大福 りす の 隠れ家

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虚空の辰刻(とき)  第47回

2019年05月31日 22時36分05秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第40回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第47回



階段を上り終え、回廊に足を踏み入れ領主の執務室に向かう。 二度直角に曲がったところで、前から従者を連れだって歩いて来る四方の姿が見えた。

「これは父上、お呼び下さればこちらから出向きましたものを」

白髪ではない。 白銀の短髪で歳の頃なら50歳前後。 直衣によく似た黒い衣裳を身に纏っているが、日本のように野暮ったくはなく、薄い生地で出来ていて烏帽子も被っていない。

「お呼び下さればだと!? お前はリツソを迎えに来ることなく執務をしておったようじゃなっ!」

「リツソが一人で行ったのです。 帰って来るのも一人で帰ってこられましょう」

ジジ様の後ろに隠れるリツソをジロリと睨む。

「昨日、どんな思いでリツソが我が宅までやって来たと思っておるのじゃ!」

「それは・・・リツソの勝手でしょう」

「お前がしかりとリツソを見ておらんからじゃろう!」

「父上、こんな所で話していては他の者に示しがつきません。 どうぞ、茶の用意がございます」

四方が踵を返すと従者たちがご隠居の後ろについた。 四方の従者とは言え、ご隠居の前を歩くわけにはいかないからである。

「リツソ! 父上から離れるのではないぞ!」

そっと足を忍ばせ、この場を去ろうとしていたリツソの足が止まった。

卓に茶の用意をされた部屋に入り向かい合った椅子に腰かけると、ご隠居の一人舞台が始まった。 勿論、我が息子にして領主である四方がリツソに構っていないという物語の舞台である。

その一人舞台にいつものことと聞き流す領主、四方であったが、今回だけはリツソを逃がす気は無い。 この一人舞台が終わり、隙を突いたリツソに逃げられることなく捕獲する。 さて、どうやったものか、と供のリス並みにちょこまかと動き、逃げ足の早いリツソ捕獲計画だけを考えていた。 
と、そこに 「失礼をいたします」 と言いながら、誰もが認める端麗なる女人が入って来た。 まるで桜の花びらが風に舞うような美しさ。 ご隠居が四方に対し、問罪とも言える言を吐いていたが、その口が止まった。

その女人は艶のある黒髪を結い上げ、その下から一部だけを波打たせながら腰まで垂らしている。 衣装は、淡いオレンジ色で着物と同じく前合わせをし緑色の帯を巻き、その上に数枚の袿(うちぎ)を着ているが日本の着物とは少し違う。 着ているものが着物に比べて随分と生地が薄く、帯も半巾帯より細い。 そして何より、帯の下は裾広がりになって、まるでドレスのように足元で裾を引きずっている。

「お義父様、此度もリツソがお世話になり、有難うございます」

入ってきたのは四方の奥であり、リツソの母上であった。

ご迷惑をお掛け致しましたなどとは言わない。 そんなことを言えばリツソを預かったことが迷惑な話となるからだ。 とは言え、そんなことを意に介さずご隠居がリツソの母上である澪引(みおひ)に応える。

「おお、相も変わらず美しや。 いや、リツソのことはこの四方がせねばならぬこと。 其方が気に病むことはない」

「母として行き届かぬところを、お義父様にお手を携えて頂き我が身、有難き幸せに存じます」

「何を言うのか? 其方は立派にシキを育てたではないか。 それにその美しさもシキが継いでおる。 其方は何も心病むことはない。 出来損ないはこの四方にある」

シキというのはリツソの出来た姉であり、四方夫妻の第一子でもある。

四方がご隠居にバレないように大きく歎息を吐いた。 何度この会話をしたであろうか。 我が父は我が妻と我が娘シキの美しさを認めてくれているのは分かっているが、耳にタコが出来そうだ。 それに、リツソを目の中に入れ過ぎである。 そんなことを考えていると、ふとリツソ捕獲の気が緩んだ。

「四方! 己の奥に責任を押し付けるではない!」

いや、そんなことは一言も発していない。

「立っていないで其方、そこに座りなさい」

澪引に、いま四方が座っている横を指さす。
四方の横にある椅子が引かれ澪引が座る。 そしてその面前にご隠居とリツソが座っている形になった。

「母上ゴメンナサイ」 リツソが殊勝顔で澪引に言う。

「リツソ、お爺様にご心配をお掛けするのではありませんよ」

「はい」

何度この会話を聞いたことだろう、領主が顔を投げる。 もうリツソ捕獲が頭から離れてしまいそうだ。

「母上? お顔の色が悪うございます」

「そう? 今日は気分がいいのですが?」

病弱な澪引である。 それはリツソも心得ている。

「悪うございます。 朝のお薬はちゃんと飲まれましたか?」

「・・・あ」

リツソのことばかりを考えていてすっかり忘れていた。

「ほら、母上! お忘れになっておられる!」

言ったかと思うとすぐに目先を四方に変えた。

「父上! 母上がお薬を飲まれていないのに、どうしてお気づきになられないのですか!」

「あ・・・其方忘れたのか? あれほど薬をちゃんと飲むように言っておいたのに」

「四方! 言っておいたではないであろう!」

「母上、我が薬を持ってまいります!」

ご隠居の義理の娘であり、四方の妻である端麗なリツソの母上は病弱である。 そのリツソの母上は側付きや従者が何度も薬をお飲みくださいと言っても聞かない時がある。 それは気がかりなことがある時であった。 その殆どがリツソのことなのだが。 今回もリツソが帰って来ないことを気にかけて薬を飲むことが無かった。

そして四方はリツソが母想いであることを重々知っている。 この場から逃げ出すことはないだろう、だからこの時はリツソを止めることなく、薬を取りに行かせた。 それはしかと間違いではなかったが、詰めが甘かった。

部屋を出たリツソが回廊で座している澪引の従者の元に歩み寄った。

「母上のお薬は?」

「はい、薬種の房にございます。 すぐにお持ちします」

従者がやっと上がっていた肩を落ろす。 ずっと薬を飲ませたかったのに、それを拒否されていたからであった。

「いや、一緒に行く」

二人で回廊を歩き、薬種の房と呼ばれる一室に入った。

「リツソ様、このお薬にございます」

リツソが言えば飲んでくれるだろう。 

従者から薬を手渡されようとした時、外から声がした。 その声が白銀の狼、ハクロのものだと分かった。

「ハクロが来ておるのか?」

従者に聞くが首を傾げる。

「ああ、よい。 今なら母上もお薬を飲んでくれようぞ」

その言葉に謝意の辞儀をした。 澪引が何故薬を拒否していたのかの理由は分かっている。 その根源がこのリツソだという事を。 リツソを心配するあまり薬を拒否していたのだが、今となってはそんなことはどうでもいい。 薬さえ飲んでもらえればそれでよかった。 この禍根を断つことは出来ないのだから。 だから深く謝意の辞儀が出来たのだ。

「・・・そうじゃな、母上にこのお薬をお渡しするから、すぐに水を持ってきてくれ。 そして水を母上にご用意して、母上が薬を飲まれたすぐ後に房から出て行き、戸の外から我を呼んでくれ」

従者はリツソが何かを企んでいるの分かる。 それに巻き込まれるのは明白である。 よって渋い顔を見せた。

「案ずるな。 我はちとハクロに話があるのだ。 よいな」 

兄上もまだ帰ってきていない。 安心してハクロの背に跨ることが出来る。 いや、まだ汚ければ、シグロの方がいいか、シグロは居るのだろうか? と一人思案しながら両手に母上の薬を大事に持ち、回廊を走って戻った。

「母上、お薬をお持ちしました」

部屋に入るとすぐに澪引の座る椅子にすり寄った。

四方が 「うむ」 と頷く。 やはり母想いであったという自分への納得である。 だがそんなことを知らないご隠居とリツソ。

「なにが、うむであるか! お前がもっと健康管理をせねば何とする!」

「お義父様、四方様のせいではございません。 わたくしの我儘でした。 そんなわたくしにご心配を頂き歓心の念でございます」

「ま、まぁ、其方がそう言うのならばこれ以上は・・・。 だが四方! お前に見るということが足らん! リツソのことにしてもそうだ!」

ああ、また一人舞台が続くのかと、四方がご隠居に分からないよう歎息を吐いた。
と、そのときに水差しと湯呑を盆に載せやってきた先程の従者に一人舞台が切られた。

「母上、水がきました」 

従者が盆を部屋の隅にあった小卓に載せ、水を湯呑に入れようとする。

「我がする」

リツソが薬を澪引に手渡すと小卓に向かい、従者から水差しを受け取った。
小声で 「分かっておろうな」 と、釘を刺すことは忘れない。

「おお、リツソは四方と違ってほんによう気が付く」
リツソの後姿を見ながら目を細めた後にギロリと四方を睨む。

水の入った湯呑を澪引の前に置く。 

「さ、母上」

すでに薬を包んでいた紙は澪引の手で開けてあった。

「ありがとう。 リツソは優しい子ね」 片手でリツソの頭を撫でる。

リツソの軽挙を知っておいて、いつもながら何と甘い母親なのだろうかと、四方がここでも誰にもわからないように歎息を吐いた。 そこに隙が出来た。

澪引が無事薬をゴクリと飲み込んだ。 すると従者がソロリと部屋を出て行く。

「母上大丈夫ですか? 苦くはございませんか?」

本心からの心配であったが、若干声が大きい。 それもそのはず、戸の外に居る従者に聞こえるように言ったのだから。
戸の外から声が掛かる。 「リツソ様」 と。 計画通りに。

憂慮わしげな表情を澪引に向けながら 「なんじゃ?」 と問い返す。

「・・・あの」

戸の外から戸惑う従者の声が聞こえた。 それもその筈、呼べと言われたから呼んだのに 「なんじゃ?」 と問われるとは思ってもいなかったのだから。

「母上、お薬を飲まれてリツソは安心です。 少しゆるりと・・・」

そう言い残して従者の待つ戸に足を向けた。

まさかここで逃亡とは思ってもみなかった四方。 リツソを止めることなくそのまま部屋の外に行かせてしまった。

当のリツソは従者に目配せをすると、そそくさと先程ハクロの声が聞こえた方に向かって行った。

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虚空の辰刻(とき)  第46回

2019年05月27日 22時35分43秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第40回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第46回



本領宮近くに帰ってきた白銀黄金の狼、そして黄金の狼に跨るリツソ。

「リツソ様!」
行燈(あんどん)を持った数人の男が走り寄ってきた。 その声に呼応するように 「リツソ様がいらした!」 とあちらこちらで声がする。

「何事じゃ?」
黄金の狼の背から跳び降り、狼の背の上で揺られ少々痛かった尻をさすっている。

「どこにいらしたのですか?!」 

走り寄って来た男がリツソの後ろに立つ白銀黄金の狼をチラリと見たが、咎めることはなかった。 リツソの兄上の従者である北の領土の狼に、単なる宮で働く者達が咎めるなどという事は有り得ないのだから。 それに今はそれどころではない。 一刻も早く宮に連れ戻さなくては。

「どこでもよいだろう。 我の勝手じゃ」

「ご夕餉の時になっても居られなく、お館様・・・お父上様がご心配をされております」

「え? 父上が我を探されておられるのか?」

「宮中をお探ししましたが居られるご様子がなく、こうして皆で宮の外を探すようにとお父上様からのお達しです」

リツソの目が大きく見開いた。 紫揺と居る時、白銀黄金の狼には大きく出て言ってはいたが、実際となると違ってくる。 兄上ほどではないが、本気を出すと恐い父上様なのだから。

「リツソ様!」 「リツソ様!」 虫が湧き出るように四方八方から探していた者たちが走り寄ってくる。 どれだけの人数を使って自分を探していたのか、事の重大さを改めて知った。 事の重大さ、それは父上様の怒りのボルテージ度数。

「わ、我は・・・我はジジ様の所に行くからな! 父上にそう伝えておけ!」
男から行燈をむしり取ると、踵を返して白銀黄金の狼の間をアッという間に走り抜けた。

「わっ! リツソ様!」 

行燈を持った男たちが慌てて追いかけようとするが、逃げ足だけは速いリツソである。 というか、鍛え上げられた逃げ足であろう。 常に父上から兄上から逃げているのだから。

男たちもリツソの首根っこを掴むわけにもいかないし、行燈を持っている。 同じく行燈を持つリツソは、火が落ちようとかまわず走るが、男たちは火事が気になるが故、リツソのように走る勇気がない。 簡単にリツソに逃げられてしまった。


屋敷の呼び鈴が鳴った。 戸口の中に立っていた戸守男が木戸を開けると、そこにリツソが立っていた。

「これは! このような晦冥(かいめい)にどうなさいました!?」

「今日はジジ様の所に泊まる」
言いながら男に行燈を渡すと、勝手知ったるジジ様の屋敷にズカズカと入り込んだ。

リツソの祖父は、本領領主を息子であるリツソの父親である四方(しほう)に譲り今は気楽な隠居暮らしである。

「ジジ様はお房か?」

男が行燈を置くと 「はい、そうでございます」 と答える。

照らされた日本庭園のような庭を歩き抜けると、後ろを歩いていた男がサッと前に回り込み玄関の引き戸を開ける。 まるで自動点灯のように玄関が明るくなった。

明るくなった広い玄関の右側には品の良い長椅子が壁に沿っておいてある。 左側には大きな出窓。 玄関を上がった正面には立派な花が生けてあり、その後ろには衝立が立てられている。

玄関で履き物を脱ぎ飛ばすと、衝立の横を通って奥に続く長い廊下をリツソが走って行った。 男が飛ばされた履き物を揃え一礼して玄関を閉めると、また元の戸守に戻っていった。

「ナ~ゴ」 衝立の後ろから白髪の目立ってきた山猫が姿を現した。

「ジジ様ー、ジジ様ー、リツソが参りましたー」 先程までと違って甘えたような声音である。

「リツソ?」

バタバタと走る音が聞こえたかと思うと、バンと襖が開けられた。

「ジジ様!」
襖を開け放したままリツソがジジ様の膝に飛び込んだ。

文机に向かって書をたしなんでいたジジ様が立とうとして、丁度向きを変えたところだった。

「どうしたのだこんな遅くに。 何かあったのか?」

「ジジ様に会いに来ただけです」 膝の上に顔をうずめて言う。

「誰かと共にか?」

「リツソ一人です」
眉尻を下げた顔を上げてジジ様を見上げる。

「なんと! このような晦冥にリツソ一人でここまで来たのか!? 四方は何をしておるのじゃ!」

「ジジ様、父上は悪うございません。 リツソが一人で勝手にやって来たのですから」

「なんと? では、今頃宮では騒ぎになっておるのではないのか?」

「ちゃんと父上にお伝えしておくようにと、宮の者には言ってまいりました」
嘘でもなければホラでもない。

「おお、そうか。 よく気が付くのぅ。 やはりリツソは出来る子じゃ」
この状況に置いて孫を褒める祖父。

「ジジ様、それより・・・お腹が空きました」
情けない顔をジジ様に向ける。

「なんと! すぐに何か作らせよう。 まったく、リツソに腹を空かさせるなどと、四方めは!」

手元にあった呼び鈴を鳴らすと、それを聞いてやって来た侍女に今すぐにリツソの飯を作るよう言いつけた。

「あ! ババ様へのご挨拶が!」

ジジ様の膝を離れ背を向けると、部屋に掛けられている、すでに亡くなっているババ様の肖像画の前に背筋を伸ばして座った。

「ババ様、リツソがやってまいりました」 手をついて深く頭を垂れる。

リツソの後ろ姿に、うん、うんと頷くジジ様。 その姿を垂れた頭の端から見る。
完全な結果はまだ出ていないが、この時点で十分にリツソの作戦は成功したと思われる。

まだ事が幼いが故、これを詐略とまでは言わないが、先には奸知にたける策士か謀略家になれるであろうことは間違いないかもしれない。

そのリツソの後姿を見ていたジジ様。 

「おや?」 と言い、マジマジとリツソを見た。

「え? ジジ様どうしたのですか?」
ジジ様の声にリツソが振り向いた。 予定外のジジ様の声である。

「なんじゃ! リツソ、その顔の傷はどうした? ・・・ それにあちこち衣裳も破けて腕も怪我だらけではないか! いったいどうしたのじゃ?!」

リツソがグッと息を飲んだ。 

予定外だ、などとは考えていられない。 が、確かにシユラに 『どうしたの、その傷』 と言われて手拭いで拭かれた。 自覚はないが顔に傷があるのだろうと察する。 だから

「ここに来るまでに沢山こけてしまいました」 

すぐに機転を利かす。 が、これもまーったく嘘でもホラでもない。 確かにここに来るまでにこけたのだから。

「おお、リツソ! それほどまでにして、このジジの所に来てくれたのか!?」

「こけたというのは恥ずべきことです・・・」 

泣きそうな顔で下を向いたが、この続きに 『それでもジジ様の所に来たかった』 と言ってしまっては嘘になるから、それは言わないでいた。

「何を言うのかと思えば・・・。 そうまでしてこのジジの所に来てくれたのは恥でも何でもない。 卑下することなどない。 それにこの暗さじゃ、足を滑らすのは当然の事じゃ」

ジジ様がどういう意味で受け取ろうが、それはリツソの知ったところではない。 だから、嘘でもホラでもないのだ。

「・・・はい」

謹直な表情で答える。 決して芝居ではない。 ただ、この時にこの顔をしたかっただけだ。 だから嘘顔でもホラ顔でもホラ貝でもない。

「おお! なんと理解力のある子じゃ。 ジジの言葉をすぐに受け取ってくれたのじゃな。 ああ、それより何より、怪我の手当をせねばな。 それに着替えもな」 すぐに呼び鈴を鳴らした。

そしてこの日はまんまとジジ様の家に泊まったリツソであった。


宮ではリツソの父上である四方が、リツソはリツソのジジ様であるご隠居の家に行ったという報告を聞いて、またしてもやられたと歯噛みをしていた。


翌日、朝食を美味しくいただいたリツソが、ジジ様に伴われて宮に帰ってきた。 ジジ様の所で用意されたサラッピンの水干姿。 ちなみに、ジジ様の家では何枚もリツソの着替えを用意している。 いつでもリツソが泊まりに来られるようにである。

宮の門前、ここまでは横に並んで歩いていたが、ここから先は前に歩くのはジジ様である。

顔パスであるジジ様。 門番が一礼して 「ご隠居様のおなり」 と大きな声を出すと、門の中から横木を外す音が聞こえた。 外から大きな門を開けると中に居た門守りに、ご隠居の来訪とリツソが帰ってきたことを領主に伝えるよう目配せをした。 二人のうちの一人の門守りが、ご隠居とリツソが中に入り歩き続ける後ろを、サッと横切り近回りをして領主の執務室に向かった。

悠々と歩くジジ様に続いて辺りをキョロキョロとしながらリツソが歩く。 いつどこから父上が出てくるか分からないからだ。 下手をすれば兄上も帰っているかもしれない。 そうなると行き場がない。 父上がジジ様に叱られるのはいいにしても、その間に兄上に何を言われるか分かったものではないからだ。

庭師や、あちらこちらに見える屋敷内で作業をしている者達が手を止め、ご隠居の来訪に深々と辞儀をする。
回廊を足早に歩く数人の足音が聞こえてきた。

(父上の従者だ。 という事は兄上はまだ帰っておられないという事か) 安堵の息を吐く。

回廊に上がる大階段に控えていた下男が、深々と辞儀をして迎え入れる。 と、その時に別階段から回廊を降りてきた四方の従者が、ご隠居の前に片足を膝まづけた。

「お迎えなきことのご無礼をお許しください」

「四方は何処だ」

従者に返事をすることもなくそう言ってのけたが、決して従者に無礼この上ないと暗に言っているのではない。
今はすぐにでも本領領主、四方こと、我が息子であり、リツソの父上に雷を落としたいだけなのである。 従者もそれは重々に分かっている。

「はっ、ご領主は執務の中でおられましたが、こちらに向かっておいででございます」

「リツソが屋敷を空けているというのに、執務だと!?」

従者がシマッタと苦い顔を作ったが、顔はずっと下に向けたままだったので、その表情を見られることはなかった。

ジジ様ことご隠居が草履を脱ぎ捨て大階段を上がる。 と、その時にも大切な言葉を忘れない。

「リツソ、階段に気を付けて上るのだぞ」 と。

本来なら手を取ってやりたい、その気持ちを押さえて先に階段を上がる。 13の歳にもなった孫の手を取っては、孫の面子にかかわるだろうと思っての事であった。

だがそれは無駄な抵抗というものである。 普段のリツソを見ている皆が皆、その人物のことを知っている。 良く言えば頑ななほどの志操の持ち主であり、正直に言ってしまうと手の付けられない不逞者であることを。

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虚空の辰刻(とき)  第45回

2019年05月24日 22時08分49秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第40回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第45回



「そう言われてもなぁ。 呼び捨てって好きじゃないの。 だからリツソ君って呼ぶ」

「お・・・おねぇ・・・。 ・・・お前の名は何て言うんだ?」

「目上に向かってお前って言わないの」

少々口調を強く言うと、今度は穏やかな口調に変えて話す。

「私の名前は紫揺。 紫揺お姉さんって言ってごらん」

「・・・」 下を向いて口を尖らせている。

「相手の名前を呼べないようじゃ、話なんて出来ないね」
しゃがんでリツソの腕を取りながら拭いてやっていたが、その目を口を尖らせているリツソに向けた。

「・・・」

「はい! 他に怪我をしている所はない? 目に見えるところは全部拭けたつもりだけど」
傷を拭いていた手を止め、下を向いているリツソの肩を取るとクルリと一周させた。

「・・・ないと思う」
下を向いたまま答える。

「痛いところもない?」

「うん・・・」

「じゃ、さっき訊こうとしていたことを訊くね。 リツソ君はあの狼たちとお友達なの?」

「ハクロもシグロも友達じゃない。 従者だ」

「従者!?」 

思いもしなかった言葉に驚きを隠せない。 最初は狼に育てられた少年かと思っていのだから。 まぁ、それも一瞬で吹っ飛んでしまったが。
リツソ越しに少し離れた所に立つ狼たちを見る。

「その・・・従者ってどういうこと?」

「・・・兄上の従者。 オレにはまだあんな従者は居ないから、供しかいないから・・・」

従者と供の違いはいったい何なのだろうかと首を捻るが、答えが出てこない。 何よりもこの狼たちがヒオオカミなのか、どうなのかということを訊きたかったのだが、とにかく従者と供の違いを先に訊いてみよう。

「従者と供の違いって何?」

「従者は従者。 供は供」

得られなかった答えに紫揺が額に掌を当てた。

「じゃ、リツソ君の供って誰?」

「カルネラ」

「それは・・・そのカルネラっていうのは・・・動物?」

従者が狼であるなら、供も動物かもしれないと訊いた。 出来るなら、狼とは答えて欲しくないと思いながら。

「リス」

ヒオオカミと思われるあんな大きな獣を見た後でリスと言われては、こけそうになったが、でもリスは好きだ。

「今日は一緒じゃないの?」

「うん・・・昨日も今日もカルネラは連れてこなかった」

「ふーん、そうなんだ。 そのカルネラちゃんにも会いたかったな」
リスなら、ちゃん付でいいだろう。

「カルネラにも?」
”にも” とはどういうことだろう。 でもどうしてか、心の奥底がワクワクと何かを期待しているのが分かる。

「うん、リツソ君に会えたんだから、お供のカルネラちゃんにも会いたいと思うじゃない?」

リツソの顔がパァっと花が咲いたように開いた。

「カルネラちゃんって男の仔? 女の仔?」

「供はみんな主と同じ。 だからカルネラは男」

「そっか」

「姉上の供はサギ、兄上の供はフクロウ。 ・・・オカシイと思わないか?」

「オカシイって?」

「姉上も兄上も供が鳥だから空を飛べるけど、カルネラは空を飛べないからオレも空を飛べないんだ。 それってオカシイと思わないか?」

リツソの言葉に紫揺が頭を抱える。 ・・・どうしてそんな発想になるのだろうか。 鳥が空を飛ぶからといって、どうして鳥を供に持つ人間が空を飛べるというのだろうか、考えるのだろうか。 頭を一絞りして一滴の閃きの雫を絞り出した。

「確かに空を飛べるよね、鳥なんだから。 でもサギもフクロウも地を走れないじゃない? 木に止まることは出来ても、リスみたいに素早い動きで木に登れなければ、木々の間を器用に移動することも出来ないじゃない?」

「え?」
驚いた顔で紫揺を見る。

「カルネラちゃんはそれが出来るんでしょ?」

「うん・・・出来る。 でも、そんなこと考えもしなかった。 空が飛べないしか考えなかった」

「ね、リツソ君もカルネラちゃんも色んなことが出来るの。 他の人に出来ないことが出来るの。 だから他の人と比べる必要なんてないの」

「う・・・うん!」

一度真顔になったかと思うと、次には今まで見たこともない笑顔を向けて何度も頷いた。

「ね、あの狼ってここの土地の人達が言うヒオオカミ?」

リツソが難しい顔をして首を傾げる。

「違うの?」

「オレ・・・ここに来たのは昨日が初めてだし、ここの話を聞いたこともないし、ハクロとシグロだって滅多に本領に来ないから知らない」

「本領?」

「うん、オレの居るところ」

二人の会話を静観していた白銀の狼がスッとリツソの横に歩み寄ってきた。 
狼が危害を加えることはないと分かっていても、大きな狼が間近に寄ってくると空恐ろしいものがある。 それに今、リツソは本領と言った。 紫揺が二歩三歩と後ずさる。

≪リツソ様、これ以上は領土の者以外に話すことは憚られます≫

「別にいいじゃないかー」

≪それにもう遅くなりました。 お父上にご心配をおかけしてしまいます。 どうぞ、シグロに乗って下さいませ≫

「・・・イヤだ」 プイと横を向く。

≪リツソ様! お父上のお怒りがございます!≫

「その時にはジジ様が父上を叱責なさる」

≪叱責などと・・・お父上におかれてお爺様が仰ることは、叱責に値いたしません≫

「だが、父上はいつもジジ様に叱られておる」

≪それは―――≫ それはリツソが原因を作っているからだと言いかけた。

≪おい、それ以上言うな。 話がややこしくなる≫
黄金の狼が白銀の狼の横に立ち、話を止めた。

≪リツソ様、我が背にお乗りください。 そろそろお帰りの時となりました≫

黄金の狼にどこか安心している顔が見え隠れする。 それはきっとリツソのワガママで背中の毛がギトギトにはならないであろうという安心からなのかどうかは他者には計り知れない。

「イーヤーだー」

≪リツソ様!≫ 

「オレはまだシユラと話をする。 邪魔をするな」

白銀黄金の狼がどうしたものかと互いの顔を見やる。
紫揺にしてみれば、リツソがやっと自分の名前を呼んで嬉しく思うが、思いっきり呼び捨てではないか。

「リツソ君・・・紫揺お姉さんだってば・・・」

「いいじゃないか。 おれはシユラと呼ぶ。 シユラは呼び捨てで呼ぶのがイヤなんだろ? 好きじゃないんだろ? でもオレはイヤじゃないし、シユラのことはシユラって呼びたい」

心で歎息を吐くが、ムラサキ様と呼ばれるよりマシか・・・と、どこかで納得をしてしまった自分に心で笑った。

「そっか。 うん、いいよ。 名前を呼んでくれただけでうれしい。 じゃ今日はそれが収穫でもう帰ろうか。 お父上様に心配をかけてしまうからね」

「まだ帰りたくない。 もっとシユラと話してる」

「あのね、私にはお父さんもお母さんも、もういないの。 兄弟姉妹も居ないの、一人っ子なの。 心配してくれる人が居るのは嬉しいことよ。 お父上様に心配をかけちゃ駄目よ」

「シユラには誰もいないのか?」

「うん、そう。 でもね、どこかで私を見てくれている人が居るはず。 その人たちに心配をかけないようにしていたいと思ってる。 だからね、リツソ君もお父上様に心配をかけないようにするといいんじゃないかな?」

見てくれているのは勿論、両親のことである。

「・・・シユラがそう言うなら・・・」

「うん、分かってくれたのが嬉しい、アリガトね。 じゃもう今日はもう帰ろう」

渋々黄金の狼の背に跨ったリツソ。

≪走ります、しかりとお摑まりください≫

黄金の狼に言われその背の毛を握りしめるが、顔は紫揺を見ている。

「シユラ、明日も来ていいか?」

「うん、いいよ。 でも、お父上様のお許しを得てきてね」

先に走り出した白銀の狼の後を追うようにして黄金の狼が走り出した。
疾風の如く走る白銀黄金の狼。 黄金の狼の上で身体を揺らせながら、リツソが紫揺のことを考えていた。

(オレがシユラを見る人になる。 毎日毎日シユラを見てやるんだ。 ・・・オレがシユラを守ってやるんだ)

紫揺の考えは浅すぎた。
『出来た姉兄を持ち、皆に比べられている末っ子のワガママちゃん。 そのことを何も知らない自分に会いに来るということがあっても、なんら不思議ではないのではなかろうか』 そう思ったが、それだけではなかった。

何といっても、リツソの初恋であったのだから。

リツソを見送った紫揺。

「結局あの狼がヒオオカミかどうかわからなかった。 それにリツソ君、本領って言ってた。 本領に居るって。 私のことを本領に知らせるって言ってたはず。 リツソ君がその本領から来たのならば、私のことはどうなったんだろう・・・」

余りにも疑問が多すぎる。 と、頭を振りかけて思い出した。

「そうだ・・・。 ヒオオカミのことで忘れかけてた」

セイハが手の動きで竜巻みたいに水を操ったり、石を粉々にして飛ばしたり、どこからともなく出てきた水で炎を消したり。 そしてアマフウが、木を切ったり。

それにセイハが言った 『自分のしたことを見ていた紫揺にそれと同じことをやってみるといい』 と。 それに 『シユラなら、沢の水でも消せるのにな』 と言うことも。

そしてなにより、自覚が無いとか何だとか、アマフウの袂を燃やしたとか何だとか。 それに枯れた芝生が緑になったことも。

「ああ、頭が爆発しそう。 ヒオオカミどころか、リツソ君のこともそうよ。 本領から来たって、その本領って何処よ。 ・・・それにどうして狼と話せるのよ。 ・・・もう! いったいここは何処なのよ!」

叫んでみたとて答えはない。 大きく溜息をつくしかなかった。

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虚空の辰刻(とき)  第44回

2019年05月20日 21時26分34秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第40回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第44回



こうしてこの日、水干姿から他出の衣に着替えたリツソを、白銀の狼の背にのせてやって来ていた。

白銀黄金の狼の主であるリツソの兄上に報告に来ただけであったのに、報告することが出来なかった。 ましてやリツソの父上、言い換えれば本領の領主にも何も言わずリツソを出してきたのだ。 白銀黄金の狼の責任は問い糺される。

どんなに言い訳しようとも、白銀黄金の狼の主が帰ってきた時点で、次の日には朝日を見ることは出来ないであろう。 万が一にも主がこのことを卑小と考えお咎めなしとなったとしても、本領の領主にはそれが通ることはないであろう。

白銀黄金の狼が頭を垂れることは至極当然のことであった。 もちろん、後ろに仕える茶の狼たちも同様である。
何を考えても仕方のないこと。 リツソを本領に帰さなくてはならない。 白銀黄金の狼が重い四肢を動かした。
本領に戻ると領主も主もまだ帰っていなかった。


翌日の夜、本領は大騒ぎになっていた。


大騒ぎになった日の早朝に 「はぁ、はぁ」 と息を上げて歩いている姿があった。

「確かにこの道で合ってるはずなのに、どうしていつまでも着かないんだよーっ!」

早朝に出たにもかかわらず、もう夕方になろうとしていた。 低木の木々の枝をかき分け、自分より背の高い草の中を歩き、見張りに見つからないように岩の多い歩きにくい足場の山を登って来たのに。 ジワリと涙が溢れてくる。

いつまで経っても目的地に着かないことに引き返そうかと思ったが、どうしても会いたい。 会って何を言うわけでもない。 何故かただ会いたい。 その想いが足を動かしていた。 

そして滝の後ろを歩き、やっと北の領土に入った。

「まだ・・・まだまだじゃないか」
ハクロの背に乗っている時は、この滝の後ろを歩いたのは本領を出てアッという間だったのに。

太陽が随分と傾きこれからは暗くなっていく一方だ。 へたりこんだリツソの後姿を見た茶の狼が驚いてすぐに走り出した。

狼が何かを踏み拉きながら走った音がリツソの背に恐怖を与える。

本領であったなら誰かが自分を知っている。 誰かが自分を見つけて安全な場所に連れて行ってくれるだろうし、時には供のカルネラもいる。 だが今はたった一人。 知っている者も居なければカルネラも居ない。 それに本領と違ってここはあまりにも開かれていない。 どんな野生動物が居るかもわからない。 背筋がゾッとする。

「どうしてこんなに遠いんだよ・・・」
膝を抱え、その膝に額を乗せる。 涙がポトリポトリと何粒も落ちる。

最初は堪えていたが、暮色に包まれるとついには顔を上げ、何度も大声を上げて泣きだした。 

「ワァーン! ワァーン!」
大きく開けた口からはヨダレが垂れ、その上から止まることを知らない鼻水が垂れてくる。 と、その時

「リツソ様!」

聞き覚えのある声に泣き声が止まる。 振り返るとそこには昨日見た、いや、その背に乗っていた白銀の狼の姿があった。

「・・・ハクロ」
白銀の狼を見て鼻水をジュルリと垂れながら安堵からなのか、また大声で泣きだした。

「ハクロー!、ハクロー!」

己の名を呼びながら泣かれては、己がこの少年になにか意地悪をしたかと勘違いしそうになる。 ハクロが大きく歎息を吐くが、気を取り直してリツソに問う。。

「リツソ様、どうしてこのような所に居られるのですか?」

リツソがすぐに答えることはなかったが、それも心得たもの。 気長に答えを待った。 

ハクロから少し離れた後ろには黄金の狼も立っている。 茶の狼からリツソがここに居ると聞かされた白銀黄金の狼が、慌ててここまでやって来たのであった。

リツソの声が段々と小さくなってきた。

「リツソ様? どうしてこんなところに居られるのですか?」 ハクロがもう一度訊いた。

するとしゃくり上げながら小声で答えた。

「―――・・・会いに」

「はい? どなたさまに会いに?」

口ごもりながらの小声に聞き取ることが出来なく、再度訊き返したが、この北の領土にリツソが会いに行く相手などいないはず。

「・・・だから・・・お姉さんに会いに・・・」

「お、お姉さんでございますか?」

コクリと応える。

ハクロが首を傾げる。 すると後ろから歩み寄ってきた黄金の狼が 「ああ」 と何か分かったような声を出した。

「なんだ?」 振り返ったハクロが問う。

「あれだよ。 昨日リツソ様を泣かせた」
チビと連呼したとは言えない。

「ほら、お姉さんって言ってただろ」 

黄金の狼にそう言われてハクロが思い出し、もう一度大きな歎息を吐いた。

「リツソ様、昨日のあの領土の人間ではない者の所に行こうとされたのですか?」

コクリと頷く。

「あの者のことは、兄上様にお願いいたします故、リツソ様は―――」

「連れて行ってくれ」 

もう先程までのまるで幼児のような雰囲気はない。 どちらかと言えば、横柄な方の態度に変わっている。 だが、袖でグイとひかれた鼻水の足跡はしっかりと残っている。

「もう夜も更けてまいります。 お父上がご心配為されます故―――」

「連れて行け」
ハクロのほっぺたを両の手で引っ張る。

「ほうひはへはひへも (そう言われましても)」

「いいから行け。 これは命令だ」

ハクロも勿論ながら、後ろで黄金の狼が大きく歎息を吐いた。
そして次の瞬間にはハクロの背に跨っていた。

「もう遅くなる。 早く行け。 これ以上遅くなって父上がご心配されてはお前たちの責任になるのだからな。 うむ、その時には我が庇ってやるから安心せい」

白銀黄金の狼が大きく肩を落とした。 昨日の一件で我が身の安全など保障されないことは分かっている。 保障どころか何もかも知れると明日の朝日を見ることが出来ないことも分かっている。 昨日のことがあるのだから、今更庇ってもらうも何もあったものではない。 

リツソに言われたハクロが、どうする? といった目で黄金の狼を見る。 互いに同じことを考えているのは分かっている。 黄金の狼が仕方なく頷く。

「行くしかないだろうね」

普通なら行かない。 罪に罪など重ねたくない。 一つ目の罪でもう十分明日が見られないのだからと自棄(やけ)になるのは本望ではない。 たとえ一つ目の罪で明日が見られなくとも、その上に罪を重ねたくない、それが己らの矜持なのだから。
だが相手が相手だ、諦めるしかない。

「あれ?」

白銀の狼の背の上に手をついたリツソが素っ頓狂な声を出した。

「ハクロの背はどうしてこんなことになっているのだ? 少しは身ぎれいにするといったことをせねばならんぞ」 

昨日、ハクロの背に散々鼻水やヨダレを垂らしてその背を汚した張本人が、平然とそんなことを言ってのける。
言うとすぐにハクロから降り、黄金の狼の背の上に座りなおした。 黄金の狼の目が驚きに大きく見開かれた。 だが次には、これから自分の背がどうなるのかと、この黄金に輝く毛がギトギトになるのかと思うと、心中は諦めの一色になった。


結局今日も家の周りを歩き回っただけの紫揺が、部屋の中でのストレッチを終えて雨戸を閉めようと掃き出しの窓に近寄った。 
すると目の前に黄金の狼に跨った少年の姿が目に入った。 少し離れた後ろには白銀の狼がひかえている。

「え?」

黄金の狼がそのままにじり寄ってくる。 白銀の狼は動かない。 紫揺の目の前まで黄金の狼が来ると少年が狼から降り、黄金の狼が白銀の狼の立つところまで戻った。
狼が戻ったのを確認すると窓を開ける。

「どうしたの、その傷」

少年の姿は、木にでも引っ掛けたのだろうかあちこちで衣が破れ、転んだりもしたのだろうか、顔にも手にも切り傷、擦り傷だらけになっている。 そして鼻の下には鼻水の足跡がある。

「なんでもない」

「なんでもなくないじゃない。 ちょっと待ってなさい」

すぐに部屋の中にあった手拭いを持ち、水差しでそれを濡らすと掃き出し窓を降りた。

「痛かったら言ってよ」
そう言いながら手拭いで血を拭いてやる。

「と、時が無くなってきた故、シグロの背に乗ってきたが―――」

シグロというのは黄金の毛を持つ狼のことだと分かる。

「コラ、自分の言葉で話しなさい。 じゃなきゃ、何も聞かないわよ」

少年が紫揺から目を離して口を尖らせ歪めると、もう一度紫揺を見て先程より小さな声で話し出した。

「最初はちゃんと歩いて来てた」

「へ?」

「シグロにずっと乗って来たんじゃない。 ちゃんと自分の足で歩いて来てた」

何を言いたいのだろうかと潜考する。 と、昨日の自分の台詞を思い出した。

『チビ・・・アンタに何ができるの? 自分で歩くことなく狼の上に乗ってエラそうにして、何が忠義よ―――』

確かにそう言った。 そうか、少年はその言葉を撤回しろと言わんばかりに、途中までは自分で歩いて来ていた、だが、もう遅くなってきたから狼に乗って来たのだという事を言いたいのか。

「そっか、自分で歩いて来てたんだ。 やれば出来るじゃない」

「あ、当たり前だ! オレは何でもできるんだからな!」

少年の大声に白銀黄金の狼が困ったように口の端を歪める。

「そうよ、そうやって自分に出来ることを何でもしていくといいよ」

途中までしか歩いて来ることが出来なかった。 一人でここまで歩いて来たわけじゃない。 だから何か言われると思っていたのに、何かを言われれば何かを言い返そうと思っていたのに、予定が大外れになってしまった。 ・・・でも、と、少年の頬がポッと赤くなる。

「今日は昨日の服とは違うのね」

水干姿であるが日本のものとはちょっと違う。

歴史の教科書で見たような気がするが、こんな少年がこんなものを着ているなんて珍しいと思い尋ねた。

「・・・ああ、そうだ」

服と言われてなんのことかと思ったが、紫揺の視線で何を言っているのかが分かった。
“ふくとは何だ?” とは訊けない。 まるで昨日言われた物知らずのようなのだから。
隠れて出て来るには、昨日のような他出着は着てこられない。

「で? 今日は何?」

「え?」

「何か用があるから来たんでしょ?」

少年が目線を落とした。

「どうしたの?」

「べ・・・別に用などという事では・・・。 其方・・・」

「ほら、ちゃんと自分の言葉でしゃべりなさいって」

言われ一度頬を膨らます。

「・・・ただ」

「ただ?」

「ただ来ただけだ」

「こんな怪我をして、ただここに来ただけ?」

「・・・そうだ。 悪いか」

「悪くはないけど」

何となく少年の気持ちが分かる気がする。 ただ自分に逢いたかっただけなのだろうと。 驕(おご)った考えかもしれない。 でも昨日の様子から、出来た姉兄を持ち、皆に比べられている末っ子のワガママちゃん。 そのことを何も知らない自分に会いに来るということがあっても、なんら不思議ではないのではなかろうか。

「ね、チビは―――」

紫揺の一言に白銀黄金の狼たちの目と口が大きく開かれた。 咄嗟に黄金の狼が今度は完全に自分の毛がギトギトになるという不安さえ頭をよぎった。 白銀の狼にしては、頭をブンと一振りすると、これ以上大声を出されては困る。 すぐにでも咥えて走り出そうという態勢だ。

「チビじゃない。 リツソだ」

またしても白銀黄金の狼の口がアングリと開かれた。 あの、あの、あのリツソがチビと言われたのに、泣くどころか自分の名を名乗っている。

「そっか、リツソ君か」

「皆はリツソさ・・・」 ここまで言って口を閉じた。

「なに?」

「なんでもない。 リツソでいい」

言いかけたのは 『皆はリツソ様と呼ぶ』 だった。

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虚空の辰刻(とき)  第43回

2019年05月13日 21時51分06秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第40回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第43回



「チビに許されようなんて思わない。 って、チビ、年上を敬うってことを知らないの? 私はチビより随分と年上なんだけど? そっか、チビだから敬うなんてこと知らないか」 

わざと少年の怒りを誘う。 このクソ生意気な少年を、余りにも何も分かっていない少年を徹底的に貶(おとし)めたい。 そして世の中の常識を分からせる。 紫揺の強情な性格がここに出た。

「そ、其方何を申した!? 我が、我が物知らずかと申したか!」

「言ったわよ。 敬いさえ知らないチビは物知らずでしょうが! チビのその喋り方は何? 自分の名前も名乗らず、相手にどうこうって。 それもコマッシャクレた言いよう。 完全に思い上がったチビじゃない!」

「う・・・ウルサイ! ウルサイ!」

「チビ言ったわね。 チビの父上様は凛としているんでしょ。 父上様に教育をやり直してもらえば?」

「わ、我が正しく途を歩んでいないと申すのか!」

「チビに何ができるの? 自分で歩くことなく狼の上に乗ってエラそうにして、何が忠義よ。 狼たちがチビに忠義を持っているなら、その狼たちがとっくに私に文句を言っているはずよ」

「そ、それは我が先程止めたからである!」

「チビは何も分かってない」

「我が! 我が何を分かっていないと申すか!」

「狼たちが困っているのさえ、チビは分かってない」

紫揺のこの一言に狼たちが目を剥いた。

「わ、われ、我に対してこの者達が困っているはずはなかろうが!」

「チビ、正直になりなさい。 虚勢は必要ない。 あ、虚勢って意味分る?」

「あーーー!! ウルサイ! ウルサイ!」

「煩いじゃないわよ。 チビが何しにここに来たのかは知らないけど、人と話す、きっと私と話すっていう事が大前提でしょうが。 自分の身をわきまえて話しなさいよ」

「な! 何を申ちゅくぁ、って!」
ろれつが上手く回ら無くなった挙句、舌を噛んでしまった。

「なんで! なんで! そんなことを言われなきゃなんないんだよ!」 もう訳が分からなくなった。

「チビ、言っとく。 私の方が年上なんだから、それなりの話しかたがあるでしょ? 立派な父上様からの教えがあるんでしょ? それに倣いなさいって言ってるの」

「・・・いっつも、誰もかれも、父上、姉上兄上って!」

そうか、そう言えばさっき言ってたな、そうなのか。 三人兄弟の末っ子か。 きっと姉と兄が出来過ぎているんだろうな。 うん。 私もちょっと大人気なかったな。 と、さっきの自分に少々反省を入れる。

「チビ、チビにはチビのいいところがあるんだから、それを伸ばすといいよ。 姉兄(きょうだい)とは違った良いところがあるはずだから。 でもね、虚勢は必要ないの」

「・・・」

無言になった少年に狼たちが驚きを隠せない。

「さっきの問いに答えるわ。 何処から来たのって聞いたわよね。 私は迷子状態なの。 ここが何処かもわからないの」

「ま・・・迷子であるか! それでは―――」 

「チビ! 言ったでしょ。 虚勢は必要ないって」
チビの発する言葉で虚勢を張っているのかどうかが分かる。

「虚勢など張っておらぬ!」

「チビ、正直になりなさいって。 チビは今何を一番に考えているの?」

「何度も何度も言うな! オレは禿びではない!」

「うーん。 オレか。 我ではないんだよね」

「わ、我じゃ。 オレではない! 我は13の―――」

「13歳のチビだって分かってる」

「まだ言うのか!」

「何度でも言うよ。 チビ」

とうとうワナワナとしていたチビの口元が緩み大きく口を開き、寄せていた眉根が上に上がると眉尻が垂れた。

「ばかー、ばかー」
目から何粒もの涙が零れてくる。

「お前なんて、お前なんて兄上に釣られればいいんだー!」

「兄上? チビのお兄ちゃんね。 チビ、お兄ちゃんに頼るんじゃないわよ。 チビに出来ることをしなきゃ」

「兄上は怖いんだからなー! お前なんて、お前なんて―――」

「私がどうなろうとチビには関係ない。 私とその兄上の間の事。 でも、チビにはチビに出来ることがあるでしょ?」

「バカ! バカバカ! チビって言うなー!」

白銀の狼が大きく溜息を吐き、踵を返そうとした。

「ハクロ! 動くな! オレはこの女人(にょにん)と―――」

「女人って・・・。 だから、チビ。 チビの言葉で話しなさい。 私はチビから見てお姉さんでしょ」

ハクロと言われた狼が足を止めた。

「ウルサイ! ウルサイ! オレはハクロと話してんだ。 お前には関係ないー!」

「お前じゃなくてお姉さん!」

≪オイ、これ以上ここに居るのは不味いよ。 リツソ様のお声に誰かが来るかもしれない≫ 黄金の狼が白銀の狼に告げる。

≪ああ、そうだな。 ・・・だが≫
背の上に跨っている少年を見るように、目を上にやる

≪迷ってる時はないよ。 誰かに見つかるのが一番不味いんだからさ。 アタシたちは行くよ≫
茶の毛色の狼たちに顎を上げ、戻る事を促すとサッと走りだした。 茶の狼たちがそれに続くのを見て白銀の狼も決めたようだ。

≪リツソ様、走ります故、しかとお摑まりください≫ 

「ウルサイ! ハクロのバカー! ・・・ブェックション!」

領土に入った途端ずっと寒かった。 それを我慢していたのだが、とうとうくしゃみが出てしまった。 
白銀の狼が目を寄せる。 その狼の鼻ずらをリツソの鼻水が這っていく。
踵を返し走り去った。

一人取り残された紫揺。 大きく歎息を吐く。

「いったい何だったのよ」 

それにしても、と考える。 この奥にいったい何があるのだろう。 それに、チビはいったいどこから来たのか、チビとあの狼の関係はいったいどうなっているのだろうかと。

あの狼がヒオオカミに間違いないはず。 でもヒオオカミは人をオモチャにすると言うし、ヒトウカに牙を立てると聞いた。 好物だと。 でも、今目の前でヒオオカミの背に少年が跨っていた。 ヒオオカミがそれに従っていた。 ヒトウカの時もそうだ。 ハッキリとは見えなかったが、奥に居たのはヒオオカミに違いない。 そのヒオオカミがヒトウカを一噛みになんてしなかったし、それどころかヒトウカがヒオオカミを怖がることもなかった。

では、あの狼をヒオオカミと思っている自分が間違っているのか。 あんなに大きな狼はそうは居ないはずだ。 でも、たしかムロイがヒオオカミは狼より大きいと言っていたはず。 だったらあの狼たちはヒオオカミのはず。
思惟するがきっとヒオオカミだろうという考え以外に答えは出てこない。 それもヒオオカミだろうと思うだけで、何の確証もない。

誰かが歩いてくる音がした。 振り向くと先程ダイニングに居たウダと違う方の女であった。
面倒臭いと思った。 すぐに木の中に隠れ、見つからないようにしゃがんで身を隠した。 女はあちらこちらを見ると小さな声で 「誰かいるの?」 と言いながら家の周りを一周するように歩いて行った。

女を見送った紫揺。 フゥーっと一息吐くとそのまま木にもたれた。

「私・・・なにやってんだろ」



「ハクロのバカー!」
未だに白銀の狼の上で罵詈(ばり)を吐きながら、エンエンと泣いている少年。 

もう十分人里から離れている。 足を緩めてもいいかと、黄金の狼がゆっくりと歩き出す。 その横に白銀の狼がつく。 足が緩くなったのを感じると白銀の毛をギュッと握っていた少年の手が緩められ、次にはまるで馬の横腹を蹴るように、足をバタつかせ白銀の狼の横腹を踵で蹴り始めた。 蹴る気はないが、駄々をこねるように足を動かすと結果、蹴るという形になってしまっている。 そして白銀の狼の背は既に、少年の涙とヨダレと鼻水でギトギトになっている。

横に並び歩きながら互いに目を合わせるが、それはこの先どうしようかという事だ。
このまま紫揺からチビと呼ばれたリツソを本領に連れ帰っても、泣かれたままではこちらにも都合が悪い。 それでなくても本来ならリツソを連れて行くことなど筋から外れているのだ。 リツソに命じられ、否応なく連れてきてしまったのだから、それなりの形で帰らなくてはならない。 いや、それなりの形であったとしても、勝手にリツソを連れ出したと咎められるのは目に見えている。 白銀黄金の狼が頭を垂れる。


前日、紫揺を見た白銀黄金の狼がその旨を主に伝えようと翌日、本領に入った。 だが、残念ながら主は出掛けていて伝えることが出来なかった。 その上、当分帰ってこないという事であった。

どうしたものかと、白銀黄金の狼が話しているのを偶然耳にしたリツソ。

「それでは我が見てやろう」

白銀黄金の狼の後ろからそんな声が聞こえた。 聞き覚えのある声に、白銀黄金の狼が互いに目を合わせゆっくりと後ろを振り向くと、間違えなく聞き覚えのあるその声の主、胸を反らしたリツソが立っていたのであった。

「な! 何を仰られますか! リツソ様には本領を出て頂くわけにはまいりません!」

白銀の狼が血相を変えて言うが、リツソはそんなことを聞き入れる気など毛頭ない。

「何を言うのか? 我はもう13じゃ。 一人で本領を出ることくらい出来る。 兄上など、10から出ていたそうではないか」

「そ! それは兄上様であるからして―――」

「おい!」
すかさず黄金の狼がそれ以上言うなと、一言で五寸釘を刺す。 ここで駄々をこねられてはどうにもいかない。

だが、ここで駄々をこねられた方がマシであった結果なのだが。

「このことは兄上様の仕切られるところであります。 リツソ様はリツソ様の仕切られることをされておられては、他のことに割く時間がございませんでしょう? お忙しいのですから、ご無理をなされてはお身体に触ります」

持ち上げながらやんわり否(いな)と黄金の狼が言う。

「おお、そうであるな。 我も姉上兄上と同じく忙しい身であるからな」

白銀黄金の狼がホッと胸を撫で下ろした。

「だが今日は暇じゃ」

白銀黄金の狼の口角がヒクヒクと動き出した。

「リツソ様は・・・その・・・。 ああ、そうでございます。 ではお父上のご許可を頂いてからにいたしてはどうでございましょうか?」
黄金の狼が何とかして思いとどまらせようと言う。

「父上か? 父上も母上と一緒に今日は出られておられる」

「で! では! どなたも居られないのであればなおの事、リツソ様が本領をお守りされなくてはなりませんのでは!」

「ふむ・・・確かにそうであるな。 父上もそう言って出かけて行かれたのだからな」

そんなことを言う本領領主でないことは白銀黄金の狼は知っているが、今はその言葉に乗る。

「そうでございましょう! リツソ様におかれては、今はこの本領の領主も同然! 本領から出られるなどという事は―――」

「北の領土を守るのも我が本領の・・・し・・・しめ? ・・・おおそうじゃ、使命であるからしてそれが今の我の仕切りどころじゃ」

使命などという事に縁がない故、すぐに使命という言葉が出てこなかったようだ。

「他出の衣装に着替えてまいるから待っておれ」

白銀黄金の狼の額に汗が流れた。

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虚空の辰刻(とき)  第42回

2019年05月10日 22時33分35秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第40回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第42回



灌木の中の足元は落ち葉で一杯になっていた。

「何の木なんだろ?」
灌木の枝を見る。 
落ち葉から見ると広葉樹であると分かるが、既に腐葉土に近い状態になっている。

「きっとこの下の生物が喜んでる土ね」 

ヒオオカミに逢うかもしれないというのに、どこか能天気なことを考えながら歩を進める。 何本もの灌木を通り過ぎ、奥に見えた喬木の林立する手前まで来ると、ただ木が植わっているだけだというのに、音のない静けさに不穏を感じる。

風さえあれば葉擦れの音など何某かの音が聞こえてくるだろうに、それさえない。 そして喬木から何かしらの威圧をかけられているようで心が恐怖をおぼえ足が止まる。

「・・・」

何度も顔を下げては前を見直す。 喬木の向こうには何もないと見てとれる。 だが、歩を進めることが出来ない。

「大丈夫なんだから。 危害を与えないんだから」
そう自分に言い聞かすが、それでも恐怖は拭いきれない。

音のない沈黙を守る木々。 それが何よりも恐怖を誘うが、ここで何か得も知れぬ音が聞こえると今の恐怖など知れたものだろう。
フッと気付いた。 とてもどうでもいいことに。

「あ・・・さっきまでは広葉樹だったのに、ここからは針葉樹に変わってる」

足元に落ちている枯れ葉は針葉樹のものである。
喬木を仰ぎ見る。

「松?」
紫揺の知っている針葉樹の名前は松くらいである。

「でも、松の幹ってこんなに白くないはず」

噂に聞く白樺かと思うが、残念ながらそうではない。
木に近づき幹にそっと手を当てた。

「硬い・・・」

幹が硬いのは当たり前であるが、そうではなくまるでセメントの電柱を触っているような硬さ。 セメントで塗り固められたような丸太で何をも感じない。

「・・・無機質」 

紫揺が言いたいのは、この木からは生を感じないと言いたかったが、まるで木に対して失礼な言葉を吐いている。 木は息をしている、決して無機質ではないが、紫揺の知る木とは違った余りに凝り固まった幹であった。

無機質な木々の中を歩くには、既にここで足を止めている自分には無理であろう。 
もっと生のある木々なら何か教えてくれるのに・・・。 と、意味もなくそう感じた。

「え?」
そんなことを感じた自分に驚く。

「なに? どうして?」
どうしてそんなことを思うのかと、自分に問いただす。

「分からない。 どうして・・・」
喬木を見上げた。

と、喬木の奥から何かの音がした。 風一つ無いのにと、肝がすくむ。 が、その音は風が起こす音ではない。 何かを・・・針葉樹の落ち葉を踏む音、踏み拉(しだ)く音。

(誰・・・)

先程までの能天気は何処へやら、身が縮む思いなどと軽い言葉では言い表せない程の戦慄を覚える。 顔を下げ耳に集中する。 耳を澄ます。

(走っている音じゃない・・・。 ゆっくりと歩いてる音)
更に耳を澄ますと幾足もの足音が聞こえてきた。

(多い。 それに軽い・・・人の足音じゃない?)
という事は、考えられるのは・・・。

踵を返そう。 これ以上は無理だ。 だが、沈思する時が長すぎた。 時宜を逃してしまっていた。

「ほほぅー、其方(そなた)か?」

聞いたこともない声が真ん前から聞こえる。 顔を上げ目をやると喬木の間に想像もできないシチュエーションを目にした。

「ほぅ、確かにこの領土の者ではないな。 其方、何処からここへ来たのか?」

この者にそれが分かるわけではない。 ただ、狼たちが言っていたからそう言ったまでである。

ヒオオカミと思われる、昨夜見た白銀の獣・・・その狼の上に少年が跨っている。 その隣には黄金の毛を持つ狼、後ろには茶の毛を持つ狼が従えている。 それらが歩み寄ってきている。
そして、白銀の狼に跨っているその少年が紫揺に話しかけてきたのだ。

(はっ? 誰? コイツ誰よ・・・) 

その誰とは、もちろん狼の背に跨る少年のことである。 

(コイツって・・・狼に育てられた少年?)

一瞬憂患の思いになりかけたが、よく見ると身なりが正しい。 正しいというよりは、正しすぎる。 

黒い髪は首元で正しく括られ雀の尾羽のようになっており、1センチ程の幅に鞣した皮の紐を青に染め丸襟のベストのような形に編んであり、その下には横にスリットの入った膝丈より少し上の白い上衣、下穿きは上衣と同じ生地の筒ズボンを穿いている。 足元は長靴(ちょうか)ではなく短靴であるようだ。

(狼に育てられた少年って、ボッサボッサの髪に腰から膝上くらいまで毛皮か何かを巻いているだけのはず、よね・・・) 眉をグッと顰める。

「ああ、そんなに恐い顔をするのではない。 なにも取って喰おうというのではないからの」

(なに? ・・・腹立つ喋り方) 

必要以上に正しく言葉を発している少年。 先程までの戦慄さえ覚えていた恐怖が音を立てて崩れていく。
もし、ヒオオカミと思われる狼だけが出てきたのならば、肝がすくみ上るだろう。 だが、少年がヒオオカミと思われる背に跨っている。 それがどこか安堵する材料となり感謝をしたいところだが、その話し方に段々と業腹になっていく。

「其方、我の問いに答えぬか?」
小首を傾げたが、すぐに眉を上げ続けた。

「・・・そうか、余りにも立派な我の姿に畏れをなすか。 まぁ、それは仕方のないことではあるかの。 我は父上様ほどに余りにも凛としておるからの。 其方が畏れるのも無理のないところであろう」 

少年が頷きながら満足げに言うが、少年の跨っている白銀の狼が顔を動かすことなく、眼球だけを黄金の狼に送る。 視線を送られた黄金の狼がそれに気付かないというように真っ直ぐに紫揺を見据えている。 見据えている・・・でもそれは紫揺を見据えているのではなく、その様に見られるようにしているだけである。
己はそれには関係を持ちたくないというあらわれであった。  早い話、この今の事ごとには参加しないという事であった。 もっと早い話、白銀の狼の視線を無視したという事である。

「兄上も姉上も居られないことであったから、我が兄上に代わってここに来たが、ほれ、其方はどうして此処に居るのじゃ? 我を畏れることはない答えてみよ」

(なんでよ。 どうしてコイツにそんな言い方をされなきゃなんないのよ)

この少年が現れる前まで、静寂の怖さを味わったのだ。 木々の細々とした枝さえ動かない静寂に怖れをなしていたのに。 それなのに

(コイツはなによ、ケロッとその中に入ってきてその話しかたは何よ。 明らかに私の方が歳上でしょうがっ!) 

昔取った杵柄ではないが、あくまでも縦社会の部活生活を送ってきた紫揺にはこの喋り方が許されるものではなかった。
紫揺の心の内でこの少年に対しての疎意が溶岩のようにフツフツと、ブクブクと憤慨の思いで立ち込める。 一瞬、狼に育てられた少年かと思い心を痛めかけた自分に苛立ちさえ思える。 

「ふむ・・・。 言(げん)を発することが出来ぬのか?」

(げん? げんって何よ!)

こめかみ辺りががピクピクと動きだした。 と、遅ればせながら続けて言った“発する” という言葉から“げん” の意味が分かった。
少年の回りくどい言葉にとうとうブチっという音が鳴った。 その音を聞いたのは紫揺だけであるが。

「・・・うっさい」
我慢限界、怒りの波が堰を切ってしまった。

紫揺の心の中を充満していた歯牙に、黄金と後ろに従える茶色の狼が一歩前に出た。

「ほっ? 今何と申した?」
白銀の上に跨っている少年が聞き返す。

「クッソガキが何を生意気な口をきいてるのよ!」
握った拳がプルプルと震える。

≪何を! リツソ様に何という事を言うのか!≫

黄金の毛色の狼が言うと、後ろに従えていた茶色の狼たちが前に進み出て口の中で唸りを上げる。

「よい、よい。 お前たち、控えよ」

少年に言われ剥き出しにしていた牙を一度納めると狼たちが歩を引く。 だがまだ口の中で唸りを上げている。

「ふむ。 其方は現今を分かっておらぬとみた。 この者達を仕切っておるのは我ある故、我に野卑な言を発すると、我に忠義を為しておるこの者達が何をするか分からぬぞ。 其方は其方の身を守るようにせんとな、言は考えて申せよ。 それに言っておくが我は13じゃ、糞餓鬼ではないからの」

「はっ!? 13? 13歳ってこと?」

「うん? 13の歳じゃ。 我は15になれば、父上様から二つ名を頂ける」

とーっても胸を張って答えるが、その言葉を完全に無視する。

「13ってことは、中学生じゃない。 ・・・まるで小学校中学年くらいかと思ったわ」

鼻で息を吐くと震えて握っていた拳を開き腕を組んだ。

少年の生活の中に、中学生とか小学校中学年とかというものはない。 だからその意味は分からないが、不敬なことを言われたのはその表情から分かる。 とーっても張った胸を納め、一度口を一文字にすると、言い放とうとした。

「其方が何を言いたいのかは分らぬが―――」

だが、少年のその言葉に紫揺が重ねて言う。

「ふーん。 じゃ、チビこの上ないわけだ」

一瞬にして少年の口角がヒクヒクと動き、白銀黄金の色を持つ狼が目を大きく見開き、茶の狼たちが一瞬目を見開いて這う這うの体でこの場を辞したいと、黄金の狼を見る。

「こ、この慮外者! 今何と言った!」

「チビこの上ない。 そう言った。 最上級のチビ!」

「我が! 我が! 我が禿(ち)びであるはずはない!!」

「絶対チビだし」

「な、なにを申すか!」

「チビ」

「何度も何度も申すでない!」

「完全なるチビ」

「ゆ! 許さぬ!」

黄金と茶色の毛の狼が数歩後ろに下がった。 白銀の狼は下がりたくても下がれない、少年がまだ跨っているのだから。 横目に黄金の狼を見た。

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虚空の辰刻(とき)  第41回

2019年05月06日 21時13分59秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第40回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


     『虚空の辰刻(とき)』 リンクページ




                                        



- 虚空の辰刻(とき)-  第41回



そのまま玄関で靴を履きかえ、羽織っていたベンチコートのファスナーを閉めると外に出てみた。 仰いだ空は蒼穹。 風の一つもないが、寒いには変わりない。

顔を戻すと領土の中心というところに来たという事が実感できた。 今まで草葺屋根の家が点々と見え、そこに畑が見えていた。 道はデコボコで人の姿も少なかったが、目の先には平屋ではあるが、しっかりとした木造の家が長屋状態で何軒も建っているのが見える。
畑も目に映らなく、道もアスファルトではないものの均(なら)されている。 何人もの人が動いている様子も見える。 この領土に来た時に見た遠くに見えた山塊と思われた山々が随分と近くなったように思う。

ムロイの家であるこの家は、他の家々からはポツンと離れて緩やかな坂の上に建っていて、他の家がこの家に隣接しているわけではない。 そしてその立地から坂の下にある家々の様子や風景がよく見渡せた。

「どうしようか・・・」
何気なく今出てきたドアを振り返ると、まずは家の周りを歩いてみようと思いたった。

家の周りはゆとりをもって垣根で区切られていて、屋敷ほどの大きさではないが、それでもナカナカの大きさだ。 振り仰ぐと一部に二階部分があるのが分かる。
グルリと裏に回り込むと裏庭があった。 裏庭の奥はまばらに灌木が植わっていて、その奥には喬木が林立し、その裏庭が紫揺の寝ていた離れまで続いていた。
紫揺のいた離れの部屋から見える掃き出しの窓までやってきた。 まばらに植わっている灌木の向こうを見ると、あの喬木の先に家は建っていないのだろうと思える。 それなら、あの獣が出てきたのも納得がいける。

「この木の奥からやって来たんだ」
先に見える喬木を見据える。

「この奥に何かあるんだろうか・・・」
昨日の様子では、すぐには自分に危害は与えないようだった。 

眉がピクリと動いた。 これはハッキリとさせたい。 この奥に何か有るか無いかはわからないが、無ければそれに越したことはない。 そう、今は入るしかない。 意を決してそのまばらに植わっている灌木の中へ足を踏み入れようとした時、オドオドとした声が掛かった。

「ム・・・ムラサキ様・・・」

「え?」 と振り返ると、昼飯を持ってきた女がそこに立っていた。

「あ! ・・・申し訳ありません、申し訳ありません!」 ひたすら頭を下げ、肩から下が震えている。

紫揺の母、早季と同じくらいの年と思える女。 その年齢の者からそんな言われ方をされたくない。 悲しくなる。 それに自分は紫ではない。 なのに、またここでも紫と呼ばれる。 それにそれに、自分から声を掛けておいてそれはないだろうと、この領土に来て何度か見た自分を怖れ震える手、その態度に苛立ちを覚える。 悲しくもあり、苛立ちもあり、相反する自分の思いに整理がつかない。

「あの! 謝らないでください!」 隠しきれない憤然な語気を放ってしまった。

「は! はい! 申し訳ありません!」 女がなお一層、頭を垂れる。

「あの! こちらこそごめんなさい。 強く言い過ぎました。 済みません!」 

目上の人間に、ましてや母親と同じような年と思える人に何という言い方をしてしまったのだろうか。 一時の憤懣を投げてしまったことを内省する。
頭を垂れている女が大きく目を見開くが、頭を垂れている故、その表情は紫揺には見えない。 ピクリとも動かない女に痺れを切らし、紫揺が落ち着いて問いかける。

「あの・・・何か用ですか?」

女がピクリと動いた。

「・・・領主から、い・・・言いつかっております」

「領主って、ムロイさんですか?」

「・・・はい」

「何をですか?」

『何をですか』 紫揺のこの言葉に女がゴクリと唾を飲んだ。 領主にしろ、セッカたちにしろ、こんな風には言わない。 『何を』 で終る。 その後に語句などつかない。 何の語句も付かないそれは、蹂躙されているのか質問なのかさえ分からない。 だが、この紫揺であるムラサキ様のいう言葉には、怖れるものなどない響きがあるように感じられる。 それに先程は、この立場にある人間から初めて詫び言を聞いた。

「りょ、領主と五色様方はお出掛けになられましたので、す・・・数日は戻って来られないとのことです。 ・・・ムラサキ様にはご、ご自由になさっていて下さいと。 も、もし中心のご案内が必要であればご案内するようにと」 頭は垂れたままだ。

「中心・・・」
中心というのは領土の中心であろうことは分かる。 どうしようかと握った右手の人差し指を僅かに緩めて口元に当てた。

今更中心を見たとて、ここはお婆様の来るべきところではないはずだし、自分の考えに何ら障害をもたらすものもないだろうし、先程坂の上の庭先から家々をざっと見てはみたものの、もっと近くで何かを見てみるのもまた一つかもしれないしと、決めかねる・・・。 と、閃いた。 口に当てていた指を離す。

この女がニョゼかセキを知っていたなら、案内をしてもらおう。

「あの、ニョゼさんってご存知ですか?」
この女の年齢からみると、ニョゼの母親を知っているかもしれない。 それならニョゼのことも知っているだろうと考えた。

「え?」 下げていた頭を僅かに上げた。

「ニョゼさんって女の人のことを知りませんか? 私とあまりかわらない歳なんですけど」

下げている頭を捻る仕草。

「心当たりがないですか?」

「はい、申し訳ありません」

「いえ、そんな。 こちらこそ済みません。 それじゃあ、セキちゃんって女の子は?」

女が驚いたような目をして顔を上げた。

「セキちゃんのことをご存知ですか?」

女が慌てて顔を伏せ、何度も頷く。

「セキちゃんのことをご存じなんですね?」

「は、はい」

「私、セキちゃんとお友達になってもらったんです」

え? っという風に女の動きが止まった。 いつからか手の震えはなくなっていた。

「セキちゃんとどういうお知合いですか?」

「セ、セキの隣の家に住んでいます」

「そうなんですか! セキちゃんには犬のお友達もいて元気にしていますよ。 一緒にお散歩したりしてたんです。 って言ってもまだお友達になってもらって日が浅いんですけど」

女が何度も頷く。 きっとセキのことを気にかけていたんだろう。 それとも隣に住んでいたという事は、セキだけではなくセキの母親のことも考えているのだろうか。

「もしかしたら、セキちゃんのオムツを替えたりしてあげてたんですか?」

「・・・はい」 声が詰まってやっと出たという感じだ。

紫揺の祖母も母も決して早くに子供を産んだわけではない。 どちらかと言えば遅くに子供を産んでいる。 祖母にしては母親の早季を38歳、初産で生んでいる。 もし、祖母も母ももっと早くに子供を産んでいれば、母にセキの歳の頃の孫が居てもおかしくない。 この女はセキのオムツも替えているのだ、セキを孫のように思っていたのかもしれない。

「セキちゃんって、思いやりがあって優しいんです。 誰にも懐かない犬なんですけど、セキちゃんとセキちゃんのお母さんにだけは懐いているんですよ。 お母さんとはお逢いしたことはないんですけど、きっとセキちゃんはお母さんに似たんだと思います」

女が抑えきれない嗚咽を漏らした。

「向こうに帰ったら、貴方のお話をしたいと思うんですけど、お名前を聞かせてもらえますか?」

「・・・ウダ、ウダと申します」

「ウダさんですね。 きっとセキちゃん喜ぶと思います」

「ム・・・ムラサキ様は・・・」 女が胆力を振り絞って声にする。

もうここでは紫でもいいかと、紫揺が何も言わず次の言葉を待つ。

「セキと・・・お、お友達だと・・・」

少し待ったがその続きの言葉が無かったので 「はい」 と答えた。

「セキは・・・ムラサキ様にお話をするのですか?」

「はい、色んなことを教えてくれます。 洗濯物を干すときにはこうしてこうすれば、シワが入りにくくなるよ、とか―――」

ここまで言うと女が驚いて顔を上げた。 女にしてみれば、領主でさえ気を使っているこのムラサキ様に、そんな話をするなどとは信じられない驚きだ。
その女の目に紫揺が笑みを送る。

「さっき言いましたセキちゃんのお友達の犬ですけど、その犬とも私が仲良くなれるように取り計らってくれました。 そうだ、歌も教えてくれました。 ~とんがり山の向こうにはー、シクタク鮮やか花乱れ~ っていう歌です」 少し恥ずかしそうにペロッと舌を出す。

「そ・・・その歌は、わ、私がいつも口ずさんで・・・」 目から大きな涙がポロポロと落ちてきた。

そうか、きっと、やっぱり、セキのことを孫のように思っていたのであろう。 涙していることには触れないでおこう。 ただ、セキの事だけを話してあげよう。

「セキちゃんが言ってました。 いつもセキちゃんをおんぶしながらこの歌を歌ってくれてたって」

「覚えて、覚えてくれていたんですね・・・」

「私が初めてセキちゃんと会った時もこの歌を口ずさんでいました」

女がとうとう両手で顔を覆ってしまった。 
案内をしてもらいながらセキの話をしようかと思ったが、これでは案内してもらう間も湿っぽくなりそうだ、と頭の片隅に考えた。

「セキちゃんのことを話せて良かったです。 あの、案内はいいです。 一人でこの辺をブラブラします。 それに飽きたら部屋に戻りますから」

「・・・はい」

「それと、セキちゃんから聞いていたことを教えて欲しいんですけど」

「はい?」 女が泣きながらも両手の間から顔を覗かせる。

紫揺から持たされたセキの疑問を聞いたウダが、目に涙をためながらも驚いた顔をする。

「セキが? そんなことを言ってたんですか?」
歌の言葉の意味を知ろうとしてくれていた。 それが嬉しい。

女から説明を受ける。

「セキちゃんに伝えます」

そしてそれと、と全然違う話を伝える。

「申し訳ないんですけど、食事は私が台所に取りに行きます。 冷めてもいいので、そのままにしておいて頂けますか?」

紫揺の言葉にウダが一つ頷くと頭を下げ、そのまま走り去った。 女の後姿を見送ると小さく息を吐き、目線を喬木の林立する方に向けるとその手前の灌木の中に一歩を踏み出した。

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虚空の辰刻(とき)  第40回

2019年05月03日 22時42分41秒 | 小説
『虚空の辰刻(とき)』 目次


『虚空の辰刻(とき)』 第1回から第30回までの目次は以下の 『虚空の辰刻(とき)』リンクページ からお願いいたします。


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- 虚空の辰刻(とき)-  第40回



「え?」

右に90度首を捻ると、何かが動いたように見えた。 外は暗闇だが、わずかな部屋の明かりが外に漏れている。

「なに?」
ガタリと音をたて、椅子から立ち上がると掃き出しの窓に近寄った。

そっと窓を開ると刺すような冷気が肌をつく。 顔を出して目を凝らすが、先程見えた何かが見えない。 ふと足元を見ると外履きようのサンダルのようなものがあった。 ずっと窓を開けていては、せっかく暖まっている部屋の中にこの冷気が入ってしまう。
サンダルに足を突っ込むと窓を閉め、羽織っているだけけだったベンチコートのファスナーを上げ、フードを被った。
一歩二歩と歩を出す。

「気のせいだったのかな・・・」

紫揺の中で、もしかしてまたヒトウカがやって来たのかと思う気持ちがあったが、それならば目を凝らさずともあの光が見えるはず。

「・・・だよね。 光どころか真っ暗闇だもん。 ヒトウカのはずはないよね」

上空で風が起こったのだろう。 雲が流れ月が顔を出した。 周りが先程よりは明るくなった。

「さぶ」
そう言って部屋に戻ろうとしかけた時、目の先に動くものが見えた。

「え?」

それが一歩二歩と歩いて来る。 大きな四肢。

≪これがお前の言っていた人間か≫

≪はい≫

部屋の明かりが零れる中にそれが出てきた。
白銀色の毛に大きな四肢を持つ獣が、後ろに従えている茶色の毛の1頭にチラリと視線を送りながら言った。 歩が止まった。 紫揺との距離はおおよそ8メートルほど。

≪領土の人間ではないな。 どうしてこんな人間がここに居るのか≫

≪それは・・・分かりません≫ 

≪分からないだと? 何のための斥候だ!≫ 白銀色に大きな四肢を持つ獣が後ろを振り返り唸りを上げる。

唸られた茶の獣が怯えたようにして一歩後ずさった。
紫揺からすれば、どう見ても狼にしか見えない。 それも白銀色は特大級の大きさの狼。

≪どうしましょう≫
今度は別の茶色の獣が進み出てきた。 2頭だけではなかったようだ。

≪領土の人間以外を此処に置いておくことは出来ん≫ 

白銀色の獣が横を向いて言うと、茶色の獣が進み出てきた。 グルルと喉を鳴らし、紫揺の前に歩み寄ってくる。
紫揺は身体が硬直し、指一つ動かせない。
獣が大きく四肢を動かし、更に近づいて来る。 

風が起きた。 木々に付いていた枯葉をその枝から離し舞い上がらせる。 獣の四肢の運びが早くなり紫揺に飛びかかろうとしている。
紫揺の足は動かないが、眼球は動く。 スローモーションに映るその動き。 四肢を運ぶその姿をじっと目で追っている。 月の光を受けて飛び上がった獣の影が紫揺に大きく重なった。
と、ギャン! 大きく一吠えあげて、紫揺の横に転がっていく獣の姿。 何がどうなったか分からない。 やっとスローモーションが解けた。 が、眼球以外はまともに動かない。 コキコキコキとまるでからくり人形のように小刻みに首を動かし、転がっていった獣の姿を追う。

≪何をする!≫
白銀色の獣が紫揺の方に歩み寄ってくる。

≪早まるんじゃないよ≫
ゆっくりと紫揺に尻を向けるように方向を変える獣。

紫揺の目の前にはまた別の獣が立っていた。 こちらは黄金の毛色をしている。 紫揺が今度は先程より幾分か滑らかに顔を戻す。

≪早まるだと? どういうことだ!?≫

≪まずは本領に知らせるべきだろう?≫

≪我らはこの領土を守る立場にある! 領土の人間以外を―――≫

≪領土の人間を屠ることを命じられてはいるが、領土の人間以外を屠ることは命じられていないんじゃないのかい?≫

転がった獣がのそりと立ち上がる。 脇腹に大きな傷跡が見える。

≪血を残すんじゃないよ。 あとでややこしくなる≫ 黄金の毛色を持った獣が紫揺に襲い掛かった獣に言う。

立ち上がった獣が黄金色の獣に頭を垂れ、自分の脇腹を見ると血が滴っていないことを確認した。

≪今のこいつの吠えで誰かが出てくるかもしれないよ≫

黄金色の毛の獣に言われ、白銀の獣が鼻に皺を寄せる。

≪・・・事は分かった。 本領に知らせる≫

獣たちが紫揺を置いて踵を返した。 その気配は白銀黄金、そして茶2頭以上の気配がある。 もっと後ろに獣が控えていたのだろう。
誰も居なくなった。 そしてまた雲に隠れた月。 目の前は単なる闇。 何がどうなったのか? 目の前であったことが分からない、理解できない。
呆然自失とはこのことを言うのだろうか。 頭の片隅にそんなことが浮かんだ。

「・・・うそ」 たった一言が口から出た。


昨夜はまともに寝られなかった紫揺。 馬車に揺られた数日のこともあり、翌日は少々遅めの目覚めであった。 とは言っても時計がない。 トウオウの言っていた星で時間が分かるわけでもないし、今は明るい時、星など見えない。
布団からノソリと起き上がった。

「あ・・・お布団で寝てる」

昨日あれからどうなったのか記憶にはないが、分からないままでも、自分で布団に潜り込んだのだろうと思う。

実際そうだ。 あの後、夢遊病者のように布団に潜り込んだのだから。

「アレって・・・夢?」

現実を感じるが、夢として納めることしかない出来事。 起き上がったと言っても上半身を起き上がらせただけだ。 掌を額に当てる。

「・・・違う。 確かに居た」

白銀と黄金の毛を持つ二頭は大きな四肢を持っていた。 茶色の二頭は白銀と黄金の毛を持つ二頭より少し小さかった。 それでも充分日本の狼より大きい。 その後ろに控えていた狼も多分茶色の狼と同じだろうと考える。

「あれって、ヒオオカミ・・・?」

それしかない。 でも確信はない。

「・・・分からない」
まるで二日酔いのサラリーマンのように、額に当てていた掌で何度も顔をさする。

コトリと戸の外で音がした。 思わず顔に添えていた手をおろし引き戸を見た。

(誰かいる?)
布団から立ち上がると、木張りの部屋を通過してそろりと戸を開けた。 すると今までに見たこともない女が立っていた。

「・・・え?」

「あ・・・お目覚めです、か」
女が言う。 女もまさか戸を開けられるとは思っていなかったのであろう驚いた顔をしている。

「・・・はい」

「昼餉(ひるげ)を・・・ご用意しておりますが、どうなさいますか・・・」 

声が震えている。 顔も驚いた時には上げていたが、今は下向きになっている。 自分を恐れているのだろうと感じる。 それでも『昼飯』と言われては、質問せざるをえない。

「え? お昼? お昼ご飯?」

「はい」

「え? あの、今何時ですか?」 

女が下を向きながらも眉を顰めて首を傾げる。
その仕草に、そう言えばと考え直す。 昨夜トウオウが言っていた言葉

『シユラ様は空に浮かぶ月や星の位置で時間が分からないだろうけど、もう十分深夜』 と言っていた。 ここは電力も小さければ、時間感覚の時計もないのか。

「もしかして、もうお昼なんですか?」

「はい」

自分はどれほど寝てしまっていたのだろうか。

「あの、うん、はい。 頂きます。 お昼ご飯を頂きます」 腹の虫が鳴りかけていたのを感じた。

「では、すぐにお持ちします」

戸を閉め部屋の中を振り返ると、改めて寒いことに気付いた。 暖炉の火がもうなくなっていた。 布団の横に置いてあったベンチコートを羽織り、布団を畳む。 押入れらしき襖を開けると、シーツや座布団、それとちょっとしたものがあった。 押入れ兼、物置のようだ。

「ここにお布団をしまってもいいのよね?」

だが、布団をしまえる隙間が狭すぎる。
う・・・ん。 と考え、けっきょく部屋の隅に畳んで寄せた。

女が姿を消して間もなく盆に昼飯を乗せてやってきた。 献立は勿論鍋ではない。 白米に卵を使ったオムレツのような物、そして焼き魚と根野菜の煮たものと漬物が添えてあった。 そして箸と茶も。

戸口で盆を受け取ると、暖炉に火を入れてもらえるよう頼んだ。 盆を木張りの部屋に置かれていたテーブルの上に置き火の入れ方を見る。 これからは自分でやらなくてはいけない。
火を点け終わった女が部屋を出た。 女を見送ると椅子に腰かける。 箸を手に取るがなかなか箸が動かない。 腹の虫は怒鳴っているが、頭の中の疑問の方が制勝していた。

「分からない。 いったいどうなってたの・・・。 もし夢じゃなかったのなら。 うううん、夢であっても、白銀と黄金の狼は茶色の狼よりエライ感じだった・・・白銀と黄金の狼は同じくらいエライ感じがした・・・」

グウゥゥーっと腹が訴える。

「あれって、やっぱりヒオオカミ? ・・・あっ、これってさっきも考えた・・・」

腹がギュルギュルと今度は絞るような悲鳴を上げる。
その音に気付き、ゆっくりと箸を動かそうとしてその箸を置いた。 まずは茶から。 湯呑を手に取り香りを伺った。

「・・・玄米茶じゃない」
一つ不服を吐くと茶を啜った。 まるで紅茶のような味であった。


昼飯を食べ終わると盆を持って部屋を出た。 昨日歩いた家の中はうろ覚えだが、廊下さえ歩いて行けば何とかなるだろう。 実際何とかなった。

昨日、全員が集まっていた暖炉のある部屋に辿り着くとドアを開け中に入る。 すると奥から人の話し声が聞こえる。 そちらはアマフウとトウオウが居たであろうダイニングとおぼしき場所。 盆を持ったまま奥に足を運ぶ。
暖炉のある部屋、リビングとおぼしきその部屋との境にドアはないが、壁で仕切られていて中は見えない。 壁はドア二枚分程の出入り出来る幅を残している。 そこから顔をのぞかせる。 

すると間違いなくそこはダイニングで、流しがありテーブルも置かれていた。 そして二人の女が夕飯の下ごしらえをしていた。 一人は先程の女。 どちらも母親の早季とさほど変わらない程の年齢に見える。

「あの・・・」
紫揺の声に二人が同時に振り向いた。 目を瞠っている。

「ごちそうさまでした」
身体を中に入れて盆を差し出す。

先程の女が手を震わせて盆を受け取る。 もう一人の女は下を向いている。 
どれほど自分が恐れられているのだろうか。 溜息が出るし気鬱にもなる。 それともある意味、疎意されているのだろうか。

「美味しかったです」 

作ってくれた者への敬意の言葉を残してダイニングを出た。 女二人はずっと頭を下げていただけであった。

本当ならムロイはどこに居るのかとか、他の5人はどうしたのかと聞きたかったが、あの二人にそんなことを聞けば傲岸に見えるだろう。 それに怖がらせる気もなかった。

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