『国津道(くにつみち)』 目次
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- 国津道(くにつみち)- 第12回
背中に嫌なものが走る。
(どこから・・・)
ゆっくりと顔を上げると、嫌ではあるがその視線がどこから来るものかを感じ探そうとする。
祐樹と浅香が社の裏から出て来る。
「いつでも貸すよ」
マンガの単行本の事だった。
「え? いいのか?」
「いつでもオッケー」
祐樹と話しながら詩甫を見ると様子がおかしい。
「嘘だろ・・・」
「え? なに?」
浅香がすぐに詩甫の元に走った。
詩甫の顔がピクリと僅かに上にあがる。
「あ・・・」
あのねっとりとした視線がなくなった。
駆け寄って来た浅香に目を合わす。
「すみません、うっかり一人にさせてしまいました。 その、まさか?」
詩甫が頷く。
「こんな少しの間にかよ・・・」
憎々しげに辺りを見回すがそれらしい影はない。
浅香の後を追ってきた祐樹が声を上げる。
「姉ちゃん! 血!」
その指先から血が流れているのが目に入った。
「わわ! 野崎さん、ティッシュ、ティッシュ!」
自分で全く気付いていなかった詩甫がポケットの中に入れていたティッシュを出すと、すぐに指を覆う。
「きつめに貼ったのに・・・」
やはり目に見えない者が動いているというのだろうか。
「浅香・・・」
祐樹は曹司が言った言葉を聞いている。
“物の怪”
「大丈夫だよ。 お兄さんに任せなさい」
「・・・誰がお兄さんだよ」
「目の前にいる僕だよ。 祐樹君はお姉さんに付いていて。 また良からぬものがあったみた・・・ん? 祐樹君は小川で何ともなかった?」
一人で小川に行き雑巾を洗ってきていたのだ。
「え? うん。 バシャバシャやってたら、寝ていたサワガニがあちこちから出て来たくらい」
「そっか」
一応、誰かいるのかと社の周りに足を向けたが、どう考えてもおかしい。 きつめに絆創膏を巻き付けたのだから。
それによく考えると、詩甫の言う視線を感じた時、その時に指を切り出血もしているようだ。 そしてその視線は、詩甫にしか向けられていないのか、それとも他の二人が鈍感なのか。
「いや、それほど鈍感じゃないつもりなんだけどな」
どちらかと言えば、出血しているのに気付かなかった詩甫の方が鈍感ではないだろうか。
「そういう問題じゃないのかな・・・」
社に向かって歩いていた朱葉姫。 社の前まで来て急に止まったかと思うと微動だにせず、伏目がちにしていた瞼がゆっくりと上げられた。
「姫様? どうなさいました?」
朱葉姫の目が開いたのを見て一夜が声をかける。
朱葉姫がゆっくりと社を見る。 社の正面に見える格子のその向こうを。
「良からぬ者が居るようです」
朱葉姫の後ろについていた曹司がすっと動いた。
丁度、浅香が詩甫たちの元に戻った時だった。
浅香が「どわっ!」っと叫ぶと、今度は冷静に言葉を口にした。 内なる曹司の顔で。
「朱葉姫様が、良からぬ者を感じられた。 亨が言ったように何かが居るようだ。 気を付けるよう」
ポカンとして祐樹が浅香を見ている。 詩甫も目をパチクリとさせている。
「ったー! ちょっとは落ち着いて行動しろよ!」
あらぬ方向を見て浅香が叫んだ。
「あ、あの? もしかして、またふっ飛ばされたんですか?」
「はい、こんな所で意識失っちゃ、打ちどころが悪かったらどうなってるか。 くっそ、曹司のヤロー」
「あ・・・やっぱり今のは曹司なのか?」
祐樹にも分かってきた。 目つきや声のトーンが違う。 それに話し方も。
「そっ、乱暴に入れ替わられたよ」
頷きながら言う。
「浅香・・・お前、大変だな」
小学生に憐憫な目を送られた。
・・・情けない。
「今、曹司がその辺りを見回っているようですけど、とにかく戻りましょう」
詩甫の指先を見るが、まだ血は止まっていないようだ。
「その状態でバッグは邪魔になるでしょう、持ちます」
「これくらい大丈夫です」
怪我をしている手を肘から上げて、その手に添わせるようにもう一方の手で流れる血を止めているティッシュを持っている。 重心が狂ったりすれば簡単にこけてしまう。 それでなくてもアスファルトの上を歩くのではない、足元に小石もあれば、坂を下り階段を降りなければならない。
「こけてからでは遅いですから」
浅香がすっと手を出しバッグの底を持つ。
「・・・はい」
詩甫の肘にかかっていたバッグをそっと引き抜く。
「あ、んじゃ、オレお供え物下げてくる」
ちゃんと社の前と供養石の前で手を合わせてから供え物を下げ、半紙もしっかり手に持って戻って来た。
祐樹が紙袋に供え物を入れている様子を見ながら、詩甫が浅香に向かって口を開いた。
「何をお供えしていいか分からなくて。 調べてみたら、お米とかお酒とかお野菜って書かれていましたけど、皆さんを見たら普通にお茶菓子がいいかなって」
「え? 皆さんって? 姉ちゃん、どういうこと?」
「ああ、そうだったか、僕の説明だけじゃ、野崎さんが朱葉姫と会ったことの説明が無かったね」
「えぇぇ?!」
驚く顔を詩甫に向けたが、詩甫はくすくすと笑っている。
「とてもきれいなお姫様だったよ」
「なん歳くらい?」
「うーん・・・二十歳にはなってないみたい。 十八歳前後くらいかな。 それにきれいな着物も着てたよ」
「ああ、曹司が言っていました。 朱葉姫の父親が姫が嫁ぐ時にと、いくつか作った着物の内の一着らしいですよ。 姫が一番気に入っていたらしいです。 それを着て・・・埋葬されたらしいです」
埋葬、その言葉を祐樹は知らないわけではない。 それに嫁ぐという言葉も。
(そうなんだ。 朱葉姫はお嫁さんになる前に死んじゃったんだ)
「・・・そうだったんですか」
朱葉姫は快活には見えなかった。 向けられた笑みは明るいわけではなく、まだ二十歳にはならないというのにしっとりとし、安堵をもたらすようであった。 それなのに赤がよく似合っていた。
少し寂しげな顔で詩甫が言うと、瞼を下げ再び祐樹を見た時には元の表情に戻っている。
「その時にね、曹司にも他の人にも会ったの。 会ったって言うか、一緒に朱葉姫と居てたってだけだけどね」
「どこで会ったの? あのお社の中?」
「うーん・・・、お社の前には立ったんだけど、いつの間にか朱葉姫の所に居たって感じで、お姉ちゃんにもよく分からない」
「ワープ? どこかにワープしたの?」
詩甫と浅香が目を合わせた。 どちらからともなくプッと笑ってしまった。
さすがは小学生。 発想がアニメっぽい。
「なんだよ、浅香。 ここ、笑うポイントか」
「いや、そうじゃなくて。 って、お姉さんも笑ってるのに、どうして僕に訊くんだよ」
「姉ちゃんはいいんだよ」
「うわ、エコひいき」
「低学年みたいなこと言ってんじゃないよ」
憐憫どころかレベルがどんどん下げられていくようだ。
「ま、野崎さんが思う物でいいんじゃないですか? ここはお社ですけど、とくに神様も神職もいるお社じゃないんですから、型にとらわれなくても」
「おっ、話し逸らせた」
「逸らせてないよ、ほら、お姉さんに荷物持たせるんじゃないぞ。 重い物はこのお兄さんが持ってやる」
祐樹に手を差し出す。 お供え物は和菓子だ。 それが二箱ともなるとこの荷物の中で一番重いだろう。
「だーから、だーれが、お兄さんだよ」
遠慮なく祐樹が和菓子の入った紙袋を差し出す。
「だーから目の前にいるだろって」
結局、祐樹が枯れた花束を持ち、浅香が詩甫のバッグと和菓子を持つことになった。 荷物はそれだけだった。
山を下りると浅香がスマホでタクシーを呼んだ。 話し終えるとスマホをポケットに入れ辺りを見回す。
「やっぱり山の中は涼しいですね」
道路に出ても以前ほどの暑さは感じないが、それでも山の中は涼しかった。
「そうですね、このアスファルトだけでも暑さを感じますよね」
「言ってみれば焼けてますからね。 アスファルトだらけの町中が暑いのも仕方がありませんね」
夏のアスファルトの上では陽炎が揺らめいている。
「浅香のくせに、なに大人みたいなこと言ってんだよ」
「こら、祐樹」
いつの間にか詩甫の指先からの出血は治まっていた。
浅香の家、と言うか部屋は詩甫が下りる駅の一つ手前だった。 先に浅香が電車を降り、そのまま別れることとなった。
次回は再来週の土曜日ということになり、きっと祐樹もついて来るだろう。
そういえば夏休にどこにも連れて行ってあげられなかった。 来週あたりどこかに連れて行ってあげよう。
「祐樹、どこか行きたいところがある?」
電車に揺られながら詩甫が訊いた。
そして二週間後、袋を下げた浅香と同じ電車に乗り社までやって来た。
電車の中では先週、祐樹が詩甫と一緒に行って来たという恐竜博覧会の話に花が咲いていた。
祐樹の話を聞いて浅香が目を輝かせて、あれやこれやと質問さえしていた。
(男の子同士が祐樹にはいいのかな。 あ、浅香さんは元男の子か)
と思ったが、現在も男の子のような目をして祐樹と話している。
乗り換えながらも祐樹と浅香が恐竜の話で盛り上がっていた電車を降りると、今度はタクシーに乗ったが、タクシーを降りる時には、どちらが払うかでひと悶着あったりした。
「いつも浅香さんにばかり払ってもらうわけにはいきません」
「いいえ、男として払わなくて男と言えますか」
後部座席から二本の腕に札を出された運転手。
「前は変わった格好で・・・こんな山の中にお二人さんは揃ってスーツで来たと思ったら、今度は払いの奪い合いかい。 仲がいいねぇ」
「え?」
詩甫と浅香が同時に言うと詩甫がルームミラーを見て、浅香が運転手の横顔を見た。 ルームミラーには運転手の顔が映って詩甫を見ている。
「姉ちゃんと仲がいいのは浅香じゃなくてオレ」
「おっ、こりゃ失礼」
運転手が二人の間に座る祐樹に振り返る。 お嬢さんのことを姉ちゃんと言った。 きっと歳の離れた弟が彼氏に焼きもちでも焼いているのだろうといった顔を向けている。
「あの時の運転手さんでしたか」
「ああ、あのクソ暑い時に、兄さんもお嬢さんも黒のスーツ着てしっかり目に焼き付いて・・・って、あれ? 兄さんあの時ダブルだったよね? 礼服だった?」
よく覚えているものだ。 そんなに目立っていたのか。
「あ、あはは。 ネクタイは外してたんですけどね」
やはり真っ黒のダブルは目立ったか。
「それに革靴で行き先が何もない山の途中じゃね。 じゃ、兄さん悪いけどお嬢さんから頂くよ」
そう言って詩甫が差し出していた札を手に取った。 そして詩甫に釣銭を渡しながら続ける。
「前は兄さんから貰ったからね。 これからも一緒に乗るんだったら、順番に払えば?」
結局、運転手からの提案でタクシー代はお互い片道を払うことにした。 行きが詩甫、帰りが浅香。 帰りは予約車となるのだから、行きより高くつく。 せめてそこだけでも男を張らせてくれと浅香が頼み込んだのである。
「イイカッコ見せようと思って」
ポソっと祐樹が言ったが、しっかりと浅香の耳に入っている。
「これが男ってもんよ」
言い返すことなく、何故か口を尖らせただけで終わった祐樹。
あれ? っと浅香が眉を上げたが、今の祐樹にはそんなことは出来ないと考えているなんて思いもしなかった。
今の祐樹に出来るのはおやつも買わず、月に二回か三回、お小遣いで詩甫の部屋に行く電車代がせいぜいであったのだから。
(オレに出来ないことが浅香には出来る。 ・・・浅香のクセに)
浅香のせいではないのは分かっている。
浅香のことを曹司と思ってずっと探し回っていた、それなのに浅香は姿を見せなかった。 もしあの時浅香が姿を見せていれば、祐樹の大きな勘違いで浅香を責めていただろう。 そして周りにそれを止められただろう。 この男は浅香だと言われただろう、子供の思い過ごしだと笑われたかもしれない。
偶然であったとしても、浅香は姿を現さなかった。 そのお蔭で笑われたかもしれない事を回避できた。
それに祐樹が遭遇しなかったカブトムシを捕まえるし、サワガニも祐樹より数段上手に捕まえていた。
―――兄が居たらこんなだったのかもしれない。
詩甫が指先から血を流していた時、祐樹はなにも出来なかったのに、浅香はチャッチャと絆創膏を巻いた。 祐樹が大切に思う詩甫を浅香も大切にしてくれた。
だから・・・浅香のクセに、と思わずにはいられなかった。
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背中に嫌なものが走る。
(どこから・・・)
ゆっくりと顔を上げると、嫌ではあるがその視線がどこから来るものかを感じ探そうとする。
祐樹と浅香が社の裏から出て来る。
「いつでも貸すよ」
マンガの単行本の事だった。
「え? いいのか?」
「いつでもオッケー」
祐樹と話しながら詩甫を見ると様子がおかしい。
「嘘だろ・・・」
「え? なに?」
浅香がすぐに詩甫の元に走った。
詩甫の顔がピクリと僅かに上にあがる。
「あ・・・」
あのねっとりとした視線がなくなった。
駆け寄って来た浅香に目を合わす。
「すみません、うっかり一人にさせてしまいました。 その、まさか?」
詩甫が頷く。
「こんな少しの間にかよ・・・」
憎々しげに辺りを見回すがそれらしい影はない。
浅香の後を追ってきた祐樹が声を上げる。
「姉ちゃん! 血!」
その指先から血が流れているのが目に入った。
「わわ! 野崎さん、ティッシュ、ティッシュ!」
自分で全く気付いていなかった詩甫がポケットの中に入れていたティッシュを出すと、すぐに指を覆う。
「きつめに貼ったのに・・・」
やはり目に見えない者が動いているというのだろうか。
「浅香・・・」
祐樹は曹司が言った言葉を聞いている。
“物の怪”
「大丈夫だよ。 お兄さんに任せなさい」
「・・・誰がお兄さんだよ」
「目の前にいる僕だよ。 祐樹君はお姉さんに付いていて。 また良からぬものがあったみた・・・ん? 祐樹君は小川で何ともなかった?」
一人で小川に行き雑巾を洗ってきていたのだ。
「え? うん。 バシャバシャやってたら、寝ていたサワガニがあちこちから出て来たくらい」
「そっか」
一応、誰かいるのかと社の周りに足を向けたが、どう考えてもおかしい。 きつめに絆創膏を巻き付けたのだから。
それによく考えると、詩甫の言う視線を感じた時、その時に指を切り出血もしているようだ。 そしてその視線は、詩甫にしか向けられていないのか、それとも他の二人が鈍感なのか。
「いや、それほど鈍感じゃないつもりなんだけどな」
どちらかと言えば、出血しているのに気付かなかった詩甫の方が鈍感ではないだろうか。
「そういう問題じゃないのかな・・・」
社に向かって歩いていた朱葉姫。 社の前まで来て急に止まったかと思うと微動だにせず、伏目がちにしていた瞼がゆっくりと上げられた。
「姫様? どうなさいました?」
朱葉姫の目が開いたのを見て一夜が声をかける。
朱葉姫がゆっくりと社を見る。 社の正面に見える格子のその向こうを。
「良からぬ者が居るようです」
朱葉姫の後ろについていた曹司がすっと動いた。
丁度、浅香が詩甫たちの元に戻った時だった。
浅香が「どわっ!」っと叫ぶと、今度は冷静に言葉を口にした。 内なる曹司の顔で。
「朱葉姫様が、良からぬ者を感じられた。 亨が言ったように何かが居るようだ。 気を付けるよう」
ポカンとして祐樹が浅香を見ている。 詩甫も目をパチクリとさせている。
「ったー! ちょっとは落ち着いて行動しろよ!」
あらぬ方向を見て浅香が叫んだ。
「あ、あの? もしかして、またふっ飛ばされたんですか?」
「はい、こんな所で意識失っちゃ、打ちどころが悪かったらどうなってるか。 くっそ、曹司のヤロー」
「あ・・・やっぱり今のは曹司なのか?」
祐樹にも分かってきた。 目つきや声のトーンが違う。 それに話し方も。
「そっ、乱暴に入れ替わられたよ」
頷きながら言う。
「浅香・・・お前、大変だな」
小学生に憐憫な目を送られた。
・・・情けない。
「今、曹司がその辺りを見回っているようですけど、とにかく戻りましょう」
詩甫の指先を見るが、まだ血は止まっていないようだ。
「その状態でバッグは邪魔になるでしょう、持ちます」
「これくらい大丈夫です」
怪我をしている手を肘から上げて、その手に添わせるようにもう一方の手で流れる血を止めているティッシュを持っている。 重心が狂ったりすれば簡単にこけてしまう。 それでなくてもアスファルトの上を歩くのではない、足元に小石もあれば、坂を下り階段を降りなければならない。
「こけてからでは遅いですから」
浅香がすっと手を出しバッグの底を持つ。
「・・・はい」
詩甫の肘にかかっていたバッグをそっと引き抜く。
「あ、んじゃ、オレお供え物下げてくる」
ちゃんと社の前と供養石の前で手を合わせてから供え物を下げ、半紙もしっかり手に持って戻って来た。
祐樹が紙袋に供え物を入れている様子を見ながら、詩甫が浅香に向かって口を開いた。
「何をお供えしていいか分からなくて。 調べてみたら、お米とかお酒とかお野菜って書かれていましたけど、皆さんを見たら普通にお茶菓子がいいかなって」
「え? 皆さんって? 姉ちゃん、どういうこと?」
「ああ、そうだったか、僕の説明だけじゃ、野崎さんが朱葉姫と会ったことの説明が無かったね」
「えぇぇ?!」
驚く顔を詩甫に向けたが、詩甫はくすくすと笑っている。
「とてもきれいなお姫様だったよ」
「なん歳くらい?」
「うーん・・・二十歳にはなってないみたい。 十八歳前後くらいかな。 それにきれいな着物も着てたよ」
「ああ、曹司が言っていました。 朱葉姫の父親が姫が嫁ぐ時にと、いくつか作った着物の内の一着らしいですよ。 姫が一番気に入っていたらしいです。 それを着て・・・埋葬されたらしいです」
埋葬、その言葉を祐樹は知らないわけではない。 それに嫁ぐという言葉も。
(そうなんだ。 朱葉姫はお嫁さんになる前に死んじゃったんだ)
「・・・そうだったんですか」
朱葉姫は快活には見えなかった。 向けられた笑みは明るいわけではなく、まだ二十歳にはならないというのにしっとりとし、安堵をもたらすようであった。 それなのに赤がよく似合っていた。
少し寂しげな顔で詩甫が言うと、瞼を下げ再び祐樹を見た時には元の表情に戻っている。
「その時にね、曹司にも他の人にも会ったの。 会ったって言うか、一緒に朱葉姫と居てたってだけだけどね」
「どこで会ったの? あのお社の中?」
「うーん・・・、お社の前には立ったんだけど、いつの間にか朱葉姫の所に居たって感じで、お姉ちゃんにもよく分からない」
「ワープ? どこかにワープしたの?」
詩甫と浅香が目を合わせた。 どちらからともなくプッと笑ってしまった。
さすがは小学生。 発想がアニメっぽい。
「なんだよ、浅香。 ここ、笑うポイントか」
「いや、そうじゃなくて。 って、お姉さんも笑ってるのに、どうして僕に訊くんだよ」
「姉ちゃんはいいんだよ」
「うわ、エコひいき」
「低学年みたいなこと言ってんじゃないよ」
憐憫どころかレベルがどんどん下げられていくようだ。
「ま、野崎さんが思う物でいいんじゃないですか? ここはお社ですけど、とくに神様も神職もいるお社じゃないんですから、型にとらわれなくても」
「おっ、話し逸らせた」
「逸らせてないよ、ほら、お姉さんに荷物持たせるんじゃないぞ。 重い物はこのお兄さんが持ってやる」
祐樹に手を差し出す。 お供え物は和菓子だ。 それが二箱ともなるとこの荷物の中で一番重いだろう。
「だーから、だーれが、お兄さんだよ」
遠慮なく祐樹が和菓子の入った紙袋を差し出す。
「だーから目の前にいるだろって」
結局、祐樹が枯れた花束を持ち、浅香が詩甫のバッグと和菓子を持つことになった。 荷物はそれだけだった。
山を下りると浅香がスマホでタクシーを呼んだ。 話し終えるとスマホをポケットに入れ辺りを見回す。
「やっぱり山の中は涼しいですね」
道路に出ても以前ほどの暑さは感じないが、それでも山の中は涼しかった。
「そうですね、このアスファルトだけでも暑さを感じますよね」
「言ってみれば焼けてますからね。 アスファルトだらけの町中が暑いのも仕方がありませんね」
夏のアスファルトの上では陽炎が揺らめいている。
「浅香のくせに、なに大人みたいなこと言ってんだよ」
「こら、祐樹」
いつの間にか詩甫の指先からの出血は治まっていた。
浅香の家、と言うか部屋は詩甫が下りる駅の一つ手前だった。 先に浅香が電車を降り、そのまま別れることとなった。
次回は再来週の土曜日ということになり、きっと祐樹もついて来るだろう。
そういえば夏休にどこにも連れて行ってあげられなかった。 来週あたりどこかに連れて行ってあげよう。
「祐樹、どこか行きたいところがある?」
電車に揺られながら詩甫が訊いた。
そして二週間後、袋を下げた浅香と同じ電車に乗り社までやって来た。
電車の中では先週、祐樹が詩甫と一緒に行って来たという恐竜博覧会の話に花が咲いていた。
祐樹の話を聞いて浅香が目を輝かせて、あれやこれやと質問さえしていた。
(男の子同士が祐樹にはいいのかな。 あ、浅香さんは元男の子か)
と思ったが、現在も男の子のような目をして祐樹と話している。
乗り換えながらも祐樹と浅香が恐竜の話で盛り上がっていた電車を降りると、今度はタクシーに乗ったが、タクシーを降りる時には、どちらが払うかでひと悶着あったりした。
「いつも浅香さんにばかり払ってもらうわけにはいきません」
「いいえ、男として払わなくて男と言えますか」
後部座席から二本の腕に札を出された運転手。
「前は変わった格好で・・・こんな山の中にお二人さんは揃ってスーツで来たと思ったら、今度は払いの奪い合いかい。 仲がいいねぇ」
「え?」
詩甫と浅香が同時に言うと詩甫がルームミラーを見て、浅香が運転手の横顔を見た。 ルームミラーには運転手の顔が映って詩甫を見ている。
「姉ちゃんと仲がいいのは浅香じゃなくてオレ」
「おっ、こりゃ失礼」
運転手が二人の間に座る祐樹に振り返る。 お嬢さんのことを姉ちゃんと言った。 きっと歳の離れた弟が彼氏に焼きもちでも焼いているのだろうといった顔を向けている。
「あの時の運転手さんでしたか」
「ああ、あのクソ暑い時に、兄さんもお嬢さんも黒のスーツ着てしっかり目に焼き付いて・・・って、あれ? 兄さんあの時ダブルだったよね? 礼服だった?」
よく覚えているものだ。 そんなに目立っていたのか。
「あ、あはは。 ネクタイは外してたんですけどね」
やはり真っ黒のダブルは目立ったか。
「それに革靴で行き先が何もない山の途中じゃね。 じゃ、兄さん悪いけどお嬢さんから頂くよ」
そう言って詩甫が差し出していた札を手に取った。 そして詩甫に釣銭を渡しながら続ける。
「前は兄さんから貰ったからね。 これからも一緒に乗るんだったら、順番に払えば?」
結局、運転手からの提案でタクシー代はお互い片道を払うことにした。 行きが詩甫、帰りが浅香。 帰りは予約車となるのだから、行きより高くつく。 せめてそこだけでも男を張らせてくれと浅香が頼み込んだのである。
「イイカッコ見せようと思って」
ポソっと祐樹が言ったが、しっかりと浅香の耳に入っている。
「これが男ってもんよ」
言い返すことなく、何故か口を尖らせただけで終わった祐樹。
あれ? っと浅香が眉を上げたが、今の祐樹にはそんなことは出来ないと考えているなんて思いもしなかった。
今の祐樹に出来るのはおやつも買わず、月に二回か三回、お小遣いで詩甫の部屋に行く電車代がせいぜいであったのだから。
(オレに出来ないことが浅香には出来る。 ・・・浅香のクセに)
浅香のせいではないのは分かっている。
浅香のことを曹司と思ってずっと探し回っていた、それなのに浅香は姿を見せなかった。 もしあの時浅香が姿を見せていれば、祐樹の大きな勘違いで浅香を責めていただろう。 そして周りにそれを止められただろう。 この男は浅香だと言われただろう、子供の思い過ごしだと笑われたかもしれない。
偶然であったとしても、浅香は姿を現さなかった。 そのお蔭で笑われたかもしれない事を回避できた。
それに祐樹が遭遇しなかったカブトムシを捕まえるし、サワガニも祐樹より数段上手に捕まえていた。
―――兄が居たらこんなだったのかもしれない。
詩甫が指先から血を流していた時、祐樹はなにも出来なかったのに、浅香はチャッチャと絆創膏を巻いた。 祐樹が大切に思う詩甫を浅香も大切にしてくれた。
だから・・・浅香のクセに、と思わずにはいられなかった。