大福 りす の 隠れ家

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辰刻の雫 ~蒼い月~  第68回

2022年06月03日 21時07分03秒 | 小説
『辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~』 目次


『辰刻の雫 ~蒼い月~』 第1回から第60回までの目次は以下の 『辰刻の雫 ~蒼い月~』リンクページ からお願いいたします。


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辰刻の雫 (ときのしずく) ~蒼い月~  第68回



紫揺が耶緒の下腹から手を離し自分の膝の上に置いた。
かなり疲れた。 目を瞑り一つ大きな深呼吸をする。
布団をめくって耶緒の手を取る。 ぽかぽかと温かくなっている。

(良かった。 血流が良くなった)

真っ白だった耶緒の顔色もほんのりと赤みがさしているように見える。
秋我が紫揺を覗き込んできたのが見えた。 今は話してはいけないと思っているのだろう。 何か言いたそうな目をしている。

「なにか?」

紫揺から声を掛けると、ほっとしたような顔を見せ口を開いた。

「耶緒の手が暖かくなってきました。 顔色も随分と変わりました。 紫さま、これで一旦終わりませんか? 紫さまのご体調もあります」

疲れた顔をしていたのかもしれない。 実際かなり疲れているが。

『これ以降、限界を超えるような使い方をするんじゃない。 己の力を分かっていくよう』

マツリの声が頭に響く。
鼻の奥がツンとする。

マツリの言うことを聞くようで悔しいが、リツソの時のようにここで自分が倒れてはなんにもならない。
顔をうつ伏せると置いてあった手巾に手を伸ばし目にグリグリと押しつける。
落ちてきてもらっては困るものに手巾を押し付ける。 そんな顔を秋我に見せるわけにはいかないし落としてなんてなるもんか。 流してなんてなるもんか。

「紫さま?」

「埃が入ったみたいです。 休憩を入れてきます」

耶緒はすやすやと眠っている。 横になっていたとはいえ、きっとまともに寝ていられなかったのだろう。

いつも通される部屋に戻ると領主と阿秀が居た。 此之葉が見当たらない。

「此之葉さんは?」

「夕餉の準備をしております。 もう出来上がるでしょう」

もうそんな時間になっていたのか。 三時間は耶緒の部屋にいたのだろう。 秋我が止めてくれてよかった。

「耶緒の具合はどうでしょうか」

「冷えていた身体は温かくなりました」

阿秀が立ち上がり領主と真正面になる自分の座っていた席を紫揺に譲る。 そして一つ置いた椅子にかけ直した。

「秋我さんにも聞いたんですけど、耶緒さんが具合を悪くする前に領主さんや秋我さん、なにか今までに食べたことの無いものを食べた記憶はありませんか?」

領主が首を捻る。
記憶にないようだ。

「少しでも体調を崩したことは?」

耶緒はいま身重であり体調を崩しやすいだろう。 領主は七十前だ。 まだまだ元気にしているし恰幅もいいが、年齢的に考えて秋我より敏感にはなっているだろう。

「いいえ、ありませんな」

内臓もまだまだお元気らしい。

「そうですか。 紫の目で耶緒さんの身体を視ましたが悪阻だけではなさそうです。 この辺りに嫌なものが視えます。 灰色に茶色を混ぜたような塊です。 そこに手をかざすとピリピリしたものを感じます」

そう言って秋我に見せたように鳩尾の辺りに手を当てる。

紫の目と言われてそれが紫揺の目ということを言っているのではなく、五色である紫の力ということなのだと分かった。

阿秀は初めて聞いたことだった。 北の屋敷の海岸で影の姿は見ていたが、紫揺が北の領土の影を紫の力で治したのを知らないのだから。

領主にしても本領から帰って来た報告にその言葉を初めて耳にしたが、まさかその力を出せるとは露とも思わなかった。

紫の力、それは東の領土の五色の名前に由来する。
そしてこの東の領土において、紫の力を出せる五色は初代を除いて未だ一人も現れていなかった。

「紫さま・・・その、紫さまの目、紫さまのお力というのは・・・五色(ごしき)様の五色(ごしょく)だけではなく?」

念を押して訊いてみたくもなる。

「はい、紫も」

元気に答えてくれた。

五色の力、赤・青・黒・白・黄。 それ以外に一人で五色(ごしょく)を持つ五色(ごしき)には紫の力がある。

「でも使い方っていうか、理解の仕方が今一つ分からないんですよね」

「ど、どうぞご無理はされませんように」

マツリから力の限界を知るようにと言われたと聞いたところである。
これまでとんでもない今代紫だったが、これは別の意味でとんでもない今代紫である。

「分かってます、もうおなじ・・・」

おっと、要らないことを言いかけた。

「はい?」

「紫の力のことは徐々に理解していくつもりです。 今は耶緒さんのことを」

「くれぐれも・・・」

「はい、任せて下さい」

任せられるの、か?

「で、ここ」

もう一度、鳩尾あたりに掌を置く。

「・・・胃の腑ということでしょうか?」

紫揺が紫の力を持っているということは追々理解していこう。 でなければ今にも口から泡を吹き出しそうだ。

自分の体から手を離した紫揺。 胃のことを胃の腑というのか。 現代の日本の言葉とそんなに違いが無かった。 これからは言葉に出して言える。

「はい」

「灰色に茶色を混ぜたような色の食べ物ということですか?」

「そうでは無いと思います。 私の目・・・紫の目にそう映るだけだと思います。 もっと紫の力を理解すれば色によって何か分かるのかもしれませんが経験不足です」

「紫さま、二辰刻近くは紫さまのお力を出しておられたということですか?」

「いいえ。 最初は耶緒さんにお話を聞いて頂いていたので、それほど長くは使っていません」

まだ時間勘定がすぐには出来ないが、一辰刻が二時間というのは覚えた。 二辰刻と言われれば四時間になるが四時間も経っていないだろう。

「耶緒のことを想って下さるのは嬉しい限りで御座いますが、くれぐれもマツリ様から言われたことをお忘れになられませんように」

本領での報告でマツリから力の限界を知るようにと言われたと領主に話した。 領主はそのことを言っているのだろう。
また鼻の奥がツンとしてくる。 要らないことを思い出させてくれる。 これは喋って紛らわすしかない。

「分かっています。 ついウッカリあのまま続けるところでしたが、秋我さんが声を掛けてくれてこうして休憩に来ました」

阿秀が席を立ち台所に向かっていく。

「ひと休憩したらもう一度耶緒さんを視てみます。 身体が温かくなったので何か変化があるかもしれません」

「くれぐれもご無理をされませんよう」

何度言えば気が済むのだろうか、けっこう心外だ。

「・・・はい」

鼻の奥が少し落ち着いた。

「塔弥さんがお転婆のことをよく見てくれているそうですね」

「ガザンが居なければそう簡単にはいかないでしょうが」

答えたのは領主ではなく盆を手に乗せている阿秀だ。 紫揺が休憩と言ったから茶を淹れてくれたようだ。 紫揺と領主の前に湯呑を置く。

「ガザンは私の敵だと思うとかかっていくみたいですけど、そうでなければ大人しいです。 でもいつから塔弥さんとそんなに仲が良くなったのかな」

湯呑に手を伸ばすとごくごくと半分ほどを飲んだ。 自覚は無かったが喉が渇いていたようだ。

「結構前ですよ。 紫さまが居られる時ガザンは紫さまに寄っていますから気がつかれなかったのでしょう」

「そう思えば・・・紫さまが特に心を開かれている者にはガザンも心を許しているのかもしれませんな」

「え?」

「ああ、そうかもしれません。 ガザンは他の馬には見向きもしませんが、紫さまが本領に行かれている間お転婆と初めて会った時に打ち解けていましたから。 塔弥にしてもそうです」

「塔弥さん? どいう意味ですか?」

「ご自分で気付いておられませんか? 紫さまは塔弥と話す時には随分と気楽にされておられます。 まあ、塔弥も紫さまのお蔭であの堅苦しさが無くなって随分と柔らかくなりましたし、最近では塔弥は口うるさいでしょう?」

「はい。 でもそれも楽しいですけど」

悪趣味だ。 塔弥が居ればそう言うだろう。

「紫さまと塔弥が気心を知るようになったからでしょう。 まあ、塔弥が口うるさく言うのは紫さまに女人らしくいていただき、良きお相手にめぐり合うようにと考えているのかもしれませんが」

紫揺が現れるまでに領主とそんな話をしていた。 紫揺には想い人が居るのだろうか、辺境にも何度も行っている、少しは心傾いた者がいるのだろうかと。 だから今がチャンスとばかりに塔弥を口実に阿秀が口にしたのだ。

「女人らしくって・・・十分女人です」

女経験二十三年だ。

阿秀の訊きたかった答えは返ってこなかった。

紫揺が手を上に上げ「うー」 と言いながら伸びをする。

「さ、休憩が出来ました。 耶緒さんの様子を視てきます」

「もう夕餉が出来上がります。 それからにされてはいかがですか?」

「耶緒さんのことが気になってはせっかくの此之葉さんのお料理を味わえませんから」

残っていた茶を飲み干すとサッサと耶緒の居る部屋に向かった。
部屋ではまだ秋我が耶緒の手を握っていた。

耶緒の横に座る。

「もう少しで夕餉だそうです。 食べてきてください」

「紫さまは?」

「あとで頂きます」

「ではその時にご一緒させてください」

紫揺が頷くと上に掛けてあった布団をめくる。 胃のあたりを視ると、というかはっきりと胃だ。
あの塊の縁がぐちゃりと溶けたようになっている。
どういうことだろう。 血流が関係しているのだろうか。 下に掛けてある布団をめくり下腹を視る。 光り輝くものは視える。 赤ちゃんの命に異常はないようだ。 布団を戻す。

指を口に当て考える。 このまま自然に溶けていくのだろうか。 どれくらいの時を要するのだろうか。 その間、耶緒は苦しい目に遭わなければいけないのだろうか。 もしそうなら待ってなどいられない。 無駄かもしれないがやれることはやってみるしかない。

「お白湯を持ってきてもらえますか?」

俯いたまま言う。

「あ、はい」

耶緒の手をそっと置き部屋を出て行った。

日本と違ってガスや電気などは通っていない。 だが今は料理を作っている。 もう出来上がったかもしれないが、それでもすぐに白湯くらい用意出来るだろう。

耶緒の手を取る。 変わらず温かい。 血流は安定しているようだ。 布団の中にそっと戻す。
胃の上に掌をかざす。 暫くするとあのピリピリした感触を感じる。
やはりこのまま放っておく気にはなれない。

秋我が盆の上に白湯の入った湯呑を持って戻って来た。 それを紫揺の横に置く。

「お手伝いすることがありますでしょうか」

「耶緒さんの手を握っていて下さい。 少しでも温度に変化があれば教えてください。 特に冷たくなっていくようなら気のせいだと思わず教えてください」

頷くと元の位置に座り耶緒の手を取る。

紫揺が目を瞑って気を集中させる。 子供たちと川で遊んでいて紫の力で水を飛ばすなどというガサツなことではない。 水を操る力は黒の瞳。 もともと黒い瞳が変わるわけではないので力を使っていることは子供たちにバレていない。

深い深呼吸を一つした紫揺が目を開けた。 指を耶緒の顎に添える。 少し力を入れると僅かに開いていた耶緒の口がもう少し開いた。

紫揺の瞳が動いた。 湯呑を見たのだ。 湯呑から一筋の白湯がゆらりと上ってきた。 その行き先を案内するように紫揺の瞳が動く。 気管に入れてしまっては肺炎を起こさせてしまうかもしれない。 慎重に白湯を導く。

口の中に白湯が入ると揺れる白湯が色を成して視える。 白いが透明、それでいて命を育む輝きを持っている。

顎に添えていた指を離しゆっくりとゆっくりと胃まで運ぶ。

灰色に茶色を混ぜたような色の塊の横まで来た。 ここにきて逡巡する。 塊に白湯をかけるつもりでいた。 だがこのまま胃に溶け込ます方がいいのだろうか。 人体だ、一か八かの賭けなど出来ない。
予定を変更して塊の横に白湯を流す。 流すといってもほんの僅か。 塊までも届かないだろう。

ほんの僅かの白湯が胃液に乗って塊の端まで流れる。 塊が僅かに煙となって溶けるのが目に入った。 煙は充満する様子を見せずそのまま霞のように消えた。

(分かった・・・)

同じ作業を何度も続けるが、二度目からは胃の中に入れた白湯は塊の上に落とした。
どれだけの時を要したのだろう。 やっと湯呑の半分が終わった。 もう白湯ではなくなっているだろう。

胃に落とす白湯はほんの僅かずつだった。 塊も僅かしか溶けていない。 だが身体を温める前よりは随分と溶けている。
ここで一度、耶緒を起こして白湯を飲ませる方が早いだろうか。 いや、まだ気分はよくしていないだろう。

「手は冷めてきていませんか?」

「はい、大丈夫です」

気丈に答えるが白湯が触れてもいないのに空中を飛んだりしたところを何度も見ている。 声が上ずりそうになる。

「お白湯が冷めたと思いますので入れ替えてきてもらえますか。 もう一度今のようなことをします。 出来るだけ冷めないような工夫をして頂けますか」

「はい」

秋我を待つ間、休憩をしよう。

かなり神経を使った。 ドテッと横になる。

(肩凝った・・・)

肩を動かせば少しでも楽になるかもしれないが今は横になっていたい。 あと湯呑半分を胃に送れば、それで湯呑一杯は飲んだことになる。 そして時を置いて耶緒を起こし、口から湯呑一杯分を飲んでもらうだけで随分と違ってくるだろう。

目を瞑るとウトウトとしてくる。 そう言えばまともに寝ていなかった。
秋我の足音でハッとなった。 一瞬だが寝ていたようだ。 それでも随分と身体が楽になった。

「遅くなって申し訳ありません」

遅くなったのか。 それなら一瞬ではなく少しは寝ていたのだろうか。

「いいえ。 いい休憩になりました」

「領主が無理をされているようなら、お止めするようにと言っておりましたが」

「大丈夫です。 今日はこれで終わりにしますから」

盆を見ると大きな鉢に湯を溜め、その中に白湯の入った湯呑が入っている。 工夫をしてくれたようだ。
中央に載っていた鉢を盆の隅に移動する。 少しでも距離を短くしたい。

長い息を吐く。 目を瞑り気を集中させる。
目を開けると指を耶緒の顎に当て口を開けさす。 湯呑を見る。 先程より少し多めの白湯を浮かせる。 無茶はしたくなかったがこちらの体調もある。 少し多くすることで一回でも回数を減らしたい。

白湯を耶緒の口に運び、特に気管に流れないよう注意して胃に運ぶ。 灰色に茶色を混ぜたような色の塊の上にかける。 煙を上げて塊が僅かに溶ける。 煙が四散し霞となって消える。 それを見届けてから同じことを何度も繰り返す。

湯呑の半分が終わった。 塊も半分ほどは溶けてなくなった。

(半分か・・・)

半分では耶緒はスッキリと感じないであろう。
残り半分、湯呑一杯分はしよう。
大きく深呼吸をして湯呑の残りを同じようにして減らしていく。

湯呑が空になった。

「手はまだ温かいですか?」

「はい。 どちらかというと先程から更に温かくなってきたように感じます」

紫揺も耶緒の手を取る。
確かにさっきより温かく感じる。
いい方向には向かっていると思う。 このまま体を温かくして時を置こう。 自然と塊が溶けていくかもしれない。

明日もう一度視て何の変化もなければまた同じことを繰り返せばいいし、元に戻ってしまっていれば他の方法を考えればいい。

「じゃ、今日はこれくらいにします。 秋我さん付き合って下さって有難うございました」

「礼を言うのはこちらです。 腹が減りましたでしょう。 もう冷めてしまっていますが此之葉が夕餉を作って待ってくれています」

二人で耶緒の部屋から出ていつもの部屋に戻る。
心配だったのか領主と阿秀がまだ待っていた。

「紫さま、このような刻限までご無理は御座いませんでしたでしょうか」

「大丈夫です。 耶緒さんに視えていた塊は半分ちょっとはなくなりました。 明日元に戻ってしまっているか、より一層減っているか、変化がないのか分かりません。 また明日視てみます。 元に戻ってしまっていたら別の方法を考えます」

そして秋我を見て、夜中までに湯呑一杯分の白湯を耶緒に飲ませておいてくれと頼む。 耶緒が飲みたければそれ以上でも構わないと付け加えた。

椅子に座ると此之葉が奥から出て来て、温め直せるものは温め直してくれたのだろう。 残念ながら白飯と焼き魚、卵料理は冷めていたが、湯気の立っている汁物と煮物が置かれた。 他にも和え物やホクホクと仕上がって見える芋類もある。

素材は日本とは違うし、調理方法には似た所はあるが味付けが全く違う。 調味料が違うのだろう。 そう思うと本領の料理は素材も味付けも日本とよく似ていた。

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