むのは己の勝手。 それにどうして痛まなければいけないのか。

「では・・・紫を杠の奥に迎えるか?」

喉が潰れるかもしれない、どうしてだかは分からないが、それ程に言いたくない言葉だった。 だが紫揺がそれを望んでいるのなら。

「誤解と申し上げております」

「・・・」

「己は紫揺のことを妹・・・妹か弟のように思っております。 そして紫揺も己のことを兄のようにと思っております」

「・・・え?」

マツリがの表情筋が止まった。

「それとも俺は一つ下だ。 紫揺の弟か?」

イタズラな目をして杠が紫揺に問う。

「腹立つけど杠しっかりしてるからお兄ちゃん。 それに優しいし」

杠が優しい笑みで頷く。

「マツリ様、紫揺にも兄弟がおりません。 紫揺は兄姉が欲しいと思っています。 己がそれに当てはまったということで御座います」

「・・・は?」

あの決心は何だったんだ。

「だ、だが!」

はぁー、とシキのため息が漏れる。

「だがも、へったくれもありません」

マツリの言いたかったことはこれだったのか。
先ほどの紅香の話しでも、紫揺が杠のことを兄と思っていると断言したと聞いた。 だから今この会話を余裕で聞けたのだが、杠と紫揺がはっきりと言ったにも拘らずマツリはまだ何を言いたいのか。

「シキ様! そのようなお言葉はお慎み下さいませ!」

襖内に座る昌耶から声が飛んできた。
昌耶にチラッといたずらな目を送る。 だがそれも美しい。
美しいところを除くとこれも完全に紫揺に感化された結果だろう。

「父上も紫を杠の奥にと仰っておられたではありませんか!」

やはり立ち聞きをしていたのか。

「ええ、たしかに仰っておられたわ。 二人が合っているとも、気が合っているとも、口に出さずとも分かりあっているとも。 杠は良い男で飲み込みも良く、父上の前に出ても気おくれすら感じられなく堂々としたものだと。 杠の度量があれば紫をゆるりと愛おせようと」

言ってやった。 全部言ってやった。 それもクレッシェンドで。 スッキリした。
まだ何かを言おうとするマツリに苛立ちを感じた。 四方の言ったことを言わずにはいられなかった。

シキの口から四方がそんなことを考えていたのかと知らされたこの場にいる者たち。 それぞれがそれぞれに思うところがある。

紫揺は杠をそんな風に褒めていたのかと。 あの四方だがそれはそれで嬉しい。 自分の兄と慕う人を褒められて嬉しそうに杠を見上げる。

当の杠はお尻がむず痒くなる思いだ。 だが二人が合っている、気が合っている。 そう言われ嬉しさが隠し切れない。 己を見上げる紫揺に微笑み返す。

“最高か” と “庭の世話か” は、もともと杠のことを悪くは思っていない。 ただマツリと紫揺が一緒になってくれればと思っていただけに、杠と紫揺の空気感、優しく豊かに漂うものを見過ごすことが出来なかっただけだ。
だがそれも紫揺と杠から互いの気持ちを聞いて無いものとなった。 無いものどころか、杠と居ると紫揺が穏やかな顔になるのを見て嬉しく思えるし、それに今更だが、杠はとても良い男だ。 四方が褒めた通りの男だ。 シキが話している最中も何度も頷いていた。

そして昌耶はシキの苛立ちを感じ眉根を寄せている。

「はい、そうです。 紫が本領の者なら杠の奥に推したいとそう仰っておられました」

「だから? だからマツリが父上に代わって紫に訊いたというの?」

「我は杠に幸せになってもらいたい、そう考えているだけです。 父上から見ても似合いの二人と聞けば当然で御座いましょう」

「それは・・・。 難しく御座います」

「うん。 杠の奥なんかより妹の方がいい」

「どうしてだ」

心底不思議な目をしている。
紫揺と杠が目を合わせた。 そしてマツリを見る。

「だって、ずっとお姉ちゃんとお兄ちゃんが欲しかったんだもん。 お姉ちゃんにはシキ様やニョゼさんがなってくれたけどニョゼさんにはもう会えない。 今はシキ様しかいないし、杠はやっと現れてくれたお兄ちゃんなんだもん。 杠の奥になんてなったらぜんぜん楽しくない」

「言えてるな。 俺も紫揺を奥にしたら今みたいに楽しく感じないだろうな」

「分らん。 楽しいとか楽しくないとか。 男たるもの奥が一番大切ではないのか?」

いつからか二人を一緒にさせようと思う中で感じていた痛みを忘れている。 それどころか、そんな気など無いという二人を説得する側になっている。

「どうご説明いたしましょうか・・・。 紫揺のことは大切に想っています。 ですが紫揺が怪我をしたとて慌てふためきません。 どうしてそんな怪我をしたのか反省を促します。 奥にそんなことは出来ません。 奥には出来ればゆるりと座っていてほしいですから」

ずっと座っていられないだろ? と、横を向いて紫揺に訊くと勿論大きく首を縦に振る。

「地下で見た紫揺の様子は本当にやんちゃな坊でした。 そんな時を一緒に過ごすのを楽しく感じましたし、宮に居れば紫揺も大人しくしておりますが、それも楽しいですので」

やんちゃな坊はマツリも知っている。

「どこが大人しいのか、紫は突っかかってくるばかりではないか」

「突っかかってくるのはそっちでしょ」

「紫揺、口の利き方を」

紫揺が口を歪めてプイとマツリから目を逸らせる。

まるで猿回しのサルだ。 この短期間でよく調教されたものだ。

「杠の言うことなら良くきくのだな」

「マツリには関係ない」

「ご納得いただけましたでしょうか?」

「たしかに紫はじっとしてはいられないだろう。 我も地下でのコイツの様子を見ている。 だが歳も歳だ。 そろそろ落ち着くだろう」

「マツリ、コイツなどと。 それにもういいでしょう。 紫も杠も互いをどう想っているのか言ったのですから」

ついでにこの場で、マツリが紫揺のことを想っているということを宣言したいくらいだ。

「納得しかねます」

「マツリ様、どうしてでしょうか? 何故それほどに仰られます?」

「先ほども言った。 杠には幸せになってもらいたい。 紫がまともな奥になどなれようはずは無いとは思うが・・・似合っておる」

似合っている、ただそれだけをいうのにどうして息が止まった。 それにまた刺さる痛みがする。

マツリの様子を見ていた杠が口の端を上げ、そういうことか、と心の中で呟いた。
紫揺に助け出された後の地下に居る時から四方の前でのこと。 全てに納得がいった。

「どうだ? 俺が納得できるような理由があるか?」

「そうで御座いますね。 では、はっきりと申し上げましょう」

はっきり? 何のことかと紫揺が杠を見上げる。

「己は紫揺を壊したくありません」

どういうことだと全員が杠を見る。 もちろん昌也も。

「壊す? 杠の奥にすることで紫を壊すというのか?」

「紫揺は己のことを兄と慕ってくれています。 それを壊したくありませんし、己は妹を壊したくありません」

全員が意味が分からないという顔をしている。

「先ほど四方様のお房でご報告をさせて頂いておりました時、マツリ様はおられませんでしたのでご存じありませんが」

そう言ってシキを見る。

「城家主の屋敷で紙を拾ってきた時のお話です」

「ええ、もちろん覚えています」

「己は城家主か喜作あたりがあの紙を落としていったと考えると申しました」

「ええ。 聞いて・・・」

まで言うと思い出したように顔を赤くした。 両手で頬を覆う。

「その様なことをしたくないと。 そのようなことで紫揺を壊したくないと考えております」

「何のことだ? それに姉上?」

マツリがシキを見て言ったことに、紫揺が杠との間に挟んだ向こうに座るシキを見ると両手を頬に当て俯いている。

「シキ様? どうされました?」

だがシキは顔を赤くしたまま首を振るだけで、更にマツリが紫揺に問うてきた。

「杠、はっきりと言うと言ったではないか。 これではわけが分からん。 紫、お前も話を聞いておったのだろう、どういう意味だ」

その時のことを思い出そうとする。 だが、うやむやにされたことしか覚えていない。

「私にまだ知らなくていいって言ったこと?」

「そうだ」

「何を知らなくていいって言ったの? あの時、四方様にうやむやにされた」

「紫、いいのよ。 杠の言う通りだから」

まだ顔を赤くしている。
“最高か” と “庭の世話か” が小首をかしげる。

「あ、あれま・・・・」

そう言って顔をほんのり赤くしたのは昌耶である。 さすがは年の功。
丹和歌が世和歌をちょんちょんと突つき、昌耶を指さす。 世和歌が頷きそっと昌耶に近づく。

「昌耶さま、なにかお分かりになりまして?」

「え? あ、あら。 ・・・どうご説明いたしましょう。 その・・・」

ごにょごにょごにょ。

「え! ま、まぁ」

聞いた世和歌が頬を染める。

「姉さん?」

丹和歌が手招きをするが伝えるには恥ずかしい。 反対に世和歌が手招きをする。

「昌耶さま、丹和歌にも・・・」

「あ、あら、いやだわ、二度も・・・・」

と言いながら、ごにょごにょごにょ。

「まあ、そんなお話をされておられたのですか?」

けっこう平気にしている。 頬も染めていない。 すたすたすたと歩いて “最高か” に耳打ちする。

「まあ、それでは紫さまに聞かせられませんわ」

彩楓が言うと紅香も頷くが、こちらも昌耶や世和歌のような反応はない。

先ほど賑やかしく話していた時にチラリとそんな話が出た。 紫揺が男女の間のことを何も知らないということを杠だけではなく “最高か” と “庭の世話か” も気付いた。

「俺は紫揺が知りたいと言えば教える。 何でもな。 だがこれだけはマツリ様から教わるといい」

「え?」

と言ったのはシキ。
“最高か” と “庭の世話か” は顔を見合わせている。

「別にマツリから教えて欲しいことなんてないけど」

「今すぐにではない。 そのうちにということだ」

「杠、なんのことだ」

「己は教えたくありませんのでマツリ様宜しくお願い致します」

「さっきから全く見えん」

「では、何もかも包み隠さず申しましょう。 紫揺をだ―――」

まで言うと「キャー」っと、悲鳴が聞こえ、次いでドタバタと走ってくる足音。
足音をならした者より先にシキが紫揺の耳を塞ぎ、走って来た “最高か” と “庭の世話か” 八本の手がシキの手の上から、紫揺の顔を覆っている。

「杠殿、少々お待ちくださいませ」

丹和歌が言うと、そそくさと紫揺をつれて部屋を出て行った。 何故か “最高か” が耳と目を押さえ 世和歌が口を押え、丹和歌が見えない紫揺の両手を引いて後退りながらである。

モゴモゴと紫揺が何かを言っているようだが、とにかくこんな話を聞かせたくない。 自動ドアのように襖が開くと何故か昌耶も一緒に襖戸を出てすぐに閉じられた。

コホン、と咳払いをするシキ。

「紫にまだ知らないくていいと言った割には、はっきり言おうとするのですね」

下を向きながら相好を崩すとそのままで言う。

「あの女人方が紫揺のことをどうお考えになっておられるのかは知っているつもりで御座いましたので」

「では? ああいう風にすると分かっていて?」

このような話の内容ではシキの顔を見るべきではないと思い先程は下を向いたまま話したが、ニ三言葉を交わすのであれば顔を背けたままでは失礼にあたるとシキを見る。

「確実にとは言い切れませんが、おおよそ、そうされるだろうと。 ですから最後の一言はゆっくりと申し上げました。 地下で人を見てばかりしておりまして、人となりが他の者より早く分かるようになったつもりで御座います」

先程から四人と昌耶の様子を視界に入れていた。

「もしかして、わたくしのことも?」

紫揺の耳を押さえたことも?

「シキ様が紫揺を大切にされていらっしゃることは存じております」

シキが話しているのだ、割って入るわけにはいかない。 話が終わるのかを待っている。 そのマツリに杠が向き合った。

「マツリ様、どうしてマツリ様の想い人を己に押し付けようとされるのですか?」

「なっ!?」

今にも飛び上がらんばかりだ。

「己は紫揺の兄のつもりです。 紫揺がとんでもない者に心を惹かれればなんとしてでも止めます。 ですがマツリ様になら安心してお任せできます」

「なにを! 何をたわけたことを!」

「では、己が紫揺を抱いても良いと仰いますか?」

「そっ、それは!」

「紫揺と己が寄り添えばそういうことになります。 マツリ様は己にそうするように仰るのですか? 紫揺にも」

「杠、どうしてそのことを・・・」

「姉上、そっ! そのこととは、なんのことでしょうかっ!」

杠がそっとシキに言う。

「マツリ様と紫揺と己が揃って顔を合わせたのはほんの僅かな時です。 ですが先程のマツリ様のお話のされ方、表情で察しがつきます」

それに、とマツリを見て続ける。

「紫揺に意識はありませんが、紫揺もマツリ様のことを心の内で呼んでおります」

「どういうこと?」

「例えば、今回地下に行くことになりましたが、その時に四方様が武官を付けると仰ったのですが、武官には無理でしょうということになりました。 それを知り紫揺はすぐにマツリ様の御名を出しました。 ですが他出されていたので結局己となりましたが。 先程の報告の時もそうです。 シキ様はお聞きになりましたでしょう? 座してすぐに紫揺がマツリ様のことを四方様に訊ねたのを」

「あ、そう言われれば・・・」

「紫揺からはマツリ様のことをあまり良くは聞きませんが、ですがマツリ様。 地下から戻ってきた時、マツリ様が己のことを杠とお呼びになる。 それはマツリ様からお聞きする前に紫揺から聞いておりました」

「どういうことだ?」

「紫揺はマツリ様がどうお考えになるかよくわかっております」

「偶然だろう」

「マツリ様、その様なことを仰らず、まずマツリ様が声を静め、穏やかにお話をされてはいかがでしょうか。 そうすれば紫揺もその内、己の気持ちに気付くでしょう」

「別に気付いてもらわなくとも・・・。 いや、その様なことがあるはずはない」

紫揺が目覚めた時たしかに穏やかに話していた。 それを思い出すと紫揺は素直に受け答えをしていた。 いつからまた怒りだしたのだろうか。 大声を出し始めたのだろうか。 なぜ大声を・・・。
カルネラが紫揺の懐に入っているのが気に食わなかった。 カルネラが紫揺の懐に入りかけたから大声を出した。 紫揺にだけではなくカルネラにも大声を出していた。

マツリが一人黙考している前ではヒソヒソとシキと杠が話している。

「杠が言うようにマツリは紫のことを想っているわ。 でもそれに気付いていないの。 気付いていないのに妬心の塊なの」

眉尻を下げてシキが言う。

「まずはマツリ様が紫揺のことをお想いになられていると気付かれるのが一番かと」

ですが、とシキに疑問を呈する。

「紫揺自身は東に生きると言っておりました。 民であればなんということも御座いませんが紫揺は五色様です。 マツリ様は己にああ仰いましたが紫揺が東を出るなどということが出来るのでしょうか?」

「紫次第よ。 紫が東を出て本領に来ると決めれば本領から新たな五色を送ることになるの」

「では東の五色様としての心配はないのですね?」

「ええ」

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第57回

2022年04月25日 21時54分47秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第57回



四方がマツリを見て椅子に座るように言い、目で問いかける。

「まずは剛度に知らせました。 技座(ぎざ)と高弦(こうげん)が朝陽の番と聞きましたので先に技座と高弦からと思い、すぐに剛度に二人が岩山に行かないようにしてもらいましたが武官が来るのが遅れまして、不審に思った技座と高弦が逃げ出してしまい、その時に新しい者にも声を掛けその二人も逃げてしまいました。 散り散りに逃げてしまい、来ていた武官は四人だけでしたので取り押さえるのに時がかかってしまいました」

「馬で逃げたのか」

「はい」

逃げていく馬をマツリが上空から見て武官に方向の指示を与え押えさせたのだろう。

「逃げたということで十分だな」

「はい」

「では地下と見張番は終わった。 だが紫と杠から得た情報から次に当たらねばならないところが出来た」

「・・・そこは」

「光石の関係もだが、造幣所(ぞうへいどころ)だ」

傍らに置いてあった紙を広げ、零れ金を包んでいた手巾を開いて見せる。

「零れ金?」

「紫が地下に入っていた時に屋根裏から取ってきたそうだ。 当の紫はこれのことを知らずこれで牢を開けようとしていたそうだが」

「杠の入っていた牢、ということですか」

「ああ」

「まさかこれで開けたということではないのでしょう」

「これの他に屋根裏から針金や色々持って出たらしいが、その後に鍵を見つけ鍵で開けたらしい。 その後、一切合切を捨ててくるつもりだったが、うっかり宮まで持ち帰ったということだ」

「間抜けから金が出てきたと言うことですか・・・それでこちらは」

間抜けから、とは。 杠なら絶対に口にしないだろう。 ここに紫揺が居なくて良かったと、つくづく心の中で溜息を吐いた四方である。

「それは杠が持ち帰った」

「光石の受け渡し・・・。 採掘場と零れ金からの造幣所・・・どちらもに地下と通じている者がいるということですか」

「そのようだ。 それと今日紫が持ち帰ったのがこれだ」

もう一つの手巾を広げて見せる。

「帯門標? ・・・乃之螺」

「地下の屋敷の厨で見つけたらしい。 ある意味、一番たちが悪い。 家族が囚われているわけでもない、それなのに地下の屋敷に入り込んだのか、地下の者に見せびらかしでもして取り上げられたのかは分からんがな」

帯門標は持って出てはいけないことになっている。

「問罪しても濡れ衣と申しませんか?」

少しは落ち着いてきたのか疑問符が付いた。

「言うだろう。 だがそこの持って行きようが刑部の腕になるだろう」

「確かに」

「これで一通りだ。 遅い朝餉を食してから紫を送って行くか? それともすぐに送って行くか? 待たせておる」

「キョウゲンが陽の中を長く飛んでおりましたので少し休ませたいと」

「そうか。 では朝餉・・・というか、もう昼餉の時になるな。 では昼餉をとってから紫を送ってやってくれ。 紫には後に褒美を取らす。 もちろん杠にも」

杠はあくまでも民であり、官吏でもなければ百足のように特別な立場にある者でも無い。 有力な情報をもたらせばそれに褒賞を出すのは当たり前である。

「はい」

四方が従者にマツリの食の用意を急がすように言っている横でマツリがシキを見た。

「紫はどこに」

「あ、ええ・・・」

杠と一緒に居るとは言いにくい。
マツリが眉を寄せる。

「いかがいたしました」

「いいえ、なにも・・・」

「紫に話があります」

「えっ!?」

どうしてそんなに驚くのだろうか。

「姉上?」

「用意が整うまで時がいる。 シキ、連れて行ってあげなさい。 杠も一緒にいる、細かい地下の話もあるだろう」

「杠もですか?」

「ああ、マツリも杠への次の指示があるだろう。 一緒に待たせておる」

「そうですか。 では姉上お願い致します」

一瞬眉を顰めたシキだが仕方ない。
腰を上げ部屋を出た。

昌耶が先を歩く。 きっと今朝早くに出たあの部屋に居るに違いない。 紫揺と杠があの雰囲気をかもし出していてはどうしようか。 “最高か” と “庭の世話か” が何とか食い止めてくれているだろうか。
心と一緒にどんどん足が重たくなっていく。

「姉上!」

マツリの声ではない。 後ろを振り向くと己のことを “姉上” と呼ぶもう一人がいた。 昌耶も足を止める。

「あら、リツソどうしたの?」

「先ほどシユラと歩いていた者はいかなる者でしょうか」

要らないところに入ってきてくれる。

「今は勉学の時じゃないの? それにカルネラは?」

「カルネラならどこかに行ってしまいました。 我が聞いているのはアヤツのことです」

ここにも杠のことを恋敵にする者がいたのか、と、歎息を吐きたくなる。
マツリにすれば紫揺と一緒に歩いていたと言うなら四方の話しから杠だろうと思える。

「アヤツではない。 我の・・・友だ」

どういうことかとシキが小首をかしげる。

「供? 兄上の供はキョウゲンで御座いましょう」

「その供ではない。 大切な者という意味だ」

「大切な者? それはもしかして友達という者ですか?」

「そうだ」

リツソが紫揺に言われたこと、その引出しを開けた。

『一緒にいて楽しいし大切。 ある意味、財産。 自分がしてきたこと、やってきたことの宝物』
紫揺はリツソに友達の説明をこうしていた。

「大切で財産で宝物ということですか?」

何を言いたいのだろうかとマツリとシキが目を合わせる。

「そ、そうでありましたか。 アヤツは兄上に言われシユラを守っていたのですか。 ですがシユラは我が守ります故、ご心配なく。 で? シユラは今どこに?」

「リツソ、勉学の時にはしっかりと勉学をなさい。 師はどうしたの?」

「さぁ」

リツソがしらばっくれようとした時、向こうの回廊からリツソの師が走って来た。 もう年齢的に走れるものでは無いのに。

「ああ! マツリ様! リツソ様をお捕まえ下さいませ!」

リツソの勉学の師の前をカルネラが走っている。
紫揺に言われた。 リツソに勉強をさせるように。 だがリツソが度々逃げる。 そのリツソの後を追ったカルネラが、リツソの勉学の師にリツソの場所を教える為にやって来た。

回れ右をして走り出そうとした時、すっとリツソの後ろ衿にマツリの手が伸びた。 そのまま摘み上げられる。

「また逃げてきたのか」

「いいえ、そのような・・・」

「それに先程カルネラがどこかに行ったと言っておったな」

「カルネラが勝手に窓から出て行ったのです」

確かにカルネラは窓から出るとお腹一杯になって帰って来た。 そしてリツソに付いた。 そう紫揺から言われたのだから。
だが己に都合の悪いところはマツリには言わない。

ゼーハー言って、やっとマツリの隣にやって来たリツソの勉学の師。
浮いているリツソの足元に跳びつくとスルスルと頭に乗ったカルネラ。
ポコスカとリツソの頭を叩く。

「リツソ、ベンガク。 ニゲル、ダメ。 シユラ・・・リツソ、オベンキョウ。 オシエテホシイノッ!」

それだけでマツリにもシキにもリツソが嘘をついたか、都合のいいことだけを言ったのだと分かる。

「昼餉抜きで見てやってくれ」

そう言って師にリツソを渡した。
リツソにしてみれば軽いカルネラの言葉よりマツリの方の言葉の方が重い。

「兄上! 何ということを! 兄上!!」

リツソがどれだけ暴れようが、二度と逃がすまいと師がしっかりとリツソの手を握っている。

「昼餉抜きが嫌なら、今から三刻(一時間三十分)は大人しくしかりと勉学をしろ。 また抜け出るようなことがあれば昼餉抜きだ。 分かったな」

リツソにそう言うと師を見て「頼む」と言った。

「えー!!」

リツソが何と言おうと無視を決め込み向きを変えシキと歩き出す。 昌耶が先を歩く。

リツソの煩(うるさ)い声が聞こえなくなったところでシキが話し出した。

「リツソにも困ったものね。 もう十六の歳になるというのに・・・」

民は十五歳で成人とみなされる。 だが本領領主の家系では十五歳は二つ名の歳。 十五歳で父親から二つ名を頂き十六歳で成人とみなされる。
リツソは十六歳を目の前にして未だに四方から二つ名を頂いていない。

「父上から二つ名のお話は聞いておられますか?」

「いいえ、全く」

「まぁ、我から見てもリツソに何の才も見えませんが」

リツソの声に代わって賑やかしい声が聞こえてきた。 楽しそうな声は紫揺が居ると思われる部屋からだ。
その賑やかしい声の中に紫揺の声がある。

「・・・楽しそうな」

「あ、ええ。 そうね」

シキが顔を下げどうしたものかと考える。 きっと紫揺と杠が愉しく話をしているのだ。 それに乗せられ他の者も楽しそうにしているのだ。 あの紫揺と杠の会話はそんな力を持っている。
だが考えたところでどうにかなるはずはない。

ひっそりと部屋案内に先を歩いていた昌耶が襖戸を開けた。

「マツリ様」

紫揺に笑顔を向けていた杠が開いた襖戸を見てその先にマツリが居るのを見て立ち上がった。
笑顔を零していた “最高か” と “庭の世話か” が、すっと身を引き襖口に移動する。

その様子を見たシキ、あの賑やかしい楽しそうな声の中に “最高か” と “庭の世話か” の声もあったのかと納得する。 だから襖戸外に誰も居なかったのだと。
だがどうして・・・。

「如何で御座いましたか?」

紫揺はマツリがどこに行ったのかを知らないが杠はちゃんと情報を得ている。

「少々手こずったがなんとか終わった」

十人掛けの長四角の長卓。 杠の隣には紫揺が座っていた。 マツリが杠の前に座る。 シキは紫揺の隣りに腰を掛けた。

「お疲れで御座いました」

まだ立っている杠に座るようマツリが促す。 軽く頭を下げると椅子にかける。

「父上から聞いた。 杠もよくやってくれたようだな。 何かは分からんが褒美が出るそうだ」

「滅相も御座いません。 捕まってしまった己などに」

「貰えるものは何でも貰っておけ」

そう言うと紫揺に目を転じる。

「紫にも褒美が出るそうだがあとの事になる。 我が東に持っていく」

「別に要らないけど」

あの四方から。

マツリが何を言いに此処に来たのかが見えない。 シキが怪訝な目でマツリを見る。
そのシキに後ろから声が掛かった。

「シキ様」

振り向くと紅香(こうか)であった。

「なぁに?」

「少し宜しいでしょうか?」

紅香が目配せをする。 ピンときたシキが椅子から立ち上がると「シキ様?」 「姉上?」 紫揺とマツリの声が重なった。 襖内では昌耶がピクリと眉を動かしている。

「少し、ごめんなさい。 紅香とお話があるの。 マツリ、お話を続けて」

この場のことが気になるがそれは彩楓と “庭の世話か” に任せよう。 紅香のあとに続く。 紅香が襖戸を開けて外に出ようとしたのを昌耶が止める。

「シキ様をどちらにお連れするのですか?」

紅香が戸惑ったようにシキを見る。

「昌耶もついて来て」

シキから言われシブシブと当たり前と嬉しいがごっちゃまぜになって昌耶が座を立った。

シキは昌耶が紫揺のことをどう思っているのかは知っている。 紫揺が着る衣装を決める取り合いをした仲なのだから。

紅香がススと襖戸を抜けるとそれに続いたシキと昌耶。
襖戸から少し回廊を歩いて、これくらいでいいかと紅香が振り返った。

「シキ様、紫さまは・・・」

ひそひそひそ。
昌耶が耳をダンボにしている。

「え!?」

「断言されました。 それを微笑みながら聞かれた杠様・・・杠殿も・・・」

ひそひそひそ。

紅香が “杠様” から “杠殿” と言いかえた。 それは “最高か” と “庭の世話か” が杠から言われたからであった。

『どうぞ己に “様” など付けないで下さいませ』 と。

どうして紫揺を危機から救った杠を “様” という敬称なしで呼ぶことなど出来ようか。
だがそれは “最高か” と “庭の世話か” が、杠がどんな立場にあるのかを知らないということもあった。
そこで杠がどういう立場なのかをある程度聞いたのだが、それでも杠を敬称無しで呼ぶなどということは出来ない。
とはいえ、杠の立場であるのならば “様” 付けにするのは非常識となる。 そこで “杠殿” と呼ぶようにしたのであった。

「本当なの?!」

「それに杠殿は紫さまに応えられるように・・・」

ひそひそひそ。

「うそっ!」

思わず手を口に当てた。


「東に居て何の不自由もないから要らないって四方様に言っといて」

「本領としてそういうわけにはいかん」

「本領とか東とか・・・どうでもいいんだけど」

「紫揺、マツリ様はその様なことを言っておられない。 働きに応じて褒美が出るということだ。 それこそ本領も東もない」

「でも杠だって断るようなことを言ったじゃない」

いつから “杠さん” ではなく “杠” となったのか。
マツリの眉が己の意思に反して動いてしまったが、それは動かすものでは無いと自覚している。

「己は捕まってしまったんだ。 それを紫揺が外に出してくれた。 その後の働きになど汚点を元に戻す程度のことだ。 だが紫揺は違う」

マツリが頭を下げる。
杠が堂々と “紫揺” と言っている。 昨日まではそんなことは無かったのに。

(何を考えている。 決めたのだから。 迷うことは無い)

マツリが下げた頭を上げる。
紫揺が杠を見上げている。 杠が諭すような目をしている。

(そうだ。 当たり前だ)

「紫・・・」

「なに?」

杠からマツリに視線を転じる。

「東の五色として生きるのか」

「は?」

「ずっと東に居るのかと問うておる」

「当たり前だし」

「・・・この本領に来る気は無いか」

え? という目をしたのは彩楓と “庭の世話か” だ。 マツリの意とするところが分からない。 互いに戸惑ったように目を交わし合う。

「本領に? 意味分んない」

「単純なことだ。 本領に来る気は無いかと問うておる」

「無い」

どうしてか杠が微笑んで紫揺を見ている。

襖戸がそっと開きシキと昌耶、紅香が戻ってきた。
雰囲気がおかしい。
シキが杠の隣に立ちそっと会話に入る。

「何のお話をしているの?」

「マツリが変なことを言い出して・・・」

シキがマツリに問う目を送る。

「紫に本領に来る気は無いかと問うております」

「え?」

「無いって答えましたけど、どうしてそんなことを言うのか意味がわかりません」

シキを見て困り顔を送る。

「マツリ、いったいどういうことなの?」

マツリがシキから目を逸らすと横を向き、ゆっくりと目線を下げた。

シキはまだ立ちっぱなしだ。 杠がシキに元の椅子に座るよう促しかけると、シキがそれを目で断り杠から一つ空けた椅子に座った。
だがそこは出入り口に近い席である、シキが座るべき席ではない。 杠の開きかけた口をシキが手で制する。
もちろん昌也もシキが座った席に納得はしていないが、今のシキの様子を見て立ち上がりかけた腰を収めた。

先ほどの賑やかしいのが信じられない程、静寂に包まれる。
遠くで庭仕事をしている音がする。 庭の木々や花々が風に揺られ葉擦れの音がする。 その音さえ聞こえない程この部屋に居る者たちには何も聞こえない。 次のマツリの言葉を待っているだけだ。
マツリが視線を上げ紫揺に合わせた。

「・・・紫」

「なに」

「杠と・・・」

「へっ? 杠となに?」

揺らぎかけた決心。 だが揺らいではいけない。 問わなくてはいけない。 言わなくてはいけない。

「・・・杠と添わんか」

「杠の何にそうの?」

チーン。

日本で言うならこの音だろう。 仏具の一種。 おりんが鳴った。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第56回

2022年04月22日 22時15分03秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第50回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第56回



乃之螺の家族、親戚を紫揺は地下の牢屋で見ていない。 だがマツリから一人の文官が地下に行くのを見たと聞いた。 その相貌を聞いた四方が乃之螺ではないかと思い、一応今回その身を押さえてはいるが、まだマツリに確認をさせていなかった。

あの時はこれほど早く事が動くと思っていなかったからだ。 極力漏洩を防ぎ怪しまれず徐々に進めていく予定だった。

だがこれは大きい。

地下の者を問罪するのは当然であったが、いくら地下の者が証言しようとも「言いがかり、落とし込められている」 などと言われればどうしようもない。 何の証拠もなく乃之螺を問罪若しくは拷問になど出来ない。

紫揺たちが来る前に従者から聞いた話では、他の文官と厨の女は大人しく入れられた部屋で座っているということだったが、乃之螺だけは不平不満を四方の従者に向けているということだった。
地下の者の証言ではすっとぼけるのは目に見えている。

「預かっておく」

「はい」

手巾を畳んで横に置く。

「他には」

「なにも」

四方が紫揺から目を外し杠を見た。

「杠は」

「はい」 と言い、一度頷くように頭を下げた杠が懐から紙を出した。 それを広げて四方の前に置く。 先程まで手巾が置かれていた場所に。
紫揺から待っているようにと言われた部屋で見つけた紙である。

四方が紙を手にし目を這わせる。 読んでいくうちに表情が段々と変わっていく。

「これは・・・」

そこには光石の横流しのことが書かれていた。
誰がどこでどうやってなど、受け渡しの日時も書かれている。 その日付は二日後になっている。
紫揺からの報告で地下のことが上手くいけば、地下の者に吐かせたり光石の採掘場を探ろうとしかけていた。
全てかどうかは分からないが、少なくともここに数名の名が書かれている。 動かぬ証拠だ。

四方の様子を見て紙に書かれていることに理解したのを見計らって杠が言う。

「城家主の屋敷の一室で拾いました」

「拾った?」

こんなに大切な物が落ちていたというのか?

「はい。 よくは分かりませんが、畳の敷かれた部屋に布団が一組ありましたから、多分そこで寝て起きた後にでも落としたものかと。 落とした者が光石に関する者か、城家主に関する者なのかは承知しておりません」

足元でかさりと音をたててこの紙を見て驚いた。 すぐに他にないかと押入れの中と天袋の中を見たが他に見あたるものはなかった。

「この書きようでは・・・採掘場か加工場か、そのどちらかが書いたのだろう。 それを受け取った屋敷の者が気付かなかったということか」

落としたことに。

持ってきた者が落としていればすぐに気付いて探すだろう、若しくはその時に気付かずとも渡そうとして無ければその時にも探すはず。

「ああ・・・」

杠が返事をしようと思った時に、得心したような声を紫揺が漏らした。 この紙のことは事前に杠から聞いていなかったが、いま杠の口から光石と出た。 光石に関することは昨夜、紫揺も話していた。 紙には光石に関することが書かれているのだろう。

杠が四方を見ると四方が頷く。 杠から紫揺に訊けということだ。

「何か知っているのか?」

杠が紫揺を見て問う。

「あの部屋でしょ? 私が待っててって言った」

「ああ、そうだ」

「あの部屋に・・・房にだけ・・・だけかどうかわからないけど、畳が敷かれていた。 ほら、宇藤さん達って板間で寝てたでしょ? それにあの部屋にはお布団が一組。 あそこは特別な人とか、特別な何かがある時にしか使わないかと思ってた。 やっぱりそうなんだ。 お客さんが使ってたんだ」

城家主の漢字を教えてもらった時に宇藤の漢字も教えてもらっていた。

紫揺はお客さんというが、城家主が気を利かせて迎え入れる客など居るはずはない。
少しの間があった後に、四方がわざとらしくコホンと咳をした。 杠が四方を見て笑いをかみ殺す。 先ほどの紫揺の言葉に互いが同じことを考えている。 それが一番理屈が通る。

特別な何か、誰か。

「それで?」

「泊まりに来た人があそこで寝ていて、最後に発つときに落としたとか?」

「いくらなんでもそんなヘマはしないと思う。 俺は城家主か手下・・・そうだな、喜作あたりが落としたと思う」

「どうして?」

「どうしてだろうな」

両の口の端を上げるだけだ。

「杠?」

「紫揺はまだ知らなくていい」

もう二十三歳だが。

あ、と気付いて、シキが顔を赤くして下を向いた。 光石に関係する者が男とは限らないのだった。

「どういう意味?」

「紫、わしも杠と同じように考える。 わしも杠も紫がさっき言ったことを参考にしておる。 だが、どちらが落としたかは関係ない。 これが動かぬ証拠となる。 杠、これは大きい。 よくやった」

杠がキレよく礼をする。
上手く四方が話を逸らせてくれたと考える杠。 四方に話を逸らされたと考える紫揺。
恨みがましい目を杠に向けるが杠は笑んでいるだけだ。

「他には?」

「これだけで御座います」

「そうか」

従者に目をやった。 従者が立ち上がり懐から手巾を出すと四方の前に置き元の位置に下がる。

「これなのだがな」

手巾を広げる。

「紫、見覚えは無いか?」

広げられた手巾の中には見覚えのある物があった。 それは屋根裏の雑多に置かれていた物の中から拾ってきた物の一つであった。
杠が眉根を寄せた。

「あ、地下で布の中にくるんでいた物の中の一つ・・・」

それは袈裟懸けにしていたショルダーの中に入れていた物であった。

「そうらしいな。 他にも色々あったそうだが、何処からこれを持って帰ってきた」

「持って帰って来たって言うか、地下で・・・牢屋の鍵を開けるのに使おうと思って。 屋根裏にあった目ぼしい、道具になりそうな物を集めただけです。 屋敷から出る時に捨ててくるのを忘れただけです。 結局使わずに終わりましたけど」

捨て置くつもりだったのかと、シキと四方それぞれがそれぞれに思うところがある。

「牢屋を開けるのに使う?」

「はい。 その他に針金とか鍵を叩き壊せるようなものとか。 音を押さえるように分厚い布とか。 それでそれも鍵穴に突っ込んでどうにかならないかなと思って」

紫揺が言ったそれ、手巾の中にある物は平べったく小指の第二間接くらいまでの長さで、金で出来たのったりとした歪(いびつ) な形をしたものだった。

日本で暮らしていた紫揺にとっては、鍵に見られる鋭角に曲がるデコボコになっている所の形こそ全く違うが、見ようによっては鍵に見えなくもない。

紫揺が何をどう思ってこんなもので、いや、これで牢の鍵を開けようとしていたのか四方には理解できない。
これが何なのか分かっているのかいないのかにしても、どうやったらこんな形状のもので鍵が開くというのか、思うのか。 いったいこの紫揺の頭の中の構造はどうなっているのか、思わず四方の口からため息が漏れる。 そしてちらりと杠を見て先を訊けと顎をしゃくる。

「牢屋はちゃんと鍵で開けていたな?」

四方に一つ頷いた杠があの時のことを思い出しながら紫揺に訊ねた。

「うん。 色んなものは、屋根裏に閉じ込められてた時に集めた物だったけど、屋根裏を抜け出た後に鍵を見つけたから」

「見つけたって・・・」

はぁっと息を吐いた。 鍵など簡単に見つけられるものではないだろう。 何か危険をおかしたに違いない。
四方も同じように考えているようで、かなり顔を顰めている。

「台ど・・・厨にあった。 ほら、見つかりかけて杠と最初に逃げ込んだところ」

杠はそんなことはどうでもいい、というように頷くだけだが、四方は二度目の “見つかりかけて” という所に気がいって、肘をつくと額を抱えるようにしている。
二人の状態の意味が分からない紫揺。 話を手巾の中の物に戻す。

「それがどうかしたんですか?」

単なるのったりとした平べったい塊が。
四方が息を一つ吐いて頭を上げる。 これはな、と言いながらその塊を指さす。

「金貨を作っている中で出来る零れ金だ」

「へぇー、じゃ、それって金で出来てるんだ」

今の説明で金貨の意味がよく分かっていないようだ。

「そうだが・・・それだけではなく」

そこまで言うと杠を見た。 四方の視線に杠が頷いてみせる。

「いま四方様は金貨を作る中で出来た零れ金だと仰った。 それがどういう意味か分かるか?」

眉をひそめて首をコキンと曲げる。

「金貨は一枚一枚型にはめて作る。 その時、型に入れ過ぎ溢れ落ちたものが零れ金となる。 たとえ零れ金でも金は持ち出し禁止だ。 また溶かして使うのだからな。 それが城家主の屋敷にあった。 屋根裏に。 屋根裏には他に色々あっただろう? 金目の物が」

途中でマツリに止められたが四方に報告しかけていただろう、と目顔で言っている。

「あ・・・。 ってことは、これがあるってことは、金貨を作ってる人たちの中に、城家主と繋がっている人がいるってこと?」

杠が頷く。

「もしかして、あの沢山の金貨も?」

紫揺が杠に問をかけるが、それに答えたのは四方。

「全てとは限らん。 だがマツリから聞いた話からするとあまりにも多すぎる。 地下の者から巻き上げただけではないとすれば、それが流れてきた物ならかなりの人数が関わっているということになる」

「すみません・・・」

四方と杠、シキがキョトンとした顔をする。 紫揺と話していると否応なく百面相が作られる。
それにシキと杠は何でもないかもしれないが、四方にしてみれば口先だけではなく殊勝な面持ちで紫揺が謝るなどと考えられない事だ。

「な、なにがだ?」

どこか背中に怖気を感じながら四方が問う。

「大変な時に大変なものを持って帰って来て。 どうしてあの時、地下に捨てるのを忘れたかな・・・」

四方と杠が目を合わせた。 杠が笑いを堪える。 それを見た四方がもうやってられないというように溜息をつくとまた顎をしゃくった。

「紫揺、そうじゃないだろう。 紫揺がこれを持って帰って来なければ明らかにならなかった。 たとえ屋敷の者が問罪の中で言ったとしても何の証拠もない。 それに悪いことをする輩だ、白状せずとも証拠をつきつけない限り何も言うことは無いだろう。 紫揺が謝らなければならない話ではない」

その時、襖戸が僅かに開けられた。 外からの連絡だ。
襖内にいた従者が手を出すとそこに巻紙が置かれた。
今が良い間合いかと、従者が四方の横にくるとその名を呼ぶ。

「なんだ」

「早馬からで御座います」

「こちらに」

従者が手にしていた巻紙を渡す。
四方が巻紙を広げ心の中で読んでいく。

その間に紫揺と杠の会話は進んでいる。

「そうかなぁ・・・」

「ああ、四方様のお役に立てた」

四方が巻物を置きそして紫揺を見て言う。

「武官が屋敷に入って屋敷の中を見て回っても、これ程小さな物には目がいかなかっただろう。 紫、よくやった」

巻物を確認し終えた四方が紫揺に言った。
納得しがたい顔をしたままペコンと頭を下げる。

この証拠がどれほど大きなものかシキと杠は見当がついているが、ペコンと頭を下げた紫揺はそれほど重要だとは分かっていない。 それどころか、分かっていないことすら分かっていない。

四方が杠と紫揺に目を送る。

「地下にこちらの武官が向うことが出来たのは五十名余り。 捕らえたのは七二名。 屋敷に居た者全員捕らえた。 紫から聞いていた地下に囚われていた者達も誰一人欠けず地下牢から出したということだ。 尾能の母御も治療を受けておる」

そう言うと巻き物を巻きなおす。

「良かった」

思わず紫揺から出た。

「武官も負傷しているようだ。 何人がその宇藤という者と屋敷を出たのかは分からんが、一人も逃さず全員捕らえるにこれが限界の人数だったであろう。 紫、杠、よくやった」

杠が顎を引き、紫揺がまたもやペコンとした。

「では杠はマツリを待つが良い。 ・・・ああ、そうだったか。 紫もマツリを待たんといけなかったか」

「一人で大丈夫ですけど」

「一人で歩かせるわけにはいかん。 特に山の中は。 紫もマツリを待つよう。 もう戻ってくるだろう」

もう戻ってくるとは言ったものの、とうに戻っていなくてはいけない筈であった。 何かあったのだろうか。

四方の自室を辞した二人。 早朝にいたと同じ部屋でマツリを待つことにした。 常ならシキと共に居る紫揺だが、シキが四方の部屋から出てこなかった。

当のシキは紫揺との時をとりたいし紫揺と杠のことは気になるが紫揺と杠のことは “最高か” と “庭の世話か” に任せることにした。

「父上、マツリは一体どこに行ったのですか?」

「ああ、地下には行っておらん」

「迂遠なことを仰らないで下さいませ」

四方が眉を上げ続けて言う。

「危険な所には行っておらん。 紫と杠の方がよほど危険だった。 マツリは段取りを組むだけでその他は単なる連絡役だ。 だからすぐに戻ってくると思っていたのだが・・・」

「どういうことですの?」

「時がかかり過ぎておる。 なにか意想外のことが起きたのかもしれんが武官の方からも連絡がない」

「わたくしが飛びましょうか?」

「何を言っておる。 シキはもうお役御免となった。 走らなければならんのならわしが走る」

山猫である供と走るのか馬で走るのかは分からないがもういい歳をしている。 馬ならまだしも供と走るのは避けて欲しい。

「それより・・・」

シキが顔を上げる。

「紫は意外だったな」

「なんのことで御座いましょう?」

「あの様に素直だとは思わなかった」

「紫は素直で正直者ですわ」

「そうか? わしはそう思わなかったがな」

「父上に見る目が御座いませんのではありませんか?」

紫揺のことになると舌鋒気味になるようだ。

四方は紫揺との出会い方が悪すぎた。 そのお蔭で紫揺から良いように思われていなく、紫揺からの風当たりがきつい。 その上マツリとの舌戦を聞いている。

「マツリと居る時と違って杠の前では大人しい・・・と言うか、あの二人はよく気が合っておるようだな。 口にせずとも分かり合っている所もあるようだ。 その上で口にしなければならんことも心得ておる。 紫と杠は互いの衣装を褒めておったしな、その様なことも必要であろう。 マツリが気にしている杠だ、紫が本領の者なら杠の奥に推したいくらいだ」

「なっ! 何を仰います!!」

「なんだ? シキは杠と紫が合っておるとは思わんのか?」

―――思っている。

それどころか、紫揺が杠に心惹かれているのではないかとさえ感じている。 それに二人の空気感の報告も受けているし、自分も見た、その柔らかい空気感を感じた。

「杠は良い男だ。 飲み込みもいい。 何よりわしの前に出ても気おくれすら感じられん、堂々としたものだ。 あれくらいの度量があれば紫をゆるりと愛おせよう」

尤も、尤も、ご尤も。 それを危惧しているから焦っているのだ。

襖戸の向こうの気配に気づいた従者がそっと襖戸を開けた。

「マ、マツリ様!」

四方とシキが襖戸に目をやる。
外に居た従者が中に声を掛けようとしたのを漏れ出てくる話し声にマツリが止めたのだった。
従者が大きく襖戸を開ける。

「遅かったな。 何かあったのか?」

「紫はどういたしましたか」

シキがチラリとマツリを見る。 四方の問いに答えていない。 紫揺のことが心配なのだろうが、それにしても四方に対する話口調もいつもと違う。
早い話、疑問符が付いていない。

「ああ、とうに戻って報告も受けたところだ。 杠と二人よくやってくれた」

マツリの眉がピクリと動く。

(完全に・・・杠に妬心しているのかしら。 さっきの話を襖戸の向こうで聞いていたということかしら)

「マツリも驚くような情報を持って帰ってきた」

「宇藤という者と仲間を逃がすだけなのにですか」

「ああ。 杠は己(おの)が役目上、目端が利くが紫もなかなかのものだ。 少し前に早馬が来た。 地下の屋敷の者たちは一人残らず捕らえたということだ」

「杠も地下に行ったのですか」

「ああ、紫一人で行かせるわけにはいかんからな」

「武官でも良かったのではないですか」

「杠が言うに武官は新顔となる。 その様な者が城家主の屋敷あたりにまで行くことはないようだ。 それに新顔は夜に地下に入ってくるらしい」

「そうですか」

それはマツリも知っていること。

「杠なら安心して紫を預けられよう。 あれは紫のことを上手く受け入れているようだし紫に合わせて話も出来る。 紫も杠のことを信用しているようだ」

「父上! そんなことよりマツリの報告を」

マツリの顔色が変わってきているのを四方は分かっていないようだ。
この二人・・・四方とマツリ。 どれだけ鈍感なのか計り知れない。
シキがこめかみをグリグリと押さえる。 だがそれを波葉が聞いたならば心の中で “シキ様もでしょう” と言うだろう。

客観的に見て鈍感は家系のようだ。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第55回

2022年04月19日 22時10分12秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第55回



門の前で馬を降りた紫揺。
外門番が内門番に紫揺が帰って来たと声を掛ける。 一人が走り、同時に中から横木がずらされる音がする。
事前に四方の従者から紫揺が戻ってきたら門を開け、知らせるようにと言われていた。 これもわざわざ四方が言わなければ気付かなかった従者だった。
だが四方が言わなくとも、もう殆ど紫揺は顔パスのようなものだったが。

門番から知らせを受けた末席に座る四方の従者が、四方の部屋の中にいた従者に伝えた。

「戻ってきたか!」

四方が目を輝かせ立ち上がった。 今日は執務などしていられない。 自室で待っていた。

「紫のことはシキにも報告を。 杠はすぐに湯浴みを」

従者が四方の部屋を出ると、末席に座る従者に杠のことを言い、その隣に座る者にシキに伝えるようにと言うと、二人が立ち上がりそれぞれのお役目に走った。

庭を歩いている時に杠が従者に捕まり拉致されるようにそのまま連れて行かれた。 置いてきぼりを食った紫揺はどうしていいか分からない。 勝手に湯殿に行くわけにもいかないし、この泥の付いた服で回廊を歩くわけにもいかない。
どうしようかと考えていると、下足番から声が掛かった。

「坊、どうした、置いていかれたか?」

杠が従者に連れて行かれるところを見ていたようだ。 こっちに歩いて来る。

「門番が通したんだから、怪しいもの・・・ん?」

紫揺の顔をじっと見ながら歩いて来る。

「む、む、紫さまぁー!?」

いまにも腰を抜かしそうにしている。

「ど、ど、ど・・・どうしてその様なっ!」

ドの次はレです。 とか思いながらエヘッっと下足番に笑ってみせた。 そこに “最高か” と “庭の世話か” が走ってやって来た。
下足番が離れた所に居る。 呼んでる間には自分たちで履き物を用意する方が早い。 サッサと履き物を出すとすぐに紫揺に駆け寄った。

「よくぞ、よくぞ戻って来られて・・・」

四人が紫揺を囲って泣き出し始めた。
ああ、夕べ見たシーン・アゲイン。 とか思いながらも、こうして泣いてもらえることがどれ程幸せなことかは分かっている。

「ただ今戻りました。 怪我も何もしてません。 安心してください。 えっと、四方様にご報告があるんですけど、やっぱり先に湯浴みですか?」

杠を連れて行った四方の従者が「湯浴みを」と言っていたのを聞いている。

「紫!」

顔を上げると回廊の上にシキがいた。

「あ・・・」

「シキ様はずっとお泣きになっておられました。 ご心配を取って差し上げて下さいませ」

しゃくり上げながら、鼻をズルズルいわせながら彩楓が言う。

もう一度シキを見ると大階段を降りてきている。
紫揺がすぐに走って大階段の下まで行く。 シキが手を広げて紫揺を迎える。
再度、シーン・アゲイン。 デジャヴかと思ってしまいそうだ。
でも今は明るい。 夕べとは違うことが分かる。

「紫」

抱きしめるシキとの隙間から声の主を見る。
回廊の上に四方が立っていた。

「大事は無いか?」

「はい全く何ともないです。 杠さんも。 ご報告があるんですけど」

「うむ。 大事なく何より。 苦労であった。 報告は聞こう。 だがその前に湯浴みをし、腹も減ったであろう、食をとるがいい」

朝食すら食べていないのだから。

紫揺から急ぎ改めて聞かねばならない報告などない筈だが、宇藤を出した時の話しでもあるのだろうか。 何にしても今回のことがまだ成功に終わったかどうかは分からない。 だが紫揺の協力を得たことは確かだ。 無駄な報告であっても耳を傾けなければいけないだろう。
それにこちらから訊きたいことがある。

「はい」

四方が踵を返すのが見えた。

入れ替わるようにシキの従者に手を取られた昌耶がヒーヒー言いながらやって来て回廊の勾欄に手をついた。

「シキ様? かすり傷もありません。 けっこう楽しかったです。 だから泣かないで下さい」

「・・・紫。 ごめんなさい」

「え? え? どうしてですか?」

「父上の命で行ったのですから・・・」

紫揺がそっとシキの腕を取るとシキの身体を外させる。

「それは違います」

だがそういう紫揺にシキが首を振る。

「牢屋に居る人を見捨てることなんて私には出来ませんでした。 私を使って下さって四方様には感謝していますし、すぐに動いて下さったことにも感謝しています」

紫揺にしてみれば東の領主に偉そうに言った四方だ、後姿の四方にアッカンベーをしても気が収まらないところがあるが、それでも今回のことには心底感謝をしている。 とは言え四方の言い方だと四方は紫揺を使う気はなかったようで、武官長たちの意見が通っただけのようだが。 だがそれとて四方が横に首を振れば叶わなかったことだ。

「紫・・・」

「こんなことに本領も東の領土もありません。 知っている、出来る者が動けばいいだけです。 それにさっきも言いました。 楽しかったですから」

ニコリと笑む紫揺の頬に繊手をそわせる。 そのシキの目からはまだ涙が零れている。
紫揺が振り返り「手巾はありませんか?」 と問うと、すぐに予備に持っている四枚の手巾が出てきた。

いや、四枚はいらない。

さて、ここでどれを取るかが問題だ。 紫揺が逡巡していると一枚また一枚と下がっていき、最後に彩楓の持つ手巾が残った。
紫揺が困っているのが分かったのだろう。 こんな時、一番最初に紫揺に付いた彩楓を立てるようだ。

「お借りします」

そう言って彩楓から手巾を受け取ると、そっとシキの涙を拭いてやる。 「泣かないで下さい。 ご心配をかけてごめんなさい」 と添えて。
その姿を見た “最高か” と “庭の世話か” がまた泣き出した。



「あ、杠」

回廊を曲がると杠が四方の従者と前を歩いていた。
振り返る杠。 眉をピクリと動かした紫揺に付いている “最高か” と “庭の世話か”。

「飯は・・・朝餉は食べたか?」

ここでは、飯でも食ったでもない。

「うん。 杠も?」

ピクピクと眉が動く四人。

「ああ」

そう言うと上半身を後ろに引き紫揺の姿を見る。

「二十三の歳に見える。 宮の女人。 坊からは想像もできない程だ。 昨日と違う色なのだな。 昨日も似合っていたが今日もよく似合っている」

昨日はオレンジの濃淡を基調とし差し色は赤。 今日は桜色を基調とし差し色は藤色である。
紫揺が嬉しそうに大の字になってみせる。
杠が喉の奥で笑った。

「あ、褒めたのはウソ?」

「そうじゃない。 そういう所は坊だ。 少しはシキ様のお淑やかさを学ぶといい」

「シキ様かぁ・・・それは無理かな」

あんなにしっとりと泣けないし普段の所作も何もかも。
四人が僅かにコクコクと首を縦に振っている。 きっと無意識だろう。

「杠も昨日と違うね」

「ああ。 申し訳なく思っているがご用意して下さるからな。 それに四方様の前にみすぼらしい恰好では出られない」

「昨日より似合ってるよ」

「昨日より?」

「うん。 昨日は見ちがえるほど似合ってたけど、今日はそれ以上」

ピクピクピクピク。 “最高か” と “庭の世話か” の顔面の目の上の細い二本の黒いものが、まるで生き物が尻尾を撥ねるように動いている。

少し前に回廊を走ってきていた者が足を止めていた。 紫揺と杠の会話を後姿を、回廊の曲がり角からそっと覗いて聞いている。

「そうか?」

「うん」

「四方様の従者の方の趣味が良いのだろう」

四方の従者が足を止めず先を行くことを進める。
杠が頷くと紫揺を見た。

「紫揺も四方様のところか?」

「うん」

「なら、一緒に行こう」

「杠も?」

「ああ」

紫揺を迎えるように杠が片腕を広げる。 それに応えるように紫揺が杠の横に付いた。 杠を見上げる紫揺。 それを笑みで迎える杠。

―――完敗

マツリは杠に完全に負けた。
“最高か” と “庭の世話か” が思ったが、それを打ち消すように、希望を捨てないように、顔をブンブンと振る。

無言の “最高か” と “庭の世話か” に対して、回廊の曲がり角から覗いていた者が紫揺と杠の様子に声を出していた。

「アヤツは何者か」

「リツソ様、お房にお戻りください」

「アヤツは何者かと聞いておる」

「さて、存じ上げません。 それより今日はもう少し足し算を・・・」

リツソが角から出て仁王立ちになると杠の後姿を睨んだ。

「ん?」 と言うと杠が後ろを振り返る。

「どうしたの?」

紫揺も同じように後ろを振り向く。 もちろん “最高か” と “庭の世話か” も。
だがその先には誰も居ない。

「気のせいか・・・」

口に出して言い足を進めるが気のせいとは思っていない。

「誰かが見てた?」

紫揺も足を進めながら訊いてくる。
まさか紫揺がそんなことを訊くとは思ってもいなかった。 ここは宮の中なのに。

「どうして?」

「そんな顔してたから」

杠が頬を緩める。

「そうか。 もっと表情に気を付けなければならないか。 地下の者に分かられてしまう」

「また地下に戻るの?」

「マツリ様は地下を気にしておられるからな」

「今回のことで落ち着くんじゃないの?」

「まだ結果が出ていない。 それに落ち着いたとて、少なくとも暫くはマツリ様は地下を気にされるだろう」

「もし地下のことが結果オーライで心配がなくなったら?」

「おーらい?」

「あ、全ての結果が良くて。 城家主に加担していた人達がみんな捕まったらってこと」

「・・・それでも、地下でなくともマツリ様の全てのご心配はとれないだろう」

「どういうこと?」

「万が一にも地下が安心できたとしても、宮都や・・・昔から言われている六都のことが気になられるだろう。 そうなれば俺は六都に走る」

「杠・・・」

「俺はマツリ様の手足となりたいのだからな。 マツリ様からの下命がなくなった時が俺の最後の時だ」

「そんな風に考えないで」

杠が眉を上げた。

「杠は杠。 誰かに何かを言われなくなったからって、それで終わりじゃない」

まるで北の領土の影達を見ているようだ。

「何かを言われるだけで終る人生なんて。 自分で選ぶことが出来ない人生なんて。 そんな悲しいこと言わないで」

「紫揺?」

「杠・・・。 私は杠を―――」

「お謹み下さい」

先を歩いていた四方の従者の声だ。
いつの間にか四方の自室の前についていた。

“最高か” と “庭の世話か” が従者に要らないことを言ってくれたと、心の中でチッと舌打ちをしたのは従者には聞こえていないだろう。
紫揺が言いかけていたその先を聞きたかったのに。 紫揺が何を考え何を言おうとしていたのかを。 まずは紫揺の気持ちをはっきりさせなければいけないのだから。 それが後に引けない事であっても。

リツソが師に手を引かれて自室に戻っていった。


「まずは紫の報告とやらを聞こう」

四方の自室には先にシキも来ていたが、前回と同じく四方の斜め後ろに椅子を置きそこに座している。
あくまでも傍聴するだけであって参加ではないらしい。

「マツリはいないんですか?」

「ああ、まだ戻って来ておらん」

「まあ、別にいいけど」

シキがこめかみを押さえたが、四方はなんとかそれを抑えた。

「紫揺、その様な言い方をしてはいけない」

珍しく紫揺を窘める者がいた。 四方の斜め右手に座る杠だ。 円卓を三人で囲んでいる。
紫揺が杠を見る。

「失礼に当たる」

四方にもマツリにも。
そして紫揺に代わってなのか、申し訳ありませんでしたと、四方に頭を下げた。

「分った」

紫揺が杠に返した言葉に四方が眉を上げた。 もしマツリがそんなことを言えばすぐ口論になるというのに。

紫揺が襖内に座る四方の従者を見て「彩楓さんを呼んでもらえますか」 と言った。
従者が襖を開けると、四方の従者が座っているはずがそこには女人が座っていた。 呼ばれることが分かっていたのだろう。

「彩楓か?」

「左様で御座います」

「紫さまがお呼びだ。 入れ」

立ち上がった彩楓がしずしずと入ってくる。 四方に向かって頭を下げるとすぐに紫揺の横に立ち手に持っている手巾を紫揺の前に置いた。

「有難うございます」

彩楓が軽く紫揺に頭を下げ、次に四方に深く頭を下げると部屋を出て行った。 もう用は終わった。 四方の従者の末端に足を進めるが今日は多くない。
数人が優しく捕らえた四人を見張っている。 まだ刑部省に任せる段階ではないのでそれぞれ別々の部屋の一室に居る。

紫揺が目の前にある手巾を広げる。 そこには直径三センチほどの小さなものがのせられている。 それを四方の目の前に手巾ごと滑らせた。

こんな小さな物くらい自分で持てると言ったが「紫さまがお荷を持たれるなどと!」 と言って持たせてもらえなかった。 だからこの三センチほどの小さな物の登場が小ささの割に仰々しくなってしまった。
荷物とも言えないだろう、と考えるのは紫揺だけなのだろうか。

「これが? どうした」

広げた手巾の中には四方の見慣れた物があった。 だがどうしてこれを紫揺が持っているのか。

「城家主の屋敷の台どこ・・・えっと、厨(くりや)で見つけました」

地下から戻る馬上で「ジョウヤヌシって変な名前」 と言った紫揺に、杠が名前では無いと言い、その時に漢字を教えてもらっていた。 そして漢字からその意味が分かった。

「なんだと!」

ここにカルネラがいれば完全に「ぴぃー!」 っと鳴いていただろうし、リツソがいれば耳に指を突っ込んだだろう。

手巾の中にあったのは、宮の中で官吏や従者たちが身に付ける物で “帯門標(たいもんぴょう)” と呼ばれる物だった。

それは直径や縦横三センチくらいの大きさで、根付のように紐で帯に吊し、部署により形や色で分けられている。 そして裏面にはその者の名が彫られている。

文官は出仕してきた時に名札の上に吊るしてある帯門標を身に付け、帰る時には名札の上に吊るす。 これが宮で働く者の身分証明となり、文官は出欠の様子も分かるようになっていた。

文官には官吏専用の門がある。 そこの門番は官吏の顔を全て覚えて門を通すのが役目であり、門を通る時にはこれは必要とされていない。
だからこれが宮の外に出ることは有り得ない。 落としたなどと言い訳も出来ない。

四方が手を伸ばし裏返す。 するとそこには “乃之螺” と彫られていた。

「どうしてこれが屋敷の厨などに?」

「そこまで知りません。 でも四方様のお付きの方が付けていらっしゃるのと似ていたから一応持って帰ってきました」

「どうして紫が厨などに?」

「見つかりかけて逃げ込んだだけです」

「・・・ああ。 そうか」

紫揺には大役を任せていた。 見つかりかけたのか・・・。 結果は良かったとしても、あまり色んな話を聞くには心臓に宜しくなさそうだ。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第54回

2022年04月15日 21時44分31秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第50回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第54回



一階に降りると廊下を歩き宇藤が一つの扉を開けるとそこから裏に出ることが出来た。 いわゆる勝手口というところだ。
“ウラ” と書かれていた鍵はここのことだったのかと、カルネラと台所に忍び込んだ時のことを思い出す。

(ってか、完全に鍵がかかってないし)

窓から出入りをしていた努力をどうしてくれる、と言いたい。

「坊、坊はどうやって逃げてどこから来た?」

紫揺が離れた所の隅を指さす。 そこには色んなものが積み重ねられ、アバウトな階段状になっているのが見える。

「あんなものがあったのか・・・」

紫揺が自分の肩にかかっている宇藤の手をトンと指で突く。 最後の希望だ。

宇藤が紫揺を見る。

紫揺が離してみせた両手の人差し指をくっ付け、それを塀の向こうに放るようにしてみせる。

「俺の仲間と逃げろってか? ははは、分かったって」

コクコクと紫揺が頷く。

紫揺の指を見る。

「だが今のじゃ俺の仲間が一人みてーじゃねーか」

半分笑いながら言っている。

人差し指は二本しかない。 一本は宇藤、あとの一本は一人の仲間、そう言っているのだと判断した。
紫揺が首を傾げる。

「俺はそんなに仲間がいねー寂しい奴じゃねーぜ」

うんうん、と頷くと紫揺が満面笑みになった。
今度は人指し指を一本立て、もう一方の掌を広げて見せそれをくっ付けると、さっきと同じように塀の向こうに放り投げるようにして見せた。

「ああ、ああ。 分かった」

何度も同じことを繰り返す紫揺。

「・・・どうして、それほどまでに言う? 全部の仲間をつれて屋敷から逃げろなんて。 本気で?」

更に紫揺が首を何度も縦に振る。 いい加減首がつりそうだ。

「本気か?」

最後の一頷きを深くして見せた。 これ以上頷くと首がつる前に立ち眩みを起こしそうだ。

宇藤が紫揺の頭に手を置いてクシャクシャと撫でる。

「分かった。 坊の言うようにしよう。 だがそれで誰もこの屋敷に入ってこなくても坊が責任を感じることは無い。 噂なんていい加減なもんだからな」

紫揺が首を振る。

「だから、分かったって。 坊を見送ったら捕まらないために俺の仲間を連れて屋敷を出る。 それでいいんだろ?」

紫揺が頷く。

「約束する。 ほら、坊、行きな」

そう言って紫揺の背中を押した。
何度も振り返りながら紫揺が足場を踏んで塀の外に出た。

紫揺を見送った宇藤が大きな息を一つ吐いて屋敷の中に入った。

その様子をずっと上の窓から見ていた杠。 塀の外に着地をした紫揺が杠のいる部屋を振り仰ぐと、窓際に立っていた杠が手を上げて紫揺に応える様子を見せたが、すぐに窓が開いて杠が出てくる様子はなかった。

杠は戸に向かって歩き出していた。 そして廊下の様子を窺っていた。
暫くすると階段を上がってきた音が聞こえる。 戸を開ける気配。 そのあとは聞こえないし気配も窺がえない。
そのままじっと待つ。
再び戸を開ける気配がした。

「本当ですか?」

今はなんの喧噪もない屋敷の中。 そこに小声が聞こえる。

「分からねー、嘘か本当か」

宇藤の声だ。

「だったら、こんな早くから起こさなくても」

もう陽は昇っているのに、地下の者にしては早い時間になるらしい。

「本当だったらどうする。 おめーは捕まるか?」

「いや、それは・・・」

「他の奴も同じように思うだろうよ。 一日早く起きるか起きねーかで今後が決まる。 嘘なら・・・まぁ、そんな日もあらーな」

「宇藤・・・」

「俺の名を出して一つ二つ言って信じない奴は放っておけ。 それまでの奴だってことだ。 いいか、他の奴は絶対に起こすな。 俺はこのまま二階の奴らを回る。 おめーは下だ」

嘘か本当か分からないが、宇藤にすれば城家主とその鬱陶しい仲間たちが捕まるに越したことは無い。

「わかりました」

「今日の見張番は、あっち側だろ?」

男が頷く。

「見つかったらややこしい。 裏から出る。 裏に出たら荷が積み上げられた足場がある。 そこから塀を出て様子を見る」

「はい」

宇藤には紫揺が最初に書いたものに心当たりがあった。 見逃せない事だった。

『やしきにくる 武官 人質すくいに』

宇藤と誰かの話を聞いた杠が口の端を上げると窓に向かって歩き出した。

紫揺は手を上げた杠が窓から出てこないのを不審に思いながらずっと窓を見上げていた。

「俤さん・・・まさか捕まったんじゃ・・・」

自分があの部屋を教えたのが悪かったのか。 杠が手を上げた後に捕まったのだろか。 囚われていた牢屋から出てきたと思われたのなら、そして何かを探ろうと二階に上がったと思われたのなら・・・。 

百足の傷を思い出す。 あらぬ方向に曲がった指を。
心臓が大きく早く打つ。 今にもあばら骨を破壊しそうなほどに。
自分の責任だ。
杠を助けに行かねば。

考えに考え抜いて杠が放った道具を取りに行こうと一歩を出した時、窓が開いた。 そこから杠が下りてきた。

「俤さん・・・」

安堵から大きな息を吐いた。

紫揺には到底足が届かないデコボコとした足場を簡単に使って杠が下りてくる。 紫揺からは塀が邪魔になってその姿が見えなくなった。
目先を角の塀に移す。 少しするとそこに杠の姿が見えた。 杠が塀を蹴り着地をした。

「俤さん・・・」

あまりの安堵からじわりと目が潤む。
紫揺の虫が鳴くような声に杠が数歩歩み寄った。

「あれ? 心配をかけたか?」

「・・・心配どころじゃ」

「悪い」

言った途端、ドンと身体に何かがぶつかった。

「・・・どれだけ心配したか」

ドンとぶつかってきたのは紫揺だった。
そう言われれば、紫揺に “待っていろ” と合図も送らなかった。 紫揺は常に合図を送ってきていたのに。
ずっと一匹狼で過ごしてきたせいなのか。
杠が己に抱きつく紫揺の背に腕をまわす。

「悪い。 悪かった」

「心配した」

杠の腕の中で紫揺が言う。

「悪かった」

地下からすればまだ朝早く静まりかえる中、屋敷の中で何人かの足音が聞こえる。 その足音が屋敷の敷地の裏側に向かっている。
そして何人もの男たちが、その辺から集められた物を足場に塀を跳んだ。

杠と紫揺が地下を走っている。
もう洞窟の入り口に武官が集まっているかもしれない。

杠からは宇藤が仲間を集め出したということを聞いた。 それを確認してから窓から出てきたのだと。

まだ静まりかえっている地下の上空から斜めに陽が走っている。 だがそれは来た時より随分と傾きが無くなっている。 その中に二人の足音だけが響いていた。


舟をこいでいた見張番がハッと顔を上げた。 だが時すでに遅し。 口の辺りを鷲掴みにされて首元に手刀を入れられた。
もう一人の見張番も同じことをされている。 二人の身体がゴロンと倒れる。
後ろから出てきた、いかつい顔をした男が手早く二人の手と足を括りその場に放った。

「手筈通り動け。 一匹も逃がすな。 行くぞ!」

鬨(とき)の声は上がらない。 ただ全員が鋭い目つきで頷くだけだ。

群青色の皮衣に同色の鎧を身にまとい、腰に刀を佩(は)いた男達が先頭を走る。 その後を四色の鎧を着たおおよそ五十人の武官が続いた。

走りながら何人かが散る。 窓から出てきた者を捕らえる為に。
何人もが一斉に表の扉に体当たりをする。

一方では合流した紫揺から聞いた裏の扉に走り出す。 こちらも裏の窓から出てきた者を捕らえる為に何人かが扉を過ぎ屋敷に沿って走っている。 そして二人が隅に行くと足場となっていた物を放り始めた。 ここから逃げられない為に。 これも紫揺から聞いていた。

裏の扉の鍵はかけられていなかった。 扉を開けると丁度表の扉が破られたようで、どかどかと足音が聞こえる。 表と裏の扉に数人が残る。 一人でも取り逃しの無いように。

静かだった、何の喧噪もない中・・・いや、イビキだけが響いていた中、足音が響きその後に怒声が飛んだ。

鎧を着た武官が相手が丸腰であろうとも、その辺の物を武器にしようとした者も、歯向かってくる者には腰に佩いている刀を向ける。 そうしないと人数的に逃がしてしまうかもしれないからだ。
それに残っている者たちの中には、人を殺めても何とも思わない者たちが紛れている。 やらねばやられる。 それでも急所は外す。 吐いてもらわなくてはならないことがある。

武官たちには喜作や城家主などと区別がつかないし、下っ端の方が簡単に吐くかもしれない。 それに一人でも多くから城家主のやってきたことを聞かねばならない。 簡単に切って息を止めることはしない。

怒号に混じって物が落ちて割れる音、投げられた物が窓を割る。 窓から飛び出してきた男を外で待ち構えていた武官が逃がすことなく取り押さえる。 それでも逃げようとする者には走れないよう構わず足に傷を負わす。 狙うのはアキレス腱だが、狙いが少々外れても脹脛にはそれなりの傷を負うのだから、走るに走れない。 一人として逃がすわけにはいかないのだから武官も必死である。

二階で寝ていた者達も目を覚ました。 互いになんだという目をして立ち上がる。 そこに武官が入ってきて呆気にとられている者を取り押さえる。 歯向かう者にはそれ相応に刀で応える。 武官から逃げ階段を降りて行く者たちは外に出た途端に捕まる。

塀の外に居た者たちが目を丸くして、二階の窓から見える光景に息を飲んだ。
鎧を着た武官の姿、それに歯向かっている城家主の手下。 物が飛んできて窓を割る。
塀に阻まれて一階であったことは見えはしなかった。 音と怒声は聞こえていたが、信じられなかった。 だがこうして二階で繰り広げられている捕り物を目にすると、耳にしていたものが現実となって頭の中に入ってくる。

「・・・本当だったってことか?」

呆然自失となっている者、背筋に寒気を憶える者、腰が抜けたのか座り込む者。
三十人余りの男たちが互いを見やった。

「あの坊はいったい何者だったんだ・・・」

歳からは伺えない程の達筆で坊にしておくにはもったいないほどの顔。 それに塀を上るには足場があった。 坊はその足場から塀を上ったことは分かっている。 だが塀の外には足場がなかった。 てっきり足場があるものだと思っていた。
この塀の高さはかなりのものだ。 実際この塀の外に居る男達も塀を跳び下りるのに戸惑いを見せていた。 だが今から思うと、あの坊は素知らぬ顔をして跳び下りていたのだ。
長い髪の毛を束ねることなく、風に揺らせながら宇藤が呟いていた。


木箱のような馬車が七つも見えるがそれより、うようよいる馬の群れ。 その中で見張番から手綱を受け取った。

「我らはここで馬の守をしなくてはならないようです。 お二人で戻って頂けますか?」

瑞樹が訊ねる。

四頭の馬と一緒に紫揺と杠を待っていたら遠くから砂ぼこりが上がってきた。 それが段々大きくなるにつれ轟音さえ聞こえてきた。 
何事かと思って見ていると武官たちであった。 その武官から、四方の許可は得てある、 この馬たちを見張っているようにと、しっかりと言いつかったのだった。

紫揺と杠が首を縦に振る。

「くれぐれもお気を付けて。 紫さまを頼む」

杠に言ったのは百藻だった。


紫揺と杠が馬を並べて歩かせだした。

「見張番さん二人であの数の馬を見るって・・・」

「ああ、大変だな。 だがその腕があると分かって、武官殿は一人も残らなかったのだろうな」

確かにそうである。 見張番は馬扱いの名人だ。

「それにしても、よく説得できたものだな」

杠の話が地下の話になった。

「うん、最後の最後まで信じてもらえなかった。 やっとギリギリで分かってくれたみたいだったけど、どうしようかと思った」

「ははは、お疲れさんだ」

「お疲れさんって言うか、眠い。 夕べ寝てないし昨日は昨日で結構走ったし」

「悪い。 俺の救出だな」

「そんなことない。 杠さんも寝てないんでしょ?」

杠が眉を上げた。 しっかりと名前の使い分けをしてくれている。

「寝たよ。 四方様と話し終えた後に。 まぁ、いくらもしない間に起こしに来られたけど。 でもあんなフカフカの布団で寝たのは初めてだ。 短い時だったがぐっすりと寝られた。 シユラは湯から上がってすぐに寝たんじゃないのか?」

「お湯に浸かってる間はずっと泣かれてなかなか上がらせてもらえなくて、その後はシキ様の涙と質問攻めで寝られなかった」

「湯に浸かっている間?」

「うん。 ほら、宮から出る時泣いてた四人の女の人・・・女人さん」

「一緒に湯に入ってもらっているのか?」

「一緒には浸かってないよ。 あの時はずっと付いててくれてただけ。 心配だったんだろうな」

「溺れるかどうかか?」

笑いながら言っている。

「んなわけない。 キサのバカヤローに掴まれた所に痣が付いてたみたいで、それを見て泣き始めたの」

「痣? アイツ痣がつくほど強く掴んだのか?」

「最初は違ったんだけどね。 段々とわざと捩じ上げるみたいに掴んできた。 それを助けてくれたのがウドウさん」

「痛かったろ。 悪かったな」

昨日の出来事なのだから自分を助けに来たためにそうなったのだ。

「何でもないよ。 痣くらい平気。 昔は身体中にあったから慣れっこ」

そう言われて紫揺が塀を乗り越えた時のことを思い出した。

「昔からあんな事ばっかりしてたのか? あんな風に塀を跳び越えたり」

紫揺が笑って誤魔化す。 器械体操の説明なんて面倒臭い。

「シユラはその衣をすぐにでも脱がないとな。 動きやすい衣は厳禁だ」

似たようなことを阿秀と塔弥からも聞いた。 辺境に行って子供たちと遊ぶ時には、馬に乗るために筒ズボンを穿いているから溜息交じりに言われる。

「シユラ?」

「うん?」

「地下に居る時は俤、地下から出ると杠って使い分けをしてくれてるだろ?」

「うん」

「それは、マツリ様がそう仰ったからか?」

「うーん、どうだろ。 そうだなぁ・・・。 もしマツリが地下を出ても、宮に居る時でも俤さんって呼んでても、私は杠さんって言うかな。 だって俤さんって名前はマツリから貰ったんでしょ? それはマツリの情報屋としてのものなんだから、いってみれば仕事の時の名前だからそれ以外は杠さん」

「そうか・・・」

「なに? だめ?」

「いいや、そうじゃない。 そう言ってくれる方がいい」

そうしてくれなくては、俤という名が知らない間にどこかで聞かれてしまう。 それは情報屋として避けたい。

「私ね、年上には “さん” 年下には “ちゃん” 若しくは “君” って付けるって決めてるの。 本領にそんな呼び方があるのかどうかは分からないけど、それに当てはめるなら杠君になるんだけど」

杠が紫揺を見て眉を上げながら小首を傾げる。 それは東の領土での敬称の付け方なのだろうか、と。 たしかに名前の後に “さん” と付けていたことが気にはなっていたが、他にもあったようだ。

紫揺はわざと 『本領にそんな呼び方が』 と言った。 その呼び方は日本のものだからなのだが、日本のことは言えない。 だからまるで東の領土ではそんな呼び方をすると臭わせるような言い方をしたのだった。

「杠さんって、年下に見えないからなぁー・・・」

「ははは、俺から見てもシユラは年上に見えない。 ましてや今は立派な坊だ」

「二十三なのになぁ・・・」

「俤の時は俤で、杠の時は杠でいい。 なにも付けなくていい」

「え?」

「俺もシユラと呼んでいる」

「でも呼び捨てって好きじゃないから」

「一番付けなくてはならないお方を呼び捨てにしておいて?」

「マツリの事? マツリは別。 顔を合わせれば喧嘩するし、勝手に無視するし、そんな相手に “様” なんて付けたくないし、こっちのこと “お前” って言うし、今度 “お前” って言ったら “アンタ” って言うって何度言ったか」

「何度も言って、そう呼んでいないのか?」

わざとらしく杠が言う。

「さすがにそれは・・・簡単じゃないから」

マツリと呼び捨てにすることがせいぜい。

マツリの立場を考えるとアンタとは簡単に呼べるものではないというのが紫揺の考えだが、どう考えても本領領主の長男であり、時期本領領主を呼び捨てにするのはどうだろうか。

「そうか。 まぁ、俺のことは俤か杠でいい。 あくまで俺はシユラの年下だが、シユラからはそうは見えないんだろ? それじゃ、どっちも取っ払えばいいじゃないか」

決めかねるように首を傾ける紫揺に杠が問う。

「シユラとはどんな字を書く?」

「紫・・・が揺れる」

「紫が揺れるか。 それで紫揺か」

「うん」


地下を馬に囲まれた七台の木箱を引く馬車が走っている。
まだ地下の者は起きていないが、ときおり馬車の音や馬の蹄の音にビックリして、道に転がっている者が飛び起きるということはあった。
地下には馬などいない。 久しぶりに見る馬に呆気にとられている。

一台には囚われていた三家族、七人。 もう一台には百足と尾能の母親六人。 四台には城家主の屋敷で捕らえた者たちを寿司詰めにするつもりだ。 残りの一台は空で帰ることを祈りながら負傷した武官が乗る予定の馬車である。

馬車がやって来るまでは残った武官達で傷を負っていても屋敷のすべての者に縄をかけ、屋敷の中を見て回っていた。 勿論屋根裏部屋にも上がった。
そして紫揺の言っていた大きな光石を始め、各部屋の光石が外され、これまた紫揺から聞いていた台所に行きそこにあった鍵を持つと、牢屋から出された尾能の母親と百足が手当てを受けていた。

昨日、紫揺が牢屋を訪ねてからあっという間のことだった。 囚われていた者たちは何がどうなっているのか分からない。

「あの・・・」

尾能の母親の隣に座り、子を抱いている母親である帖地の義理の妹が尾能の母親の治療をしている武官に訊ねる。

「急にどうして・・・」

「さあ、我等は指示に従っただけですので」

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第53回

2022年04月11日 21時57分15秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第50回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第53回



横の塀を走り抜け裏に回ってきた紫揺と杠。
紫揺が振り返る。 その紫揺を抜いて「こっちだ」と言って杠が先を走り、塀の半分ほどまで行くと足を止めた。

「塀の向こう、この辺りにこんな形をしたものが落ちている。 それを放ってほしい。 少し重いが放れるか?」

コの字型の先に長い棒が付いたような形を宙に描いてみせた。

「やるしかないからやる。 でも重かったらマツリが作っておいた足場のところから放る」

身の軽さを自覚しているし、膂力(りょりょく)のないことも自覚している。
杠が頷く

「あっちに移動しよう」

マツリが作っておいた足場のところに。

「行かなくていい」

え? っという顔を杠が作った。

「時間の無駄だから。 俤さん手を貸して」

塀に向かい合って立つと後ろに歩き段々と塀から離れていく。 目で塀との距離を測る。
そして決まった位置に杠を呼ぶと体勢と要領を伝える。

「そんなこと出来るか? いや、それより危険だ」

「俤さんと私の気が合っていれば出来るし、ぜんぜん危険じゃない」

「壁にぶち当たるだけだ」

「ぶち当たったら当たったで回避する。 回避できるし。 肘を絶対に曲げないでいてくれれば何とでもなる。 なに? 私のしたいようにって言わないの? さっきまで言ってたのに」

だが、と言う杠を置いて紫揺が助走をつけるために後ろに下がる。

「行くよ。 私の足をよく見て私に合わせて躊躇しないで思いっきりね」

眉を顰めた杠だったが、今にもこちらに向かって走ってきそうな紫揺を見て諦めモードに入った。
あの衣は脱がすに限る、と思いながら。

塀に背を向け教えられた紫揺を迎える体勢になる。 腰を落とし手の指を組みそれを上に向けて掌を広げ腕を伸ばして下前に構える。 紫揺の体重は想像するしかないが、多分当たっているだろう。

構え終わった杠が紫揺を見たのを目に止めると紫揺が走って来た。
スピードを落とすことなく杠の前まで走ってくると片足で地を蹴る。 もう一方の片足が広げられた杠の掌に乗った。 紫揺のスピードと重さ、塀の高さ、角度を考えて杠がその手を勢いよく後方斜め上に上げた。

紫揺が片足でロイター板でも蹴るかのように杠の掌を蹴る。 杠は十分な高さと角度に上げてくれた。 立ち位置も丁度良かった。 塀を掴むと身体を引き寄せ、そのまま横跳びで塀を跳び越える。
手から紫揺の重みがなくなった杠、上を見上げ身体を捻って紫揺の姿を追っていた。
スタン。 と、紫揺が着地しただろう軽い音が聞こえた。

「・・・」

あまりのことに声が出ない。

少しすると杠の位置から少し離れた所に、コの字型に棒の付いた物が放り投げられてきた。

「私、どれだけ力が無いと思われてるんだろ」

高さのある塀の向こうに投げるのには、軽々とはいかなかったが到底無理では無かった。

恐れ入ったという風に顔を横に振ると、放り投げられた道具を手に取りコの字型の部分を塀に引っ掛けると棒を持って塀を上り始めた。
塀の上に座りずっと続く塀の角を見ると、マツリが作った足場はまだある。 戻るにこの道具は必要なさそうだ。 塀から外すと外に投げ塀の中に跳び降りる。

「すごいことをやってくれるな」

「あれくらいなんともない」

杠が目を丸くして思わず紫揺を見ると、当の紫揺はニッと笑って歩を出す。 抜け出てきたところの窓の鍵は開いたままのはずだ。

中に誰も居ないことを確認して杠が窓を開ける。 紫揺では十分に届かないからだ。 早い話、中を覗くことも出来ない高さだった。
杠が先に入り窓から腕を出し紫揺を引っ張り上げる。

ここからは迅速に動かなければいけない。 声も出来るだけ出さないように。 紫揺の声が漏れるとそれが女のものだと分かる。 この屋敷に女などいないのだから、たまたま目の覚めた者が不審に思い部屋から出てくるかもしれない。

杠が戸の内で廊下の気配を窺うとそっと戸を開ける。 顔だけ出して左右を見る。 誰かいればこの時点で見つかっているが廊下には誰も居なかった。

身を滑らせて廊下に出ると共時から聞いていた二階に上がる階段を目指す。 一階だったら良かったものを、と紫揺ならずとも杠も思っていただろう。
と、どこかの部屋から男の声が聞こえ戸を開ける気配がした。

杠の背中をトンと指先で叩き合図を送ると紫揺が前を走り杠が後についた。 紫揺が一室の戸を開けそこに飛び込み、杠も後に続くとすぐに戸を閉め、そのまま戸に身体を寄せ廊下の気配を窺っている。

光石が部屋を明るくする。

ここはカルネラと入り込んだ台所である。 まだみんな寝ているのだからここに誰も居ないことは分かっていた。 だから一目散に走りここに入った。

杠が外の様子を窺っている間に部屋の中を歩いて見まわす。 カルネラと入った時には鍵を見つけることしか頭になかったが、こうして見ると見事な男所帯だ。 キチャナイ。
そこにふと気になる物が目に入った。

(これって・・・)

手に取ると懐に入れた。

杠を見ると戸を開けて外の様子を見ていた。
男はトイレに立っただけのようだった。 台所の戸が閉まるのを見たが、耳も目も寝ぼけていたせいか「うみゃ・・・?」 と言っただけでトイレに直行した。 その男が戻って来て部屋の戸が閉まったのを確認してから杠が戸を開けていた。

台所から出ると足音を忍ばせながらすぐに足早に階段を目指す。 さっきは突然のことで走ってしまったが、足音がたっていたことは確かだ。 つまらないことで見つかりたくない。

二階に上がると戸の数を数えながら杠が早足に歩いて行く。 ここでうっかり一つでも数え間違えればそれで終わりだ。

一つの戸の前で杠が止まった。
杠がその戸に耳をくっ付け中の様子を窺うがイビキしか聞こえてこない。 人の話す声は聞こえない。
そっと戸を開ける。 中に滑り込むと紫揺も続いた。 板間に布団を敷いて五人が雑魚寝のような形で寝ている。
顔を見るとたしかに宇藤が居た。 孔から漏れてくる薄明りに顔が浮いている。
紫揺が見た時には括られていた黒い髪は解かれ、敷布団の上で自由にしている。

宇藤がこの部屋に居る確認は出来た。 紫揺が杠に合図をして戸を指さす。 紫揺が先に歩いて戸を開ける。 左右を見ると部屋を出てそのまま歩く。

紫揺が何をしたいのかが分からない杠はその後を歩いている。 一つの戸の前で止まった紫揺がそこを指さす。 杠が戸に耳をくっ付けて中の様子を窺うがイビキも何も聞こえない。 そっと戸を開ける。 そこは和室だった。 畳以外何もない。
杠を押して紫揺も中に入った。
ここもカルネラと入った部屋。 押入れには布団が一組だけあり天袋に隠れた部屋だ。

先ほどの部屋を見て気付いた。 五人は板間に寝ていた。 ここは畳が敷かれている。 もしかして城家主に気に入られているという喜作が寝ているのかもしれないとは思ったが、杠と隠れていた時に喜作に命じられて男が飛び出してきていた。 ということはここではなく、あの部屋で喜作は寝ているのだろう。

この部屋の布団が一組だったことは、カルネラと入った時に確認をしている。 ここは特別な人とか、特別な何かがある時にしか使わないのだろうと踏んで杠をここに誘導した。

「ウドウさんのことは任せて。 俤さんは窓から外を見ながらここで待ってて」

小声どころでは無い。 この静けさだ、杠に耳打ちしている。

「どういうことだ」

「ウドウさんは私を逃がそうとしてくれるかもしれない。 そうなると俤さんが出るに出てこられなくなる。 もしウドウさんが私を逃がしてくれるのなら、見張番のいない裏からだと思う。 それをここから見ていて。 ここから出るには窓を開けたらデコボコしたところを利用して俤さんだったら降りられる。 もしかして私もここに戻ってくるかもしれないし、分からないけど」

カルネラと入った時に窓の外は確認済みだ。 身長の足りない紫揺には無理がありそうだったが、杠の手を借りると何とかなるだろう。
ここに来るまでに紫揺が言っていた。 自分が疑われては最後。 杠は宇藤に絶対姿を見られないようにと。

「だが!」

そこまでウドウを信じられるか。

「時間が惜しい。 口論する暇なんてない」

そう言い残すと戸を開け廊下に出てしまった。

紫揺について行くわけにはいかない。 紫揺の邪魔になるだけだ。 紫揺の計画をぶち壊すことになりかねない。
歯痒さにどこかに八つ当たりをしたいが、大きな音をたてるわけにもいかない。 今の己に出来ることは、紫揺が無事に宇藤のいる部屋に入れたかどうかを確認することだけだ。

外に出た紫揺の後姿を見る。 宇藤のいた部屋の様子を戸の外から覗っている。 紫揺が戸を開けるとその姿が目の前から消えた。
すぐには紫揺は出てこないだろう。 戸を閉めた杠が何もない部屋を見回す。

「ん?」

足元でかさりと音がした。
戸を開け閉めしている内、紙が戸のおこす風に煽られて杠の足近くにやって来たのだろう。
紙を拾い上げた。


数刻前のこと。

“最高か” と “庭の世話か” がシキの元を訪ねた。 しっかりとそこには波葉が居た。
やっぱり、というように四人が目を合わせた。

「どうかしたの?」

目を赤くしたシキが四人を見る。

「これを・・・紫さまがお忘れになられたようで」

「え?」

「紫さまが地下から戻って来られた時に持っておられたものです」

そう言われれば見覚えがある。 湯殿に走り去る紫揺の背にあった物だ。

「もしや地下に行かれるときにはこれが必要なのかと」

「まぁ、どう致しましょう・・・」

シキが波葉を見る。

波葉が椅子から立ち上がり、四人が持って来たグルリと巻いたそれを受け取る。 卓の上に置くとスルスルと巻きを解く。 中から出てきたのは針金や鉄で出来た小さな棒状の物、髪飾りもある。 他にゴチャゴチャ。
リツソの玩具に負けない蒐集(しゅうしゅう)である。
波葉が首を捻る。

「とても重要なものには見えませんね。 紫さまはこれを何かに使おうと思われたのでしょうか」

と言ったすぐ後に一つの物に気付いた。
それを手に取りまじまじと見る。

「これは・・・」

「どうなさいました?」

波葉がそれから目を離すとシキを見る。

「これ以上お泣きになられませんように」

そう言うと今度は四人に目を送る。

「シキ様のことを頼みます」

事の次第が全く分からない “最高か” と “庭の世話か” の四人。 四人が訊きたいのは、これが紫揺の忘れ物ではないのだろうか、だからどうしていいのかということだ。
だがそれに答えることなく波葉が部屋を出て行ってしまった。

波葉の背中を追うシキ。 互いに目を合わせる四人。

「シキ様、どう致しましょう・・・」

問われシキが卓の上にひろげられている雑多な物を見る。

「紫が必要と思っていれば忘れるなどということは無いでしょう」

もしそれを紫揺が聞かされれば、いや、完全に忘れていた、と言うだろう。 その忘れていたは、これらを「捨てておいてください」と言うのを忘れていたということだが。

波葉が執務室にはいないであろう四方の自室に走った。


(どうしてウドウさんが一番奥に寝てるのよ)

雑魚寝をする五人だが、その一番奥に宇藤が眠っている。
三人がイビキを立てている。 少々のことがあってもこの三人は起きないだろう。 だが宇藤ともう一人がイビキを立てていない。 もともとイビキをかかないのか熟睡していないのか。

足を忍ばせて男達を跨いでいく。
宇藤の横に来た。 窓を背に屈みこむ。
普通ならゴクリと唾を飲むところだろう、だが紫揺にそんなことは見られない。 それどころか宇藤の頬をツンツンと指先で突いている。

「う・・・ん」

宇藤が顔を横にする。
更に紫揺が宇藤の頬を指でつつく。

「・・・ぅん?」

宇藤が気付いたようだ。

「何だよ、うっせー」

言いながら手で頬辺りを煽ると、宇藤の声に紫揺が身を縮めた。
前に寝ている四人を見る。 誰も起きないようだ。
小さく息を吐くと、再度、宇藤の頬をツンツンする。

「うざいんだよ!」

手で煽った宇藤が起き上がった。 するとそこに紫揺が居た。 ニッコリ笑っている紫揺が。

「え・・・」

現状が全く分からない。 だが口から出たのは「坊・・・」 の一言。
紫揺がそれに応えるように更に笑顔を作る。
眠りから覚醒した宇藤。

「坊、どこに居た?」

紫揺が首を振る。 そして左手の掌を前に置くと、その少し上に鉛筆を握るように右手を置いて動かす。

「言いたいことがあるのか?」

コクリと紫揺が頷く。

「待ってろ」

この坊は口が利けない。 その坊の仕草からして何かを書きたいと読んだ。

戻って来た宇藤が筆と墨壺と適当に取った数枚の紙を坊である紫揺の前に置くと、筆を墨壺につけすぐに書き始めた。
達筆で。
書かれた文字をみた宇藤が紫揺を見る。

「どうして坊がそれを知っている?」

紫揺が小首を傾げて見せると紙に返事を書く。

『ここを出たあとにきいた おじさんやさしかった だから逃げてほしい』

「おじさん?」

宇藤が面白げに言った。

「そうだな、坊からしたら俺はおじさんか」

『逃げて つかまる前に』 書いた後に切羽詰まった顔を見せる紫揺。

「坊、お前は学のある所の子か?」

紫揺が首を傾げる。

「漢字が書けるんだな。 それも良い字だ」

紫揺にしてみればほんの僅かの時も省きたく、知っている漢字を使いたかったが、あまり漢字を使っては怪しまれると思って見た目の年相応にひらがなを活用したつもりだったが、それでは足りなかったようだ。 それに鉛筆やボールペンなら達筆を隠せるが、筆を持ってしまうとどうしても達筆になってしまう。
紫揺が首を振るとまた書き始める。

『逃げて つかまる なかまをつれて逃げて すぐに』

「おいおい、何を言ってんだ」

宇藤がひょうきんな顔をして紫揺を見る。
宇藤の声に隣に寝ていた男が目を覚ました。 夢うつつだが。

「うっせ・・・」 一言いう。
宇藤が紫揺である坊を背中に隠す。
男が起き上がると目をこすりながら体を起こしている宇藤を見た。

「宇藤か。 まだ起きる刻じゃねーじゃねーか・・・」

そう言うと男が大きく欠伸をした。

「うっせーんだよ。 ケチ付けてねーで寝てろ」

「うっせ」

そう言うとまた布団に戻った。

宇藤が自分を隠してくれたということで紫揺自身の安全が確保できたように思う。 だが一番大切な逃げてもらうことに宇藤が本気に思ってくれない。 どうすればいいのか。
一枚の紙にずっと書き続ける。

『なかまとにげて なかまとにげて なかまとにげて・・・』

それしか浮かばなかった。 それを書き続けた。

「坊・・・」

紫揺が宇藤を見た。
最後に一言書いた。 『おねがい』 と。
紫揺の書いた紙をすべて手に取ると宇藤が紫揺の手を引いた。

「坊、見つかる前にここから逃げな」

紫揺が宇藤に懇願するように首を振りその手を払おうとする。 それを許さない宇藤。

「坊の言いたいことは分かった」

紫揺が小首をかしげる。

「安心しな」

何かを言いたげな目線を紫揺が宇藤に送る。

「だから、分かったって。 坊の言うように逃げる。 安心しな」

紫揺が筆を使いたそうな仕草をする。

「ん? まだ言いたいことがあるのか?」

こくこくと紫揺が首を縦に振る。 宇藤が紫揺の手を離すと筆を持った紫揺の手が再び誤魔化せない達筆で書く。

『今すぐに出て なかまと もう少ししたらつかまる』

「坊、お前・・・」

『おじさん、やさしかった。 お返ししたい。 つかまらないで』

紫揺の心が届いたのか、宇藤の目の色が変わったように見える。

「坊、お前だけでもすぐに出ろ、お前まで捕まっちまう」

紫揺が首を振る。

『おじさんと なかま』

「坊・・・」

『早く』

「・・・坊を逃がしたらその後に逃げる。 安心しな。 だがその前に坊がここの奴に捕まっちまっちゃあ笑えねーだろ。 さ、こっちだ」

宇藤が紫揺の手を引く。

紫揺の気持ちは分かってくれたようだが宇藤はまだ本気にしていない。 それが分かる。 紫揺を逃がそうとしているだけだ。 だが紫揺からしてみればこれが限界だ。 これ以上、宇藤に念を押せない。 宇藤に手を引かれるままに走り出した。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第52回

2022年04月08日 22時48分42秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第50回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第52回



解凍を終えたカルネラが紫揺の肩に止まっている。 そのカルネラを手に取ると卓に乗せる。

「カルネラちゃん、またあとでね。 リツソ君のところに戻ってて」

「シユラ?」

「帰ってきたら、またイッパイ話そうね」

「シユラ・・・」

なにか不安を覚えているのだろうか、カルネラが紫揺の指をもって離さない。

「お腹いっぱいにして待っててね。 あ、なんなら、リツソ君にお勉強をさせておいてくれる?」

「カルネラ、オナカイッパイ、スキ。 リツソ、オベンキョ、キライ」

「そうね。 でもカルネラちゃんがお腹いっぱいになったら、お勉強が嫌いなリツソ君をお勉強させて。 カルネラちゃん、いっぱい言葉を覚えたでしょ? それに負けないくらいリツソ君にお勉強させて」

キョトンとしているカルネラ。
言いたいことが長すぎただろうかと、紫揺が思案しているとカルネラの声が聞こえた。

「カルネラ、タベル。 リツソ、オベンキョウ。 カルネラ・・・。 オシエテホシイノ!」

紫揺の言いたいことが分かったのかどうかは分からないが、たぶん遠くないだろう。

「カルネラちゃんはいい仔。 カルネラちゃんは出来る仔。 何でも知ってる仔」

「カルネラ、イイコ、デキルコ、ナンデもシッテルコ」

「うん。 そう」

カルネラはリツソが大好きな紫揺の “うん” を何度も聞いている。 これをリツソが知ったらどう思うだろうか・・・。
カルネラを犬猫扱いに顎を撫でてやる。 カルネラが気持ちよさそうに目を細める。 紫揺の指が気持ちいい。

「ではすぐに行ってくれ」

四方の声が聞こえた。
紫揺に撫でられ卓の上で大の字になり、今にも溶けそうにノッタリしているカルネラ。
このままにしておけば四方がリツソにカルネラを渡すだろう。

四方が従者に目を流すが、その意味が分からない襖戸内に入っている従者。
いつも付いていている尾能が居ないことを痛感する。 尾能ならこの話の途中に従者に馬の用意をさせ、門番に通すように言っていただろう。

「紫と杠の乗る馬の準備を」

「はっ!」

慌てて従者が走った。

杠と紫揺が四方の自室を出る。 ずらりと四方の従者が並んでいる前を歩くと、末席に “最高か”と “庭の世話か” も座している。

「じゃ、門で待ち合わせ。 着替えてくるね。 杠さんが着替えたら門で待ってて」

「分かった」

紫揺と杠が二手に分かれた。
紫揺の後ろを “最高か” と “庭の世話か” が付いてくる。

「昨日の服・・・衣裳、どうされました?」

振り返り目のあった彩楓に訊く。

「洗いに出しております」

「それ、回収してもらえますか? 杠さんのも」

「え?」

「今からそれに着替えます」

それは地下に潜るということ。

「紫さま!」

「濡れる前に回収してもらえると助かります」

「ですがっ!」

「濡れちゃったら、風邪ひきますから」

地下はけっこう冷える。

「風邪・・・お風邪で御座いますか?」

「はい。 濡れていなかったら風邪もひきませんが。 ・・・馬に乗って走っていれば乾くかなぁ?」

紫揺のその言いように “最高か” と “庭の世話か” が顔を引きつらせた。
すぐに紅香が洗い場に走り、世和歌が再度シキの元に走った。

濡れていない小汚い服に最後の袖を通した紫揺。 そこにシキが飛び込んできた。

「紫!」

「シキ様?」

どうしてここにシキが現れるのかという顔をしている。

「地下に行くの?」

「はい。 でもちょっとした事です」

「ちょっとしたってどういう事!?」

シキが初めて紫揺に怒りをあらわにした。

「シキ様・・・」

「わたくしは紫を地下になど送りたくありません!」

思い上がりかもしれないが、シキがどれ程、自分のことを想っていてくれているのかが分かる。 それがどれほど幸せなことであるか。

「・・・ご心配、嬉しいです」

「なら!」

「でも、全然心配ないです。 子供・・・童のお使いみたいなものですから」

あの地下の者なら簡単にあしらえる。 直接に見たわけではないが、筋肉の付き方がおかしい。 ってか、まともな筋肉ついてないし。 全然、トレーニングしてそうにない。

「紫、無茶を言わないで、行かないで!」

「シキ様は私を信じてもらえませんか?」

「え?」

「私は余裕です」

「何を言っているの?」

「シキ様、地下も捨てたものじゃないです」

「え?」

「結構面白いですよ」

何をやっても誰にも注意をされない。 特に最近の塔弥のように。

「面白いなどと!」

そこに波葉が入ってきた。

「シキ様、地下が安全だとは到底言えません。 ですがいま紫さまはシキ様に信じてもらえないかと訊いておられます。 いつ何時もシキ様は紫さまのことをどうお考えで御座いましょうか?」

以外にも波葉が紫揺の側に付いた。 だがそれは四方の下につく官吏としてなのかもしれない。

「信じていますわ。 いつもいつも紫は正直で真っ直ぐで。 その紫がわたくしは可愛らしくて愛おしくて・・・」

シキの目が潤んでいる。 喉が詰まって次の言葉に繋がらない。

「では今も紫さまを信じましょう」

シキも分かっている。 紫揺が地下に行くのは四方から言われたことだと。 シキに紫揺の足を止めさせる権利など無いことは。

「用が済んだらシキ様の前に帰ってきます」

「紫・・・」

「必ず」

とうとうシキが波葉の胸に顔をうずめて泣いた。
波葉がシキに手をまわし紫揺を見る。

「必ず帰ってくるのですよ」

必ず帰って来て下さいではない。 穏やかな目で波葉が言う。

「はい。 その間シキ様を宜しくお願いします」

波葉が苦笑しながら頷くのを見て部屋を出て行った。

(シキ様を宜しくお願いなどと・・・)

お願いされずとも大切な波葉の奥である。


“最高か” と “庭の世話か” が門まで見送ったが門番が驚いた顔をしていた。
四人の女官が泣いているし、紫揺がまたあの小汚い服を着ていたのだから。

門前には百藻と瑞樹がいる。 共時を宮に残して一旦は報告をする為に剛度の元に行ったのだが再び宮に戻って来ていた。 出たり入ったりするのには波葉から門番に口添えてもらっていた。
その二人が駆り出された。 四方の指示で四方の従者から紫揺を送って行くように言われたからである。

門が開いて四頭の馬が出て行ったが、ここでも従者の気付かなかったことがあった。

先に来ていた杠と四頭の馬と見張番二人を見た門番が、見張番だけならまた出て行くのかと思っただろうが見張番だけではない。 その状態で門を開けて良いなどという指示は受けていない。

門番はまだ交代の時間にはなっていなく、夕べ紫揺たちが戻って来た時の門番だ。
昨日の大階段での様子からするに、この男、杠は四方とマツリと関係があるようだ。 マツリと共に宮に来て、その後には四方の声も聞こえていた。 だからと言って勝手に判断していいものではないし、その内に紫揺まで来た。 勝手に東の五色を門外に出してもいいはずがない。
マツリがキョウゲンに乗って出たのは目にしていた。 すぐに門番が四方の従者の元に走っていた。

それを知った四方がつくづく尾能の優秀さを感じた。


“最高か” と “庭の世話か” が部屋に戻ってきた。
シキと波葉の姿はもう無かった。 二人でシキの部屋に戻ったのだろう。 波葉は今日シキに付き添い、仕事などは出来ないだろうと四人が思う。

「シキ様と波葉様、とても良い雰囲気をお持ちだったわね」

チーンと鼻をかむ。
紫揺のことを話すとまた涙が出てくる。 いや、まだ出ているのだが。 それでも少しでも他のことを考えて気を紛らわせたい。

「ええ、本当に」

手巾を片手に涙を拭きながら、グシュグシュと鼻をすすっている。

「マツリ様と紫さまがあのようになって下されば」

チーン。

「それは・・・あまり想像が出来ませんわ」

チーン。

「ええ。 マツリ様と紫さまではあの様にゆるりとした時の流れではないような」

グシュグシュ・・・とうとうすするのが間に合わなくなった。
チーン。

「どちらかと言えばあの杠様の方が・・・」

四人が杠の背を見ていた紫揺の姿、そしてその後の二人の穏やかな会話を思い出す。

「ええ、杠様とでしたらシキ様と波葉様のような時が流れるような気がしますわ」

四人が目を合わせる。
尤もだ、という目で。
だが全員が首をブンブンと横に振る。

「いえいえ、その様なことがあっては!」

「シキ様にご報告申し上げたら、シキ様も同じような場面を見られたと仰っておられたわ」

二手に分かれた時だ。

「それで? シキ様はなんと?」

「杠様が悪いのではないと。 悪いのはマツリ様だと」

「え? そのようなことを?」

「そう言えばではありませんけど、杠様って見目好くありません?」

「え? ・・・ええ、そう言われれば確かに」

常に紫揺しか見ていないのだ。 杠の顔は改めて思い出さなければいけない。

「私、先ほど杠様に衣装を持って行きましたでしょ?」

三人がコクリと頷く。

「ほら、その時には紫さまはいらっしゃらないから、杠様をまともに見ましたの」

コクコクコクと三人が頷く。 その気持ちは十分わかる。

「とても見目好くお優しいお顔をされていましたわ」

『有難う御座います』 と微笑み、持っていった衣装を受け取った。
三人が互いに目を合わせる。

「それはっ!」

「ええ、紫さまが言っておられたとおりの・・・」

シキからマツリのことをどんどん紫揺に聞かせてほしい、そう言われていた時、紫揺の好みなどを聞いていた。
その中で『優しい顔立ちの人が好き』 と言っていたのだ。

「どう致しましょう!」 お得意のカルテットが見事に決まった。

「あら?」

見事に決まったそのすぐ後にそれを打ち消すように一つの声が上がった。

「どうしたの? 姉さん」

「これは紫さまのお忘れ物なのじゃないかしら」

どうしよう、という目で三人を見る。

紫揺が袈裟懸けにしていた布だ。 結局なにも使わなかったが。
湯殿に入った時、紫揺が身体から外した物だから大事なものかと世和歌が持ってきていたのだ。
それには四人とも見覚えがある。

「どう致しましょう」

「今更間に合わないわ」

「シキ様にご相談を」

四人が頷いて袋を抱えシキの部屋を目指した。


地下の入り口近くにまでやって来た。
紫揺と杠が馬を降りて見張番である百藻と瑞樹を振り返った。

門を出た後に杠から地下に向かうと聞いた時には驚いた見張番の二人だったが、マツリとのことがある。 有り得ない話ではない。 だがその様な指示を誰からも受けていない。

これも四方の従者の手落ちだった。 四方から言われた通りに “紫を送って行くように” と告げただけなのだった。

『これは内密です』 

杠が言うが、内密なら内密でそれなりに指示があったはず。

『門番が聞いているかもしれませんので聞いて来ます』

地下に行くということもそうだが、見たこともない男に紫揺を預けるわけにもいかない。 もし武官長たちが血相を変えてこの門を潜っていたのなら、門番も何かあったと考えるだろうが武官の潜る門はここではない。
そう言った瑞樹を止めたのは紫揺だった。

『内密ですから門番さんは知らない筈です。 時がありません。 行きます』 そう言うと紫揺が馬を走らせた。
驚いた百藻と瑞樹が紫揺の後を追った。
そして一度フッと息を吐いて笑った杠がその後を追ったのだった。


「じゃ、行ってきますのでお願いします」

「くれぐれもお気をつけて」

百藻が紫揺から手綱を受け取り言う。 何をしに行くかは知らないが地下に入るというだけで上等だ。
少し前に地下に入っていたことは知っている。 マツリと二人で。 その紫揺がまた地下に入るというのだ。 何か理由があってのことだろう。 内密だと言っていたのだから紫揺を信じるしかない。

「紫さまを頼みます」

杠から手綱を受け取った瑞樹もそう言う以外ない。

見張番二人はここで待っているようにと杠から言われた。 杠から指示を受ける筋合いなどは無いが、馬を置いていくわけにもいかないし、連れて帰っては紫揺の帰る足がなくなる。 しぶしぶ杠の言うことを聞くということになってしまった。

二人が並んで歩く。
杠はマツリとは違う。 地下の者たちにどう見られるかなど考えなくていい。 それにこの早朝に誰も居るはずがない。

「武官さんの集まりが良かったら結構早くにここに来るかもしれないね」

「そうだな」

「走る?」

杠が眉を上げる。

「シユラのしたいように」

言ってから笑いを噛み殺している。

「なに?」

「シユラってあんまりジッとするのが得意ではないのか?」

紫揺が頬をプクッと膨らませるとクックと笑い声が漏れてきた。

「宮ではそんな風に見えなかったんだけどな。 あの衣装もよく似合っていたし、宮の女人にしか見えなかった」

「だからそれはシキ様の見立てがいいから。 私はどちらかというと、こういう衣の方が好き。 動きやすいから」

そう言って両手を左右に伸ばす。

「そうか。 じゃあ、動きやすい衣で走るか」

「うん」

杠が先に地を蹴った。 紫揺がそれに続く。
紫揺の足音を耳にしながら時々振り返る。 ジッとしていられない性質(たち)なのがよく分かる。 走り始めた時と全く距離があいていない。
時々休憩を取るように歩きながらどんどんと奥に進んでいく。

「俤さんはどうやってあの塀を乗り越えたの?」

地下に入ったのだから、ちゃんと杠から俤と言い変えている。
マツリが作った足場は中からは使えるが外からは使えない。

「それなんだがシユラの手を借りたい」

「二本で良ければ」

そう言って手をヒラヒラとさせた。
杠が言うには、ちょっとした道具を使ってあの塀を乗り越えたということであった。 出る時の為にその道具は塀の内に入れてあったという。
マツリが作った足場のところから紫揺を肩車で上げるから紫揺が先に入り、その道具を外に投げて欲しいということである。

「屋敷の中は私一人でも大丈・・・」

と言いかけて止まってしまった。
前回見つかるところを杠に助けてもらったことを思い出したのだ。
杠が口の端を上げる。

「肩車が恐いか?」

あの塀の高さを思うと普通の肩車では無理だろう。 杠の肩の上に立たなくては。 それでもこの身長。 簡単には届かないかもしれない。

「恐くないけど他の方法もある。 一度そっちを試してからでもいい? 俤さんの手を借りるけど」

「シユラのしたいように」

二度目。 心地良いフレーズ。 紫揺がニッと笑う。

「朝の見張番はどうなってるの?」

「表側に何人かいるだけだ。 その他はさすがに朝はない。 地下の者は夜行性だからな」

「じゃ、忍び込みやすいね。 ウドウさんの部屋知ってる?」

「共時から聞いてきた。 共時が居た頃と変わっていなければ、だがな」

「一か八か、か・・・」

こんな時にカルネラが居てくれればと思うが置いてきてしまった。
あと一つ角を曲がると城家主の屋敷という所に来た。 抜け出した時は暗く、表に立つ者をあまり意識せずに済んだが今はそうはいかない。
空気孔の役目も果たしている明り取りの穴から朝陽が斜めに入ってきている。 角から見張番の方を覗き込むと、二人が座り込んで塀にもたれて頭を垂れている。

「あれ? 寝てる?」

「そのようだな」

「じゃ、一気に」

そう言うと紫揺が走り出した。 まさに脱兎の如く。

「へぇー・・・」

紫揺の足の速さに感心しながら杠も走り出す。
シンとする中、二人の走る足音にも気付かず二人の見張番は舟をこいでいる。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第51回

2022年04月04日 21時05分55秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第50回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第51回



「どうして泥を拭かせた」

「はぁ?!」

「聞こえんのか! どうして泥を拭かせたかと訊いておる!」

「マツリが付けた泥じゃない! それをキッチャナイと思ったら拭いてくれもするわよ!」

「俺がお前に付けた泥が汚いというのか!」

「誰が付けようが、泥は泥でしょうがっ!」

シキが立ち上がりマツリの元に寄る。

「マツリ、父上が出られました」

声を掛けるだけなら気付くまい。 シキがマツリの肩に手を置いて言う。
何だと! と言いかけたマツリの口が止まった。

「・・・え?」

「父上とご一緒にマツリも出なければいけなかったのではありませんか?」

「あ・・・」

「わたくしのお房に来なさい」

もう大声は出さないと思っていたのに。

「いいえ、すぐにでも父上の元に―――」

シキが首を振る。

「父上からマツリのことを頼まれました。 わたくしのお房にいらっしゃい」

「・・・」

「シキ様・・・」

「紫、紫も地下に行くなどと言わないでちょうだい」

そう言うと杠に目を移す。

「こちらは父上のお房です。 父上が居られない時に留まることは相成りません。 紫に付いている者がお房に案内します。 そこで紫を説得してください。 わたくしは紫を地下に送りたくはありません」

杠が椅子から立って直角に腰を折ってみせた。

「マツリ、いらっしゃい」

そう言ってシキがマツリを従えて四方の部屋を出た。
すれ違うように “最高か” と “庭の世話か” が入ってくる。


シキの自室に入るなり口を開く。

「マツリ、どうして紫にあんなことを言うの?」

「あんなこと?」

「紫の頬に付いていた泥のことよ」

マツリが口を曲げる。

「父上の元に行きます」

「マツリ!」

シキの声を背中に聞き、マツリがシキの部屋を出て行った。

「これはマツリ様、このようにお早く―――」

声を掛ける波葉の横を無言で過ぎていく。 波葉がマツリの後姿を追う。 シキと何かあったのだろうかという目をして。

「シキ様、マツリ様と何か御座いましたか?」

波葉の姿を見た昌耶が襖戸を開け、シキの部屋に入ってきた。 シキは椅子に座ることなく立ったままだった。

「どうしたらいいものか、もう分かりませんわ・・・」

近寄ってきた波葉の胸にしなだれる。

「いったい、何が御座いました?」

シキを椅子に座らせながら自分もそのすぐ横に椅子を引っ張り、シキをもたれかからせてやる。
シキが紫揺が帰って来た時のことから、つい先ほどまでのことを波葉に聞かせた。
すると波葉が困ったものだ、と言いながらどこか微笑を零している。

「波葉様、全く困っておられないご様子ですわね」

もたれかかりながら見上げるシキの顔を見る。

「まだ整理がつかれていないご様子」

「先日波葉様が仰っておられたことですか?」

「はい。 妬心です。 妬心を持たれておいでのご自分に気付いておられないようです。 いいえ、その前に紫さまのことを想っておられることにも、まだ気づいておられないご様子」

「妬心・・・」

「私もシキ様が他の方とお話されているお姿を見る度に心が淋しくもなり、痛みもしました」

まだ一方的にシキのことを想っていた当時のことを思い出して苦笑する。

「まぁ、波葉様はそんなことをお感じになっておられたのですか? 言って下されば宜しかったのに」

「まだシキ様に私の気持ちを申し上げる前です。 そんなことは恥ずかしくて申せません」

それに己の狭量をあらわにするだけだ。 シキから目を外し照れた顔を隠す。

「人それぞれ感情の現れ方が違うのでしょうが、マツリ様の場合は怒りとして現れるご様子ですね」

己の話しはもういい。 ついウッカリ言ってしまったが恥ずかしくて耐えられない。 マツリの話に戻そう。

「そう、ですわね。 分からなくも御座いません。 わたくしも・・・妬心を感じたことがありましたわ」

「え? いつで御座いますか?」

シキが嫉妬心を抱いてくれていたなどと露ほども思わなかった。 波葉が喜び勇んで訊ねる。

「紫が北の領土のニョゼという者に抱きついた時・・・」

あの時は妬けた。

「・・・そうで、御座いますか」

自分に対してではなかったのか。 一気にしょぼくれる波葉だった。

シキが身体を起こし波葉を見て何かを言おうとした時、カシャカシャと足音が聞こえてきた。

「失礼いたします。 ロセイがやって参りました」

襖戸外に居た昌耶から声が掛かる。

「開けてあげてちょうだい」

襖戸が開けられロセイが入ってきた。 昌耶が襖戸を閉める。

「どうでした?」

まるでロセイが来ることを知っていたかのようにシキが訊くのを見て波葉が首を傾げる。

「マツリ様のお気持ちが時折分からないと申しておりました。 紫が地下に入った時には一旦地下を出られ、時を待っておられたようですが、そこでは石を投げつけたり、理解不能なご様子でおられたようです。 他には首を傾げるばかりで」

先ほど四方の部屋で話している間にロセイに頼んでキョウゲンに話を聞いてもらっていた。
マツリが部屋を出るのを待ち、ロセイをマツリの部屋に入れた。 だから四方の部屋には遅れてやって来ていた。

「・・・そう。 キョウゲンがマツリの気持ちが分からなくなったのはいつからだと?」

「初めては北の領土で、ということで御座います」

「それは紫が北の領土に入ってから?」

「そのようです。 紫と初めて顔を合わせた時と言っておりました」

「今も分からない時があると?」

「時折。 昨日、地下に入った時もあったようです」

「そう。 ありがとう」

今はシキと波葉が居る。 ロセイが気を利かせて向きを変えると嘴で襖を開け出て行った。 閉めるのは昌耶の役目である。

「キョウゲンが何かを知っているかと思いましたけど、そうでは無さそうですわ」

「シキ様?」

「供は主が理解したことを知ります。 先程、波葉様が仰ったようにマツリは何も理解していないようですわ」

「そうですね」

「波葉様? 何か策は御座いませんか?」

「と仰られましても。 紫さまは東の領土のお方です。 下手にお勧めできるものでは御座いません」

波葉の言いたいことは分かるが・・・それでも美しいシキがプクッと頬を膨らませた。
紫揺の影響だろう。 よい影響とは言えない。
だが初めて見るシキの表情に目尻がユルユルになる波葉であった。


一室に二人の影がある。 どちらも椅子に座らず立っている。 一方は開けられた窓から徐々に明るくなっていく外を見ている。 もう一方は徐々に解凍していくリスを手に乗せ、一方の後姿を見ている。

「聞いた。 東の領土の五色の紫さまだってな」

「私の事、言いにくそうだったね」

紫さまと言う時もあればシユラと言っていた時もあった。 知らず心が決めかねていたのだろう。

「カルネラにシユラって聞かされていたからな」

その様子を見ていた “最高か” と “庭の世話か” が互いに目を合わせた。 これは危うい雰囲気だと。 四人が頷き合う。 そして二手に分かれた。

杠が振り返った。 紫揺と目が合う。

「地下にはいかない方がいい」

「どうして?」

即答ならず、即問。

「四方様も言っておられた。 結果がこうしてあるから良かったものをって。 俺もそう思う」

「結果は・・・結果って言われたら、全ての結果がどんな風になるかは分からない。 あとになってみないと。 でも私はどんな結果でも一緒」

どういう意味だろうかと、杠が首を傾げる。

「やるだけのことをする。 それは相手の力量を見て判断する。 無理だと思ったらそこには挑まない」

「地下には挑めるってことか?」

「うん、柔すぎるから」

「え?」

「根性とかって精神論じゃなくて、肉体的なこと」

「肉体的?」

「うん。 地下に居る人って、言い方悪いけど堕ちた人でしょ?」

「まあな」

「地下に行く前に精神的に負けちゃって地下に堕ちちゃったんだろうけど、共に肉体も出来てない」

「え?」

「キツイ言い方をすると、愚鈍」

「・・・」

「肉体を持て余して発散することが出来なかった。 暴れたけど暴れて負けた。 だからへこんで地下に堕ちた。 全員がそうだとは言わない。 でも私が見た限りはそういう人がいる、多い。 まず発散の仕方が間違ってるんだけどね」

「それは上手いことそんな奴にあたっただけだ。 そんな奴ばかりじゃない。 力のある者に捕まれば逃げることなんで出来ない」

「分かってる。 でもその時には私には裏の手があるから」

五色の力が。
閃光でも走らせれば逃げられる。 だがそんなことを杠は知らないだろう。

「・・・シユラ」

「うん、そう言って欲しいな。 今は紫揺って呼んでくれるのはリツソ君とカルネラちゃんだけだし。 杠さんにも紫揺って呼んでほしい」

「何があった?」

杠が紫揺を更に見る。

「・・・何もない。 産まれた時には・・・紫だって知らなかっただけ」

「話してくれないか?」

紫揺が杠を見上げる。

「お茶が入りまして御座いますーっ!」


「それは避けたい」

まだかろうじて、下働きの者が数人動き始めたところだ。 紫揺の話しからすると、厨の者の両親も囚われているということであったが、ここには宮内の厨の者は来ない。
宿直(とのい)の武官を武官長宅に走らせ、早朝に招集した四人の武官長を前にした四方。

「ですが、紫さまの仰ることが一番かと」

紫揺から聞いたことを話した。 地下であったことも紫揺の提案も。 その上で武官長から『東の領土に頼るなどと』 と言われるつもりだった。 その事が紫揺を留めさせる一策であると考えたからだ。
それなのに、誰もが首を縦に振った。

「分かっておるのか!? 東の領土の五色なのだぞ、本領の五色ではない。 それに! 武官としての矜持はないのか!」

紫揺である東の五色に頼るなということだ。

「まずは五色様ということだけであるならば、本領から出せばよろしいでしょうが、そうでは御座いません。 五色様ならそこに五色様のお力が働いておられるかもしれませんが、五色様と言うよりその個人、紫さまのお力では御座いませんか?」

「何をもって言う」

「まずは紫さまはお力を出されておられないご様子」

敢えて考えてはいなかったが、言われてみればそうだ。

「我らは必要以上の血を望んではおりません」

それは重々分かっている。
ここのところの忙しさは四方だけではない。 武官もあちらこちらに行き、山賊やら盗賊と戦っている。 その時の死傷者のことは報告を受けている。 山積みにされた書類の中にしっかりと入っている。
それに時悪くつい先日、多数の武官が辺境と六都に向かったばかりだ。

「紫さまのご発案が何よりも危険になる人数(ひとかず)を減らし、少しでも混乱を避けることが出来ようかと」

「紫は本領の者ではない」

紫揺の提案をここで言ってしまったことに今更ながら後悔する。

「四方様、今あまりにも本領が乱れております。 その根源の一つが地下で御座います」

「分かっておる」

「先ほどのお話しからしますに、山賊や盗賊が躍起になって荒しているのは、地下の者が本領に出て来て商人を襲っているからなのではないでしょうか」

元は杠からの情報である。

「それに人攫いのこともそうです」

四人の武官長が交互に言うのに四方が腕を組む。

「そのうえ今、宮都の者が囚われているのです。 いつどうなるやら分かりませぬ」

四方が囚われている者のことを言った時、全員が大きく目を開けた。 多分、紫揺から聞かされた時、己も同じ様だったのだろう。
本領の者が地下の者に攫われ、囚われるなど誰も考えない事だったのだから。 地下には地下の世界がある、地上、外とは一線を引いている。 ずっとそうだった。 それが守られてきていた・・・筈だった。

(おやっさん・・・)

四方の頭に一人の男の顔が浮かぶ。
そのおやっさんはもう居ない。 城家主と呼ばせている、あの城家主から波の向きが変わった。

「お話では百人ほどの者が地下の屋敷に居ると。 いま宮都に残っている武官は半数もおりません。 いいえ、その半数にも満たない者たちですら、全員向かわせることも相成りません。 一刻を争います。 人数が足りないと宮都を出ている者たちの招集をする時をとったが為、囚われている者に何かあれば取り返しがつきません」

杠の話しから城家主の屋敷には百人は居るということだった。 それを思うと今の武官の人数をどれだけ揃えられるのか分からない。 紫揺の力を借りて少しでも屋敷の人数を減らすのが得策だ。

「根断やしにするのが今なら、東の領土の五色様と言えどお力を頂いても宜しいかと。 失策であったならば、この本領から東に五色様を送れば良いことではありませんか」

「・・・」

「四方様! 時は今しか御座いません!」

囚われた者が地下の者ではなく宮都の者。 その者達の身にいつ何が起こるか分からない。 悠長にはしていられない。

「五色は・・・紫は使い捨てだということか」

「その様なことは申しておりません」

五色の先祖を辿ると本領領主の祖先に辿り着く。

「今しかないと申しております」

襖戸内には側付きである尾能を除く四方の従者四人が座っている。 廊下に座るとこんな早朝に四方がここに居ると知られるからだ。

尾能は部屋に戻された。 母親のことがあるからである。 母親が地下の者に協力していないという証拠は無い。 言ってみれば牢屋に入れられてもおかしくない状態だと尾能は考えるが、それを思えば四方の恩情を痛切に感じていた。

四人の武官長と話し終えたところにやっとマツリがやって来た。 どこで話しているのかが分からなく、探すのに時がかかった。 言い変えれば、誰にも此処に四方が居ると知られていないということだ。

武官長たちはそれぞれ動くため、すぐにその場を辞した。
少なくとも紫揺の情報からは、武官の者は関わっていないようだ。 いま宮都に残っている武官を集め、可能な限りの人数で準備に入る。

二人の文官と厨の女の合わせて三人、そして紫揺からの報告はなかったが、マツリが見たとされる乃之螺(ののら)、その四人は武官ではなく四方の従者が捕らえることになった。 とは言っても引っ立てるのではない。 引っ立てるのであれば武官がすればいいこと。
まるで用があるかのように連れて出る。 四人が四人とも手を貸していたとは限らないのだから。 手を貸していなければ、現段階では乃之螺を除くと単なる被害者の家族だ。 人の目のある所で引っ立てるわけにはいかない。

そして見張番はマツリの話しから完全に情報を流しているのを感じさせる。 それにこちらは文官や厨の女と違って腕が立つ。 武官に任せることとなった。
マツリは先に剛度のところに飛び、事の次第を連絡し段取りを組む役目を仰せつかった。 情報を流していたという何の証拠もない。 こちらも人目につかず事を運ばなければならない。

「承知いたしました」

「今から飛べば、そんなに目立たんだろう」

「では行って参ります」

「頼む」

宮都内は一気に同時進行で進める。 宮都からの連絡が一切届かなくなるようにしてから武官が地下に入る。
その前に地下に向かわせなければいけない者がいるが。


四方の自室に再び紫揺が呼ばれた。

「己も同席させて頂いても宜しいでしょうか」

襖戸を開けた紫揺の後ろに杠が立っていた。

「かまわん」

二人が椅子に座ると、おもむろに四方が話し出した。

「武官の矜持において、紫が地下に入ることを拒む」

紫揺が口を一文字にし、杠が安堵の表情を見せた。

「と言いたかったのだが」

紫揺が眉を顰め、杠が両方の眉を上げる。

「武官長を抑えきれんかった。 力を貸してもらえるか」

紫揺の口の端が上がり、杠は顔を下げると四方に分からないよう溜息をついた。

「武官数名を付ける。 勿論、紫とは関係のないようにして歩かせる」

「杠さんどう思う?」

四方の提案に疑問を感じる。

「どうというのは?」

「武官さんって、完全に新顔だよね。 そんな人たちがジョウヤヌシの屋敷の近くまで行くもの?」

普通に考えて、右も左も分からない新しく入ってきた者があんなに奥まで入るだろうか。 それに城家主の屋敷の周りには、手下しかウロウロしていなかったように思う。

杠が困ったという表情を見せている。
紫揺の言うことは間違っていない。 それに落ちてくる者は夜に落ちてくるものだ。

杠が四方を見る。
四方が頷いて発言を許す。

「今シユラが言った通りです。 新顔があんなに奥まで入りませんし、まず城家主の屋敷の周りには手下の者しか居りません。 それに新顔は夜に入ってきます」

杠の進言に紫揺も続いて言う。

「それと武官さんって言ったら、きっと・・・目つきが違うんじゃないですか? 落ちてくるような人の目はしてないんじゃないですか? 地下の人の目って、ボゥーッとしてたり生気がなかったり、変にギラギラしてたりしてました。 万が一にも地下の人に見つかったらすぐに分かると思います」

四方が唸る。 目、と言われれば確かにそうである。 内から出るものを隠せるほどの役者は武官たちの中には居ない。

「だからと言って紫一人行かせるわけにはいかん」

「マツリは?」

「他用に出ておる。 紫には今すぐにでも向かってもらいたい。 城家主の屋敷の者が動く前にこちらが攻めたい。 その為にも紫には少しでも人数を減らしてもらいたい」

「一人でも大丈夫ですけど?」

「それだけは絶対にいかん」

「じゃ、杠さんは?」

四方と杠を交互に見る。

「下知を頂ければ。 己もシユラを一人で行かせないことは無謬(むびゅう)かと」

時の流れる音が聞こえたような気がする。 その中に四方の嘆息が聞こえた。

「では杠、頼めるか」

「有難うございます」

杠が立ち上がり腰を折るではなく、今までに見たことの無い男らしい礼をした。 それは単に軽く頭を下げるだけだったが、紫揺にはそう見えた。

「紫の言っていたように、宇藤と共時だけに真に従う者だけを屋敷から出すよう。 よいか、紫もだが杠も出来る範囲で良い、無理はするな」

そう言い始めて後の段取りを二人に聞かせた。

「承知いたしました」

そう言ったのは杠である。 紫揺においてはそこのところを憶える気がないようで、カルネラに話しかけていた。

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第50回

2022年04月01日 22時46分14秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第40回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


     『辰刻の雫 ~蒼い月~』 リンクページ




                                  




辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第50回



紫揺を見ていた杠が四方に目線を移し紫揺に援護射撃を送る。

「捕まった後、手下たちがそれらしいことを話しているのを聞きました。 城家主のやり方の一つに家族にしか分からない何かを訊くそうです。 それは攫った証とする意味もありますが、証だけではなく家族に恐怖を植え付ける為。 そのことで密告を逃れていると」

紫揺が杠を見て頷く。

「それに気付いて母上は耐えて何も言われなかったんだと思います。 母上を誇りに思って下さい」

四方が頷く。 その頷きは杠が言ったことに了解したということと、紫揺が尾能の母親に対して心ある言葉を言ったこと、そして尾能自身に対してである。

「ありがとう存じます」

今も尚、顔色の悪い尾能が紫揺に頭を下げる。

「四方様、助けてくださいますか?」

尾能から目を外し四方を振り返った。
四方が頷く。

「他には」

「牢屋のことはこれだけです。 せいぜい屋敷の何かと、ウドウさんとキサのことくらいですが、これは人となりくらいなものです」

椅子に座り直し話す。
まるで尾能の母親のことから息を吹き返したように話すが、簡単に忘れられるものではないであろうことは、今も紫揺の沈んだ目を見れば誰もが分かることだ。

「屋敷の何かとは?」

「当たり前と当たり前でないことが分かりませんが、私が囚われた屋根裏にお金・・・沢山の金貨や宝石・・・じゃないな。 なんて言ったっけ」

「飾り石。 それは我が報告した」

「あっそ。 あ、思い出した。 マツリ、女人だとバレるとヤバいって言ってたけど、坊でも同じだったじゃない」

所々分からない言葉があったが何を言いたいかは分かる。 何のことかとマツリが眉を寄せる。

「売られる所だったじゃない」

「売られる?」

言ったのは四方。

「売るって言ってました。 売られるつもりはなかったけど」

四方とマツリが目を合わせる。

「父上、人さらいの話がありましたでしょうか?」

「・・・無くはない」

地下から出て商人を襲っていると共時から聞いたのは杠だ。 その話は既にマツリに言っている。 マツリから四方も聞かされていた。 杠も四方とマツリと同じことを考えた。

「地下を出て売りに行くつもりだっ・・・た」

ポツリと言った杠。 地下の中で売るようなことは無い。 万が一にもその趣向がある者に売ったとしても、本領内で売るのと比べるといくらにもならない。

「ああ、そのようだな。 紫だけではなく、地下の者が出てきて人攫いをして売っていたのだろうな。 報告されている人さらいの話が全て地下の者がやったこととは限らんが、その内の何件かは可能性があるということだろう」

杠の独語に応えたのはマツリだった。

「地下から・・・城家主の手下がかなり出てきていたということか」

確かに百足からも聞いていたし、杠から聞いたとマツリからも聞いていた。 だがそれ程に出ていたとは。
酒や食べ物を買いに地下から出ていることは知っていた。 それは地下が出来た頃からのことだったのだから。
まっとうに買っているのかどうかは怪しいところではあるが、地下で何かを作ることは出来ないし、まず、作るということが出来るのならば、働くということが出来るのならば地下になど行かない、落ちない。

「己も共時から聞かされるまでは、まさか地下からそのようなことで出ているなどとは思いもしませんでした。 きっと百足にしてもそうで御座いましょう」

何やら男たちが深刻な顔をしている。 まぁ、深刻な場なのだからそれはそうなのだろうが。 だが自分が売られるかもしれなかったという話はどこにいったのだろうか、とは思うが、売られる気はなかったのだから、まぁいいか。

そんなことを思っていると誰もの口が閉じられた。
ではここが話時か? と紫揺が口を開く。

「お話戻します。 目立った所では光石かな。 最初に入れられた部屋にはこの宮でも見ない大きな光石があったくらいかな? 廊下には光石が無かったけど、私が入った部屋は他に和室と台所。 そこにはここと同じくらいの光石がありました」

「この宮でも見ない程の?」

それだけではない。 ここと同じくらいの大きさの光石があるというのもおかしな話だ。

「大きかったです」

四方が眉根を寄せる。

「光石のことなら我も気になるところがあります。 地下全体に光石が増えているような気がしておりました」

杠も頷いて口を開く。

「決して大きな光石では御座いませんが、手下が城家主からかすめ取ったと噂も流れておりました」

四方が難しい顔をして、いったん下げた顔を上げる。

「いま紫が言った大きさの光石が地下にあることは有り得ん。 地下の者が外のどこかで盗み持ってきたということもな」

光石の管理は徹底的にされている。
そうなると考えられるのは・・・。

「光石の採掘場と加工場か・・・。 そこを洗わんといかんということか」

先に聞いた城家主の手下のことを考えると、その二か所にも足を踏み入れている可能性がある。

地下にある光石はその昔、一般に流通していた時の物である。 だから大きなものは簡単に手に入るものではない。
今は光石は流通をさせていない。 新たに採掘されたものは宮の物となっていて、必要に応じて貸与しているだけである。

加工後に盗んではすぐに分かることである。 採掘場から重さをはかる前に盗んでいるのか、或いは採掘場と加工場の両方に地下と関係する者が入り込んでいるのか。
そうであったのならば、地下の者はどれほど外に出てきていたのだろうか。 否が応でも城家主をこのままにしておくことは出来ない。

「他には」

「もしかしたら、なにかを見たかもしれませんけど、私的には気になりませんでした。 あとはさっきも言いましたけど、ウドウさんとキサのことくらいです」

「宇藤のことは昨日、杠から聞いたが?」

紫揺が杠を見る。

「己は己の情報をお伝えしただけ。 シユラ・・・紫、様が感じたことをお伝えすればよいかと」

紫揺が頷いて視線を四方に戻した。

「私のことを坊・・・子だと思っていたからかもしれませんが、優しい方でした。 気もよく付くし、キサが私を襲って・・・傷つけようとした時もキサに立ち向かってくれました。 キサの手から逃げて隠れている時に誰かが言ってるのを聞きましたけど、キサにはついて行けないって、ウドウさんに相談してました。
ウドウさんも、ジョウヤヌシからその人達を庇うように言うと、言ってらっしゃいましたし、キサを潰すとも。 それと逃げた私を探さなくていいって、探す振りをするだけでいいって。 それがあったから私も動きやすかったんだと思います。 それから誰かがこんな時にキョウジさんがいてくれたらって」

そこまで言うと思い出したように杠に向いた。

「忘れてた。 杠さんのことも気にしてた。 男の人たちがウドウさんに相談してたんだった。 あんな一番下に押し込められて、俤さんをこのままにしておくんですかって」

だから杠が地下の二階に居ることが分かったとも言った。
杠が口角を上げる。

「宇藤から必ず出してやるって聞いていた」

きっと己の飯のことも宇藤が言いつけたのだろう。 そうでなければマツリとの接点があることを知らない城家主にとって何の益も持たない己だ、殺すつもりの奴に飯など運んでこないはずだ。

「そうなんだ」

「当てにしてなかったけどな」

杠が言い終えると軽く鼻で笑った。 紫揺がそれに応えて笑む。

四方の居る席で完全なる無駄口である。 それが許されるものでないのは分かっているが、今も顔を曇らせている、紫揺が見てしまった尾能の母親のことに少しでも心を和らげさせたかった。

それは四方もシキも分かっている。 だから特に何を言うわけでもなかった。 だがマツリからはどんどん異様なオーラが出ている。

「杠」

「はい」

「昨日聞いた限り、杠は百足を助け出そうとしたそうだが」

「はい」

「どうして百足を知っておった」

この質問は先に二人だけのときに訊いていても良かったのだがマツリにも聞かせたい。 二度手間は不必要だ。 敢えてあのときに訊かなかった。

「共時のことを探っている時に知りました。 四方様の・・・が紛れていると。 それからしばらくして、報酬を手にした者を酔わせて訊きました」

「狗か・・・どこから漏れたのやら・・・」

「二人・・・二人が踏み込み過ぎたようで御座います。 暫く怪しまれていたようで、怪しんでいるだけでは進まないと、難癖をつけて捕まえたそうですが、それを助けようとした三人も捕まったと」

四方が顔を投げた。
百足の鉄則。 仲間を見捨てる。 それを破ったということだ。

「百足が何をもって足を踏み込んだか知っておるか」

「あの段階では朧気ではございましたが、捕まっている尾能殿の母上のことではないかと。 少々呑ませ過ぎてはっきりと訊くことは出来ませんでしたが、今から思うに最初にその様なことをほのめかせていたと思います。 そこから四方様の狗ではないかとなったようです。 四方様の百足と」

百足のことは共時と会った後に四方から聞いている。
四方が腕を組む。

「百足からは、なにか情報があるようなのだが、それに心当たりはないか」

一度首を傾げたが、考えながら口を開く。

「いま・・・紫、様が話されたことがそうでは無いでしょうか」

言いながら尾能を見る。

「百足が尾能の母御のことを紫を伝って知らせた、ということか」

「四方様に一番付いておられるお方の母上です。 いくら母上が口を割らなくとも、四方様に何かあっては、と思ってのことではないでしょうか。 あくまでも推量で御座いますが、己ならマツリ様に近しい者の母上が捕らえられたとなれば、一番にお知らせします。 マツリ様の御身を考えます。 他に心当たりは御座いません」

杠が話している間、紫揺はずっと杠を見上げている。

―――杠を見上げている。

紫揺が杠の足の間に入って杠を見上げ、杠がその紫揺を見下ろして何やら話していた。 己はそれを窓の外から見ていただけ。

「でも、デカームの人はビノウさんの母上とは一言も言わなかった」

“デカームの人” というのが、百足と呼ばれている者だと話の流れで分かっているが、百足とは言いにくかった。

「母上が口を閉ざしていらっしゃるんだ。 百足が勝手に言えるものではない」

「ああ・・・。 そっか。 それであんなに何度も母上に私と話をするように言ってたんだ」

多分な、と紫揺に返事をすると、次に四方を見て言った。

「四方様、百足はデカームという言葉と、紫、さまから尾能殿に話がいく。 これを繋ぎ合わせて、お伝えしたかったのではないかと。 若しくはどちらかに賭ける」

「・・・どちらも考えられるな。 それと、先ほど杠が言っておった証の話だが」

「はい」

家族にしか知らない事、それが攫った証となり、恐怖を植え付けることになるということ。

「見張番が金を受け取っていた理由には見当がついた。 だが官吏・・・文官だが、そこには見当がつかなかった。 証が恐怖となるということは文官に金を渡す必要などない。 だが文官も金を受け取っておる」

杠が頷く。

「無理矢理にでも持たせることで、共犯若しくは罪悪感を持たせる為だとは考えられんか。 それで密告を避けると」

「考えが及びませんでした。 然に」

頷いた四方がマツリを見る。

「そう思えば帖地のことが納得できる」

マツリの目に禍つものが視えなかった帖地。 無理矢理に報酬を持たせられることで罪悪感もあったのだろう。
回廊で会った時、地下の様子を訊いてきた。 マツリが気付いているのかどうかを知りたかったのだろうか。 だがその先のことを話すことはなかった。

「・・・はい」

「四方様、いつ助けに行くんですか?」

チラリと紫揺を見た四方が杠に訊ねる。

「見張はどうなっておる」

「屋敷の前には常に歩哨が立っており、屋敷の内塀沿いに巡回もしております。 牢屋には常の見張りは御座いません。 百足たちがいる階には日に二度食事を運んで来ているようでした。 己は一度でしたが、上の牢屋に運んできた折についでに己を覗いておりました。 それが大体、昼餉前と夕刻を大分過ぎた頃です。 それ以外に見張りがあるようなことは御座いません」

「ということは、昼餉前まで杠が脱(ぬ)けたということは知られんということだな」

「何かがない限り、まずは」

「そうか。 ・・・こう言っては何だが、杠はどうしてすぐに殺(や)られなかった」

「リツソ様のことで、内輪揉めがあったからだと思います。 もしかすると宇藤がそれを作ったのかもしれません」

俤を助けると言っていたのだから。

「宇藤という者は知恵者か・・・。 杠が逃げたと知った後では奴らが探しに屋敷から散るかもしれんか。 だがその前になら押さえやすいだろう。 準備の時はある」

「屋敷の外にも城家主の裏切り者がいないかどうかを見ている “隠れ手下” という者がおります」

「なに?」

四方が渋面を作った。

「どれくらい居るか分かっておるか?」

マツリが訊く。

「いいえ、残念ながら。 何人もに接触をしましたが、それらしい者にあたりませんでした。 “隠れ手下” と身を明かしてきたのは共時だけです」

「では、共時が他の者を知っているようか?」

「申し訳ありません。 訊いてはおりません」

「父上、どう致しますか」

うーん、と四方が何度も腕を組み直す。

「・・・仕方があるまい。 屋敷の中の者だけでも捕らえる。 屋敷の外の者を捕らえるにはその理由がないからな」

屋敷の外に居るのだから、屋敷内で囚われている者との関係性があるとは言えない。

「全員捕まえるんですか?」

え? と誰もが声の主を見た。

「屋敷の中にいる人、全員を捕まえるんですか?」

再度紫揺が問う。

「本来なら本領は地下に口を出すことはないが、この本領の者を攫っておる。 捕らえるに十分値する」

「それって、ウドウさんもってことですか?」

「屋敷に居る者を一度全員捕らえる。 一度捕らえて尋問し、それによって地下に戻す者は戻す。 共時に地下を立ててもらわねばならん。 その手下が必要だからな」

「ウドウさんを慕っている人もですか?」

「ああ」

「それって自己申告ですか?」

「何を言いたい」

「嘘ついて、ジョウヤヌシのすることには反対だった。 従いたくなかった。 ウドウさんが良かったって言った人も、リリース?」

「りり? なんだ?」

「あ、釈放。 ・・・戻すです。 そんな人も戻すんですか?」

「・・・」

「それっぽい人居ました。 ジョウヤヌシに従ってるけど、ウドウさん系にはぶつからないようにしてるだけの人」

「けい?」

「緩いウドウさんの仲間?」

「結局、何を申したい」

「時があるんだったらウドウさんに言って、ウドウさんと確実な仲間たちを本領が捕まえに行く前に屋敷から出せばどうですか? そうすれば二度手間がないし、嘘つく人も出てこないし。 嘘つく人がまた地下に戻ってきたら共時さんも立て直しに困るでしょう? それでなくても屋敷の外にも居るんでしょ? 共時さんが立て直しに失敗したらまた同じことが繰り返されるかもしれません」

「・・・難しい話だ」

「どうしてですか?」

「話からすると宇藤は共時の言うことは信じるだろう。 だが共時が動ける状態ではない」

「ウドウさん、私の言うこと聞いてくれると思いますよ?」

「は!?」 と、四方。
「紫!」 と、シキ。
「シユラ・・・」 と杠。

マツリは目を見開いているだけだ。 側付きにおいては悪かった顔色を更に蒼白にし、今にも倒れそうである。

「共時さんにお手紙でも書いてもらって、それを私が持って行ってもいいし。 っんと、 私、屋敷で口が利けない振りしてたんです。 それをチャラにして喋ってもいいし」

「ちゃら?」

四方が紫揺の言ったことをまたしても訊き返したが、こんなことを何度も繰り返したくなどない。 今までの様子から杠は上手く紫揺を誘導してくれるだろう。 杠を見ると顎をしゃくってあとは任せるとした。

「あ、えっと。 無かった事って言うのかな?」

四方から顎をしゃくられた杠が口を開く。

「だが宇藤が必ずシユラの言うことを聞くとは限らないだろう」

「きいてくれるよ。 多分」

「多分だろう」

「私の顔に泥が付いてたのを拭いてくれたし、持ってきてくれたご飯を食べたらよく食べられたなって、頭を撫でてくれたし、私が寝ている間にお布団もかけてくれた。 多分、子扱いしてたんだろうけど、そのままの姿で行けば子だから信じてくれると思う。 だますことになるけど」

「顔に泥が付いていた?」

「うん。 濡れタオル・・・わざわざ手拭いを濡らしてきて拭いてくれた」

何を思い出したのか、カルネラが紫揺の平べったい胸元にやってきた。

「オット、ノソマエ、ジットシテナ」

そう言って、短い片手を伸ばして紫揺の頬に充て、もう一方の手で紫揺の頬を拭くような仕草をした。
紫揺が宇藤の真似をして、カルネラに聞かせたことだ。 その様子をカルネラはじっと見ていた。

「シユラ、ウマイ。 カルネラ、ウマイナイ。 オナカヘッタ」

「あ・・・。 ゴメン。 あの時、私だけ食べてた。 カルネラちゃんお腹空いて―――」

「どういうことだ」

紫揺と杠が声の主を見る。

「カルネラ、オナカヘッタ」

「黙れ」

カルネラちゃんと言われ、嬉しそうな顔で紫揺を見ていたカルネラにマツリが低い声で言った。

「ぴぃー」

紫揺の懐に入ろうとするカルネラ。

「カルネラ!!」

恐~い兄上の怒声にカルネラの全身が硬直する。
あまりに喜びとの落差が激しく、氷のように固まったカルネラをマツリが手を伸ばし掴んで卓の上に置いた。

コロリンとカルネラの氷の彫像が横たわった。

「マツリ! 何するのよ!」

「どういうことだと訊いている」

「なんのことよ!」

「・・・」

「はっきり言いなさいよ!」

また始まるのか・・・罵詈雑言が。

「・・・シキ、ここは任せた」

「父上!」

「地下のことで早急に武官と策を組まねばならん」

言われ窓を見ると、ほんのりではあるが払暁が差している。

「武官の意見も聞かねばならん」

「父上・・・まさかまた紫を地下に連れて行かれると?」

「そんなことを望んではおらん。 時を急ぐ、あとの事は頼む」

体のいい言い訳と取られてもいい。 それが理由でない事でもないのだから。

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