『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第187回
紫揺が宮を出る前にもう一度、医者部屋を訪ね男達を視た。 何の変化も視られなかった。 男達に異常が無いことを告げ、その後、客間で着替えている時になりようやく澪引とシキが訪ねてきた。
「どれだけマツリが六都のことを言っても、婚姻の儀に関することは進めていきますからね、東の領土に戻ったら領主によくよくお話して頂戴ね」
「私も頃合いを見て東に飛ぶわ」
「え? あの、シキ様はもう・・・その」
何と言っていいのだろうか。
「ふふ、本領領主のお手伝いで飛ぶわけではないわ。 それはもうお役御免になったけど、マツリの姉としてなら飛んでもいいのよ」
「そうなんだ。 でも無理をしないで下さい。 その、あの時みたいに」
天祐が腹に入っていた時のように。
第二子がいつ腹に入っていてもおかしくはないのだから。
「そうで御座います。 あの時は心の臓が止まるかと思いました」
紫揺が昌耶に抱かれている天祐に手を伸ばし天祐を腕に抱く。
「あの時はごめんね、お腹でびっくりしたでしょう?」
何のことかと天祐が紫揺を見上げている。 そのキョトンとした顔が愛らしい。 音夜とはまた別の可愛らしさがある。
「うふふー、可愛いー」
ギュッと抱きしめると、天祐も喜んで紫揺に抱きついてきた。
「あら、天祐は紫が気に入ったようね」
そのようで、と昌耶が言いかけた時「マツリ様に御座います」 と声がかかった。 すっと襖が開けられると、一気にマツリの顔が鬼の形相になった。
スタスタスタと入ってくると、紫揺の首に手を回している天祐の後ろ衿を、リツソの時のように掴み上げる。
「わっ! マツリ何するの!?」
掴み上げられ猫のように手足がブラブラとなっている天祐。 天祐の目に下から紫揺が手を伸ばしているのが見える。 紫揺に抱きつこうと手を伸ばすがそれを阻止するかのようにクルリと向きを変えられ、そこにマツリの顔があった。 すると一気に火が点いたように泣きだしたがその泣き声より大きくマツリの声が響く。
「天祐、覚えておけ! 紫に指一本触れるな!」
シキが脱力し澪引が眉尻を下げ、昌耶が慌てて天祐に手を伸ばすとマツリの魔の手から引っぺがし天祐を抱いて客間を走って出て行く。 天祐をあまり泣かせてはいけない。 せっかく引っ込んだ出べそがまた出てきてしまう。
「マツリ・・・相手は天祐よ? 指一本などと」
天祐の泣き声が遠ざかっていく。
「抱かれているだけならまだしも、手を回していたではありませんか」
「・・・それほど紫を誰にも触れさせたくないのなら、六都六都と言っている場合ではないでしょうに」
「紫も六都のことを気にかけております。 我が六都のことを放っていては紫も気に病みましょう」
何故だか何度も頷いてみせる紫揺。
こんなところもよく似ている。 こういうところは似なくていいのに。
「では、紫を送って行きます」
何を持っているのか、背中に袈裟懸けの荷物をしょっている。
仕方が無いと言った顔でシキが紫揺に向き直った。
「気を付けて帰ってね」
「はい」
菓子をひと包み渡された。
「四方様にはわたくしからよく言っておくわ」
四方に挨拶を申し出たが宮内にいないということだった。 柴咲たちはまだ戻って来ていない。 高妃のことで忙しくしているのかもしれない。
「はい、宜しくお願いします。 澪引様、シキ様、お世話になりました」
「またいつでもいらっしゃい」
澪引からも菓子をひと包み頂いた。
ニコリとして応えると、マツリに背中を押されて客間を出る。
あったことが無かったかのように、見事に修繕された大階段を降り、大門まで来ると門番が天馬を曳いてきた。 見張番は帰したようだが、天馬はそのままだったようだ。
客間を出る時に、良かった抱っこはされなかったと思ったが、しっかりと天馬に二人乗りで乗らされた。
だがよく考えてみると、そうしなければマツリが六都に戻る時が遅くなってしまうからだろう。
以前のマツリならともかく、今のマツリが紫揺一人を馬で走らせマツリ自身はキョウゲンで飛ぶということをするわけはない。 二人乗りをしなければマツリは他の馬に乗るということ。 天馬は見張番の馬であるのだから岩山に返せばいい。 だが宮から乗った馬は宮に戻さなければいけない。 紫揺を送り届けた後はキョウゲンに乗って戻る方が馬を駆らせるよりずっと早い。
“最高か” と “庭の世話か” が、お荷物になりますが、と言って菓子の袋を渡した。
“菓子の禍乱” は終わったのではなかったのか。 紫揺とマツリならずとも、門番たちもそんな目で見ていた。 その門番に晒しを巻いている者はいなかった。 傷を負った者には、四方が休みを取らせているのかもしれない。
「またすぐにおいでくださいませ」
「そう心がけます。 お世話になりました」
「お気をつけて」
大門を出て、門が閉められるまで四人に見送られた。
その後は、岩山に着くまでに馬上でマツリが何度も後ろから抱きしめてきた。
そういうものなのだろうか。
「不思議だ、紫は抱きしめても抱き上げても、女人らしい反応はせんのだな」
女人らしい反応・・・どんなものなのだろうか。
「べつに、慣れてるから」
前にも言っていた。 そのくせ接吻では泣いて。 日本という所でどんな生活をしていたのだろうか。
「ね、もし婚姻の儀が六都で大変な時だったらどうするの?」
「今のまま上手くいけば新しいことはせんでおく。 それなら大儀も無いだろう」
「えっと、ひ・・・飛於伊だったっけ? いつ任せるの?」
飛於伊のことは築山で詳しく聞いた。 兄であり、杠の下についている享沙の過去のことも。 その享沙は紫揺が床下に潜ったり、木を上ったところを見ていたと六都で紫揺に言っていた。 その話から紫揺は外から見て何も出来ていないことを聞かされた。
「ね、あの時マツリの邪魔しちゃった?」
「そのようなことは無い」
だが、気配を感じることが出来んようだな、などと言われてしまっていた。
「ごめん」
再度、そのようなことは無い、と言って紫揺を抱きしめる。
「六都、どう?」
「まだ分からん。 まずは硯の方がどうなるかだ。 それで働き先が足りなければ、婚姻の儀を済ませた後に新しいことをせねばならん。 そうなると飛於伊には任せたくないがな」
見た目に幼い。 民ならずとも官吏も簡単に言うことを聞かないかもしれない。 その為にも嫌われ役を持たせたくない。
そんなことをマツリが言った。 そうなんだ、マツリはそんなことを考えていたんだ。
「マツリ?」
「ん?」
「・・・マツリの役に立ちたい」
「紫は紫だ」
「わぁ、なーんか、いい雰囲気で天馬が戻って来ましたぜ」
何のことかと剛度が岩山の下を覗いた。 目の先にマツリと紫揺の二人乗りが見える。 噂とは早いもので、もう見張番たちも全員、紫揺がマツリの御内儀様になる方だということを知っている。
剛度はマツリが紫揺に心を惹かれているのではないかとは思っていたが、まさかこんなに早く御内儀様の話になるとは思ってもいなかった。
「よくお似合いじゃないか」
「あの紫さまの手綱を持たれるのは、マツリ様しかおられないか」
「東の領土には居らんのか?」
「さぁ、どうだかな。 いいじゃねーか、お似合いなんだしよ」
上から見られているとも知らず、天馬を岩山まで軽く走らせる。 岩山に上ってきた時には、見張番全員が出ていたことに少し驚いた顔を見せた。
「なんだ? 何かあったのか?」
「いえいえ、それよりもうお帰りで?」
「ああ、今回も借りたそうだな」
背中にしょっていた袈裟懸けごと剛度に渡す。 上質な絹の風呂敷、その中に貸した服が入っているのは分かっている。
「毎度毎度有難うございます、女房が喜びまさぁ」
民には簡単に絹の風呂敷など手に入らない。
「天馬を有難うございました」
「紫さま、天馬をあれほど走らせたのは紫さまくらいです」
「え? そうなんですか?」
「瑞樹も百藻も朝番でしたから今はいませんが、かなりの落ち込みようで」
剛度がクックッと喉で笑っていると、周りに居た見張番たちも笑いを噛み殺している。
「また何かやったのか」
「えっと―――」
紫揺が言いかけた時、剛度が止めに入った。
「ご内密に」
マツリが訝しんだ目をしたが大体想像はつく。 剛度を責めるわけにはいかない事なのだろう。
「行くぞ」
「じゃ、有難うございました」
ペコリとしたいところだが、散々止められている。 軽く顎を引くようにしただけである。
剛度たちに見送られ岩山を上がっていく。 先に歩くマツリの肩には顔だけこちらを向いているキョウゲンが居る。
本当にフクロウの首はよく回るものだ。 首の筋をおかしくしないのだろうか。 そう思えば百足もあの数の足をよく器用に動かすものだ。 分からなくなってこんがらがってしまわないのだろうか。
「何をしておる」
いつの間にか上まで上がってきていたようだ。 それなのに左手を岩に添わせて、まだぐるりと歩こうとしていた。
「あ、うん」
洞に入るといつものようにキョウゲンが飛び立った。
薄暗い中の洞を二人で歩く。 以前マツリに真後ろを歩くなと言われたことは覚えている。 マツリの斜め後ろを歩く。 と、マツリの足が止まった。
「ん? なに?」
振り向いたマツリが正面から紫揺を抱き上げた。
「なに!?」
「まだ抱きしめ足らん」
「はぁ!?」
「次はいつ来る」
「いつって・・・そうそうは・・・」
「婚姻の儀まで来ん気か」
「それは・・・分かんない」
「我と会いたいとは思わんのか」
「いや・・・思わなくは無いけど・・・東の領土を見ていたいから」
だったらマツリから来いよ、なんてことは今のマツリの様子を見ていて言えるものではないのは分かっている。 今も六都のことが気になっているだろうに。
「そうか・・・。 では・・・じっとしておれ」
「ん?」
マツリの唇が紫揺の唇に重なった。
そっと唇が離される。
「・・・」
じっと見られている。 どんな顔をすればいいんだ。 こっち見んなって言えばいいのだろうか。
「殴られはせんようだな」
「・・・うん」
根に持っていたのか。
もう一度重ねられた。 今度は長かった。
なんだろう・・・。 このおムネのドキドキは。 これってまさか葉月の言っていたおムネ増殖中なのだろうか。
おムネ増殖・・・犬のようにいくつもおっぱいを持ってどうする気だ。
洞を抜けるとキョウゲンが枝にとまっていた。 そのキョウゲンがマツリの肩に飛んでくる。 ついさっきまで紫揺が手を乗せていたマツリの肩に。
「居りました」
「そうか」
「何が?」
「東の領土のお付きの者たちだ。 毎日来ていたのであろうな」
「え・・・」
「五色は想われてこそ、その力を有する。 紫の力は生まれ持ってのものが大きいだろうが、それでも民やお付きの者たちが紫のことを想っておることもなくは無いだろう」
「毎日、迎えに来てくれてたんだ・・・」
「我からすればあまり嬉しくはないがな」
「どうしてよ」
「紫を奥に迎えるに気が引ける」
「・・・」
そう考えるのは尤もかもしれない。
マツリが両の眉を上げる。
「なに?」
「我が言ったことを聞いて、では我の奥にならんとは言わんか?」
「マツリが・・・東の領土に居ていいって言ってくれたから」
「あくまでも次代の紫が紫として目覚めるまでだ、忘れてはおらんだろうな?」
「ちゃんと覚えてる」
山を下りきるとお付きたちに混じってガザンが居た。
「ガザン!」
久しぶりのヘッドロック。 ヘッドロックされながらも、ガザンが紫揺の持つ匂いをふんふんと鼻を鳴らしながら臭っている。
「お帰りなさいませ」
阿秀が近寄って紫揺に声をかけると、紫揺が立ち上がって阿秀に応える。
「ただ今帰りました。 毎日来てくれてたんですか?」
「最初の内は全員ではありませんでした、交代で」
見渡すと今は全員いる。
「ご迷惑をかけちゃいました」
「そのような事は」
塔弥がお転婆を曳いてきた。
「お転婆、久しぶり」
お転婆の首をポンポンと叩いてやる。
「阿秀と言ったか」
「はい」
「東の領主は家に居るか」
「はい」
「では紫、先に行っておる」
「うん、すぐに行くから」
マツリが馬から離れると、キョウゲンが肩から飛び立ち、縦に一回りしている間にその姿を大きく変え、マツリがキョウゲンの背中に跳び乗る。
「領主にお話ですか?」
「はい」
婚姻の儀のことで、なんて言い足すとビックリするのだろう。
馬を走らせ厩の前に来たが、とうにマツリは着いている。 塔弥にお転婆を任せると阿秀と共に領主の家に向かう。
既に話を終えていたのか、マツリがゆっくりと茶を飲んでいる。 ましてや音夜を膝に乗せて。
「音夜、マツリのことが何ともないんだ」
「ああ、天祐とは全く違う。 大人しいものだ」
「紫さま・・・」
ガタリと音をたて、領主が椅子から立ちあがった。 隣に座っていた秋我も同時に立ち上がっている。
「あ、長い間すみませんでした。 ただ今帰りました」
「お帰りなさいませ。 今しがたマツリ様からお聞きしたのですが・・・」
「まだいつになるかは分からんとは言っておる。 整い次第だと」
「そうなので御座いますか?」
「はい・・・なんか急にそんな話になっちゃって」
「婚姻の儀を終わられても、この領土に居て下さるということも?」
婚姻の儀? 阿秀が驚いた顔をした。 まさか、マツリと紫揺の話があってから、まともに会ってはいないのに。 本領に行っている間にそんな話になっていたのか?
「はい。 マツリ、四方様もいいって言ってくれたんでしょ?」
「ああ。 まあ、あまりいい顔はなさっておらんがな」
「それはそうで御座いましょう。 御内儀様が宮に居られないなどと」
「だがそうしなければ、紫が諾と言ってくれんのでな」
「紫さま・・・」
「お婆様と約束しましたから。 東の領土の民も誰もかもを置いて宮に行くなんてこと、考えられませんから」
領主が深く深く頭を下げる。
「わっ、領主さん! どうしたんですか!?」
「紫さまは日本でお生まれになり日本で育たれました。 それなのにこれほどに民のことを考えて下さる。 一番お幸せを感じられるときに、マツリ様と別に暮らすことを選ばれ・・・東の領土領主として、ただただ申し訳なさと有難さだけで御座います」
秋我も同じように頭を下げている。
「分かりました、分かりました。 だから頭を上げて下さい」
そこに耶緒が紫揺の茶を運んできた。 今この場に阿秀の茶は必要ではない。
「紫さまもお義父さんもお座りになられてはどうですか?」
柔らかい声が周りを優しく包み込む。
マツリの横に紫揺の茶を置き、領主側の末席に阿秀が座る。
「マツリ様、そろそろ音夜を・・・」
「いや、叶うのならまだ膝におらせたい。 構わんだろう?」
「宜しいのでしょうか」
「音夜も構わんだろう?」
クルリと回すと脇に手を入れ高く上げてやる。 音夜が嬉しそうにきゃっきゃと声を上げる。
「ほんに可愛いものよ」
「天祐とえらく扱いが違うのね」
「あれは天祐が悪い」
「まだ懐かれませんか?」
領主に続いて椅子に座った秋我が言う。
「今日も大泣きをされた」
「あれはマツリが悪いんじゃない」
「ああせずとも泣いておったわ」
音夜を下ろすともう一度膝の上に乗せる。
マツリが天祐に何かしたらしいが音夜にはしないだろう。 そんな目をかすかに送っている秋我であった。
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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~ 第187回
紫揺が宮を出る前にもう一度、医者部屋を訪ね男達を視た。 何の変化も視られなかった。 男達に異常が無いことを告げ、その後、客間で着替えている時になりようやく澪引とシキが訪ねてきた。
「どれだけマツリが六都のことを言っても、婚姻の儀に関することは進めていきますからね、東の領土に戻ったら領主によくよくお話して頂戴ね」
「私も頃合いを見て東に飛ぶわ」
「え? あの、シキ様はもう・・・その」
何と言っていいのだろうか。
「ふふ、本領領主のお手伝いで飛ぶわけではないわ。 それはもうお役御免になったけど、マツリの姉としてなら飛んでもいいのよ」
「そうなんだ。 でも無理をしないで下さい。 その、あの時みたいに」
天祐が腹に入っていた時のように。
第二子がいつ腹に入っていてもおかしくはないのだから。
「そうで御座います。 あの時は心の臓が止まるかと思いました」
紫揺が昌耶に抱かれている天祐に手を伸ばし天祐を腕に抱く。
「あの時はごめんね、お腹でびっくりしたでしょう?」
何のことかと天祐が紫揺を見上げている。 そのキョトンとした顔が愛らしい。 音夜とはまた別の可愛らしさがある。
「うふふー、可愛いー」
ギュッと抱きしめると、天祐も喜んで紫揺に抱きついてきた。
「あら、天祐は紫が気に入ったようね」
そのようで、と昌耶が言いかけた時「マツリ様に御座います」 と声がかかった。 すっと襖が開けられると、一気にマツリの顔が鬼の形相になった。
スタスタスタと入ってくると、紫揺の首に手を回している天祐の後ろ衿を、リツソの時のように掴み上げる。
「わっ! マツリ何するの!?」
掴み上げられ猫のように手足がブラブラとなっている天祐。 天祐の目に下から紫揺が手を伸ばしているのが見える。 紫揺に抱きつこうと手を伸ばすがそれを阻止するかのようにクルリと向きを変えられ、そこにマツリの顔があった。 すると一気に火が点いたように泣きだしたがその泣き声より大きくマツリの声が響く。
「天祐、覚えておけ! 紫に指一本触れるな!」
シキが脱力し澪引が眉尻を下げ、昌耶が慌てて天祐に手を伸ばすとマツリの魔の手から引っぺがし天祐を抱いて客間を走って出て行く。 天祐をあまり泣かせてはいけない。 せっかく引っ込んだ出べそがまた出てきてしまう。
「マツリ・・・相手は天祐よ? 指一本などと」
天祐の泣き声が遠ざかっていく。
「抱かれているだけならまだしも、手を回していたではありませんか」
「・・・それほど紫を誰にも触れさせたくないのなら、六都六都と言っている場合ではないでしょうに」
「紫も六都のことを気にかけております。 我が六都のことを放っていては紫も気に病みましょう」
何故だか何度も頷いてみせる紫揺。
こんなところもよく似ている。 こういうところは似なくていいのに。
「では、紫を送って行きます」
何を持っているのか、背中に袈裟懸けの荷物をしょっている。
仕方が無いと言った顔でシキが紫揺に向き直った。
「気を付けて帰ってね」
「はい」
菓子をひと包み渡された。
「四方様にはわたくしからよく言っておくわ」
四方に挨拶を申し出たが宮内にいないということだった。 柴咲たちはまだ戻って来ていない。 高妃のことで忙しくしているのかもしれない。
「はい、宜しくお願いします。 澪引様、シキ様、お世話になりました」
「またいつでもいらっしゃい」
澪引からも菓子をひと包み頂いた。
ニコリとして応えると、マツリに背中を押されて客間を出る。
あったことが無かったかのように、見事に修繕された大階段を降り、大門まで来ると門番が天馬を曳いてきた。 見張番は帰したようだが、天馬はそのままだったようだ。
客間を出る時に、良かった抱っこはされなかったと思ったが、しっかりと天馬に二人乗りで乗らされた。
だがよく考えてみると、そうしなければマツリが六都に戻る時が遅くなってしまうからだろう。
以前のマツリならともかく、今のマツリが紫揺一人を馬で走らせマツリ自身はキョウゲンで飛ぶということをするわけはない。 二人乗りをしなければマツリは他の馬に乗るということ。 天馬は見張番の馬であるのだから岩山に返せばいい。 だが宮から乗った馬は宮に戻さなければいけない。 紫揺を送り届けた後はキョウゲンに乗って戻る方が馬を駆らせるよりずっと早い。
“最高か” と “庭の世話か” が、お荷物になりますが、と言って菓子の袋を渡した。
“菓子の禍乱” は終わったのではなかったのか。 紫揺とマツリならずとも、門番たちもそんな目で見ていた。 その門番に晒しを巻いている者はいなかった。 傷を負った者には、四方が休みを取らせているのかもしれない。
「またすぐにおいでくださいませ」
「そう心がけます。 お世話になりました」
「お気をつけて」
大門を出て、門が閉められるまで四人に見送られた。
その後は、岩山に着くまでに馬上でマツリが何度も後ろから抱きしめてきた。
そういうものなのだろうか。
「不思議だ、紫は抱きしめても抱き上げても、女人らしい反応はせんのだな」
女人らしい反応・・・どんなものなのだろうか。
「べつに、慣れてるから」
前にも言っていた。 そのくせ接吻では泣いて。 日本という所でどんな生活をしていたのだろうか。
「ね、もし婚姻の儀が六都で大変な時だったらどうするの?」
「今のまま上手くいけば新しいことはせんでおく。 それなら大儀も無いだろう」
「えっと、ひ・・・飛於伊だったっけ? いつ任せるの?」
飛於伊のことは築山で詳しく聞いた。 兄であり、杠の下についている享沙の過去のことも。 その享沙は紫揺が床下に潜ったり、木を上ったところを見ていたと六都で紫揺に言っていた。 その話から紫揺は外から見て何も出来ていないことを聞かされた。
「ね、あの時マツリの邪魔しちゃった?」
「そのようなことは無い」
だが、気配を感じることが出来んようだな、などと言われてしまっていた。
「ごめん」
再度、そのようなことは無い、と言って紫揺を抱きしめる。
「六都、どう?」
「まだ分からん。 まずは硯の方がどうなるかだ。 それで働き先が足りなければ、婚姻の儀を済ませた後に新しいことをせねばならん。 そうなると飛於伊には任せたくないがな」
見た目に幼い。 民ならずとも官吏も簡単に言うことを聞かないかもしれない。 その為にも嫌われ役を持たせたくない。
そんなことをマツリが言った。 そうなんだ、マツリはそんなことを考えていたんだ。
「マツリ?」
「ん?」
「・・・マツリの役に立ちたい」
「紫は紫だ」
「わぁ、なーんか、いい雰囲気で天馬が戻って来ましたぜ」
何のことかと剛度が岩山の下を覗いた。 目の先にマツリと紫揺の二人乗りが見える。 噂とは早いもので、もう見張番たちも全員、紫揺がマツリの御内儀様になる方だということを知っている。
剛度はマツリが紫揺に心を惹かれているのではないかとは思っていたが、まさかこんなに早く御内儀様の話になるとは思ってもいなかった。
「よくお似合いじゃないか」
「あの紫さまの手綱を持たれるのは、マツリ様しかおられないか」
「東の領土には居らんのか?」
「さぁ、どうだかな。 いいじゃねーか、お似合いなんだしよ」
上から見られているとも知らず、天馬を岩山まで軽く走らせる。 岩山に上ってきた時には、見張番全員が出ていたことに少し驚いた顔を見せた。
「なんだ? 何かあったのか?」
「いえいえ、それよりもうお帰りで?」
「ああ、今回も借りたそうだな」
背中にしょっていた袈裟懸けごと剛度に渡す。 上質な絹の風呂敷、その中に貸した服が入っているのは分かっている。
「毎度毎度有難うございます、女房が喜びまさぁ」
民には簡単に絹の風呂敷など手に入らない。
「天馬を有難うございました」
「紫さま、天馬をあれほど走らせたのは紫さまくらいです」
「え? そうなんですか?」
「瑞樹も百藻も朝番でしたから今はいませんが、かなりの落ち込みようで」
剛度がクックッと喉で笑っていると、周りに居た見張番たちも笑いを噛み殺している。
「また何かやったのか」
「えっと―――」
紫揺が言いかけた時、剛度が止めに入った。
「ご内密に」
マツリが訝しんだ目をしたが大体想像はつく。 剛度を責めるわけにはいかない事なのだろう。
「行くぞ」
「じゃ、有難うございました」
ペコリとしたいところだが、散々止められている。 軽く顎を引くようにしただけである。
剛度たちに見送られ岩山を上がっていく。 先に歩くマツリの肩には顔だけこちらを向いているキョウゲンが居る。
本当にフクロウの首はよく回るものだ。 首の筋をおかしくしないのだろうか。 そう思えば百足もあの数の足をよく器用に動かすものだ。 分からなくなってこんがらがってしまわないのだろうか。
「何をしておる」
いつの間にか上まで上がってきていたようだ。 それなのに左手を岩に添わせて、まだぐるりと歩こうとしていた。
「あ、うん」
洞に入るといつものようにキョウゲンが飛び立った。
薄暗い中の洞を二人で歩く。 以前マツリに真後ろを歩くなと言われたことは覚えている。 マツリの斜め後ろを歩く。 と、マツリの足が止まった。
「ん? なに?」
振り向いたマツリが正面から紫揺を抱き上げた。
「なに!?」
「まだ抱きしめ足らん」
「はぁ!?」
「次はいつ来る」
「いつって・・・そうそうは・・・」
「婚姻の儀まで来ん気か」
「それは・・・分かんない」
「我と会いたいとは思わんのか」
「いや・・・思わなくは無いけど・・・東の領土を見ていたいから」
だったらマツリから来いよ、なんてことは今のマツリの様子を見ていて言えるものではないのは分かっている。 今も六都のことが気になっているだろうに。
「そうか・・・。 では・・・じっとしておれ」
「ん?」
マツリの唇が紫揺の唇に重なった。
そっと唇が離される。
「・・・」
じっと見られている。 どんな顔をすればいいんだ。 こっち見んなって言えばいいのだろうか。
「殴られはせんようだな」
「・・・うん」
根に持っていたのか。
もう一度重ねられた。 今度は長かった。
なんだろう・・・。 このおムネのドキドキは。 これってまさか葉月の言っていたおムネ増殖中なのだろうか。
おムネ増殖・・・犬のようにいくつもおっぱいを持ってどうする気だ。
洞を抜けるとキョウゲンが枝にとまっていた。 そのキョウゲンがマツリの肩に飛んでくる。 ついさっきまで紫揺が手を乗せていたマツリの肩に。
「居りました」
「そうか」
「何が?」
「東の領土のお付きの者たちだ。 毎日来ていたのであろうな」
「え・・・」
「五色は想われてこそ、その力を有する。 紫の力は生まれ持ってのものが大きいだろうが、それでも民やお付きの者たちが紫のことを想っておることもなくは無いだろう」
「毎日、迎えに来てくれてたんだ・・・」
「我からすればあまり嬉しくはないがな」
「どうしてよ」
「紫を奥に迎えるに気が引ける」
「・・・」
そう考えるのは尤もかもしれない。
マツリが両の眉を上げる。
「なに?」
「我が言ったことを聞いて、では我の奥にならんとは言わんか?」
「マツリが・・・東の領土に居ていいって言ってくれたから」
「あくまでも次代の紫が紫として目覚めるまでだ、忘れてはおらんだろうな?」
「ちゃんと覚えてる」
山を下りきるとお付きたちに混じってガザンが居た。
「ガザン!」
久しぶりのヘッドロック。 ヘッドロックされながらも、ガザンが紫揺の持つ匂いをふんふんと鼻を鳴らしながら臭っている。
「お帰りなさいませ」
阿秀が近寄って紫揺に声をかけると、紫揺が立ち上がって阿秀に応える。
「ただ今帰りました。 毎日来てくれてたんですか?」
「最初の内は全員ではありませんでした、交代で」
見渡すと今は全員いる。
「ご迷惑をかけちゃいました」
「そのような事は」
塔弥がお転婆を曳いてきた。
「お転婆、久しぶり」
お転婆の首をポンポンと叩いてやる。
「阿秀と言ったか」
「はい」
「東の領主は家に居るか」
「はい」
「では紫、先に行っておる」
「うん、すぐに行くから」
マツリが馬から離れると、キョウゲンが肩から飛び立ち、縦に一回りしている間にその姿を大きく変え、マツリがキョウゲンの背中に跳び乗る。
「領主にお話ですか?」
「はい」
婚姻の儀のことで、なんて言い足すとビックリするのだろう。
馬を走らせ厩の前に来たが、とうにマツリは着いている。 塔弥にお転婆を任せると阿秀と共に領主の家に向かう。
既に話を終えていたのか、マツリがゆっくりと茶を飲んでいる。 ましてや音夜を膝に乗せて。
「音夜、マツリのことが何ともないんだ」
「ああ、天祐とは全く違う。 大人しいものだ」
「紫さま・・・」
ガタリと音をたて、領主が椅子から立ちあがった。 隣に座っていた秋我も同時に立ち上がっている。
「あ、長い間すみませんでした。 ただ今帰りました」
「お帰りなさいませ。 今しがたマツリ様からお聞きしたのですが・・・」
「まだいつになるかは分からんとは言っておる。 整い次第だと」
「そうなので御座いますか?」
「はい・・・なんか急にそんな話になっちゃって」
「婚姻の儀を終わられても、この領土に居て下さるということも?」
婚姻の儀? 阿秀が驚いた顔をした。 まさか、マツリと紫揺の話があってから、まともに会ってはいないのに。 本領に行っている間にそんな話になっていたのか?
「はい。 マツリ、四方様もいいって言ってくれたんでしょ?」
「ああ。 まあ、あまりいい顔はなさっておらんがな」
「それはそうで御座いましょう。 御内儀様が宮に居られないなどと」
「だがそうしなければ、紫が諾と言ってくれんのでな」
「紫さま・・・」
「お婆様と約束しましたから。 東の領土の民も誰もかもを置いて宮に行くなんてこと、考えられませんから」
領主が深く深く頭を下げる。
「わっ、領主さん! どうしたんですか!?」
「紫さまは日本でお生まれになり日本で育たれました。 それなのにこれほどに民のことを考えて下さる。 一番お幸せを感じられるときに、マツリ様と別に暮らすことを選ばれ・・・東の領土領主として、ただただ申し訳なさと有難さだけで御座います」
秋我も同じように頭を下げている。
「分かりました、分かりました。 だから頭を上げて下さい」
そこに耶緒が紫揺の茶を運んできた。 今この場に阿秀の茶は必要ではない。
「紫さまもお義父さんもお座りになられてはどうですか?」
柔らかい声が周りを優しく包み込む。
マツリの横に紫揺の茶を置き、領主側の末席に阿秀が座る。
「マツリ様、そろそろ音夜を・・・」
「いや、叶うのならまだ膝におらせたい。 構わんだろう?」
「宜しいのでしょうか」
「音夜も構わんだろう?」
クルリと回すと脇に手を入れ高く上げてやる。 音夜が嬉しそうにきゃっきゃと声を上げる。
「ほんに可愛いものよ」
「天祐とえらく扱いが違うのね」
「あれは天祐が悪い」
「まだ懐かれませんか?」
領主に続いて椅子に座った秋我が言う。
「今日も大泣きをされた」
「あれはマツリが悪いんじゃない」
「ああせずとも泣いておったわ」
音夜を下ろすともう一度膝の上に乗せる。
マツリが天祐に何かしたらしいが音夜にはしないだろう。 そんな目をかすかに送っている秋我であった。